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1973/12

 














1973/12/02 こんなのがひとつもない話。
 














1973/12/06 半分はAで、残りの半分はB。
 
















1973/12/10 ドアの開閉法はどれがいいか。
 
















1973/12/13 よくまがるイスの背
 














1973/12/15 ヤルッチ
 
















1973/12/17 人類の進歩のグラフ
 














1973/12/19 にじりぐち
 














1973/12/24 六本の円柱
 




















1973/12/28 胸の上とはどこか?
 
















1973/12/31 カエルではない。
 













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『1973/12/02 こんなのがひとつもない話。』 2023/01/23(月) 〜
『1973/12/06 半分はAで、残りの半分はB。』 2023/01/30(月) 〜
『1973/12/10 ドアの開閉法はどれがいいか。』 2023/02/06(月) 〜
2023/02/13(月) 〜
『1973/12/13 よくまがるイスの背』 2023/02/20(月) 〜
2023/02/27(月) 〜
『1973/12/15 ヤルッチ』 2023/03/06(月) 〜
『1973/12/17 人類の進歩のグラフ』 2023/03/13(月) 〜
2023/03/20(月) 〜
『1973/12/19 にじりぐち』 2023/03/27(月) 〜
『1973/12/24 六本の円柱』 2023/04/03(月) 〜
『1973/12/28 胸の上とはどこか?』 A、B 2023/04/10(月) 〜
C、D 2023/04/17(月) 〜
『1973/12/31 カエルではない。』 2023/04/24(月) 〜
2023/05/01(月) 〜

※ 『1973/12/02 こんなのがひとつもない話。』 : 「地割りを切めるとは?」  地割りを決める、または切る、だろうな。
: 「今日の将棋同好会、会長さんに、やぐらのはしぜめで勝ち、火■君に三間飛車で勝って、優勝。」  すでに何度か書いているが、会長さんは渡■君のあだ名。将棋同好会の(この時期の)会長はwaka君。  三人のみのトーナメントらしいから、優勝は大げさにいってるだけだね。
: 「雪のふった日、みんなが二つに分かれて戦った夢。深刻な戦いだが、うわべはこれはあそびさ、という顔をしている。くわしいのわすれる。  フク■■と、前にも夢にでたゲームセンターにいったが、一番やりたい《ピンボール機の絵》こんなのがひとつもない話。  トランプの2と6をあわせるのかどうとかする遊びを、高■氏にさそわれて、やる。ちんぷんかんぷん。  以上のような夢。くわしいのわすれる。」  ゲーム好きがそのままあらわれている。(そして何年もしないうちに、ギャンブル好きになってしまう)
: 「日月  お日様は昼間にでるにきまってますが、 ・・・  」  「わざとうしろをむいていつものようにやってきたお月様に、 ・・・ 」  これらをもとにして、以下、調えてみた。2020/05/25(月)。


     日月

 お日様は昼間にでるにきまってますが、お月様は夜でるとはきまっていません。だから、お日様とお月様はときどき、顔をあわせます。そして、あいさつをして、ほほえみあいます。お日様もお月様もそれがとてもたのしくて、うれしいことでした。
 何回も何回もこうしてほほえみあっていたのですが、ある日、お日様はわざと後ろをむいていました。いつものようにやってきたお月様に、いやな顔をちらりとみせながら、「どうして今日にかぎって私の後ろを行こうとするんですか。私がきらいだったのですね。」と、言いました。
 すると、お月様はとても悲しい顔をして、「ちがいます。どうして、そんな悲しいことをいうのです。私はいつものようにしてるのに、あなたが後ろを向いているのじゃありませんか。」とうったえました。
 お日様は、お月様が、なんていじらしいんだ、と思って、今すぐふりむいて抱きしめてあげようと思いました。



「夜の太陽  夜、空にかかった太陽 :オモロ」  それはほぼ遠目に見ゆる夜の火事。
: 「今日の夢の中。日本のベートーベンの|歌|音楽|が世界中でうやまわれるので、とてもほこりに思ったよ。」  例えではなく、夢だから、ベートーベンは日本人なのかも。
: 「エイトマンにでてくる女の子、かわいい。というか、きれい、というか。」  エイトマンのアニメ、このころやってたのか。小学生の頃かと思っていたが。そういえば、最初のアトムのアニメが始まったのは、私が小学生になったあとぐらいだよね、そうか、ならば頃合いなのか。  → Wikipediaで調べたら、  『鉄腕アトム』のアニメは〔フジテレビ系列にて、1963年1月1日から1966年12月31日まで放送。〕  『8マン』(エイトマン)のアニメは〔1963年11月7日から1964年12月31日までTBS系列局で放送。〕  むむー、エイトマン、アトムとたいして変わらないじゃん。  本文の十年ぐらい前だな。高校生のwaka君、何を見て本文をかいているのか。再放送か、漫画版か。  まあ、たしかに、桑田次郎の女子、すっきりした顔立ちの美人だった。
: 「冬期オリンピックはわりと前にあったのだから冬期オリンピックをやっていた頃は、さっぽろにタ■■さんがいたわけか。」  冬季オリンピックが正しいらしい。開催は前年の冬(waka君たちは中学三年の三学期)。  タ■■嬢は高校二年四月からの転校生。札幌から来たという(waka君の)認識か。
: 「「論語|について|のこと|考えたことありますか。」というテレビ内の言葉をきいたが、よくみてみると、「老後について〜」といっている。」  笑。
: 「きのうきょうと、今、4:53まで、うちでほとんど勉強してない。試験まで、一週間とちょっとだというのに。」  「きょう」は日曜日。土日と遊んでもう日曜の夕方だよ、と。  赤点、落第などがかかっており、waka君、わりと追いつめられているはずなのに。
: 「賜はい?」  賜杯。 ・・だが、今の今まで、ようはい、と読んでた!  しはい、か・・  国旗掲揚、とかに引っ張れたか。
: 「歯と歯の間にも、水ぶくれができんのかしら。歯になんかはさまったみたいだったので、鏡でみながら、その白っぽいものをつめでほじくりだそうとしたら、急に血がでた。血がでてみると、はさまったものが(とれたような感じもないのに)なくなっている。さては、はさまったもののようにみえたのは、水ぶくれか、と思ったわけ。」  口内炎の一種か。
: 「女の人は「読む、」といった感じ。 男は「書く」といった感じ。」  受動と能動、か。今だと、性差別とまで言われるかも?
: 「男が(女の事をいうとき、「女の人」  男の 〃 「男」」  「女が(男の 〃 「男の人」  女の 〃 「女」」  これはあるかもね。うん。

※ 『1973/12/06 半分はAで、残りの半分はB。』 : 「世捨て人  私は、世に捨てられた人ではない。世を捨てた人なのだ。」  世捨て人は皆そう言うだろうね。
: 「目の前の事しか見ない  目の前の事しか見えない」  前者は決意自認、誘惑に負けず目的にまっすぐ進むふう。  後者は視野狭窄、いずれ陥穽に落ちそう。  同じ人の同じ行為が、光の当たり具合でどちらでもあったりするのだと思う。
: 「半分はAで、残りの半分はB。」  なやましい。  〔残り=0.5=B〕 〔残り×0.5=B〕  半分という定量を言っているのか、半分にせよという指示を言っているのか、どちらにも聞こえてしまうよ、と。

※ 『1973/12/10 ドアの開閉法はどれがいいか。』 : 「12/10の1時間目の倫社、欠課じゃないと 先生にいおう。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  倫理社会、点呼で、はっきり返事しなかったため先生がききとれず、欠席扱いになったことがあった。それがこれかな。  結局、訂正申請をしなかったか、したけど通らなかった、たしか。
: 「ふく■■君が、とまりこみで将棋やりたいってよ。 ■■にとまる? いっておこう」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  家業の職場の宿直、高校友人と二人でしたことが一度だけあった。ふく■■君だったか。記憶では、友人が家業に興味ありだったんだけど、このメモによれば将棋さしたしが主たる動機みたいだ。  (なお、この宿直、後日実現したが、翌朝二人とも寝坊して、女子従業員に雨戸をたたかれて起きたんだった、たしか)
: 「■ ■ ■ とかいて乳がすぐかけたなかった。」  ふつう、手が覚えていてかってに書けるものなんだが、このときは、乳の字については、出てこなくなった、と。
: 「ながるになる。」  直前の一行の終わり近くの「な」が「る」になってしまった、と。  それ、線でぐるぐる消して、書き直しているけど、それでもまだ「る」に見えなくもない。
: 「論語のまなんでときにこれをならうの3つの文の中に、また、うれしからずや というのはない?」  子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。  論語の最初にある學而篇のそのまた冒頭にある。  亦説(よろこ)ばしからずや。亦楽しからずや。亦君子ならずや。  で、たしかに、うれしからずや、はないけれど、それは、一般的な読み下し文では採られていないというだけで、表層のこと。心情としてはうれしいとうたっているわな。
: 「回復を回複」  回複はなさそう。
: 「「みんな、悲しむ必要なないんだよ。死とはなんだ。 ・・・ 」  臨終の発言の想像。  まだ青いね。
: 「一にかかって」  辞書では、いつに、という読みで載っている。
: 「苦労のかかった文章ほどよみやすい。 苦労のかかったマンガは文章よりよみやすい?」  手間暇をかければかけるほど、口あたりよく、するする受け入れてもらえる。  (つくるのに時間をかければかけるほど、より短い時間であっさり消化されてしまう)  ということ。これは言えてると思う。  例えば、一頁の漫画原稿を仕上げるのにのべ八時間かかったとして、読者は八秒ぐらいで味わってしまうだろう。  文章と漫画を比べた場合、漫画のほうが多くの情報を伝えている気はするな。  ただ、どういう基準で(切り分け方で)両者を比べたらいいのかは、なやましくて、よくわからないけど。
: 「みじか みぢか >?」  身近いなら、みぢかい。短いは、みじかい。
: 「テレボートになれない頃、体だけくっついてきて、服はくっついてこない。」  想像、妄想のいわゆる「設定」に関わることだから、細かい所を気にさせない「流れ」が理想だろうけど、ちょっとよどめば、まあ、つっこみたくなるわなあ・・  人体がテレポートできるなら、服などの物体ができないってことはないだろう。  本文がほのめかしているように、慣れてくれば、エレガントに瞬間移動ができるようになるんだろうね。  テレポート先で再構成するとき、生体と服が混ざり合ってしまうなどの不都合は、あってもおかしくなさそう。(蠅人間の映画はこれをつかっているはず)  → 蠅人間の映画、題名は忘れたけど、テレポートマシンに蠅が一匹まぎれこんでしまって、テレポート先で蠅人間になってしまう。この蠅男、なぜかものすごい絶倫で、美女をひいひいいわせてた記憶ある。(観たのはずっと後年か)
: 「超能力者が表われる。彼はあらゆる生類に身を変えることができて、人間が横暴すぎると断じ、世界を、「みんな」のものにもどすことを人類に告げる。 ・・・ 」  妄想しつつ書き、書きつつ妄想しているけど、まだ、ふにゃふにゃしている泡沫レベル。
: 「ドアの開閉法はどれがいいか。」  絵入りだとほんとよくわかる。  文章では伝えがたいかもね、こういうのは。  だからなに、という内容ではあるけれど。あるからこそ? 
: 「今日の6時間目の体育の帰り、げたばこの所で、さわやかな高■まさ■さんをみる。みただけ、第三者的にみたときはさわやかなのに、ぼくが1人だけで、第二者的にみたときはなんかやな顔をする。  つまり、大勢のいる所で、彼女をみるとさわやかなのに、少人数しかいない所で、ろうかなんかで目をあわすと、なんかいやな顔をする。」  困ったね、きらわれちゃったね! 学年有数の美しい女子に。  あなたのことは、最近、気にするのをほとんど忘れていましたが、などといってやってよ。それ、勘違いですから、と。(^^;;  たしか、一年のとき同じクラスで、waka君がまさ■嬢を、ふつうでなく気にしている、と思わせてしまうなにか小事件があった。  それは確かなんだけど、気にはしてたんだけど、waka君的には、たくさん気にしている女子の中の一人で、常軌を逸して気にしているわけではなかったはず。  waka君の表出する動作とか発言とか表情がオーバー気味ということはあったかもしれないが、それは、waka君の特性っぽいもので、まさ■嬢にかぎらず、(きれいだったりかわいい)女子にはそうしちゃうんだよね。  (うん、自分で書いてて、これでは勘違いされてもしょうがないような気がしてきた・・ 爆)
: 「トランプのうら、すべて同じもようのはずの所に、■や◆のような それぞれちがったもようがある。 これどういうわけ?」  ■、◆、アルファベットの飾り文字のようなマーク。  要するに、waka君の手元にあるのは、いかさま札(ガン付き札)ってことか? あきらかにまずいよね、それは。  そういうものが市販されていたってこと? 手品の道具?   父親が手品も趣味にしていたので、そのお古が流れてきた? waka君が自分で買うはずはない、以前から家にあったのなら。  父以前、祖父の代ぐらいに、だれかがどこかからもらってきたりしたのかな。それとわかっていて、あるいは、まったく知らずに。  → 現在手元にあるトランプをしらべたが、そういうことはない。これはたぶん、後年、自分で買ったものだし。本文にあるガン付きトランプ、今からみれば非常に貴重な品。とっておきたかった、まだ実家のどこかにあるだろうか、むりか・・
: 「超能力を使えた夢。  おちばを動かし、エンピツをうがかせた。まったく自由にとはいえないが、うごけ、と思ってから、すこししてから動いたりした。葉を食べようと口に持ってくるのだが、それたりした。」  あんまり役にたちそうにない、役にたつシチュエーションのかぎられる能力だ・・
: 「今日、12/4以来のやった。」  一週間ぶりぐらいの射精。若いのにがまんしすぎ、不健康なレベル?
: 「期末指導のとき、3年のもぎテストがあって、2年もうけたい人はうけたい人はうけろ、だって。 オカ■君も、うける、タ■■さんもうける、しめて、6〜7人。やっぱ、そうだろうなあーと、すねてたら、イ■■ちゃんがうけよううけようとうしろからさいそく。三枚目として、くっついていくようにみられちゃ、ちょっとやあなので、えーいいよ、やっぱり、なんていってたら、い■■ちゃん、 「3番おねがいします。」と先生に。ぼくも、つきあいもあるし、イ■■ちゃんがそんなにいうなら、と思って、うしろをむき、「じゃ、つきあっちゃうか。」「そうしろ、そうしろ」ってんで、「41番。」という。 あとから、ヤンヤいって、結局20数人が受ける。きのうの話だが、夕方近くにもぎテストがおわり、彼ら2人のホノボノとした仲をみせつけられるなんて、ちょっと気が重いなあ。 が、イ■■ちゃんと、白紙だ、ひとつもなどといって笑って、ま、たのしくやろう。どうせ成績には無関係だし、無料だというから。」  劣等生なのにねえ、先生もあきれるのでは? まあ、2年の勉強でも追いつけていないのに、3年の模擬テスト(大学受験を見据えたもの)がどうにかなるとは思えない。無謀だよね。力試し、というより、雰囲気をあじわうぐらいがせいぜい。ざっと見積もって、英数理関係はほぼ白紙、現国、古文関係が二三割だろう。  落ちこぼれていない面々は、本文のように積極的。加えて、急接近しているオカ■君とタ■■嬢の二人。彼らを、waka君は意識している、疎外感とともに眺めている、・・
: 「もぎてすとなんかより、あしたにせまったキマツの方がオソロシイ!! ほと〜んど、なんもやってないずら。  テストまでの間、どうせおわらぬとはわかっていても、やれるだけのことはシコシコやろう。心配して、何もやらないよりいいはずだよ、ワカチャン。」  だね。じみちに。遅いとは思うけど。
: 「シンペイ シンペットという毛布があるよ」  友人シンペイと似た名前の毛布の商品名、ということ?  ちなみに、現在検索しても、そういう毛布はヒットせず。さすがに半世紀前では、か。
: 「せりでせりおとすとき、売り手が、やっぱり買いもどしたくなって、せりに参加すれば、ぜったい売り手のもの?  つまり、売り手が買うなら、自分に金を払うことだから、どんなに高い金額を言っても、自分からだして、自分に入れるのだから、それだけ金がなくても平気?」  だろうね。ただし、落札額によっては、オークション業者に払う手数料がバカにならないはず。  それに秩序を乱したことになるので、以後参加禁止とかにもなるか、ルールによっては。
: 「宝くじは、もうけた金を、よこごしせつなんかに寄付するなら、多いにやっていいのでは?」  養護施設。大いに。  本文が、宝くじに的中した人が寄付する、という意味なら、反道徳的な賭博行為ではない、という擁護になるか。 逆に言えば、高額当選して、自分だけのために蕩尽するようなのは人としてだめだぞ、ということになるけど、waka君はそんな聖人君子ではないはず。  よって、本文は、宝くじの胴元が寄付するなら、の意と思われる。  現実に、収益金は公共のためにつかわれているはずなんだけど、本文は、よい目的のためなら(法で定められた特定の組織だけに許すのではなく)民間でもっと自由にだれでもやっちゃえば、という方向のことをいいたいのでは。  これなら、waka君の気質に合ってる。
: 「自分のいいたいことを相手にいわせる。 自分からやろう、というのでなく、相手にやろうといわせる。  おかあさんにいわせた。フク■■がとまりがけでぼくと将棋やりたい、てさ、とつたえた。ぼくは■■でやりたいし、それがいい、と思ってたがふせておく。そしたら、今日の朝、お母さんが、■■でやったらどうかね、という。」  まんまと術策にのせた、と。職場の宿直がてらにすれば、干渉もなく、自由に遊べる、と。  前頁上辺のエンピツ書きメモの「ふく■■君が、とまりこみで将棋やりたいってよ。 ■■にとまる? いっておこう」は親に言っておこうの意で、この項がそれだね。
: 「とわけさちよ  しゅじゅとよむ.」  女優。調べたら、正しくは、十朱 幸代(とあけ ゆきよ)。  とわけも違う、名前も違う! 
: 「サ■■  こんどのテスト(勉強)で、ボールペン二本(つかいきって)なくした。(インクが)なくなるのがうしいっち。」  うれしいっち?   うんうん、わかるよ。サ■■君と同様に、最近もマンガかなにかの中で、勉強してボールペン使い切ることに満足を感じる生徒、いた気がする。
: 「世界の聖人は皆男。やっぱ男尊女卑?  女がなぜいないか。 聖人はつくられたものだから。そうではなくて、社会にそくしたものだから?」  現在から眺めると、不思議といえば不思議だけど、大昔の人にとってみれば、女性が、聖人、王様、偉人、英雄というような、選ばれたまたは抜きんでた個人となるほうが不思議だったのかも。  本文は、半世紀前のもの。意識の転換の端境期あたり、その終盤、ということになるのか。 (いや、端境期はまだぜんぜん終わっていないか・・)

※ 『1973/12/13 よくまがるイスの背』 : 「今日の英語さえ、終われば、あとは快楽の世界だ。」  この日は、1973/12/13(木)、期末試験の二日目。
: 「豊裕 クルイ   富裕 このユウという字、オモロ.  裕子なんてだいぶいた。」  富裕と書こうとして、豊裕と書いたので、狂い、と。  どうおもろいのか。たぶんだけど、書として味があるという意味で言ってる。  小学校以来、クラスメートや女友だちの中に裕子が何人もいたよ、と。  裕。  手元漢和辞典をみると、音の近さから、谷にゆたかの意がついたような説明。すっきりとはせず。衣服が十分にあること。
: 「住居 じゅうきょ すまい」 「居住 きょじゅう いじゅう ?  移住」  いじゅうは無い(いは訓)。  居住を、いずまい、とはよむらしい。
: 「男がももひきをはき、女がくつしたなのは、 1、美観の問題 2、女は腹がでてるので、ももひきがずりおちる?? 3、女はさむがりでない?」  「寒い地方のエスキモーの男はストッキングをはく?」  女性が寒がりかそうでないかは、意外と難しいかも。  男より脂肪があるので寒くない? 逆に、男より筋肉が少ないので寒い? どっちかな・・  エスキモーの男はストッキング、短絡した発想なのか、謎。TVで仕入れた情報でもあったのかどうか。  テスト勉強中だろうけど、こういうことが気になってしまうと、書かざるをえないんでしょう。
: 「ずっと前いためたろっこつをまたおかしくした?」  中学の頃、体育でいためて(足を支えられて倒立腕立てしたらくずれて胸を打った?)湿布とかしたはず。
: 「ちゃって ちやあつて」  わざと大文字で発音しておもしろがってる。  「ちやあつつ」だとしたら、てをつつへと、更に変異させて(言い替えて)いるか。
: 「きのうあたり、千葉1区からでている、代議士のだれかが、急死したニュースをテレビで見たが、あれは急だったのか? 名前はなぜかおもいだせぬ。アサブ、サイハラ、〜ブ、といったヒビキの名だった。」  Wikipediaで調べた。  第33回衆議院議員総選挙は、1972年(昭和47年)12月10日。ほぼ一年前。  千葉県1区当選者は、染谷誠、木原実、臼井荘一、柴田睦夫。皆さん、もっと後まで長生きしてる。  参議院のほうまでしらべたが、該当無し。  過去に議員だっただれか、なのかな。  → 「名前はなぜかおもいだせぬ。」という点からの想像だが、急死したニュースをテレビで見る、という夢を見ていた、一日経って現実のことと勘違いしている、そういう可能性もわずかながらありそう。
: 「テレビで、バトミントンやってるのをみて 「ピンポンじゃない、バスケット、じゃない、 そだ バトミントン。」ぼく。  それからすこしして、お母さん、バトンのことをバトミントンという。  「■■チャン。おとうふもたべなさい。バトミンとんなんかやるときは ―― ですよ。」  「私、バトンだもん。」  「バトンだってそうですよ。」」  笑。流れるような会話。女は多少の言い間違いなどさらりとながすのだ。  ■■チャンは、下の妹。
: 「バンデルワーク ス? とは?」  〔ファンデルワールス‐りょく【ファンデルワールス力】 《名》 分子と分子の間に働く弱い引力。この力のために分子性の結晶ができたり分子が液体になったりできる。遠方では相互距離の七乗に反比例する。一八七三年にファン=デル=ワールスが発見。  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006〕  これか?
: 「あがなうより早く この意は? (タ■■さんにきのうきかれ、正確に答えられず。)」  タ■■嬢に頼られたのに、かっこよく応じられなかった、と。  疑わしい短句とはみえないが。  文脈とか質問のニュアンスがわからない今となってはね〜 
: 「バッチッチィ or バッチィッチ  バッチィと、ッチをつける習慣より。」  ならば、バッチィッチが正統だが、バッチッチィもいい感じに聞こえる。
: 「酔狂 ?  伊達 ? 」  伊達や酔狂で(やっているわけじゃない)、とはよく聞くけど、それぞれ説明しようとするとすぐには出てこない。
: 「うぶんしん、とは? 人の名ずら。」  Wikipedia〔宇文(うぶん)は、漢姓のひとつで、おもに非漢族の姓。〕  宇文姓で有名なうちの一人が、宇文泰(うぶん たい)(北魏・西魏の政治家)で、この人なら教科書にも出てきそう。  なんだけど、「しん」というのは見当たらず。宇文泰を読み違えたか。
: 「行政指導もものかは、どうにもとまらない灯油の値上がり。」  ものともしない、というような意。
: 「「よみがえる炎 エネルギー  レンタンマメタン」のポスターほしいっち。」  どんなのを欲しがったのか見たかったけど、さすがに半世紀前、検索してもみつからん。ネット上にはなさそうだ。
: 「エレノア21 キートン45」  Wikipediaで調べたら、喜劇俳優バスター・キートンの三人目の妻がエレノア・キートン。  〔彼女のほうが23歳年下だった〕とあるので、数字は二人の年令と思われる。  が、何年に結婚したのかの記載がなく、結婚時のそれなのかは不明。  つまり、現在のWikipediaで確認できないようなことを、どこかで目にしている、または耳にしている。
: 「アトム、少年ジェッタ―、遊? 流星仮面、ソラン、ウルトラ、Q、マン、セブン、エイトマン、りぼんのきし、etc etc、まだまだあった。」  楽しみ親しんだTV番組を思い出しているか。何かを、きっかけにして。
: 「まつたけはなめてくわえてまたしゃぶり  吉永小百合がほんとにつくったの?!!  ロロコツ」  ほんとのよう。ネット情報にあり。
: 「戯れる :じゃれる??」  たわむれる、ざれる、じゃれる、などどれもあり。
: 「チンチロリンとは?」  さいころバクチでしょう。  辞書でば、最初の字義が、松虫の鳴き声。
: 「金城湯池 ?」  金持ちの贅沢三昧を表わすかのようだけど、それは間違い。
: 「頌歌」  しょうか。(または、しょうが)  神や仏や人をほめたたえる歌。
: 「コーラのごみも、なんとかコーンのふくろも、たとえ、名所旧跡におちていようと、それが現実、かつ自然のすがた。このさびれた地に、コーラのかんなんかがすててあって、風情ないなあ、というのはまだあまく、コーラのかんも、色どきつきゴミどもも、みなふくめて、ある種の興趣を感得するところまでいかなくてはならぬ?  そのうちに、旧来の風情ある場所にゴミがすててある情景のみならず、ゴミだけの場所にも感じるものをもつようにならねばだめ?」  これ、修学旅行のときに、友たちに説いた景観論。ごみはあってもよい、あるがままだ、と。  今は、賛成できないけどさ。極端だからというより、気持的に、やっぱり、清浄感とか美感が欲しい。  景観を楽しむというのは、外部にあるあるがままをめでることじゃないもんな。心のなかにある美を投影して納得したいんだ、きっと。  外部にあるあるがままは、めでるんじゃなくて、発見するものなんだよ、驚きたいんだよ、どちらかといえば。
: 「「10月10日ではおそすぎる」の中にでてきた、すべての人間の意志は同じ。一つの意志という光が、何人分ものある人の一生をかいた書類を1つずつてらしている。時間なども超えてる。という理論、今もすばらしい、と思う。もう1回よみたい。丸さんに借りてよんだのだ。」  丸さんは、中学同クラスの友人。今も年賀状のやりとりしてる。  書名は正しくは『10月1日では遅すぎる』。作者は、フレッド・ホイル。  この人、wikiによれば、ノーベル賞を受賞してもおかしくなかったぐらいの天文学者。〔現在の天文学の主流に反する数々の理論を提唱したことでも知られる。〕とか。
: 「早い朝をアサイアサ」 「浅朝 せんちょう」  waka君造語だろうな。
: 「手段 :てだん? フクダタケオ  しゅだん?」  福田赳夫、当時大蔵大臣。TV辺りで「てだん」と言ったのかな。それをwaka君が書きとめた!?
: 「説話とは?」  ものがたること。  小説、しかりで、説という字と意がわりと軸だったみたいだ。
: 「今日のテストの合い間合い間の20分やすみに、となりのタ■■さん こうかこうとして、ついタド■■さんとかこうとした。 の所に、カ■■さんがきて、いっしょにい勉強か何かしてたっち。トイレにいって帰ってみたら、カ■■さん、ぼくのいすにすわってた。ぼくがきたので、「あこれ、■■君の(ね)」といった感じで返してくれたっち。 倫社のテストおわって、帰るというとき、前のフナ■■さんがぼくの机のすみにおいといたメガネおとして、あ、たいへんとかなんとかいったよ。ぼく、だいじょうぶでしょう、といって、すましてた。 ほんとにそう思ってたよ。ぼくのメガネタフだもんね。彼女、メガネをだいじょうぶかしらとかいいつつひろってくれて、上の方にかざして、だいじょうぶとかいって、返してくれたよ。ぼく、たふだからね、とかいう。」  「おれってもてるのかなあ、などと、ちょっと考えすぎてみたけど、平和でよいよい。」  「しかし、英語は今回も赤点確実。中間も赤点だろうから、つうしんぼに悲しい記録がのこり落第の可能性も濃厚。平和どころでないかも。」  タド■■さんは、国語科の教師。文学クラブの顧問でもある。あだ名はタド。  タ■■、カ■■、フナ■■の三嬢とこの程度関わったというだけで、おれってもてるのかなあは、ほんとおこがましいよね(笑)  ふだん、この程度のふつうの対応もされず、塩対応ばかりってことなのかな!?
: 「ついさっきまで、気になるよめさんみようと思ってたが、ケンダマにむちゅううになり、気づいてみれば、4時5分。みようか、とも思ったが、なんかばからしくもなって、やめる。」  これはもう帰宅後のこと。  wikiによると、『気になる嫁さん』は、1971年〜1972年にかけて放送されたテレビドラマ。本項は1973年のものだから、夕方の再放送ってことでしょう。
: 「去年、2Fで将棋同好会やっていて、5時半近くなり、定時制の人多く来る。内■先輩と会長さんが感想戦やってて、ぼくがみてたが、定時制の人が1人、そこやめろよ、とかなんとか、ぼくたちにいう。 ぼく、おろおろして、先輩、いってますよ、とかなんとか、いったけど、先輩すこしもあわてず、その定時の人が3度目かぐらいにいったとき、じゃおわりにするか、といい、自分のカバンを外にだし帰るかと思ったら、もどって教室の黒板をふく。おっそろしくおちついていたっち。 勉強もよくできて。それにくらべて、ぼくは、今年の会長はなあんたる。とはいいたくなるっち。」  これは回想。  去年の将棋同好会会長が内■先輩。今年の会長がwaka君。会長さんはあだ名、友人。  内■先輩は、いい大学に行ったのだ。(ちなみに、会長さんもいい大学に行ったよ)
: 「この一、二週間、将棋同好会やってないので、(なんせテスト前)手の指の皮がむけはじめたのか? それとも、オフロのおゆにつけすぎ?  手にせっけんをつけすぎ? (フカーイイミ)」  ラストはオナニー関係、ということだろうな。猿並み。お恥ずかしい・・
: 「尺八(ひとよぎり?)をふくと、すこし気持がよくなるっち。というより、ホウキの柄だろ。」  そうなんだよね。中学時代、学校備品の壊れた箒の柄(もしかしたら壊れていないのまでつかって)、カッペ、マエッチョ、お西らと、おのおの、マイ尺八をつくったんだよね。それをずっと持ってる。(現在もどこか、段ボール辺りにしまってあったか。未確認だが・・)  けん玉したり、尺八ふいたり。赤点、落第不安でおろおろする心をなだめたく、なにかしていたい、ということかも。
: 「音をだすところを、「歌口」というの? 《マイ尺八の絵》 ここを何というの?」  歌口(または唄口)でよいらしい。

※ 『1973/12/15 ヤルッチ』 : 「トイレットペーバー1コ、100円はするもの、と思ってたが、なんと、もとは、20円だったんだって。」  現在でも、12ロールで500円しないな。
: 「石油ドバー、ウランドバーの島。」  汚染ではなく、資源を豊富に産出する、といいたいのだろう。
: 「コンコンコンガラガッテ、ダーメチッチッチィ〜〜  コンゴン ? 〜〜 」  何かの替え歌?
: 「どうしても右を向いて寝る事が多いなあ、ぼく。」  今も。
: 「マーガレットちゃんの作者は?  だれだっけ アカツカフジオ?」  ううむ。少女マンガ誌の名称そのままのマンガ(またはキャラクター)、というのは、多少障りがありそうだが?  →  Wikipediaで調べたら、作者は、よこた とくお。〔1963年、七福人プロダクションに参加[7]する。同年、集英社が創刊した「週刊マーガレット」に「マーガレットちゃん」を連載し、好評を博す。〕  赤塚不二夫らの仲間。トキワ荘の住人でもあった。  障りどころか、本誌に当初から、というわけか。
: 「ぼくの時計、文字盤がないので、というか、数字がないので、長針と文字盤の数字とが、むすびつかなくなった。」  以前は針の指す数字を読んで時刻を知ったが、ぼくの腕時計では、針の指す位置を見て(数字を経ずに)時間を知るようだ、といいたいのか。
: 「忠臣蔵のやつらは、主君が殺されてのち十数年、苦しみにたえたと思っていたら、十数年じゃなく1年らしい。」  元禄14年3月14日(1701年4月21日)、赤穂藩主浅野内匠頭、刃傷に及ぶ。即日切腹。  元禄15年12月14日(1703年1月30日)、(正確には翌日未明)吉良邸討ち入り。  調べたらこのようなので、一年九ヶ月か。
: 「蔵 クラ  臓 クラ×ゾウ×  臓ゾウ○」  1字目の臓は、草冠が全体にかかっていて、それで×と思われる。
: 「人間の最もだいじな所に毛がはえる。  そこで頭と性器にはえるっち。」  わりと外してない理屈かも。  しかし、わき毛はどうなのよ?
: 「どんなに時間がみじかくても、集中勉強ができれば勝つのだ。」  つまりまだ、期末試験中なのか。  12日が初日なので、12/15(土)は、四日目ということになってしまうが?
: 《「ヤルッチ」と連呼する男子の図。マンガ?》  未明に起床したあと、試験勉強をヤルッチ、と、みずからを鼓舞しているとみるのが、まあ、自然だけど。  笑顔で周囲に宣言している脳天気ぶりに違和感もあって、ラストが、バーカとなるのかな・・ うーん?
: 「枕草子の五月ばかりの感じがいい。 もっとよんでみたい!!」  枕草子に〔五月ばかりなどに山里にありく、いとをかし。〕で始まる一節がある。
: 「平安の中宮様の十二三なる人に、現代のしとやかな言葉を覚えさせ、けしょうをおとさせ、軽い着物を着せたら、どんなにか女らしい娘になることだろう。い■さんの感じをもっと強く、女らしくしたような。」  「二年になってから、い■さんをとてもさわやかに思うようになったが、サク■の話をきいて以後、いけません。」  どうやら、古文の勉強をしつつ、ロマンチックな想像をしているもよう。  い■嬢は、清楚な美少女。(ただし、waka君に笑顔をふりまいてはくれない。過剰な視線を感じたりしたのかどうかよくわからないが、いつしか、きらわれてしまっていたようだ)  サク■君の話とはなにか、と記載をさがしたところ、12/6に 「い■さんはプレイガール? 修学旅行の3日目の夜サク■より。」「じゅんじょうかれん、と思ってたあの人はもう何人も男をふっていた?」 というのがあった。修学旅行の晩の話を半月後ぐらいに思いだしてメモしている。これっぽいな。
: 「君は〜で ・・・ 」  縦書きの「〜」と「ら」が似てる、と。
: 「悲観的になりさえしなければテストは必勝」  笑。何を勝ちとするかによっては、正論かも。
: 「解答をかく所をまちがえたとき、自分のかいた解答を矢印で交換するか、問題文の方を矢印で交換するか。」  これねー、正式の大学入試の際、認めてくれるか、微妙でしょう。ふつう無理か、やはり。  よって、高校の定期試験でこれを認めると、外部の試験でも大丈夫、いけると生徒が勘違いしそうだから、高校の定期試験でも認めないのが、結果的に親切、温情ということになりそう。

※ 『1973/12/17 人類の進歩のグラフ』 : 「11/17 しし■■君 先生ひの■■ ふうとう ) フク■■にてがみもたせる。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  まず、日付は12/17が正しい。  謎が多いが・・  ひの■■先生が、将棋同好会の顧問で、waka君はこの先生の授業は何も受けてないので、将棋同好会関わりの記事、メモであることは間違いないんだが、その先が見えない。  新人戦とかで、一年のしし■■君が出場、waka君は参戦しない、ひの■■先生が引率で行く、よって、waka君は会長だけど今回は同行しない、とかなのかなあ・・ いやあ、でも、それは会長として、冷たいでしょう。フク■■君などクラスメートだし(近日、泊まりがけで将棋をさす予定の仲なのに)。  今回の会場となる高校へもっていくらしい手紙だが、waka君、他人にもたせるとか、どうも逃げ腰。この手紙の内容、主旨がどこにも書かれていない。  (たぶんまあ、なんらかの依頼を受けたが、それを断わりたかったのではなかろうか。だいぶ曖昧な記憶だが、次回の大会はwaka君の高校で開催できないか、とか? 毎回、大会に参加して、他校の負担でお世話になっており、持ち回り的に、そろそろwaka君の高校で開催すべき頃合いは頃合い。が、それが面倒で、しかし道義的に受けるべきということもわかり、断わりづらいけどなんとか断わりたい。そんなところだったかなあ・・)  (・・だとしたら、将棋戦士にあるまじき、卑怯、惰弱だわ。笑。・・めんどうそうなのはよくわかるけどさ。ああ、もしかしたら、この依頼を断わるのが心苦しいがゆえに今回はわざと同行しない、手紙で済ませようという魂胆なのか)
: 「おにしがてぶくろ、忘れてく。」  おにしは中学からの友人。別の高校なので、waka君の家に遊びに来た際の忘れもののメモだろう。
: 「「なんで、男の人なんか、うちに入れたのよ。それでなくても、今日はパパもママもいなくて、ぶっそうなのに。」」  創作のせりふ。  以下のいくつかの項も、しばらくそれ。
: 「「私の処女をあげるわ、っていったら信じる?」 「信じない。」 「私ってそんなにまじめにみえるの?」 「ハハハ、おれは5人目の男なんだろ。」」  キレがいまいち。(というか、箸にも棒にも・・ 的な。いちおう、考えオチにはなっているが)
: 「「ますます誤解されちゃうわね。私も、お姉さんも、ほんとはもっと、かたいおじょうさんなのよ。それが、こうなんかくだけちゃったのは、あなたが、かっこよすぎるから。」 「ハハハ、おだてんなよ。じまんじゃないけど、ぼくは、外ぼうより、心の中に自信もってるんだ。」」  いかにも作り物という会話だ。
: 「女の子が、ちょっと、パンツ ティー のみえるような、色っぽいかっこを、二人きりの部屋でみせたとき、「あ、パンツがやぶけてる。」といっておどかす。きっと、「えっ」といって、まっ赤になって、なきだすところまでいくかも。」  この女子も幼いけど、男子のほうにも、小学生かよ、とつっこみたくなるぞ。  これから脱ごうか、脱がそうか、というパンツなわけだから、とりあえず、穴があいてようがいまいが、実質的な不都合はない。象徴的な失敗感、頓挫感のようなものが女子に生まれてとっさにはじらう、などはありそうだけど。  でも結局、男子の冗談なわけだしすぐウソとばれるたぐいだろうし、女子がほんとに泣くとことはないでしょう。たわいないいじくりに付き合って、嘘泣きを演じることはあっても。
: 「「私自身が好きだなんて、うそなのね。女としての私(私の女?)を、欲しているだけなんだわ。」」  欲している、などという漢語的言い回しを、痴話ゲンカする女子に言わせたらあかんよ。  だめだな。男女の会話、物語、稚拙だわ。  恋愛小説の作家としては、素質、ないに等しい・・  経験値がない。恋愛物語は、こういう会話をするお話だろう、という把握が幼い。  いっそ、こういう感じの笑話方面で、なんとか、活路が開けないか、という気はするけど・・   (いやいやいや・・・ 案外、幼いぐらいのじゃれあいがリアルってこともあるか。この辺り、何度も読み返していたら、大人びた男女よりもよっぽどうまくいきそうな気がしてきた。退行は、裸になっていくともいえる)
: 「女泣いてる。 「冗談だよ、冗談。」 「ほんとに、冗談?」 「ほんとうたよ。冗談だよ。」 この二つ矛盾しるようにみればみえるでしょ。 「ほんとうなら、おでこに、うそなら、くちびるにキスをして。」 男、ほんとに、どっちにキスしていいのかわからなくなる。でも深く考えずにおでこに軽くキス。」  わからなくなってるのは書いているwaka君だろうね。  こういう壊れ気味な進行のほうが、かえって味があるかもしれない。  (いちおう形になっていると、稚拙ぶりがストレートなので)
: 「ろんごには  女子どこもはあつかいがたしとあったのか?」  女、子どもは、か。  唯女子與小人爲難養也 (論語陽貨篇)  この小人は、子供ではなく、君子ではない人たちの意。
: 「ふたごは そだてたり、ふろなんかに入れてるうちに、まちがえちゃうことはざら、のような気がするんだけどねえ。」  どうやって区別するんだろう。本人たちが、自分はどっちであるか、認識する前は。 (後年、私の姉が双子を育て上げている。可能なら、いずれ、姉に訊いてみたいが、姉弟とはいえ、失礼、無遠慮になるのかなあ・・ 私は純然たる好奇心なんだけど、当時者たちにしてみたら微妙な事情も絡むんだろうか・・)
: 「一人の青年が、ある姉と妹の二人の娘に子を生ませる。」  「青年が、自分の恋人のみならず、その人の妹にまで子を生ませる。」  しでかしちゃったね、というところか。現代日本では、あまりおおっぴらにできない事情となるかも。  でも、古代の皇室では、ままあったのでは。日本以外でも、遊牧民などで、それほどめずらしくない婚姻かも。  遺伝的な問題はないので、よって、禁忌とはならない。  それぞれの子は、母親つながりでいえば従兄弟同士だが、父親つながりでいえば、兄弟。  物語の序章、の雰囲気はある。  妄想の起点にして、たのしむこともできそう。
: 「どきまき」  どぎまぎ、か。
: 「暗きょ :?」  暗渠?
: 「小説らしい小説 純文学にして大衆文学 }これが小説の理想だって、小松伸之って人が。」  小松伸之さん、検索かけたけどヒットしないねえ。(同姓同名はいるが、それらしき人が)  当時、書物か新聞でそう言っているのだろうけど。  → めだたなくて、何も言ってなさそうな、「小説らしい小説」のほうが、なんだか意味深。
: 「好きなら、つきあわねばならない、 ということもないだろう。」  「好きでも、べつにつきあいたいというわけではない。好きで、かつ、ふつうに、自然につきあいたい。その自然が、つきあうことなら、それであってもいい。」  つきあうが四回出てくるが、その三回目以外の三つは、「男女交際したい、恋人として約束をかわしたい」というような意味でいっているはず。
: 「ふつうにする あなたがとくにすきだという表情をみせない」  「自然にする 「ふつうにする」という意も持とうが、自分の欲するままにするという意も持とう。」  前項での自分の語の、定義を試みている。  ふつうに「する」時点でもう、ふつうではないわけだ。意識しちゃってる。  左領域にある恋愛物語風の諸項よりは、まだしも、誠実な考察をしているのでは。
: 「■ ?」  ■は、木偏に犬。こういう字はないわな。杖あたりの見まちがいか。または誰かの書きまちがい。  (あるいは、マーキングをする犬!?)
: 「人類の進歩のグラフ(‥をすぐれた人間の出現。その高さをその程度とみてよい。)」  三行にわたって、グラフが続く。  中程度のすぐれた人間が四回現われると頭抜けてすぐれた人間が一回現われる。このパターンをくりかえしている。  根拠があるわけではなく、このぐらいの頻度では、という想像でしょう。  真実、真理に近づきたい、よりも、妄想のタネになればとりあえず楽しい。かな。
: 「ちちくりあい、とは?」  男女がむつみたわむれること。
: 「おれも中学の頃、わるいことと思って、やらなかったボーリングをすすんでやるようになったからなあ。」  おれも悪いやつになったなあ、という口ぶりだね。  といっても、中学の頃は、学校がボーリングを禁止、または非推奨だった、waka君は言われるまま従った、不良の遊びと思った、というだけだろうけど。
: 「 ・・・ くるうが来るに通じるので、来ると同じような反対なような 行く、→行かれるが、くるうの意になった? ギャク?」  いいかげんな推理をしてます。  辞書によれば、狂うの語源は、「くるるに(旋回すること、くるくる)」ではないか、神がかり状態をいうのでは、とのこと。  狂うの意のいかれるは、「行かれる」か、とのこと。  語をおぎなうなら「心を持って行かれる」ということでしょう。これが正解と思う。
: 「ロッテチョコレートイモなんてのがあるんだって。」  検索すると、現在も、ロッテ製で、焼き芋味のチョコがあるみたい。  なので、当時似たものがあっても、おかしくなさそう。
: 「職業詩人 職業作家」  職業詩人はきいたことないが、waka君造語かな。  職業詩人≒コピーライター ってところでは?  作詞家なんかも、重なるか。
: 「エンピツのFの濃さは?」  Wikipedia によれば、国によって、記号表記に差があるそうな。日本での現在の表記は、 〔JIS S 6006では芯の硬さの種類を表す記号を定めており、軟らかい方から順に6B、5B、4B、3B、2B、B、HB、F、H、2H、3H、4H、5H、6H、7H、8H、9Hの17種類が存在する。〕  〔なお、HはHard、BはBlack、FはFirm/Fine(しっかりした/細い)[12][13]を意味している。〕
: 「カンソウザイのフクロに、「無害ですが食べないでください。」とある。ほんと無害?」  笑。  調べると、乾燥剤といっても多種多様。あきらかに身体に悪そうなものもある。  本文のは、たぶん、お菓子とかがしけないようにしているもの。毒性がない種類なんだろうけど、ことさら、食べないでくださいと言われると、無害というのが疑わしく感じる、と。わるいものがお菓子のほうに伝染しないか、と。
: 《楽譜、音符9個》  これだけでは(もう)音も調べも聞こえないな。
: 「しゅうねんで、フクセイをしあげねば!!」  waka君は、心記(このノート)の仮メモ(エンピツ書き)を、ボールペンで清書することを、フクセイと呼んでいる。  仮メモは、時間的余裕がないときなど心記に走り書きする。  あるいは、心記に書きたいことを授業中に授業ノートにメモしておくこともあり、これを心記に転記しつつ清書することも、フクセイと呼ぶ。 (この場合、心記のほうには、どの科目のノートに仮メモがあるか、何項目あるか、それぞれどのくらいのスペースを空けておくべきか、などについてわかるようエンピツ書きしておく)  なお、これら、エンピツ書きの仮メモは、フクセイが済むと(清書が済むと)消しゴムで消してしまうので、現在残っている紙面の状況から、その項が最初から清書されたものか、仮メモを経て清書されたものかを区別することはたいていの場合むずかしい。  本項では、しゅうねんで、と言っている。  仮メモなら当然楽なので、ちょっと油断するとどんどん溜まる。  この負債(つまり先楽)を返していく(清書していく、つまり後憂)のが、しゅうねんが必要なぐらい大変。時間も労力も要る。  どのぐらいそれらを費やしたかは、今はもう、よくわからないが、おおざっぱにいって、自宅でまじめに学習した総量に匹敵するか、凌駕するかもしれない。  そのしゅうねんを、まじめな学習のほうに振り向けることができていたら、たぶん、waka君、落第不安に悩まされることなどはなかったような気がする。
: 「今日も3時半にめざめてしまう。」  早目に寝て、午前零時を過ぎてから起きて、その日の予習をする、というのが、waka君のいつものパターン。とくに英語についは、下しらべをしておかないとまったく授業に対応できないので。  何時間ぐらい勉強したいか(するべきか)みつもって、めざましをかけるのだが、たいてい、予定時間をだいぶ過ぎてから起きることになる。  起きても、ちゃんと勉強できるとは限らない。とりあえず、これをしてから勉強しようと、読みものを読んだり、将棋を並べたりをしがちで、さあ勉強しようという段になると、疲れて眠くなったり、または外が明るくなってしまったり、というのもいつものパターン。  本項は、めざめてしまう、とあるので、望んではいなかったのに、というニュアンスを感じる。  期末試験も済んで、そんなに勉強する必要もない日々なのに、習慣で目覚めてしまったよ、ということかな。  なお、最近知ったことだが、勉強した内容が脳にしっかり定着するのは睡眠時だそうだから、勉強したあと熟睡すべきということになる。熟睡したあと勉強する、このwaka君のパターンはどうもよろしくなかった、と思われる。
: 「それから、ナニもやる。」  射精もしました、と。
: 「ガラスドのナカでなく、ガラスドのウチ」  これは、漱石作品のタイトルの読み方。
: 「ソーソソラシーシシラソ   あ なたのこ とばかり 考えていた」  左領域にある楽譜を、カタカナ書きしたもの。そして、対応する歌詞、か。  既製曲を記しているのでなく、waka君の自作っぽい(鼻歌程度だけど)。
: 「今日は8:05に学校についたら、一番だったっち。」  1時間目は、八時半か四十分からだと思う。  自宅から高校まで、自転車で十五分程度。  三時半に起きてそのまま朝まで起きていたのか。  それだと四時間ぐらい起きていたことになるが、その間に二三項しか書いていないのは少なすぎる感じ。  ここ以前にある仮メモを、朝までしゅうねんでフクセイしていたのか。  あるいは、すぐ寝直して、前夜からのも合わせてたっぷり寝過ぎなぐらいで、早起きできた、そのまま一番乗りできた、というのもありそう。
: 「1→7   1+_=2   2+ノ=3=3」  似てる。付け足せば、1、2、3と進化する。と言いたいみたいだ。
: 「恒?等式」  恒の字が不確かみたいだけど、合ってる。
: 「■◆? :となりという字は? リンセツ」  ■、◆と妙な文字をかいて模索している。  隣接。
: 「タツオ、ラブレターだしたら、電話で返事がきたんだって。」  だからそれは、応否どちらだったの!?  気になってしまう、書かれていないから。(他人事だが、半世紀前だが)  当然waka君は訊いたんだろうけど、言葉を濁されたか。返事が来たことを打ちあけて、結果を濁したなら、だめだったということ? 喜びを押しかくしているだけ?  タツオは、行動力がありリーダーシップもあり(文化祭の実行委員長だったし)、面倒見もいいやつだったけど、それほどイケメンてこともなかった。ガタイはしっかりしてた。  相手の女子はほぼ見当がつく。澄んだ湖を思わせる美人。明るくはしゃぐタイプではないが、弱々しいわけでもない。言うべきことは言える女子だった気がする。
: 「コムギをコムギコにして、パンにする   イネ を コメ にして、ゴハンにする」  小麦が粉食主体になったのは、小麦の実を米のように調理しても(いわゆる麦飯)あまり美味しくないから、というより、小麦粉を練った生地、その加工品の食感がとても好ましかったから、ということらしいね。
: 「てのひらにかゆくて赤い点々がいくつも。」  なんじゃそりゃ。虫さされか、肌荒れか。  てのひらってのは珍しいかもしれない。化学の実験あたりで変なものをさわった?
: 「きのうふろはいらないと思うと、ふけつ、いやらしいと感じる。」  ふけつはわかるが、なぜいやらしい?  waka君にとってこの語は、好色、猥ら、ということになるからなあ・・  (好色、猥らといっても、色っぽいそれと、ふしだらなそれとの二種類がありそうで、ここでは後者に近いものを感じたってことだろうか・・ )(寝起きだろうから、感覚が混沌としているってのもあるかも)
: 「■ :なんとよむ?」  書の上部、下部は木となっているような文字。手元漢和辞典でも見つかりません。  → もしかしたらこれは、
か? ならば、タイだが。  だとしても、隶を使う熟語は辞書になく、隶には訓読みもない。つまり、ふつう、使われることのない文字。どこから拾ったんだろう。
: 「指をフクザつにゆうびにくねらせて、指でおどりをおどるような芸術。」  が、あってもいいじゃないか、と思いついたんでしょう。  実際に自分で、この指踊りをしながら。  → 半世紀後の現在、ないとは思いながら念のため、「指踊り」で検索してみたら、あった。  フィンガーダンスというのがわりと流行ってるみたい。  遅くなりましたが、waka君の妄念に現実が追いつきました(笑)

※ 『1973/12/19 にじりぐち』 : 「フク■■に キガネイラヌが アイサツだけは、」  頁上辺のエンピツ書きメモ。泊まりに来るフク■■に、こう伝えよう、という事前メモでしょう。
: 「6:30 モン ジャリバキ ■■■ 〜 7:30 〜 メシ(ウラノウチヨリデンワ)」  職場に泊まるわけで、宿直者の朝の作業のおおまかなメモ。  翻訳すれば、――  起床後、六時半には門を開け、庭の砂利を掃いて、■■■(職場)の何らかの準備も済ます。  七時半頃、朝食の準備ができるので、うらのうち(北隣のwaka君の自宅)よりデンワで呼ぶ。  ―― こんなところか。  これを二人でこなすはずだったんだが、二人は寝坊してしまう。  職場の建物はしっかり戸締まりがされており、宿直者があけないと誰も入れない。  出勤してきた女子従業員に雨戸をたたかれて、やっと起きたはず。  ―― 記憶はこうなんだが、頁本文で、この失敗には触れていないね。
: 「お母さんが、友だちをどんどんつれてこい。泊まりにつれてこいだってさ。」  なぜか許容、奨励だけど、泊まりに連れてきたのは結局、高校時、このときだけだったはず。
: 「にじりぐち 《絵》 (西) ぼくの四畳半」  そう。北西にあるwaka君の自室には、なぜか、にじり口と言いたくなるようなこういう窓があった。  友だちが遊びに来るとき、玄関でなく、庭をまわってここの窓を叩くことがしばしばあった。で、ここから入った。  母親は、ゴミを掃き出すのにちょうどいいからとか言っていたが。  なお、この窓も、雨戸がしめられる。絵の右側に戸袋がある。
: 「今日も8:10にきて、一番だったっち、と思いきや、すでに前に二人きてる。カバンが置いてあるずら。」  トップというのはなんであれ意外とむずかしいもよう。  競っていたわけでないけどね。
: 「ア→ ・・・ 」  「ア」が形態変化して、「ヤ」「刀」「カ」へ。
: 「テスト、 点をよく、しにいかないかわりに、まちがって、多くつけられていた場合は、いいにいかない。」  テストの採点、正答なのにバツがついているなどおかしい場合、抗議して加点訂正してもらいには、いかない。その代わり、誤答なのにマルがついているなど点が多すぎる場合、正直に申告したりしないよ、と。  どちらもそのままにするってことだから、まあ、面倒くさがり屋の言い草だね。  (各科目の期末試験の答案がかえってきている時期のようだ)
: 「むずかしいっちよ。 よくいう。 ※むづかしい・・・?」  語尾に「っち」をつけるのが、マイブームみたいだ。  本項の通り、このノート上の書き言葉だけというわけではなく、実際に話し言葉でもつかっている様子。  ここでは「っちよ」というわずかながらの発展が意識されたようだ。  例文のむずかしいだが、辞書によればこちらは、むつかし>むづかし>むずかしい、と進展。清音濁音並存状態ながら、現代はムズカシイがかなり優勢、とある。
: 「大学入試でいまだに英語のウェイトが大なのは、大学においての英語の先生の力が根をはってしまっているからか。」  笑。邪推でしょう!  そういううすっぺらなことではなく、近代日本の科学、学問の多くが、(西洋語、時代がくだるにつれ主として)英語からの翻訳(咀嚼、日本語による古典化)によって血肉をえた、という伝統があるからなんでしょうね。英語力は、学生の基礎的素養(技能)として当然というところか。  waka君は英語が苦手、もっぱら英語で赤点不安をずっとかかえていた。今回も(ほぼまちがいなく)悲しみを感じる低得点だった。なので、英語をおとしめたいと思っている。(^^;
: 「テスト 1 2 ・・・ 13 」  これは、テスト用紙にある仮メモをここに清書、ということらしい。13項目分の空白。
: 「福■は今日、■■にとまってるっち。」  フク■■君は、12/19(水曜)〜12/20(木曜)にかけて泊まった、ということになる。  押し詰まっているけど冬休みにはまだ少し早い。(終業式は12/25辺り)  泊まりの主目的は、フク■■君の希望で存分に将棋を指そうということだったが、フク■■君はwaka君の家の職場(家業)にもそこそこ興味があったようだ。
: 「島田陽子の銀子はきれいだっち。(フク■■も賛成)」  職場の宿直部屋のテレビで見ていると思う。  島田陽子が銀子を演じているドラマということでネット検索したところ、『銀座わが町』のようだ。溝口銀子役。  Wikipedia〔1973年4月4日から1974年3月27日の期間にNHK総合テレビジョンにて、毎週水曜日20時00分 - 21時00分の枠で放映されたテレビドラマ。作・小野田勇。〕  曜日もどんぴしゃ。夜八時台となると、まだ職場の宿直部屋へ移動はしておらず、うらのうちで夕食をとりつつNHKをみているのかもしれないな。
: 「オカ■のお父さんはノーベル賞コウホになったとか。 オカ■君のうちでは、家族でイレブンPMみてるんだって。」  オカ■君はすでに何度か登場しているが、waka君の認識では、タ■■嬢をさらっていった色男。  このあたりは、フク■■から仕入れた噂話か。  宿直部屋のテレビで、高校生男子二人、エッチ系の深夜番組なども楽しんだってことでしょう。  元々の目的どおり、将棋も飽きるぐらい指しているはず。  ・・というわけで、朝起きられない事態をまねいている。(^^;
: 「高■スミ■さんは、外国人というかんじでもないが、旧来の日本女性という感じでもない。」  彼女が、ほぼ間違いなく、タツオがラブレターをだした相手。
: 「このころ、芸能会にハーフ(アイノコ)が多いのは、戦後のパンパン娘なんかの子がちょうど年頃になった頃だから?」  かなりな偏見。現在の良識で照らせば。  パンパンという語自体は、仕入れ元は中学時代の『ゼロの焦点』。(中学では皆が持ち寄った学級文庫があり『ゼロの焦点』はその中の一冊だった)  芸能界。会ではご町内みたいだ。
: 「げいのう会」  気になるのは、のう、のほうみたいだ。
: 「厳に自成する。」  自戒を、見間違えている節あり。
: 「「非公式に」というときこえはわるいが、「私的に」というときこえはいい。」  そうか?  文脈、状況にもよるのでは。  まあ、「非公式に」は小声で言いそう。「私的に」ははっきり言うかも。
: 「トランプキッサなんてありゃいいのに。」  高校ではトランプも流行っていた。  (一つのアイデアではあるが、なんにしろ、そういうキッサ店、採算にのせるのが大変。賭博にしてしまえば儲かるかもしれないが、こんどは触法の懸念が生じる。 waka君は楽しく利用できる場としてしか考えていないようだけど)
: 「自分のあっさりした美しさをみとめ、人にみせて、自分自身半ばうっとりする女の子。」  ちょっと愚かしいけど、好ましい。まあまあの幸せな性格といえるな。  (妙齢女子のわりと多くがあてはまりそうな気もする)
: 「千慮の一失」  これ怖いよね。  そして、これを怖がるがゆえに、チェックや確認を際限なく繰り返すようになると、現代では強迫性障害とか言われてしまうのだ。
: 「わるいことはいわない、〜しな、   ねえ、〜しな、  }オモロイ表現?」  悪いことはいわねえ、あきらめな。・・RPGにも出てきそうセリフ。

※ 『1973/12/24 六本の円柱』 : 「12/25or26 オニシに 10:00に来るよういう。10:30に、千葉駅下の裸像、」  「12/26の忘年会は出ぬ。」  「12/27 11:00オニシ来々 ¥500はすでに払う」  「■本氏 0472(■■)■■■■  火■ 0472(■■)■■■■」  「12/26、12/23 }将棋中止.→用意ができしだい連らく。」  「12/24 山のうちより うらの家、フロ、」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  どうも、年末、冬休み、予定が輻湊している様子。  オニシ、と会ったり。中学の同窓会があったり。  ■本、火■らは、将棋同好会の面々ぽい。(大会なのか例会なのか)将棋はとりあえず中止だが、用意ができたら(実行可能となったら)連絡(左の電話番号へ?)、ということらしい。  山のうちに遊びに行って、自宅(うらのうち)にもどったら風呂にはいろう? ← これは下の本文でも言及がある。
: 「中学の時もそうだったかもしれないけど、先生の話だと、二学期後半において、女子がすこし成績が下がりだしてるってよ。」  中学の時そういうことがあって、今回もそういうことがあった、という文脈だけど、晩秋、女子の学力は下がるという法則とか原因とかがあるっていうのだろうか。先生がそれを指摘するというのも、それがwaka君の耳にはいるというのも解せんな。  (中学の時は、たしかにあった。学級会あたりで、先生がそれを指摘した。しかし、高校ではなあ、男女を分けてどうこうって雰囲気はなかったが・・ 女子はクラスに十人ぐらいしかいないし。  でもwaka君がこのように書いている以上、それっぽいことはあったんだろう。こんなことで、ないことをあると誤認したりするとは考えづらいので)
: 「コン■■君、クラスで二番目ぐらいに頭いいんだってさ。ほんと? タツオがいってたよ。」  コン■■君は、display『1973/11/26 ひざがいたくなったのは、』で、ちらっと登場している。  ごく平凡でいかにもモブっぽい雰囲気でちょっとだけひょうきんな男子なので(waka君も修学旅行以来よく話すようになったし)、成績がそんなにいいなんて意外だ、と感じているはず。  ある意味、かっこいいよね、らしくないのに実力抜群というのは。
: 「イ■■ちゃん、一学期は、全体の2割にはいっていたんだって。」  中学同級だから、つきあいの長い友人。イ■■ちゃん、お前もか。と言いたいふう。  waka君の成績は、だいたい、全体の後ろのほうの2割ぐらいだったのでは。英語にいたってはダントツの最後尾。
: 「勉強のあいまあいまに小説書くようにして、一日中、机にすわってるようにしよう。」  つまり、心記(このノート)にこれだけいろいろ書いているほかに、どこかで小説も書いているのかい。  それらの小説、あんまり記憶にないってことは、未完放置の長編ぽい。小説に似せただけの、長いだけの、なにかの文章群だったのかな。  それとも本項は、ほぼ願望で、書かれた小説等はほとんど存在していないのか。
: 「裸 これでいいんだっけ? ・・・ 」  よくないね。  示偏、右上が日、右下が十、これらは間違い。
: 「昂める :読: 」  昂の訓は、あが・る、たか・い。昂める、の送り仮名なら、たかめるしかないか。
: 「乍ら :読: 」  ながら。  やや古風な用字をしている本を読んでいると思う。  読みつつ、気になったりひっかかったりした語句をここにかきだすというのが、waka君の癖。  後ろの項も眺めていくと、古典古文ではなくて、昭和の戦前あたりみたいな古さかな?  → 前のほうをさがしたら、前頁に、「お西より、ファーニイ・ヒル」という記載あった。もらった、または、まわってきた。18世紀、発禁処分を受けた性愛文学。かなり有名。  うすい文庫本だったと思う。  古めの翻訳だったか。あるいは、猥褻本ということで、ことさら古風に綴られたものか。
: 「勉強、小説、心記、3つともやらねば。」  うーん。小説、心記は分かるとして、勉強はさ、期末試験終わって冬休みという時期なわけで、ここで気合いを入れる理由は何かな? 期末の結果が相変わらず低得点で、猛省しているのか。(猛省しているふり、ポーズ、自分にすらそう思わせようとしている?)  いずれにしろ、まずは、ファーニイ・ヒルを読んでるわけだな(^^;
: 「謂: 」  言、とおおむね同じながら、同じではない字。  いわれ、とか、〜のいい、という使い方をするとき、たいてい謂のほうを当てるようだ。
: 「繰りながら: 」  くる、であって、くくるではない。くくるは括る。
: 「ぼくの耳の中のきたないこと。  しかし、あまりひっかこうとすると外耳炎になる。」  爽やかな記事ではないが、どうやってそれを見ているのかが、少々謎。  母親の三面鏡、鏡台の椅子にすわっている、ぐらい。
: 「六本の円柱を、他のどれとも、互いにくっつくようにするには?  つまり、1本の円柱は他の五本とくっついていて、他の五本のそれぞれにおいてもそれがいえるようにするには。」  この答案図で、合っていると思う。(ただし、六本ともまったく合同の円柱であるという前提で)  1と4は、面で接している。これは明白。  1と2、3は、線で接している。これも明白。  1と5、6は、点で接している。  現実の物体でなく、概念上のもの、ある種のイメージだから、1点でも接していれば、くっついているとみなせる。  ということでいいはず。日常的な感覚としては、すっきりはしないが。  これは、何かの問題集にあったのかな。それとも、waka君の創作問題? 友人に出されたなぞなぞ的なもの?
: 「お父さんいわく、あいさつをするとき、下の人は上の人よりしせいを低くしなければならぬ。」  あたりまえのようだけど、意外と守られていない、気にされていない、かもね。  たぶんwaka君も、右から左に聞き流すところだったけど、お父さんの性質を表わすものとして書き留めておこうという気になった、のではなかろうか。  それとも、自然体で、いかにも大切なかなめであるかのように、さとされたため、真に受けたのだろうか。(父親の話し方、声質には、いわくいいがたい説得力があった)
: 「このごろ数日、フロにはいってない。」   「山から電話あり、父母も否といわぬので、今、七時頃より山のうちにいく。オカボもくるとよ。オカボ、今よいは、山のうちにとまるのだそうだ。」  これが上辺エンピツ書きメモにある、「12/24 山のうちより うらの家、フロ、」だね。  山のうちに遊びに行き、オカボとも語らったけど、フロにはいりたくて泊まりはせず、自宅=うらのうちに帰った、というような流れか。山のうちでもフロはあるんだろうが、他人の家のフロにはいるのが気がひけたか。歩いて五分だし、帰るかな、やはり。自宅なら存分に洗えてのんびりまったりもできる。  男子だし、泊まりと風呂がセットということもないか。一晩二晩フロにはいらなくてもまったく気にしない連中だろう。がしかし、この夜のwaka君、それでもフロにはいりたいぐらい、はいってなかった、うずうずむずむずしてた。
: 「こよい :漢: 」  前項文中の、今よいが、今宵。
: 「てぶくろのほしい寒さ。」  五分とはいえ、山の家までの、冬の夜の道。
: 「はんかがいの水商売にも、しょうれい金を。さもないと、たりない金は、どこかのギャングからでて、そいつらの勢力をのばす。つまり、ギャグのイキのかかった水商売が増える。」  そうかい? ギャングややくざは、資金援助してくれるのかい? ふつう逆では?   経済的に苦しいと、弱みにつけこむってことはあるか。資金援助ではなく、高利の貸し付け、とかなら、十分ありそう。  闇金融が食い物にする、ありそうだが、そこまで想像が及ぶものだろうか。世間知らず高校生waka君に。  ・・うん。やはり、もっと初歩的なところで、なにか勘違いをしている可能性のほうが高いな。
: 「あくびをしたとき、ときどき、あごの肉かなんかがひきつることがある。すぐ指でおさえるのだが、イタイ、イタイ。」  若い頃、たまにあった。  最近は記憶にない。顔周りの筋肉がぷりぷりして元気な年代ならおこる現象ということだろうか。
: 「朝じゃりばきすると、いい気持がする。」  なんだか、職場の宿直をちょくちょくしてるみたいですな。従順だね、意外と。
: 「リン姦なんてあった? どうもピッタリしないが。 ぼくの、そのイメージに。」  輪姦は唐突だよね〜 文意も謎だ。  うーん、想像だが、ファーニイ・ヒルの物語の展開に、独り、つっこみを入れているのかも。
: 「品がない、をシナがないとよみ、物不足か、と思う。」  笑。  ふつうなら文脈から、間違えようがないのでは。  品がない場面がこれでもかとでてくるので、いまさらあらためてそう言われても、ピンと来なかったかな。
: 「空念仏  クウ カラ }どっち」  辞書では、からねんぶつ、そらねんぶつ、の二つの読み。
: 「やせぎす やせすぎ }?」  やせぎすは、痩せて骨ばっていることなんだけど、やせ過ぎからきた言葉ではない。  ないのだけど、音も綴りも似ているから、意味を支え合うようなことになっていると思う。
: 「たくまない .」  漢字で書けば、巧まない。言葉や行動に自然とあらわれるの意。
: 「お気持をるるお述べになって: 」  たぶん、ヒロイン、ファーニイ・ヒルのセリフ。
: 「贅: 」  贅沢のぜい。
: 「襦子地: 」  しゅすじ、とよむらしい。
: 「衾: 」  衾は夜具の意とか。ふすまとよむ。熟語の同衾なら耳慣れている。
: 「慎しやか」  慎ましやか、がふつうの送り仮名か。(ネットではこれが多い)  しかし、手元国語辞典では、慎やか、で載ってる。これが一番正しい!?  → ちなみに、つつしむ、つつましい、は、包むからきているようだ。辞書によれば。  外に表われないようにする。心に秘める。ということで。
: 「なぜ、銀河テレビ小説などというの?」  Wikipediaに、名前の由来は書いてなかった。  この時期に放送してたのは、 〔坂の上の家 1973年12月3日 - 12月28日〕〔三四郎 1974年1月7日 - 2月1日〕。  漱石作品である「三四郎」は必見と思い、そうしたはず。
: 「食いすぎるとバカになるのか? お母さんがいったけど。」  そういう因果はないと思うが、バクバク食ってる姿はバカに見えるかもね。  で、満腹になると、生体エネルギーが一時的ながら、脳みそより消化器に振り向けられる、ということもあるかもね。  だから、腹をすかして食ってばかりを繰り返していると、しだいにバカである時間が長くなっていく、お母さんあながちハズしていない、ということになる(笑)
: 「操 : 」  あやつる。 みさお、でもあるんだ、この字。  ふーむ。あらためて眺めると、あやつるとみさお、どういうつながりがあるのか疑問だ。  → 手元漢和辞典の解字によれば、操は、〔にぎった指が双方からきっちり合わさるようにかたくしっかり持つ意。〕  どうやらこの、かたくしっかりから、みさおの意になり、持つから、とるやあやつるの意になった、ということのようだ。

※ 『1973/12/28 胸の上とはどこか?』 : 「なぜ、性殖と死があるのだ。性殖があるので死が必要になり、死があるので性殖が必要になる、生命を絶やさぬため、必要以上に増えぬようにするため。しかし、それならば、性殖と死をともになくし、ふえもしなければ、へりもしないようにすればよかったではないか。」  「性殖と死のない世界 or 生物。Aという人、Bという人。Aはいい人、Bはわるい人。しかし、今の我々がそううつ病にかかっているように、永遠の生物も、周期的に、いろいろな性格を得る。そこで、よこちょのおっさんはいいおじさん。おむかいはわるいおじさん、というようになっていても、時がたてば、逆転している。 そこでいいおじさんは、いいおじさんのまま死ねない。皆変わる。そこで 心の無常が身にしみてわかるのではないかしら。」  生殖が通常の表記。  前段の性殖と死の話と、後段の善悪のおじさんの話が、かみあってないのでは? かなり変だよ。  いいおじさんのまま死ねない、も論理矛盾気味だし。  生殖と死は、結局、増殖手段として有利だったのでは?  (1) 単純に数を増やせる。親が生殖年令まで成長できたのだから、そこには、子も成長していける糧がある可能性が高い。余裕があるなら、子を生んで増殖しなければ損。  (2) 交配をして遺伝子を混ぜ合わせ、その上で強者が生きのびる。さまざまなタイプの個性が生まれ、環境が移ろっていこうとも誰かしらが適応できる。で、種族全体として強度が増す。底上げが継続的になされていく。  (3) 古くなった個体は、遺伝子の不良品が発生しやすくなって、それによって個体は劣化し亡びるし、不良品が後代につたわるのも防げる。新品の個体は次々生まれるわけで、繁栄に死角なし。  ・・等々、よくできた仕組、というわけかな?  ・・ううむ。そうか。こういうまともな側、筋道で論を進めることに、当時は関心が向かなかった。  性殖と死のない世界で生きるとはどういうことかのほうに、引き寄せられた。  waka君、不毛な思索、という気もするけど、現在がありきたりで硬直なだけかも。言い直せば、waka君、ふわふわして自由。
: 「そぼくな生活こそぜいたくか? いろいろな仕事、めんどくさい、不必要なことをしないと、働かない、働けない人が増え、お金がもらえないで困る、そこで、もとはありもしなかった苦労をしょいこむのか。」  言葉足らずだと思うんだけど、言葉足らずだったために、今、言葉をおぎないながら読み返すと、世間の真の姿をたくみにまたは皮肉っぽくすくい取っている気がしてくる。  たかが高校生にわかるはずはないと思うんだけどね・・  世の中で仕事をしていると思っている人々のやっているそれは、元はありもしなかった苦労をしょいこんでいるだけ。  付加価値とかに値段を付けて売っているけど、不必要なことをわざわざめんどくさい仕組や手続きにして、その人が働いたと満足できるようにしているだけ、それで世間にお金を循環させているだけ。  こういう虚飾まみれの生活ひいては経済に翻弄されている大半の人々に比べれば、ごく単純で素朴きわまりない暮らしぶりこそが最上の贅沢といえるのでは。   ・・というふうに。
: 「はでで、特別なふくは、そのはでさ、特別さしか表わさぬ。じみでかざりもない服は、そこによいんがふくまれるので、いろいろな興趣をかんじさせる。」  おおげさにも、余韻だもんね。  waka君は、具体的なそれらの服装のことが念頭にあると思う。  だけど、服を、暗喩として読みとると、なかなかな主張になり、老荘ふうの思想にまでつながりそうで、余韻という用字も馬鹿にできなくなってしまう。  無意識のうちにでも、重層的な(二重写し的な)文章が書けるようになっているのか、どうか。  (ただし、こういうの、コツを覚えると、あんがい簡単に書けてしまう、とも思うけどね。そこまで行っているのか、どうか)
: 「ぼくの心はぼくだけのものであり、他人にはまったく、自由にできぬものだ。何をとられても、ぼくの心だけは、ぼくのものだ。」  初々しい、大人初心者の感覚。前向きで、爽やかで、悲壮感すらある。  身近な誰かに操られたり、右にならえしたり、どうしてこんなものを買ったのかと思ったり、なにかにすがったり、そういうことを大小さまざま経験していくうちに、疑わしくなっていき、くすんでいきがちなこころとも言えそう。
: 「「質素で素朴なものはすばらしい。そのすばらしさを身につけ、すばらしさを感じるのはいいのだけれども、いつもそのすばらしさを、その上、私みたいのがそのすばらしさを、感じたり、身につけたりしては、なんかそのすばらしさが安っぽくなってしまう。そこで私は、いつもは、みじめったらしい、はでな服をしているのです。」」  「 」つき。  先行していたそぼくな生活や服の例えの項を受けて、なにか、妄想し、創作しつつあるか。  このセリフ、あまのじゃく的なキャラだね。利発だけどひねくれてもいる。それとも、男の思想信条をちゃかしているお嬢さん? 
: 「「質素で素朴な服はお金がかかりません、けど、そういうすばらしい服をひきたたせるために、みじめったらしいはでな、それでいて高い服をかわねばならないのです。」」  さらに言葉をかさねているか。こうなるともうしつこい感じ。
: 「胸の上とはどこか? 《絵図》 ここらへんか? 《絵図》 ここらへんか?」  これだけだと、不思議な感覚に迷い込みそう。どうして両方ともそう言うときがあるのか、説明してあげようとしていると。  なぜこの項を書いたか(描いたか)を推測すると、なにか本を読んでいてひっかかったんだと思う。単に胸の上と書いてあったので、その胸の持ち主の姿勢が不明のため、どちらか決めきれなかった。  簡単明瞭に思えて意外と不確かなんだ、追求しようとするともやもやするんだ、と気づいて。
: 「おまえでもいいや 、 はバカにした言葉。ただの裏の意のない言葉?」  今は昔。同僚である女子を飲みに誘ったが、丁重に断わられた。私はなにげなく、隣にいた別の女子を、君でもいいや、と誘った。むっとして断わられた。  あー、そうだよ、アホでした。
: 「ミカンの皮 :中味とはちがった独特な味。」  外側の厚皮のほうをいっている。
: 「ミカンの丸カジリをやってみよう。  ヒマになるとおそろしいことをやるようになるなあ。  さっきの皮、いような後あじをのこしたから、やっぱやめよう。」  こわいもの見たさに似た、へんなもの食べたさ、だけど、命や健康にかかわるからなあ、こっちは。ミカンの厚皮、強力な殺虫剤の残存があったりしそう。そうでなくても酸っぱすぎるか苦すぎるような。  (むしゃむしゃ食べた方がいたら、感想を聞いてみたいところ。調理によって食べられるようになったという御報告でも可)
: 「AはBにまさるともおとらぬ人、 というとき、これはおせじに近くて、やはり、Bの方がAよりまさっている?」  うん、だと思うぞ。たいていは。  Aがいて、Bがいない場で、これは言われていると思うので。  Aがいなくて、Bがいる場で、これが言われたら、Bに対して挑戦的な、あおるようなセリフになるもんな。
: 「「偶数と偶数を足すと偶数。奇数と奇数をたすと偶数。だから、偶数の方が多い。」 ・・・・・ 「いや、偶数と奇数をたしても、奇数と偶数をたしても奇数だ。」」  だいぶ変だよね。偶数と奇数の数を比べるのに、なぜ、それらを足したりしなければならないのか?   つまりこれはだ、偶数と奇数の数を比べるためにその方法をさぐったという発端ではないな。偶数同士をたしても奇数同士をたしても偶数になるのが不思議に感じた、という発端があって、これはもう偶数のほうが多くなるしかないという直感がした、という錯覚をそのまま書く代わりに、ネタにしてみた。会話体にしてみた。そういう項だろう。  waka君の癖だろうけど、成功例とは言えないね。
: 「ドライアイス ぎゅっとつかめる?  つかめる  じゃやってごらん  いい(いいよ、やだよ、えんりょする、という意)  つかめるっていったじゃない  やらないだけだもん  つかもうと思えばつかめる。が、やけどするから今はやだ。」  妹と意地悪なお兄ちゃんの会話、という感じだ。
: 「ゴ〜〜ン ゴア〜〜ン という新宿小の方の教会の鐘、キモチワルイ音。」  新宿小学校って、どこにあったっけ? 北に母校の院内小、南に本町小までは覚えているが、新宿小のある方向自体が浮かばない。
: 「プロテスタント  プロレタリア × ブルジョア  プロレタリアート × ブルジョアジー  }ともに名詞」  日本語では語感が似ているが、waka君も同じ項でならべているが、調べると、プロテスタントとプロレタリアは、無関係といってよさそう。  〔プロテスタントという総称は、その担い手達がカトリック教会に抗議(プローテスターリー)したことに由来する。〕Wikipedia。  〔ドイツ Proletarier 古代ローマの、政治上の権利も兵役の義務もなく子ども proles だけを生む無産者 proletarius から〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006。
: 「7865 7856 }ヒビキイイ 《折れ線グラフ?》 }こんなかんじだから?   8765 }ヒビキワルイ 《右下がり線のグラフ?》 ノッペリ」  響きといっているが、実際の音との関連付けができているのか。  語感、または、数の感覚のことを、仮に響きとよんでいるのか。  そこの辺りはよくわからないけれど、waka君の好みが、素直ですんなりなのはノッペリでよくない、味がないってのは、わかった。
: 「かぜでもないのに、さっきせきのようなくしゃみのようなの二つ。うわさされたの?   自分のことをだれかが考えると、その精神派が、自分のに同調する?」  精神波。  言ってみただけ、だとは思うけど。
: 「このごろ、家族の中でおれだけカゼにかからないのは、フロにあまりはいらないから?」  笑。  むりやり因果をつなげると、たいてい面白いかも!?  (飛躍すると、それを追って、こちらも跳ねるみたいな)
: 「小林秀オ  坂本真理  1974  水えい」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  これらは、下の本文の、右領域中程に本体の記事あり。
: 「まっ ありえますね  まっ ありうりますね」  ありうります、は文法的におかしいよね。  うる(得る)は、この場合、連用形えに活用して、ありえますね、となるのが、正解でしょう。  うり、などという活用はないはず。  (売ります、ならあるので、混同している感じ)
:  「いちいちにいさんしい にいにいにいにいにい さんさん ・・・・」  「いちにいさんしいごうにいにいにいにいにいさんさんさんさんさんしいしい・・・・」  これらはなんなのだ? 何かの数え歌? 歌謡曲とかの替え歌?  見当がつかない。五回数えて、繰り返していく、というパターンだが・・  体操のときのかけ声? 例えば、腕立てとか、腹筋とか、やりながらこんなふうに口にだしそうだけど。
:  「「ワカチャンかぜをひきとって」 :姉」  風邪を代わりにひいて、こっちのをもっていって、という意でしょう。  まあ、できないことは承知の上で、弱音を吐いている、弟にもたれかかっている、か。
: 「人間は無から有になってそして無になる。  本質的には有も無なのだ。つまり、無が主であり、一般的であって、有が従であり特別なのだ。」  わかるけど、有や無という用字がわかりづらくしているかも。  本質的な在り方があって、特殊な在り方にときたま変移する。そういうことを言いたいんだと思う、本項は。
: 「死を怖れる心とは何と幼稚であることか。」  これもなんとなくわかる。  悟りとか達観とかとは別物だよね。死は怖い、いやだ、そういうのは自分の中で変わらないんだけど、そう思い、感じること自体の、弱さ、幼さはよくわかるよ、と。  単に、本質にもどるだけのことなのに、怖い、いやだ、なんてのは、経験不足、知識不足のなせるわざ、つまりまだまるで幼稚であるにすぎないんだ、と。  → だから、疑似体験をしたり、知識を深め磨いたりしましょう、となると、修行とか悟りとかになっていく。  でも、waka君は、あるいは私は、面倒なのでそっちには進まないと思う。根っからの横着者なので。  困ったもんだ、とゆるめに笑顔をつくって、あきらめたりわすれたりする、と思う。
: 「学資に使う  働いた金を学資に学問する  それでも、同じ用法の「に」なの?  ×学資に学問する」  微妙なところをスッキリさせたがっているみたいだ。  ちょっと検討してみましょう。  「学資に使う」や「学資にする」はありだね。自然な言葉。  「学資に学問する」がバツというか、ひっかかるのは、畳語気味だからだ。  よって、「に」になにか問題があるわけじゃないんだ。  ということで、答えになってるかな・・
: 「掬んでくる  ?」  訓読みは、すくうだから、掬んでくる、は変な送り仮名になってしまう。(掬ってくる、とすべきところ)  ただし、むすぶ、というよみもないことはないらしい。これなら、掬んでくる、は、むすんでくる、となる。
: 「恐 おそ らく  怖はどう訓で読むの?」  怖の訓は、こわ・い、こわ・がる、おそ・れる、お・じる、おそ・れ。  恐の訓は、おそ・れる、おそ・れ、おそ・ろしい、おそ・らくは。
: 「見ず知らず、でいいんだっけ。」  いいのです。  みずくさい、との類縁を感じたりすると、水しらず、という表記がよぎったりするかもしれないが。
: 「山口組 山口県 サトウ キシ」  ともに首相経験者の、岸信介、佐藤栄作の兄弟は、旧山口2区(定数5)が選挙区。  山口組の本拠地は神戸のはず。同じくくりになってるのは、waka君の無知だろう。  (あるいは、ヤクザ組織の名称としてではなく、山口の大物保守政治家ら、という意味合いで「組」を使ってるのかもね)
: 「キラメク :ケイゾク  ヒラメク :一瞬  閃く :ヒラメク  )?」  辞書などを眺めると、キラもヒラも擬態語(きらきら、ひらひら)で、メクが接尾語(その状態になるの意)といっている。  きらめくはいいとして、ひらめくは、ひらひらするだけではない意味をもっていそう。  竹取物語では雷の光るさまをいい、平家物語では旗や扇のひらひらするさまをいい、アイデアが閃くという使い方は近代になってから、とか。
: 「カイ 櫂    ロ 櫓」  辞書やwikiを何度も読んだのだが、わからない。両者の違いが。  櫂(かい)はオールやバドルのことだというから、ここまではわかる。櫂の進化したものが櫓(または艪、ろ)らしいのだが、しかし、解説や図をみても、櫂と何がちがうのか、どうやって操作するのか、どうして推進力が生じるのか、などがほとんど理解できない、具体的なイメージが浮かばない。  実際に経験するか、実際に操作できる人に説明してもらうか、でもしないと無理みたいだ。
: 「しゅうれんを続ければ、むずかしい所にしだいと慣れてくるし、よけいな所は疲れるのでなくなりはぶかれる。が、ときには、むずかしい所が疲れのためできなくなり、よけいな所に慣れてくることもある。」  具体例がないので、謎めいた文章になってるな・・  前半は、まあまあ、なるほど。  が、後半が、なんだか失敗している、ダメダメな人の働きぶりみたいな。  修練をすれば正しく進展するのがふつうだが、ときには、修練をして正しく進展しているつもりになっているだけで、実は、ダメダメってこともあるよ。  こう言いたいんだね。  そして、後半のダメダメな人とその仕事、作業ぶりは、まさに、waka君とその学業、勉強法などに重なっているのかもね。  本項を一般論として書きながら、実は(よくもわるくも)自分のことを書いていた、という自覚はたぶんなさそう。  または、うすうす気づいているけど、悪びれていない。自分は(おろかではないから)ほとんど前半の人でしょ、後半の人である場合は(人だから間違うときもあると思うけど)ごくまれにでしょ、程度の自覚か。
: 「自殺したマラソンランナーはなんといったっけ?  ウサミやキミハラじゃあないだろう。」  円谷幸吉のことか。 1968年、27歳没。
: 「水泳をする人、胸がひろくあつい方が水に浮きやすい?」  修練、マラソンランナー、水泳とつづくので、スポーツ関係でなにか、考え事か妄想か、しているんだろう。  水泳選手の、逆三角形に鍛えられた姿を眺めての、発想。目的に人体が適合していったのかなど気になっているようす。
: 「1+9+7+3=20  1+9+7+4=21  But. 10+9+7+4=30」  これは、西暦年を足してる。この年と翌年。  どういう意味があるのか、よくわからない。なにかの法則を発見しようとしている、ようにも見えるが・・  生年月日を足してでた数字で占いをする、とかはたまにあったりするかも。しかしここでは年しか足してないから・・
: 「小林秀オ ?   小説家? 音楽家?」 「カタオカギン :坂本真理」  まだ、小林秀雄を知らないようだ。  wikiなど調べると、坂本睦子という女性が、小林秀雄や大岡昇平とからんでいる。  坂本睦子の勤めたバーが、片岡と志の店。  ・・というふうに、記録に残っている女性たちと姓だけは同じなんだけど、名前が不一致、これでは同一人と確言するのは無理。  本項、人からきいた、テレビ番組でいってた、あたりでしかし、断片だけ、耳にはさんだ程度なのかも。人名も不完全で。  あとでもうちょっと詳しく調べたくて、とりあえずメモしておいた、ぐらいか。  (想像だが、そのテレビ番組で、いちおう配慮して、仮名を使っていた、などもありえるか)
: 「神の世 (天上 地上   人の世   昔→今 」  この模式図、日本神話の概略を表わしているとしたら、よくできてると思う。  天上の神々(イザナギ、アマテラス、スサノオたち)から説き起こして、国譲りあたりから、神々が地上に根付いていく。そして、しだいに人の歴史と化す。
: 「日食 アマテラスオオミカミがアメノイワトに隠れる」  あれは日食のことをいったのだ、という説が以前からあるようだが、別の見解もあって、定説までにはなっていないらしい。調べると。
: 「矢を入れたユキ ?」  靫、靱と書く。
: 「君がスキ メシがスキ こうするのがスキ >英語でもこれらのスキをやはり、like が表わす?」  辞書をみるとそういってよさそうなんだが、私の英語力では微妙なところはわかりません。
: 「ユウビンブツが タイノウ? タイカ? }なんていうんだっけ?」  滞納、滞貨、という漢字なら、ちがうよね。  滞荷ならよさそうだが、こういう熟語がないか。  郵便物が滞留、がよさそう?  https://www.post.japanpost.jp/int/information/2017/0927_01.html 〔今般ブラジル郵便事業体より、同国内における税関のシステム改修に伴い、現地港において同国あて船便扱いの郵便物の滞留が発生している旨連絡がありました。つきましては、現在下表のとおり、ブラジルあての郵便物のお届けに遅延が生じています。〕  郵便局のサイトで使用されているから、あり、らしい。
: 「ナイーブ :純心、無邪気、うぶ」 無邪気「漢字の感が少ない」  漢字の感が少ない、とは、むじゃきという聞き慣れた語は、堅い漢字であるという感触がうすい、ついわすれるぐらい、といいたいんでしょう。
: 「アトリエ」 エ「絵」  ちがうよね。  フランス語の atelier から。
: 「芸 ゲイボーイ  芸」 ゲイ「芸に通じる?」  これもちがうよね。  まあ、わかってはいるようだ。  ただし、英和辞典をみると、gay には、陽気な、快活な、楽しいという意味もあるとか。偶然ながら多少、芸に通じたりも?
: 「むじやき むじや気 }こっちの方があってる?  無じゃ気 無邪気 }無の意がひびくと、あわないように思える?   つまり、「むじゃき」の語、すべてが全く、「むじゃき」のプラス方向の意にあるように思わせるのだ、この語の意味は。  しかし、この語の中には、「無」「邪」のように、「むじゃき」のマイナス方向の意に近いものがあって、心からの「むじゃき」さの意がくもる。」  さらに説明してくれているので、わかるよ、言いたいことは。  こういうしつこい念押し的な文章、当然だが、誰かに説明したくて、というより、誰も読まないノートだから、迷惑に思う人はいないだろうから、と書けてしまっているんだろうな。  (つまり、それが、ここ心記にある文章群の特徴的な性格、色あいとなっているか)

※ 『1973/12/31 カエルではない。』 : 「太陽系を太陸系」  と、書きまちがえたか、見まちがえたんでしょう。
: 「天の中心 《 ―――(地球)―――――(北極星)――――― 》 ・この直線の上のどこか。 ・もう一つ生命のいる星をさがし、そこの直線と、地球の直線のまじわる所のあたりが中心。  ねじれの位置だったらどうしようかね。」  北極星は地球の回転軸の延長線上にあるはず。つまり、この図の直線は地球の回転軸のはず。  地球ともう一つ生命のいる星、それぞれの星固有の回転軸という直線は、三次元空間である宇宙では、交わることはまれ、まずない。  それが交わるんだから、しかもどちらにも生命が宿るんだから、何らかの意思が働いていたと考えてもいい。  ふつう交わるはずのない回転軸が交わるところが天の中心(で造物主がいる)っていう妄想(または設定)だと思う。  (三次元空間で交わりそうで交わらない二直線の関係をここでは、ねじれといっているようだ)  → 造物主の居る天の中心があるとして、回転軸が自らを指す星を生命を宿す場所と選定した理由は何か? 造物主が、珍しいと思った、特別な関係に感じた。ぐらいしか浮かばないけどね(笑)  それを目印にした、ということはあるか。  しかし、長い時が経過すれば、回転軸自体ぶれていくと思うし、それぞれの星も別方向へ移動してしまい、相互関係は歪んでしまうはず。その珍しい、特別な関係も、長い時に比べれば一瞬のことに過ぎない。  もうちょっと強い理由が欲しいよね、妄想設定にしろさ。  そもそも、造物主が二つの星に同時にその何かをしていないなら、二つの星の回転軸が交わることすらこれまでなかったことになる。  あるいは、現在、回転軸が交わるとしても、それは稀有であるけれども、純粋な偶然であって、今現在のその交点にあるのは空虚ということになるのでは?  ・・などなど、この妄想設定には、かなり穴がありそう。  (言い替えると、ずいぶん補強が必要そう)(補強、つまり、嘘に嘘を重ねるわけだが、この上塗り合戦、負けそうな、破綻しそうな予感。しかし、これをのりこえて勝利できれば、完璧にちかく整合することができれば、設定は妄想はいのちを獲得するんだろうなあ・・)
: 「タロコさん。」  謎。  Wikipediaにあることはあるが・・  〔太魯閣国家公園(タロコ-こっかこうえん)は台湾の国立公園。総面積は9万2000ヘクタール。行政区画上は花蓮県、台中市、南投県に属している。〕  仮にこれなら「タロコ山」か。  → いや、違うか・・ 太郎に子をつけた。名前かもしれない。太郎子さん。  何か重要な意味があるわけではなく、つくってみただけ、名づけてみただけ。この人は男なのか女なのか、ちょっと考えて、ちょっとおもしろがっている。それだけの項かもしれない。
: 「フクザツなカテイを 複雑な過程と聞く。 複雑な家庭だった。」  笑。  つい、聞きまちがえたままにしそうだ、違和感あまりなく話がつながりそうで。
: 「めんどくさいがすべてに優先する。今の平和をこわすなんてばからしい。  どんなたのしいようなものにおもえてもめんどくさいんじゃあ。」  「デパートは気質にあわぬ。特に服売る所。 オレがふつうの服にあわぬほどふとってるからかなあ。」  waka君は、不精だよね。面倒くさがり屋。きのうのような今日を永遠にくりかえすのが好み。  新しいこと、きらびやかなこと、利得があろうとも、踏み出さない。  デパートみたいなよそゆきの場所は、毛嫌いしている。  (以上、基本的にね。さすがにそうも言っていられない場合や場面も多々あった)
: 「ぼくのオズボン 《絵図》 こうやっておりかえせば、 ここが、ポケットになる。 こんな素朴なポッケ考えたのはぼくだけだろ。」  そして実際にポケットとして使っていれば、褒めてあげてもいいと思う。  しかし、思いついただけで、使ってないね。一度も。実用性、ほぼなしで。  → 発想の起点は、たぶん、デパートでズボンを買い、裾上げしてもらって、だろう。流れからいって。  こんな年末ぎりぎりに買い物をしている。上の通りめんどくさがりのwaka君が、一人で来たとは考えづらいから、家族のだれか、または友人と一緒か・・  ならば、そのだれかのことが近場に書かれていてもいいのに。書かれていないってことは、色々文句をいいながらも、一人で来てるのかな・・  必要に迫られて? 正月にどうしてもちゃんとしたズボンが必要とかで?  今となっては、詳しい事情、わかりません。
: 「男の方が女よりはるかに恥じらいが深いんだ。」  一般論を装ってるけど、要するに、採寸されたりするのが、超恥ずかしいといっているわけだ(笑)  脚が短いこともあらわにされて、内心、トホホ状態なのでしょう。
: 「「ねえ、旅行に行きましょうよ。」 「なんであんなせわしい所にいく。」 「あなたといると、ひとつもお金がへりませんのね。」 「お金がへらないのがそんなに悲しーか。何か重い病気や事故にあったとき心じょうぶじゃないか。」 「まるで、病気や事故を待ってるみたいですのね。」」  これは小話の一場面になりそう。不精者はwaka君の投影。  会話の中身は凡庸だけど、女子の話し方に味がある。
: 「ラブミーテンダートゥミートゥミー」  https://jazz-sax.net/english-songs/love-me-tender/  〔ラブミーテンダーはエルヴィス・プレスリーが1956年に発表した楽曲です。〕  ここに歌詞も載っているが、トゥミートゥミーの部分がないな。別の曲かな。  検索して他曲をさがすも、これはというのが見つからん・・  〔ラブ・ミー・テンダーの原曲は「オーラ・リー」。これにプレスリーらが替え歌したものになります。〕  とのことだが、本項はラブ・ミー・テンダーをふまえて、何か言いたかったのかも。
: 「L:? ?  M:ミドゥル  S:スモール」  Lはラージ large だろう? ふつうに。
: 「無欲さがだいじ。しかし、無欲さを求める無欲さで、無気力になってしまってはいけない。」  ちょっと戸惑うロジック。
: 「無欲さを求める欲:? 無欲さ )どっうちゃう。」  本人も戸惑ってます。
: 「術中 じゅっちゅう」  十手は「じって」なので、術中も「じっちゅう」がありかと思ったが、辞書になし。  術の訓は「すべ」。為す術がない、など。  術の音は、「ジュツ、シュツ、スイ」とあるが、シュツ、スイと読む場合がいくらさがしても見つからない。これほんと?  → https://www.kanjipedia.jp/kanji/0003226800 おお! ここにスイについてはあった。〔スイ むらざと。一万二五〇〇戸の称。〕とのこと。
: 「下くちびるのまん中がたてにわれていたいのだ。」  冬場で乾燥しているのだ。
: 「ぼくはこの部屋がいとしいいとしいとばかりいっているのだが、もしかしたら、この部屋の精がでてきて、ぼくと愛しあってくれるやもしれぬ。」  あるある。手の平ぐらいの小さい精霊(少女の姿)を夢想して玩弄する、あれの系譜か。  waka君の場合妄想止まりだが、世のフィギア好きとかと通じているよね。手の中でもてあそべるぐらいのサイズであることはわりと大切なんだ。少年が昆虫をオモチャにするように、小さな精霊少女をオモチャにしたいのだ。  → 出てくるのが、精霊少女なら、サイズが多少大きくても不満はないだろうが、もっとへんなものが出てきたらどうするつもりだい・・
: 「「混血」というときたないような感じをうける? もっと他にいいかたないのかなあ。」  当時なら、ハーフあたりが答えになるか。  しかし、この語に限らず、いわゆる差別語の言い替えは、切りがないかも。  言い替えてもそのうちまた汚れてしまう。  問題は、用語ではないんだろうな。  本項なら「きたないような感じ」にはからずも現われてしまっているもの。
: 「楽想  ガクソウ」  音楽用語で、楽曲の構想の意。  なんだけれども、音楽用語と決めつけないで素直によみとれば、楽しい想像とか、軽快な想念とかの意でもよさそう。(辞書にはないけどね)
: 「1972年6月の別冊少女フレンドの「あじさいの花嫁」はいいなあ!!」  本項より一年と半年前のマンガ誌。どちらかの妹の蔵書だろう。  http://www.kudan.jp/EC/b-fr.html (くだん書房のサイト)  ここにリストあり。〔別冊少女フレンド 1972年6月号 藤井由美子「あじさいの花嫁」読切〕とあるので、作者は判明。  「あじさいの花嫁」の載っている単行本はないかと検索したが、これは(とりあえず)見つからず。
: 「ああジナイーダ  モスクワの町でもきみのようにすてきな子は見たことがなかった。 (こういう言い方。)」  マンガのせりふか?  こういう褒め方、いかにも外国人がいいそう、その国では定番の言いまわし、なのだろうか、気になる、ということなんでしょう。  たしかに、くすぐり方がじょうずだよね。たとえ定番でも、言われればうれしいと思う。  (なので、都会の青年が、田舎娘を籠絡するときの定番のぜりふといってもいいかも)  → ちなみに、ジナイーダで検索すると、トップでツルゲーネフの『初恋』がヒットする。  仮に、本項が、『初恋』の中のせりふだとしたら、男女の立場は上の想定とは真逆ということになりそう。年下の主人公が、ヒロインのジナイーダにもてあそばれるお話なので。
: 「ある人のつくった詩を、他のBという人が、自分の作品の中につかわせてくれ、といい、ある人、Aは認める。さて、CがBの作品をよみ、Bに、ここに引用してあるAの詩を、私の作品に使わしてくれ、といったとする。Bに認める権利はあるの??」  「Aの詩よりBの作品の方が有名ということも多いっち。」  だとしてももちろん権利はないね!  → Cは、頼む相手を間違えている。Bにできるのは、Aを紹介することぐらいか。  (ただし、硬くて情もないことをいえば、それが著作権法の引用の要件を満たしているなら、無断転載をしても合法となる。Cは、Bはもちろん、著作権者のAの許可を得る必要もない。詳しくは、引用で検索してくだされ)
: 「朝まだき :超シラベ」  超シラベは、この意味を超しらべよ。  → 朝まだきは、朝にはまだ早い。夜があけきらない朝。の意。  → まだきは、未だ来ず(いまだこず)のまだき、というわけではなさそう。  しかし、辞書やその他を調べても、  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006=〔語源については未詳。「まだし(未)」のク活用形を想定し、その連体形から転成した語とする説などがある。〕  名前の由来語源ならユライカ(https://yuraika.com/asamadaki/)=〔なお「まだき」の語源については、まだその時期に至らぬという意味の形容詞「まだし(未)」との関連を想定する説が多い。〕  などで、いまひとつ歯切れがわるい。
: 「旧訳聖書」  という意味だと勘違いしている。正しくは、旧約聖書。
: 「みづうみ(みずうみ) いづうみ(いずうみ)」  みづうみ(みずうみ)は湖でいいとして、いづうみ(いずうみ)は何? どこからでてきたの。  みずうみを見ずうみとよんで、居ずうみまたは出ずうみをみちびいたか。  うみも海とは限らず、産み、倦み、膿などまでかさねていたり。
: 「それから、どこかでライトと、プロペラをくっつけられたカメの夢。かわいそうだと思ってはみたが、へたになおそうとすると死ぬ。結局、会社の人が来て、直す。もう一つ改造された動物がいたのだが、カメのせなかにのっけるにはちょうどいい動物なのだが、なんだっけ? カエルではない。」  カエルではなくて、水辺の生き物で、ちょうどいい動物ってなんだろう。  カメの背中に乗るなら、魚ではない。  虫ならトンボか。  鳥ならスズメ? カワセミではあざとい?  ザリガニとか川ガニとかもありかも。  絵になればいいなら、子ガメが一番ではあるけど。
: 「「年変わり」という小説の題」  大みそかだから思いついた、というだけでしょう。題名だけ。  全くつながりはないはずだが、後年(平成2年=1990年年末だから17年後)、「年うつり」を書き上げている。こちらも年末にちなんだタイトルだろうけど、ちゃんと実体=作品あり。   → http://www10.plala.or.jp/wk/iki/tosi/utuli00_mokuji.htm
: 「人々が、おおみそかにおそくまで起きていたいのは、ただただ、朝起きると次の年になっている不思議に対する好奇心なのではなかろうか?  つまり、そんな単純に原始的に盲信できるか、科学的に探求 究 するのだ、というわけ。」  ちがうだろうね。  でも、大みそかにおそくまで起きていたがるのは事実だから、何らかの理由付けはできるはず。時とか年の移ろうさまをナマで味わってやろうという、味わえるかもしれないという、淡いながらも罪のない期待、か? これを好奇心というなら、本文と大差ないか(笑)
: 「お父さん、キリスト教も仏教も尊重している。」  軸足は神道だけれども、若いときから宗教に関心があったらしい。いろいろと。
: 「ゴミステバで生まれた子。  たんじょうした子 生まれた子 受身   〜で生んだ子 生まされた子  他動詞的   二つの意味!!」  生まれた、に二つの意味は感じないが? 今は。  → 【女は私を噛む】を受身にすると【私は女に噛まれる】  【母は私を生む】を私を主語にすると【私は母より生まれる】  これを【私は母に生まれる】と直してもかろうじて通りそう。  よって、生まれるは受身表現では? 少なくとも濃厚では? という感覚なんだろうな。
: 「フクシマシゲオ :イケンハンケツ  クラスの■■■■の名は?」  Wikipediaによると、福島重雄氏は〔1973年(昭和48年)9月7日、長沼ナイキ訴訟一審判決で、自衛隊に違憲判決〕を下した裁判官。  クラスに似た姓名の男子がいて、気になったようだ。
: 「男女コウハイ ?」  漢字でどう書くの? ということだろうけど、男女交配、か。  しかし、これはなんだが、不穏さがある・・  愛によってではなく、あてがわれているかのよう。
: 「既製勢力が新興勢力に対する態度。   (1)まったく弾圧する。 コレハヒドイ。   (2)新興の主張を一部認め、自分たちのも認めさせる。 これが最適。国民は、新興ばかりでなく、既製の人もいるのだ。」  ふつうは、既成勢力か。
: 「オオミソカや元日、三賀日。おもしろく興味深いのばかりやればいいのに、そういうのもやると同時に、日頃テレビにでない、くそおもしろくないのもやる。」  あるある。ゆったり、ゆるくつくることと、手をぬくことは別のはずなのに、勘違いしている番組ってあるよね。お正月とくに。  おとそ気分で許してくれるだろう、という甘えとか。  三賀日は当て字らしいが、気分はでてる。  → 海外の、いわゆるクリスマス映画でも、遭遇したことがある。なんでこんなまとめ方が許されるの、と、終盤しらけた、失望した。
: 「中学の頃、オレッテ、授業中にくだらぬ質問ばかりしていたのでは?」  今さら気づく!? (爆)  しかし、こういうふうに過去の自分の実相に気づくのって、超恥ずかしいんだよね。今さらどうしようもなくてもどかしすぎるし。  でもすぐあとで、「いやいやそこだけをとりだした記憶だから極端に感じるだけで、前後の流れとかもろもろの事情とか広く総合的にみればそれほど奇異では無かったはず、当時は」などと、揺り戻すのだ。で、なぐさめたり、頭を振ってわすれるようにしたり。
: 「■■コも■■リも特に■■コは、エッチでこまるわ。」  妹ら。 きょうだいなので、つつしみなく話してしまうなどがあったみたいだ。
: 「おれもなんか、女の言葉使いだなあ。」  姉、妹、妹の四人きょうだいだったので、口ぐせや言いまわしが移りやすかった、などはあったかもね。母のきょうだいも女二人(私からみて叔母たち)だったし。(父のきょうだいは横浜で、千葉にいなかった)  ただし、「〜かしら(ん)」という口ぐせというか書きぐせは、漱石先生の真似だから、これはちょっと事情がちがう。
: 「頭切るよ。」  四通りの語釈をイラストまじりに説明。  (1)は首切り。(2)は髪切り。(3)頭部の切断。(4)「アタマをきりつける」  (5)として付け加えるなら、物事の最初のほうとか文章の序盤とかを割愛する場合もこう言うでしょう。  (番外)頭切れるよ。となると、あいつは賢い、利発だ、などの意に。
: 「冬のハエは、 せつせつと生きている。 せっせと生きている。 }?」  冬まで生きていたとしても動きが相当鈍そう。どちらかといえば、せつせつだろう。
: 「さびしそうだけど、がんばって、生きているようすを表わす形容詞は? 副詞?  「つとめて(副)」?」  前項のせつせつなんか、よさげだと思う。  けなげに、はどうか。  粛粛、これはいまいち。形式ばってる。
: 「新聞の一面にでている「編集手帳」は編集帳が書いてるの?」  編集帳はつられての誤記。編集長。  waka君の家は読売新聞。  あれを書いているのは論説委員と聞いたことあるような。  1973年当時のあれの執筆者を、検索で探したんだが、不思議と見つからず。(もしかしたら、執筆者の個人名を明かしていない時期もあったのかなあ・・)
: 「社説の「社」は会社の社か、社会の社か?」  新聞社の社。その新聞社としての意見、主張。  → ちなみに、小学校の頃の学級新聞で、私が社説を書いたら、社説というのはその新聞で一番大事な所だから、こんなもの書いたらいけない、と、教生の先生に叱られた記憶がある。猛省したが、今思えば、小学生の新聞でそこまで言う、という気も(^^;  まあ、当時は政治の季節で、きまじめな大学生とかたくさんいたから。  たしか、なにか社会のことで偏向した(おもしろげな、または時代錯誤の、あるいは差別的な、とにかく本物の社説を模した、外見だけはそれっぽい)意見だったか。そういうたぐいならば、まじめな大学生が小学生を叱るのもまあまあ理解できるが、もう、児童waka君の社説はどこを探してもでてこないと思うので、吟味判定のしようもなし。


当頁 2023/01/23(月) 〜