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1973/09

 














1973/09/03 けしたカイチュウデントウ
 














1973/09/05 めんどうで、ひまがなくて
 
















1973/09/10 日本のたけざお
 






















1973/09/13 艦
 


















1973/09/16 冷徹な秀才君がいた。
 




















1973/09/17 空間Aへの入り口があるとする。
 














1973/09/17 さて恒例の修学旅行を
 






















1973/09/18 鼻柱をはさむというような拝み方。
 


















1973/09/24 てぬぐいでこうやる。
 














1973/09/27 ぶおとこのもてたつもりふったつもり
 













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『1973/09/03 けしたカイチュウデントウ』 2022/02/21(月) 〜
『1973/09/05 めんどうで、ひまがなくて』 2022/02/28(月) 〜
『1973/09/10 日本のたけざお』A、B 2022/03/07(月) 〜
『1973/09/13 艦』 A、B 2022/03/14(月) 〜
C、D 2022/03/21(月) 〜
2022/03/28(月) 〜
『1973/09/16 冷徹な秀才君がいた。』A、B、C 2022/04/04(月) 〜
『1973/09/17 空間Aへの入り口があるとする。』 A、B 2022/04/11(月) 〜
C、D 2022/04/18(月) 〜
『1973/09/17 さて恒例の修学旅行を』 2022/04/25(月) 〜
『1973/09/18 鼻柱をはさむというような拝み方。』
B、C 2022/05/02(月) 〜
D、E 2022/05/09(月) 〜
『1973/09/24 てぬぐいでこうやる。』A、B、C 2022/05/16(月) 〜
『1973/09/27 ぶおとこのもてたつもりふったつもり』 2022/05/23(月) 〜

※ 『1973/09/03 けしたカイチュウデントウ』 : 「 「おれたち、つかえるものだよ。」 「さあいらっしゃい。」 「どうするの。」 「火にくべて、まきにする。」 「はい。」 」  わからない。シュール。謎の会話文。  おおざっぱな推測だが、(目の前にある使い古された)木製の家具か備品のようなものを擬人化している、とかね。  まだいろいろつかえるよ、とアピールするも、相手は、薪にして燃やしますと告げる。観念して、はい。・・という小劇?
: 「9/2」  二学期が始まってしまった。宿題の何割かは残ったままのはずだが、なにかお仕置き、お咎めとかは来ないのか?  ただし、この年の九月一日は土曜日。たぶん、始業式と、授業はあっても一二時間程度。  この日、二日は日曜日ということで、各教科の授業日まではまだいくらか余裕ありなんでしょう。
: 「■みずせんせ 9:00頃帰る ボー ハクチョウ、バー、ノミヤ、ボーリング 図画工作だめ せき■さん、くろ■■さん  ■■■■にならないときは先生の心をかくご」  ■みず先生は、waka君が小学六年生のときの担任。  これは、たしか、小学校の恩師である■みず先生(壮年の男性、書道の達人)が、waka君が家業を継がないと聞きつけて(あるいはwaka君の母親が何かの機会に愚痴をきいてもらって)、かつての教え子に五年ぶりぐらいに会いにきて(あるいは親にいわれてwaka君が会いにいって)、教え子にいくつか意見をした(恩師に意見された)晩のメモではないかな。  (当時、妹たちはその小学校に通っていたから、親と■みず先生とのつながりはまだあったと思う)  これ、中学の頃かと思っていた。この時期だったか。そうだよね、中学の頃はまだ継ぐとか継がないとかwaka君自身、はっきりしてなかったもん。そうか、高二の残暑の頃か。  上の通り、先生が飲むのにつきあわされて、半ばまあ、先生を安心させるために、翻意したようなふりをした、ような気がするが、どうだったか。単に曖昧な態度で困ったふうを通しただけだったか。  メモにあるので、いっしょにボーリングまでしたのかな。ボーは、ボーリングの頭文字? 先生は当然酔ってたってことか。(waka君、未成年だから、飲んではいないと思うが、先生が許して一口二口ぐらいはビールとかふくんだかも?)  図画工作だめ せき■さん、くろ■■さん、この辺りはよくわからないが、いろいろ出た話題のメモかな。人名はかつてのクラスメートの近況とかか。  ■■■■にならないときは先生の心をかくご、これはまあ、その通り、先生の意見に従わなかったことになるので、申し訳ないと感じるべき、というようなことでしょう。
: 「ボーリング151  左手でカーブをやりたい」  「ボーリング、なげわけていいの。 右手のつぎ左手、というように。」  高校生から二十代前半のころのスコアは、だいたいこんなもの。  ボーリング、当時、わりと流行ってました。  左右の投げ分けは、wikiでルールなど読んだけど、言及なし。たぶん、反則ではないでしょう。
: 「両のひとみとくちびるが光にひかる美少女」  「両のひとみと白い歯が、光にひかる美少女 ■■りより発見」  妹のたたずまいから想を得て、この描写を得た、と。  あくまでも創作文主体で、現実の妹も美少女といっているのではなさそう。  (このあたり一帯がエンピツのメモ書きなのは、酔っているから、かもしれない、やはり)
: 「またずれから液、・・・」  尾籠な記事で申し訳ないです。  内股を傷めているもよう。  (自転車通学の関係か、と思ったけど、夏休みだったわけだし違うか)
: 「うしとぶたのあいびき この意は?」  合挽肉のことだが、当時食材とかにまるでうとい。  牛肉と豚肉の混ぜあわさったもの、ぐらいはわかっていたはず。そのうえで、逢引きの文字が浮かんでいる気がする。
: 「わからない|はっきりしない|語を思いついたとする。それを辞書で確める前に、自分で、辞書の文句を推則してみる。ピッタリあたるようになったら、ぼくはすばらしい? それとも異常?」  そういう条件で、正しい意味に行き着けたとしたら、花丸だな。  それが常態化するようなら、おっしゃるとおり、異常だわ。  (語を思いつく、というのは、ふと浮かぶ、だけでなく、見かけた、耳にした、気になった、なども含めてでしょう)  (でもこれって、しかし、正しい意味に行き着けずに、とんでもない解釈を下したりするから面白いんだよね。間違い方に個性や人間味が表われる。  正しい答えしか出せないって、異常ってだけでなく、つまらないやね)
: 「今日はすごいさえてるわけでもないが星空。」  これはほとんど詩だ。
: 「くさむすかばね」  〔 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじ 〕  万葉集。大伴家持。家持の祖先から伝える言立(ことだて)。  昭和12年、信時潔(のぶとききよし)が作曲。現在は、軍歌とも鎮魂歌ともいわれるよう。
: 「ハ〜ナァモォアラシモォ フーミコオエエテエ ユウクガオトコノ イキイルミチイ」  『旅の夜風』。昭和13年。作詞:西條八十、作曲:万城目正。  気持ちよく歌っている(でも音痴)。
: 「けしたカイチュウデントウをまん前からみると」 絵図 「ここにここの青いのがうつってる。」  その通りで、電球周り、曲面か陥没面かに写っているようすがちょっと不思議で面白味があるんだろうけど、それだけのことなんだろうな。
: 「このごろはいつも下の窓、アミ戸のまんま寝ちゃうのです。」  waka君の部屋は北西の四畳半。西の窓は床の高さで、にじりぐちのごとし。
: 「一括 しらなんだ。」  こう書くとは(または、この字とは)知らなんだ、か。括は、くくる、とよむんだよね。
: 「 「宿題30ページどうした? 」 「3時間でやった。」 ・・・ 」  これはもちろん、妄想会話でしょう。  宿題30ページを3時間で解くぐらいでないともう間に合わない、と悲観、ついこういう妄想で現実逃避(あるいは、ちゃかす)、ということかも。
: 「偶数 偶像 なぜ同じ?」  偶然、もある。  手元漢和辞典などから推測すると、あわせる、ならぶ、そろう、とかの意が最初にあり、それから派生して、つれあい、ひとがた、偶数、あいぼう、たまたま、などに広がったらしい。  本物と似せ物で一対、ならんでいる、だから、ひとがた、にんぎょう、か。

※ 『1973/09/05 めんどうで、ひまがなくて』 : 「{ おんしゅうのかなたに  ほんしょうのかなたに 」  恩讐の彼方に、をもじったものだろうけど、漢字を当てれば、本性の彼方に、か。
: 「中 中 }中という字は 中 中 中 のどれがピッタリ?」 「これは、幾何的にみて、ナカ、中 といった感じ。」  と、上下同じを推し。デジタル文字は(通常も)当然ながら、下が長め。
: 「・・・・などと夢をもち、ボーリングにいって、現実の冷たさというよりは客観性を感じ、あきるぐらいやって、帰ってくる。そのあきを覚えている間はボーリングに行かぬ。」  うんうん。わかる。ボーリングに限らず、勝負事とか酒色とか。
: 「コゼニカン チャヅツ」  円筒形の茶筒の空缶に、小銭を集めていた、waka君。  珍しいはずの年度の現行硬貨だけでなく、ふつうの1円玉(や他の硬貨種)とかも。  貯金、とはちょっとちがうんだよね。ビー玉とかを集めるのに似ていた。
: 「同いどし  同い事 という。」  いうかあ?  いわないよね〜  もちろん、同い年はあるけど。
: 「ファッショとは? 」  ファシズムのファッショですな。
: 「わらべ (わら) わらび }感じが似てる。」  たしかに。  でも辞書などしらべても、関連を指摘する記事は見つけられず。
: 「スティール スチール >? これはどういう意?」  steal=盗塁。  steel=鋼鉄。  still=写真。  ということで、英字の綴りは三種でちがうけど、日本語ではみんなスティールまたはスチール。
: 「手折る ておる たおる 」  ておるが元だろうが、もう、たおるとしか読まないと思う。
: 「9/4のふくせい.」  waka君は、仮メモから清書することを「フクセイ」と言っている。  フクセイ部分は赤字(というルールらしい)。
: 「ほうじょうたみおは■■病看者だったのだ。そこで、写真がのっていないのだ。」  北條 民雄。代表作『いのちの初夜』。wikiにある本人像は、木炭画。  どこに写真がのっていなかったのかは、今となっては不明。  なぜのっていないのかについて、本文は、裏付けのない推測、思い込みにすぎないと思う。  なお、現在は、ハンセン病とよばれる。  看者は、患者が正しい。
: 「自分の節を曲げない。芸術家が、時流に乗じて心を変えるようなのをみると、どうも好かなくなる。たとえば高村光太郎。 (坂■先)」  坂■先生の言。
: 「いったい頭と手のどっちがまちがえたり、はやがてんするの、この場合。」  誤記をするのは、頭なのか手なのか。  興味深いけれど、たぶん、筆記、神経、脳、認知などの難しい仕組が関わるんでしょうなあ・・ 
: 「明暗にでてくる「継子 つぎこ」は「継子 ままこ」なのではないの??」  うーん、たしかに、子の名前としては不自然な感触はあるが、かといって、養子にこんなあからさまな名前をつける養親がいるとも思えない。  漱石の後期の小説の登場人物で、名前がその人の特徴をあからさまに表わす場合って、あまり記憶にないしね。(初期の『吾輩は猫である』や『坊つちやん』にはそういう命名あった気がするけど)  うん、本文は、waka君の考えすぎか。  (検索はしてはみたが、明暗の継子にスポットを当てた解説はとりあえず見つからず。  なお、歴史上の人物としては、伊勢 継子(いせ の つぎこ)という女性がいた。平城天皇の側室で、高岳親王(嵯峨天皇皇太子)らの母。  つまり、女子の名として、不自然とばかりは言えないかも)
: 「なぜ、どざえもんという?」  wikiによると、成瀬川 土左衛門(なるせがわ どざえもん)という江戸時代の大相撲の力士が、語源とか。
: 「逃げる 兆という字?」  手元漢和辞典では、兆自体には逃げるような意味はなく、はっきりしない。  なお、逃の音読みはトウしかないが、逃散はチョウサンとよむよね。
: 「今日は、文化委員会をひらくかどうか、UEの■田さんの所にいかねばならず、西■君と下■君の住所とTELをUDの■がし君にしらせねば、と思っていながら何もしなかったら、というよりめんどうで、ひまがなくてやらなかったら、昼休みに■田さん、5時間目おわってから、■がしくん、それぞれ、あっちから来たよ。」  笑。  気にしてるのはwaka君ばかりではない、と。  何もしないと(なまけていると)、意外と他の人がおぎなってくれる、世話をやいてくれる、と。  ここの西■君は、中学同級の友人西●君(オニシ)とは別人だね。  waka君のクラスは、UA。(一学年で8クラスある。A〜H)

※ 『1973/09/10 日本のたけざお』 : 「的中を適中だって。」  適中、という書き方もありらしい。(この辺り、だって ≒ だとよ、といって、自分の誤記等を並べているようだが)
: 「スカートは、またの|かかれて|われて|いる事をかくすものであったのでは? そこでジーパンはもろにそれをみせるので、肌がみえないというものの、スカートよりハレンチ?」  スカートについて、面白い思いつき。いやらしそうな観察眼も感じられる(笑)  またのかかれている事、がやや不可解。またのわかれている事の誤記かな。
: 「秀吉の夢をみたよ。  ボヤン 姫を手に入れる コウガの女スパイの役になっているのと、ねつれつなキッス わりとつめたかった しょうがいの望みが テレビだとすぐやるんだからと思ってる。  信長に対するムホン ユミ :信長にはむかい、やぶれるという史実に対しようとしているぼく。  ヤミの中でつかまる、人をカミナリの光と思う。  学校もでてきたし、うちもでてきた。  ぼくの生活の中にひでよしが。  もっとおすいくだされ すうではなく、わすれたがもっと古文調の語。しかし、そういう感じの動詞をかってにぼくが考えついたのかも。  だれもいやしないだろうな、という不安。  秀吉がぼくのような、ぼくとはなれているような。  じてんしゃの夢もみた。後輪だけ(もしくは前輪だけ)を地につけて、一輪車のようにものる。とってもうれしい。(今、おもえばこわい。)」  支離滅裂な夢をそのまま絵にしたような、メモだね。
: 「except(除いて)をたとえば、だと思ったよ。」  例えば、は、for example。
: 「「日本のさおだけ」or「日本のたけざお」という題の芸術工芸作品」  仰々しく作品扱いすることを、夢想したってだけのことだと思う。(どこかの展覧会で実際に展示されていたのではなく)  自宅の物干し竿をたまたまこの方向からみて、節にある仕切りに少し穴のあいた様子などが面白かったのかも。
: 「人の良い所や悪い所を見、より良い所や悪い所を思うため、このよはかりのすまいだ、と思うのでは?」  信仰とは、夢想だよね、たぶん。  現実そのままが、あまりに過酷だったり、不自由だったり、飽き飽きするようだったり。  人は、夢をみなければ人をやっていられない。  極楽では、さまざまな欲求がたやすく満たされる、満たされつづける。  きびしくつらい現状のさなかでも、地獄にくらべればまだましと知っていれば、我慢がきく。
: 「父母未生以前の自分とは?」  禅の公案? 漱石の『門』にもでてくる。  「ぶもみしょういぜん」ともよむらしい。
: 「一字一句まで、そっくり同じ文章でも、書く人がちがえば(同じ人でもその心持ちがちがえば)意味が異なる。この場合、字づらの正確なイミをとる必要があるだろうか、ないだろうか?」  書く人がちがえば意味が異なる、に賛成。  しかし、書いた人の情報がその一字一句までそっくりな文章しかない場合、読者が筆者二人の差を読みとることは、さすがに不可能でしょう。字づらの正確なイミを読みとってもとらなくても。  性別年令とか、職業や家族とか、思想信条とか、他の著作とか、または該当文章の前後にある文章とか、その文章以外の情報があるなら、二人が託した意味のちがいを読みとることもできるかもしれない。 この場合、その文章の字づらの正確な(正確そうな)意味(つまり表面上の意味)を読みとり吟味してあることは当然の前提ということになりそう。 あるいは、二人のちがいをふまえた上で、その文章の二人それぞれの正確そうな意味を調えていくということになる。

※ 『1973/09/13 艦』 : 「けっさく  ハマク  しのとこ 死んでる? 死にそう?」 「ノート{ α グラマー  世界史 物理」 「9/21 卒業アルバムの写真を10/2〜6のいつとるかうちあわせ。 月ように3Gに連ラク。」 「9/14〜 いつも昼休みと放課後は会議1へ」  頁上辺のエンピツ書きメモ類。  ハマクやしのとこは、本文中にあり。  数学にはα(代数方面)とβ(幾何方面)があり、英語には Reader と Grammar があった。  卒業アルバムの写真。まだ二年生だから、たぶん、将棋同好会関係で先輩と撮る写真のことでは?  会議室1へいつも行くのは、文化祭関係?(実行委員なので) または卓球のため?(遊び、または体育祭の練習?)
: 「日の出とは」  日の出、日の入り、ともに、太陽の上端が地平線と重なった瞬間らしい。
: 「きのうの授業の間、何度もせなかがいたくなって、すわっているのが苦痛になった。」  筋肉痛? それともどれか内臓が不調?  体育の授業はwaka君にとって過酷なほうだった。ほぼ健康体で、とくに持病的なものはない。よって、前者かな。
: 「自分は昔むきなのだ。 タイムマシンで数学のない世界へ。」 ・・・  20Cは、20世紀。  SF小話のプロットメモ。わりと面白いね。  せっかく書いた詩集がタイムマシン爆破とともに失われてしまうと悔やみつつ死んだのに、ラストで逆転、爆破によってかえって世に現われることになった、と。  (肉づけせずとも、この程度の短さでまとめてもよいかも)  (ところで、数学ぎらいということは、タイムマシンは自作ではないのかな。逆に、やりすぎた、突き抜けたのできらいになったとか!?)
: 「傑作はどこにしまってあるか、わからない。」  これは、別案というより、一般論的な付け足しか。  このお話のように、埋もれた傑作というのはきっとあるはずで、いつどこで発見されるかわからない、と。
: 「戦争 単調」  同じ、単があるが? という気づき。  手元漢和辞典によれば、単も戈(ほこ)を表わし、戦は、戈と戈で争うようす、と。  むしろ、単が、ひとえ、一つの意味をもつのはなぜかの説明が、もう一つはっきりしない。
: 「鳥は雨の日も飛ぶのか?」  飛ぶだろう。自分が鳥なら飛びたくないけど、本物は飛ぶだろう。
: 「文学になって、よくよまれ、きかれるようになって、はじめて人は自然現象を理解できる?」  うーん、王侯貴族とか周囲の者はそういうところもあるかもしれないが、下々の民衆はまるでちがったと思う。  狩猟、漁業、農業などで、命懸けで生きている人たちにとっては、文学どころか文字すら遠いものだったはず、長い間。  文学はなくても、歌は、あったかも。
: 「口実 いいわけ べんかい   こうじつ、という意と音に口実はあわないみたいに感ずるよ。」  わかる。  最初は、表の意、つまり、口にする真実の言葉とかの意だったものが、この語が多用されるうちに、その大半が嘘とごまかしだったので、しばらくしてすっかりそういう意味に変わってしまった、まじめな意味には他の言葉を使うようになった、とかではなかろうか。
: 「なぜ、「態」を「ボイス」という?」  文法用語。  パッシブボイス(passive voice 受動態)  アクティブボイス(active voice 能動態)  受動の言い方、能動の言い方、と訳し直すと、なんとなくわかる。
: 「色→色→色→■」  色の字が形態変化、しだいに両乳房のようになっていく。
: 「鋼体× 剛体○ どちらもかけず まったくだめ」  鋼体は辞書にのっておらず、剛体はのっている。×○そのまま。
: 「にげる所とせめるところはひろびろと。 おもい攻めはだめ。」  将棋の話かな。  ひろびろとしたところへ逃げる、のは分かるけど、ひろびろとしたところから(?)攻める、というのはピンとこないけどね。  ひろびろとしたところへ逃げてくるのだから、そこで待ち伏せよ、そこをせばめておけ、ということ? 
: 「死の床 死んでる 死にそう )どっち? 両方? どちらでも(ない)?」  どちらもありか。  どちらかといえば、死にそう、か。
: 「ぼくがいろいろノートや日記をかくようになったのは、班日誌や3人のノートがおもしろかったからか?」  中学時代にルーツがあったのでは、ということだね。  班日誌は、中学のいちおう公式的な回覧誌と思う。  3人のノートとは、オカボ、オニシ、waka君、の三人の私的な回覧誌で、すきなこと、物語、エッチな絵とかも描いたりの、遊戯(友誼)誌。  (いずれも、現存していないのではと思う。少なくとも、私のところには)
: 「腰 たぶんこの字かけないし、ときにはよめない。」  さすがに読めないってことはないと思うが・・
: 「きく 聞く 菊   みる 見る カイソウみたいの」  海松か。古歌でよく歌われてるよね。
: 「「私はだれもがするように人生を芸術的に設計したりはしない。」  「でも、人生を芸術的につくれた人など1人もいない。結果は同じだ。」  「ちがう。人は芸術的にしようとして失敗し、私は非芸術的につくろうとして成功する。これだけのちがいがある。」」  筋は通っているかに思えるが、だからなに、それがどうしたの、といわれそうな。
: 「化学 グラマー )ノート」 「長■さん、文学ラブ」 「芸術のためなら 興のためなら 金や勉強など」  頁上辺のエンピツ書きメモ類。  長■嬢(同学年)は、文学クラブ入部希望。この年の文芸誌はすでに入稿済んでいて間に合わずだったので、来年ヤルときは声をかけて、とのこと。  よって、急ぐ件でもないはずだが、長■嬢の希望を他のクラブ員に伝えることだけはしておこうと、メモしているのではと思われる。
: 「おもいついたら、すぐここに書きとめるのでなく、しばらく頭の中にたもっていた方がいいのでは? そこで、苦しみながら覚えておくうちに、生身の頭の中にあるので、いじりたくなり、しだいによいものになるのでは?」  つまり、創作メモとしても、この心記をつかっていきたいようす。  書き留めずに、頭の中でしばらく育てたら、と。生煮えに箸をつけるのではなく、よく煮込んだら、と。  わからないではないが、一つ二つならまだしも、こまごましたアイデアが多数かつあちこちに散らばっているような状態を覚えていられるだろうか。 いくら若いとはいえ。やっぱり、メモも併用していかなければ無理だろう・・   とはいえ、この心記のように、あまりに雑然と、広範囲に、なんでもかんでも心にひっかかったことを記していては、それをあとで活用するのが却って難しいと思う。  たとえば、分類も無しに、ただ羅列しているわけだから、どこかに書いたと思ってもさかのぼって探し当てられないだろう。(当時はもちろん、検索などつかえないし)  それに、創作のネタやヒントになる記事も確かにありそうだけど、そういうたぐいにはなりそうにない記事のほうが圧倒的に多い気もする。  だから、この書き方は、たぶん、創作メモとしてなど、あとで活用するための記事を書きためている、ということになってはいないと思う。waka君の目論見とは別に、実質的に。  この書き方は、この心記は、心にひっかかったもろもろを吐き出して、とりあえずスッキリするための、皮袋、または、穴蔵を、うまずたゆまず営んでいるようなもの。そんな気がする。
: 「秀才A。Bの心の素が自分ととても似ていることに気づき、友になろうとする。」 ・・・  物語の粗々のプロット。  あまり面白くなさそう。今判定していいなら、没だね。
: 「美しく、きれい。というのを美しい。きれい。としようと思ったら、「く」に「つ」をたして、「い」のような「くつ」にし、「、」を「。」にすればよい。便利。」  書き直す際、線で消して訂正するのではなく、ちょっと書きたすことで直せる、ということを言ってる。  そういう、あまりにささいなことを、わざわざここに書き残している。  (ささいなことなんだけど、小さいながらも工夫、発見なので、書き残すことに意味はありそう、書いておこう、とwaka君は感じたらしい)  ほんと、敷居が低いね。書く書かないの規準が低いので、こういう記事がたくさん残る、と。  まあね、売り物じゃないから。許してくだされ(^^;;)
: 「か■■さんの声はつよく通る美。」  waka君が気にいっている女子の一人。か■■嬢。小柄で細身。やや色黒の、知性的でととのった顔立ち。  本項によれば、声も佳し、と。授業で朗読などしたのでしょう。
: 「礎石は重要な意味をもつ?」  土台石ということだから、いいかげんなものでは建て物が傾くであろう。  ちなみに、ビルの一階でよく「定礎」というのを見かけるな。
: 「酒を酒だって。」  二つの違いがよくわからないが、二つ目の酒の右上、縦棒が突き出ているか。  一つ目の酒の右側も、ちゃんと酉の字になっていないかも。
: 「「〜にみえたら、ひげきだよ。きじゃない、ひげきだよ。」 「ききい。」 ぼくの笑い.」  キの韻が、たのしい! 
: 「むしずはあつううい。 ほんとに、とってもあついのだ。やけどするようなそのあつさ。」  胃酸の逆流だから、温度が熱いというより、のどが酸で焼けて熱く感じてます。
: 「英語は、教科書外の文法に関して、先生が長ばなしをしたので、単語をしらべてないぼくとしては、コウウン。」  先生が長話をしなければ、訳せないのに当てられていた、ということみたいだ。
: 「明日は、しあさってが、テストというのに、い■■ちゃんとジョニーにいく。  はじめはぼく1人でいくつもりだったが、い■■ちゃんが、明日ひま、という。ひまだけど、予定としてはジョニーはせんじょうにいったみにいこうと思ってた、といったら、うんそれにいこうと思ってた、とい■■ちゃん。」  息が合ってるね。い■■ちゃんは、中学のクラスメートで高校も同じ。  ちょうど、内輪の中で、この映画がブームになり始めていたのかな。  『ジョニーは戦場へ行った』原作・監督・脚本:ダルトン・トランボ。1971年米。日本公開は1973年。
: 「ぼくの事を男子は■■さん、とよび、女子は■■クンとよぶ。姉キの説によれば、「クン」というのは、女子が同年か年下の「男の子」に対するよび方で、年上には必ず「さん」というとよ。」  waka君は、姉きの「説」にそこそこ信をおいている。彼女は、TVドラマの見通しとかよく当てるし、二つしかちがわないのに諸事情に妙に通じているところがある。
: 「勉強はしなければ、と思う。したいと思う。テストがあるんだ、まじめにいきたい、と思う。そういう心もある。が、■■に泊まりにいって、勉強しないようにしたいとも思う。(■■ではしないのがぼく自身の習慣) その方が楽だし家のため。そして、あしたも、映画にいきたいとも思うし、勉強もしたいと思う。映画は芸術という事として、みるつもり。  つまり、まじめにがんばって、ぼくのせいじつの心、ゆうえつかんの心をみたしたい、とも思うし、なまけて、のんびりと興をあじわいたい、とも思う。」  ゆれてますな。  学校の学習、テスト勉強の方面が表、正業。学生だからしなければならないけど、面倒だったり苦しかったり。家の手伝い、映画などの遊興は裏、内職、付け足し、あそび。したい、楽しみたいけど、安逸にひたるようで、怠けかも、みたいな切り分け感覚があるね、waka君には、ずっと。  (家業の職場の宿直は、面倒、したくないの方面でもあるけど、学校の勉強と比較した場合は、相対的に楽、安逸に振り分けられるもよう)  年経るにつれ、後者の地位が上昇して、今では、表と裏、ほぼ逆転している。  したいと思うこと、楽しみ、よろこびが、メイン、主人、いうなれば生きがい。これを維持するために、働く、金をかせぐ、まあいたしかたない、と。
: 「人の苦しみを自分に感ずるキカイ」 「心までいしょく。 自分の子にうつる。」 「8:00 ラゾ■」 「ボーリン 映 勉」 「なげて、とげにさす」  頁上辺のエンピツ書きメモ類。おおむね、本文で清書されている。  「8:00 ラゾ■」の■は難読だが、次頁の上辺メモにもあるので、〔ラゾウ 裸像〕と思われる。  これは、当時の国鉄千葉駅の、改札前ホールにあった、裸像彫刻をいっているはず。待ち合わせ場所によくつかわれていた。い■■ちゃんとの映画の待ち合わせだろう。(朝八時、ずいぶん早いが)
: 「い はい」  胃。肺。ともに「い」があるのが気になるようす。  しかし、いずれも、訓ではなく音なんだよね。つまり中国語の発音からきているから、日本語ではともに「イ」音だとしても原音は別かもしれない。
: 「9/15」  9/15は土曜日なのになぜ朝から遊べる? と思ってしらべたら、敬老の日で祝日!  → 現在、敬老の日は9月の第3月曜日。しかし、2002年(平成14年)までは毎年9月15日が敬老の日でした。
: 「きのうのよるになった頃。 「おねえさん、あぶなかったね。へたしたら、モリナガミルクチュードォク。」 「ミルクじゃなかったからね。でもこのへんには少ないんじゃない。」 「みんな殺されたり死んだりしたんだよ。」 「わかちゃんがなったかも。」 「ぼくはもう時期過ぎてたから。実はおねえさんの前に一人子があったりして。」 「それでは計算が合わないのだよ。」 「ハハ、そうか。」」  waka君と姉との会話だろう。NHKの特番でも見たあとか?  Wikipedia、〔森永ヒ素ミルク中毒事件(もりながヒそミルクちゅうどくじけん)とは、1955年6月頃から主に西日本を中心として起きた、ヒ素の混入した森永乳業製の粉ミルクを飲用した乳幼児に、多数の死者・ヒ素中毒患者を出した毒物混入事件である。森永ヒ素ミルク事件(森永砒素ミルク事件、もりながヒそミルクじけん)とも呼ばれる。〕  waka君が1957年生。姉が1955年生。
: 「アレクサンダーシシリアベリーブという名のうち、ほぼたしかなのはシシリア。アレクサンダー大王の娘のようなので、アレクサンダーがつくのでは、と思う。ベリーブはてきとうだったか。とにかく、夢にはシシリアのみでてくる。」  だいぶ以前に夢で見た、美女。  display『1973/08/14 ♪』でも登場している。
: 「外国映画の俳優の1人1人に声優がついているように、外国文学の作者1人1人に訳者がついていたら。」  いや、わりとそういう事はあるみたいよ。存命原作者と連絡取り合ったりもあるみたいだし。そもそも、マイナーな言語の場合、プロ翻訳者がごく限られたりするわけで。
: 「おうがいと漱石のすんだ家の中で共通するものが、あったというが、ほんと?」  https://serai.jp/hobby/45609  ここに詳しいが、鴎外がかつて住んだ家に、漱石が十年後ぐらいに転居したそうだ。このことを漱石は最後まで知らず、鴎外は知っていた。漱石は終生、借家暮らしとか。
: 「■■りのひたいにはうすういきずがすっとついています。そこだけ、細長いすっとした|しわ|線|がななめについているのです。 へこんだ線」  「「いつつけた?」 「ずっと前、おべんじょに頭ぶつけてコブになったことあったでしょ。」」  絵。「柱の直角にとがった辺にぶつけたよう。 もっとうまい表現はない??」  妹の小学生の時のその傷は、すでに跡形もないだろう。本人の記憶からも消えているだろう。  それが、ここをよむと、つるんとした額にうっすらあるのが、間近にみえているような気がする。  文字、記録というのは、おそろしいぐらい。実感する。
: 「昔は13男や15男なんてざらだったのね。」  さすがにざらじゃないだろう。それだけ男子がいるってことは、女子も二ケタぐらい生まれているはず。複数の妻としても、ごく限られた恵まれた条件を持つ男親だろうな。
: 「今日の朝の空はおっそろしく美しい。」 ・・・  なんとか書き写したく語をいくつも重ねているが、かえってごちゃっとした感じになってる。いわゆる筆の(気持ちの)走りすぎか。  スッキリしたいね。  感動はあからさまに言われると、言ってる人間のほうを眺めてしまう。
: 「9/15 8:00 ラゾウ アネキのための パンフレット プログラム }千円ももらってる  2ツbuy」 「とけつ:い かけつ:はい」 「い はい」 「パンツ ■■■■ アサのソラ ブンフソウオウ」  頁上辺のエンピツ書きメモ類。  『ジョニーは戦場へ行った』のパンフレットを買ってきてくれ、とアネキから金をもらっている。アネキはまだ観ていないのか。観たけど、買い忘れたのか。2ツというのは、waka君自分のもほしくなったか(waka君は通常、映画を観てもパンフレットなどは買わない)。  暗い、悲痛な映画だったはず。今なら、パンフ買わない。そもそも観ないかも。
: 「A、醜男。B、美女。AはBのその姿を愛し、BはAのその心を愛した。  C、あまりきれいでない女。D、美男子。A、Cに心をひかれはじめる。その心づかいに感動しはじめる。B、Dの勇ましさ、美しさに感動しはじめる。」  という物語(またはその導入)か。  男女ともつりあいのとれる相手に心が移っていく、流れなのね。
: 「9/14のフクセイ」  下の項だけがフクセイなのか、もっと先までそうなのか、不明瞭。
: 「人の苦悩をその人以外に感じさせる|器|機|械。」 ・・・  苦悩、苦痛、病苦等を他人に肩代わりさせることのできる機械のある世の中の話。  独特というほどではなく、どちらかといえばありふれた設定なんだけど、この利便が欲しいと思えるし、といってなんか怖いし、現実にある何らかの事情を投影しているようでもあり、底が少々深い。  後半、 「そのうちに、自分の心を他ととりかえることができるということがわかる。」 ・・・  と、物語はさらに展開する。  起承ぐらいまでは行っていると思う。  Cの子あたりで、息切れしているようだけど、充実した転結を書き継ぐことができれば、そこそこの作品になりそう。  ・・・  かなりえぐい、過激なことが許される世界なんだね。  囚人の件は、刑罰の一つなんだろうな。  宗教団体構成員に、献身させるというのも、相当な無理がある上に、実行できるとしたら、これもまた人権無視、生命軽視だな、ほんと。  原理は別だろうが、クローンを育てて不老不死というアイデアは、よくあるよね。これ、非道であることは間違いないけど、人類はいずれ実行してしまうと思う。  (身障者とか、苦痛を他に移せる、とか、『ジョニーは戦場へ行った』を観たあとにいかにも浮かびそう。が、これば、9/14のフクセイという但し書きがあったので、観賞前日の発想のはず。元のアイデアに、映画のイメージが混ざり合うようなところがあったんだろうか)
: 「のぼるのはくだるよりくるしい・・・・・?」  何かの比喩として、言ってるつもりなんだろうな。
: 「ぼくがめがねをかける。相手がみえるが、相手はわからない。メガネをかけたぼくが。」  「めがねをとる。相手はわかるが、ぼくはみえない。」  実際には、メガネをかけた程度で誰だかわからなくなったりはしないので、これも、比喩というか象徴的なことをいいたいんでしょう。  何らかの手段で相手を理解できるとき、その手段によって相手はこちらを理解できなくなっている。  相手にこちらを理解してもらうためその手段を無効化すると、今度はこちらが相手を理解できなくなる。  そういうもどかしい関係性が、誰かどこかにはあるはず、ということを「発見」したってことかな・・  それが具体的にはどういう場合なのか、そこまでは、たぐり寄せることはできていない様子。  (似た事例として思いつくのは、暗闇の中の相手に強いライトを当てて誰だか認識する場合。このとき相手は強い光で目がくらんで、当方を認識できない。  このライトを消せば、相手は明るい所にいる当方が誰だかわかる。しかし今度は、相手は暗闇の中に紛れているので当方からは判別できなくなっている)  (この例から、連想。悪事をはたらく輩を、官憲の犬が追求する。法と正義と力によって悪漢は追いつめられていき、正体があらわになっていくわけだけど、悪漢から見れば追いつめてくるのは官憲という抗しがたい機構であって、人間はほとんど見えていない。かろうじてのがれる。  その官憲の犬が、法も正義も力も一旦おいて、家族の元に帰り個人の顔に戻ったとき、悪漢は自分を追いつめていたこいつもただのかよわい人間だったと、ほくそえんでいる。さきほどまで官憲の犬だった人間は、間近に迫っている悪漢に気づいていない)
: 「戦争と平和、の女主人公は? 忘れた!!」  ナターシャ・ロストワか?  といっても、waka君は、ソ連版の映画は観てるはずだが、原作小説はいずれ読むつもりで、そのままついに未読。  (その映画をこの日に観たわけではないが、他の映画を観た日なので関連して思いだしたのであろう)
: 「男の目は黄金分割の長方形。女は泣の形。」  よくわからんな。  黄金分割である根拠はあるんだろうか。  泣の形、はたぶん、涙の形の誤記。  うーむ、マンガの顔の目の描き方か。waka君の手法や思いつきというより、何かどこかからの引用っぽいけれど・・ 
: 「食堂の食事は、量、(質)がなくとも、一食分くらいのお金(例えば150円200円)をだすと、食ったという感じになる。」  これもいまいちすっきりしてない物言いだ。食堂など商売で食べさせているところは、見た目少ないようにみえても、一人前はそれなりに適度な量となっていることが多い。ということかな。  多くの客にとっての適度な量に、一人前を調えているのが、ふつうというか当然だからね。  食堂はどこのことをいってるのか定かでないが、高校生が行ける安食堂としても、当時の物価はお手頃だねえ。安いねえ。  (または、食べる量などもさることながら、それなりのお金を払ったことによって、その金額にみあったものを食べたという気になる、ということを言いたいのかも。胃袋のみでなく金銭感覚も少なからず食欲を満たしている、と)  映画のあとにでも、い■■ちゃんと食事をしたか。
: 「はしりだした汽車( or 列者)の一番うしろにとびのったという場面。 「私もあるのよ。時間ぎりぎりで。こわかったけど、そしたら、中のおじさんがぐっとひきいれてくれた。」  ■■シタさんが、こんなことをぼくにはなしてくれた事があったはず。」  「それとも■■シタさんではなかったか?」  ■■シタ嬢は中学の同級。display『1973/08/31 いろいろな虫の声がする。』ですでに登場。  今首都圏でそんなことのできる構造の列車、ありえないよね。半世紀前、■■シタ嬢が体験できる場合、も、ちょっと思いあたらないが、単に、駆け込み乗車して自動ドアにはさまれそうになったときってことかも。  (列車ではなくバスあたりの経験なのか? それとも、■■シタ嬢が、かなり小さい女児だった頃とか?)  (あるいは、洋画の中で見た場面を、自分の体験のように信じていた、とかも。中二病をわずらっていれば、ないとは言えない)
: 「そのときの場面はどんなだったろう。二人きりだったのか? そんなことがあったろうか? あってもぼくは、ケンキョだったので、うれしい事、未来へのキタイのもてるようなことは忘れてしまえ、と思って忘れたのか?」  列車の最後尾に飛び乗ったところではなく、waka君と■■シタ嬢がその話題でおしゃべりをしていたシーンを想起しているみたいだな。女の子とそんな仲むつまじいようなこと、ほんとにあったんだっけ、と。
: 「映画で立ち見。AのうしろのBさん、Aにたおれる。AのとなりのC、だきおこす。 これが3人の愛の象徴。そして、物語は始まる。」  この導入部自体は、なんのことやらでたいして魅力的とも思えない。  映画で立ち見をしたのは、この日の実際の体験。後述にある。
: 「小説のぜんぶが象徴的。こまかい動作のすべてが長い時のできごとを象徴。  つまり、小説内の小さな動作がすべて、未来大きな動きを象徴。そして、冒頭の1ページが、10年を象徴し、次の2ページが20年を象徴。」  (小が大を象徴して重なり連なっていくようすを小円と大円で図解)  しかし、この構想は、おいしそうだ。フラクタルのようなくりかえし?  図解までしてくれたので、いいたいことはわかるし、小説でありながら音楽みたいで壮麗なプランだ。  少なくとも、文芸遊戯として、ありだと思う。この制約は、挑戦したくなる。  ではあるけれど、しかし、エレガントに実現できるだろうか。  できたとしても散文でこんなことにかまけていては、物語の内容がおろそかになりはしないか。  つくるのが大変そうなだけでなく、読み取ってくれる読者がいるかといえばかなり少なそうだし、それさえいたとしても、おもしろいと感じてくれるものになっていない気もするし・・  物好きのこだわり(だからなに?的な)で空まわりしただけなんてことになってしまうかも・・   → 当時は、この構想で飾られて躍動することになる物語本体のほうは、まるで創れなかったみたいだ。上のようないいかげんな導入部では、続けたいという意欲がわかなかっただろうしね。  方法としては、ふつうに独立した物語をあらあらでもいったん書きあげて、その上で、この構想にあてはめて細部と全体を調整していくということになるのかな。  (なぜそこまでするかと言われれば、そこに制約があるから、と答えるぐらいしかできないけど(^^;   例えていえば、ごく短い詩が浮かんでから、それを、俳句や短歌の形式にあてはめていくような方法、ってことになるか)  → まあ、一度やってみて、全然つまらないものができたら、それは捨ててしまえばいい。工夫の余地ありと思えば再挑戦すればいい。どうやっても箸にも棒にもと見切れたら、二度としなければいい。それだけのこと。  遊戯は、つくってはこわし、こわしてはつくり、だもんね。
: 「由里子、みじめ!」  「「門」(テレビ)で、およねが上半身ハダカになった場面あり。顔をみせずに乳房だけ。  この乳房は、星由里子のような上の俳優のものでなく、もっと下の俳優がかわりをしたのだ、といっているよう。しかし、実は、由里子自身のもので、  あまりにみじめなようなので、顔をみせずに、視聴者にかってに考えさせたのか?  それとも、そういう俳優をやとうのがめんどうなので、どうせみな、こう思う、と思って、由里子のチブサのみ見せたか?  つまり、いかにも由里子の物でないようにみせるため、顔をかくしてみせた?」  文芸ドラマとはいえ、TVにナマチチが映しだされて、高校生男子waka君が、うろたえ気味に反応している図、ということでしょう。  Wikipediaによれば、原作『門』夏目漱石、〔『わが愛』というタイトルで1973年1月12日から4月5日に渡ってTBSで放送された。〕  ヒロイン、お米役は、星由里子。  当時のTV、文芸作品なら、女子のナマチチもありだったのか。今は、ありえないような? (生放送のポロリぐらい?)  ところで、本文は、1973/09/15のもので、上の放送期間とは半年もずれてる。  1)数ヶ月前にみたドラマ場面を想起している。(可能性低い。一瞬の場面をここまで記憶している異様な執念)   2)再放送をみてる。(これならすんなりだが、半年程度で再放送する?)  3)wikiのデータがまちがえている。半世紀も前のものなので、取り違えがあったとか? (これもないな。他のサイトでも一致したので)  このドラマは、漱石原作(しかも既読)ということで心待ちにして観た、という記憶があるから、再放送でなく本放送を観ているのは、ほぼ間違いないと思う。  ならば、ナマチチも数ヶ月前に観ているはずで、それを今になって、このように記載するのはいろいろ不自然だよねえ。再放送があって、改めてナマチチを観て、このように記しているとしても、二度目であるとか再放送とか、そこらへん、一言あってもいい気がするが?  謎が残る・・
: 「いつでもゆめは考えられるから、ぜったい殺してくれなんていわぬ。」  「殺してくれ、と願えたり、自殺したい、と思えたりするぐらい脳が働けるなら、ぜったいにゆめを考え、おもしろがることができる。」  と、当時は確信しているもよう。若さゆえか。  心の病はそんなヤワじゃないと思う。脳の分泌物の関係でおこる場合もあり、ほとんど不可抗力的に堕ちてしまうこともありそう。  あるいは、あまりに痛い、苦しい、というとき、脳は満足に思考できるだろうか。  (いや、これはもしかしたら、一般論ではなくて、『ジョニーは戦場へ行った』の主人公の願いに、反発しての感想だったか。彼の立場になっても、ぼくならおもしろがることができる、と。  ・・・いやあ、ほんと? 今では、彼の立場になることを想像するだけでもうなんかこわくて、尻込みしてしまい、生への意欲を失わないでいられるかどうかを自問するところまで進んでいけないよ)
: 「相手が自分を真に愛していると感じた時こそ、自分が相手を愛している時なのか?」  「私の愛は|あのときはほんとだった|あのときも錯覚だった。  私とあなたの間の愛は|あのときはほんとだった|あのときも錯覚だった。  あなたの愛は、|あのときはほんとだった|あのときも錯覚だった。」  「愛という一つの感情はなく、それは、いくつもの、他の感情の混合物なのではなかろうか? 愛というハアクのしかたはまちがっていたのでは?」  「愛という語は西洋のみにあった??」  これは、何らかの作品を鑑賞して、高揚、思い巡らして、書いているフシがある。  前述の、TVドラマ『わが愛』かもしれない。  このあとに出てくる「美しき青きドナウ」ということもあるか。  この日観た映画『ジョニーは戦場へ行った』は毛色がちがいすぎる。これは候補から外したい。
: 「「美しき青きドナウ」(映画)のカールトレフスは文化祭実行委委員会で、よく質問する3年生にそっくり。顔が。行動もちょっと。  この人の名は?」  この映画も高校生の頃、みてるはず。音楽ときらびやかな映像で、うっとりした。  ここにこの記事があるということは、もしかしたら、『ジョニーは戦場へ行った』とこれの二本立て上映だったのかも。  カールトレフス、検索したけど、人名ヒットせず。  https://eiga-pop.com/movie/9062?msclkid=f450c104aab511ec86fdd86477e614de  ここの映画情報見たら、いました。  カール・トレフス(Karl Treffz)は役名。俳優は、ウィラード・パーカー。  なお、タイトルは『美しく青きドナウ』(原題 The Great Waltz)が正しい。 (1972年米。日本公開1973年3月10日)  https://eiga.com/movie/64860/?msclkid=f4506589aab511ecb668066872da340c  こちらのサイトに粗筋がある。  主人公ヨハン・シュトラウスの伴侶、ジェティの隠し子がカール。 カールはジェティを脅迫、莫大な金を要求する。という役回り。まあ、脇役だろうね。  「この人の名は?」のこの人は、カールトレフスにそっくりな3年生男子のことでしょう。
: 「大事な人が行ってしまおうとするのをひきとめようとする人、自分のぼうしをもっていかれそうなので(相手は半分無意識)もぎとる。(ひっぱりぬく。)  大事な人をひっぱろうとしたのでなく、ぼうしをもぎとろうとして、そうした。  大事な人をひきもどそうと思いながら、こういう行動をしてしまう事多い。 よく考えないで、こうしてしまう事が多い。」  現代の日本で、紳士(または淑女)が帽子をかぶっていることは少なそうだから、これも映画の中の場面を材料に述べている可能性大。上の『美しく青きドナウ』かな?  述べていることが、なんだか変。よくある行為とは思えないのに、〜してしまうことが多い。などとまとめようとしている。  自分の欲求や希望と真逆の行為なのに、習慣的にとか反射的にとか短絡的にとかで、しっかりやっていることがある。困ったちゃんだよね。・・というようなことを言いたいのかな。
: 「リーダーとは?」  leader:(1)指導者。(2)主要記事。(3)点線、破線。(4)テープなどの引き出し部分。  reader:(1)英語の教科書。(2)読者。  等々ということで、多様な意味が考えられる。前後の文脈がないと、絞れませんな。
: 「ふんいき :その集団の中の部分の|願|欲|がおしとおされたこと? おしとおされたそれらの気分のこと?」  押し通された、という観点、ユニークか。  何から発想して、何を主張したいのか、そこのあたりが曖昧模糊な一文とも思う。
: 「どうして日本の映画はチャチなの?」  うーん、見劣りしたんだろうなあ。当時の高校生の目には。  当時は、洋画がかなりかっこよかった、上だった、というのは覚えている。  もしいま当時の和洋を見比べてもそう思えるのか、は、確言できない。若さゆえの好悪かもしれないけど、映画の格に実際差があったのかもしれない。(豪華さは確かに差があった。でももし今、豪華だと思った当時の洋画をみたら、案外チャチ、底が見えてる、ハリボテ、などと感じてしまうかも・・)
: 「ほんとうの親子の間が生さぬ仲以上になったとすれば」  生さぬ仲とは、文字どおり、実際に産んだのではない関係。 義理の親子。  これ、文意が、すっとこないね。本当の親子の間が義理の親子の間以上になった、とは? より親密になった、それとも、より疎遠になった、どっちなの。  逆なら(義理の親子の間が本当の親子の間以上になった、ということなら)まだしも。  どこかから転記するとき、まちがえたとか・・  原文を書いた人が、生さぬ仲の意味を勘違いしている、とかも・・  (育ての親にいつくしまれて大きくなった子が、長い時を経て産みの親に再会。いっしょに暮らすようになって、そのうちに、ほんとうの親子の間が生さぬ仲以上になったとすれば、それはやはり血ということになるのか。・・などという筋なら、あてはまりそう?)
: 「ご破産 ご破算」  ご破算だね。そろばん用語か。
: 「内■先輩はとても肌がきれいなのです。」  将棋同好会の先輩(男子)。前会長。  唐突に思いだしたのか。映画館で見かけたりしたのか。
: 「ボーリング3時間。映画たちみ2時間。すわって4時間。完全にバテタ。」  笑。  つまり、これまでの情報から推測すると、千葉駅裸像前に朝八時、待ち合わせ、京成ローザとかどこかの映画館に向かったが、上映に間に合わないか満員とかで、ボーリングで時間調整。その後ようやく入場できたけど、立ち見で一本目。二本目ですわれて、最後に立見で見た一本目をすわってまた見た、ってことかな。  となると、二本立てだから、やはり『ジョニーは戦場へ行った』と『美しく青きドナウ』か。しかし、こんなかけはなれた二本をセットにするかな。(ジョニーの口直しにドナウ、という興行側の配慮?)  → ジョニーをもう一度みたいとは思わないと推量。よって、ドナウ、ジョニー、ドナウの順番か。ジョニーの後、ドナウをもう一度見ないか、とい■■ちゃんから言ってきてたり。賛成だろう。
: 「バーリングはハイゲーム178点。」  ボーリング。これは好成績だ。今ならがんばっても100点いけるかどうか。
: 「2時間ぶっつづけ。どこにもよっかからないで、たっていられたよ。映画館で。」  立ち見二時間、これは、今でもできそうな気がする。  ただし、尿意を我慢できないかもしれない(爆)
: 「なぜ、まくらにおおい(カバー)などするの? いつもカバーをつけるので、ほんとのまくらに頭をつけてねることがないのじゃないか。これは宝をもってもつかわぬのと同じ??」  枕は毎晩毎晩使うので、カバーがないと、枕の布がすり切れて、籾殻がこぼれ出してしまう、案外早く、という(家族累代の)経験則による対処? (転ばぬ先の杖?)  というかさ、枕は洗えないじゃん。洗ったら乾かすの相当大変だよ。カバーなら手軽に洗える。  (そもそも、カバー有りと無しで枕の使い心地、大差ないのでは)
: 「もし大作をかくんだったら、4部作にしよう。 キ、ショウ、テン、ケツ」  それもいいけど、小話であるほど、起承転結の構成は活きるかもよ。
: 「だえきを肌につけると赤くなるのか?」  なると思うが、ネット検索しても、明解な答え(とか理由とか)は見つけられず。  腕とかなめてみると、うっすら赤くなる気がするが・・

※ 『1973/09/16 冷徹な秀才君がいた。』 :  01「冷徹な秀才君がいた。」  02「テストで100点をとるためには手段を選ばなかった。」  03「しかし、彼のために何人の人間が命を絶った事か。」  爆。おおげさだよね。  04「ある者は、彼みずからの手で殺され、」  05「ある者は、たえられずに、自分から死んだ。」  06「秀才君はついにこんな表情のみをもつようになった。」  07「しかし、彼は着実にエリートコースを。」  08「彼はさる大会社の令嬢冷子に目をつけた。これと結婚できればと思ったのだ。」  09「彼はあらゆる機会を利用して、冷子に近づいた。」  10「そして、数ヶ月後には、もう、冷子のボーイフレンドのうちの一人に加えられていた。」  数ヶ月では、少々スピード感に欠けているか。  11「そして、数週間のうちに、冷子のボーイフレンドのうち二人が謎の死。」  12「秀才君はおびえる冷子をいたわって点数をかせぐ。」  13「いたわる秀才君。」  14「そして、また一人。」  15「いたわる秀才君。」  良い、もりあがりだ。ホラーサスペンスだ。  16「そして、ついに、ボーイフレンドは彼のみになった。しかし、・・・・」  17「しかし、彼は、どのボーイフレンドにも手をくだしていなかった。」  17コマに矢印で「この絵は傑作」  18「不安な今宵。」  19「殺人狂のうでは、彼にのびる。」  20「殺人狂、冷子。」  21 暗闘。  クライマックス、コマも躍動。  22「「ぐぐ、なぜ」」  23「「あなたたちのような 男にうらぎられたから」」  24「秀才の命はみじかくて、」  25「花の命も短かくて、」  このナイフは、さりげなく18コマにあり。  26「生き残るのは、■■君ぐらい。」  ラストの26コマは作者自画像(といっている)。  → 起承転結、あって、メリハリもあって、良作だ。  筋は、月並みではあるが、明るくも夢もないが、ビジュアルでみせてる! (笑)  いかにも、高校生の素人映画、というかんじ。文化祭で上映されるような。

※ 『1973/09/17 空間Aへの入り口があるとする。』 : 「「死への」を「死へへの」といっても、べつにおかしくないみたい。」  頭で考えれば、へが一字多いのだから誤記のはず、と思う。  しかし、「死へへの」と黙読して、または発声しても、なぜか異和感がない。たしかに不思議だ・・  「死へ(むかうこと)への」という意味に感じとっているのかな・・
: (線画 五図)  なめらか。一筆書きらしい。  とくに意味はなさそう。  あるいは、タクトの軌跡か。4拍子? 
: 「美人グラマーの白人女が、鉄のベッドに鉄の輪で両手足をふうじられている、ドラキュラか悪魔の映画の看板をみて、サディスティックな、もしくは、肉欲的な欲望がわいて、それを欲っしながら、うまくとらえられないことがあったよ、ぼくがほんとに小さい頃。小学校の低学年か、まだ小学校にはいらない頃。まだ、映画の看板が神社のへいのところにあった頃。」  年端もいかない男児であっても、性欲はあるんだよね。  しかも、変態的な刺激に反応する場合もあたりまえのようにある。
: 「西 酉 洒 酒」  西 酉の市 洒落 酒 などとなるわな。
: 「「その美しい耳が、さらりとしたうすい金髪のうしろにあった。」 これだ!! これでピッタリする。3ページ前の左。」  そうか〜? うしろというと、頭の後ろのほうに耳があるみたいで、かなり違和感。  美しい耳にさらりとした金髪がかかっている。で、いいのでは?  3ページ前の左にあるのは、「シシリアの耳はきれいな耳だった。端正な美しい耳がさらりとしたうすい金髪のむこうにあった」だね。  修辞の常識としては、美しいとかきれいなと書いてしまっては負けなわけだけどね。若い頃はそうは書かないでそう感じとって欲しいと苦心したけど、今は、べつにいいよって感じ(苦笑)。我ながら、だいぶゆるくなってしまったな。
: 「もしも、10点さえとれなかったとき、というのは正しい?」  正しくないとはいえなそう。さえ、すら、だに、この辺りが親戚関係らしい。  なお、この例文、根拠のない創作ではなさそうで、明日のテストで現実に起こりそうな予測をふまえているみたいだ。
: 「きのうボーリングでハイゲーム。そこで、今日、ボーリングのテレビをみたくなる。そこで、あすのテストのための勉強ができない。伏線の妙なる所。」  言い訳だろう! ふつうに、意志薄弱を恥ずべき。  → 伏線があざやかに現われたことになる、と、悦に入ってる。  事前に準備をしないなら、当然、テストで良い点をとれるわけもなく、自分に不利な結果がやってくることがわかっているのに、なにやら、うっすら、うれしい。  という辺りは、趣味人として、正しい姿かもね(^^)
: 「お姉さんが、本屋で少女雑誌をかっていると、知人にあう。 姉「ああ、これ? おとうとがかってくれっていうものだから。」 その知人、ああ、はずかしいからね、と思う。弟が、はずかしいから、でなく、姉がはずかしいから、弟が買いたいなどといつわってる。  なんてことありそう。」  つまり、想像だね。  ただし、次ページ冒頭のメモ書きなどから、弟が姉に少女雑誌の購入を依頼した、までは事実らしい。  その姉が本屋で知人に会う、知人が「姉がはずかしいから、弟が買いたいなどといつわってる」と勘ぐる、というあたりがそんな誤解もありえるかなという弟の想像。
: 「今年は、夏休みの数学の宿題も、サブリーダーもできなかった。 そこで、数学のレポートはほとんどだせないし、サブリーダーの単語テストもあしたにせまり、ひとつも単語覚えていない。」  ひとつもは大げさではないの? ほぼその通りなら、なさけなし・・
: 「9/16 アネキがマーガレットか、少女コミックを。  オカネはすでにハラッタ」  頁上辺のエンピツ書きメモ。アネキに支払ったということは、アネキがマーガレットか少女コミック(ともに当時は週刊誌のはず)を買ってきてくれる、弟の要望に応えて。ということでしょうね。
: 「早熟の女の子はキライ。どちらかといえば晩熟がいい。」  要するに、幼い雰囲気のある女子が好み、と?  強い母親やしっかり者の姉と長年つきあってきたため、かな(笑)
: 「描 えが く → ふつうは描く、とよむのは非常識?」  二つ目の描くをなんと読んでいるか振り仮名がないので、文意がはっきりしない。  えがくと読んでも、かくと読んでも、どちらであれ、ぜんぜん非常識ではないよね。
: 「京の上は何という?」  垓(がい)、とのこと。
: 「毛は、少なくともひざあたりから下の毛は三本ひとくみになってはえているのではなかろうか?」  ・・・ 「こんなふうに生えているよ!!」 「これはぼくだけ? ぼくは宇宙人?」  ネットで調べると、健康な状態であるほど、三本一組で生えているそうな。  地球人だね。よかった。
: 「不死販売。あなたの好きな年令に若ガエリ、そして不死。ただし、年をとらせることはできません。」  「日本人のみ」 「長い時。日本人は不死とみにくい心。」  「西洋人の いうアクマ、とは東洋人のことであったか。」  妄想(または創作)のメモだろうね。  日本人だけが不死を得られることになり、長い時を経て、西洋人から悪魔扱いをされる。という設定、概要か。
: 「くちびるはとじとく」 口内イラスト 「1から2にして、ここから空気をだすと、ここで、ググルググルと音がでる」  図を真似て、ググル音らしきもの、再現できた。  犬のうなり声なんかもこんなふうに出してるのかもね。
: 「パとバはまちがいやすいじゃないか!! パ≒バ≒バ }バをハ'にすれば、パとはまちがえぬし、読点と句点にもにていて、体系的。」  「が、バの方が/音にあっている。/芸術的。」  手書きや活字印刷はまだいいんだよね。軽症。  デジタル文字の場合、小さい文字だともう、どちらも濁点にしかみえぬ。(デジタル文字は、半濁点の小円、線ではなくドットで描いているわけだからね、当然、濁点とまぎらわしくなる。いわば、遺伝子レベルの不都合。重症)
: 「単語テストないんだって。アー オモシロクない。せっかくカクゴしてたのに。どうせはじかくなら、この時間にかきたかった。」  破綻がしばし先延ばし、なのかな。  ひと思いにヤッてほしかった、と(^^;
: 「それに教科書ひとつもやってないんよ。」  テストがないので通常の授業となるのに、想定外で、そちらの下調べはなにもしてないんよ、と。  指されたら、読めない、訳せない、どうしたらいいんよ、と。  (今は笑ってしまうばかりだけど、当時の嘆きはマジみたいだ。少なくとも英語については、かなりのだめだめでした)
: 「角川新書の老子buy このノートのかわりbuy」  頁上辺のエンピツ書きメモ類。  高校二年時、倫理社会の授業は、先生が教科書に沿って進めていく、という通常の形を採らなかった。  年度頭の四月、クラス全員各人に、古今東西の思想家哲学者教祖等を一人ずつ割り当てる。 そして、毎回の授業時間では、そのほとんどを、生徒一人または二人が自分の担当の思想家哲学者教祖についてしらべた結果や自分なりの評価吟味もろもろを教壇からクラスのみなに講義する。という形。これで、翌年三月年度末までいった。  waka君が担当したのは、老子。ぼちぼちとりかからねば、ということで、このメモになっているはず。  (先走って探したところ、waka君が老子の発表をしたのは、翌年、三学期。古代の哲人なのにどうしてそんなに遅いのかと思うけど、西洋や日本のなどあらかた終えてから、という順番だったのかも)
: 「ソノ■とサ■■がフクツウとハツネツででてこない。テストがないのを知らない。」 「授業中にかえってくる。」  ソノ■君、サ■■君、単語テスト回避のためのみえみえの仮病だったんじゃないの、と、waka君が暗に指摘しているように読める。
: 「「信ずれば見える。」」  名言とはちょっとちがうが、waka君の言なのか微妙でもあるが、警句、箴言といっていいのでは。
: 「今日の授業は何でもいいけどヤルキでないなあ。」  「シマ■先生がヤスンダタメ、いっせいにテストができなくなり、単語テストがなくなったので、あるのだな、と思ってかくごしていたぼくの心がくじけて、ヤルキナ。」  単語テストがなくなったので、「あるのだな」と思ってかくごしていたぼくの心が、・・という構文でしょうね。  (複数の先生で手分けして該当クラスで)一斉にテストをしないとテスト内容がダダ漏れになってしまう、ということで(とりあえず?)中止、かな。
: 「Bという空間の中に、他の所にある空間Aへの入り口があるとする。Aの穴に手をつっこむと、」 ・・・   妄想の設定を吟味している(たのしく遊んでいる)うちに、疑問がわいたみたいだ。  異次元関わりの話で、物理の高尚な思索のように思えないこともないけど、waka君にそれはないな。
: 「夢の中でとうてい自分の知らないような事、とうていそうぞうできないような物をみる事がある。 すばらしいアイデア、すばらしい、おもしろい、奇妙な話の筋、場面等をみる事がある。」  本当にそのとおりなのかもしれないが、実は、そういものを見ている(または、見ていた)ような気がしているだけなのかもしれない。  夢を見ている最中って、見ている主体自体が、あんまり信用できないからなあ。  → 仮に、変なものを見ている、とする。覚醒時は、まじめな主体が変なものを見ている。そこで、対象が変なものである信用度が高い。  睡眠時の夢では、変な主体が、変なものを見ている。そこで、対象が変なのか、主体の変が対象に投影されただけなのか、なんだかはっきりしない。対象と主体、どっちが変なのか、両方とも変なのか、わからなくなる。
: 「無闇 :むやみ」  無闇は当て字、と辞書にある。  ならば、むやみとはなにか、どこからきたのか気になるんだけど、辞書は説明していない。  ネットで探すと、 https://okurukotoba.tokyo/archives/5179 ここにいちおうの答えがある。  無理彌無理(むりいやむり) > むやむ > むやみ なのだそうな。(つづまり具合、こなれ方が苦しい気もするが・・)  無理彌無理は、無理、ますます無理の意。  別字を省略で、むりいやむり > むりやり もできたとか。  しかし、むりやりは、無理+遣り、だという説が他サイトにあり。  → → → 私個人の今の思いつきだが、つづまり具合、こなれ方の自然さということなら、むりやり > むやり > むやみ のほうがありそう。無闇は無理遣りからきた説(いいかげんです)。
: 《目のような、虫のような、妖異のような絵。二匹。》  説明無し。右手にまかせて、ただ描いていた、遊んでいた、という絵でしょう。
: 「机についている カ■■さん が逆光でみえると、とてもしなやかに女らしくみえた。」 「ひどい日本語、」  カ■■さん、の文字がごちゃっとして、最初読めなかった。これはまあ、恥ずかしいから他から覗かれてもわからないようにごくごく小さく書いた。  カ■■嬢は、『1973/09/13 艦』の2頁目、「か■■さんの声はつよく通る美。」ですでに登場している。
: 「ひま人は閑に遊んで夢を食う」  清閑に夢想す、の意訳的なモノか。  清閑に夢想す。 display『1973/05/11 バカタン アホタン』、『1973/08/16 あみめとは』等で既出の、waka君の標榜するひとつの理想。
: 「ズボンのおしりに穴があいていた。ぼくはずっと恥をかいていたのだね。」  笑。後の祭で、どうしようもないじゃんね。  そういうときは、ここにこのように書きしるして、いくらかでも気をはらす、と。
: 「造形 造詣 >ぞうけい、」  造詣。造がだんだんと進む、詣がすすみいたる。にて、学問や技芸に深く通じるという意になるらしい。
: 「今日実行委の■田先輩が、こんどの文芸誌は豪華しっぴつ人だという事だそうだ。江■、カン■、カナ■■ ―― が、ゴウカであるとよ。もちろんぼくの事は考えにいれていない。どうして、あれがゴウカなの、といいたくなるけど。」  実行委は文化祭実行委員。その会合でwaka君が文学クラブ(部長)ということで話をふられたんでしょう。  編集担当waka君の評価は低そうだな。低いというより、先輩たちの作品は、小難しくて理解の外っぽい。高尚文芸だけど、愛らしくは感じていない、ってところか。  三年生の、江■、カン■、カナ■■、の三先輩。二年生のwaka君。この四人が、この年の文芸誌の執筆陣。全員男性。
: 「長■さんがはいる、といったら、「文学は作文じゃないのに」だって。ちょっと抵抗を感じるが、そうなのかもしれない。 ■田先輩はやさしそうな人だから、おもしろそうな人だから、口論なんか、する気なかったよ。」  ■田先輩は、人当たりは良いけれど、文学方面には鋭角な青年なんだな。  長■嬢の入部については、『1973/09/13 艦』の2頁目、頁上辺のエンピツ書きメモにもあり。
: 「9/20までに■■高名人戦の公告を出せ!!」  公告とは物々しい。広告の書き間違いかもだけど。  文化祭初日の午前中に、将棋名人戦の参加者登録をして、トーナメント一回戦を始める、という段取りと思われる。  当然、当日になって募集していては間に合わないので、あらかじめ周知して参加希望者たちにはその気になっていてもらおう、と。  文化祭が近づいて、文学クラブも将棋同好会も、やはりせわしくなってる。  既述していると思うが、waka君は、文学クラブの部長で、将棋同好会の会長で、その上、文化祭実行委員もやってる。  (一言で言って、おろかだから、そういう巡り合わせにはまってしまう。多少でもかしこければ、回避できたはず、一つか二つの役柄は)  (とはいえなあ・・ 文学クラブも将棋同好会も好きでやっていて、かつ、構成員が少ないので、どうしても役職が割り振られてしまうことになる。  結果論だけど、おろかだったけど、結局は、なんとかこなして、しのげて、そして悔いは無いので、よしかなあ・・)
: 「広告○ 公告×」   おお、自分でもわかってる。
: 「巻頭詩をだまって使った事がわかったら、■■■■■■■■■はイカルカモ? そのとき、いかられるのはボクチンでしょう。」  ■■■■■■■■■氏は、waka君の高校出身の有名詩人。二十歳ぐらい上の大先輩だけど、面識は一切無し。  三年生の先輩たちの原稿は江■先輩から渡されたのだが、このとき、これを巻頭詩として使うようにと■■■■■■■■■氏の作品(江■先輩の筆写だったか)もあった。  ハガキをだして、母校文芸誌の巻頭詩として掲載させてください、と知らせておけばそれでいいから、と言われた。  しかし、なのに、waka君は、めんどうがってそのハガキを出していない。  よって、勝手に掲載してしまうことになるが、本人が知ったら怒るだろうなあ、と心配している。  (いやあ、これは、犯罪とまでいっていいかも。巻頭詩として掲げて、リスペクトしているからといっても、筋がとおっていないはず。  すくなくとも、創作者のはしくれを自認している以上、自分の作品を勝手に使われるのが嫌なら、逆のこともしないのが、人の道。  先輩後輩で、なあなあで許されると思っていたかもしれないが、きわどかったのでは?  半世紀前、時効なのかどうか・・ )
: 「※ びとVは音が似てる。」  姿も似てる。
: 「Aは、自分のオバの子だった。しかし、私生児であるために、姉の子として、育ててくれといったのだ。  よくあるような話。」  という話を思いついたのかな。思いついたけど、どこかで見たか読んだかしてる気がする、と。  それにしても、短い文なのに、視座が不安定な。(よくいえば、のびのびしてる?)
: 「塚を塚だって。」  二字目は頭に点あり。
: 「塚 塚 )を塚だって。」  一字目、二字目は、内部に点が一つ多い?   
土+冢
: 「「となりのうちでるときなんかいってましたか。だれかくるって。」母。」 ・・・  「今日の朝、ぼくが顔をあらってるそばで上のようなかんじの会話。」  引越したらしい隣家のことだな。  (母と、婿入りした父の実母との会話なので、どちらも丁寧語)  結局買えたのかどうかは知らず。買えたとしても何年もあとのことでしょう。
: 「《原点0、0の平面座標》 という座標があるなら 《原点−1、−1の平面座標》 というのもあるべき、」 「《原点0、0、0の立体座標》 〃 《原点5、5、5の立体座標》  」  設定できないこともないだろうが、意味あるの? 
: 「今日の朝、名前忘れたけど■中の先生にあったよ。うちかえって名をしらべよう、卒業アルバムで。」 ・・・  1973/09/18は火曜日。なので、登校後、学校で書いている。  登校時、中学時代の先生を見かけた、あるいは軽く挨拶もしたか。 でも、親しく接した先生ではなかったので名前を思いだせなかった、と。  帰宅後(忘れずに)、卒業アルバムで■東先生だったと確かめ、付記。  ところで、■東先生はどこへ行こうとしてた? 平日朝で出勤途上としたら、(だいぶ離れているので)すでに■中の先生ではないのか?
: 「大強完は百戦百勝。」  「大強完は百戦百勝。弱冠四十歳にしてケンタウリ帝国を手中にし、今、恕怒汗に迫る。」  英雄のネーミングとしては、すごい特殊だね。モンゴル系をイメージか。  弱冠は、二十歳が語源なので、四十歳は苦しいらしい。  ケンタウリ帝国。スペースオペラ?  恕怒汗、紛らわし字を連ねてる。こういう相似文字、waka君にこだわりがあるはず。
: 「迎えるを迎えるだって。」  二字目の迎は、中身が卯になってる。
: 「どんなに顔がぼけてみえても、(キシシで)その人のふんいきから、その人がとおくにいてもピンときてその人だとわかる。たとえば、■サカさん。」  キシシは、キンシ、近視でしょう。  ■サカ嬢。ボーイッシュな子だったかな。 (一年ぐらい後、ノリに懸想しているらしいことが判明したような?  というか、ノリ、この時期までほとんどでてこないね。高校二年時、すでに同じクラスだったはずだが、まだそれほど親しくなかったか)  display『1972/11/01 すい星』、「※●坂といえば、このごろよく歌をうたっている。」  display『1973/02/05 頭が右まき』、「TGの●坂さんの顔はとてもきれいなように思えるのだが、いかに。」  これらは高校一年時の、同嬢。
: 「「じか」とは時価のこと。  直の値段、地価という意でない。  原料のねだん、という意でも、割り値なしのねだんという意でもない。」  おもしろいね。  浮かんでくる、直(じか)や地(じ)の文字、音感からそんな意味をおびる気がしたんだ。
: 「《支点の上の棒の絵》 というようなのを、何というのか? てこ? シーソー? もっと他にいい方はないの?」  この項から線が伸びて、次ページで「てんびん」といっている。
: 「香車 きょうしゃ  香子 きょうす」  将棋の駒の一つ。  きょうす、ともたしかにいうけど、辞書に見出しはなし。  香車の説明の中には、言い換え語として、きょうす、やり、などあるが、漢字は示していない。  ネット検索すると、香子(きょうす)と漢字を当てているページは確かにある。  椅子、扇子、様子などで、子をすと読むし、たぶん正解なんでしょう。  (でも、香子だけだと、ふつうは、きょうこ、女子の名前と読まれてしまうよね)  (ちなみに、漬け物のこうこは、香香だそうな。辞書にあり)
: 「ちょっと 、 ちょっぉっと ちょぉっと 、 ちょおっと これが合ってる。」  ちょっぉっと、これだけはないな。ちょっ、ぉっと、と分割しないと発音できない。もう外国語(笑)

※ 『1973/09/17 さて恒例の修学旅行を』 : 上部にある鉛筆書きイラスト《輝く立体物》  これは何か、何を描写しているのか、今はもう思い出せない。  実在する何かなのか、想像上のものなのか、手なりで描けてしまっただけなのか、見当もつかない。
: 上部にある鉛筆書きイラスト《両目と鼻梁らしきもの》  『1973/09/17 空間Aへの入り口があるとする。』にある《目のような、虫のような、妖異のような絵。二匹。》 と、睫毛らしきものの描き方が同じ。どちらかが元の絵、ということだろう、たぶん。
: 「キ リ ト リ」  切り取り線以下には、保護者が記入捺印する承諾書(のようなもの)が付いていたと思われる。

※ 『1973/09/18 鼻柱をはさむというような拝み方。』 : 「戦争では戦死より、病死が多い。 世界史ノート■。」 「■東にアウ」 「フォークダンス やりたくはないがみてるとカナシイ」  頁右上辺のエンピツ書きメモ。  ■東先生にあった記事は、前頁(『1973/09/17 空間Aへの入り口があるとする。』の4頁目)にあり。  フォークダンスの記事は、頁本文に清書あり。
: 「「てんびん」でいいのでは?」  前頁(『1973/09/17 空間Aへの入り口があるとする。』の4頁目)の「というようなのを、何というのか?」の項から矢印で、答えている。
: 「ラーメン1年分  1人がふつう1年に食べる量?  365個? 365×3個?」  よく景品や賞品で、○○1年分、とかいわれるよね。たしかに興味あるわ。  ネット検索すると、今も、同様に興味持つ人多いらしく、いろいろな情報がヒットします。
: 「■■■ギ中から■■高が暗まくをかりて、文化祭に使用したとする。 文化祭の日、■■■ギ中生が暗まくをいじっていると、■■高の係の人が「いじっちゃだめだ。」もしくは「いたずらしちゃだめだ。」といったとする。 そうしたら、■■■ギ中生が、「このカーテンはぼくたちの学校のなんだ。それを ― 」というとする。 次に■■高生は「なにを、かりたものはかりた物。今は、ぼくたちが自由に使っていいのだ。」というか、「これは、おたがいにおさなかった。」というか。」  仮定に仮定を重ねているなあ。  借り受けた側が、貸し主に頭をさげる、少なくとも遠慮する、というのがふつうでしょうね。上の場合、借りた側が高校生で年上だけど、それでも。  それはそれとして、この項、暗幕を近所の■■■ギ中から借りるクラスまたはクラブがあると耳にして(文化祭実行委員なのでそういう情報が入りやすい)、waka君が、その先を想像、妄想していると思われる。  (近所ということもあるだろうけど、waka君の高校、■■■ギ中出身者が多めにいたはず。つまり出身者にとっては、近所にある母校ということになり、借りやすいのでしょう)  (先生を通すのか、または、先輩後輩の力関係で強引にか。さらには、何年も伝統的に、文化祭のとき、お互い暗幕等を貸し借りしあう、などということがあったのかも)  (なお、waka君は、■■■ギ中の出身ではない)
: 「高い所から、足をすべらしておちた人をフワリと飛ばせて、地上におりたたせた神様。」  「その人、自分は飛べると思いこみ、まず地上からとびたとうとする。がムリ。それなら、と同じ条件にと、高い所から。それで、落ちて死ぬ。」  小話、悲劇(のプロット)。  本番でも、この調子で、あっさり締めれば、わりと品があるかもしれない。
: 「俄とは?」  にわか。
: 「「H、でていけ。」  着がえようと思ったとき、きがえる前に妹にいう。」  ・・・ 「しかし、ぼくがいった時は、妹にとってはまったくのとつぜん。おかしいのはこちら。でも、もう何度もつかった言葉なので、話はつうじる。」  半世紀をへだてたこちらにも、かろうじて通じているが、書いてある通りのことなのかな。  まあ、冗談半分のせりふなんだろうね。はしたないかっこうを妹にみられたところでどうって事はないんだけど、妹のお目汚しをするのが兄としてはちょっと申し訳ないってのが残りの半分か。  親しき中にも、の一場面。かつ、兄妹間なので言葉が極端に削られていても通じてる。
: 「1人のときや親しい人にいうときなどにあり、としたらいいか?」  なんか変な言い回しだ。ペケ。  〔と、一人のとき言ったり、親しい人に言ったりする。〕でいいのでは。
: 「フォークダンス やりたくはないが、ひとのおどっているのを見ていると悲しくなる。」  おどるあほうにみるあほう、かな。  やりたくはないが、は正直な気持だろうけど、皆がやっているのに自分だけやらないのはさびしいようなノケモノになったような、ということでしょう。  群れたい、というのは、人間の本性に近いんだろうな・・   (文化祭、最後の夜、焚き火の周りで男女のフォークダンス。今も定番らしいけど、半世紀前もやってました)  (この年の文化祭は、10月6日(土)と7日(日)。まだ半月以上先なのに、フォークダンスの心配・・)
: 「文学とは  文章の学問ではなく、 文の学問か?  句点から句点までの間。」  そもそも、学問という捉え方がなんか異和感あるわな。  音楽にならって、文楽(ぶんがく)としたいぐらいだけど、文楽(ぶんらく)で使われちゃってるから、せめて、文芸と呼びたい。私は、今では。  文章よりも、文、という指向は、きらいではない。しかしもちろん、文章はどうでもいい、とも思えない。
: 「あのこは、だあれ、だれでしょねー  みいじめらあぶるーあわれもじー  〜〜  }歌」  有名な童謡です。  後半は、この節にのせた、waka君の歌詞。  みじめ、ミゼラブル、あわれ一文字(ひともじ)、などから合成していると思われる。  前半+後半で、かわいそうな状態のだれかさんへの、囃し言葉になっているのかな。  (いじめの歌? だとしたら、よろしくないねえ。  妹をからかったりする?  空想内の情景で歌っているとか、自嘲的に歌うのなら、まあ、許せるか)
: 「両手のひらをあわせ、二つのおやゆびのつけねのにくのある所で鼻柱をはさむというような拝み方。」  どこかの宗派にそういう拝み方がある、ということではないはず。waka君が思いついた、この場だけのそれでしょう。
: 「きのう、物理の授業があったのだが、朝にはすでにノートがないことに気づき、物理の授業にはレポート用紙をもっていこう、と思っていた。」  ノートが残り少ないことに気づき、でしょう。ノートの代用にレポート用紙を。
: 「昼休み、実行委があって、でてみると、」  文化祭実行委員会、ですな。
: 「プログラムに広告をのせたい団体は9/19までに100字〜150字ぐらいで出せ、ということなので、レポート用紙に将棋同好会のやつをちょこちょこかいたのだが長くなりすぎても完結しない。 そこで、次の物理の時間にもちょこちょこやって、400字ぐらいではあるが書きあげる。  このとき、すでに物理のノートの残り少ない事など忘れはてていたのだが、それでも、その広告文のために持ってきていた。」  (結果的に朝予定していたとおり)レポート用紙を持ってきていた。 「そして、幸運にも持ってきていたのに、ノートは1、2ページしか使わず、おわらないので、」  使い終わらないので、 「レポート用紙は、こちらの役を」物理ノートの代用という役を「はたせなかった。」  「というような事実に、今日の朝気づく。」  とてもまわりくどい文章だが、なるほど。  予定を忘れていたのに結果的に予定通りのことができていたという幸運。そして、その幸運にもかかわらず、その幸運は役にたたなかったという空振り。これらが起こっているその時点では、これらを自覚できていなかった、といううわの空ぶり。  これらの複合ぐあいが、面白い、と感じて本項を記したわけね。
: 「麗人の白きすぐなる足運び 僕も左右を合わせにけり」  難解だぜ・・(^^;  美少女の足運びに感動して、こちらもリズムを合わせていたよ、というようなことだろうか。  それでは、挙動不審な人みたいだから、たまたま前を歩いている美少女と左右の足運びを同調させたよ、ってことか。  それでも、もしそれを気づかれたら、不審な目で見られるだろうけどね。(ふとしたときの、ひそかな楽しみを、歌った、ということか)
: 「ゼロ、 0 」  これはたぶん、ゼロのロと、0の、姿の相似をいいたいんでしょう。
: 「還 還」  二字目、目(の横倒し)の下の横棒がなし。
: 「倫戦 論戦」  論戦をつなげ字で書いていて、あとで見直したら、倫戦と読めてしまった。  これはまちがいで生じたんだけど、倫戦という言葉、何かおもしろくないか、と言いたいみたいだ。
: 「しんぼう。  信」  信を使うなら、信望か。
: 「しえん  支 指 )?」  支援だったような気がするが指援かもしれないと迷っているようだ。
: 「制と性は似てるのでは?  議会制、発展性」  名詞の下について、制はそのような制度であることを示し、性はそのような性質であることを示す。  セイという読み、名詞の下につくという働き、これらが同じなので、似ているように思えるんでしょう。  制と性、語自体に特別な類縁はないはず。
: 「親が子にさとす思想が主も正しい。」  「主も」が誤記とは思うんだが、正しくは「最も」なのかどうかが確信もてず。  もしかしたら、「主に正しい」と書きたかったか。  → 書きたかった文意を推測すると、〔子育てしながら親が子に諭すような、単純で基本的なさまざまなこと、それらこそが、最も正しく、最も真理に近い思想だ。〕というようなことかなあ。
: 「大人が大人に説く思想には、どこかに自分自身の端的さが表われる。そこで正しくない。」 「自分をうりこみたい、という意志。」  自分自身の端的さ=自分をうりこみたい、という意志。この等式はちょっと首をかしげたくなる。  言いすぎ? 大胆? せいぜい、≒か?   それに、そうだとしても、「正しくない」に直結させるのも変だよね。  動機に不純さがあったとしても、言動はまちがえていない、なんていくらでもありそう。
: 「今の青年は前の青年より、幼稚になったのか。前の青年はむずかしい哲学書などをどんどん読んでいたのでは?」  「どうもそうらしい。しかし、なぜ幼稚になったの? この部分でマイナスがあるなら(マイナスも見方をかえればプラスではあるが)他のどんな所がプラスされたのだろう。 (マイナスの部分があれば他の所がプラスのはず。が、それとも、プラスは少ないのか?)」  「今の青年はしあわせなのか?」  プラスになった所は、今の青年の幸福感。または単に、幼稚でもしあわせなのか。  などといいたいのかな?
: 「講演 弁論 >の差は?」  辞書を見ると、多くの人に向かって話す、大勢の人の前で意見を述べる、などとあって、かなり似てる。  違いを探せば、講演は、互いに論じ合うような雰囲気は薄そう。弁論に比べると。
: 「9/20の昼休みまでに、将棋のPRをまとめて、2D■がしに。」  「9/20 西■君にセツビのプリントを!!」   頁上辺のエンピツ書きメモ。■がし君、西■君は、『1973/09/05 めんどうで、ひまがなくて』 にて登場済み。
: 「9/20 ・放送で将ギ同好会の 1年○○ 1f○○ UEワタ■■ UA■■ VG内■  ・ポスター ハンコ」  頁上辺のエンピツ書きメモ。放送で将棋同好会の面々に何かを知らせよ、かまたは、招集せよ、というメモか。  もしそうなら、UA■■はwaka君(放送依頼者)自身なので、当然わかっている、含める必要がないはず。形にこだわってますな。
: 「■■■■君の名は? ノリ■■でない方、  アダナは?」  そう、■■■■姓はクラスに二人いた。とうとうノリ■■登場だが、ここではメインではないか。  しかし、ノリ■■という名前を知ってるということは、多少は知り合いか。あるいは、共通の友人がいて、ノリ■■とよばれるのを耳にしていただけかな、まだ。  なお、ここで話題にしている■■■■姓でノリ■■でないほうの男子は、タツオ。名前もあだ名も出てこないってことは、まだあんまり親しくないってことだろうね、彼とも。  waka君は、ノリ■■、タツオ、それぞれと、このあと、高校三年にかけてだいぶ近づいていく。
: 「ジュワンパン ジュワンパン」  意味不明。かけ声? オノマトペ?
: 「まっかな夕日は、みんな止まれ、という赤信号?」  一行詩?
: 「・・・ 新しい人か、だれかがはいるようではどうもこまるのか? ――― と(すると)、母がいうには、 「ねずみが、こっちにきちゃったよ。」」  このあたりの記事、隣家とねずみ、とでもタイトルをつけて、再編集してみたくなる。  ほんとにねずみたちも、引越すんだろうか・・
: 「スカーフ、という語忘れる。とにかく、アクセサリーとか、着物のカタカタ名がわからぬ。」  カタカナ名でしょ。  服飾関係はまったくうとい(今も)。  でもさ、女子のオシャレに詳しい男なんているの? (職業にしているなら詳しいだろうけど、それ以外でさ)
: 「ナフキン、とは?」  辞書(精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006)を見ると、〔英 napkin に「ふきん(布巾)」の連想がはたらいてできた語〕なのだそうな。  へ〜 (めからうろこ)
: 「それにしてもこのごろ「八月九日の通話」がみじめすぎる作品のように思えてきた。どうすんべいか〜〜〜。カナシイ!!!!」  display『1973/08/31 いろいろな虫の声がする。』 でも嘆いていた。
: 「「宿題は?」 「忘れちゃいました。」 やったものを忘れた。 どんな宿題であるかを忘れてできなかった。」  しかし、思い返してみたら、宿題って、サービス残業だよね。学校外で、私的な時間に、労苦を課すなんて! いやいや、テスト勉強など考えたら、学校の勉強なんて、超過労働のてんこもりじゃん。異常。  永らくワークライフバランスを異常状態にとどめていたのは、原因の最たるものは、学校教育だったのかもよ。
: 「今日、夢の中でい■さんと話をしたよ。 ・・・ 」  い■嬢の夢。  色白でもの静かでかわいらしい。足がまっすぐで清楚で、いわゆる、おとなしいほうの、妹キャラ。当然、男子たちが気にしていた。  しかし、あくまでも、そう見えたということで、残念ながらwaka君は、現実では、十分親しくなることができなかった。本当のところは知らないままです。
: 「今日の夢では、友(男)と、ショッピングセンターに買い物にいったり、となりで■メさんがやっているボーリングにいったり、(もしかしたら、■メさんは我らの同行者だったかも)2本ならんで残ったのをスペアとろうとしたら、地震か何かの災害がきたような。おわってから、またボーリング場へ。たしかターキーもだした。」  ゲームの途中で地震のような災害が来て、皆で命からがら避難した。その後、やれやれと戻ってきて、ふたたびボーリングに興じた。ってことだろうね。夢だからこそのあっけらかん、かな。(いや、現実でもそういう輩は少なからずいるか。waka君も同類の匂いある)  前項の夢と一緒(ひとつづき)だったのか、いちおう別物だったのか、どうか。  ■メ嬢は、中学同級で、同じ高校。高校時、たいしてつきあいはなかったな、たしか。  ■メ嬢は、中学時代、waka君からみた女子的魅力は、中の上程度だったと思う。(討論で、やり込められたような記憶もある)  しかし、高校になると、めきめきと人気上昇。二年と三年時、文化祭で歌唱して、あまりに上手くて(連続優勝したんだっけ)それが評判になるほどだったのだけど、waka君は自分のクラブ(将棋同好会や文学クラブ)のほうが忙しくて両年とも観に行けず聴けなかった。これは惜しいことをしたと今でも思う。
: 「月の満ちかけは、地球の影が月にうつるから、と考えてる人が多いようだ。そうではないのでしょう。」  わりとありがちな勘違い。
: 「お姉さんに、月がかけたりするのは、地球の影がうつるから、ときいたら、そうだって。」  これは、ひっかけているのかな?  ばかにするためというよりも、(勘違いの)サンプル採集みたいな感覚っぽいな。  あるいは、本項をかくために冷静に吟味するより前の時点、自分でもまだあいまいなときに、そばにいたので姉に訊いてみた、訊いていたってことかもね。
: 「9/21までに姉キがくつかうとよ。」  頁左上辺のエンピツ書きメモ。姉が自分の靴を買うという予定を弟が個人的なメモに残すとは思えない。 これは、姉が、弟の靴を買ってくれる、ということではなかろうか・・ あまりに汚いまたは壊れかけた靴(校則で通学用は革靴だったか)を履いている弟を見かねて?  (さすがに代金は弟が払うと思うが・・ もっていきようによっては、またはいきさつによっては、母親が支払うということも)
: 「9/21までにテガミの返事。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。具体的には、『1973/09/17 さて恒例の修学旅行を』にある学校配布のプリントの、キリトリ線以下の返事(承諾書?)を提出、ということかと推測。
: 「9/20 ・ポスターの紙 ・将棋同好会の連絡」  頁上辺右端のエンピツ書きメモ。ポスターというのは、文化祭で将棋同好会に割り当てられる教室の(詰将棋その他の)掲示物をいうか。それ用の大判の用紙を用意せよ、と。  同好会で何かを連絡すべし、または、そのポスターづくりなどのため集まるよう放送などをすべし、という覚書?
: 「ここに、おがんでる二つのえが、かさなってすけて見える。 おもろオイ。」  たしかに。かろうじてすけて見える。
: 「楽観から悲観へ 上に凸の放物線のようにおちていく、男の子の話、」  これはわかりやすい描写。ひとつ、そんな物語を書きたい、と。
: 「■という字ある?」  ■は、門の中に寸。  ないみたいね。ATOK文字パレットで、門と寸で構成される漢字探したが、ヒットは、闘の一字だけ。
: 「最も文章にしにくいのは、文章なのではなかろうか? ・・・ 」  どうも舌足らずというか、語彙が足りないというか。  そもそも、文書を文章にしたい(転載したいとも微妙にちがうらしいが)欲求があるのか、あるとしたらどうしてか、あたりを、はっきり(または詳しく)いっていない。いえていない。  現在このようにスキャンしているのは、「文章を写真にとって、うつしている」ことにほかならないけど、本文では(半世紀前のwaka君には)こういうのは想定外(の斜め上とか)みたいだ。  ・・ここに写しとられているように、思ったままを、すぐに、じかに、かきつけたような生まれたばかりの文字列の、意味はもちろん、すがたかたち雰囲気、前後周囲の流れまでを含めた、すべてを他に移植するのは、あんがい難度が高いんじゃないか、と気づき始めた。というところか。  (・・移すことによって、移しきれずにはがれ落ちていくものがあり、移すことによって、育ったり磨かれたりすることもある。だから、ここに写しとっているような方法は現在のとりあえずのひとつの答えだけれど、最善最終ではもちろんないはず。むずかしいですな。 ・・きわめたいというほどの意欲はないし、waka君のときから、じつはたいして成長はしていないのかもね)
: 「みじめっらぶる。」  すこし前にあった「みいじめらあぶるーあわれもじー」の仲間でしょう。  実際に何か、情けないことをみた、自分がやらかした、そこで思わず書き残した、ってことかもしれない。
: 「 :口からあふれる水で手をあらうと便利?」  どうしてこういう汚らしいことをときどきかくんだろうねえ。  まあ、水道水、自分の口と自分の手だから、とても不潔という事はないんだけど、少なくとも、お行儀はよくないやね。  (おもてむき便利、しかしどこか滑稽なのがいい?)
: 「テストはできて半分だよ。」  という有言後の、結果次第それぞれで、感想というか他者の受け取り方も含めて吟味か。  有言も率直な「できて半分」の場合と「最底で半分を暗示」の場合があり、3×2で、6通りのマス目となっている。  まあ、それはそれでいいとして、なんでこんな分析がしたくなった? (^^;
: 「国語の漢字てすと、まるでだめ。 しぐれ、とか、さみだれ、とか、のりと、とか、かんたんそうで、知らなきゃ書けないのばかり。」   時雨、五月雨、祝詞。
: 「ぼくならできねばならないものだろうに。」  そうとう不本意、つまり自信があったのに、と嘆いています。
: 「しかし、できなくてもまあ、いいのか。 できなくちゃいけないと思う事もないか。 こっちはテストのために、このノートにやってたんじゃないんだ。」  居直り気味に、みずからなだめているか。みずからの不甲斐なさに怒りを感じてもいると思うけど。
: 「人の顔は三本指の手と同等視してもいいし、そうするとおもろい?」  異様な発想というか、感覚か。(ここだけでみれば)  こんな顔の絵を描いていたからこその、思いつき。(とはわかるけど)
: 「9/20、放課後アツマル 放課後ヒノ■■先生にハンコ.」  頁右上辺のエンピツ書きメモ。前々頁上辺、前頁上辺にもあるとおり、放送でよびかけて、将棋同好会の皆を招集するわけだね。  9/20は木曜日。例会は毎週土曜放課後のはずで、予定外のため放送で。  たぶん、文化祭関係の準備、段取りの話し合い、掲示物などの実作業も。  将棋同好会顧問のヒノ■■先生にハンコをもらいたい、か。やはり文化祭関係の承認印かな。
: 「タラララララ ラン タララ〜〜  何の曲だっけ?  ンンン ンンンン ウン ンンン〜 ンンンー  }およめさん、のうた?」  これで曲名がわかるほうが不思議。  ・・なんだけど、なんとなく、そのまんま、『お嫁さん』(歌、梓みちよ)ではなかかろうか、という気がした。  今、YouTubeで聴きながら、メロディーをこの文字列に合わせてみると、ピッタリするし!?
: 「今日のじしゅうの四時間目のおわりからひるやすみにかけて、またタ■■さんと将棋をしたよ。勝ち。  ボクが一人で将棋をやってたら、「またおしえてください。」」  タ■■嬢との対局は、何局目になるんだろうか。忘れたころに、嬢から申し込まれて、また指すというパターンだったから、せいぜい月イチぐらいか。  display『1973/06/18 まさか、女子が、ぼくに、』にあるのが、初対局と思われる。間に夏休みがあるので、本項のがやっと二局目だったのかも。

※ 『1973/09/24 てぬぐいでこうやる。』 : 「ボーリングに行きたいわけでもないし、どうしても行きたくないというわけでもない。うちでねころんでいた方がいいとも思うが、イ■■ちゃんにさそわれたし、いかないといっちゃあ悪いだろうし二人より三人の方がおもしろいのだろうし、ぼくはどうでもいいのだから、うちでねることに意地をはってもしょうがないから、いく。」  9/23は日曜日で秋分の日、9/24は振替休日で連休。9/23にボーリング、その事後の記事か、位置的に。  後述にあるとおり、三人とは、イ■■ちゃん、■■ハシ君、waka君と思われる。  (前週も9/15(敬老の日)9/16(日曜)で連休。9/15、イ■■ちゃんと映画+ボーリングだったのは、既述の通り)
: 「■■コ「そんなおばけがでたらこわいでしょ。」 ボク「いや、ぜんぜんうれしい。」 ・・・ 」  妹のいうことを素直にきくのは兄の沽券に関わる、かのような。
: 「レインボウは「にじ」でなく、「赤」のように感じる。」  waka君の個人的な感覚で。(たぶん、レッドとの、レつながりで)  ちなみに、レインボウとは、雨(rain)の弓(bow)ということだそうだ。
: 「美しき青きドナウだと思ってた。美しく青きドナウだった。」  邦題であり、どちらもありらしい。(waka君の見た映画のタイトルは、美しくが正解のようだが)
: 「友につきあって、レコード屋にいくと、たいくつで苦痛。」  笑。この日の実体験か。
: 「おちるのが少なかったからこそ、■■高おちたくなかった。 なる子が少ないからこそ、■■■ジを生むとこわい。  現代社会では少数の人が貧乏くじをひくのか?」  貧乏くじと言うと、あからさまに過ぎる。といって、他で言い繕っても嘘になってしまいそう。
: 「政治がどうだかだっていってるけど、正直いって、今は住みいいよ。平和だよ。(■■ハシ君)  同感。」  半世紀前、左翼にまだ勢いがあり、せめぎあいや不穏さもあったような。今よりはずっと。  waka君たちの高校でも、waka君たちが入学するすぐ前の数年間、学内で(政治的な)騒動があったときく。  浅間山荘事件があったのが、1972年。本項の前年か・・  1970年代後半には国鉄のストライキが激しくなる。
: 「黄白主義とは? ヨミウリ9/23」  黄白とは金と銀、つまり金銭を意味して、金銭主義、拝金思想などをいうらしい。
: 「秀吉が色キチガイだったというが、もしそうなら、もっと子供があってもよかったのでないの?」  生殖能力が、さえなかったからこそ、変態的に女体をもてあそんだ、とか?  真面目な話、秀吉は晩年、自分の子を生むことより、信長の血筋に後を託したい、という線の願望が濃くなっていたのでは? で、自分の血か怪しかったけど、淀の子を認知していった、とか。
: 「彳扁=遍か、彳扁→←遍か?」  書きたかったのは、にんべんの偏では?  遍 :あまねし。すみずみまで広くゆきわたっている。  偏 :かたよっている。  彳扁 :あまねし。遍と同じ。  よって、彳扁=遍であり、偏→←遍であるはず。  
: 「ぼくの顔の成長がすこしでも左右がふつりあいのようにみえるのは右面をいつもまくらにつけて、右をむいてねるためか?」  今も、右を向いて寝るのが癖。
: 「ぼくは物をかくとき、手をたらし、手首からひじまでをついた左うでに、体重をかけるので、体がそちらにかたむく。しかし、腰の位置はふつうだし、肩も水平のような気がする。そこで、 《絵》 というようなかんじ。 せぼねはまがっちゃいないでしょうね!!」  絵の通り、曲がってるだろうね。でも若いから、固着せず、柔軟にもどれるんだろうね。
: 「このごろ授業がかんばしくなく、どじばかり。これはうつ状態にぼくがはいってしまう原因となるかも。タ■■さんの事で、男としての自信をとりもどしたり 大恥をかいたり、これも原因になりえるかも。あぶない、あぶない、気をつけて。」  タ■■嬢がらみで具体的に何かあったのかも。
: 「 ・・・ いろんな事を調査して、まわり、女の人の所に、そう、■■サキさんが薬局の娘であるということで、そこにしらべにいき、■■サキさんいますか。 ・・・ 」  ■■サキ嬢、ひどい言われようだな。  同じ中学別クラスで、高校も同じ。■■サキ嬢とは因縁あり。中学三年のとき嬢が生徒会の会計を務めていた。運動会の、waka君らのクラスチームの大看板づくりの費用のうち1900円が、生徒会からでることになっていたのに、その後数ヶ月放置される。責任者のwaka君が何度か通い、心労を重ねた。遺恨ができた、というと大げさだが・・ 
: 「書こうとしたことでなく空想してたのしもうとしたことのくわしい内容、方針を忘れる。」  書こうとしたこと、というのは、物語とか小説のための構想、情景や言いまわし、という方面のことで、趣味とはいえ仕事に近いでしょう。  空想してたのしもうとしたこと、というのは、いわゆる妄想、そしてそのいわゆる設定だね。あまりかたいことをいわずにさまざまな欲望を好き勝手にかなえていくような好運、特殊能力、段取りとかのおおらかな夢想。心の遊園地。  後者、もちろん今でも楽しんでます、いやされてます。
: 「3時からみた文化祭の夢の中で、タカ■■氏の顔が、顔の両面 左右 が等しく笑うように苦労していて、顔の筋肉を動かそうとしているのはぼく。ぼくが、ぼくの筋肉を動かすようにタカ■■氏のを動かそうとしており、うごき、左右を同じ笑いにしようとすればするほどぶきみになっていく。」  これはビジュアル的に、ホラー味だな。  同じ中学だったとはいえ、秀才好男子、高■氏とそれほど親しくなかったよね。その割には、高■氏、心記(このノート)にはそこそこ名前がでてくる感触。(たとえば、display『1973/06/13 ruby』に登場している)。秀才好男子ぶりを意識していた、気になっていた、好悪の両感情を抱いていた、ということかな。  高■氏、自分を前にだす人柄ではなかったけど、それでもめだつ、存在感があった、のかなあ・・ (典型的な生徒会長タイプ。上役、頭領として祭るのに適したタイプってこと?)
: 「きのうのクニトリの中で、のうひめが、とのは、20頭もの馬のうち、5、6頭だけをよくつかい、つかってつかってのりつぶして死なすまでつかう、といったとき、それが人を示しているんだとはすぐ気づかず、姉キが人の使い方をいってる、といったとき、ナルホド、と思った。」  NHK大河ドラマの国盗り物語、でしょう。  姉は、ドラマの先読みとか、深読みとか、得意なんだよね。または、弟がにぶすぎなだけなのかもしれないけど。
: 「香秋 カアキ  秋香 アキカ  春香 ハルカ  春和 ハルカズ  冬健 フユタケ  }おもろい名前。」  春香、春和ぐらいか、ありそうな名前は。
: 「ガキの頃は注射をして、泣くか泣かないかという事が重要な問題だったなあ。」  いわれてみれば、そうかもね。笑。
: 「きのう、■■ハシ君と、イ■■チャンとで、キクというキッサ店や公園ではなした話はオモロ。興あり。」  ボーリングの前か後ってことでしょう。  オモロで興ありの内容まで書き残してくれればうれしかったんだけど。
: 「新しいほおかむりのしかた。 《三図》 てぬぐいでこうやる。」  なごむ絵だ・・
: 「成長 性徴 >似てる??  こんな似方の語が他にあったような。」  こんな似方の語、すぐには思いうかばず。  破壊、破戒、とか? 散会、散開? 倒壊、韜晦? 反抗、犯行?
: 「まちのひ見る!!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。これは、『街の灯』、チャップリンの映画でしょう。  ここにかかれるのは行動予定、希望だから、見たい!! ということだな。
: 「「ノロイのヤカタ」を買おう!!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。例によって、ネット検索。・・これは確言はできないけど、楳図かずおの『のろいの館』か。  『呪いの館』というイタリア映画もこの頃公開されているようだけど、映画なら買おうとは言わないよね。  詳細みたら、楳図かずお『のろいの館』は、有名なタマミがでてくるやつだ・・  waka君、週刊誌連載当時、児童の頃に読んでいて、トラウマ級の恐怖を味わってるはずのもの。あえて単行本で再読しようと!?
: 「似方 にかた、という語ある??」  この二語セットでは辞書にのってないけど、似+方で、ふつうにある語だろうね。
: 「閑 ひま る }というのをつくる?」  勝手につくらないで(^^;  まあ、内輪で楽しむ程度ならありでしょう。
: 「その人の声をきいて 「どうみても鼻カゼだね。」 これは正しいの? 「どうきいても」というのだけが正しいの?」  細かいですな。ふつう気にしませんな。
: 「アアア アア〜〜〜ア = バカにして〜〜〜え」  という等号が成り立つような場面が実際にあったんでしょう。  兄が妹をちゃかして、妹が(苦笑気味に?)反発して、とかみたいな。
: 「この花のでてくる物語がかきたいなー。とうしても。 = この花のでてくる物語がなつかしいよー。  なつかしい → 過去を思う → 〜であったらなあ、〜になればなあ )?  ■■コが、下のような、なつかしいの用法をつかった。」  妹の■■コが、後者のような意味で、言った、と。  誤用なんだろうけど、つながりは理解できるので、兄としてはここに記録しておきたくなった、と。  (まだ存在しないものがある未来をなつかしむ、きもち。矛盾しないんだろうね)  なお、「この花のでてくる物語がかきたいなー。とうしても。」というのも、文章を書きたいというより、描きたい、あるならそんな物語を見たい、ひたりたい、という気持ちをいいたいのだと思う、妹にとっては。
: 「おさななじみの■■のさんは、市立高校にいったというが、とても美人なのだそうだ。美人ときくと、やっぱり、ケンカクを感じるなあ。」  はっきりとは覚えていないが、小学校にはいる前の幼馴染みで、小学校以後はほとんど接触はなかったはず。西南のほうのどこかに住んでいたような。姉がいて姉妹で幼馴染みだったか。  色白ですっとした顔立ちだったような。ぼくのおよめさんにすると言ったとか(を家族から聞いた。定番だね)。  この美人云々は、母親か叔母あたりからの情報だろう。  懸隔を感じる。お互い青春期となっているわけで、年月が経ってしまったんだね、という気分かな。  (あちらは美しい蝶になったようだけど、こちらは地虫のたぐいだよ、の意も?)
: 「きのうは2つぐらい忘れた。」  ときどきこういう項が書かれるが、つまり、このノートに書きたいと思った記事を、書く前に何を書くが忘れた、の意だね。
: 「スベートロイヤ、とは?」  謎。検索してもヒット無し。  スペースロイヤルとかの聞き違いか?  聞きちがいなら、すげー、とろいや、とか?  語感だけなら、古代ギリシャ、トロイア関連が濃厚だが・・
: 「十分 じゅぷん あるから十分 じゅうぶん。」  ふりがな付けるなら、じゅっぷん。
: 「モーダアメダアーー タンタータタン」  なにか荘重な曲調にのせていると思われる。  もうダメだあ、とはミスマッチながら、結婚行進曲(メンデルスゾーン)?
: 「中学のように二人ならんですわるような席でないと、ときには女の子がとなりにいるような席でないと、ぼくは狂うの? まさか!」  よくわからない理屈だが、隣席からの目がないと、単独の席だと、自分の世界に没入してしまう、このノートを歯止めなく書いたりしてしまう、ということなのかなあ・・
: 「■■ザワ先生はエスパーだったのでは? 読心術ができるのでは? もしかしたら、タ■■さんも。田■先生もあやしい。」  人の心を察するのに長けている人たち、あるいはwaka君がわかりやすいだけ?
: 「マニファクチュア マニュファクチャー マニュファクチュア」  工場制手工業。
: 「星 スター はいゆう と同じ? }きのう思った。」  別語という認識だったわけだ。高二になるまで。
: 「客 < 容 客」  これはどちらにも見えそう、という意だろう。
: 「{ 容○ 容○  客○ 客○ 」  ○と○の両字の差異が分からない。  下部の口が、上にくっついているかどうか、かな? または口の大小。
: 「とうせん、とは?  当選?」  当選が分からないわけはないので、別の字が書けなかったり、聞いても漢字が浮かばなかったり・・  盗泉、登仙、刀銭、陶潜、搭船・・ さがして、いっしょに意味も確かめたかったか。  一騎当千の当千かも。  一周まわって、ほんとに当選で正解の場合もありえそう。
: 「うばぐるまを、|赤ちゃんぐるま|こもりぐるま|だって、」  だれが?   うーん、うばぐるまという語が浮かばなくて、とっさに自分でつくって、相手に伝えたか。  waka君自身か、それを口にした妹あたりのを聞いた、か。
: 「カールトレフスにそっくりな人の名は「■キ」先輩。」  『1973/09/13 艦』にある「カールトレフスは文化祭実行委委員会で、よく質問する3年生にそっくり。顔が。行動もちょっと。  この人の名は?」の答えになります。
: 「ごご :午後  どっちが后?   後日 后日 }使っていいの? 」  后後ではなく、午后、ですな。  手元漢和辞典によれば、后は後と通用する。
: 《直角三角形の図》 「c2=a2+b2 は何の定理といったっけ? アルキメデス? ピタゴラス?」  ピタゴラスの定理。
: 「文化の強い人は書写力が強く、読める字と書ける字が、どんどんだぶってくる。 つまり、読める字は書けるようになる。 }サカ■■」  あくまでも、サカ■■先生説、なんでしょうな。  文化の強い人、というのはなじまない言い回し。(ま、いったんwaka君を介しているので)
: 「実力がともなわぬうちに、変化球をなげようとしてもだめ。まともな実力がついてから、変人になれ。ただ変人だけ、というのは力ない。位まけ。(サカ■■)」  ふむふむ。教訓臭はするけど、うなずける。  「変化球」などでなくズバリ「変人」と言ってくれているのはうれしい。
: 「「水あげ、とは。」(サカ■■) 「ワハハー」 「私はぎょかくのことをいった。わらったのは五番目ぐらいの意味をとったな。」 しらべたら、角川の辞書の「水あげ」の項の五番目にほんとに、遊女が云々、とあった。ぼくは、「水まし」という意だと思って笑ってた。バカミタイ。」  ほんとバカミタイだね。  しかし、まちがっても笑っただけだから、ばれなくて恥をかかずにすんでよかった。
: 「藤と藤はどっちがまとも?」  両字の差は、右下が、棒の両わきに点が二つずつか、水か、だろうか。  
 水とは違うみたいだな。 それとも、草冠の右下の点二つの向きかな。
: 「ミワタセバハナモモミジモナカリケリウラノトマヤノアキノユウグレ  浦でなく裏かと思ってた。」
 み渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕ぐれ  藤原定家 

※ 『1973/09/27 ぶおとこのもてたつもりふったつもり』 : 「ア■商会に校正にはまだならないのか聞きにいくため、」  ア■商会は、文学クラブ文芸誌の印刷所。高校正門前の坂を下ってすぐの所にあった。  この日は、9/27(木)で、文化祭は、10/6(土)10/7(日)。発売の、一週間前です。
: 「へやわりの仕事からちょっとぬけだしたところ、」  部屋割の仕事。文化祭実行委員としての作業でしょう。
: 「めの前に■サカさんが歩いている。めずらしいようでもある。まわりには人が一人がそのぐらいしかいない。」  ■サカ嬢。何度か登場している。最近では『1973/09/17 空間Aへの入り口があるとする。』。
: 「学校のサカは近い。ここで、ぼく、何かあるようなフンイキにマケナイで、サッサと■サカさんを追いぬく。こののち、上の歌? 俳句? 思いつく。」  「追いぬいたのは、サカにさしかかる門のところ。」  「■サカさんが小さい出入口よりでるとき、ぼくは大きい門から、でて、このときおいぬく。」  思春期なので、そばを歩いていたり、追いぬいたりするだけで、事件なのですな(^^;
: 「こおとこのほれたつもりふったつもり」  これは、ぶおとこの〜 と同類のようでいて、単純明解さがぼけているな。  醒めた感じ、情のうすさが、余韻として残る。
: 「おじいさんがもしかしたら死んでしまっているのでは、と、下校のと中、妙に高い音をだしながら走るきゅうきゅう車をみて考えた。二度ほど忘れろ、と頭からつきはなすと、まっくろい空にひろがり、天上まですべてをつつみこんでから、グオンンとひくい、しかし、冷たい、妙にきれいな、音をたてる。 うちのそばのイチョウの木と枝がかさなっているガイロジュは、枝がされさがってしまっていて、その下を通ろうとしたら、裸の枝がぼうしにひっかかり、とめずにおしとおろうとしたら、その枝がぼくのほお、めの下あたりを、ピシリと強く打った。」  文芸的に心象風景を記している、か。スケッチ風。もちろん、祖父に異変はなかったはずだ。  とめずにおしとおろうとしたら、ということは、自転車に乗っているか、自転車を押して歩いているか、だろう。
: 「疼の読みは?」  うずく。いたむ、というのもあるらしい。
: 《紙束のイラスト。四態で、綴じ方。》  「きれめをいれる」 「あっちにおりまげる」 「ホチキスのないときはこうやるといい。」  友人、または、文化祭実行委員の作業中とかで、だれかに教えてもらったか。
: 「インフルエンザが流行してるとのこと。■■ノ先生も、1年の■■ナベ君も、それか?」  ■■ノ先生は英語の先生。  1年の■■ナベ君というのは、わからないね。クラブとか委員会つながりだろうか。
: 「ヤモメ村、平均年令20才。  どうして?  こどももいるからさ。」  謎の項。どういう意図で書かれているのか、ピンと来ないよね。  やもめ、つまり、夫のいない女、独身の女、または未亡人ばかりの村だが、平均年令は意外なぐらい若い。  なぜなら、女たちの子供もいるからさ。  ・・と、通いの男達がいる、もっとはっきり言えば、売春でなりたっている、ということを暗に示している。  こういう、極小の、小話なんだろうか。
: 「ヤモメ  ヤモメ ヤモオ }?」  辞書を調べたら、男やもめが、やもお。  やもお、まるで聞き慣れないのでwaka君が勝手につくったのかと思ったが、ちゃんとある語なんだ。
: 「身心 → ■   耳心 → 恥」  ■は身+心の漢字。恥(という文字)の姿からの類推か。恥をみみごころとよみ、みごころ、なら、という線もあるか。探したが、無い字と思われる。  恥、はずかしくて耳まで真っ赤になるから、とか思ったけど、手元漢和辞典によれば、耳はおそれる意。反省して自分からおそれること、らしい。
: 「ま ま >どっち?」  二字目のまは、縦棒が上を突き抜けない。  まは、末の草体だそうだから、突き抜けるのが正解でしょう。
: 「アキラはもうどうていでないとか、ほんと? このまえ?」  アキラ君、すこし、ちゃらっとしたかんじも持ってたから、それほど意外ではないか。  ただ、ささやかれて伝播したウワサだったので、実相はなんともかんとも、か。
: 「まけおしみからでる、自己弁護、自己合理化はりっぱな、強力な哲学になりえる?」  なんか、意地悪な言い方です。
: 「棒を棒  棒とかいてもほんとにボウにあてはまる漢字かウタガウ」  二字目の棒、右下が木か。
: 「非生物 ひじょうぶつ ? 」  特殊な読みと思える。  どこかで見かけたんだろうなあ・・  創作、でまかせって可能性も、わずかながら。
: 「「ふ」は「ウ」とも「オ」ともよむのでしょう。」  ウはわかるけど、オなんてあったっけ、と調べたら、Wikipedia、 〔歴史的仮名遣いでは、文節のはじめ以外の「ふ」は「う」と発音する。「あ」の後の「ふ」は、「お」と発音することがある(例:あふひ = あおい(葵)、あふぐ = あおぐ(仰ぐ))〕
: 「ヤサイヤ ヤオヤ }?」  やおやの語源考なんだろうけど、たぶん見当違い。
: 「自分のすね毛1本のためには、10人の命もつりあわぬ。」  極端な我身大事。中国の古典あたりにある言辞のはずなんだが、検索しても見つからず。(ギリシャの哲人かなあ・・)
: 「好読物 こうどくぶつ こうよみもの }??」  辞書とかにはなく、熟語なのかどうか、はっきりしない。意味は通じるが、読みがわからず。(waka君も同じらしいね)  検索すると、書評などでちらほら使われてはいるんだけど。
: 「男でも女性ホルモンがある量だけはいると、乳房が女みたいにでかくなっちゃうんだって。■田先輩のお父さんがそれで、今日手術だといってた。もしかしたらぼくにもその気があるかも。」  男でも乳がんになる場合があるらしい。  ■田先輩は、風来坊的な感じだっけな? 文学クラブつながり??  waka君の胸だけど、幸いにも、女みたくはならなかったぞ。ちょっとぷっくりはしてるけど、ちょっとだし。
: 「リーガル、とは?」  靴メーカーのブランド、古楽器、自動車の車種名、法律に関わること(legal)、王にふさわしい (regal)。等々、いくつもの意味がありそう。ネット検索したところ。  (ゼネラルモーターズの車種、ビュイック・リーガルの初代は、1973年登場だそうだから、こことはたぶん無関係)
: 「■■コは、ときどき、「あ、今のみたことがある。」というのです。たとえば、今日なのど、お母さんが、「なんだっけ、えーと、今考えてたのに ―― あ、そうだ○○さんの事だった。」と言った時、すこしして、「今のおかあさんがなんだっけ、あっ、そうだった、というのを、いつかどっかでみたことがあるような気がする。」と、 ■■コがいうのです。ぼくが、「夢だろ。」というと「夢じゃない。」というのです。」  「ぼくにも、こういう事ときどきありなす。■■コにもぼくにも予知能力がある?」  「それとも、その光景にでくわしたとき、その光景が脳を通るときに、何か、まったくささいな要素によって、その光景をみるのは、二度目だ、もしくは、その光景が一度キオク部にはいってから、すぐまたでてきて、よびおこされたキオクのように頭の中にひろがるので、あ、前にみたことがる、と思うのか?」  デジャブ、既視感、か。  終わりの段の説明が、最も合理的かな。現在も、このような説明がなされているでのは? 
: 「箏曲 こと そうきょく?」  箏。琴。  琴は日本の弦楽器の広い範囲をさし、箏が「そうの琴」とよばれて現在のいわゆる「こと」をさすらしい。  〔そう‐きょく サウ‥ 【箏曲】 ・・・ 明治になるまで盲人によって作曲、演奏されてきたので感覚主義的・内面的傾向が強く、邦楽中最も純粋音楽的。・・・  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006〕


当頁 2022/02/21(月) 〜