表紙
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1974/01

 
















1974/01/01 体をフトンからのりだして、
 
















1974/01/02 公園のこんなのがある。
 
















1974/01/03 あんころ
 














1974/01/04 おさつのただんだ形
 
















1974/01/05 ウジャウジャ
 














1974/01/08 平面的に写真にすると
 














1974/01/11 それともあっちでもめずらしい?
 
















1974/01/13 エベチヨ
 














1974/01/18 AとBはくっついているか?
 
















1974/01/20 上の歯のでる人と下の歯のでる人
 
















1974/01/22 先親 自分 子祖
 


















1974/01/24 外見なんてどうでもいいと言うけど
 






















1974/01/28 今、こんなかっこしてる。
 














1974/01/29 ●4六香
 














1974/01/31 立体的?
 













画像 アップ
『1974/01/01 体をフトンからのりだして、』 2023/05/08(月) 〜
2023/05/15(月) 〜
『1974/01/02 公園のこんなのがある。』 2023/05/22(月) 〜
2023/05/29(月) 〜
『1974/01/03 あんころ』 2023/06/05(月) 〜
2023/06/12(月) 〜
『1974/01/04 おさつのただんだ形』 2023/06/19(月) 〜
『1974/01/05 ウジャウジャ』 2023/06/26(月) 〜
2023/07/03(月) 〜
『1974/01/08 平面的に写真にすると』 2023/07/10(月) 〜
『1974/01/11 それともあっちでもめずらしい?』 2023/07/17(月) 〜
『1974/01/13 エベチヨ』 2023/07/24(月) 〜
2023/07/31(月) 〜
『1974/01/18 AとBはくっついているか?』 2023/08/07(月) 〜
『1974/01/20 上の歯のでる人と下の歯のでる人』A、B 2023/08/14(月) 〜
『1974/01/22 先親 自分 子祖』 2023/08/21(月) 〜
2023/08/28(月) 〜
『1974/01/24 外見なんてどうでもいいと言うけど』 A、B 2023/09/04(月) 〜
2023/09/11(月) 〜
『1974/01/28 今、こんなかっこしてる。』 A、B 2023/09/18(月) 〜
2023/09/25(月) 〜
2023/10/02(月) 〜
2023/10/09(月) 〜
『1974/01/29 ●4六香』 2023/10/16(月) 〜
『1974/01/31 立体的?』 2023/10/23(月) 〜

※ 『1974/01/01 体をフトンからのりだして、』 : 「新年はおもしろくない。テレビをみにいこうと思っても、表にお客さんが来ちゃいやだし、友だちも来ないし。静かにしていれられるのはいいけど、体の調子が狂ってくるし。」  お客さんに遭遇したくない。シャイなのね
: 「一年のけいが元たんにあったらどうしようかね。こんな変な調子が一年続くの?  それとも、この一年、受検ムードに圧殺されるぼくの運命がしょうがなくて、その運命の方から、1月1日をこんなふうにしてしまうエネルギーがでたのか?」  うーん。まるで見当違いともいえないわな・・  人生の転機となる高校三年生だったんだよね〜 詳細はこれからここでながめられるんだろうけど・・
: 「使いなさすぎる なさすぎる }こういう日本語あるの?」  おかしいだろう。言うなら、使わなさすぎる、か。
: 「ズル、ヘーヘー」  これは風邪で、洟垂れ、息苦しいさまか。
: 「犂と鋤はどうちがう?」  はっきりしたことは分からないが、辞書など眺めていると、  文字の中に牛があるほうは、牛や馬、また、トラクターにひかせて土地を掘り起こすときにつかうスキ。  助の字があるほうは、人の手や足の力で土地を掘り起こすスキ。  であるらしい。
: 「そうけだつ。 寒気立つ○ 総毛立つ× }オモロ」  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006では〔そうけ‐だ・つ【総毛立】〕〔さむけ‐だ・つ【寒気立】〕としてそれぞれ項が立っているのに、  手元の角川国語辞典では〔そうけだつ[寒気立つ] 《「さむけだつ」の転》ぞっとして身の毛がよだつ。〕などとなっている。  つまり、先生によって見解がちがうわけか。当時のwaka君は後者系の辞書を見ている模様。
: 「生霊?」  いきすだま、いきりょう、しょうりょう、せいれい、と読みは多彩。
: 「campaign」  キャンペーン。
: 「発条 スプリング」  ばね、ぜんまい、とも。  ちなみに、springは、春、スプリング、両義。
: 「イリュージョン」  幻想。幻影。錯覚。
: 「聾者 :?」  耳の聞こえない人。
: 「A君、作家になる。作家たちが、仲間がまた増えた、とよろこぶ。「Aよ、実はわたしたちはかたわ者なのだ。世の人々が皆、テレパシーをもっているのに、私たちにはない。そこで、私たちの孤独な独立した文壇社会内で、私たちの先輩を尊び、私たちの後輩を育てていくのだ。 それが私たちを生きがいある生活に生かす唯一の方法なのだよ。そりゃ、テレパスをもった人の中でも、すばらしい文を書く人もいるよ。しかし、そういうのは、なんとか文句をつけて、作家にしないのさ。だから、君は自分の能力が下がって、文壇から去らねばならぬことなどけっしてない。君がかたわであるかぎり。」  文字どおりの異世界話、とも読めるし、現実の暗喩、寓意あるお話のようにも見える。
: 「歯をせせる :?」  せせる、を辞書でみると、意味が広そう。少なくとも、歯のそうじをする場合だけに使う言葉ではないな。
: 「諜報部員 超のような感じ。」  諜の訓は、うかがう。
: 「傷跡きずあと 音読みある? ?」  傷痕(しょうこん)か、音読みが欲しいときは。
: 「はなみずをすすって、のみすぎると、キモチワルクなるのか?」  体が排斥したかった細菌とかたっぷりだよね。  でもまあ、ほとんどが水分と自分の体液由来だろうから、たいしたことはないか。細菌は胃液で滅菌されるだろうし。  (素人の個人の判断です)
: 「抜擢  テキより、サ行音のはいったよみ方に思える。」  ばっすい、とかね。でも、擢の音は、テキ、タクだけらしい。  洗濯、習とか集とか、とおまきに、サ行音がただよっているような文字ではある。
: 「預けた :アズケタ・・・? アヅ? もっと他の読み方?」  あらかじめ、とも読むらしい。  預言という語などでこの意。
: 「しかし、体の調子悪い。サムケ、頭痛、目の痛み。夜おそくまで、体をフトンからのりだして、うつぶせ、かつそらせて、将棋をしていたのがいけない?」  このイラストはいいね。  説明文なしで何をしている絵なのか想像してもらうというのも面白そう。
: 「朝、ザブトンを枕にしてねていたが、そばにころがっている枕に悪いことをしたので、枕にもちょっと頭をのっけてあげようと思ったが、なんかへんな重要でないような考えなためか、結局やらなかったが、それがために今日、調子悪いのか?」  枕にさびしい思いをさせたので、お返しをされている、か。  物に魂を感じるのは、繊細で好きだよ。
: 「唖者 :読み」  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006[あ‐しゃ【唖者】《名》 音声で言葉を話すことができない人。]  本文のは、唖の異体字(第3水準)。
: 「鏖殺 オウサツ :みなごろし。」  
。怖い字だよね。  なぜこの字がこの意味なのかは、検索すると諸説あって、みなさん、決めきれない様子。
: 「知悉 :しりつくすこと。」  読みは、ちしつ。
: 「しじき :ヨコハマのおばあさん  ひじき :みっちゃん」  海藻、その呼び方。  たまにしか耳にしないので、waka君もどっちだったか迷っているのかも。みっちゃん(おてつだいさん)が正解。
: 「子供ほど時を長く感じられる。世界を広く感じられる。  体が小さいから。  なら、小さい人ほど時間を長く感じられる。  ・・・ ・・・ 」  どんどん飛躍していく。詩文なら、飛躍は華麗なんだけど、こういう理詰めの話しで飛躍を重ねるのは、あやうすぎる。たらればは楽しいけれど、自分で自分をだますようなことになりがちでは?
: 「いやあたり前。単時間に多くの物を感じとれればコセコセ。」  単時間でなんとなく意味は通る。でも、短時間と書いているつもりだったのでは。
: 「 ・・・ よく考えなおせ!! 今は、体の調子悪くダメ。 ・・・ 」  さすがに、歩みが大またすぎると反省しているんだろうけど。
: 「 ・・・ 体の大小=a 使うエネルギー=b 感じる時間=c ・・・ 」
a=kb 体(a)が大きくなれば、使うエネルギー(b)も増える。これは納得。
−−−−−−−−−−
ac=l 体(a)が大きくなれば、感じる時間(c)は減る。
 これは証明したい仮設だろうから、前提条件にしては、ダメだよ。
−−−−−−−−−−
ac=l と仮定すれば、使うエネルギー(b)が大なら、感じる時間(c)は小。
 となるけれども、この仮定 ac=l の証明は何もなされていない。真逆の a=lc であるやもしれない。
 つまり前提条件の真偽があやふやなので、これを足場に何を結論してもあやふやということだろう。
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 体の調子悪いみたいだし、頭の調子も悪かった、ということかな。
−−−−−−−−−−
 小さい人ほど時間を長く感じられる、というのは、象とアリぐらいの大小差があると、真偽はわりと明白になるのかもしれない。  人間サイズ同士の多少の差異程度では、この説通りの差があるのか個人差なのか気分なのか錯覚なのかだいぶ曖昧になってしまいそう。  男と女の寿命差は、体の大小というより、機能的なもの、ホルモン的なもの、様々があるんだろうな。女のほうが完全体で、妊娠するために丈夫なつくりになっている、とかは耳にしたことあるけど。  男は、長持ちすることより、突破力か。

※ 『1974/01/02 公園のこんなのがある。』 : 「年賀ハガキ、女の子から来ぬ。」  当時は個人情報の扱いが相当にゆるい。学校でも職場でも、連絡網ということで、各人の住所と電話番号の一覧表がふつうに配られていたはず。  だから、クラスメートの異性宛に、年賀ハガキを出そうと思えば出せた。  しかしさすがに、ふだんほとんど話したこともない異性に、形式的なものであれ、年賀ハガキを出すのは勇気が要ったはず。  waka君もそういう無謀なことはしていない。つまり、日頃のおつきあいがほぼ無いのだから、こちらから女の子に年賀ハガキは出さないし、あちらから来ることも当然無かった。  日頃のおつきあいがわずかながらある、話したことがある、挨拶ぐらいはする、という女子もいないことはなかったので、そういう女子の誰かが、きまぐれで年賀ハガキを出してくれる(例えば年賀ハガキが余ったのでついでにとか)、という可能性もないことはなかった。そこで、そういうのを期待したのかもしれないし、もっと踏み込んで、かげながらwaka君をお慕いしているという女子が勇気をだして年賀ハガキを投函してくれる、ということまで夢想したのかもしれない。  しかしやはり、彼女たちの誰からも年賀ハガキは来なかった。(笑)
: 「子が家を出るのは自分の外見的みにくさのため?」  何を言っているのか、いまいち、わからないが・・  みにくいアヒルの子の寓意をふまえているのか。  つまり、この家の子としてふさわしくない。この両親の子にしては変だ。  家や、親たちと、違和感がある。  もっとしっくりする居場所や親和性のある人たちがいると思う。  ・・ということで、とびだす、自立していく。  こういうこと? 
: 「どうしてこう冷たい空気ばかり鼻にはいるのかと目をあけてみれば、大きな神様が口をほそめてピューピューやってる。 ・・・ 」  冒頭だけ事実をふまえていると思うけど、神様云々以降は創作でしょう。いきあたりばったりで物語っているだけ、文字にしているだけ。なんのカタチにもなっていないね。  ま、体調不良で、寝込んでいるようだし。
: 「体育祭の時は恥だった。結局、何も出なかった。二人三キャクに、いっしょにでてとタ■■さんがいったけど、ちゃんと人員が足りて、まるで三枚目。あのときの後味よくなかったなあ!!   サッカーだって、人員が足りておうえん。だめねえ、ぼく。」  体育祭は前年の秋。恥、後悔のフラッシュバックか。正月の病床で。  体育祭は変に自覚的(いわゆる自意識過剰)になっていたのがいけないのだよね。お祭りなんだから、ノリで楽しんで流れにまかせていれば良いのさ。(うん。よって、流れにまかせてああいう結果になっただけかもしれない。それを気にする、後悔するって、ようするにさびしがり屋、疎外感に弱い、お子様、ってことだが・・)  → display『1973/11/08 というような感じの小説。』あたりが、体育祭当日の記録。
: 「ゆめ」  「カネのおと ドロミズ」  「ラスト イ■■ちゃんが、広告みたいな印刷物くばって。あとでキョウトウにじむしつによばれる。」  「タ■■さん」  「こわいキョウトウ」  「サッカー 《イラスト2個》 公園のこんなのがある。」  「石 2つ をころがすクラブ  オレノ小さい《丸い石二つのイラスト》 フル■ シマ■ 鉄道」  夢の話の、断片メモ段階か。  終わりの、フル■、シマ■は、中学の頃の同級女子。
: 「お母さん、■■リにもちやけ。  おじいさん、そんなやき方じゃない、と■■リに。  お母さん、そんなにしたらこげるとおじいさんに。  すこしして、また、そうしたらこげるっていうのに、とお母さんがおじいさんに。  「あんたはあっちいってなさい、時間がないんだ、」  「でもこげるんですよ」と口論。」  正月早々、こんなことで、祖父と母(実の父娘)が口論。  二つの指示のあいだでwaka君の下の妹■■リ(小三ぐらい)は困ってるだろうね。同じ食卓にいるらしいwaka君も。
: 「四千長茶百合  よちながちゃゆり」  だじゃれもさえないか、病体で。吉永小百合。
: 「お正月をなくそう! フジカラーM100。」  これは、お正月をうつそう! のCMのもじり。
: 「ユミカオル、みなおしたっち。なんか、マツザカケイコみたい。」  正月のテレビで何かみたかな。
: 「アマチマリ  ハクチマリ」  これも、エレガントさに欠けて。
: 「「 ■■コとは? 」 ← ■■コ●筆 」  ここは上の妹■■コ(小五ぐらい)に勝手に書き込まれている。「 」の中がそれ。(「 」はwaka君筆でしょう)  自分で自分の名をかいておくとは。しかも、前項にならって擬態して。
: 「■■コによまれる。クソ〜。  何度もみたんだって。クソ〜〜!」  悪い妹だよな〜 上の書き込みも、何度も盗みみても気づかないから、かえってはりがないから、気づかせるために書いたのかも!? くそ〜  兄はかなり怒ったはずだけど。  (憎たらしいヤツだけど、種明かししたり、一種のやさしさもあるわけだ。なんというか、いじわるとかいたずらもさらっとしてる。こちらの出方を見切られている、というか・・)
: 「ガンつけられる あやつけられる >?  もっと他の言い方は?」  いんねんをつけられる、なんくせをいわれる、とか。  waka君はおおむね、平和な人間なので、こういうことを言ったりはほぼ無い。言われるような情況も事前に避けるようにしていたと思う。  ただし、後年、妹たちをいじめるために、なんくせをつけるようなことはあったかな。倍返しぐらいの逆襲をされるわけだけどね。
: 「ユメカキナオス!!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  前頁にある夢の話の断片メモをちゃんとした文章に書きなおそう、ということだと思う。このページの本文で実行している。
: 「よこちょう ?」  横町、横丁、どちらもあり。意は同じらしい。
: 「パ〜〜ツケ」  愚かな、とか、脳天気。  俗語というより、千葉弁?  もっと狭く、waka君の母親がよくつかっていただけ?  ぱーつけてる、など、叔母たちも言っていたか。
: 「かっさいはおととしの歌??」  Wikipedia〔「喝采」(かっさい)は、ちあきなおみの楽曲で、13枚目のシングルである。1972年9月10日に発売された。発売元は日本コロムビア。〕  すでに年越して1974年だから、おととしで正解。
: 「第二 :だいに  ふたつ  >ともに三字」  「第二間接×  第二関節 :4字:7音  二つめの節 フシ :5字:7音」  なぜ文字数や音数を数えているのか、不明。  音数だけなら、俳句とかに使おうとしてるのかとも推量できるが、文字数までからむと、見当もつかない。  (ある語句を言い替えたとき、文字数や音数がもとの語と同じにできるか、という遊戯? そういう言葉遊びを創生できるかもという簡単なお試し?)
: 「今日の夢の話。 ・・・ 」  律儀に文章化しているようなので、以下に、あるがまま転記してみる。


     今日の夢の話。

 なにかの、鐘のようなゴアーンゴアゴア〜ンという音。これを教室でガラス窓ごしにきく。町になにかおこったととっさに思う。たいへんな天災、災害の来たことをほぼ確信。皆で町へ。バスにのって、雨のふるどろどろになった道をゆく。うすぐらく、黄色い洪水の道。でこぼこの道。そっちのカベにぶつかりそうになったり、対向車にぶつかりそうになったり。 すごい雨。どこかのへいにかるくぶつける。気持をお先まっくらにするような、雨。ぼく数人とおり、前方を注い。車がきたので、道のはしにとびのく。どろ水色の水たまり。雨の水滴がつくる円。
 イ■■ちゃんが広告みたいなピカピカ、ツヤツヤの印刷物くばる。ここわからなかったんだと、黒板に問題をかいてからそれくばり、みんなにやってくれ、という。いくつも、表も裏も問題書いてある。みんなテストはじめる。タ■■さんがおくれた、とかなんとかいって、くる。問題ちょっとやってる。 こわいキョウトウ(現実では、校長に似てる)が、何やらいい、イ■■ちゃんとぼく事務室へ。事務室ではべつにこわくない。なにやら、てきとうにやったが、忘れる。
 サッカー。公園にある、おさらの大きいもののような台や、白い、馬のりのできる棒を曲げたような台がハーフラインのそばにあるようなところで、サッカーをやる。チラッとのみ見る。
 ぼくが、直径70cmぐらいの石をころがして、■■高の坂をのぼっていたら、上に人だかり。直径1m50cmぐらいの球状の石のまわりにフル■やシマ■なんか、あと10数人。フル■が話しかけてくる。ぼく石をはなしたので、ぼくの石ころげて、坂を落ちていく。1m50cmの石もころがされる。こいつらは、石をころがす同好会か何かのよう。 石はころがり、100mぐらいいく。■■君のもよくやるじゃない、とフル■。坂の下の草むらのトンネルのような所へころがりこむ。(現実にはない。) 皆、そのトンネルの向こうへ。ぼくあとから。トンネルをでたところには、何本も線路がよこにはしっている。その上やまわりに皆がいる。 男のだれかがあの玉どこにあるか知ってるか、という。ぼく、さっきから目のついていた、せんろのわきのすこし白い面をゆびさす。よくわかったな、という。玉は、ころがったいきおいで、土の中にめりこむ、上の方だけをだしてるよう。そいつらは、せんろの鉄の上をツーツーすべってる。《イラスト》 こんなかっこして、すべる。 二人で組になってすべる。ころがしたり、すべったりするのが好きなやつらだ、と思う。二人で組になってすべったやつらが、スーとあっちにいって、視界から消えるとすぐ、そこから、列車がゴー。が、二人は、どうやら助かったように感じる。それとも死んだかな。とも、ほんのちょっとして思う。


: 「雨の水滴が水たまりにおちてつくる円 :なんていうの?」  波紋、でしょう。水紋、でもいいか。  雨紋がぴったりのようだけど、辞書にはないしネット上でもまれ。雨紋はまだ市民権は得ていない感触。
: 「紹介を招介 :ダメネえ」  手元漢和辞典によれば、紹は、うけつぐ、つぐ、とりもつ、などの意。

※ 『1974/01/03 あんころ』 : 「ますくは、自分のためというより、他人にうつさないため。   お母さんは楽になるというが、ぼくはますくをすると苦しくなる。   ■■コいわく、マスクをするのは日本人だけ。   マスクって、何か、体のためにいいの? ほんとは、よくないのでは?   マスクは、いつごろでけた?」  waka君の当時もその後何十年もマスクは縁遠かった。  このままずっと気にもしないままのはずだったのに。数年前、コロナ禍がやってきて、必須アイテムになってしまった。
: 「どらきゅらはかわいそうだね。きれいな女の人を殺しちゃうんなって。」  血をすって、同族にするのでは?
: 「小学校の頃、カゼで二日休み。算数の教科書少し予習。次の日学校いくとテスト。やすんでいる間の算数の授業のテスト。予習したためにか、二枚とも100点。2枚とも100点なのぼくだけ。ぼく、いすにたって、よろこんだよ。」  おお、これは、  当サイト「もくじ つづき  冥」にある『三角形の面積は・・』  この自作の、元ネタではないか!   元ネタというよりも、同じ思い出を、ほぼ正確に、しかし簡便に記載したのがこちらの記事。  詳細に、しかし、想像や他の思い出も付加して(演出や省略もして)物語化したのが小話作品、ですな。
: 《少女マンガ風の、顔の右領域。》  模写しているか。  なんとか、本職のような可憐な美少女を、さらっと描けないかと、たまに、そしてわすれたころにまた、と、つまり年単位の空白はあれど断続的に、こうしてラクガキをする。  とうとう技量は向上しないまま。
: 「なぽりの女艦長を女囚長だって、 ■■コ」  上の妹の言い間違いか。  女酋長ではなく? 女囚長ってなに(^^;  ナポリの女艦長自体もよくわからないけど。  → 検索したら、ポプラ社のサイトに『ナポリ湾の女艦長』(発売1964年5月)という本があった。これみたいだ。
: 「金持ちの令嬢、個人のたんてい団をもつ。彼女のあこがれの人にAという恋人ができたよう。令じょう、たんていの一人、Bにさぐらせる。  B「そのAという女はどうしてもいいんですか。」  令じょう「かまわないわ。いつものように、お茶か何かにさそって、身本をききだしてちょうだい。裏もしらべるのよ。」  B「はい。」  しかし、AをさそうBの心には、令じょうへの愛しかなかった。」  身元、身許がふつう。  用字などつたないながら、内容も類型的だけど、ちょっと面白そう。  現実離れもしてる。が、少女マンガまたはその風味で、キラキラした瞳の美少女たちイケメンたちがからめば、そこそこ楽しませてくれそう。  (要は、舞台(ショー)なんだよ。ひとときの夢を見せてくれるなら、いいんじゃない?)
: 「何かの用事で|わすれた|母へ電話をかけようとしたら、 ・・・ 」  長文。これも、あるがまま転記してみる。


 何かの用事で|わすれた|母へ電話をかけようとしたら、先に電話があって、カナイカツコというのから、ごいっしょしませんとかなんとか。 午後になってから、彼女と、へんな男と、ぼくと、もう一人有名な作家(名前忘れる)がテレビにでてきて、ぼく、その作家(たぶんSFかマンガ)が好きだったので、いっしょにテレビにでるのもおもしろい、 と思ったが、おかあさんが、あなたたちは、わらびとりにいくのよ、という。カナイカツコとマ■■、■■リ、■■コがまってるので、約束も電話でしてしまったので、作家を家において、出る。 カナイカツコは、■■サキに似てる。午後からやるのでは、はやくいかねば日が暮れる、と思ったがおそく、次に大きなたてものの中に多くの男女がいて身体けんさみたいの。 ここで時間がすぎる。■下さんとすれちがうとき、ての甲がちょっと、タイソウフク姿の、彼女のももにふれるが、ともにしらんぷり。そのあと、そのことを友に話す。 時間はすぎて5時。わらびとりにいけるのかしら、と思う。
 イ■■ちゃんなんかと、1時に千葉駅でまちあわせ、中学校のプールに行ってから、■■高のクラス会に、と計画。 ずっと何かしてて、もうすぐ1時、そろそろだと時計をみると、2時近く。 これは、かんちがいした、と思ったが、しばし迷い、これから、中学校にいくより、■■高にいって、イ■■ちゃんたちをまってる方が不難、と思い、そっちにいく。 いろんなくいものの、(日本料理多)でてるクラス会。■■高なのにベチョンがいる。 ― ア? S49.5.4 そのうちに、長い、机(たたみにすわってつかうやつ)の上でノネアテなんかやりだす。 ちょっとみわたすが、イ■■ちゃんいない。2時過ぎなのに、なんで、と思う。イ■■ちゃんといっしょにアベチョンはプールにいったはずだから、きいてみようと思うが、結局聞かない。 ノネアテに勢力するうち、みんな、モノを、ノネのかわりにしておもしろくなくなる。つまり、料理の入れものなんかをノネのかわり。そのうち、目さめる


 夢なので、つっこみどころ多々。  カナイカツコは、現実界での知り合いに心当たりなし。  → 検索したところ、俳優、歌手の金井克子がヒット。前年末の紅白歌合戦にも出場しているようなので、夢にでてきてもおかしくはないか。  マ■■、■■リ、■■コ。順に、従姉妹、下の妹、上の妹。  置き去りにされた作家はどうなったのだ(^^;;;  ■■サキ嬢は、才女。display『1973/09/24 てぬぐいでこうやる。』で登場済。waka君とは因縁あり。  ■下嬢は、中学同級の女子。そこそこの色気あり。  不難でなく、無難。  アベチョンは、中学同クラスのアベ君。高校は別だったから、■■高なのに、といってる。たしかね、女子に「オタクは」と話しかけるのが口ぐせ。  アベ君は、display『1973/08/05 バチーン』『1973/08/26 ジスマークは子供の顔』辺りでちらっと登場している。  本文ではまず「マベチョン」と誤記しているが、そのマにエンピツで線をひいて、頁上辺で、「ア? S49.5.4」と、欄外注記。本文の五ヶ月後だな。  ノネアテ=金当て、であり、ノネハジキ、オナサケなどの種目のある遊戯名。(この遊戯については、display 1973/10 の注記にある囲み記事「ノネハジキのあらまし。」をご覧あれ)  よって、ノネのかわりに、とは、コインの代わりに、の意。  勢力するうち、は、努力するうち、の書き間違いか。
: 「サトイモのおみよつけの中にはいったものは何とおいしいことか。」  だよね。とろっとした食感が最高。だが、皮むきが簡単にいかないということを後年自炊してから知る。そのために美味しいとわかっていてサトイモを使うことはほぼなくなった。  おみおつけ、が正しいはず。耳で聞いておみよつけと覚えたか。
: 「ダークホースとは?」  dark だから、暗い、隠れている、正体が良くわからない、というニュアンスがあるわけね。
: 「「お兄ちゃん、わたしの緑の手帳なくしたな。」■■コ  「しらないよ。」  「ほらいってるう。」  「しらないよ。ほら、いっちゃえ。」  「ああ、しゃれいってる。」  「お兄ちゃんは無意識のうちにしゃれいうのがうまいんだ。」」  ほらいってる(うそついてる)、に、ほら、いっちゃえ(そら、あっちいけ)、と返したのが、シャレというわけかな? 反射的な反復がでただけで、しゃれを言おうというつもりはほぼ無かったのでは。つまり、相手の「ほらいってるう。」のほらが法螺の意と気づいていなかったフシがある。  でも、それを上の妹は無意識といっている。( 最後のセリフ「お兄ちゃんは無意識のうちにしゃれいうのがうまいんだ。」を上の妹の発言とみなすなら、だけど。  交互に発言している体裁なので上の妹の発言が二連続となるのは不自然、と考えれば、これは兄waka君の発言になる。この場合、お兄ちゃんは自称。直前の自分の発言がシャレになっていることに気づいて、こう言って笑った、かな)  ■■コも兄にならって秘密の手帳(緑の手帳)をつくったが、だれも関心をもってくれないので、あらぬ疑いを想像して(故意にあるいは無意識に創造して)言いがかりをつけにきた、なんて事情も、邪推できそう(笑)
: 「イ■■ちゃんは中学の頃、オール、3回とったんだって。  語としてしまった。」  イ■■ちゃんだから、体育も5がとれるんだよね。丈夫なガタイしてたもんな。
: 「傾城 ケイセイ :けいじょう?」  けいせい、けいせん、の読みまではあるが、けいじょうとはふつういわない模様。
: 「物事をよく知らない人ほど、正しく、物事を心からひきだせる?  つまり、文字をよく あまり正しく 知らない人ほど、正しく字がかける?」  なんとなく、深いね。(waka君の言葉なの?)  逆から言えば、専門家であるとかそれで飯を食ってるとか内情に慣れきっているとかの人ほど、それの素の姿を正しく見ることができない。先入観で色や形がすでにできあがっていて、固まっていて、現実、現状の姿を見ているのに見えていない、ということもある。と。
: 「起請 きしょう :?」  現代では珍しいだろうけど、辞書を見るとかなり厳しくはげしい宣誓行為。  うそついたら針千本の、大人版か。
: 「文庫本の 《イラスト》 ここに、その本の題がかいてあるのは、いつでも題と内容を関連づけさせるため?」  表紙に題名があるということでなく、毎頁、上隅にあるってことだな。  今、手元の文庫をざっと調べたが、早川文庫の長編の場合、上隅に頁数のみ。朝日新聞社の中国古典選は、上隅に章題と頁数が載っている。  今は他に文庫もってないので、現在の一般状況は何々とか確言できず。
: 「古典落語の文庫に上があるのは、落語をほんとにきいてるとき 《イラスト》 なんてのに、いつも題がかいてあって、きいている間いつでも題がみえるようになっているので本でも、よんでる間いつでも題がみえるようにしたのか?」  本でも落語でも、楽しんでる最中、これらの書かれた題名は、意識から消えてしまうけどね。  だから、熱中しているときのためにあるんじゃないんだよな。意味があるとしても。  途中で覗く人や、読書の続きをするときなんかに、多少活用されることがあるかも。  あとは、その物語の、始まるときと終わった後か。  本の場合だと、製本する際の、乱丁防ぎ、検品の助けにいくらかはなるとか。(この助けになることがあるとしても、ほぼすべて頁数のほうで事足りそうだが)
: 「左右の鼻の穴どっかでつながってて、鼻水が行き来するのか。  よく、片方にはなかみを 《イラスト》 こんなにしたのをつめておくと、つめてない方が鼻水つまり、しばらくして、はなかみをとると、ワリとこっちはスースーとしてる。」  どっかでつながってるんだよね、たしか。  しかしネットで調べても、左右がつながっていると明言しているサイトがみつからない・・  代わりに、ネーザルサイクルというキーワードをみつけた。左右交互に鼻がつまる、一種の生理現象をいうとか。
: 「よこはまのおばあさん、よこはまに行く。」  千葉のwaka家に婿として入ったwaka君の父親の、実母。つまり、横浜のおばあさんの次男であるwaka君の父親も横浜のおばあさんも実家は横浜にある。(waka君の父親の実父はかなり昔に亡くなっている)  本項、長男宅に転居する、ということではないはず。正月なので、あちらに帰宅する、程度か。  (横浜のおばあさんは、後年、認知症が進み、千葉で施設に入り、その後、横浜に引き取られ、横浜で亡くなった)
: 「無学者は論に負けず無法は腕ずくにかつ。 こっちがわからぬ。」  落語の枕によく使われるようだ。落語を文庫で読んでいるようなので、でてきたのだろう。  無学者は論に負けずは、感覚的にわかる。  無法は腕ずくにかつは「無法者は腕力のある者に勝つ」だと意味がわからないけど「無法者は腕力勝負に勝つ」ならばすっきりする。  しかし対句を意識した場合、無学者×論なんだから、無法×腕ずく、と思ってしまいがちだよ。ことわざとしてイマイチといえよう。  これを無法×腕ずくと解釈してすっきりさせたいなら、「法律はもとより見栄や男気など気にしないサイコパスは、腕力や拳には刃物(または毒物)で対抗してあっさり殺す、手におえない」となるか・・!?
: 「あんころ 《もちを餡でつつんだ絵》 《餡をもちでつつんだ絵》 }これは何?」  あんころもちは、辞書によれば、外側に餡をつけた餠ということだから、本文の認識で正解。  餡をもちでつつんだのは、大福? まんじゅうのほうが一般的?
: 「「へえ、まっぴらごめんなすって・・」(天災)  というのをよんだら、おかしくてしょうがなくなった。  これをよんだだけで。」  天災、は有名落語。今、ネットで粗筋読んだけど、おもしろい。  「へえ、まっぴらごめんなすって・・」がどのタイミングではさまれているのかは、わからないけど。  (落語なので、演者ごとに大小さまざまな差異があるはず)

※ 『1974/01/04 おさつのただんだ形』 : 「年賀はがき、はじめ4枚、あとから2枚。」  律儀に送ってくれたのはだれでしょう。  女の子から来たかい? 
: 「キン賀新年  謹? 謹? 」  二つ目の謹、右下横棒が二本。
: 「国政に関して、革新の人は、家庭の事に関して保守反動。  国政に関して保守の人は、家庭の事に関して革新。」  そういうねじれがあったら面白いかもという思いつきでしょう。
: 「もやう もやる >?」  もやうは、船を他の船につなぎ合わせたり、岸に船をつなぎとめたり。  他に、多くが集まって何かをするのも、もやう(催合、最合)だそうだ。  もやるは、もや(靄)がかかる。  (今調べれば辞書はそうなっているが、waka君は、集まるもやうも靄るも全く想定外、たぶん)
: 「岡やき連中 :?」  岡は、はた、そと。やきは焼き餅。  仲がよいのを、関係無いのにねたんでいる連中。とのこと。
: 「オシリに毛のはえてるぼくはウンコするときキモチワルイッち。」  えー、そうなの。  今は、生えてないような気がするが? 長の年月で、抜けてしまったか。
: 「今日はぼく1人で 6人分の みんなの カレーつくり。肉がわりのハムをきったのだが、油でほうちょうが ( すべりにくくなったよ!! ( きりにくくなったよ、すべって。」  すべったのかすべらなかったのか、どっちなんだい。  でもわかる、油でそうなって、すべりにくくなったような、すべりやすくなったような感じ。
: 《お札のたたみ方のイラスト  ぼく  ■■り  おさつのただんだ形」  ただんだ、濁点多し。  下の妹、■■りのたたみ方は、ふつうじゃないよね、と記録したもの。
: 「たらこ かずのこ  )マチガエル」  たらこはそのまま、タラ(鱈)の卵。  かずのこは、ニシン(鰊)の卵。
: 「ケンダマのすきな小学校の先生 ■水 ■ミズ 先生。  今のケンダマ買った所 清水 キヨミズ 寺のそばの買店」  ケンダマつながりの符合、ってだけかな。  売店。  (■水先生。多少上手だったぐらいだから、厳密には、ケンダマつながりは怪しいか)
: 「砥石? ■石  >といし?」  ■は、砥の左が、いとへん。  いや、これはごんべんか・・
: 「男と生まれて、女にお膳をすえられて、それを食わねえのは男の恥だから、ついひと口食ってみる。」  読書中の古典落語のなかにあるっぽいせりふだね。
: 「酒は命をけずるかんなか、百薬の長か?」  これも落語系か。
: 「ぼくの北の窓の「克己 こっき」の字を、みんな、「カツミ」とよむんよ。カツミなんて有名な人いるんの?」  せっかく前向きな標語を掲げたのに、家族のつっこみ、脱力もの。
: 「拾う 捨てる」  たった今、しゅしゃは拾と捨で拾捨と書くと勘違いした。  拾捨と変換しないから、あれ、と。取捨。
: 「水をのませたあとでマメをくわせりゃいいが、マメをくわせたあとで水をのませると、馬はオッチヌとよ。」  「紺足袋は儀式にあらず ?  (お父上より)」  (お父上より)は、前者の添え書きかもしれない。それとも両方にかかる?  なおもちろん、お父上(とかお母上とあってもそれ)は、シャレで丁寧に書いているだけ。
: 「小学生、中学生の頃、ぼくもみんなも、わりとみんなの生き方、行き方、生活のこまごまとしたことまで意見をいい、注意をし、干渉したなあ。」  家族間で。クラスの生徒同士で?  高校生となった今は、多少様変わりしたんでしょう。(人は人、人それぞれ、などのような)
: 「雨がふったのでほこりがたちほこりのにおい。  夜、9時過、お父さんと、■■にくるときおしえてもらう。  ひさしぶりにくもっちゃった空だと思って外へでたら、ポッポと雨、夜のうちに雪に変わるかも。」  夕食や入浴のあと、職場の宿直に向かう際の様子。
: 「はかゆきがする?」  はかゆき、でちゃんと辞書に載ってる。はかどること。
: 「(いえるか=いわれるか)?」  可能と受身で、イコールじゃないよね。  ただ、多くの人にいわれることなら、そうだといえる、というように意味がつながって、同じことのように感じられはするか。

※ 『1974/01/05 ウジャウジャ』 : 「うたかた :あわ → のたかた」  のたかたは、とりあえず謎。  中学のクラスで、金をノネ、お西をノニシ、などとわざとなまらせる呼び方が流行った。 その名残かもしれないが、今となってははっきりしたことは言えず。
: 「「人生、どんなにえらくなってもうたかたのようだね。」 「でも、なんにもやらなくちゃあ、心残りだあな。」反動意見。 「そのうたかたを悟って、何もせず、その上で、自分のすることをながめみつけたときに、階段を一つ登ることができるのだね。」」  《ウジャウジャから小丸が一つとびだす、ようなイラスト》  これ、対話風論説の絵解きならば、階段を一つ登るとはこういうことと言いたいんでしょう。
: 「浅田美代子みたいに音ていが狂っていても、その顔と体と声でおりなす、彼女だけのその感じが、もしあるなら、それは芸術といわねばならないのだろ、■■君。」  他人の音程について、音痴の■■君(:waka君)があげつらうというのもどうかと思うが・・  当時の浅田美代子、今の若い人はもちろんご存じないわけだが、一言でいえば、へたっぴだけど妙にかわいらしいお嬢さん。多くの青年たちおじさん連中が、見守っていきたい、と感じたのでは。(今風に言えば「とうとい」)
: 「でも、ぼくは、どうも、ああいうスターなんかを、芸術家というのが、つまり、ぼくの同類とするのが、なあんか、やなんだよ。あれは、亜芸術家、もしくは、橋下芸人とすべきだよ。」  浅田美代子を芸術家じゃないというのは言論の自由だから百歩譲って許すとしても、waka君自身が芸術家だと自負している根拠がよくわからないよねえ。  彼女が亜芸術家もしくは橋下芸人だといっているwaka君自身は、どう考えても素人なわけだから、彼女よりも数段下のレベルでなければおかしいよねえ。  (たぶん、一学年しか違わず、あまりに、同じ学校の女子か、近所のお姉さんのような感じがして、こういう書き方をしちゃうんだろうな。いわば、なんなく取り込まれている、魔法にかかっている)
: 「ウンコにいきたくて、がまんしながらかいたが、とちゅうでがまんしきれでトイレにいってからかいた。」  まじめな話、浅田美代子個人を芸術家かどうかと云々するのは、見当違いだろう。  スターとかタレントとか、あれは、一種の総合芸術であって、多くの人、チームのお膳立てや下支えや演出や事後フォローとかでなりたっている、なにかなのだ。浅田美代子は、そのなにかの、顔ではあるけれど、全部にくらべたらほんの一部にすぎない。  とくにああいう天然系のタレントの場合、咲いている素朴な花をどうやって生けるか見せるかで工夫したり苦労したりしているのは、本人ではないよね。(本人だったらそれはエセ天然だもんな)  (ここでは、半世紀前、当時の彼女のことを言っています。今はもうTVとか芸能界とかにうとくてよくわかりません)
: 「弘法筆を選ばず   筆を選ぶ人は、きれいにできて、みんなに芸術を感じさせるが、彼だけが感じることのできる芸術を感じられない。  筆を選ばない人は、彼だけが感じることのできる芸術を感じられる。  トイレで思いつき、すばらしいと思う。  和香ちゃん題材を選ばず ・・・・・? キチガイ? 」  なんかかっこいい言い回しを思いついてはしゃいでかいた、みたいな感じだ。(舌足らずで、よくわからないっすよ、巨匠〜)  芸術家本人だけが楽しめる愉悦のようなもの、それを想定しているわけだ。筆を選ぶ、選ばない、というのが、芸術の質に関係する、ともいいたいわけだ。このあたりの理屈、つながりがのべられていないが。  つまり要するに、万人が味わえる愉悦だけでなく同時に自分にしか味わえない愉悦をももたらす、そういうものを創造できる、しあわせな芸術家が、筆を選ばないような御仁なのだ、といいたいのでしょう。  なぜそうなるのかは、waka君の直感だけみたいだけど。説明がない、ないそれを想像して、あえてつながりを述べようと思えば、できないこともなさそうだけど、それは、今はここにない。これからつくるとしたら、こじつけにならないためには、しっかり考えないとね。よって、今はしないでおきます。  ただ、「万人が味わえる愉悦だけでなく同時に自分にしか味わえない愉悦をももたらす」というふうな発想は、飛躍は、若々しいセンスを感じる。直感とはいえ、発見に近いか。
: 「いらせられるかと、おおせありましたので、わたくしめがご返答をいたそうと戸をひきあけようとしましたところ、いきなり、こづかれ、意識は、くるくる回ったかと思ううちに、小さなうずまきがみえてそのままにあいなりもうしました。」  これは、擬古的な言い回しで、状況説明してるんだ。まあ、いきなり押し込み強盗に昏倒させられた図か。  文法的にどうなのとは思うけど、楽しげではあるな、書いているwaka君。  もちろん実体験ではない。何か書籍、教科書あたりで描かれている情景を素材にしてるか。  あるいはまあ、四畳半の西のにじり口からだれか訪問してくるようなことを妄想しながらか。  (自室である四畳半の西側にある低い雨戸、後年、実際に、友人らがここからやって来ることが頻繁になるんだが、高校二年生当時は、まだそういうことはほぼ無かった気がする)
: 《ウジャウジャ、の一連のイラスト。  (1)図から(5)図、番外も一つ、描いて、かきつつ思考しているようす。  (1)図は、ウジャウジャから小丸が一つ、抜ける。左領域にある前図の再掲といえる。  (2)図は、二つ目の小丸が抜け、さらに、小ウジャが抜ける。  (3)図では、抜けた小ウジャから、さらに小丸が抜ける。  (4)図では、大ウジャから中ウジャが抜け、中ウジャから小ウジャが抜けているような。  (5)図では、これらが渾然一体となっているかのよう。「結局、いくらぬけてもぬけたことにならぬ?」  「※(4)からでも(5)からでもいいから、より外の世界へ、またぬける。」  番外図が、より外の世界へ抜ける様子か。》  意味があるような、ないような。  深遠をさぐろうとしているような、上すべりしているだけのような。  まあ、この絵のほぼそのままを、思考、想像してはいそう。
: 《ウジャウジャ、の一連のイラストのつづき。  「いくらぬけるといっても、1つしかないとき、ぬけたにはならぬ。」  1つから1つが抜けた図。  「2つのときだって、どうもぬけた一つが特別にはみえぬ。 100コと1つだって、同じこと。それぞれがはなれていることに変わりがなく、AとBの差は、BとCの差のようではないか。」  100コと1つらしい図。  「もし、A以外がみんな同じ高さとしても、ただ図計的意味で離れているだけ、その差がどうなんだ、といいたくなる。つまり、」  AとB−Zの図。  「これも」  AとBの図。  「これも、いわば同じこと。A−Bの二つしかないとき、Aの方がかならずいいといえないように、A−Zのとき、Aがはなれているからいいともいえぬ。」  「それに悪い方にとびだしているかもしれぬ。それに、たとえ、」  Aと同じ高さで遠くはなれて、B、C、Dの図  「としても、AとBの差は、BとDの差を何倍かにすれば、できてしまう差なのだ。」  「それに」  中央のウジャから四方にぬける図。  「いろんな方にとびだしたらどれをいいという? どっちにとびだしても、とびさせばいいとしても、とびださなかった、という、特異な、つまり、「とびだした的」なことをやった物がわるいといえるか。」  とうとう抽象的なまま、おわりか。  結論に収斂するというより、派生を重ねて拡散していってるような。  具体性をおびないと、ふあふあした思考のままで、(たしかに重くはないが)、意味があったのかというあっけにとられたような感じも残る。  前頁にある発端の文章から行けば、うたかたの中から自分のやるべきことをみつける、というのが、ぬける、ということだったようだけど、こうして抽象的なまま思考実験をつらねていくと、発端のことをずっとふまえているのかどうかも怪しくなってくる。  (一度ご破算にして発端に戻ってみたらどうか・・)
: 「ぼくはハナクソをむやみに 不注意に 外界におとしてしまっていたか。一度でもおとしたことあれば、もうムヤミだ。 ← キチガイ。」  これはなに? 隠喩というような高尚なものだろうか。  けがらわしい行為を一度でも現実でなしていれば、むやみやたらなけがらわしい行為と同罪だと?  うーん。  要は、一切そういうけがらわしい行為はしたくないと願っていたのに(してしまった)、という告白? 実際はハナクソではない何か?
: 「ま、なんにしても、人間と生まれたからには、努力すれば、すべての人の心をあじわえるのだからよかった、と人は思いがちだが、ここに同じ人間でありながら、手のとどきにくい者ども、異性がいる。 異性の存在を感じたとき、「同じ人間という動物」が意識され、人間だけを尊重した自分のカワイソウサ、が表われる。 と、同時に、急に自分という人間が見え、たった一度の一生で、たったこの人格しかあじわえぬ現実を思う。 こんなに人間がいるのに、ぼくはぼくだけ、あの人はあの人だけの人格を心を行なって、生きるだけ。」  「そこで、文学者は、自分を多くの人間に生まれ変わらせて、生かせる。つまり、自分をなるたけ、「いろいろに生かさせようとする。」  いろいろの人を書くのが、目的ではない、芸術が目的ではない、単純で算数的なことに、文字通り、自分を生まれ変わらせるためにやるのだ。しかし、文学者のそれはあくまで、つくりもの。」  乱暴で穴の多い論理と思うんだけど、何かことばに力強さがあって、結論部分では的を射ている気がしてくる。  すくなくともそういう「文学者」もいるんだろうな、という気がしてくる。  そして、「それはあくまで、つくりもの。」という締めが、更なる展開、広がりを想起させて、秀逸。(本人は余計な一言、蛇足と思っていたかもしれないが)
: 「心を行なう   心行× 行心○ ? なんかの題にいい?   しかし、漢語的にすることもない。心行でいい。   しかし、心を行くともとられる?」  心行は、こころゆかせ、しんぎょうなどで、辞書に載ってる。上はwaka君の造語だが、たまたま昔の人もこの取り合わせをしていた。
: 「老子の解説、発表のこと考えずに、まず、好奇だけで軽く読み流すべし。」  高校二年時の倫社(倫理社会)の授業は、原則として、古今の思想家の一人一人を生徒一人一人が担当して、一時限で一思想家を一生徒が紹介発表、というスタイルだった。  で、waka君の担当は老子ときまっており、本文にあるとおり、近々、それを発表する順番がやって来る。  それにしても、中国古代の思想家が、なんで三学期なんて遅い時期になるんだろう。とっくの昔に済んでいたかと思っていた。  うーん。  waka君の担当が老子になったのは、ほんとにただの偶然、出席番号順で割り振られた、程度だったはずだけど、そういうお仕着せだったのに、waka君、老子にはまってしまうんだよねえ。  根が素直だから、思想家とか小説家とか、関わるとはまりやすく、はまると情が生まれて末永くつきあうようなことになってしまう。本件の如く、最初の関わりが、自主的なものでなくただの偶然、通りすがり的なものであっても。  本項は、これからアプローチというようすだから、はまるのは今後だな、おそらく。

※ 『1974/01/08 平面的に写真にすると』 : 「今■ 高■ の■ その■ もて■ まち■ にし■■」 「おにしのたん生日にもまにあわないといけないから、1/8にはハガキを書きおえ、1/9にはだす。」  おにしのメモと合わせ考えると、この人名リストは、年賀はがきを送ってくれた友人らでしょう。  この他に、元日に着くようこちらから年賀はがきを出した方々がいたとは考えにくいので(その場合はおにしなどへは必ず出しているはずだから)、実はwaka君、この時期は、だれにも年賀はがきを出していなかった、送ってくれた人がいたら、年明けに返信していた、とみるのが妥当か。  これをやると、年々年賀はがきのやりとりが先細りするわけだけど、むしろそうなることを望んでいたかもしれないね、めんどうだから、と。  今■、にし■■は、中学同級。  の■、その■、もて■は、高校同級または同学年。(もて■は女子だったはず。おお!)  高■は、高校に同姓の美人女子が二人いるけど、彼女らから来るはずはないので、たぶん、小学校同級の男子。  まち■は小学校同級。  ・・と当初は思ったが、当頁本文途中で、当時のwaka君(そして現在の私も)、今■は、中学の今■でなく、高校の今■と気づく! (高校の今■、印象うすし)  前のほうの『1974/01/04 おさつのただんだ形』で、「年賀はがき、はじめ4枚、あとから2枚。」とあったが、結局7枚着信ということらしい、このリストによれば。
: 「櫛型 :?  靄 靄 :?」   靄はもや。かすみは霞。
: 「直かに :じかに?」  ふつうは、直に。  ただし、「直に」には、じきに、すぐに、ただちに、の読みもあり。
: 「螢火 :ほたるび?  (なんとか)か? 音でよむのか? 読むとどうなる?」  辞書に、ケイカ、あり。
: 「手繰り出す :?」 たぐりだす。
: 「湛えている :?」 (水を)たたえている。  このように単語が列記されているときはたいてい、読書しつつ、不明や疑問、難読の語句を書きだしているもの。  読んでいた本は、次項のでしょう。
: 「「殺人の棋譜」読みおえた。■■■■■の最後に泣きそうになり、■■■■で■■■所を■■が■■■■■所ではほんとうに泣いてしまった。現代日本の推理小説を見直す思い。」  推理小説なので、ネタバレは避けました。
: 「よみおわり23時57分頃。もうすぐ1月8日。17才がやってくる。」  この小説、自分で買ったのではなく、父の蔵書、たぶん。父の本棚でみつけたか(将棋題材に惹かれた?)、父に奨められたか。  作者は斎藤栄。「殺人の棋譜」で江戸川乱歩賞受賞(1966年)。
: 「デパートで自分の持ち場が売れるとか売れないとか。クラスのみんなが、バイトやっていたり。文化祭か何かに、先生がおおいに口だそうとしたり(■中のような気もした。)  そして結局ぼくは三枚目の悲哀を感じたような。クラスの女の子も何人かでてきたっち。  今日の夢。」  誕生日の夢。いちおう祝祭っぽいか。
: 「年賀状、今■■一郎君から来たのだが、中学校の今■君かとおもっていたら、今、気づいて、高槁の今■君だった。」  文脈から、高槁ではなく、高校だね。
: 「だんいほうしょく。」  暖衣飽食。
: 「計算尺でやると復 複 利計算もかんたん。 今、郵 忘 便貯金の 元利合計は163538円」  十七才でこれは、意外と少ないね。当時は、十分重みを感じていたと思うが。  というか、まあ、収入は小遣いとお年玉しかないんだから、がんばったほうとも言えるか。  なお、計算尺の使い方、もう忘れ果ててます。あれがどうして便利なのかも、忘れ果ててます。パソコン、スマホ蔓延の現在、計算尺を使ってる人がいるのかどうか・・ すでに、遺物化しているのかどうか・・  (当時、上の方のだれかの口車に乗せられて、計算尺が、事実以上の万能器のように思わせられていた、ような気もするなあ。ぼんやり思いだせるぐらいだけど、操作、結構めんどくさかったよね。数値の読み取りも、デジタル的でなく、アナログ的だったような気もするし)
: 「ともぎれ ?」  背広など買うとおまけで付いてくるあの布きれ。同じ布地なので簡単な繕いなどに使える。
: 《傘のイラスト》「Aからみた像を平面的に写真にすると、Bからみた像を平面的に写真にしたものと、みまちがえやすい?」  《やや歪んだ直方体の絵》「これが、2通りに見えるのと同じ。」  傘のイラストだが、視点AとBが、下方と上方なのか、前方と後方なのか、絵だけからはわからない。二次元図としてなら、下方と上方なんだが、立体図としたら、前方のA、傘、後方のBを、ななめ上方からながめている図、とみえなくもないため。  それに傘が透明でもないかぎり、二つの写真は同じには見えそうにないのだが。前後としたら、同じように見えるかもしれないが、それは、透過直方体が2通りに見えた錯視の場合とちがって、単に、まるい傘は、横から見る限りどこからでもみな同じように見えるというだけだし。  当時、透明な傘なんて、まるで一般的ではなかった気がするな。  → いちおう、http://toa-arai.com/blog/2012/07/19/ビニール傘の歴史/ このサイトで確認したら、 〔昭和39年東京オリンピックで来日したアメリカ人がニューヨークで売りたいと持ちかけ、須藤三男は透明なビニール傘を完成させニューヨークで飛ぶように売れる。〕 〔昭和39年以降、週刊誌やテレビで「銀座は中が透ける傘が流行しているらしい」と紹介し、知名度は全国区となった。〕  とあった。本文は、昭和49年だから、もうすでに一般化していたか・・  この傘のイラストが、透明ビニール傘を想定しているなら、上下それぞれからみた図が同じものに見える錯視、成立するかもしれない。  ならば、本文、そこそこまともなことを言ってることになりそう。  (実物の骨組みだけの直方体の場合、人の目は微妙な遠近の差が分かるので、錯視は成立しない気がする。ビニール傘でも同様な上、ビニールは完全に透明ではなく見えるわけだからなおさら。  よって、これらの錯視はあくまで、脳内想定上のもの、概念図ではそうなる、ビニールがめだたないでかつ平面的な写真にできれば、ということでもありそう。視界がぼやけているときなどもありかな)
: 「ぼくが歩くとフケが散るって、■■コが。」  傷つくよねえ、兄は。(誕生日にずいぶんな言い草だよな。 ^^;)  まあ、自分で「ふけばふきとぶふけふぶき」なんて言ってるから、事実無根の中傷でもなさそうだけどさ。
: 「めざましかけて7時にねたが、めざましなったのかどうか、とにかく、10時に起きられず、三四郎見られなかった。」  これは夜だろう。  NHK銀河テレビ小説『三四郎』(原作夏目漱石)が、1974年1月7日〜2月1日の放送。
: 「住きられず?」  住に、おきる、の訓はなし。  たぶん、往きられず? の書き間違いだが、ゆく、いく、のみで、往にも、おきるの訓なし。
: 「あまりに長いことフロにはいってないよ。 きのうはいりたかったのに、ねちゃったからなあ。」  だめだよ、フケとび散るはずだよ。
: 「1/1以来?のヤル」  射精のことでしょう。
: 「サッカーの夢やクラスの夢。」  サッカーコートが正方形、相対する角にゴールポスト、中央の対角線がセンターラインがわりのカーテン。ということになっていたもよう。  競技、できないことはなさそう。  ゴール前は厳しい攻防になるな。守備有利のようだけど、だからこそ、攻撃過多の人数配置になるか。  カーテンにはいったいどういう働きが・・ 相手のフィールドが見えないってこと? ロングボール禁止?  それともバレーボールのネットのように、ボールは跳び越えられるけど、人の行き来はできないとか!?  この場合、守備要員、攻撃要員は固定されることになるよね。ボールがネットの向こうにあるときは、眺めている(笑)

※ 『1974/01/11 それともあっちでもめずらしい?』 : 「人間が立って歩く姿は、一見きれいなようにみえるが、ちょっとうすっぺらな表面的なかっこよさに思えた。 動物のような四つ足で歩いた方が、しっそで、なんともいえぬ芸術性があるのではなかろうか?  人間の二本足は青二才の思いつき、四つ足は常識的、かつ、老成のおもむき。」  特異感覚? 原初の気分の再来?  言われてみれば、安定性ということでは、四つ足に軍配だろうなあ。  四つ足当然の常識から言えば、二本足は苦し紛れの姿勢。  威嚇、喫驚、狂奔などの例外的な場合の起き上がり状態。やわらかい腹部を前方の敵にさらすなど、ふつうありえないよ。  人間は、それなのに、二本足で、かなりの高速走行までしてしまう。ほとんど、妖怪といえる。  鳥類も二本足、あいた二本の足を翼としたので、それで空をわがものにした。  人間は、あいた二本の足を手としたので、それで文明をつかんだ。  しかしさ、そうやって(時間はかかるだろうが)身体を変異できるのが我らの特技なら、 (1)四本足のまま、あと二本増やして、その二本を手とすれば、安定を維持しつつ文明もつかめただろうに。 (2)四本足と、二本の手と、さらに二本増やして翼にすれば、空まで自由にできただろうに。  なぜ、そういう変異には進めなかったんだろうね・・
: 「今日は、明日マラソンもないことだから、徹夜して、数学のレポートを終わらせてしまおう、夢みたいな話。」  笑。なんだこれは。  自分で決意表明しつつ、できっこないと自嘲しているのかな。  いや、自嘲まではなくて、夢みたいな話だができるかもよ、と、甘くそそのかしている。
: 「多■■さんはけんどう部にはいってるっち。女なのに、といっちゃいけないかもしれんけど、けんどうやったり、将棋やったり、おもろい人だっち。 北海道じゃ、あたりまえなのか? それともあっちでもめずらしい?」  多■■嬢は前年の四月(高校二年の四月)、北海道から転校してきた。  waka君に将棋を挑んだり。  で、うぶなwaka君は意識してしまったわけだが、高二の秋の修学旅行で、どうやら、女あしらいに長けたオカ■君に機先を制せられたようなことになった。  (うーん。以降、ほぼダメオス。尻尾がまるまってるもよう)
: 《ひとみの絵。少女マンガ風。左目か》  もちろん模写だろうね。
: 「よいん : よい人   死んだ : 死人だ」  んと人が似ているため、このようにも読めそう、と。
: 「12時  12時  に時  2時」  12とにが似ているため。
: 「マラソンのためにか足いたいいたい。学校の中、大回り、5周。いや、一周して休んでから5周。全部で、4kmぐらい。思いだすとヒーヒー。フクラハギ、コシ、フッキン、イタイタ。」  マラソンと仮に呼んでるが、4kmでこれだけ弱音を吐いてると、陸上をやってる人からすれば、ほとんど不思議君だろうね。  手足の筋肉とか、心肺機能とか、とくに問題があるわけじゃないんだよ、waka君。  とにかく運動が好みじゃない。何がおもしろいのかわからない。  鬼ごっこをしてるとかサッカーをしてるとか、そういう遊び要素があればまだましなんだけど、ただぐるぐる走るだけとか、気持が途方に暮れちゃうんだよ。心痛を味わいつづける、疲労を積み上げるだけ、そういう苦行。何かの罰。
: 「さえざえしい :? 」  これは気持のいい言葉だと思うけど、以後半世紀の間、読み書きも聞く話すもなかったのではと思う。  だから、久しぶりの再会かも。
: 「今、12時、まだ、何もしてない。やい何かしろ、疲れの男。」  数学のレポートのことかな。 案の定、やっぱり(^^;
: 「1/9以来のヤル。」  これは射精だろう。  マラソンで疲れていても、数学のレポートは手つかずでも、これはやるんだよね。  もう、妖怪ナマケモノが憑依したかの素行、自堕落ぶり・・
: 「やっぱ 勉強せぬうち寝てしまった。」  笑。
: 「今日の夢の中で、学校にいこうとする。気づくとぼうしもてさげ ない。これはたいへん、あのてさげ(このノート在中)がそばにないと死ぬ、とかなしく不安がり、あわてる。」  喪失感はあるみたいだ。
: 「足の指が4本ていうのは、どうということないようだけど、やっぱり結婚をいやがられるだろう。だって、こんどは手の方が4本のが生まれるかも。」  偏見なのか、避けたく感じるのはしょうがないのか。  女性が美人にみえたり色っぽく匂ったり、男性がりりしかったり頼もしかったり。こういうのは、本能が選別しているのか。  人権とか、尊厳とか、人の内にいる動物は考慮してないのだろうなあ・・
: 「生徒「(板書が)見えねえ。」(一人言のように)  先生「見えませんか。」」  これはおそらく、見聞きしたまま。
: 「「服きたままねて、おきてすぐゴハンたべるなんてコジキだ。カオあらっておまいりしな。」母  せんめん所で、ぼく、「コジキも人間である。」」  妖怪ナマケモノに、母親が小言。
: 「日本民族は開びゃく以来何代つづいたのか?」  開闢。  西暦紀元前660年に神武天皇が即位したというのを仮に事実とみなすと、建国以来2700年近い。  人は二十歳ぐらいで子を生んできたと思うので、一世代20年。  2700÷20=135世代、というのが、概算となるが、まあ、あまりにおおざっぱか。  今上天皇は126代目。当たらずとも遠からずぐらいと思っていいのかもしれない。
: 「感銘? 銘?」  1字目の銘は、右側が各。  いずれにしろ、カンメイ、とよめてないみたいだ。
: 「明りょうに、  僚?」  明瞭なんだけど、ワープロの変換入力に慣れきった現在、当時にすら及ばない漢字力だろう。もうこのあたり、手書きではちゃんと書けないと思う。  (一番すらすら書けたのは、三十代ぐらいか。トメハネまで行き届いていた。欝とかも覚えた。あやしいと感じて辞書を開いてもたいてい正解していた)
: 「詳細をようさい」  詳細はショウサイだが、詳にはヨウの読みもあるらしい。  手元漢和辞典でも詳の親字にヨウの読みはのせてあるが、しかし、詳をヨウと読む熟語は一つものっていない。

※ 『1974/01/13 エベチヨ』 : 「シュリンプヌードゥルにでてくる娘さんはきれいっち。何というのかね。」  そのTVコマーシャルに出てくる女子が美形で好みだと。(誰だかはさすがにもう調べようなしという感じ。たとえ突きとめることができてももうおばあさんでしょう。^^)  シュリンプヌードゥルを検索すると、エースコック社の商品で、今は東北限定販売とか。(シュリンプは shrimp で、小えび)
: 「全はん焼  ? 」  全半焼? これは意味が矛盾してるよね。  謎です。  検索すると、全判焼のり、という語はある。どうやら、海苔の小切れしていない一枚物を、全判というらしい。が、本文がそれを指しているかどうかは全くわからず。
: 「勝海舟の母は、オカボのお母さんに似てる。」  オカボは中学同級の友人で、高校は別だがつきあいは続いている。  勝海舟の母を写真で見た、とかではなく、大河ドラマで演じている役者が、だろう。  この年のNHK大河ドラマが『勝海舟』。1974年1月6日から始まっている。(1974/01/13は日曜、第二話放送日か)  勝海舟の母のぶを演じている女優は、久我美子のようだ。
: 「年賀はがきの返事、めんどうになってしまい、学校でお礼のいえなかった、お西と町■君にのみ出すことにしたち。ワルイコ、ボク。」  『1974/01/08 平面的に写真にすると』にあった「今■ 高■ の■ その■ もて■ まち■ にし■■」この着信七通のうち、二通のみ、返信するよ、と。  となると、高■は小学校同級の男子ではなく、高校にいる同姓の美人女子二人でもなく、高校の男子友人だったか。ありふれた姓だからいないこともないか。  しかし、もう一月半ば。ほんと、面倒くさがり屋だ。が、しかし、高校の五人には代わりに口頭でお礼をしたということだから、マメといえばマメでもあるのか。
: 《少女マンガ風のひとみの絵》  一月になってから、少女マンガ風、三回目かな。  「エベチヨ」と付記があるが、謎。  エベチヨ、この語、頻出はしているが、waka君がどういう意味を託しているのかは、明確ではない。この語感が気に入ってはいるみたいだけど、「素晴らしい」とかではなく「いやらしい」「癖がある」ぐらいの気分かなあ、と想像する。  ここでは瞳の絵に感想を付した、のではないか・・   なお、この絵のみ、黒インクだね。他は青ボールペンなのに。  この黒は、ボールペン? 金属のペン先? (マンガ原稿に使うような浸けペン?)
: 「勉強しなきゃならない。しかし、したくない。しかし、しないでねてしまうことも、不安すぎてできない。頭の中は中途半端みたいなものがつまって、イライラしてる。」  進むも引くもできなくて、ショート気味のようす。  以下、すべき事を整理して、予定を組み立てようとしている。  いまさらかもしれないし、つたないかもしれないが、(放り投げたりヒステリーをおこしたりせずに)踏みとどまろうとしている。なんとか、がんばれ、と声援したくなるよ。
: 「数学のレポート(21日) 数学の中間テスト(26日) 英語のテスト(18日) 倫社の発表(来週かその次)」  この倫社が、waka君担当の老子の講義。
: 「将棋、 連盟賀盟していいか?(今週ちゅう) 夏の大会、使えるか?(今月ちゅう) 関東大会出場の二人。(今週中 20日)」  加盟。  これらは、将棋クラブの千葉県の幹事校の責任者(石■君)から、要望と問い合わせのあった件。  連盟加盟というのは、各高校の将棋クラブが日本将棋連盟の下部組織(支部?)になるような話なんだよね。「貴校は」加盟するのかどうか。  関東大会の二人というのは、出場選手を申告してくれ、というような話。  この二つは、やや面倒ではあるけれど、たいした案件ではない。  問題は、夏の大会、waka君の高校で開けるか、できれば会場を提供して欲しい、という要望。  千葉市は千葉県の県庁所在地で、そこにある高校は、交通の便から言って、県下から選手達が集うのに都合がいい。  最近、毎回、県大会を催している石■君の高校は、東京側に寄りすぎていて、遠方の高校からやってくるのがかなり大変。どうだろうか、と過日、提案されていた。まだ冬だが、夏の大会までもう半年しかない、という感覚らしい。  しかし、waka君の側としては、問題多々。  ◆ waka君の将棋同好会は、正式なクラブではなく同好会で、学校から予算も出ておらず、会員も幽霊会員をいれても十人程度、常時は実働五人がやっと。  こんな陣容で、百人超が集う大会など世話できるのか。そもそも、一同好会が県大会など勝手に開催していいものなのか。  ◆◆ よって、顧問の先生と打ち合わせるのはもちろんだけど、学校側がこれを了承するのか、という大問題に行き当たる。最低限、校長との折衝になる。  仮に、決行という事になった場合、満足に運営するにはさまざまな力不足があり、同好会以外の人員の協力を得ざるを得ないのではないか。(waka君の高校には数年前の学生運動のあおりらしく生徒会はなく、助っ人を集めるとしたら個人の人間関係が頼り)(別の見方をすれば、恥ずかしい運営となった場合、本校の名誉に泥を塗ることになりはしないか)  金の問題は一切無いのか。会場は数教室、盤や駒は各校が持参、でほんとにいけるのか。  大会が、なんの支障も無く進行するとは限らず、アクシデントが起きたらどうするのか。だれがその始末を指揮するのか。  アクシデントが、軽症で当座の対処で済むならまだしも、何か重症なたぐいで、責任問題が生じたら、どうするのか、誰が責任をもつのか・・  ◆◆◆ このような懸念を含めて、これまで、幹事校と石■君に、おっかぶせてきたわけだから、いやだ、できませんで、済むことなのか。逃げていいのか、道義として、人として?  ということはつまり、一度大会を引きうけてしまうと、その後は、waka君の高校が幹事校のようなことになってしまうのではないか。石■君のような役回りをwaka君がすることになるのか?  ・・・  大人(たいじん)といえる風格と実力がwaka君にあれば、あるいは、どんとこい、と笑顔で引きうけてしまうのかもしれないが、waka君はかぎりなく小人側。  尻込みするよね、ふつうね。  週一、土曜の放課後、何人かで集まって将棋を指して楽しむ。たまにある大会に呼ばれれば遠征する。そのぐらいの、お気楽な同好会。というつもりでやってきてるから、いきなり覚悟しなければならないような事態が迫ってきても、なのだよ。
: 「ギャ〜〜!! この二、三週間、しぬ苦しみ。   この苦しみをいくらかでもうすくするために、今勉強しなきゃいけないのに、苦しみから逃げようと、ねてしまおうというのかい?」  実際(現在でもそうだが)、自宅において、困難な状況を自覚すると、眠気を催すという習性がある。  いろいろ、考えた、心配した、なんかそれだけで疲労を感じる、とりあえず寝よう、という欲求、流れ(^^;;;  しかしこの日は踏みとどまり、以下、布団にくるまりはしなかったもよう。えらい。
: 「危機 脱出のための計画」  危機、字はあってる。  左が「雑」、右が「勉」。なお、この日は、1/13。
: 「13日 計画たてる」 今これから始める。日曜の晩。
: 「14日 朝(授業料もらう 西と町にテガミだす。」  さっそく明日月曜から。登校前にお金をもらい、登校途中で投函。  テガミと言っているが、年賀はがきの返信のはがき。
: 「 昼 まず旭■先生に  ・将棋連盟にはいれるか? だめ(1)  会員がいいなら、はいれる。(2)  校長にきいて後日(3)」  旭■(ひの■■)先生が将棋同好会の顧問。
: 「・(2)の場合、すぐ放送室へ行き、「本日放課後重要なミーティングがありますので、将棋同好会員は2Aへ」」  校内の公的な連絡は、もっぱら、放送を利用していた。同学年だけなら、同じ階を行ったり来たりでなんとかできたけど、全校となるとさすがに難儀。  そういうわけで、授業時間の組み替えとかも含めて校内放送で重要連絡が頻繁に行なわれていたので、意外と聞き漏らされることは少なかった。  昼休みの序盤で放送し、中終盤で飯を食いつつ話しあう、という読みだろう。
: 「・ラストにギュギョウ料出す。」 母親からもらったお金(授業料)を学校の事務局で支払う。午後の授業直前までに。
: 「・(2)の場合、会員キタラ ・連盟にはいるか やだ いい 」  「15日   16日   乱れたので書きなおし。」  → 書きなおしでの追記、13〜14日「数αレポート!!」  → 「・夏に会場使えるか  だめ(4)  会員がいいなら(5)  校長にきいて後日(6)」  「・(2)or(5)のとき、放送室」  ついでにこれも一緒でよいわけか、と気づく。  だめ(1)、だめ(4)は、ひの■■先生のダメ出し、ということだろう。この場合、以降の話は進まないはず。  ひの■■先生がOKなら、会員と校長の両者のOKがあれば意思が揃うわけだが、会員のOKを得て校長と折衝するのか、校長のOKを得てから会員に問うのか、この辺りはまだ曖昧っぽい。OKを出したひの■■先生の判断、助言に従うつもりだろう。  (waka君自身になんとしても実現しようという意思はないな。周囲を説得していこうというより、周囲の意向を確かめていこうという姿勢がありあり。なんとかしてやりすごせれば、何らかの言い訳はつくりたい、いちおうがんばりましたというアリバイ、心の半分はそのぐらいだったと思う。ややなさけないが)(まあ、個人の資質の限界ということでしょうがないけど、こういうことは誰か一人でも真剣なやつがいる、いないで、大違いなんだよね。まだ、全くみえていないようだけど)
: 「・授業料」 この支払いまで昼休みに。以下は放課後。
: 「放課   ・(2)or(5)のとき  関東大会にだれでる?   ・連盟にはいるか YES(7) NO(8)   ・夏の大会やるか 部員少なすぎる!! YES(9) NO(10)」  (こころざし低いなりに)徐々にいったりきたりしつつ、問題整理進んでいるよう。  といっても、晴れ上がるというより、やっと曇り空みたいだけど。
: 「15日  ・将棋連盟にはいれない(はいらない)ようなら、石■に電話して、それでも関東大会出られるか、を聞く。(1)、(8)  ・夏の大会やれるやれないをいう。 (4)、(5) (9)、(10)の場合」  「16日  昼 (3)、(6)の答を聞く。  それなら、放送室  (放) ミーティング((3)、(6))  石■に電話」  顧問ひの■■先生の判断、会員の意向を受けて、15日に石■君に報告。  校長の判断を受けて、16日に最終的に石■君に報告。  と、二段階になってる。  → 微妙・・  電話は一度で済ますのが効率よさそうだけど、あえて二回に分ける作戦なのかもしれない。  問題を切り分けて、石■君にもこちらの事情を察してもらえるように、とかの深謀遠慮?  連盟に入る入らないが関東大会出場資格と関係するのかしないのかなど、変数が多くて、こまめに確認して(より詳細な情報を聞きだして)それを受けてこちらでも無駄な動きは省いていこう、というようなハンドルさばき?  まあ、今となっては、想像するしかないけど。  それに、あくまでも、13日の段階の予定、目論見であって、14、15、16日と、何人もの判断、意見が出て、選択もなされるようだから、そのつど、予定や段取りを修正しつつ進むことになりそう。
: 15〜17日「英単語テストのベタヅケ」  ベタヅケは謎だが、一夜づけ、などというのに似て、勉強手法の一種だろうな。
: 「19日 ・関東大会の二人きめる。 20はレポートやる人多いので、いざとなりゃ、ぼくがでねば。レポートはすでにおわらしとく。」  つまり、1月20日(日曜)が、関東大会ってことか!  一週間後じゃ、そりゃ急がねば。人選。

*waka君の高校を会場にして将棋の県大会となると、これはオオゴトだよね。やはり。  百人以上参集があるだろうから、監督の先生も一人じゃ無理だろうし、運営スタッフも十人近く必要。当日だけでなく、事前準備もハンパない。  これはたしかにね、当時の同好会の規模、会長であるwaka君のやる気と力量、どれをとっても無理筋だな。丁重にお断わりすべき件でしょう、今から見ても。  もちろん、こちらはいつも大会に参加させてもらっているわけで、そのお返し、義務として、なんらかの責任を果たさねばならない道義もわかるんだけどさ、物理的に無理なものは無理で、安請け合いをしては結局全体に迷惑をかける。

*しかし、もし、生き直すことができるなら、いい機会だから、大会を請け負って、成功させてみたい気もする。そのためには、一年生のときから仲間を集め、人的パワーもつけて、先生たちにもその気にさせて、など、周到な前準備を重ねたい。まあ、夢想だが・・  (それにこれでは、大会運営とその成功が目的化してしまいそうではある。なんか変だよね、将棋同好会の活動としては・・)  (いや、いやいや。変ではない。むしろ、ど真ん中、少なくとも、両輪の片方の役回りと言うべきなのかも(称揚すべき、皆で、心から)。変とか貧乏くじで片づけてしまったら、石■君の立つ瀬がないよ)

: 「4人ぐらいで ・・・ 」


 4人ぐらいで九州の方に旅。帰りはぼくだけ海を泳いで帰り、死んだことになっていた。結局、 ギューギュー4人のりのハイヤーに帰りつくのはソノ■と、ぼくと、もう1人で、残りの1人は死んでしまう。
 ■中や■■高のクラスのみんなで、どこかに旅行する夢。女子もいっぱい。
 上の二つとも、長編映画の中で動くようなおももち ? だった!!
       いい夢。でもねてしまった。


 人が(たぶん友人が)死んでも、いい夢。  これはまあ、登場人物が死んでもいい映画があるのと同じ感覚でしょう。  ラスト、夢をみているのだから眠っているはず。いい夢だけど、寝おちして途中からみられなかった、というようなことを言われても、途方に暮れてしまうよ。  (1)夢をみていたんだけど、意識がとおのいた。夢すらみられない、深い眠りに落ちてしまったようだ。  (2)夢をみていたんだけど、場面がとぎれて、気がついたら現実界でめざめていた。寝落ちしてその後気がついたときとそっくり。  ← どちらかだろうとは思うけど、決めきれない、迷う。 
: 「本位、本意  教育ほんい ? 的」  教育本位、であろう、ここは。
: 「ワツイさんてのがいるんだって。」  ほー、真なら、どういう漢字か興味あるね。  和辻なら、有名人いるけど・・  (いちおう検索はしたが、ヒット無し)
: 「ゲシュタポ・ルル?」  ゲシュタポは、ナチスドイツの秘密国家警察なのだが、ルルというのが謎。  いくら検索しても、ルルという語が含まれる、ゲシュタポ関連記事が見つからない。  → ゲシュタポ長官の名が、ラインハルト・ハイドリヒ。  だから、本文は、ゲシュタポ・ハル、と書いてあるのかもしれない。ハルなら、ラインハルトとかろうじて通じそう。
: 「盛衰 せいすい をせいびょう」  せいびょう、とも読むはず(ほぼ確信)、と思ってしらべたら、読まないね!?  衰に、ビョウ(ヒョウ)の音が無い。  かなりの長年月、まちがって覚えていたかも・・  (つまり当時、本項で一旦はまちがいと認識したのに、記憶辞書を訂正しきれず、ほどなく誤りが復活してそのまま何十年、現在、今さっきまで、ということか)
: 「ひまんじは冬 ? をして長生きしよう。」  最初、ひまじんは冬眠をして長生きしよう。と読んで、謎標語になやむ。  冬眠は、島民の聞き違いかと考えたり。  閑人は島民をして長生きしよう。・・多少おもしろいけど。  肥満児だよね。  肥満児は栄養豊富なので、冬眠向き、という発想か。
: 「■ :?」  ■は竈に似ている。  
 これは、かまどだが、本文の字は、下部が貝貝となってる。同じくごちゃっとなってるから、印象は似てるけど、別字だよね。  本文の文字、手元漢和辞典の、穴部で探すも無し。
: 「山口ひとみを山口カオル、といってしまった!!」  山口瞳、山口薫、一見文字は似てるしね。  山口瞳は、日本の男性作家。『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞。将棋との関わりも深く、waka君はその関係で知っていたか。  山口薫氏のほうは、検索すると、有名人だけでも何人も居られる。
: 「コウ ? キョウキンゲン ? 」  高教金言?  四字熟語としてはヒットしないので(二字の熟語としてはそれぞれあるが)、一般的ではなさそう。  立派な教えと手本とすべき言葉、というような意味でしょう。
: 「ハイケイ  :こんにちわ、といってるよう。 ?」  拝啓は、つつしんでもうしあげる。  だからまあ、くだけた意として、こんにちは、でもよいのだが、本項はたぶん、語感が会ったときの挨拶のように聞こえると言っている。  微妙になんだが、そこを言ってしまえば、たとえば、ハイ、兄、みたいに聞こえる、と。

※ 『1974/01/18 AとBはくっついているか?』 : 「「びょうきになって(マラソン大会を)やすみたい。」ぼく  「やすむと点ひかれるよ。」高■君  「それはいいんだけど故意にやすむと良心的にやだから。」ぼく。」  この高■君が、年賀はがきを送ってくれた七人のうちの一人かな。
: 「■野先生、休むという放送ない。どうもきのうの90%のうわさを信じたのがまちがい? あまかった?  心の底は重い不安と落たんがたまったよう。」  ■野先生は英語の先生。  前日1/17の記事に「明日、■野先生が休むという情報あって、単語テストヤルキナ。」とある。  この情報の確度が90%というふれこみだったんだろうね。先生が休むんなら自習で、単語テストもなくなる。テスト勉強、一気にやる気なくなった、と。  しかし、当日1/18になって、先生が休むという放送がない、このままでは単語テストが行なわれてしまう。先生が休むというから、事前勉強まったく不足している。どうすればいい。不安と落胆。・・というわけだ。
: 「やっぱりやらないらしい。授業だけ。  どうにか心おちついたが、気抜けしたよう。」  情報に翻弄されている。  心情、乱高下で、最終的に安堵!?  しかし、先生が休みでもないのに、予定のテストがなされないとは、不思議だ。先生側で準備が間に合わなかった、とかなのか。  → 結局、英語の単語テストは、中止ではなく、延期になったもよう。
*この1月18日予定の英語の単語テストは、1月13日にたてた計画の中にあった。  ちなみに、同じく1月13日にたてた計画の中の、将棋の夏の大会をwaka君の高校でやるやらないについてだが、これの続報記事が1月14日以降でみあたらないね。  石■君に電話をしたのかしてないのかも、記事が書かれていないので、不明。  記憶によれば、waka君が在校生である間に、waka君の高校で県大会はやっていない。これはまちがいない。  いきさつの詳細は全く忘れた。記事がないということは、かなり初期の段階でこの話はつぶれたんだろう。(例えば、顧問のひの■■先生に相談したらダメ出しがでて、校長にかけあうや会員に相談するへ進まなかった、など)  1月20日の(高校将棋の)関東大会には参加している。これは記事がある。waka君と後輩の火■君の二人で。
: 「生命の尊重こそがすべてに優先する、というような考えを、ぼくはいくらか前にもっていたようだが、このごろは変わってきたよう。」  どう変わったんだろうね。  命よりも重いものが、いくつか見えてきたんだろうか。
: 「片寄る 偏る   傾よる 傾る ? ?」  傾よる、傾る、ともに、かたよる、とふりがな。  しかし、昔は、傾ぐ(かたぐ、かしぐ)ともよんだらしいが、今は、傾には、かたむ・く、かたむ・ける、かたむ・き、の訓しかないらしい。
: 「この教室に、もしかしたら、人間以外の動物が1つもいない、と思うと、ぞっとする。」  この感覚を想像すると、実は、人間以外の動物がいないことではなく、人間という動物ばかりがいることにぞっとしたんじゃないかな。  制服を着た男女がずらっと並んでいるけど、みんな動物なんだ、実体は裸の生身がならんでいるだけなんだ。要は、ただの動物が、訳知り顔で、なにものかであるかのようなふりをしているだけ。  ・・そんなふうに、思えてしまった。  (本項にはほぼ関係ないが、waka君の高校の敷地、または隣接するどこかに、野良犬が棲息していた。誰かが餌をやったりがあったのかどうか。waka君が三年生になって教室が一階になった年度(学年が上がると教室が地上に近づく)、たまに、その野良犬が教室の中に入ってきた、授業中でもお構いなく。危険なことはなかったけど、waka君のカバンの中の弁当の匂いを嗅ぎつけて、しっしっと追い払っても、鼻で鳴いて、すり寄ってきたりしたよ)
: 「普遍を不偏」  と書いてしまった、と。  この二語、イコールではないんだが、似た意にはなるのかも。  (普と不がほぼ逆意、遍と偏もほぼ逆意で、結果そうなり、かつ、読みが同じ。ちょっと面白い)
: 「物を切るとき、切り口において、二つにされた物と物の境にすきまがないことがあるか。科学的に不可能かどうかが問題ではなく、「切る」という言葉は、すきまができてなくても使いうるか、というのだ。」  むずかしいことを言っている。  同一体・固く連結している・隙間なく接している・切りはなされている・全く別物、この数段階の中で、固く連結から隙間なく接しているへ移行させる行為は「切る」と言っていいか、という命題か。  → 言ってよし、使いうる、だろうか。迷いながらも、現在の答え。
: 《六本の円柱の問題図》 「AとBはくっついているか?」  前項と連関ありげ。  ただし、この問題図は、display『1973/12/24 六本の円柱』で既出。
: 「マラソン終わり、うちのねどこでねたい、という気持。」  これは体育授業での、長距離走でしょう。(授業では、競うのではく集団でいっしょに走る形の鍛錬だったか)  waka君が怖れているマラソン大会はまだ先の、二月上旬。10kmほどのクロスカントリー。
: 「ヒューマニスト  ヒューユンスト(とっちゃんのはこんな風にみえる。)」  とっちゃん(友人)の書き文字は、でしょう。
: 「身なり  形 成×」  辞書をひいたら、身形と書くのは正しい。しかし、ふつうは「身なり」と書くよね。
: 「草加せんべいはおいしくない。じゃどうみたいなおせんべい。(カメ■■先生)」  半世紀後の私には、定番のせんべいという気がするけど。  それじゃあ、先生好みの正道のせんべいってどんなのです、と半世紀前のカメ(先生のあだ名)にお訊きしたいところ。  文学イノチみたいな、国語科の先生。もったりして、つやっとして、名前通りに亀っぽい。  入学したての一年生の現国だったが、教科書序盤の数行の詩だけで数時限、授業を重ねた。びっくらこいた。
: 「弁当のおかず、海の幸ばかり。もらいものでおかずがまかなえられ、好きなおかずを買っていては、もらうおかずがあまりくさる、というからだろうが、それではあまりに他動的。もっとたべたい物、栄養のつりあったものをたべるべきでは?」  waka君の母ちゃんの処世方法では、贈答のやりとりでかなりの額を使ってしまい、たくさん贈って、たくさん貰うわけだ、品物を。多少高級品にはなるだろうけど、多少こういうのがお好みではと思いやってくれはするだろうけど、当然、自分で自分のために買う場合にくらべ、ズレまくるわけだ。  それをむりやり活用しようとしたとばっちりが、息子の弁当のおかずになる。(自分のための物を買うお金を他人のための品物に使ってしまうので、他人からお返しにもらった品物を自分のために活用しないと無駄が多すぎることになるのはわかるが・・)  不合理だよ。生活レベルでは、不合理きわまりないわな。でも母ちゃん的には、高次のレベルでこの贈答を軸とする交際は捨てがたく有益ということらしい。当時も、半世紀後の現在も。もうそういう慣習が、とうとうとした流れとなっており、とうてい変えがたいようだ。
: 「人間、頭使わないとカゼひかない。  千葉県の人間は長続きしない。 こつこつやるようなことはだめ。(冬、のりをとれば一年の生活まかなえる。  )■■ノ先生」  休むという噂をくつがえして出てきたけど、単語テストの準備はまにあわなかったらしい■■ノ先生。  この日の授業で、言い訳をしているか。つまり、風邪で休む休まないだったか。  頭を使う人だから、自分は風邪をひいた、と?  ほぼ千葉県民の生徒の前でここまで語るということは、先生も千葉県民なんだろうなあ、さすがに。
: 「「〜してよ。」 「〜してくれて?」 「〜されてよ。」 「つかれて?」 「そうでなくて?」 etc }これなの女性語、美しいものと思います。 なのになぜ、今のたとえばわがくらすの女子は活発な言葉使いなのでしょう。」  いわゆるお嬢様言葉。明治の頃の小説には出てきたような。  waka君も、実際にこれらのお嬢様言葉を使っているナマの女子に会ったことはないのでは? あるいはこの後の半世紀の間も?  現在は、例えば、芝居やアニメやコスプレ?やらでは、演技として使われているかもしれない。古風をよそおうスタイルとして。  要するに、本項は、ないものねだりだろうね。

※ 『1974/01/20 上の歯のでる人と下の歯のでる人』 : 「大会、ぼく2回戦でまける。火■君、2回戦も勝つ。火■君につきあって残ろうと思ったけど、きまりもわるいし、レポートもあるので、ハヤバヤ帰ってきたっち。  といっても、今、市川駅」  ううむ〜 残ってあげろよ。かわいい後輩なんだし。会長としてもさ。  それに、二人だけでいってるわけだから、さすがに心細いだろう、一人おいてったら。それに、だれか身内が見守ってくれている、応援してくれている、というのは実際力になるんだから。  あかんわ。自分が負けたからといって、ここは踏ん張らなきゃ・・  むしろ、勝ち残っている後輩に、嫉妬するタイプなんだよね。女々しいよね、もう、困ったことに・・  既述から、これは(将棋の)関東大会ですな。個人戦で、トーナメントでしょう。市川駅経由ということは、また石■君の高校で開催したんだろうか。
: 「目にうつる映像はさかさでなければならぬ。なのになぜ、みんなまっすぐにみえるのか。つまり、ほんとうは、外の世界は皆さかさまなのだが、それを目でみると、今のようにみえてしまうのだ。つまり、天は地球の内部であり、地球の下へいくことは、ほんとは上にいくことであり大宇宙へいくことだ。」  トンデモ理論のようだけど・・  目にうつる映像はさかさでなければならぬ。これは正しいらしい。網膜にそう写っているものを、脳が補正している。現実を反転した虚像をまた反転して現実の姿にしているわけだが、本文は、現実自体がさかさまだとしている。これを反転した虚像が現実の姿だと思っているだけ、と。  後者が正しいなら、脳が把握している像と現実とが真逆なので、いろいろ不都合が生じるのではと思うが? つまり、目をつむって物をさわったとき、物が目でみえていた状態とは反転しているかどうか、で、ほぼ確かめられそうだが?  視覚以外の感覚も反転しているなんてことは可能なんだろうか。いやあ、身体感覚で納得しようとしても、それすら錯覚とみなせるとしたら、急に確言が難しく感じられてきた・・
: 「1Hのサイ■■クンは将棋の道場にいってるんだって。」  1年H組のサイ■■クン。  これは、同じく1年生の火■君からの情報だろうか。  なんにしろ、将棋が強そうなやつの情報は大切。脈ありと思えたら、スカウトに行くのだ。 (将棋同好会の人集めは、比較的容易だった。腕自慢は表に現われやすいので。それに相手がいないと将棋はさせないから、基本的に同好が引き寄せあう) (ちなみに、もう一つ関わっていた文学クラブのほうは、難しかった。文芸を書いているやつってのは、それを秘密にしていることが多く、はたからは感知しづらい。  それに、文学、文芸が、ゲームや遊戯だと気軽に考えているやつも多くないので、ストレートに、いっしょに遊ぼう、つるもうということにはならない。こむずかしい性格だったりもする。  同じクラブ員となれば、作品を見せあうことになると想像できるけど、それが恥ずかしい、バカにされたらどうしよう、ジャンル違いだったら疎外感かも、等々心配事が多くて、最初の一歩が踏み出せない。  さらにいえば、同性のクラブ員がいないと居心地が悪そう、と感じたり。  ということで、文学クラブのほうは結局、後輩を得られないまま、卒業ということになってしまったよ)
: 「ロードショーとは?」  わかっているようで、意外とわかってないかも。  調べると、紆余曲折があって、今の日本での使われ方になったらしい。
: 「映画のことを英語でなんという?」  movie、film、cinema、などか。  movieは、動く+愛称(ie)。  filmは、薄い膜 → 映画フィルム。  cinemaは、cinematographの短縮。撮影と映写を兼ね備えた機械の名称。フランスのリュミエール兄弟が発明した(よって仏語起源)。
: 「伊勢物語よもう!! ういういしい愛。」  ちゃんとしっかり味わうのは、十五年ぐらい後。
: 「共役 :キョウヤク キョウエキ ? 」  数学、化学、地球科学、物理学でそれぞれ用いられそれぞれ意味があるらしい。よみは、キョウヤク、のみらしい。
: 「「1のn乗根」   (i) 1の1乗根 1の2乗根 ・・・ 1のn乗根 }それぞれ1つづす 全部でn個   (ii) 1のk乗根 h=1なら1コ h=2なら2コ ・・ h=nならnコ   (i)より(ii)の方が正しい?」  1のn乗根はいくつあるかと考えたとき、同じn個あるという答えながら、正しい推論は(ii)なのでは、といっているもようだが、現在はもうよくわかりません。よって、(推論も結論も)いってることの正誤の判断はとても無理。  そもそも乗根の意味をわすれている、たぶん。  → 乗根の意味を辞書で引いて、読んでみた。だいたいそういうことなんだろうとは思えたけど、当時のようにしっくり脳が理解できていないもよう。  というか、理解するのをいやがってる気がする(^^;  (そうだよね。必要ないのにめんどうを背負いたくないというのが脳の正直な気持ちでしょう)  (数項前の「数学やりたくナ〜〜イ!!」が、ゆるめだがまた実感できた気がする)
: 「もちか、おもしろくねえなあ、めしだけが生きがいなのに。」  waka君のセリフでしょう。  一月も下旬となって、餅はそろそろ敬遠気分。  事実の記述ではなく、セリフ(つぶやき?)で書き残すあたり、わりと先進的だったのかも。
: 「品 : ■」  ■は、品の下の二つの口が合体してる。  こんなデジタル文字はないが、手書きの略体、慣用としては、世間に存在したかも。
: 「れ」を「1+n」とみなしたり。  数学色の脳が見せてるか。
: 「ツュ、とは テュのこと? チュのこと?」  ツュとかテュという表記はないと思ったが、デュマというのは使うよね。なら、テュはあるのかな?
: 「雪が降ればマラソンなくなるう。  ユキ〜〜! ユキ〜〜!」  雪乞い。  でも、雨乞いではいけないのかい。  (当時でもさすがに、授業で、雨の中を走らせはしないと思うんだが)  (現在の状況を調べたら、陸上競技会は原則雨天決行のようだ。  ということは、そういう競技会に慣れている体育教師なら、雨天決行、ふつうでしょ、という感覚かもしれないか)
: 「ワダチボリ」  謎。轍濠?  車のわだちにできた水たまりのことか。  轍鮒(てっぷ)という語が荘子にあるとか。
: 「笑ったとき、上の歯のでる人と下の歯のでる人(父)」  比較イラスト付き。  父ちゃんは、上の歯が出るほうが善い相と語っていたんだっけ?  今自分の表情で確かめてみたが、上下どちらもそれだけを見せての笑顔というのは無理がある。上下とも歯がみえるのが自然ながら、比較的どちらがよりめだつか、か。
: 「モリ捕手の上のおじょうさん知性美。」  これは、NHKの「減点パパ」のようだ。  ネット検索しても、森昌彦捕手(当時、現役終盤)が出演したかどうかは確かめられなかったが。有名スポーツ選手の家族が見られるなんてあれぐらいだろう、waka君の視聴習慣からいっても。  (今ではありえないか。未成年の家族を映すなんて)
: 「食うことが最高の楽。しかし、それになれてくると、それがどれほど楽なのかわからなくなり、ねることが最高の楽に思えてくる。すきっぱらでねたときをしらず、まんぷくでねるときのみしっているので。  とすると、ねることになれてしまったら、次は何を最高の楽と思うのか。また、それなら食うことよりも上の楽が、あるのではないかしら。」  わりと面白い。  食うに慣れてしまうと、寝るが浮上する。寝るにも慣れてしまったら、何が浮上するのか。  それに、もしかしたら、上位の何かに慣れてしまったので、食うが浮上したのかも、と。
○○>食う>寝る>◇◇
 ○○は、息をする、とかだろうか。赤ん坊から考えると、のむ、しゃぶる、も。  ◇◇は、あそぶ? だす(排泄)? いたす(色欲)? (仕事する? 笑)  おもう(妄想)は、わりと有力候補かも。

※ 『1974/01/22 先親 自分 子祖』 : 《南アジア、図。インド亜大陸の北方辺》  「チベット? マライ マレイ  マ音のつく、何か他のいい方の地名つかぬかしら?」  このあたりの地名で、ど忘れしてしまったのがあって、思い出したい、ということらしいが・・?  マ音があるということだと、ヒマラヤ? カトマンズ?  マレーシアはちょっと離れているか。  ・・タクラマカン砂漠。サマルカンド。アルマアタ。なんてのもある。  ま、これだけでは(この図とこのつぶやきだけでは)、絞れませんね。
: 「蒸気船 :お茶という意もある。」  幕末の狂歌、泰平の眠りをさますじょうきせん たった四はいで夜も寝られず、が授業で出てきたんじゃないかな。  日本史を一年かけてやっているなら、一月だからまあ幕末辺りになるかも。
: 「また世界史の本忘れる。」  日本史と世界史を同学年で履修してはいなかった気がするので、前項とそぐわないけど。  想像だが、一年で習った世界史の教科書(または教材冊子)を日本史の参考とするため、持ってくるべきだった、とかの事情だろうか。
: 「雪がふってきたマラソンない、と思ったら、雪の中をはしらされた。」  苦笑。  雪乞いが天に通じたのかもしれないのにね、ぬかよろこび、残念ですな。
: 「力を意識せずにおとしていたの●、そんなに疲れなかった。  こんどからはもっとがんばってみよう。」  真面目に懸命に走りはしなかったので、意外にも楽だった。申し訳ない気がしたので、次はもう少し真面目にやってみよう。ということか。
: 「せっかく、雪つもりかけたのにあめがふってきちゃったというのでしらべたらアラレ。」  誰かが嘆いたので、waka君が手でそれを受けて確かめたら、霰だった、と。
: 「促音 つまる音 ○っ○ と 撥音 はつオン ○ん○ をごっちゃにする。」  いや、これはさ、命名がおかしいよね。  撥音といわれたら、○っ○、という気がするじゃんね、やっぱり。  撥って、はねる、はじけるでしょ。それがなんで「ん」なの??  (ネット検索しても、スッキリする説明が見つからない。高校生にもどって先生に訊いてみたいよ)
: 「冷たい雨のふっていた日、急に白い雲に切れめができ、みるみる青空が広がる。 ・・・  雪は、しだいに濃く、ゆっくりと降る。静かに、静かに ・・・・ 。」  いきなり情景描写。途中、不穏な気配はあるが、気配のまま終曲。  ここまでいろいろ変わる天気も珍しいので、リアルそのままというより、一種の創作劇なんだろうね。  またたくの直後にまたたくまがでてくるのは、わざとかな。傷かな。  まあ、たまの雪の日の、想か。  今から眺めると、ところどころ稚拙ではあるなあ。情景描写の練習(デッサン)?
: 「英語の単語テスト1点。レポートもあしただすつもり。そしたら木■が「■■■さん、いつも7題やってないとか6題やってないとか、いっつもじゃない。」「ハハ」「いなおっちゃってんからにい。」木■もただ冗談に、閑をもてあましていっただけ。批判しよう意見しようという感じでない。 しかし、ぼく、いなおってるのかしら? しらぬまにそんな人になっちゃった?」  1点とは!? ・・・満点が10点ぐらいならまだしも、100点中の1点なら、さびしすぎるじゃないか。一週間ぐらい前から、そこそこ気にして、単語テストの勉強していたような気がするんだが、どうしてそんな結果なの? こまったね〜  木■君になにかいわれても、ハハ、と笑うしかないか。  なさけない。応援しているのに、意気上がらないよ。  こんな状態で、よく進級させてもらえたよね、しかし。  (木■君がいっている7題とか6題は、英語ではなくレポート(たぶん数学)のほうだろう。乗根がどうのこうのなどの)
: 「しかし、今日からがんばるのだ!!」  わりとカラッとしている。前向きだ。 (結果がともなわないのだから、言葉が軽い)
: 《直角三角形図》 「a2=b2+c2 を何の定理といったっけ? ピタゴラス アルキメデス )??」  三平方の定理。ピタゴラスの定理。  (アルキメデスの原理は、浮力関係)
: 「卓球部はなぜ、ああもマラソンが強い?」  私見だが、我慢強いやつらという印象がある。
: 「タ■■さんは、もしかしたら、だれとでもよくつきあうプレイガールタイプ?」  この心記を読んでいると、そんな気もする。  プレイ、とか、心をもてあそぶ小悪魔タイプ、とはだいぶ違うけど。(そういうお茶目な色気みたいものはあんまり無い。もろんとした顔立ちだし)  全方位的、いわゆる八方美人的? 男まさり? 軽々いなしていける知性と芯の強さがある?
: 「フデバコ!  としょかんいって■りょきかりる!!  αノート」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  ■りょきかりる、は、俘虜記借りる、だと思う。(前頁上辺のエンピツ書きメモにもあった)  現国の教科書に『俘虜記』(大岡昇平)の抜粋が載っていた。原本読むべしの推奨があって、学年の多くの者が買いもとめた。そこで、高校周囲のみならず、千葉市街の本屋から俘虜記がなくなってしまい、waka君入手できず。これはもう、図書館で借りよう。・・という筋道だろう。  ただし、記憶では、結局、俘虜記は文庫本を買って読んでいる。  (それに、誰しも考えることは同じだから、周囲の図書館の俘虜記はぜんぶ貸し出されていて不思議はないな)  → 今から眺めると、いかにも無駄だよね。教科書は変わらないだろうから、毎年この時期に、市街の本屋から俘虜記がなくなるわけで、本屋さんも困惑ぎみなのでは。それとも、例年のことなので、ここぞと仕入れていてほくほく顔なんだろうか。  waka君の高校一学年で300名以上いる。毎年、300冊新品を買うよりも、後輩のために既読本を引き継ぐ仕組を作るべきだよ。新品買ったとしてもどうせ完読するやつは少ないわけだし。
: 「マガジンやジャンプ、1日でうりきれるとよ。 コウダン社は、マガジンでもっているようなものだって。 (フク■■より)」  少年マガジンや少年ジャンプなどのマンガ誌が、出版社を支えている、と。  一高校生のフク■■君の言うことだから、あてにはならないが、的外れでもなさそう。  当時は? 今も?
: 「非には悲というかんじがある。」  これは、漢字ではなく、感じ。
: 「悲 心にアラズ?」  手元漢和辞典によれば、非には引き裂く意がある。わが思いをひきさかれるせつないかなしみの意。
: 「個々人の力が強くなったことを、個々の家々の地価が高くなっていく事が示している。 ? 」  うーん。なんかちがうような気がするけど。  個々人の力と個々の家の地価に直接の相関はなさそうだが、まわりまわって(間接的に)関係するってことがもしかしたらあるやも。  本項の時期は、バブル景気の始まる十年ぐらい前になるのか・・
: 「ちかしい ひたしい したしい」  ひたしい、が、waka君語で、世間的には存在しない。
: 「今日は、物理の道具一式忘れてしまった。なんかこのごろ教科書ノート忘れるのが多すぎる。」  たるんではいるが、しかしwaka君、毎日、しょい紐を頻繁に切ってしまうほど重い鞄を二つ三つ提げたり持ったりして登下校してるんだけどね。  かといって、自宅で予習復習を丹念にしているわけでもない。  学校のロッカーに置いておくことはできたので、要不要で、緻密に段取りをすれば、持ち運ぶ量は半減可能だったはず。  つまり、はっきり、要領が良くなかった。(うすっぺらとまではいかなくても適度なふくらみの鞄ひとつで登下校しているやつは少なからずいたわけだし)  細かいことに神経使うぐらいなら、ざっくり大づかみでやっちぇえ、たとえ荷物が増えても大は小を兼ねる、めんどうがないのが一番、というふう。
: 「始まり 始り 初まり 初め」  動詞はじまるは、始まるだけで、初まるとはいわないようだ。  よって、初まりもなし。
: 《先祖、自分、子孫を表わす立体的模式図》  これは、単純ながら、事実を表わし、かつ、かっこいい図だ。  ただし、先祖が先親と読め、子孫が子祖となっていて、ごっちゃにしていて誤記だろうと思う。  わざとこの用字をしている可能性も、わずかながらあるけど・・  (その場合、時は下から上に向かっていくのかな)  → 先祖、自分、子孫、だとして。  図では、先祖のほうが小さく、子孫のほうが大きくみえる。意図してそう描いているのかも。  純粋な血統ということで言えば、先祖は2の倍数で広がっていく。(どこまでも完璧に2の倍数というのは無理で、あちらこちらの先祖が同一人となるだろう)  子孫は、2の倍数を超えて増えていける。親は二人しかいないが、子は何人も生めるのだから。(ただし、子を産み育てない、先細り、ということになる可能性も十分にある。先祖が絶対に存在する=すでに存在したのに比べて)
: 「横 これは[黄]きいろ だね、気つかなかった。」  手元漢和辞典(角川漢和中辞典)によれば、黄は、火矢をあらわし、その光りが黄色いから。  横の場合、その黄(こう)が、音を表わし防ぐ意の語源(抗)からきて、閂(かんぬき)のこと。閂は横になっていることから、よこの意となった。  前者はなるほどだけど、後者、こじつけっぽいな。ほんとかい・・
: 「とこ:所 所:とこ )「とこ」と「ところ」は、まったく同じではない。のでしょう。 「とこ」「所」「ところ」」  辞書を見るとたしかに、まったく同じ、というわけではない。
: 「死ぬときに自分の名をかく人。」 「死ぬときに歌か死をつくる人、さいごに自分の名をしたためる。」  歌か詩、でしょう。  辞世という語があるのだから、少なくとも日本にはあることだろうけど、今の私にもよくはわからない。  こういうノートを残す人だから、waka君なら自分の名を書く、一番ありえる人かもよ。
: 「波を派」 「派」の右側の形が疑問で、いくつかかいている。  この姿形、覚えづらいが、いちおう、波紋のような同形反復で、意味に沿っているんだろう。  → 手元漢和辞典によれば、そうではなく、川の本流から支流がわかれるさまを表わしているのだそうな。
: 「香口」がむりやりの合成形を経て「■」となっていくようす。  ■は、智のつもりかもしれないが、上は和、下に日の姿。  自分の名、和香をこねて遊んでいる、のだと思う。

※ 『1974/01/24 外見なんてどうでもいいと言うけど』 : 「自分からすすんでやる。 進んで 勧んで )?」  文語で勧むはあるが、現代語だと勧めるとなり、勧んで、といういう方はおかしいということになりそう。
: 「フォークとナイフ、どっちが右でどっちが左だっけ。」  ナイフが右手(利き手)というのが基本らしいが、国によって細かい違いもあるような。  マナーばかり気にしていては、せっかくの食事が楽しめないよね。  まあ、海外にいかないなら、箸で食べようよ。
: 「lateをtale」 「haveを■ave  had ■ad」  ■は、tとhの合体の姿。  tの横棒をあとから書き足すという癖があって、足す位置を間違えたり、足す必要がないhに手が勝手に足していたり、ってことのようだ。
: 《右向き三本矢印と、右上向き三本矢印》  何かのマーク? あるいは、絵文字のような。  右向き三本矢印:メタモルフォーゼ(変身)  右上向き三本矢印:グレードアップ(昇格)  ・・とか??
: 「今日の帰り道 ほんとうに理由がわからないのだが、なぜか心が沈み、家に至る。今、4時10分。」  わけもなく。ままあると思う。
: 「ぼくはタ■■さんにひかれると同時に最終的に得ようとするのが、彼女のような人でない事を知っている。そこで、たとえ得たとしても、いつかは不幸なめにあわせてしまう。   いや、それとも、ああいう人をこそ、最終的に得ようとしているのか?   いい人だとは思う。しかし、ほんとに彼女が理想の女性であろうか、と思うとき、いくらか不安に思うのだ。去年の9月か10月頃はそう 理想の女性だと 思っていたような。 オカ■君という存在が表われてからは、もういいや、とすんなりあきらめたようにしてしまっている。それが、このごろになって、またぶりかえしだした。あっちもどうもどこかで気づいているのかもしれぬ。 何にしても、平和でありたい。このまま3年になって、クラスが別かれ、そのまま卒業して一生会わないのなら、きれいではある。  とにもかくにもタ■■さんやオカ■くんや、その他もろもろの心をけしてきずつけないようにせねばならぬ。ぼくの心を外にだすのは、その上でである。」  タ■■嬢とは3年でクラスが別になり疎遠になった。そして、卒業後半世紀、会うことはなかった。ほんとうに、想定どおり。たしかに、きれいではある。でも、これでよかったのか、と、waka君に聞き返してみたいよ。
: 「しかし、どうしても不安なのは、このノートだれかにみられたら、どうしようか、という事であるよ。」  どうしようもないので、絶対に見られないようにするだけ。  その絶対が破られたら、現実的には、見なかったことにしてくれ、と頼むぐらいか。  (まあ、物語の中の事柄なら、そいつを殺しちゃうとか、はあるかもしれないけど)  (妹たちのどちらかが、いたずらで、盗み見ることはあったかもしれないが、にまにま読んだりしても、見なかったことにしよう、と決めてくれたのではと思う。それも、きょうだい愛でしょう)
: 「イ■■ちゃんの好きなのはあの人だけ。イ■さんもむかむかするといってけなし、タ■■さんもおめんかぶってるよう、という。カ■■さんもおしゃべりすぎる、とけなす。」  これは、友人イ■■ちゃんが聞かせてくれた女子たちの評価なわけだ。  イ■嬢、タ■■嬢、カ■■嬢、みな、waka君は、佳いと思っている、気になる女子たちなのだけど、別のとある女子に惚れている(惚れぬいている)イ■■ちゃんに言わせると、こうなってしまうよ、と。  (そのイ■■ちゃんとその想い人も、しあわせな結末には至らなかったと覚えている。少なくとも、waka君が見聞きできた、高校在学中には)
: 「このごろぼく、なんか、お金あまってるような感じ。」  家業の職場での宿直でバイト代がでたりしてたこともあるか。
: 「お父さん、お母さんに気持ちとしては、■■になりたくないなあ。というようにいって、30分ぐらい話したよ。はじめは、どこかの家のフクザツなのが話題だったけど そのうち家をでるとかどうとかになって、この話題になったよ。」  要するに、家業を継ぎたくない、と。  waka君は四人きょうだいだけど、姉、waka君、妹、妹で、男子はwaka君だけ。期待大だった。
: 「ぼく、にわはいたりするのはいいけど人の前で■■■■したりするのは。  お父さん、■■の子はみんなそうだんだよ、今からやるやるなんていうのはすばらしすぎてすえおそろしいくらいだ。  でも、このまま■■になってずーと生きて一生おわるんじゃかわいそうすぎる。  父、人は高く、年をとっていくにつれて今まで見えなかった何倍もの世界がみえてくるんだ。年が倍になれば8倍。3倍になれば、27倍というように。」  うんうん。  今は父ちゃんのいうこともわかる気がする。  後になって振り返れば、だけど、事前に見通したときは(若者の視界では)やっぱり景色はちがうんだよ。  若いから未経験なことばかりで、身近のよりわかっているつもりの家業などは、他のまるで分からないもろもろにくらべて、みすぼらしく、さえず、つまらない事も多い日常、と映ってしまう、・・のかもしれない。  他のまるで分からなかったもろもろも、大なり小なり大差ないとわかるのは、若くなくなってから、なのだよね。
: 「「頭なんか、さっぱりしな」父   「でも、人は心が大事なのじゃないの」ぼく。  「人の外見というものも、神様がくださったものなのだから、ちゃんと意味があり、とうとばねばいけないのだよ。心だけじゃ人じゃないんだから。今までの宗教は心ばかり強調しすぎた。」   という会話」  これは創作ではない。たぶん、すぐあと一人になってからの、覚書、記録。  散髪にいけよ、と。
: 「お母さん、そのくらいの覇気があった方がたのもしい。」  「お父さん、こういう話のときも、ちゃんとに静かなおだやかな会話、笑いも多い会話にしてしまう。やはり大人だ、といった感じ。」  大人の余裕、それを演出しているんだろうな。でも内側では、それほど気楽ではなく他人でもある息子を操縦というか説得したく動いているはず。  つまり、意外と焦っている。母親も、無理している。そんな様子が半世紀後から眺めると透けてみえてしまう。
: 「「ほかのことはしらないが、このことにかけてはだれにも負けない、というものを1つつくれば、その人の自信となり、その人は生きていける。」  「もし、人生に夢がないなら、そこらじゅうの人が、自殺しちゃうよ。トビラをあけ、ああなんというすばらしい世界があるんだろうと思い、あっちのトビラをあけると、もっとすばらしい物があるだろうと夢をもつ。」   二つとも父。」  正論であるし、息子の意見または気持ちにそった上での、父自身思っていることだろうね。  こういう話の流れを息子が家業を継いでくれる方向に結びつけたい、という思わくはあっても、すぐには結びつかないようだが、とりあえず、腹を割ってはなせる空気ができれば、ということか。  息子のほうは、ある意味、貪欲に、有意義な考えなら取り入れてしまおう、とりあえずためておこう、とばかりに、こうして記録している。  双方、心の裏で、なまぐさいような(駆け引きをして自分のほうにひっぱろうとするような)意図はあったかもしれないが、こうして半世紀を隔てて読みなおしてみると、大人はやっぱりいいことを言っているよ。  それなりの親子の結びつきもある。似ているといえば似ている。相手を斬り伏せるのではなく、懐柔したく思っている。もどかしげ。  他人にはわからないかもしれないが、こうして残ってこうして読みなおせて、奇跡的だ。
:  頁の左1/4と、右3/4で、明暗が違うのは、ここに挟まっていた藁半紙の跡がついているため。

挟まっていた藁半紙は二つ折りになっており、掲載画像はその表左面。他の三面(表右面、裏左面、裏右面)は白紙。
: 《横顔のスケッチ。女子っぽい。雰囲気的に、タ■■嬢の可能性高し》  絵の左方と下にある、鉛筆によるメモ書きは、ノートに清書する前段階のものと思われるので、日付はノート本文と同じ1/24で間違いなさそう。  横顔の絵については、父母とのやりとりと直接の関連はないと思える。数項前の、タ■■嬢が理想の女性であろうか云々の項との関連はありそうだが、この日より以前にスケッチしていた可能性もある。  (スケッチというより落書きで、本来はそのまま捨ててしまうかもしれなかったものだが、同じ藁半紙に本文のための下書きを追記したため、いっしょに残ることになった。といういきさつだろうか。 → それとも、しばらく前か直前のものかは不明ながら、この落書きがタネなりもとなりになって、タ■■嬢が理想の女性であろうか云々の項が生まれたのかもしれない。いや、項を書きつつこの絵も描いた、という場合まであるか。 → 少し後で、タ■■さんもおめんかぶってるよう、というイ■■ちゃんの評言がある。ほんとにそうだろうかと確認したくなって嬢の絵を描き吟味してみた、などということも!?  → それで、その後、ノート本文に清書も済んだので、今度こそこの藁半紙は捨ててしまってもよくなったはずだが、この絵だけは、捨てがたく思えてきてしまって、結局こうして半世紀後も残った。 ・・などなど、いくつか事情が想像できるけど、ほんとのところはわからない)
: (左方に縦書きで)「父は畳から腰を上げ、隣の食卓の椅子についた。その位置は息子のちょうどうしろだった。」  これは、ノートの本文にはない。
: (横顔のスケッチの下方に横書きで)「外見なんてどうでもいいと言うけど 今まで(の宗教とか)(なんとかは、)はなにかというと精神のことばかりいってるが、 肉体だって大事なんだよ。肉体も神様がくださったもんなんだから、ちゃんと意味があるんだ、・・・ 心だけじゃ人間じゃないんだから。」  これは、ノートの本文にもある父のせりふだ。
: 「ほらそういうように」  「息子の名を、どこで出すか?」  「バングミ 番組  父の冗談、「わか■■みたいじゃないか。」  母のことば、わか■■ 静かにかすれた音をだして笑った。  へやに帰る。  父のことば、  彼は今日の帰り道、心が沈んでいた。  この家のムスコわか■■は、へやに帰った、」  なんだか、脚本のせりふとト書きみたいだ。  直前にあった父母との局面が劇的に感じて、作品化したくなったか。  少なくとも、客観視したくなっているか。  (単なる箇条書きよりも、舞台の上のことのように立体的にしておいたほうが、思い出すよすがである覚書として使い勝手がいい、という勘に近いものが働いて、などもありえそう)
:  横顔のスケッチは、タ■■嬢に了解を得て描けるほどの親密があるとは思えない。  タ■■嬢ならば、記憶をたよりに、ただなんとなく描いているのだろう。  タ■■嬢でないとしたら、手近な、妹のどちらかかもしれんな。

※ 『1974/01/28 今、こんなかっこしてる。』 :

 みっちゃんが、今日電話があったっていう。お西が1時ごろきて、(前もって電話して)3時か4時まで外を歩き、4時頃帰ってきて、5時すぎまでトランプをしたのだが、その1時から、3時・4時まで外にでていた間に電話があったらしい。それは、外から帰ってきてからすぐ、おばあさんからもきいていた。
 みっちゃんに、だれから、といったが、名を忘れてしまったらしい。夏の将棋の大会■■高で開いていいかどうかて石■君が電話してきたのかなとちょっと思ったが、すぐみっちゃんが、「女の人の声だったけど、名前もなんもいわなかった。」という。ビクンとする。おばあさんが、「女の人なら、玉ちゃんにかかってきたんじゃないかね。」という。 ぼくは、「そうじゃないかな。」というが、みっちゃん、「でも ―― わか■■さんいますかって、かけてきた。」という。これは確かだ。ぼくすこしうきうき、びくびくしながら部屋にもどる。そして、はじめはタ■■さんが何かその気になって、などと思うが、そのうち、モテ■さんが、化学のレポートについて電話してきたのでは、と思う。 化学のレポート、モテ■さんが書くことになってたが、それがはっきりしないか、何かつごうができたかで、ぼくにやってくれないかと電話してきたのではないかしら。(化学のレポートは班で1つだす。モテ■さんと同じ班。)それともモテ■さんの番ではなく、ほんとはぼくの番なのに、同じ班のフナ■■さんが、ぼくが「次はだれ」ときいたとき「モテ■さん」と答えてしまったので、それをていせいするため、フナ■■さんかモテ■さんがかけてきのか。それとも、 モテ■さん土曜日早退したから、病気になってしまい、明日来られないので、ぼくにやってくれるようかけてきたのか。それとも、まったく、けんとうちがいの女の子? ―――― とにかく、その子、「またあとでかけます。」といってたというから夜か夕方と思っていすにすわってすこしして、姉きが、「電話なってるよ、きっとおまえにだよ。」という。ぼくすっとんでいく。 姉きに女の人から電話あったとまだ言ってないが、姉き、知ってるのかどうか。(ベルの音は、とおすぎて、いりくんでるのでぼくの部屋ではききとりにくい。)そして、キタイと不安の内に受話器とったら、ス■■オバチャンだった。「さっきのもス■■おばちゃんのか、」と思ったが、それなら、名前もいわずやめることないし、と思う。それに、このときのおばちゃんは、おじいさんをだしてくれ、という。つまり、ぼくには用なし。 となると、さっきの人はぼくに用あったのだから、確実にオバチャンでない。その人でなかったため半ば失望し、まだかけてくるはずとすこし、希望をもって、部屋にもどる。

 モテ■さんからかかってきたときのために化学のレポートやっていようかしらん。

 そういえば、ぼく、女の子から電話かけられたことも、年賀状以外の手紙もらったことも、とにかく、ほとんど何もないんだなあ ・・・・ みじめっ!

 みっちゃんは、waka君の家のお手伝いさん。  お西は、中学からの友人。高校は別。  おばあさんは、子供の頃から横浜のおばあさんと呼んでいる、父方の祖母。  高校将棋クラブの千葉県大会の実質的な世話役となっているのが、石■君。  玉ちゃんは、waka君の姉。  タ■■嬢は、前年秋の修学旅行以降、疎遠になりつつある女子。(それまではいい感じだったかもしれない。オカ■くんにもっていかれた?)  モテ■嬢、フナ■■嬢は、クラスメートで、化学では同じ班。(班は五六人だったか)  waka君の母は、三姉妹の長女。ス■■オバチャンは下の妹。  女子から電話や手紙を受け取ったことがほぼ無いと、率直に認めてます。自分だけの秘密のノートだから、隠してもしょうがない、と言えば言えるけど、ほんとうに恥ずかしいことは自分にすら認めたくないものだろうから、恥ずかしいとしても浅いほうなのかもね。
: 《hの鏡文字を、四個組み合わせたような図柄。》  まあまあ?  立体としてみると、さらにかっこよくなるかも。
: 「サカサとは69のことなんだって。 69とは69で、○を頭とみなす。  テングとは、テングのオメンをかぶって テングの鼻で何するんだって。  }お西より。」  トランプなどしながら、下ネタ系のバカ話もってところかな。  もしかしたら、上の図柄とのつながりもあるのか?
: 「A君、 「あなたが好きです、B子さん。お返事ください。」というようなラブレターをだす。B子さんから返事。 「私たち、おつきあいが少なかったからこれからは努力するようにしてお友だちになりましょう。それから、『○○×』という小説読んではどうです、ためになりますよ。」  A君、その日のうちに本屋にいって、小説「○○×」を買い、その夜のうちに読みおえる。それは、ある男があこがれの(orその人の好きな)女性からふられる話だった。」  めんどくさい女だな。まあ、余裕で、遊戯のようにみなしているか、まだ。
: 「「げっぷ」を「げろ」の意で使うのアタリマエなのではないの??」  つかわないよね〜
: 「まん腹でかつ、日課としてのま(やら)ねばと牛乳のんでたら、ガスのゲップとオナラがほぼ同時にでた。」  同時、というのが得点高いか(笑) 記録しておくべき事柄としての評価値。
: 「今日、ぼくとおにしが、ぼくのへやに帰ってきたとき、おばあさんが、いやおねえさんが、 「昼、電話かかってきたよ。」 「だれ?」 「私でなかったからわかんない。」 お西が、「きっと山(■)だ。」 「たぶんそうだろ」 「映画みにこいって のだったろうな んだろな。」  ということになっていた。」  前述を一部、修正という項か。  思いだしたけど、電話の件、姉きはもう知っていたんだっけ、と。  ただし、姉きは内容は知らず、相手の性別も知らなかったので、ぼくとお西は、同じく中学からの友人であり、近くの映画館の息子の山■君だろうと、あてずっぽうで推理し、このときはそういうことになっていた、と。
: 「「今日は勉強できないかもしれない。」ぼく。 「今日は、なんて、限定する必要ないんじゃない。」姉。 「いやあるんだよ。いつもは、学校で勉強をやったけど、今日はほんとに丸一日やんないかも。」 (今日にちようなのだ。)」  何気ない会話。姉弟の間、どうでもいいようなことをお互い気楽にやりとりしてるね。  ふつうは書かれないんだろうけど、残ったのは、この項のぼくのへ理屈が、お点高かったからかな。
: 「このごろ、さよなら、というとき、手をにゅっとあげるだけでふらない。「さよなら」とか「じゃァね」といった感じにいう。」  高校生男子。直近では、遊びに来たお西とこうして別れたんだろう。
: 「マンガや小説にはよくでてくるらしいのに、ぼくは今まで、1度も、電車の中で痴漢されてる人をみたことない。」  中学時代、通学に使ってたが、二年間、一駅区間だけだったもんな、経験は。高校時代は、徒歩か自転車だし。  勤めるようになって、超満員電車を毎日経験するようになると、ああいう家畜列車では、痴漢まがいの行為がおきないほうが不思議と思えた。妙齢女子のからだと密着して反応しないほうがおかしいよね。
: 「ついに電話は来|たりぬ。|た。 なんとまあ不思議なことに、予想したとおり、モテ■さんからで化学のレポートのわからない所をやってきてくれということだったよ。「女の子の声だったよ」といわれたとき、直感的にかけてくるような性格な人はモテ■さん、いやかけてこられるような人なつこいような人はモテ■さんでは、と思って、次にかけてくるならレポートのことだろうとくっつく。直感力のたしかなことかな。  しかし、電話のモテ■さんの声、りっぱな娘さんの声だったし、ことばづかいもまともていねい。実際は体、ちいさぎみ。そういや、合唱クラブだったなあ。  ぼくとしては、化学のレポート不完全でお点ひかれてもそう不安でないっち。テストいい点とれるからでなく、半ばどうでもいい。もしくは、化学の先生に私たちを苦しめる力はない、と思っているのか。」  笑。劣等生の発想だな。  謎が解決したので、よし。
: 「老子ヤレ!!」 頁上辺のエンピツ書きメモ。倫理社会の授業での、老子担当のwaka君の発表日が近いってことでしょう。
: 「先生が我々を苦しめる力をもっていいわけない。―― などと。」  前頁の終わり部分の付記、か。  ―― などとも(ぼくは)思っているのか。とでも続けるところなのかも。
: 「ガサツキワマリないぼくが、「今、お勉強していたのよう」などというのはキモチワル? しかし、実際母上にいってしまった。」  女家族が多いので、つい、口調が伝染してしまうことはあった。  身内相手なので、あまりかっこうをつけてないしね。
: 「今、《自画像(上半身)》 こんなかっこしてる。 文化放送。」  日付の替わった直後なので、深夜だろう。  文化放送の深夜ラジオなら『セイ!ヤング』を聴いているのかと思ったが、wikiで調べたら、『セイ!ヤング』の放送時間は平日深夜 24:30 - 27:00(0:30 - 3:00)。  1974/01/28は月曜日だから、ここは、日曜深夜枠ということになって、別番組になりそう。(当時の日曜深夜はなにを放送していたのか、探したが、とりあえずどんぴしゃの情報に行き当たらず)
: 「12時ごろから今(12時45分)までTBSラジオをきいている。」 「TBSとは文化放送?」  TBSラジオと文化放送は別局だよね。  なんなんだよ・・(笑)  お目当ての番組があるとかではなく、手持ちぶさただから、あちこちチューニングして、なんでも面白そうな話し声をさがしつつ聴いている、という感じかなあ。
: 「フィナーレとは?」 「海損?」  ここら辺は、ラジオから拾っているのかな。  損は、手偏に魚、と書かれているようにも見える。あるいは、うみぞん、と聞こえたので、文字を想像しているか? この場合、それを言った人は、産み損のつもり?  (辞書を引いたら、海損(かいそん)という熟語はあったけど、あまり聞かないし見ない語だ)
: 「太っている人のD1゛K1C4A2C2゛C2K1はなぜ小さい? 小さくない?   ぼくの、これは、人より小さい? ガキダモン。 これで許されるの?」  ダンセイジシン。簡単な暗号なので、ぱっと見では読めないように、というだけでしょう。  → 単純にいえば、周囲が脂肪でたるんでいたりして肥大してるので、比較的小さく見える。  根本あたりがたるみとかでスッキリしていないので、全長が露わになりづらく、短く見える。  あるいはほんとうに、肥満傾向の人は栄養またはホルモンの偏りとかで、性器の生育がよくないとか。  生物的には、親がよく肥えているということは、環境に適しているということだから、子供を育てやすい状況にいるはずで、性器の活躍が期待される局面だから、立派に育つべきか?  逆に、立派な性器でなくとも、雌はよろこんで豊かな雄とつがいになりたがるから、立派になる必要が無い??  いろいろ理屈は思いつきますが、まあ、このテーマは、どこかにはいると思う暇をもてあましていて物好きな大学の先生または研究者に、お任せかな。(^^)
: 「愛とは人類のためにある。  人が美しい清いと思った異性と結ばれれば、美しく清い子らが生まれて、人類はどんどん美しく清くなる。愛情が正直で自由な時代が来ればくるほど、人々は美しく清くなる。 愛情がひねくれていて、きゅうくつな時代では、ひねくれた子らが生まれてしまう。」  言いたいことはわかるけど、美しいとか清いというのは遺伝形質に刻まれることなの、という基本的なことがよくわからないよね。  見た目だけのことならあるかもだけど、内面的なそれらも?  見た目だけのことでも、現在の周囲の人々を眺め回して、はたして、世代を重ねて美しく清くなった結果なんだろうか、という気がするし。  微々たるものでも積もり積もって、ほんとうに、大昔と比べたら、美しく清くなっているんだけど、全体が底上げされているので、美しく清い中でまたより良いより悪いなどの差異が見えてしまっている、とかもあるのか。
: 「おさけのんでよっぱらった夢  モテ■さんがきのうはどうもといってすこしつれあるく。ぼく、ぐるりともどってきたとき、みうしなったまねをしてそこのベンチにつく。そして勉強。おさけのみたくなって、のむ。みんなでえんかいを開いている。 空には異星人の流れ星。その運行の公式をよっぱらいながら覚え、数値をくりかえしかいている。その公式と数値わすれてしまった。   さけがおいしいというより、よった気持ちがたのしくてか、のみたくなりのむ。」  高二だから飲酒経験はまだほぼ無い。  それにしては、いっぱしの酒飲みみたいな感想。
: 「きの■だんが雪ふるといった。ぼくもその気になっていたが、ふってない。」  きの■だんが、この辺り謎。  次項を参考にすれば、「きのう、■ださんが」と書きたかったのでは、と思うけど。  夢の話の続きなのか、リアルなのか、これも曖昧。(朝起きたときの天気が、ということなのでおおむねリアル?)  冒頭に項を表わす○がついているが、他に比べてこの○がすこし大きすぎる。よって、0(ゼロ、零)かもしれない。この場合、れいきの■だん、とも読め、「冷気の■だん」「冷気団」とこじつけられないこともない?  (この場合、冷気団によって雪ふるといっていたが、をむりに縮めたような言いまわしというふう)
: 「昔■■にいた人は ■のさんだっけ? ■ださんだっけ?」  と直後に書いているので、前項はやはり人物名の、■ださん、なのか?  昔■■(職場)にいた、ということは、現在は、■のさんであれ■ださんであれ、いない。やはり前項は夢のことなのか?  寝ぼけながら「0きの■ださんが雪ふるといった」と冷気団と人物名をごっちゃにして誤記してから、ここに「■ださん」は無関係だなと「■だん]に訂正。  それで次項であらためて、そういえば、昔、■ださんという人がいたよね、あれ、■のさんだっけ、と思案。という流れか。  まあ、エンピツ書きなので、仮メモなんでしょう。(起き抜けから朝のいそがしいときの)  もし、清書までされていれば、この辺り、もっとすっきりわかりやすく書いてくれていたんだろうけど。
: 「土ようび、タ■■さんが漢文よまされた時   みなシーン。  なぜかかの女に注視  静かな人なので、好奇の心をあおりたてる。北海道の人は発音をまちがえるのかしら、いつもしずかで頭もいいのだろうなあ。あ、そこはまちがってる。―― などと心の中で思って、かつ口にださない。他の人ならだすかもしれない人も。」  本項記載は、月曜の朝ぐらいだから、二日前の追想。  タ■■嬢は北海道からの転校生。とはいえ、転校してきたのは前年の四月だから、はたして教室の皆がそれを覚えているだろうか。  覚えているのは(彼女が気になる)waka君ぐらいでは?  後半は教室の雰囲気みたいな体裁で、自分の心中を書いているだけのようにも読める。  本項、ここに書かれているだけのことなのか、説明されていない別の事情もあったのか。  (漢文、waka君は好きだったが、週一ぐらいの授業で、皆はスルー気味だったかもしれず。週末だし。  そこで、読み手がタ■■嬢でなくとも、皆、静聴のふりをしているだけ、とかもあったやも)
: 「絶対的な儒教支配に対抗したい。という思いだけで、その内容には無関係に、人々は老子書を残してきたのか?」  真面目一辺倒は息苦しい、という感覚だよね。  多少なりとも、あると思う。本項の「思いだけで、その内容には無関係に」辺りは言いすぎだと思うけど。
: 「うじょうゲペー 有情」 「うじょゲペー」  意味不明だが、独白、強めのつぶやき、ってところか。  「ああ、無情」のふざけた言い替えみたい感覚かなあ。  発声すると、ちょっとだけ気晴らしになる。
: 上より矢印で、 「このあとひかれそう 東にむかっていって右手に右折してきた車」  歩きながら、エンピツでメモ書きしていたか。登校中だろう。車に轢かれて「うじょうゲペー」が絶筆では浮かばれないな。
: 「フク■■ − ヒラ■■ :ルートできてる? 仲できてる?」  残っている(この年の秋の)修学旅行のしおりに(あるリストに)よれば、同じAクラスのヒラ■■は男子だから、フク■■君とのほれたはれたの話じゃないな。
: 「モテ■さん  倫社の発表だった。」  waka君の老子の発表が近いということは、モテ■嬢の担当は、中国古代の思想家のだれかだな。孔子とか、法家とか。  この月曜に倫社の発表ならば、土日は準備が大変だったはず。そこで、化学のレポートのほうはwaka君にヘルプをだした。そんな事情もあったのかもね。
: 左領域の、おさけのんでよっぱらった夢、から矢印で、 「はじめは水のはいったコップをのんでるが、それでよってくる。これ酒なのかと思いつつのみほすともっとおさけがほしくなる。」  思いつつ、のつつは別字っぽいが、つつ以外で意味が通じそうなのが浮かばない。文字的には「思いする」が妥当だが、文の調子が変、それに句点が欲しい。  「思いつる」と書いてしまったのかもしれないな。するとつつをまぜてしまって。
: 「人の社会的立身は、体の生長と同じように、若い時に急激に成長するのかしらん?」  うーん、まあ、大勢として、言えないこともない。  若いときの学歴が一生を左右するとか、若いときのひいでた運動能力がスポーツの世界を開くとか、世の中の現実としてあるもんね。  男女とわず、その美貌とか演技力とかが、発露するのも若いときだろうし。  しかし、大器晩成の言葉があるように、徐々に持ち上がっていく地力のようなものも信じたいな、私は。  若いときの魅力は神がかっているかも。  でもやはり、人としての味は、年を重ねないとね。
: 「教育の場をつくる、とは、教える場所をつくるというより社会のえいきょうをうけにくい自由な空気をつくって、そういう社会をつくることにあったのでは。いくらか昔は。今はどうかしら?   学校こそ、理想社会か?」  waka君にしては立派な大ぶりなことを書いているよ。  終わりは「学校こそ、理想社会であるべき」という願望と読めば、心がこもる気がする。  学校でまず理想社会を創りあげる。それを体現した生徒たちが世に放たれる。現実に普及して行くべし、とも。  現実社会が学校を抑えつけ型に押し込めようとするなどは本末転倒。亡国の逆コースだ、と。  (waka君はならなかったけど、こういう人が教育者になって欲しい)
: 「想」をくずして「思」のような字「とかいたよ。」
: 「怒ることを与える:ガシする・・・?  怒ることない:がしする・・?  }?」  怒ることを与える、とはなんだ? いずれにしろ餓死するらしいが・・??  → 理不尽を怒れば、世間に拒まれて餓死する。理不尽を受け入れれば、世間に食い物にされて餓死する。ということ?
: 「えじきをえぎきと、Reader の教科書にかいてしまっていたよ。」  ということは、餌食を意味する英単語が教科書に載っていたってことか。  辞書によれば、prey または victim らしいが、こんな語が出てくる教科書用の文章ってなんだろうね。
: 「オカ■君質問に失。  あの人はどうしてるか、今みれば心がわかる、と思う。しかし、みてはいけない、と何かがいさめる。しかし、みてしまう。そののち、ぼくはまけたのかと思う。  オカ■君、先生の質問に答えてまた失敗  しかし、これが正しい姿。 こうあるべき。 ぼくも前はこうであったのに  真には、やめるべきなのかどうかしらない。しかし、やめるべきだと直感したのに、やってしまったという過程が失敗であり、敗北である。」  これは要するに、恋敵と思っているオカ■君が、授業で失敗をした、二度までも質問に誤答をしてしまった。  この失態をあの人(オカ■君になびいたらしいタ■■嬢、ということでしょう)はどういう表情で見ているのか、今みれば彼女の本心がわかる、と。  しかし、それをうかがい見るのは、人としてしてはいけないのではないのか。という気がしたのに、自分を止められず、見てしまった。  見てしまったこと自体が敗北なのだ。  あるいは、見えてしまった彼女の表情から、ぼくは敗者だということがわかった。  ・・そういうことを書いているんだと思う。  (そもそも、タ■■嬢がwaka君のものであったことはないわけだし、オカ■君とタ■■嬢の間柄の本当のところは他人にはわからないのだし、こういう思い込みもあるいは配慮も、このとき見えたと思った彼女の表情すら、ことごとく、独り相撲ということでもおかしくはない)
: 《点三つ。これを結んだグラフが二つ。》 「 }2つの放物線?」  三点が確定していても、これを通る放物線は、一つとは限らないよね(限定されないよね)、と言いたいんでしょう。  数学関係のメモか。  → 今検索などで調べたら、三点を通る放物線は一つだけで、二つはない、とのこと。説明を読んでも今の私にはよくわからない。(本項の絵図をみると二つあってもよさそうなんだけど・・)
: 「■■ノ先生  「the average number で〜だから、上をみて reproductive life が・・・」 という今日授業のラストの先生の言を、前に夢か何かできいたことがあるように思える。  先生が上のように「だから上をみて、reproductive ・・・」といったとき、おや、これはどこかできいた、と思った。」  デジャブみたいな感覚ってことかな。  それにしても、the average number (平均数)、reproductive life (性殖生活)、ってなんじゃこりゃ。  文脈がわからないから首をかしげてしまう。どういう背景なのか想像がおいつかない。授業で口にするようなことなの??
: 「まわって、いるわ、こいーごころー を、 まわって、いるわ、こいーぐるまー としてしまう。  こいのカザグルマ、カザグルマ コイゴコロ }うたうときでてしまう。」  Wikipedia〔「恋の風車」(こいのかざぐるま)は、1974年1月15日に発売されたチェリッシュの9枚目のシングル。〕  確かに正しい歌詞は、回っているわ恋心。  でも、回っているわ恋ぐるま、はじゅうぶん詩的な表現だと思うぞ。(しっとりしていない、変な絵がうかぶ、などあって、人によって好みはわかれるかもしれないが・・ ^^;)
: 「TBSは文化放送じゃないんだって。」  やっとわかったんかい。
: 「土よう日 タ■■さん調子ワルイ  日よう日 西のお姉さん、何やってもだめという。  月よう日 オカ■君、2度の質問、答え失敗」  この三日間の人間関係のトピック、というメモかいな。  土曜日は、タ■■嬢の漢文読まされ関係か。  日曜日は、お西から聞いたお西のお姉さんの弟に対する態度の話?  月曜日は、オカ■君の失態。  こうしてみると、他人の失敗、失点、へこみを数えているよう。蜜の味というから、いやらしい情念が疑われる・・
: 「二度 二度 2度」二と2が似ているのは「>もともと関係ある?」  漢数字の二はわかりやすい。算用数字の2の起源、やはり、二本線のような気がするよね。  wikiで、アラビア数字(≒算用数字)しらべると、2の起源に二があるような図もあるが、いろいろ種類が多く、そうと言いきれない感触も。(素人にはよくわかりません)
: 「たとえ調子わるくとも、「今日は、ちょうしわるい」で1日でおわらせられる。  調子わるいと、「今日はちょうしわるい」といい、長びくはずのないものを、1日に長びかせてしまう。   時間の区分の意識一長一短?」  ふむふむ。ちょっとした気づきか。  (自分の不調にむきあってではなく)前掲の他人の不調に思いをめぐらして、思いついたか。
: 「ライプニッツはタイムマシンによって、昔にいった男だった。そこで、未来で使っていた∫の記号を使い、自分が使いはじめだ、しかし、実際に考えたのはだれだったろうと考える。しかし、そのうち、彼の考えは忘れられ、∫も忘れられる。 そののち、すこしして、Aが、ライプニッツの考に気づき、∫を考えだして使う。Aの死後、ライプニッツのノートがみつかり、ノートに∫が使ってあるので、考えだしたのは、Aだと思ってたが、実はライプニッツなのだと、皆思うようになる。そのうちライプニッツが生まれ、積分法をやって昔にいき、先にいったような矛盾を考える。」  とても分かりづらい、時間遡行アイデア話だが、∫記号を最初に考案したのは、Aなわけだ。でも、積分法自体のアイデアは、ライプニッツから得ている。未来に生まれたライプニッツの前にはすでに、積分法も∫記号もあった、と。つまり、ライプニッツはどちらも創始していない。  積分法の創始がだれでもない。時間遡行というありえないことをしたためのいたずら、というわけか。  精査はしていないが、どこかで破綻している物語ではないかと感じる。  waka君、微積分はよくわかっていないのに、関連ネタでこういうお話を想像するのが好きなやつなのだ。  数学理論の純粋さよりも、人間の味がまじっているほうが性にあってる。(ま、一般人はそうだよね)
: 「まわって、いるわ こいーごーころー  気にいってしまった。  カオはしらないが、(ほとんとはしってる、ひどい)あの歌はいい。」  そんな「ひどい」といわれるほどの女子じゃなかった。言いすぎだよ。  waka君的には、飾り立てられたアイドル歌手たちとくらべると一般人程度の見映えなので、用語選択の位相がずれてしまったんでしょう。  (伏せようかとも思ったが、waka君の偏見ぶりを(そして優しさに欠ける心性を)隠すのは卑怯かと考え直し、そのままとしました)  → カオはしらないが、と言ってしまってから、すぐ嘘をついていると明かして、この平然とした嘘のつきぶりが我ながらひどい(いいかげんすぎる。文章の型に安易にはまっている)、と言っているだけとも考えられる。可能性は小さいが。
: 「石■君に電話!! 物理レポート!!!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  前日27日日曜に「夏の将棋の大会■■高で開いていいかどうかて石■君が電話してきたのかなとちょっと思ったが、」とある。  これは既述の通り石■君からの電話ではなかったわけだが、気になるのでこちらから電話してしまおうか、というメモだろうね。
: 「計算の答えをまず森■さんが求められて「58」という。次、たつを、で、「34」。ぼくのだした値は23/6でこれで答えようと思ってる。」  タツオ、森■、大■、岡■、ぼく、の席配置図。  「なんであんなのになるかなと、思っていると、3{  }となっていて、ぼくは{  }内しかやってない。すぐ3をかけて23/2として、気づくと、むねがどきどきしている。3をかけるのを忘れたのが、おそろしくショックだったらしい。  先生にさされることはそんなにショックではないように表面的に感じてた。  しばらくなりやまぬ。大■ちゃんも「34」 どうもそれらしい。ぼくはさされずにおわる。」  数学の授業直後辺りのメモと思われる。  森■嬢の答えが「58」。タツオと大■君が「34」。waka君が「23/6」を改め「23/2」。  以下、これらの答えがみちびかれるらしい、積分記号のついた数式が書かれているが、今となってはもうまるで理解不能。これから再度学習して検算してみようという気力も湧かず(^^;  たぶん、まあ、waka君のは誤答だろう。タツオと大■君の数学的知力のほうが信用できそうなので。
: 「ここらへん、みんな授業中にすぐかいてる。」  すらすら解いてる、または、板書をすみやかに転記している、か。  周囲の速度についていけない、と焦っているようだ。  ・・困ったもんだが、まあ、しょうがない。学校を卒業して半世紀、微積分を活用する局面は皆無だったよ。すらすら解けたからといって、実社会ではたして意味があったのかどうか、ってぐらいだから、悲観することないさ。(^^;;
: 「朝の自動車といい、今といい、今日、ぼくにとってむねのドッキンドキドキ、する日。」  朝の自動車は、前々頁にある「このあとひかれそう 東にむかっていって右手に右折してきた車」のことだと思う。
: 「いっそのこと、授業ノートをこのノートに含めちゃおうか。」  授業ノートと心記をごっちゃにするってことか? それはないよね、カオスだよね。  結果的にそれがなされていたら、半世紀後もこのように保存されていたか、あやしい。よくわからないカオスなそれは、スッキリと整理廃棄されてしまう対象になりがちだから。たとえ保存されていたとしてもこのように精査しようという意欲が湧いたかじゅうぶんにあやしい。
: 「↑ しかし、授業中にこれかいて、うちかえってから、清書(エンピツがきをボールペンに)にしていたら、勉強やる時なくなって、結局、質問さそうになったりいろんなときにドキドキするのでは。」  質問されそうになったり、か。  いまいち、文意がすっきりしないが、要するに、このようなエンビツ書きで仮メモばかりしていると、帰宅後の清書で時間を食われてふつうの勉強ができず、結局、授業中、わからないのに質問されるのではと戦々恐々、ドキドキすることが絶えないのでは。というようなことをいいたいのかな。  だから授業ノートをこのノートに含めちゃうのはだめだ、なのか、だから授業ノートをこのノートに含めてしまうべきなのだ、なのか。このつながりもどちらもありえそうでよくわからない。  (これらの考察の甲斐があったからなのか、考察の甲斐なくなのか、それともほぼ因果はないのか、結果的に、このあたりの頁のエンピツ書きの仮メモは、この通り、清書されずに残ってしまっているけどね。うん・・ waka君はなにごともスッキリさせるのが好きなんだけど、なまけものでもあり、忘れっぽいやつでもある。学生とはいえ、余裕時間も無尽蔵にはない。であるのに、この通り、心記にかきたいことは毎日いくらでも生じてしまう。したいけどできない。後まわしして蓄積していく。仮メモのまま放置は、基本的にやむなしでしょう。許す)
: 「よぼう医学は自分でやらなきゃだめだ。 (坂■先生)」  高校二年時の担任の先生。国語科。  ホームルームなどでも、授業中でもよく脱線して、面白いことを言ってくれる先生なんだが、本項の背景やいきさつはよくわからない。  単純に、健康には自分で気をつけろ、というだけかもしれないが、ならばなぜこうして記録したくなったかなあ。  メモ魔のwaka君とはいえ、ふつう、見聞きした全てを書くのではなく、取捨選択しているわけだが、このフィルターの網の目がこの日はとくに粗くなっているのかもね。  まだ仮メモだし、とりあえず書いておけ、か?
: 「頭書 ? の成績」  当初の成績?  いや、検索すると、賞状などにかかれるのは、頭書が圧倒的に多い。
: 「なんのかもく 科目 をどのくらいの時間でやるかを、考えておけ(坂■先生)」  自宅での勉強法のアドバイス?
: 「《三角定規と上方の眼の絵図》 }とみると、《絵図》 というようにはっきり2つにみえる?!」  三角定規の薄い板を横から見ると、合わさった二つの三角定規に見える、ということらしい。これは両目の焦点距離よりも内側にもってきたりした時、それぞれの目にそれぞれが映って、とういような場合かな。
: 「コウラをへる ?」  甲羅を経る、で、ちゃんとある言いまわし。
: 「遺言 いごん これもちょっとつかっていたことある?  ゆいごん  いげん」  辞書を見ると、呉音よみのユイゴン、呉音と漢音を組み合わせたユイゲン、漢音よみのイゲン、法律用語として慣用されるイゴンなどまであるそうな。
: 「一目で ひとめで  一見で ひとみで いっけんで)?  }?」  一見に、ひとみ、という読みは辞書にはないな。いちげん、か。
: 「命 命 命」  三個かかれているが、差異がわからない。
: 「一致  ■ ?」  ■は、人偏+致。この漢字はありそうなんだが、デジタル文字にないか。  手元漢和辞典にもなし。
: 「国を電雲などと書いた。」  国と電雲(雷雲?)になんの関係がある? 謎。  謎すぎる・・  これは一字抜けていて「国電を電雲などと書いた。」が正解かも。当時はまだJRになっていない(民営化されていない)はず。こういう書き間違いはないことはないだろう。雲は運転、運行の運つながりで(電、雷にもつられてまよわしげに生まれた?)。
: 「軍備を軍備」  二字目の備は、右下が冊っぽい。

※ 『1974/01/29 ●4六香』 : 「2/9までにクラブ関係のを  先生に連盟にはいるということを、連絡。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  たぶん、クラブ関係のを、に続く語を、書かずともわかるので省いている(例えば、クラブ関係の書面を誰それに提出するというような用件)。二行目の、先生に連盟に〜以下とは別件でしょう。  連盟は日本将棋連盟と思われる。本文にある石■君との電話で、将棋同好会として連盟にはいること(支部として登録すること?)、これは了解または約束したんじゃないかな。なので顧問の先生に報告しておくべし、と。(事後報告なのかどうか。独断専行して責任を負うのは避けたいだろうwaka君のことだから、先生の内諾はすでに得ていたのでは)
: 「ウージャ、バーエゲペエ〜〜  たかく、たあかく〜〜の節で ウチアゲヨーオーオトー」  たかく、たあかく〜〜 が本歌で、ウージャ、バーエゲペエ〜〜 のほうがwaka君の替え歌なんでしょう。  この本歌の全容とか題名とか、検索で探してみた。→ 『紙風船』赤い鳥 1973年、これが最有力。
: 《将棋局面図》  ●4六香以下の、13手詰め。  なるほど、合い駒限定とか合い駒なしとかで詰んでしまうのか。ここはアイデアが光る。  詰め将棋としては、周辺の駒が、後手(詰まされる側)の持ち駒を限定するためだけに盤上におかれているようで、無駄が多いな。  いかにも素人っぽい、よって、waka君の自作であろう。
: 「石■君に電話かけたけど、思ったよりぶっきらぼうで、笑い少なかった。(20日の大会の時は愛想よかったのに。)そこで、いくらか不快感残る。もしかしたら、こっちが、失礼で、ようちすぎたためか。」  これは将棋関係の用事で他校の生徒に電話してるわけだけど、いつも県の大会の開催場所となるのが石■君の高校(県内では東京寄りの地域)。  で、次の夏の大会をwaka君の高校(千葉市内)で開催できないかという打診を受けており、それは残念ながら無理、という返事をしたのではなかろうか。  色よい返事ではないので、ふつうに、機嫌がわるいのかもしれないし、前もって構えている大会の時ではなく、私生活中にいきなりかかってくる電話だからぶっきらぼうになったのかもしれないし。  waka君の高校の将棋同好会がもっと盛んで、人材もいるんならね、会としても学校としても、世話役を買って出る選択肢はあったかもしれないんだが・・  なお、後年、waka君の母校は一度だけ全国優勝をする。その頃の、waka君の後輩たちは世話役などもやっていたかもしれないな。
: 「■■子がおしえて、とくると、ふんふん、これはまちがってるから、もっと考えな。考えたわよ、だからこうこう、どこがまちがってるのよ。まちがってんだから、考えるんだよ。おしえてもらえばすぐわかるなんてんじゃ勉強じゃない。勉強は自分で考えてやるんだ。だから、考えたわよ。どこかちがうのよ。   しまいに■■コなきだす。どっちがわるいのかしら?」  きびしい兄だなあ・・  教えてあげなよ。泣きだすぐらいの妹なら。  とりあえず、目の前の問題を一つ解消してあげて、解く面白さを味わわせてあげて、少しずつでしょ。



1/30

 家に飛行機落ちる。公二郎君の父死に、姉、材木にはさまれて、ほぼ死のうとしている。母きて、「まあ まだ苦しんでるわ。」
 庭にはジャックとクィーンのトランプ。これが、探査の手がかりとなる。そのトランプの持ち主が、そのトランプは、どこそこの机の下の物をおくところにおいた、という。ぼくと福■がしらべにいくと、トランプが一式あり、しかもジャックとクィーンまである。
 タ■■さんが、何かをだいじそうに手に|つかんで|つつんでいた。そこで、容疑者に目される。手にもっているものをみると、ゴルフボール。疑いは晴れ、彼女、静かに去る。
 次に探査線上にうかんだのが、公二郎君の婚約者、ユミ。ユミ、千葉駅の中に自動者のり入れたところ、自動者ごと爆発。死ぬ。探査に協力していた科学者の足もとで、彼のドラ息子の声がする。みると、息子が小人になっている。「今、爆破してきました。お父さん罪をかくすためにはしょうがなかった。でもみてください、私は、こういう大発明をしたのですよ。」 科学者、息子かわいさと、その大発明のため、警察にしらせず、事件は迷宮入り。

 というような夢をみた。もうちょっと、筋がとおっていたことはたしかだし、スリリングなおもむきも十分あった。なのに、かいてみるとひどい。


 笑。  公二郎、というのは、この夢の中だけの個人名とは思うが、もしかしたら実在するだれかのほんとうの名かもね。  探査、探査線上、これらは、捜査、捜査線上、と書きたかったのでは。  婚約者ユミはさすがにこの夢の中だけの女子でしょう。  自動者は自動車(二度も誤記しているな。たぶん寝起きだから)。  要するに、一連の事件の犯人は、名前はないが、科学者の息子ってことか。
: 「足もと  元か本か。」  辞書は、あし‐もと【足元・足許・足下】、こんな感じ。
: 「10:00から7:00までねて、かつ、予習何もしてない。」  連続9時間寝たわけだ。若いねえ・・  1/30は水曜で平日。前夜10:00、多少寝てから夜中におきてがんばるという目論見が、おきたら朝、予習何もしてない。こういう失敗はしばしば。  とはいえ、特に英語だが、予習なしで臨むのはかなりの恐怖(指されてまたは自分の番で、読めず訳せず口ごもり大恥等)だったはず。  よって、こういう準備のおろそかな日は、学校の休憩時間などで必死に辞書を調べたり、授業中も席順と各人の担当文章量から自分の受け持ちそうな領域をしらしんけんで予測して直前集中で備えたりすることになる。  (これは、各人も心得ていて、自分の番になっても読解文章量を短すぎたり長すぎたりさせないように区切る、教壇または辺りを歩く先生の呼吸も計りつつ。  逸脱があると、やめろ、そこまでだ、など非難のささやき声が上がる)  (つまり、読めず訳せず口ごもりはそれ自体も恥だが、座らされ、自分の分をそっくり次の人がとなると、後続の予測がすべて狂ってしまうので、大迷惑でもあるわけだ。避けねばならず、しらしんけんにもなるのだ)



   題名は「ジャック」にしよう。

 物語にするために加味するなら、

 科学者の息子は、公二郎の姉に実験をみられ みせ、冗談にそれを私の発明にしちゃうわ、といわれる。気違いがかった息子、公二郎の姉を殺しにいく。(実は、彼女こそ、最も彼を愛していた一人。) いってみるとちょうど、セスナがおちている。とどめだ、とばかり、放火する。小人になって、トランプで身をかくして。事故による発火とみられれば、それでおしまいだったが、トランプのおちていたそばに放火したあとがみられた。警察が動きだす。(公二郎の姉、母に「まだ苦しんでるの」といわれ、もえてもきて、死んでしまう。) 科学者の息子は、公二郎の婚約者ユミが好きだったので、実験をおしえてあげる。(公二郎の姉のときも似ていた。) ユミ、彼をふる。「私には公二郎さんがいる。」 ―― 科学者の息子、研究をおしえてしまい、かつ、自分以外の男の物になってしまうのでは、きっと、自分の犯罪に気づくにちがいない。そう思って彼女を爆死させる。


 予習はできなかったけど、こういうのは書いてるわけだ。  無茶な夢が元とは言え、カタルシスのないラストもどうかと思うし、まともな物語になるまでまだまだ道遠しか。  (そういえば、公二郎はでてこないの?)
: 次のは夢の話とは別のようだ。



 あんまり買い占めや、悪いことをする人が増えたので、悪い心をもつ人たちの頭の上にいつも火の玉がうかんでいるように神様がなさった。
 そこで政治家や会社の社長の多くが、火の玉があるということでやめさせられ、かわりに火の玉のない人が政治家になったり、社長になったりした。――― 火の玉のない人は非常に少なかった。自分に正しい人、信念の人がいかに少ないかを示すと同時に、彼らが皆、どこか頭の狂っている人たちばかりだったことが、A君を不安にさせた。むろん、そのとき、A君の火の玉がより光りとあつさを増しはしたが。


 A君がこのあと何かをやらかすんだろうけど、続きは書けなかった模様。  火の玉がより光りとあつさを増したんだから、悪い心が膨満したんでしょうな。流れからいって、A君からみて頭の狂っている火の玉のない人たちを断固排除しようと決心した可能性が大か。  そっか。ここまでほのめかしているつもりなので、本文はこれで完結なのかも。過不足なく、waka君としては。
: 2項前に矢印で、以下、夢を加工した話の補足? というか、ふくらまし?



 シンペイをセナナのパイロット死のベッドで、「家からは火は出ていなかった。」シノ■、公二郎の父。未来なので、そういう発明も可能。

 しの■やねでべんきぬり。「あ、あれはしの■だ。」ぶっつかる。しの■ふっとぶ。


 セナナはセスナ。  シンペイもしの■君も友人。文学クラブ仲間。  彼らも起用してあげよう、と。  シンペイはパイロット役。墜落したがまだ息はあって貴重な証言「家からは火は出ていなかった。」を遺す。  しの■君は、公二郎の父の役。しの■君(公二郎の父)が屋根でペンキ塗りをしているところへ、セスナが墜ちていってバイロットのシンペイが「あ、あれはしの■だ。」と気づく。しの■ふっとぶ。(友人同士だから顔見しりだが、劇中のパイロットと公二郎の父は赤の他人のはず。ごっちゃ? あるいは、演者の内面の素まで想像しながら楽しんでる? もしかしたらその想像では、撮影上のからくりなどなくて、生き死にまでさせているのかも)  小人へ変身など、未来なので、そういう発明も可能、と。飛行機が墜ちるという設定もそうだが、ドタバタご都合劇、もろだな。  (どう手を加えてもまともな物語になりそうにない、あるいは、全部一新するしかない=原形とどめずなら要するに別物。ボツ。  ということではなかろうか。だから、まあ、ここにあるがままが結局、まだしもいちばん味のある状態ってことになりそう)

※ 『1974/01/31 立体的?』 : 「数αテストまで あとすこし、がんばれや、」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  下の本文でも、数学関係の項、多少あり。
: 「つっぱって、と書いたのに、うっぱってとよめてしまうことあり。」  冒頭二行に例示している通り、つのすぐ上に読点が来ているため、うにみえたよ、と。  たぶん、本項を書くしばし前に、(このノートでない他所で)実際にあったこと。  こんなこともあるんだ、めずらしい、記録せねば。再び同様の読み間違いをせぬためにも。と。  メモ魔ならば当然、とはいえ、こんなケースほとんどないわけだから、備えておいても、とは思うけどね。
: 「また」が形態変化して「私」  すごい変化。しかし、いわれてみればありそう。  (要するに、横書きでつなげて書いたら、またと書いたのに私と読めてしまったよ、と。やはり実際にあったんだろうね)
: 「イヤホーンのことをみみせん。」  いや、わかるけど、なんか笑っちゃう(^^)  waka君かもしれないが、母親あたりが言ったんじゃないかという気がする。
: 「タ■■さんも、三四郎みてるみたいだから、ぼくは数日ぶりに今見るっち。」  NHKの銀河テレビ小説『三四郎』。原作夏目漱石。1974年1月7日〜2月1日、月曜から金曜の午後10時頃の放送。  タ■■嬢も見てるようだから、視聴再開しよう、と。(とはいえ最終回近いようだが)  waka君は漱石作品のファンなので、TVドラマ化されたなら、かぶりつくように視聴していたと推測するんだけど、本項の書き方だと継続視聴はしてなかったようだ。最初は見ていたが、原作に比べて不出来すぎるとかで、引いちゃったのかもね。
: 「若い人ほどおこりはしない。 →{ 若い人であるほど、おこらない。 { 若い人のようには、おこらない。」  両義にとれる文章、言いまわし、語句。waka君はこういうのが大好き。というか、気になってしょうがないようだ。
: 「ぼく、へやがあかるくてもくらくてもねむれるが、くらいと、おきられない。」  笑。  よく記録してるよ、ほんと。
: 「世界史の授業、いつもだいぶ多くの人が聞いてない。」  笑。  先生、かわいそう。  たしか、世界史の先生のあだ名は、ツキュディデス。巻き毛で眼がぎょろっとしてて、教科書にあったツキュディデスとそっくりだったため。(短縮して、ツキュともいった)
: 「heavy には幅のある、という意がないの?」  重い、大きい、ひどい、大型の、などの意はあるが、幅のある、というのは微妙にずれているようだ。  逆にいえば、なぜ、幅のある、という意があるような気がしたのか? まさか、はばと発音が似ているから!?
: 「人間:点  人間と人間のつながり:線  点をあつめたものが線?  社会:面  その他の物を含んだ宇宙:空間 立体」  ふむふむ。  点、線、面、立体と人間社会を対比させているんだ。  流れから言えば、最後の立体は、社会×時間ということで、歴史と対比させたいかも。
: 「ゆき ゆうき  (あーめーがふーります・・・ ゆーきーがふりまあす・・・」 ゆーき「ゆうき 勇気」  ♪あーめーがふーります、あめがふる、の替え歌で、ゆーきーがふります、と歌ったんでしょう。  雨を雪に替えたんだけど、この歌の節にのせると、ゆうきが、となるので、勇気に聞こえたよ、と。  勇気がふる、ふるう、勇気をふるう、なんか合ってるじゃん、とまでうれしがってるかも。
: 「答えがわかるけど、感じられるけど答案に書けない。  これは頭いいのだけど、つなぐものがわるいのであって、完全に悪いわけでない。」  なるほどね。  結果は出せなかったけど(または、出せそうにないけど)、大切なところはわかっているんだ、と。  笑。
: 「人がいつかは死んでしまう事を思えば、人を殺すとは、それほど重大な、永遠の重宝をなくすようなこと、とは思わない。」  大きな見方をすれば、そうなのかもしれない。  ただ、短絡させれば、危険思想のほうに簡単に転がりそう。  だから、危険思想に転がらないようにしているのは、おそらく、理屈ではないんだろうな。
: 「論理の問題、否定とか、たいぐうとかは、ベン図をつくればかんたんになる?」  対偶。数学、論理式の授業で出てきたか。
: 「βの戦争、展開して、といいながら、因数分解した。」  意味不明だが、もしかしたら「βの先生」の書き間違いか。すごい誤記だが。  (ちなみに、数学αが代数関係、数学βが幾何関係、だったと記憶している)
: 「二つの意? 芸術的? はじめの意は「〜しつつ」 ここから、こういう状境× 況から、「〜であるのに」という意が生まれた?」  ながら、が二つに意味に読める、と。  (1)展開して、といいつつ、因数分解した。  (2)展開して、といったにもかかわらず、因数分解した。  ということでしょう。  過去にも再三同じ状況が生じて(前の行為にそぐわないような後の行為がなされて)、(2)の意が生まれたのかな、と。
: 「ショビ ショビ ジャビ ショビ シャビ」  わかりません。  流水で何かをしているときの音だろうか・・
: 「Sを■■■とかいたよ。」  ■は、千のつなげ字のようになってる。  Sの後半が、最後の筆止めの縦線に占領されてしまったような姿。
: 「※と※と※と※と※  などいろいろ。 立体的?」  本文の※はむしろ米に似ていいて、×と+を重ねた姿。その四本の線分のどれかを太字にすると、立体的に見えたりする、と言いたいらしい。  (目の錯視がらみで、くすぐったいような楽しさがあるけどね。一つ一つを続けて見ていくと、なんか動いている、うごめいているようにも感じられて)  または、×を強調するか、+を強調するか、などで、記号の意味を細分化して伝えられないか、なども考えているのかな。(このアイデアはわからないではないけど、二次元の手書きでは、さすがにボツだとは思う。電光表示でするとかなら、あるいはあるかも)  それとも、それらはあったとしても派生であって、最初は単に、書き順の検討をしていた?
: 「いくら勉強しても頭がよくならない。  ぼく : いくら勉強してもできないかもしれないが、今は、まるでやってなくてかつできない。」  こまったね、いなおってるね・・  いくら勉強しても頭がよくならない人がいると聞くが、ぼくもそうかもしれないが、現状は、まるで勉強していなくて、かつ、できないのだ。・・というつながりか、もしかしたら。  → 四分割すれば、(1)勉強している。+できる。(2)勉強している。+できない。(3)勉強していない。+できる。(4)勉強していない。+できない。  となるが、ぼくはこのうち(4)である。(3)でないことは間違いなさそうだが、勉強すれば、(1)である可能性もまだありそうだ。などと考えている? 焦りぎみにならまだしもだが、だから大丈夫と言い訳にしていたりして。
: 「nをひ  b  v  n 」  nの筆記体、混同しやすいじゃないか、どうして、と言いたげ。
: 「設  建  なぜゴンベン?」  手元漢和辞典をみると、設は元々は、くさびを手にもったかけやで打っている形(くさびを打ちこむ建築の仕事の意)だったが、この「かけや」を「言」に書き誤った、とのこと。どこまで信頼がおける説なのかどうか・・  それはそれとして、設が言偏なのはおかしいと気づいたのは、鋭いわな。


当頁 2023/05/08(月) 〜