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1974/04

 


















1974/04/01 これは異常なの??
 
















1974/04/08 ¥300の馬券
 














1974/04/14 すごく頭が大きく四かくい
 
















1974/04/17 珠算のときのように
 


















1974/04/27 ワイシャツのここを切りとって
 


















1974/04/30 この鼻にできたのは何なのだ!
 













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『1974/04/01 これは異常なの??』 2024/06/24(月) 〜
2024/07/01(月) 〜
2024/07/08(月) 〜
『1974/04/08 ¥300の馬券』 A、B 2024/07/15(月) 〜
『1974/04/14 すごく頭が大きく四かくい』 2024/07/22(月) 〜
『1974/04/17 珠算のときのように』 A、B 2024/07/29(月) 〜
『1974/04/27 ワイシャツのここを切りとって』 A、B 2024/08/05(月) 〜
2024/08/12(月) 〜
『1974/04/30 この鼻にできたのは何なのだ!』 2024/08/19(月) 〜
2024/08/26(月) 〜
2024/09/02(月) 〜

※ 『1974/04/01 これは異常なの??』 : 「女の子の生き方」 「バス」 「 [寺] [神社] 」 「■■ 《横長枠の中に 白黒  白 の小枠、という図》 >この2つを点ける。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  右の図関係は、家業の職場のとある領域の、操作すべきスイッチのメモ。宿直のとき、夜中に点検する。
: 「つりきちさんぺいのヤグチタカオは、白土三平に関係あるの?」  『釣りキチ三平』矢口高雄。1973年〜。  主人公の名が三平というだけでなく、絵柄が同系統(模倣ではなくちゃんと自立してるけど)なんだよね。waka君の目でもそうとわかるほど。  矢口高雄氏の公式サイト https://www.yaguchitakao.com/profile/ に、〔尊敬する漫画家 手塚治虫、白土三平。幼少時代から手塚マンガに狂い模写ばかりしていた。銀行員時代からは、白土三平の『忍者武芸帳 影丸伝』、『 サスケ』、『ワタリ 』、『カムイ伝』 などに狂い、銀行員時代に『ガロ 』に投稿後、30歳 という遅咲きデビュー を果たした。〕とあった。
: 「ありゃあせん  ある?」  ありません、といってるのだから、ない。
: 「ぼくの知りたいことだけおしえてくれる大学なんてありゃあせんだろうし。 しかし、こういう大学ありゃいいのに!!」  たいして知りたくないこと、面倒だったり苦痛だったりすることまで押しつけてくる、そういう所なんだろうな、学校というのは。  で、そういう余計と思われてでも押しつけられた知識や経験が、のちのち、役にたったり、人間の幅を広げたりもするから、単純ではない、と・・  (食わず嫌いだっただけで、好物になっちゃったりすることも)  もちろん、こんなこと一生要らないだろうという知識が本当に一生活用することがなかったなんて事もざらだろうが。  ・・・  現在、知りたいことだけを教えてくれるネット環境のことを、フィルターバブルとか認知バイアスとかで説明している。  waka君の理想の大学では、似たような弊害が生じそうだから、まあ、のめりこんであらぬ方向に堕ちていくことだけは注意したほうがいいかも。
: 「■■コの茶わんをわってしまった。はじめは同じ茶わんを買うということで話がついたが、それでもなくので、 「それならはじめからお金でせいきゅうすればよかったのに。」といったら、泣きながら、「そんなら2千円ちょうだいよー」という。 もっとやすくなんない、というが、泣いてうけいれぬので、2千円あげちゃう。わりと金あるときなので、それほど損したとも思わぬ。これで、ちゃわんかいにいかなくてすむし、きっぱりおわるのだからヤスイ。」  兄妹のトラブルを金で解決。  でもなんとなく、兄がしてやられた情景にも見えるな。  割った茶わん、せいぜい500円だろう・・ 慰謝料含めても1000円が相場ってところでは? 面倒がらずに、千円近くまでの値引き交渉をするべきところだったよね〜(^^)
: 「このごろは変な夢ばっかみる。(いつも??)」  夢は変で当たり前だから。  変ではない夢を見るほうが変だわな。  (というか、これは・・ 変で当たり前の夢だが、起きる前にほとんど忘れてしまうのも夢。それを、覚えていすぎる、というところが変、ということなのかも。・・毎度、夢の記録ばかりとっているうちにそういう質(たち)に変わってきたってこと?)
: 「カイ■ウカミヤにむかったら横断歩道の所で赤い服の女の子が中にはいり、ぼくがそこまでいくとでてきた。小学校のカイ■ウさんにそっくり。小学校のカイ■ウさんは、カイ■ウカミヤの身内なの?」  だからそうなんだよ。店の娘だから、そこに出入りしてるんだよ。  小学校の同級生なんだから、声ぐらいかけてあげなよ(^^;;  (この文具屋に少年の頃からずっとかよっていたはず、同級生と姓が一致していることに思い及ばないまま。例えば、鈴木紙屋ならわからないではないが、珍しいほうの姓なのだから、勘が悪すぎだよ。  ・・でもまあ、世間知が十分でない時期からそうだったから、あらためて疑うきっかけがないままだった、このときまで、というところかなあ。前おきとして、少女たちと少年たちの交遊の輪はあんまり重ならないので、おうちのことまではよく知らなかったってのもあるだろうね)
: 「カイ■ウカミヤでたら、ワタシンとかいう人が馬に武者姿で乗ってたよ。」  何かのイベントか。  そういう事でもなく、県都の街中で、生きて闊歩している馬に武者姿で騎乗して、通行してたら、変人奇人を通り越して、おまわりさん案件だろうしね。
: 「かってきた集形用紙のたて長のやつ、よこ長のやつより、けいが太い。ちょっとがっかり。」  そのカイ■ウカミヤでゲットしたわけだが、小ミスがあったか。  こだわりがこまかいんだよね、waka君。筆記具関係には。  (こまかいんだが抜けてもいる。集形用紙ではなく集計用紙が正しい名称)
: 「両方のくすり指 《薬指の絵》 ここまで爪があるみたい。 そういえば、 くすりゆびは、いつも爪ののびが早し」  絵の通り、爪が皮下にまであるようなのは、他の指も触ってみれば同じ。薬指だけはみただけでそうとわかるってことかな。  なお、現在の薬指と比べると、絵の爪の先の鋭角がもっと丸っこくなってる。指先自体がとがっていない。この絵の写実が正確だとして。
: 「お母さんのピーピーした声は、みんなを、少なくとも僕をキーキーさせる。 お母さんにはピーピーした声と、普通の声とかあるのだ。」  「お母さんに、「お母さんのビーピーした声は、みんなをキーキーさせるよ。」と言う。」  笑。  このような声をしばしば浴びて育ちあがったので、女性一般のピーピーした声は苦手になってしまった。  ああまたか、かんべんしてよ、という感じ。  もちろん同時に、ピーピーした声をださせない工夫、対応、あるいは微妙な呼吸も、上達したと思うけど。
: 「自分にとって比較的、きれいな(ような)字は文章を書く苦痛をいくらか和らげてくれる?」  前項から十数項あとまでは、きっちりした楷書で書こうとしている。(その後は元の木阿弥)  長続きしないのが難だ。
: 「点より点の方がいい? ■aより■bがいい?」  下部の四点(れんが)の書き方の吟味。3項後に、
: 「活字は、■cではなく、■dです。」  とあるのは、辞書など参照した答えでしょう。  しかし、今、デジタル文字の数種の明朝フォントを確認すると、本項とは逆で、■c、つまり左端が左下へ、その右側三点が右下を向いている、そういう四点が多い。  waka君の手書きで特にかっこうをつけた場合らしい ■a のようなフォントは、行書体ならあるようだ。
: 「辺× 編×  偏○ 旁○ つくり  } ※ □□ 偏とはこれで、右、 旁とはこれで、左、 と思ってしまった! 逆なのに。  ぼくは、主なる方が右、そうでない一方が左と感じやす 易いのか?」  的確だろう。  今でもとっさに、つくりが左、と言いそう。  (こういうのがいわゆる、認知バイアスってこと??)
: 「北は横に広い字というより、縦に長い字なのだ。」  発見したのかもしれないが、デジタル文字ではあんまりあてはまらないか。  → いくつか調べてみると、北の文字には、二、三画目、左下の横棒が右に突き出ないもの(縦棒が下まで突き出るもの)と、 左下の横棒が右に突き出るもの(縦棒が下まで突き出ないもの)との、二種類があるようだ。  どちらも正しいらしいが、結果的に、横棒が右に突き出ない場合は、中央の隙間がせまくなり、文字全体が縦長に見える。 横棒が右に突き出る場合は、中央の隙間が広くなり、文字全体が横長に見える。そういう差異が生じる。  waka君が気づいたのは、この差異ということになるか。(よって、縦に長い字体だけが正しいというわけではない)
: 「ブタペスト」  たぶん、まあ、豚+ペスト(伝染病)に分解して、地名との相関の有無を知りたくなったんでしょう。  当然相関はないと思うがいちおう調べた。  Wikipediaによれば、〔ブダペストの名称はドナウ川を挟んだブダとペシュト2つの町の名称を組み合わせたもので、1873年に町が合併され一つになって以来使われている。〕  無いね、関係は。  (豚やイノシシ特有の豚コレラという病気はあった。人のコレラとは無関係なため、近年「豚熱(ぶたねつ)」に名称が変更されたとか)
: 「愛用を愛冊あいさつ 挨拶」  見間違い、ということでしょう。  しかし、文脈からぶっとんでるだろう、当然。おもしろい眼だ。
: 「やみつき やみつきカルテル」  闇カルテルのシャレだろうけど、たしかにやみつきになりやすいものらしい。  (さらにとんで、やみつきカクテル、などが浮かんだかどうか。並べると、きれいにまとまるよね。笑)
: 「寒ミカン 缶ミカン 」  ダジャレ脳が、はしりまわっているよう。
: 「「とうてい物語」 「到底物語」 }こんなの書いてみたい。」  とうていむり、という言いまわしからの連想か。  思いついた妙なタイトルをお題としての創作。まれにちゃんとした作品が実り、あらためてタイトルを吟味して、改題。 結果、独特の、一人前の作品が成立する。なんてことはふつうにあるだろうね。  だからこういうのもあんまり馬鹿にできない。
: 「エガワ エガオ」  江川卓は、waka君より一学年上。  つまり、前年1973年までは高校野球で大活躍。この年、1974年に大学進学。
: 「ヨシツネの人形は千数百年前からあった。その人形をほんとうのヨシツネが見て、ぼくもこんなことがしたいと思ってやって、歴史に残った。」  これは、SFまたは伝奇っぽい、アイデア。  義経人形が、時間遡行して、義経以前へ。しかし解説もなにもなく人形だけだとしたら、どこまで本人に伝わるだろうか。  その辺り、苦しいね。  ならば、時間遡行で異常変容が起こり、人形が意識を持ってしゃべれるようになるとか。  もっと進めて、意識を持った人形が本物の義経になるとか。  こうなってくると、お話はふくらみそうだ。
: 「セメダインとは接着ざいと思ってたが、セメダインとは社名?」  wikiによれば、社名であり、商標名。  しかも、日本発祥の会社だわ。(命名の事情、へ〜、だね)
※ きっちり楷書は、この辺りで、息切れしている。
※ 3/30は、8項ぐらいのみ。異様に短い。この近辺もおおむね、一日の記載量が少なめだ。
: 「ヌード  [  ]  その人の顔もみせるため、うっすらと 前面   ・電車だいぶのりこす  おニシと  フク■■ともう一人はのらなかった。   ・旅行いく   今のおばあちゃんのへやに二人のおてつだいさん。うち一人がいつもぼくのすわるよこにすわっていた。ぼく、相手がぼくにひかれていると思う。   ド■さん。ヌードで有名なド■さんか、などと思ってる。」  3/31冒頭の、エンピツ書き。夢の内容だろう。  仮メモらしく、断片的で、詳しいことはわからない。ド■さんという、級友女子または大人の女性が周囲にいたという記憶はほとんどないなあ。
: 「女の子の生き方」 「バス」 「 [寺] [神社] 」 「このノートにまとめてる夢もみる。」  ほぼ分からない。ここらのエンピツ書きはみな、夢のメモっぽい。
: 「子供を生まなければ、絶対に死なない人のような生物。しかし、子供を生むと、もう老いだし、いずれは死ぬ。」  絶対に死なない、の後に読点があるべきか。  人のような生物なんだけど、人じゃない、と。  子供と交替するように死に至るというのは、生き物として合理性があるような。  植物の一年草みたいだ。朝顔やひまわり。
: 「送む :?」  この送り仮名が成りたつ読みは、浮かばない・・  目にしたのなら、誤植?
: 「生き生き 生きいき )どっち?」  いきいき、もふくめて有りだろう。  ただし、いき生き、と書く人はほぼいないと思う。
: 「■べさんの名前は尊紀とかいうのですよ、カッコイイ。  何とよむのかなあ・・・」  だれ?  waka君は、女子名にさん付けはするけど、男子にさん付けをするのは、先輩とか大人にたいして。  記憶にないなあ・・  読みは、たかのり、か。
: 「償う つぐなう  報う むくう  補う おぎなう」  報うはないだろうと思ったが、普通に変換した。  むくゆ→むくふ(むくう)  むくゆ→むくいる  辞書によれば、同源らしい。  今、耳になじんでいるのは、むくいる、だけだけど。
: 「山に50円カエス マンガ本カエス」 「山よりトランプ 自転車のヒモ ¥250ラーメン代 100円カエシテもらう」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  山との貸し借り、ふくざつ。  自転車のヒモというのは、もう何回もでてるけど返してもらってないってことは、山がなくしてしまったか、山が借りた自覚がないか、waka君の勘違いか? どちらかといえば、どうでもよい品物で、戻る戻らないもたいしてこだわってなくて、機械的に転記し続けてる匂いがするぞ。  山に貸している250円は、トランプの勝ち金ではなく、ラーメン代だったの!?
: 「たぬきねいりをしているときは、つばをのみこむが、ほんとのときはのみこまない?」  ううむ・・  ほんとに寝ているときの自分は観察できないので、真偽が分からん。  (といって、熟睡している他人が唾をのみこむかどうかなんて、観察する? そこのあなた。^^)
: 「なんで、アサはかってにうえられないの? そういわれるとうえたい!」  麻、だな。
: 「読破 :なぜこういう? 昔は、紙を切ってよみすすんだ? 紙は2枚がつながっていたので、それを切ってよみすすんだ?」  新品の書籍は、製本が今の基準から行けば不完全な状態だったので、ペーパーナイフで袋とじを切って、とかはきいたことあるが・・  それはでも、西洋本の場合。読破の語源には無関係かと思われる。
: 「お姉さんの顔はいつも血の気少なく非健康体。」  色白といえばそうなんだが、実は、貧血気味らしかった。
: 「ノーコンとは? ピッチャーについて? バッターについて?」  ノーコントロール、ピッチャーへの野次。
: 「けっしてそうじゃない。  けして頭がいいとはいえない。 ケンソンギミ?」  けっして、が強い否定。けして、が謙遜気味。そういう使いわけがあるのでは、という気づきだろうか。  辞書にそういう説明はないけれど、話し言葉としては、断定口調か、穏やかな口調かで、それぞれを表わしている、そのまま、文字にすればこうなる、という所はあるのかもしれない。
: 「今日はおじさんてつだうので マコちゃんみられないと思ってたら、日ようでなかった。」  おじさんは後述のしだ■のおじちゃんだろう。  マコちゃんも後述あり。  記載日の1974/03/31は日曜日。よって、日曜日なので、放送日ではなかった、の意。(放送のある日曜ではなかった、の意ではなく)
: 「ガキャ■コ」  上の妹の名をおとしめた言い替え。
: 「ナタボ」  中学の友人オカボ(というあだ名)をさらに丸めた呼び名。
: 「むぼうの友」  これは、「希望の友」(創価学会と縁のある少年向け雑誌)の洒落的言い替えでしょう。  1等5万円で(小、中、高生から)童話を募集しているという、高校友人からの伝聞記事が3月半ばごろにある。(彼は投稿するそうだが、waka君は話しに乗らず、していない)
: 「山とナ(オ)タボによビダサレ、町をフラツク。 ナタボヤマンとこにとまったんだって。2時頃、タダヤでナタボとおわかれ。  気づくとたちよみしてた山もいない。ぼくも帰る。」  タダヤは本屋。  ずいぶん、情の薄い別れ方だな。山とオカボだけではしらけ気味だったのでwaka君も呼び出されたが、結局大差なく、流れ解散的な?  状況を推理すると、オカボが押しかけて、山のところに泊まったんだろうから、どうも、オカボが手持ちぶさた、さびしんぼう、ということだったのかな。この三人、高校はそれぞれちがう。山とwaka君が千葉市街住まい。オカボは大宮団地でだいぶ離れている。  なお、お西(中学同級)も桜木町で、市街からは遠目。で、お西もあちらからこちらへ遊びに来るパターンがもっぱら。
: 「赤ちゃんも帰った、チビレンもいない、3時頃のうちの静かで明るい事。 平和。でもぼくがテレビをつけて野球をとびださせたのだ。おじいさんはねてる様。」  しだ■の叔父と叔母と赤ちゃん。ス■■叔母が新生児といっしょに実家に暮らしてたのは、単に産後だからだったのかな? 自宅を新築、改築などしてたなどの事情もあったのかしらん。(そこらへん、たいして興味がなかったから、当時のwaka君に訊いても知らなそうだ。笑)  チビ連というのは、妹たち。
: 「スパースターという言葉嫌い。」  スーパースター、であろう。  ジーザス・クライスト・スーパースター、とかいう歌(か映画が)が流行ってたような気がする。
: 《詰将棋譜面》 「▲3一金△同玉▲2二金△同角▲4二桂成」  まだ詰んでないよ。  ・・△2一玉▲4一竜△同銀▲1二銀まで、九手詰め。  日曜日なので、NHK将棋講座で出題されたものだと思う。
: 「おモーさま :母  おタアさま :父 )?」  逆です。  辞書によれば、父は寝殿造りの母屋にいるのでおもうさん、母は対屋(たいのや)にいるのでおたあさん。  (そうなんだろうけど、いやあ、母屋で父、というのはちょっとまぎらわしくないか)
: 「わかさ、とはどこにあんの? 雪ある?」  若さと思ったが、若狭、だ。
: 「一生 一勝」 「一生涯一勝」  なんとなく、人生訓みたいになってる?  でもまあ、同音異義にこだわり癖のあるwaka君の戯れ言でしょう。
: 「体にたまった脂肪は何に使われるのか? ナーンニニモツカワレナイモノが畜積されるだろうか。」  蓄積。  太古、人間に進化する以前からすでに、飢餓耐性をたかめるためこの機能があった、という説を聞いたことがあるが・・  太りぎみのwaka君には、うらめしい。
: 「ドジンガ〜Z」  「マジンガーZ」永井豪とダイナミックプロ、のもじり。
: 「たいくつではあるが平和な日々、大事にしましょう。」  「自分の未知の力を知っていく興味。 こんなのある?」  「思いすごすの意は?」  並べるだけで、なんとなく、詩的。  おしつまって、年度末の感慨、ふうなものもあるのやも。


 ■中のやつらと戦争
 ヘリコプター ぼく女
             カタパルトでヒコウキ うちだし
                スバラ
              けいこく、海上保安
              カイセツコウジ
 うちのおじいさんと、よこはまのおじいさん同じと気づく ――→ よくある
┌ はじめ名前だけ、あとからかおも思いだす
└(オオ■君)の命なくなりそう。何かできませんかと■くとなんてすばらしいことだといわれる.
 地震
 テレビでぬいぐるみの頭に穴。この理由は、クマがまちがえて頭の方をおかってたためだが、 そこをみせるときしだ■のおじちゃんがぼくの顔の向きをかえてから、見るときはそこからそっとみるんだよ、とかすこししてから、いう。 子供あつかいされたような、もういいよ、とみない。
 もちろんゆめ
 すいり(漢)をちからとよむ。
 一度おりてのちヘリコプターがむかえにくる
 ドウロにおりのる。


 夢の仮メモ。  戦争相手の面々が、中学のクラスメートたち、ということだろう。  清書できなかった状態で残っているので、断片的。今となっては、かけらとかけらの間を思い出すことは無理。  ・・・  頭の方をおかってた、が意味不明だ。  (そうか・・ 頭の方をおかしてた、おなってた、または、おかまをほってたの短縮形あたり、ということか!?)  ・・・  した■のおじちゃん(1974/02にある)、しだ■のおじちゃん(今回)、どちらが正しいのか、waka君は、正確には分かっていない。
: 「右目が痛い。」 「右目、下がいたいのかと思ってたら、上がいたくて、何か、はれてる様。」  右目まわりが腫れてるか。  どうやら寝ている間にそうなったらしいから、原因不明っぽい。
: 「夢でみた事、実現する事、しばしばある?  〜→ いつも、こうあってほしいなあ、と思っていることが夢の中で実現して、大いに喜ぶ。 しかし、おきてみて、がっかり。ところが、その後にそれが実現して、ああいう夢をみたっけと思いだす。  例えば、ぼくは6年のとき(or5年)ひもでしばるアップシューズ(ソフトシューズ?)がはきたくてしょうがなかったが、夢の中で実現され、いくらかのちに現実に実現された。」  今ならスニーカー。昔は、ズック靴か。  アップシューズ、ソフトシューズなんて呼び方を当時してたんだろうか。waka君のうろ覚えにすぎない?  ・・・  正夢になる、ということだが、上の記載の通り、ということもあると思う。  あるいは、デジャブに似て、望みが実現した後で、そういう夢を見たはずだと記憶が改変される、などという場合もあったりするのかも。
: 「ボインの女性は、乳房の大きい女性は、ただ脂肪が多く付いているというだけなのだろうか。あんまり魅力なくなるなあ・・・。 (もっと何かちがう理由でもあるような気がするのだが、したのだが。例えば、女らしさの多少とか。)」  一種のゲシュタルト崩壊か?  この4/1の日付すぐ後で「ヤル。」とあるから、射精をして間もなくの賢者の時間帯だから、そんな気がしている、とか??
: 「まほうのマコちゃん、もうやってない!! くそ〜テビ局め、急にうちきりやがって。  マコには、サリーやアッコとはちがい色気があったような。それに社会性もあったよ。」  Wikipedia〔『魔法のマコちゃん』(まほうのマコちゃん)は、1970年11月2日から1971年9月27日まで、NET(現・テレビ朝日)系列で毎週月曜日19時 - 19時30分に全48話が放送された日本のテレビアニメである。〕  これだな。  うーん、当時は1974年、数年前のアニメなので、春休みで再放送してたんだろうな、たぶん平日毎日。  年度末で、再放送が打ち切られてしまった、というような事情が出来したようだ。
: 「何か一つ忘れた様な気持。」  ここ(心記)に書こうと思っていたことを一つ忘れた様な気持。  waka君、よくある。実際それを、思い出せることもある。  様な気持だけで、実は忘れていない(そういうものはなかった)、という場合まであったやも。(今となっては真相は分からないけど、これも、デジャブに似ている?)
: 「君のその手の中のおかしのかけら!」  「貧乏で食うことのみを考える青年をだしたい。就職口がなく、野草をぬいてきたり、つりにいったりして、それで得たものを食って生きる。」  このテーマ、吾妻ひでおが、理想的な結実を残してくれてるはず。  Wikipedia〔1969年、『月刊まんが王』(秋田書店)12月号掲載の『リングサイド・クレイジー』(吾妻日出夫名義)でデビュー。『週刊少年チャンピオン』で連載した『ふたりと5人』(1972年 - 1976年)のヒットで地位を確立する。以後、・・・〕  当時、すでに人気連載してたから、本文はまさにこの作品あたりから影響受けてのものかもね。
: 「子供の頃は一日が長かったなあ!! 感じる時間としては人生の半分ぐらいあるのかも、子供の時代は。」  これから高校三年生になる青年の感覚。その年齢で測ればなのか、ふつうの寿命から測ってなのかは、はっきりしないけど。(やっぱり後者か)  もうおじいさんになったけど、本項、大げさに聞こえない。
: 「昔の花火は暗やみに対する無意味な抵抗のようだけど、 今の花火はドカンとすごい迫力でかがやきそのあとの黒と静けさは、その迫力ゆえの休みのよう。  ほんと? 遠いのと、近いのの差?」  ふつうの感想のようでいて、なにか変。  派手さのとぼしい、素朴な、何十年も昔の花火と比べているようだけど、高校生。  思い出の花火は、児童の頃に眺めた遠景なのか。  文芸の中にしまわれていた明治大正のころの花火なのか。  ・・・  遠い思い出の中の花火から音が消えている、というのはありそう。  音のない花火なら、はかなさがよりきわだつかも。  
: 「明治神宮にしても、鹿島神宮(香取神宮?)にしても、 あの、どっしりとして、しっとりとして、そして圧倒的な森の木々は、 いわれてみれば、古代のそして、古代からの日本人の心のようなものをじっと伝えているようにも思える。 昔の人々がああいうものの中で生きていたとするなら、今の人とだいぶ考え方が変わっても当然だ。 昔の人々は大きな木のもとで生きて生 い たのか?」  鹿がいたのは鹿島神宮。としたら、香取神宮には参拝していないと思う。
: 「ンーー、いいにおーい。インスタントコーヒーならではのにおいだっち。」  ううむ。  妙な誉め方だけど、本格的なコーヒーを味わいつくした後でここに達した、ということはないな(笑)  (1)コーヒーを知らない。(2)インスタントを知る。(3)本格コーヒーを知る。(4)コーヒー道にはまる。  という道筋があるとしたら、やっと、レベル 2.2 ぐらいの時期で、考えなしのストレートなつぶやき、と思う。  二十代で 3.0 近くだったのでは。しかし、後述の事件があり、その後は遠ざかってしまったよ。
: 「あの2人は未成年でありながら肉交をしたらしいのよ、という大人の批判は、自分たちの醜さを示す?  では、未成年による批判は?」  時代かなあ。  現在は、不純異性交遊などもう死語だろうか。  中学から高校生ぐらいの未成年者同士が肉体関係をもつのはフリー扱いでは?  すくなくも法律的には。モラルやマナーとしても、避妊はしっかりね、と教導しているぐらいの、ゆるさ。  悪いとは言わない、むしろうらやましいよ。早く生まれすぎた(爆)  (遅く生まれても、モテないからそんな簡単にはデキないだろう、とは思うけどさ!)  ・・・  現在でも、成人と未成年者のそれは、ほとんどが刑法に触れるはず。  これはもう動かないよ、と思っていると、半世紀ぐらいしたら、まさかの変容をしている。  私が上で発した「時代かなあ」のセリフをその時のおじいさんが漏らすのかもね。
: 「注ぐ :そそぐ つぐ  どっち?」  両方。  送り仮名で区別できない上に、たぶん、文脈でもできない!?  ※ ちなみに、来る(くる)と来る(きたる)も、送り仮名で区別できないが、文脈からだいたいはわかる。
: 「物語は作者の筆の足りない所によって方向づけられる?」  いやあ、なんか、未熟者なりに、実作者の機微が見えたんだろうか。  欠点、欠落、欠陥、そういうものがあるとどうしても言い訳がしたくなって、または、そういうものをそういうものではなくするために設定を加えたり事情を後付けしたりしたくなって、筋が思わぬほうに流れる。  ありそうだ。とてもありそうだ。  ヘタだから、力量以上のことをしようとするから、そういう苦しげな隘路に自分を追い込んでいく。  奇跡的に、幸運にも、袋小路で行き詰まらずに、迷路を抜け出せたりすると、見事な収束と称賛されたり天才とか呼ばれたりして。  (世間に認められる)才気とか才能には、そんな種類も少なからず(意外なほど)まじっているのかもよ。
: 「由来 ゆき さん   ユライ?」  これはなんだ。小説中に人名としてでてきたのかなあ。  人名としても、姓なのか名なのか。よみは?  (検索したら、その苗字の由来は何々というサイトがごまんと出てくる。おかげで、由来という苗字についてはまるで見当がつかない。笑)
: 「CMの話  「フケにさよならしたら花王メリットー」  を、今まで「受験にさよならしたら・・・」と聞きとっていたが、聞きちがい?」  フケにさよならさせてくれるんじゃなくて、さよならした後ならってこと? 花王メリット、変だぞ(^^)  この元歌とされるものもすでに聞きちがい?  ちょっと早口で「フケにさよならしたいなら花王メリットー」と歌っていた? (理屈は通るがさすがに字あまりだろう)  フケがどうして受験に聞こえるのかもかなり不思議だが。
: 「今日は風の強い日。」  大事なことなので二度書いた? 
: 「国歌、せいしょう。  これは静かなこと、含まれる?」  国歌斉唱。  辞書では、声をそろえて歌うこと。  語としては、静かな、は含まれないな。  言葉にまつわる記憶、君が代の曲調、斉と静の同音、などから、おごそか、しずやか、そんな雰囲気をまとってはいる。
: 「コーヒーを飲みすぎるとまぶたがはれる?」  後述と関連。
: 「真綿で首をしめる。 ほんとにしめられる?」  それを言ったりは、大人げないんだよ。  少年が心の赴くままに、実験したりするのは、ありなんだけど、場合によってはかなり危険なので推奨できないんだよ。  そういう少年が、心の中でシミュレーションするための練習問題、そのぐらいでちょうどいいのだ。
: 「野球選手を、選球丸をよくし、ごろのファールうちをよくする、そしてこれだけのみできるように訓練する。 そして、はじめのストライク2つはみおくらせ、ボールは皆打たない。 3つめのストライクが来そうだったら、打ってファールにする。 そうすればいつかはフォアボールになって出るい。これをつづけて無限に点をとる。」  いやらしいな。  こうして無限に点をとる様子を観戦しても全然楽しめないだろうね。
: 「竣功: 」  竣工と書くほうがふつうと思うが、あり。  使われた方もほぼ同じようだ。
: 「だれそれをリリーフする、とは?  この意は?」  reliefで、救済を意味する。  同じ綴り、同じ発音で、レリーフ(浮き彫り)という別語でもあるもよう。  → 〔relief(救援)とrelief(浮き彫り)には関係があるのか。語源は?〕と、Copilotに質問。  〔 はい、"relief"という単語は、救援と浮き彫りの両方の意味を持つ英語の単語で、その語源は関連性があります。  救援の意味での"relief"は、14世紀後半に作られた言葉で、「苦しみ、空腹、病気などの軽減; 軽減された状態; 痛み、悲しみ、悪などを緩和または取り除くもの」を意味します1。この言葉はアングロフレンチの"relif"から来ており、オールドフレンチの"relief"「援助」という意味で、文字通りには「持ち上げたもの、持ち上げられたもの」という意味です1。これは"relever"の活用形から派生しています1。  浮き彫りの意味での"relief"は、彫刻、建築などで、「それが形成される平面表面からの図形やデザインの突出」を指します1。これは約1600年頃、フランス語の"relief"から、イタリア語の"rilievo"、“rilevare”「持ち上げる」から、ラテン語の"relevare"「持ち上げる、軽くする」に由来します1。  したがって、"relief"という単語は、その語源が「持ち上げる」や「軽くする」という意味を持つことから、救援と浮き彫りの両方の意味を持つようになりました。これは、救援が困難から人々を「持ち上げる」行為を、浮き彫りが物理的に形状を「持ち上げる」行為を表すためです1。このように、"relief"という単語は、その語源と意味の両方で、救援と浮き彫りの間に深い関連性を持っています。 〕  とのこと! (日本語としては中途でこなれが悪いけど、これは出力できた英語の回答をさらに日本語に翻訳してから表示しているためなのかも)
: 「ホウガンビイキの意は? 弱い方を?」  判官贔屓。  Wikipediaをみると、義経の事実と伝承、吾妻鏡の曲筆、北条氏の思惑、貴種流離譚との共通性、などなど、間連は広く、深く、謎めいてもいる。紹介されている諸先生たちの賢察も読み応えあり。
: 「野球で出ている選手の中でなら、試合中、自由にポジションを変えていいのなら、 打席にあるとき、一人だけ強打者をおき、そいつがうてないとき、次のやつと順を変え、また打てないと、次のやつと変える。   許されるの?   ポジションは変えていいが、打席はポジションにくっついては変わらぬ?」  野球を面白くないようにする会の会長さんかい!
: 「behind .」  うしろに。裏側に。  野球用語なら、□点のビハインド(負けている)とアナウンサーがよく言っていた。
: 「コーヒー飲みすぎるとおかしくなる?」 「コーヒー4はいめぐらいだが心臓ドキドキしてる!」  春休み、1974/04/01、月曜、ラジオで野球を聴きながら(春の甲子園?)、このノートも書き、インスタントコーヒーものみつづけている。  まったり楽しんでる、というところ。
 → この9年後、1983年、26歳、真夏、1リットル紙パックのアイスコーヒーを飲みすぎて、カフェイン中毒で死にそうになった。 (かなり異常な状態にはなったけど死にそうは大げさ、・・だったのかどうか・・)  このときの記事、 「きのう、昼歩きまわり、帰ってきて、アイスコーヒーのみながら  非青春の笑顔、とじこみ、ジャンプよみ、チハヤフルオクノホソミチ よんでるうちに、目がちらつく。  気がついたときは遅くて、すでに コーヒー 800CCぐらいのんでる。  心臓のドウキ、どんどんひどくなり、5時過最悪。  父ちゃん、母ちゃん 来て さわぎ。   頭と心臓を冷やし、ゆっくりおちつく。  なんとかねむれたのは、夜2時頃。   ※ カフェイン → 興奮 さい尿作用  → 高温   )→ 汗がでなくなった?   ※ はいずりまわった。手足の先ふるえた。   ※ 鴉鷺とか完成できないような気がした。」
 つまり、ここ1974年の本文にある通り、中毒事件を起こす何年も前にすでに、その兆候があったわけだ。コーヒーのカフェインが効きやすい体質だったんだろうか。  しかし、18から会社勤めをして8年間、喫茶店とかでコーヒー飲みまくってたけどなあ。喫茶店のコーヒーは、がぶ飲みできるようなものではなくて、適量だったんだろうか。  中毒事件以降、コーヒーはなるべく避けるようになった。喫茶店でも自分で選べるなら紅茶など。現在でも、缶コーヒーはまったく飲まない。
: 「新  ちょっと変な感じの漢字に思えた。  聞以外のモンガマエの物かと思う。」  新聞という字をみてたら、聞くの音読みは何だっけ、とふと気になり、意外にもうかばず、聞はブンとは読まないだろうという気がして、ならば新ブンと読む別字があるはず、門がまえはまちがいないけど。・・こんな流れ?  (感じの漢字、いいねえ・・ 意識してしまうとこうは書けない。意識していないようだから、いい)
: 「右手の善行を左手に知らさない。」  聖書にある言葉らしいね。
: 「けいこうとうからたれさがっているぼっちに向かってボクシング。汗でる。  ボクシングがカラテモドキになってくる。」  この日は、心臓ドキドキはしたが、しごく元気のままで暮れた様子。(逆に元気すぎる? 躁状態?)
: 「僕と同じ年代のやつらの中でおそろしくたくさんの人が、おそろしいばかりのガリ勉をしてると思うと、不思議になる。」  「受験勉強、モウレツにただそのためにガリガリやるのは無意味? バカラシ?」  新聞のブンと同じに、疑いだすとあやふやになっていく。  結局は競争社会の縮図なのだから、受験勉強は無意味では無く、リアルそのものだ。  が、受験勉強と学問は似て非なるものかもしれないし、大学受験だけがリアルの選択肢というわけでもない。  おそろしくたくさんの人と同調しない不安はあると思うが、結局はリアルも人それぞれ。  なんとでもなるはずだし、ほんとうに、なんとでもなった。
: 「右目上まぶたまだ痛い。(夜ズラ)」  朝、目覚めたときから痛かったけど、結局夜になっても痛いよ、と。
: 「お目にかかれる  お耳にかかれる ある?」  お耳に入る、だろうな、あるとしたら。
: 「■■コはフロにはいってるときや、きがえてるときにぼくのことのぞくんだよ、やだねー。  3度か4度も。  もう、わきげはえてなきゃおかしいよね、などというんだよ。「ここはいてなきゃ云々」と示しつつ。」  上の妹、小学五六年生。色気づいてくる頃か。

※ 『1974/04/08 ¥300の馬券』 : 「コウヤヒジリ」  高野聖。
: 「ド ソソソ ラ ミミミ ファ レレレ ミ」  音符付き。  実際に音にしてみないとなんともかんとも。自作かなあ?  (音符をみて曲が聞こえる人ではないのだ、今の私は)
: 「頂く いただく」  当て字? かと思ったがそうではない。  身分の高い人からもらうとき、高くささげて受けたため、これでよい。
: 「4/8」  当時のカレンダーを眺めての推測だが、4/6 土曜始業式、4/7 日曜で休み、4/8 月曜から本格授業スタートか。  高校三年生。


 夢
 ・姉と弟がいる話。くわしいこと忘れる。
 ・大プールか欲場の着がえ場。だれかもう一人友だちときがえている。
 ・フランキーさかいが、そりゃない、と悲しんでいる。
 ・ジャングルにはいり冒険し、生活する。
  ↓
 どうもくわしいの忘れる。

  ↓
 夢のおわりの方で 《二本組の円筒?の絵》 というような¥300の馬巻 券 を買って、かけ、かったかな?


 欲場ではなく浴場ですな。  この馬券、立体的な形状。もしかしたら実物は見たことないのかも。  → 半世紀前の勝馬投票券の実物、どんなものだったか、正確な記憶なし。  数年後、二十歳頃にはもう経験していたと思うが、その時はもう今のようなデジタル印字だった気がするんだが・・  ネットで画像検索すると、印字ではなく、紙にドット穴をあけて数字等を表わすような馬券(昭和48年 京都競馬場)がでてくる。  当時、高校三年生になったばかりのwaka君は未経験だから、馬券として記憶しているのは、それ以前のいつか、例えば児童の頃に見かけたそういうドット穴のものかもしれない。  あれは、一枚一枚切り分けられているものに穴をあけるのではなく、ロール紙のように丸まっているものを機械が引き出して穴をあけて、そのあと自動で切り分けていくような作成方法ではないのか。  仮に、それが正しく、そんな馬券販売の内側の様子を映像かなにかでちらっとでも目にしていれば、こういう立体的な形状の馬券が夢にでてくることもないとはいえないかも。(たらればが多すぎるけど)
: 「調査表、来週の金曜までにだす。」 「将棋講座buy」 「あ■■おばちゃんに サザエさん、どわっとかしてある。」「(24)■■11 (24)■■13 }どっちでもいい?」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  調査票は学校関係だろうけど、進路調査とか?  将棋講座は、NHKTVの将棋講座テキストだと思う。  母の上の妹である、あ■■おばちゃんに「サザエさん」の単行本を何冊も貸したよ、と。  電話番号は、家業の職場関係か。
: 「集注 集中 }?」  集注も辞書にあり。
: 「儲けるを賭けるとよむ。」  似てる。金関わりだし。  ただし、人偏のあるなしだけ、・・と勘違いしやすい。
: 「人道守る非人道行為 ・・・ 海外短波」  waka家でとっていたのは読売なので、同新聞のこの日前後の切り抜きではと思う。  困った女だな。  → 詳述が、Wikipedia にあり。
: 「なんとかケンちゃんのケンちゃんの役、大っ嫌い!」  裏ビデオのタイトルにあったような気がしたが、たぶん本文は、表の子供向けの番組だろうね。
: 「みつ豆をみつあめ、という様、ぼく。」  言いやすいんだよ。waka君だけじゃない気がする。
: 「モココの宣伝の女の人、とってもかわいい。 きれいであるが、おわりの方に「モコモコ、これですよ。」というときの動作がかわいい。声が動作にに合ってる。」  TVのCMだろう。  今、モココで検索すると、ポケモンの一種類がでてくる。(もちろん別物)  永谷園 モコモコ という商品があったもよう。お菓子だし、これかな・・
: 「赤ちゃんもちの女はヒステリック? ちょっとの気にくわることにキーキー?」  気にさわることに、か。  おそらく、す■■おばちゃんとその赤ちゃんのこと。  waka君が不用意な茶化しでも言ったのかも。
: 「まじょっこメグチャンの前半15分みたけど、(後半はお父さんが、■■コと■■リに勉強しろ、ぼくにあっちに帰りなさいといいにきたのでみられないでおわるだろう。) メグチャンはかわいく、声もいい。ノンがもうすこし、その美しさをだしていれば、とも思う。 ところで、あの一連のマンガは、しだいにHになってきたなあ。ガキたちも、何年か前よりは進化しているのかなあ。  しかし、17を過ぎたぼくが見ても夢を感じる人物をつくりだしているのだから、つくった人たちは苦心してもいるし、 どこかから、金も多くだされているのだろう。」  書きぶりから、前半のあとのコマーシャルのときに部屋に戻らされてすぐこれを書いているようだ。  制作陣にも思いが及ぶあたりは高校三年生か。  Wikipedia、〔 『魔女っ子メグちゃん』(まじょっこメグちゃん)は、1974年4月1日から1975年9月29日まで、NETテレビ(現・テレビ朝日)系列毎週月曜 19:00 - 19:30 にて全72話が放送されたテレビアニメである。東映魔女っ子シリーズの1つ。 それまでの魔法少女アニメの主人公よりも年齢が高めで思春期を迎えた年頃の少女像を伴ったメグの魅力と健康的なお色気を押し出した作風は、少年層に大きく訴求し、結果的に本作は少女のみならず少年の視聴者層からも人気を集めることとなった。 ともすればメグのあられもない描写に注目が行きがちな本作であるが、悩むより走り出す性格のメグを描くことは、やがて人間中心の物語展開を導くこととなった[2]。 〕  もしかしたら、waka君の父親、これから部屋を使うとかの理由ではなく、子らがふしだらな番組に目を輝かしているとみなした!?
: 「ああ、もう、(メグチャン)おわっちゃったー。月よう日の7時から、と覚えて、以後毎週、彼女を見ましょう。デートのつもりで。」  waka君も、惚れちゃったね。  上のwikiの記事からすると、放送2話目。
: 「写真は、ハサミで切るよりナイフと定規で何度もなするようにして切った方が、|よく|きれいに|切れる。」 当時は印画紙にやきつけられた写真、ということになる。これをきれいに切り取るってなにかな。  良くあるのが、自らの証明写真を書類の枠に収まるよう切り取る、切り抜く場合だろうか。  → おお、4項あとに該当記事があったわ。
: 「郵便番号180か250かわからなくなったが、しらべたら、280。」  ということなんだけど、現在 280 という郵便番号は存在しない。  waka君の地元千葉市の旧郵便番号が、280 だったかなあ、と思い調べた。  旧郵便番号の検索サイトなど使ったがそれでわかるのは一昔前の旧番号で、まだ遡りが足りず、だめ。  意外と決定的な資料が見つからなかったが、めぐりめぐって、Wikipedia>日本の郵便番号>千葉市における郵便番号変更、ここでようやく、 1992年に千葉市が政令指定都市となるまで、千葉市中心部の郵便番号が 280 だったと確認できた。  OK。
: 「お姉さんの寝る部屋にはテレビがあって、姉き、寝ながらテレビ見てるよ。」  うらやましい、と。  しかし、なぜそんな優遇が?  → うろおぼえなのだが、このときの姉の部屋は、横浜のおばあさんの部屋を引き継いだ(または一時的に借りていた)のではなかったか。テレビも部屋に残っていた、と。  横浜のおばあさんは、この時期、横浜に戻っていたかで千葉にはいなかった、そんな事情だったかなあ・・
: 「俺の顔、バカみたいな顔になってきたのかなあ。  去年の身分証明書の写真と今年のそれとを比べてみると、何か今年の方が間が抜けているみたいに見える。」  誤差の範囲、または、たまたまだろう。  学校で業者が一人一人撮っていたはず。大勢いるので、一発勝負。(何度も撮って取捨できるようなものではなかったと思う)  ※ この項から、文字が、かっちりした四角い雰囲気に調えられている。
: 「このノートいつも半分に区切って使っているが、3つか4つに区切ってもおもしろいのではなかろうか。さっそく次のページからやってみましょうか。」  当頁までは、左右の二分割(で横書き)。  次頁からは、述べた通り、左中右の三分割(で横書き)に変えている。
: 「こんなノートをつけている人いっぱいいるのかしら、それとも僕ぐらいなのかしら。」  こんなノートをつけている人はいっぱいいたし、今もいるし、これからもいるだろう。(ノートや手書きが端末や入力になっても)  ただし、その中身の様相は、おおざっぱには似ていても、すこし掘り下げるだけで、それぞれがまるでちがうかもね。
: 「  (文章)  清い和子は高校生だった。 ・・・ 」  以下、これは、実質的に、手なりの(手に任せた?)練習文だろう。(とくになんの見通しもないようだから、習作とも言えないような)  物語としては、導入部のその前段階で、仮に本格的なお話が始まったとしたら、すべてカットしたほうがよさそうな領域だろう。(ウォーミングアップ、気楽な)  なんとなくストーカー男子(とりあえずwaka君自身を役者に起用?)との関わりが匂うけど。
: 「 ・・・ 和子の心に、もやっとした思いが入り込み、それがこれといった印象を残さずにどこかに消えたとき、 彼女は部屋にかかっている鏡の方に視線を向けた。」  文字をかっちりした四角い雰囲気に改めたので、この字なら、何かお話が創れるのではなかろうかと実験している風があるな。 (この活字のような文字なら、お話が一人で歩きだしてくれないか、みたいな期待、気分)  かっちりした文字は、やはり長続きせず、この頁末で息切れ。  清い和子のお話も、ここで停まって、次頁に本項の続きは何もない。

※ 『1974/04/14 すごく頭が大きく四かくい』 : 「つめ切れ!」 「調査表!」 「サイドリーダーノート buy!」 「火■君にいう!! { 5月の上旬に運営委員会。6月の上旬に■■高で大会を開いていいか? めいぼ >+同好会員の意見」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  将棋同好会、新会長の火■君への引き継ぎ。waka君らの高校で県大会を開いていいか、開けるか。この件、決着つけずにバトンを渡したもよう。(結局、弱小同好会にその任は重く、幹事さん(前回開催高校?)に丁重にお断わりをいれたと思う。・・ぎりぎりで申し訳ないみたいなんだが)
: 「玉つきの棒はキューというの?  球?」  キューが球からくるなら、面白いけど、ちがうでしょ。  cue。


・ニイーリッヒとかいう 人 は日本の地形はしらずに、海に沈んだ形のみ知っていたので、今、ギリシアにいますとかいった。
・お寺のようなお城のようなもののある町。お坊さん、すごく頭が大きく四かくい。
    《そういうお坊さんの頭の絵》 という感じ。
 そこの駅に「カータン」とかいうサトウサンペイのブアツイマンガの本が3冊あって、 古本らしくあわせても千円をこえないのでみなかおうと思うと、 小学生みたいのがイヤミッぽく笑うので、「なんだとー」といきりたつまねをしてのち「冗談。」という。 そしたら、うしろの不良みたいなやつがケンカと思ってか、ヤメロヨといい、それからぼくと何か話す。 みんながいうのでその古本をあけてみると、小学校の参考書、あぶなく買う所だったと思う。
・ぼくが、オカボやオニシとともに、石山公園の西の辺を北へ歩いていたら、イ■■チャンが南にいたのでヤアと声をかける。 イ■■チャンは竹沢映画の北側にあるキッサテンか何かに、■■高の西■君と、ともに山■をまちあわすためにはいっていく。
     ↑
   これら夢。
・どこか日本式の大きな家での事件のような物語のようなものもあったような気がする。


 オカボ、オニシ、イ■■チャン、山■は、中学同級。  イ■■チャンとは高校も同じ。高校二年時までは同じクラスで、学校ではいっしょにいることが多かった。  高校生になっても、オカボ、オニシ、山■らと、千葉市中心部、wakaくんちの近所で休日などつるんだり遊んだりしたが、イ■■チャンはそういう時、場所にはふつういない。夢ならではだろう。  近所の石山公園(実在)は正式名称ではなく、鎖がついていたりトンネルがあったりの、富士山にちょっと似てるコンクリートのでかい山が公園中央にでんとあったので、そう呼んだりした。  ヤマ(山■君)は映画館の息子。  竹沢映画館(実在)がヤマのうちだったかどうかだが、可能性は高いんだが、当時このあたりには映画館がいくつもあり、かつ、その後の年月で軒並み閉館となっていって、さらには住居表示の変更も絡み、今からネット上で確認しようとしたんだが、どうもはっきりしないのだよ。  (ヤマのうちの映画館では、中学でヤマと知りあう前からゴジラなど怪獣映画を何度もみてたんだが、近所過ぎて映画館の名称のはっきりした記憶がない)  オニシと■■高の西■君は同姓。区別するために、waka君と同じ高校の友人のほうには「■■高の」がついている。  ■■高の西■君とも、学外で会ったりすることはほぼなかったはず。
: 「■■このやろう、週間朝日なんか読んでるから、ませちゃうかな。」  このやろうではなく、■■こ。上の妹。小学六年生ぐらい。  waka家は読売新聞だったが、家業の職場のほうでは朝日新聞。その関係か、週刊朝日も配達されていたらしく、親が家に持ち帰っていた。
: 「弱々しい目であるが、多くのデータによって正しく見られるのと、少ないデータであるが、強い目をもっているので、正しく見られるの。」  眼力、洞察力、などという意味合いで言ってる。  前者は、恵まれた環境で地道に積み重ねるタイプ。  後者は、逆境でも克服できる天才タイプってところか。
: 「ゾルゲとは何ぞや。」  リヒャルト・ゾルゲ。ゾルゲ事件の首謀者のことだろう。
: 「象った :よみは?」  かたどった、か。
: 「ポルノの字の意は? もとの意は?」 ポルノグラフィー。 調べたが、古代ギリシャの売春宿に淵源があるようで、ざっくりだが〔娼婦(ボルノ)についてかかれたもの(グラフィー)〕でよいらしい。 拍子抜け、そのまんまだけど。
: 「演り方 :よみは?」  演の訓読みは、のべる。しかし、ここではちがうな。  俗に「やりかた」と読ませる所なんでしょう。
: 「ニャンコという一つの生物は、数えきれないぐらい多くのもっと小さい生物の頂点にあるのだ。数えきれないぐらい多くの生物のタンパクを皆あつめたぐらいなのがニャンコで、それら多くの物とニャンコ一匹が対応しているのだ。  これと同じように、ぼく一人ともっと多くのかぞえきれないぐらい多くの生物が対応している。」  次項の、ニャンコのお尻を眺めながらの、想。  ほのぼのしてる。
: 「前の家のものほしの下の屋根で子持ちらしいニャンコが、こっちにおしりむけて、気持ちよさそうに昼寝しているよ。  だれか人が来るでもないし、道路からもはなれてるし、一番そばにいるぼくも静かだとなれば、ネコにとっても天国であるのかも、あのものほしの下が。」  これは北西角の、waka君の四畳半からの眺め。  あそこは、一街区の中心に近くて、四方の家の角が合わさったような所なのだ。
: 「ザッボロイチバン」  ラーメン、サッポロ一番の濁音化。
: 「マッチをすったときの最初にババーと燃えあがる所はもったいなのではないか?  はじめから静かな火ならよろしいのに。」  ババーと燃えあがるところに魅入られている、ということのような。もったいない以下は付け足しっぽい、言ってみただけ。
: 「ほうちょうはなぜ、さびないのか?」  waka君の知らないところでだれかが研いでいるのだ。おそらく。
: 「素姓 そじょう× すじょう○ )?」  ふつうは、素性と書くが、素姓や素生もありらしい。
: 「どんなに、ほんとにどんなに苦しくいたたまれない立場にたっても死ぬなんてちょっと、あっけない?  まだ何か物語が用意されているかもしれないのに。」  ほんとうにひどい、いたたまれない立場にたったことのない若者だからいえるセリフか?
: 「別マ5月号の「計画にない旅」よんでくのがツライよ。(もちろん、盗作なんてしたことないけど、それでもなおかつ。)」  創作者たちの、盗作がらみの物語、ってことかな。  読者である自分は犯していない、劇中の犯罪、犯罪者の身になって心がツライって、相当よく描けているマンガなんだろうな・・  → http://kiuchi.art.coocan.jp/keikaku1.htm ここで読める!? まさか、と思った。検索したら見つかった。  http://kiuchi.art.coocan.jp/ 作者、木内千鶴子本人のサイト。  → すげ〜 よんでみた。たしかにこれは・・  → そうか、前項は・・
: 「日本語の感じは米語や中国語とちがい、まるでちがったしらべみたようなのをもってる?」  お国柄それぞれの楽器と曲調、であるかのように聞こえる、それぞれの言葉、会話。そういうふうだと推量する。  → 私らは、和漢洋でまるでちがうように聞こえるが、洋はひとまとめだが、西洋人には中国語と日本語は似かよっており、西洋の中の諸言語間のほうが差異が大きいと感じているのかもね。
: 「しかし、おれって、みじめだね。この年になって、女の子の友だちもいず、あこがれの人として、だれかにみられるでもなく、だれかをそうみるでもなく、 自分と同じようなすこし大きいガキたちが多くいるだろうからと安心しているのだから。 ■■高の西■君やオカ■君は、少女マンガや少年マンガにでてくるようなBFとなっているような気もするが、 他の人はそれをうすうす望むだけで、そうはしていないと思っているのだね、ぼくは。 しかし、ある日気づいてみると、まるで片わ者の一歩てまえのような自分をみつけるのではないか?」  これは予言的な項だ・・・  今で言う、リア充をうらやんでいるんだなあ。妹たちの別マ(別冊マーガレット)を耽読して当てられたか。  (ずいぶん悲観的だが、高校生のころって、勉強よりも金よりも、異性にもてるかどうかだもんねえ)  (ふつうに健康で、若いのは当たり前で、だからそういうのは底値ってところが、もううらやましいかぎりだ)
: 「金は2枚横にならぶより、たてにならんだ方がいい。と金はうしろにひくほどいい。」  と、先輩やTVに教わっているはず。
: 《詰め将棋譜面》  「▲2一金△1三玉▲2三角成△同玉▲2二金打△1三玉▲1二金△同玉▲3二飛成△1三玉▲2二龍」  見事な作。  この日 4/14 は日曜日。NHK将棋講座で出題されたものを解いてみたのだと思う。

※ 『1974/04/17 珠算のときのように』 : 「数学の問題集 ¥220  セイケイシリョウ グラマーワーク サイドリーダー )¥920」  「夜の■■、(24)■■13」  「日本史・教科書。」  「16日:授業料 ¥50返す.」  「ノート 50×2=100  90×1=90 コレは自費  150×2=300 }¥490 400   1270」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  諸費用をざっと書きだしているか。ラストの1270(または|270)のでどころがよくわからないね。  →  母親に請求すべき学費関係と思う。  左方は¥220を含めての小計が¥920、とする。  右方、¥490から自費90を除いて、¥400。  ¥50を返す(授業料のおつりなので母親に返す?)。  合計すれば、920+400−50=1270。 おお、合った!
: 「柊とは?」  ひいらぎ。  音は トウ ではなく シュウ。  たしかに「冬」も「終」もあるので、なるほどだけど、へ〜、だ。  (手元漢和辞典によれば「トウはシュウの転音」だとか)
: 「考えてみれば、ぼくはこれまでに何一つまともな作品を書いていないのではなかろうか、と思ったが、このノートは割とまとも?」  作品というより、仕事の結果、結実として、そこそこではという自覚が、当時すでにあった、ということかな。  他の創作物にくらべて、その量、そのリアルさにおいて、別格的な。  (たんなる雑記帳、ゴミ捨て場、とはいいきれない、あまり他ではお目にかかったことのない、何らかのかたまり?)  (他にまともな作品はないようだけれど、コレだけはもしかしたら、すでに何らかのものになっているのでは、という気づき?)  現在も、はっきり言いきれる何かではなく、もやもやしているところ残るけど、心記類については。  でもこのように精査していると、廃棄してしまわなくて幸いだったと思う。
: 「ノリチャン ■■■■ノリミツクン は、うちでメガネをかけ、学校ではかけないそうだ。 僕は主に学校でメガネをかけ、家ではでレビのとき以外かけぬ。」  二年でも三年でもクラスはいっしょだったんだけど、三年になってからつるんでいることが増えたかも。  近所ということもあって、卒業後もつきあいは続く。
: 「ノリチャンが、「小説はよくよむけど、皆、くだらない。」というのは、よみがたりなく独断におちいっているため、と思っていたが、今、自分の ワカチャンの 昔の作品があまりにおもろないのを発見したつもりになっているために、 あれは、ノリチャンの知能が、作者よりあまりによくなってしまったためではなかったかと、今、ちょっと思った。」  本人、たしかに優秀なんだが、少々買いかぶりすぎでは。  「皆、くだらない」と感じるのは、知能云々ではなく、対象への愛のあるなしだろうね。  愛がまるでないとは思えないので、ちょっとかっこつけてるだけかも。
: 「ぼくのもってる、きれいな千円札8枚の番号は XG247882E〜XG247884E、XG247886E〜XG247890E」  85Eが惜しくもぬけてる。(連番に気づく前に)自分で使っちゃったんでしょう、おそらく。
: 「作品は、今晩のように、あした身体測定のために何も予習しなくていい、というようなひまなときにはできずに、すごい宿題やテスト勉強のあるときにできてしまう?」  あるある。  逃避が絡んでいると思うけど、どうつながるのかねえ。  課題や困難を前にして、身構える、力をためると、今までできなかった、やらなかったことが、いくつかできるような気持ちになり、そのうち一番らくそうな、たのしそうなものから着手してしまう。というかんじ?
: 「ヤル」  「性交は、男が女を服従させる所に意味があるのか?」  「夜書く物は、ロコツになったり、異様なふんいきをもつというがほんとらしい。」  たかぶったり、虚脱したり、しつつの想。
: 「何がムダといっても選挙にでることぐらいむだはないよ。 (お母さま)」  といってる割には、選挙のとき、そうとう入れ込んでひいきの議員さんを支援していたよ。  あるいは、そういう深入りをしているからこそのセリフか。
: 「D1■■■■■■さんや、■■G4さんは、すごくきれいになったなあ。とくにD1■■■■■■さん。」  ふ〜ん。waka君にはそう見えるってだけではなさそうな。  タ■■嬢、■メ嬢。  waka君は、女子の化粧にころっとだまされるタイプなんだが、半世紀前だし、まじめな高校だったし、紅を差すなどの化粧はなかったと思う。
: 「今日の事務所のうけつけのお姉さんのキレイなこと。」  笑。  こうまであると、前項もwaka君が単に発情気味だったから、かもね。  学校の事務職員のお姉さん。  ・・上辺に、授業料とあるので、それを支払いにいったときだ。
: 「この前なかった日本史の教科書、重ねてあったノートの間にはさまってた。 友だちがまちがえて持っていったのではとか、うちの人がまちがえてかたしちゃったのではとか、 お母さんが興味があるからともっていっちゃったのではかと思ったりした。」  反省、かな。すぐ人のせいにする癖。
: 「かぜひいてる子ってぶたのこなのよお。  なあぜ。(ズーコ、ズーコ)  だってぶたもブーコブーコいってるもん。」  上の妹■■子のセリフ(一人芝居?)っぽい。
: 「今日の身体検査、男がパンツいっちょうになって体重なんかはかるそばで、記録してんのは女子なんよ。許されるのかねえ。」  女子生徒ってことらしい。  まー、おおらかだったから、当時は。  女子が嫌がるのがふつうか。現在だと恥ずかしがる男子の比率は(当時よりも)上昇しそう。
: 「たっきゅうをがんばって勝ちすすむ夢。  自転車のまん中に穴あき空気ぬける夢。  いもづけ さつまいも スープをのもうとした夢。」  これはまあ、多少日常的、多少イベントの味。
: 「ヤル」  ほぼ連日。
: 「正射影を正しくうつかげ、とせず、正しくうつすかげといったよ、きのう。」 〔 せい‐しゃえい【正射影】  《名》 直線または平面にまっすぐに写った図形の影。すなわち、一つの図形の各点からある直線、または平面に下ろした垂線の足の集まりを、その図形のその直線または平面への正射影という。〔工学字彙(1886)〕 〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  わかったようなわかんないような説明だ。  正しい訓でいえば、いる影、さす影、かもしれない。
: 「ガチャンと置く音を、ガチャンと音く・・ とかく。」  脳内で、急かされた語と語がくっついちゃうみたいな事故かな。まれだろうけど。
: 「みつかび人を、いつかべ人と聞いていた。」  現在、当初、なんことやら見当もつかなった。  https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E3%83%B6%E6%97%A5%E4%BA%BA-138841  三ヶ日人(読み)みっかびじん。  日本史辺りで耳にしたか。  地名由来で、正しくは、みつかび、ではなく、みっかび。  (しかし、こういう記事が残っているということは、授業で先生は、みつかび、と発声していたのかも?  いや、やはり、それもwaka君の聞きまちがいか。最後まで漢字がわかってなかった風だ)
: 「規模とかいて、これでいいのかと思う。 感じる。」  ほんとだ。  耳で聞くと紛れもないのに、漢字をまじまじとみると、意味との乖離を感じる。
: 「宝を宝と書いたよ、■ボ先生。」  2字目の宝、王の右上に点。  ■ボ先生は、たしか、世界史の先生。ぎょろ目で巻き毛。  あだ名は、世界史、ツキュディデス、ツキュ。  (三ヶ日人もこの先生なら、三年時は日本史を教えてたか)
: 「こんどの席」  周囲に女が四人もいるらしい図。  waka君の高校の男女比はは、3:1ぐらい。  が、文科系のクラスは女子率高いのだ。  (四月半ばでもう席替えというのも変なので、新学年からこの席だったが、 新しい環境になじんでおちついてきて、あらためて認識したってところでしょう)
: 「heat : ヒート  heart : ハート」  heatとheartの語源に通じるものがあったのか、と、Copilotに訊いたら、ないだろうとのことでした。
: 「〜であるからと、もっていっちゃったのではかと、 → この、「ではかと」というのは、不自然なつながり?」  不自然。なじまない。  もっていっちゃったのではないかと、の語音が抜けて短絡か。  → などと考察したけど、原文は、左隣にある項ではないか! なあんだ。  文の流れからいえば「お母さんが興味があるからともっていっちゃったのではとか思ったりした。」と書くべき所。  原文はたぶん誤記(または不整合)だが、それもふまえた上で、「ではかと」もありなのでは、どうだろう、というのが本項みたいだ。
: 「ほおが赤らみ、そこに薄い、きれいに長い髪がまばらにかかっていて、 心の奥から、自分をしたうように見る女の子がきれいに思える。」  ロマンチックな妄想だが、
: 「〜のように見たあの人はとてもきれいに思えた、なのだ、ほんとは。   コレハ、D1■■■■■■さんなのだ。   それでも、ぼくは身をひかねばならず、かつ、身をひいてしまい、愛していないのか?」  以下現実の、ダメオスぶりがフラッシュバックのよう。  すっきりしない文。  書き手の立ち位置が、まどっている?  (当初は、美文を書こうとしたんだろうけど)
: 「時運を時流ときく。」  聞き違い、というか、脳の連想変換と耳に入る二音目が競争している、というか。
: 「別冊マーガレット「計画になかった旅」をしのら君もよんでいて、我ら文学クラブでも応募しようというのですよ。」  正しくは、既述の「計画にない旅」。  漫画作品の投稿は、文学クラブとしてもしのら君やwaka君としても畑違いだろうから、マーガレットが原作募集でもしてたのかな。  または単に、感想の投稿をそういったか。  (しかし、高校生男子、思いの外、女子向けマンガ誌読んでる。刺さる作品も同じとは。waka君のように姉妹がいたりすればわりと自然に目にするか)
: 「古本屋で日本霊異記(¥50)角川文庫初版をみつけ、買おうと思って、ならべてある本の上におき、 マンガ本よんでてすこして気づいたら、セビロをきたおじさんがとりあげて読んでいる。  《 おっさんとぼくの位置関係の絵 》  こりゃこまった、はやくおかないかなと思ってると、それ買っていっちゃった。 ありゃ、やっぱねうちあったんだな、と思う。 ふつうの本屋にもうっていようが、¥50で、古さがついているから、買う気がおこるんだ。ピンとくるのだよ。」  やられちゃった。これはしたり。  しかしかなり珍しいほうの偶然。タイミング。千葉市街の隅の、のんびりした古本屋なのに。  (美味しいものはあとに残す癖、それと油断。めぐまれた育ちでおっとりってことみたいだ)
: 「もらおう!! 4/16のぶん ( めし、¥185  資料¥310  160  660」  「詩集buy!!!」  「自転車の荷台にとめるヒモ!!」  「漢文には2年の教科書」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  自転車のヒモ、山から返してもらう件はあきらめたかな(笑) 必要だ(もう買おう)という気合を感じる。
: 「高■氏が、日誌に書いた女の子の絵は、セブンティーンの12月号の表紙?  《 日除け帽に丸眼鏡のお洒落女性の絵 》  このようなの。 別マの去年の11月号の広告にでてたずら。   似てなーい!!」  トップクラスの優等生高■氏が学級日誌に描いた絵は、元ネタを見たことがあるよ、調べたらこれだよ、と。  本人や級友にはいわなかっただろうが、ひとりほくそ笑んだかなあ。  両誌とも集英社だから、広告が載るのはあり。  (数ヶ月前の発行だろうから、男子に簡単にネタバレしたのを知ったら、驚くのでは。  ただし、女子生徒たちにはもっと簡単にバレるはず、つまり、本人も女子たちがそうと気づくのは織り込み済みか)
 → うーん。  考えたらさ、高■氏は理科系だから、もう別クラスのはず。  なんらかの理由で二年時の学級日誌が手元にあったか。  いや(手元に学級日誌はなく)、二年生だった頃の記憶と今回判明した新事実で書いた記事、という線が濃いみたいだ。 (つまり、あの鮮烈な絵は〜が元ネタだったんだ、という報告。この場合、記憶がおぼろにもなるから、waka君の邪推の可能性までありそう)
: 「カイーン カンイン カンイーン」  高校野球の打球音。姦淫。これらの合成。ってとこだろう。  バカなの(笑)

※ 『1974/04/27 ワイシャツのここを切りとって』 : 「自分のうつっている鏡では自分のうしろに人がいるのに、ふりむいたら、いない、というとき、 そのふりむいた時点でそのおそろしいものが、鏡の方に、つまり自分のうしろにいるということもおそろしいだろう。   自分の頭のうしろに何かはりつけられていて、ふりむくと頭といっしょに動いちゃうなんていたずらもあるかも。」  こわい。いたずらでも、トラウマ級かも。
: 「物理教室にせんひき忘る。  4/25 みっけ。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  このせんひきというのは、ふだんこの心記ノートに挟んでいて、頁を分割(ここでは四分割)しているエンピツ縦線もひいているせんひきと思う。
: 「フク■■はD組だったずら。」  二年時同級のフク■■君のクラスがようやくはっきりしたよ、と。  A〜Hの8クラスがあって、A〜Cが文科系、D〜Hが理科系。  waka君は3Cである。  となりのクラス、将棋同好仲間でなかよしでもあるのに、本人に確認するのがはずかしかったか。  (めんどうだった?)
: 「ヤル」  いぜんとして元気余ってる。ほぼ連日。
: 「一人 独り >どっちが正しい?」  どちらもあり。  使い分けもさほどむずかしくないな。
: 「トランプの 《 絵図 》 というような ナラベ方」  平面に、こうして並べてみた。おもしろいかも。と、記録したんだ。  (今、あらためて、こうして並べてみたけど、まあまあ。わるくない、ていど。揃えづらくてちょっと不快?   ひさしぶりトランプにさわったからか、ふつうに左右まっすぐの市松模様にするほうがあざやかに感じてしまった)
: 「おにしは、ページワンをウソツキゲームというのだよ。」  相手のミスを誘うゲームだよね。  まちがったことを言ってだますのが嘘つきなら、このゲームは、何も言わないでだますのが軸。  相手が気づかずまちがったら、かかった、と指摘する。意地の悪さのレベルが一段上。
: 「4月になって、ぼく、■■になにしたっけ? 2000円、もらったが。(フウトウに入れて)」  家業での宿直などのバイト代として、だろうけど、宿直した覚えがないよ、と。  おそらく三月のそれで締め日の関係で支払いがこの日(4/22)になっただけでしょう。よくあること。
: 「トランプ建築  今やってる。」  これは立体的なヤツ。
: 「際物小説とは?」  きわもの。  世間をさわがす事件や流行をすぐさま取り入れたような、それ。  いっときのウケ狙いで、たいていはすぐ消えるわけだが、 あまりに題材が魅力的で生まれては消え消えては生まれるうちに練り上げられていく場合もあるか。  例えば、忠臣蔵。
: 「国はどう考えても she より he があってるのだが? どう感じても。」  英語では国家の人称が女性ってこと?  (若干、風にも見える。最後の爪がないので、やはり国か)  → 日本語でも母国と言うけどな。しかし、これはもしかしたら明治の翻訳語?
: 「イト■■、自分ではみんなの前でアタマワルイヨっていってるけど、ほんとかしら? とぼけてるの? 赤点3つてほんと?」  文学クラブ仲間。おだやかな、大人(たいじん)風。  一時的に赤点3つだったかもしれないけど、ふつうに大学にも進みました。
: 「無駄を無駄」  駄の二字目、右が大。または大の右横に点か。
: 「ぼくらにクジラは、それほど重要か?」  日本人に、クジラ漁は、それほど、という意識か。  現在の私は、日本の食文化を他国からとやかく言われるのは気分悪い感じ。 でも、クジラ肉とか料理とか、好きというわけでもない。  (とはいえ、半世紀経って、もう勝負あったという風になってるか)  (おのれの欲せざるところは人に施すことなかれ(論語)。 人にしてもらいたいと思うことは何でもあなたがたも人にしなさい(聖書)。 この差なのかなあ、西欧人がお節介なのは・・)(・・お節介は控え目な呼び名だけど)
: 「異性との戦いに疲れた人。」  高校生男子の場合は、直接対決というより、脳内での対決、というか自意識過剰との折り合い、の側面が大きいと思う。  成人後の男子の場合は、現実の婦女子との折り合いということになって、わりと苦戦続きだろう、たいてい。(口では勝てないだろうし)
: 「感覚の中に必死に、苦しむように、考えることも含まれるような気がしてしまって、ピンとこない。 田■先生が、詩は感覚で知るものなのだ、といっても理屈とは感覚に含まれてしまうような気がする。  それほどぼくは感覚だらけ?」  今よんで、いまいちわからない。(具体例もなく)  詩とは全感覚で感じるもの。感情、好悪のみならず、思考も理屈も、これらに伴う苦楽も、当然その全感覚に含まれる。という説明なら、うんうん、とうなずけるかも、今。
: 「なんでマニキュアなんかあるの? あまりに無意味に思える。  女は低俗だから、そんなくだらないことをし、男はえらいからしない。」  前半、そうだともいえないだろうなあ・・  無駄に思えるような華美を求めるのは、いわば、進化しているわけで。  当時のwaka君、まだまだ美意識が狭い。  後半、理屈じゃなくて、ののしりだわな。  倍返しぐらいの反撃ならまだしも、無視、無言、無表情でいつ果てるともしれない責め・・ おそろしい・・  (人間ばなれしている。まだ知らないだろうが・・)
: 「愉快  愉しい」  なにねぼけたことを。
: 「何か、世間的な能力にひいでていると、そればかりを鼻にもって、他のだいじなことをかえりみなくなってしまう、だから、世間的な能力などのばさぬのだ。   マケオシミ?」  というか、屁理屈だよ。  それを鼻にもたず、大事なことも忘れないようにすればいいだけだよ。
: 「「みのもんたーのワイドナンバワン」 「みのもんたーのワイドナンダワ」 )?」  Wikipedia、 〔 みのもんたのワイドNo.1 (みのもんたのワイドナンバーワン)は、1973年4月2日から1976年4月2日まで、文化放送で、月 - 金曜の夜の時間帯に放送していたワイド番組。パーソナリティは、みのもんた(当時文化放送アナウンサー)。〕
: 「今日の夢、まともな現実小説をいくらか物語的にしてドラマにしたようなもの。 ぼく自身は悲しいめにもめげず、うつろに生きている。そんなかんじ。  でも、くわしいことほとんど忘れてしまった。」  面白いまとめ方だ。  まともな現実小説というのは、あまり物語的ではないわけだ、waka君的には。  悲しいめにもめげず、うつろに生きている。というのが、矛盾したような味がある。
: 「住宅を住宇宇■としてワカラヌ。」  ■はウ冠にテ。  要は(一時的に)書けなくなったよ、と。  左払いの枝道にはまった、というふうか。
: 「瞬時   しょんじ :「しょん」というかんじの何か悲しく、あっけない、わずかの時間。 「しょんじ。」」  これ、瞬はしゅんとわかってて書いてるんだよね。  しょんじ、という語(語感)を新造している、わりと気にいっている様子。
: 「「ぼくがすべての点で彼より劣っても たとえ、すべての点でまさったとしても、決めるのはあなたの心だ。」」  ううむ。  「 」で囲っているということは、  (1) 何かどこかの記事、文章、TV、ラジオドラマからの引用。  (2) 脳内妄想の登場人物のセリフ。  このどちらかでしょう。  相手が女性として、その女性はどう感じるか知らないが、かなりくさいセリフだ。  いわゆる翻訳調、日本語では理詰めに聞こえ、これでは胸が熱くならないだろう、ふつうは。  イケメンが情熱的な瞳で(壁ドンとかしつつ)かたりかけていたりなどすれば、かたりの内容など意味をなさないかもしれないけどさ。
: 「1月10日夕刊」  讀賣の切り抜き。 「私がここで強調したいのは、人間と自然との関係が、もはや基本的には解決済であって、人間と人間との関係だけが問題として残されているというような幻想が、いろいろな形でいろいろな分野を支配していたということなのである。」  筆者名がぬけているが、だれだろうね。  梅原猛あたりが言いそう?  1月の新聞をなぜ4月に切りぬいているのか。これは古新聞(何かをつつんでいたとか)の中にたまたま気になる記事を見つけてしまったという事情かも。つまり、この1月はこの年の1月とも限らない。(もしや、学校の昼飯、弁当をつつんでいた?)  → これを見つけ、切り抜いて残そうとまでした選別眼は、なかなかと思う。(ああ、これは手でちぎっている)
: 「ハベル サブラフ )?」  辞書によれば、上古では通常「はべり(侍)」が用いられていた。 〔 ・・・ 「さぶらう」がこれに交替しはじめるのは中古後期(院政期)ごろからで、敬意も「はべり」より高くなっていく。中世にはいると「はべり」は口語から消え、「さぶらう」あるいはこれの変化した「そうろう」が専用されるようになる。  (2)「さぶらう」が「そうろう」に変化したのは、中古末から中世前期にかけてと思われる。ただし「平家物語」には、男性用語が「そうろう」、女性用語が「さぶらう」という使い分けがあったとされ、中世になっても女性は「さぶらう」を用いていたと考えられる。「ロドリゲス日本大文典」にも「書き言葉で女子にのみ使われる」とある。〕 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  類語だが、浮沈がある、と。
: 「ブリュネットとは? 」  https://tabippo.net/haircolor/  〔 フランス語で栗毛の若い女性をブリュネット(Brunette)と言います。英語でこの言葉は黒髪に対しても用いられますが、本記事でのブリュネットは栗毛を指します。黒髪ほど多くはありませんが、ブリュネットもまた黒髪同様あらゆる地域で見られ、特に地中海沿岸や中東で多く見られます。〕
: 「ぼくのななめ前、つまり教室のすみにすわっていいる、「オ■」とかいう女の子が、 休み時間なんかにいっつも教室の中の方をむいてすわるのは、その美しいような顔を皆にみせるため?  《 席配置図 》  しかし、オ■とかいう女子や、イモネエチャンは、男たらし、というかんじではないが、 遊ぶといういみの、Playgirlという感じがして、何か軽々しい人たちに思え、 もっとしとやかに女らしく、ゆかしくしていたなら、愛らしく思えるだろうその顔や姿態にも、魅力がない様だ。」  waka君、頭では否定したいようだが、気になっている様子がありあり。  今の感覚で言えば、男女を意識せずに友だちづきあいができそうで、好ましい雰囲気の女の子たちに思えるぞ。  ・・とはいえ、左前の席のオ■嬢が、教室の中の方をその美しいような顔で見るなら、視線のまん前、至近にwaka君が座っているわけで、 思春期後半の男子としては困っちゃうよ。こういう記事を書きたくなる気持ち、わかる。  イモネエチャンは、ミヤ■■嬢のあだ名。あだ名のような芋娘ではなくわりと美人。活発で世話好き。  →  『1974/04/17 珠算のときのように』1頁目、左上の図では、単に女(四人)だった。個人としてここに記すまでになった(認識がふかまった、なじんだ)ということだね。(四人のうち二人だけど)
: 「しじみのおみおつけ、味はいいが、そのしじみいちいち食べてるといらいらしてくる、朝も晩も。」  短気じゃのう〜  身が細かいから。  かなりの早食いだったのかも。
: 「タ■■さんは、ケンドウやって、キェーとかキャーとかいって、しないふりまわしてんのかね。ああいうおとなしいような人からは、想像できない。」  そういえば、稽古や試合をするタ■■嬢を目にしたことはなかった。  防具を着け、旧体育館に向かうのは何度か見かけたが。


・ブタが化けた少年←アカツカのマンガ的。や他の何かが化けた少女や何かの、みんなで、雪のつもる冬の一夜をおきてすごす。 すごいくいものをみつけたり、わりとたのしい。
・また、わるものを、1つの大きな家にとじこめ、かんりしている。 わるものたちは殺されるかもしれない。ぼくたちがみはりからはずれたら、にげようとする。
・■■高の古い校舎に誰もいないと思っていたが、 ■■高ではすたれたありし日のかがやかしい英語教育をついでいる生徒がいて、今度で最終の生徒であるという。 ぼくともう一人でおみまいにく。彼ら、日本人であるが、英語のベテランのよう。 しかし、とこか、かたわかしんしょうしゃのようにあつかわれている。 そのうち、女子校のおみまいの人間のってきた電車もくる。 ぼくとなりの女の子と日本語で話し、もう一人、みんなと英語で話す。

     これら夢


 あやかし、わるもの、異人。  交流ありの様子。
: 「戒 戎 }?」  戒める(いましめる)。  戎(えびす)。
: 「指す 指差す   指指す はだめ?」  指指す(ゆびさす)。  だめじゃないはずなんだけど、やはり、あまり見かけない。  (おちつかないからかな)
: 「化学の浜■先生、もっと老人かと思ってたよ。若いね、あの人。」  申し訳ないけど、面影すら記憶してないです。
: 「今日の弁当のおかず、たけのこのみ。 よくこんなのつくるよ。」  笑。よくぞ記録してくれた。  つくるほうもつくるほう、たべるほうもたべるほうだが、ふたをあけたときのびっくりが滑稽。  (うちの母親は小学生のとき空襲で皆燃やしてしまったので、食べるものがあるだけ有難いと感じる人。 美味しいタケノコならそれだけで十分、見劣りがするとは思えないのでしょう)
: 「文章を「■■」とかいてあったのを上からみて、「ぶんおん 音 なんとか」とよんだよ。」  ■■は、文章二字の縦書きを、ここに横倒しに書いたもの。  縦の横倒しだと、たしかに、文音十とか文立早とかにみえるね。
: 「T :ティー、テイ   丁 :テイ   }似てる!!」  やばいぐらい似てる。  あと、彼と he なども。  → 「T 丁 に関連はあるのか。」とCopilotに質問。  〔 「T」と「丁」には関連があります。特に、道路の形状を表す際に使われます。  丁字路(ていじろ)とは、道路が漢字の「丁」のような形で枝分かれしている交差点を指します12。 T字路(ティーじろ)とは、アルファベットの「T」の形に似た交差点を指します34。  このように、形状の類似から「丁字路」と「T字路」は同じ意味で使われることがあります。 〕  とのことです。



   色のない通路

 鐘が流れ先生が消えて
 そのときは もう 休み時間
 気ままでさびしい無駄な舞台

 声が飛び 人が過ぎて
 くりひろげる初めての演技
 顔を誰かがながめている

 歩いていく空気の通路
 奇妙な人が近づいてくる
 あなただけをみない僕の目

 音が沈み物が止まり
 あなただけがおもしろく変わっていく
 僕を見ない僕のための表情

 鐘が流れて人が動き
 みまわして空気をおしわける
 動いていく意味のない人たち.



 3行×5連の、半定型の詩篇。  この感触、こういう詩作経験は初めてで、新鮮な驚きがあったように記憶している作品。  鐘がなって休憩となり鐘がなって授業の始まるまでの十分間を歌っている。無色無音のいっとき。  今の目から見ると、もう一つ、もやんとしてるけど、高校の空気や十七歳の心情がそれなりにあるな。寸劇のようでもある。  →  初稿。  次頁にはもう二稿がある。 ほぼ半年後の11/30に原稿用紙に(二稿をそのまま)清書している。 1975/03/12には「色のない通路はいいなあ。」という記載がある。  お気に入りではあった様。
: 「ホトトギスという小説をさがそう!!」 「ゆにっと、」  「文学クラブもいつか、ミーティングをひらき、文学クラブ誌と、新入部員について話し合おうずら。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  『不如帰』(ほととぎす)、徳冨蘆花、を指すと思われるが、読んだ記憶なし。明治三十年代のベストセラーとのこと。  waka君の属する将棋同好会(二年時は会長)は土曜放課後が定例会で、必要なら臨時の会合も放送で随時招集した。 waka君の属する文学クラブ(後輩がいないので三年時も部長)は、定例会がなく、部員全員が顔合わせする機会も、年に一回か二回がやっと。 それでも、毎年秋の文化祭に発売する文学クラブ誌は、なんとか制作したんだけれど、とうとう卒業まで後輩を獲得できなかった。 一旦は途切れさせてしまったと思う。(その後、文学クラブ自体は復活したはずだが、waka君が卒業してすぐなのか何年もしてからなのかは知らない。なお、文学クラブの部室というのは当初からなかった。部の備品などもなく、三年時のクラブ誌の売上を後輩がまた制作するときのためにと顧問の田■先生に託したのみ)
: 「詩、つくりなおしを要する?」  直近の「色のない通路」をいってる。  不満、というか、ふつうは書きっぱなしだから、なんとかしたい、という気持がうまれているってことだね。
: 「今日、英語の授業の夢。■■■テルなんかが先生になったりする。」  ■■■テル君は、何年生かでクラスメートだったか、または、英語塾がいっしょだったか。  ナイスガイなのだ。
: 「14−13−14 11−14−13 }一連 というような定型詩にしようか、きのうの詩は。」  この数字は語の音数を言ってる。  あんまり意味があるとは思えないが・・  (隠れ制約というつもりかもしれない。前頁の初稿、当頁の二稿とも、一連二連はこの通りの音数だが、三連以降はきっちり音数が踏襲されているわけではない。 アバウト、というよりも、本項はちょっとした思いつきで、結局実現に至らなかったってことのようだ)
: 「サイドリーダーの授業、さされるのでは、とドッキドキしたよ。 「では次、やくしてみます。」を「やくしてもらいます。」と聞いて、次の人の名をいうと思った発音にドキッとしたり、まあ、おくびょうです。」  ここで指されたら、まったく訳せる気がしないってこと。なさけない。  なんでも来い、どうとでもこなしてみせる、という(堅実な予習、修練に裏打ちされた)気構えがないと、こういう心臓に悪いことになってしまう、単なるいつもの授業なのに、ホラー劇場並み。  (過去にも何度か英語の授業で、皆の注視の中、恥をかいたことがあったんだと思う。そういうときwaka君は意外に図太いんだけど、笑ってごまかせたりするんだけど、恥をかいたから反省してがんばる、雪辱する、という方向にはなぜか行かない、計画ぐらいは立てるけど実践できない、という習癖がある。 喉元過ぎれば熱くない。たかが英語だ。 こまったやつだよ)  (でも、傷だらけ。皮が分厚くなっていく、という鍛錬にはなったかも)
★ 現在の正直な感想。   聞く話す読む書く。  英語の聞く話すなら、異国人でも、英語で暮らしていけばなんとかなっていくのではと思う。日々生きていくための必要に迫られ、いろいろ伝達し合わなければならないので。  が、読む書くとなると。  英文を見、脳内で日本語に訳して、理解する。理解したものを日本語で吟味して、結果を英単語に置き換え、ちゃんと英文に構成し整えて、書き出す。  これは、相当に難度高いよ。  たとえば、山、川、桃、どんぶらこ、等々、知っている単語を羅列して、意思を伝えることはできるかもしれないが、文章にするとなると、何段階も上の技能というか、心性が必要になりそうだ。  それを、日本語のこむずかしい用語とわかりにくい説明による、文法の学習で会得して、臨機応変に引き出して応用させていくなんて、ふつう、やってるの? と疑わしくなるぐらい、非効率に感じる。  私の知らない、なにか、コツがあるんじゃないの、という気までする。  そういう近道はなくて、やはり、膨大な経験値でしか達することは出来ないとした場合、その膨大な時間と労力を人生から切り出すのに、見合うんだろうか、英語の習得というのは。  その膨大は、もっとちがう、もっと有意義な、または、楽しいことに費やすのが正解なのではないか。  それが、単なる逃げとか怠けだとかいわれても、じゃあ、英語で育ちあがった国の人たちが、そういう膨大を支払わなくていいっていうのは非道い差別じゃないか、という文句がいいたくなる。  人種差別はいけないと言いながら、なんで、そんなことになっているのか。  ・・・  聞く話す読む書く。  だから、まあ、最近の、手元のマシンが親切に代行してくれる風潮、もしかしたら膨大を過去のことにしそうな、そういう差別を解消していってくれそうな趨勢、大歓迎なのだ。 ★
: 「HBのえんぴつまじってた。」  たしか、Hか2Hにこだわってたんだっけ。
: 「漁師を両親というようにききちがえる。」  授業なんだろうけど、どういう文脈なのか教えてほしいなあ。  飛躍ぶりを味わいたいよ。
: 「学校に深く流れる底の道 ただよいはなれる僕をみる人」  詩作づいてる?  形にならなかった片言のようだけど。
: 「えらいこいいこげんまなこ」  意味不明・・ 別字? 何かを暗記するときの頭文字?  →  が、何度か読み直していくうちに、パッと見える。  そうか、「えらいこいいこげんきなこ」「えらい子いい子げんきな子」だ!  だから何、どうしてここに、という疑問はのこるけど。  誰かがこう口にして語呂がいいので書きとめておいた、または、ラジオの一つのコーナーの名称とかかも。
: 「きれいに字を書いていると創作意欲がわいてくる。漢文の教科書、きれいにうつしていると創作意欲、わいてくる。」  創作意欲、というより、心が、書いている文字群にならいととのっていくような、すっきり感だろうか。  写経に似ている。  (高校時はまだ教科書どまりだけど、二十代頃は、唐詩選、論語など白文のまま筆写していくのがお気に入りでした)
: 「つくっていくよころび  みがいていく 快さ  もう枯れている むなしさ」  これも、詩作志向の片言か。  これだけで、一つの詩篇、もないことないけど、私好みではないな。  起承転、までだから、せめて結がないと。
: 「みや■さん、(イモネエチャン)は女の子同志で話すときの声より、男の子にうけこたえる時の方がしとやかなような声をだす。   ぼくもこれと同じようこといえるのかしら、気づいていないけど。」  右隣の女子(そこそこの美人)なので、いろいろ見えるし聞こえるし。  人はそばにいるだけで、なにかをもたらしてくれる。
: 「駆使 :くし  けんし:?」  検使ぐらいか、けんしのしに使を用いるとしたら。
: 「ときならぬ雨」 「はやいとこ、自転車乗ってきてよかった。雨だもんね。 演劇クラブの発表があるからと、だいぶ残ってたようだが。」 雨が降る前に帰宅できた、学校ではまだ(演劇クラブのことで)多数が残っていたようだが。
: 「このように、線と線がなるべくはなれるように書くと、きれにみえる?  間の白が見えるように書けばよい? ボールペンを筆のように使う?」  見栄えよいペン字をかくためのwaka君なりのコツ。  これでも、芸術の選択科目は書道。
: 「雨やんじゃった。」  彼らも降り籠められることはなかったやも。
: 「ヤル」  とくに理由もなくなにかというと、ヤル。  なんとなく間隔が短くなっているよう。  若いからこんな程度は、まだ余裕か。



   色のない通路


 鐘が流れ先生が消えて
 そのときは もう 休み時間
 気ままでさびしい無駄な舞台

 声が飛び人が過ぎて
 くりひろげる初めての演技
 顔を誰かがながめている

 椅子がはじけ彼が立って
 歩いていく空気の通路
 鳴き声を交す退屈な扉

 ざわめきが震え光が淀んで
 奇妙な人が近づいてくる
 彼の気づいた彼の硬い笑い

 音が沈み物が止まり
 その人だけがおもしろく変わっていく
 彼を見ない彼のための表情

 鐘が流れて 人が動き
 見まわして空気を押しわける
 動いていく意味のない人たち




 きれいなペン字を心がけつつ、推敲しているもよう。  初稿よりは、調った感。  僕を彼に直して、客観性を出したか。  かえって、ぼけてしまった?
: 「上の詩、つくりなおすのに、約4時間ぐらいてまかけさせたけど、ナーンカ、イミナイ? イミナイコトを感じられるので、それでいい?」  ふうん。  四時間かけて別紙でこねまわしたものの、清書だったか。  やりすぎてイミナイとつぶやくほど不感症になっているか。  初稿、二稿、どちらもまだ、あるべき姿の周囲で近づけないでいるようだ。
: 「おじいさん、じぶんじゃなんもしないのに、人によく物をいいつける、 とときどき思うけど、ほんとうは、一番何もしないのは、ぼくなのかもね。」  イモネエチャンの項と同様、自省してる。  この日は殊勝な心がけなのか。  詩の推敲などしていると、自分がわからなくなる(みえすぎる)のかも。
: 「そのときはもう   そのときあもう と発音」  四時間の間には、くりかえし音読もしているよう。


○ 姉 あね さんは浜■先生(あの化学の先生)としりあいなんだった。 あの浜■先生は、女子校卓球部のコーチしてたんだって。 そして、あの先生東大出大学院出。 また、■■高のとき、卓球やってて、インターハイにまででたんだって。

○ 浜■先生、コガネ■の授業もやってる?

○ 姉さん、今日、浜■先生と、コーチ(■■高出身、浜■先生の後輩)と■■高3年生の4人で、どっかで何かのむかくうかしてきて、 浜■先生が■■高生にワラワレタことをきいてきたんだって。
 浜■先生、リンの生産地を、名もない島々といったのが気がとがめ、しらべてきたのにワラワレタといったけど、 ワレラは、先生のイイマワシや感じがおもしろかっただけよ。
 しかし、姉きの知人だったとは、縁は異なもの。
 ハマ■先生 ― ヘビ男

○ ハマ■先生は、旧式の授業を変えようとしているにすぎず、実質は教科書のくりかえし?  だが、■■高の古い先生は、旧式の授業からはなれた独自の授業を完成させている? これもちゃうか?


 姉きは、女子高校のとき卓球部、女子短大在学中。  浜■先生は、waka君の高校出身で(つまり母校に赴任)、かつて女子高の卓球部コーチでもあり、姉きの知り合い。  現役のコーチ(同じくwaka君の高校出身)とwaka君の高校の3年生(ってことはwaka君の同学年のだれか。男女は不明ながら、この面子だと卓球部か)、 合わせて四人で、飲み食いしたよ、と。  意外なつながりではあるな。  浜■先生、老人どころか、青年教師(かつスポーツマン)だった。  コガネ■高校の授業もやってるってことは、正式着任というより、渡り講師みたいな立場なのかも、まだ。  (弟が言うのもなんだが、姉きはわりと美人。 その飲み食いの様子が見えるようだが、ま、結局、浜■先生も現役コーチも、教え子、知り合いより先には進めなかったもよう)
: 「授業を授授とかき、かつ、あとの方の授がどうしてもかけなかった。やっとかけてみれば、その字でない。」  前項、ぐるぐる書きで六七字ぐらい消している辺り。


○ 今日の夢。自動車レースに勝った様。 うちまで走ってきた証拠となるコインをしらせねばならぬ。 「ワドウカイチン」としらせて、確定。 しかし、ワドウカイチンはなく、どこにでもある古銭しかない。 誰かがしらべに来たらおしまいだ。 それでもテレビにでたりインタビューをうけたり。ノイローゼぎみとなる。 妻正直にいうようにとかアドバイス。妻を殺す。 妻の妹が何かいい、ぼくも自殺。 ぼくの友だちが山の中で死んでいるような女の人をみつけてのち、家にくる。 妻の妹をみて、きつねだと知り、どこからかきつねをつかまえてきて、小さなおりに入れ、妹の前で薬品でやき殺す。 妻の妹、本性をだす。それで殺されたか?  皆、そのきつねのためとなり、ほんとうの妻の妹生き返り、皆、しあわせとなる。

・ 学校、3年生は授業なし。火■君が来て何やら、うちあわせ。 3年の方は皆、何かの用意のためあそんでいたり、用意していたり。 そこで、火■君と話し合い、いくらか遊んでから、2年の教室に行く。 火■君の教室では授業。ぼくが、先生に何か話してる間に、火■君、もぐりこむ。しかし、先生はすぐ気づいて、
 「今まで何をしていたのかね。」
火■君、笑ってごまかそうとする。それですんだと思ったら、しばらくして、先生、しつこく、
 「何をしていたんだね。」
という。メガネかけた若い四角い顔の先生。 火■君が何かいおうとすると、先生近より、火■君立たせて、平手うちをパシーンパシーンと二度三度。 火■君、よろける。ぼく、意外にも、自然に足、踏みでる。
 「まってください。」
とでていき、
 「ほんとうはぼくがさそったんです。」
 という。どこかでみたドラマのような筋運び。 しかし、ほんとに心から責任のためにやってるんだと思ってる。 先生、「なにー」とかいうが手はとまっている。火■君、くずれおちる。 「火■君は、胸も、腹も、皆、悪くしてるんだ。それなのに(つれだすとは。)」
といって、ぼくをせめようとした先生、その火■君をなぐったのに気づき、
「おいだいじょうぶか。おい」
と泣きくずれそう。
 あと忘れる。

・ 《左袖辺りの図解》 ワイシャツの → ここを切りとって、何かして遊び■■コなんかにもおしえる。 お母さんが、■■コなどをおこり、ぼくたちの所 とこ にきて、「どういうことなのか、おまえたちいいなさい。」という。
 ぼく、ワイシャツのここからしか、その何かがとれないのだものといって、いいまかす。

 その何かetcを忘る。


      >これら夢。



 ざっと三部構成。  第一部では、視点をもってるはずのぼくも自殺しちゃうんだ。  ぼくの友だちはきつねの身内を目の前で殺したりして、本性を暴く。これもむごい。  妻の妹に化けた悪いきつねを殺してめでたしのようす。  (虚偽申告のぼくも化かされていたの? みな死んだあと、ぜんぶきつねのせいになった?)  後輩火■君の難儀は、迫真。  四角い顔の先生、むちゃくちゃ。第一部の激しさが残っているみたいだ。  ラストは、ワイシャツの「ここ」を切り取って、おそらく、それをなにかに見たてて、妹たちとごっこ遊びをしてる。  ■■コの挙動を母親に不審がられた(それを掲げて踊ったとか、あちこちの袖を切りとったりしたのか)、または、仲がよすぎるのでちょっかいをだしてきた。  長編。  がんばって推敲した詩より、面白いかも。(いい勝負?)

※ 『1974/04/30 この鼻にできたのは何なのだ!』


○ 今1時。夢。

○ お姉さん。それと男の子(これたぶんぼく。)の会話。 半分ふざけてのろったり、のろわれたり、強烈な皮肉をいったり。 こまかいこと、ついさっきまでおぼえていたのに忘れた。

○ クサリの時計か何かがあって、社会主義の国の芸術家がもっている。 もう、色があせだした金ぐさりだが、時計の上の3つだけは、まるで手をふれないためか新品のようにゆっくり光を放っている。
「この3つがあるかぎり、わたしも人間だ、」と、彼いう。ぼく涙のようなものでてくる。


 妙なてざわり。
: 「1時頃よりうつらうつうらしつつもまたねる。今日の夢は何かおもしろいことが多くあったようだよ。」  クサリなどの夢を見、午前一時に目覚めた。その後寝直してまた見たような、何かおもしろいことが多くあったようだよ、と。
: 《隊列を真上から見た絵図。とがっているのが鼻でしょう。》  「二列じゅうたい 二列おうたい どっち?  体育では、これを二列じゅうたい、というよう。正しい?」  図にあるのは、横隊に見えるが?  ふつうの感覚で言って(図にあるのは横隊と言って)よさそうだよ、ネットざっと検索したところでは。
: 「このごにおよんで  漢は?」  この期に及んで、と書くらしい。
: 「謙じょう 献上 )?」  謙譲の美徳、これはかつてわりと耳にしたかも。
: 「こういうのと こうゆうのと }どちらかが正しいのであって、どっちも正しいと思っているぼくの考えは偏見?」  いや、どっちも正しいと、今も思うぞ。
: 「ローマ字のヘボン式のつづり方では、「ふ」を「Hu」でなく「fu」とする?」  ヘボン式は「fu」、訓令式は「hu」で、よさそう。
: 「ルシタニア方言、こんなのある?」  Wikipedia、〔 ルシタニア語(Lusitanian)は古代イベリア半島の言語。インド・ヨーロッパ語族に属す。イタリック語派[1][2]、ケルト語派[3][4]双方とのつながりがある。記録された文字資料は5点しかないが、現在のポルトガルとスペインに当たる範囲で話されていたことがわかっている[6]。 ルシタニア(ラテン語: Lusitania)は、古代ローマの属州。現在のポルトガルおよびスペイン西部(現在のエストレマドゥーラ州)に該当する。 〕  ルシタニア語のほうは、古代語ですでに通用はしていないようす。  これ以上は、ネット検索では確かなことはわからなかった。  仮に現在、この辺りを漠然とさす、ルシタニア地方というような古い呼称が残っているなら、ありそうだよね、ルシタニア方言という呼び方も。
: 「この頃、おじいさん、よくねてる。前もそうだったみたいけど。(午後3時頃より)」  祖父は八十ぐらい。  仕事はいちおう現役なんだけど、ほとんど長女夫婦(waka君の両親)にまかせていたはず。  糖尿病のケもあり、こうして、寝ながらテレビが好みの、半隠居状態。  (祖母は二年前亡くなっている。残されてしまい、さびしかったのか、気楽だったのか)


 今日の放課後、帰ろうと思って、自転車まで来て、カパンと手さげを荷台にのせ、このノートだして、いろいろ、予定etcをかきこんでいた。 5/2は月ようの予定とか、5/1を5/2、5/2を5/3とかいていたりしたのに気づいたり。 それをはじめようとする頃、いや、ゲタバコの所からでようとする時、■サカさんがぼくのそばを通り過ぎた。 横顔のりんかくが、きれいにつくられたような、美しさをパッと感じた。 ぼくが、自転車に行き、彼女は歩いていく。 ぼくは、このまま自転車にのったら彼女をおいこしていくことになると思ったのか、さっきのようなことはじめひまつぶし。 やろうとは思っていたから、ちょうどいいと思って、はじめたはず。 ぼくのみにくい姿を彼女の前にさらけだすのがいやなため? さあ?
 そして、さっきのようにこのノートに予定などエンピツでかこうとして、前をちらりとみれば、 ガラスごしのくらいゲタバコの所にイ■さんの顔がチラリと見える。 ぼく、顔を伏せたか。しばらくして、い■さんでてきて、ぼくのそば過ぎる。 美しいなあ、と思ってる。 それとなくみれば、彼女のすこし横をむいている顔が見え、彼女の目や顔が、ぼくを少しでも見たのを示し、 一瞬人に対するための明るさにかがやいたようにみえた。 しかし、特別な表情はともにしない。あいさつなどしては変だ。あくまで、昔のクラスメート。 ほんとにそれだけで、何かあるといえば、彼女のそのときの美しさにひかれた男がひとりというわけ。 しかし、ひさしぶりに好条件、つまり、まわりによけいなものなく、明るい日の中にみた彼女はきれいだった。 その外観から、感じられる、くるおしいまでの優しさはまさに他のだれにもない芸術品で、 彼女がプレイガールだとか、何とかは、すべて2義的なものになってしまい、その外観の美しさがすべてになるほど。 冷静に考えてみても、あの種の女性の美しさの中では、彼女、一級品、もしくは、最高級品だろう。
 それから、ぼく、こんどは彼女においつくかどうかわからぬが、なりゆきでもしかしたらおいつくかもしれないのに、 自転車にのり走りだす。学校の図


 1974年の黄金週間は、4/28(日曜)4/29(月曜、天皇誕生日)〜5/3(金曜、憲法記念日)〜5/5(日曜、こどもの日)5/6(月曜、振替休日)。  「5/1を5/2、5/2を5/3とかいていたり」というのは日付の取り違えのことだろう。  「5/2は月ようの予定とか」は別の曜日だけど月曜の時間割で授業があるの意だと思うが、日付の取り違えも絡むなら、5/1(水曜)5/2(木曜)どちらのことかはっきりしないな。  → 次頁上辺にあるエンピツ書きがまさにその「予定etc」のようだ。最終的にそこは5/2のままなので(訂正していないので)5/2(木曜)でよしか。  ■サカ嬢もイ■嬢も高校一年時には同じクラスだったか。 美少女。  とくにイ■嬢をべたぼめしてる。  waka君との親しさは、■サカ嬢はやや遠い(顔見しり程度、挨拶すればたぶん返してくれる)、イ■嬢はかなり遠い(顔見しりだが、冷たい、ほぼ嫌われている。挨拶しても無視されるおそれ大)、というところではなかったか。さびしいけど、高嶺の花とはそういうもの。
: 「木よう日は月ようの授業?」 「5/1 レポート 化学 ヤレ!!  5/2は、月ようの授?」  「松■君の作品よむ  下■君に、去年の文学詩の本、もってく。」  「5/@1 文化委員会 3:30より  2@ 放課後文学クラブの ― ミーティングヤロウ (5/4はシノラ君ツゴウワル)」  その、頁上辺のエンピツ書きメモ。  「去年の文学詩の本」は下の本文では「去年の文芸詩」となっている。いずれも誤記で、正しくは「去年の文学クラブ誌」のことだと思う。  5/2を訂正して「5/@1」、3を訂正して「2@」としているようだ、前頁本文にある通り。  「5/4はシノラ君ツゴウワル」は、5/?を重ね書きで直して「5/1」にしている状態かもしれない。waka君の筆跡で上が閉じている4はめずらしいので。


書館の前までゆっくりのり、花壇の中で作業をしている、5、6人の男女をながめ、 はじめに、女性の中に知った人はいないかしら、何か、先の二人みたいにぱっとさめるような人はいないかしらとさがしたが、 顔みえず、立っている二人の男の片方が■■高の西■にみえたので、西■かなとじっとみようとしたら、 あちらで頭をさげてあいさつする人がいる。 ぼくがそちらをみて、その人の目をみ、ぼくにしたのかなと目をみひらけば、 あちらもこちらをほほえみながらみ、また、あいさつするので、ぼくも、自転車にのったまま、ちょこんとあいさつ。 その人は、い■さんと同じく、1Fのとき同じクラスで中学からの、この前やめた英語じゅくにもぼくより前からいた女の子で、 今しらべれば、名は細■さん。 ろうかなどで、すれちがったりするとき、前のクラスメートなのに、なにもいわないのではキマリワルイので、 あいさつのように、また、まるでなんでもないようにぼくは首を小さく動かしていたけど、さて、そのためか?  あちらがむしょうにきげんよかったので、ちょっと顔見しりがいると、あいさつしてたのか。 あの人、すごくおちついた人で、そういうことないだろうが、そういう人だからこそ、ぎこちなくうかれちゃうことあるからな。 それとも、ぼくのそばに歩いてた人にあいさつしたのに、ぼくが、感ちがいしたのか?  もしくは、はじめは、他の人にあいさつしたのだが、 ぼくがかんちがいしてか、自分の方にむいたのに気づいて、ぼくにもあいさつしたのか? これらの確率も高かろう。
 校門の所では自動車いりくんだけど、無事脱出して、ゆっくり坂のもとではすこしはやくおりていく。 い■さんの姿を、それとなく、神 視 界に入れようとしながら。 い■さんは、結局、坂おりるまでみつけられなかったが、おりてまがると、むこうのまがりかどの手前を歩く、 形のいい、というより、素直に細い、すっきりするような形の足をみつけ、い■さんのうしろ姿をみつける。 足の、ひざから下の曲線のうつくしさというより、肉を感じさせない、子供が絵にかくような足の美しさなのだ。 そして、彼女とともに、さらに手前に、3Cのオカ■君とわかるうしろ姿をみつける。 彼らの両方が向こうのカドをまがってから、ぼくも自動車を注意してまがり、数mいって、「よっ」と、オカ■君に声をかける。 「さよなら。」オカ■君がやあとか何かいおうとしたのかどうか、たぶんいっただろうけど、 ぼく自転車、ふらつきそうで前をみる。 手をあげ、ほほえみかけはしたよ、僕。あいさつする前、ぼくは、 「君に、タ■■さんと君との関係が、タ■■さんとぼくとの関係より近いからと負い目など感じていないよ。」 というような考えというより、感じを持ったようだ。そして、だから、あいさつだってふつうにするんだ、というような感じ。 そして、このあいさつをしながら、間に一人の人ない5mほど前を歩くイ■さんに、ぼくの声らしきものが聞こえるのを意識し、 近づきながら彼女に聞こえる音として、自転車のジーという音を聞いていた。 自然な形として、彼女ふりむかず、ぼくも、道がひろがる所で彼女をおいこし彼女をみない。 彼女の前面の方をみず、ぼくの自転車のうしろ姿のみみせて、過ぎ去る。 自分でも、半ば、いくらかかっこよくみえるようにと、自動車のいなかった道路をすばやく走る。
 いつものように、まっすぐいってから、T字路になる横道をまがり、T字路をまがってヤマト橋へ。 ここで■■モト氏をおいこし、あいさつする。 ■■モト氏、おどろいたような顔で、ヤッといい、 ぼく、また、アンパランスになるのをおそれてか十分だけど、完全とはいえないあいさつして去る。 ■■モト氏すぎて、イ■さんのこと頭にうかぶが、 女の子のことなんか考えてたら、事故おこして、いっちゃう、などと考え、顔でわらう。
 家について、自転車をひき、とめようとしながら、イ■さんは、ぼくにとって美しい人で、すばらしい人だが、 しかし、ぼくのつくった芸術品でも、形だけでもぼくの所有する美でもないと思い、 未来においてもそうならないという、理屈のつけられない気がした。


 大長編でした。  下校あいさつ物語か。  なんてことはない毎日くりかえされる一情景なんだろうけど、今からながめると、貴重な記録にもみえる。ラスト、切なさもにじんで、悪くないむすびだ。  ・・・  英語塾をやめたのは前年の夏。この前ともいえるが、だいぶ前。  「校門の所では自動車いりくんだけど」は、自転車の誤記かも。
: 「誰か異性の事を考えるとき、その人との性交渉でなく、結婚生活を考えるのはむしろ、女より男なのでは?  それも3枚目のような男なのでは?」  答えはなんともかんともだが、要はこの項は、いつになくwaka君が、性交渉どうのよりも結婚生活のほうを考えたよ、夢想したよ、ということなのでは。その人とは、位置的に、すぐ前で書いている女子か。
: 《ニキビのできた場所による恋占い関係の絵図。》 「さて、左のようのであるとしたら、この鼻にできのは何なのだ! この鼻と口の間にできたのは何なのだ。ぼくのような人もいるのだよ。」  「にきびはいじらなければいい。」  顔のまん中にできる、ということは、自己愛、つまり自意識過剰ではなかろうか。  それはそれとして、この純朴な丸顔はいいね。
: 「どうして、このように、現実生活のことかくと長々となるのか、また、長々とかけるのか。」  左領域の下校あいさつ物語へ矢印で。  よくわからないが、なにかに憑かれていると、書けてしまう。  フィクションの場合、醒めやすいが、現実生活の場合、醒めようがなくなる。  そういうメカニズムがありそうな気がする。  本項のニュアンスとしては、長々となるのはよくない、うれしくない、というほうかなあ。
: 「芸術家は、彼の芸術が世に出にくいからと、すばらしいような、もしかしたら、彼よりすばらしいかもしれない芸術をつくる芸術家をころしたりすることはできない。 なぜなら、彼は、その人の芸術を、認めたときすでに愛してしまっているから、その価値あるものをなくすことをきらうのである。」  これは、楽観、性善説かもしれないけど、よくサスペンスドラマなんかで嫉妬から創作者が他の創作者を殺害したりするのにはつねづね違和を感じてる。ふつうそういう事はおこらないよ、少なくとも現代社会では。  殺したいぐらい憎らしい、ということはあると思うけど、たいていそういう感情は(むしろこれさいわいと)自分の作品創作にぶつけるのでは。(まあ、だから、そういうサスペンスが生まれるのか)  本項も、以下にあるような、新進の作品をこれから読もうという(またはもう読んだ)文学クラブ部長の心中に芽ばえたちょろっとした気持がタネになってると思う。
: 「松■君のぼくによませてくれた文章。内容は複雑ではなさそうだけど、さわやかで、やっぱり、女の人の感じがいいなあ、と、 ワラバン紙かえすとき、彼にいおう。彼、6時間目の前に、■■君によんでもらわなくちゃ、と来て、 うちもってってよんでもいい、と、いったら、いいといったのだよ。休み時間はみじかいように思われて。 今日の朝、松■君がイト■■君にみせてるのを、みて、ワ、よませて、などとぼくいったのよ。」  同好の士への親愛と、抑えきれない負けん気。いい雰囲気だ・・   シノラ君、イト■■君は文学クラブ仲間。  下■君、松■君は、文芸好きの様子。文学クラブ員ではないけれど。
: 「また、下■君が今日、なくしちゃったんだけど、去年の文芸詩みせてくれる? ときいてきたので、 うん、去年のあるからもってくるよ、といったよ。やはり、6時間目の前。」  詩と誌の誤記。文学クラブの文芸誌。  うん、見えるようだ。クラスメートがわいわいやっていると気になるんだよね、まざりたくなるんだ。  こうして自然発生的に同好の輪が広がっていけば理想的だ。  が、彼らは高校三年生、ほどなく、受験暮らしに入っていって、のほほんと理想郷を育てていくというわけにもいかなくなってしまう。
: 「今日、昼休み、旧体育館で、会長さん(ワタ■■君)とぼくとあとからきた火■君で、卓球やったよ。 弁当、3時間目に半分たべて、4時間目おわってのち、3Hの会長さんのとこいったよ。弁当の半分は、帰ってのち、つまり、さっきたべたよ。」  将棋同好会内の卓球同好会かい!?  4時間目のあとが昼休み。弁当が帰宅後まで残ってしまうぐらい、卓球楽しかった! と。  会長さん(ワタ■■君)、ぼく、火■君、オオ■君は、将棋同好会仲間。  会長さんはあだ名。ぼく(waka君)が前会長。火■君が現会長。火■君、オオ■(太■)君は後輩。
★ waka君。美少女たちは眺めるだけだけど、友人たちにはこのように囲まれて、十分幸せだね。
: 「下■のために、文芸詩とりだそうと、ニューナラヤのふくろの所、いって気づいたが、 (フクロは、本だてにたてかけられてあった)いつのまにか、今日、ぼくのいない間なのか、もっと前だったのか、ストープとりのぞかれてるのに気づく。」  ふむふむ。  もう五月だしね。  すでに無いことに気づくのが遅すぎた、と思いたいけど、本当にストーブが出しっぱなしだった(片づけるのを忘れられていた)のかもよ。
: 「考えてみたら、秀吉はトルストイより、はるかに年上なんだね。道長なんか、もうまるではるかに。」  ええ? 秀吉、トルストイ、道長、どういうつながり?  三者のつながりではなく、古人の年齢差(というか生年差?)に今さらのように気づいた、か。  ・・  豊臣秀吉 1536年〜  トルストイ(「アンナ・カレーニナ」作者の) 1828年〜  藤原道長 966年〜  うーんやっぱり、どういうつながりなのか、わからない。  勉強机の上に開いている教科書や、文庫本の背表紙から拾ってるだけとか。ぼくの眼前にはほぼ等距離で散らばっている人物たちなのに、か。  今さらのように気づいた、ということでは、前項のストーブとも通じたりして!?
: 「火■君が、今日のピンポンおわってから、オオ■君なんかが同好会を祭日の前にもやったらどうだといってるといってきたよ。 君の決断と実行にまかせるとか、冗談まじりに言ってから、会長さんと体育科に旧体育館の鍵、返しに行った、授業の鐘、鳴りそうだったからいそいだ。」  五月の黄金週間、つまり、祭日ラッシュ直前の提案だったわけだ。  現会長の火■君は今日明日の案件のつもりだったのかも。前会長のwaka君は(先の話だろうと)聞き流し気味のようす。
: 「み み み み  松■君のみ」  ちょっと異な感じのする字体だったのかな。(転写したらしい本文の字体、ふつうにみえるけど)  近辺にあるwaka君のみは、ほぼ一筆書きで終わりの縦棒が離れてないね。  こうやって(ちゃんと離して)丁寧にみを書く人もいるんだ、という小さな発見ってところ?
: 「松■君の文章の題、「春の光」 ワラバンシ、おもていっぱいと、うらにちょっと。宇月明夫というペンネームち。」  うずいてあきる。  いや、すなおに、夜空の月が明るいね、かも。  (卯月は旧暦四月、夏が始まるよ、というのもありそう。タイトル「春の光」と微妙にずれて、季節がすすみ光が増していく様を表わしている、とか)
: 「春の陽が春の日に、 春の草花に てりそ-え、 てりか-け、 流れて消える」  その松■君の原稿からの引用か。松■君の原稿に触発されたwaka君の試し書きか?
: 「てりかけ てりそえ ながれてきえるの方がいい? まあ、てきてうまるだしにつくったのであるが。」  といってるので、後者のよう。
: 「てきてうTEKITEU てきとう」  適当をてきてうと言ったり、社長(級友のあだ名)をせっつぇうと呼んだり、日直をにっつぁつぇうくうと伸ばしたり、さあかえろうとさっかーやろうを紛らわしく発声したりするのが、中学時のクラス内男子のハヤリ。  ここはその名残。
: 「→ 5/2にしたことを、イト■■にいうべし!!」 「ピンポンにきた火■君に、「今日、文化委員会あるね。」といおう。」  「・単語おぼえはじめ!! ・ワークブックもやらにゃああかんでえ。」  「5/1 ・イト■■にあしただという。 ・下■に本渡す。 ・松■君に文返す.」  「しんぺい、に3Dでヤルといえ!!」  当頁上辺のエンピツ書きメモ。  そうか、前頁上辺にあった「放課後文学クラブの ― ミーティングヤロウ」の横棒は、右頁上辺に続きを書くためのつながり棒だったんだ。  しんぺいも、文学クラブ仲間。  3Dは、現在ならスリーティー(三次元、立体映像等)と読んでしまうだろうが、ここでは、3年D組の意。
: 「月下狂人 : (しらべ)」  月下美人はあるけど。  こんな語があってもよい気がして、辞書にあるかないか調べよう、の項だろうか。  それとも、松■君が文中で洒落的につかっていたとか。
: 「アンドレイ、ナターシャ、ピーター ?  今、おもいだす。  しかし、ナターシャ中心 に思える。」  これは、「戦争と平和」の登場人物でしょう。waka君は原作を読んでいないから、観賞した映画のほうの記憶。  ナターシャという名をたった今思い出せたよ、と。
: 「あおい君とさとうくんのあおい君て、あおいてるひこだったの?」  正解。  Wikipedia、〔 あおい君と佐藤クン(あおいくんとさとうクン)は、あおい輝彦と佐藤公彦がラジオパーソナリティを務め、ニッポン放送が制作するラジオ番組である。月曜日から金曜日までの毎日24時から24時10分まで10分間、1972年4月3日から1980年12月30日まで放送された。 〕
: 「ラジオ、テレビのコマーシャルの音流してんの しらけ。」  これはそのまんまか。  手抜きだよ、と。
: 「ドオバカラシ ドババカラシ」  堂場辛子、ではなく、ど・お・ばか・らし、かな。   馬鹿らしい > バカラシ > ドバカラシ   おバカらしい > オバカラシ > ドオバカラシ   ば、馬鹿らしい > ババカラシ > ドババカラシ   という言語変容だろう。
: 「お母さんこの頃、電話してること多い。」  家電(いえでん)のみの時代。  応接間にあって、鳴り響いて誰かがパタパタいって受話器を取る。こちらからかけるのでも、電話していることは家族にほぼあからさま。(内容もだいたいぼんやりながらわかる)
: 「今日、オ■さん、鼻水がでるようで、スーズーすってたり、鼻をかんだりしてたよ。」  「お■さんは授業の間にマンガばっかりよんでるずら。セブンティーン。」  右斜め前の席の、オ■嬢。  美しいような顔立ちのくせに、ちょっとズボラで、少々不真面目なのね。今の目からみると、好ましい女子だが(^^)  十七歳女子が同題の女性誌を読む、か。  ・・・  いやあ、最前列だよ、たしか、既掲載の図で。少々不真面目よりも、図太いというべき。


当頁 2024/06/24(月) 〜