表紙
display
 
1973/10

 












※ 藁半紙(二つ折り)の表右面 ※



※ 藁半紙(二つ折り)の表左面 ※


1973/10/01 どうしても今日ぐらいまでにはださねば。
 
















1973/10/01 とやって、コインをはじいて、
 






































1973/10/06 ぶんかさい ぷろぐらむ
 












※ 左面 ※



※ 右面(左90度回転) ※


1973/10/06 文化祭 プログラム 別紙 裏白
 
















1973/10/08 しんれい しんでい }なんていうの?
 


















1973/10/13 つたゆり、とかいうもの
 














1973/10/14 チョチョンのせつめい。
 
















1973/10/19 カレンダーのような成積順位表
 


















1973/10/20 というボタン
 
















1973/10/23 彼女も、けいかいの色を表わした。
 




















1973/10/26 右親指の上の方内出血。
 













画像 アップ
『1973/10/01 どうしても今日ぐらいまでにはださねば。』A、B 2022/06/06(月) 〜
『1973/10/01 とやって、コインをはじいて、』A、B 2022/06/13(月) 〜
『1973/10/06 ぶんかさい ぷろぐらむ』 01、10〜15 2022/06/27(月) 〜
16〜20 2022/07/04(月) 〜
『1973/10/06 文化祭 プログラム 別紙 裏白』A、B 2022/07/11(月) 〜
『1973/10/08 しんれい しんでい }なんていうの?』A、B 2022/06/20(月) 〜
『1973/10/13 つたゆり、とかいうもの』A、B、C 2022/07/18(月) 〜
『1973/10/14 チョチョンのせつめい。』 2022/07/25(月) 〜
『1973/10/19 カレンダーのような成積順位表』A、B 2022/08/01(月) 〜
『1973/10/20 というボタン』A、B、C 2022/08/08(月) 〜
『1973/10/23 彼女も、けいかいの色を表わした。』A、B 2022/08/15(月) 〜
『1973/10/26 右親指の上の方内出血。』 A、B 2022/08/22(月) 〜
C、D 2022/08/29(月) 〜

※ 『1973/10/01 どうしても今日ぐらいまでにはださねば。』 :  文化祭(10/6、10/7)が軸となる二週間程度(9/26〜10/10)の、懸案、予定、とその実行のようなメモと思われる。  以下、できるだけ解読してみる。
: 「9/26」水曜。 「数αレポート 物理ノート 世界史ノート」 「ノート代¥1□0  スリッパ代¥320 母より」
: 「9/27」木曜。  「早朝墓まいりに  彼岸がすぎちゃいました.」  「(1)文学クラブ、そろそろ校正ができてもいいのでは?  田■先生にとどいているか聞く  先輩にもきく。→とどいてない。  ア■商会にもきく。→あった」  「(2)うんどうぐつ」  「(3)■ザイ君を土曜に 1A、B、C、Fでない。  5、6時の間にめっける  →来るって、」  ■ザイ君というのは将棋同好会の会員ではない後輩一年生なのだが、将棋の抜きんでた実力の持ち主という情報を得ているはず。  文化祭の将棋名人戦の優勝候補ともなりそうなんだが、waka君、是非参加してほしくて、コンタクトをとろうとしていると思われる。  一年のクラスをしらみつぶしに探しているみたい(笑) (または、1A、B、C、Fでないということまではすでに調べていたので、残りのD、E、G、Hを片っ端から、か)  結果、「来るって、」とあるので、確約を得たもよう。  土曜というのは、文化祭初日(名人戦初日)の10/6(土)ではなく、翌々日の9/29(土)のようだ。まずは、将棋同好会にためしに参加してみないか、と誘ったんでしょうね。  「(5)囲碁の人□□屋の使い方を□□よ。展示の□□部屋割□□   (5) 」  文化祭では、教室一つを、将棋同好会と囲碁同好会で分割して使用することになったと思われる。下のほうに図があるが、3:2で、将棋同好会の領域やや広めで話がついたようだ。  「英単語 テスト」  ラスト、と書いてあるのかも。
: 「9/28」金曜。  「(4)将棋のためのもぞう紙、マジック、をもらっておく。」  模造紙。  「(4)結将棋をえらぶ、」  詰将棋の誤記。  「先輩に校正やってもらう、」  この校正というのは、文学クラブの文芸誌の、でしょう。  「数αレポート」
: 「9/29」土曜。  「(4)今日より、将棋文化祭の準備 29日中に(結将棋 次の一手等 ポスター)の展示用2枚しあげる」  「(3)内■先輩とやってもらう。」  矢印があるので、来てもらった■ザイ君には、同好会最強の内■先輩と対局してもらおう、と。  これで実力がはっきりするという目論見。  (ちなみに、心記9/29のほうに結果が記されている。  → 〔ない■■先輩はおっそろしくキチンとしている。今日も、先輩の盤とりにいたところ、ロッカーの中のきれいなこと。 が、しかし、5時頃、実行委から帰って、きいてみると、2段の■■ザイ君に3連敗とか。〕)  「1:00〜 生物の先生の所に、」 これは、同じ青インクでもあり、上のポスターの提出先ってことか。  「※ 設備の机、椅子、教卓、ゴミ箱等は実行委で。他は各団体にやってもらう。」  これは、文化祭実行委員としてのメモだろう。
: 「9/30」日曜。  「フロ」  「文学クラブのハンバイのもうしこみするの?」  「(4)自費で紙買う。  → 土よう日は自費で、今日は、実行委よりもらう。」  日曜も学校にきた、のではないはず。土曜や月曜のメモが上下からはみだしてきている風だ。
: 「10/1」月曜。  「(4)将棋の(ポスター 結将棋、次の一手 2枚」  「先輩に言って、校正できたか、ときく。  まさか先輩□□□しかたをマチガ□□□ダロウナア」  「どうしても今日ぐらいまでにはださねば。」  「校正をア■商会に。」
: 「10/2」火曜。  「(4)ポスターを (はる 先生にハンコもらって。 (放送 」  「将棋の結将棋次の一手 2枚」  「図書館にいって、伊藤左千夫の本を!!」
: 「□/3」水曜。  予定など、空白。
: 「10/4」木曜。  「(1)文学クラブ本が来る頃」  「スリッパを一足」
: 「10/5」金曜。  「(1)文学クラブ本が来る頃」  「新聞3日分 光をサエギル」  暗幕代わりに、かな。
: 「10/6」土曜。  文化祭の初日。 「・しょうぎおし」 「・よくのない人」  薄字メモでもあり、別字かも。  将棋名人戦トーナメントの事後メモなら、「・しょうぎおし」は、将棋、惜しくも負けた、ということかなあ。  「・よくのない人」は、勝負に執着しない対局者がいた、勝ちすすんでいるのに対局に来ず不戦敗になった人がいた、などかも。  「放送の■キさんが、セツビの中の放送文をとりにくる。」  具体的なことはよくわからないが、この■キさんは、カールトレフスにそっくりな■キ先輩と同姓なので、同一人かもしれない。 (display『1973/09/24 てぬぐいでこうやる。』 など参照)
: 「10/7」日曜。  文化祭の二日目。  空白。
: 「10/8」月曜。  「:後しまつ、金曜の授業4、5、6」  推測だが、朝から文化祭の後始末をし、その後、授業の4、5、6時間目があった、と。  教科は(この日は月曜であるが特別に)金曜の4、5、6時間目相当のもの。ということと思われる。  ・・ということは、つまり、文化祭の前日、10/5金曜の授業は、1、2、3時間目までしかなかった、それ以降は文化祭の準備に充てられた、ということでよさそう。
: 「10/9」火曜。 「10/10」水曜。 「 }どこにもいかずに休む、」  日曜の代休と祭日の二日間のはず。
: 「15:18 9:50 | 5:28 15:18 | 20:46」  この時間の計算は、最初が引き算、次が足し算になっている。  心記のほうをみると、9:50と15:18は地震のあった時刻。  1回目と2回目の時間間隔とまったく同じ間隔で、3回目が20:46にあったよ。  もしくは、1回目と2回目の時間間隔とまったく同じ間隔で3回目があるなら、20:46だよ。  というような計算をしていると思われる。  (ただし、この計算には錯誤があって、心記のほうをさらにちゃんとみると、地震は、1回目9/29の9:50、2回目9/30の15:18らしい。 よって、時間間隔は、5:28+24:00ということになり、計算上の3回目は、10/1の20:46ということになるはず)
: 「□:朝 □×:夜  □:昼休み □×:放課後 ○:下校時」  この藁半紙のメモの各項目に付した符号の説明。自宅が青字。学校が緑字。  (赤字や赤での塗りつぶしは、結果説明や実行したということでしょう)

※ 『1973/10/01 とやって、コインをはじいて、』 : 「このごろのぼくの頃の青年は皆、少女しゅみ?」  この少女趣味の意は、少女の好むようなことを好む、なのか、またはロリータ趣味(少女好き、少女が趣味)なのか。
: 「「わるいことはいいあてる」?」  逆にいえば、よいことを言い当てても印象がうすく、人の記憶に残らない、ということかな。
: 「オオギヤの前で買った¥150のロックぼうけんきは、ページがとんでいる所があるのだ。 そこでちょっとふゆかい。今日は、ヤマやオカボと午後アソンだよ。 帰り、パチンコ屋の前で解散し、ヤマとオカボはパチンコ屋の中に。 けっきょく、やまとオカボに100円ずつの貸しがのこった。」  手塚治虫の昔のマンガが安価で手にはいったとウキウキして帰宅してみたら、乱丁本だったんだよね。悲しかったのを覚えているよ。本文では「ちょっとふゆかい」と過小申告だが。  デパート扇屋の前の路上、露天商のような所でみつけた。非正規の売り手で、不良品とわかっていての販売だったのか、つまり欺された、(よって交換とかはむりだろう、もういないだろう)、とまで当時思い及んで、さらに悲しみが増した気がする。  ヤマとオカボは中学同級。いっしょにパチンコ屋に入らなかったのは、高校生がはいってはいけない遊技場だから、という真面目な理由だったかもしれないけど、早く帰宅してそのマンガ単行本を開きたい、ということだったかもしれない。
: 「先生と大ゲンカ。 先生「私がそう思えば君は退学なんだぞ。」 A「先生はそんなことを言ってる自分が恥ずかしくないんですか。」 B、自分から退学・」  創作、または妄想。ケンカした生徒側は、Aだけでなく複数ってこと? あるいは、Aの場合、Bの場合、とかかな。
: 「今日どうもウツ状態なのだ。ヤマやオカボともあまりおもしろくなかったし、日曜もおわりそうなのに、心記のフクセイ、明日の予習、部屋割り、先輩は校正ができたかしらどうかしら、などなど、やることがどあってあるし、ぼくのやりたかったことはあんまりできていないみたい。 ゆっくりした日曜にしたかったのに、オカボやヤマがよぶのだもの、と、人にあたってもしょうがないか。 それに、雨がようふるのだ。 また、きのう、「不良先生」をよんでうかれすぎたため、その反動がきたんだろう。」  心記のフクセイ、とは、このノートに記したい記事を仮メモ状態から清書するということ。仮メモは心記にエンピツ書きされている場合もあれば、他所、授業のノートなどのほうにそれがある場合もある。授業中に思いついたりするとそうなりやすい。(授業ノートは全く残っていないので、そこにあった仮メモも全て失われている。何十年も前にね)  部屋割り、はたぶん、文化祭実行委員としての作業。  先輩は校正が、といっているので、ア■商会から、文化祭で発売する文芸誌のゲラ刷りをもらっているみたいだ。それを先輩にわたしてあるわけか。  ア■商会、どういう印刷だったんだっけ・・  活版みたい大げさなことではなかったような。ガリバン刷りのプロ仕様みたいなもので、セロファン様の原紙に、タイプ打ちしてたようなおぼろな記憶。ならば、タイプライターによる謄写印刷、いわゆる軽印刷の範疇。  としたら、ゲラってどういうものだったんだろう。インク浸けちゃっても修整したり後日に本刷りしたりできたんだろうか。  (インクは浸けず、ジアゾ式コピーとかで文字が読めるような写しが取れた、とか?)  → こういう印刷関係はねー、もう、現在のほうが、革新的に便利で手軽だよね。印刷までなら、素人でもほぼ調えられるし。製本となると、プロには及ばないだろうけど。  「不良先生」は、西谷祥子のマンガ。佳作だったと思う。(記憶違いでなければ)主人公の若い先生が小説家の卵でもあって、そこらへんもwaka君の琴線に触れた。
: 「そとソ」 「そ≒ソ」を点線など使い吟味。  〔「そ」の字形は「曾」の草体から出たもの、「ソ」の字形も「曾」の初二画をとったものである。 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006〕 ということだから、waka君の吟味、いい見当。
: 「9/29の Grammar のフクセイ 複製」  二日前のグラマーの授業ノートに書いた仮メモの清書、という意。  以下、ページをまたいで8項目がフクセイ。
: 「ぼくのまわりの人はカゼ多し。タ■■さんと休日に|一日中|将棋をさすことなんかを、きのう(9/28)に考えたので、タ■■さんもカゼをひいた?(だって、うわさをされると、くしゃみがでるというでないの。)」  うわさではなく、waka君の妄想だけど。ほんとに風邪をひかせることができたなら、これは呪いに近いね。  タ■■嬢とは二度か三度、将棋を指している。(こういう妄想をしているってことは、もうだいぶ「いい気になっている(うぬぼれている)」もよう)
: 「ヤメルをヤルメ」  とまちがえた、ってことでしょう。
: 「Grammar 予習してないと、心蔵に悪い。あと何番目でまわってくるかを考えながら、必死に辞書をひかねばならぬ。」  心臓。  英語の授業は、起立して、教科書の英文を数行とか一段落ぐらいよんで、それを和訳して、先生が諒としたら次の人の番。というかんじだったかな、たいてい。  Grammar ってことは、文法が軸だったはずなんだが、そこら辺はどういうぐあいだったか、あまりおぼえていない。
: 「ロビンソンクルーソー カルソー Caruso コーラスとよんだよ。」  笑。waka君の英語の地力は、こんなもの。  なお、有名な小説の主人公なら、Robinson Crusoe が正しい。  caruso だと、テノール歌手の姓とか、イタリアのブランド名とかになってしまうようだ。  何か、こんがらがってるみたいだが、誰がまちがえてるんだ。waka君? 先生の板書?
: 「「 」といった。 間接話法? 直接話法? }日本語と英語はちがう? “ ”が間接?」  「 」や“ ”を使うのが直接話法で、日本語も英語もいっしょでは。
: 「それをいった人にとって、直接か否か。 いった人のを、他に伝える人にとって、直接か、間接か?」  発言した人、その発言を紹介した人、どちらの立場から眺めるかで、直接と間接は反転するってことだよね。  (つまり、その発言を「 」で囲えば、記載している人にとって、「 」内は別枠となるわけで、はなれている、よって、間接。「 」を使わず、その発言を語り直すように記載する、記載する人により近づけたものが直接。というような把握もあると言いたいのでしょう。 しかし、これは、間違いなのだ。 たしかに、とまどうわな〜)
: 「山に¥100 オカボに¥100 }カシテアル」  「X:カエ!!」  「不良先生はケッサクだと日誌にカク?」  「不良先生の2はアネキがかうという約束。ぼくよ、かうな、みつけても」  頁上辺のエンピツ書きメモ類。  「X:カエ!!」がよくわからない。バツなのか、エックスなのか。め、なのか。あるいは、メシカエ(飯買え)か。  そうか、これは、「ペケを交換しよう」という意で、乱丁本と判明した「ロック冒険記」のことをいうのかも!?  日誌、というのは、学級日誌辺りかな。
: 「チカンヨウギ。  ヤッテイナイ  「五日、ていがくしなさい。」 A「いやだ。してもいいが、もし、ぼくが犯人でないときこの先生がた全員が学校をやめるというなら、やってもいい。」 「まさか。」 A「これだけ、ぶじょくしたんだ。それだけの責任をとるかくごがあっての上でしょうっ。」 「いいでしょう。」  A、Bさんから、暴行したことはゆるす、私もしたってた。きれいなこうさいをこれからして、といわれ、Bさんの家とAの家ではすでに、こんやくのことが。あれはボウコウでなく合法、両家もみとめてたことにしようという話し合いカ。」  「きずものの、よめをもらわねばなないかもしれなくなったA。」  「オモロな話」  「このように先生より、絶対的上位にたったり、恋人をつくったり、して、うつ状態を脱しましょう。」  物語のプロット、妄想の設定、というところか。  それがレイプなら、現在の世間では、許容されない筋立てかも。  現在の世間でも、明るみにでないだけで、内々でこういう決着をつけている場合はありそう。  当時の世間では、物語の筋立てとして有り(つまり現実のことで人の知るところとなってもやむなしと許容される事情)だったかも。  → とはいえ、当時でも現在でも、心の中の妄想なら、どのような筋立てであっても一切罪は問われない。  そういう、罪もない、実体もない、心の中のたわむれで、気分が上がるのなら、有りだろうと思うよ。めくじら立てて咎めたりは、しないであげてほしい。
: 「記じゅつ  述 :かきしるす、というのになんで、かきのべる、となるの?」  ふうむ。  述は、口にだして言うことが本義だけど、文章で書いて表わすこともまとうようになった、というところか。  記述は、記すことで述べる、と解すればいいわけだ。
: 「Reader」  の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、6項目分の空白。  既述の通り授業ノートは失われているので、ここが清書される(フクセイされる)ことはもうない。
: 「β」  上と同様、数学βの授業ノートにある仮メモをここに清書、2項目分の空白。
: 「Aクラスと、Bクラスが同じ方に旅行。AクラスのC君は、Bクラスの名高き美女Dさんといっしょにいたい。そこで、 ・・・ 」  たわいもない、笑話。  waka君の妄想がもとでしょう。
: 「《指でコインを斜めに押さえる図1》とやって、コインをはじいて、パンとおさえれば表が、《指でコインを斜めに押さえる図2》とやって、コインをはじいて、パンとおさえれば裏が、でる。  と信じてやったら、家で20回近く、学校で、20回近く。90%近い確卒でこのとおりになった。一時は、100%。  ところが、ソンナハズハナイ、というように考えるようになってからは、確卒悪いみたい。」  自分を信じ切れなくなると、成績が落ちる。あるあるかも。  しかし、確卒は困った誤字だ。
確率
: 「エ■■サン センパイ ツメターイ  ボクノガ、ひどいから、バカにした? ボククノが思想にあわぬのでバカにした? どっちかっていうと、こっちであってほしい。」  これはほぼ間違いなく、校正チェックで読んだ後輩waka君の作品「八月九日の通話」がお気に召さず、苦言を呈した、まあ、とてもささやかなダメ出し程度とは思うけど、そんなことがあったんだろうな。  とはいえさ、ふだんなんの共同活動もしてなくて、文芸誌つくる時だけ原稿を持ち寄るわけだから、切磋琢磨もないではないか。だからまあ、そういうのはこのときの先輩の苦言程度だけだったということになるか。  そして、たぶんやはり、思想云々以前の、文章、物語創作のレベルとして、ひどいと感じたんでしょう。同好の士として一言言わざるを得ないぐらいの・・
: 「世界史」  の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、4項目分の空白。
: 「昼めしパン1コで、バスケやったら、ふらふら。なぜふらふらかと思ったら、パン1つだった。分もフラフラ。」  今もフラフラ、か。
: 「メガネ1mからおちてもダイじょうぶ」  実際に落としてしまったのかも。  ゾウが踏んでもだいじょうぶ、のCMはこの頃にあった? としたら、倣っているかも。  → 調べたら、〔ゾウが踏んでも壊れない。〕サンスター文具が1965年に発売したアーム筆入のCMのキャッチコピー。よって、ありといえばあり。文言がちがうといえばちがう?  → 〔やっぱりイナバ、100人乗っても大丈夫!〕のCMは、1980年台かららしいので、こちらは、当時はまだ耳にしていないはず。

※ 『1973/10/06 ぶんかさい ぷろぐらむ』 :  掲載した表紙(01頁)の後に続く、表紙裏(白面)、学校長の挨拶、文化祭実行委員会委員長の挨拶、文化祭出展一覧表、会場案内図など(02〜09頁)は、掲載を省略。  その後の「各団体PR」以降(10頁〜)は終わり(〜20頁完)まで掲載。
: 「有志 3C ■■■  一郎太くんもスナミ先生も皆さんおいでチョンダレ!!」  当時人気のマンガ『トイレット博士』(とりいかずよし)の登場人物名。
: 「文学部  文学クラブ誌34号を販売しております。一部150円。 気が向いたら(ほんとは切実)買ってください。」  このPR原稿は、waka君が書いているはず。
: 「聖書研究会  ジャネットリンが君に語る! キム・ダービーがスクリーンに躍動する!  今年も聖研は圧倒的人気にこたえ、氷上の妖精ジャネットリンの君へのメッセージを終日公開すると共に、・・・」  PRとしては、人寄せキーワードをちりばめて、有効打になっていると思う。巧みだ。  ジャネット・リンは、米国のフィギュアスケート選手。札幌オリンピックに出場。当時、日本中でたいへんな人気を得る。  キム・ダービーは、映画『いちご白書』のヒロイン役。
: 「華道部  秋の山野に眼を向けると、数々の実物は色付き、可憐な花々も短い陽ざしの中で何事もなげに、咲き続ける、 ・・・ 」  じつぶつ、ってなに? と思ったけど、実物と書いて「みもの」とよむらしいね。華道用語で。
: 「将棋同好会  文化祭両日にわたり、3B教室において激烈なる■■高将棋名人戦が行なわれます。参加希望者によってのトーナメント試合。第一日目九時までに来れば参加できます。観戦はどうぞ御自由に。なお、第2日目は午後自由対局です。」  このPR原稿も、waka君。  初日九時までが受付時間、というのはちと厳しくないか。他に用事のある生徒は多いだろうし、これでは外部の人はほぼ参加できないし。  display『1973/09/17 空間Aへの入り口があるとする。』にあるとおり、事前に公告(広告)をだしていたので、校内の参加希望者はそこそこ揃ってはいたと思うが。(刻限までに参集してくれた、または、事前登録者もいた、はず)
: 「有志 3C 江■  50年前の9月1日東京は関東大震災にみまわれました。しかしその直後に何が行なわれたのかを知る人はわずかです。 ・・・ 」  姓が同じなので、この主催者はたぶん、文学クラブの江■先輩でしょう。
: 「2・A  校舎の2階、西のはずれ、一番奧で窓ガラスもわれんばかりの音を発っしているのが2Aのレコードコンサートと生演奏の会場です。 ・・・ 」  waka君のクラスの出し物だが、他で忙しすぎるwaka君は何も手伝っていないと思う。(印象が何も残っていないので)  友人イ■■ちゃんが責任者だったかな。
: 「有志 3C ■■  MUSIIKという名前に少しでも興味のあるやつはぜったいみのがせないのだ!! ぜひコイ!!」  MUSIIKが謎。検索してもよくわからない。人名なのかな?  ドイツ語のMUSIK(音楽)と関係があるのかどうか・・
: 「☆時間割プログラム☆ ・・・ 演劇「マクシミリアン博士の微笑」」  別役実作の戯曲らしい。waka君は(他で忙しく都合つかなかったか)観劇できなかったはず。
: 「後夜祭日程 ・・・ 仮装行列 ・・・ 歌唱 ・・・ フォークダンス及び日本の踊り ・・・ クラス自慢の得点発表、賞品授与 ・・・ 閉会式」  waka君は文化祭実行委員だったが、後夜祭関係の準備、運営にほとんど関係していないはず。記憶に残っていない。  手伝ったとしたら、開催中の後方周囲の暗がりでの警備(待機?)ぐらいだったか。それすらあまりイメージは残っていない・・  (もしかしたら、役目はあったのに、さぼっていた? ^^;)
: 「断絶にでてきた、ディビッドはモリオににてる―― そっくりい〜」  プログラムの裏表紙裏。無印字だが、waka君のメモ3項あり。  聖書研究会の映画「断絶」を観賞している。  モリオはクラスメートかな。
: 「「お茶でも」 「いえ、すぐ失礼するわ。」は敵意のある言葉?」  映画の中のセリフか。冒頭薄字なので見落としそう。(ということは薄字部分はあとで追記かも)
: 「キム・ダービーて、/だれ?/どんな顔?」  盛んに宣伝しているので、メインキャストのはずなんだけど、元々知らない女優さんだったので、同定できなかったみたいだ。  映画自体は、おぼろげな記憶だが、結局は、感動とともに入信をうながす、そんな内容だったような。  (いや、あるいは、前年、または翌年みた聖書研究会の映画と記憶がごっちゃになっているかも・・  → 内容をはっきりさせたくて、ネット検索したけど、これらしき映画に行き当たらず。宗教団体の布教用フィルムの扱いで、通常の映画とみなされておらず、ネット上の記事、記録に残っていないということまでありそう。その上、半世紀経ってるしねえ・・)
: 「女子を高めるのは、女子を低めるのと同等の悪 わるい事である」  名言ぽいけど、よくわからないね。迷言?  プログラム裏表紙のメモ。
: 「全校行事の人に万年筆」  (名前は知らないが実行委員の)全校行事(担当)の人に万年筆(を貸した。まだ返してもらってない)。  というメモ?
: 「金星は昼でもみえる。」  天文クラブの展示で、か。
: 「「パクる」の語源は?」  ネット検索すると、諸説あるみたいです。
: 「断絶のエイプリルは、しゅじゅ ともえ さちよ (?)に似てる。アヒルの学校なんかにでた人。」  芸能人の名前らしいが、検索しても見つからず。  wikiで『あひるの学校』から調べたら、十朱幸代(とあけ ゆきよ)のことらしいと判明!  読み、全然違うじゃんね。でもこの漢字なら、しゅじゅさちよと誤読して不思議はないので。

※ 『1973/10/06 文化祭 プログラム 別紙 裏白』 :  文化祭プログラム別紙は藁半紙一枚。片面のみに印刷があり、内容は、  ○訂正 (プログラムの正誤表)  ○女装コンテスト 出場者  ○文化祭実行委員会主催 のど自慢大会 出場者  ○後夜祭 仮装行列 (出場者と演目など)  となっているが、要するにプログラム本体に載せられなかった最新情報だと思われるが、これら印刷面は掲載を省略した。  ここでは、裏白にあるwaka君のメモのみを載せた。  以下、できるだけ解読してみる。
: 「母より¥1400 くツ」  靴の購入費用を母よりもらった(または、もらうべし)。
: 「10/5」  以下、文化祭前日のメモ群。(1)〜(7)の数字は、対処する順番(予定、希望)だろうか。
: 「新聞紙 3日分」  たぶん、将棋同好会の部屋で暗幕代わりにつかう。  「スリッパ」  「たび 高■氏」  女装コンテストに出場する高■氏に白足袋の調達をたのまれたはず。  「ぼくの駒」
: 「5時間目 3H塩■ 映写器!! (3)」  これは文化祭実行委員関係の仕事か。  「1時の次 2F渡■ はるのをたのむ、 (2)」  将棋同好会の渡■君(あだ名が会長さん)に、将棋同好会の部屋の掲示物の張り出し(の指揮)を依頼か。  なお、別所(『1973/09/18 鼻柱をはさむというような拝み方。』)で、渡■君のクラスをUEとしている記載がある。waka君が渡■君のクラスをうろ覚えであるためが、濃厚。  「4時間目 1F■辺 マットをよんでやるようにいう。 !! (1)」  後輩■辺君への指示出しなんだろうけど、具体的にどういうことか不明。マットをよぶ? よむ? 理解できず。  → 誰かを呼んで、マットの件をやるようにいう。説明書(指示メモ)を読んで、マットの件をやるようにいう。・・などかなあ?  「サクラ■先生の所へ早いうちにいく (5)」
: 「朝 こうばいで運動ぐつ」  を買え。母からもらったお金で。だろうね。  「盤とコマ 集める  内■先輩にいう. !! (4)」
: 《カッパのようなイラスト》  雌? あまり色っぽくないっす。
: 「ロッカーを空 (6)」  「げた箱を空、(7)」  外部の人に開放されるのでとにかく私物は置いておかない、とか、来客用に、などもあるんでしょう。
: 「何としても、10/5のうちにしんきを完成させよ。 明日の文化祭の事についても書いてある。」  しんき=心記=waka君の覚書ノート。当displayに掲載しているのが、まさにそれら。呼び方は、手帳やノートなどの名無し時代、心身記、心記と変遷している。  完成させよ、というのは、たぶん、(忙しくてとりあえずエンピツ書きした大量の)仮メモ群を(ちゃんと、あるいは可能な限り)清書せよ、というようなことだと推測する。
: 「「9:00までに 参加希望者は3B教室へ。」」  将棋名人戦の初日の最初の段取り? (つまり翌日朝一番)  「 」書きなので、放送原稿(の要旨)ってことかも。
: 「文学クラブ誌 国研にとりにいく。」  すでに入荷していて国語研究室(国語科の先生たちの職員室)に預けてあるからとりにいく。  文化祭前日ギリギリに国研に入荷するはずだからとりにいく。  どちらもありそう。
: 《抽象的な線画イラスト》  ヒトデみたいな異生物? 異システム?
: 「10/6」  文化祭の初日。
: 「7:30までに学校へ」  「将棋の盤を書いてくる。」  盤が不足するかもしれないので、念のため(手書きでいいので)紙製のものをつくっておきたい、の意でしょう。  「12:30と5:00に実行委員」  「地震があるから気をつける。」  waka君的な、なんらかの計算、予測に基づくのでしょう。  「文学誌」
: 「山■からヒモを、」  中学同級で高校別、近所に住んでいる友人山■君に自転車の荷台のヒモを貸したままらしい。これを回収したいという意だと思うが、文化祭とかwaka君の高校とかは無関係だよね。  心記のほうにも同様のメモが何度かでてくるので、つまり、いつになっても戻ってこないらしい。(ほとんど、なあなあにされている。山■君の物になってしまいそうな状況)  waka君、このことすぐ忘れてしまうので、唐突でも思いだしたつどメモして記憶を新たにしている(自分に念押ししている)ってことかな。
: 「シノ■くんか、だれかが文芸誌を売ってるはず。うりあげetcを聞く。」  てきとう〜 部長のくせに! しかしまあ、三足のわらじなので、それなりに要領よく仕事を人任せにできていた、ともいえそう。  シノ■君(waka君と同学年)、二年生のときから部員としてちゃんと働いてくれていたんだ。(二年時には原稿は間に合わなかったんだっけか)
: 「10/6」  「地震で頭をぶつけられた凡人、天才になって、以後、ふっこうの指導者となる。」  という物語のネタ的なものを思いついたので、ここに仮メモして、心記のほうに清書したい、というふうだな。
: 「プログラフのうらびょうしの言葉」  これもそうかな。『1973/10/06 ぶんかさい ぷろぐらむ』の最終二ページ(裏表紙裏、裏表紙)にいくつもメモ書きがあるので、そのどれかまたはほぼ全部を心記のほうに転記、清書しよう、という意だと思う。  ここを書いたのが10/6で確かなら、裏表紙のほうにあるメモは10/7の日付なので、まだ存在していない、つまりここで指している「言葉」ではないということになる。しかし、まあ、あちらもこちらも入りくんでいる、散らかっている手書きメモなので、日付と記事のつながりもわりと適当、精確さを欠いているかもしれず。  この時点で、裏表紙が白面に近かったなら、これからそこに書いてしまうだろうメモも含めて、という意識があって、その後実際にメモした、ということかもしれず。
: 「10/7」  「きのうか、今日あたりから、息がしろい。」  十月頭でもうそんな冷気ってこと? ちょっと早いような気がするが、半世紀で温暖化が進んだってこと??
: 「たちどまって、あ、うちまたかなとあしをみても《足位置のイラストその1》と平行。いつも《足位置のイラストその2》ととまるので、比較的にうちまたに感じたか?」  内股は、のぞましくないわけね(笑) 
: 「文化サイ 一応みんなみる。みんなのり、よかった?」  展示教室は、ひととおり回った、と。どれもノリはよかったかな、と。  といっても、ざっと早足でまわって、だろうね。個別に深く観賞した、閲覧した、とかは数えるほどだったのでは。  時間的な余裕はたいしてなかったはずだから。  (みんなのり、の、りがいびつなので、別字の可能性もあるが、他候補思い浮かばす)
: 「フク■■は、フォークダンスの事をフォークソングという。」  友人フク■■君の、ささいな(しかしちょっと面白い)言い間違い。waka君のアンテナにひっかかって、こうして半世紀後まで残る(^^;
: 「名人戦の結果をはりだせ。」  二日目昼には、決勝戦まで行く予定だったと思う。  優勝者、準優勝者ぐらいを掲示したのか、トーナメント表全体だったのか。
: 「あまった20冊の文芸誌は入学式にうる。」  最初の刷り部数はすでに分からないが、区切りよく100部ぐらいだったとして、そこそこさばけたほうか。  入学式に売るは、先輩のアドバイス。  (結局、翌年春、入学式で売ることを思いだせず(あるいは覚えていたけど当日校門辺りで声かけ立ち売りなどするのを面倒がって行動せず)、機会を逸する。翌年秋の文化祭で、当年分と前年分、並べて売ったはず)

※ 『1973/10/08 しんれい しんでい }なんていうの?』 : 「今日の夢は文化祭の夢。くわしいことは忘れたが、文学クラブ詩がとどいてみると、「■■」というクラブ誌名が/できていなかったよ。/ぬけていたよ。」 「すれていなくて、ていさいわるかったよ。」  10/6の日付で「今日の夢」といっているので、10/6の朝起きるまでにみた夢、と思う。  10/6は文化祭初日。その朝となるので、これから始まる一日を夢で先取りしたか。  文学クラブ誌(本文は詩となっているが)のタイトルが印刷モレという失態、ということだけど、夢であって、現実では問題なく刷られている。  はっきりした記憶はないが、刷りたての文芸誌が入荷したのは、文化祭初日の前日ではなかったか。ならばこの失態の夢は事後ということになる(現実ではすでにちゃんと刷られていることを確認済)。  仮に、入荷が初日の前日に間に合わず、初日とか二日目朝とかにずれ込んでいたら、この夢は事前ということになる(ちゃんと刷られているかどうかはまだ確認できていない)。
: 「きのう、どうしても盤の数がたりぬことがわかって、先輩はとうとう、紙でもいいか、といったよ。」  こちらは、将棋同好会関係で、現実の話。  文化祭(将棋同好会は名人戦開催)の前日準備で、ということになる。ちゃんとした盤駒で、というのが内■先輩の意見だったことをふまえて。  半月ぐらい前の9/21の記事に「ナイ■■先輩 将棋盤がなくちゃだめ。紙ではだめ。文化祭の部屋は一つまるごととれなきゃだめ。 こういうことにこだわるよう。」とある。  結局、部屋は囲碁同好会と同居とか、間際になって盤が足りないとか、ままならないことになったもよう。  (先輩から会長を引き継いだwaka君の責任ってことになるのかなあ。waka君は文化祭実行委員でもあるのに(ごり押しとかできずに)会場についても先輩の意向を実現できなかったってことになるわけだ。  でも、しょうがないじゃん(^^; あれもこれも満額回答ってわけにはいかないよ、施設は有限なのでゆずりあいをするしかないわけだし。盤駒も集まったほうじゃないの)
: 「はやく学校に(7:30に)いかねばならないのに、7:30に近くなってしまったので、自転車で。とちゅうわきみちからでてきた中型トラックにとばされそうになる。 また帰り、学校の坂をサーとおちていったら、自動車こないと思っていたら、坂のおわりの10m前でライト。ブレーキをかけてもとまらぬ。足をおろして、すらせてゆるめ、スルスル、といって、それをさける。あんなブレーキもきかない自転車、こんりんざい、のるのをヤメタイ。」  こわいね〜 十六才で散ってしまいそう。  そう簡単には死なないということも学んだが、今から眺めると、あぶなすぎる。これ以前にも二ケタ以上、自転車で死にそうな目に遭ってるはずで、あぶないとわかっていながら、満足な対策も立てずに、だいじょうぶだろうと高をくくって乗り続けるということ自体が、あぶなすぎる体質、習癖。  若者の向こう見ずなんだろうけどな・・   少なくとも、今じゃ、とうていマネはしたくない。ほぼ死亡遊戯だ、もろ。  まあ、文化祭関連で、朝から晩まで多忙を極めているはずで、その流れで通学往復もとにかく速さを最優先にしているのだろうと思うけど、そういう隙のできやすいときほど、慎重さがなにより大切、という「経験知」がまだ身についていないのだね。  この項、朝の登校と、夜暗くなってからの下校の記事を一緒に書いているので、文化祭初日が済んだ後、夜の自宅で書いているってことになる。 この項の前項は、朝の夢の話だから、つまり、登校してから下校するまでの文化祭初日の記事がスッポリ抜けている、書かれていない。これはもちろん何もなかったのではなく、逆に忙しすぎて、色々ありすぎて、それで何も書けなかった、このノートを開いたりすらできなかった、ということでしょう・・
: 「夜になる。めしがおわる。ぼくは西北のすみの四畳半。おじいさんはおじいさんのへやでテレビ。おかあさんもたいていここ。そのむこうのおうせつまに、いつもお父さん。ガキもここ。そのむこうにおばあさん。」  waka家の夜の、家族らの居場所をざっと記している。(なぜ当夜に限って記録したのかは、よくわからない。夜になって一息ついて、ふと身のまわりがみえてきたというふう)  念のため書けば、祖父は母方の祖父。母方の祖母は前年に他界。  ガキ、というのは、まだ小学生の妹二人を指す。  応接間の向こう、玄関脇の一室が、横浜のおばあさん(父方の祖母)の居室。  あと姉がいるはずなんだけど、この時刻にはまだ帰宅していなかったか。
: 「弧状という字をみて、コドクのコは弧ではない。では? と思ったが思いだせぬ。辞書みて、孤だと知る。アホウめ。」  弧状は、ふだん目にするとしたら、弧状列島ぐらいしかないような気がする。
: 「なんでその日の朝刊が他の日のより下にかさねてあるのだ! いつもそうだからみつけにくい。みっちゃんがかたす、というが、しんぶんは上からぽんぽんかさねていけばいいのだ!!」  余計なことはせずに、単純に重ねていけばそれが一番わかりやすいのに、と不満を述べている。  みっちゃんはお手伝いさん。waka君が物心ついたときにはもういたので、つきあいはだいぶ長い。  みっちゃんはそこつ、というか、色々要領が悪いので、祖父とか母とかによく叱られていた。  waka君は、このように不満を感じることはあっても、あからさまに怒るようなことまではなかったと思うが・・ なにしろ、幼児の頃から世話になっているので、体が大きくなってからそういうことをすると恩知らずで弱いものいじめみたくなってしまいそうだったので。(ただ、祖父や母に倣って、みっちゃんは困ったひとだとみなしていた、か、やはり)
: 「今日地震があるはずなんだがなあ・・・しかし、また海底火山が爆発したということだから、そのとき、ちょっとゆれたでしょう。」  過去記事を探すと、十月頭ぐらいに何度か地震があったようだ。その流れで、  10/2に、「10/2と10/5がいせ神宮のせんぐう、とするなら、地震はきっとえんりょして、10/6におこる。もしくは、10/3、10/4とおこるか?」「なまずも20年ごとに(もしくは20年のn倍たつと)交たいするのか?」  10/4に、「大地震の日まで あと二日とせまった。」  などとある。科学的な、少なくとも筋道の通った根拠とかがあるわけではないみたいだ。
: 「来年の文学クラブ誌の題は「■■■■」にして、印刷は金のかからないガリバン、ワラバン紙ずりでいこう!!!」  というようなことを書いているので、文学クラブ誌の入荷が間に合わなかったとかの事故、その他大きな問題は生じなかったみたいですな。  問題があるとしたら、出費がかさんでいるのに売上がのびそうにない、ぐらいとか?  ちなみに、翌年、waka君三年時文化祭でも、文学クラブ誌「■■」は前年と同じタイトルで、同じく外注で印刷製本されて、発行されています。(編集発行人もwaka君で同じ)
: 「今日、夢の中にでてきたぼくのうちは、おっそろしく高い、ビルの上。その名もセントラルプラザ。 ・・・ 」  10/6から10/7にかけての夜の、夢でしょう。  セントラルプラザは、現実では、千葉銀座通りにあった百貨店の名称。
: 「まんなかでじっとしている以外やることがない。」  馬鹿と煙は高いところが好き、というけれど、そういう願望もあらわれているんだろうか。  こわい、心細い、ひやひやする、そういうことをあえて味わいたい、いっそきもちいい、ぞくぞくする、・・みたいな?
: 「ピンポン玉はおもしろいようにあがっててすりの30cmくらい下まできて、とまる。ほんとに宮にとまる。はねかえってきたのだから当然と思っている。」  宙にとまる。と書きたかったと思われる。
: 「棒をいじくってると気がやすまる?」  隠喩ではなく、文字通りに棒だと思う。
: 「ぎじょうへい ぎれいへい }?」  儀仗兵、儀礼兵、か。  儀仗兵は辞書などに載っているが、儀礼兵という熟語はないのかもしれない。
: 「「おにいちゃんのはじは■■ちゃんのはじ。」ボク  「そいだから、おにいちゃんのはじでもある。」■■リ」  ■■ちゃん、■■リは、下の妹。  兄が何か皮肉なことを言って、妹が幼いなりに返した場面かな。
: 「「今も昔もかわらないね、男のいやらしさ ――― 女のいやらしさも」■■コ」  これは上の妹。  小学生でもこのぐらいのことは言うよね。口まね的なところも多少はあるとしても。
: 「女の心を知らない男はくずよ。」  女子がいってるのか。  まー、言いたくなる気持もわからないではないが、一般論のように言われるのはやや抵抗ありかも。  ただ位置的に、これも、上の妹のませたセリフかもしれない。
: 「10/8」  『1973/10/01 どうしても今日ぐらいまでにはださねば。』にある通り、10/8(月)は、朝から文化祭の後始末、その後、金曜の科目で授業が、4、5、6時間目。  それにしてもこの辺り、waka君にしては、記載の一日分がすぐ過ぎてしまうね。  メモをするひま(記録しよう残そうという余裕)がほぼない状況、いっぱいいっぱいか。
: 「今日はめざましをかけなかったものの、まず、4:00におき、次に、5:15分におきました。5時半におきるべきなのです。」  ずいぶん早く登校するつもりみたいだ。(通常は七時半ぐらいに起きて、朝食、自転車で、八時半ぐらいに学校につくパターン)  後始末の作業量が多すぎて時間が足りそうにないのか。(文学クラブ部長、将棋同好会会長、文化祭実行委員の三つ股をしてるし)  または、久しぶりの授業の下しらべが何もしてないので朝勉でもするつもりか。
: 「殺人をおかしてから、そいつがうんだ子と、殺人をおかす前のそいつの子の差は? 血の差は?  時によれば、すごい善人のときもあった?」  遺伝に関して偏見のある記事だよね。犯罪者に関しても、か。いわば時代錯誤だが・・  当時は濃いめ、現在は薄めとしても、こういう見方、感じ方、どうしても人の心から消え去りはしない気もする。  (まして当時のwaka君、自分は絶対そういう悪行はしない、そういう人間にはならないと信じきっているから)  (その後半世紀を経て、この自信、ときにゆらいでまた立て直して、というふうに、多少ポンコツになりながらも残ってはいます)
: 「中間はすぐそこなのだ。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  これ単独だと、形而上的な警句、とまで持ち上げることもできそう。  高校生のメモなので、(文化祭がおわって気抜けしてるようだが)中間テストはすぐそこだよ、の意。
: 「日本の国歌だけが国歌らしい。」  まあ、しょうがないんじゃないか、日本人の場合。(外国の国歌って、ふつうの音曲の一つにしか聞こえないもん)  これ、訂正前は、国家、国家だったようだけど、そちらだとしても、日本人の場合、しょうがないよね。
: 「「人が増えるということは人が死ぬことだ。 ・・・  ――― 人類の性 サガ に支配されている、だれもが。そして、結局は人類のために、生きてしまう。おれは、無理かもしれないが、人類の中で死にたくない。」  結の章が唐突っぽい。または、後段への橋渡し的な言にみえるが、その後段は無し。  人類の中で死にたくない。ということは、人類から独立したいってことか。  宿命のようなものから逃れて、偶然はみだしてということでもいいから、別の何かとして、生きて、死にたい。  謎っぽいし、具体的なビジョンはみえづらいけど、心意気は伝わる。  (そういう心意気を貫くと、仙人のような孤高の人になるのかもしれない。  千年語り継がれる教祖、人類を破滅に導く狂った天才、なども候補。  ごくごくふつうの凡人として生涯を全う、という線もありそう・・ )
: 「ぼくはどうもつぎをあてられたくつしたを学校にもっていく気がしないのです。」  はいていく、の誤記だろうけど・・  もっていくのは、やや奇行だろう(笑)
: 「《手持の鐘の絵》 しんれい しんでい }なんていうの?」  〔 しん‐れい【振鈴】 《名》 (1) 密教の修法で、諸尊を勧請し、供養するために金剛鈴を振り鳴らすこと。また、その鈴。  (2) 学校で授業などの始まりや終わりの合図として、鈴を振って鳴らすこと。また、その鈴。  (3) 議会で議場の混乱を静めるために、議長が鈴を振り鳴らすこと。また、その鈴。  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006 〕  これか。鐘というより、鈴という捉え方。  仮定として、振鐘という字があり、しんどう、しんでい、と誰かがむりやり読んだかもしれないが、鐘の音はショウ。  手元漢和辞典をしらべても、振鐘はない。ネット検索すると、「振り鐘」という商品名はヒットする。まさにこの絵の通りの姿。
: 「何足か、を なぜか、とよんだよ。」  笑。飛躍ぶりに天才(天賦のもの)を感じる! 
 ↑ ちなみに、天賦は、tenpuであって、tenbuは誤読とATOKに咎められた・・
: 「図を 図とかくよ、坂■先生。」  二字目の図は、中が、ツの下がくるっと丸まって下棒につながる。  ネットで書き順調べたら、むしろ、坂■先生が正しい。  私は、メを書いてから、点二つ、今も。
: 「むきめい ひみつ むさべつ )とうひょう」 むさべつ「これだっけ?」  公正投票の三大要件、みたいなものか。  ネットで調べると、選挙平等の原則、投票自由の原則、選挙公正の原則などとある。  選挙平等は、むさべつ、のこと。  投票自由に、むきめい、ひみつ、が含まれる。  選挙公正は、運営をいう。  また、憲法第十五条4項に〔すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。〕 とあるので、平等、秘密、無記名、無責任、公正、などとしてもいいか。あと、自書も外せないみたいだ。  (選挙はぜんぶネット経由にしちゃえばいいのに、とつねづね思っているけど、これらの要件をすべて満たすのは、至難か・・)
: 「P85ページという」  今でもやりそう。
: 「ジ」が形態変化して「三゛」  直上にあるページのジが、気になって、のよう。  三゛になってしまった姿、これ一字だけだったらもう、ジは導けないだろうな〜

※ 『1973/10/13 つたゆり、とかいうもの』 :  2頁目、3頁目において、大きめで四角い薄茶の変色領域がある。 冊子「ぶんかさい ぷろぐらむ」が二つ折り状態で両頁の間にはさんであった。その跡である。
: 「世界史」  の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、9項目分の空白。授業ノートは(当時の、どの教科の授業ノートも)失われているので、ここが清書される(フクセイされる)ことはもうない。(以下も同様)
: 「収集を集収 バカ」  バカってほどじゃないよ。  収めて集める、より、集めて収める、ほうが語の意に沿ってるような気までするし。
: 「ワラにまみれてよ の歌のかんじをわすれてしまって、うたえない。メロディをわすれた。とってもいいメロディだったのによお。」  文化祭ののど自慢大会の会場を短時間だけ覗いたとき、たまたま、この歌が歌われていて、いたく気に入ってしまった、ということがあったはず。  文化祭のあとも、歌い出しの数節だけを真似して、繰り返し歌ったりしてたが、歌詞の意味はほとんど理解していなかったと思う。  後年、馬のことを歌っていると知って、驚いた記憶がある。  ◇ 『達者でナ』(昭和35年10月) 歌:三橋美智也 作詞:横井 弘 作曲:中野忠晴 ◇  文化祭プログラム別紙の「文化祭実行委員会主催のど自慢大会出場者」リストを確認すると、歌っていたのは生徒ではなく、教師でした。
: 「なう、という動詞を忘れてしまっていた!!」  縄をなう、のなうだね。綯う。  しかし、チリガミを綯って、鼻の中に入れる、というのは誤用に近いかも。(ねじってるだけでは綯うとはいわないだろう)
: 「重り 錘 >?」  どちらもありらしい。
: 「ハクアとは? ハクアのガジョウ」  白亜の殿堂、といのはよく耳にするけど、白亜の牙城、というのはあんまり。  なお、白亜を辞書でしらべると、単に、白墨(チョーク)とか白壁のことをいい、美麗とかいう特別な意味はもってないらしい。
: 「きのうあたりよんだけど、ゆずきひかるのマンガはうまいですね。筋もいい。女の子がきれいだ。キモチイイ。」  筋は、ストーリー、ということでしょう。  弓月 光(ゆづき ひかる)。1968年(昭和43年)デビュー。  wikiによれば、まだ現役で、連載持ってるんだよね。すごいわ。72歳!
: 「かんたん 簡単 関単 間単 )カンタンのカンとカンセツのカンがにてる 同じ ように思う。」 簡単 間接 関節 ・・とふつうに書けはするけど、あらためてこうして並べてみると、混同してもぜんぜん不思議じゃない気がする。差異がわからなくなってしまう。
: 「大衆」 大「なんか、この字、アワナイ。」  語の意を表わすのは、大より多がふさわしいような気がするもんね。いわれてみれば。  おおぜいを、大勢より多勢と書きたくなるのに似ている。
: 「倫」  倫社(倫理社会)の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、1項目分の空白。
: 「古文」  の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、3項目分の空白。
: 「Reeade」  Readerの授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、2項目分の空白。
: 「物理」  の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、1項目分の空白。
: 「けっちゃく 結着 決着 )?  イミチガウので□?」  ほぼ同じ、意味も重なり合うところ大きいけど、いちおう別字あつかいか、辞書では。
: 「 ――― している人に なんのために? 「しかられないから  」  何かをしている人に、どうしてそうしているのか訊いたら、叱られないからしている、と答える。  そういう問答について書こうとした、仮メモ、でしょう。
: 「けむりぐさ えんそう たばこ」  煙草の読みをならべてみた?
: 「いちどふとると、ふとっているがゆえに運働不足になりさらにふとる。こういうために、生物の進化は一度方向がきまると、もうとまらぬのか?  たとえば、大型化を例にとれば、一度大型になると、大きい方が強い、というために、より大きな物のみ残るようになり、どんどん大型化。  いやこれは変?」  それほど変ではなさそうにきこえるが・・  wikiで、定向進化説(ていこうしんかせつ)など調べると、似たようなことをいっている気もする。  (しかし、進化について調べていくと、沼のように深くて、よくわからなくなる。私が子供の頃に聞いたり読んだりした説はいろいろ時代おくれみたいだ・・)  なお、waka君はほぼ、運動を運働と書くね。
: 「「自分のものさしで人をはかるな。」」  中学の頃の、クラス内の標語だったかな、確か。  悪い言葉ではないが、標語にはいまひとつふさわしくないか。(上からのおたっしではなく、クラス会で生徒たちで決めたはず)  それにこれを言うなら、命令口調はちょっとちがうよね。強いるようで、自己矛盾気味。  でも、〔自分のものさしで人をはかるのは間違いのもと〕では、ぼんやりしすぎ? (笑)
: 「ツイ間板ヘルニア、でいいの? 」  椎間板ヘルニア。  脊椎の間の板、だから、間板という捉え方でもいいけど、椎間板の三字で一語とみなすのがより適切か。
: 「す■■おばちゃんの血液型はRH− マイナス だそうです。」  へ〜 これ初めて知った! というか、半世紀、忘れていたよ。  たしかな情報かい? (とてもめずらしい血液型と聞いていたけど、身内にいたの?)
: 「今日は、つたゆり、とかいうものの夢をみた。 うちのけしてあかない正門のこちらの石だたみをつきぬけて、ゆりが茎だけすーとのびている。 花はつつ状。 中をみると、一番外の花の中に土がはいっていて、その土に中の花がただのっかっている。  《花の断面図、二つ》  顔はみえないのだがぼくのとなりに女の子がいる。 女の子というよりは娘さんがいる。 ぼくが、花のもとのほうのふくらみかたいのをなぜながら、まだ花ができるのかしらん、とかいっていると、女の子は、かわいそうに、といって、花をぐいぐいとむく。 すると、むかれた花の中から白い液があわをすこしたたせて、ながれでる。 さらにぐいぐい。 いつのまにか、このゆりの根本は石だたみでなく、土に。 ぼくがむかれて、茎のみになったような、ゆりを、いしだたみの間の土がかおをみせている所にそってねかせてやって、てっぺんを、土の中につっこむと、(水をすいやすいように)とたんにつっこんだ所から水がジャー ・・・  だめよ、だから、といって、女の子がそれをひきぬく。 白い液はうみと同じことで、水をすうとそれがよけいでるのでいけないのかしら。」  「この夢の前にも■とびなんかのでてくる実行委の夢もでてきた。わりとおもしろかったはず。 それから、この実行委の夢の前かうしろに■■のでてくる夢もみた。興あるようだった。が、具体的なことは忘れる。  実行委の夢では、新しいことをどこかでやって、だれが参加するか、なんていうことにちかいような話し合いをやったような、やらないような。」  ぐいぐい。  ほとんど淫夢。あわいというよりあらわか。  ■とび君は知り合い程度かな。  → けして(けっして)あかない正門。夢の中だけの設定ではい。 waka君の家は社宅なのだが、玄関が東向きで、玄関外すぐに、東向きのちゃんとした正門がある。 しかし、(玄関はつかうけど)この正門、閉め切っていて開けることはまずない。 南側の庭にある、南東辺の格子戸が、通常の出入口。(正門は閉め切っているので唯一の出入口といってもいい)  理由はよく知らないけど、大通りに面した南東辺格子戸がよく使われるというのはもちろんあるはず。 あと、東向きの正門、ちゃんとしすぎていて開けるのが重い感じだし、道路との段差もあった気がする。使い勝手がわるい。 さらには何か、占い関係で、使わないほうがいいみたいな判断がくだされていたやもしれぬ。(しかしまあこれは、占いやってた父ちゃんが、使い勝手がわるい正門をそのまま不活性にしておく理由として、後付けで判定しただけかもしれないな)
: 「10/12 カワ■にαノート 久っちゃんに倫教」 「9/15は土曜日の授業」 「9/23より中間テスト」 「9/12 ホケキョウを買う。」  頁上辺のエンピツ書きメモ群。  カワ■に数学αノート、久っちゃんに倫社教科書を貸した、というメモでしょう。  9/15、9/23、9/12はみな、10月のまちがいと思われる。
: 「トイレにいこうと思って、いったら、ドアがすこしあいている。ねんのためトントンとノックをしたら、「はい」と中から声。あ、お姉さんの声だ、と思う。 ・・・ 」  やけに若やいだ声に聞こえた意外性を言いたい記事か。  横浜のおばあさんは、父の母で、婿入りした息子の家に世話になっているという立場もあるけど、心根がとてもおだやかでやさしい人だったので、孫に「すいません」とへりくだるような言い方をするのは、それほど意外では無かったはず。  ただ、暗かったりとかで、トイレを待っていた男性を別の誰かと思ったのかもしれないけど。(家の男はあとwaka君の祖父と父しかいないが。横浜のおばあさんからみれば、息子の嫁の父と息子。「すいません」とへりくだるのがふさわしいのは息子の嫁の父ぐらいということになるが)
: 「夢を見る人はそれだけ多く、人生を感じているので、早死にするのか? 夢をみると、人生はみじかくはなるのだが、人のもともともっていた生命の強さはまちまちなので、夢をみたらば、人より早く死ぬとは限らない?  もともともっていた生命の強さ、なんてのはやっぱり変? つまり、夢をみると、その人はみないより早く死にやすくなる。  夢のおつげによって、危機を脱する人もいるのでは?」  冒頭が妄想、この前提を元にしたことわりの吟味か。  ばかげているようだけど、こういう自由に遊ぶ心から、ときには、長大なファンタジー世界も生まれると思う。
: 「ぶじに  無事に 不事に」  無事に、が正解。  不事、という語が無いのは、不思議といえば不思議。  (明確に説明できない。考えても、辞書やネットで調べても・・)
: 「さらしな日記は紀貫之の作だった?」  これはざっと検索しても、同種説はみつからないな。  waka君の思いつき? 何かの本にあった説?  → 調べると、そもそも、紀貫之(平安前期〜中期)が没してから、75年〜114年後ぐらい(平安中期)のことを書いているのが更級日記だそうだから、完璧に無理だ。  → 紀貫之ではなく、さらに後年の藤原定家(平安末期〜鎌倉初期)ということなら、可能性はかなり低いだろうけど、ないとはいいきれないのかもしれない。  藤原定家は『源氏物語』『土佐日記』などの古典の書写・注釈にも携わったそうで、『更級日記』も〔東山御文庫に伝えられてきた 藤原定家による写本、通称「御物本」が現存する。他の現存する写本は全て御物本の系統である。すなわち異本の類は一切なく、その点において例外的な古典である。(Wikipedia)〕ということなので、代筆説が生じる隙はありそうだけど。それでも無理筋でしょ。
: 「「わたしにむかって(そんなことを)」といった場合、こういった人はおごりたかぶている悪者か。これはいままでのキセイガイネンにとらわれたサッカクではなかろうか。  ・・・   世の中には、悪人の言葉と、善人の言葉が定着してしまっている。キセイガイネンにとらわれてしまっている。悪人の言葉を表わす音が、その人の口からでたら、もうその人は悪人にされてしまっている。」  繊細だね。気づきが細やかというか細かすぎるというか。  いちおう、平板さに疑念を抱いている、というところには立てているようだから、子供よりは成長しているか。  大人になっても特定の事柄に対してこのように細やかに思考し思いやることのできる、その準備となるでしょう。  ただし大人になってみればわかるけど、一般的なその他の大量の事柄に対しては大づかみにざっと平板に理解して、短時間で(ほぼ一瞬で)、それぞれの分類箱に放り込んでいくことこともできるようになるでしょう。  繊細と大胆、二つながらに駆使できるのが、大人でしょう。
: 「人とあそばなければ、それによって互いに間ができ、さらにあそばなくなる。」 「太るのと同じ事。」  (waka君、太るの、太ってるの、だいぶ気にしてるね。笑)  前頁でも書いている、太ると動きづらくなり、運動不足でさらに太る、というようなこととの類似か。  太ると腹が減りやすくなり(食欲が増し)、さらに太る。食べ過ぎると胃拡張となり、食べ足りなく感じてもっと食べるようになる。等々もありそう。  本項は、人と疎遠になるメカニズムのことだから、イメージ的にはやせ細っていく方向なんだけど。
: 「「〜してくれ」と家人にたのまれ、いやだ、といい、口論になり、結局、やることにして、「じゃ、やる。」といったとき、「やっぱり、えらい/や/わね。」などと、いわれるのが最もきらい。まるで、こういえばキゲンがなおるかのように。これが皮肉であればまだ気持ちがいい。」  「ぼくは、太ってることや、にきびのことをいわれると、そんな気はないはずなのに、いやな気分になる。気にしていないつもりなのに、「ふつうは気にするものさ、おさないやつは気にするものさ」と考えると、気にしてもいいように思えてか、気にしてしまう。」  どうも繊細がすぎる。弱っちい。そして、書きぶりは、ねちっこくしつこい。  自意識過剰というより、自己観察過剰というか・・

※ 『1973/10/14 チョチョンのせつめい。』 : 「休みの日には、学生も休むべきなのか。そうなら、今日一日は正しかった?」 この日は、1973/10/14で日曜日。勉強は何もせず、遊んでしまったのでしょう。
: 「このごろ、右うちまたでなく、左うちまたにまたずれができて、小便と大便をあわせたようなにおいがしだした。 というような液(リンパ?)がでるらしい。 右が、やっとなおりだしたのに。」  困りもんだねえ・・ しかし若いから、清潔にだけはして、放置すれば、ほどなく治るたぐいと思うよ。
: 「「男の理想は女である」というような真理じみたことに気づくと、自分の心のうちにとどめておくのが一番いいし、かっこいいと思いながら、次の日に、なぜか、友に話してしまう。こんどはどうだろうか。けっして、話すなよ。」  waka君は基本的に話し好き。話をよく振るし、振られるのも歓迎。  ただ、噂話や利害が絡むなどの俗な話題より、真理とか名言とか謎かけとか、小説、マンガ、ゲームとか(理想の女子やら愛やら)、そういう高踏遊民ふうのテーマがうれしいタイプ。
: 「信徒をうつ. ざぜん ―― 愛」  「愛をしていない状態より、愛をしている状態の方がふつうなのでは?  すると、愛をしていない方を中心に考えた方がわかりやすい?  ぜんのうたれる時、愛をしていないとする?」  愛をする、しない、というのがピンとこないな。禅の公案か何かを、吟味、思案しているんだろうか。
: 「人間の理想は女にあり、人間の快楽は、気持ちよくねることにある。 女とねることでない。」  ここに至る道筋は良くわからないが、そこそこ、真を突いている感触はあるかも。
: 「どんなものでも切ってしまう剣が2本あったらどうなるだろうか。」  思考実験なんだろうけど、このイラストがとてもうまく描けている気がする。
: 「となるのだろうか? しかし、剣は刃の所で切るのだからおたがいがおたがいの剣のあたった刃の上の一点を切りあって、(つまりなくしあって)それ以上は切らないのではなかろうか。 つまり、みためにはひとつもきれていないようにみえるのだが、その剣同志があたった刃の上の一点で、もう一度、他の物を切ろうとしても、もう切れないのである。」  刃の上の一点、とかが、幾何学の理論上の一点のように思えてくる説明だ。(まあ、前提自体が、非現実的、理論上のこと、だしね)
: 「ぼくは、5日のうち4日は、夜になると、おじいさんに呼ばれて、せなかをあらう。めんどうで、特になにかをしているときはめんどうでいやだ。ところで、おじいさんがぼくをよぶとき、フロ場と、台所の間の、水色の戸をあけて、「ワカ■■よんでくれ」という。 その水色の戸のすぐ外にガスがま、その外に台所というわけ。このひらき戸、あけるとき、グッチョチョンというような音がする。戸をしまっている状態につなぎとめておく、金具が、ドンと戸をあけたときにグッとなり、急にあけられたため、戸がきしみ、ゆみづるのようにしんどうして、チョチョンというへんな音をたてる。つまり、ドン、グッチョチョン、というわけ。 この音がすると、ぼくがせなかを洗いにいかねばならぬ。ちょっと前、もうおじいさんもねてしまい、お姉さんがはいっている時と知っているのに、この、ドン、グッチョチョンがきこえた所、またあらうのか、とめんどうがる気持がおきた。姉きは、お母さんにどうぞはいってとかいうためだったのだが。これこそ、条件反射。」  この特殊な事情、事柄を、ここまで詳しくわかりやすく記録できていたとは、waka君、わりと優秀ではなかろうか!?
: 「チョチョンのせつめい。」  戸の鳴るようすの進行分解イラスト。  これもよく描けてると思う。この晩のwaka君、いつになく冴えていたみたいだ。  (日曜日、勉学を怠けて遊び暮らした効果かな。笑)
: 「今、11時すぎ。目ざまし時計を4時にあわせた。5時間ではどうせおきられない、と思うかもしれないが、耳もとでめざましがなるのだ。おきられないわけはない。勝負は目をあけてからだ。もう、めざましはなってしまったのだから、あとは、自分の気力で、おきていかねばならぬ。」  うんうん。よくわかってるじゃん。  いくつになっても、あとは、自分の気力、だよね!   (ただし、年をとると、睡眠時間は比較的短くても大丈夫。今は、5時間もあれば十分。それに睡眠欲のようなものも淡泊になるので、起床時、あと五分とかぐずぐずしたりせず、己に克ちやすくなる。逆に、起床後、体が本調子に動くようになるまで多少もたつくようになったか。生命力をすみずみまで充填するのに手間取るみたいな)
: 「いつもめざましを耳もとでならしているうちに、人は必ず、おかしくなると思う。」  「時計の音がそばで チクシャクチクシャクチクシャクチクシャ といっているのはねている人にとって、うるさい。」  笑。  何十年も、目覚ましを鳴らしてきたけど、おかしくはなってないよ。  それとも、おかしくなっているのに、おかしくなっているがためにそうと自覚できないだけ、だったりして?  (少なくとも、目覚ましが鳴れば、覚醒行為を始めるという、スイッチは植え付けられてしまっているんだろうな。 たぶん、うるさいから起きる、のではないんだよね、もう)  なお、本項は、寝床に入ってからしばらくして、もそもそ抜けだして、このノートを開いて書いているってことになる。  waka君にとっては、時計の音よりも、書きたいことを書けていないという気がかりのほうが、安眠を妨げるため、だと思う。
: 「家がもえてあたりまえの夢をみた。ちゃんと理由はあったはずだが、まじめな顔で火を紙にとって四方になげ、うまくもえぬうちにおわってしまったのをくやむ。」  やや怖い夢だ。  もっと別の犯罪でこのパターンだと、もっと怖い夢になりそう。
: 「あさくさでら せんそうじ >?」  東京都台東区の浅草寺なら、せんそうじ。  本尊は、浅草観音(あさくさかんのん)とのこと。

※ 『1973/10/19 カレンダーのような成積順位表』 : 「9/17 ・αのーとから、宿題の問題をうつしてタケに。 ・第1会議室のかぎをかりて、整理  テスト前に教務室にはいるのは、印刷をしてるから、ヤバイ?」  頁上辺のエンピツ書きメモ。10/17のまちがいでしょう。タケは級友か。  テスト前、そのテスト用紙の印刷を教務室でしているはず、よって、鍵を借りるためでも入室するのはマズイかも、の意でしょう。
: 「上にいた方がいい。上にいれば好きなときに下にさがれる。が、下から上にあがるのは容易なことではない。」  ずるい感じの処世術か。  とはいえ、一度上に居場所をえたら、しがみつけ、死守せよ、と言ってるようなもの。好きなときに下にさがれる、というのは、抜かずの剣ということになるのでは。  (抜かないけれど、抜こうと思えば抜ける、その剣を持っている、という優越感がうれしい、ってことになりそう。なんか、みみっちくないか?)
: 「まじめな道を歩いていてと中からすね者になったやつは、負け犬とみられる? はじめからすね者ならだいじょうぶ?」  人にどうみられるか気にしすぎるすね者では、小物(こもの)という感じだ。  前項とは逆の事を言ってるようでもある。すね者がドロップアウトして格を下げた者とみるなら、最初から下にいればいい、と言ってるように聞こえるので。  すね者となるのは勇気も要るし進路も手探りだろうから難度高く、まじめな道を歩くのは流されていればいいわけだからむしろ容易。とみるなら、前項とある程度同じ事を言ってることになるのかも。
: 「現国」  の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく5項目分の空白。  → 当頁、同様の仮メモ用空白多し。  数学β(6項目分)  Grammar(4項目分)  世界史(9項目分)  物理(1項目分)  → 次頁も。  数学α(1項目分)  倫社(6あるいは5項目分)  漢文(5項目分)  → すでに何度か述べているが、これら授業ノートは失われているので、これら空白が埋められる(清書される=フクセイされる)ことはもうない。
: 「クニトリで、マゴイチは、「ワカダユウ」といわれる。ぼくは昔、「ワカチャン」といわれる。」  この年(1973年)のNHK大河ドラマが『国盗り物語』。マゴイチは雑賀孫市。
: 「βの教生の先生に今日の授業のはじめ、エンピツをかしたのだが、そのためにか、授業中、やけにぼくをみて、説明しているようにみえた。目が何度もあうので、ついにはぼくそらす。あっちもべつにずっとみていたわけでないよう。」  なんかやだよね(笑)  うら若い美人先生と目が何度も合うならまだしも、この教生の先生たぶん男性だし。(女性なら、うれしいとか恥ずかしいとかひとこと書くはず)
: 「おなさけは机の上でやってもいいが、たいらなら、教科書や本、ノートの表紙の上でもできる。」  おなさけは、ノネハジキの種目名。

ノネハジキのあらまし。
 机上で硬貨をぶつけ合わせてする遊戯。名称は、かねはじきの頭音の軟化したもの。(人によっては、そのままカネハジキと呼称)。
 ノネアテ、ともいう。
 waka君の中学から高校にかけて、同学年の中で流行る。
 前後の学年ぐらい、中学同学年の卒業生が進んだ高校いくつかぐらいには、伝播したかもしれない。
 ほとんどの者が、まん中に穴のある五円玉を使う。穴に人指し指の爪を押し付けて弾く。
 ノネハジキには、大別して二種類のルールがある。
(1)オトシッコ
 中学のwaka君のクラスで流行っていたもので、原則は、敵のコインを落としたら勝ち。
 当てても、敵を落とせず、自分が落ちれば自分のアウト。当てて、敵も自分も落ちた場合、敵は復帰、自分はアウト。
 中学のころはこれしか知らなかったので、仲間うちでノネハジキ、ノネアテと呼称。
 高校に進み、オナサケという別ルールを知り、区別するために、こちらはオトシッコと呼ぶようになる。
 習熟してくると、学校の一人用の机の場合、はじからはじまで、ほぼ百発百中。ただ、ふちぎりぎりで待機されていると落とせても自分も落ちる可能性が高いので、じりじりこきざみに移動させ、誘いの隙を見せて相手にうたせる、誘いが甘ければ的確に咎めうち落とす、などの攻防となる。
 よって、長机を使用したり、障害物を置いたりのバリエーションも生まれた。
(2)オナサケ
 中学のwaka君とは別のクラスで流行っていたもので、原則は、敵のコインを落としたら負け。
 敵のコインに当てはするが、落としてはいけない。
 敵のコインに当てられなかった場合、オナサケと発声して謝り、一回は許される。
 二連続で当てられなかった場合は負け。
 以上は、自業自得での勝ち負けだが、敵を陥れてアウトにするために、間接的にコインを落とす方法が採られる。
 (チーム対抗ではなく、原則、個人戦なので、参加者のうち自分以外は皆敵といっていい)
 その方法とは、自分のコインAを、敵コインBに当て、そのBが敵コインCに当たって、Cが落ちればよい。
 敵のコインを落としたら負けなので、Cを落とした罪によって、Bがアウトとなる。落とされたCは死なない。間接的に落としたのはAで主犯と言えるのだが、間接は無罪なので、死なない。
 (もちろん、Cを落としたBを落としてはいけない。この場合も、Cを落とした罪でBはアウトだが、Bを落とした罪でAもアウトとなるので)
 いずれの敵からも遠い場所にいれば、この間接技は受けづらいが、二連続で敵コインに当てられない可能性は高くなる。
 まわりに敵コインがいれば、容易に当てられるが、この間接技の餌食になりやすい。というわけで、位置取りがなやましい。
 おおむね、いくつものコインが群れて、コチコチ当てあう展開がつづき、小ミスをしたものから餌食になって脱落していく。最後の二人になると、当てて遠くに逃げる、当ててふち近くに逃げる、という技などでしのぎ合う。

 ノネハジキ(ノネアテ)については、当displayのどこか他所で、すでに相似した説明をしていたかもしれない。  → おお。さがしたら、『1973/05/17 世にいう おほしさまか?』の注記にありました。  ここの説明とやや異なるところがあるが、まあ、半世紀前の遊戯のことなので、記憶がいちぶあいまい。  呼び起こすたびにちょっとずつちがったり!? あちらとこちら、足して二で割ったぐらいが真に近いか(^^;;
: 「タカ■■スミ■さんの声と、タ■■さんの声はにてる? 低いとき、同じにきこえる?」  タカ■■スミ■嬢は妖艶美女。おかっぱ髪。  waka君と将棋を指したりするタ■■嬢は、和風おっとり系。長めの黒髪。
: 「草木が半年かけてつくったイモを、私は数十秒で食べてしまった。しかし、ゆっくり食べようと思えば、10年かけて食べることもできるのだ。」  産生と費消のアンバランスをうたう前半は、永い生と一瞬の死をいうよう。あたりまえのごく自然なかなしみ。  後半、育ちあがるのに半年かけたかもしれないが、こちらもかけようと思えば十年であれいける、と。じっくりと引き延ばしてお前を味わってやろう、とうそぶく。不自然な、歪んだかなしみをまとう。  などと、ポエティックに読むこともできそう。やや不思議な項だ。
: 「今日は、夢の中に、カレンダーのような成積順位表がでてきた。カレンダーのように1つのテストで1枚かいてある。1枚の中にクラスの全生徒がのっている。」  成績が正しい。
: 「夢の中で、■めさんが一番になっていた。また、うちにでいりした人が2人死んで、ほっぽてあるので、友だちをちかづけたくなかった。また、自転車を改良して、オートバイにしたが、タイヤが小さいので、自転車よりおそく、まがるときなどは、足でいくらかペダルをふむので、あまりかわらぬ。 また、物理の先生に 《黒っぽい物体の絵》 のようなものをとどける。 金属、オモリ? これのある店にもいく。」  「完全に全体を覚えていりゃ、おもしろい夢。 チリガミがどうとかもでてきた。」  黒っぽい物体は、円錐形に近く、丸みもあり、強引に亀頭とみなされたりもするかも。夢判断など誰かがすると。  ■め嬢は、『1973/09/18 鼻柱をはさむというような拝み方。』ですでに登場しているが、あちらの記事でも、夢にでてきている。偶然なのか、夢にでやすい女子なのか(笑)  あちらの注記で、■め嬢が文化祭で歌唱して、あまりに上手くて連続優勝したと記した。  これに関係するが、(この年1973年の)文化祭プログラム別紙の「文化祭実行委員会主催のど自慢大会出場者」リスト(このリスト自体は既述の通り当displayへの掲載は省略した)をみると、この年、■め嬢が(もう一人と組んで)歌った曲は、つまり栄冠を勝ち取ったのは、「スカボロフェアー」(表記そのまま)。
: 「10/19 ・10円玉をガマ口ニ ・チリガミ」 「10/19 昔の日記をよもう!! 日紀」 「10/20 イ■■チャンにαノート.」 「10/P1 αノートbuy Hエンピツ」  頁上辺のエンピツ書きメモ。10/P1は、日付を書き違えていると思うが、11では時期が合わず、21では字が違いすぎ。(配置からいえば21が可能性高そうか)
: 「上、読売新聞より。(10/18)」  waka君、この広告の女性の調った顔立ちがいたく気に入ったのでしょう。
: 「(10/19ですよ) Saturday を、木曜日と訳したよ!!」  Thursday 木曜日。 Saturday 土曜日。  文字→意味、ではなく、文字→発音→意味、という経路だからまちがえるんだろうね、waka君。  あるいは授業中、聞き違えて、ということだったかも。
: 「記と紀の差は?  日記 ・・・  日紀 ・・・ 」  これは、上辺のエンピツ書きメモで、記の字を迷っているふうなので、そこから湧いた疑問てことか。  手元漢和辞典(角川漢和中辞典)によれば、〔記は、心におぼえること、また、いちいち分別して書きとめること。〕〔紀は、筋道をたててしるすこと。〕とある。  ざっと、記は叙情叙事、紀は事実時系列優先、かな。  この語釈にかかわらず、ふつう、日紀とかく人はいないわな。
: 「にわふみを たんばふみを」  小説家の丹羽 文雄(にわ ふみお)のこと?
: 「オナサケ 《図解 4図》」  上の、ノネハジキのあらまし。の該当部分に沿っているはず。  ふだん遊んでいるルールの、再確認、吟味をしている。
: 「ノートの中の、中ほどにそれが書かれているとき、「ノートの中に書かれている」といってもいい。が、ノートの中の終わりの方にそれが書かれているとき、「ノートの中に」というより「ノートのおわりに」といった方がいいか?」  細かいことを気にしているね。ノートの中、というとき、中身を指しているか、中程の位置を指しているか、どちらともとれる。それによって生じる誤解があるかも、といっている。  (たぶん、誤解が生じないようにこうしたほうがいい、というのはメインではないな。あくまで付け足し。気になるのは、waka君にとって重要で書いておかなければと感じるのは、ほぼ、両義があるというところ(興趣)のみだと思う)
: 「織女 しょくじょ しゅくじょ }どっちでもいいような感じする。」  でも正しくは、しょくじょ、だよね。  辞書によれば、おりめ、たなばた、たなばたつめ、のよみもあり。
: 「糸をおる女が、しっとにくるって、くもになる、という話はだれの作だっけ? 一人の青年と、山の女神、糸をおる村の娘の話。」  これはおそらく、『荒絹(あらぎぬ)』志賀直哉。  そして、この、『荒絹』は、ギリシャ神話のアラクネーの話が元。
: 「アクタガワのカレノショウは、ソウセキ先生の死からかいた? 関係してる?」  芥川龍之介『枯野抄』。芭蕉の臨終、その場の弟子たち。

※ 『1973/10/20 というボタン』 : 「オナサケや、カネハジキは、もう芸術だ。絶やしたくない。(イ■■チャン。ぼくも同感)」  ・・・ 「これこそ、ぼくが、本にして、皆に知らせるべき事??」  以来、半世紀、怠っておりました。その半世紀の大部分、忘れておりました。(^^;  ノネハジキも、かなり昔に絶えてしまっているのでは。waka君たちが愛したルールのそれらは。  (硬貨を弾いて遊ぶということ自体は、手軽だし単純なので、誰に教えられなくても自然発生し、絶えてもまたどこか誰かが似たのをやりはじめる、ということはあったはず、これからもありそう)
: 「アリサを好きな大学生が、このごろのマンガはどうだとか、料金を自然科学に払うことは知っていても、人文科学、特に生物なんかに払うことを知らない。とかいう。マーガレットの11月号を買い、それのはいったふくろをぽんとなげだし、ああよめる、と思ってるところ、目がさめる。 また、バスにすべりこみもした。マーガレットを買っていてバスがきたので、パーといったが、戸がしまる。でも、その戸をおして、中にはいった。ひきどでなくぐにゃりとおれる戸。じゅくの仲間や、おにしなんかがのっていた。うちまで、長い坂があり、それをがんばってこばしりする。つかれないうちに家にたどりつき、マーガレットを読めると思う。  もっといろいろみたが、覚えているのはこれくらい。」  夢の話。支離滅裂なようだけど、とりあえず、複雑な筋じゃないよね。マーガレットを買った、家にたどりつけば読める、早く読みたい、という欲求が軸だね。  マーガレットの11月号といっているので、これは月刊誌の、別冊マーガレット(別マ)ということになる。  おにしは、中学同級の友人。  アリサというのは、今しらべると、『銀色の髪の亜里沙』(和田慎二作)が最有力候補。なんだけど、Wikipedia〔「別冊マーガレット」1973年4月号 - 5月号に前後編で掲載された。〕とあって、長期連載というわけでもなさそう。半年後に夢にでてくるものだろうか、という気もする。そのぐらい印象的なキャラだったんだろうか。
: 「10/20 へやわりに結着。」 「江藤淳 「漱石とその時代」を読もう!!」 「カサをゲタバコに!!」 「10/20 モテ■さんに 化学レポート」 「αノートbuy、Hエンピツbuy、緑のボールペンbuy」  頁上辺のエンピツ書きメモ。へやわりに結着、というのは次頁の本文にあるのが、該当するものらしい。  モテ■嬢はクラスメート。
: 「タツオがこのまえ、こんでのテスト 組で3番から15番などといってたよ。(現実)」  もう一つ、意味不明だ。3番から15番のどこかの順位だよ、とぼかして言った。前回3番だったけど15番に下がってしまった。このどっちかかなあ。  タツオは、この年の、文化祭実行委員会委員長。
: 「おのぎ いい名? のぎ子、?」  のぎ子。良い名かな。  漢字だと、禾子か。ツンツンしてる、いたがゆい、という感じはする。  おのぎ、というのは、小野木などの姓ではなく、玉をお玉というように、のぎにおをつけたものだと思う。
: 《上着のボタン、過剰な量のボタンとボタン穴の図》  おしゃれ、装いとしてはありだろうけど、律儀にこんな大量のボタンを留めていたら日がくれちゃうよね。  こういう場合、ふつう、穴に通すボタンは必要最低限にして、あとは飾りボタンにしてしまうはず。
: 「高1の頃、土ようびなんか、昼めしくうのも忘れて、ノネアテをやったものだ。」  ばかですね〜   でも、対戦相手がいなければできないわけで、まわりもばかぞろいということになってしまう。  そこそこのレベルの高校なんだけどね〜
: 「化学」  の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、1項目分の空白。  のはずだが、その内容とおぼしき「ハロゲンをHロゲン」も書かれている。
: 「戦犯 センパンをセンカンとよむ. センハン?」  なんとなく、犯をカンと読む場合もあったような気がしたが、調べても無し。  干犯という語のイメージがのこっていて、かな。
: 「ムッチムチはロコツ ムッチはロコツ つぼ■さん? ムチ:ピシーン」  笑。なぞ。  かなりあいまいな記憶によれば、中学同級で高校も同じつぼ■嬢のあだ名が、ムッチだったような。  そこで、途中で、彼女の名が呼び出されたか。  つぼ■嬢は、真面目な才女なので、ロコツや鞭等々とは無縁です。念のため言い添えれば。
: 「漢」  漢文の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、6項目分の空白。
: 「どよむ よどむ )?」  どよむはどよめくが正しい、と思ったが、辞書をひいたら、どよむ、ちゃんと昔からあった語。
: 「このごろ 万葉軒のうどんくってない。つまり、駅の中の60円かそのぐらいのうどんを。高校になってからぜんぜん?」  好物だったんだけど。千葉駅の立ち食いうどん。中学は電車通学だったが、高校は徒歩、または自転車でいける。
: 「ぼくは中学の頃、女子を、みよじにさんをつけて、○○さん、とよんだ。そして、それがあたりまえだと思ってたので、他の男子が、女子の事をよびすてにしたり、君とか、おたくとか、あんたなんていっているのをきくと、ぼくのわがままから、それはふつうでないときめつけ、彼らは、特別の関係になってしまっているのだ、としてしまいたくなった。」  「ぼくがこのように、男女関係において、とても硬い考えをもっているときは、男女関係において、みなより高い位置にあるという自負から、自信がつき、勉強もいい点がとれたのではなかろうか。それが、このごろは、まったくやわらかくなってしまって、この方面において、みなより高いという感じがうすれ、自信もへってきて、勉学にも悪いえいきょうを与えているのではなかろうか。」  こじつけっぽいな。  でも、男女関係について硬から軟への移ろいがあったと自己分析しており、その辺りは興味深い。  このこじつけの筋道をスッキリさせるために、あえて、大げさに分かりやすくそう書いている面もありそうだけど。  この前後は、中学の頃を想起した項がつづいている。(万葉軒のうどん辺りから?)
: 「タ■■さんは目がわるいのか、というか、近視なのか? ・・・ 」  以下、タ■■嬢にまつわるいくつかを書いている。  気になる女子のことをこうして文字にするだけでも、多少は癒やしになる、自分をなぐさめられるからだろうね。
: 「 ・・・ それに今日、すべて授業おわって、ぼくが、手をひろげてのびをしたら、ぼくの右手のこぶしに、タ■■さんのもものところあたりかがぶつかって、びくっとした。 ・・・ 」  「 ・・・ それからもう1つ。授業中、ぼくの右うしろにタ■■さんがいて、ときどき、白い足がみえる。みえるときは、ぼくの目のすみにうつるだし、ノートをかくため、頭をひくくしたときで、メガネをかけていても、すみだからガラスをとおらぬ。つまり、ボケーとみえるのだ。が、あまりはっきりみえないからこそ、肌色のものが、ちょっとみえるだけで、なんか、色っぽいのだ。ああ、こんなことだから、そして、こんなことを、今ごろかいているから、成績はさがるし、しあさってのテストも悲しいめにあうのかしら?」  笑。  気になって、なやましくて、心ふるえるようでもあり、ちょっと苦しくもあり。  だらしない、ていたらく、だとしても、お年頃なんだから、健全といえば健全。(なまごろしといえばなまごろし)  今からながめると、うらやましいぐらいのみずみずしさ、若さ、おろかしさだ。
 なお、「・・・ ことここにいたると、ぼくは、ちょっと劣等感を感じ、悲しくなるのだよ。なぜ、ぼくのまわりにはぼくよりりこうな、頭のいい、成績のいい人たちばかりなのかしらん。」と嘆いているが、そのわけはわりと明瞭だろうね。まわりの皆が突出しているというより、君が陥没しているのだよ(爆)
: 「10/20 ■田先輩に30円」 「10/20 夕刊、十段戦のをキリヌク!! ドコンジョウガエルハチカン  母よりエンピツ ノート の金¥280」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  ■田先輩は、文学クラブつながりの先輩だったはず。面白味があってちょっと調子のいい先輩。30円貸したもよう。  この年の十段戦七番勝負は、中原誠十段×大山康晴九段。開幕第1局は、10月24日、25日。よって、20日の時点では、展望などの 特集記事辺りが読売夕刊に載っていたんでしょう。  『ど根性ガエル』(吉沢やすみ作)は、単行本を全部買っていたはず。
: 「部屋わりのカーテン、暗まくは、今日で、まだあつまらないのが4枚あったけど、先生がいいというから、それでまとめて、ハコにしまい、もとの所においてしまったよ。 しかし、物理の所にもっていった16枚の暗まくは、おもかった。何度も、ダンボールをおいて、ヒーヒーといった。」  前頁上辺のメモにあった「へやわりに結着。」とはこのことでしょう。  文化祭実行委員として、部屋わり関係の役に就き暗幕の管理もしていたと思われる。  で、それをやっと、借りたところにおおむね返しおえて(本文にあるとおり完全ではないけれど)結着ということにした、と。  文化祭が10/7におわって、この日は10/20だから、暗幕の後しまつだけに二週間もかかっている。まー、少々仕事が遅いといえばその通りだが、一人で引き受けたんだろうし、waka君としてはせいいっぱいなんだろう。  (とにもかくにも、おつかれさま! ^^)
: 「自分は働いた、という証拠をみせるような汗を、それがなんのほうしゅうをもとらない行為であれば、けっして、みせてはいけない。まるで、ほうしゅうを要求するよう。そして、汗は手ばやにハンカチでふけ。そして、ふいている所もみせてはいけない。いつも汗のない顔だけを見せろ。」  これは、暗幕関係に結着をつけた自分へのねぎらいとはげましの言辞なのだろうな。waka君なりの。  まわりくどいけど、がんばった、十分働いた、と、自分を誉めているのだと思う。
: 「■■したさんも、■■けさんも、ほおが赤い。タ■■さんも赤い。おれは、ほおの赤い人に感動するのかしら? ちなみに、タ■■さんは北国の人。(ホッカイドウからきた)」  「ここまでかくと、もうこのノート、けっして人には見せられない。」  ■■した嬢は、中学の同級。display『1973/08/31 いろいろな虫の声がする。』ですでに登場。  ■■け嬢は、中学の他クラスにいたwaka君の想い人(あちらの注記では仮にK嬢と呼んでいる)。  両嬢とwaka君は高校は別々。  彼女たちの共通項が、ほおの赤さか・・  色白で健康なら、ほんのりほおが赤らむよね。ふつうのこと、かも。

※ 『1973/10/23 彼女も、けいかいの色を表わした。』 : 「10/23 朝、下着でもきがえる?」 「10/24、コンパス、三角定規、忘るな!!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。8頁前の上辺のエンピツ書きメモに「現化 α世 英 古物理 }中間」とある。中間テストは10/23から始まるので、23日は現国、化学。24日、数学α、世界史。25日、英語。26日、古文、物理。というところか。火曜〜金曜。  よって、24日の数学α、コンパスと三角定規をテスト中に使うという予告があったのだと思われる。
: 「10/21〜10/23」  この頁にある記事の日付、その見出しになるので、これは、10/22〜10/23 が正しい。
: 「おのがじし」  辞書によれば、〔(「己が為(し)為(し)」の意) 人それぞれ。めいめい。各自思い思いに。 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006〕
: 「てすとなどひとつもこわくないのだ。ただすきなだけ、てきとうなだけキカイ的に勉強して、学校へいって、紙に字を書いてくればいいのだ。そうかんたんには落ちないよ。」  初日の前夜。  開き直れた? 落ちないよ、は、成績落ちないよ、ではなく、落第しないよ、のほうだと思う。
: 「テストがおわったら、どこんじょうがえるを本屋にでてるかんみんなかって、中島あつしのをよんで、(これはテストを思いだしていけないかも、しかし気にしなけりゃいい)マーガレット11月号をよんで、土民のことも考える。」  2頁程前、テスト前の圧迫感から、土民願望のようなことを書いている。  〔おれは無知な土民の一人であった方が、しあわせだったのだろうか。おそろしいものには、おびえ、すばらしいものには感動する、無知な土民の一人である事。自分の食い物を自分でつくる土民であること。名声も名誉もありはしない。ただ、単純で、美しい生活。 ・・・ 〕などと。
: 「なんか今日の夢に、い■さんがでてきたみたいだったが、内容は忘れてしまったみたい。」  い■嬢は、display『1973/09/18 鼻柱をはさむというような拝み方。』でも、夢にでてきている。
: 「4:00にめざましを、(1時間すすませてあるので、つまりは5:00に)かけていたのに、おきてみると、6:00(時計では7:00)。ベルをとめるボッチをみるとちゃんとおりている。いったいだれがとめたんだ。 ・・・ 」  先に寝て、おきてから勉強、という方法を採っている。あまりに不確実だよね、時間を確保するためには。どうしても想定時刻に起きられない、寝過ごす、二度寝する。起き抜けでぼんやりしているときは精神は弛緩しているから、すぐさま起きるんだ勉強しなければ等々の意思が浮かんでこない、浮かんできても、ゆるゆると崩れやすい。  あかんな。気合いを入れて、まずは寝ずに勉強して、深夜きっちり予定をおえてから安心して就寝する。このパターンを習癖にするのが結局一番時間を稼げるはず。  テストの日程は数週間前からわかってるんだから、こつこつと前倒しで勉強したりノートをまとめたりしておかねば。つい、小説とかマンガとかテレビとかで遊んでしまうんだろうけど、ノルマをきっちり仕上げてからのあとのお楽しみにしなければね、これも、癖として。  (とはいえなあ、日々、翌日の授業の予習とかが必要だろうし、宿題やレポートもあるだろうし、それにこの時期、文化祭準備で大忙しだったし、言うは易く行なうは難し、でもあっただろうなあ。 ・・・よって、こういう輻湊を予想して、夏休みのうちから前倒しをしておきなさいってことなんだろうけど、これ言ってたら切りが無いか・・ )  なお、waka君、テスト前の一夜づけが常態化、それすら、こういうふうに寝過ごしたりして不十分。地頭があろうとなかろうと、こういうことでは、成績は伸びませんな。  さらにいえばだけど、これは最近知ったことなんだけど、人間の記憶というのは睡眠中に定着するものなんだそうな。しっかり勉強したら、しっかり睡眠をとる。これでようやく、刻苦勉励の成果が身につくらしい。waka君の採っている方法は、真逆だわ。せっかく勉強しても、ぽろぽろこぼれていっちゃうらしい。  いろいろ指導してあげたいけど、あの世といってもいいぐらい遠くの別世界だからな、すでに(^^;;
: 「どんなことになっても、カンニングだけはするな。0点でもいい。なんてうそ。20点ぐらいでもいい。心はればれといかぬまでも純粋に心を沈めよう。」  不正でどす黒く後悔するぐらいなら、成績不振で純粋に落ちこもう、か。
: 「修学旅行前にゆうかいされる が、修学旅行の列車がだっせん、全員死。  ゆうかいした人にお礼」  コントのオチなら、あり、ぐらいだろうが、コントなら、全員死はいただけませんな。(なので、このままでは使えないでしょ)  原型は、塞翁が馬か。  翌月、ほんとうの修学旅行(京都、奈良)がある。
: 「寺■のおばさんが、綿入れをつくってくれたよ。」  おお、この綿入れ、長い間冬場のお供になってくれた、waka君のお気に入り。ツギを当てたり何度も繕ってずっと着てたけど、ぼろぼろになってとうとう捨てたけど、うーん、もしかしたら二十年三十年ぐらいもってたかも。  これより数ヶ月か一年ぐらい前、寺■のおばさんがきたとき、そう頻繁に会う人でもないから、waka君、ずいぶん親切にしたような。雨がふっていて傘をさしてあげたりもあったような。たぶんこのときのことをおばさんが喜び、わかちゃんにということで手縫いしてくれて、贈ってくれた。
: 「ある飛行場に悪魔がおりました。ときたま、彼の求める旅人を見つけては、・・・ 」  小話のそこそこのプロットだと思う。  初稿と二稿(書きなおし)があるけど、どっちもどっちか。  三稿、四稿ぐらいまでがんばれば、お披露目できる域にはなりそう。  すぐ前の修学旅行の話より、だいぶマシになった。 (しかし、磨いて小話として完成するかもしれないが、結局は小さくまとまってしまう事は否めないか。それがこのネタの限界か。 もっと奥行きや広がりを感じさせるにはただ磨くだけじゃ足りなそう)
: 「「プラッシーの戦い」という文字をみて、一瞬、「ブラジャーの戦い」とよみ、アレッ、と思った。」  たのしいね(^^)  プラッシーの戦いは、イギリス東インド会社軍 VS ムガール帝国のベンガル太守とフランス東インド会社の連合軍。前者の勝ち。  世界史の勉強をしてるということは、すでに初日の現国、化学は済んで、夜になってるってこと。
: 「中学の頃はカッペやササ■とよくけんかしたが あるとき、 ・・・  教室の入口をあけてみると、ぬっと人がでてきた。敵だ、と思って、すーとあしをまげつつ上にあげ、すぐけりだせるようにしたところ、でてきたのは岸■さんだった。 岸■さん、目をまるくして、なにごとか、というような顔をして、ぼくのいまにもとびつきそうな、そして、自分 彼女 をけいかいし、おそれるようなようすにおどろき、彼女も、けいかいの色を表わした。あの恥は忘れない。」  カッペ、ササ■、岸■嬢、三人ともwaka君と高校は別。  岸■嬢が追憶の中に登場したので、彼女に関わるさらに昔のことが浮かんでくる。2項あとで。
: 「1年の頃、こうどうで何かをやっているとき、お西と二人で、おっぱいをさわるのさわらないので、岸■さんをいじめたことがあった。あの気のつよい女、とうとう泣かなかった。 ・・・ その次にこうどうですわるときは、きし■さんと、しま■さんが席をかわってしまっていたよ。」  こうどうは講堂。お西や新■ちゃんとは高校別。しま■嬢も別だったか。(前々項と本項に登場している男女は皆、中学のクラスメート。中学三年間、クラス替えはなし)  男子二人で、女子一人をいじめる。しかも、胸をさわろうとして。  ひどいね。卑劣だ。
: 「 ・・・ まるで痴漢だった。 ・・・」  欲望むきだしの男児。あたかも権利であるかのように感じていた気がする。痴漢よりたちが悪いか。あるいは、大人の痴漢の本質もこれか・・  中二、中三ごろになると、この件、岸■嬢にわだかまりは残っていないように感じたけど、それはこちらだけで、彼女が表に出さなかっただけかも。
: 「しかし、中学の頃はおもしろかった!!」  懺悔ばなしの締めが、これかいっ。  試験期間のただ中(初日夜)、思い出(にがめ)にひたる、か。
: 「このごろ自転車の遠乗りなんか、ぜんぜんしないなあ! 前は千草台とかそういう方によく行ったのに。試験が終わったら、自転車をなおして、どこかに行こう!」  千草台団地というのが、千葉市中心部からやや外れたところにあるが、今地図をみると、郊外、遠乗り、というほどには離れていないね。  当時は、世間が狭いので、そう感じていたんでしょう。

※ 『1973/10/26 右親指の上の方内出血。』 : 「けいこうとうおかしい。」 「チエノワbuy」 「シャルル」 「チエノワ」 「自転車を自転車屋に」 「カサゲタバコに」 「アネに¥500をヤッタので、おつりをもらう。モーガの11月号、」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  モーガは、マーガ(マーガレット)の書き間違い、または、あえて異音にしてみたくなったか。  月刊誌なので別冊マーガレット(別マ)ということになる。読みたいけど、少女向けなので、購入を姉に依頼したってことでしょう。  次頁で詳述があるが、おつりは330円。よって、別冊マーガレット11月号の値段は170円。
: 「陣 陳 棟 }?  「れん」といって、たてもののことを、「第1れん」「第3れん」「特別れん」などという漢字は?」  棟と練を混同して、第1棟を、だいいちれん、などとまちがえる読み癖がついてしまっていたみたいだ。  それが深くしみついてしまい、辞書などひいて棟はれんと読まないと判明した後も、建て物を数えるれんという語が別にあるはずと漢字をさがしいている。そういうことではなかろうか。
: 「なんか、すご〜〜く、頭というか、心が重くなった。非観して、ほんとに、うやるきがなくなるほど、重くなった。 ぜったい次のテストにはこの苦しみをくりかえしたくない!!!」  「こんどこそ、ほんとうに、テストがおわってから、まじめに、勉強する! この悲しさ、苦しみ。 こんどの英語は、どうあがいても、いや、このぶんでは30点以下。ぼくはあがくより、逃げることを欲している!!」  英語のテストで、答えをかける問題が無くなって、テストなかばでほおづえをついてしまったことがあったけど、このころかな。
: 「英語、日頃しらべてあるべき単語さえ、半分がしらべてない。授業で自分がさされそうでない所はひとつもやっていない!!」 「今鏡をみたら、わりとあかるい顔にみえたが、頭が小さくもみえた。 〜〜〜もうだめなのです。英語テスト、とれて20点。15点とすると、期末に、65点とらないと赤点なのです。 が、やはり、20点いっていいところ。そこで、つうしんぼは17点。赤点。1学期が43点。(43+17+X)/3=40 とならねばならぬので、  120−43−17=X ∴X=60つまり、3学期に60点取らねばならぬ。しかし、これは無理また、とれて30点。ということは、赤点。ヤダ〜〜、落ちたくな〜い。 くくくくくく、あしたから、必死でがんばります。必死で。 今日は、あしたのテストの分やらなきゃね。」  この日はまだ25日、翌日26日が中間テストの最終日で、そのテスト科目の古文、物理をまずやらなきゃね、といってる。  各教科、40点が赤点ラインだったはず。
: 「現国45点。化学30点。α40点。世界史22点。英語15点。物理15点。古典35点。  以上予想得点。  5−10+0−18−25−25−5=−78  −78÷7=−11.14・・・   ということは、つうんぼ、の平均29点。  ・・・・平均50点いかないと落ち。 ――― ヤダヨ〜〜。落ちたくない。」  全教科の平均点での縛りもあるのか。  これもきびしい。  これまでの推移、口だけのwaka君(必死でがんばります。必死で。も、この場限り)、なまけぐせ、なにより上のような血も涙もない計算結果、などから総合判断して、むしろ落第しないほうがおかしいよね、ルールどおりなら。  結局、二年時、三年時と落第は免れたわけだが、なんでだろう?   文中にあるような、平均点を一気に引き上げるような逆転劇、高得点獲得の記憶はないのだ。
 ◆ こういう計算を他の生徒もしているはず。優秀な生徒は無関係かといえば、そうでもなく、たとえば現国など、平均点が50点未満なんてことざらだったはず。  waka君が英語で苦しんだように、理数系の秀才は現国、古文あたりが赤点になりそうで悩んでいたかも。  よって、文学方面は多少はましに思われていたwaka君に彼らが質問などしにきたことがままあった。  ◆ こうやって、赤点、落第をちらつかせて生徒を脅して、統御しようという思わくが先生側にあったように、今は想像できるけどな。  つまり、方便的なものなので、最終的には落第はさせないみたいな、暗黙の了解、しきたりみたいものもあったのか。・・どうか。  成績会議とかで、「点数はたりませんが、将来性(努力する姿勢)を加味してここは進ませてあげましょう」とか言って。通信簿など書類上はゲタをはかせて。  落第となると、本人への衝撃はもちろん、世間体悪く、親からのゴリ押しなどが予想され、学校側の至らなさを突かれる場合もありそうだしで、先生たちもそういう大ごとになるのは避けたかったのではという推測もできる。  ◆ 実際、誰かが落第したという話やうわさは、三年間聞いたことがなかった。  (退学したヤツはいたが。といってもそれは、優秀すぎるヤツで、学校での勉学が合わなかった、彼にとっては物足りない、とかいうことらしく、かなり例外的。のちに大検に受かって、いい大学に進んだと聞く)
: 「手ぐすね、とは? 手 具 すね(脛)  両手が互いをなぜあうことかと思った」  すね(脛)は足だから、変だわ。  → 〔て‐ぐすね【手薬練】 《名》 (「くすね」は松脂を油で煮て練り混ぜたもの。弓の弦に塗り、強くするのに用いる) 手に薬練(くすね)をとること。転じて、用意して機会を待つこと。てぐすみ。〔日葡辞書(1603‐04)〕 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006〕  これは、わかりません。調べないと。
: 「P=P0+ρgh (圧力は深さだけに関係する値)」  物理の公式のようだけど、もう理解の外。  ざっと調べているときも、ρghであって、pghでないってことすら、当初気づかなかった。(ρはローと読むそうな)
: 「平和なこのよに、かく生きながらえん ターラララ タラララー   ヘイワナ コノヨニ、かく、あり、いき、なが、ら、えーン ラアン ラアン」   頭のねじが二三本ゆるんでるような状態?  なにか、なげやりになってるような歌に聞こえる。
: 「■■ノリミツ君はぼくのことを「この人」という。  まだ名をはっきり覚えていないのでしょう。」  おお、ノリミツ(ノリ)登場だ。これで、三回目ぐらいか。  この書きぶりから行くと、まだ全然親しくないふう。  ノリミツは長期欠席の常習者だった。だから、これまであまり交流がなかったか。欠席しすぎて落第しないように、計算して、落ちない程度に登校していたはず。(問題児と言えば問題児?)  ノリミツは、しかし、頭脳明晰、運動神経優れており、好男子でもある。三拍子揃って、うらやましいぐらい。  毒舌なところ、俗世間を小馬鹿にするようなところはあったけど、当時の青年で、そういう傾向がないほうがめずらしかったから、欠点とも言えないような。
: 「テストおわる。」  中間テスト四日目、全教科、終了、と。
: 「タ■■さんは、■■ノリミツ君が好きなのか。なんか。」  そして女にもてる。こまったやつだ(^^;  waka君が気にかけている女子たちも(例えば、将棋を指したりもしたこのタ■■嬢も)、まともな感覚をもっていれば、ノリに惚れないほうがおかしい、というのがwaka君の見立て。  よって、みんな持って行かれそうで、勝手に嫉妬したり、心配したり、悲嘆したり、ということになったりする。つづく、本文にあるように。
: 「おれもだめだね。もてない小人のひあい。考えすぎ。うぬぼれ。」  こればっかりはしょうがないよな。  もってうまれたものの差か。
: 「サッカーをやって、右親指の上の方出血。」  「 ・・・ そこでこのごろ親指があまり使われなくて、相対的にさがって、ボールがきたとき、とっさにひっこめなかった?」  サッカーなら、手にあたって、ハンドの反則だったのかな。  テスト明けで、皆であそんだ、身体をほぐした、ってところでしょう。
: 「おやっ おやつ }昔は小さい「つ」がかけないので、「おやつ」となる。」  ここでいう昔は、戦前あたりをいっているのか。  具体例となる書物が眼前にあったりしてるのかなあ・・  小さい「っ」「ッ」がいつ頃から一般化したのか、ネットで調べたんだけど、意外とはっきりしない。  促音自体は大昔からあったんだろうけど。   (戦前図書、古文書、などの現物をいろいろ見てみないとね。  こういうささいな事柄ほど、広く深い学識を得るまでの、慣れ親しみがものをいうらしい)  → Wikipediaの「っ」のページの「仮名表記の歴史」に、 〔小さい「っ」は、小学校教科書で1904年から4年間だけ使われたが、すぐに大きい「つ」に戻った[1]。昭和戦前期に、低学年向けの教科書で小さい「っ」が復活した[1]。1946年に現代仮名遣いが交付され、1947年には全ての教科書で小さい「っ」となった。〕とある。  この辺りが正解なのか・・ としても、新聞や一般の書籍ではどうだったかの疑問は残る。
: 「11/19〜 :修学、」 「11/1:休み  11/3、11/4:休み  11/5:音楽会 40分■授Hムルームなし.」 「10/26 朝 7:45」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  修学は修学旅行。  11/1は学校の創立記念日。  11/3は祭日、11/4は日曜日。
: 「お姉さんにマーガレット11月号を買ってきてもらったが、(どうせ姉きもよむのだが) お姉きは、おだちんといって、おつりの330のうち、30円を/かえさぬ/とる。 せめて、10円返せ。といったらかえす、え、ほんとに10円しか返さないの、といったら、ほんと、という。 べつにいーよ、かりができるもんな。とかなんとか。 お姉き笑いながら、残り20円を返す。 と、こんどは、本をわたさない。おまえのかってきたど根性ガエル二冊ともよませるならわたす。とよ。 さもなきゃ、私が先によむ。(先によまれちゃ、1〜2時間、もしくは3時間もおくれる) よくいうよ。」  waka君、女子大生の姉きに遊ばれてるな。  これ見よがしにされ、じらされながら。
: 「ぼくのかおが、ちんばのようにみえたのは、いつも右をむいてねるから? そこで顔が変形?」  顔を正中線で左右に分けると、たいていの人は左右対称ではないのでは。  これがぴったり等しい人ほど、ととのった顔だち、美男美女かも。
: 「左目の左はしになんか毛のようなものがはいったような気がしてならないが、なんどかがみでみてもなんもない。」  あるあるです。顔を洗ってしまえばわりとすっきりするんだが。
: 「机のケイコウて、つけてしばらくすると、ときにはすぐに、てんめつして、するるるとくらくなりきえる。ふざけやがって。」  当頁右側で買っている。螢光灯。
: 「へたのよこずき  すきこそもののじょうずなれ」  同じではないが、微妙に重なるような。  下手の横好きだったものが、いつしか、好きこそ物の上手なれで、上達していた。というストーリーが見えるような。
: 「脳をよくつかえば、脳しゅようにならない?」  事実というより、願望だろうね。
: 「たとえ、手術でとれても、しゅようにおかされた脳の部分は、かえらず、ぼくの思考は不完全になってしまうのでしょう!?」  これは今でも謎かも。  脳細胞って、ある領域がある記憶に対応しているんだろうか。  ハードディスクの記憶は、一つのファイルのデータがディスクのあちこちに散らばっていると聞いたことがあるが、脳細胞でも似たような状況があるんだろうか。
: 「等々 などなど とうとう   各々 それぞれ かくかく」  等々のよみに、などなどはない?!  各々は、おのおの。それぞれはちがう? また、かくかくではなく、かっかくとよむらしい。
: 「味わあせる 味わわせる 味わあせる >どれが正しい?」  一つ目と三つ目が同じでは? 三つ目は味あわせる、としたかったか。
: 「これはまじめに社会的にも大問題なのだ。 皆、はっきりといえない、少なくともいえぬ人の方が多い。 学者が考えたことある?」  おおげさですな。当然、学者さんたちが考えてくれているはず。  (ということで専門家に丸投げして放念してそれでいい、ということでいいのかな、ほんとに。  waka君みたいに心配する一般人、大勢の彼らの思いが専門家、学者さん、賢者という神輿を担いでいることは確かそうだが、ときには自分の頭で素朴に考えてみることもたいせつな気がする)
: 「マンガでいうネームとは?」  Wikipedia〔ネームは、漫画を描く際のコマ割り、コマごとの構図・セリフ・キャラクターの配置等を大まかに表したもの。「コマ割」「ラフ・ネーム」「ラフ」、やや意味合いは異なるが「絵コンテ」などと呼ばれる場合もある。狭義では、ふきだしの中の台詞やモノローグを指し、元々はこちらの意味で使われていた。 〕
: 「10/27 ○今日の夢おもしろかったけどなんとなく忘れた。」  これは書としておもしろい!?
: 「美を理解させるために論理をつかうことはあっても、論理を感じさせるために、美をつかうことはあるか?」  言葉遊びから生まれたのかもしれないが、まじめに読むと、ちょっとおもしろい発想。  理路整然というように、論理の述べ方が美しいということはあるでしょう。  論理自体が、美しいということもあるはず。  しかし本文は、これらとはまた違う美との関わり方だよね。  アニメなどで、賢者の深遠なまたは精緻な、心中、考え、理論などをあらわすためのイメージ映像なんかが、これに当たるかなあ・・   例えば、教科書(一般書籍でもいいか)の体裁、デザインなどもその一種かもしれない。  建築でもありそう。
: 「電気屋いって、「これと同じケイコウとうください。」  店員が、もってきて、「中古でいいですか。」という。べつにいいと思ったから、「は、ええ」といったら、 おくの女の人が、「あなたの上にあるような色です。」と説明してくれたので、「中古」でなく「昼光」といったのだとわかる。昼光の方が、青っぽいのだとよ。」  これもおもしろいね。マンガみたいことが現実でもあるんだね。  冷静に考えれば、消耗品の螢光灯が中古じゃまずいとわかるんだけど、店の人に自信たっぷりにいわれると変だと感じない。というところも、おもしろい。
: 「スベートロイヤ」  謎。ロシア語っぽいが・・  検索すると、似た語感で、スベボロイヤル(SVEVO ROYAL)という大理石の石種名がヒットした。べつものだろうなあ・・   Wikipedia、ニジニ・ノヴゴロド州、の記事内に、〔ロシア正教古儀式派の伝説上の聖地であるキーテジが沈んでいるとされるスヴェトロヤール湖は州の中西部にある。〕という一文を発見。これが的中か。
: 「そろそろ約束どおり勉強はじめたら? ■■君。」  自分に問うている。  なまけものでうそつきに問うている(^^;
: 「ぼく。「お姉さん、もう(このまんがの単行本を)よんじゃったの。もったいないよ、250円もするものを。」 姉「私は時間の方がもったいないの。」」  弟は金、姉は時間。  現在の私の感覚だと、姉が正しい。
: 「青い大きなまじっくバッグ。」  これは以前すでに触れられている。display『1973/04/08 お金のマーク』参照。
: 「たすけてあげる  たすけたげる」  tea がつまって、ta になってしまう。ふつうに口にするよね。
: 「桜と紅葉は日本にしかないの?  中国にもある?」  桜、北半球の温帯ならだいたい自生しているらしい。  紅葉。落葉の前に葉の色が変わることをいうなら、世界中であることでしょうね。  カエデ(楓)のことをいうとしても、多くの国、地域で自生しているらしい。
: 「いなかいいなかくさいなか」  語呂がいいですな。どこで耳にしたのか。  意味はあんまりないと思われる。
: 「ハイキング ピクニック }?」  辞書などをしらべると、野山を散策したり歩いたりがメインなのがハイキング。郊外や野原にでかけて(乗り物を使ってもいい)食事をするのがメインなのがピクニック。
: 「ちちおやごろし、とは、それが種をなくすからきらわれるのでなく、それが力強い、その血筋の力、いわば、その血筋の強力なエゴイズムを示しているので、他がおそれてきらうのだ。」  うーむ、waka君の文ではない匂いがするな。何かの記事か本からの引用だろうか。(翻訳調だし、どうも唐突だし)
: 「初体験 しょたいけん はつたいけん }どっち?」  辞書的にはどっちでもよさそうだが、初めての性行為のことをいうなら、はつたいけんに一票。
: 「■兵  項兵  }十万の■兵 夜 血を流す。」 「項羽の兵ともとれる?」  ■は、降の左がにんべんだが、こういう字はない? 降兵の誤記。  本項と次項は、北宋の人、曾鞏(そうきょう)作の『虞美人草』の冒頭辺りの詩句のことだと思う。  〔 鴻門玉斗紛如雪 十万降兵夜流血 ・・・ 〕  https://kanbun.info/syubu/gubijinso.html このサイトが詳しそう。  秦の十万の降兵を穴埋めにして殺したのが項羽。よって当然ながら、十万の■兵は項羽の兵ではない。  漢字を見ていれば間違いようがないんだが、ラジオ辺りで聴いているのかなあ・・
: 「こうもんの玉と、ふんとして、」 「項(羽)?」   鴻門の玉斗であって、鴻門は地名。項羽の項ではない。  鴻門の会で劉邦を逃がしてしまったことに憤慨した項羽の参謀范増が、劉邦の贈り物である玉斗を粉々にたたきわったことをいう。
: 「女の人が、列車にひきころされるのがでるのは漱石先生の何にでてきたっけ?」  覚えていない。検索でしらべたが、見つからず。  → その後、しばらくいくつかさがしたところ、『三四郎』と判明。三四郎は直後を目撃する。
: 「お金の亡者、というものでなく、お金を愛する人、がいてもいいのではなかろうか? お金をこの上なくだいじに、かわいらしく思い、まるで心が通じているような人。」  いそうだね。しかも、この人、裕福になれそう。  ビジュアルは、七福神の誰かみたいのが浮かぶ。
: 「召見 めっけん× しょうけん○」  引見とほぼ同義のようだ。
: 「たむろする  兵士がたむろしたのが語源?」  屯する と書く。どうやら正解。
: 「斬死 ざんし きりじに }?」  きりじに、と読むのが優勢らしい。ざんし、とも読み、意味はどちらも、切り合ってその場で死ぬ。  ざんし、と読んで、死刑の一種のこともいうと思っていたが、辞書をしらべても載っていなかった。  似た字で、慙死があるが、これは、恥じて死ぬこととか。
: 「異状 いじょう いふく   いじょうは異常?  >???」  異状の語はあり。いふくは伏と混同したまちがいだろう。  有名映画の『西部戦線異状なし』はこの字。  名詞的用法の場合は異状、形容動詞的用法の場合は異常、というのが原則と辞書にあったが、現在は名詞的用法のほうも異常が幅をきかせてるような気がする、私は。
: 「古代には朝日をむかかえて政治を行なったので、朝は朝廷を意味する。」  手元漢和辞典(角川漢和中辞典)をみると、本文とほぼ同一の説明がある。 〔古代には朝日をむかえて政治を行なったので、朝は朝廷を意味し、また朝廷に出ること(参朝)の意となった。〕 つまり、本文はこの漢和辞典からの引用だろう。
: 「■は心に通じ、◆も同じ。」  ■はりっしんべん(立心偏)。  ◆は、恭、忝などの下の形。したごころ、ともいい、思、志なども同類。
: 「人は、少なくも東洋人(もしくは中国人と日本人は)鼻をさして、自分を示す。・・・ 」  自が鼻の象形文字であるのはほんとう。 手元漢和辞典には〔鼻をさして「この自分」という意志表示をしたところからきた。〕とある。 本文は、これをふくらませた、脚色したものか。
: 「「しぶい×あまい」でありながら「しぶかわ=あまかわ」」  渋皮も甘皮も同じものを指す場合がある。当時も辞書で見つけたか。  これはたしかに、おもしろいかも。
: 「持節とは?」  〔じ‐せつ ヂ‥ 【持節】 名 (「節」は君主の命を受けた使者が授けられるしるし) 節とくに節刀を持つこと。また、その人。あるいは、その任務。 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006〕
: 「ぼくはきげんがよくなると自分をじまんしたくなる?」  ひとのさが? (笑)
: 「親の身になって、というのを、親身 おやみ になってといわないの?」 「親身の読みは??」  辞書を見たり、検索したかぎりでは、ないな、おやみは。
: 「椎結 ついけい とは?」  手元漢和辞典には「椎結 ついけつ」である。〔さいづちまげ。まげ。〕  ついけいだと、椎髻という語もある。  持節といい、なにか、特殊な難しそうな本を読んでいるみたいだ。  → どうやら、『李陵』中島敦だ。青空文庫で作品本文内を検索したら、持節、椎結、ともに使用されている。(磧、召見、屯して、斬死、異状、親身もあった。これはもう確定だ)
: 「つめ将棋 :ぼくが一人将棋をやっていて、終わりの方でこの形が表われる。」  気持ちいい寄せだけど、どちらかといえば、詰将棋っぽい鮮やかさというよりは、実戦風だ。
: 「日本の繁栄をささえているのは試験制度か? 中国も科挙のため、栄えた?」  頻繁に試験のある高校生ならではの発想?
: 「今日の夢の中には、明るくて、ぱりっとした、人間関係があった。興趣あった。」  「しかし、いったんおきてねてからは、故意に 意識的に、ロコツなゆめをみる でも、わりと明るい。」  半睡状態でエッチな妄想、というところかな。
: 「倫」  倫社の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、1項目分の空白。
: 「岸を 岸、岸だって。」  2字目は中身が牛。3字目は中身が午。
: 「 → 、→のかわりに、 ・・・ 」  手書き矢印の新案。いくつか例示。  横棒の端に、濃いめ(重ね書き程度)の部分をつくるだけ。
: 「後程  こうてい のちほど }?」  こう書かれていたら、のちほど、と読むのがふつうらしい。
: 「寒いを寒い、」  2字目は、下部の二点の向きが、左さがり。  ちなみに、旧字では、下部は、冫の形だったそうな。冫(にすい)は氷の原字。冬も同様。
: 「独擅場  どくせんじょう どくだんじょう }?」  どくせんじょうが○。擅は、ほしいまま。  辞書には 〔「擅」を「壇」に誤り、「ひとり舞台」の意味にひかれて「どくだんじょう(独壇場)」という語が生じた。 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006〕とある。  まぎらわしいのう・・
: 「北欧の神話「エッダ」 読もう!!」  wikiなど調べると、今もわりと耳にする、ヴァルハラ、ヴァルキュリャ、ラグナロク、ユグドラシルなどは、この神話に登場する語だそうな。
: 「Aは、Bと戦う。  AとBが争う  Aは、Bといっしょに、何かと戦う。」  この両義を持つのがおもしろいってわけね。  waka君は、この種の二面性を持つ語や言いまわしに(ときには真逆になったりするそれに)、よく反応するようだ。
: 「抑制を仰制  抑?」  1字目の抑の右が、卯のようになってる。  抑制が正しい。抑はおさえる。仰はあおぐ。


当頁 2022/06/06(月) 〜