表紙
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1973/05

 
















1973/05/01 修学旅行には
 


















1973/05/01 ザッソウ
 
















1973/05/01 小鳥
 














1973/05/01 心記
 
















1973/05/01 今も、わりとおもろいでよ。
 














1973/05/02 道
 
















1973/05/02 こんなようにみえるのだ。
 




















1973/05/02 すきまから水をだすと、壁が
 
















1973/05/03 サシミのあげたものの中に
 


















1973/05/03 イシハラ シガ
 




















1973/05/04 おりまげた小指の
 


















1973/05/05 ハイキング
 


















1973/05/07 心ボソイナー
 














1973/05/07 秋の文芸誌
 




















1973/05/08 やるきなのA
 


















1973/05/10 耳をくっつけあわして
 














1973/05/10 耳みみにかかりにくし
 














1973/05/11 本棚
 


















1973/05/11 閑人
 






















1973/05/11 バカタン アホタン
 














1973/05/12 急所
 














1973/05/14 ぼくはこうやってメガネをなおす。
 




















1973/05/15 すてたくないゴミみたいなもの
 














1973/05/15 ひっぱる
 














1973/05/15 マフラーやてぬぐい
 














1973/05/15 前者は後者よりヘンケンでない。
 














1973/05/16 チャックの、手でもつ所
 
























1973/05/16 入れ方
 
















1973/05/16 どっちが、どっちが、
 














1973/05/17 超々準最高重要
 














1973/05/17 左のようなのをつくりましょ。
 














1973/05/17 ロウカを歩いていたら、
 




















1973/05/17 He ≡ 彼 !!?
 
























1973/05/17 世にいう おほしさまか?
 
















1973/05/17 江戸の閑人
 














1973/05/18 マルの書き方
 




















1973/05/18 目にぶっさす
 
















1973/05/18 するどいデッパリのようなもの
 














1973/05/19 机の上にしくとうめいな
 


















1973/05/20 のようなかっこをした
 
















1973/05/20 「心」が擬人化されている。
 
















1973/05/21 心記の一日分が短くなって
 
















1973/05/21 虫歯は1つのつもりだったのに
 
















1973/05/22 化学(宿)
 














1973/05/22 こちらの方が気品があり
 
















1973/05/23 卓球
 














1973/05/25 ちぢんでしまうのでは?
 


























1973/05/25 まったく無意味ないたずら書きや
 














1973/05/26 ケシゴム
 




















1973/05/26 考えるだけで、悲愴になる
 














1973/05/26 おなべのてっぺんについている取手に
 














1973/05/26 7本目の棒をかぞえるとき
 














1973/05/27 気品がみなぎるようでなければいけない。
 
















1973/05/27 3本の指でしっかりともって
 




















1973/05/28 タイムマシンで
 














1973/05/30 するつよさで
 














1973/05/30 先が上をむいていると 〔原寸〕
 














1973/05/30 先が上をむいていると 〔拡大200%〕
 


















1973/05/30 たたきあわす
 

















1973/05/30 ナマメカシイすがた
 

















1973/05/30 フロの火
 














1973/05/31 そこで、右ききの人がでてくるのか?
 













画像 アップ
『1973/05/01 修学旅行には』A、B 2020/07/20(月) 〜
『1973/05/01 ザッソウ』A、B、C
『1973/05/01 小鳥』A、B 2020/07/27(月) 〜
『1973/05/01 心記』
『1973/05/01 今も、わりとおもろいでよ。』A、B
『1973/05/02 道』
『1973/05/02 こんなようにみえるのだ。』A、B 2020/08/03(月) 〜
『1973/05/02 すきまから水をだすと、壁が』A、B、C、D
『1973/05/03 サシミのあげたものの中に』A、B 2020/08/11(火) 〜
『1973/05/03 イシハラ シガ』A、B、C
『1973/05/04 おりまげた小指の』A、B、C、D 2020/08/17(月) 〜
『1973/05/05 ハイキング』A、B、C 2020/08/24(月) 〜
『1973/05/07 心ボソイナー』A、B、C
『1973/05/07 秋の文芸誌』 2020/08/31(月) 〜
『1973/05/08 やるきなのA』A、B、C、D
『1973/05/10 耳をくっつけあわして』A、B、C 2020/09/07(月) 〜
『1973/05/10 耳みみにかかりにくし』
『1973/05/11 本棚』
『1973/05/11 閑人』A、B、C 2020/09/14(月) 〜
『1973/05/11 バカタン アホタン』A、B、C、D、E
『1973/05/12 急所』
『1973/05/14 ぼくはこうやってメガネをなおす。』 2020/09/21(月) 〜
『1973/05/15 すてたくないゴミみたいなもの』A、B、C、D
『1973/05/15 ひっぱる』
『1973/05/15 マフラーやてぬぐい』
『1973/05/15 前者は後者よりヘンケンでない。』 2020/09/28(月) 〜
『1973/05/16 チャックの、手でもつ所』
『1973/05/16 入れ方』A〜F
『1973/05/16 どっちが、どっちが、』A、B 2020/10/05(月) 〜
『1973/05/17 超々準最高重要』
『1973/05/17 左のようなのをつくりましょ。』
『1973/05/17 ロウカを歩いていたら、』
『1973/05/17 He ≡ 彼 !!?』A、B、C、D 2020/10/12(月) 〜
『1973/05/17 世にいう おほしさまか?』A〜F 2020/10/19(月) 〜
『1973/05/17 江戸の閑人』A、B 2020/10/26(月) 〜
『1973/05/18 マルの書き方』
『1973/05/18 目にぶっさす』A、B、C、D
『1973/05/18 するどいデッパリのようなもの』A、B 2020/11/02(月) 〜
『1973/05/19 机の上にしくとうめいな』
『1973/05/20 のようなかっこをした』A、B、C
『1973/05/20 「心」が擬人化されている。』A、B 2020/11/09(月) 〜
『1973/05/21 心記の一日分が短くなって』A、B
『1973/05/21 虫歯は1つのつもりだったのに』A、B
『1973/05/22 化学(宿)』A、B
『1973/05/22 こちらの方が気品があり』 2020/11/16(月) 〜
『1973/05/23 卓球』A、B
『1973/05/25 ちぢんでしまうのでは?』
『1973/05/25 まったく無意味ないたずら書きや』A〜G 2020/11/23(月) 〜
『1973/05/26 ケシゴム』 2020/11/30(月) 〜
『1973/05/26 考えるだけで、悲愴になる』A、B、C、D
『1973/05/26 おなべのてっぺんについている取手に』 2020/12/07(月) 〜
『1973/05/26 7本目の棒をかぞえるとき』
『1973/05/27 気品がみなぎるようでなければいけない。』
『1973/05/27 3本の指でしっかりともって』A、B
『1973/05/28 タイムマシンで』A、B、C、D 2020/12/14(月) 〜
『1973/05/30 するつよさで』
『1973/05/30 先が上をむいていると』 2020/12/21(月) 〜
『1973/05/30 たたきあわす』A、B、C
『1973/05/30 ナマメカシイすがた』A、B 2020/12/28(月) 〜
『1973/05/30 フロの火』A、B
『1973/05/31 そこで、右ききの人がでてくるのか?』

※ 『1973/05/01 ザッソウ』 : 難読箇所、その他いくつかあるので、付記しておきたい。 ○1頁目の上辺にあるメモは、「カメ」「ジウュダン」(ジョウダン)「ザッソウ 2こ」ではなかろうか。他の文字にもみえるが、左のようによめば本文で関連記事でてくるので。 ○友限な資源は、有限な資源。 ○1頁目の、雨のふるらん。らんの傍線下に書かれているのは「3つ」か「ろう」か迷う。「ろう」なら、らんの訳といえそう。見える通り素直に「3つ」なら、らんには3つの意味ありという指摘で、その3つの解説を3頁目でしている、ということになりそう。こっちかな・・  ○雑はひっこぬかれて、は、雑草はひっこぬかれて、の脱字、ほぼまちがいない。 ○学校のぼくの席の両側は通路だから、カバンetcをおいておくな。 ○2本でエンピツをもつもち方、の絵だが、自分がこういう持ち方をしているというのではなく、こういう持ち方もあるかも、ということでしょう。(あるいは・・ 右手のイラストを描いていたら、ふつうに三本指でペンを持つ絵ではなく、結果的に二本指に間違えたのができてしまったので、描かれてみればこういう持ち方もあるかもねえ、と思った、そういう絵ということにした、ということかも)

※ 『1973/05/01 小鳥』 : 「ドジナー流星群」「ゾルナー流星群」。ゾルナー流星群の洒落的言い替えがドジナー流星群、かと思ったんですが、ネット検索しても流星群関係をしらべてもともに見つからず。ドジナーだけでなくゾルナーも実在しないのかも。

※ 『1973/05/02 すきまから水をだすと、壁が』 : 「すきまから水をだすと、壁が一時(的?)に移動したようみえるか?」 これは、移動したように錯視できる壁ということらしい。オブジェ、立体作品のアイデアのようにも思えるけど、もうひとつ構造がよくわからない。動いているようにみえるかどうか、確かめたいんだろうなあ・・ でも、模型でさえ作るのは難しそう。

※ 『1973/05/03 サシミのあげたものの中に』 : 「無意識という悪い将態で〜」 状態で。
: 「心持 → 先生はよくこっちを使う。」 学校の先生、ではなく、漱石先生、っぽいな。

※ 『1973/05/03 イシハラ シガ』 : 「パチンコみたいなゲームをやるより、」 本当のパチンコをするようになったのは、高校をでてからのはず。 高校生wakaは、遊技場(本文にある通り駅ビルの屋上にもあった。ゲーセン)などで遊べたピンボールのようなゲーム台も一種のパチンコとみなしてそう呼んでいたフシがある。(参照 display 1973/04 > 1973/04/22 いつの日にかセイフクスル)
: 天地真理。  当時の国民的アイドル。女性歌手。(しかし改めて眺めると、すばらしすぎるぐらいの芸名だ・・)
: 石原慎太郎。  1956年(昭和31年)芥川賞。1968年(昭和43年)参議院、301万票を集めて初当選。 本文当時の1973年(昭和48年)には、政策集団「青嵐会」結成。 都知事となるのは(本文より26年後の)1999年(平成11年)。

※ 『1973/05/04 おりまげた小指の』 : 「Aは広い意味で個性をさす。Aはせまい意味で人間をさす。」 ここのAは、前項の人Aとは、別物なんだよね?? しかし、すんなり頭に入ってこない対句だ・・ なんとなく前項からのつながりが匂うが、飛躍が(語られていない空白が)大きい感じ。

※ 『1973/05/05 ハイキング』 : ◇五月五日祭日、どこでだれとなどの記述はないが、ハイキングに参加している。 (奥多摩の高尾山、中学校の同窓会代わりの集まりで参加人数は二ケタか。記憶によれば。たぶん・・) 山道を歩きつつ、このノートにも記載しつつ、のようす。 ◇1頁目の中段は「ハイキングには/重い/多いニモツはだめ、ツウカン ボクノニモツを一ツみなんなにもってもらってしまった。」か。 痛感、でしょう。ボクノは、ホグノに読めるが、濁点をつけ違えたとみる。 持ってもらったのは、一時的にでしょう、さすがに。 (→何度も見直しているうちに、キグノニモツ:器具の荷物、かもしれないと思えてきた。何か昼食時などに使用する道具をもってきた?) ◇3頁目「さっきたべたアブラセンには千葉コーのアブラが?」は謎の度合い高し。 千葉港のアブラか? そこから入荷した油が使用されていたり、ということなら、多少は筋は見えそう。 ハイキングの仲間うちで千葉港や油のなんらかの話題がでて、ちょうど口にしていた揚げ煎餅の油も関わっているかもとメモしてみた、というような。 (あるいは、全く別の場所で別の人たちのそういう話題を耳にしていたのだけれど、このとき急に頭に浮かんできて) うーん??

※ 『1973/05/07 心ボソイナー』 : 「どんな形も、独立しているのでなく、相互に連続的で、不連続的なものではない。」  この辺りの本文の発想、高校生wakaの自発ではなく、数学の授業のお下がりにすぎないかもね。位相幾何学の基礎っぽいことは習っていたような気がする。ドーナツ型とボール型、とか。

※ 『1973/05/07 秋の文芸誌』 : 「ぼくが、下じきの下にはさんである計画表」  日々計画表のようなものか。それとも、何かのテーマに絞ってとか大目標を羅列しているような計画一覧か。 いずれにしろ、なくしてしまったわけではなく、なくしてしまったらと想像して怖がっているんだね。 ちなみに、「ぼくの、下じきの下にはさんである計画表」とか「ぼくが、下じきの下にはさんでいる計画表」とかのほうがすんなり耳にはいるけどな。

※ 『1973/05/08 やるきなのA』 : 「チャックをしめわすれたのだよ。」  もう一つ、状況がわからんな・・ チャックの締め忘れなら、ちょろっと直せるようなもんだが? ちょろっと直せないようなことだとして授業中に着替えたりしていいの?  露見はするだろうから、大恥だったのでは? (人にいわれて露見した、のかもね)
: 「マズイべんとう」  笑。毎日つくってくれる母ちゃんの弁当にこれは、罰当たりないいぐさだが、それも内心感じていて書くってことは、ほんとにまずいんだろうね(^^; うーん、確かに、茶色いおかずばかりで、辛くて、味は悪いってほどではないが、見映えはそれ以上でも以下でもなかったか。 ときどき、生理的に受けつけない鳥肉のおかずだったりして、それをいやいやもそもそ噛んだりしているときは、きらいだって言ってるのに入れやがって、とか怒りを感じていた記憶はあるな。 (今思えば、仕事持ってる母ちゃんなんだから、ムキになって毎朝弁当作りしなくても、小遣いだしてパンでも買わせたほうが効率よかったのでは? もう(四人の)子育てにもの狂いのようになってきたのが習慣化して止められなくなっていたか)

※ 『1973/05/10 耳をくっつけあわして』 : 「アミシャツがきれちゃた」  網シャツ、編みシャツ? 状況ほぼ不明ですが、それが切れちゃった、というだけのことを、ラララララララーと楽しく(または開き直って)歌っているのか。  いや、着れちゃった、か? 網or編みシャツという異なものを着てしまった、と興奮しているのか。
: 「松■さんに」  松■嬢は、小学一年時のwakaの彼女(^^)

※ 『1973/05/10 耳みみにかかりにくし』 : 「これをなんというの?」  耳の上端を、ツボの名称で、耳尖(じせん)というらしい。 しかしこれはツボなので、耳の上端一帯を指すのではなく、特定の一点を指す模様。
: なお、「耳みみにかかりにくし」または「耳みみにかかにくし」は、前の行から推して、「右みみにかかりにくし」と書くつもりだったものの誤記かもしれない。 (もっと細かいことを言えば、描かれている耳は左耳だよね)

※ 『1973/05/11 本棚』 : 「自分のあこがれていた女性からの将棋の果し状」 こういう果し状、これまでもこれからも、この世にほぼ存在しないだろうと思われます。

※ 『1973/05/11 閑人』 : 「将棋で、女にまけても、べつに恥でない。」  女子と実際に対局をしたわけではなさそう。妄想上のことらしい。  この時点では・・ 
: 「じゅくのある日は心が重い。」  英語塾だが、つまりこの時点ではまだ通っている。 英語の成績は激悪だった。英語を学ぶ意欲がどんどん減衰していったように記憶している。 (高校英語ってさ、文章とか文法とかそこそこ難しいのに、そういう面倒をときほぐして内容を理解しても、その内容が幼いんだよね。つまらないんだよね。 ふつう、謎解きをすればお宝を得られるのに、つまらないものしか入ってないから意欲が湧かないんだよね!  今思っても、高校生wakaのモチベーションが上がらなかったのは、同情できる。 いっそのこと、エロ小説とかを読解したほうがよかった。あるいは、エンタメ映画とかでも)

※ 『1973/05/11 バカタン アホタン』 : 「ぼくは異常になる事こそむずかしい、と思ってきたけど、実はそれほどかんたんな事はなかったの■。」  ■は、だ、なら収まるが、字形は、が、のようだし、か、かもしれない。難読というか、書きミスかもしれない。 (書きミスの一例を想像すれば、最初は、なかったのか、と書いていて、後で「た」ではなく「だ」だろうなとど勘違いしてとっさに濁点だけをつけた、とか)
: 「赤ヒゲも役にたったのだ。」  時代劇ドラマ『赤ひげ』(原作山本周五郎)は、当時、毎週金曜、NHKで放送されていた。 1973/05/11はその金曜日。 実生活で自己嫌悪することがあり、この夜のドラマ視聴も触媒となって、芋づるでいろいろ闇から浮き上がったりし、独り炎上している、というつながりでしょう。
: 「清閑に夢想す」  これは、自作の標語のようなものだったはず。紙にかいて貼っていたか、何かの帳面の巻頭言にしていたかもしれない。いつごろ思いついたのか記載がでてきたのはここが初めてではっきりしないけど、ここ以前の、あまり昔ではない時期でしょう。 wakaなりの、理想的心境、というつもり。 ここでは、あきらめろといっているけど、現在もこれは捨てがたい理想だと感じる。いつもは無理でも、暫時なら、今ではもうこの心境を珍しいことではなく味わっている気がする。 たとえばこんなふうに過去文書の内容精査をしているとき、アニメや将棋に没入しているときも、心の表層は忙しいようでいて、心の土台は、清閑、夢想、楽しく遊弋しているような。

※ 『1973/05/15 ひっぱる』 : 「日本の女で美しいのは〜」以下は、国語教師の脱線話。

※ 『1973/05/15 前者は後者よりヘンケンでない。』 : 「日本語は英文のようにタイプできない所が痛い。」  半世紀前、パソコンなど存在せず。(パソコンの一つ前のワープロ専用機を私が購入したのが、1991年、本文の18年後)。 コンピュータとIME(≒日本語入力システム、かな漢字変換)によってこのようにすらすらデジタル文字を入力できるようになるなど、当時は夢想すらしていませんでした。

※ 『1973/05/16 チャックの、手でもつ所』 : Puller(引き手) というそうです。スライダーを上げ下げする際の引き手金具。  参照:http://www.mash-japan.co.jp/fastener-repairparts/zip-partsname.html  こんなこともすぐ判明する。ネットは怖いぐらい!

※ 『1973/05/16 入れ方』 : 「小さい 小さな }小法の差は?」  小法は文法か。これは、小につられて誤記した感触。 小さいは形容詞。小さなは連体詞。よって、小さいは活用し、小さなは活用しない。

※ 『1973/05/17 超々準最高重要』 : 「「重要」「疑問」という語を、上の空らんに書こう。」  しかしすでに目立ち始めているけど、このノートでは、超々重要とか言葉のインフレーションが起きて、大げさで、レベルの差もよくわからなくなっていったはず。(ほとんど感嘆詞化)  この頁の上の空欄のは、そういうこと十分予感していて(だから抑制していたけど)、半ば遊びで(いっそ自虐的に)、書いてるのかもね。  まじめに書いたり読んだりすべき授業ノートのほうは、おとなしい秩序ある書き方にとどめようとは思っているみたいだけど・・ (授業ノート群は残っていないので確かめようがないけれど)

※ 『1973/05/17 He ≡ 彼 !!?』 : 「米と日 米とソ ソと日」  今の人にはピンとこないと思いますが、ソはソ連(ソビエト連邦、ソビエト社会主義共和国連邦)のことですな。

※ 『1973/05/17 世にいう おほしさまか?』 : 「そのような人は■りません」  そのような人は知りません、ですね。
: 「小さな小さな光る点が、いくつも動いているのがみえる。」  たぶん(当時はただ不思議だったけど)、眼球内の網膜とかの血液か眼球内の液体かの流れや動きが見えているのではと思う。外に何かの粒子があるのではなく。
: 「のねあて」  これは、wakaの中学から高校にかけて、男子の間で流行った、かなりローカルな遊戯の種目名。 かねあて(金当て)という意で、これをなまらせて、のねあて。のねはじき、とも。 要は、机の上でコインを落とし合う競技で、ほとんどのプレイヤーが五円玉をつかう。コインの端を指先ではじくよりも、五円玉の穴に爪先をはめてはじき飛ばすほうが、勢いも正確さもまさったので。 この落とし合うルールはもちろん、落とされたほうが負けなのだけど、中学のwakaとは別クラスでは、「おなさけ」という別ルールが発生していた。
 おなさけルールでは、落としたほうが負け。 自分のコインを相手コインに当てて、かつ、相手も自分も落ちないならセーフ。つづけてプレイできる。 相手が落ちても、自分が落ちても、アウトで、自分のコインは敗北退場、落とされた相手のコインは落ちた縁で復活。 当たらず、かつ自分も落ちずなら、アウトにはならないが、ターンは次の人に移る。 どちらかといえば、のねあては豪快で直線的な勝負になるけれど、おなさけはとても繊細。コインが当たったかどうかの音も聞き分けたいので、息をつめるような雰囲気にもなる。 で、高校ではもっぱら、このおなさけルールがスタンダード化してしまう。落とし合いののねあての場合、皆の技能が向上してくると、少々の長机程度なら高確率で序盤の長距離弾が的中してしまって、勝負が単純になりやすかったというのもありそう。
 以下、おなさけについてもうすこし詳述。 すこし考えればわかるとおり、直接落としたコインが罪をかぶってアウトになるので、自分のコインAを、Bコインに当て、そのBコインがとばされた先でCコインに当たり、最後のCコインだけが落ちる。 こうして、コインAは、Bコインをアウトにする。というのが、標準的な攻撃方法。 また、とにかく、机の縁や隅に陣どって、相手に当てさせて落ちやすくする。これも有効な手法。 机の縁や隅から遠い、中央寄りに居るほど(そして中央から見て自分の後方に他のコインが居るほど)、積極攻撃の的になりやすいわけで、守備としても縁、隅にいることはたいせつ。 放課後、だいたい四五人ぐらいで勝ち残りの一人になるまでカチーコチーとやり合ってました。 (おなさけという名前の由来は、忘れてしまった。何らかの救済ルールがあってそのためだったかなあ・・) (女子の参入はほぼ皆無。女子にはこの遊戯の面白さ、理解できなかったのかも)
 なお、本文の「あてねなのね」等々は、のねあてと都市名アテネの類似による、だじゃれでしょうか、いちおう表層的には。 けれども、「ノネハジキしよう」「ルールは?」「(おなさけではなく)ノネアテね」「アテね」などという会話も想起していると思います。
: 「・・・etcでひたしかったのだ。」  親しい、を、ひたしいと言っていた。あるいは、したしいでもひたしいでもどちらも正解と思っていました。これは現在もそうなのかも。ひたしい、全然違和感がない(^^;;

※ 注記の補記 : 「自分のコインを相手コインに当てて、かつ、相手も自分も落ちないならセーフ。つづけてプレイできる。」 「当たらず、かつ自分も落ちずなら、アウトにはならないが、ターンは次の人に移る。」  この辺り、記憶ちがい(安易なほうへの半ば無意識の改変)かもしれない。「自分のコインを相手コインに当てて、かつ、相手も自分も落ちないならセーフ。(だが、順番は次の人に移り、連続プレイなどはない)」「当たらず、かつ自分も落ちずなら、アウトにはならないが、次の自分の番では当てなければならない。= 二連続で当たらないとアウト。」のようなルールだったかもという気がしてきた。 実際はさらに別ということもありえるが、いずれにしろ、何か不都合とか不備が(行き詰まりやたるい展開や過剰に有利な手法の発見とかも)あればその場で意見し合ってルールを微調整していったような。
 この二連続で当たらないとアウトに関係するけれど、本来は毎回当てないといけなかったのだがきびしすぎるので一回は許そうということになり、これを「おなさけ」と呼んだり、自分で「おなさけ(で許して)」と言ったりした、いつしか種目名になってしまった、というのが由来だったかな・・

※ 『1973/05/17 江戸の閑人』 : 2頁目中段、「中にかかわる実は」と読めるけど、中にかかれる字は、と書いているつもりだと思う。吹き出しの中の文字の読み順のことでしょう。 → (今もだけど当時もマンガ大好きなwaka。だから十分わきまえていたはずなのに、自分で描くとしっかり間違えてしまって、あれ、おかしいな、と戸惑っているようだけど)、ご存じの通り、日本のマンガのコマの読み順は右上から横へ、最後は左下。吹き出しの中の文字は縦書きで、読み順は右行から左行へ。 → 吹き出しの中の文字は、日本語の縦書きそのままだけど、コマは右から左への横書き(横進行)なんだよね。文章の行を追う目の動きと絵の進行とを無理なく合わせてあると言えるのかもしれないし、コマも縦書き(縦進行)がふつうという伝統だったらだったでそれが自然に感じられていたのかもしれないし。 → 右から左への横進行って、もしかしたら、鳥獣戯画など絵巻物以来の伝統だったりして? 

※ 『1973/05/18 するどいデッパリのようなもの』 : 「ぼくは、横断歩道で定規をだし、」  これは(バスや電車の)定期券の「定期」の誤記でしょう。定期なら文の後半と釣り合う。 それでも変な行為ではあるけど、理解できる。 横断歩道を渡ろうとして定規(ものさし、スケール)をだしたらマジに異常だよね。
: 「自分の指のささくれを食べて腹をこわす人。」  直接言及はしてないが、自分の体組織を食べても消化しないというのは、ほんとう?  自己細胞と認識すると消化しない。この機能がないと体内で自分の臓器を消化しかねないから。 → https://www.science-kido.com/single-post/stomach/ 『なぜ胃は胃液に溶かされないのか?消化とは』 ここを読むと、上のような事情ではないらしいです。自分の体組織でも食べればふつうに消化されてしまうもよう。
: 「=と≠ >と<と= }はいっしょに使えるが、(>と<)と≠はいっしょに使えない?」  不等式の場合か。A>B<C=Dなどはあり、A>B<C≠Dはない、ってこと? いやあ、あってもよさそう・・  (ちなみに、本文では、≠(否定等号)をキのように書いているけど、斜線はどちら向きでもいいらしい)

※ 『1973/05/19 机の上にしくとうめいな』 : 「西洋人は自分の顔が気に入らなくなると、」  なんじゃこりゃ? ですな。聞いた話をさらに盛っているのか。しかしまあ、耳を切ったゴッホもいるか。
: 「今日の12時20分に、カネのなる時、たいへんな事がおこるかも。」  これも謎だが、妄想と現実をごっちゃにしている風。 ごっちゃにしているのを半ば意識しつつ? 自作自演をしている、自縄自縛をしている、少し楽しんでいる。 → 12時20分って、昼休みの鐘? 調べたら、1973/05/19は土曜日でした。ならばたしかに、最後の鐘。
: 「「 」、『 』は、漢文の教科書内の漢文にも使われているが、昔から、史記の頃から、つかわれていたのか。」  明治の頃にできた約物らしいから、史記の頃(紀元前)には全くなかったんでしょう、当然。
: 「世の中にたえてサクラのなかりせば」  これらは伊勢物語にある和歌。
世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
散ればこそいとど桜はめでたけれ うき世になにか久しかるべき
 この和歌と返歌を、藤原氏へ含むところありの歌と解釈しているようす。 高校生wakaの意見というよりも、たぶん、古文の授業で先生が一説として口授したものの、メモではなかろうか。 よって、古文のノートとまちがえてここに走り書きしているのかもしれない。 (「私」のふりがなが「ミワ」と読めるが、この身は、の意か? 別字かも)
さくら花散り交ひ曇れ老いらくの 来むといふなる道まがふがに
 しかし、言われてみれば、おいらくの歌もそうだったし、藤原氏に何か意趣がありそうな、おもわせぶりな、そういう歌い方をするよね、業平は。伊勢物語も、藤原氏ではない側の声みたいものが響いている気もする。 でも、これらの歌、秘かに歌われたのではなく、おおっぴらに、むしろ、おいらくなどは藤原氏側の面々の前で朗朗と披露されているはず。 味方同士でないかもしれないけど、含むところおおいにありかもしれないけど、双方それを分かった上で、大人のつきあいをしている。おごったおやじたち(権力者)だ、こまった色好み(風流人)だ、のような。そんなところかもしれないね。

※※ この辺り。
 一行にはいるように、より細かい字で綴るようになって、頁当たりの密度が濃くなって、つまり、ノートの消費はなはだしいのが緩和されて懸念が消えたために、安心してかえって、書きたいことを実際に書いてしまうハードルが下がったかに見える。抑制がやや外れてきた?  書く量が増えて、文字当たりの意、気持ちが薄まった、とも言えそう。これは、文章修行としてはよくない傾向かもね。心での選別、削り、磨きを経て、粒だった言葉を書き下ろしていくのが肝心なはず。

※ 『1973/05/22 化学(宿)』 : メモ書き部分について。  「数αノート α重要ノート 物理ノート }3冊  ラケット」 これは買い物メモ? もっていくものメモ? ラケットは卓球のそれでしょう(休み時間に遊ぶため)。  「 鳴 彩 林 広 」など、漢字の試し書きか。  汚れ多数は、鉛筆の芯の先を尖らせるなどするためにこすったりなすりつけたりした跡でしょう。

※ 『1973/05/25 まったく無意味ないたずら書きや』 : 「1人の男の精子を同じ日に2人の女が受精したとすると、生まれる子供はともに男か、もしくはともに女か?」  基本的なことを理解していない妄言でしょう。 一回の射精によって放出される精液中の精子は、数億から数千万の多数存在し、X染色体をもつものと、Y染色体をもつものの二種が混在する。 卵子はX染色体をもつもの一種のみ。X染色体をもつ精子と卵子(X染色体のみ)が受精すれば女子が生まれ、Y染色体をもつ精子と卵子(X染色体のみ)が受精すれば男子が生まれる。 よって、本文の条件がなされたとしても、必ず同性の子が生まれる理由はないね。同じ日だろうと別の日だろうと、一人だろうと複数だろうと、通常の受精と同じはず。 (なお、いうまでもないことだが、一匹の精子が二人の女性の卵子それぞれと受精することはありえない)
: 「男が女より精力大のときは男が生まれ、・・・ 」  トンデモ理論だね。俗信ですらないな。 女が性欲旺盛だと男が生まれ、男が性欲旺盛だと女が生まれる、という逆のことなら、聞いたことがあるようだけど、これがまあいわゆる俗信でしょう。
: 「イースター島の面面像は」  モアイ、ですね。 面面像は造語か。人面像、巨面像などと書きたかったけど誤記しただけ? 
: 「そこで、香落ちで、上手に勝った下手は、平手でも、その上手より強いかもしれぬ。」  駒を落とした(ハンデを負った)ほうが上手。全部の駒で指したほうが下手。 本文、ややわかりづらいけど、理屈に破綻はないな。
: 「like a bridge over trouble water I will ease you mind.」  Simon and Garfunkel 、"Bridge over Troubled Water"(明日に架ける橋)の歌詞の一部と思われます。 しかし、であるならば綴りは、troubled、your が正しいらしいです。
: 「お母さんが、ノートをこまかくつかえってよ。ぼくは使い方が荒いそうな。」  まさかの母親の介入? まあ、この心記だけを言っているのではなく、他の授業ノートもふくめて、はためにはそう見えるよって注意があったんでしょう。 文房具代は、小遣いとはべつに母親から金をもらっていたような記憶あるし。金を出させて口を出させないってわけにもいかないか。 次の巻辺りから、文字が超細字化していくはず。自分の好みだけでそうしていったと思っていたけど、母親のこういう言の圧も多少はあったのかも。
: 「脳は体内で最も定まらない所なので、心をもつ事ができた。人間が発達すれば発達するほど、脳は定まるので、しだいに心をもつ力がうしなわれるのは当然である。そして、ついに人は完成し、脳が定まり、心がなくなる。」  でまかせトンデモ理論、とは思うけど、完成が終焉という構図には説得力ある。

※ 『1973/05/26 考えるだけで、悲愴になる』 : 「高橋和巳 → 和已ではなく和巳 わきではなくかずみ」  キなら己のほうで、已は已然形の已でイと読む。
: 「宮沢賢治は童貞不犯だったそうな。」  不犯=ふぼん。ふつうの人が、死ぬほど努力する上に童貞不犯でも、書けるわけではないでしょう。
: 3ページ目の上辺にある将棋局面は、よくみると、後手に銀一枚が足りない。
: 「もしも、あの人にあったら、道ばたか図書館かどこかであったらどうしましょうか。」  ここのあの人とは、wakaの中学時代の想い人。高校は別になってしまった。 この周辺の記事から推測すると、wakaはテスト期間中で、県立図書館にきて、自学自習している。 つまり校外であり、あの人に遭遇する可能性も、わずかにあって、妄想しているのでしょう。 殊勝にも勉強するつもりできたんだろうけど(友人と一緒にきたりもしたか)、ご覧の通り、いろいろ瑣末でくだらない記事を書き連ねていますな。 (記憶によれば、自習室のような部屋で、かなり長い机にライトと間仕切りが並んでおり、これが数列ある。席は図書館側の発行する整理券のようなもので指定される。皆、黙々と読んだり書いたり調べたりしており、たとえ友人同士できても席が隣とは限らず、隣としても声高におしゃべりなどするとひんしゅくをかう雰囲気。だったか)
: 「恋人ができたという理由で、家のやつらをせっとくし、かみの毛をのばそうか。」  高二の五月、まだボウズ頭のままか。高校卒業の時点では伸ばしていたように思うんだが・・  あたかも、娘っこのように、外見を気にしています(笑)  しかし、なぜ家族を説得する必要がある。それも恋人云々など、冗談の域だろうに。家族の手前、てれかくしになにか理由を述べるなら、というぐらいのつもりか。または、ぼうずとか短髪であってほしいみたいな無言の圧を感じていたのかな。(男の長髪は不良、みたいな時世ではあったかも)  恋人ができたと言うことのほうが比較的恥ずかしくない、そういう嘘までついてもいいぐらい(嘘だからそんなに恥ずかしくない?)、髪を伸ばすと宣言するほうが恥ずかしかった? 

※ 『1973/05/27 気品がみなぎるようでなければいけない。』 : 「じゅくには高校卒のときまで行くようにしましょう。」  英語塾、やめようと思ったり、このように反対に振れたりもしてるか。  → ちなみに、おもうに、今の高校生たち、パソコンやネットを勉強に自在に使えるんだよね。うらやましいよ。テストは手書きだから、授業やノートも手書きをすべて排するわけにはいかないだろうけど、帰宅後授業ノートをまとめたりはパソコン入力でいけるわけで、これ作るだけでも楽しそうだ。辞書引きも検索つかえば即だし。  → 現在の私のPC環境でいえば、ATOKイミクルという機能があって、しらべたい単語を範囲指定しCtrlの二度押しをすれば、ほどなく内蔵の国語辞典とか英和辞典の該当項目を表示してくれる。超簡便! 
: ところで、気品て、みなぎるものなの? 

※ 『1973/05/28 タイムマシンで』 : 「もし、一国の中で分裂し、いくつもの勢力ができたとしたら、」  色々な勢力の分立という景色は、SNSのコミュニティー群のようにも見える。 現実的には、こんなに小分立してしまっては、それぞれは国家として生きづらいと思われる。 分裂していない近隣国家が相対的に大きすぎて、翻弄されそう。 制度とか法律がまちまちだとしたら、効率も悪そう。 しかし、これら小勢力の中のいくつかは、かつて老子が説いた理想世界に近くなっているかもしれないな・・ 
: 「ある地域にその勢力をあつめようとしないでも、つまり、いろんな勢力内の人がごちゃごちゃにすんでいてもいいではないの。つまり、すべての勢力を認めた地域として1国をかまえられるよ。」  これはもう、各人に思想信条の自由が認められている現代の日本にかなり近似しているのでは。 つまり、小日本と呼べるような地域もあるって設定かな。
: 「中国文化大革命のときにできた青年の軍隊をなんといったっけ?」  紅衛兵のことをいいたいらしい。
: 「ぼうけんに富み、興味深く、げきてきで、ハランバンジョウ」 「これを、ひと事でいう日本語か、横文字はなかろうか?」  動乱? ワイルド? 騒擾(そうじょう)。擾乱(じょうらん)。これらはちょっとちがう。 時代状況とかだけでなく人の性格的な面にも使える語は? 活発、腕白、あるいは闊達でいいのかな。 たしかにピッタリのが浮かばない。難しいね。

※ 『1973/05/30 するつよさで』 : wakaの高校では、芸術教科は選択制。たしか、音楽、美術、書道のうちから(工芸もあったかな)どれか一つで、wakaは書道を選択。 ここにある冊子の折り方の検討は、たぶん、書道臨書の際のお手本(教科書)の置き方などから発想している。

※ 『1973/05/30 フロの火』 : ラクガキ、よくわからない単語、メモ書きなどが散らばっているが、5/30の日付のついている領域(部分図)、これはあきらかに自宅での、その夜のプラン。 午前一時までに心記をかいて、計画表もしあげて、その後、入浴、忘れず風呂の火も消して、一時半。午前三時半まで化学の勉強。寝る。 ・・という段取り(目論見、希望)か。

※ 『1973/05/31 そこで、右ききの人がでてくるのか?』 : もちろんトンデモ理論だろうけど、着眼が奇妙だ。  → オーストラリアとかがあるのは南半球。左ききが多くいるらしい「南反球」とは一体どこにあるのか!? 斜め下のほうに隠れている異次元みたいな名称だ(^^;  ・・そうか、「円心力」というふしぎな力もあるんだ!


当頁 2020/07/20(月) 〜