表紙
display
 
1974/03

 














1974/03/02 女をお買いになる方は2階で
 


















1974/03/04 こんなかんじのロン?
 

















※現国の問題用紙にある、仮メモ部分(1)


※現国の問題用紙にある、仮メモ部分(2)


※数学αのテスト時の計算用紙にある、仮メモ部分(1)


※倫社の問題用紙にある、仮メモ部分(1)(2)

1974/03/08 サックのついたチビタエンピツ
 


















1974/03/15 せんろからはずれたりして
 













画像 アップ
『1974/03/02 女をお買いになる方は2階で』 2024/03/11(月) 〜
『1974/03/04 こんなかんじのロン?』 2024/03/18(月) 〜
2024/03/25(月) 〜
2024/04/01(月) 〜
『1974/03/08 サックのついたチビタエンピツ』 A〜F 2024/04/08(月) 〜
『1974/03/15 せんろからはずれたりして』 2024/04/15(月) 〜
2024/04/22(月) 〜
2024/04/29(月) 〜

※ 『1974/03/02 女をお買いになる方は2階で』 : 「ぼくはクラスで一番か2番目くらいにひわいなことを考え想像している男じゃないかしらね。」  程度で言えば、せいぜい中堅というところでしょう!
: 「この前の将棋同好会で太■君が、「また、受験が近づいていやだなあ。」 ぼく、心中で、君たちはこれから2年になって、つまりまだ2年間もあっていいなあ。」  順送りだからね、どっちもどっちだ。
: 「将棋同好会の人選?。」  あるいは、人事か。用語としては。
: 「会長 火■  副会長 太■君と佐■君   責任者は二人つくらなきゃならぬ。(先生より) しかし、太■君と佐■君のどちらかにきめるのは苦労。 そこで、一人ではいけないだろうが、3人なら、いけないということはない。少ないよりはいいでしょ。しかしどうしてこれに気づかなかったのかしら? かーんたんなのに。今さっき、やっと考えだす、気づく。」  同じ1年生でも古株の火■君の会長ははじめから確定だったんだけど、副会長を仲良し二人のどちらにするかで迷ってたんだよね、現会長のwaka君は。なやましいので第三の答えをみつけたわけだ(笑) なやましくてもどちらかを選ぶべきなんだろうな、社会人なら。ふつうポストは一つしかないわけで。  しかし、高校生の同好会の役職なんて、無給のボランティアなんだから、指導者というよりはお世話係なんだから、副会長二人制、指されてみれば妙手かもよ。
: 「キマツのおわった日にあつめよう。」  期末試験最終科目終了後に、校内放送で招集して、人事を発表する、と。  新年度直前の3月、そういう季節ですな。
: 「しかし、ぼく自身落第するかも。」  人事は、ナイスアイデアかもしれないのに、このラストのオチは、笑えるというか情けないというか・・  (英語がほぼ赤点状態なので、先生たちがきびしく査定するなら、進級できなくても文句言えないのだ。 結果的に、幸いにも、あるいはなぜだかよくわからないけど、3年生になれたんだけど・・)


 今日みた夢のうちよく覚えているやつ。
 ごみごみした家々がぐちゃっとかたまっていて、その中から、マンションが一つはえている。「あそこにはいるには、どこか、裏のきっさ店か何かからはいるんだ。」と今■氏が説明する。つまりは女を買いにである。ぼくと今■氏歩いていく。 「たとえばポコなんていうきっさてん。」という。すぐ一つみつけるが、ちがうだろうときめる。二つめにほんとにポコというのをみつけるが、とおりがかりのオートバイのアンチャンがちがうちがう、というような顔で通りすぎたのでやめる。三つめのにはいる。  女をお買いになる方は2階で、てつづきをとってください、というような意味がちがう言葉でかかれている。 ぼくたちは二階にいくが、天井が低く、人のいられる所がせまい。 《状況図》 今■氏がAにすわり、ぼくはかいだんをのぼりきった所から、大きなカバン(この前からつかってるやつ)をもっていて、みうごきできない。 そのうち、どこのきっさてんにでもいるような感じのいい女の人がきて、何にいたしますかという。ぼくはもとより、女を買う気ない。 今■氏、「え、かわないの」というが、彼はどうしても買う気らしい。ぼくはウドンと、何かのみものを注文し、今■氏は、とにかくコーヒーを注文する。


   尻切れ?  これもまた、味がある?   今■氏はクラスメート。  女を買う気ないというのは、すがすがしい性格だから、というのではなく、おじけづいているのかもね。(夢の中だけど)
: 「きのうときょうお姉さんのへやにねてたのおねえさんとばかり思ってたが、おじちゃんだったんだって。」  ス■■オバチャンと生まれたてほやほやの赤ちゃんだけでなく、亭主も泊まりに来てたってことだね。
: 「Yを¥とよくした。今のαの授。」  今の数学αの授業で。  waka君がノートの上で? それとも先生が黒板で?
: 「 ←―――― は ∠_____ でいい。 ・・・ 」  矢印の鏃(やじり)が、上部だけでいい、と。(名づけるなら片羽矢印?)  その書き順の吟味で、二画より、一画で「の書き方の方がカンタン。」だと。  手間を省けるなら、省けるだけだけ省きたい、という意思か。めんどくさがり屋の。  (言っていることは他愛もない些事だけど、吟味途中で、線分の左端を折りまげて片羽矢印にしてるのが、こま送り動画みたいで楽しい)
: 「■■ミネ先生はハクボクばかりすって、おかしくなるのではないかしら?」  数学αの先生。時間超過ばかりする。  たくさん書いて、すぐ黒板がいっぱいになって、頭からどんどん消していく、というスタイルなんだろうか。  チョーク(白墨)に毒素はないんだろうけど、食べ物じゃないんだから、吸いこみすぎはやはりよろしくないでしょう。
: 「イカレテル を オカレテル」  単なる言い間違い聞きまちがい、だろうけど。  ただし、なぜイカレテル、イカレル、が、狂ってるという意味になるのか、辞書など引いてももう一つすっきりしないので、 オカレテル、オカレル、が狂ってるという意味になる余地があったのかもしれない、などという気がしてくる。  (理屈で想像すると、置かれてる、置かれる、だから、置き去りにされる、後回しにされる、を意味しそう。 よって、オカレテル、は、狂っている、よりも、遅れている、劣っている、という意味になる可能性のほうが大きいのかもね。実際には、そういう用法は当時もその後半世紀たってもまだ生まれていないと思うけどさ)
: 「コンパスの先で、オチキスとめたのはずしていると、コンパスの先がおれて、目にとびこみ、穴あける、などと考えるとこわくなる。」  ホチキスとめたのはずしていると、までは現実かな。
: 「鶏 にわとり をとりということない?」  ふつうに言うよね。鶏肉、とか。
: 「男体 なんたい 動物」  言葉遊びのできそこないぐらいか。
: 「a」が形態変化して「α」。  しかしこれは、もともと関連がありそう
: 「§」が形態変化して「S」  これも縁故がありそうだよ。  Wikipediaによれば、「§」は節記号(せつきごう、section sign)というそうだよ。 〔ラテン文字の S を重ねた字形に由来する。ラテン言語の文書においてよく使用される。節の始めに置き、節番号を後ろにつけて §1 のように用いる。通常は section one と読まれる。続けて節の見出しを記述する場合もある。〕
: 「忠信 忠臣」 「説く 徳」 「好子」  waka君は、同音異語が大好き。異語だけど、なんらかのつながりがありそうだと気づくと嬉しくなってしまうたち。  忠信(ちゅうしん。人名ではなく)は古風だけど、無い語ではないらしい。  徳を説く。これは嬉しいだろうね、気づいて。  好子は、孔子のもじり、つながり。
: 「好子 こうし  現代社会にでてきて、彼の説ははやるが、みじめなすたれっぷり、」  と、物語のタネみたいにして妄想してあそんで、でも、このタネだけでまともな物語にするのは無理がありそうなので、本項止まり、ってところでしょう。
: 「但し :ちょっとすぐよめぬ」  今はもっぱら、ただし、とひらがなで書くね、私。  読むとき、文中に、但し、とあれば、文脈的に容易に、ただし、と読めていると思う。  ただし、単独で、但し、の場合は、たんし、とか閃いてしまうかも。当時と似たり寄ったりで。
: 「現α物英世化β古 こんどのキマツ」  期末テストの日程でしょう。  2教科ずつ、4日間か。現代国語、数学α、物理、英語、世界史、化学、数学β、古文。  waka君がまともな点を稼げるのは、現国と古文ぐらい。α、β、物理、あたりは赤点はまぬがれる程度。世界史、化学などはたまにいい点がとれたんだっけ。  英語はダメだね。クラスの底辺に常駐。(ほんとなさけない)
: 「げんアルファぶつえいせいかベイこ  ここをすうえいとかいて完全におぼえられず、コン■■君におしえてもらう。」  コン■■君は、もっさりしてて飄々としてて、話し好きで、悪く言えば細身のおじさん風なんだけど、見かけによらず学業優秀で、学年で五指ぐらい。  詳しいことは忘れたが、良い大学に行ったんじゃないかな・・

※ 『1974/03/04 こんなかんじのロン?』 : 「ゴウテイ  ヤルキムンムン オマツリ それともウンドウ会?  外国人うちへ  セブン  玉つき」  頁上辺のエンピツ書きメモ。これらは、当頁右領域にある今日の夢の仮メモでしょう。
: 「グラフ用紙buy!」  冒頭項にある通り、ゴウチンゲームで使用するので(または費消したので)グラフ用紙を補充しよう、と。
: 「お西とゴウチンゲームをやったっちい。ぎょらいせんゲームを、グラフの上でやるようなやつ。」  轟沈ゲーム。魚雷戦ゲーム。  自分のグラフ用紙上で、自艦隊を配置。  開戦して、交互に、居場所のわからない敵艦船を砲撃する(魚雷で狙う。座標を言うわけだ)。  的中なら轟沈と申告し、隣接着弾なら、ピコーンピコーンなどと発声。
: 「3時間かけて、ともに7つなくしたが、ぼくの最後の、お西にヤラレル。」  三時間とは長期戦。充実してたようだ。  以後お西の記事がないので、お西はこれでおおむね満足して、夕方にもなり、帰ったかな。(3/3日は日曜日)
: 「ヤマグチモモエのうたって、ウマクナイ? うわっつら?」  Wikipediaによれば、山口百恵デビュー後のシングルは、  (1)1973年5月21日 としごろ  (2)1973年9月1日 青い果実  (3)1973年11月21日 禁じられた遊び  (4)1974年3月1日 春風のいたずら  ここまで。  初期のヒット作、  (5)1974年6月1日 ひと夏の経験  はまもなくだが、まだ。
: 《将棋譜面。2一玉の図》 「▲2三飛成△3一玉▲3三竜△3二金▲4三桂 ・・・ 」  もっと早く、持ち駒の銀桂も要らずに詰んでるよね。
: 《将棋譜面。7六玉の図》  「▲8八桂△同銀不成▲同角△7九竜▲6七銀打△8六玉▲8七香△7五玉▲9五竜△七四玉▲8四竜まで、 これでいいのかね?」  紛れもみつからず、よさそうだ。しかし、詰め将棋としては、あまり意外な手はない。配置が作為的なわりには、凡作か。  いや、4手目、△7九龍の代わりに△7七歩と受けるのはどうか?  銀合いや金合いもあるな。それでも詰みそうだが、精査が必要そう。  7八銀合いという鬼手もあるか!  → 今、ボナンザ使って調べてみたが、ボナンザは△7七歩受けを推奨。それでも詰む。他の、様々な合い駒も、どれでも詰むもよう。(ほんとかな??)
: 「鼻つまって、頭くもってる。」 「セキはコンコン。」  はっきりした花粉症になったことはないので、これもふつうの風邪の引き始めか。 (自宅庭や周囲に杉の木が繁っていた。つまり生まれたときからずっと。なので、杉花粉を異物とみなさない体質なんだろうか)
: 「キクチカン クメマサオ )すぐコンドウ?」  菊池寛、香川県出身。京都帝大卒。文芸春秋社を設立。  久米正雄。長野県出身。東京帝国大学英文科卒。夏目漱石に師事。  ほぼ同世代、同志的な両人。  ともに、小説家、劇作家ながら、菊池寛のほうが、世話役の色彩がかなり濃い。
: 「めがねかけず、トランプの一人あそびやってたら、おっそろしく目がつかれた。」  メガネをかけるようになって一年経っていないはずだが、メガネなしではもう、まともに焦点を結ばないんだろうな。
: 「やむをえなく  やもうえない こっちでいい?」  文字表記としては、やむをえない、が正しいはず。これを「ヤモーエナイ」と発音するとしても。
: 「気風 きっぷ」  そうか、こういう漢字を書くのか。
: 「二日間ずーっとあそんでしまった。」  試験前なのに、waka君だね。君らしい、愛すべき怠けっぷりだ。  (開き直っているわけではないのだ。試験勉強しなきゃとわかっている。勉強している自分もイメージできている。でも、結果的に遊んでしまっている。時間がすぎている。(笑))


 今日の夢。
 ぼくのうちがすごーい豪邸。空色のカワラだが、これが神社の2階屋? とみてみれば平屋。 やっぱちがうやと、自分のうちをさがしたら、やねにつやのあるくろうるしのかけてある2階がある。 わあ、これかあ、と、こんなによかったのかなあ、ときはずかしいような心持ち。
 運働会かおまつりか、とにかく吉■先生を先頭にみんな走っていく。 みたことのある町中を。なぜかぼくのうちのそばにある千葉大のグラウンドを。 ぼくもやるきむんむんで走るが、みんなよりはなれてしまう。 おくれているのに、みんなが列になって、小さく走るようすが空の上からみえる。 そのうち、ここは、ぼくの家のあった所だ、と思う所にくる。 まるでかわってしまって、きたない空地になっている。 みれば、そばに、空色のカワラのぼくのうちがある。 おや、ここは今のぼくのうちだったかと思う。 (今おもえば、その空地とかには、まるでみおぼえなく、ぼくの家のあった所であるわけない。もしかしたら、ぼくの前世?)
 外国人がうちにくる。男の人が2人か3人。応接間にとおして、だれかうちのおとなが応対している。 神社の方がにぎやかそうで、黒い林の向こうがあかるく、さわがしい。外国人がにがてでぼくは何もいっていない。
 玉つきをしつつセブンブリッジ。つまり、玉つきの玉にTとかUとかいろいろな数字がかいてあり、また印がある。 玉をくばるとき、人に何もってるかわかっちゃうじゃないか、などと、すこししらふの自分が考えているが、夢の中のぼくはもう夢中。 はじめのうちは、ぼくかってる。二回か3回目(人は七人か5人いた。)1周して、ぼくが捨玉をだすと、むかいのどこかのおばあさんが、ロン。 ぼく一瞬、あのおばあさんよくしらないから、まちがったんだと思っているが、みてみれば、今のぼくのすてたのとつながる数字4つに、 それとも7、まじっていた? 6が3つ、つもっている。 ぼく、そのおばあさんにまけたのが、特にくやしい様。一 周...3/22 目でとくやしそう。
《ロンされたときの相手の手玉の状態のイラストと思われる》 }こんなかんじのロン?


 吉■先生。記憶になく、高校の先生なのか、実在した先生なのかも、裏付けとれず。  週を「周...3/22」と訂正している。18日後。← 心記の記事はそのほとんどが書きっぱなしなんだが、たまに読み直しをするようで、こうしてほんとにまれに読み直しの跡も残っている。  しかし、この絵はいい雰囲気。  → 吉■先生。もしかしたら幼稚園のときの女先生か!? 似た名前だった気はするがもうあまりにはっきりしない。
: 「メロドラマ  ?」  辞書によれば、melodramaは、ギリシア語のメロスとドラマの結合した語。  melosは旋律、歌の意。
: 「今年は、1974の49年?」  1974年で、昭和49年。ぴったり50年前。
: 「なんか、まるでカゼひいて、カゼギミの声なのだ。 音程がまるで低かったり、まるで高かったり。」  まるでの三連発。故意ではないようだ。
: 「トコヤ ¥700!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  ¥900にも見える。現在の1/4〜1/3ぐらいか。
: 「根粗朶 :?」  そだ、は、切り取った木の枝の意らしいので、切りとった根の束、というような物か。
: 「慳貪 :?」  けんどん。ものおしみすること、むさぼること。
: 「掠奪 :?」  りょうだつ、または、りゃくだつ(略奪ともかく)。  この辺り、同じ書物から、すぐには飲み込めなかった難しい語を抜き書きしてると思う。  戦前の小説?  書き手が古い人なのはまちがいなさそう。
: 「ヒョッコリヒョウタン島に大きなカボチャがでてこなかったろうか。あれには夢があった。」  たしか、島の主食だったような。  詳細は忘れたけど、カボチャ食糧を軸に経済が回る様子が楽しい、そんなふうな印象がぼんやりのこってる。  waka君が小学生の頃、平日毎夕、熱心に見ていた。
: 「逼る」  せまる。迫るとも書くが、旧字新字の関係ではなく、別字のよう。
: 「滑(なめ)らかを滑(すべ)らか、」  なめらか、すべる、が正しく、すべらかはむりやりなまちがい読みというwaka君の見当らしいが、すべらかもちゃんと辞書にあった。  (となると、滑らか、という送りがなでどちらにも読めることになってしまうが)
: 「曝された  ?」  さらされた、でしょう。  ばくされた、は、まちがいではないんだろうけど、一般的ではないと思う。
: 「3/5  NHKラジオ第2の10:15〜10:30までやってたのオモロ。」  と言われてもわかんないよね〜  当時の新聞の番組表でもあれば多少は手がかりになるか・・  (読売新聞のネット会員なので、140年分ぐらいの記事が読めるそうだ。が、しかし、残念ながら別料金で、安価とは言いがたし)
: 「JTO :人生を楽しくおかしくすごす会」  おそらく、そのラジオ番組か何かからの受け売りで、waka君のオリジナルではないでしょう、この略号は。  今、検索しても、これっぽいものはヒットしなかった。
: 「ぐんまを、やまなし、やまがた。」  「ぐんまと、さいたま、くっついていたっけ?  《脳内関東各県配置図》  真実は、グンマの方が、サイタマより、はるかに大きいのだ。  《高校地図帳で確認したらしい、真実の関東各県配置略図》  こんなかんじ。」  同じ関東に生まれ育っていながら、この程度。  その後半世紀住みつづけているが、大差なし(^^;  → というかさ、脳内配置にしろ、高校地図帳にしろ、県の姿とか関東の全容とか浮かびはするけど、あくまでも概念。  実際に、ナマで俯瞰すればかすみの向こうまで続く様子に途方に暮れ、足であるいたりすれば、その際限のない広大さに圧倒され、だと思う。  まさに、百聞は一見にしかず、で。
: 「だんちづま 妻   だんちずまい」  ちなみに、日活ロマンポルノ団地妻シリーズは、良作多しと友人たちから聞いている。もったいないことに、まだ一度も観賞してないんだけど。
: 「無から有へ、有から無へ。  たん生とは、生の世界にはいる、という意のみでなく、死の世界からでること。死とは、死の世界にはいる、という意のみでなく、生の世界からでること。  死のおわり:たん生  生のおわり:死」  「死のおわり」  ただそれだけのことなのかもしれないが、生の途上にいるものとしては、死という異界のことはあまり考えたくない。忘れていたい。  毎日毎時いつでも、生の、あまみやにがみ、おもしろさやこわさを堪能していたい。  これもまた、素直にただそう欲しているだけのなのだから、これでいいのではなかろうか。(悟りとか解脱とか考えなくても)
: 「今の我らには、何か、もっと、ちがう世界は用意されていないのか? 武人の世界、遊牧民の世界、のどかーな、人間の世界。」  これは、前項のいう世界の、生の側の中のそれぞれ。  用意されているが、一人が実際に経験できるのはわずかな種類なので、さまざまなそれぞれは、見聞や物語や夢想で、擬似的に味わうことになる。  思索が、多少地上に降りてきたって感じだ、前項から。
: 「今日の朝ヤル。」  そういえば、射精したっけ、と。  地上に降りてきて、我身にも達したようだ。
: 「国会、パリの飛行機事故、おのださん。  いそがしいようです、今日のニュース。それに鳥海山。  いいかげん、ニュースにおどろかなくなってしまう。」  Wikipedia、〔小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日 - 2014年1月16日)は、日本の陸軍軍人、実業家。 ・・・ 第二次世界大戦終結から29年を経て、フィリピン・ルバング島から日本へ帰還した。〕  Wikipedia、〔鳥海山(ちょうかいさん、ちょうかいざん[2])は、山形県と秋田県に跨がる標高2,236mの活火山。 ・・・ 1974年 水蒸気爆発、〕  当時は、三十年密林に潜伏、なんて、ありえないぐらい長い、どうして正気が保てたのだ、などと感じたけど、今だと、とんでもないってほどのことはない、そこそこのどこにでも当たり前にありそうな長さに思えてくる。
: 「むだがなくなれば、不足もなくなる。   むだがなければ、不足もない。(ちがう意にとられるかも? つまり、原因−結果でなく、並立(?)みたい意に?」  原因−結果としたら、理屈的にはおかしいかも。無駄がなくなったとしても、不足しないとはかぎらないから。並立なら、無駄も不足もない、過不足なしの状態を描写しているわけで、まれではあろうが、理屈的におかしくはない。
: 「にやけ坂、」  実在する三宅坂(みやけざか。東京都千代田区)のもじりかな。  ニュース、ドラマなどでたまたま耳にして?
: 「松下電気産業  ナショナルのこと?」  松下電器産業株式会社。現在は、パナソニック株式会社。
: 「お母さんが、カゼギミなんだからネロネロというのでおことばにあまえて、ねよう。「お母さん、わるいことはいってないつもりだよ。」だって。」  風邪ぎみとはいえ、なやましいか、試験前だし。すでに「二日間ずーっとあそんでしまった。」そうだし。  高校生の時期、勉強せずに早寝は、怠けものというのが基本だったかな。  ふつう常識的には、(2)勉強して遅寝が期待されたと思うが、今から考えると、(1)勉強して早寝が一番好ましいはずなんだ。睡眠は学習を脳に定着させる上に、健康的なのだから。  (3)遊んで怠けて早寝は、勉学にはいまいちだが、健康体をはぐくむかも。  (4)遊んで怠けて遅寝は、勉学にも健康にもよろしくないだろうが、人間性をはぐくむ?? waka君はもっぱらこれだった(^^;  人間性全般は知らないが、朗らかな性格にはなれたかも。
: 「五等?日は(5日、10日、15日、20日、25日:5でわりきれる日)にはなんで車がじゅうたいするの?」  五等日でなく、五十日ですな。「ごとうび」と耳で聞いて、漢字化で十に思い及ばず。(よって、かなで書くなら「ごとおび」)。  ・・なるほど、そうか、5で等分する、と思ったんだ。
: 「2/6」  とあるが、3/6の間違い。
: 「夢(  2時 みごろしにしてはいませんか。  いないんだよ。   女の人とデート のりき、というわけでない。ちょっと妙なかんじ?   朝はくもったため、夜のようにくらい。」  夢のメモ。後でちゃんとした文章にしようとした仮メモっぽいが、するひまなしだったもよう。  曇った云々は目覚めのときか。
: 「何か、一つ忘れる。」  (前々項や前項の次に?)書くつもりだったのに、いざ書こうとしたら思いだせない、と。
: 「倫者の時間、手首から先を、すこし、うかしとくと、すごいケイレン、というか、フルエが、手首から先におきる。」  倫社(倫理社会の授業)が正しい。  このあたりの日程だが、3/3(日)の次、3/4(月)3/5(火)はwaka君の高校を受験する、中学三年生の皆さんの試験日で、waka君ら在校生は休日。  3/6(水)3/7(木)は授業、ただし、時間割は通常の月曜火曜分が横滑りとなる変則。  ということで、三連休は終わり、朝、夢のメモをした後、登校して、すでに学校にいるわけだ。  3/8(金)から、在校生の期末試験(学年末試験)が始まる。
: 「学ぶ  勉ぶ ?」  勉は、つとめる。
: 「生きている物が、人間からはなれるにしたがっていきていないようにみえてくる。 木は一見いきていないようだ。小さな生き物も。しかし、それらは生きている。 そして、それが、もっと人間よりはなれると、まるで死んでいる、生きていない物として、認識されてくる。 石や火や・・・しかし、それも、人間からはなれすぎているだけで生きているのだ。  また、石や火やそういうものは死んでいるが、それがしだいに人に近づくと、死んでいるようではなくなる。 しかし、それは、石や火からはなれてしまっただけで、死んでいないようにみえるだけで、死んでいるのだ。人間も生きてはいない。  このように生死は、認識する方がまちがっている。」  わかるようなわからないような。  生きている人間の目から眺めると、遠くは死であり、近くは生に見えるが、それは対象のただ中に人間の視点があるからにすぎない。  人間の視点を離れて、もっと上方から俯瞰すれば、生も死も大差なく、区別するほうがおかしいぐらいだ。  ・・こういうこと?
: 「Readerの時間、タツオ・スミ■さん アツイ、アツイ、(やっぱ、となりでよかった)、 くつえくっつけて、1つのサイドリーダーをよんでいる。あと、男男、女女、男女、でいくつもの組が、一つの本を二人でみている。 忘れた人多いのだ。」  別の曜日の時間割に変わっていた関係で持参教科をまちがえた者が多かったようだ。  くつえは、つくえ。くっつけてにひっぱられての誤記だろう。  前々からのタツオの想い人が、スミ■嬢。妖艶な女子。  あからさまに慕っていた。彼女の肖像写真をパネルにしたものを贈ったり、手紙とかも渡していたはず。(今なら、ストーカーと言われかねない域)  最新の席替えで、偶然だったのか工作したのか、隣の席を獲得していた。  それで、今回僥倖をえて、寄りそい、二人で読んでいたよ、と。  二人は教室の前のほうの席で、waka君は後ろから眺めていた。  熱いなあ、よかったなあ、タツオ、ということだね。
: 「文化  イ■■ イト■■ ■■ツカ オカ■ カ■■ カシ■■   クニ■■ コン■■ サイ■■カズ サイ■■ノブ サク■ タカ■■シノブ   ノリミツ ニシ■■ フナ■■ モテ■ ■■ザキ アキラ タ■■」  頁上辺のエンピツ書ききメモ。  文化でなく文科。三年進学時の文科理科の進路分けで、2年A組からは彼らが文科にいく、と。  (三年のクラスが同じになるとはかぎらない)  頁本文領域の右下方にも記事がある。
: 「3月14、15に、赤点とるようだったら、先生の所に泣きにいきな。(サカ■■)」  これは終業式辺りの日付だろう。  赤点落第問題、そろそろ具体的な見通しが見えてきた頃合いか。間もなくある期末試験が、最後のあがきどころだが。  やばいなら、その教科担当の先生の所に泣きつきにいきな、という担任坂■先生の、クラス全員の前でのアドバイスと思われる。  まさにwaka君が、英語で、相当にやばいはず。  結局、英語教師のところにお願いにいった記憶がないので、この手はつかわなかったはずなんだが、どうやって切り抜けたんだったか・・ いずれ関連記事、あるかな・・
: 「タツオ、よくもとなりにしたなと冗談におこってたけど、結局よかったのでは?  それともよけいおこる?   ヤスミジカンに、友の所などにいって、ワラッテイタヨ。テレカクシ? 3/7」  一冊のサイドリーダーを、スミ■嬢と肩寄せるようにして開くことができて、感激至極。  事後、緊張感が解けて、皆にぶちまけたんだろうね、まるで怒っているような口ぶりで。  (ここを読むと、席替え時、隣の席になれたのは、友人たちの工作もからんでいたのかも)  3/7の追記は、元の文だけでは、本当に怒っていたと誤解されかねないと思っての、蛇足でしょう。
: 「おおい、や、さく、  おおいやさ  「おお、いやだ」  「おおいやさ」」  覆いや柵、と、大嫌さ、の通じ合いを発見したってこと? (^^;
: 「坂■先生は定刻30分前にいつも学校にきてるんだって。」  waka君は、15分前に学校につくと、早過ぎたなあ、と悔いる生徒だったので、大人はよくわからないと思い、記事にしたんだと思う。  (waka君のなれの果てである私は、条件や時期によっては、定刻の1時間半前に行くことが常態化したりすることがある。  ヒマ人というわけでもないんだけど、そのぐらい早めに着いて駅のベンチで新聞やマンガ誌を読んで過ごすのが好みになったりして)  (要するに、布団の中にいようと、自室にいようと、駅のベンチにいようと、時間を伸び縮みさせることはできないわけで、どこにいてもしたいことができるならいっしょ。そういう感覚)
: 「代謝  たいしゃ  だいしゃ  )?」  どちらもありらしい。
: 「ラ  テ→ララ  テテテ コレ多い」  急いで書こうとして、ラとテがまいらわしくなったりする、と。  郵便局のマーク 〒 も仲間かな。
: 「「何が何が、」というくちぐせ。だれかさんにある。」  他人が話し合ってる話題に参入するときの口ぐせっぽい。  つまり、気軽にそれができるような人柄とセットかも。  waka君、わりと有資格だ。
: 「ド ド ド」   2字目のドは、濁点が横棒の下。  3字目は、濁点が横棒の下+横棒が上向き。もうドじゃないね。あるいは、鼻をつんと上向けた生意気な、ド。
: 「雑 :この字かこうとすると、殺、■になった。」  最初の数画(ここでは九)が手なりで書けないと、出てこなかったりするよね。
: 「おあいこ  勝負なし、  相持ち  相持ち  もっと、ちがういいい方は?  どうしてもいえない。」  これも、ど忘れの件か。  ひきわけ、が、出てこなかったようだ。  ドロー、という言い方を知ったのはサッカーが流行ってからなので、ずっと後年。  (もしかしたら、最初の相持ちは、相待ちのつもり?)
: 「帰ってきたら、シャツに冷たい汗。 なんかむすからねえ。」  学校から帰ってきた、と。  前日、風邪ぎみだったのだから、蒸したためだけではないのかも。
: 「へやの中でラジオかけてると、自分のだす音を、となりや他のへやにきかれないでもすむ。 それにラジオの音なら、となりのへやに何か話しかける程度なら、ちゃんとつたえることができる。」  「もちろん、そのかわりにとなりのへやの音もきこえぬが、これはかまわない。」  襖一枚隔てて、姉の勉強机や女たち共用の鏡台のある和室がある。姉は、女子短大一年生。  ラジオが生活音の音消しにもなってる、ということだね。
: 《waka君の着席記載中の姿。後ろから視点》 「こんなかっこして、かいてる」  ストーブを足げだが、火はついてないんだろうな。  椅子の高さ、腰の位置は、実際はもっと上のはず。(または人物がもっと大きいか)
: 「アオニヨシとは? マクラコトバ?」  あおによし(青丹よし)。奈良の特産品(顔料の青丹)から、奈良の枕詞に、らしい。
: 「刈りいれる :刈りいれる  割ります :割ります」  漢字の旁、りっとうが、送りがなのりとかさなって、奇特だ、と。  たしかにそうだ。が、気づいても、掬い上げたりしないよ、ふつう。  (男児のような気づきを、青年担当がひきとって文字化している、そんな連携が浮かぶよ)  判りあう、測り、などが仲間か(^^;;
: 「下手回しにする ?」  調べると、したてまわし、と読んで、帆船の操作法の一つを言ったり、相撲用語だったりする。  でもなんだが、へたまわし、と読んで、それふうな意味ももちそうな感触があるが、これは用例が見つからなかった。  (柿のヘタを軸を中心に削り取る「へたまわし」という道具はあったが、これは、下手でなく、蔕)
: 「■崎君は、小6の3学期でなく小5の三学期に転校してきたんだよな、考えてみれば。」  ■崎君は小学校のクラスメートで、中学は別だが、高校でまたクラスメート。(文科進級リストにもある■■ザキ君)  何年かして生命保険会社に入り、勧誘されて契約したりもした。  以来、現在も年賀状のやりとり継続中。 (小6の3学期って、ほぼありえないもんね、転入してくるなんて)
: 「キス  キッス  }?」  英語だと、キッスか。  魚の鱚も、正確を期すも、みんな同じだもんね、日本語はね。らくだよね〜
: 「〒150 東京教しぶやくじんなん NHK午後のロータリー リクエストコーナー ○曜日の係」  これ、ラジオ聴きながら、メモしてる風。  リクエストしたいあてがあったのか、具体的にはなかったけど連絡先をいってたので必要になるかもととりあえず記したか。  帰宅はしたが、まだ夕方ぐらいみたいだ。
: 「イ■■ イト■■ ■■ツカ オカ■ カ■■ カシ■■   クニ■■ コン■■ サイ■■カズ サイ■■ノブ サク■ タカ■■シノブ   ノリミツ ニシ■■ フナ■■ ■■■ モテ■ ■■ザキ アキラ タ■■」  「の以上19人、と先生はいったのだが、20人いるよ。ぼくもはじめ、ぼくをいれて19人とかぞえて、あたりまえだな、と思ったが、今、自分を入れてかぞえればどうしたって20人。  先生がまちがってるのか、ぼくの記録が狂ってるのか。」  どっちだろうね。  皆がいる時に名前を読み上げたと思うので、人名に間違いがあれば当人が異議を言うはず。合計人数のほうを間違えている可能性が若干高いかな。  タ■■嬢が、五十音順の正位置に入ってないのが、ちょっと気になる。読みもらして、後で追加?  ← 2年A組は全45名なので、20名として文科進級が44%。理科が多数。  結局、3年生で文科3クラス(50×3=150名位)理科5クラス(40×5=200名位)となるので、150÷350=0.428・・ だから、学年全体でも同じぐらいのパーセントか。  女子は文科希望が多く、頭の切れるやつらとか医者の息子らは理科へ。  落ちこぼれぎみの男子は(waka君が典型)文科に流れやすかったかも。  あと、鷹揚としたやつらとかね。法曹関係希望者もだったかなあ・・  ノリミツは、数学が一番得意なんだが、高校レベルの数学は全て終えているからと、文科。そういえば、詩人ランボーにも親しんでいた。(後年、米国で数学講師などしたはず)
: 「アジ演説」  アジテーション。  当時は、大学紛争とかで、身近だった。ゲバ字立て看を背景に、ヘルメット、首にタオル、大音量で、ワレワレハー、とかやってたなあ、何歳か上のあんちゃんたちが。
: 「自分をだす話し方  自分をおさえる話し方」  話し上手と聞き上手のことだろうか。  そういうことではなく、自分を売り込んだり情に訴える場合、客観情況を理解してもらう場合、などの違いを言うか。
: 「おのださんのニュースは、いつも、「だれそれさんとだれそれさんが、〜〜して、〜〜して、待ってます。」となり、結局何もおきていない。」  Wikipedia、 〔1974年 - 一連の捜索活動に触発された日本の青年鈴木紀夫が小野田元少尉との接触に成功。3月にフィリピンに投降し、日本に帰国。3月12日16時15分から66分間にわたりNHKで放送された報道特別番組「小野田さん帰国」は45.4%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)の視聴率を記録[8]。〕  まだ3/6だから、帰国するのは一週間後ぐらいか。
: 「待つ  → 待 → イ寺 → イま → MA イま マ」  こういうつながりの発見が、好きだよね〜 (今から眺めるとおかしいんじゃないかとまで思う)
: 「pretty を plenty だって。」  綴りを間違えたってことだろうけど、偶然か、plenty という英単語もあり。たくさん、じゅうぶん、という意。
: 「夏場、アツサにまけぬために、コショウナメル?」  そんな暑気払いがあると耳にしてか。  それとも、物語の登場人物がそうしていたか。(現実は、春先だからねえ)

※ 『1974/03/08 サックのついたチビタエンピツ』 : 「っしっし  ー」  難解。  ひっしひっしは、ひしひし(と)の強調形だと思う。きびしくすきまなく迫ってくる様子。  ひーひーは、ひいひいで、泣き声、悲鳴を模して大弱りを表わす。  それで、この両語、悲愴な色あいの似かよっているのは、ともに ひ が主役として重ねて使われているためではなかろうか。  ・・と言いたい項なのではなかろうか。


 今日の夢。 ある女の人とぼくが、遠くの所から、ある小さな天才少女(しかし、大人のような感じ、大人の女の人の魅力を感じる)をつれもどしてくる。 千葉大学の前(それが院内小の位置にある。)から商店街へ。
 また、坂■先生がラジオで、まんざいかこうだんみたいのをやっていた。 生徒のことをネタにして。 「たんにんの先生がこんなことやってるんだからね。」と姉きに話してる。 (アキラのツウシンボの行動の面についての記録をネタにしてた。)


 夢らしいばらけぶり。天才少女はどうしたのだ、とつっこみたい(笑)
: 「2時におきるつもりが5時。」 「これから2時間で、倫社とαの予習 テスト勉強 スベテヤロウというのだから・・・・。」  期末試験真っ最中。  予習というか、要は一夜づけ。  未明五時からだから、朝づけか!
: 「孔子、人を悪とみている若い頃は保守的。老いてのみ革新的。はじめは礼を重く考え、次に、仁を重く考えた。」  朝づけ、倫社の内容に、孔子があるのでしょう。
: 「何か、人を悪とみる方、礼を重んじる方が革新的に思え、仁とか善とかは保守的に思える。 なぜ?」  このように思慮を深めるのは学問として正道。  試験対策としては、貴重な時間をつぶしていることになってしまうのかも。  論語、儒教とはこういうもの、とこれまで習得してきたのが、後者寄りだったから、と答えておきたい。とりあえず。
: 「西洋的、中国的な考え方でなく、まったく、日本的な考え方をしたからこそ、純粋に天皇をうけとめられて、その人特有の性質によって、天皇に反発するという話。 つまり、純粋にうけとめたとき、反発するか、反発しないかはわからないのである。(かならず反発するとはいっていない)  つまり、ほんとに日本的な考え方をすれば必ず天皇にしたがうとはかぎらない。ほんとに日本的な考え方ならばこそ、どちらにもなれる、はずである。 ほんとに日本的なものの具体的内容をこの考えの筋にいれないで。」  にわかにはわかりません、なにがいいたいのか。  どうやら、物語づくりのことになっている。主人公が、ほんとに日本的な考え方をしたとき、天皇に従うかどうか、この辺りを主軸にしたいような。  最後の行が曲者だよね。ほんとに日本的な考え方の具体的内容が知りたい、知れば賛否を判断できそうと読み進めているのに、はしごを外される。  大事なところは伏せて、読者に想像させよう、一歩進めて想定、創造までもしてもらおう、という物語の手法ってことなのかい?  手抜きでずるい? うまい?  しかし、これはもう、思慮を深めるというより、はっきり寄り道を始めているな。  試験勉強と寄り道がごっちゃになっているような様相?  登校時間になってしまうんじゃないの!?
: 「テストのとき、ちりがみとメガネ、せんひき、定規を机の上におくべし。   ちりがみもかみなので、テスト中にみてはいけない??」  せんひきはまっすぐな形状で、定規は三角定規などか?
: 「退け しりぞけ  退け のけ  ??」  「坂■先生の夢をみたので、今日の現国、いい点とれるかしら?」  担任の坂■先生は国語科の教師。
: 「このごろは青い母上の手さげかばんで登校。」  「中国の語には「シン」というヤツ多い。」  人名ではなく、言葉に、ということ?  音がシンの漢字、まあ、大量にあるけど、大量にあるのはシンだけでもないはずだが・・  たぶん、テスト開始直前、わかりやすく補う書きつけをする余裕なし、でしょう。
: 「現国」  の問題用紙にある仮メモをここに清書しよう、と。2項目分の空白。  こういう場合、ふつう、仮メモは授業ノートにしており、授業ノートが残っていないので内容は不明なのだが、このときのテストの問題用紙がこの心記に挟まっていたので(画像でもノート紙面をはみだす大きさの藁半紙が見えると思う)、珍しくも仮メモの内容がわかる。(つまり、仮メモをこの紙面に清書するべく挟んでおいた、が、清書できずに半世紀、ということでしょう)  以下がそれら。
「(1) 3/7に思う ■◆ たがいちがいという感じ  互 あってる。」  ■は互の1、2画目。◆は互の3、4画目。(現国なので問題文が縦書き、この仮メモも縦書き)  互の漢字は、いかにも、たがいちがいという感じだ、と言ってる。(^^;
「(2) 無辜 辛 }どちらが正しい?」  辜(12画)は正字は、古+辛なのだが、このメモの辜は下部の立の縦棒(8、9画目)が点二つになっている。このメモの辛の3、4画目は縦棒二本。  点二つなのか、縦棒二本なのか、どちらが正しい、と言いたいようだ。  無辜は、問題文では読みを問うている。(問題文は手書きのガリバン刷りで、問題文の辜の8、9画目ははっきり縦棒)
(・・あら。本題とは無関係だが、この現国の問題文にある「オ・歎異鈔」は抄の誤記ではないのか? ⇒ 調べたら「歎異鈔」でもよいらしい。さすがに抜かりはないか・・)
: 「α」  数学αのテスト時の計算用紙にある仮メモをここに清書しよう、と。1項目分の空白。  同じく内容がわかる。
「(1) 坂■はなってからくばる」  これは、坂■先生は鐘が鳴ってからテスト用紙を配る(配った)、というメモか。数学の試験でも、同時に複数クラスが受けるわけなので、必ずしも担当教科の先生が試験監督となるとはかぎらない。
: 「倫」  倫社の問題用紙にある仮メモをここに清書しよう、と。2項目分の空白。  内容は以下。
「(1) アキラ アキラ×」  「(2) 苦を助けるために ? 救う」  これらはわからないね、なんのことか。  そばにある問題文は、
「3 次の(A)(B)(C)の何れかの設問をえらんで、あなたの考えを述べなさい。  (A) 仏教思想はあなたの人生観にどのような影響を与えていますか。  (B) 日本の伝統的な道徳思想は、現代社会にどのように生かされると思いますか。  (C) 20世紀のヒューマニズムを代表する思想家を一人あげ、その思想と行動から、あなたはどのような感銘をうけたか、述べなさい。」
 となっているので、(2)はその関係っぽいけど。  (1)のアキラは、クラスメートのアキラ君のことだとしても、二つ目に×がついているのは何? それとも、×ではなく、アキラメ??
 まあ、何にしろ、この日、3/8(金)のテストは終了したもよう。  三教科ぐらいなら、午前中だけか。
: 「今日のテスト、イ■■チャン、アタマいたく、調子わるかった様 数学αのときは除中で保健室へ寝にいく。(アレで帰ってきて、テストうけて、不正にはなならないのかしらなんて、みにくく考えている。)」  途中で。  友を疑って醜かったかも、というのは付け足しで、ルール的に抜け穴となるのではないかと気づいた、というのがメインの項なんでしょう。
: 「カエリはイ■■チャンとタツオとトッチャンとボクとで、本千葉までいき、県庁前でとちゃんのり、大和橋でタツオ 自転車 とわかれる。」  今日、とっちゃんがいっしょにかえろうといってくる。」  本千葉駅でイ■■チャンは電車。県庁前でトッチャンがバスに乗る。大和橋で自転車のタツオとさよなら。  相手とか人数とかはまちまちだが、大体こんなような下校風景。道々、さまざまな事を話しつつなんだけど、この日はやはり、試験の話題が過半だったのでは。
: 「このノートにあさんでいたサックのついたチビタエンピツどっかにいっちゃった。」 《サックのついたチビタエンピツの絵》   はさんでいた。  心記には、本文を書く青ボールペン、上辺メモ・仮メモ・中央分割線などを書くためのチビタエンピツ、中央分割線を引くためのまっすぐな定規、これらをはさんで持ち運ぶのが常態。  (なんだけれど、このページは、中央分割線をフリーハンドで書いてるね)  → 三日後、3/11(月)に「サックのついたエンピツてさげの内にあった。」という記事。失せもの出る。
: 「今日の現国のはじめタ■■さんから、質問。きっぱりとまともには答えられぬ。てきとうだよ、とか、つけたす。これで女の人になれなれしくなってか、前のフナ■■さんとタ■■さんの会話にもすこしわりこんでしまった。反省。」  「Tさんがここはどこのことをさしてるの、といい、ぼくが、ここじゃないかな。Tさんが、こっちじゃないかしら。それから、Hさんが、こっちだと思ったわ、と三人ともちがう。Tさんの所のを教えてもらってから、Hさんに「どこ?」ときく。これがナレナレシイ。反省。」  現国のテストの直前、ぎりぎりまで教科書など見直したり、確認したりをしているときのことだろう。近場の席で声をかけあってる。  帰宅後、そういえば、あれはちょいまずかったか、と反省しているようだ。  タ■■嬢(Tさん)とは、将棋さしたり、話したりで、ほれたはれたもそれとなく絡んで、いろいろと長いので、もうある程度なれなれしいのは許す、という感じのようだ。  が、フナ■■さん(Hさん)とは、直接話した事がほぼなかったはず。テスト直前という切迫した流れで、いきなりなれなれしくしてしまって、驚かせてしまったか、話すにしろもう少し控え目にすべきだったのでは、などが浮かんだんでしょう。  ・・まあ、この程度、フレンドリーでいいじゃんねえ、内気でつつましそうな女子相手でも。  学友なんだから。  問題なし。許す。

※ 『1974/03/15 せんろからはずれたりして』 : 「18日、月よう日12時 この頃、学校きてみな。」 「3/23終 〜4/5」  「アネキから、ダザイオサムの本、とりあげる!!」 「12時文化」 「ロッカー内は今日明日中にカラッポ。」 「終業式は3Dの所。」 「3/16、朝、将棋同好会ミーティングのこと、放送。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  難解だね・・  このあたり、年度末の日程を推測すると、あらあら次のようになるのでは。

 3/5(月)3/6(火)が、この高校の入学試験日。4月からの新入生を選抜する。  3/8(金)3/9(土)3/11(月)3/12(火)あたりまでがwaka君らの期末試験。  3/13(水)が卒業式。3年の先輩たちを送り出す。  3/15(金)にこのページの本文領域を書いている。この上辺メモも同じ日だろう。以降は予定、目論見。  3/16(土)、放課後、将棋同好会のミーティングをする、という放送を朝してもらおう、ということだと思う。  それをwaka君が段取りするということはまだ会長なのかな。  将棋同好会の例会はたしかに土曜日なんだが、ミーティングという言い方をしているので、会長職の引き継ぎするのかも。 (それが終われば、いつも通り、将棋をさすか)  3/18(月)はおそらく、及落が(三年生に進級できるかどうかが)判明する日。(学校きてみな、ということは、本来登校はしなくていい日なのか?)  3/23(土)が終業式で、4/5(金)まで、二週間ほどが春休み。

 しかし、こうしてみると、各学年の生徒たちは、入学進級卒業など本人にとって重大事でも目の前のことにそれぞれ自分の立場で対処すればいいだけだが、学校側としてはあまりにめまぐるしい時期なんだね。  もちろん、学校側も教師や事務員などたくさんいてチームで対処するわけだが、それでも、こんな立て続けに。  これまで思い及ばなかったよ。あの大人たちの側からの見え方に。

 太宰治の文庫本、しばらく姉きに貸しっぱなしだったけど、(むりやりにでも?)返してもらおう。そういう事情っぽい。  12時文化、というのは、ほぼ勘だが、12時に文化会館に、ということではなかろうか。  (学校のそばに千葉県文化会館という施設があった記憶あり)  そこで誰とどういう用事なのかは、または何かの行事があるのかなどは、これだけでは全く不明だが。


 今日の夢オモロ。
 いつかきたアスファルトの道をのぼっていくと、ジャリ道にカーブしていて、下には、いつかのったトロッコやトンネル。 1人の男と、2人の女のつれとともに、そこにいって、「むこうの町にいくには、これにのっていきゃいけるんですよね。」と坑夫みたい人にいったら、そうだ、といい、4人でのっていく。
 《トロッコ列車の座席順? などの絵》  ときどき、せんろからはずれたりして、ついには動かなくなる。 ついた所は、この前の夢でみた町ではなく、■中の音楽教室。ただころがりおちるトロッコだったのに、どうして、ビルの4階にまでこられたか不思議。
 その他に何か、女の人のでてくる日常的な夢もみたけど、忘れる。

└→ 男が前すぎ、女がうしろすぎたので、長いトロッコのバランスがおかしくなり脱線しやすくなったように感じる。


 いつかきた、いつかのった、などは夢の中の実感であって、現実のことではないかもしれないと認識していると思うけど、 この前の夢でみた町ではなく、は醒めた後も(この前の夢でその町をみたのは)事実と感じているフシがある。  既視感、デジャブのようなもので、錯覚の一種で、三つとも同類なのかも。  (夢の中はいろいろゆるくて、錯覚ものびのび発揮されるのでは)
:  「よみかけの作品は1つだが、その作品は3冊にわかれていて、自分は一冊目をよんでいる、このとき、  「よみかけの本は3冊」 「よみかけの本は1冊」 )のどちらをいうべき。」  つまらない話題だね。  どちらも不正確だけど、より誤解が小さいという理由で、二択なら後者だろう。

 つきあっている女は一人だが、彼女には外皮と内実と核芯があって、男はまだ外皮しか知らない。  例えば結婚という事態にまで及べば、内実になじむことにはなるだろう。  しかし、それで添いとげたとしても、核芯までみきわめる男は少ないのではないか。  ・・・というような話ならおもしろいんだけどね。
: 「そういえば、フ■君のフ■は、小学校のフ■先生のフ■だった。」  クラスメートのフ■君の姓と同じだったことに、今さらのように気づいたよ、と。  小学校の女先生が、布■先生。2〜4年生ぐらい、担任してくれたんだっけ。  waka君が卒業後も(waka君は知らなかったが)布■先生とwaka君の母親の交流は長く続いたらしい。  それで、ずっと後年になるが、布■先生が、父の年祭近辺に訪問してくれたとかで、その辺のいきさつについて息子の所に母から手紙が来て、息子から布■先生にお礼の葉書を出した、ということがあった。  → 今、発信簿確認したら、271215、つまり、平成27年(2015年)か、その葉書を投函したのは。もう九年も前だった。  父死去は、2015年の年初だから、一年祭近辺にきてくれたのだったか。
: 「「戦争は死臭」とかこうとして「先生は死臭」とかく。」  ひどいね。  笑、と書こうとしたけど、はばかられそうな。
: 「臭!?」  これはもしかして、自+大という漢字が意味深だということか?  自意識が肥大して、自己臭が気になる、とかが連想されたか。  実はなんのことはなくて、大は犬の点が省略されただけなんだよね。  (自は鼻の象形。犬が鼻でにおいをかぐ意)
: 「一ぺん  一っぺん  }?」  イチはイッだから、一ぺんが○。
: 「サイコロはどこからはじまったのか?」  Wikipediaによれば、相当に古い。  〔正六面体のサイコロの発祥地は古代インドとも古代エジプトとも言われる。現在と同じように1の裏が6であり、反対面を足すと7になるサイコロの最古のものは、紀元前8世紀頃のアッシリアの遺跡から発掘されたものである。〕
: 「英語みごと赤点のよう。平均37か39だろうち。」  期末試験の答案がかえってきて、一年に五回ある定期試験の平均点を算出してみたんでしょう。  一教科でも赤点(40点未満)があれば落第が、ルールだが、微妙?   waka君は(お願いするとか)特に何もしなかったような気がするが(何をどうしたらいいのかよく知らなかったし、その3/18(月)12時にも顔をださずにやりすごしたのではと思うが)、ふつうに進級できたので、結果的にてごころがあったのかなあ・・

 なお、年度末であわただしいようだけど、少なくとも3/16(土)までは、期末テストの返却とか答え合わせ的な授業はやってるってことのようだ。
: 「ゆうびんきょくから、ここらまでキドウ隊がポツポツいて、うちの前にバス2台のキドウ隊。何かあんのかな。  ジュラルミンたてなんかはないみたい。」  ものものしいね。  訓練中なのか、実際なにか不穏があったのか。
: 「西洋より東洋の方が責極的なのではなかろうか。東洋は直接に平和を求めるのに西洋は間接。我々は西洋文明につよく影響しているため、西洋の方をあたりまえ=責極ととり、東洋のあたりまえでなく、非科学的な方法を消極ととっているのではなかろうか。」  積極的が正しい用字。  どうもピンとこない論だな、今はもう。  東洋は直感的に平和を求め、西洋は理屈を連ねて得ようとするから間接的、ということかなあ。  我々は西洋文明にだいぶ染まっているので、西洋が正攻法、オモテ、積極であり、東洋は搦め手、ウラ、消極であり、と認識しやすい、と。  当否いずれにしろ、内実まで吟味してはおらず、外皮の様相を言っているだけか。
: 「英語赤点ゆえ、おとされたら、どうしようか。」  やっとすこし心配してるか。にしても、小出しで、深刻さが足りないような?  waka君は本来心配症だから、たいして気にしてなかったということはまずないだろう。重すぎる懸念ゆえに、見て見ぬふりをして、豆腐の表面がふるふる震えているような安心を得ていた、という心理状態なのかも。  (あるいは。努力は足りなかったかもしれないが、waka君なりに英語の勉強も真面目にやった、結果平均点が40に届かなかった、終わってしまったことだから今さらどうしようもない、じたばたしてもしょうがない、まな板の上の鯉なんだから、どうとでもしてくれ。そういう居直りがうしろに黙して控えているような、見て見ぬふりだろうか)
: 「紀元前5000年とは、前5世紀でなく、50世紀。」  異常値だよね、日常的な感覚からしたら。  人類の黎明期か。世界でぽつぽつと文明が芽ばえ始めたころのようだ。日本は縄文時代前期とか。

 紀元5000年というと、あと3000年。  どうなっているやら、だけど、人類が生き残っていてくれれば幸いです。  気が遠くなるぐらい遠そうだけど、世代で言えば、百世代ってところ。  意外に、手が届きそうな気もする。  (百世代前の人の声は、破片程度しか残っていないだろうけど、現在はすでにデジタルの世。こうして書き連ねているこまごました声がそのまま百世代後に伝わる、伝わってしまう可能性はちいさくないはず。大半の内容がくだならいものばかりだとしても、これって、なんか、すごいことだよ)
: 「ヤマタイコクはもしかしたら、四国にあったのではないか?」  爆。  トンデモ説、・・かと思いきや、Wikipediaに邪馬台国四国説が載ってた!  1970年代後半より注目され始めた新しい説で、本まで何冊も出版されているらしい。  本文は、1974年だから、waka君が唱え始めたというより、どこかからの受け売りの可能性濃し。
: 「世界中、どこででも同じ日であるときはある? 一瞬でもありえる? 考えろ!!」  日付変更線上が、午前零時であるときが、その一瞬かなあ。  午前零時ということは、その線上はもう翌日なわけか。  日付変更線上が午前零時になる一瞬前、これが、正解。  机上の理論的には。  しかし、現実の日付変更線は、入り組んでいて、まっすぐじゃないんだよね。地域の都合で。  (つまり、同じ経度なのに、別の日が存在する)   よって、世界中、どこででも同じ日であるときはない。これが本当の正解かな。
: 「償金 賞金」  償金の意は、つぐない金。
: 「死斗とは?」  死闘の略字だろう。(辞書にはのっていないが)  斗争とか、当時街中で目にするゲバ字などによく使われていたと思う。
: 「冬日さす暗き講堂のそのすみで 今日もほうきをもつあの人は」  素朴な恋慕の歌。  これを祖型として、以下、推敲していく。
: 「ほそぼうき もちてたたずむ女生徒の 冬日さしている うしろすがたよ  → もちてうごかす もちて絵をかく もちてまどろむ もちてうつむく ・・・・  → 春のはじまり 今日の放課後  〜→  ほそぼうきもちてうつむく女生徒に 冬日さしいる 今日昼下がり」  真冬のようなからっとした陽ざしなのかもしれないが、3月中旬に冬日はないよね。  今ざっと推敲するなら、  ほそぼうきもちてうつむく女生徒に 春日さしいる 今日の放課後  ではいかがか?  ほそぼうきもちてうつむく女生徒に 春日さしいる 放課後の今日  このほうがよりいいか。暗から明へ。情景が額縁の中にあるような。調べも安定する。  これは私にしては名歌だ。半世紀越しで完成!?  それでもしかし、あざとい技巧もすけてみえて、上の祖型のほうが誠実さでまさるともいえそう。
: 「今日、ぼくがフク■■に赤点だとかなんとか、いったとき、タ■■さんが何か不安そうな、あわてたような態度になりはしなかったかしら? ぼくの錯覚?」  これは、多■■嬢一歳年上説(display『1974/02/28 AからBまでの楽しい期間』参照)とあわせて考えると、何かありそうな匂いはするな。才媛多■■嬢だから、成績のためではなく何かの事情で、進級できなかったことがあったのかもしれない。(とはいえ、この一歳年上説、うわさ程度、またはwaka君の妄想の域で、根拠も証拠もない。仮にそうでもwaka君らがなにか困るわけでもないのだよね。興味本位、失礼以外の何物でもなし)
: 「ヤル。」 「春まだき君にそいねのふくよかさ」 「想像っち。」  射精をしたり、妄想をしたり。  若いとは言え、動物ですなあ・・ 
: 「まだき :?」  まだそれにじゅうぶん達しない時期、の意。  俳句としては色っぽいか。俳句は色恋をあまりよまないのだけど(なぜか)。
: 「女生徒の髪にさしいる冬日かな」  冬日がいいんだね、こだわるね。
: 「 夕焼け日ふりむく君のくらいまなざし  夕焼け日空をこがしてふりそそぐ ふりむく君のくらい 黒い まなざし」  夕焼け日、が、もうひとつ、なじみがない。  入日、夕日、落日、などならふつうだが、ちがうってことなんだろうな。  赤く焼ける入り日が描きたいわけだ。  短歌では長い。五七七のほうが締まっていてよし。ここは。
: 「お母さんに¥50 2310円なのに、2260円だったよ。50円玉、まじってた。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  通常の小遣いとは別扱いで、学用品や書籍の代金はもらえた。で、もろもろ合算して請求して、現金をいただいたのだが、50円足りないな、と。  この上辺スペースにメモするってことは、やることリストってことなので、翌日ぐらいまでには回収したのかも。
: 「夕焼け日空をこがしてふりそそぐ ふりむく君の黒いまなざし」  やっぱり長いか。  詩的誇張がやりすぎてる。  逆に何も言わないで、調べだけの十二音があるならそっちのほうがまだよいような。
: 「すきとおる下着のもようそのために わたしはたのみをひきうけている  ひきうけにけり  ふとひきうける    すきとおる下着のもようそのために わたしはたのみをふとうけいれる」  これは滑稽歌か。リアル濃厚ではあるけどね。  直しているが、元の、ひきうけている、を推したい。内側からみるような味がいい。
: 「しずやかに  けいこくの水しずやかに ――  しずやかな風にうつろう君の声 ―― 」  あの声を、涼しげに、一首、と目論んだが、形にならなかったようだ。
: 「今日は4時頃から、短歌をつくったりしたが、そのあいまあいまはゆめかもうそうかわからぬよう。   どこか、■■高の坂をのぼったそば。え■■先輩の家は坂の下(ということになってる)そして坂の上の方で彼女に合うつもり。ぼくなにしたか、よく覚えていない。   とにかく、いろんなもうそうがとおりすぎた。」  午前四時だろうか、あいまあいまはゆめかもうそう、ということなら。  3/16(土)は、放課後、将棋同好会のミーティングのはずだから、それが済んで、帰宅して午後4時から、という可能性も捨て切れないけど。  waka君の高校が坂を登りきったところにあったのは事実だが、文学クラブのえ■■先輩の家がそこら辺にあるとか、だれか女子に先輩が会う(またはだれか女子にwaka君が会う)とかは現実にあらず。
: 「中学校の生活班のときのようなはつらつな活動がまた来ないかしら。しぜんとあの人に近づいたような日々がまた。」  あの人は、中学後期のwaka君の想い人で、他クラスの女子。この後でてくる、■■■keさん、■■ケさんのこと。  伸びやかな肢体で、家が服飾店だったかで、ほどよくオシャレ。高校は別。
: 「ほそぼうき ―― の歌、学校くるとき、ずっとくちずさみ、これだ、これだ、これこそ思い出の結晶だ、こういうあの人 ■■■keさんち。 に恋していたのだ、などという。」  なるほど。  (1) ほそぼうきの歌、これをくちずさみ、朝登校した、ということならば、上の4時はそれ以前の、午前4時となる。  (2) 春日ではなく、季節外れの冬日にこだわったのは、今だけの歌ではなく、昔からの想いもこもっていたから、ということか。その想い出には冬日が似つかわしい、いや、でなければいけない、と。  → タ■■嬢(高校、近年の想い人)の歌かと思った。タ■■嬢といっしょに掃除している記述、これまでちらほらあったし。
: 「陣  陳  □:れん:この漢は?」  練、だな。
: 「歴史や史学をまなぶとき、その原典、もとの文をよむべきで、それを解説したのをよむべきでない。そうしないと、その解説者が、ある事実をかくしある事実を強調していることある。」  読むべきでないは言いすぎかもしれないが、鵜呑みにしてはいけないは正論。  ただし、原典といっても、それがもう活字になっているなら、誰か仲介者の恣意に少なからず染まっているはず。  本当につきつめていくのは、意外と大変だろうなあ。(高校生のwaka君はそこまで考えてはいないと思うけど)
: 「「すす」を「すみ」「黒くなる」とかいう。」  すす(煤)という語が、でてこなかったんだろうね。  ままあること。
: 「ほうかごのあなたのいない教室は・・・や、  ほそぼうきもちてうつむく女生徒の・・・などの歌を教室でしんぺいやふく■■に聞かせたが、何か、タ■■さんかカ■■さんをさしているように彼女たちにききとられなかったか。だって、彼女たちと同じ教室そうじだもんね。  「これは過去の思い出の結晶」だよとぼくがいっても、しんぺいは、「いや現在のじゃないか。同じ教室そうじをしている、たとえば ・・・ 」などという。」  放課後の あなたのいない教室は かわいた冬日 ひぐれの通り (display『1974/02/19 神が書いてある』参照)  → 半世紀後とはいえ本人であった私がそうとったぐらいだから、しんぺいがそう言うのも無理はない。  人は面白いほうに解釈したがるのだ。  (それに、他人のほうが、当人の本音が見えているってことも、少なからずあるのだ)
: 「室を室」  2字目の下部が、工。空に近い。
: 「ほうかごの ―― の歌は、ほとんどタ■■さんのためにつくり、ほそぼうき ―― の歌は、まず■■ケさん、そして、現在、ぼくのそばでそうじするタ■■さん、それに、カ■■さんのような一般的美人やせ型女生徒の像をくわえたような女性をえがく。」  ほうほう。多少折れて、自作解説。(ここには書いたけど、そとづらでは折れていないのかも)  やっぱりタ■■嬢もまじってるよね。  なお、やせ形女生徒はカ■■嬢で、タ■■嬢はぽっちゃり系。  ■■ケ嬢は、スレンダーというか、細身なんだけど均整と強さがある。
: 「タツオは、 死ぬを知ぬとかく?」  人の誤記のクセ。waka君には、興味深いのだ。  親切に指摘してあげるときもあるだろうけど、それはおまけみたいものなので、黙って傍観もあり。
: 「けそうずる、とは?」  懸想ず。の連体形か。
: 「タカ■■すみ■さんも、中学の■■ガワさんも、拾うを、捨うとかくよう。   彼女はもうなおった?  一度クラスの標語か何かをかくとき、まちがえたのだ。」  へー、よくおぼえていたね。現在のクラスメートの美形すみ■嬢のまちがいを見て、中学の頃の美少女■■ガワ嬢の同じまちがいを思いだした、という流れのようだ。  ■■ガワ嬢は、中学前期のwaka君の想い人、というか、ほぼ初恋で、どう接していいかわからず、憎しみを感じているような気分までしていたかも。クラス一番の人気の、愛らしい女子。瞳がきれいだった。高校は別。
: 「おてせいをおこせい とよむ」  てとこ、似ていなくもないか。  勘のいい人はすぐ真相にたどりつくだろうけど、そうでない人は、お子製、とか、お個性、あたりで途方にくれるんだろうか(笑) 
: 「タカ■■スミ■さんのホームルーム日誌おもろかった。」  「チアキさんのマンガも。」  ホームルーム日誌にのっていたそのマンガの署名がチアキだったんだろうけど、今は、姓が不明ではだれだかわからず。女子だとは思うけど。
: 「すきとおる下着のもようそのために ・・・ は、2Eの■田さんがヒロイン。」  なるほど。■田嬢のビジュアルはまったく忘れているが、色香で便利使いされたようだな、waka君。(委員会のときも口開けに指されたりしてるし)  タ■■嬢一筋ではなく、あっちこっち、気が多いね。  → display『1973/07/05 名札』に、 「ぼくは女の人にたのまれると、なぜか、ことわれないようです。今も分化委員会のイインチョウから、明日の分化委員会で文化祭実行委員に立候補してくれませんか、といわれて、ことわりきれない。ことわるのがへたなのだ。」 という記事あり。  このときのことだ! 分化委員会のイインチョウ(文化委員会の委員長)が2Eの■田さん。
: 「シンペイ、文芸誌、金足りなかったらガリバンずりやろうかといい、それからすこしして、やっぱりやめようね、という。ぼくがほんきにとったと思いすごした様。」  シンペイもいつのまにか文学クラブ員。  半年後の秋の文化祭、学校そばの毎年やってくれる印刷会社がこの年も安価に引きうけてくれて、ガリバン刷りはせずに済んだ。
: 「カメ■■先生、3年生で私にならう人はかわいそうです、といったよ。」  何がかわいそうなんだろう。文芸方面で、むずかしいことに深入りするってことかな。(何か思い入れ深い作品が教材になるので、とか?) あるいは、受験対策にならない、先生好みの授業を貫くから、とか。  カメ■■先生じゃないけど、たしか二年か三年時の古文の先生(田■先生、坂■先生でもない。名前忘れた)が、源氏物語の夕顔の段だけを一年間やっていいかと生徒に訊いて(いやとはいえないでしょう)ほんとうにそうした。先生なりの新説を解説したかったみたいだ。  あの高校のとくに国語科の先生たち、変人ぽいのが多かった。
: 「おすもうさんのふんどし まわし につける黒いひげのようなやつは、陰毛を示す?」  wikiによれば、これは、「下がり」。  化粧まわしのような前垂れの、下部の総(ふさ)のなごりだそうな。  (昔は化粧まわしのような前垂れを締めたまま取り組んだらしい)
: 「なずまぬ なじまぬ }?  しらべ!!」  なずむとなじむは、本来別語のようだ。  暮れなずむは、なかなか暮れない、の意。暮色に染まる(なじむ)の意ではない。  ただし、音が近いこともあって、幕末頃、なずむに、なれしたしむ、なじむ、の意も生じたそうだ。(ややこしい)
: 「昼前に山んちによばれ、山とカッペとマエッチョとぼくとで、「いかれタイガー」を見にいく。 はじめ、予告かと思ってたら、「〜うでだめし」という映画|はじまり|はじまっており、次にタイガー。」  中学以来の悪友たちと。高校は別々。(山とカッペは同じだったか)  狂った虎の意ではなく「怒れタイガー」。カンフー映画。カッペがとくにファンだった。
: 「アメリカの映画かと思ってたが、ちがうようでもある。  スーピン イ? がとってもきれいだった。」  「まえっちょが、■■さんは、女しか見ていない、といったよ。」  waka君、言われちゃったね。おそらく、カンフーの激闘に酔うべき映画なんだね(^^;
: 「トランプ 山250 カ150」  頁上辺のエンピツ書きメモ。トランプ遊びの勝ちか負けの金額のメモでしょう。250円、150円。  waka君の負けなら(貸しを残したくないので)たぶん即金で払っているから(メモする必要はなく)、これは勝っているな。  悪友たちは今度払うよとか言って、なあなあにしたがるのだ。
: 「火■君に (1)教室借りるとき、先生にことわる。 (2)4月に連盟の会議 (3)4月に先生の所に名簿」  将棋同好会次期会長への引き継ぎ事項の覚書だと思う。
: 「■■ ■■ 干」  青年? 平年? 読めず。
: 「映画トランプ五目ラーメン(そば?)本屋といろいろあそんだ。べつにあそんでいいはずなのに帰り道でふと罪悪の感じがスースーとよこぎる。テストのくせがのこっているからか?」  期末テストも済んでおり、高校二年生の三学期終業式も間近な、3月17日の日曜日。実質的にはほとんど春休み?  しかし、翌日18日月曜は進級か落第かがはっきりする日だったかも。違うかもしれないが、そういうもやっとした懸念が消えていない週末だったはずなのだ。  (いや、どう言いくるめたのか、自分をだまして忘れているようだけど、もっと深刻になっていてもおかしくないのだよ。ルール上は、数字としては、確かに、赤点、落第なんだから。  それが、ふと罪悪の感じがスースーとよこぎる程度で、済んでしまうのか。  心配症で、小心者のはずなんだが、本当の危機を前にするとこうなってしまうのか。  意外と大物? それとも、チキンなりに居直ってしまえば、もうさばさばしたもの?)
: 「浅田みよこは文句なしにかわいいが、どうもなじめない。   彼女には現実性が少ないのか? すべてつくりごと、という感じがするのか?」  要するに、説明できないほどの魅力を感じてあらがえない。それがしゃくにさわるから、文句を付けておきたいが、いくら指摘してももうどうなるものでもない。  浅田美代子。Wikipediaによれば、waka君の一学年上。
: 《将棋譜面、部分図二つ》  どの駒も身動きとれないような図。  思いつきの遊び図面のはずなのに、なんとなく心の状態を表わしてしまったんだろうか。  両図とも、4二歩を成れば、ちょっとずつほぐれてもいくようだ。
「ほんと、はっきり、としたうつ状態」


当頁 2024/03/11(月) 〜