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1974/03

 














1974/03/02 女をお買いになる方は2階で
 


















1974/03/04 こんなかんじのロン?
 

















※現国の問題用紙にある、仮メモ部分(1)


※現国の問題用紙にある、仮メモ部分(2)


※数学αのテスト時の計算用紙にある、仮メモ部分(1)


※倫社の問題用紙にある、仮メモ部分(1)(2)

1974/03/08 サックのついたチビタエンピツ
 


















1974/03/15 せんろからはずれたりして
 
















1974/03/18 あしたは朝'早'く'、自転車にのって、
 






















1974/03/26 昔、ドライな大仏が本を読んでいた。
 














1974/03/27 重力をよりうけるからというわけで
 













画像 アップ
『1974/03/02 女をお買いになる方は2階で』 2024/03/11(月) 〜
『1974/03/04 こんなかんじのロン?』 2024/03/18(月) 〜
2024/03/25(月) 〜
2024/04/01(月) 〜
『1974/03/08 サックのついたチビタエンピツ』 A〜F 2024/04/08(月) 〜
『1974/03/15 せんろからはずれたりして』 2024/04/15(月) 〜
2024/04/22(月) 〜
2024/04/29(月) 〜
『1974/03/18 あしたは朝'早'く'、自転車にのって、』 2024/05/06(月) 〜
2024/05/13(月) 〜
『1974/03/26 昔、ドライな大仏が本を読んでいた。』 A、B 2024/05/20(月) 〜
2024/05/27(月) 〜
2024/06/03(月) 〜
2024/06/10(月) 〜
『1974/03/27 重力をよりうけるからというわけで』 2024/06/17(月) 〜

※ 『1974/03/02 女をお買いになる方は2階で』 : 「ぼくはクラスで一番か2番目くらいにひわいなことを考え想像している男じゃないかしらね。」  程度で言えば、せいぜい中堅というところでしょう!
: 「この前の将棋同好会で太■君が、「また、受験が近づいていやだなあ。」 ぼく、心中で、君たちはこれから2年になって、つまりまだ2年間もあっていいなあ。」  順送りだからね、どっちもどっちだ。
: 「将棋同好会の人選?。」  あるいは、人事か。用語としては。
: 「会長 火■  副会長 太■君と佐■君   責任者は二人つくらなきゃならぬ。(先生より) しかし、太■君と佐■君のどちらかにきめるのは苦労。 そこで、一人ではいけないだろうが、3人なら、いけないということはない。少ないよりはいいでしょ。しかしどうしてこれに気づかなかったのかしら? かーんたんなのに。今さっき、やっと考えだす、気づく。」  同じ1年生でも古株の火■君の会長ははじめから確定だったんだけど、副会長を仲良し二人のどちらにするかで迷ってたんだよね、現会長のwaka君は。なやましいので第三の答えをみつけたわけだ(笑) なやましくてもどちらかを選ぶべきなんだろうな、社会人なら。ふつうポストは一つしかないわけで。  しかし、高校生の同好会の役職なんて、無給のボランティアなんだから、指導者というよりはお世話係なんだから、副会長二人制、指されてみれば妙手かもよ。
: 「キマツのおわった日にあつめよう。」  期末試験最終科目終了後に、校内放送で招集して、人事を発表する、と。  新年度直前の3月、そういう季節ですな。
: 「しかし、ぼく自身落第するかも。」  人事は、ナイスアイデアかもしれないのに、このラストのオチは、笑えるというか情けないというか・・  (英語がほぼ赤点状態なので、先生たちがきびしく査定するなら、進級できなくても文句言えないのだ。 結果的に、幸いにも、あるいはなぜだかよくわからないけど、3年生になれたんだけど・・)


 今日みた夢のうちよく覚えているやつ。
 ごみごみした家々がぐちゃっとかたまっていて、その中から、マンションが一つはえている。「あそこにはいるには、どこか、裏のきっさ店か何かからはいるんだ。」と今■氏が説明する。つまりは女を買いにである。ぼくと今■氏歩いていく。 「たとえばポコなんていうきっさてん。」という。すぐ一つみつけるが、ちがうだろうときめる。二つめにほんとにポコというのをみつけるが、とおりがかりのオートバイのアンチャンがちがうちがう、というような顔で通りすぎたのでやめる。三つめのにはいる。  女をお買いになる方は2階で、てつづきをとってください、というような意味がちがう言葉でかかれている。 ぼくたちは二階にいくが、天井が低く、人のいられる所がせまい。 《状況図》 今■氏がAにすわり、ぼくはかいだんをのぼりきった所から、大きなカバン(この前からつかってるやつ)をもっていて、みうごきできない。 そのうち、どこのきっさてんにでもいるような感じのいい女の人がきて、何にいたしますかという。ぼくはもとより、女を買う気ない。 今■氏、「え、かわないの」というが、彼はどうしても買う気らしい。ぼくはウドンと、何かのみものを注文し、今■氏は、とにかくコーヒーを注文する。


   尻切れ?  これもまた、味がある?   今■氏はクラスメート。  女を買う気ないというのは、すがすがしい性格だから、というのではなく、おじけづいているのかもね。(夢の中だけど)
: 「きのうときょうお姉さんのへやにねてたのおねえさんとばかり思ってたが、おじちゃんだったんだって。」  ス■■オバチャンと生まれたてほやほやの赤ちゃんだけでなく、亭主も泊まりに来てたってことだね。
: 「Yを¥とよくした。今のαの授。」  今の数学αの授業で。  waka君がノートの上で? それとも先生が黒板で?
: 「 ←―――― は ∠_____ でいい。 ・・・ 」  矢印の鏃(やじり)が、上部だけでいい、と。(名づけるなら片羽矢印?)  その書き順の吟味で、二画より、一画で「の書き方の方がカンタン。」だと。  手間を省けるなら、省けるだけだけ省きたい、という意思か。めんどくさがり屋の。  (言っていることは他愛もない些事だけど、吟味途中で、線分の左端を折りまげて片羽矢印にしてるのが、こま送り動画みたいで楽しい)
: 「■■ミネ先生はハクボクばかりすって、おかしくなるのではないかしら?」  数学αの先生。時間超過ばかりする。  たくさん書いて、すぐ黒板がいっぱいになって、頭からどんどん消していく、というスタイルなんだろうか。  チョーク(白墨)に毒素はないんだろうけど、食べ物じゃないんだから、吸いこみすぎはやはりよろしくないでしょう。
: 「イカレテル を オカレテル」  単なる言い間違い聞きまちがい、だろうけど。  ただし、なぜイカレテル、イカレル、が、狂ってるという意味になるのか、辞書など引いてももう一つすっきりしないので、 オカレテル、オカレル、が狂ってるという意味になる余地があったのかもしれない、などという気がしてくる。  (理屈で想像すると、置かれてる、置かれる、だから、置き去りにされる、後回しにされる、を意味しそう。 よって、オカレテル、は、狂っている、よりも、遅れている、劣っている、という意味になる可能性のほうが大きいのかもね。実際には、そういう用法は当時もその後半世紀たってもまだ生まれていないと思うけどさ)
: 「コンパスの先で、オチキスとめたのはずしていると、コンパスの先がおれて、目にとびこみ、穴あける、などと考えるとこわくなる。」  ホチキスとめたのはずしていると、までは現実かな。
: 「鶏 にわとり をとりということない?」  ふつうに言うよね。鶏肉、とか。
: 「男体 なんたい 動物」  言葉遊びのできそこないぐらいか。
: 「a」が形態変化して「α」。  しかしこれは、もともと関連がありそう
: 「§」が形態変化して「S」  これも縁故がありそうだよ。  Wikipediaによれば、「§」は節記号(せつきごう、section sign)というそうだよ。 〔ラテン文字の S を重ねた字形に由来する。ラテン言語の文書においてよく使用される。節の始めに置き、節番号を後ろにつけて §1 のように用いる。通常は section one と読まれる。続けて節の見出しを記述する場合もある。〕
: 「忠信 忠臣」 「説く 徳」 「好子」  waka君は、同音異語が大好き。異語だけど、なんらかのつながりがありそうだと気づくと嬉しくなってしまうたち。  忠信(ちゅうしん。人名ではなく)は古風だけど、無い語ではないらしい。  徳を説く。これは嬉しいだろうね、気づいて。  好子は、孔子のもじり、つながり。
: 「好子 こうし  現代社会にでてきて、彼の説ははやるが、みじめなすたれっぷり、」  と、物語のタネみたいにして妄想してあそんで、でも、このタネだけでまともな物語にするのは無理がありそうなので、本項止まり、ってところでしょう。
: 「但し :ちょっとすぐよめぬ」  今はもっぱら、ただし、とひらがなで書くね、私。  読むとき、文中に、但し、とあれば、文脈的に容易に、ただし、と読めていると思う。  ただし、単独で、但し、の場合は、たんし、とか閃いてしまうかも。当時と似たり寄ったりで。
: 「現α物英世化β古 こんどのキマツ」  期末テストの日程でしょう。  2教科ずつ、4日間か。現代国語、数学α、物理、英語、世界史、化学、数学β、古文。  waka君がまともな点を稼げるのは、現国と古文ぐらい。α、β、物理、あたりは赤点はまぬがれる程度。世界史、化学などはたまにいい点がとれたんだっけ。  英語はダメだね。クラスの底辺に常駐。(ほんとなさけない)
: 「げんアルファぶつえいせいかベイこ  ここをすうえいとかいて完全におぼえられず、コン■■君におしえてもらう。」  コン■■君は、もっさりしてて飄々としてて、話し好きで、悪く言えば細身のおじさん風なんだけど、見かけによらず学業優秀で、学年で五指ぐらい。  詳しいことは忘れたが、良い大学に行ったんじゃないかな・・

※ 『1974/03/04 こんなかんじのロン?』 : 「ゴウテイ  ヤルキムンムン オマツリ それともウンドウ会?  外国人うちへ  セブン  玉つき」  頁上辺のエンピツ書きメモ。これらは、当頁右領域にある今日の夢の仮メモでしょう。
: 「グラフ用紙buy!」  冒頭項にある通り、ゴウチンゲームで使用するので(または費消したので)グラフ用紙を補充しよう、と。
: 「お西とゴウチンゲームをやったっちい。ぎょらいせんゲームを、グラフの上でやるようなやつ。」  轟沈ゲーム。魚雷戦ゲーム。  自分のグラフ用紙上で、自艦隊を配置。  開戦して、交互に、居場所のわからない敵艦船を砲撃する(魚雷で狙う。座標を言うわけだ)。  的中なら轟沈と申告し、隣接着弾なら、ピコーンピコーンなどと発声。
: 「3時間かけて、ともに7つなくしたが、ぼくの最後の、お西にヤラレル。」  三時間とは長期戦。充実してたようだ。  以後お西の記事がないので、お西はこれでおおむね満足して、夕方にもなり、帰ったかな。(3/3日は日曜日)
: 「ヤマグチモモエのうたって、ウマクナイ? うわっつら?」  Wikipediaによれば、山口百恵デビュー後のシングルは、  (1)1973年5月21日 としごろ  (2)1973年9月1日 青い果実  (3)1973年11月21日 禁じられた遊び  (4)1974年3月1日 春風のいたずら  ここまで。  初期のヒット作、  (5)1974年6月1日 ひと夏の経験  はまもなくだが、まだ。
: 《将棋譜面。2一玉の図》 「▲2三飛成△3一玉▲3三竜△3二金▲4三桂 ・・・ 」  もっと早く、持ち駒の銀桂も要らずに詰んでるよね。
: 《将棋譜面。7六玉の図》  「▲8八桂△同銀不成▲同角△7九竜▲6七銀打△8六玉▲8七香△7五玉▲9五竜△七四玉▲8四竜まで、 これでいいのかね?」  紛れもみつからず、よさそうだ。しかし、詰め将棋としては、あまり意外な手はない。配置が作為的なわりには、凡作か。  いや、4手目、△7九龍の代わりに△7七歩と受けるのはどうか?  銀合いや金合いもあるな。それでも詰みそうだが、精査が必要そう。  7八銀合いという鬼手もあるか!  → 今、ボナンザ使って調べてみたが、ボナンザは△7七歩受けを推奨。それでも詰む。他の、様々な合い駒も、どれでも詰むもよう。(ほんとかな??)
: 「鼻つまって、頭くもってる。」 「セキはコンコン。」  はっきりした花粉症になったことはないので、これもふつうの風邪の引き始めか。 (自宅庭や周囲に杉の木が繁っていた。つまり生まれたときからずっと。なので、杉花粉を異物とみなさない体質なんだろうか)
: 「キクチカン クメマサオ )すぐコンドウ?」  菊池寛、香川県出身。京都帝大卒。文芸春秋社を設立。  久米正雄。長野県出身。東京帝国大学英文科卒。夏目漱石に師事。  ほぼ同世代、同志的な両人。  ともに、小説家、劇作家ながら、菊池寛のほうが、世話役の色彩がかなり濃い。
: 「めがねかけず、トランプの一人あそびやってたら、おっそろしく目がつかれた。」  メガネをかけるようになって一年経っていないはずだが、メガネなしではもう、まともに焦点を結ばないんだろうな。
: 「やむをえなく  やもうえない こっちでいい?」  文字表記としては、やむをえない、が正しいはず。これを「ヤモーエナイ」と発音するとしても。
: 「気風 きっぷ」  そうか、こういう漢字を書くのか。
: 「二日間ずーっとあそんでしまった。」  試験前なのに、waka君だね。君らしい、愛すべき怠けっぷりだ。  (開き直っているわけではないのだ。試験勉強しなきゃとわかっている。勉強している自分もイメージできている。でも、結果的に遊んでしまっている。時間がすぎている。(笑))


 今日の夢。
 ぼくのうちがすごーい豪邸。空色のカワラだが、これが神社の2階屋? とみてみれば平屋。 やっぱちがうやと、自分のうちをさがしたら、やねにつやのあるくろうるしのかけてある2階がある。 わあ、これかあ、と、こんなによかったのかなあ、ときはずかしいような心持ち。
 運働会かおまつりか、とにかく吉■先生を先頭にみんな走っていく。 みたことのある町中を。なぜかぼくのうちのそばにある千葉大のグラウンドを。 ぼくもやるきむんむんで走るが、みんなよりはなれてしまう。 おくれているのに、みんなが列になって、小さく走るようすが空の上からみえる。 そのうち、ここは、ぼくの家のあった所だ、と思う所にくる。 まるでかわってしまって、きたない空地になっている。 みれば、そばに、空色のカワラのぼくのうちがある。 おや、ここは今のぼくのうちだったかと思う。 (今おもえば、その空地とかには、まるでみおぼえなく、ぼくの家のあった所であるわけない。もしかしたら、ぼくの前世?)
 外国人がうちにくる。男の人が2人か3人。応接間にとおして、だれかうちのおとなが応対している。 神社の方がにぎやかそうで、黒い林の向こうがあかるく、さわがしい。外国人がにがてでぼくは何もいっていない。
 玉つきをしつつセブンブリッジ。つまり、玉つきの玉にTとかUとかいろいろな数字がかいてあり、また印がある。 玉をくばるとき、人に何もってるかわかっちゃうじゃないか、などと、すこししらふの自分が考えているが、夢の中のぼくはもう夢中。 はじめのうちは、ぼくかってる。二回か3回目(人は七人か5人いた。)1周して、ぼくが捨玉をだすと、むかいのどこかのおばあさんが、ロン。 ぼく一瞬、あのおばあさんよくしらないから、まちがったんだと思っているが、みてみれば、今のぼくのすてたのとつながる数字4つに、 それとも7、まじっていた? 6が3つ、つもっている。 ぼく、そのおばあさんにまけたのが、特にくやしい様。一 周...3/22 目でとくやしそう。
《ロンされたときの相手の手玉の状態のイラストと思われる》 }こんなかんじのロン?


 吉■先生。記憶になく、高校の先生なのか、実在した先生なのかも、裏付けとれず。  週を「周...3/22」と訂正している。18日後。← 心記の記事はそのほとんどが書きっぱなしなんだが、たまに読み直しをするようで、こうしてほんとにまれに読み直しの跡も残っている。  しかし、この絵はいい雰囲気。  → 吉■先生。もしかしたら幼稚園のときの女先生か!? 似た名前だった気はするがもうあまりにはっきりしない。
: 「メロドラマ  ?」  辞書によれば、melodramaは、ギリシア語のメロスとドラマの結合した語。  melosは旋律、歌の意。
: 「今年は、1974の49年?」  1974年で、昭和49年。ぴったり50年前。
: 「なんか、まるでカゼひいて、カゼギミの声なのだ。 音程がまるで低かったり、まるで高かったり。」  まるでの三連発。故意ではないようだ。
: 「トコヤ ¥700!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  ¥900にも見える。現在の1/4〜1/3ぐらいか。
: 「根粗朶 :?」  そだ、は、切り取った木の枝の意らしいので、切りとった根の束、というような物か。
: 「慳貪 :?」  けんどん。ものおしみすること、むさぼること。
: 「掠奪 :?」  りょうだつ、または、りゃくだつ(略奪ともかく)。  この辺り、同じ書物から、すぐには飲み込めなかった難しい語を抜き書きしてると思う。  戦前の小説?  書き手が古い人なのはまちがいなさそう。
: 「ヒョッコリヒョウタン島に大きなカボチャがでてこなかったろうか。あれには夢があった。」  たしか、島の主食だったような。  詳細は忘れたけど、カボチャ食糧を軸に経済が回る様子が楽しい、そんなふうな印象がぼんやりのこってる。  waka君が小学生の頃、平日毎夕、熱心に見ていた。
: 「逼る」  せまる。迫るとも書くが、旧字新字の関係ではなく、別字のよう。
: 「滑(なめ)らかを滑(すべ)らか、」  なめらか、すべる、が正しく、すべらかはむりやりなまちがい読みというwaka君の見当らしいが、すべらかもちゃんと辞書にあった。  (となると、滑らか、という送りがなでどちらにも読めることになってしまうが)
: 「曝された  ?」  さらされた、でしょう。  ばくされた、は、まちがいではないんだろうけど、一般的ではないと思う。
: 「3/5  NHKラジオ第2の10:15〜10:30までやってたのオモロ。」  と言われてもわかんないよね〜  当時の新聞の番組表でもあれば多少は手がかりになるか・・  (読売新聞のネット会員なので、140年分ぐらいの記事が読めるそうだ。が、しかし、残念ながら別料金で、安価とは言いがたし)
: 「JTO :人生を楽しくおかしくすごす会」  おそらく、そのラジオ番組か何かからの受け売りで、waka君のオリジナルではないでしょう、この略号は。  今、検索しても、これっぽいものはヒットしなかった。
: 「ぐんまを、やまなし、やまがた。」  「ぐんまと、さいたま、くっついていたっけ?  《脳内関東各県配置図》  真実は、グンマの方が、サイタマより、はるかに大きいのだ。  《高校地図帳で確認したらしい、真実の関東各県配置略図》  こんなかんじ。」  同じ関東に生まれ育っていながら、この程度。  その後半世紀住みつづけているが、大差なし(^^;  → というかさ、脳内配置にしろ、高校地図帳にしろ、県の姿とか関東の全容とか浮かびはするけど、あくまでも概念。  実際に、ナマで俯瞰すればかすみの向こうまで続く様子に途方に暮れ、足であるいたりすれば、その際限のない広大さに圧倒され、だと思う。  まさに、百聞は一見にしかず、で。
: 「だんちづま 妻   だんちずまい」  ちなみに、日活ロマンポルノ団地妻シリーズは、良作多しと友人たちから聞いている。もったいないことに、まだ一度も観賞してないんだけど。
: 「無から有へ、有から無へ。  たん生とは、生の世界にはいる、という意のみでなく、死の世界からでること。死とは、死の世界にはいる、という意のみでなく、生の世界からでること。  死のおわり:たん生  生のおわり:死」  「死のおわり」  ただそれだけのことなのかもしれないが、生の途上にいるものとしては、死という異界のことはあまり考えたくない。忘れていたい。  毎日毎時いつでも、生の、あまみやにがみ、おもしろさやこわさを堪能していたい。  これもまた、素直にただそう欲しているだけのなのだから、これでいいのではなかろうか。(悟りとか解脱とか考えなくても)
: 「今の我らには、何か、もっと、ちがう世界は用意されていないのか? 武人の世界、遊牧民の世界、のどかーな、人間の世界。」  これは、前項のいう世界の、生の側の中のそれぞれ。  用意されているが、一人が実際に経験できるのはわずかな種類なので、さまざまなそれぞれは、見聞や物語や夢想で、擬似的に味わうことになる。  思索が、多少地上に降りてきたって感じだ、前項から。
: 「今日の朝ヤル。」  そういえば、射精したっけ、と。  地上に降りてきて、我身にも達したようだ。
: 「国会、パリの飛行機事故、おのださん。  いそがしいようです、今日のニュース。それに鳥海山。  いいかげん、ニュースにおどろかなくなってしまう。」  Wikipedia、〔小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日 - 2014年1月16日)は、日本の陸軍軍人、実業家。 ・・・ 第二次世界大戦終結から29年を経て、フィリピン・ルバング島から日本へ帰還した。〕  Wikipedia、〔鳥海山(ちょうかいさん、ちょうかいざん[2])は、山形県と秋田県に跨がる標高2,236mの活火山。 ・・・ 1974年 水蒸気爆発、〕  当時は、三十年密林に潜伏、なんて、ありえないぐらい長い、どうして正気が保てたのだ、などと感じたけど、今だと、とんでもないってほどのことはない、そこそこのどこにでも当たり前にありそうな長さに思えてくる。
: 「むだがなくなれば、不足もなくなる。   むだがなければ、不足もない。(ちがう意にとられるかも? つまり、原因−結果でなく、並立(?)みたい意に?」  原因−結果としたら、理屈的にはおかしいかも。無駄がなくなったとしても、不足しないとはかぎらないから。並立なら、無駄も不足もない、過不足なしの状態を描写しているわけで、まれではあろうが、理屈的におかしくはない。
: 「にやけ坂、」  実在する三宅坂(みやけざか。東京都千代田区)のもじりかな。  ニュース、ドラマなどでたまたま耳にして?
: 「松下電気産業  ナショナルのこと?」  松下電器産業株式会社。現在は、パナソニック株式会社。
: 「お母さんが、カゼギミなんだからネロネロというのでおことばにあまえて、ねよう。「お母さん、わるいことはいってないつもりだよ。」だって。」  風邪ぎみとはいえ、なやましいか、試験前だし。すでに「二日間ずーっとあそんでしまった。」そうだし。  高校生の時期、勉強せずに早寝は、怠けものというのが基本だったかな。  ふつう常識的には、(2)勉強して遅寝が期待されたと思うが、今から考えると、(1)勉強して早寝が一番好ましいはずなんだ。睡眠は学習を脳に定着させる上に、健康的なのだから。  (3)遊んで怠けて早寝は、勉学にはいまいちだが、健康体をはぐくむかも。  (4)遊んで怠けて遅寝は、勉学にも健康にもよろしくないだろうが、人間性をはぐくむ?? waka君はもっぱらこれだった(^^;  人間性全般は知らないが、朗らかな性格にはなれたかも。
: 「五等?日は(5日、10日、15日、20日、25日:5でわりきれる日)にはなんで車がじゅうたいするの?」  五等日でなく、五十日ですな。「ごとうび」と耳で聞いて、漢字化で十に思い及ばず。(よって、かなで書くなら「ごとおび」)。  ・・なるほど、そうか、5で等分する、と思ったんだ。
: 「2/6」  とあるが、3/6の間違い。
: 「夢(  2時 みごろしにしてはいませんか。  いないんだよ。   女の人とデート のりき、というわけでない。ちょっと妙なかんじ?   朝はくもったため、夜のようにくらい。」  夢のメモ。後でちゃんとした文章にしようとした仮メモっぽいが、するひまなしだったもよう。  曇った云々は目覚めのときか。
: 「何か、一つ忘れる。」  (前々項や前項の次に?)書くつもりだったのに、いざ書こうとしたら思いだせない、と。
: 「倫者の時間、手首から先を、すこし、うかしとくと、すごいケイレン、というか、フルエが、手首から先におきる。」  倫社(倫理社会の授業)が正しい。  このあたりの日程だが、3/3(日)の次、3/4(月)3/5(火)はwaka君の高校を受験する、中学三年生の皆さんの試験日で、waka君ら在校生は休日。  3/6(水)3/7(木)は授業、ただし、時間割は通常の月曜火曜分が横滑りとなる変則。  ということで、三連休は終わり、朝、夢のメモをした後、登校して、すでに学校にいるわけだ。  3/8(金)から、在校生の期末試験(学年末試験)が始まる。
: 「学ぶ  勉ぶ ?」  勉は、つとめる。
: 「生きている物が、人間からはなれるにしたがっていきていないようにみえてくる。 木は一見いきていないようだ。小さな生き物も。しかし、それらは生きている。 そして、それが、もっと人間よりはなれると、まるで死んでいる、生きていない物として、認識されてくる。 石や火や・・・しかし、それも、人間からはなれすぎているだけで生きているのだ。  また、石や火やそういうものは死んでいるが、それがしだいに人に近づくと、死んでいるようではなくなる。 しかし、それは、石や火からはなれてしまっただけで、死んでいないようにみえるだけで、死んでいるのだ。人間も生きてはいない。  このように生死は、認識する方がまちがっている。」  わかるようなわからないような。  生きている人間の目から眺めると、遠くは死であり、近くは生に見えるが、それは対象のただ中に人間の視点があるからにすぎない。  人間の視点を離れて、もっと上方から俯瞰すれば、生も死も大差なく、区別するほうがおかしいぐらいだ。  ・・こういうこと?
: 「Readerの時間、タツオ・スミ■さん アツイ、アツイ、(やっぱ、となりでよかった)、 くつえくっつけて、1つのサイドリーダーをよんでいる。あと、男男、女女、男女、でいくつもの組が、一つの本を二人でみている。 忘れた人多いのだ。」  別の曜日の時間割に変わっていた関係で持参教科をまちがえた者が多かったようだ。  くつえは、つくえ。くっつけてにひっぱられての誤記だろう。  前々からのタツオの想い人が、スミ■嬢。妖艶な女子。  あからさまに慕っていた。彼女の肖像写真をパネルにしたものを贈ったり、手紙とかも渡していたはず。(今なら、ストーカーと言われかねない域)  最新の席替えで、偶然だったのか工作したのか、隣の席を獲得していた。  それで、今回僥倖をえて、寄りそい、二人で読んでいたよ、と。  二人は教室の前のほうの席で、waka君は後ろから眺めていた。  熱いなあ、よかったなあ、タツオ、ということだね。
: 「文化  イ■■ イト■■ ■■ツカ オカ■ カ■■ カシ■■   クニ■■ コン■■ サイ■■カズ サイ■■ノブ サク■ タカ■■シノブ   ノリミツ ニシ■■ フナ■■ モテ■ ■■ザキ アキラ タ■■」  頁上辺のエンピツ書ききメモ。  文化でなく文科。三年進学時の文科理科の進路分けで、2年A組からは彼らが文科にいく、と。  (三年のクラスが同じになるとはかぎらない)  頁本文領域の右下方にも記事がある。
: 「3月14、15に、赤点とるようだったら、先生の所に泣きにいきな。(サカ■■)」  これは終業式辺りの日付だろう。  赤点落第問題、そろそろ具体的な見通しが見えてきた頃合いか。間もなくある期末試験が、最後のあがきどころだが。  やばいなら、その教科担当の先生の所に泣きつきにいきな、という担任坂■先生の、クラス全員の前でのアドバイスと思われる。  まさにwaka君が、英語で、相当にやばいはず。  結局、英語教師のところにお願いにいった記憶がないので、この手はつかわなかったはずなんだが、どうやって切り抜けたんだったか・・ いずれ関連記事、あるかな・・
: 「タツオ、よくもとなりにしたなと冗談におこってたけど、結局よかったのでは?  それともよけいおこる?   ヤスミジカンに、友の所などにいって、ワラッテイタヨ。テレカクシ? 3/7」  一冊のサイドリーダーを、スミ■嬢と肩寄せるようにして開くことができて、感激至極。  事後、緊張感が解けて、皆にぶちまけたんだろうね、まるで怒っているような口ぶりで。  (ここを読むと、席替え時、隣の席になれたのは、友人たちの工作もからんでいたのかも)  3/7の追記は、元の文だけでは、本当に怒っていたと誤解されかねないと思っての、蛇足でしょう。
: 「おおい、や、さく、  おおいやさ  「おお、いやだ」  「おおいやさ」」  覆いや柵、と、大嫌さ、の通じ合いを発見したってこと? (^^;
: 「坂■先生は定刻30分前にいつも学校にきてるんだって。」  waka君は、15分前に学校につくと、早過ぎたなあ、と悔いる生徒だったので、大人はよくわからないと思い、記事にしたんだと思う。  (waka君のなれの果てである私は、条件や時期によっては、定刻の1時間半前に行くことが常態化したりすることがある。  ヒマ人というわけでもないんだけど、そのぐらい早めに着いて駅のベンチで新聞やマンガ誌を読んで過ごすのが好みになったりして)  (要するに、布団の中にいようと、自室にいようと、駅のベンチにいようと、時間を伸び縮みさせることはできないわけで、どこにいてもしたいことができるならいっしょ。そういう感覚)
: 「代謝  たいしゃ  だいしゃ  )?」  どちらもありらしい。
: 「ラ  テ→ララ  テテテ コレ多い」  急いで書こうとして、ラとテがまいらわしくなったりする、と。  郵便局のマーク 〒 も仲間かな。
: 「「何が何が、」というくちぐせ。だれかさんにある。」  他人が話し合ってる話題に参入するときの口ぐせっぽい。  つまり、気軽にそれができるような人柄とセットかも。  waka君、わりと有資格だ。
: 「ド ド ド」   2字目のドは、濁点が横棒の下。  3字目は、濁点が横棒の下+横棒が上向き。もうドじゃないね。あるいは、鼻をつんと上向けた生意気な、ド。
: 「雑 :この字かこうとすると、殺、■になった。」  最初の数画(ここでは九)が手なりで書けないと、出てこなかったりするよね。
: 「おあいこ  勝負なし、  相持ち  相持ち  もっと、ちがういいい方は?  どうしてもいえない。」  これも、ど忘れの件か。  ひきわけ、が、出てこなかったようだ。  ドロー、という言い方を知ったのはサッカーが流行ってからなので、ずっと後年。  (もしかしたら、最初の相持ちは、相待ちのつもり?)
: 「帰ってきたら、シャツに冷たい汗。 なんかむすからねえ。」  学校から帰ってきた、と。  前日、風邪ぎみだったのだから、蒸したためだけではないのかも。
: 「へやの中でラジオかけてると、自分のだす音を、となりや他のへやにきかれないでもすむ。 それにラジオの音なら、となりのへやに何か話しかける程度なら、ちゃんとつたえることができる。」  「もちろん、そのかわりにとなりのへやの音もきこえぬが、これはかまわない。」  襖一枚隔てて、姉の勉強机や女たち共用の鏡台のある和室がある。姉は、女子短大一年生。  ラジオが生活音の音消しにもなってる、ということだね。
: 《waka君の着席記載中の姿。後ろから視点》 「こんなかっこして、かいてる」  ストーブを足げだが、火はついてないんだろうな。  椅子の高さ、腰の位置は、実際はもっと上のはず。(または人物がもっと大きいか)
: 「アオニヨシとは? マクラコトバ?」  あおによし(青丹よし)。奈良の特産品(顔料の青丹)から、奈良の枕詞に、らしい。
: 「刈りいれる :刈りいれる  割ります :割ります」  漢字の旁、りっとうが、送りがなのりとかさなって、奇特だ、と。  たしかにそうだ。が、気づいても、掬い上げたりしないよ、ふつう。  (男児のような気づきを、青年担当がひきとって文字化している、そんな連携が浮かぶよ)  判りあう、測り、などが仲間か(^^;;
: 「下手回しにする ?」  調べると、したてまわし、と読んで、帆船の操作法の一つを言ったり、相撲用語だったりする。  でもなんだが、へたまわし、と読んで、それふうな意味ももちそうな感触があるが、これは用例が見つからなかった。  (柿のヘタを軸を中心に削り取る「へたまわし」という道具はあったが、これは、下手でなく、蔕)
: 「■崎君は、小6の3学期でなく小5の三学期に転校してきたんだよな、考えてみれば。」  ■崎君は小学校のクラスメートで、中学は別だが、高校でまたクラスメート。(文科進級リストにもある■■ザキ君)  何年かして生命保険会社に入り、勧誘されて契約したりもした。  以来、現在も年賀状のやりとり継続中。 (小6の3学期って、ほぼありえないもんね、転入してくるなんて)
: 「キス  キッス  }?」  英語だと、キッスか。  魚の鱚も、正確を期すも、みんな同じだもんね、日本語はね。らくだよね〜
: 「〒150 東京教しぶやくじんなん NHK午後のロータリー リクエストコーナー ○曜日の係」  これ、ラジオ聴きながら、メモしてる風。  リクエストしたいあてがあったのか、具体的にはなかったけど連絡先をいってたので必要になるかもととりあえず記したか。  帰宅はしたが、まだ夕方ぐらいみたいだ。
: 「イ■■ イト■■ ■■ツカ オカ■ カ■■ カシ■■   クニ■■ コン■■ サイ■■カズ サイ■■ノブ サク■ タカ■■シノブ   ノリミツ ニシ■■ フナ■■ ■■■ モテ■ ■■ザキ アキラ タ■■」  「の以上19人、と先生はいったのだが、20人いるよ。ぼくもはじめ、ぼくをいれて19人とかぞえて、あたりまえだな、と思ったが、今、自分を入れてかぞえればどうしたって20人。  先生がまちがってるのか、ぼくの記録が狂ってるのか。」  どっちだろうね。  皆がいる時に名前を読み上げたと思うので、人名に間違いがあれば当人が異議を言うはず。合計人数のほうを間違えている可能性が若干高いかな。  タ■■嬢が、五十音順の正位置に入ってないのが、ちょっと気になる。読みもらして、後で追加?  ← 2年A組は全45名なので、20名として文科進級が44%。理科が多数。  結局、3年生で文科3クラス(50×3=150名位)理科5クラス(40×5=200名位)となるので、150÷350=0.428・・ だから、学年全体でも同じぐらいのパーセントか。  女子は文科希望が多く、頭の切れるやつらとか医者の息子らは理科へ。  落ちこぼれぎみの男子は(waka君が典型)文科に流れやすかったかも。  あと、鷹揚としたやつらとかね。法曹関係希望者もだったかなあ・・  ノリミツは、数学が一番得意なんだが、高校レベルの数学は全て終えているからと、文科。そういえば、詩人ランボーにも親しんでいた。(後年、米国で数学講師などしたはず)
: 「アジ演説」  アジテーション。  当時は、大学紛争とかで、身近だった。ゲバ字立て看を背景に、ヘルメット、首にタオル、大音量で、ワレワレハー、とかやってたなあ、何歳か上のあんちゃんたちが。
: 「自分をだす話し方  自分をおさえる話し方」  話し上手と聞き上手のことだろうか。  そういうことではなく、自分を売り込んだり情に訴える場合、客観情況を理解してもらう場合、などの違いを言うか。
: 「おのださんのニュースは、いつも、「だれそれさんとだれそれさんが、〜〜して、〜〜して、待ってます。」となり、結局何もおきていない。」  Wikipedia、 〔1974年 - 一連の捜索活動に触発された日本の青年鈴木紀夫が小野田元少尉との接触に成功。3月にフィリピンに投降し、日本に帰国。3月12日16時15分から66分間にわたりNHKで放送された報道特別番組「小野田さん帰国」は45.4%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)の視聴率を記録[8]。〕  まだ3/6だから、帰国するのは一週間後ぐらいか。
: 「待つ  → 待 → イ寺 → イま → MA イま マ」  こういうつながりの発見が、好きだよね〜 (今から眺めるとおかしいんじゃないかとまで思う)
: 「pretty を plenty だって。」  綴りを間違えたってことだろうけど、偶然か、plenty という英単語もあり。たくさん、じゅうぶん、という意。
: 「夏場、アツサにまけぬために、コショウナメル?」  そんな暑気払いがあると耳にしてか。  それとも、物語の登場人物がそうしていたか。(現実は、春先だからねえ)

※ 『1974/03/08 サックのついたチビタエンピツ』 : 「っしっし  ー」  難解。  ひっしひっしは、ひしひし(と)の強調形だと思う。きびしくすきまなく迫ってくる様子。  ひーひーは、ひいひいで、泣き声、悲鳴を模して大弱りを表わす。  それで、この両語、悲愴な色あいの似かよっているのは、ともに ひ が主役として重ねて使われているためではなかろうか。  ・・と言いたい項なのではなかろうか。


 今日の夢。 ある女の人とぼくが、遠くの所から、ある小さな天才少女(しかし、大人のような感じ、大人の女の人の魅力を感じる)をつれもどしてくる。 千葉大学の前(それが院内小の位置にある。)から商店街へ。
 また、坂■先生がラジオで、まんざいかこうだんみたいのをやっていた。 生徒のことをネタにして。 「たんにんの先生がこんなことやってるんだからね。」と姉きに話してる。 (アキラのツウシンボの行動の面についての記録をネタにしてた。)


 夢らしいばらけぶり。天才少女はどうしたのだ、とつっこみたい(笑)
: 「2時におきるつもりが5時。」 「これから2時間で、倫社とαの予習 テスト勉強 スベテヤロウというのだから・・・・。」  期末試験真っ最中。  予習というか、要は一夜づけ。  未明五時からだから、朝づけか!
: 「孔子、人を悪とみている若い頃は保守的。老いてのみ革新的。はじめは礼を重く考え、次に、仁を重く考えた。」  朝づけ、倫社の内容に、孔子があるのでしょう。
: 「何か、人を悪とみる方、礼を重んじる方が革新的に思え、仁とか善とかは保守的に思える。 なぜ?」  このように思慮を深めるのは学問として正道。  試験対策としては、貴重な時間をつぶしていることになってしまうのかも。  論語、儒教とはこういうもの、とこれまで習得してきたのが、後者寄りだったから、と答えておきたい。とりあえず。
: 「西洋的、中国的な考え方でなく、まったく、日本的な考え方をしたからこそ、純粋に天皇をうけとめられて、その人特有の性質によって、天皇に反発するという話。 つまり、純粋にうけとめたとき、反発するか、反発しないかはわからないのである。(かならず反発するとはいっていない)  つまり、ほんとに日本的な考え方をすれば必ず天皇にしたがうとはかぎらない。ほんとに日本的な考え方ならばこそ、どちらにもなれる、はずである。 ほんとに日本的なものの具体的内容をこの考えの筋にいれないで。」  にわかにはわかりません、なにがいいたいのか。  どうやら、物語づくりのことになっている。主人公が、ほんとに日本的な考え方をしたとき、天皇に従うかどうか、この辺りを主軸にしたいような。  最後の行が曲者だよね。ほんとに日本的な考え方の具体的内容が知りたい、知れば賛否を判断できそうと読み進めているのに、はしごを外される。  大事なところは伏せて、読者に想像させよう、一歩進めて想定、創造までもしてもらおう、という物語の手法ってことなのかい?  手抜きでずるい? うまい?  しかし、これはもう、思慮を深めるというより、はっきり寄り道を始めているな。  試験勉強と寄り道がごっちゃになっているような様相?  登校時間になってしまうんじゃないの!?
: 「テストのとき、ちりがみとメガネ、せんひき、定規を机の上におくべし。   ちりがみもかみなので、テスト中にみてはいけない??」  せんひきはまっすぐな形状で、定規は三角定規などか?
: 「退け しりぞけ  退け のけ  ??」  「坂■先生の夢をみたので、今日の現国、いい点とれるかしら?」  担任の坂■先生は国語科の教師。
: 「このごろは青い母上の手さげかばんで登校。」  「中国の語には「シン」というヤツ多い。」  人名ではなく、言葉に、ということ?  音がシンの漢字、まあ、大量にあるけど、大量にあるのはシンだけでもないはずだが・・  たぶん、テスト開始直前、わかりやすく補う書きつけをする余裕なし、でしょう。
: 「現国」  の問題用紙にある仮メモをここに清書しよう、と。2項目分の空白。  こういう場合、ふつう、仮メモは授業ノートにしており、授業ノートが残っていないので内容は不明なのだが、このときのテストの問題用紙がこの心記に挟まっていたので(画像でもノート紙面をはみだす大きさの藁半紙が見えると思う)、珍しくも仮メモの内容がわかる。(つまり、仮メモをこの紙面に清書するべく挟んでおいた、が、清書できずに半世紀、ということでしょう)  以下がそれら。
「(1) 3/7に思う ■◆ たがいちがいという感じ  互 あってる。」  ■は互の1、2画目。◆は互の3、4画目。(現国なので問題文が縦書き、この仮メモも縦書き)  互の漢字は、いかにも、たがいちがいという感じだ、と言ってる。(^^;
「(2) 無辜 辛 }どちらが正しい?」  辜(12画)は正字は、古+辛なのだが、このメモの辜は下部の立の縦棒(8、9画目)が点二つになっている。このメモの辛の3、4画目は縦棒二本。  点二つなのか、縦棒二本なのか、どちらが正しい、と言いたいようだ。  無辜は、問題文では読みを問うている。(問題文は手書きのガリバン刷りで、問題文の辜の8、9画目ははっきり縦棒)
(・・あら。本題とは無関係だが、この現国の問題文にある「オ・歎異鈔」は抄の誤記ではないのか? ⇒ 調べたら「歎異鈔」でもよいらしい。さすがに抜かりはないか・・)
: 「α」  数学αのテスト時の計算用紙にある仮メモをここに清書しよう、と。1項目分の空白。  同じく内容がわかる。
「(1) 坂■はなってからくばる」  これは、坂■先生は鐘が鳴ってからテスト用紙を配る(配った)、というメモか。数学の試験でも、同時に複数クラスが受けるわけなので、必ずしも担当教科の先生が試験監督となるとはかぎらない。
: 「倫」  倫社の問題用紙にある仮メモをここに清書しよう、と。2項目分の空白。  内容は以下。
「(1) アキラ アキラ×」  「(2) 苦を助けるために ? 救う」  これらはわからないね、なんのことか。  そばにある問題文は、
「3 次の(A)(B)(C)の何れかの設問をえらんで、あなたの考えを述べなさい。  (A) 仏教思想はあなたの人生観にどのような影響を与えていますか。  (B) 日本の伝統的な道徳思想は、現代社会にどのように生かされると思いますか。  (C) 20世紀のヒューマニズムを代表する思想家を一人あげ、その思想と行動から、あなたはどのような感銘をうけたか、述べなさい。」
 となっているので、(2)はその関係っぽいけど。  (1)のアキラは、クラスメートのアキラ君のことだとしても、二つ目に×がついているのは何? それとも、×ではなく、アキラメ??
 まあ、何にしろ、この日、3/8(金)のテストは終了したもよう。  三教科ぐらいなら、午前中だけか。
: 「今日のテスト、イ■■チャン、アタマいたく、調子わるかった様 数学αのときは除中で保健室へ寝にいく。(アレで帰ってきて、テストうけて、不正にはなならないのかしらなんて、みにくく考えている。)」  途中で。  友を疑って醜かったかも、というのは付け足しで、ルール的に抜け穴となるのではないかと気づいた、というのがメインの項なんでしょう。
: 「カエリはイ■■チャンとタツオとトッチャンとボクとで、本千葉までいき、県庁前でとちゃんのり、大和橋でタツオ 自転車 とわかれる。」  今日、とっちゃんがいっしょにかえろうといってくる。」  本千葉駅でイ■■チャンは電車。県庁前でトッチャンがバスに乗る。大和橋で自転車のタツオとさよなら。  相手とか人数とかはまちまちだが、大体こんなような下校風景。道々、さまざまな事を話しつつなんだけど、この日はやはり、試験の話題が過半だったのでは。
: 「このノートにあさんでいたサックのついたチビタエンピツどっかにいっちゃった。」 《サックのついたチビタエンピツの絵》   はさんでいた。  心記には、本文を書く青ボールペン、上辺メモ・仮メモ・中央分割線などを書くためのチビタエンピツ、中央分割線を引くためのまっすぐな定規、これらをはさんで持ち運ぶのが常態。  (なんだけれど、このページは、中央分割線をフリーハンドで書いてるね)  → 三日後、3/11(月)に「サックのついたエンピツてさげの内にあった。」という記事。失せもの出る。
: 「今日の現国のはじめタ■■さんから、質問。きっぱりとまともには答えられぬ。てきとうだよ、とか、つけたす。これで女の人になれなれしくなってか、前のフナ■■さんとタ■■さんの会話にもすこしわりこんでしまった。反省。」  「Tさんがここはどこのことをさしてるの、といい、ぼくが、ここじゃないかな。Tさんが、こっちじゃないかしら。それから、Hさんが、こっちだと思ったわ、と三人ともちがう。Tさんの所のを教えてもらってから、Hさんに「どこ?」ときく。これがナレナレシイ。反省。」  現国のテストの直前、ぎりぎりまで教科書など見直したり、確認したりをしているときのことだろう。近場の席で声をかけあってる。  帰宅後、そういえば、あれはちょいまずかったか、と反省しているようだ。  タ■■嬢(Tさん)とは、将棋さしたり、話したりで、ほれたはれたもそれとなく絡んで、いろいろと長いので、もうある程度なれなれしいのは許す、という感じのようだ。  が、フナ■■さん(Hさん)とは、直接話した事がほぼなかったはず。テスト直前という切迫した流れで、いきなりなれなれしくしてしまって、驚かせてしまったか、話すにしろもう少し控え目にすべきだったのでは、などが浮かんだんでしょう。  ・・まあ、この程度、フレンドリーでいいじゃんねえ、内気でつつましそうな女子相手でも。  学友なんだから。  問題なし。許す。

※ 『1974/03/15 せんろからはずれたりして』 : 「18日、月よう日12時 この頃、学校きてみな。」 「3/23終 〜4/5」  「アネキから、ダザイオサムの本、とりあげる!!」 「12時文化」 「ロッカー内は今日明日中にカラッポ。」 「終業式は3Dの所。」 「3/16、朝、将棋同好会ミーティングのこと、放送。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  難解だね・・  このあたり、年度末の日程を推測すると、あらあら次のようになるのでは。

 3/5(月)3/6(火)が、この高校の入学試験日。4月からの新入生を選抜する。  3/8(金)3/9(土)3/11(月)3/12(火)あたりまでがwaka君らの期末試験。  3/13(水)が卒業式。3年の先輩たちを送り出す。  3/15(金)にこのページの本文領域を書いている。この上辺メモも同じ日だろう。以降は予定、目論見。  3/16(土)、放課後、将棋同好会のミーティングをする、という放送を朝してもらおう、ということだと思う。  それをwaka君が段取りするということはまだ会長なのかな。  将棋同好会の例会はたしかに土曜日なんだが、ミーティングという言い方をしているので、会長職の引き継ぎするのかも。 (それが終われば、いつも通り、将棋をさすか)  3/18(月)はおそらく、及落が(三年生に進級できるかどうかが)判明する日。(学校きてみな、ということは、本来登校はしなくていい日なのか?)  3/23(土)が終業式で、4/5(金)まで、二週間ほどが春休み。

 しかし、こうしてみると、各学年の生徒たちは、入学進級卒業など本人にとって重大事でも目の前のことにそれぞれ自分の立場で対処すればいいだけだが、学校側としてはあまりにめまぐるしい時期なんだね。  もちろん、学校側も教師や事務員などたくさんいてチームで対処するわけだが、それでも、こんな立て続けに。  これまで思い及ばなかったよ。あの大人たちの側からの見え方に。

 太宰治の文庫本、しばらく姉きに貸しっぱなしだったけど、(むりやりにでも?)返してもらおう。そういう事情っぽい。  12時文化、というのは、ほぼ勘だが、12時に文化会館に、ということではなかろうか。  (学校のそばに千葉県文化会館という施設があった記憶あり)  そこで誰とどういう用事なのかは、または何かの行事があるのかなどは、これだけでは全く不明だが。


 今日の夢オモロ。
 いつかきたアスファルトの道をのぼっていくと、ジャリ道にカーブしていて、下には、いつかのったトロッコやトンネル。 1人の男と、2人の女のつれとともに、そこにいって、「むこうの町にいくには、これにのっていきゃいけるんですよね。」と坑夫みたい人にいったら、そうだ、といい、4人でのっていく。
 《トロッコ列車の座席順? などの絵》  ときどき、せんろからはずれたりして、ついには動かなくなる。 ついた所は、この前の夢でみた町ではなく、■中の音楽教室。ただころがりおちるトロッコだったのに、どうして、ビルの4階にまでこられたか不思議。
 その他に何か、女の人のでてくる日常的な夢もみたけど、忘れる。

└→ 男が前すぎ、女がうしろすぎたので、長いトロッコのバランスがおかしくなり脱線しやすくなったように感じる。


 いつかきた、いつかのった、などは夢の中の実感であって、現実のことではないかもしれないと認識していると思うけど、 この前の夢でみた町ではなく、は醒めた後も(この前の夢でその町をみたのは)事実と感じているフシがある。  既視感、デジャブのようなもので、錯覚の一種で、三つとも同類なのかも。  (夢の中はいろいろゆるくて、錯覚ものびのび発揮されるのでは)
:  「よみかけの作品は1つだが、その作品は3冊にわかれていて、自分は一冊目をよんでいる、このとき、  「よみかけの本は3冊」 「よみかけの本は1冊」 )のどちらをいうべき。」  つまらない話題だね。  どちらも不正確だけど、より誤解が小さいという理由で、二択なら後者だろう。

 つきあっている女は一人だが、彼女には外皮と内実と核芯があって、男はまだ外皮しか知らない。  例えば結婚という事態にまで及べば、内実になじむことにはなるだろう。  しかし、それで添いとげたとしても、核芯までみきわめる男は少ないのではないか。  ・・・というような話ならおもしろいんだけどね。
: 「そういえば、フ■君のフ■は、小学校のフ■先生のフ■だった。」  クラスメートのフ■君の姓と同じだったことに、今さらのように気づいたよ、と。  小学校の女先生が、布■先生。2〜4年生ぐらい、担任してくれたんだっけ。  waka君が卒業後も(waka君は知らなかったが)布■先生とwaka君の母親の交流は長く続いたらしい。  それで、ずっと後年になるが、布■先生が、父の年祭近辺に訪問してくれたとかで、その辺のいきさつについて息子の所に母から手紙が来て、息子から布■先生にお礼の葉書を出した、ということがあった。  → 今、発信簿確認したら、271215、つまり、平成27年(2015年)か、その葉書を投函したのは。もう九年も前だった。  父死去は、2015年の年初だから、一年祭近辺にきてくれたのだったか。
: 「「戦争は死臭」とかこうとして「先生は死臭」とかく。」  ひどいね。  笑、と書こうとしたけど、はばかられそうな。
: 「臭!?」  これはもしかして、自+大という漢字が意味深だということか?  自意識が肥大して、自己臭が気になる、とかが連想されたか。  実はなんのことはなくて、大は犬の点が省略されただけなんだよね。  (自は鼻の象形。犬が鼻でにおいをかぐ意)
: 「一ぺん  一っぺん  }?」  イチはイッだから、一ぺんが○。
: 「サイコロはどこからはじまったのか?」  Wikipediaによれば、相当に古い。  〔正六面体のサイコロの発祥地は古代インドとも古代エジプトとも言われる。現在と同じように1の裏が6であり、反対面を足すと7になるサイコロの最古のものは、紀元前8世紀頃のアッシリアの遺跡から発掘されたものである。〕
: 「英語みごと赤点のよう。平均37か39だろうち。」  期末試験の答案がかえってきて、一年に五回ある定期試験の平均点を算出してみたんでしょう。  一教科でも赤点(40点未満)があれば落第が、ルールだが、微妙?   waka君は(お願いするとか)特に何もしなかったような気がするが(何をどうしたらいいのかよく知らなかったし、その3/18(月)12時にも顔をださずにやりすごしたのではと思うが)、ふつうに進級できたので、結果的にてごころがあったのかなあ・・

 なお、年度末であわただしいようだけど、少なくとも3/16(土)までは、期末テストの返却とか答え合わせ的な授業はやってるってことのようだ。
: 「ゆうびんきょくから、ここらまでキドウ隊がポツポツいて、うちの前にバス2台のキドウ隊。何かあんのかな。  ジュラルミンたてなんかはないみたい。」  ものものしいね。  訓練中なのか、実際なにか不穏があったのか。
: 「西洋より東洋の方が責極的なのではなかろうか。東洋は直接に平和を求めるのに西洋は間接。我々は西洋文明につよく影響しているため、西洋の方をあたりまえ=責極ととり、東洋のあたりまえでなく、非科学的な方法を消極ととっているのではなかろうか。」  積極的が正しい用字。  どうもピンとこない論だな、今はもう。  東洋は直感的に平和を求め、西洋は理屈を連ねて得ようとするから間接的、ということかなあ。  我々は西洋文明にだいぶ染まっているので、西洋が正攻法、オモテ、積極であり、東洋は搦め手、ウラ、消極であり、と認識しやすい、と。  当否いずれにしろ、内実まで吟味してはおらず、外皮の様相を言っているだけか。
: 「英語赤点ゆえ、おとされたら、どうしようか。」  やっとすこし心配してるか。にしても、小出しで、深刻さが足りないような?  waka君は本来心配症だから、たいして気にしてなかったということはまずないだろう。重すぎる懸念ゆえに、見て見ぬふりをして、豆腐の表面がふるふる震えているような安心を得ていた、という心理状態なのかも。  (あるいは。努力は足りなかったかもしれないが、waka君なりに英語の勉強も真面目にやった、結果平均点が40に届かなかった、終わってしまったことだから今さらどうしようもない、じたばたしてもしょうがない、まな板の上の鯉なんだから、どうとでもしてくれ。そういう居直りがうしろに黙して控えているような、見て見ぬふりだろうか)
: 「紀元前5000年とは、前5世紀でなく、50世紀。」  異常値だよね、日常的な感覚からしたら。  人類の黎明期か。世界でぽつぽつと文明が芽ばえ始めたころのようだ。日本は縄文時代前期とか。

 紀元5000年というと、あと3000年。  どうなっているやら、だけど、人類が生き残っていてくれれば幸いです。  気が遠くなるぐらい遠そうだけど、世代で言えば、百世代ってところ。  意外に、手が届きそうな気もする。  (百世代前の人の声は、破片程度しか残っていないだろうけど、現在はすでにデジタルの世。こうして書き連ねているこまごました声がそのまま百世代後に伝わる、伝わってしまう可能性はちいさくないはず。大半の内容がくだならいものばかりだとしても、これって、なんか、すごいことだよ)
: 「ヤマタイコクはもしかしたら、四国にあったのではないか?」  爆。  トンデモ説、・・かと思いきや、Wikipediaに邪馬台国四国説が載ってた!  1970年代後半より注目され始めた新しい説で、本まで何冊も出版されているらしい。  本文は、1974年だから、waka君が唱え始めたというより、どこかからの受け売りの可能性濃し。
: 「世界中、どこででも同じ日であるときはある? 一瞬でもありえる? 考えろ!!」  日付変更線上が、午前零時であるときが、その一瞬かなあ。  午前零時ということは、その線上はもう翌日なわけか。  日付変更線上が午前零時になる一瞬前、これが、正解。  机上の理論的には。  しかし、現実の日付変更線は、入り組んでいて、まっすぐじゃないんだよね。地域の都合で。  (つまり、同じ経度なのに、別の日が存在する)   よって、世界中、どこででも同じ日であるときはない。これが本当の正解かな。
: 「償金 賞金」  償金の意は、つぐない金。
: 「死斗とは?」  死闘の略字だろう。(辞書にはのっていないが)  斗争とか、当時街中で目にするゲバ字などによく使われていたと思う。
: 「冬日さす暗き講堂のそのすみで 今日もほうきをもつあの人は」  素朴な恋慕の歌。  これを祖型として、以下、推敲していく。
: 「ほそぼうき もちてたたずむ女生徒の 冬日さしている うしろすがたよ  → もちてうごかす もちて絵をかく もちてまどろむ もちてうつむく ・・・・  → 春のはじまり 今日の放課後  〜→  ほそぼうきもちてうつむく女生徒に 冬日さしいる 今日昼下がり」  真冬のようなからっとした陽ざしなのかもしれないが、3月中旬に冬日はないよね。  今ざっと推敲するなら、  ほそぼうきもちてうつむく女生徒に 春日さしいる 今日の放課後  ではいかがか?  ほそぼうきもちてうつむく女生徒に 春日さしいる 放課後の今日  このほうがよりいいか。暗から明へ。情景が額縁の中にあるような。調べも安定する。  これは私にしては名歌だ。半世紀越しで完成!?  それでもしかし、あざとい技巧もすけてみえて、上の祖型のほうが誠実さでまさるともいえそう。
: 「今日、ぼくがフク■■に赤点だとかなんとか、いったとき、タ■■さんが何か不安そうな、あわてたような態度になりはしなかったかしら? ぼくの錯覚?」  これは、多■■嬢一歳年上説(display『1974/02/28 AからBまでの楽しい期間』参照)とあわせて考えると、何かありそうな匂いはするな。才媛多■■嬢だから、成績のためではなく何かの事情で、進級できなかったことがあったのかもしれない。(とはいえ、この一歳年上説、うわさ程度、またはwaka君の妄想の域で、根拠も証拠もない。仮にそうでもwaka君らがなにか困るわけでもないのだよね。興味本位、失礼以外の何物でもなし)
: 「ヤル。」 「春まだき君にそいねのふくよかさ」 「想像っち。」  射精をしたり、妄想をしたり。  若いとは言え、動物ですなあ・・ 
: 「まだき :?」  まだそれにじゅうぶん達しない時期、の意。  俳句としては色っぽいか。俳句は色恋をあまりよまないのだけど(なぜか)。
: 「女生徒の髪にさしいる冬日かな」  冬日がいいんだね、こだわるね。
: 「 夕焼け日ふりむく君のくらいまなざし  夕焼け日空をこがしてふりそそぐ ふりむく君のくらい 黒い まなざし」  夕焼け日、が、もうひとつ、なじみがない。  入日、夕日、落日、などならふつうだが、ちがうってことなんだろうな。  赤く焼ける入り日が描きたいわけだ。  短歌では長い。五七七のほうが締まっていてよし。ここは。
: 「お母さんに¥50 2310円なのに、2260円だったよ。50円玉、まじってた。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  通常の小遣いとは別扱いで、学用品や書籍の代金はもらえた。で、もろもろ合算して請求して、現金をいただいたのだが、50円足りないな、と。  この上辺スペースにメモするってことは、やることリストってことなので、翌日ぐらいまでには回収したのかも。
: 「夕焼け日空をこがしてふりそそぐ ふりむく君の黒いまなざし」  やっぱり長いか。  詩的誇張がやりすぎてる。  逆に何も言わないで、調べだけの十二音があるならそっちのほうがまだよいような。
: 「すきとおる下着のもようそのために わたしはたのみをひきうけている  ひきうけにけり  ふとひきうける    すきとおる下着のもようそのために わたしはたのみをふとうけいれる」  これは滑稽歌か。リアル濃厚ではあるけどね。  直しているが、元の、ひきうけている、を推したい。内側からみるような味がいい。
: 「しずやかに  けいこくの水しずやかに ――  しずやかな風にうつろう君の声 ―― 」  あの声を、涼しげに、一首、と目論んだが、形にならなかったようだ。
: 「今日は4時頃から、短歌をつくったりしたが、そのあいまあいまはゆめかもうそうかわからぬよう。   どこか、■■高の坂をのぼったそば。え■■先輩の家は坂の下(ということになってる)そして坂の上の方で彼女に合うつもり。ぼくなにしたか、よく覚えていない。   とにかく、いろんなもうそうがとおりすぎた。」  午前四時だろうか、あいまあいまはゆめかもうそう、ということなら。  3/16(土)は、放課後、将棋同好会のミーティングのはずだから、それが済んで、帰宅して午後4時から、という可能性も捨て切れないけど。  waka君の高校が坂を登りきったところにあったのは事実だが、文学クラブのえ■■先輩の家がそこら辺にあるとか、だれか女子に先輩が会う(またはだれか女子にwaka君が会う)とかは現実にあらず。
: 「中学校の生活班のときのようなはつらつな活動がまた来ないかしら。しぜんとあの人に近づいたような日々がまた。」  あの人は、中学後期のwaka君の想い人で、他クラスの女子。この後でてくる、■■■keさん、■■ケさんのこと。  伸びやかな肢体で、家が服飾店だったかで、ほどよくオシャレ。高校は別。
: 「ほそぼうき ―― の歌、学校くるとき、ずっとくちずさみ、これだ、これだ、これこそ思い出の結晶だ、こういうあの人 ■■■keさんち。 に恋していたのだ、などという。」  なるほど。  (1) ほそぼうきの歌、これをくちずさみ、朝登校した、ということならば、上の4時はそれ以前の、午前4時となる。  (2) 春日ではなく、季節外れの冬日にこだわったのは、今だけの歌ではなく、昔からの想いもこもっていたから、ということか。その想い出には冬日が似つかわしい、いや、でなければいけない、と。  → タ■■嬢(高校、近年の想い人)の歌かと思った。タ■■嬢といっしょに掃除している記述、これまでちらほらあったし。
: 「陣  陳  □:れん:この漢は?」  練、だな。
: 「歴史や史学をまなぶとき、その原典、もとの文をよむべきで、それを解説したのをよむべきでない。そうしないと、その解説者が、ある事実をかくしある事実を強調していることある。」  読むべきでないは言いすぎかもしれないが、鵜呑みにしてはいけないは正論。  ただし、原典といっても、それがもう活字になっているなら、誰か仲介者の恣意に少なからず染まっているはず。  本当につきつめていくのは、意外と大変だろうなあ。(高校生のwaka君はそこまで考えてはいないと思うけど)
: 「「すす」を「すみ」「黒くなる」とかいう。」  すす(煤)という語が、でてこなかったんだろうね。  ままあること。
: 「ほうかごのあなたのいない教室は・・・や、  ほそぼうきもちてうつむく女生徒の・・・などの歌を教室でしんぺいやふく■■に聞かせたが、何か、タ■■さんかカ■■さんをさしているように彼女たちにききとられなかったか。だって、彼女たちと同じ教室そうじだもんね。  「これは過去の思い出の結晶」だよとぼくがいっても、しんぺいは、「いや現在のじゃないか。同じ教室そうじをしている、たとえば ・・・ 」などという。」  放課後の あなたのいない教室は かわいた冬日 ひぐれの通り (display『1974/02/19 神が書いてある』参照)  → 半世紀後とはいえ本人であった私がそうとったぐらいだから、しんぺいがそう言うのも無理はない。  人は面白いほうに解釈したがるのだ。  (それに、他人のほうが、当人の本音が見えているってことも、少なからずあるのだ)
: 「室を室」  2字目の下部が、工。空に近い。
: 「ほうかごの ―― の歌は、ほとんどタ■■さんのためにつくり、ほそぼうき ―― の歌は、まず■■ケさん、そして、現在、ぼくのそばでそうじするタ■■さん、それに、カ■■さんのような一般的美人やせ型女生徒の像をくわえたような女性をえがく。」  ほうほう。多少折れて、自作解説。(ここには書いたけど、そとづらでは折れていないのかも)  やっぱりタ■■嬢もまじってるよね。  なお、やせ形女生徒はカ■■嬢で、タ■■嬢はぽっちゃり系。  ■■ケ嬢は、スレンダーというか、細身なんだけど均整と強さがある。
: 「タツオは、 死ぬを知ぬとかく?」  人の誤記のクセ。waka君には、興味深いのだ。  親切に指摘してあげるときもあるだろうけど、それはおまけみたいものなので、黙って傍観もあり。
: 「けそうずる、とは?」  懸想ず。の連体形か。
: 「タカ■■すみ■さんも、中学の■■ガワさんも、拾うを、捨うとかくよう。   彼女はもうなおった?  一度クラスの標語か何かをかくとき、まちがえたのだ。」  へー、よくおぼえていたね。現在のクラスメートの美形すみ■嬢のまちがいを見て、中学の頃の美少女■■ガワ嬢の同じまちがいを思いだした、という流れのようだ。  ■■ガワ嬢は、中学前期のwaka君の想い人、というか、ほぼ初恋で、どう接していいかわからず、憎しみを感じているような気分までしていたかも。クラス一番の人気の、愛らしい女子。瞳がきれいだった。高校は別。
: 「おてせいをおこせい とよむ」  てとこ、似ていなくもないか。  勘のいい人はすぐ真相にたどりつくだろうけど、そうでない人は、お子製、とか、お個性、あたりで途方にくれるんだろうか(笑) 
: 「タカ■■スミ■さんのホームルーム日誌おもろかった。」  「チアキさんのマンガも。」  ホームルーム日誌にのっていたそのマンガの署名がチアキだったんだろうけど、今は、姓が不明ではだれだかわからず。女子だとは思うけど。
: 「すきとおる下着のもようそのために ・・・ は、2Eの■田さんがヒロイン。」  なるほど。■田嬢のビジュアルはまったく忘れているが、色香で便利使いされたようだな、waka君。(委員会のときも口開けに指されたりしてるし)  タ■■嬢一筋ではなく、あっちこっち、気が多いね。  → display『1973/07/05 名札』に、 「ぼくは女の人にたのまれると、なぜか、ことわれないようです。今も分化委員会のイインチョウから、明日の分化委員会で文化祭実行委員に立候補してくれませんか、といわれて、ことわりきれない。ことわるのがへたなのだ。」 という記事あり。  このときのことだ! 分化委員会のイインチョウ(文化委員会の委員長)が2Eの■田さん。
: 「シンペイ、文芸誌、金足りなかったらガリバンずりやろうかといい、それからすこしして、やっぱりやめようね、という。ぼくがほんきにとったと思いすごした様。」  シンペイもいつのまにか文学クラブ員。  半年後の秋の文化祭、学校そばの毎年やってくれる印刷会社がこの年も安価に引きうけてくれて、ガリバン刷りはせずに済んだ。
: 「カメ■■先生、3年生で私にならう人はかわいそうです、といったよ。」  何がかわいそうなんだろう。文芸方面で、むずかしいことに深入りするってことかな。(何か思い入れ深い作品が教材になるので、とか?) あるいは、受験対策にならない、先生好みの授業を貫くから、とか。  カメ■■先生じゃないけど、たしか二年か三年時の古文の先生(田■先生、坂■先生でもない。名前忘れた)が、源氏物語の夕顔の段だけを一年間やっていいかと生徒に訊いて(いやとはいえないでしょう)ほんとうにそうした。先生なりの新説を解説したかったみたいだ。  あの高校のとくに国語科の先生たち、変人ぽいのが多かった。
: 「おすもうさんのふんどし まわし につける黒いひげのようなやつは、陰毛を示す?」  wikiによれば、これは、「下がり」。  化粧まわしのような前垂れの、下部の総(ふさ)のなごりだそうな。  (昔は化粧まわしのような前垂れを締めたまま取り組んだらしい)
: 「なずまぬ なじまぬ }?  しらべ!!」  なずむとなじむは、本来別語のようだ。  暮れなずむは、なかなか暮れない、の意。暮色に染まる(なじむ)の意ではない。  ただし、音が近いこともあって、幕末頃、なずむに、なれしたしむ、なじむ、の意も生じたそうだ。(ややこしい)
: 「昼前に山んちによばれ、山とカッペとマエッチョとぼくとで、「いかれタイガー」を見にいく。 はじめ、予告かと思ってたら、「〜うでだめし」という映画|はじまり|はじまっており、次にタイガー。」  中学以来の悪友たちと。高校は別々。(山とカッペは同じだったか)  狂った虎の意ではなく「怒れタイガー」。カンフー映画。カッペがとくにファンだった。
: 「アメリカの映画かと思ってたが、ちがうようでもある。  スーピン イ? がとってもきれいだった。」  「まえっちょが、■■さんは、女しか見ていない、といったよ。」  waka君、言われちゃったね。おそらく、カンフーの激闘に酔うべき映画なんだね(^^;
: 「トランプ 山250 カ150」  頁上辺のエンピツ書きメモ。トランプ遊びの勝ちか負けの金額のメモでしょう。250円、150円。  waka君の負けなら(貸しを残したくないので)たぶん即金で払っているから(メモする必要はなく)、これは勝っているな。  悪友たちは今度払うよとか言って、なあなあにしたがるのだ。
: 「火■君に (1)教室借りるとき、先生にことわる。 (2)4月に連盟の会議 (3)4月に先生の所に名簿」  将棋同好会次期会長への引き継ぎ事項の覚書だと思う。
: 「■■ ■■ 干」  青年? 平年? 読めず。
: 「映画トランプ五目ラーメン(そば?)本屋といろいろあそんだ。べつにあそんでいいはずなのに帰り道でふと罪悪の感じがスースーとよこぎる。テストのくせがのこっているからか?」  期末テストも済んでおり、高校二年生の三学期終業式も間近な、3月17日の日曜日。実質的にはほとんど春休み?  しかし、翌日18日月曜は進級か落第かがはっきりする日だったかも。違うかもしれないが、そういうもやっとした懸念が消えていない週末だったはずなのだ。  (いや、どう言いくるめたのか、自分をだまして忘れているようだけど、もっと深刻になっていてもおかしくないのだよ。ルール上は、数字としては、確かに、赤点、落第なんだから。  それが、ふと罪悪の感じがスースーとよこぎる程度で、済んでしまうのか。  心配症で、小心者のはずなんだが、本当の危機を前にするとこうなってしまうのか。  意外と大物? それとも、チキンなりに居直ってしまえば、もうさばさばしたもの?)
: 「浅田みよこは文句なしにかわいいが、どうもなじめない。   彼女には現実性が少ないのか? すべてつくりごと、という感じがするのか?」  要するに、説明できないほどの魅力を感じてあらがえない。それがしゃくにさわるから、文句を付けておきたいが、いくら指摘してももうどうなるものでもない。  浅田美代子。Wikipediaによれば、waka君の一学年上。
: 《将棋譜面、部分図二つ》  どの駒も身動きとれないような図。  思いつきの遊び図面のはずなのに、なんとなく心の状態を表わしてしまったんだろうか。  両図とも、4二歩を成れば、ちょっとずつほぐれてもいくようだ。
「ほんと、はっきり、としたうつ状態」

※ 『1974/03/18 あしたは朝'早'く'、自転車にのって、』 :


 今日、見た夢は、何かの映画のようで、なおかつ、身近なものだった。
 はじめの方は少し忘れたが、とにかく攻めてきた宇宙人の星へ、偵察に行くのである。 隊長は、あれはだれだろう、・・・ 西■(■中の)のような気もするし、もっと強そうな気もするし。 とにかく、隊長以下数十名。皆、■■高か■中のやつら。 大型の細身でとがったロケットでその星の上をとびまわり情報を集めるが、それはすべて、ビー玉の大きいような玉におさめられる。 集収がおわり、地球に帰ることになる。そして、帰るが、直接、地上の滑走路におりねばならぬ。これが最もむずかしい。 はげしいショックで、地面につくが、隊長のうまいコントロールでどうやら滑走路上を走る。 ―― が、どうもスピードがはやすぎ、とまらない。すごいスピードではしり、しまいに滑走路切れ、草原にでる。 皆ショックでたおれたりしている。前方に岩山か何か、だれかがしょうがい物だ、とさけぶ。 隊長、もうだめだと思いつつも、ここであきらめたらおわりだと苦しい中にレバーをひく。「ホップ!」機は少しあがる。
 遠くで宇宙ロケットが何かにぶつかり核爆発。ぼくとあと1人はそこへ向かう。 途中、ビー玉の大きいみたいな玉がポンポンはねながらころがって、川の中におちる。自動的に、たとえ乗員が死んでも情報をつたえる機械なのだ。今にどこかのなにかにながれつく。
 大きな岩山に緑の木がいくらかはえているところで大破たいはしている。
 そこから、まだ息のある十名余が助けだされる。 彼らは、いちおう、健康を回復したが、放射態をあびたため、命は短い。 中学校や高校の友だちや、ぼく、見まいにいったりする。 女の子もみまいに来る。 皆、トイレにいること多い。 みまいにいくと、何か彼らが悲しすぎ、ぼくはあまりに平和に思える。今日も一人死ぬ。隊長はまだ生きている。


 ・・対異星人戦争のからみで、着陸事故。  宇宙人との戦いは遠景どころかワンショットもないな。  ・・核爆発? それでも、隊長以下数十名のうち、十名余は即死をまぬがれる。事前に脱出できた、防護服が強靱だった、などだろう。  ・・正しくは、放射能。  皆、トイレにいること多い。というのが妙にリアル。いたたまれないってこと?  ・・宇宙ロケットが滑走路におりる辺り、まるでスペースシャトル(初飛行は1981年、本項の7年後)。  御巣鷹山の日航機墜落事故は、1985年8月12日だから、11年後か。  ・・操縦桿の操作、上昇の場合、引くのか、押し上げるのか? (現在の航空機では、手前に引くと機首上げ、向こうに倒すと機首下げのようだ。この宇宙ロケットにも踏襲されていたもよう)  ・・隊長は中学以来の友人のオニシ。(高校には同姓の西■君がいるので(■中の)が付いている) 多少、なよっとしてる友だけど、重責を任されればこれぐらいはやる奴なのかも。
: 「自転車¥2000」  頁上辺のエンピツ書きメモ。これはたぶん修理代。本文に関連あり。
: 「 ほそぼうきもちてうつむく女生徒に 冬日さしいる 今日昼下がり   → あとから、冬日がさしいらなければならないような感。  はじめのうちは暗くなければならないような感。  あとになって、はじめて、最初にはとうていわからぬ事実をしらされたような感。  つまり、前とあとが矛盾している。冬日があとからでてくると、つくられたような感がある。  → これらの欠点をもっていよう。  → その場の情景がしだいにあきらかになっていくととれば、感じれば、やはり、いいかもしれぬ。」  どこがどう欠点なのか、当時は繊細すぎるのかな。  文字による作品なんだから、文字を順番によんでいくしかないのだから、終わりの行の感覚がふつうではないの?  (今の感覚だと欠点は別にあるよね。冬日、今日、昼下がり、と、三重に時候関係の語がつづいて、ややしつこいし、平板にも感じる。  ⇔ でも、これはさ、三重に光輝の語がつらなって、にぎやかで、まばゆくて、印象的。そう誉めるべきところかもよ。 受け手の気分次第!?)
: 「ただいまー   ただーいま このごろこっち多い。」  ただ今戻りました > ただ今 > ただーいま >ただいまー   という順で、硬から軟へゆるい感じだ。  一本道ではなく、ただーいまは、わき道っぽいけどね。
: 「てんたん、としている。」  恬淡。  〔あっさりしていて物事に執着しないこと。心やすらかで欲のないこと。また、そのさま。〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006
: 「アー、オチタラどうしよう!!」  何度か記しているように、この日3/18は、及第落第判明日と思われる。  前項は、願望なんだろう。おろおろしていたくない、と。  よって、心やすらかではないのだろう。  しかし、この一行しかないってことは、気に病んでいる、いてもたってもいられない、ほどではないようだが・・  そう簡単には落第させない、というような情報、または感触は掴んでいて、心の芯では楽観しているのかな。  いずれにしろ、当日だからといって、学校に確認しに行ったりはしていないみたいだ。学校から連絡が来るとかの段取りもないみたいだし。  このあたりの紙面を見る限り。
: 「今、雪と雨がまざって降ってるみたい。」  ますます(学校に)行く気しないよね。
: 「3/17 18 19 20 21 22 ]休み  23 学校  24 25 26 ・・・」  ずいぶん休校ばかりだ。23日の終業式以外はほぼ実質的春休み。  つまり、及落については23日終業式の日に登校してみてはっきり判明するってことかいな??  (当日、落第の場合、級友たちにどんな顔をすればいいの。それを、ちょっとでも考えたのかな・・)
: 「理性っていうのは ○  理性ていうのは こりゃおかしい?」  その通り。辞書にも「って」で載っている。  ただし〔 理論っていうのは ×  理論ていうのは ○ 〕となる。ん、につづく場合は、促音とならない。
: 「平和だなあ。四畳半という立方体の中に住んでる。平和だなー。」  北西角の和室。  立方体、そうとらえるとほんとになにか、神秘的なものが全方位からあつまりそう。
: 「ぼくの文章には、まるで女が書くようなようちさ、あまさがあるのだろうか?」  これは、現在では、全方位から非難が集まりそうだ。  ま〜なの十文字さえなければ、殊勝な自省で済んだのに。  → 当時、男尊女卑の風は、江戸や明治に比べれば格段に改善されていたはず。それでも、今と比べたらはなはだしいぐらいだった。  家庭内では男女は拮抗していたみたいだが、会社とか社会の表の世界では、差別、歴然だった。とかえりみて思う。  それがふつうだから、ほとんどの人は、差別とは意識しないし、waka君も十分染まっている。  (勤め始めてからも、新入社員のくせに、女子社員にお茶を入れてもらったり、灰皿かたづけてもらったり、当然のようだった。今では、こういうの犯罪級だよね・・ 令和の若人には信じてもらえないかも・・)
: 「君の願望その他の問題は・・・  こういういい方。」  謎。  つながりから言えば、前項の「ようちさ、あまさがある」文章の典型例ということになるが、一読してそうは思えないし。  ・・・  しっかり心で吟味したものではなく、決まりきった言いまわしに流れでのっているだけ。そういうところが、ようちであまい、なのか。覚悟が足りない、うわつらだけ、なのか。  としたら、潔癖すぎないか。  ふだんのこのノートでの語りより、だいぶまともに聞こえるんだが。  ・・・  前項の典型例を探すうち、ピッタリが浮かばないので、前項の軸から離れてしまった。(ようちであまいわけではないが)こういう言いまわしは嫌だよなあ、という例が見つかってしまった。そこでとりあえず書いておいた。(というところなのかなあ)
: 「今日、自転車なおってくる。アンナカレーニナの第二編の10の「・・・・・」の意がよくわからず、角川文庫のには書いてあるかしらと自転車にのって、ただやによみにく。角川も同じ。」  ふむふむ。  この「・・・・・」はたぶん、濡れ場で記述を伏せているところ。でなければ、単に語尾を濁すか、会話の尾ひれを省略しているだけ。いずれにしろ、作者トルストイ自身によるものだったのでは。  若いだけあって、気になったらすぐ行動。書店多田屋でその箇所だけの立ち読みをした。確かめた、と。  自転車の快気祝いになってる。わるくない。
: 「うめあわせる うめあわす }??  こういう動詞は上の意を示さぬ?」  〜せる、〜す、どちらでも意味はほぼ同じでしょう。  つまり、下のは上の意を示している、と思う。
: 「常にじみちな人がいい人?  じみちな人が常にいい人?  常に、じみちならばいい人。」  同じような、ちがうような、頭が迷走するね、こういうのを比較していると。
: 「雲子 :くもこ 女の子の名 :しかし、ウンコともよめる。」  笑。  意味としては、佳名とまでいえそうなのに、音に問題があって、だめだ。  代替案を思案したんだけど、見つからないなあ・・  ・・・  「美雲 みう」はどうか。  女児名候補をいくつかならべる中にあってもいいけど、たぶん、選ばれないだろうな。  「雲母 きらら」はどうか。  これは、選ばれるかも。ただし、ひらがなで採用されてしまうかも。
: 「だいじなことは、まちがってるかあってるかでなく、考えたか、どうかなのだ。勉強はテストのためにあるんじゃない!! だれのためでもない、なんのためでもない、ただ、ぼくのためにだけある!!」  断言調だから、正論に聞こえるけど、勉強とか学問が、個人の満足のためにだけある、とまでいってるとしたら、異論をはさみたくなるか。  学徒としては、よし。  プロ研究者としては、おさない。  自由で夢のある成果は、前者の発想から生まれそう。  人々が実利でうるおうほうは、後者か。
: 「ぼくの字は、とっても個性的に思え、すきだ。もうすこし、ゆっくりかいた字なんかいい。」  ここ三十年ぐらい、手書き文字をかくことはめっきり減った。  ふと気がついて、しげしげながめている、なんてことはまれになってしまった。  この半世紀前の心記の字、たまにある楷書で丁寧に書いた文字より、読めればよしで気にせず、心の語りの速さにおくれないように、気持ちの陰影そのままに書いている、いつものやつがいいと思う。こころ休まる。
: 「あしたは朝'早'く'、自転車にのって、しらない所をはしってこよう。道路すいてて気持ちいいぞ!!」  学校ないし、自転車直ったし、うつうつ気味なので、もっと気分をはれやかにしようよ、と。  翌日の紙面に、そうした、という記事は見あたらない。(しなかった、とも書いていないけど)
: 「このごろ一食あたり、くいすぎなのだ。特に今日なんか、毎度、4ぜん はい? ぐらいたべたよ。」  「1っぱいということほとんどなし。どんなに少なくてもふつうにくい、次におみおつけをかけてくい、計2はい。」  「このごろ、ごましおがあるので、多く食う?」  これはまあ、育ち盛りで健康で、飯がうまいってことだろう。  それに、すらっと伸びやかな好青年である必要などない、息子がしっかりと肥えてくれればそれで安心、という母親だった。・・と思われる。

※ 『1974/03/26 昔、ドライな大仏が本を読んでいた。』 : 「今日の夢、おもろいようだったけど、めんどくさがって思いださなかったため、忘れる。」  3/22の夢(21日〜22日の夜にみた夢)は忘れた、と。 夢を書きとめるのが習癖となりつつあったけど、おもろい夢なので長文になろうと残す価値があったと思うのに、めんどくさがって思いださなかったら、と。  でも、19日や20日の夢はこのあと書くよ、と。(たぶん、別紙などにメモしてあって)
: 「ヤル」  射精したよ、と。
: 「16日の将棋同好会おわって、休日にはいって以来、たいくつだが、平和な日々が続いたなあ。」  ほぼ一週間、漫然とすごしたwaka君。  若者は時間持ちとはいえ、したたるほどの贅沢だわ。  (平和だったけど、あしたは登校、終業式だなあ、と)
: 「商人は利潤のない所に金は動かさない?   たとえば、森を商人に売るとき、正当な価格で売るべきなのか、相手は利潤をほしがってるのだから、すこしまけて売るべきなのか?  商人は利潤が欲しいんだよ、とあきらめるべきなの? 商人という文字のために、いくらかをただであげるのが自然なの。」  正当な価格、という概念からして、誤解しているかも。  そういう動かせない定価みたいものは本来存在しなくて、買い値と売り値の折り合いが価格というもの。双方の思わくで(買いたい気持ちの程度、売りたい気持ちの程度で)どのようにも変動する。  文字のために、は、商人という看板のために、面子を立てるために、などを言いたかったのかなあ。  現実問題として、先方がプロの商売人、こちらが素人の売り手(または買い手)であるなら、気後れするだろうし、プロを出し抜くのは至難だろうしで、多少のあまい汁を吸わせてあげるのは容認だろう。  (世の中の巡りをよくするためにも、だましだまされ搾取し合ってお互いがやせ細るよりも、与え合ってお互い肥えるほうがいいに決まってるしね)  ただし、ぼられるような目には遭いたくないので、常にどこかで醒めた心を保持して、素人なりにでもしっかり商品と対価を天秤にかけていたいけど。  ところで、なんで、売り物が森なんだろう(笑)


 3月19日の夢。
・お姉さんがだれかと結婚して(ねて)子供を生む。子供、まもなく死ぬ様。我々、毒をのませてあげる。でも、その赤ちゃんそれでも生きて、「だって、エヘヘ」などといってる。その赤ちゃん■■リにそっくりな子供になってる。
・テスト夢 : 内容忘れ
・将棋の夢 : 内容忘れ


 なんかホラーっぽい夢だ・・  waka君の姉の赤ちゃんが育って、waka君の妹そっくりな子供になるってのは、遺伝的にありそうだけど。


 3月20日の夢。
・将棋逆転勝ちした夢。内容あまり覚えていない。
・世の中がどうとか、しくみがどうとかの社会科のレポートをやらねばならない。 ■中の図書館の中で、本をさがしている。皆もさがしている。 やさしくおもしろいはずの■中先生がきびしく監視していて、ぼくや皆が借りる本をじろりじろりとみながら、ハンコのうけわたしをしている。 時々何かいわれる人いる様。ぼく、2冊借りてしまって、ちょっとめんどくさがっていた様。 もっとこまごました筋があったが忘れる。
・手品をして、指を切る。「ほら切れてしまいますよ。」といって切る。ほんとに切れたようにみえる。 すぐくっつけるが、どうも以後変。人指し指を切ったのだが、それをまげようとすると、2つのかんせつの間でもう一つ、力なくまがってしまう。(まるでとれそう。)
・武家の屋敷の縁側の前で、母親と2人の子が泣いている。なきさけんでいる。 彼らはもうほどこしか、助けか、そういうものをうけねば死ぬ。 そして、それをうけねばならないことをこの上なく恥に思って泣いている様なのだ。 ほどこしをうける。泣きつづける。
・土の中にはいって、体をすべてかくし、目だけだして外をみていたいと思う。 さむらいである二人の友人が江戸時代の頃の本をたくさんぼくにかけて、うめてくれようとする。 そののち、土にうまる。体はすべて土の中。顔の目の所だけ、外をみている。 かが、見える。 →「何」の誤り


 夢っぽくて、あまくなくて。
: 「雪崩 :せっほう なだれ )?」   せっほう、せっぽう、せつほう、辞書になし。  熟字訓なので、なだれ、という読みしかないそうな。
: 「すてごのみよじはどうやってつけられるのだろう  (しらべ!)  物語のたねになる?」  答えはwikiにあるが、命名それ自体は、タネにならないこともない程度か。  捨て子は、物語だろう、生まれる前から、拾われた事情も。  桃太郎だって、捨て子だろう、拾われ子なのだから。
: 「いつのまにか、ステレオなおってる。」  waka君が社会人になってから、大枚はたいてオーディオセットを揃えたが、それ以前に実家に、ステレオと呼べるものがあったっけ。  叔母ちゃんのそれらしきもの(レコードプレイヤーと左右のスピーカー)が、実家におきっぱなしになっていたんだっけ。  それかな・・  で、鳴らしてみたようだ。
: 「ベートーベンの中の運命の中に「ウジャパー エゲペ」というメロディーがある。」  そうなのかい、waka君の耳にはそうなのかい。
: 「星’が欲’し’い」  ほし重なりがいいたいらしいが、意味を求めるなら、  (1) 星を一個ぐらい支配下におきたい。  (2) 勝ち星が欲しい。  って、ところ?  (3) スターの登場が待たれる。  (4) 犯人を捕まえたい。  などは、無理目かな。  日常、かつ、ダジャレ歓迎で、  (5) うめぼしがほしい。  → まあ、橋の上を走った、亀に噛まれた、のたぐいだね。  (ふさぎこんだ兎。もち肌が気持ちいい。タマゴを割ったらきみに会えた。・・とまらない。笑)


 高■氏の欠点
 「多くの文学や物語でいつもそうであるように、つまり、学校のハンサムな秀才とか頭のよいやつらがいつも心がひねくれており、精神的かたわものであり、女にうわべを好かれているというのと同じように、 やはり、彼も秀才でその上ハンサムだからとそのような人間に、多くの場合、前々から、そして外見からみられてしまうという欠点をもっている。」
 「でも、それは、一般的にそういえるね。(ハンサムで頭のよい人は一般的にそう誤解されるね、という意で言った。)」
 「ああ、でもこれは、君だけの欠点ではないけれど、君のもつ欠点にはかわりないよ。」

 コレハツクリモノデスヨ。

 高■氏のこと考えてメシにいったら、台所へいったら、■■に新しくはいった高■さんとかいう女の人が、ごはん食べてた。しずかな人。


 一週間ぶりに、明日登校となって、学校の面々のことを思いだし、その中で、落第なんかを気に病むようなことは完璧に全くしていないだろう、トップクラスの秀才君が浮かび上がったようだ。  (上のようなイメージがあるとして、それはほとんど、眺めるがわのうちにある嫉妬心がそうみせているにちがいない。 物語でそういう例が多いのも、ハンサムでもなく頭もよいとはいえない、女子にあんまりもてもしない、そういう多数派の読者に迎合しているためだろう)  頭脳明晰で、イケメンで、いつも機嫌がよさそうだったけど、わるい奴ではなかった。  とてもしたしい、というほどにはならなかった。  たしか、合唱クラブに所属していて、同じクラブの女子たちととくに仲がよかった。  ・・・  「でその上ハンサム」の挿入は別の色にしているので、後日のものというしるしだろう。  ・・・  終わりは、家業で新しく働き始めた女の人がたまたま高■氏と同姓だったよ、いっしょにごはんを食べたよ、という話し。
: 「姉さん、旅より帰りくる。」  waka君が高二の終わりなので、姉は短大一年生の終わり。  姉きのこの旅行のことはここが初出と思われる。


 姉きの帰る前、めしのおわりの方で、ゴハンよそりにいこうと思ったら、ガスくさい。 ぼくは、「ガスのにおいだ。」といって、まわりをみまわし、まずこれをと思ってみたストーブの火がついていずガスだけでてるのをみておどろく。 さっき、おゆがふくからとやかんをおろしたのだが、ふいていたおゆが火を消してしまったのだろう、と赤ちゃんだいたおばちゃんがいう。 戸などあけ、ガスおいだす。もしかしたら、窒息か爆発であの世行きだったかと思うと少しく恐かった。


 ううむ。  ガス器具は当時、まだまだ原始的だったからなあ。  (都市ガスの臭いというのは、こうして人が気づけるように、わざと着けているそうだ)  この赤ちゃんを抱いている叔母ちゃんが、既述のステレオの本来の持ち主。たまたま実家に戻っていて、おかしくなっていたのを直して、鳴らしたのかも。
: 「明日は終業式。どうか落第してませんように。 落第してるのに終業式にいってしまったら、何て恥なんだろう!!」  (^^;;
: 「10代のスターに集まる10代たちは、異性の匂いをかぎつけあつまりくる欲情をもった動物たちといっていいか?」  いっていいだろう。フェロモンに引き寄せられるのは動物のサガ。
: 「生命体がつくれるようになる、人間すらも。そして、天地真理や浅田三代子や阿部(?)しずえ と同形の女性が大量生産され、多くの男たちが買い求める ・・・・ 風情ないなあ。」  浅田美代子。あべ静江。  風情以前に、いろいろ問題をはらんでいるのう。  男のたわいない夢だけど、いざ実現するとなるとグロテスクになってしまう。  ただし、生命科学の異様な進展をまたずとも、もろもろの、相応で相似した現象は現実社会に根をおろしているようだけど。
: 「あす、■■■■■■■■(■■D1■■■■)さんから、ぼくに近づくかしらと、《スペードA》と《ハートA》が近づくかどうかというトランプの占いやったら、近づきそうもないという結果。こんなことをここにかくのもばからしと思ったが、明日、何かおこったときのためにと思いてかける。」  言い訳がいいね!  もし占いと真逆の結果が出たときのために(またはあからさまに占い通りのことがあったりしたときのために)、伏線をおいておきたい、と。いかにも、創作好きの性癖。
: 「ハートが女らしいのは、《ハートマーク》 ここがおしりみたくみえるため?」  「(コレハ、マチガエ D1■■■■■■でした。)」  明日皆と再会となって、さっきまで落第恥辱の心配だったのに、もう、色気方面のむふふな妄想。  こういう切り替えができる辺りは、節操がないとも言えるけど、精神衛生にはとってもよい性格かもよ。  → ちなみに、終業式ということは、この学年の終わりで、2年A組の終わり。  先回りして明かしておけば、多■■嬢とは別クラスとなってしまう。3年生ではすっかり疎遠になってしまうのだ。
: 「まだ、胸の骨痛めたのがなおってないよう。ちょっと広げすぎたり、圧迫するといたむ。  まさか、ひびがいってはいないだろな。」  自転車で転倒とかしたいのかい。  学校の体育はしばらくなかったわけだから。
: 「今日はフロからあがって、すぐ寝るのだ、気持ちいい・・・。」  落第するかどうかの前日にこれは、大物か?  あまりに、心配症のwaka君らしくないから、やはりなにか、落第しないで済むだろうという感触なり情報なりをえているのかなあ。  (心配しすぎて、平静を演じている、って場合もありそう)  居直りすぎて、そのまま日を重ねて、落ちてもいい、○○すればいい、などとある意味、投げてしまっているかなあ。  たしかに、一生徒としては大恥辱かもしれないけど、生き死にとか、人類とか、地球とか、そういうことまで視野に入れてながめれば、たいしたことではないから。  そこまでいかなくても、社会人になれば、仕事で失敗して他に迷惑をかけてしまう、とりかえしがつかなくて身の細る思いをする。そういうのがピンからキリまである。落第など、自分だけ困ればいいので気楽といえば気楽。かわいいもんだ。
: 「ぼくの ≒ ぼくの  → 語為の「ち」?   「ぼくちゃんの」の「ちゃん」と同じ働き?  「うちの」とはそんなには関連ない?  → 一人言でよく使う。」  語為は語彙の誤記か。意味が通じないので、語尾の誤記か。  そうだっち、行くっち、うれしいっち、のち。waka君の書き癖(口癖?)にある。しかし、毛色がちがう。いつも「っち」だし。  (語為を「かたりなす」と読む古語も、あるにはあるが、さすがにwaka君は知らないだろう)  → あち、こちのちと匂いが似てる。「わっちの」という語あるはず。うち、も類縁ありか。  → 辞書によれば、わたしが変化してわっち、だそうで、ぼくち、はちょっとちがうような・・
: 「この一週間は将棋(詰め状棋、大山先生の解説書2冊 ともによみかけだった、一人将棋)と、読書(アンナ,カレーニナ)をした様。 もちろん、ごろごろしたり、ねたり、たべたり、ぽかんとしたりの方が多かった様には思うが。 自転車直ったので、これもすこし。」  「3/31 ここらから 3/23 らしい」  宿題とか課題とかがないとやらないヤツの典型だね。  動物としては「衣食足りてなまける」のはナチュラルでよろしいと思うんだ。  しかしそれでは、動物にしかなれないかもね。  → 下辺のエンピツ書きは、日付が抜けているが、ここらからが3/23らしい、と、読み直している3/31に付記した、ということでしょう。さらに一週間後だから、正確性はあんまりなし。本項の内容との添い具合もみて、ここらだろうという見当で。
: 「まちがい ←まちがう   まちがえ ←まちがえる  }これらのため?   なぜちがう? どっちが正しい?」  両方ある。  連用形の名詞化ということになるんだろうけど、自動詞と他動詞の差はあるみたいだが、感覚的にはその差がよくわからん。
: 「山  ¥250 自転車のヒモ トランプ」  「4/6 始 8:30 旧ホームルーム2Aに来るべし」  「火■君  教室借りるとき先生にことわる 4月に連盟の会議 4月に先生の所へ名簿  }いっしょにヤルコトにした」  「グラフ用紙! ノート!」  当頁上辺のエンピツ書きメモ。『1974/03/15 せんろからはずれたりして』の3頁目上辺のエンピツ書きメモのくり返しがある。(本文の頁が進んでしまうと、やることリストが昔の頁になってしまい目にしなくなるため、未実行分はあたらしい頁の上辺に転記する、ということでしょう)  山に貸しているので回収すべきが、トランプの勝ち金250円、自転車荷台用のヒモ、トランプのカード自体か。おそらく、自転車のヒモが一番回収むずかしいのでは。会ったとき、waka君のほうが忘れちゃいそう。  ・・・  三年最初の始業式の日、4/6は、二年時の教室にまず来るべし、と。  ・・・  将棋同好会の新会長火■君への引き継ぎ三項目だが、このぐらいは付き添ってあげることにしよう、と。
: 「向 ・・・ :むく  何 ・・・ :なに  }まちがえる??」  つなげ字にすると似かよる、と。  → 横道だが、辞書にないので調べたところ、「似かよう」が伝統的な形とか。同じ例で「しなう、しなる」「はいくつばう、はいつくばる」があるとか。  https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20180601_4.html
: 「1年に、まるで少女マンガからでてきたみたいな細い女の子がいるよ。」  waka君は美少女好き。  花を愛でる気分で、嬉しくなってしまう質(たち)。  終業式だから、まもなく2年生になる1年、だね。
: 「2年のはじめ、二人で老荘思想をやりなさいといわれたときのぼくとOKA■■君(2A)はまるでふつうの男子同志、いい印象ももってたが、2年のおわりのこのごろや倫社を発表したときは、どうもフクザツな関係。 なにしろ、中に女子がはいってきてしまった。この変化、感動するなあ。」  waka君が老子、オカ■君が荘子の発表をした。  一年たってみたら、タ■■嬢がらみで、せりあうような間柄になってしまっていたなあ、と。(結果、waka君の完敗気味)  (他にも、体育のテニスの授業(半月ぐらいは続いたか)ではオカ■君と組むことになった。すでに嬢がらみで微妙だったが、しかしこれは、テニス部員のオカ■君があれはあれこれはこれで切り分けてくれ丁寧にリードしてくれて、けっこう勝ち星をあげたコンビとなった)  なお、(2A)と付しているのは、岡■姓が学年に数名いるためと思う。
: 「旧 キュウ  1日 イチニチ ツイタチ  }まちがえる?」  横書きだとあるな。
: 「いかる こわい おこる おそろしい )みーんな恐?   怒る イカル オコル  恐い 恐しい× 恐ろしい○  ]コレラが正しい」  さらに「怖い、怖ろしい」もあるわけだ。  恐と怖が似かよっているという感覚と、怒と恐が似かよっているという感覚が、ごっちゃになりがちだよね。それとも、waka君(私)だけ?
: 「まぬがれる(まぬかれる)  のがれる  }免?   〜〜→ こっちは、逃」  現代語に、まぬかれる、はなく、文語で、まぬがる、古くは、まぬかる、だとさ。辞書によれば。  〔まぬが・れる【免】 《自ラ下一》 [文]まぬが・る 《自ラ下二》 (古くは「まぬかる」) ・・・ [補注] 類義語「のがれる」は不快な状況から離れ去る意。「まぬがれる」は不快な状況に遭わないで済む意を表わす。〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006
: 「おねえさん、これ、しらずに足でけっとばし( or ふんづけつつひきずり)だいぶしわよせやがった。」  これ、は、この心記のノート。  弟が、たたみの上でごろごろしてて、そばに放っておいたりしたんだろうな。
: 「合わせる○ 合せる× )?  しんちょうのアンナカレーニナは、こっちで書いてある。」  waka君の手持ちの新潮文庫では。  これは、○×とは言いきれず、どっちも書き癖でありでしょう。  私は、waka君と同じ合わせる派だが。
: 「アンナカレーニナ、ほんとにひきこまれるよ!」  wikiを見ると、ドストエフスキー、トーマス・マン、志賀直哉らが、激賞。
: 「小さい頃、リリィが子を生んだとき、だれかにえんのしたのぞくと(のぞいて子供をみようとすると)子供を食べちゃうからだめだよ。といわれ、そんなこわいことがあっちゃかわいそうだとすぐにはのぞかず、お姉さんがのぞいているのをみつけてから、こわごわのぞいた。」  叔母ちゃん(レコードプレイヤーを実家に残していった母の妹)が、高校生のころ、子犬を拾ってきた。  私が幼児の頃から小学校低学年頃まで、ほとんど兄弟のようだった。(あちらはメスだったけど)  しっかりした体躯、茶の体毛一本々々のとがり具合覚えている。当時なので、愛玩というよりは番犬。  リリーの子供たちはどうなったんだっけ? 一匹だけ、リリーの二代目として飼ったはず。その兄弟たちの記憶はなし・・  リリー二代目、名前も忘れてしまったし、waka君をはじめ、あんまりかまってあげなくなって(放っておかれてよく悲しげに吠えていた)、かわいそうだった。waka君が中学生の頃。  リリーの最期、二代目の最期、なぜが記憶にみつからない。  (そもそも、リリーの代から、散歩に連れていくという習慣がwaka家にはなかったよね。それなりの庭があったから、つなぎっぱなしではなかったはずだけど。ただ、二代目は、性格がきつかったのか、つなぎっぱなしもままあったか。現在なら、虐待並み・・?)  そうだ、ある意味、リリー二代目で飼育に失敗したのが(もてあましてしまった)、こたえて、以後、waka家では動物を飼うことは絶えた。(死んでしまうからと父が嫌った。それはもしかしたら、リリーの他の子供たちやリリー二代目の処分など、私の知らないところで父がになっていた、というようなことがあったから、かも)  ただし、waka君の妹■■コだけはずっと動物好きで(めろめろになってしまうほうで)、インコを飼ったり、野良猫を引っ張り込んだことがあったし、結婚後は、自分の家で、犬を(何代か)飼っているようだ。
: 「なんか、ぼくんちの庭は猫の庭。」  他の家の飼い猫なのか野良猫なのか、白、茶、まだらなど、よくのそのそしていたよ。
: 「小学校の頃は、小■君と数学の教科書、どっちが先に終わらせるか、競争したものだなあ、」  どうも懐古的になってるね、この日。(まだ、高校三年生になろうかという若さだけど)
: 「「ゆめ破れて山河あり」?」  杜甫『春望』では、国破れて山河在り。
: 「冗談にも人をけなしちゃいけないよ。その人をほめるということがとりもなおさずその人を向上させるということなんだからね。 (お父さん)」  父は、心根の優しい人なんだよね。  とりもなおさず、は、父らしい口ぶりだ。  → いつしか、陰口でなく、陰誉めをしたらいい、というような意であると息子は拡大解釈した。それで私は実践しているが、陰誉め、ほんとお奨めだ。
: 「ドストエフスキーは男性的に思え、トルストイは女性的に思える。」  ドストエフスキーは奇特の人、トルストイは調和の人。ただしどちらも地力が凄い。
: 「5×0.5 を 0.25 としばし思う。」  しばしば思うではなく、しばし、か。
: 「 《問題図》 左の《斜線部分》の面積の簡単な求め方は? あー! 忘れてしまったのだ!!」  この図形問題、わりと有名だが、簡単に解けるワザとかコツがあったと思っているようだけど、現在検索してみると、かなりむずかしい。  https://okwave.jp/qa/q3864022.html  正三角形の補助図を書き込むことに気づかないと、無理っぽい。  普通気づけないでしょう、小学生、中学生レベルでは。  高校生でも、白紙からそれを発見するのは至難と思う。  (テストの時間内では見つけられないという意味ではなく、数時間、数日悩んでも、たぶん見つけられない。並みの秀才程度では)
: 「明日より、1日30語ずつ、11月まで、だいたい単語6000を覚える!! 1日に辞書5ページ。 約2時間をかける。   また、英語リーダー、グラマーをそれぞれ1日2ページずつやる!!   春休みは英語にあけくれよう!!」  いきなりの決意表明。  ずいぶんな意気込み。  終業式の日なわけだが、先生に呼ばれ、落第は免れたが、英語でだいぶゲタをはかせてもらえたんだぞ、とか、言われて、ハッパもかけられて、・・という事情がほぼまちがいなくあったんだと思う。勇ましすぎるし、無謀すぎるし。  そして、waka君のいつもの有言不実行を想起すると、無理目の計画は、やはり、無理、というオチだろう、これもほぼまちがいなく。
: 「1日18時間起きてる。  そのうち、2×3=6 が食事、休息。  残りの12時間を読書と心記と勉強にあてる。  単語暗に2時間 Readerに2時間 Grammarに2時間 心記フクセイに2時間 読書に4時間 >というわりあて!!  例えば、  AM6:00 朝めし  8:00 Readr(1)  9:00 心記(1)  10:00 Grammar(1)  11:00 読書(1)  12:00 昼飯  PM  2:00 Readr(2)  3:00 心記(2)  4:00 Gramm(2)  5:00 暗(1)  6:00 夕飯  8:00 読(2)  9:00 暗(2)  10:00 読(3)  12:00  ※たとえ、その時間内におわらなくとも、その時間いっぱいやればいい?」  なんとなく、まともそうな時間配分だが、これだけをくりかえすような毎日は、waka君には無理。やっとぎりぎり一日半ぐらいか、辛抱できるのが。  たとえ、心記や読書が息抜きとしても、きらいな英語に毎日こんなにつきあっていたら、おかしくなっちゃうだろう。  中和したくなって、別の好きな教科とか、よりきらいでない教科とか、勉強以外の遊興への欲求がおきる。  で、いつものコースで、ぐだぐだに、なし崩しになっていく、のでしょう。  (喉元過ぎれば熱さを忘れる、そのまま)
: 「しかし、余裕をもって生きたいなあ!」  早くも腰くだけの予感。  この夜はおそらく、計画を立てたことで満足して、ほぼ何もしないのだ。  → ここらでも分かるように、昔からほんと計画好きなんだが、 何度も何度も、無理な計画は立てるだけ無駄という失敗を重ねて、何十年、しだいに、ようやく、実現可能な計画を立てることに慣れてきた。 今では、計画が立てられれば勝ったも同然、という境地に至っているかもしれない(大げさ? 笑)。
: 「腰を腰だって。」  2字目の右上が、十になってる。
: 「1月と2月の英語、フェブとジャニがどっちがどっちかわからなくなる。」  爆笑。  ハッパを掛けられ、いきなりがんばろうとしても、こういうところでひっかかってると思うと、楽しい、というか嬉しいというか!  一月 January Jan。 二月 February Feb。
: 「まさぐる、に探るという意含まれる?」  弄る、と書くようだ。ま+探る、という語釈はとりあえず辞書にないが、無関係ということはないだろうなあ。


 オカ■君は修学旅行のとき、ぼくやフク■■やコン■■君(彼には前から?)に、タ■■さんが好きなことを明かして、 「将棋なんかやってたから、タ■■さんは■■君好いてるかと思った、」とぼくにいって、 「タ■■さん、いいと思う?」などというようにつけたす。 ぼく思わず、「いや、ぜんぜん。」といってしまうが、そののち、これはたいへんなくぎをさしてしまった、と思い、 思しわけのように「いや、やっぱりいいかな。」などという。 これによって、ぼくはオカ■君に先をこされ、ぼくはまるででしゃばれなくなったのだ。漱石先生の「心」みたい。 でも、こっちの方がよかったかも、平和で。しかし、よもや、彼女に対するような思いがぼくの心で育とうとは!  ぼく思うに、ある程度下地のできていた所に、オカ■君が「タ■■さんが好きなのは■■君かと思ってたよ。」 (つまり、上の言だが、はっきりした文句は覚えていない。)といったため、この言のため、大きくひろがってしまったのだ。 これをいわれた後、どうしても意識してしまった。そして、いわれたのちすぐ、まるで進行を閉ざすようなくぎを自分でさしたのだから、皮肉。


 この件、何度も反芻してる。  もう半年ぐらい前の事なのに。(学年の終わり、節目ということもあるんだろう)  恋は盲目、とはいうが、半世紀後から眺めると、多■■嬢、人柄も善く、外見もおっとりとして佳い娘ではあったが、シャンというほどでもなく、どうしてそこまで気になってしまったのか不思議だ。 まして、複数の男が取り合うなんて、イメージ的にはだいぶ違和感だ。  女男男の三角関係の頂点にすわるような柄ではなかった。やっと男女女の控え目な女子のほうとか、三角以外の平穏女子とかがふさわしかった気がする。  善良でおっとりしていても、女は女だったということか。しらずしらず、無意識の偽善をふりまいていたのか。  → すくなくとも、本項で自ら指摘しているような、男二人が競り合うようなことになったがゆえに、女の値が上がる、上がるゆえにますますつのる、そういうからくりは動いたんだろうな。
: 「なんでお母さんは怒るとき、ギャーキーいうような感じなんだろうなあ。」  女性は、より動物的なのかな。
: 「調度」  「調  ほんとにチョウという音か、一瞬、わからなくなる。」  「調 こっちという感もある??  諜 >報部員」  調度品、とはいう。  ちょうどいい、のちょうどでもあるような気がするんだが、辞書は丁度と書いて別語扱い。  手元漢和辞典によれば、諜は、古い段階から、敵情をかすめ取るという意の使われ方をされたようだ。
: 「一品 逸品」  微妙にアクセントがちがうよね。
: 「単語30を覚えたら、それらをくみあわせて、文書をつくってごらんな。」  誰のセリフ?  自分で自分にいっているんだろうけど、口ぶりから母親か姉に言われたのを記している可能性もあるな。
: 「M」が形態変化して「H」。
: 「ワルノリがあってこそ進歩がある。」  これはわりと真だ。  プチ名言?
: 「佃 つくだ  佃煮 つくだに ってどんなのだっけ?」  江戸佃島の住民が自家用につくり始めたという由来なので、佃は地名。  佃自体は、作り田が語源の、古い語のようだ。
: 「03−3■■−5■■■」  電話番号だろうが、どこのだれのか、まったく不明。  (半世紀後でも、実際にかけてみれば多少はわかるんだろうけど、勇気なし)  それに知人に電話するためのメモとかなら、心記本文ではなく、上辺エンピツ書きが適当だろうという気がする。  市外局番が東京。まだ地元千葉に住んでいるわけだから、縁は薄そう。  これらを勘案すると、ラジオリクエストの宛先とかかなあ・・  聴きつつ、とりあえずここにメモした、とか。リクエストなどをする気はほとんど無いので、実用というより、社会の姿の微細な一端の記録、のような感覚で。
: 「倦む うむ」  日常語とはすこし離れていて、ちょっとかっこいい。
: 「オカネチャンチャコ.」  耳にしたんだろうけど。  小銭がチャラチャラしてるかんじもでてる。
: 「ストップ トマップ」  これはよくわからない。  スとマの姿が似てるといえば似てるので、ストップがマトップに見えた、ならわかるけど。  → そうか・・ ストップは止まれだから、ストップと止まれを合成して、トマップってこと??  (waka君、おまえ、おかしいんじゃない!? 笑)
: 「あまりにも食いすぎるから、これからは腹八分目にしなさい!」  これは明らかに心の声だろう。
: 「バンドの鉄の所、すごく暑く 熱く)なってる。」  なんで?  腰のバンドの留め具、とは思うが。  夏ではないから、陽ざしによる加熱ではない。ガスレンジのそばに立っていたりで、あぶられたか。
: 「ある画家が何かの圧迫をいっしょうけんめい手でおし上げようとしている絵をかき、「これは何に反発してるとお思いですか、という。」 だれかが、「よほど大きな苦痛に反発しているのでしょう。」というと、画家は絵をさかさにして、「ええ、彼は自分の重みに苦しんでいるんです。」と言う。」  ふむ。  小さいながら、わりと、話になってる。
: 「井上ヒサシをヤスシ」  井上ひさし(1934 - 2010)、井上靖(1907年 - 1991年)。  有名作家同士だからまぎらわしい。  だけど、おおやけに「まぎらわしい」と言ったり書いたりするのには遭遇しなかったような。  (お二人それぞれを明確に識別できていないなんて恥ずかしい、と思うんだろうか、知識人であるほど)
: 「前川ひろしって、どんなやつ?」  東京沙漠うたってたよね。  ・・と思ったら、内山田洋とクール・ファイブのメインボーカルは前川清。  そっか。前川清か。  (前項からの流れで、ひさし、やすし、ときたので、○○しは浮かんだが、きよし、に至らなかった、 グループ名が内山田洋・・でもありこれを突破できなかった、わけだ)  それとも、有名人で、ほんとに前川ひろしがいたのか。(有名なら半世紀後でも検索にヒットするはずだが・・)  無名、つまり、waka君の周囲にいた、学校の生徒とかでこの名のヤツがいた、とかまであるにはあるけれど。
: 「ギョウネン」  行年で、享年(きょうねん)と同意とのこと。
: 「今日の勝海舟、あまりおもしろくなかった。」  この年のNHK大河ドラマでしょう。  1974/03/24は日曜日。  wikiによれば、タイトルは、3/17 黒船渡来 3/24 風浪 3/31 巣立ち。
: 「カンシとは何?」  監視 漢詩 諫死?  監視や漢詩ならわかるだろうし、前項が勝海舟なので、耳にしたのは諫死だろうね。
: 「短い小説、物語は、本来は長くあるべきなのを、圧縮したものであってはならない。 短くて、はじめてそのほんとの意味がでるものでなければならない。 というより、その作品は、それでこそ、その本体であり、それ以外でないようなものにならねばならない。」  言いたいことを自分でもつかみ切れてない感じは、でてる。  作品は、その作品のあるべき姿であるべき。 当たり前といえば当たり前だけど、この加減がわかってその通りを実現できるなら、もう玄人の書き手と言えるのではなかろうか。  長さに限らず、そして小説に限らず、と思いを広げていけば、この当たり前が芸道の奥義なのかもという気もしてくる。
: 「歯と歯の間にすきまがあると物がはさまって困るが、すきまがないと、はさまったのがとりにくくて困る。つまりは、中途半端なすきまが一番困る。」  うんうん。  わかる。  隙間がほとんどなければ挟まらないでよいのだが、そこに一旦挟まってしまうと、ほとんどなかったがゆえにがっちりつかまれて、相当やっかいなことになる。  (ガードの堅い女ほど、一旦突破すると、今度は放してくれなくなる。みたいな? 全然ちかう? 笑)  すっきりしたくて楊枝を使って、楊枝の先っぽが折れて歯に挟まって、全くとれなくなって、その異物感をすっきりしたくてまた楊枝を使ってまた折ってしまって、みたいなことが何度あったことか。  (それでも若い頃は、折れるのは楊枝のほうだったけど、歳をとってくると歯のほうが欠けたりするケースがでてくる。かなしいよね〜 )


 今日の夢、どこか駅の地下、いや一階。 とにかく、出口にでるためにお西と2人でカイダンをのぼろうとし、カンバンみたいのがカイダンをさえぎっていて、それをおとしたのがぼく。 それをまたいでいくこともできるが、お西よびもどして、なおそうとつとめる。
・もう一つの夢。大きな手が何か、工事をしているのが、遠くから見え、ぼくが高■氏に「すごい手だね。」と教える。(これは前にも見た。) バスもでてきた。他こまかなことも多くあったが忘れた。


: 「Re■□ Gr■□ 心□□ 読□□□□ 単■□」  これは計画の進行状況でしょう。四角一つが一時間で、■が済み、□が未。単は単語暗記。  いちおう、有言実行しようと、やってるのね。
: 「ヤル」  射精。  わずかながらだが、やはり、罪を感じて言い訳がしたくて、二文字だけの記録をするのかな。  その意味はうすれて、もう、ルーティン的な締めになっているだけかな。
: 「きのうも今日もおにし来る。ギョライ戦ゲームは、きのうまけたが、今日は勝つ。今日はボーリングをレオボールでやる。」  おにし、よく遊びに来るね。  中学同級、高校は別。高二から高三にかけての春休み。  おにしの学校での友人というのは、あんまりいないのかい。
: 「心記の上のらん覧や、裏表紙に書いてあることも RUKOTOMO 整理せねば。」 「コタツ  テニス 本 ウワキ  びぶん」  当頁上辺のエンピツ書きメモ。  らん覧は、欄外、と書きたかったか。  整理したかったがほとんどできなかったのが現状なのか、実はだいぶやった結果が現状なのか、どちらかはわからない。  びぶん、は、ここだけでは美文かと思ったが、本文もみると、微分らしい。
: 「ボーリングのためか、右手痛い。重い物もてぬ。手首、かったるい。」  「かったるい、とは?」  二十代前半ぐらいまで、ボーリングはわりと遊んだ。スコアは平均130、最高でも180ぐらい。
: 「女の子とぼくのこと考えるとき、ぼくの太った姿態とにきびの園を忘れるな。」  分不相応な夢を見るなよ、と。  まあ、外見的なこと、それも、一時的なものだった。
: 「3年のクラスは、D1■■■■■■さんと、むしろちがうクラスになった方があきらめもついていい。」  賢明かもね。実際その通りになったんだっけ。  waka君の恋心は、わりと即物的で、遠距離どころか、クラスがはなれる程度で冷めていってしまうものだったな・・
: 「みうごいて みうごって みうがって  )?」  みうごる? みうごく? こんな日本語ないよね。  みまごう、みまがう、の発声ちがいや聞き取りちがいかも。
: 「なんで外科医はへらぬのかね?  あんなおそろしい仕事、まったくやるきななのに。」  やるきな = やる気ない、の短縮形。  waka君はやる気ないのだろうけど。  誰かがやらねばならないので立ち向かう人間がいる。善いことではないか。  (ちなみにだけど、現代日本の、青年の、理系アタマの最優秀な部類の、ほぼ半数が医者になるのではなかろうか。  あんな、困難な、汚れ仕事に、あんな天才児、秀才たちが、人生を投じる。  純粋な動機ばかりではないのかもしれないが、それって素敵なことだと思う。捨てたもんじゃないよ、世の中、って思う。  あまいかなあ・・ )


 今日の夢はフクザツ!!

・電車か何かの中でイト■■とどこの大学にいくとかいかないとか話している。 自分の部屋にいて、さむい風がふいてるから、窓をしめる。 何か手をひっぱられるから、きっとこれは夢で、外でだれかがひっぱってると、目をあけると■■リの姿がみえるが、おきあがってよくみると部屋にはだれもいない。
 というのを、もっと、順序よく、筋が通って見た。そして、それをまとめ、ここに書く夢までみた。
・また、いつかきた川。(いつか、というのは、夢の中で、いつかきた川。) きれい、というより、健康的な緑の川。コンクリの橋などが、かかっている。そばで、テニスをしている。  《テニスをする様子らしきイラスト》  一方は小高い丘、一方はうしろにコンクリのかべのある低い所で、上には中年(or老年)の男、下には若い女が何人もキャアキャアやってる。 川で泳いでいる人もいる。(このテニスさえ、いつか夢でみたもの。) お西とか、久っちゃんとか歩いている様。 とにかく、もう一人が、「微分しきれないものを、こういう川に捨てていってもいいのに。」という。 微分しれない、という所、もっとも、と思う。
・本屋か、雑貸屋。 どこかでみた人だなと学生服姿の人の顔をのぞくと、3Cのアベッチョ。あっちは気づかぬ。
 ■■高のそばではなくて、どこか、他の学校のそば。ぼくだれかつれといっしょに何か買う。 ぼく、去年の■■高文学クラブ誌買う。自分のが(2つほど)のってるはずなのだ。 ひょいとあけてみておどろく。自分の詩の所には大きなさしえがはいっているのだ。 半ページでおわることが、3ページにわたっている。その詩というのは、
 《この文芸誌の絵入りページのイラストが二つ。右のには(大仏の?)顔らしきものも》  「昔、ドライな大仏が本を読んでいた。」
 とかいう文句で始まる、ぼくがつくった詩だが、現実にはまるでぼく知らない。 夢の中ではずっと前に一度、やはりこの詩がでてきた様。 そして、絵をかいたのは、石森章太郎。こいつか、と思いながらも、非常によろこんでいる。 去年はなかったのに、多くの所にさしえがのせてある。唯か、女生徒がその店にはいってくる。


・ある男。どこかつりにいく。一人でつってるのだが、何か大声だすと、川向こうから何か、 レールのようなものにのって、言ったものがすべってくる。 数メートルはなれた、あしの川の向こうに、若い妻がいるのだ。何か静かできれいな人なのだ。
 その男、同じような所でうわき。相手の女は、ゲレツな味もあるが、どこか、ぼく自身のように親しみもある。 男とねて、アイブをつくし、うめき声をあげる。 一段落つくと、男は川向こうに大声をあげる。レールを何かがすべってくる。 まあ、奧さんがいたの! と女はおどろき、非常に奧さんに対して、悪いと思う。 妻は、少しはいやとは思ったが、それでも夫のいうとおりにしていた。 そのあと、そのゲビタ女、川端で妻のてつだいをして、その男に少しつくす。


・この詩の三ページ目は、ある日いってみると、大仏が消えてしまっていたというようなことを書いてあるのだが、 ここは、文字が消えて、文字のかわりに黄か茶のにじんだようなもようになってしまっている。
 《そのにじんだもようのようなイラスト、二通り。or でつなげている》 

・まだ書いてないこと、とてもたくさんあるはず。


 イト■■は、高校友人。文学クラブ仲間。  ■■リは、下の妹。  お西は中学同級で、高校は別だがずっとあそび友だち。  久っちゃんは中学同級で、高校も同じ。(秀才。大学は数学関係へ進んだはず)  微分しきれないものを川に捨てる。夢の中ではふつうにつながるみたいだ。  3Cのアベッチョは、中学の3年C組(waka君のクラス)のアベッチョ。  誰か、女生徒が。  どこかつりにいったある男と、川向こうの妻、ゲビタ女の三角関係話は、創ろうとしてもつくれない面白味ある。  それにしてもここの絵はどれもおおざっぱ。書いておきたい文章量が多いので、急ぎで描いているみたいだ。
: 「貸 か を 賀」  左下、雑賀・・と書きそうになったようだ。  しかし、ちゃんと書いたつもりの雑貸屋もまちがい。
: 「どんな夢も、今のぼくのようなうつろい、ものうい状態を示すことないな、などと、いろんな夢みて、おきたあと、ふとさびしくなって、いう。 ほんとに現実は、夢にくらべて、希望が少なく、物語的味がない。」  まさに夢のあとの感想。  うつろな、ものうい状態だからこそ、こうしてそこそこ意欲的に、夢を書き残せたのかもしれない。  得がたい、貴重なページと思う。

※ 『1974/03/27 重力をよりうけるからというわけで』 : 「■■コ¥1000 ■■リ¥1000 ぼく¥5000 >人生ゲーム」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  これは、ゲーム結果の成績メモではなく、人生ゲームの商品代金を兄妹で分担しようということだろう。  〈当時としては、7000円はちょっと高くないか? ・・今、Amazon でみたら、3000〜6000円という相場。う〜む?)
: 「おもしろがる  おもしろめる」  無いと思う、おもしろ+める、という語は。  あがめる、きわめる、さだめる、なだめる、ふくめる、などはみな、動詞+める。(または、マ行四段活用動詞の已然形か命令形+る、か)  おもしろめるは、形容詞+める、になるし。
: 「レンズマンのレンズと、サトミはっけんでんの玉は似てる?  レンズマンにはそのうち、悪いやつが悪いレンズをもつようになるが、サトミはっけん伝の方にも黒い悪い玉がでてくる。  E・E・スミスはまねをしたんじゃないかしら!」  E・E・スミス作のスペースオペラ、レンズマンシリーズ(1937年〜)は、翻訳されて創元推理文庫で刊行、中学のころのwaka君がおおいに楽しんだ。(が、その後アシモフやハインラインを読むようになると、子供っぽいシリーズだったような気がした)  曲亭馬琴作、南総里見八犬伝(1814年〜)だが、waka君が接しているのは、NHKの人形劇(1973〜1975年)と思う。ただし、おもしろかったというより、退屈だった、という印象が残っている。  レンズと玉の類似性だが、今詳しく調べたわけではないが、百年後の米SF作家が真似をしたという線はないのでは。  そういう特殊アイテムの物語の中での活用法は、誰が考えても似かよってしまう、って感じでは。
: 「銀座わが町より、あした天気になーれの方が、2人の間の変化がおもしろかった??  (■■コ and ぼく)」  TVドラマについて、上の妹とwaka君の見解が一致した、と。  NHK『あした天気になあれ』(1972年)、NHK『銀座わが町』(1973年〜1974年)という順番らしいが、 『あした天気になあれ』のほうは Wikipedia にも詳細が載っていない(該当ページがない)。  探したら、http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-13293 このあたりが多少詳しいか。(すでに映像は残っていないとか)
: 「ボーリングをやって以来、おや指のつけ根痛い。」  自分中心のノートなので、意識に障ることは書きたくなるのだよね。
: 「しかし! ・・・ 高■のまさ■さんと高■氏にうけたかもしれない、あの、あの日の恥辱は、いつの日にか、しかえしをしてやる、うらみをはらしてやる!  ―――→ つまり、副会長と書記をまちがえたときのこと。 まるであの2人とぼくは人種がちゃうようにみなされたような事。 ときどき、ふと頭にうかんでくる、あのときの恥辱はそのときどきにぼくをハギシリさせる。  ―――→ しかし、ほんとに彼らはぼくをみさげたのか? ぼくだけの一方的な見方??」  しかし! などと、不意にフラッシュバックする、軽いトラウマのようなものだったか。  気心の通じ合った優等生男女が(美男美女でもある)、こちらをモブ男子扱いした、なにわけのわからないことを言ってるんだろう、という目で二人がこちらをながめた、プライドをもみつぶされた、そういう恨みなんだよね。  しかし、わけのわからないことをいっていたのは事実だし(まさみ嬢の役職を勘違いしていた。waka君が何かの役務を負い、ともにそれを担うのがまさみ嬢と信じきって色々話しかけた、そうしたら、という経緯)、いやしめられたような印象のほとんどは、大きな懸隔を直感した心が見せた幻覚だろうしねえ。  一年生の頃のことだから、すでに二年近い前のこと。そしてラスト行にある通り、ほとんど、waka君だけの思いこみ。  よかったね、(このあとも)恨みを晴らすようなことをしないですんで。  ・・・  言ってみれば、普通で善良で温厚とくくられるようなwaka君でさえ、暗い心が惹起するぐらい、彼らが高みにいた、ということかも。  高校入学直後の頃は、彼我の差はあまり意識していなかった記憶があるので、この件あたりが契機になって、しだいにそれを悟っていった、しかたなく折り合いを付けていった、のかもしれないな。  (たとえるなら、不良学生同士が眼力や拳で語りあって、ヒエラルキーがととのっていくような。 当たらずとも遠からず? 笑)
: 「おそまつの意は?  辞書にでていない、といぶかしがる。」  粗末、で載っていたのでしょう。  waka君の頭には、なにより赤塚不二夫の「おそ松くん」があったと思う(小中学校の頃したしんだ漫画やアニメということになる。他ではほぼ、この語は見聞きしなかったはず)。お+そまつ、という分解に思い至らなかったみたいだ。  本項の書き方から、すぐには至らなかったが、すでに答えはわかっているようだけどね。
: 「両肩 りょうけん りょうかた」  辞書的には、りょうかた、もありのようだ。(用例少なからずってことらしい)
: 「アンナカレーニナをひらきつつ、ドコンジョウガエルもひらき、これもかく。」  読書スタイルは、人それぞれ、自由だもんね。
: 「夜になってから、雨が雪になった。ちょっとのぞいてみたら、夜の暗い中に、しめった雪が白くひかっていた。」  ぼたん雪が舞い落ちてくるところではなく、積もり具合をいっているか。  三月末、だいぶ遅い雪だ。
: 「はたして、おわってしまう小説なんてあるのかしら?」  読みようによっては哲学的だけど・・  文字通りの疑念が浮かんだってことだろうか。  すぐ前で触れた「アンナ・カレーニナ」だとして、あまりに迫真で、生きている人々としか思えなくて、ならば、その世界はこちらの世界同様、終わりはせずに日々をくり返して行くとしか思えない。  ページが尽き、物語にひとつの決着がついたとしても、変わらずに。  そういう感覚。
: 「「ターザンする」という動詞まである?」  もちろん辞書にはないけど、固有名詞+する、で深浅様々なパターンがありそう。  ターザンする、はたぶん、ヒモ状のものにぶらさがってこちらからあちらに振り子のように移動する行為、を指す。 大口をあけて高らかに叫びながらならば、なお良し。
: 「久ちゃん、中一の理1のときだったか、テンビンがつりあうかどうかで、より下の方が重力をよりうけるからというわけで 《両方 10g だが、右の錘が下方の天秤図》 でも、右の方がさがるとして、バツをもらったテスト解答のとき、 先生にそういう理由があると説くと、先生も、そりゃほんとうだが、そんなこまかいことは考えなくてもいい。 久ちゃんが、でもぼくは ― といい、先生が、それでは君だけはマルにしようとかいったときには、久ちゃんの目には涙がにじんでいた。 たぶん、だれも久ちゃんの要求を不当とは思わなかったろう。その信用、と真剣さ。」  久ちゃんではなく、久っちゃん(くっちゃん)が正しい。  その主張が正しい(実験すれば右が下にさがる)かどうかは今の私では分からないのだが。  重力は物体間の距離の二乗に反比例して働く、というが、おそらく、この実験では、重力の作用に差があるとしてもあまりにわずかなので、左右の錘の質量を小数点以下何桁までも厳密に揃えなければ実証できない、あるいは空気のゆらぎや天秤の支点の摩擦なども考慮しなければいけない、そういうレベルなのではなかろうか。  (一度、左右の錘を同じ高さで釣り合わせてから、右側だけヒモを延ばして下方にすればいい、かとも思うが、この場合は延ばしたヒモの重さが余計となりそう。 ・・そうか、ならば、一度、左右の錘を同じ高さで釣り合わせてから、左側だけヒモをたぐり上げて結ぶなりすればいいか。これならヒモの質量に変化はない)
: 「おユウギ :なつかしいことば  ユウギの意は?」  幼稚園の頃。  当然、遊戯だよね。  友誼という感覚はあったと思うが、この字を当ててもいいという気づきは、浮かばなかったと思う。園児はもちろんほとんどの大人たちにも。
: 「中学校の時、キシ■■さんは、カネハジキをヤルワレラをお母をおもちゃにしちゃいけないわとたしなめたものです。」  お母 → お金。
: 「しかし、キシ■■さんはどっか、し たしみのもてる陽気なような人だった。 今、ぼくの顔をカガミでみるとみられないように思うが、あの頃はまだましで、まだました顔だったため、ぼくにしたしくしてくれたのかしらん?   1年のはじめ、お西と2人でオッパイにタッチしちゃうぞといじめたり、 フォークダンスをやるとき、女と手をつなぐなんてキタナイキタナイとおにしらと、うわばきのうらに自分の手をこすりつけたりしたとき、 (なぜ、こすりつけたんだろ?)彼女に平手でぶたれたり、(「■■君、やめなさいよとかいったっけ?)いろいろ思い出のある人だよ、あの人は。」  5〜3年ぐらい前の思い出。  春休み中だが、だいぶ懐古的な心情になっていてあとからあとから出てくるもよう。  うわばきの裏のきたないところで自分の手を消毒するほど、さらに女子の手はきたない、という理屈かな(^^;;  女子に頬を平手うちされたのは、これまでにただ一度、このときだけ。  天然パーマで、ちゃきちゃきした女子だった。わりと美人。高校は別。


 7教科か、8教科のテストで合計四百数点をとり、平均80点ぐらいになって、先生が「こんどは■■よかったな。」という。 ぼく、ただもううれしい。平均80点以上は高■氏とぼくのみ。 どっか、購買のでかい所にいきそこで、お西と買い物してると高■しのぶ君が来て話をする。お西、気まずそう。

 しかし、目がさめて気づくと、非常にあさましく感じた。なまけぐせがついたか?


 合計四百数点では、5教科ぐらいでないと平均80点にならない。まあ、夢だから。(それとも、現国・古文・漢文で3教科合計100点満点、などという場合もあったんだっけ?)  お西は他校なので、いっしょに学校の購買に行く場面は変。これも夢だから。  その購買で、waka君が同校の高■しのぶ君と話していると、他校生徒のお西が気まずそうになる。これは確かにそうなったりするだろうけど。  あさましい、子犬がしっぽを振るような喜び方をした自分が、と。  なまけぐせというのは、努力もせずに狂喜できるような結果だけ求めているらしい自分の性根に言っているんだろうね。  (まあ、いくつになっても宝くじ買いをやめられないから、性根は当時のままかもよ)


当頁 2024/03/11(月) 〜