13:42 2018/11/01 (木) 出かけた場所や遊覧の覚書です。 当頁の記事は下段から上段への積み上げ方式となっています。 waka |
15:09 2019/07/23 (火) 京都・奈良・大阪旅行。その三、完。 古都ふたつ、ひとり巡って、大阪へ。 | ||||||||||
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十二月十三日。 大阪城を下から仰ぎ見た、天守に登って下界を見おろした、どちらの記憶もまるでありません。なぜなのか謎です。入場半券はこの通り残っているのに。 この日はこのあと、映画『積木くずし』、ゲームセンターでテレビゲームやアレンジボール。 大阪でなくてもよいような遊興・・ どうやら旅に飽いてきた、そろそろ家に帰る頃合いとなっていたようです。 | ||||||||||
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炸里背(豚ビレ肉の揚げもの) 焼売(シューマイ) 什錦炒飯(五目焼き飯) Beer2本 打ち上げの夜とはいえ、ビールも飲んだとはいえ、一人の晩飯が4800円は贅沢、分不相応でしょうね。ホテル内の店、やけに割高、と学びました。 | ||||||||||
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当サイトの、ふろく > display > 1979〜 にある「1983/12/14 大阪市天王寺動物園」はこのときのものです。 復路は南回り、新幹線はつかわず。 新大阪 12/14 17:35 東海道本線 〜 大垣 20:02 大垣 20:49 〜 東京 12/15 4:40 | ||||||||||
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14:23 2019/07/09 (火) 京都・奈良・大阪旅行。その二。 東京から長野、北陸と、のんびり北回り、福井で一泊後、琵琶湖の西を通って、ようやく京都。 冬、十二月七日午後四時頃着で、まずは荷を降ろし腰を落ち着けて、一夜。 | ||||||||||
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明けて、京都遊覧初日は、金閣寺、光悦寺、上賀茂神社、円通寺、宝ヶ池、などですか。 黒が予定、赤が実行。巨大リュックはホテルに置いたままで、たぶんショルダーバッグのみ提げて、歩いています。 歩行十数キロ。やや時間遅くなり、帰路で地下鉄使用のようす。 | ||||||||||
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京都二日目。 本能寺、平安神宮、銀閣寺、法然院、若王子神社、永観堂、南禅寺、青蓮院。 永観堂、「すごいところ(建物が●い)」は「高い」か? 知恩院以降は時間切れでまわれず。 歩行八キロぐらい。終盤、ホテル近くなのにタクシーを使ってますか。おそらく、道がわからなくなって(笑) | ||||||||||
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京都最終日。 前日まわれなかった、三十三間堂、京都国立博物館、豊国神社、六波羅蜜寺、知恩院。 昼食後、バスで京都駅。 そして奈良へ。 | ||||||||||
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名所旧跡絶景などは、たいしたことなし、行ってみてがっかり、ということはありがち。だけれども、博物館は充実している、外れがない、時間の無駄がない、内容にくらべて入場料がすごく安い、などと最初に実感(ほとんど感動)したのが、このときの京都の博物館だったという気がします。 | ||||||||||
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日付が12/10なので、この奈良のホテルは前払いですね。 福井と奈良が前払い、京都と大阪が後払いだったようです。山でもないのに大きなリュックの旅の青年、あやしげ度合いはそのぐらいってことでしたか(^^;) | ||||||||||
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奈良初日。 近鉄奈良下車後、興福寺、国立博物館、依水園、大仏殿、二月堂、三月堂、春日大社、奈良公園、というコース。 奈良は、お目当てがわりとまとまっていますな。 「ラーメン屋「あおによし」朝+昼食」、行きと帰りで二食ともここみたい。(それとも昼に二食分?) あら、パチンコしてます。なかなかの戦果ですが、旅先も長くなって、飽きも出てきてますか・・ | ||||||||||
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奈良二日目(奈良最終日)。 ホテルをチェックアウトして奈良駅まで歩き、コインロッカーにリュックをあずけて、あとはほぼバスですね。 唐招提寺、薬師寺、法隆寺。 唐招提寺では、信者さんたちが境内の清掃をしていました。観光名所というより信仰の場の雰囲気、と覚えています。 (つづく) 15:07 2019/06/25 (火) 京都・奈良・大阪旅行。京都府、奈良県、大阪府。 二十代半ば、東京の職場を辞め、千葉の実家で、のんきぐらし。 (実家から通って何年も働いて、毎夜のように遊んで、しかし、食費もろくに入れずに親がかりだったため、それでもまだそこそこの貯金が残っていました。つまり、無職になったとはいえ、金は潤沢にあり、たっぷり時間もあり、しかももてあますほどの若さ。当時はわかりませんでしたが、天国のような状況下の一年弱でした) のんきぐらしですが、さすがにいつまでもこのままはないと思っており、近々家をでて独り暮らしをしなければならないだろう、したいな、とも考え・・ その独り暮らしの予行演習的な、企てが、この独り旅でした。 とくに興味があったというわけではないのですが、十日間ぐらいはぶらぶら遊行したい、となると、あんまり近場というのも変だしで、関西が適当かな、と。 で、関西となると新幹線なのですが、毎度毎度同じでは面白味がないので、加えて今回は時間の制約はほぼ無しなので、新幹線無しの縛り、としました。ならば、往路は東海道も使わず、北回りで行ってみるか、と。 高校の頃の地図帳を開いて指先でたどり、時刻表の細密記載を行き来して乗り継ぐ電車を吟味して。 | ||||||||||
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福井で一泊。これは福井で立ち寄るところがあったのではありません。普通電車で北回りすると一日では行き着かないので、途中下車して宿泊するのが適切と判断しました。 〜 長野(長野県)、直江津(新潟県)、糸魚川(新潟県)、富山県、石川県、福井(福井県)、敦賀(福井県)、近江今津(滋賀県) 〜 各県は通過のみでしたが、丸二日間ぐらいの電車旅、たのしかったです(^^;) (福井と京都のホテルは旅行前に予約。その後の、奈良と大阪のホテルは事前の宿泊地から電話予約) | ||||||||||
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心配症なので大荷物になってます。 若かったので大量でも軽々担いで歩けましたし。(乗り継ぎ時間が無いときなどは担いで走りました) | ||||||||||
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事前のアバウトな目的、心得のような書き付け。 典充というのは友人です。 (つづく) 19:48 2019/06/11 (火) 大阪万博。EXPO'70。大阪府。 私と姉、引率する大人は(といってもまだうら若い)実家の職場の女性従業員さん二名。 この四人で行きました。民宿で二泊か三泊ぐらいでした。 もうSF的なパビリオン群、イベント、前向きで夢いっぱいな様々な展示、かっこよくて斬新なデザインに浮かれまくりの中学生男子だったはずですが、脳内は(笑) 実際は、とにかく、群集の量、勢いがものすごくて、人気館は異常な行列で待ち時間が非人道的に長くて、真夏で暑くてのどが渇いて、あれらをしのいだだけでも体力、忍耐力、尊敬に値します。私も姉も引率お姉さんたちも、まわりの全国から参集しただろう老若男女のみなさんも。 月の石、何時間も待って観たけど、結局ただの石だし。そんなアメリカ館より、ソ連館のほうがまだ展示としては面白かったかも。 すこし慣れてくると、人気館は避けて、すぐ入れる小ぶりのアフリカの小国の展示館をハシゴしたり。 この旅行のとき持っていった本が、創元推理文庫の『銀河帝国の興亡』アシモフ作で、民宿の寝床で読み、起きては万博会場を歩き回り、読みおえてしまうと続刊を探して帰りの新幹線で読みふけり、と、未来の夢に浸かりっぱなしの数日間でした。 高校の修学旅行が、定番の、京都・奈良。京都府、奈良県。 三泊四日ぐらいで、神社仏閣、庭園、たくさん廻りました。 たいていは、学生服でぞろぞろと。かたわらの友人たちといいかげんな感想を言い合ったり、笑い合ったり。退屈したり。 このときのことは、どこに行って何を観たか、具体的な色々は、ほとんどすべて忘れてしまいました。 有馬温泉(兵庫県)。 二十代前半のどこか。勤めていた職場の創業二十五周年の記念式典。 大阪府にある本社を見学後に、有馬温泉で一泊。全支店から全社員を集めてでしたから、わりと太っ腹でした。 といっても要するに、大がかりな、宴会でしたけれども。 (しかし、まー、思い返してみれば、 パソコンとか、インターネットとかは、もう、あのころの予想未来を超えている。 宇宙船とか超能力とかではなくて、こんな深まりぐあい広がりようがあったなんて。 まるで想定外・・ ) 17:17 2019/05/28 (火) 井川(静岡県)旅行。二十代半ば近く、職場の男女四人ぐらいで、大井川鉄道に乗って、行った、のは確かなんです。ダム湖のようなところがあったような。 しかし、顔ぶれとか、川原で遊んだ情景とか、浮かんでくるのが別の旅行の別の場所もあるみたいで、なんか記憶が混同しています。 関西方面へは、頻繁ではないですが、旅行や仕事関係で何度も行ったり来たり。新幹線。 しかし、愛知県、岐阜県で、遊覧した、どこかに寄ったという覚えが全くないです。この両県は通過のみしかしていないと思います。 伊勢神宮(三重県)。外宮。内宮。 小学生だったか中学生だったか、父、母、と姉の四人で、参拝しています。 泊まったのが、壁も柱も床も黒っぽい古風な旅館で、大人にはしぶい情緒だったかもしれませんが、子供には、なにか暗くて湿っぽいばかりでした。 奈良県。 三十代後半、一週間ほど、奈良工場に出向ということがありました。独身寮で寝起き。 このときは、ついでに観光しようという気が起きず、土曜勤務後の夕方には新幹線に乗ってしまいました。 13:46 2019/05/15 (水) 昨日、五月十四日。出立時は雨、傘。 埼玉県さいたま市大宮区。 埼玉県立歴史と民俗の博物館。公式サイト。 観覧料、300円。 | ||||||||||
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東武野田線大宮公園駅から少し歩いて。くもり。 午前十一時四十分、入館。 一階展示室、旧石器時代から戦国辺りまで。 絵巻物、よく観れば残虐描写。 午後一時から、ボランティアさんのガイドで地下一階江戸時代前期。人が少なく聞き手はこちら二人だけですこし気詰まりっぽい。三十分ほど。 (というか、お客全部よりも職員さんたちのほうが多かった、きっと) その後休憩所で持参弁当のお昼。 ガラス越しに見える緑、林、この頃には晴れている。 後半は地下一階の江戸時代から現代まで、と、民俗関係。 二時四十五分退館。三時間。 ここちよい疲労でした。 | ||||||||||
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それから、大宮公園を散策して。 大宮公園小動物園にも寄ってみる。 無料なのにそこそこ充実。 お猿さんなどの檻、こんな狭いところで生涯というのも「やんなっちゃうね」とひとりごちつつ。 小動物園といいながら、ツキノワグマやカピバラまでいる。鳥たちの大きな囲いは中を歩ける。 博物館もそうだけど大宮公園全体でも平日とはいえ人少なく、私はぜいたくな気分、しかし維持管理の採算はとても無理そう。税金頼みなのかなあ、とか思うけど、公園内に立派なサッカー場などあり(大宮アルディージャの本拠地?)。そっちの試合があるときなどは人であふれるのかもしれず。 帰りは東武野田線はつかわず、氷川神社のまっすぐな参道を歩いて大宮のにぎわう市街へ。くもり、小雨。 外出費計、1810円。 0:18 2019/05/01 (水) 長野県。何度か。 中学校の修学旅行が、善光寺や黒部ダム、だったはず。 ほとんど覚えていません。 (おお。今地図で見たら、善光寺は長野市ですが、黒部ダムは富山県ですね) その一年か二年前。 私の母親が女子高生の頃、登山部だったそうで、その同窓会代わりの山登りがありました。息子をそれに同伴させた、つまり、私は母親の同窓会代わりの山登りにつきあったのです。 土曜昼、授業を終えて(そしてホームルームで担任教師の話が長引いて時間に遅れそうでじりじり待ったのをよく覚えています)、列車で出発、中央本線に乗ったので山梨県を通過して長野県のどこか。夜、山小屋に泊まりました。 地名、山名は忘れました。 翌朝、清澄な美しい夜明け。 朝食は美味しかったけど中学生にとっても少なめで、山小屋の食事はそういうものらしいと思いました。 この日曜日、大人たち=母親の同窓生や恩師やらと本番の登山となったんですけど、肝心の私の母親がいないんですよね。行方不明(笑)。どうやら、女友達と先に行ってしまい、最初は様子見程度のつもりが勢いがついてどんどん登ってしまったらしい。 私は知らない大人たちに「先に行ったのよ」「心配ないから」などと励まされて、登りましたが、道々、「おかあさーん」と呼びながら。 ふつう「ヤッホー」などと発声するところを「おかあさーん」ですから、いやあ、思い返しても恥ずかしい限り・・ 登山というより、高原に近い感じでした。 頂上にはお花畑があるということでした。 季節が外れていて咲いてはいなかったと思います。 そして、十五年後ぐらい。 既述ですが、四人ともすでに退職した前の職場つながりの、男女四人で、九月に上高地旅行をしました。 深夜バスで、朝、上高地着。午後ぐらいから、ハイキングで、徳沢園という山小屋に到着。一泊。翌日午後、バスで帰り。ざっとそういう行程です。 天気は上々、眺めもすばらしく、山は威厳があり、川も緑もすがすがしい。 すこし前、真夏に、痴情がらみのことなどあり。気分一新、とまではいきませんが、そこそこの佳い旅でした。 下は、事前の覚書です。 | ||||||||||
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20:11 2019/04/15 (月) 新潟県も一度きりかも。 中学生。友人に上杉謙信のファンがいて、誘われて、級友三人だけで謙信ゆかりの地巡り。 というのに行ったことは確かですが、中学生男子の小遣いの範囲で、日帰りで、たぶん長時間の電車往復、現地にいられたのは数時間ではなかったか、と。それに私はその友人ほど入れ込んでいなくて、どことどこに寄ったのか、全く記憶に残っていません。 言い出しっぺの友人も先導はしましたが、まだ子供で、経験値も浅く、仲間たちを満足させるには力不足で、とまどったり機嫌が悪くなったり、意見がまとまらなかったり、というようなこともあったようななかったような・・ ぼんやりしてます・・ 埼玉県、近いんですが、意外と少ないです。 埼玉産業フェア。 具体的にどういう展示だったのか、このイベント名以外全く忘れましたが、二十代半ば過ぎに。 四人ともすでに退職した前の職場つながりの、男女四人で、九月に上高地(長野県)旅行をし、その翌月、県の公務員の(つまり主催者側の)うち一人の女子の招待でほぼ同じメンバーでの観覧、だったと思います。 山梨県。 富士急ハイランド。 少なくとも一回は遊びに行ってます。二十代前半、職場の慰安旅行。 あそこでスケートをしている。 この旅行のときでしょう、信玄公の巨大な彫像を見たり、富士山の五合目にバスが停まっていたりの、おぼろな記憶もあります。 | ||||||||||
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上は、秩父(埼玉県)旅行の行程表。 しかし、この計画、こんなきちんとつくってあるのに何らかの事情で(夏休みに他の用事が入ったか、急に意欲を失ったか)、実現していません! (^^; 昭和57年は1982年。おあずけ40年近いけど、できればそろそろ食べてみたいです。 15:06 2019/03/31 (日) 高校一年頃か、学校行事のバス旅行。千葉県北東、銚子の、醤油工場見学、犬吠埼などを廻りました。 このとき、バスが利根川を渡って茨城県に入り、鹿島神宮にまで行きました。 あの神宮は、鎮守の杜が鬱蒼とした森林で頂きの見えない巨樹が立ち並んでおり、湿気の濃い、圧してくる、凄味がありました。とある鹿の、うるんだ瞳と見つめあって、心より深い、命と命が呼びあう哀しみを感じた、という記憶もあります。ずいぶん若くて、時々、恥ずかしいぐらい繊細、ナイーブでした。 福島県は一度きり。 二十代前半、職場の先輩が故郷で挙げる結婚式に呼ばれて、職場の同僚たち男女で大挙して参列。という事情でした。三連休だったのか、観光がてらでしたが、とにかく、十時間とかもっとかずうっと列車にのってもうはるばるたどりついたような。 会津のお城を見てます。披露宴も、夜も、あちらの方々がすすめ上手で、たっぷり酒をのみました。 中学辺りの学年旅行、日光東照宮、いろは坂、中禅寺湖。栃木県。 いろは坂をバスを連ねて登った(または下った)のは確か。 そして、西方にある尾瀬ヶ原(群馬県)までいって見学(木道をハイキング)しているかと思うんですが、どうもはっきりしません。 尾瀬は、新潟、群馬、福島の三県にまたがっているそうなので、地図を眺めた感じではあるいは、福島県にも足を踏み入れていた、かもしれません。 日光や尾瀬。 長年、栃木県の北東辺、東北地方との境にあるという感覚で覚えていました。 今回ちゃんと地図を開いてみたら、全く逆の北西、群馬県境のほうだったか、と。 それほど、ご無沙汰している地域です。 13:03 2019/03/22 (金) 昨日、三月二十一日。春分の日。晴れたり曇ったり。 東京都墨田区。 江戸東京博物館。公式サイト。 入場料、600円。 | ||||||||||
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午前十時過ぎ、入館。 巨大な建物なので早起きして。展示室は2フロアだけとのことで、それほどのことはないのかと。しかし、やはりちがいました。 入口のある六階から。江戸開府辺りから。 つづいて降りて五階。 ファミリー寄席という催しのある日で、昼前、 太神楽 鏡味与し乃 紙切り 林家今丸 はらはらどきどき。見事な手業。語りも流石。 昼、有料エリアから一旦退場して、三階の休憩室で、持参したお弁当。 入場し直して五階のつづき、江戸から明治、現代まで。午後四時過ぎ。 最後に最上階七階の静かな図書室でひもといて、夕五時退館。 七時間。堪能。ちょっとふらふら。 祭日で人多めか。外人さんも。 開館(1993年)したときからいつかは行きたいと思っていて、ようやくでした。 外出費計1250円。 出発前と帰宅後の財布現金の差額が、1250円。しかし、遣ったものを積算しても1150円にしかならず。あと100円はと思いめぐらしていてやっと気づきました。最後の図書室、荷物はコインロッカーに預けるルール。これなんですけど、投入した100円玉は使用後に戻る、実質無料。つまり、戻った100円玉を回収し忘れていた模様。無念・・ | ||||||||||
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13:14 2019/03/15 (金) 昨日、三月十四日午後。晴れ。 東京都新宿区。 新宿区立漱石山房記念館。公式サイト。 観覧料、300円。 前に来たときは、しょぼい公園があっただけなのに。 いつの間にこんな立派で、小ぎれいな建物が・・ 観覧、一時間と少し。 三十八歳、奇跡の書「吾輩は猫である」で世に顕われ、「坊っちゃん」を経て、四十代で前期三部作「三四郎」「それから」「門」、後期三部作「彼岸過迄」「行人」「こゝろ」、ついには「明暗」に到達するも、未完で死去、四十九歳。 わずか十数年、ものすごいよね。うらやましいというか、幸せなというか。 あの世で書き終えて、のんびりしているような気がします。 以後百年、日本語の小説って、漱石先生のまねしんぼが延々と続いているかのよう。作品のみならず、「小説家」という身過ぎ世過ぎの形まで。 | ||||||||||
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14:28 2019/03/08 (金) 昨日、三月七日午後。雨、傘。 千葉県千葉市。 千葉県立中央博物館。公式サイト。 入場料300円。 かなりの広さなのに人はまばらな(雨模様ということもありそう)青葉の森公園という所の一角にありました。(起伏に富んだ公園で彫刻群とか梅林もあります。梅は咲いてましたが、見頃はちょっとすぎたか) ワンフロアしかないので(展示室が八ぐらい)、さらっと巡回できるかと思いきや、たっぷり二時間半。 地質と岩石、植物、動物(昆虫類多量、美麗)、遺物、歴史も。 化石、骨格、標本、剥製、模型、古文書類やいくつものジオラマ、等々。 小動物を飼育している小部屋もあり。 基本的には、地元の小学生が団体でわいわい来るような施設かも。 解説プレートを読む限りではじゅうぶん大人向けだけど。 | ||||||||||
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実家に顔を出すついでに、寄ってみました。 開館30周年ということですが、初観覧。 外出費+帰省費=計1780円。 17:06 2019/02/12 (火) 二十代の前半。 利根川の中流域の土手を、とにかく延々と歩く。たまに河原におりたりもする。 それだけという、外出というには大げさで、小旅行というには単純な。私はたしか「強歩」とか「土手歩き」とか名づけていたけど。一人で、何回か、五回ぐらいか、行きました。 だだっ広くて、田園と川と空と、自分の歩きとで、じつに気持ちよかった。 | ||||||||||
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杉戸(埼玉県)〜幸手(埼玉県)〜関宿(千葉県)〜境(茨城県)〜栗橋(埼玉県)〜古河(茨城県)、この辺り、歩いて三県を行ったり来たりできたはず。(あと少し北上していれば栃木県も踏めたか) 手賀沼(千葉県)を探してほとんど迷子になり田んぼにはまったりもあったような。 霞ヶ浦(茨城県)を見に行って、期待したんだけど、やっとたどりついたらなにかアオコみたいのがびっしりでわびしい景色だったり。 20:58 2019/01/02 (水) 千葉県。 私が生まれて、二十代半ばまで暮らした地元県。 県内あちこちに行ってます。 学校行事での旅行、臨海学校、生物クラブ関係の合宿、等たびたび、家族旅行幾度も、単独や複数での自転車遊行、友人との夜釣りも一度、職場の皆との海水浴も二三度あったかも。 当然といえば当然だけど、ダントツで経験値濃く深い。 東京都。 十八歳から働いた事務所が都内。 二十代半ば、その職場を辞め、そして実家を出、東京に引越してきて、現在まで暮らしています。 いくつかの職場、その関係、私生活での遊興遊覧、観戦観劇、散策、等々で、 台東区、千代田区、中央区、文京区、新宿区、渋谷区、品川区、港区の辺りを主に、だいぶ歩いているはず。 神奈川県。 母親が千葉、父親が神奈川の産。 父が婿入りをして、私が生まれたわけですが、 子供の頃、父の実家があるため、伯父の家に数年に一度ぐらいの頻度で遊びにいってます。 そのほかにも、三浦半島とか横須賀とか湘南海岸とか、 友人関係、職場関係で、または単身での遊興や旅行、頻繁というほどではないけれどあったはず。 14:11 2018/11/01 (木) | ||||||||||
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