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1974/05

 


















1974/05/06 もう一方の足につけて台をつくり
 
















1974/05/11 クチ
 






















1974/05/13 校庭のバックネットの右
 


















1974/05/16 惟川霊宜
 













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『1974/05/06 もう一方の足につけて台をつくり』 2024/09/09(月) 〜
2024/09/16(月) 〜
2024/09/23(月) 〜
『1974/05/11 クチ』 A、B 2024/09/30(月) 〜
『1974/05/13 校庭のバックネットの右』 2024/10/07(月) 〜
2024/10/14(月) 〜
2024/10/21(月) 〜
D、E 2024/10/28(月) 〜
『1974/05/16 惟川霊宜』 2024/11/04(月) 〜
2024/11/11(月) 〜
2024/11/18(月) 〜

※ 『1974/05/06 もう一方の足につけて台をつくり』 : 「さかなは両面を一回ずつ焼くのみ。」  母親のうんちくを(調理手法をうのみで)メモしたか。
: 「「控え席」という字が、\控え席 とあるので  控き席 とあるよう。\」  控え席の縦書きを横から見たので、えがきに見えた(たぶん席の頭の点が、きの終わりの一画っぽくなった)ということらしい。
: 「アンパイヤは、ストライクのとき、「ゥアーッ」というだけ。」  笑。  そうだよね、そんな感じだよね。
: 「アルトマンは、ジェントルマン」  アルトマン姓は、検索すると有名人だけでもぞろぞろ。今となってはよくわからない。  単に語呂がよいというだけかな。(waka君の独創というより、TVかラジオで流れていた宣伝句なのでは)
: 「石どうろうの穴から、日のあたって、かがやいているうすい葉どもが見える。」  実景と思う。  waka家の庭に、一本、立っていた。
: 「キャベツ、1枚むくと、中、なーんかグニュグニュしてる。」  それは、腐ってます。
: 「コカコーラの宣伝にでてきてギターひいてるまのびした顔の男、キライ。」  笑。  だれだか知らないけど。
: 「トロは何の魚? マス?」  〔 ・・・ 鮪(まぐろ)などの肉の脂肪の多い部分。脂肪が非常に多い部分を「大とろ」、それより少ない部分を「中とろ」と呼ぶ。  ・・・ 〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  大きさで大中なのではなく、脂肪の多少なのか。知らなかった。
: 「中原まこと名人は、・・・ 」  当時の絶対王者。
: 「右手の、《 絵 》 ここがいたい。 卓球のため? 将棋さしたため?」  この絵がちゃんと右手なら、痛いのは、てのひらが上向きのときの、腕の内側ってことになる。  (しかし、ぱっと見だと、左手の甲側が描かれているように見えてしまう。てのひらの掌紋とかをはしょってるから)  (さすがに、将棋の指しすぎで痛くなるってのは、ないんじゃない?)
: 「今日はNHKの将棋講座の棋譜もおってみたいし、文学クラブのにも書かなきゃならないし、あしたの予習もしなきゃならないしで、てつやしたいよ。」  ふむふむ。この 5/3(金)は憲法記念日。翌日 5/4(土)は狭間の登校日か。  やりたいこをやりきらないうちにもう夜中になってしまったよ、と。
: 「将棋で、どんな手で投げてやろう、というとき、その意は?」  ふつう、将棋で投げる、なら、投了の意味だけど、戦う前から負けっぷりを考えておくというのは変。表の意味としては。  どんな戦法で挑もうか、驚かそうか、遊ぼうか、などの意だろうな。  そして、投了=投げるも当然意識していて、結果的に負けてもいいから暴れてやれ、というような意気も匂わせていると思う。
: 「東大に医学部なんてあった。」 「東大理Vて、なに?」  ネットで調べると、すごい所みたいだ。今も。  理系の秀才たちのあこがれの場所なんだけど(とくに医者の息子たちはまわりに強く期待されているらしいが)、waka君はわれ関せず。よく知らないようだ。  (なまけものでめんどくさがり屋なので、あんなしんどそうな職業はまったく眼中になし。苦労して目指すやつらの気が知れないのだ)
: 「なんで皆、医者なんかになる。 あーんな疲れるようなものに。!!   みーんな、ぼくより数倍、美しい心をもっているからなの??」  競争だからてっぺんをめざす(てっぺんが医学部というだけで医者になりたいわけでもない)という動機のやつもいるだろうが、半分ぐらいは、親が医者だから継がざるをえず、あたりではないのか。  waka君の頭に最初にうかんだような、世のため、人のため、美しい心で医者をめざすというのは、ごくまれか。やっぱり。  (少なくとも、そういうまれなる美しい心ばえ(天使)、最難関医学部に受かる稀少頭脳(悪魔)、二つながらあわせもつことがほぼありえない気がする。ありえてほしいけどさ)  (ちなみに、waka君の将棋仲間の会長さん(あだ名)は、医者の息子。見事、現役で東大理三に合格。いっぱしのお医者さんになって今も活躍しています)
: 「ヤラセの親たち :(しらべ)」  これは意味不明だ・・ 文脈から判断したい。
: 「ご同慶のいたり」  お互いにめでたいことです、という意の、挨拶言葉。  ということだけどね、老いてなお元気に再会できたときなどにつかうのが、あっさりしててよろしいのかも。  (要領よく画策して私腹を肥やし、同類相手とさぐり合いつつ「ご同慶のいたり」などとにたつく。なんて場合もあるんだろうなあ)
: 「谷崎潤一郎 ・・・ 「鍵」あんの?」  谷崎の作品の中に「鍵」というのはあったか、の意だろう。  ありますな。  後年、読んだ、読んでない、うーん、わからない。(内容うかんでこない・・ 文庫になっている谷崎作品はほぼ完読しているはずなんだが・・)
: 「死ぬとき、不快をともなわずに大往生するために、日頃から、小便大便をたれながして、それがあたりまえであるように感じられるようにする。 そうなれば、死なんて、ねむりにすいこまれるような気持ちのよさだけなのでは?」  若者らしくない心配、というべきか、若者だからこそのあからさま、無神経、というべきか。
: 「〜の成功にこの二つの点があずかって力大きい ――  こういう語法あるの?」 〔 あずかっ【与】 て 力(ちから)=がある[=を尽(つ)くす]  物事が完成したり、ある事態に立ち至ったりした場合、そうさせたいくつかの要因の中で、あることが特に有力な助けとなったことを述べる表現。(ある結果を招いたことに)深いかかわりがある。有力に寄与する。 〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  あずかって力がある、力をつくす、にすでに有力という意が含まれているので、力大きいでは、畳語的になってしまうのかな。  使いなれていないためか、感覚で判定するのがむずかしい。
: 「まだ、おきてる。ときどきふとんの中で目をあけてねっころがったりしたけれども。   てつやなるか? (12:03) 先は長スギル。」  「しかし、てつやすると、あしたの授業酷になるだろうなあ。」  「今日から、単語暗記やらなきゃいけなかったのに。 きのうから、でした。」  気合いも勢いもないね、徹夜するにしても。  できたとしても、グズグズに(効率わるく成果とぼしく)なりそう。
: 「常識的に美しい女が男にすてられるのをみると、その女の人が、とてもみじめに、同時にかわいそうに思えて、助けてあげたくなる。 でも、美人でないと、べつに道理にあわない、という気はしない。」  爆。  ひ、ひどい・・  しかしまあ、男に捨てられる女をナマで見ているわけではないな、waka君の場合。ほぼ100%、ドラマとか創作物の中の情景。  美人でないと絵にならないというのは観客だれもがわかっているけどことさら口にはしない、おそらく意識もしていない、はず、なのにねえ、この高校三年生は。
: 「電気エンピツケズリ、となりのへやにない。■■リがどっかもってったのだ。夜中だから、人の部屋にはいっちゃわるい。ちくしょう。」  寝静まった家の中で一人だけ起きて、ゴソゴソやってる。
: 「はじめに学校の予習をやると、苦しみをやっちゃったのでねちゃう。  それをあとにまわして、それよりはたのしいことをやっていれば、あとまでおきていられるし、予習はどうしてもやらねばならぬので、結局はやる。結果として、こっちなら、長くおきてられるし、たのしいこともできる。」  先楽後憂作戦ですな。  一理ある。  でも何か変だよ。  (時間経過とともに睡眠欲求は増大していくのに、苦しいけど必須の作業を先延ばしにするわけだから、必須作業が実行できずに眠ってしまう可能性がどんどん上昇いていくということになる。  背水の陣、一種の瀬戸際戦法で、非常時、まれにしか通用しない手法なのに、さも合理的で目からウロコ的な解決策のように感じているところが、あぶないってことになるか。  眠気と疲労と気合いのなさで、もうゆるんでゆがんできてるのかも)  (同じ先楽後憂なら、先にしっかり眠って、起きてからスッキリした心身で対処するほうが、倍ぐらいマシのはず。しかしこれは寝過ごしてしまえば終わりで、まさにそういう失敗を何度も重ねていたので、本項が妙案に思えたのかも)
: 「どんなに遠い星も、どんなに遠い惑星のほんの小さな所も見ることのできる、テレビを大きくしたような機械があったらなあ。 それで宇宙中のおもしろいものを見、他の宇宙生物の生態をしり、ときには地球人の性交をのぞきみたりするのに。 けっして、退屈しないだろうに。  ぼくはときどき、この機械のことを考えるよ。」  どこでもドア、ならぬ、どこでものぞき穴。  テレビを大きくしたような、だから、窓に近い。今なら、モニター。  たしかに、魅力的だ。  ドアではないから、危険もほぼない。  当時で言う、テレビっ子、の発想。  ・・・ それが【 神の目 】ともいうべきマシンだとしたら、現在のパソコンは及ばずながら【 王の目 】ぐらいにはなっていると思う。  よい時代になりました。私が生きている内に、こんなにも速く。
: 「ローマ字の「シ」の字を考えずに、「shi」とかけたよ。」  カナ文字を介さずに、直接ローマ字で書けたよ、と。  しかも、siではなく、shiを。  現役学徒で、英語の she など多用していただろうから、比較的容易か。  (こうしてわざわざメモするまでもないぐらいに思えるが、わずかながらでも進歩を感じたようだ)
: 「今、3時。文学クラブ誌をかいておきているのだ。」  秋に出す文学クラブ誌用の原稿、または、それに転用できるかもしれない文学クラブの回覧ノートの記載、そういうことだろう。  これが、予習よりはたのしいことかな。
: 「だめですねえ。やっぱ、ねてました。」  グズグズに、沈み始めているよう。
: 「doubt を dought」  doubt は、疑う。ダウト。トランプのページワンの掛け声にも使う。
: 「自転車でいくときは20分頃はいきたくない、人が多く、車、自転車も多いから。 5分前はピーク。早くいくか、すれすれにいくかだ。」  八時半ごろが刻限かな。よって、20分というのは、10分前。  登校のイメージが意識されるぐらいの、朝方に、もうなっているってことだろう。  徹夜ができたようではないな。  半睡状態で朝を迎えたぐらいだろう。  朦朧とした頭で、しなければならない予習らしきこともしたのかどうか。
: 「メガネのえが頭にふれた所、あたたかいよう。」  「今日の朝、人少ないので坂、ひっぱらず、おもいっきり走りこしたが、チコクスンゼン。しかし、ツカレター!!  人は1人か二人。男の生徒。」  記述が前後しているか。  男子生徒一人か二人の坂を、思いっきり自転車をこいでのぼって校門を通過したが、遅刻寸前。席についたら、発熱でこめかみあたりがあつい。と?
: 「寝が足りないのはつらい。授業ヒーヒー。頭がかわいているよう。」  しかし馬鹿だよね、昨夜からの行動の組み立てが。 自業自得だが、そういうのひっくるめて押し通せると思ってる。 そして実際、こうやって愚痴りながらも若さでおぎなえてしまう。  ・・この馬鹿さが、うらやましい。
: 「y=a ワイイコールエイ  y=a が、 y^2a や y2a などにみえた。」  =が2っぽくなってる、みえる、と。自分で書いた文字なのか、板書なのか。  waka君の席は前から二番目ぐらいだから、先生の板書自体が紛らわしいのかも。
: 「宰帥の(意は?) よみは?」  Wikipedia、 〔 大宰帥(だざいのそち/だざいのそつ)は、大宰府の長官。唐名は都督、和名は「おほみこともちのかみ」。 律令制において西海道の9国2島を管轄し、九州における外交・防衛の責任者となった。9世紀以降は親王の任官で、大宰府に赴任しないことが慣例となり、実権は次官の大宰権帥(だざいのごんのそち)及び大宰大弐(だざいのだいに)に移った。 〕  つまり、大宰帥と書いてあったのを、大宰・帥 でなく 大・宰帥 と把握してしまったのか、waka君が。  漢字の意味的には、宰帥(サイソツ、サイスイ)という語もあって不思議はないが、ネット検索しても、手元漢和辞典にもみつからず。  前項が数学、本項が日本史のときの記載だろう。
: 「日本史のとき、オ■さんがすごく色っぽく感じる。 オ■さんがテレパシーでぼくの心にそんな気をおこさせたのか、などと思う。」  右前の席のオ■嬢に(美人でユニークで謎っぽいこの女子に)、懸想しつつあるようだ。  (席が近いので本人に紙面を見られるとまずい。エンピツで仮メモをしておき、後刻、ボールペンで明記した、そういう項のようだ)
: 「オカ■君、(3C)よくいうよ。「髪をまとめてんの、すごくきれいだった。教科書借りにいったら、もうおまえに貸しちゃったってさ。」 とか、■■ツカさんに話してる。きっと、タ■■さんのこと。しかし、オカ■君と■■ツカさんて、変な関係?」  タ■■嬢と■■ツカ嬢がなかよしなんだっけ。  オカ■君と■■ツカ嬢は、同じ中学とかで前々から慣れ親しみがあったような感じか。(ほんとに同じ中学だったかどうかは確かめたことも記憶にもないが)  ■■ツカ嬢からオカ■君への思慕があっても不思議はないが、二人の間ではそれはないことになっているという雰囲気のようだ。  ・・・  3年のクラス替えで(恋敵の)オカ■君は同じクラス、(waka君の想い人の)タ■■嬢は別クラス。 (3Cとあるのは、オカ■姓が学年で何人もいるため)  恋がたき、想いびとだったはずなんだが、本項のように間接的にそれをまた意識することはあっても、日常的に直接すがたかたち、言動を目にし耳にすることがなくなって、想いはフラットに、つまり醒めていっているのではなかろうか。  別クラスになってひと月なんだけど、もう、近接域の女子(オ■嬢)の色香にぐらぐらしてる。  waka君はそういう男だ。(後年、ますますはっきりするのだ)
: 「平生  へいせい へいぜい )?」  辞書では、へいぜい、の読みでのみ載っている。  時代は昭和。平成という元号はまだ存在していない。
: 「予習してない英作にあたるのまぬがれた。 ほとんど、(6.25%)しかやってない。」  予習でカバーできたのは、1/16だけだったのに。セーフ、ラッキー、と。  行または段落で数えたのか、概算したんでしょう。
: 「1÷16はわりきれるのに気づいた。 《その手書き計算経過》」  直感的には割り切れる気はしないよね、たしかに。  当たるな、こっちまで来るな、などと念じつつ、怠慢のつけの様相をあらわす数値(6.25%)を算出して、びくびくしてたんだろうか。 (嗜虐的なレベルであるか・・)  どうやら当たらない、まぬがれたと緊張を解きつつ、セーフ、ラッキーの度合を算出して胸をなでおろした、のかもしれない。 (この場合は、結果オーライ、強運で悦にいっているか。方向違いの自己満足といえよう)
: 「黒板の old を old となっていたので、dd とよみ、なんだ? と思う。」  waka君の手書き文字だと、紛らわしさがよくわかるけどさ、英語の先生の板書もヘタクソだったのか?  なんだかなあ、授業ごとに見間違いをするようで、waka君のほうの要因が大きい気がしてきた。  y=a にしろ、大宰帥や old にしろ、ちょっとぐらい手書き表記が揺れても脳内で補正できるレベルなのでは。ふつうの生徒には。またはいつものwaka君なら。  半徹夜明けで、感覚が、乾いている、変に先鋭化している、というふうか。  ・・・  土曜日で、すでに少なくとも三教科は済んだようだから、そろそろ終わり?  それとも、連休の狭間なので特別に平日並みで、午後もあるのかな。  (いやいや、先生の側もそれは勘弁という気分だろう)  (午後がないなら、いつもの週のように、将棋同好会の例会日のはず。しかし、以降具体的な記述はないか)
: 「さま変わり?」  「自繩自縛 :このごろよくつかわれる?」  「クォリティー ・・・?」  「ふくべとは?  ひょうたん?」  四時間目は現国ってところ?
: 「将棋は、100の100乗通りぐらいちがう将棋ができる?」  ネット情報によれば、当たらずとも遠からず、らしい。
: 「今日のオカ■君が、■■ツカさんに話してた口ぶりによると、もうまるで、 タ■■さんの方が彼にぞっこんのよう。だいぶ、いたく、うちのめされたような気もした。 でもいいのだ。いいのだ。 ぼくだって、あまりに多くの人に気があって、その中であの人は一風変わったかんじをもってるだけであったのだから。 ―― などと書いている今でも、もしかしたらほんとうは、彼女の心はこちらに向いているのではなどと、 心の奥のすみで感じている。」  未練といえば未練だが、恋がたきの言動に翻弄されているだけ。  いうなれば、片恋がたきで、あちらから見ればもう、ライバルとして眼中にないような・・  ・・としたらみじめだけど、案外、オカ■君も外面だけの虚勢かもよ。  本当に自信満々ならわざわざひけらかすことはないと思うし。
: 「しかし、まったく「こころ」そのままのようだ、あの関係。 ・・・ 」  と、漱石先生の名作を引き合いに出しているが、やはりあんまり似ていないのでは。  そろっているのは、三角関係(男女男)ということぐらいだよ。  当初の男女に第二の男が関わって、当初の男女に収まるのが漱石先生のほう。  当初の男女に第二の男が関わって、第二の男が奪ってしまうのがこちら。  なりふりかまわずふせいだ男が十年二十年それを引きずって、悲劇が連鎖する、名作。  うばわれた男が何十年もしてから、懐かしがっている、こちら。  だいぶ重さがちがうとも言える。恋はそれぞれ、どちらもありでは、とも思う。
: 「しかし、ぼくも、ほんと、あの人は、きれいだと思うよ。 今までにあったことの少ない人間離れしていない美人だ。 とても、身近に感じられるような顔をして、かつ、よく感じてみれば、すばらしい美なのだ。  いい人にめぐりあえたことよ。心のアルバムにとどめておけるだけでも運のいいことだ。」  そして半世紀、ほんと、この予言通りになっているなあ。  どうしてそんなにいい娘に見えたのか、今ではぼんやりしている。  オカ■君への嫉妬をよむと、なんでそんなうらやむのかと歯がゆいところもある。  当時は魔法の術中にいて、それがwaka君にとっての真実世界なんだろうねえ。  (錯覚といってしまうのは簡単だけれど、逆に、心の目を見開くことのできた貴重な一時期だったのかもしれない。 本項の声を聞いていると、まどわされている、錯覚しているのは、長くまのびした通常の時間のほう、みずみずしさを失っていった心のほうなのかも、という気もしてくる)
: 「下のしきぶとんと上のしきぶとんの間にはさまって服のままねてた。」  変なところにはさまってますな。  猫が狭い所に収まりたがる、あれに似ていたり?
: 「夢、おもろかったが忘れる。 中に、きれいな短歌がでてきたが、そのもんくわすれたのおしい。」  十中八九、たいしたことないんだけど。  夢にみたのは、短歌の文句ではなく、きれいなという感覚なんだよね、たぶん。
: 「生来 しょうらい せいらい )?」  両方あり。
: 「「清閑に夢想す」とかいた紙のがびょう、いない、どこかにおちてるよう。こわいな。  きのうもおねえさんのとこで1つおちたずら。ここら、こわいな。」  これは自作の標語のようなもの。waka君なりの理想的心境。現在も捨てがたいと感じる。  ここでは、留めていた画鋲が一つ落ちてしまって、心乱されております。
: 「「鳥の体はあったかいから、鳥がいっぱい木にとまるとその木は枯れちゃうんだってね。」 みっちゃん、が■■コに話してる。■■コ、あまりとりあわぬ。」  小学生の妹■■コは、お手伝いさんみっちゃんのたどたどしい語りを軽んじている。  はたで聞いている兄には新鮮、ほとんど感心している。
: 「世の、教えを信じないものが生まれかわって、へびなどになり、それがうまれかわって、身体障害者になる?」  世のは、せのに見えるけど、それだと意味が通らない?  言ってることは、迷妄だな。現在こんなことネットにながしたら、炎上ものか。  大昔はふつうに子供を諭すときに使われた理屈かもしれない。  (半世紀前のwaka君も、昔話を採録しているようなつもりでしょう。でどころは不明だが。・・位置的にこれもみっちゃんかな?)
: 「愚かな輩と親しまず  おろかな人とひたしまない。  「あろかものめ」と、その人とひたしまない。」  誤読ひたしむが、継続中。
: 「・石がくっついてきたときは、ぜったい手をぬいちゃだめ。  ・相手が離れてきたら、こっちもはなれて。  ・すみの石をだいじに。  ・とんだらばらばらにならぬようにする。一間とびより多くはとばない方がいい。」  これは囲碁の打ち方だね。いったいだれに教わっているのか。  下の妹■■リが高校生のとき囲碁部に入ったらしく、当時囲碁をうってまるで歯が立たなかった記憶がある。そのときならこうして妹に指導を受けて不思議はないけど、本文当時は■■リさん、小学生のはずだし。  TVの中の指導をメモしたかなあ・・ (将棋講座、将棋のTV対局の後、つけておくと囲碁も始まったはず。この日 5/5 は日曜で放送日だし)
: 「ほけきょうは1回いわれたことがくりかえされるので、安心してよめる。」  文庫を買ってきて、一般教養として読んだはず。  ここでは好意的に書いているけど、そのうちこのくりかえしがつらくなって、三分の一ぐらいで挫折したような。
: 「ぼく研ナオコってキライ。CMにでるな。」  いじわるないい方だけど、好悪のわかれるキャラであることは確かでしょう。
: 「サッカーでは、ボールのもちぬしが変わったとき、選手はふっと集中力が減る。」  受け売りっぽいけど、中学のとき放課後よくサッカーをしていて(waka君はバック専門)、経験をふまえてもいる。
: 「ダブリュエム方式とは、Mが2つ? WとM? 《それぞれ図示》」  前項つながりで、サッカーのフォーメーション。  キーパーをのぞいた10人の配置。  調べると、右の WM フォーメーションが正しい。  (ただし、現在からみると、だいぶ昔に廃れてしまった隊形のようだ)  前項と本項も、TVを見ての聞き書きか。 (この祭日、こどもの日の午後から夜、どうやらwaka君ずっとTVを見てる)、
: 「歌歌いはよく歌詞を忘れないなあ。ド、ワスレなんてやったらハズカシーだっろうなあ。」  これを思うと、歌手という職業も恐いね。  高校球児が土まみれになって守備を練習するように、歌い手たちも心身にたたき込むのみか。  (でもさ、本職の歌手って、一曲歌えればいいってわけでもないよね。何曲も持ち歌があってそれぞれ一切まちがえないって、実はかなり凄いかも)
: 「バッテン(でも、の方言)は、 butより来た。(父さん) あそこらは、長い間、異国とつきあってるから。」  ほんとかよ?  waka君の父親、まじめな顔して、まれに変なことも言うからなあ。  調べると(https://excelll.info/fukuoka-batten)諸説ある中に、「But then」が「ばってん」となった説もあるみたい。へ〜   ふつうに流布していたか。確実ではなさそうだけど。
: 「更迭 : コウテツ?  迭 送 }?  送る、でいいのだっけ?」  更迭の迭は、送とは別字と分かった上で、こう書いているらしいので、迭とみくらべているうちに、(一種のゲシュタルト崩壊をして)おくるが送ると書くのかどうか送るがおくると読むのかどうかしばしわからなくなった、ということかな。  なお、2字目の迭の字は、中身が矢になっている。
: 「今日こそは勉強をと思いつつ、いつもはじめいないぼく。」  ふふふ。  この口ぶり、たのしい。
: 「5/6(おやすみ)」  就寝の挨拶ではなく、休日だよ、といってる。  こどもの日が日曜だったための振替休日。  1973年、本項の前年からこのルールは始まっている。
: 「今日の夢、おもろかったようだが、忘れる。将棋で攻める筋を夢みたよう。こちら、角と馬。だったか。」  「いつも、おじいさん、ぼくのことおこしにくる。」  「徳川吉宗の名思いだそうとして、忘れてるの気づく。」  起き抜けらしく、いろいろ忘れてる。というか、頭がまだ明け切らないふう。
: 「ゆうべ さくや さくばん }わすれる。」  前項に、昨夜はわかっていたのにと付け足そうとして、これらの呼び方がスラスラでてこなかったよ、というつながりかも。  またはすなおに、忘れたのは、忘れてると気づいたのは、昨夜だったよ、かも。(この場合は、昨夜の言い替え語をなんとなく並べただけ)  次項はもう午後だから、振替休日、遅く起きて、遅い朝食をとったらまた寝てしまった、というようなだらけぶりか。  (こどもの日の次にくる日はこういうことになるわな。こういうのを象徴的というか)


 午後のすいみんのときの夢。
 前もある。
 大橋さんという男の人で、ぼくと■■リで、みさきを超能力で曲げる。 家の、僕のおとうさんである、私(これもぼくの心)は、美保さん 女 の所だろうと思っている。 帰ってくる。 超能力のこという。どこでと、父聞く。忘れてて、電話する。まちがう。大橋さんの所へ電話。つながる。 お母さんとぼくと姉きと、■■リ( or ■■コ)でくっといてしまったみさきにいく。 くっつききらない長いわれめ。海。すこしもどってしまった、という事情もあった。 急にくらい情景。同じみさきだが、海は広い池になって、向こう側もあり、みさきの先の方はおはか。 お母さん、「オカモトさんに(おはかにいる)会ってこようか。」という。ぼく「いいよ。」という。 「まったく、オカモトさんていうのは。」なんていってる。 おはかのそばまでいくと、向こう岸から水にじゃぶじゃぶはいってくる、青いドレス(スリップ?)を聞きような人が暗い中に見える。 4人で何か話しながら、帰る。と、空から、白い、大きな、かがやくようなハトがななめにサーとよこぎる。流れ星まがい。 池の水面に消えたような、空にきえたような。 今のはぼくの超能力だ、というが、ほんとにそうならいいと、空をあおげだ、うす暗い空に、針の先のような星が、点、点。 その空の下の駅のコウ内 プラットホーム を歩いている。 今、ここで鳥がとべば、ほんとにぼくの思いそうなことなんだが、と思う。 ■■リ、下におりて、せんろのわきあるく。おりていって、上にあげる。電車くる。 ■■リまた歩き、ぼく、なんでそんなあぶない所をあるくんだと非常に怒る。

└→ つまり、 ハト がとべば、ぼくの超能力のためと思っただろうに。


 支離滅裂的で、ほとんど詩篇のよう。  くっついてしまったみさき、着たような人が、空をあおげば、だろう。  冒頭辺りは主観の宿り先までふらふらしてる。  夢の中身がこわれぎみな上に、これを書いておこうという筆もあせっていて、ピントのずれたままの粗い映像のようなものが、ととのっていないざっぱくさが、なかなかの味だ。
: 「しけんべんきょうするのもくるしけりゃ、それをしないで、それをしてる友をみるのもつらいよ。 つらさは同じ、どっちでもいいじゃんか。」  苦しさは同じ、同じぐらいを背負うならなげだしたい自分を許そう、それでもいいんだ、というほうに傾いているのか。  踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、という論法で同じなら勉強したらいいのに、とうながしているのかな、自分を。
: 「午後ねたため、夕飯が、朝食のようなかんじ。」  朝飯すら食べてなかった? いや、ねてはたべねてはたべ?  せっかくの休日、惰眠をむさぼってしまったのだね・・  (昼間やったことは、午睡の夢を書き留めただけ)
: 「手近の意、コトバでいえないみたい、ぼく。」  てもと、かたわら、などの言い替え語が浮かばないということ?  手近は手近でいいじゃんかとめんどくさがってる、思考が怠惰になってる、というアラーム?
: 「囲碁の棋譜  ぼくのマフラー」  「上野への旅行は いつのことだっけ?」  「古文 単語 }今日から、はじめろ!!」  「古文、課題2つ!! ヤレ、5/7」  「単語 古文 詩集 ワークブック」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  本文にある通り、上野へは5/8、モナリザ見物に行く。 が、さすがに、明日明後日のことを「いつのことだっけ?」はないのでは。 よって、上野にいくのはいつ以来だろう、の意が濃厚。  (千葉〜上野は電車でせいぜい一時間半。これを旅行というのは児童のころの感覚、ということからも)
: 「このみ、すきずき」  これが本来あるべき高校生男子の性分だろうが、  「だれか、きれいで外向的な女の子のあとを、何人もの男子とともによだれたらしてついていく、という身分に身をゆだねた方が平和か?」  とも思うよ、と。
: 「ハトのうんこだらけ ハトのふんこだらけ   ・ワンダラケ クンダラケ フンダラケ」  後半は、ワ>ク>フ という変移を吟味しているよう。  ワンダラケは、ワンダーだらけを掛けているのやも。  としても、フンダラケへと逆算していることになる。  (なので、最初、フンダラケと書いたつもりだけどワンダラケと読めてしまった、そこが起点なのかもね)
: 「バナナ トリニク ゼリー  )KIRAI!」  waka君の三大嫌いは、バナナ、鶏肉、チーズだったはず。ゼリーというのは初耳。  チーズという発語をど忘れして別語が(一時的錯誤で)代わりに座っただけ?  ゼリーもあまたるい上に食感が異でいやだな、と感じることがあったので、新しい三大嫌いを考案してみた?
: 「サワーヤカナアサニ  サワーヤカナアサニ   □□□□□□□□□  → ここの部分ワスレタ   サワーヤカナ日ヘト   → トイレで手を洗いつつうたったが、一部忘れたよ。   “朝の気分” 」  おそらく、「ラジオ体操の歌」であろう。  https://youtu.be/pc5gdt8frHs 〔 ♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ・・・ さわやかに手足伸ばせ 土踏みしめよ ・・・ それ 一 二 三 ♪ 〕  本文をながめながら聴いていると、別歌のような気もしてくるが・・
: 「ぼくがまだ子供のころの、この町が村に毛のはえたようなころの、 もしくは、どこかの海浜(辺)のいなかの、しんせきのうちの、―― とにかく、何か、なつかしいうよう夜のにおいを、 今、戸をしめたときに感じたよ。」  雨戸をしめたときの外の空気に、それを感じた。ということでしょう。  うよう、が誤記っぽくて惜しいな。この三字を省くか、ような、と直せば文はつながるけど・・  なつかし、いうよう、よるのにおいを、と読むと、まあまあか。散文としては変だけど。
: 「ぼくは多くのめしつかいにかしづかれて、つまり、エンピツやふとんや、もしかしたら服やそんなものにかしづがれて、生きている。」  豊かな心だな。  今も基本はそうなんだけど、今はまずは、パソコン君が第一でかつ最強の臣、賢者にして道化。半身未満だが女友達以上には思える。  長くて十年位が寿命で代替わりしていくので、愛玩無生物ともいえそう。  ・・・  ちなみに、愛称をつけてます。初号機、双葉、珊瑚、与ノ助、今年からの新人が金剛。  (将来は、竜、奈々、弥栄、久兵衞、・・名前だけは準備してます)
: 「十八番 : オハコ、とよむ?」  よむのだ。
: 「こんどから、新聞の囲碁の棋譜もとって勉強しようか。しかし、囲碁はどうして、星十一の3とかいうように書いていかないで、みにくい図をのせるだけなのかしら。」  新聞の将棋欄とくらべて。  waka君の場合、囲碁の基礎がほとんど無い上に、打ってくれる相手もおらず、 ごく短い間新聞の囲碁欄を切りとって保存したりもしたけど、 パソコンを扱うようになってからは弱いソフト相手に一人遊びもしたけど、 ほぼ全く上達することなく、今に至っているな。 (劫争いの感覚がまるでわからないよね。めんどくさいのでゆずってしまう)
: 「机のそばの、木バコの上にたくさん、重 オモー イ本かさねてあるが、 その下の方の本とるときは、片手でその上をもっていられないので、 《 絵 》 このように、足をまげ、もう一方の足につけて台をつくり、そこに本をのせて、もう一方の手でとりたい本をとる。」  これは見事な、文とイラストの連携。  (だが、今実際にこのポーズをしてみたら、もう、一本足で不動というのが一秒も維持できなくなってる。 もしかしたら当時も、曲げたヒザを壁か本の山かに当てて二点支持だったのか)
: 「5/6 PM2:00〜6:00 ねる   9:00〜12:00 ボンヤリよこになってる。   5/7 1:00〜 フロ   2:00 今」  黄金週間の最終日、このように無為にすごしたよ、と。  (ただし、waka君は老子にかぶれていたから、無為はそれほど悪いことではないと思っている)
: 「ぼくのマフラーは、あたたかくなって忘れていたが、どこいきやんした。」  「雑音もない、一番静かな時だ。」  「たびたび」が形態変化して「ひびひび ただただ」  凡人的ではあるが、たしかに為す無しのひとときのよう。
: 「単語、5月にはじめて、1月にやっと終わるよ。これでいいのか!!」  単語を、辞書の冒頭から覚えていこう、というたぐいの計画らしいけど、続くわけないよね。そんなつまらない企画。  どうせやるなら、もっと楽しい工夫がなければ。  (あるいは絞り込むとかさ)  ・・  今やるなら、芋づる式に縁語を抜き出していったりとか、枕詞のエキスパートになってみるとか、英単語なら to や for などの前置詞ごとに慣用句を覚えてみるとか。もうちょっと、記号ではなく言葉としてなれあってみたいな。
: 「やめる  や る  やめる−やる=め → 免職 めんしょく」  途中までは理屈がわかる。免職、に飛躍するところが、詩だな。  いやこれも、職を続行する(やる)に免職(め)を割り入れれば、辞める(やめる)になる。という理屈なのか。
: 「め あ  やめる やめる やある やある やる」  こちらは、めとあの姿の類似から、やめる⇔やる が成立するよ、という発見を言いたいようだ。
: 「詩を一編読むごとに、英文一行訳せば、詩はハヤバヤとよみおわるだろう。  単語1つおぼえたら、古文の単語を1つとか。」  当時なりの工夫、アイデア。  同じことを単調に続けるより、まぜて交互にやったほうが、互いに口直しになってつづきそう、だと。  ・・  これは今でもやる。  課題がいくつかあってこなしていくとき、課題を一つずつ気合いで仕上げて皿をきれいにしていくより、つまみ食いしてどの課題も少しずつクリアしていく。  完食するゴールは同じぐらいのタイムになるだろうけど、 心の負担というか、一時の負荷の上限値をそれほど上げなくて済みそう。比較的楽、美味しそう、という気がする。  ・・  力まかせに攻めるより、巧妙に計画的に組み立てて陥落させたいタイプなら後者だろうな。
: 「5時ともなれば外は明るいのであります。ぼくまじめに勉強しておりました。」  静寂、通常の睡眠時間帯、遊び心や寄り道心もおとなしくなって、ようやくか。
: 「3枚目 みな2枚目 カケ!!  いやだ。私のふるさと。 顔をみにくくする 社会殺す」  とかろうじて読めそう、頁下辺のエンピツ書きメモ。  当頁本文4列目にある記載の仮メモでしょう。
: 「どこか遠くで、タクシーの中でねている運転手が、クラクションの上に体の一部をのせたためか、それ、鳴りっぱなし。でも、遠くで。」  この想像、意外とあたってそう。
: 「くそのたけ ばかの山 宿命の対決!」  おすもうさんだ。
: 「ワツイ(テツロウ)といわれると、マツイとききまちがいそう。」  和辻哲郎。 わついじゃないよ。  いわれると、といってるが、だから、それも自分の聞きまちがいの可能性高し。  (相手の言いまちがいをさらにwaka君が聞きまちがいしそうになった、よりも)
: 「何か忘れたような気もするけど、そう重要(なこと)でないだろうから、別に気にもとめない。」  でもここには書くんだ(^^)
: 「伐 : このよみ、意は?  「ウツ」ある?  }しらべ」  あり。  〔 音読み : バツ 訓読み : き・る,う・つ 〕 単漢字情報 (C) 2016 株式会社ジャストシステム
: 「分析を分折とかいたよ。  折ル : ?」  手元漢和辞典によれば、折、析ともに、斤(オノ)で木を切る意。拆(タク。ひらく、さける、とく)、柝(タク。ひょうしぎ)は別字、とか。
: 「学生は勉強し、生徒はならうだけ。 )?」  そんな語感はある。  まなぶもならうも生徒には入ってない気もする。
: 「7:30、池の前に、ノリチャンとまちあわせ。あしたあさ。」  あした= 5/8 は水曜平日なので、学校行事としての上野行きのようだ。  (連休明けで生徒たちが本調子ではないだろうという配慮もありそう)  池は、家の隣の隣の弁天池。(以前、外部の運動場に行く時もそこでノリミツと待ち合わせているはず。ノリミツの家はすぐ近所。弁天池は今はもうない)
: 「あしたは上野のモナリザ。 おわってから、(学校はいけないというけれど)できれば一人で神田の本屋に行きたいべち。  モナリザ、そう見たいわけでもない。パンダはヤルキナ。セザンヌはもうまるでヤルキナ。」  モナリザは当時、来日、公開されており、連日見物人が押し寄せて、騒動に近かったと思う。  学校行事としてのモナリザ観覧後は、現地解散で、複数で行動するなら自由というお達しがでていたんだろう。  で、クラスメートたちは、上野動物園のパンダを見ようとか、(同時に開催しているらしい)セザンヌ展を見ようとか、話の輪ができていたようだけど、 waka君は乗り気でない、なにがうれしいの、状態。 (やるきない : ヤルキナ)
: 「冷める :こうよむ?」  それで、こんな語も浮かんだか。
: 「ワツイテツロウでなく、ワツジテツロウらしい。」  おお、やっと気づいたか。
: 「カイチョウさんはあしたのえんそくのこぎり山にいくのだが、おちるかもしれないので、ロープ−ウエイ〈だっけ?)にのらずに歩いてくんだって。 (たぶん他の多くの人はロープ−ウエイでいくのだろう。)」  なるほど。遊行先は、複数プランからの選択制だったのか。わりと気がきいてるじゃん、■■高。  で、waka君は、上野のモナリザを選んだ。一番疲れそうにないから、だな、きっと。(あるいはノリミツなど友人たちの空気を読んで)  それにしても、会長さん(あだ名)も少々変人だね(^^;  → クラスごとに行き先が違うというプラン(クラス単位の選択制)である可能性もあり。
: 「永久 永遠 }トワ?」  「永久 : 「ながくひさしく」より、「まったくいつまでも」という感じ。  永遠は昔からずっと未来まで、というかんじだが、  永久は今から、いつまでも、という感じ。終わりのない、おそろしいほどつづいていく未来という感じ。」  直線と半直線か。あくまでも、waka君の個人的感触だけど。  ・・・  始まりも終わりもないとなると、ほとんど生身を感じない、清浄すぎて、無と見分けもつかない。神が一番近そう。  始まりはあったけど、終わりがない(見通せない)、となると、生物だよね。うまれたもの、で意味も合致する。  終わり(死)はあるんだけど、体験はできない。ならば無いのと一緒かも。
: 「ぼくこのごろよく、キエー といって、手を動かし、何かをなぐるようにして、バグッと、声で音をだし。」  つぶやき、独り言の、動作付きみたいものかな。足まで動かすと、一人芝居にはいり、心もいっちゃうと憑依、トランス状態か。


 彼は3枚目だったが、ある日気づけば2枚目になってる。 友の3枚目のAも2枚目になってる。 一人の二枚目が、彼とAに、皆もともと二枚目で、おあそびに3枚目になっていただけだという。 A、そうなのかと、2枚目として生きる。 しかし、彼は、「いやだ、私のふるさとよ。」と3枚目にもどるため薬品を顔にかける。みにくい3枚目となる。
 その政府がみにくい人はこの世界に存在できないのですと、彼を死刑にすることにする。 彼、その不当性を訴え、抵抗するがだめ。しかし、満足げな顔で首を切られる。


 夢の話しではなく、しらふで書いてる。異常な域に入ってる。(日付直前なので深夜)  不条理でむごい、コンプレックス男子の妄想譚? しかも自虐自己満オチ?  丁寧に練り上げようとするのは無理があるので(自分で嫌になりそうで)、雑になってもすぐ書きつけよう(吐き捨てよう)としたかのよう。  ・・・  これはやはり、後半をどうにかしないと人に見せられない感、あり。  (どうにかするより、ボツが適切だろうね)

※ 『1974/05/11 クチ』 : 「地方大にいく。下宿。僕のへやのとなりにオ■さん(みたいなの)くる。 はじめ、ただ、たずねてきたようにカオみせる。事は、となりにひっこしてた。 (空想)」  事は、は、実は、か。  オ■嬢のキャラを、そういうふうに捉えているわけね。(こんなふうであってほしい、と)  空想内の僕、好みの女子なので悪い気はしないはず。が、うれしすぎてとまどって、うらはらな反応もしそう。  地方大、というのは、下宿、一人暮らしをするための口実、設定。
: 「お姉さんはすぐ、サケをすすめるのだ、ぼくに。  人形さんにあげるみたいにフトンで服のままねっころがってるぼくの所に、 ゆのみ茶わんにはいった酒、持ってくるのだ。」  まあ、自分がほろ酔いで、弟をオモチャにしてるな。この書き文字、弟も少しは嘗めてるか。  (高三の五月だからwaka君は十七歳。姉きはまだ十九歳なんだけど)
: 「5/11  きのう、今日が金よう日かと思ってた。」  1974/05/11は土曜日。  日付が変わったばかり。ついさっきまであしたが金曜日と思っていたよ、ということでしょう。  曜日をまちがえていれば(授業の時間割がちがい)事件だったはずなので、昼間は正しく認識していた。 夜がふかまってから一時的に錯誤、勘違いする。ありがちか。  → この週は、5/6(月)までゴールデンウィーク。5/8(水)はモナリザ見学などあり休日のようなもの。 そんなこんなの連休明けで、週末が早く来すぎて、まだ金曜日ぐらいの感覚、ということもあったのかも。
: 「教室に帰りくると、もう漢文の授業(田■先生の)おわってた。おしかったと思う。という夢みた。  あと忘れ。  黒板には、長い詩について説明したようにマルで一字を表わして 形式をしめしたのがズラーとかいてありところどころにほんとに字で「強」が3つほどかいてあり、 それについて説明したよう。と中からは内容にもふれたようで、字、かいてある。  《板書(縦書き)のだいたいの様子を絵図で》 」  板書の様子、文字の説明ではわかりづらいと絵図を添えたんだろうけど、かえってよくわからない(^^;  起き抜けだし、夢だし、やむないね。  (漢文の授業は週に一度ぐらいしかなく、waka君は楽しみにしていた)
: 「スペイシス スペイソス スペイそおす」  ふつうに、space の複数形 spaces かな。  変移の先の、スペイそおす、はよくわからない。(形容詞の spacious なら発音は似てる)
: 「今日じてんしゃでこなかったのは、  1、会長さんと、帰り、本屋などによるとき、めんどうないように。  2、下じきなどかいにいくかもしれない。自転車より、歩きの方が買い安い。  → 自転車より歩きの方が買いものの気分。自転車だとすぐ帰りたくなる。買いやすさ。  3、卓球ないので、運働何かせねば。(つりあいをたもつため。)  → 土ようは卓球ヤラヌことになってる。  4、男が決めたことと思った。」  だれに言い訳してるんだろうね。  ラストの4が笑。
: 「春うららのどかなりしは登校時」  五月中頃は初夏ではなかろうか。  たいして内容はないけど、語感がいい。
: 「「きいろい風土」 黄色人種 日本人 }これらを意味した? 「きいろい男」 「きいろい人」」  松本清張の同名作についていっているのかどうか。(現在まで未読)  黄色いにある含意をちょっと考えているようだ。
: 「「あなたはきのう地方の大学にはいること考えたでしょ。」  「ええ。」  「そこのそばの下宿にはいるのよね。」  「地方にいくなら、ふつうはそうでしょうね。」  「それに、そのとなりに女の人がきてたずねてくるのね。」  「そのくらいなきゃおもしろくないもんね。」   などという会話、今日の朝考えた。超能力者のオ■さんが、 きのうぼくが、女の子(オ■さん)を登場させた空想をすべて知っているというように考えて。」  創作好き高校生男子の妄想は、このように多少いれこ(メタ風味)になったりするのだ。  (・・地方、地方と上から目線。お前の千葉も地方だろうが。・・というご指摘、ごもっともです)
: 「オ■さん、髪型変える。  かみをうちがわにまるめる。ぼくに気にしてもらいたいため?(ダッタライイナア、ナドト。)」  右前の席にいるんだけど、まだろくに話しもしていないはずなんだけど、めろめろに近いなあ。
: 「到達 を 倒達」  倒れて達しちゃ、シュールすぎるよ。
: 「数学で、正と書こうとして、性の字を思い、かくとき生をかこうとして、■までかいた。」  ■は、生の二画まで。  さすがに、性はまちがいとわかったが、つられて生としかけたわけだ。
: 「きのう、大■ちゃん休んだのを、■野先生が休んだとしちゃったんだって。もと2Aの荒■君、きのういってた。今もオ■さん、ミヤ■さんにいってた。」  要は、まぎらわしい名の生徒と先生を荒■君が取り違えた、ということ。  もと2Aというのは、二年時もwaka君と同級の荒■君、ということだと思う。  本項、この取り違えは表向きの主題にすぎないと思う。  真の主題は、離れた席にいる荒■君が、わざわざ、オ■嬢やミヤ■嬢のところまできて、つまらない話題をふって笑いあっている、それが気にくわないんでしょう。  ・・  とはいえ、たとえば、■野先生休みと伝わって、ちょうどその日最後の授業だったので、皆帰っちゃったとか。これなら事件だ。先生、集団ボイコットかとびっくりだろうし。 そこまでいかなくても、やらかした荒■君が罪滅ぼしに皆に言い訳をして回るという図はあるかも。そんなふうな事情があるなら、waka君の嫉妬心もたいして熱くはならなかったかも。
: 「オ■ ■■■ → また オ■ オオ■ ■■ノ  → というように、つながっているのでは、いたとしたら、などと考えた。  → いやオ■さんとオオ■君か■■ノ先生が仲のいい図をちょとえがいた。  ← まったく、こういうことはないだろうけど。」  三人の名が似ているというだけで、妄想嫉妬。ずぶずぶとはまっていく・・  (ほんと弱いよね、ほれたはれたに、色っぽい女子に)
: 《「口 クチ」が様々な図形に変移するようす。》  ちょっとおもしろいだけで、深い意味はまるでなさそうだが?  → 口が象形文字なら、これら派生形も口の象形文字になりえそう。 つまりこれらも「くち」と読んでいいのでは。 あるいは、それぞれの形にそった「○○くち」というような読み方をつくってもいいのでは。 そんな気づきもうかんでいたやも、このイラストを描いたときには。
: 「このごろまた、フクセイが多くなった。心が乱れ、うつだから?」  このノートにおけるフクセイとは、時間的余裕がなくエンピツの下書きメモだけですました場所、そして後刻または後日それを清書する行為を指す。  前後のページをざっと見まわしても本文にエンピツ書きが見当たらない。 つまりもう清書に直したあとだから、ということかなあ。  ・・  フクセイは、時間的余裕がないときだけでなく、心に問題があって、いつものようにしっかり文字にしていけないときも増えるらしい。などと気づいたようだ。
: 「会話のおべんきょうしよう。 女の子や男子の会話をなるべく記録しよう!! しられずに。  小説かくとき便利?」  これはわりと大切だと思う。  かつてまたはいつも聞いている声を書いているつもりで、脳内補正をしてしまっている場合が少なくない気がする。  一例だが、女ことばというのが昔からあって、「〜だわ」とか「〜なのよ」とか、文章の中で使えば女子のセリフと明白なので助かるわけだが、 実際にはそういう語尾は言っていなかったりする。昔はそう口にする女子が多めだったと思う。時代が下るにつれて廃れたと思う。 思うが、よくわからない。ちゃんと無心で聞いて(補正などせずに)心に留め、必要に応じて書き写す、ということはしてこなかったので。  (つまり、本項の記録しよう!!を当時から真摯に実践していれば、だいぶちがったと反省しきりだ)
: 「北を■■」  ■■は、つなげ字で北と書いているはずだが、手偏+ヒ、または、TLのようにも見える。
: 「しゅうせい :スキャンダル?  衆評、衆説のききまちがい?」  ふつうは醜聞でスキャンダルの意。  衆評、衆説は辞書で見当をつけたんだと思うが、音が違い、かつ、醜聞の意とはずれる。  衆声かもしれないが、こういう熟語は辞書になし。  ・・  醜声が正解かな。(辞書にあって、音も意も相応)  (醜聞と醜声、この呼応ぶりはまさにスキャンダルの実相)
: 「称する.  〜と言った = 〜と称する なのか?」  辞書を調べると、言う、とイコールではなく、比較すれば意味が狭く強め。
: 「フウテン フーテン(1) キチガイ(2)  (2)より、(1)の意出た?」  辞書的には、(2)→(1)はおおむね正しそう。  現在は(2)の意味ではほぼまったく使われないはず。フーテンの寅さんのおかげで。
: 「男A、B。女C。三角関係。 AはBに、先に、「Cが好きだ。」と告白される。 Aは、Bがうちあけた以上おれはいえないと思う。 なぜなら、Bがいいだしたあというのは、「おれがいいだしたから、こいつもそうでないのに、いいだしたのだ。」と、 心をみすかされるのを、きらう、Aのプライドがあっため。  「心」の勉強の過程ででてきたが、修学旅行のぼくはこれ?」  漱石先生の「こゝろ」の授業で、でてきたが、だろうか。  いつまでもこだわるねえ・・ 修学旅行の晩、オカ■君に先に言われてしまったことを。  あのときはあれで仕方なかった、不意を突かれてしまった、と割り切って、第二ラウンドで巻き返せばどうにでもなったと思うのだが。 あっさり撃ち合いから降りてしまった。地力も経験値も足りなかった。(そしてもう半年以上すぎたのにこうしてこだわってる。しかも、ほかの女子にでれでれしたりしつつだ)  ・・  こいつもそうでないのに、は、こいつはCを好きでないのに、と読むと変になる。  いいだすつもりはなかったのに、おれがいいだしたから、いいだしたのだ、という文脈と思う。
: 「〜なかったろうが。 〜なかっただろうが。 }どっちがいい?」  だろうのほうが格段に据わりがいい。  たろうのほうは文法的にまちがってるというわけではないらしい。  (なかろうとないだろうの違いということになるそうで、前者は古風なだけ)
: 「人によって、ケシゴムカスのでかた、形はちゃうか?」  笑。  つまらないこと、気にしてるけど、些細の度合いが顕著だよね。
: 「芝生に花咲くのか?」  植物なんだから、それっぽいものはありそう。みたことないけど。  → ネット検索すると、花が咲くそうだ。花というより「穂」らしいが。
: 「パンが3つはいってるビニールぶくろを示して、  (1)「このパンたべていい?」  (2)「このパンたべちゃっていい?」  (1)はそのうちの一部 (2)はすべて、またくたべる  と、示している?」  とはかぎらないよ。  たべていい、と、たべてしまっていい、だから、行為と行為完了の違いだけ。 食いしん坊さんならどちらでも完食してしまうでしょう。
: 「ちょっと、食いすぎた。」 「くいすぎて、いぶくろの左、痛い。」  前項、実際のパンを前にしてたんだ!
: 「「山の雨」という題の5章からなる小説。 1章のはじめはYA、2章のはじめはMA、3章のはNO ・・・ でそれぞれ書かれている。(それぞれはじめられている。)」  という趣向、いわゆるおりこみ、折句か。  waka君は(または私は)しばしば、こういうとき、オマケのはずの趣向のほうの実現を優先してしまう傾向がある。 内容がおろそか、とか、だけど型はきまったからいいや、とか。  本来、作品内容の熟成と両立させてはじめて、趣向もひときわ輝くのに。
: 「■という漢字アルカシラ?」  ■は、石+井。  研はあるが、これは無いね。少なくともデジタル文字には。
: 「おせんべなめる。」  腹がいっぱいなので? せめて?
: 「わずかに死海をのぞく国 わずかに死海をのぞむ国  どっちがいい?   今日のよみうり新聞にでてた。」  文脈がないと、意図がわからんなあ。  のぞくが、覗くなのか除くなのか迷う。どちらでも変な文になるし。後者もわずかに望む(臨む)ってのはなんか変。  死海は実在するあの湖をいい、国はイスラエルとかヨルダンなのかなあ。
: 「多芸は無芸  会長さんの弁」  将棋仲間の会長さん(あだ名)、わりとわかってる人だ。さすが東大理三(関係ない?!)  → このあと、土曜例会で指した将棋棋譜がずらずらと並ぶが、省略。 この日waka君は、会長さん(あだ名)、火■君に二連敗。

※ 『1974/05/13 校庭のバックネットの右』 : 「9時ごろ、子供会のことで。」 「弁当\165 自分でだしとこう.」 「文化祭、やらないなら、文芸誌ださぬ?」 「放課後はドラマである。 { タ■■さん 2回  高■氏 じゃあね2回  ■サカさん」 「上を下へのじれった 人間どもあつまれでした  バーパイパニア 《 絵 》 というふくなのか、ブラジャーとあれだけなのか。いままで、後者だけにみていた。前者かも。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  もうよくわからない事情が多いが、文化祭はこの年の秋も開催された。 waka君の高校、学生運動の余波で入学したときから生徒会がなく、文化祭のとりまとめ機関がない。 なので毎年、文化祭実行委員会が組織されて仕切っていた。 この年、その委員会が立ちあがるあがらないの話しがこの時期にあったのかもね。  放課後はドラマである、というようなコンセプトの文章(創作?)を書こうとしていたか、 その素材をこのノートのなかで拾っていた(つむいでいた?)フシがある。 結局、後日まとまったのは、とある日の心記の記事の特別版程度のものだったのではと思う。  上を下へのじれった・・、これは本文に記事あり。
: 「もし、大学にはいらなかったときは、人にきかれたとき、 「私は、大学にはいった人を尊敬しますよ、あんな苦労をして。」と答えようと思った。 大学なんて、というと、ぼくがまけおしみいってるのが、ろこつになると感じられたから。  But! 前述のように言ったとしても、ぼくが、まけおしみをしているんだ、ととる人も少なくなかろう。 でも、それはそれでいって。どう解釈しようとその人のかって、ぼくはぼくだ。」  そのとおりなんだが、waka君の高校はほぼ全員が大学に進学する(進学しようとする)高校。  ぼくはぼくをつらぬくのは、わりと苦難に感じられた。  (といって、こんな勉強ばかりの暮らしをさらに四年もつづけるの? いいかげん飽きるよ、というのも正直な気持。 楽しい科目もあるんだが、予習に追いまくられ授業では戦々恐々とするだけみたいな英語はもう勘弁してほしかった。 外国にでばらなければいけない理由もない。  そろそろ自分で選んでいいんじゃないの、自分のことなんだし、という気分がふくらんでいたと思う)
: 「ここには5つの文がある、を、ここに55つの文がある  といったよ。」  意味不明。後者の最初の5に「ハ」とふりがながしてある。 KOKONIHAと発音したってことだろうけど、なぜ5をハと読む?  ハではなく「い」かな? つまり、ここにいいつつの、と読んだってこと? それでもなぜなの、と疑問は減らない。  → 「ここには5つの文がある」>「ここにHA5つの文がある」>「ここに85つの文がある」>「ここには55つの文がある」という一瞬の連想が働いたか。8>5は同じく数字という連なりで(取り違いというより)。
: 「おうちゃく、の意は?  てきとう(こっちとおもってた。)  ずうずうしい  }?」  辞書的には、ずうずうしい、骨惜しみをする、が正解。  適当には、その場をとりつくろってしのぐ、の意もあるので、品位としては同類だろうね。
: 「■を並」  ■は並の上の二点がない形。本文の書き方だと、■が正、並が誤記だが、逆ではないの?  それとも、どこかの漢字の部分で■が正の場合があったりしてなのか。(たとえば晋)
: 「■野先生、定時制の人、ナイターの人という。いつきいてもおもろ。  あの先生、「スキズき」というのもくちぐせ。」  ■野先生は(この三年時の)担任の先生。(waka君の最も苦手とする)英語が担当。  waka君の高校は夕方から定時制の教室も始まる。  英語の先生だからそう呼ぶ、わけでもないんだろうけど。  → ぎりぎりとはいえ厳密には赤点のはずの英語成績で、 二年生から三年生へ進級できた、一年後にはさらに卒業もできたのは、 今もって理由が謎だが、 この英語の先生がしょうがない面倒をみましょう、といって、げたをはかせてくれた、三年時も自分のクラスに入れた、 そういう可能性がもしかたらあった、のかも。  (そうではなくて、ぎりぎりで落第させるのはかわいそうなのであと一年は様子をみましょうと、及落判定会(そういうものがあるのなら)で決定した。 で、どうなるにしろ問題生徒の問題科目である英語の教師ということで最終的な引導を渡す役割を押し付けられた、ということだった、のかも)
: 「何か書くの忘れた、かも知れぬ。」  ちょっとかしこまった字になってる。少しの間だけだが。
: 「英語の授業で教科書を声をだして読むことがある。 このごろはぼくがすべてよみおわらぬうちに皆静かになって、ぼくもやめちゃうが、 中学の頃、声をあげてよむとき、となりやまわりの人と声が合ってしまうことがよくあった。 ぼくはそういうときはよく、声をずらせようとしたものだ。」  指されて一人で読むのではなく、皆でいっせいに読み上げるような場合でしょう。  高校では、waka君がしっかり発音し終える前に皆が読みおえてしまう。 ひとりだけ劣っているようで(ようでではなくほんとにそうらしく)なんかものがなしい、と。  読むのが遅いんだろうけど、waka君なりの英語読みの発声流儀があってもごもご濁したりはしょったりができないんだろうな。 別にそれでいいじゃん、とは思うぞ。  中学のときはむしろ、まわりに同調してしまうのがなんかいやだったのに、と。
: 「国語(現国)の質問終わって、席につこうとするとき、発表している(いた)この人は自分かと、一瞬思う。   発表しようと思ったときは、この意見のぼくは正しいのだと、思って、先生にすこし反発する(意見なのだ) (のだ)と思っただけで、ドキドキし、血がのぼってきた。いや、発表しようと思って、もう、ドキドキ。」  勇気をもって発言した、って状況なんだろうな。  好きな科目では、このように、攻める姿勢はあるようだ。
: 「おれは、こういうようにおそろしいことをしちゃうのか?」  斜め上から自分をながめて、他の事柄でも、こんなふうに、おそろしいようなことをやってしまうのだろうか、おれは、とも感じた。  しかしまあ、言ってみれば、授業や先生をぞんぶんに活用しているともいえる。人生の練習台として。 楽しんでいる、とまでいえる。もちろん、斜め上のさらに上方からこうしてながめてみれば、だけど。
: 「■■ソウさん(?)が、P19の本文の上の所を訳したのだが、 題名から「他の人が私たちを見るとき」と訳したので、先生、題名の次から訳してると思い、 そこ(from different viewpoints)は、そうじゃなくて、直訳していいんじゃないか、と言ったがすこしして理解。 皆、笑う。ぼくも笑う。  が、ぼくはこのとき、本文の上でなく、まちがえて、本文のはじめを訳して、皆が笑ってるんだと思って笑う。すこしのち、理解。」  ううむ。ずれずれなわけね。英語劣等生あるある、かい!  まあ、この場合、他に露見したってことはなく内々で舌を出したってことだから、かわいいけど。  (状況を後刻ながらこうして記事に残せるんだから、まるでわからないのではないみたいだ。 鍛えが甘いので、瞬発力、反射神経が足りない、というふうか)  ・・  ■■ソウ嬢の(?)は、まだはっきり姓を覚えていないので、ややめずらしい姓でもあり、この発音で正確なのかどうか、という気持でしょう。
: 「春の競技大会、スモウになっちゃった。」  運動が苦手でも、何かしらに参加する義務があったんだと思う。  したい種目がなく、または早々ふさわしい面々で埋まってしまい、消去法で残って、かな。  (でもさ、どうしてもいやなら参加しなくてもいい、という場合、一種の祭である競技大会だというのにふらふら観戦、小声で応援してるだけ、ということになるわけだが、 これかなりきついはず・・ 気が進まなくても何かしらの選手として一人前の汗は流した、という場合のほうが十倍ぐらいマシ)  なお、本項が欄外になっているのは、後から挿入したからだろう(そうでないなら、以後はまだ白紙だったはずだから、2列目冒頭に書けばよかったはず)。 数項後にある大会関係の記事を書いたとき、前提となる記事がまだないことに気づいて。
: 「校庭のバックネットの右側にある木の形はいい。 《 イラスト 》 といったかんじ」  もしかしたら、この時期のwaka君の心の、似姿。
: 「(ぼくみたいな)女殺しはつらいなあ。 三枚目の、自嘲的 アイロニカルな )言葉」  心の中で、女子は排除しています、いなことになっています、ああいやだいやだ。(とおもうしかないってのもつらいなあ)  まんじゅうこわい、みたいなことをいっていれば、誰かがそれを食わせてくれる、という期待もあるのか?!
: 「きれいな人 やさしい人 かわいい人 いろっぽい人 美しい人」  縁がないから、あこがれるなあ。  ・・なのかね。  まだまだ夢みがちなお年頃のようだ。
: 「あいぜんどの  この前のエイガ」  愛染殿? 意味不明なメモ・・  前項のような理想女性が登場していた、とか。
: 「ここにはさんどくエンピツ、よくぽろぽろおとして、こんどこそなくしたか、などとよく思いそのつどみつかっていたが、 今、見た所ない。こんどこそ、ほんとに、どっかにステちゃったよッ。  しかし、なんか、いとおしくて、気になり、忘れられない。」  書いてけずって書いてけずってちびてしまった鉛筆の一つをこの心記ノートにはさんで(他には線引きなどもはさんで)、 上辺メモや仮メモのエンピツ書きに使ったり、ページを分割する縦線に使ったり。  取るに足りない物へのしゅうじゃく、あるんだ、たぶんwaka君にかぎらずだと思う。 (その執着心の強さにまるで釣り合わないほどのつまらない小物。これはもう、強い執着心のための依り代ということだろう)
: 「一年のときの春の大会、スモウの最後にでたし、二年の卓球も、その最後にでた。」  チームのアンカーとして出場した、の意。  今回もそうなるかも、みたいな言か。  勝負の勢いをつけるような信頼はないので後出しにされるけど、拮抗したままもつれたときはにわかに脚光を浴びてしまう役回り。
: 「「永らうべきか 死すべきか。」 この意は? これをいった人は?」  ハムレット?
: 「無実の罪 = 無罪?   実がないのだが、罪である?」  → 実がない(誠意がない、または、実体がない)、ということが罪、そういう罪名、という社会、世界、異世界、などもちょっと浮かんだ。
: 「今日、2時間目の数学の自習のとき、千葉大の受験に関するアンケートがあったずら。 「進学しますか、(1) はい (2) いいえ。」とあったので、「 (3) わかりません」とかいといた。 その他、このごろ考えてた線にそってかいといた。」  千葉大の受験に関するアンケート、というのが、でどころが謎だな。 文字面から想像するだけなら、千葉大の学生(か講師、教授)の何かの研究テーマにそったアンケートを、ツテをたよってwaka君の高校の生徒に答えてもらっている、という辺り。  (3) わかりません、という選択肢があったわけでなく、waka君がつくっちゃったんだろうね。
: 「女Aが、不良におそわれようとしたとき、男B、助けにくる。 その不良二人をなぐりとばし、おきあがる前に「さあ逃げるんだ。」とAの手、ひっぱる。 そして、走りながら、不良たちに、「花、もたせてくれよな。」という。 A、すこしいってから、さっきの言葉の意味をきく。 B、「きびしいなかにもあまさあり。あの言葉が、ぼくのいのちをすくってくれるかもしれない。」」  うん。小話になってる。  きびしいなかにもあまさあり。  好きだな、こういう処世観。侠気(おとこぎ)につうじるような。
: 「ここにはさんどいた、サックのついたエンピツ、戻ってきた。  ■■リのへやにさっき、しらない? とききにいったけど、 めしくってたら、■■リもってきてくれたよ。ほんと、ぼくについてきてくれるんだなあ。  ※ ■■リは今、病気で、おばあさんのへやにねてるずら。」  チビタエンピツでも持ちやすいようサックがついていたようだ。  ついてきてくれるのは、ここでは■■リではなく、エンピツのことを言ってる。  まあ、お兄ちゃんの役にたつなら、程度のすなおさが■■リにはあるよね。(当時もそうだけど、お互い老いつつある半世紀後の今も、なんとなく)
: 「ぼくってひねくれてるんだなあ。ふつうじゃない。すなおじゃない。 男女のつきあい、否、会話すら、あまりほがらかにできない。 すこし、したしいような人、(たとえば、2Aから同じクラスで、前の席の■■ツカさんなんかとは)いくらか、明るく話できるけど、これだって表面上。 ときどき、しらけた感じをピンとぼくは感じるのだ。他の、クラスのちがう女の子や、あまりしりあいでない女の子、とは、ほんと話すとき、ぎこちない。」  劣等生っぽい位置取りに収まってきてるため、自信がないんだろうなあ・・ 自信がないから、おどおどしたり、声に芯がないのかもな。とくに女子の前では。  (相手をのむぐらいの風で話しかければいいんだけど、たとえはったりでも。 そのぐらいのツラの皮の厚さがあれば生きやすいのに。 どうせ相手にとっては多くの中の一人にすぎないんだから。 ほとんどこちらに個人としての関心はないし、多少の失敗ぐらい恥のかきすてで笑ってごまかせばいいさ)
: 「今日、アンケート買→「書」でした。 いてるとき、ななめ前のお■さん、宮■さんに、 「いつごろ受験を意識したって(いうけど)中学以前に、なんとなく、はいるもんだって思ってたんじゃない。」と話してた。  どこか、懸隔を感じた。  ぼくも事実、中学以前にそう感じてはいたかもしれないが、いうとしても、今もそうだという感じではいわないはず。 が、彼女、今もそうだという感じでいってる。かけおちする女にはほど通いか? 遠、でした。   物語では、そういうさとってない女を主人公がさとらせていく?」  あるいは、甘々の主人公を、女のほうが教導していく? (というのは、現在のいじわるなつっこみでした ^^)  まあ、外見は好みだとしても、中味は常識の範囲内でwaka君の(妄想的)期待にそってないってことで、ごくごく当然。むしろそっていたらびっくりだよ。
: 「尺八吹くとつかれるよう。」  「尺八ふいてると、気が遠くなるような、心臓どきどきするような感じ。」  自作のひとよぎりだな。  中学時、学校の箒の柄を悪友らと加工して、(いくつも)つくった。
: 「ぼくが女の子とまともにつきあえずそれが特性みたくなっちゃったのは、 小学校1年のとき、きれいだなと思った松■さんと、はしゃぎまわり、 2年になる頃、それがすごく恥ずかしいことに思って、もう女の子はいやだ、と決めた、このことによるのか。 それが、小学校高学年中学高校とつづいたのか。 つまり、小学校一年のとき、松■さんの手をにぎったり、松■さんの手にキスしたりした反動が今までつづいてる?」  男児のころに何か因子はあるのかも知れないが、そうだとしても、全然別の未来はいくらでもありえたはず。  松■嬢はほんとに美しい顔立ちだった。おひなさまみたいに仲のいい二人という認定をされたのか、何度クラス替えがあっても同じクラスだった。  小学校六年になっても際だった美人。そのころには昔なじみ、ていどのもやんとした間柄だったけど。  中学高校とますますいい娘になっていったと想像するが、小学校卒業以来会っていない。
: 「中学の頃は、ソプラノ尺とか、アルト尺とか、いろんな尺八をつくったなあ。」  結局手もとに残したのは、一本だけだったけど、こうしてあとあとまで、忘れたころに、吹いたりした。  現在もどこかにあるはずなんだが、思いあたらない。もう何十年も吹いていないかも。  (まあ、どうしてもまた吹きたくなったら、また作ればいい。箒の柄があればいい)
: 「セントラルプラザやニューナラヤで、■■高生たかられたんだって。今日のHRでの先生の話。」  不良っぽいのがあちこちに散見された時代ってことか。いつの時代も大差ないか。  (ちなみに、HRはホームルーム。クラスの会合? 日本の中学高校経験者なら説明不要と思うが、念のため。 waka君の高校では週に一時限がHRにあてられたが、中学時代は毎日最後の十五分ぐらいがHRの時間だった)
: 「学校いかなくなると、定規検診がされなくなる?」  ふつうはね。  大学にいかないという選択肢の先をさまざま思い描いているようだ。  (が、会社にはいれば、あります。事実waka君、翌年からそうなります)  なお、定期検診または定期健診が正。
: 「シコタン× シャコタン○ }?」  語源は車高短。車高を極端に下げるチューニング。  山たちがよく口にしてたけど、だいぶ後になるまで、waka君は語意が理解できていなかった。車の趣味がなく知識が乏しかった。
: 「小学校の5、6年の頃からぼくは、カムイ伝よんでた?」  かもね、たしか。  同じ部屋で起居していた叔母ちゃんがよんでてwaka君もよむようになったと記憶している。  白土三平作。忍者マンガぐらいのつもりで開いたんだったか。相当な衝撃度だった。  → (第一部の)単行本を全巻そろえた。  十年か二十年後またよみたくなって、日比谷の図書館の閉架書庫から借りて何度目かの再読を果たしたりした。
: 「ぼくは授業で質問すると語尾が、長くなりすぎる?  〜だと思ったらいいいのではないかと思います、とか、  〜の方がいいというように思っています。 とか。」  うんうん。これは今だとさらに恥ずかしい気がする。  簡潔じゃないってのは、美しくないもんね。  (といいながら、今まさにずらずらと書いているこのような注記群が簡潔かと問われれば・・ 笑ってごまかすか・・)
: 「今日、ミヤ■さんが、お■さんに話してたこと。  「オシ■君って、ほんとおもしろいわね。 お休み時間になるといっしょうけんめい勉強してるから、やるな、と思ってみたら、 人の単語、せっせとうつしてるの。」  ぼく聞いてて、ちょっとおもしろいと思う。 けど、そのおもしろいと思った気分明らかには思いだせない。 ふたたびこの会話文をよんでもくりかえし感じられない気がする。」  ふむふむ。  じゅうぶんおもしろいけど・・  宮■嬢の話の勘所が文字にされていない感じはするが、それは含みで伝わってる気もする。  ・・  他人の書いた英単語帳のようなものを自分用に複製しているってことだよね。 これは異常な行為、滑稽な行為、という認識が彼女らとその場のwaka君にあったはずだけど、 今よむと、珍しいのかもしれないが無い勉強法でもないんじゃない、と思う。 ふつうは、確固とした辞書などから転写して各人がつくるものだろうけど、 友人のつくったそれから自分用のをつくる、 二重転写で精度は落ちるだろうけど、友人のある意味編集力を信頼した、 権威である辞書レベルでなくてもその友人程度のレベルに近づけるなら十分という認識、 このあたりが、現実的で、いわば合理的でもあって、ユニークと言えばユニーク。 気づきにくいけど、ふつうはあまり聞かないけど、やられてみればナルホドかもしれない、そういう面白さ、であろうか・・  その場ではおもしろいと思った感触が、これを書いているときには冷めているらしいwaka君だけど、 時間をおいたことによって、最初のおもしろさよりも上のような合理性がより感じられてきて、だからなのかもしれないな。  それに、黙読して雰囲気を脳内に再現している(いわゆる読書の)場合と、 実際に面白がっている宮■嬢のナマの声を聴き表情を感じその場でナマで面白さが伝染しているお■嬢やそばのwaka君の心の振動ひびきあいがつくっている現場(リアルないしは演劇)と、 くらべたら、どうしても前者が色あせてしまう。そういう感覚もあるのかも。
: 「小学校のうらは雨がふると、すぐ水がたまったなあ。旧校舎のうらで金色のコインみたいな円板ひろったなあ。」  ふと思い出すんだろうね、過去の映像を。何かで連想して。  悲惨な体験をフラッシュバックで再体験するってのは聞いたことあるけど、waka君のこれは、ぼんやりしたなんでもないような記憶。夢の中のような。
: 「ぼくは別に、そう女の子の愛情を欲しているわけでない。 家に帰ってから、テレビを見、新聞をみ、将棋指したり、尺八ふいたりノートかく生活の方が、 女の子のそばでくらすより、数倍平和なような気がする。」  負け惜しみっていうより、わりと本心。  本心だけど、性欲などの本能がないわけでもないから、悩ましい。  それにさ、じっさいに、ガールフレンドと仲よくするなんてことが思春期になって以降ほぼ皆無なので、そのほんとのよさ、リアルなきもちよさ、ぬくもりみたいもの、を知らないからこそ言えるのかもしれない。  食わず嫌いに過ぎず、一旦経験してしまったらまた食べたくなる、求めずにはいられなくなるたぐいの魔性の味、それが女子。(かもね)
: 「エンピツ、なくすのこわいから、もうはさむのやめようか?  それとも、手もとに、つまり、はさんだままにしといてやろうか? ナヤム。でも、今までなくならなかったんだから、はさんどいてあげよう。」  ただのチビタエンピツだという事はわかっているけど、ほんのり愛しさがわいて、それにのっている。  優しい心根があればこそだけど、過ぎれば偏執者とも言える。


 おわらないわけなんてないんだよ。
 おわるわけなんてないんだよ。
 ないなんてわけないんだよ。
 └→ オモロ

 予習はやんなくてもいいし、やればやるほどいいのだよ。

└→ お母さんの質問に答えて。

└→ お母さん、「おやをあんまりからかわないで、勉強しなさいよ。」だって。
 再現。
「ワカ■■、なにやってんの。」
         (フスマの向こうから)
「えー ・・・」
「勉強おわったの?」
「勉強はいつまでたっても終わらないんだよ。勉強は、ないなんてわけないんだよ。」
「学校の予習やなんかのことですよ。」
「予習はやんなくてもいいし、やればやるほどいいのだよ。」
「あんた、どうかしたんじゃない。やりなさいよ!」
「がんばってやろうとは・・・」
「なんだって、」と姉にきく。
「がんばってやろうとは、だって。」と姉き。
「やろうとは何よ、」一人ごとのように。
「やろうとは、のあとは余韻をもたせてある。」
 姉き笑う。
「親をあんまりからかわないで、勉強しなさいよ。もう、ねるからね、おやすみ。」
 「おやすみなさい。」姉き。
 「おやすみなさい。」

 母上は今夜、旅行より帰ったばかり。


 こうしてながめると、楽しい親子。
: 「「人間ども集まれ」にでてくるバーパイパニアの女の着ているのは、《 絵 》 という服なのか、ブラジャー《 絵 》と、あれ《 絵 》だけなのか?  いままで、後者だけに見ていた。前者かも。」  前者というのは、プラジャーとふんどしの絵柄のついた服ってことでしょう。  たぶん、このマンガの枝葉のことなんだけど、気になって。
: 「「人間ども集まれ」と、(上の事を とともに エンピツで前ページの上にかくとき、)そうかくのが正しいのに、「上を下へのじれった」と書いてしまっていた。」  ともに手塚治虫の作品。  人間ばなれした質のものを産みおとせる創作者というのはプロならむしろざらに存在するのかも。  それを一度でも為したから、門をくぐれたわけだし。  しかし、人間ばなれした質のものを大量にずっと産みつづけられるというのは、もう化け物の域か。魔王。
: 「地球はまんまーる、あかちゃん いるよ ねるよ  あかちゃんも夢をみるのかしら。 いーろ いいろ  }???」  これはwaka君のものではなく、TVかラジオで流れた歌を書きとめている。  NHKのみんなのうた辺り? そんなかんじ。


 フロからでてきて姉き、机につっぷしてるので、
「またねてるな、」で、つっつき、
「おきなよ、しぬよ。」という。お姉さん、
「どこでねるの」ときくので、
「ここだよ。」
「どこでねるの。」
「ここだよ。」
 またなんかいう。
「え?」
「どこでねるの。」
「ここだよ。お姉さん狂ったんじゃない。」
 しばらくして、「おやすみ。」電気消して行く。


 ラスト、お休みと言ったのが姉きで、立って電気消して行った、のも姉きか。(つまり多少覚めた、と)  どちらかまたは両方ともwaka君かもしれず、はっきりしない。  姉きはwaka君のとなりの部屋に布団敷いて寝るはず。 つっぷしてた机がこの部屋の姉きの勉強机なら、寝るために別所に行くのは変だ。 別の部屋、台所辺りの机としたら、寝るのが「ここだよ」と連呼するのが変になるな。  よって、勉強机に突っ伏したまま寝ちゃったので、あきらめて弟は「お休み」と言って、部屋の電気も消しておいた、という可能性も濃いか。  (そんな体勢ならいずれ目覚めるだろうし、五月だしね、放置も正解のうちかな)
: 「ちくしょう。フクセイカンセイさせる前にねてしまった。」  心記のエンピツ仮メモからの清書のことだろうけど、その後完成させているとしたら、この辺りだろうけど、 もうどの項の辺りかは(エンピツを消しゴムでけしてしまってボールペン書きの清書となっていて)ほぼわからない。
: 「なんといっても受験なんてめんどくさいし、苦痛だ。  なんといってもこれこそが、ほんとのりっぱな理由だ。  受験なんてもんで一生が決まるとするなら、人生の一瞬一瞬でも決まっているとみていいでしょ。 受験の時も、他の人生の一部の等も、人生を決めるどあいは同じなのだ。」  一部の等は、一部の時、の誤記だろう。おしい。  正論。理屈的には。  が、一瞬ごとに濃淡はあるだろう、やっぱり。人生。  ・・  大学の四年間は、社会にでる前の(大人になる前の)最後の研磨、仕上げということでしょう。  やって損はないと思う。  やらなくても長い目で見れば大差ないけど。代わりに早めに社会にでても、いやもおうもなく、磨いてくれるし。
: 「お母さんに、朝めしのとき、大学なんてやだな、といい、大学に入れようとするまわりと、大学に入りたがる自分との戦いだ、などといってのち、 いいあらそい( or 会話)はじまり、活発な論戦となる。  端をはっしたのは例のごとく、お母さんの勉強は? ということば。  → 「ぼくがかわいそうだと思わない? (お父さんやお母さんに生き方を決められて。)」とまでいったよ。」  大学に入りたくない自分との戦い、でないと、すんなり通らない文意になるが、と思った。  しかし、大学に入りたがる自分もいる、とみれば、通るかも。周囲との戦いだけでなく、自分の中で相反する心とも戦っている、と。  (大学生になれたらなれたで、それなりに誇らしく感じる自分もいるのだろうと気づいている)
: 「ぼくにとって、学校は、あそび、友を見、女の子をみ、現国の授業をきくことぐらいに意義があり、あとは好きでない?  古文、漢文はいいかも。」  ゲーム攻略のように、装備を整え、技を磨き、経験値を積み、戦術戦略を練り、ついに難敵を倒して、クリア、ご褒美をもらう。  受験をそのように捉えられれば、悩みはもっと単純明解だったかも。  (当時はまだTVゲームはないけど)(大好きな将棋のように、ということでもよかったか)  waka君は、中途半端にまたは純真なほうの、学徒だったのかなあ・・ 
: 「英語の予習。  学期のはじめは何課か前までやっとく。 そのうち、予習のため(たくわえ)が少なくなり、その日ぐらし、つまり、次の日の分だけやるようになり、 そのうちに自分がどこをやるかわかってるときがでてきて、そこだけやり他はやらず、 次の回に、前回予習してない所をやってから、その日の予習をやるのでおくれ、 以外、次の日の分もできなくなってくる」  以外は以降か。 だんだん自転車操業に堕ちていくってことだね。 英語はとくに大変だけど、他の教科もそこそこいそがしいからなあ、あれもこれもとやってたら、時間とか体力とかどこかしらに無理がでる。限界がやってくる。 つまり鍛えられてるってことだろうけど。学校らしいといえば学校らしいわけだけど。  その限界を超えるすべを自ら会得するのが、実はいちばん肝心要の学習、修練ということなのかも。  ・・  限界というのは無理ということなんだよ。  だからふつうは突破できない。  できないことをできるようにする。学校はそういう所だよね、たしかにね。  できないことをできる人間、そりゃ頼もしいし、重宝するだろう。実社会(職場や世間)もさ。  ・・  でも、waka君のような、なまけるのが大好きな人間にはきっついわなあ・・  なまけるのは蜜の味だもん(^^)
: 「「試練だと思って、試金石だと思って、受験をうけてみろ。」といわれたら、こう答えよう。  「なんで、みんなと同じ試練をうけねばならぬ。」」  なんとかして言い逃れたい。  ぬるぬるして捕まらずにすりぬけてしまいたい。  水棲軟体動物のように。
: 「生き恥をさらしても、自転車にのった方が10分はやくつく。」  笑。  生き恥をさらすぐらいに、必死にペダルを漕ぐようすがみえる。  恥をさらす程度ならなんでもないが、事故に遭ったり、人を轢いたりのほうが心配になってくるよ。  家では、受験云々で迷ったり考えたりしていたようだが、これで、登校。気分も変わりそうだ。
: 「人間、一度はきちがいになった方がいい。そうすれば、より多くの人の心持ちがわかる。」  「こっちから気にすることない。ぼくは思われてるんだという自信がたいせつ。」  学校でたくさんの同輩にまじり、女子生徒の姿も見えると、刺激を受けて、こうして人間関係のことなんかが心を占めてくる。  少々、守りの姿勢過多だけど。
: 「とっちゃん → (ぼくが)色目つかったと思ってる? この前のアイサツか何か誤解されたか。  さい■■さんが(そう思って、)。 それを、とっちゃんに(言ったのでとっちゃんもそう思い、何か、今日このごろ、そっけない?)。  → 今まで、こういうこと何度もあった?」  さい■■嬢にwaka君が色目をつかったと、嬢が思い、仲のよいとっちゃんに告げ口したので、 とっちゃんに誤解されているのかも、という意だろう。  (思いあたるフシはあるが、全くの軽い気持ちで、嬢にまじでちょっかいを出そうとかは決してないのだが)  あまりに、憶測ばかりで組み立てている。 単にいちじてきに、友がそっけないってだけで、理由を探して疑心暗鬼、ってことは、だいぶとっちゃんへの親しみが濃かったんだろうなあ。  とっちゃん、顔はもうぼんやりとしか思いだせないんだが、気さくであったかい奴だったような。  ・・  このケースではないのかもしれないが、その誰かが悲しむような言動をいつのまにかしており、 その誰かが黙って距離をおくようになる、ということはあると思う。 こういう時、一つの笑顔、挨拶が心をとかすこともまたあると思うんだが。
: 「化学、二酸化イオウや硫化水素で気持ち悪い。」  刺激臭や腐卵臭のする有毒ガス。  これを扱う過程で、若干かがせておくというのも、学習のうちなんだろう。
: 「純を純」  屯の縦棒は上に突き抜ける。  最終画を右に流すのか跳ねあげるのか。  跳ねてる。
: 「「く」を「く・」とかいたらおもろいのでは?」  別におもろくないよ。余計なだけでは。  おについた点のように、くにも点がついている世界があったらおもろい、ぐらいの感覚かな。
: 「 「『 : 「 → 「「 → 「『  ぼく、3画でかいちゃう。 ・・・ 」  『 』。カギ括弧の書き方。ここでwaka君が気にしたのは画数、というか運筆か。  ふつうの文系学徒は、「 」と『 』の使いわけの仕方を考察するんだろうけど。  (使いわけについてはもう自分なりにルールができていてあまり関心がない様子)
: 「この KONO → この この → ま MA → る → る RU」  縦書きの「この」が、「ま」や「る」になったり。  waka君はこういう変移をとてもよく気にする(複数の様相が見えてしまうのがうれしいのかと思うぐらい)。
: 「loveを lo◇e とした、デザインもあるよ。」  ◇はハートマーク。  → 一般的には、l◇veなのでは? → これを見間違えたwaka君の勘違いならば、lo◇eをオリジナルにしちゃえばいいかも!?  うん。lo◇eのほうが伏せ字度が高くて、色気がある。新鮮。
: 「しんらんの書 カキ は?  書 < しょ かき }マチガエヤスイ」  ここでは、親鸞という漢字は? という意で、親鸞の墨跡(または書物)は? という意でない、と。
: 「お■さん、びんぼうゆすりしてるよ。彼女、ときどきやってるよう。」  楚々とした女子高生然としていなくて、かえって、親近感わく。今よんでると。  この娘と親交を深めなかったのは、おしい。  何か、発掘できたような。
: 「おそく(年とってのち)生むことをなんという? おそく生まれたことを何という?」  高齢出産、だが、それは母親のことで、父がすでに高齢の時は何というのだっけ? が本意だろうか。  俗な呼び方があったはずなんだが、忘れた、検索してもみつからない。差別用語的なあつかいになってしまったのかな・・  → いろいろ探したら、「恥かきっ子」というのが見つかった。  うん、あった、こういう呼び方。あったけど、もう何十年も耳にしていないかも。
: 「子 こと )感じのつながり? この他にも何かなかったか?」  それをいったら、ここ、この、これ、こちら、などもそうでしょ。こ(小)もある。  素人の感触だけど、子からこれらが派生したというより、これらの一つとして子がうまれた、ような。
: 「「こういう過去をふたりの間に通り抜けてきている。」 これを宮■さんは、「こういう過去が」とていせいして説明し、 先生は、「私たちは」をつけたして説明。ぼくは、「ふたりの間に」を「ふたりは」として説明しようとした。するつもりだった。  ぼくが一番だめ。」  でもないよね。原文がおかしい、そもそも。宮■説は一番すっきりかもしれないが外国語のようで理屈走ってる。 waka君説は、意訳となるかもしれないが、平易で自然でわるくない。
: 「news ズ ス )? 」  英語音はズなのに、日本ではスだな。なぜか。
: 「anxiety アングザエティ? アンクシャエティ?」  心配、不安。アングザエティが近い。
: 「Grammar、順狂ったのでたいへん。 2番目ぐらいにあたるはずが、なまじっか、遠く(の人)にいくのもこわい。 はやいうちにあたってほしい。(あとどのくらいでくるか、心をいためているより。)」  いっそ、ひとおもいにやってくれ、の心境か。
: 「The discovered abundant evidence 〜、  で、discovered を 決めた と訳し、アバンダンス(t)を、とりさげる、(と訳す)」  今ネット翻訳したら、発見された豊富な証拠、だって。  waka君の訳は異様。証拠隠滅の決断、とかになってしまうの?  これを授業で発言してたりすると、皆、頭かしげてしまう情景。やっぱりwaka君は宇宙人とか思われる?  しかしまあ、ここにこうして書きとめるってことは、誤訳、失敗と自覚できたからなんだろう、露見しないまま、たぶんね。  ← 前後の記事から、この Grammar の授業では結局あてられないまま終わったようなので。  ・・  しかしさ、辞書がかたわらにあってそれを引ける余裕があるなら、こういう誤訳はありえないと思うんだけど。  辞書を引かずに、この単語はあれだ、と一人決めしたのか。あるいは、文脈から、こうであろうと決め打ちをした、とか。  (現在のように一瞬で辞書が引けるわけではないので、 教科書の一頁に展開する英文の、おびただしい単語すべてを引く余裕はなく、 知らない単語のうち要所だけを引いてあとは推測(想像)でつなぐ、とするしかなかったか。  [わかっている単語:辞書を引いた単語:わかっていないが引く余裕がないので推測した単語]  この比率が、あまり英語が得意でない一般的な生徒でも、5:3:2 ぐらいなのに、waka君は、3:3:4 ぐらいなんだろうね。2:3:5 とか!?)  ・・  古文や漢文の場合も、おそらく解読の構造は同じ。 古文や漢文では、英語ほどの苦難、苦痛を感じなかったのは、 古文や漢文の語彙に近しさがある(わかっている単語が多い)というのが最大の理由だろうけど。  他に考えられるのは、推測のしやすさ。わかってない単語でも推測の的中率が高い。  つまり、古代の日本人や中国人の思考にすんなりそっていける。  対して、英文を書いているあちらの人たちの思考が、言葉の組み立てが、斜め上にずれていて追い切れない。異次元の感性。なんでそうなるの。  推測、外れまくり。・・そういうことだったのかも。
: 「時計3分狂ってた。おくれてた。まだ、おわらない。 あと3分あるともしかするとあたるかも、と、ドキドキ。そのとき、鐘鳴る。   おれって、グラマーや Reader のさされるのを、気にしすぎ??」  逃げ隠れする虫君の心境。  じりじりと待つ数分というのはかなり長いのだ。
: 「のりちゃんの意見(この前きく) (■井)先生、アカだ。企業ない方がいい。 このノートにかいた?  ※■井先生は、企業あっていいといった?」  ■井先生は、倫理社会や政治経済などの先生。waka君の記憶とは食い違ってる?  ノリミツが、反共産、だったという印象はないなあ。政治関係はノンポリだよね。または、破滅 or 無政府的。
: 「御売 オロシウリ  下し売り   御に下の意ある?」  卸売、ですな。
: 「2年の時、ポーカーで、だれそれさんをかける、とたわむれにやったとき、 高■君か、イ■■ちゃんのとこにオ■さんの名、でてきて、だれそれといったことあった(ぼくが。)?」  2年の時はwaka君、別クラスのオ■嬢のことほとんど知らなかったはず。  トランプその他のゲームを放課後などよく遊んだ。金を賭けたりはなかった。 こういうふうに、いちど、設定上のガールフレンドを賭けてふざけたことがあった。  あのポーカーの時、オ■嬢の名がでてたような気がする、という数ヶ月後の想起メモ。  ラストの(ぼくが。)がちょっと不明だが、そのゲームに勝って相手の賭けたオ■という子をもらうよ、とか口にしていた、かも、ということだろうか。
: 「今日あんまり、授業ノートよく、はげしくつけぬ。すこおし、気力うすれてる。めんどくさがってる。  政経の授業中にこんなことかいてる。」  笑。  激しく書きつけていたんだ、ふだんは。  社会科系の授業は、大ぶりの妄想がわきやすいので、そうなるのかもね。
: 「大労組を大老〜とかこうとした。」  誤記は思わぬ取り合わせをしてくれて、ときに純粋に楽しい。
: 「状况 状況 ?」   状況、としか変換しないな。况は、異体字扱いらしい。
: 「独」  けものへんの、三画目は、右上がりか、左下がりか。  ネットで調べたら、左下がり。加えて、三画目は、右側が突き抜けてないようだ。(waka君の手書きは突き抜けているが)
: 「ミサオ  男にも女にも?  男の名にも、女の名にも、」  辞書の語義の並び順を見ると、時代が下るほど、女性の貞節という色合いが濃い。  男女差別をいとう現在、最近なら、かえって、男性名にもしやすいかもだが、親が男の子にあんまりこの名はつけない気がする(矛盾するようだが)。  この名の男児がいたとしたら、誕生以前に名前が決まっていた場合(占いとか、襲名とかの事情、祖父母の世代のなにかのこだわり)だろうか。  秤にかけて、ちょっとちがうからやっぱりやめよう、というほうに傾く度合が小さくなっている、現在、最近は、というていどか。  微妙。
: 「イト■■、大学行く気。」  イト■■君は文学クラブ仲間。  そして、劣等生仲間のつもりだったのに?
: 「ノートのこのページのまん中あたりから、ちょっと右にかけてよごれてる。  自転車のるとこで、よごした? (自転車のるとき、これかいてた?)」  たしかにそれらしいよごれ(の痕跡)がわずかに見えるな・・  (スキャンしたこの画像でははっきりしないが)  (本項時点では、右側はすべて白紙だったから、もっとはっきりしたんだろうけど)  → すでに下校したのかな。自転車に乗って。
: 「駑馬 どば  だば?」  どば。  文字面からは、暴れ馬かと思うけど、驚ではなく駑。  足のおそい馬。にぶい馬。だそうだ。(精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006)  ※ ちなみに、謙譲の意味で「駑馬に鞭打つ」という慣用句があるとか。いちど使ってみたい。
: 「ぼうさんかんざしの意は?」  調べると、お坊さんが女子のためにかんざしを買った、というそのままの意味らしい。  どうやら実話が元。艶っぽいけれど、江戸時代末期にあったスキャンダルで、しあわせな結末ではなかったよう。  お国自慢のよさこい節で歌うあたり、おおらか、剛毅な土地柄だね。  (江戸末期だから、ちょうど坂本龍馬がいたころなんだ)
: 「なぜ日本の奧さんは、山の神とよばれる?」  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006 によれば、 〔 (1) 山を守りつかさどる神。やまがみ。  (2) 「やまのかみまつり(山神祭)」の略。  (3) 山の精。やまこ。魑魅(ちみ)。  (4) 妻。特に、結婚後年を経て口やかましくなった自分の妻のことをいう。  ・・・  [語誌] (1) は農民に豊かな実りを約束する守り神であり、民衆にとって最も近しい土着神(地祇)の代表であった。それだけに、天皇を中心とする神々(天神)の系統からは異端視され、(3) のように妖怪扱いを受けることもあった。 〕
: 「卓球気持ちよかった。」  連日やっているようだが、この感想は本日二度目。  昼休みの直後(前頁)一度目を書いて、帰宅後(本項)また書いている。
: 「新聞 たいくつじに 死に」  となりの領域に、切り抜き記事貼り付け。  ・・  退屈で死にそう、という決まり文句はあるけれど、これは、いたましい。  ・・  町名は別なのに番地が一致しているのは偶然なのか、誤記なのか。  (日付も一致してる)  waka君と同い年、同学年。長男であることも。ノート?  「暗合」を感じている。おそらく。
: 「どうりで腹すいてると思ったら、まだめしくってなかった。  → この使用法は?   昼休みは卓球」  たらでつなげるのは、結果と原因が逆となってやや変だよね。 書くなら、どうりで腹すいてると思った。まだめしくってなかった。  → しかし、どうりで、が後ろ全体、腹〜、めし〜の全体にかかるとしたら、変ではないか。この場合、どうりで、のあとに一呼吸あると自然。  なお、道理で、であり、通りで、でないので、ひらがなは、どうりで、で正しい。
: 「旧体育館にはいったとき、人いっぱいいて、今日もだめか、(きのうは前がH・Rだったので、4時間目からつかってた人もいたし、こちらもおそくて、皆とれなくてすみでやる。)と思ったが、 それは工芸の生徒だった。ラクラク。でもしの■■先生こわかった。」  皆とれなくて、は、waka君の卓球仲間(将棋同好会仲間と重なる)がそれぞれの教室からやって来るんだけど、だれも場所なり道具(ネットや卓球台)なりを確保できなくて、の意でしょう。(waka君や会長さんはマイラケットだけは持っていった)  この日も出遅れたかと思ったけど、たくさんいたのは工芸(芸術の選択科目)の長びいている授業の生徒たちで遊んでいるわけではなかった(何か旧体育館で制作をしていた)。楽々確保できたよ、と。  (飯も食わずに出ばってきたようだから、ある意味フライングだけど)  よって、しの■■先生は工芸の先生かな。まだ授業おわってないんだから控えろ、とかにらんだのかも。
: 「おせんべから、ガラスのはへんみたいのおちたので、これは?!  と思ったが、どうも糖分の結晶したもののよう。」  これを書いている自宅の勉強机の上に。
: 「ビハインドとは?」  おそらく、ラジオで野球放送が鳴っている。  あるいは、引き続き新聞をひろげていてそのスポーツ欄か。
: 「明日はマラソンなのを突然思いだしてしまった。   明日がマラソンなのを・・・ (?)」  waka君は、学校で走らされる長距離走のことをぜんぶマラソンと呼ぶ。 (体育のふつうの授業なら、せいぜい1500mなんだけど。もちろん苦手)  ・・  はとが、微妙にちがうか。がの場合は、明日こそがそのマラソンなのを、というふう。  なので、突然(はからずも、ふってわいたように、なぜか)思い出したなら、明日は、だろうかやはり、どちらかといえば。
: 「無残な南伊豆を 華麗な南伊豆と、 読んだよ。」  地震の後で無残ということだろうけど、近視でぼやけているレベル、眼鏡を外しているかで。 だとしても、かなりひどい読み違い。  Wikipedia〔 伊豆半島沖地震(いずはんとうおきじしん)は、1974年(昭和49年)5月9日に静岡県の伊豆半島沖で発生した地震。〕 
: 「世論調査の誤差の幅は、いつも 2%?」  決まり文句のように、どれにも、または毎回、誤差2%の注がついていたのかな。
: 「このごろ昼めしおそいから、夕飯少なくする? 少なくなる?」  六時間目が終わるのが三時頃。  掃除があっても、自転車なら十五分だから、三時台には帰着できる。  この日(1974/05/14 火曜日)はそれから、持って行って持って帰った弁当を食ったか。
: 「黒白戦争 こくびゃく  黒人と白人が戦い、黄色人、武器売ってもうける。」  というのはwaka君の思いつき。  語呂がよさそう、が、出発点か。
: 「黒白 : 黒が悪、白が善とはきまってない? 辞書にも、黒白:善悪などとかいてあった。」  日本語では今もそう使われているだろうけど、 アメリカ辺りだと政治的に正しくない(ポリティカル・コレクトネスに反する)とかで口にできないのでは。  → → 興味深いので、Copilot に訊いてみた。 〔 英語表現に、白は善、黒は悪、という通念はありましたか。 あったとしても、現在は、ポリティカル・コレクトネスに反するとみなされていますか。   ⇒ ⇒   英語表現において、確かに「白は善、黒は悪」という通念が存在していました。例えば、「black and white」という表現は、善悪や正誤を明確にする意味で使われます。   しかし、現代ではポリティカル・コレクトネスの観点から、このような表現が問題視されることがあります。特に、人種や文化に関連する文脈では、黒を悪とする表現が差別的とみなされることが多いです。そのため、より中立的で多様性を尊重する表現が推奨されています。   このような変化は、社会全体が多様性と包括性を重視する方向に進んでいることを反映していますね。何か他に気になることがあれば教えてください。 〕
: 「ここがあいたのは、この区間の一番上、新聞のキリヌキ(右)を入れるためあけておいたが、 キリヌイてみると、とてもそのあけたところにはいらず、右にうつしたので、 ここの区間であけた分だけあまった。(ここ、フクセイです)」  フクセイ=清書がらみで、予定とずれてしまった、と。  領域を比べると、切り抜き記事をそっくり右に移したにしては、余白が少ないとも言えそう。  スペースに余裕があるので、清書時に、文字数多めとか、文字が大きめ行間も広め、などとなったりしたのかもね。 (いわれてみれば、2列目下辺の空白に、仮メモ=エンピツ書きの跡がうっすら見える)
 → つまり、この頁のこの領域(2列目)は、当初、上部に新聞切り抜きを貼るための空白があり、その下に仮メモのエンピツ書きが下辺までほぼ埋まっていたと思われる。 が、切り抜いてみたら大きすぎてその用意した空白に収まりそうにないので、隣の3列目に移して貼り付けた。 後刻、時間ができてから、2列目の仮メモの清書をしていったんだが、上部の要らなくなった空白を詰めて清書していったので、このように三行分ぐらいの余りが出てしまったよ、と。 (で、このとおりなら、当初用意した新聞切り抜き用の空白はこの三行と等しいことになるはずだが、さすがにもっと空けていたのでは。だから、余裕があるからと、おおらかに清書したのでは、というのが上の私の見解) そして、「うなじの右に〜」以下の新しい項を、この空白三行を埋めてではなく、3列目に貼り付けた切り抜きの下から始めたのは、新しい項を書こうとした時点ではこの三行は余白ではなくまだ仮メモがあったからではなかろうか。 というわけで、その後、清書した時点で、この三行が空いてしまい、そのままでは謎っぽいので、下辺欄外に「ここがあいたのは、〜」以下の注記を残した。 そういう流れ(清書として仕上がっていった順番)だったと推測する。
: 「うなじの右におデキ。イタイタ。」  見えない。右手でさすっている。  となりの部屋にある女家族らの使う三面鏡なら、確認できたか。  (それでも眼鏡をかけないと、だろうけど)
: 「右とかくべきを右としたよ。 2画目」  すぐ上の行で、書き順をまちがえて、右の本来の一画目が下に長くなってしまった、と。
: 「鯰 : ?」  なまず。
: 「さいわいのときに最も美しく を、 さいこうの日に・・ さいあいの日に・・ }等ときいてた。思ってた。  → いつもは、こっちと思ってる。」  なんだか、結婚式場のPRっぽい。美容院?
: 「よきせぬできごとかずおおく それをきたいのひとりたび キリンレモン? ビール?」   CMソングのもじり?  TVを見てるな。
: 「スターアクションQのCMでは「アキャー Q キュー」といってるのか? ききとれぬ。」  Wikipedia〔 『シャープ・スターアクション!』は、1973年10月2日から1979年12月18日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作のクイズ番組である。 〕  これみたいだ。
: 「かいな、とは?」  腕。  さようかいな、の略でもあるらしい。
: 「うち、8人。大人4人、子供4人。  ■■コは、おばあさんこ。  ■■りは、おかあさんこ。  姉きはお父さんになついてて、  ぼくは、おじいさんにつかわれてる。  ・■■こはむしろ、おばあさん、まもってるみたい。」  同居してる家族が八人、と。  おばあさんは横浜のおばあさんと子供たちは呼ぶ。父の母。  おじいさんは、母の父。  現在存命は、おかあさんと、姉き、ぼく、■■コ、■■り。  この下の世代が九人。  さらに下の世代が何人も生まれているので、一族は繁栄しているほうかも。
: 「お■さんは、もと(?)マンガクラブ。休み時間はいつも体をよこにして、足をくみ、 マンガボンを上にかさねた足の上にのせて、一心にか、よんでるよ。」  いいねえ。  姿よい女子高生が、間近でそんなポーズをとってくれてる。  もしかしたら、天国ってそういう情景なんじゃない(^^)
: 「コケティッシュとは? → 色っぽい」  waka君は、辞書を引くぐらいしかできなけれど。
: 「きれいくて  ?」  美しくて、の類推で口にされてしまう間違い。  うつくしいもきれいも形容詞、と早とちりしそうだけど、綺麗は形容動詞なのだ。
: 「発育のおそい人は、年とってから青春がきて、発育のはやい人がはやめに青春を終えるとしても、 はやい人よりは長く青春を味わうことができない?   そのかわり、子供の時を味わう?」  ふうむ。  理屈は通ってるかどうかわからないけど、リリシズムがあるね。
: 「倒錯という単独な語はなく、倒錯症という語があるのみ?」  などということはないでしょ。  たまたまその辞書で、見出しがなかっただけでは。  というより、waka君が見落としただけか。  → いや、そういうことではなく、感覚的に、倒錯に新造語の匂いがしたのかも。  {明治以降にだれか学者が paraphilia を倒錯症と翻訳し、そこから、倒錯という語の今の意味が派生した}  この{ }内は、waka君の脳内のようすを想像しやすいようにたった今私が創作した偽文だけれど、 こういうふうな道筋が浮かんだなら、本項のような見方にもつながりそうな気がする。  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006 によれば、倒錯の例文は、10世紀。かなり昔からある。
: 「時間 これはしょせん、人のつくったもの   約束 これにもし、意味を認めなくなれば、おれはすごい成長? ( or 奇形化?)   常識 これはまず、ぶちこわすことにも意義ある。」  無頼でかっこいい。  若々しい意気がある。様式がある。  これも詩篇、といいたい。  のたくった矢印まで含めて、書作品として愛でたい。  ・・  時間、約束、常識は現実そのものだから岩のように堅固。現実のwaka君では歯が立たない。  異世界転生したら、存分にやってやる、みたいなかっこよさ、でもある。  ・・  しかし、岩を砕けるとしたら、こういう心の持ち主。  たくさんの彼ががんがんやって、いつか、光が射す。  そのがんがんいう音を聴いているだけでも、元気がでそう。
: 「姉き、アンポ反対とか、そんな本、このごろ、よう、もってるずら。」  安保(日米安全保障条約)反対。  時代の空気だから。  でも、家族からそっち方面に傾斜する者はでなかった。
: 「尺八は自分でつくってならす所がいいのだ。」  「きつくおさえれば高い音がきれいにでる?」  「いつか、 竹取り旅行にいこう。はえている竹、いやむしろ、すててあるたけぼうきの柄をもとめて。」  笑。  夢っぽい希望がよいな。  いつでも始められる手軽さ。名づけもうまい!
: 「文太 : もんた  ぶんた」  菅原文太? 彼なら、ぶんた。
: 「・教室で卓球やった夢。  ・赤ちゃんままの夢。子供たちが、しらずしらずのうちに赤ちゃん生んで育てる。  ・ぼくの友と、チンピラが2、3人しかいない映画館によこからはいっていって映画みる夢。  あと忘れる。」  赤ちゃんまま、は、赤ちゃんのまま、の意だろうが、赤ちゃんママ(赤ちゃんがお母さん)の意かも。としたら、妖異だな・・  しらずしらずのうちにって・・  ヤマ(中学以来の友人)は映画館の息子だったので、一度か二度、従業員用のドアのような所から入れてもらって映画観させてもらったことあった。
: 「ヤル」 「A5■■さんなんかと結婚しようなどとよく思ったものだ。  (前の僕はよく、そんなことを考えたものだ、信じられぬ。)」  A5■■(オ■)嬢に幻滅するようなことがあった?  単に、射精後の賢者の時間?
: 「今日、マラソンだったのに、今、雨の音。(6:35) マラソン中止か?」  もちろん、中止を望んでいる。
: 「雨、またやんでしまったよう。」  うう、がんばれ、雨。  翻弄されてます。
: 「アザヤカ アデヤカ」  にぎやか、きらびやか。すこやか、なんてのもある。  辞書によれば、やか、は接尾語。
: 「知らせる、は使役? 受身?」  受身は、知られる、知らされる、知らせられる?   辞書をみると、知る、知らす、知らせる、それぞれ自立して語があるみたいで、よくわからん・・
: 「agree を、angry ときいて、訳し、戦争のはじまること。英語国と、日本と。」  agree は意見が一致する。angry は立腹している。  真逆? 原文がないけど、たぶん、英国と日本の協調みたいな文意だったんでしょう。
: 「外、新聞とりにいったら、しめったあたたかさ。もあっとしたかんじ。」  五月半ば。  早朝、雨上がり。
: 「arrive reach )この差は?」  両語とも、到着する、の意。  辞書(ジーニアス英和辞典 第5版)を見ても差異がよくわかりません。  arrive の原義は「岸(rive)に(ar)→岸に着く」  reach の原義は「(手などを)差し出す」  arrive は目的地が意識され、reach は到達欲求が濃い、ということ??
: 「すこし前、■■校のそば、はしってておっさんにぶつかりかいちゅうでんとうおとしたとき、 ぼくが定時制の生徒(夕方に学校へはしるから)だと思ってゆるしてくれた?  トランプしにもどったのに?」  自転車でぶつかったのではないようだ。足で走っていて。
: 「シャープペンシル  シャー ペン ソル : オ■さんの書」  シャー ペン ソル という題名の書物、それが、オ■嬢所有なのか。  オ■嬢が著した書き物(かマンガ)なのか。  ちょっと説明がたらなすぎて、見当がつかないよ。  オ■嬢も芸術の選択が書道で、自由課題の時、シャー ペン ソル と墨書した。 これが一番すっとんでるが、彼女ならないとは言えない・・
: 「ついに、はさんどいたエンピツ、どっか、おとしちゃった。 9時33分。学校」  エンピツの続報。これからもしばしばあるようだ。  (そもそも、使い古したチビタエンピツをこのノートに挟んであるだけで、予防策を講ずる気もないようなので、紛失は半ば織り込み済みと思う)
: 「これ  二九 と、よんだよ。」  縦書きでなおそれっぽく見えて。
: 「人生を長い目で、長距離的にみろ、といわれたら、マラソンのこと思いだしちゃった。」  目の前のことに真摯に向き合うのもまた大切。  つまり、遠くも近くも目配りして、正直に誠実に過ごすべし。  遠い先のことだからと無責任になったり、今すべきことをチャランポランとなまけたりは、人としてだめなんだよ。  などと言われつづけると、人生は逃げ場のない牢獄になってしまうので、息抜きは生き抜くことにつながるのさ。  ちゃんちゃん(^^)
: 「しゃがれた しゃわがれた )?」  しわがれた、が元でしょう。  しゃわがれた、はwaka君の脳内合成のよう。
: 「今日はしめってていやーなあたたかさ。気持ちがわるくなるような。」  低気圧、ということもあるのでは。
: 「nigeria : ナイジェリア  ニガニアとよんだ。」  Wikipediaによれば、 〔 ナイジェリア(Nigeria)という名は同国を流れるニジェール川(Niger River)から採られている。 〕  〔 フランス領西アフリカの一部であったニジェール(Niger)と、イギリス保護領ナイジェリアから独立したナイジェリア(Nigeria)の2か国は本来、同じ地域を指しているが、旧宗主国を異にする両地域が別々に独立した際、似た国名ながら別々の国になった。 〕
: 「おれはおとこだの コウジのみょうじは?」  ドラマの登場人物のことでしょう。  正解は、小林。  Wikipedia、 〔 『おれは男だ!』(おれはおとこだ)は、津雲むつみの漫画。また、それを原作として森田健作主演により日本テレビ系列で1971年から1972年にかけて放映されたテレビドラマ。  ・・・  キャスト ・小林弘二 - 森田健作  ・・・ 〕  本放送は、waka君が中学生のころか。  → 本項の35年後、2009年から千葉県知事。
: 「信迎 迎×」  迎の中央辺の爪のあるなしが気になって、と思う。  しかし、そもそもが、信仰と書きたかったのでは。
: 「縮小を縮少」  辞書はどちらも正解。
: 「ラップ この意は? タイム?」  ラップタイムの略。これは、lap。  ラッパーやラップ現象なら、rap。  ラッピングフィルムは、wrap。
: 「〜しているかもと 〜しているかとも )」  〜かも、と。 〜か、とも。 はっきり別。
: 「うまし  ・・・ ・・・ ・・・ せんぱくな」  相当に謎な、仮メモ。  うまじ、とよめるけど、辞書になく意味不明。  うるじ、かもしれないが、海幸山幸の神話に出てくるのろいの言葉とのことで、関係なさそう。  となると、やはり、うまし、か。  辞書によれば、うまい(うまし)には、あまい、しまりがない、まぬけな、という意味もあるとか。  これなら、浅薄につながるかもだが・・  (古文の授業のときかなあ・・)
: 「A5■■さん、こんどは、B1G2を、うしろでまとめて、また(カミガタを)かえたよ。 昼休みのおわり、卓球より帰ってみて知る。」  こんなに気にしてくれる男子がそばにいるんでは、オ■(A5■■)嬢も髪(B1G2)の調えがいがあるのでは。  あなたの視線なんか気にとめてませんけど、という素っ気ないふうなんだろうけど。  (もあっとしてしめってるので、涼しくしたかったってのもありそう)
: 「今日の卓球も気持ちよかった。」  うん。  快音とともに打ち合って、爽やか。  悪くない習慣だ。  (同じ運動でも、結局「マラソン」は走らされたのか。  明記なしだけど、中止なら喜びのコメントを残すと思われるので、いやいやながら走ったんだろうなあ。たぶん)
: 「自転車のってて すごくきれいな女の子みて ころび 意識不明。 気がついてのち、その女の子と仲よくなる。 たのしい日々  ある日、これは夢だと気ずく。そして悲しむ。しかし、目はさめず、夢みつつ死ぬ、」  字がうすくて難読。  学校が終わったかどうか辺りだから、夢見ではなく妄想メモなのか。または、創作メモなのか。自転車に乗りつつの、ひらめききを得ての。  ・・  起承転結のある、はかなげな小話になってる。  ラスト、悲観して間もなく息絶えた、と読めば悲劇だけど、 夢だけれど覚めない夢だったので、その女の子と一生を添いとげた、と読めばそうでもない。
: 「明年 : こういういう方もある?  : よみは?」  あくるとし。または、みょうねん。
: 「ぼくは授業中 鼻の下 指でなすってばかり。  はなくそなどないとは思ってたけど、今なすったら、まあるいはなくそついてた。」  笑! 苦笑。  そんなこともあるんだね。  (もしかしたら無精髭に絡んでた? 恥辱、困ったもんだ)
: 「VIENNA : ウィーン?」  ウィーンのことなんだけど、英語発音は、ビエナとしか聞こえない。(ジーニアス英和辞典 第5版 (C) Taishukan, 2014-2015 で聴く)  ドイツ語 Wien(ヴィーン)を、英 Vienna(ヴィエナ)、仏 Vienne(ヴィエンヌ)は発音から写し、日本では文字から写したってことのようだ。(参照 Wikipedia)  日本語表記での発音、現地と全然違う。  中国の人名を、日本語での漢字発音で読むのに似ているか。
: 「このごろのCM、中の人が、パッと形をきめてから、こんなことする私って、と、ちょっとワライクズレルようなの多い。」  絵面はなんとなく見える。そういうノリが流行ってたとしても、一瞬だろう。  いわゆるメタ、入れ子スタイルってことでよいか。  当然、演出なのだろうけれど。
: 「ヘアードレス  カツラのこと?」  Hair Dress という熟語があるのかどうか辞書などに見つからないが、字義から行けば、髪を整える、つまり、美容院というのが近そう。
: 「おじいさん、とりと■■こがあそんでる所、「鳥は(カゴの)中、入れとけよ、そうもちだすな。生き物なんだから。」と いって、しまわせる。  ■■コ、あそんでるのでなく、いじめてるのかもしれないけど、さあどうなのだろう。  でも、人と人なら、たとえあそんでいるのでなくても、いじめていても、その一方を、カゴに入れちゃえとはいわんずら。」  おわりの一文、結びとしては違和感だね。(時代の空気なのか、waka君の年齢なのか、祖父への反発なのか)  今ながめると、祖父の指導、正しい。かわいがりすぎるな(いじりすぎるな)、という意でしょう。  人と人の場合、いじめいじめられだったら、互いを引き離す方策はあっていい。  やりすぎの遊び、深すぎるじゃれあいなども、直感でまずいと思ったら、介入すべきかも。
: 「平安の女性、つなげ字しかかけなかったのか?」  どうなの?  個々の字を理解していなかったわけはないのだが、 たいてい、つなげたまとまりで手がおぼえていたということはあるかも。
: 「スモウ場でのアナウンスはNHKのアナウンサー?」  国技館などの場内アナウンスのことだろうけど、さすがにちがうだろう。相撲協会とNHKはまるで別組織だろう。  (waka君の相撲観戦はNHKで見るしかないので、そんな気もしてしまったか)
: 《 枠の中に多足ふうの何かの絵 》  絵のラフスケッチ、構想よりは着想ってところでしょう。  数十年後の、http://waka.konjiki.jp/katali/asi.htm ここの絵が似てる。
: 「NHKのアナウンサー、スモウ担当、野球担当、etc が、きまってて、その担当をNHKにいる間ずっとやるの?」  長期間、やるみたいだ。でも、かならずしもそれだけってこともないみたいな。  しらべれば多少事情は見えてくるかもだけど・・
: 「スモウでは、かちっぱなし同志はあたらないようにする?」  「スモウの番付はどうやって決めるの?」  「スモウじゃ全勝同志はあてない?  やっぱあてる?」  なぜなにばかり。(私、現在もよくわかっていません。 ^^;)  この年、〔 五月場所(蔵前国技館・5日〜19日) 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(13勝2敗,2回目)〕Wikipedia。
: 「てらだ? てらおそう 漢は? へんな字?」  Wikipedia、〔 寺尾 聰(てらお あきら、1947年〈昭和22年〉5月18日[1] - )は、日本の俳優・ミュージシャン。所属事務所はホリプロダクション→石原プロモーション→寺尾事務所(自らの個人事務所)。父は俳優の宇野重吉。 〕  聰。へんな字(笑) にしてはよく、デジタル文字(第2水準)に残ったね。  異体字が、聡。こちらはなんと、第1水準。  てらだは、寺田農か。てらだのう、と覚えているが正しくは、てらだみのり、だそうだ。
: 「いっしょ(に)住む  一生 住む」  外国からきた娘にかたことの日本語で「いっしょすむ」と言われる。  そんな妄想が浮かんだ。(妄想までおやじ化か・・)
: 「「だれかがあたしのことひそかに想ってるなんて、ロマンチックだわ。」 アカ・アオ・キイロより、   こんなふうに考えてる女の子ほんとにいるのかねえ?」  微妙だ。  しょせん男(の脚本家)の期待という気もするし、口にはださないけれど女子の心中に芽生えはする感情かもという気もするし。  アカ・アオ・キイロは、TVドラマか、マンガの題名っぽい。  が、今検索してもそれらしきものヒットせず。


 ノリチャン、きのうの夜、今日のマラソンにそなえて、神社のとなりの公園でちょっと走ったんだって。 よく、警察につかまらなかったなあ。

 しかし、ノリチャンはかっこいい。女の子にもてるのだ. ノリチャンみたいに天才タイプ、かつ女の子をあまり近づけない孤独なような人のいいような人。
 きのうの、いや、月ようの物理のとき、■■じょうさんがノリちゃんのとこに、 ここの回路どうなの、おしえてといってきて、ノリちゃんやってなかったので、ぼくのみせる。 ぼくは器具にかいてある配線をそのまま書いただけち。 「あってるかどうかしらないよ。」と■■じょう(■■しょう?)さんにいう。■■じょうさん、チラとこちらをみるのみ。 いったん、彼女たちの机にいって、ぼくのだとみたくないのかな、と客観的に考えてたが、 すこしして、ぼくたちの机のとこにきて、みせて、といい、せっせとうつす。
└→ ノリちゃんはぼくのとなり。その問題について、その前にちょっと話してた。

 しかし、今思うと、■■しょうさんは、回路より、ノリちゃんが主なる目的であったのでは? でも、いったん帰ってから、 ぼくがみじめすぎると思い、また、ここの問題ののってるプリント、今日提出だからしかたない、 と思って、またもどり、うつしたのか?
 でもなんでもいいや、もう。べつに■■しょうさんを死ぬほど思ってるわけでなし。
 ゴミゴミ。
 (しかし、美人という声も高い人)
     ↑
 ホン■君は、ぼくが同じクラスになったのでやいてる?
(これは、まったく、軽い気持ちでいったのであって、ホン■君の態度に何か変化あったから、というのでない。)


 神社のとなりの公園、その隅に、交番があるのだ。(ノリミツもwaka君も近所に住んでる)  waka君、ずいぶん、へりくだってる。ぼくなどどうせそういう扱いですよ、というふうだ。 客観的?(^^;  ■庄嬢(エッチャン)がノリミツを気にしていた、好いていたのは、(ノリミツとつるむことの多くなった)waka君からそう見えただけでなく、たぶん本当。  本■君のあこがれの人がエッチャン(というのは以前本人からwaka君が聞いている)。二年生の時、本■君と彼女は同じクラス。三年生、クラス替えで、waka君と彼女が同じクラス。  「これは、まったく、軽い気持ちでいったのであって」ここは「上の 〜でやいてる? はまったく軽い気持ちで今書いただけであって」だと思う。  (俯瞰すれば、本■君が嫉妬すべき相手はノリミツだけど、ここでは無意識のうちにか自分(waka君)にしている。というか、唐突だよね。おとしめられた自分を少しでもすくい上げたいという無意識か)  ・・  ノリミツのマラソン対処から話はつらなって、本■君の辺りになるとそろそろ蛇足っぽい(語りすぎの)雰囲気。  ・・  男子の場合でもね、目当ての美少女に話しかけているとき、となりにいる引き立て役としか思えない女の子をぞんざいに扱う、軽視する、あるあるだもんな。逆の立場ということか。  どういう気持がするのか、よい経験だよ。

※ 『1974/05/16 惟川霊宜』 : 「イ■■ちゃんにそろそろ、サクタロウカス?  テスト前まで返されないかも。 ぼくもよまなきゃ!! 日ようの前、土ようまでには!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  萩原朔太郎の詩集(文庫)。テストに出るかもしれない課題なんでしょう。(下の本文でも触れている)  イ■■ちゃんはwaka君のを貸してもらえると期待している。 この頁は、5/16の木曜日前後。あと数日で読み終えてイ■■ちゃんに渡さなきゃ、と。
: 「はさんどいたエンピツ、あんまり、なくならない、なくならないとぼくがいうから、自分から、おっこちたの?」  チビタエンピツの心情を憶測しています。
: 「木で面をつくり、それをかぶりながら、物語を書く?  物語の中の役者のそれぞれで面を変える? できあがった面から物語を考える?」  ありだな。突拍子もないようだが。  当時は結局、実際に面を造形したりはしなかったが。
: 「コーヒーのんで汗でてきた。」  カフェインを摂取すると交感神経が活発になるため、らしい。
: 「このごろのフクセイだけでもおわらせぬかぎり、勉強が手につかぬ。」  心記の紙面がすっきりして初めて、ほかのことも十全にできる、と。  依存症っぽいか。(例えば一服してすっきりしてから○○をしようとかに似ている)  こう言ってるわりには、右の2列目3列目などは、エンピツ仮メモがそのまま残っているけど。  (おそらく、青ボールペンで清書を済ませた所も少なくないのだけど、やりきれなかったものが残ってしまった。このあとやろう、あしたにはやろう、と思いながらページはどんどん先に進み、いつしかかえりみられなくなって)
: 「中学のとき、中■先生、机 教卓 にあったぼくのソプラノ尺をみて、《図》 こういうのや、《図》 こういう歌口はみたことあるけど、《図》 のようにしかくい、うたくちはみたことない、といったよ。」  waka君、わざとそうしておくような生徒ではないので、つい忘れたか、悪友がいたずらでおいたか。  数学の中■先生は、本式に尺八のたしなみがあったみたいだ。
: 「このごろ、まるで勉強せず、おきていて、今日はてつやでフクセイやるのだ、と思い、 その前にちょっと仮眠と思って、12時頃ねて、そのまま。6時頃おきて単語しらべ。」  勉強のみならず、いわば趣味であるフクセイすらちゃんとやらないで、惰眠に落ちる。  寝過ごして朝になってから、最低限やっておくはずの英語の予習がまだだったとあせる。  なんだろうね。  意思の力では抗しきれない、なにか、日々成長していこうとする若い肉体の動物的な欲求のようなものだろうか。  そう考えれば、眠くなるのは当然だしむしろ健康的で、しょうがないんだけど。  しかし、ちゃんとやってるらしい学友たちと比べると、どこかまずいのかも(^^)  学校から午後四時頃には帰宅できるはずだから、それから深夜になるまでの八時間は何をしていたのか、ということになるわな。
: 「トイレにいったら、その物音で、■■コの、インコなく。」 「インコ≒ウンコドリ」  深夜、上の妹の寝ている部屋の前を通ったら、籠の中で目ざめたか、インコの鳴き声がしたよ、と。  ウンコドリというのは、世話をしている上の妹がたまに使う呼びかけ、と思う。
: 「「私の気はあなたにしかないわ。あの人には、わるい気もないけど、別にいい気もないわ。」」  この「あの人」ぐらいの扱いでもゆるせるな、という、へりくだりメモかも。
: 「マラソンのためか、おきたら、フクラハギいたい。」  前日、5/15日、やはり走らされていたか。
: 「スレイプスレイプ グリップエロップ リー (おまじない)」  今検索しても、ヒットせず、詳細不明。  英語圏の俗語、俗謡なんだろうか・・  だめだ・・ いくら検索しても、レイプ関係ばかり(^^;;  前項の「フクラハギいたい。」のつながりからいくと、いたいのいたいのとんでけーの英語版?  (ただの、waka君の自作かもね)
: 「いくらなんでもイスラエル、子供まで死なせるはめにすることないだろう。」  あの辺りで、何か騒動があったか。この日前後の新聞紙面などみられれば、見当はつきそうだが。  前年秋が、第四次中東戦争。
: 「男の胸にもブラジャーははめられる? 女のだけがでてるわけでない?」  そりゃ可能だわ。  胸の脂肪の少なめの女性と胸の脂肪の多めの男性、ほぼ一緒だもんね。  (もちろん、着用経験はありませんぞ。私は)
: 「きのうのテレビの映画、おもろかった!! 3:00から12チャンのやつ。」  下辺欄外。後刻、なぜか、このあたりに挿入したく思ったようだ。  何という映画だったか、ネットで調べようとしたけど、あまりに昔か。すぐには見つかりそうにない様相・・  これも当日の新聞のTV覧みるのが近道か。  → (購読している読売新聞の)読売オンラインで認証うけて過去記事をみればいいのかも、 と軽く考えていたんだが、結局のところ、過去記事閲覧は別途料金でこれが高い、高すぎる。つかえないわ〜  昔は(何十年も昔は)、図書館で年ごとの縮刷版が見られたんだが、今もあるんだろうか・・  → 仮に現在は新聞社が縮刷版の発行をしていないとしても、二十年前ぐらいまではあったなら、 図書館が廃棄するとは考えづらく、五十年前の記事をタダで見られる可能性は高い。  しかしながら、すでに、調べ物をするために図書館に出向くというのがたまらなくおっくうな体質になってしまっている(苦笑)。  なまけものでけちん坊な私には、敷居高めか。
: 「しかし、田■さんも強制的に詩集をよませるなんて、不粋 ぶいき なことするなあ。」  不粋はぶすいがふつうの読みか。ぶいきも辞書にはあるが。  上辺メモの、萩原朔太郎の詩集。  文学クラブ顧問でもある田■先生、この年のwaka君らのクラスでは現国を教えているようだ。
: 「窺ひ、: よみは?」  うかがい。うかがひは旧仮名遣い。
: 「また、フクセイできなかった!!」  と項を残しておけば一種の免罪符になった気がして、以降ずらずらと仮メモをつづけた、放置した、とか!?
: 「女の子との未来を考え、けっこんし、平和にくらすとこまでいく。  しかし、その朝交通事故。そうしき。空想で次に考えるべきそうしき。女の子はないてくれる。」  仮メモ、言葉たらずだなあ。  今、その女の子がいるということだけが現実で、あとは全部未来の空想ということでいいのかな。 自分が死んでしまったあとの葬式で女の子が泣いてくれている。そこから先はひろがらないか。
: 「きのう、 いと■■のうしろの人が、イト■■のむねの所をさして、「それインキンか?」ときく。  イト■■、なんとかいいつつ、その手 その人の をどける。」  異様なメモだな。  文学クラブ仲間で温厚なイト■■君でも、指さされてインキンと言われたら怒るでしょう。 うしろの人、実在したのかと思えるほど変人。何かがおかしいから、これは夢のメモなのかも。あるいは現実だけど、うしろの人のセリフはインキンではなく、別の語で、それを聞き違えたか。
: 「ぴったり みったり むったり」  みったり、むったり、は聞かないな。waka君の口が言っただけ。
: 「こしいてえ〜 (マラソン? 卓球?)」  若い身体がミシミシいってるみたいだけど、こうして痛めつけるから再生して、筋肉がついていくはず。
: 「宮■さんはよく質問、発表し、■■ツカ、オ■両女史はあまり発表しない。」  そばの席の女子たち。  宮■嬢は、あだ名がイモネエチャンだけど、わりとととのった顔立ち。 世話好き。放送クラブ員で(交代制だろうけど)献身的に皆のための放送を請け負っていたよ。
: 「銀河をいんがという人いるよ。 発音してしまう人いるよ。」  まれには発音してしまう、まぎらわしく発音してそう聞こえてしまう、などがあるかもしれないが、頭では、銀をいんとは読んでいないはず。  むしろwaka君の耳の感度がいまいちなのでは。すこし離れていたりすると。
: 「(英)」  英語の授業ノートにある仮メモをここに清書しよう、ということらしく、3項目分の空白。  その1項目めの空白に、「くわしくは他のページで!!」 「ギンガ■のセツメイ、」  このギンガ■〜は(■は読めず。系か)、前項のことそのもの、または関連、なのかどうか。
: 「机、ぼくのとなりすこし前に  ぼくのためのたたかい?  )→ こんなキラクなこと考えてたら、 じいしき、かじょうになり、こういう、おそろしいチジョクを得る。」  こういう、から上の ギンガ■のセツメイ、または(英)の空白(1)辺りへ矢印。  ・・  ううむ。ぼくのためのたたかい? というのは、女子がぼくをとりあってる、などという妄想をいうか。  そういう気楽な妄想をしてたら自意識過剰になって、ならばつながる。
: 「 → これだけのものを得たから、当分はもうこないだろう。」  ここだけではよくわからないけど、3列目の記載と合わせると、 これだけの恥辱をやらかしてしまったからには謹んで当分はもうやらかさないはず、それだけでも救いだよ、と自ら慰めている。
: 「腐 くさったにおい  を、 臭ったにおい」  一瞬、何が間違いなのかわからなかった。(臭の下部、犬が正しいのかなど思ってしまった)
: 「女性ホルモンあるほど、超能力者? 女性の魅力は、無意識の超能力による?」  と思えてしまうことのある男子高校生。
: 「色がなくなる、 を  色がこくなるとよむ.」  一字違いで逆さま。  waka君としては高得点なミス。
: 「便覧」  わかりやすいような目次、ではなく、わかりやすいように概括した冊子や書物。辞書によれば。
: 「A5■■あshi、机についてるときも、くむ。ああまでかっこつけなくていいのに。  つけてるのかなあ?」  オ■嬢の脚がどうにも気になる、と。  仮メモなので敬称略のよう。
: 「環元 ?」  環の右下がどうも曖昧、と。  しかしこれ、正しくは還元では?
: 「A5■■   人間どもあつまれ、もって、帰り道をあるく    2千万円あたって、500万で山買う。 女、大学中退、」  これは、関係ないメモの羅列なのか、一つのストーリーの中の断片なのか。
: 「漢」  漢文の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、3項目分の空白。(3項目めはすこし飛び地にある)
: 2列目の くわしくは他のページで!! から矢印で、 「A5■■さんの目ばかりきにしたのでぼくと思う? A5■■とぼくと、■■ざいさん一直線。  ミヤ■さんの目を見ればちがうことわかった?  《 位置関係図? 》」  オ■嬢、waka君、■■ざい嬢、宮■嬢、の位置関係を表わすらしい図。  推測するに、女子三人が自分の席についたままおしゃべりとかしていたわけだが、オ■嬢と■斎嬢の線上に席のあるwaka君、オ■嬢に話しかけられたかと思い、受け答えをするという「おそろしいチジョク」行為をしてしまったのでしょう!  これは、やってしまった。(■斎嬢が一番離れた所に席があるようだから)同情するけど。  ・・大急ぎで否定して、あやまって、あとはうつむいていたか。せめて、なんでもない小ミスと笑ってごまかせたか。  (しかし、女子たちからは心中みえみえだろうね。ずっと。おお恥ずかしい)
: 「九重 宮中 >ゴロもあってる! }これはすこし前にかくつもり.」  ここのえときゅうちゅう、語呂は合ってないよ。  だからこれは大幅な省略がある。  / いにしへのならのみやこのやへざくらけふここのへににほひぬるかな  伊勢大輔 /  百人一首にもあるこの歌が授業で詠まれ、 ここのへ、この掛け詞的用法を語呂も合ってると言ったのだと思う。(!がついてるから、waka君としては発見したのかも)  →  うーん、もしかしたらだが、九重を きゅうちょう と読めば、宮中 きゅうちゅう と酷似する、ということを発見したか!?  でも、それはちがうよ、waka君。 脇道に外れている、確実に(^^;;
: 「犬が、 クワカカクワーン カカカカーン と朝なくでしょ」  なくのだ。耳に残ってる。  都会ではもう無理か。  というか、ある程度コンクリの街だからこそ、響いたのか。
: 「ふじじゅんことは誰?  《 絵 》こんなかみがたして、かすれたような声でうたうのはふじじゅんこじゃない?」  だった気がするが、似た姿の歌手もいたかも。  → 藤純子(ふじじゅんこ)は女優。現在は富司純子(ふじすみこ)。1945年生まれ。  → waka君が見て聴いたのは、歌手、藤圭子(ふじけいこ)だろう。1951年生まれ。(ただし本名は純子。のち、宇多田ヒカルを産む)
: 「H組のひの■■先生の授業の長いこと。」  ひの■■先生は将棋同好会の顧問だが、例会に顔を出すことはまずなかった。  数学の先生、waka君が授業を受けたこともほとんどない。  3年C組のwaka君が用事でH組に行ったわけだ。  昼の卓球に、将棋仲間の会長さん(あだ名、H組)を誘いにいったりしたのかな。 四時間目の授業がなかなか終わらない、と。  → あるいは、めずらしくこの先生の授業をうけてその長さ(はみだし)にあきれた、という報告かも。H組の担任の、という説明をつけて。(実際にH組の担任だったかどうかの裏はとれていないが、今)
: 「自分で自分の本を買うのはいいけど、人の本買うのはやだ。  同じ出版者の同じ作品でも、本それぞれによってニュアンスがちがい、人によって、好みもちがってくるだろう。 それに、もし、その本にしみやおれめやきれめなんがついていたら、自分で買ったならあきらめられるが、 買ってもらったのなら、買ってくれた人にすこしく不快を感じてしまうだろう。」  本好きの繊細なところ。waka君が特殊ともいいきれない。  が、しかし、本項は、言い訳の匂いがする。  誰かに本の購入を頼まれたが断わった、断わりたかったが受けてしまった、そういう時の嫌だという気持の理由づけをしたかったのでは。  要は、本とのつきあい方のイロハなんだから、最初からまちがえないでくれよ、となじっているのだと思う。  (私物の中でも、身と心に近接、密着するほどのもの、という把握。  人によっては、ただの印刷物、紙製品、消耗品だったりもするのだろうけど。  言い替えれば、waka君は自分の本を、人に買ってもらいたくはないってことだろうね)
: 「昼休みは弁当をくうより休息の時間があるという事の方が重要だろう。 (このごろ昼休みに弁当くわぬので、そんな気。)  → 休息or息ぬきorお遊び」  早弁してまたは後まわしにして、昼の卓球の場所取りとぞんぶんに打ち合う時間を作ってたりしている。  (弁当をつくってくれないとか小食とかそっち方面の理由はwaka君にはないのだ)
: 「茶の間110番(よみうり)の最後はいつも「と、同センターでは言っている。」」  その読売記事の、なかば決まり文句になってるわけだ。  記事作り(話題あつめ)のパターンが毎回同じ(というよりそのルートだけ)なんだろう。  (もしかしたらこれは、新聞紙面ではなく、TVまたはラジオの番組名かも。今検索してもヒットはしなかったが)
: 「宣布者 : よみは?」  宣布はせんぷ。公布、流布の意。
: 「浴衣 ゆかた : よくいとはけしてよまぬ?」  辞書では、よくい、も立項している。  ただし、よくいと呼ぶときは、近現代において、入浴の最中や後に身にまとう衣を指すようだ。  ゆかた(ゆかたびら(湯帷子)の略)もだいぶ昔は(今でいう)よくいだったわけだけど。
: 「わきが、とは?」 「今日、書道のスミすってるとき、右のわきの下、ちょっとツンツンいたくなる。」  わきがは無関係でしょ、痛感だから。  一時的にリンパが腫れたりしたか。  (今検索すると、この痛み、軽重様々な理由が考えられるそうな。しかしちょっとだし、やり過ごしてなんでもなかったはず)
: 「人間どもあつまれ → 会長さん、」「こんどから卓球、互いの所に行かないで、おわったら、即体育館にいく。」  「「カラフト 1945年夏 氷雪の門」をみよう!!」  頁上辺エンピツ書きメモ。  waka君所有のマンガ本「人間どもあつまれ」を会長さん(あだ名。将棋仲間、卓球仲間)に貸そう(または貸した)。  これまではC組かH組で合流してからだったが、行く場所は決まっているし、一刻も早く場所とりもしたいので、四時間目が終わったらそれぞれが直接旧体育館に向かおう。 こういう合理的な(ドライな)提案はたぶん会長さんだ。  カラフトは下の本文にあり。
: 「鈴なりぞく 電車 バス のわきにひっつくやつら?」  鈴なり族か。戦後すぐぐらいの買い出し列車などでの? (waka君はもちろん記録映像でしか見たことないが)  ※ おそらくこの辺りからはもう、週刊朝日を読みつつ記している。将棋やマンガ以外の一般の雑誌を学校にもっていくことはまずない。よって、帰宅している。
: 「■野先生は人に好かれるようにならなあかん、というけど、 人をあまり好かない人と友になった、人を好く人は、 その友との約束、例えば、「ここにはおれたちだけでこよう。」を守るために、 他の友とのつきあいが、うすれるということもあろう。  一方たてれば他方が立たなくてあたりまえ。たてる方を多数の方にする必要もまたない。」  ふむふむ。  まちがったことはいっていない。  先生の一般論と、一隅にある生きた事情と、よく目配りできている。  まさにそういう友人の心当たりが脳裏にあるのだと思う。  (うーん、同じ学年の会長さん、同じクラスのノリミツ、中学は同じでつきあいの続くオニシ、三人とも群れるのが好きでなくて当てはまるところがありそう。 waka君はそういう友とつながりやすかったのかなあ・・)
: 「幸恵 コウケイ さちえ」  人名ではない熟語としては、辞書になしかな。
: 「虹彩 : これ何?」  当時はまだなじみの薄い語だったか。  今は瞳のそれとはわかっているけど、的確な説明がさらっとは浮かばない。辞書にお任せしたい。
: 「肝煎りさん」  言い替えれば、世話役さんだけど、辞書によれば、かつて役職名や職業名でもあったらしい。
: 「賽神!?」  週刊朝日、様々な話題が載っているようだ。  賽は、神仏に礼拝する。(身近な語なら賽銭にもある。賽の河原もこれ)  賽神は直接的には神への礼拝、御礼の意。  だけどどうやら、音からか、塞ノ神(道祖神)にも通ずるらしい。  文脈しだい、か。
: 「男性のポートレートとは?」  これも聞き慣れない語だったようだ。  肖像画や肖像写真。ひろげて、その人物の紹介記事。
: 「男が人間を代表。 男がすなわち、男と女を表わす。 女が男と女を表わすのは新しいタイプ?」  例えば人間を象徴する簡略画(シンボル)があるとする。  昔はたいてい、その輪郭は男性の姿だったはず。  ごく最近、前世紀から今世紀、そういう簡略画の場合、男女一対になってきているのでは。  無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)による差別だったという理由づけも生まれて。  しかし、新しいといっても、人間を象徴する姿に女性だけを用いる域にはまだなっていないようだけど、 例えば、日本の大昔の土偶にはそれがあったりする。  長いスパンでは、意外と、めぐりめぐっているだけのような気もする。ちょっと面白い。  (つまり、差別のある昔から差別のない今やこれからへ進歩するのが当然の定め、なのではなく、 差別、言い替えれば、様々な感じ方が消長しているだけ、だったりするのかも)
: 「モナリザ展でカバンあずけたとき、中、見られた?」  上野にモナリザ鑑賞にいったのは、5/8。一週間以上前。  突然思い出したんだろうな、あのとき気になったけどすぐ忘れた、このことを。  入場するときに持ち物検査があったんだろうか。 観覧者は大勢いただろうから、検査といっても一瞬と思うけど。 waka君が大切と思う私物(おそらく最たるものはこの心記ノート)が警戒されたり恣意的な興味をもたれたりもまずなかったと思うけど。
: 「おぞい?」  おぞい(悍)なら、おぞましい。こわい。悪賢い。など。  おぞい(鈍)なら、おそい(遅)から変化した語。  と辞書にある。
: 「通添 : よみは?」  辞書になし? 通信添削の略か??  https://ameblo.jp/imai-hiroshi/entry-11972488873.html  〔 ・・・ 1980年代まで、通添は受験の世界の定番であり花形だった。 ・・・ 〕  ここに懐古風な文章あり。
: 「惟川■◆」  篆書風なんだが、■◆は読めず。  →  http://codh.rois.ac.jp/tensho/se arch/ 「篆書字体データベース検索」  ここで解析すると「惟川霊宜」である可能性が高い。それでも意味は不明。  惟川という地は霊宜である(みたまがよろしい)ととりあえず解釈したが、無理め。詩篇の一部なのか、献辞のようなものなのか。なぜこの書体、どこから書き写した、等々今となっては謎だらけの四文字。
: 「薮 : よみは? 「薮の中」アクタガワ」  やぶ、という訓はさすがにわかっているのでは。  音は、ソウ。  手元漢和辞典では下が數の字体で載っているが、19画とあるので4画の草冠。デジタル文字 藪 は3画の草冠なので18画。  熟語では、藪澤(そうたく)、淵藪(えんそう)など。しかし、なじみなし。
: 「エスプリとは?」  esprit(仏)。  魂。才気。機知。  wit(英)とほぼ同義のよう。
: 「グラマラスとは?」  現地語では男女ともにいい、魅惑的なの意。  日本でのグラマーなという用法は、肉感的な女性(胸と尻が豊かで色っぽいオンナ)という意味ばかりになって、ずれているようだ。  ちなみに、高校授業科目でもある Grammar と、この glamour(glamor)は別物。  ・・と思って、念のため Copilot に確認してみた。


Grammar と、 glamour(glamor)はまったくの別物で、関連はないのか?

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実は、grammar(文法)とglamour(またはglamor、魅力)は歴史的に関連があります。元々、grammarは「書かれたものの学問」を意味していましたが、中世の農民にとっては、読み書きの能力がほとんど魔法のように見えたため、grammarは超自然的またはオカルト的な知識と同義になりました1。
その後、grammarは「魔法の呪文」や「魅力」を意味するglamourに変化しました2。この変化は、音声的にLとRが非常に似ているため、音が混同された結果です2。今日では、glamourは魔法を指すことはありませんが、魅力的な場所や人々について話すときに、その魔法のような感覚が比喩的に生き続けています2。
興味深いですね!他にも知りたいことがあれば教えてください。


 へえ。ほほう。きいてみるもんだね。
: 「週刊朝日はおもろ。 モリオもよんでる週刊朝日。」  モリオは高校友人。
: 「よばい  求婚するという古い意もある。」  ほんとう。  辞書にある例文は、古事記!  今は、夜這いとしか書かないが、元々は、呼ばう(の連用形の名詞化)だという。
: 「しかし、このノートだれか他人によまれたら、おおそろしいなあ。」  このつぶやき、しばしば出てくるね。  あまりに多いので、むしろ読んでほしいのかと疑いたくなる。
: 「春団治とは?」  Wikipedia、〔 桂 春団治(かつら はるだんじ)は、上方落語の名跡。〕
: 「「カラフト1945年夏、氷雪の門」をみにいこう!!」  この年公開の日本映画。  Wikipediaで内容がわかるが、記憶にないので、ついに観に行けなかったようだ。
:   「ホスピタリティ 厚遇」  歓待の精神。おもてなし。
: 「玄米はなぜ、売りしぶられる?   精米するとき薬をつけるから?  お米屋さんは「米をまたたべたくなる薬」だなどとおしえられているが、実は、まるでちゃう?」  裏事情通のような言説だが、週刊朝日の記事の感想か派生なのだろうが、いかにも、まゆつばな。  →  しかし、今ネット検索すると、精米改良剤というのが実際に存在するようだ。  あやしいが、根も葉もないネタではなかったのかも。
: 「超能力はウソなの?? ガガガ〜〜ン。でも、信じたい。」  「それでも、ぼくが超能力者になって、日本国民にいることを示したい。」  「週刊朝日の写真ほんとにだれか(例えば超能力者の■■■■じゅん君)超能力者ということになってた人なのか?  そうだという証拠なきゃ話にならん。どこか、記者のガキつれてきて、写真とりすべての文面創作してもいいのじゃないか。」  スプーン曲げをする超能力少年。  このようにwaka君も浮き足立ち、ほとんど信じ、暴露記事を読んで混乱するほどの、ブームというか騒動があった。  思い返せば、大衆があんな風に(核心の少年とそれを祭り上げるマスコミに)のせられてしまうなんてむじゃきといえばむじゃき、こわいといえばこわい。  → Wikipediaによれば、『週刊朝日』1974年5月24日号「科学的テストで遂にボロが出た! "超能力ブーム"に終止符」が該当記事。 waka君の目の前には、この号が開かれているのだと思う。
: 「アメリカ合衆国の地理的な形は、というか、地図でみるアメリカの境界線からうけるかんじは、 やはり、雄々して、ずっしりしている。」  雄々しく、か。(雄々として、ゆうゆうとして、かもしれないが、悠々または優々が正字)  あの姿、はたしてそうだろうか。  国境の形だけなら、同じかあれ以上の印象を受ける国がいくらでもありそう。  半分以上、いやほとんどは、内実を知る心がそう見せているのでは。
: 「曙 : しらべ  あけぼの あかつき )?」  あかつきは、暁。
: 「一重 : とは?」  ちなみに衣服では、ひとえは単と書くのがふつう。  (表だけの一枚の衣がひとえ(単)。裏付きの衣があわせ(袷))
: 「このごろ、巨人の星はかかさぬ。 今日は週刊朝日、2回分よんだよ。」  巨人の星のアニメは1968〜1971年放送なので、アニメだとしたら再放送。 (夕方頃、平日毎日。初放送のときもみているはずだから、再視聴でもあるはず)


     ┌午後
 今日、物理のはじめ先生がでてきてから、ちこくしてはいってきたオ■さんの笑顔はかわいかった。
 しかし、あのかわいらしさ、ほんとにはじめて彼女の顔にみとめたようなあのかわいらしさを 僕以外のだれかはみとめなかったのだろうか。 みとめなかったと決め、どうして、彼女のかわいらしさを他の人はみとめないのだろうと不思議がり、 そして、心中、たぶんぼくが彼女を好いているからさと、意識しているようなこの私。
 でも、あのぱっと、はなやいだような、そして、笑いたくなるような、 そして、ちこくしてしまったとてれかくしているようなあの顔、 もう、このあとの一生みられないのかしら?
 女の人はそれぞれ、いつもではないけれど、ときどき、 その人のあるかわいらしさ、美しさを、他に表わすのではないかしら。 女の人のそういう発現をどれほど見られるか、どれほど高い物を見られるかが、 男として、どれほどよりよく生きられたかになる?


 昼休み、卓球より帰りくれば前の引き戸のとこに、 宮■さんがたってて、そこを通ろうと思えばオ■さんもたってる。 二人の間を通り、席についたのち、彼女ら二人も席につく。 二人とも、ぼくの帰りを待っていたのか、などと考える。
  ↑
 どうして、このごろ、こんなフザケタクダラヌコトバカリ思いつくのか?


 オ■嬢の笑顔、べたぼめ。  話は前後しているはず。昼休みの終わりwaka君がぎりぎり戻ってきたときはオ■嬢も教室にいたわけだから、 午後イチの五時間目も最初からいたと思われる。六時間目の物理のアタマに、席に戻るのが遅れたのでしょう。(もしかしたら移動教室のため)  遊びとはいえスポーツが習慣化しているってのは、いい傾向。  健康的に発散しており、フザケタクダラヌコトバカリ思いついても多少なら許してあげたい。


 右どなりの小■さんと宮■■さんの影響大なため、左の遠くにいるカ■■さんのこと、 もうほとんどキガカリにならぬ?
 タ■■さんのことも、となりの二人がいるため、なんとなくうすれた?
 しかし、ろうかですれちがっても相手もぼくも、あいさつさえかわさなくなった、 タ■■さんやモテ■さんとの2年のときの友としての交流を思うと、シラケルナア・・・・。
 よく、ちょっとした事を話し、ちょっと笑い、交流し、あいさつをしたのに、このかわりようはなんだ。
 これはまったく、愛とかなんとかとはまったく無関係なのだが、どうして、 クラスがちがったためだけで、こうも変わってしまうのか、ぼくも向こうも。 はっきりいって、勉強の面でも、共同体の面でも、関係がほとんどうすれきえて、 交流し、あいさつする理由がなくなったためであらむ。 でーも、知人にはかわりない。あいさつぐらいできれば、心にこんなふうにひっかかることはなかろうに。
 1年や2年のクラスが同じだった男子とはわりとあいさつできてるよ。 でも、どうも女とだと、しらける。 ことさらにしてもいいのだろうが、よけいな意味をくまれてもこまる。
 そこで、ぼくは心の中のすっきりしないものをいくらでも軽減するため、 いつもほんのかすかに目であいさつしてる。相手の目をみてちょっと顔面をうなずくようにする。
 これはあいさつなのだ。ウィンクの変形でもなんでもありゃしない。みなさん誤解しないで。 (といっても、誤解したところで、あんな人、困るわと、めいわくがられけいべつされるだけなのだろうけど)

 男子とあいさつするときは手をひらいてだして、「やっ」という。
 (しかし、前のクラスメートなんて、ロウカでちょくちょくすれちがうから、あいさつするのめんどうになる。 でも、しなきゃ、心がすっきりしない。)


 毎日そばにいる、小■嬢に、宮■嬢にも少なからず、あてられつづけているので、 かつて気にしていたカ■■嬢、あのタ■■嬢ですら、もうなんかかすんでいるよ、と。  ・・  いくらでも軽減するため、は、いくらかでも軽減するため、か。  ・・  タ■■嬢とはクラスがちがっただけなので、ふつうの別離とくらべると、むしろ顔を合わせすぎるということだろうか。 いちいちちゃんと挨拶するのは(男子と女子でもあり)もう何かやりすぎで、といってなにもしないのもこのようにひっかかる。 そういう中途半端に、まだ経験の浅い高校生男女がとまどってという図なのかも。結局なんとなくやりすごしてしまう。  大人でもちょっと決まりがわるかったり、そばの部署に異動したときとか。あたりさわりのないひと言ふた言を交わせれば挨拶代わりになったりするんだが、距離感が調っていくんだが、ああいうのって思いのほか難度高かったのかなあ。
: 「お話。  Aさんが、心記の存在を知って、  「■■君、それ何なの。」  「はは、ただの日記だよ。」  「知ってるわよ、いろんなこと書いてあるんでしょ。みせて。」  ■■君、首ふる。  「だめ? 見せてくれたら、あなたの奧さんになってもいいわ。」  「ハハ、これを読まれたら、読んだ人をなんとかして奧さんにしようとするよ、僕が。」  → もちろん、これほどの一大辱恥詩を外にもらさぬため。」  お話、というより、妄想だね。  額面通りなら、この取引はwaka君の儲けかも。  お互い嘘つきみたいだから、見せるだけ損かも。
: 「Aさんを、A君さん.」  前項で。
: 「週刊朝日を週間朝日。  これかこうと思ったが、すこしの間、忘れてた。」  前頁の二列目にある。
: 「前の を 今の とよむ、感じる。」  この列の上から四行目。
: 「どうもぼくの字、よみにくくなった? もっとはっきり、よみやすく書くようにすべき?」  ということで次項から、きっちりした文字で。まもなく元の木阿弥だが。
: 「私たちはまったく、適当な事を信じてる事が多いのではないかしら。たとえば、名声のある人は、正しいことをする、とかいうようなこと。   もっと、他の例が、みつけられない。考えつけない。書き印せない。 (なぜなら、上にあげた例こそ、適当な事だと思い、適当な事に気づいてから、上の例をさがしたのでないから。)」  例えば、本に書いてあることなら正しい。例えば、母親は子を無条件で愛する。例えば、国家は国民一人一人のためにある。  耳にタコなぐらい聞かされている建前のいいかげんさ(適当さ)を、検討したり疑ったりせずに、当然のことと盲信していやしないか。と。
: 「このごろは朝起きてから、一時間ぐらい、ふとんの中で、目をとじつつ、 女の子との愛のはじまり、発展、完成を、たのしく空想している。それがとてもたのしく、起きるのがヤになるほど。」  まあ、特異ってこともないでしょう。  妄想のテーマが、愛とか異性なのは、この年齢ではふつう。  歳ふるにつれ、とてもたのしいのが、金になったり、命になったりする。
: 「あなたをあの人とまちがえた。   あの人をあなたとまちがえた。   上と下、意味同じくとることも可能なのでは?」  いやあ、ちがうだろう〜  上は、まちがえてあの人と思ってしまった。  下は、まちがえてあなたと思ってしまった。  あなた、つまり眼前の人と話しており、あの人との交換はできないのでは。  あなたとあの人をまちがえた、あの人とあなたをまちがえた、ならば言えるだろうけど。
: 「ふすまのあいてるへやで、これかきつつねっころがり下腹をボリボリかいて、おきてみえれば、 姉さんとなりのへやの机にすわってるよ。  ラジオ 姉きの。 の音、きこえていたのに。   姉きといえど、気づかれたら、恥だなあ。ぶしょう、ふけつ、とみなされる。」  親しき仲にも礼儀ありだけど、あるていどの不精、不潔はわかっているから、姉きはたいして気にしてないと思う。
: 「トイレはいったら、外で誰か女の人が、ハナーヨメハヨギシャーニノオオッテ  と、歌っているのを聞いたよ。高い声だったずら。」  1971年のフォークソング。「花嫁」
: 「超能力を盲信した反省として、超能力は嘘だとする情報を徹底的に疑う。」  なるほど。  超能力は本当だという情報はもう地に落ちているが、 嘘だという情報もしっかり検討し尽くせば、もう真相は動かないだろう、と。  わかる。くやしかったんだ。
: 《くねくねした線画》  頭を使って描いてはいないな。  手なり指先にまかせて、遊んで。
: 「ぼくのしゃつほとんど切れてたり穴あいてるから、新しいの買ってくれないかしら?」  親がかりなわけだが、買いに行くことすらしない。甘えてますなあ、高校生にもなって。
: 「ヤングという言葉嫌い。」  今はもう死語化しているか、日本語としては。  でもだれもが忘れ果てているので、現在はまだだけど、そのうち復活するかもしれない。
: 「先日、お姉さんに、ナナメ前の女の子は(オ■さんのこと)休み時間になると、 いつもマンガよんでるよ、といったら、おおかた家じゃよめないんでしょ、といった。 そのときはそうとは思わなかったが、今思うとそんな所があるのかもしれぬ。」  それだけじゃないだろうけど、授業中もマンガ開いてることあるし。
: 「前は、このノートに日付をつけるとき、時計狂っててまちがえてつけて、 ある項目がちがう日付にはいっちゃわないかしらん、と、たまに思った。」  今は、そういう細かいことは気にしてないってことかな。今は、時計が正確だから安心しているといいたいのかな。  今がどうのより、前、そういうことを気にしていた、ということを単に記録しておきたくなったか。
: 「鼻の穴が 《 絵 》 という形になるのは鼻の頭が肥大してる場合。」  waka君の鼻がまさにこれ。  が、日本人一般とかで法則化できるかどうかはなんともかんとも。
: 「ぼくの国語辞典かわいいけど、ぼろぼろぐちゃぐちゃになってる。」  角川の国語辞典。あまりにくたびれて頁も抜け落ちだしたので、同じ角川の国語辞典を新たに購入したはず。  高校生のうちになのか、もっと後になってからなのか、記憶はあいまい。  → その新たに購入した国語辞典、今も手元にあるが(これももうだいぶくたびれているが)、 奥付に「昭和五十一年 一月二十日一四四版発行」とある。 高校は昭和五十年三月卒業。早くてもその後のようだ。
: 「卓球のおかげで生活締まってきた? でも、夜の勉強時間は、もうほとんどない程?」  卓球したために、夜の勉強時間がなくなった、という因果関係は言ってないはず。  生活が締まってきたと感じているが、そうなのになぜか、夜勉強する習慣はなくなってきている、か。
: 「諦める」  これは前項で締の字を使ったので、そういえば諦というような字もあったはずと調べたんだと思う。  
: 「スモウの名、オトコヤマ(男山)にすりゃいい。  相模? ×  相撲」  相撲の競技名ということでなく、醜名(しこな)を一つ思いついた、と。  相模では、さがみですな。
: 「スモウ、競技大会でスモウやるのは2つの理由によりやだ。1つは、一般的に、皆やりたがらず、 ぼくもどちらかといえばそちら。でも、こっちはそれほどでもない。 もう一つは、皆、やりたがらず、えらばれても出場しないため、僕自身としては出ようか出まいか (出てもいいと思ってる、えらばれたから、でなきゃなあ、と思ってる。)  迷い、たとえでても皆、やる気があって出てるのでないので、ぼくも何か一団となって戦うかんじがえられず興ざめ。 といって、皆のとおりでないと、ギムをおこたるようで先生におこられるようでやだ。」  歯切れがわるいなあ。  そもそも、裸の胸と胸をくっつけあって押し合う、というのが、男同士とはいえ恥ずかしいよね、どうもね。 waka君の胸、ぷっくりしてて女の乳房を感じさせてしまう恐れもあるしさ(^^;;  というような本音を隠しているから歯切れがわるいのか。  いやいやいや、実際、すもうとったとき、あいてに「おっぱいみたい」とか言われた(口走られた)ことあった気がするなあ・・ 
: 「クシャミ3度、風呂出ておきてるから、カゼひいたのか?   あの、ハナミズのでる、カゼにはなりんたくない。」  「たとえ、今勉強できなくとも、今の健康さが保てれば、(勉強すれば必ずカゼをひくというわけでなくとも、)あまり多い。」  耳慣れない言い回しだが、今の健康さが保てれば十分おつりが来る、という意でしょう。あまりある。
: 「ずっと前、カセットLL買わなくてよかったあ!!  あの時は決めたけど、お父さんお母さんが抵抗体となり、すんなりいかなくて、買わずにすんでしまった。 あのときは強く買いたいと思い、買ってしまっていたなら、 自分のしたこととあきらめていたろうが、ぼくのお金ひどく減ってしまっていただろうからなあ。」  英語教材、カセットテープ群とその再生機器のセットだった。 広告をみてよんでまったくその気なったwaka君だったが、 高額のため、郵便貯金をおろさねばならず、通帳と印鑑を保持している母親に話したら、 やめておけと忠告された、押しても押し返された、ということがあったはず。  で、そのときいったんあきらめたところ、その後熱は冷めてしまい、後日、本文当時はもう、買わないで正解だったと反芻するまでになっている。  ということ。
: 「被相続人を相続人と、同じ意にとってしまうよ。  ちがうんでしょ。」  まぎらわしい。たしかに。  相続の対語があればわかりやすいんだが、なぜかないため?  (相続人に継がせた立場のものは、死んでしまうとか、一線を退くとか、さえないので、脚光を浴びない。それゆえ?)
: 「さかん、とは?」   左官?
: 「呂 呂」  2字目は頭に点がついてる。
: 「though → thongh」  筆記体でまぎらわしくなった、と。
: 「teach を teech」 「しかし、英語は、覚えるのたいへん! 大嫌い。」  表音文字なんだから、teech でいいじゃん、とか思うよね。  でも、英語民にとっては許されざるいいかげんさなんだろう。  日本語民が、だろうであってだろおじゃないとこだわるのと一緒か。
: 「批難 非難」  辞書ではどちらの表記もあり。  ちなみに、難に非ず、では意味が逆なので、否定し難じる、なのか。
: 「フットボール 足」 「サッカーの語はどこからきた?」  辞書によれば、association football が正式名で、「サッカー(soccer, socker)」はその学生俗語とか。
: 「ぐわしょ」  楳図かずおのは、ぐわし。  本項はたぶん関係ないと思うけど、元気ある掛け声を発したので、書き留めた、かな。
: 「坂の所で、朝、自転車とのたくってる のぼってる とき、フ■君とあいさつ。」  校門前のあの坂を自転車でのぼるとき、まさに、のたくるという感じになった。
: 「■■じょうさんは中国的ようぼう。」  わずかに雰囲気がそうなのか。  日本人、中国人、韓国人、など、外見上の差異は具体的には言えないと思う。まとっている空気に差はある気はするんだけど。
: 「Intermediate  m × In ○ }?」  中間の、中間にある、中級の。
: 「尊敬  これでいいのだっけ?」  本文の尊は頭の二点がない。
: 「譲歩 : 」  本文の譲は、右上の点が二つに見える。
: 「彼が求めていると思うからです。  彼が求めていると、私が思うからです。  求めていると、彼が思うからです。   どっちにもとれるが、前者にとりたくなる?」  微妙。  彼が求めていると彼が思うからです。は、畳語気味で不自然。よって、自然な前者にとりたくなる。
: 「生活 らいふ とあったので、そういうよみがあったのか、と思ったが、こりゃ lifeのことでしたっち。」  ふむふむ。  勘がわるい、と言えばそれまでだけど、振り仮名をふるなら「ライフ」だろう、ふつうは。  原文筆者はかっこつけすぎ?
: 「イ■■ちゃんに中也のの詩集かしてある。ぼくが、サクタロウよみおわったら、とっかえようという。 (とにかく二人で、そういうことになった。)  ぼくまだ、ほとんどよんでない。イ■■ちゃんから、とっかえようといってきてくれればいいと思ってる。 1つには、中也をよみおわっている場合のイ■■ちゃんにはやくサクタロウをよませて、 なるべく、イ■■ちゃんに支障を感じさせぬため、また1つには、 ぼくははやく中也をよみたいんだ、という、イ■■ちゃんのワガママ、エゴイズムをみたいため。」  なにか変だね。ラストは、ぼくははやくサクタロウをよみたいんだ、でなければ、筋は通らぬが。  それに、一つ目は親切なやさしい気持ちなのに、二つ目は一転、やけにいじわるだ。  ぼくの本なんだし、ぼくははやく中也をよみたいんだ、というわがまま、エゴイズムな本音がある。 これ、自分自身にも見せたくなくて、あからさまに文字にできなくて、倒錯したような姿になっている、とか。  いずれにしろ、試験対策なわけで、詩人や詩集への愛はうすそうだ。


当頁 2024/09/09(月) 〜