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1974/05

 


















1974/05/06 もう一方の足につけて台をつくり
 
















1974/05/11 クチ
 






















1974/05/13 校庭のバックネットの右
 


















1974/05/16 惟川霊宜
 
















1974/05/18 このはみだした所を、
 














1974/05/19 というブランコだと、
 


















1974/05/22 :ほんとなら、いろんな形にみえるはず
 
















1974/05/23 工芸室のそばに
 














1974/05/25 こんなのはこれ?
 
























1974/05/27 イスがすべって、
 
















1974/05/28 Aの分の子は1.5人。
 
















1974/05/29 と手をくみあわせて、
 




















1974/05/30 この夢のお弁当は、
 













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『1974/05/06 もう一方の足につけて台をつくり』 2024/09/09(月) 〜
2024/09/16(月) 〜
2024/09/23(月) 〜
『1974/05/11 クチ』 A、B 2024/09/30(月) 〜
『1974/05/13 校庭のバックネットの右』 2024/10/07(月) 〜
2024/10/14(月) 〜
2024/10/21(月) 〜
D、E 2024/10/28(月) 〜
『1974/05/16 惟川霊宜』 2024/11/04(月) 〜
2024/11/11(月) 〜
2024/11/18(月) 〜
『1974/05/18 このはみだした所を、』 A、B 2024/11/25(月) 〜
『1974/05/19 というブランコだと、』 2024/12/02(月) 〜
『1974/05/22 :ほんとなら、いろんな形にみえるはず』 A、B、C 2024/12/09(月) 〜
『1974/05/23 工芸室のそばに』 A、B 2024/12/16(月) 〜
『1974/05/25 こんなのはこれ?』 2024/12/23(月) 〜
『1974/05/27 イスがすべって、』 A、B 2024/12/30(月) 〜
2025/01/06(月) 〜
2025/01/13(月) 〜
E、F 2025/01/20(月) 〜
『1974/05/28 Aの分の子は1.5人。』 A、B 2025/01/27(月) 〜
『1974/05/29 と手をくみあわせて、』 A、B 2025/02/03(月) 〜
『1974/05/30 この夢のお弁当は、』 A、B 2025/02/10(月) 〜
C、D 2025/02/17(月) 〜

※ 『1974/05/06 もう一方の足につけて台をつくり』 : 「さかなは両面を一回ずつ焼くのみ。」  母親のうんちくを(調理手法をうのみで)メモしたか。
: 「「控え席」という字が、\控え席 とあるので  控き席 とあるよう。\」  控え席の縦書きを横から見たので、えがきに見えた(たぶん席の頭の点が、きの終わりの一画っぽくなった)ということらしい。
: 「アンパイヤは、ストライクのとき、「ゥアーッ」というだけ。」  笑。  そうだよね、そんな感じだよね。
: 「アルトマンは、ジェントルマン」  アルトマン姓は、検索すると有名人だけでもぞろぞろ。今となってはよくわからない。  単に語呂がよいというだけかな。(waka君の独創というより、TVかラジオで流れていた宣伝句なのでは)
: 「石どうろうの穴から、日のあたって、かがやいているうすい葉どもが見える。」  実景と思う。  waka家の庭に、一本、立っていた。
: 「キャベツ、1枚むくと、中、なーんかグニュグニュしてる。」  それは、腐ってます。
: 「コカコーラの宣伝にでてきてギターひいてるまのびした顔の男、キライ。」  笑。  だれだか知らないけど。
: 「トロは何の魚? マス?」  〔 ・・・ 鮪(まぐろ)などの肉の脂肪の多い部分。脂肪が非常に多い部分を「大とろ」、それより少ない部分を「中とろ」と呼ぶ。  ・・・ 〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  大きさで大中なのではなく、脂肪の多少なのか。知らなかった。
: 「中原まこと名人は、・・・ 」  当時の絶対王者。
: 「右手の、《 絵 》 ここがいたい。 卓球のため? 将棋さしたため?」  この絵がちゃんと右手なら、痛いのは、てのひらが上向きのときの、腕の内側ってことになる。  (しかし、ぱっと見だと、左手の甲側が描かれているように見えてしまう。てのひらの掌紋とかをはしょってるから)  (さすがに、将棋の指しすぎで痛くなるってのは、ないんじゃない?)
: 「今日はNHKの将棋講座の棋譜もおってみたいし、文学クラブのにも書かなきゃならないし、あしたの予習もしなきゃならないしで、てつやしたいよ。」  ふむふむ。この 5/3(金)は憲法記念日。翌日 5/4(土)は狭間の登校日か。  やりたいこをやりきらないうちにもう夜中になってしまったよ、と。
: 「将棋で、どんな手で投げてやろう、というとき、その意は?」  ふつう、将棋で投げる、なら、投了の意味だけど、戦う前から負けっぷりを考えておくというのは変。表の意味としては。  どんな戦法で挑もうか、驚かそうか、遊ぼうか、などの意だろうな。  そして、投了=投げるも当然意識していて、結果的に負けてもいいから暴れてやれ、というような意気も匂わせていると思う。
: 「東大に医学部なんてあった。」 「東大理Vて、なに?」  ネットで調べると、すごい所みたいだ。今も。  理系の秀才たちのあこがれの場所なんだけど(とくに医者の息子たちはまわりに強く期待されているらしいが)、waka君はわれ関せず。よく知らないようだ。  (なまけものでめんどくさがり屋なので、あんなしんどそうな職業はまったく眼中になし。苦労して目指すやつらの気が知れないのだ)
: 「なんで皆、医者なんかになる。 あーんな疲れるようなものに。!!   みーんな、ぼくより数倍、美しい心をもっているからなの??」  競争だからてっぺんをめざす(てっぺんが医学部というだけで医者になりたいわけでもない)という動機のやつもいるだろうが、半分ぐらいは、親が医者だから継がざるをえず、あたりではないのか。  waka君の頭に最初にうかんだような、世のため、人のため、美しい心で医者をめざすというのは、ごくまれか。やっぱり。  (少なくとも、そういうまれなる美しい心ばえ(天使)、最難関医学部に受かる稀少頭脳(悪魔)、二つながらあわせもつことがほぼありえない気がする。ありえてほしいけどさ)  (ちなみに、waka君の将棋仲間の会長さん(あだ名)は、医者の息子。見事、現役で東大理三に合格。いっぱしのお医者さんになって今も活躍しています)
: 「ヤラセの親たち :(しらべ)」  これは意味不明だ・・ 文脈から判断したい。
: 「ご同慶のいたり」  お互いにめでたいことです、という意の、挨拶言葉。  ということだけどね、老いてなお元気に再会できたときなどにつかうのが、あっさりしててよろしいのかも。  (要領よく画策して私腹を肥やし、同類相手とさぐり合いつつ「ご同慶のいたり」などとにたつく。なんて場合もあるんだろうなあ)
: 「谷崎潤一郎 ・・・ 「鍵」あんの?」  谷崎の作品の中に「鍵」というのはあったか、の意だろう。  ありますな。  後年、読んだ、読んでない、うーん、わからない。(内容うかんでこない・・ 文庫になっている谷崎作品はほぼ完読しているはずなんだが・・)
: 「死ぬとき、不快をともなわずに大往生するために、日頃から、小便大便をたれながして、それがあたりまえであるように感じられるようにする。 そうなれば、死なんて、ねむりにすいこまれるような気持ちのよさだけなのでは?」  若者らしくない心配、というべきか、若者だからこそのあからさま、無神経、というべきか。
: 「〜の成功にこの二つの点があずかって力大きい ――  こういう語法あるの?」 〔 あずかっ【与】 て 力(ちから)=がある[=を尽(つ)くす]  物事が完成したり、ある事態に立ち至ったりした場合、そうさせたいくつかの要因の中で、あることが特に有力な助けとなったことを述べる表現。(ある結果を招いたことに)深いかかわりがある。有力に寄与する。 〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  あずかって力がある、力をつくす、にすでに有力という意が含まれているので、力大きいでは、畳語的になってしまうのかな。  使いなれていないためか、感覚で判定するのがむずかしい。
: 「まだ、おきてる。ときどきふとんの中で目をあけてねっころがったりしたけれども。   てつやなるか? (12:03) 先は長スギル。」  「しかし、てつやすると、あしたの授業酷になるだろうなあ。」  「今日から、単語暗記やらなきゃいけなかったのに。 きのうから、でした。」  気合いも勢いもないね、徹夜するにしても。  できたとしても、グズグズに(効率わるく成果とぼしく)なりそう。
: 「常識的に美しい女が男にすてられるのをみると、その女の人が、とてもみじめに、同時にかわいそうに思えて、助けてあげたくなる。 でも、美人でないと、べつに道理にあわない、という気はしない。」  爆。  ひ、ひどい・・  しかしまあ、男に捨てられる女をナマで見ているわけではないな、waka君の場合。ほぼ100%、ドラマとか創作物の中の情景。  美人でないと絵にならないというのは観客だれもがわかっているけどことさら口にはしない、おそらく意識もしていない、はず、なのにねえ、この高校三年生は。
: 「電気エンピツケズリ、となりのへやにない。■■リがどっかもってったのだ。夜中だから、人の部屋にはいっちゃわるい。ちくしょう。」  寝静まった家の中で一人だけ起きて、ゴソゴソやってる。
: 「はじめに学校の予習をやると、苦しみをやっちゃったのでねちゃう。  それをあとにまわして、それよりはたのしいことをやっていれば、あとまでおきていられるし、予習はどうしてもやらねばならぬので、結局はやる。結果として、こっちなら、長くおきてられるし、たのしいこともできる。」  先楽後憂作戦ですな。  一理ある。  でも何か変だよ。  (時間経過とともに睡眠欲求は増大していくのに、苦しいけど必須の作業を先延ばしにするわけだから、必須作業が実行できずに眠ってしまう可能性がどんどん上昇いていくということになる。  背水の陣、一種の瀬戸際戦法で、非常時、まれにしか通用しない手法なのに、さも合理的で目からウロコ的な解決策のように感じているところが、あぶないってことになるか。  眠気と疲労と気合いのなさで、もうゆるんでゆがんできてるのかも)  (同じ先楽後憂なら、先にしっかり眠って、起きてからスッキリした心身で対処するほうが、倍ぐらいマシのはず。しかしこれは寝過ごしてしまえば終わりで、まさにそういう失敗を何度も重ねていたので、本項が妙案に思えたのかも)
: 「どんなに遠い星も、どんなに遠い惑星のほんの小さな所も見ることのできる、テレビを大きくしたような機械があったらなあ。 それで宇宙中のおもしろいものを見、他の宇宙生物の生態をしり、ときには地球人の性交をのぞきみたりするのに。 けっして、退屈しないだろうに。  ぼくはときどき、この機械のことを考えるよ。」  どこでもドア、ならぬ、どこでものぞき穴。  テレビを大きくしたような、だから、窓に近い。今なら、モニター。  たしかに、魅力的だ。  ドアではないから、危険もほぼない。  当時で言う、テレビっ子、の発想。  ・・・ それが【 神の目 】ともいうべきマシンだとしたら、現在のパソコンは及ばずながら【 王の目 】ぐらいにはなっていると思う。  よい時代になりました。私が生きている内に、こんなにも速く。
: 「ローマ字の「シ」の字を考えずに、「shi」とかけたよ。」  カナ文字を介さずに、直接ローマ字で書けたよ、と。  しかも、siではなく、shiを。  現役学徒で、英語の she など多用していただろうから、比較的容易か。  (こうしてわざわざメモするまでもないぐらいに思えるが、わずかながらでも進歩を感じたようだ)
: 「今、3時。文学クラブ誌をかいておきているのだ。」  秋に出す文学クラブ誌用の原稿、または、それに転用できるかもしれない文学クラブの回覧ノートの記載、そういうことだろう。  これが、予習よりはたのしいことかな。
: 「だめですねえ。やっぱ、ねてました。」  グズグズに、沈み始めているよう。
: 「doubt を dought」  doubt は、疑う。ダウト。トランプのページワンの掛け声にも使う。
: 「自転車でいくときは20分頃はいきたくない、人が多く、車、自転車も多いから。 5分前はピーク。早くいくか、すれすれにいくかだ。」  八時半ごろが刻限かな。よって、20分というのは、10分前。  登校のイメージが意識されるぐらいの、朝方に、もうなっているってことだろう。  徹夜ができたようではないな。  半睡状態で朝を迎えたぐらいだろう。  朦朧とした頭で、しなければならない予習らしきこともしたのかどうか。
: 「メガネのえが頭にふれた所、あたたかいよう。」  「今日の朝、人少ないので坂、ひっぱらず、おもいっきり走りこしたが、チコクスンゼン。しかし、ツカレター!!  人は1人か二人。男の生徒。」  記述が前後しているか。  男子生徒一人か二人の坂を、思いっきり自転車をこいでのぼって校門を通過したが、遅刻寸前。席についたら、発熱でこめかみあたりがあつい。と?
: 「寝が足りないのはつらい。授業ヒーヒー。頭がかわいているよう。」  しかし馬鹿だよね、昨夜からの行動の組み立てが。 自業自得だが、そういうのひっくるめて押し通せると思ってる。 そして実際、こうやって愚痴りながらも若さでおぎなえてしまう。  ・・この馬鹿さが、うらやましい。
: 「y=a ワイイコールエイ  y=a が、 y^2a や y2a などにみえた。」  =が2っぽくなってる、みえる、と。自分で書いた文字なのか、板書なのか。  waka君の席は前から二番目ぐらいだから、先生の板書自体が紛らわしいのかも。
: 「宰帥の(意は?) よみは?」  Wikipedia、 〔 大宰帥(だざいのそち/だざいのそつ)は、大宰府の長官。唐名は都督、和名は「おほみこともちのかみ」。 律令制において西海道の9国2島を管轄し、九州における外交・防衛の責任者となった。9世紀以降は親王の任官で、大宰府に赴任しないことが慣例となり、実権は次官の大宰権帥(だざいのごんのそち)及び大宰大弐(だざいのだいに)に移った。 〕  つまり、大宰帥と書いてあったのを、大宰・帥 でなく 大・宰帥 と把握してしまったのか、waka君が。  漢字の意味的には、宰帥(サイソツ、サイスイ)という語もあって不思議はないが、ネット検索しても、手元漢和辞典にもみつからず。  前項が数学、本項が日本史のときの記載だろう。
: 「日本史のとき、オ■さんがすごく色っぽく感じる。 オ■さんがテレパシーでぼくの心にそんな気をおこさせたのか、などと思う。」  右前の席のオ■嬢に(美人でユニークで謎っぽいこの女子に)、懸想しつつあるようだ。  (席が近いので本人に紙面を見られるとまずい。エンピツで仮メモをしておき、後刻、ボールペンで明記した、そういう項のようだ)
: 「オカ■君、(3C)よくいうよ。「髪をまとめてんの、すごくきれいだった。教科書借りにいったら、もうおまえに貸しちゃったってさ。」 とか、■■ツカさんに話してる。きっと、タ■■さんのこと。しかし、オカ■君と■■ツカさんて、変な関係?」  タ■■嬢と■■ツカ嬢がなかよしなんだっけ。  オカ■君と■■ツカ嬢は、同じ中学とかで前々から慣れ親しみがあったような感じか。(ほんとに同じ中学だったかどうかは確かめたことも記憶にもないが)  ■■ツカ嬢からオカ■君への思慕があっても不思議はないが、二人の間ではそれはないことになっているという雰囲気のようだ。  ・・・  3年のクラス替えで(恋敵の)オカ■君は同じクラス、(waka君の想い人の)タ■■嬢は別クラス。 (3Cとあるのは、オカ■姓が学年で何人もいるため)  恋がたき、想いびとだったはずなんだが、本項のように間接的にそれをまた意識することはあっても、日常的に直接すがたかたち、言動を目にし耳にすることがなくなって、想いはフラットに、つまり醒めていっているのではなかろうか。  別クラスになってひと月なんだけど、もう、近接域の女子(オ■嬢)の色香にぐらぐらしてる。  waka君はそういう男だ。(後年、ますますはっきりするのだ)
: 「平生  へいせい へいぜい )?」  辞書では、へいぜい、の読みでのみ載っている。  時代は昭和。平成という元号はまだ存在していない。
: 「予習してない英作にあたるのまぬがれた。 ほとんど、(6.25%)しかやってない。」  予習でカバーできたのは、1/16だけだったのに。セーフ、ラッキー、と。  行または段落で数えたのか、概算したんでしょう。
: 「1÷16はわりきれるのに気づいた。 《その手書き計算経過》」  直感的には割り切れる気はしないよね、たしかに。  当たるな、こっちまで来るな、などと念じつつ、怠慢のつけの様相をあらわす数値(6.25%)を算出して、びくびくしてたんだろうか。 (嗜虐的なレベルであるか・・)  どうやら当たらない、まぬがれたと緊張を解きつつ、セーフ、ラッキーの度合を算出して胸をなでおろした、のかもしれない。 (この場合は、結果オーライ、強運で悦にいっているか。方向違いの自己満足といえよう)
: 「黒板の old を old となっていたので、dd とよみ、なんだ? と思う。」  waka君の手書き文字だと、紛らわしさがよくわかるけどさ、英語の先生の板書もヘタクソだったのか?  なんだかなあ、授業ごとに見間違いをするようで、waka君のほうの要因が大きい気がしてきた。  y=a にしろ、大宰帥や old にしろ、ちょっとぐらい手書き表記が揺れても脳内で補正できるレベルなのでは。ふつうの生徒には。またはいつものwaka君なら。  半徹夜明けで、感覚が、乾いている、変に先鋭化している、というふうか。  ・・・  土曜日で、すでに少なくとも三教科は済んだようだから、そろそろ終わり?  それとも、連休の狭間なので特別に平日並みで、午後もあるのかな。  (いやいや、先生の側もそれは勘弁という気分だろう)  (午後がないなら、いつもの週のように、将棋同好会の例会日のはず。しかし、以降具体的な記述はないか)
: 「さま変わり?」  「自繩自縛 :このごろよくつかわれる?」  「クォリティー ・・・?」  「ふくべとは?  ひょうたん?」  四時間目は現国ってところ?
: 「将棋は、100の100乗通りぐらいちがう将棋ができる?」  ネット情報によれば、当たらずとも遠からず、らしい。
: 「今日のオカ■君が、■■ツカさんに話してた口ぶりによると、もうまるで、 タ■■さんの方が彼にぞっこんのよう。だいぶ、いたく、うちのめされたような気もした。 でもいいのだ。いいのだ。 ぼくだって、あまりに多くの人に気があって、その中であの人は一風変わったかんじをもってるだけであったのだから。 ―― などと書いている今でも、もしかしたらほんとうは、彼女の心はこちらに向いているのではなどと、 心の奥のすみで感じている。」  未練といえば未練だが、恋がたきの言動に翻弄されているだけ。  いうなれば、片恋がたきで、あちらから見ればもう、ライバルとして眼中にないような・・  ・・としたらみじめだけど、案外、オカ■君も外面だけの虚勢かもよ。  本当に自信満々ならわざわざひけらかすことはないと思うし。
: 「しかし、まったく「こころ」そのままのようだ、あの関係。 ・・・ 」  と、漱石先生の名作を引き合いに出しているが、やはりあんまり似ていないのでは。  そろっているのは、三角関係(男女男)ということぐらいだよ。  当初の男女に第二の男が関わって、当初の男女に収まるのが漱石先生のほう。  当初の男女に第二の男が関わって、第二の男が奪ってしまうのがこちら。  なりふりかまわずふせいだ男が十年二十年それを引きずって、悲劇が連鎖する、名作。  うばわれた男が何十年もしてから、懐かしがっている、こちら。  だいぶ重さがちがうとも言える。恋はそれぞれ、どちらもありでは、とも思う。
: 「しかし、ぼくも、ほんと、あの人は、きれいだと思うよ。 今までにあったことの少ない人間離れしていない美人だ。 とても、身近に感じられるような顔をして、かつ、よく感じてみれば、すばらしい美なのだ。  いい人にめぐりあえたことよ。心のアルバムにとどめておけるだけでも運のいいことだ。」  そして半世紀、ほんと、この予言通りになっているなあ。  どうしてそんなにいい娘に見えたのか、今ではぼんやりしている。  オカ■君への嫉妬をよむと、なんでそんなうらやむのかと歯がゆいところもある。  当時は魔法の術中にいて、それがwaka君にとっての真実世界なんだろうねえ。  (錯覚といってしまうのは簡単だけれど、逆に、心の目を見開くことのできた貴重な一時期だったのかもしれない。 本項の声を聞いていると、まどわされている、錯覚しているのは、長くまのびした通常の時間のほう、みずみずしさを失っていった心のほうなのかも、という気もしてくる)
: 「下のしきぶとんと上のしきぶとんの間にはさまって服のままねてた。」  変なところにはさまってますな。  猫が狭い所に収まりたがる、あれに似ていたり?
: 「夢、おもろかったが忘れる。 中に、きれいな短歌がでてきたが、そのもんくわすれたのおしい。」  十中八九、たいしたことないんだけど。  夢にみたのは、短歌の文句ではなく、きれいなという感覚なんだよね、たぶん。
: 「生来 しょうらい せいらい )?」  両方あり。
: 「「清閑に夢想す」とかいた紙のがびょう、いない、どこかにおちてるよう。こわいな。  きのうもおねえさんのとこで1つおちたずら。ここら、こわいな。」  これは自作の標語のようなもの。waka君なりの理想的心境。現在も捨てがたいと感じる。  ここでは、留めていた画鋲が一つ落ちてしまって、心乱されております。
: 「「鳥の体はあったかいから、鳥がいっぱい木にとまるとその木は枯れちゃうんだってね。」 みっちゃん、が■■コに話してる。■■コ、あまりとりあわぬ。」  小学生の妹■■コは、お手伝いさんみっちゃんのたどたどしい語りを軽んじている。  はたで聞いている兄には新鮮、ほとんど感心している。
: 「世の、教えを信じないものが生まれかわって、へびなどになり、それがうまれかわって、身体障害者になる?」  世のは、せのに見えるけど、それだと意味が通らない?  言ってることは、迷妄だな。現在こんなことネットにながしたら、炎上ものか。  大昔はふつうに子供を諭すときに使われた理屈かもしれない。  (半世紀前のwaka君も、昔話を採録しているようなつもりでしょう。でどころは不明だが。・・位置的にこれもみっちゃんかな?)
: 「愚かな輩と親しまず  おろかな人とひたしまない。  「あろかものめ」と、その人とひたしまない。」  誤読ひたしむが、継続中。
: 「・石がくっついてきたときは、ぜったい手をぬいちゃだめ。  ・相手が離れてきたら、こっちもはなれて。  ・すみの石をだいじに。  ・とんだらばらばらにならぬようにする。一間とびより多くはとばない方がいい。」  これは囲碁の打ち方だね。いったいだれに教わっているのか。  下の妹■■リが高校生のとき囲碁部に入ったらしく、当時囲碁をうってまるで歯が立たなかった記憶がある。そのときならこうして妹に指導を受けて不思議はないけど、本文当時は■■リさん、小学生のはずだし。  TVの中の指導をメモしたかなあ・・ (将棋講座、将棋のTV対局の後、つけておくと囲碁も始まったはず。この日 5/5 は日曜で放送日だし)
: 「ほけきょうは1回いわれたことがくりかえされるので、安心してよめる。」  文庫を買ってきて、一般教養として読んだはず。  ここでは好意的に書いているけど、そのうちこのくりかえしがつらくなって、三分の一ぐらいで挫折したような。
: 「ぼく研ナオコってキライ。CMにでるな。」  いじわるないい方だけど、好悪のわかれるキャラであることは確かでしょう。
: 「サッカーでは、ボールのもちぬしが変わったとき、選手はふっと集中力が減る。」  受け売りっぽいけど、中学のとき放課後よくサッカーをしていて(waka君はバック専門)、経験をふまえてもいる。
: 「ダブリュエム方式とは、Mが2つ? WとM? 《それぞれ図示》」  前項つながりで、サッカーのフォーメーション。  キーパーをのぞいた10人の配置。  調べると、右の WM フォーメーションが正しい。  (ただし、現在からみると、だいぶ昔に廃れてしまった隊形のようだ)  前項と本項も、TVを見ての聞き書きか。 (この祭日、こどもの日の午後から夜、どうやらwaka君ずっとTVを見てる)、
: 「歌歌いはよく歌詞を忘れないなあ。ド、ワスレなんてやったらハズカシーだっろうなあ。」  これを思うと、歌手という職業も恐いね。  高校球児が土まみれになって守備を練習するように、歌い手たちも心身にたたき込むのみか。  (でもさ、本職の歌手って、一曲歌えればいいってわけでもないよね。何曲も持ち歌があってそれぞれ一切まちがえないって、実はかなり凄いかも)
: 「バッテン(でも、の方言)は、 butより来た。(父さん) あそこらは、長い間、異国とつきあってるから。」  ほんとかよ?  waka君の父親、まじめな顔して、まれに変なことも言うからなあ。  調べると(https://excelll.info/fukuoka-batten)諸説ある中に、「But then」が「ばってん」となった説もあるみたい。へ〜   ふつうに流布していたか。確実ではなさそうだけど。
: 「更迭 : コウテツ?  迭 送 }?  送る、でいいのだっけ?」  更迭の迭は、送とは別字と分かった上で、こう書いているらしいので、迭とみくらべているうちに、(一種のゲシュタルト崩壊をして)おくるが送ると書くのかどうか送るがおくると読むのかどうかしばしわからなくなった、ということかな。  なお、2字目の迭の字は、中身が矢になっている。
: 「今日こそは勉強をと思いつつ、いつもはじめいないぼく。」  ふふふ。  この口ぶり、たのしい。
: 「5/6(おやすみ)」  就寝の挨拶ではなく、休日だよ、といってる。  こどもの日が日曜だったための振替休日。  1973年、本項の前年からこのルールは始まっている。
: 「今日の夢、おもろかったようだが、忘れる。将棋で攻める筋を夢みたよう。こちら、角と馬。だったか。」  「いつも、おじいさん、ぼくのことおこしにくる。」  「徳川吉宗の名思いだそうとして、忘れてるの気づく。」  起き抜けらしく、いろいろ忘れてる。というか、頭がまだ明け切らないふう。
: 「ゆうべ さくや さくばん }わすれる。」  前項に、昨夜はわかっていたのにと付け足そうとして、これらの呼び方がスラスラでてこなかったよ、というつながりかも。  またはすなおに、忘れたのは、忘れてると気づいたのは、昨夜だったよ、かも。(この場合は、昨夜の言い替え語をなんとなく並べただけ)  次項はもう午後だから、振替休日、遅く起きて、遅い朝食をとったらまた寝てしまった、というようなだらけぶりか。  (こどもの日の次にくる日はこういうことになるわな。こういうのを象徴的というか)


 午後のすいみんのときの夢。
 前もある。
 大橋さんという男の人で、ぼくと■■リで、みさきを超能力で曲げる。 家の、僕のおとうさんである、私(これもぼくの心)は、美保さん 女 の所だろうと思っている。 帰ってくる。 超能力のこという。どこでと、父聞く。忘れてて、電話する。まちがう。大橋さんの所へ電話。つながる。 お母さんとぼくと姉きと、■■リ( or ■■コ)でくっといてしまったみさきにいく。 くっつききらない長いわれめ。海。すこしもどってしまった、という事情もあった。 急にくらい情景。同じみさきだが、海は広い池になって、向こう側もあり、みさきの先の方はおはか。 お母さん、「オカモトさんに(おはかにいる)会ってこようか。」という。ぼく「いいよ。」という。 「まったく、オカモトさんていうのは。」なんていってる。 おはかのそばまでいくと、向こう岸から水にじゃぶじゃぶはいってくる、青いドレス(スリップ?)を聞きような人が暗い中に見える。 4人で何か話しながら、帰る。と、空から、白い、大きな、かがやくようなハトがななめにサーとよこぎる。流れ星まがい。 池の水面に消えたような、空にきえたような。 今のはぼくの超能力だ、というが、ほんとにそうならいいと、空をあおげだ、うす暗い空に、針の先のような星が、点、点。 その空の下の駅のコウ内 プラットホーム を歩いている。 今、ここで鳥がとべば、ほんとにぼくの思いそうなことなんだが、と思う。 ■■リ、下におりて、せんろのわきあるく。おりていって、上にあげる。電車くる。 ■■リまた歩き、ぼく、なんでそんなあぶない所をあるくんだと非常に怒る。

└→ つまり、 ハト がとべば、ぼくの超能力のためと思っただろうに。


 支離滅裂的で、ほとんど詩篇のよう。  くっついてしまったみさき、着たような人が、空をあおげば、だろう。  冒頭辺りは主観の宿り先までふらふらしてる。  夢の中身がこわれぎみな上に、これを書いておこうという筆もあせっていて、ピントのずれたままの粗い映像のようなものが、ととのっていないざっぱくさが、なかなかの味だ。
: 「しけんべんきょうするのもくるしけりゃ、それをしないで、それをしてる友をみるのもつらいよ。 つらさは同じ、どっちでもいいじゃんか。」  苦しさは同じ、同じぐらいを背負うならなげだしたい自分を許そう、それでもいいんだ、というほうに傾いているのか。  踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、という論法で同じなら勉強したらいいのに、とうながしているのかな、自分を。
: 「午後ねたため、夕飯が、朝食のようなかんじ。」  朝飯すら食べてなかった? いや、ねてはたべねてはたべ?  せっかくの休日、惰眠をむさぼってしまったのだね・・  (昼間やったことは、午睡の夢を書き留めただけ)
: 「手近の意、コトバでいえないみたい、ぼく。」  てもと、かたわら、などの言い替え語が浮かばないということ?  手近は手近でいいじゃんかとめんどくさがってる、思考が怠惰になってる、というアラーム?
: 「囲碁の棋譜  ぼくのマフラー」  「上野への旅行は いつのことだっけ?」  「古文 単語 }今日から、はじめろ!!」  「古文、課題2つ!! ヤレ、5/7」  「単語 古文 詩集 ワークブック」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  本文にある通り、上野へは5/8、モナリザ見物に行く。 が、さすがに、明日明後日のことを「いつのことだっけ?」はないのでは。 よって、上野にいくのはいつ以来だろう、の意が濃厚。  (千葉〜上野は電車でせいぜい一時間半。これを旅行というのは児童のころの感覚、ということからも)
: 「このみ、すきずき」  これが本来あるべき高校生男子の性分だろうが、  「だれか、きれいで外向的な女の子のあとを、何人もの男子とともによだれたらしてついていく、という身分に身をゆだねた方が平和か?」  とも思うよ、と。
: 「ハトのうんこだらけ ハトのふんこだらけ   ・ワンダラケ クンダラケ フンダラケ」  後半は、ワ>ク>フ という変移を吟味しているよう。  ワンダラケは、ワンダーだらけを掛けているのやも。  としても、フンダラケへと逆算していることになる。  (なので、最初、フンダラケと書いたつもりだけどワンダラケと読めてしまった、そこが起点なのかもね)
: 「バナナ トリニク ゼリー  )KIRAI!」  waka君の三大嫌いは、バナナ、鶏肉、チーズだったはず。ゼリーというのは初耳。  チーズという発語をど忘れして別語が(一時的錯誤で)代わりに座っただけ?  ゼリーもあまたるい上に食感が異でいやだな、と感じることがあったので、新しい三大嫌いを考案してみた?
: 「サワーヤカナアサニ  サワーヤカナアサニ   □□□□□□□□□  → ここの部分ワスレタ   サワーヤカナ日ヘト   → トイレで手を洗いつつうたったが、一部忘れたよ。   “朝の気分” 」  おそらく、「ラジオ体操の歌」であろう。  https://youtu.be/pc5gdt8frHs 〔 ♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ・・・ さわやかに手足伸ばせ 土踏みしめよ ・・・ それ 一 二 三 ♪ 〕  本文をながめながら聴いていると、別歌のような気もしてくるが・・
: 「ぼくがまだ子供のころの、この町が村に毛のはえたようなころの、 もしくは、どこかの海浜(辺)のいなかの、しんせきのうちの、―― とにかく、何か、なつかしいうよう夜のにおいを、 今、戸をしめたときに感じたよ。」  雨戸をしめたときの外の空気に、それを感じた。ということでしょう。  うよう、が誤記っぽくて惜しいな。この三字を省くか、ような、と直せば文はつながるけど・・  なつかし、いうよう、よるのにおいを、と読むと、まあまあか。散文としては変だけど。
: 「ぼくは多くのめしつかいにかしづかれて、つまり、エンピツやふとんや、もしかしたら服やそんなものにかしづがれて、生きている。」  豊かな心だな。  今も基本はそうなんだけど、今はまずは、パソコン君が第一でかつ最強の臣、賢者にして道化。半身未満だが女友達以上には思える。  長くて十年位が寿命で代替わりしていくので、愛玩無生物ともいえそう。  ・・・  ちなみに、愛称をつけてます。初号機、双葉、珊瑚、与ノ助、今年からの新人が金剛。  (将来は、竜、奈々、弥栄、久兵衞、・・名前だけは準備してます)
: 「十八番 : オハコ、とよむ?」  よむのだ。
: 「こんどから、新聞の囲碁の棋譜もとって勉強しようか。しかし、囲碁はどうして、星十一の3とかいうように書いていかないで、みにくい図をのせるだけなのかしら。」  新聞の将棋欄とくらべて。  waka君の場合、囲碁の基礎がほとんど無い上に、打ってくれる相手もおらず、 ごく短い間新聞の囲碁欄を切りとって保存したりもしたけど、 パソコンを扱うようになってからは弱いソフト相手に一人遊びもしたけど、 ほぼ全く上達することなく、今に至っているな。 (劫争いの感覚がまるでわからないよね。めんどくさいのでゆずってしまう)
: 「机のそばの、木バコの上にたくさん、重 オモー イ本かさねてあるが、 その下の方の本とるときは、片手でその上をもっていられないので、 《 絵 》 このように、足をまげ、もう一方の足につけて台をつくり、そこに本をのせて、もう一方の手でとりたい本をとる。」  これは見事な、文とイラストの連携。  (だが、今実際にこのポーズをしてみたら、もう、一本足で不動というのが一秒も維持できなくなってる。 もしかしたら当時も、曲げたヒザを壁か本の山かに当てて二点支持だったのか)
: 「5/6 PM2:00〜6:00 ねる   9:00〜12:00 ボンヤリよこになってる。   5/7 1:00〜 フロ   2:00 今」  黄金週間の最終日、このように無為にすごしたよ、と。  (ただし、waka君は老子にかぶれていたから、無為はそれほど悪いことではないと思っている)
: 「ぼくのマフラーは、あたたかくなって忘れていたが、どこいきやんした。」  「雑音もない、一番静かな時だ。」  「たびたび」が形態変化して「ひびひび ただただ」  凡人的ではあるが、たしかに為す無しのひとときのよう。
: 「単語、5月にはじめて、1月にやっと終わるよ。これでいいのか!!」  単語を、辞書の冒頭から覚えていこう、というたぐいの計画らしいけど、続くわけないよね。そんなつまらない企画。  どうせやるなら、もっと楽しい工夫がなければ。  (あるいは絞り込むとかさ)  ・・  今やるなら、芋づる式に縁語を抜き出していったりとか、枕詞のエキスパートになってみるとか、英単語なら to や for などの前置詞ごとに慣用句を覚えてみるとか。もうちょっと、記号ではなく言葉としてなれあってみたいな。
: 「やめる  や る  やめる−やる=め → 免職 めんしょく」  途中までは理屈がわかる。免職、に飛躍するところが、詩だな。  いやこれも、職を続行する(やる)に免職(め)を割り入れれば、辞める(やめる)になる。という理屈なのか。
: 「め あ  やめる やめる やある やある やる」  こちらは、めとあの姿の類似から、やめる⇔やる が成立するよ、という発見を言いたいようだ。
: 「詩を一編読むごとに、英文一行訳せば、詩はハヤバヤとよみおわるだろう。  単語1つおぼえたら、古文の単語を1つとか。」  当時なりの工夫、アイデア。  同じことを単調に続けるより、まぜて交互にやったほうが、互いに口直しになってつづきそう、だと。  ・・  これは今でもやる。  課題がいくつかあってこなしていくとき、課題を一つずつ気合いで仕上げて皿をきれいにしていくより、つまみ食いしてどの課題も少しずつクリアしていく。  完食するゴールは同じぐらいのタイムになるだろうけど、 心の負担というか、一時の負荷の上限値をそれほど上げなくて済みそう。比較的楽、美味しそう、という気がする。  ・・  力まかせに攻めるより、巧妙に計画的に組み立てて陥落させたいタイプなら後者だろうな。
: 「5時ともなれば外は明るいのであります。ぼくまじめに勉強しておりました。」  静寂、通常の睡眠時間帯、遊び心や寄り道心もおとなしくなって、ようやくか。
: 「3枚目 みな2枚目 カケ!!  いやだ。私のふるさと。 顔をみにくくする 社会殺す」  とかろうじて読めそう、頁下辺のエンピツ書きメモ。  当頁本文4列目にある記載の仮メモでしょう。
: 「どこか遠くで、タクシーの中でねている運転手が、クラクションの上に体の一部をのせたためか、それ、鳴りっぱなし。でも、遠くで。」  この想像、意外とあたってそう。
: 「くそのたけ ばかの山 宿命の対決!」  おすもうさんだ。
: 「ワツイ(テツロウ)といわれると、マツイとききまちがいそう。」  和辻哲郎。 わついじゃないよ。  いわれると、といってるが、だから、それも自分の聞きまちがいの可能性高し。  (相手の言いまちがいをさらにwaka君が聞きまちがいしそうになった、よりも)
: 「何か忘れたような気もするけど、そう重要(なこと)でないだろうから、別に気にもとめない。」  でもここには書くんだ(^^)
: 「伐 : このよみ、意は?  「ウツ」ある?  }しらべ」  あり。  〔 音読み : バツ 訓読み : き・る,う・つ 〕 単漢字情報 (C) 2016 株式会社ジャストシステム
: 「分析を分折とかいたよ。  折ル : ?」  手元漢和辞典によれば、折、析ともに、斤(オノ)で木を切る意。拆(タク。ひらく、さける、とく)、柝(タク。ひょうしぎ)は別字、とか。
: 「学生は勉強し、生徒はならうだけ。 )?」  そんな語感はある。  まなぶもならうも生徒には入ってない気もする。
: 「7:30、池の前に、ノリチャンとまちあわせ。あしたあさ。」  あした= 5/8 は水曜平日なので、学校行事としての上野行きのようだ。  (連休明けで生徒たちが本調子ではないだろうという配慮もありそう)  池は、家の隣の隣の弁天池。(以前、外部の運動場に行く時もそこでノリミツと待ち合わせているはず。ノリミツの家はすぐ近所。弁天池は今はもうない)
: 「あしたは上野のモナリザ。 おわってから、(学校はいけないというけれど)できれば一人で神田の本屋に行きたいべち。  モナリザ、そう見たいわけでもない。パンダはヤルキナ。セザンヌはもうまるでヤルキナ。」  モナリザは当時、来日、公開されており、連日見物人が押し寄せて、騒動に近かったと思う。  学校行事としてのモナリザ観覧後は、現地解散で、複数で行動するなら自由というお達しがでていたんだろう。  で、クラスメートたちは、上野動物園のパンダを見ようとか、(同時に開催しているらしい)セザンヌ展を見ようとか、話の輪ができていたようだけど、 waka君は乗り気でない、なにがうれしいの、状態。 (やるきない : ヤルキナ)
: 「冷める :こうよむ?」  それで、こんな語も浮かんだか。
: 「ワツイテツロウでなく、ワツジテツロウらしい。」  おお、やっと気づいたか。
: 「カイチョウさんはあしたのえんそくのこぎり山にいくのだが、おちるかもしれないので、ロープ−ウエイ〈だっけ?)にのらずに歩いてくんだって。 (たぶん他の多くの人はロープ−ウエイでいくのだろう。)」  なるほど。遊行先は、複数プランからの選択制だったのか。わりと気がきいてるじゃん、■■高。  で、waka君は、上野のモナリザを選んだ。一番疲れそうにないから、だな、きっと。(あるいはノリミツなど友人たちの空気を読んで)  それにしても、会長さん(あだ名)も少々変人だね(^^;  → クラスごとに行き先が違うというプラン(クラス単位の選択制)である可能性もあり。
: 「永久 永遠 }トワ?」  「永久 : 「ながくひさしく」より、「まったくいつまでも」という感じ。  永遠は昔からずっと未来まで、というかんじだが、  永久は今から、いつまでも、という感じ。終わりのない、おそろしいほどつづいていく未来という感じ。」  直線と半直線か。あくまでも、waka君の個人的感触だけど。  ・・・  始まりも終わりもないとなると、ほとんど生身を感じない、清浄すぎて、無と見分けもつかない。神が一番近そう。  始まりはあったけど、終わりがない(見通せない)、となると、生物だよね。うまれたもの、で意味も合致する。  終わり(死)はあるんだけど、体験はできない。ならば無いのと一緒かも。
: 「ぼくこのごろよく、キエー といって、手を動かし、何かをなぐるようにして、バグッと、声で音をだし。」  つぶやき、独り言の、動作付きみたいものかな。足まで動かすと、一人芝居にはいり、心もいっちゃうと憑依、トランス状態か。


 彼は3枚目だったが、ある日気づけば2枚目になってる。 友の3枚目のAも2枚目になってる。 一人の二枚目が、彼とAに、皆もともと二枚目で、おあそびに3枚目になっていただけだという。 A、そうなのかと、2枚目として生きる。 しかし、彼は、「いやだ、私のふるさとよ。」と3枚目にもどるため薬品を顔にかける。みにくい3枚目となる。
 その政府がみにくい人はこの世界に存在できないのですと、彼を死刑にすることにする。 彼、その不当性を訴え、抵抗するがだめ。しかし、満足げな顔で首を切られる。


 夢の話しではなく、しらふで書いてる。異常な域に入ってる。(日付直前なので深夜)  不条理でむごい、コンプレックス男子の妄想譚? しかも自虐自己満オチ?  丁寧に練り上げようとするのは無理があるので(自分で嫌になりそうで)、雑になってもすぐ書きつけよう(吐き捨てよう)としたかのよう。  ・・・  これはやはり、後半をどうにかしないと人に見せられない感、あり。  (どうにかするより、ボツが適切だろうね)

※ 『1974/05/11 クチ』 : 「地方大にいく。下宿。僕のへやのとなりにオ■さん(みたいなの)くる。 はじめ、ただ、たずねてきたようにカオみせる。事は、となりにひっこしてた。 (空想)」  事は、は、実は、か。  オ■嬢のキャラを、そういうふうに捉えているわけね。(こんなふうであってほしい、と)  空想内の僕、好みの女子なので悪い気はしないはず。が、うれしすぎてとまどって、うらはらな反応もしそう。  地方大、というのは、下宿、一人暮らしをするための口実、設定。
: 「お姉さんはすぐ、サケをすすめるのだ、ぼくに。  人形さんにあげるみたいにフトンで服のままねっころがってるぼくの所に、 ゆのみ茶わんにはいった酒、持ってくるのだ。」  まあ、自分がほろ酔いで、弟をオモチャにしてるな。この書き文字、弟も少しは嘗めてるか。  (高三の五月だからwaka君は十七歳。姉きはまだ十九歳なんだけど)
: 「5/11  きのう、今日が金よう日かと思ってた。」  1974/05/11は土曜日。  日付が変わったばかり。ついさっきまであしたが金曜日と思っていたよ、ということでしょう。  曜日をまちがえていれば(授業の時間割がちがい)事件だったはずなので、昼間は正しく認識していた。 夜がふかまってから一時的に錯誤、勘違いする。ありがちか。  → この週は、5/6(月)までゴールデンウィーク。5/8(水)はモナリザ見学などあり休日のようなもの。 そんなこんなの連休明けで、週末が早く来すぎて、まだ金曜日ぐらいの感覚、ということもあったのかも。
: 「教室に帰りくると、もう漢文の授業(田■先生の)おわってた。おしかったと思う。という夢みた。  あと忘れ。  黒板には、長い詩について説明したようにマルで一字を表わして 形式をしめしたのがズラーとかいてありところどころにほんとに字で「強」が3つほどかいてあり、 それについて説明したよう。と中からは内容にもふれたようで、字、かいてある。  《板書(縦書き)のだいたいの様子を絵図で》 」  板書の様子、文字の説明ではわかりづらいと絵図を添えたんだろうけど、かえってよくわからない(^^;  起き抜けだし、夢だし、やむないね。  (漢文の授業は週に一度ぐらいしかなく、waka君は楽しみにしていた)
: 「スペイシス スペイソス スペイそおす」  ふつうに、space の複数形 spaces かな。  変移の先の、スペイそおす、はよくわからない。(形容詞の spacious なら発音は似てる)
: 「今日じてんしゃでこなかったのは、  1、会長さんと、帰り、本屋などによるとき、めんどうないように。  2、下じきなどかいにいくかもしれない。自転車より、歩きの方が買い安い。  → 自転車より歩きの方が買いものの気分。自転車だとすぐ帰りたくなる。買いやすさ。  3、卓球ないので、運働何かせねば。(つりあいをたもつため。)  → 土ようは卓球ヤラヌことになってる。  4、男が決めたことと思った。」  だれに言い訳してるんだろうね。  ラストの4が笑。
: 「春うららのどかなりしは登校時」  五月中頃は初夏ではなかろうか。  たいして内容はないけど、語感がいい。
: 「「きいろい風土」 黄色人種 日本人 }これらを意味した? 「きいろい男」 「きいろい人」」  松本清張の同名作についていっているのかどうか。(現在まで未読)  黄色いにある含意をちょっと考えているようだ。
: 「「あなたはきのう地方の大学にはいること考えたでしょ。」  「ええ。」  「そこのそばの下宿にはいるのよね。」  「地方にいくなら、ふつうはそうでしょうね。」  「それに、そのとなりに女の人がきてたずねてくるのね。」  「そのくらいなきゃおもしろくないもんね。」   などという会話、今日の朝考えた。超能力者のオ■さんが、 きのうぼくが、女の子(オ■さん)を登場させた空想をすべて知っているというように考えて。」  創作好き高校生男子の妄想は、このように多少いれこ(メタ風味)になったりするのだ。  (・・地方、地方と上から目線。お前の千葉も地方だろうが。・・というご指摘、ごもっともです)
: 「オ■さん、髪型変える。  かみをうちがわにまるめる。ぼくに気にしてもらいたいため?(ダッタライイナア、ナドト。)」  右前の席にいるんだけど、まだろくに話しもしていないはずなんだけど、めろめろに近いなあ。
: 「到達 を 倒達」  倒れて達しちゃ、シュールすぎるよ。
: 「数学で、正と書こうとして、性の字を思い、かくとき生をかこうとして、■までかいた。」  ■は、生の二画まで。  さすがに、性はまちがいとわかったが、つられて生としかけたわけだ。
: 「きのう、大■ちゃん休んだのを、■野先生が休んだとしちゃったんだって。もと2Aの荒■君、きのういってた。今もオ■さん、ミヤ■さんにいってた。」  要は、まぎらわしい名の生徒と先生を荒■君が取り違えた、ということ。  もと2Aというのは、二年時もwaka君と同級の荒■君、ということだと思う。  本項、この取り違えは表向きの主題にすぎないと思う。  真の主題は、離れた席にいる荒■君が、わざわざ、オ■嬢やミヤ■嬢のところまできて、つまらない話題をふって笑いあっている、それが気にくわないんでしょう。  ・・  とはいえ、たとえば、■野先生休みと伝わって、ちょうどその日最後の授業だったので、皆帰っちゃったとか。これなら事件だ。先生、集団ボイコットかとびっくりだろうし。 そこまでいかなくても、やらかした荒■君が罪滅ぼしに皆に言い訳をして回るという図はあるかも。そんなふうな事情があるなら、waka君の嫉妬心もたいして熱くはならなかったかも。
: 「オ■ ■■■ → また オ■ オオ■ ■■ノ  → というように、つながっているのでは、いたとしたら、などと考えた。  → いやオ■さんとオオ■君か■■ノ先生が仲のいい図をちょとえがいた。  ← まったく、こういうことはないだろうけど。」  三人の名が似ているというだけで、妄想嫉妬。ずぶずぶとはまっていく・・  (ほんと弱いよね、ほれたはれたに、色っぽい女子に)
: 《「口 クチ」が様々な図形に変移するようす。》  ちょっとおもしろいだけで、深い意味はまるでなさそうだが?  → 口が象形文字なら、これら派生形も口の象形文字になりえそう。 つまりこれらも「くち」と読んでいいのでは。 あるいは、それぞれの形にそった「○○くち」というような読み方をつくってもいいのでは。 そんな気づきもうかんでいたやも、このイラストを描いたときには。
: 「このごろまた、フクセイが多くなった。心が乱れ、うつだから?」  このノートにおけるフクセイとは、時間的余裕がなくエンピツの下書きメモだけですました場所、そして後刻または後日それを清書する行為を指す。  前後のページをざっと見まわしても本文にエンピツ書きが見当たらない。 つまりもう清書に直したあとだから、ということかなあ。  ・・  フクセイは、時間的余裕がないときだけでなく、心に問題があって、いつものようにしっかり文字にしていけないときも増えるらしい。などと気づいたようだ。
: 「会話のおべんきょうしよう。 女の子や男子の会話をなるべく記録しよう!! しられずに。  小説かくとき便利?」  これはわりと大切だと思う。  かつてまたはいつも聞いている声を書いているつもりで、脳内補正をしてしまっている場合が少なくない気がする。  一例だが、女ことばというのが昔からあって、「〜だわ」とか「〜なのよ」とか、文章の中で使えば女子のセリフと明白なので助かるわけだが、 実際にはそういう語尾は言っていなかったりする。昔はそう口にする女子が多めだったと思う。時代が下るにつれて廃れたと思う。 思うが、よくわからない。ちゃんと無心で聞いて(補正などせずに)心に留め、必要に応じて書き写す、ということはしてこなかったので。  (つまり、本項の記録しよう!!を当時から真摯に実践していれば、だいぶちがったと反省しきりだ)
: 「北を■■」  ■■は、つなげ字で北と書いているはずだが、手偏+ヒ、または、TLのようにも見える。
: 「しゅうせい :スキャンダル?  衆評、衆説のききまちがい?」  ふつうは醜聞でスキャンダルの意。  衆評、衆説は辞書で見当をつけたんだと思うが、音が違い、かつ、醜聞の意とはずれる。  衆声かもしれないが、こういう熟語は辞書になし。  ・・  醜声が正解かな。(辞書にあって、音も意も相応)  (醜聞と醜声、この呼応ぶりはまさにスキャンダルの実相)
: 「称する.  〜と言った = 〜と称する なのか?」  辞書を調べると、言う、とイコールではなく、比較すれば意味が狭く強め。
: 「フウテン フーテン(1) キチガイ(2)  (2)より、(1)の意出た?」  辞書的には、(2)→(1)はおおむね正しそう。  現在は(2)の意味ではほぼまったく使われないはず。フーテンの寅さんのおかげで。
: 「男A、B。女C。三角関係。 AはBに、先に、「Cが好きだ。」と告白される。 Aは、Bがうちあけた以上おれはいえないと思う。 なぜなら、Bがいいだしたあというのは、「おれがいいだしたから、こいつもそうでないのに、いいだしたのだ。」と、 心をみすかされるのを、きらう、Aのプライドがあっため。  「心」の勉強の過程ででてきたが、修学旅行のぼくはこれ?」  漱石先生の「こゝろ」の授業で、でてきたが、だろうか。  いつまでもこだわるねえ・・ 修学旅行の晩、オカ■君に先に言われてしまったことを。  あのときはあれで仕方なかった、不意を突かれてしまった、と割り切って、第二ラウンドで巻き返せばどうにでもなったと思うのだが。 あっさり撃ち合いから降りてしまった。地力も経験値も足りなかった。(そしてもう半年以上すぎたのにこうしてこだわってる。しかも、ほかの女子にでれでれしたりしつつだ)  ・・  こいつもそうでないのに、は、こいつはCを好きでないのに、と読むと変になる。  いいだすつもりはなかったのに、おれがいいだしたから、いいだしたのだ、という文脈と思う。
: 「〜なかったろうが。 〜なかっただろうが。 }どっちがいい?」  だろうのほうが格段に据わりがいい。  たろうのほうは文法的にまちがってるというわけではないらしい。  (なかろうとないだろうの違いということになるそうで、前者は古風なだけ)
: 「人によって、ケシゴムカスのでかた、形はちゃうか?」  笑。  つまらないこと、気にしてるけど、些細の度合いが顕著だよね。
: 「芝生に花咲くのか?」  植物なんだから、それっぽいものはありそう。みたことないけど。  → ネット検索すると、花が咲くそうだ。花というより「穂」らしいが。
: 「パンが3つはいってるビニールぶくろを示して、  (1)「このパンたべていい?」  (2)「このパンたべちゃっていい?」  (1)はそのうちの一部 (2)はすべて、またくたべる  と、示している?」  とはかぎらないよ。  たべていい、と、たべてしまっていい、だから、行為と行為完了の違いだけ。 食いしん坊さんならどちらでも完食してしまうでしょう。
: 「ちょっと、食いすぎた。」 「くいすぎて、いぶくろの左、痛い。」  前項、実際のパンを前にしてたんだ!
: 「「山の雨」という題の5章からなる小説。 1章のはじめはYA、2章のはじめはMA、3章のはNO ・・・ でそれぞれ書かれている。(それぞれはじめられている。)」  という趣向、いわゆるおりこみ、折句か。  waka君は(または私は)しばしば、こういうとき、オマケのはずの趣向のほうの実現を優先してしまう傾向がある。 内容がおろそか、とか、だけど型はきまったからいいや、とか。  本来、作品内容の熟成と両立させてはじめて、趣向もひときわ輝くのに。
: 「■という漢字アルカシラ?」  ■は、石+井。  研はあるが、これは無いね。少なくともデジタル文字には。
: 「おせんべなめる。」  腹がいっぱいなので? せめて?
: 「わずかに死海をのぞく国 わずかに死海をのぞむ国  どっちがいい?   今日のよみうり新聞にでてた。」  文脈がないと、意図がわからんなあ。  のぞくが、覗くなのか除くなのか迷う。どちらでも変な文になるし。後者もわずかに望む(臨む)ってのはなんか変。  死海は実在するあの湖をいい、国はイスラエルとかヨルダンなのかなあ。
: 「多芸は無芸  会長さんの弁」  将棋仲間の会長さん(あだ名)、わりとわかってる人だ。さすが東大理三(関係ない?!)  → このあと、土曜例会で指した将棋棋譜がずらずらと並ぶが、省略。 この日waka君は、会長さん(あだ名)、火■君に二連敗。

※ 『1974/05/13 校庭のバックネットの右』 : 「9時ごろ、子供会のことで。」 「弁当\165 自分でだしとこう.」 「文化祭、やらないなら、文芸誌ださぬ?」 「放課後はドラマである。 { タ■■さん 2回  高■氏 じゃあね2回  ■サカさん」 「上を下へのじれった 人間どもあつまれでした  バーパイパニア 《 絵 》 というふくなのか、ブラジャーとあれだけなのか。いままで、後者だけにみていた。前者かも。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  もうよくわからない事情が多いが、文化祭はこの年の秋も開催された。 waka君の高校、学生運動の余波で入学したときから生徒会がなく、文化祭のとりまとめ機関がない。 なので毎年、文化祭実行委員会が組織されて仕切っていた。 この年、その委員会が立ちあがるあがらないの話しがこの時期にあったのかもね。  放課後はドラマである、というようなコンセプトの文章(創作?)を書こうとしていたか、 その素材をこのノートのなかで拾っていた(つむいでいた?)フシがある。 結局、後日まとまったのは、とある日の心記の記事の特別版程度のものだったのではと思う。  上を下へのじれった・・、これは本文に記事あり。
: 「もし、大学にはいらなかったときは、人にきかれたとき、 「私は、大学にはいった人を尊敬しますよ、あんな苦労をして。」と答えようと思った。 大学なんて、というと、ぼくがまけおしみいってるのが、ろこつになると感じられたから。  But! 前述のように言ったとしても、ぼくが、まけおしみをしているんだ、ととる人も少なくなかろう。 でも、それはそれでいって。どう解釈しようとその人のかって、ぼくはぼくだ。」  そのとおりなんだが、waka君の高校はほぼ全員が大学に進学する(進学しようとする)高校。  ぼくはぼくをつらぬくのは、わりと苦難に感じられた。  (といって、こんな勉強ばかりの暮らしをさらに四年もつづけるの? いいかげん飽きるよ、というのも正直な気持。 楽しい科目もあるんだが、予習に追いまくられ授業では戦々恐々とするだけみたいな英語はもう勘弁してほしかった。 外国にでばらなければいけない理由もない。  そろそろ自分で選んでいいんじゃないの、自分のことなんだし、という気分がふくらんでいたと思う)
: 「ここには5つの文がある、を、ここに55つの文がある  といったよ。」  意味不明。後者の最初の5に「ハ」とふりがながしてある。 KOKONIHAと発音したってことだろうけど、なぜ5をハと読む?  ハではなく「い」かな? つまり、ここにいいつつの、と読んだってこと? それでもなぜなの、と疑問は減らない。  → 「ここには5つの文がある」>「ここにHA5つの文がある」>「ここに85つの文がある」>「ここには55つの文がある」という一瞬の連想が働いたか。8>5は同じく数字という連なりで(取り違いというより)。
: 「おうちゃく、の意は?  てきとう(こっちとおもってた。)  ずうずうしい  }?」  辞書的には、ずうずうしい、骨惜しみをする、が正解。  適当には、その場をとりつくろってしのぐ、の意もあるので、品位としては同類だろうね。
: 「■を並」  ■は並の上の二点がない形。本文の書き方だと、■が正、並が誤記だが、逆ではないの?  それとも、どこかの漢字の部分で■が正の場合があったりしてなのか。(たとえば晋)
: 「■野先生、定時制の人、ナイターの人という。いつきいてもおもろ。  あの先生、「スキズき」というのもくちぐせ。」  ■野先生は(この三年時の)担任の先生。(waka君の最も苦手とする)英語が担当。  waka君の高校は夕方から定時制の教室も始まる。  英語の先生だからそう呼ぶ、わけでもないんだろうけど。  → ぎりぎりとはいえ厳密には赤点のはずの英語成績で、 二年生から三年生へ進級できた、一年後にはさらに卒業もできたのは、 今もって理由が謎だが、 この英語の先生がしょうがない面倒をみましょう、といって、げたをはかせてくれた、三年時も自分のクラスに入れた、 そういう可能性がもしかたらあった、のかも。  (そうではなくて、ぎりぎりで落第させるのはかわいそうなのであと一年は様子をみましょうと、及落判定会(そういうものがあるのなら)で決定した。 で、どうなるにしろ問題生徒の問題科目である英語の教師ということで最終的な引導を渡す役割を押し付けられた、ということだった、のかも)
: 「何か書くの忘れた、かも知れぬ。」  ちょっとかしこまった字になってる。少しの間だけだが。
: 「英語の授業で教科書を声をだして読むことがある。 このごろはぼくがすべてよみおわらぬうちに皆静かになって、ぼくもやめちゃうが、 中学の頃、声をあげてよむとき、となりやまわりの人と声が合ってしまうことがよくあった。 ぼくはそういうときはよく、声をずらせようとしたものだ。」  指されて一人で読むのではなく、皆でいっせいに読み上げるような場合でしょう。  高校では、waka君がしっかり発音し終える前に皆が読みおえてしまう。 ひとりだけ劣っているようで(ようでではなくほんとにそうらしく)なんかものがなしい、と。  読むのが遅いんだろうけど、waka君なりの英語読みの発声流儀があってもごもご濁したりはしょったりができないんだろうな。 別にそれでいいじゃん、とは思うぞ。  中学のときはむしろ、まわりに同調してしまうのがなんかいやだったのに、と。
: 「国語(現国)の質問終わって、席につこうとするとき、発表している(いた)この人は自分かと、一瞬思う。   発表しようと思ったときは、この意見のぼくは正しいのだと、思って、先生にすこし反発する(意見なのだ) (のだ)と思っただけで、ドキドキし、血がのぼってきた。いや、発表しようと思って、もう、ドキドキ。」  勇気をもって発言した、って状況なんだろうな。  好きな科目では、このように、攻める姿勢はあるようだ。
: 「おれは、こういうようにおそろしいことをしちゃうのか?」  斜め上から自分をながめて、他の事柄でも、こんなふうに、おそろしいようなことをやってしまうのだろうか、おれは、とも感じた。  しかしまあ、言ってみれば、授業や先生をぞんぶんに活用しているともいえる。人生の練習台として。 楽しんでいる、とまでいえる。もちろん、斜め上のさらに上方からこうしてながめてみれば、だけど。
: 「■■ソウさん(?)が、P19の本文の上の所を訳したのだが、 題名から「他の人が私たちを見るとき」と訳したので、先生、題名の次から訳してると思い、 そこ(from different viewpoints)は、そうじゃなくて、直訳していいんじゃないか、と言ったがすこしして理解。 皆、笑う。ぼくも笑う。  が、ぼくはこのとき、本文の上でなく、まちがえて、本文のはじめを訳して、皆が笑ってるんだと思って笑う。すこしのち、理解。」  ううむ。ずれずれなわけね。英語劣等生あるある、かい!  まあ、この場合、他に露見したってことはなく内々で舌を出したってことだから、かわいいけど。  (状況を後刻ながらこうして記事に残せるんだから、まるでわからないのではないみたいだ。 鍛えが甘いので、瞬発力、反射神経が足りない、というふうか)  ・・  ■■ソウ嬢の(?)は、まだはっきり姓を覚えていないので、ややめずらしい姓でもあり、この発音で正確なのかどうか、という気持でしょう。
: 「春の競技大会、スモウになっちゃった。」  運動が苦手でも、何かしらに参加する義務があったんだと思う。  したい種目がなく、または早々ふさわしい面々で埋まってしまい、消去法で残って、かな。  (でもさ、どうしてもいやなら参加しなくてもいい、という場合、一種の祭である競技大会だというのにふらふら観戦、小声で応援してるだけ、ということになるわけだが、 これかなりきついはず・・ 気が進まなくても何かしらの選手として一人前の汗は流した、という場合のほうが十倍ぐらいマシ)  なお、本項が欄外になっているのは、後から挿入したからだろう(そうでないなら、以後はまだ白紙だったはずだから、2列目冒頭に書けばよかったはず)。 数項後にある大会関係の記事を書いたとき、前提となる記事がまだないことに気づいて。
: 「校庭のバックネットの右側にある木の形はいい。 《 イラスト 》 といったかんじ」  もしかしたら、この時期のwaka君の心の、似姿。
: 「(ぼくみたいな)女殺しはつらいなあ。 三枚目の、自嘲的 アイロニカルな )言葉」  心の中で、女子は排除しています、いなことになっています、ああいやだいやだ。(とおもうしかないってのもつらいなあ)  まんじゅうこわい、みたいなことをいっていれば、誰かがそれを食わせてくれる、という期待もあるのか?!
: 「きれいな人 やさしい人 かわいい人 いろっぽい人 美しい人」  縁がないから、あこがれるなあ。  ・・なのかね。  まだまだ夢みがちなお年頃のようだ。
: 「あいぜんどの  この前のエイガ」  愛染殿? 意味不明なメモ・・  前項のような理想女性が登場していた、とか。
: 「ここにはさんどくエンピツ、よくぽろぽろおとして、こんどこそなくしたか、などとよく思いそのつどみつかっていたが、 今、見た所ない。こんどこそ、ほんとに、どっかにステちゃったよッ。  しかし、なんか、いとおしくて、気になり、忘れられない。」  書いてけずって書いてけずってちびてしまった鉛筆の一つをこの心記ノートにはさんで(他には線引きなどもはさんで)、 上辺メモや仮メモのエンピツ書きに使ったり、ページを分割する縦線に使ったり。  取るに足りない物へのしゅうじゃく、あるんだ、たぶんwaka君にかぎらずだと思う。 (その執着心の強さにまるで釣り合わないほどのつまらない小物。これはもう、強い執着心のための依り代ということだろう)
: 「一年のときの春の大会、スモウの最後にでたし、二年の卓球も、その最後にでた。」  チームのアンカーとして出場した、の意。  今回もそうなるかも、みたいな言か。  勝負の勢いをつけるような信頼はないので後出しにされるけど、拮抗したままもつれたときはにわかに脚光を浴びてしまう役回り。
: 「「永らうべきか 死すべきか。」 この意は? これをいった人は?」  ハムレット?
: 「無実の罪 = 無罪?   実がないのだが、罪である?」  → 実がない(誠意がない、または、実体がない)、ということが罪、そういう罪名、という社会、世界、異世界、などもちょっと浮かんだ。
: 「今日、2時間目の数学の自習のとき、千葉大の受験に関するアンケートがあったずら。 「進学しますか、(1) はい (2) いいえ。」とあったので、「 (3) わかりません」とかいといた。 その他、このごろ考えてた線にそってかいといた。」  千葉大の受験に関するアンケート、というのが、でどころが謎だな。 文字面から想像するだけなら、千葉大の学生(か講師、教授)の何かの研究テーマにそったアンケートを、ツテをたよってwaka君の高校の生徒に答えてもらっている、という辺り。  (3) わかりません、という選択肢があったわけでなく、waka君がつくっちゃったんだろうね。
: 「女Aが、不良におそわれようとしたとき、男B、助けにくる。 その不良二人をなぐりとばし、おきあがる前に「さあ逃げるんだ。」とAの手、ひっぱる。 そして、走りながら、不良たちに、「花、もたせてくれよな。」という。 A、すこしいってから、さっきの言葉の意味をきく。 B、「きびしいなかにもあまさあり。あの言葉が、ぼくのいのちをすくってくれるかもしれない。」」  うん。小話になってる。  きびしいなかにもあまさあり。  好きだな、こういう処世観。侠気(おとこぎ)につうじるような。
: 「ここにはさんどいた、サックのついたエンピツ、戻ってきた。  ■■リのへやにさっき、しらない? とききにいったけど、 めしくってたら、■■リもってきてくれたよ。ほんと、ぼくについてきてくれるんだなあ。  ※ ■■リは今、病気で、おばあさんのへやにねてるずら。」  チビタエンピツでも持ちやすいようサックがついていたようだ。  ついてきてくれるのは、ここでは■■リではなく、エンピツのことを言ってる。  まあ、お兄ちゃんの役にたつなら、程度のすなおさが■■リにはあるよね。(当時もそうだけど、お互い老いつつある半世紀後の今も、なんとなく)
: 「ぼくってひねくれてるんだなあ。ふつうじゃない。すなおじゃない。 男女のつきあい、否、会話すら、あまりほがらかにできない。 すこし、したしいような人、(たとえば、2Aから同じクラスで、前の席の■■ツカさんなんかとは)いくらか、明るく話できるけど、これだって表面上。 ときどき、しらけた感じをピンとぼくは感じるのだ。他の、クラスのちがう女の子や、あまりしりあいでない女の子、とは、ほんと話すとき、ぎこちない。」  劣等生っぽい位置取りに収まってきてるため、自信がないんだろうなあ・・ 自信がないから、おどおどしたり、声に芯がないのかもな。とくに女子の前では。  (相手をのむぐらいの風で話しかければいいんだけど、たとえはったりでも。 そのぐらいのツラの皮の厚さがあれば生きやすいのに。 どうせ相手にとっては多くの中の一人にすぎないんだから。 ほとんどこちらに個人としての関心はないし、多少の失敗ぐらい恥のかきすてで笑ってごまかせばいいさ)
: 「今日、アンケート買→「書」でした。 いてるとき、ななめ前のお■さん、宮■さんに、 「いつごろ受験を意識したって(いうけど)中学以前に、なんとなく、はいるもんだって思ってたんじゃない。」と話してた。  どこか、懸隔を感じた。  ぼくも事実、中学以前にそう感じてはいたかもしれないが、いうとしても、今もそうだという感じではいわないはず。 が、彼女、今もそうだという感じでいってる。かけおちする女にはほど通いか? 遠、でした。   物語では、そういうさとってない女を主人公がさとらせていく?」  あるいは、甘々の主人公を、女のほうが教導していく? (というのは、現在のいじわるなつっこみでした ^^)  まあ、外見は好みだとしても、中味は常識の範囲内でwaka君の(妄想的)期待にそってないってことで、ごくごく当然。むしろそっていたらびっくりだよ。
: 「尺八吹くとつかれるよう。」  「尺八ふいてると、気が遠くなるような、心臓どきどきするような感じ。」  自作のひとよぎりだな。  中学時、学校の箒の柄を悪友らと加工して、(いくつも)つくった。
: 「ぼくが女の子とまともにつきあえずそれが特性みたくなっちゃったのは、 小学校1年のとき、きれいだなと思った松■さんと、はしゃぎまわり、 2年になる頃、それがすごく恥ずかしいことに思って、もう女の子はいやだ、と決めた、このことによるのか。 それが、小学校高学年中学高校とつづいたのか。 つまり、小学校一年のとき、松■さんの手をにぎったり、松■さんの手にキスしたりした反動が今までつづいてる?」  男児のころに何か因子はあるのかも知れないが、そうだとしても、全然別の未来はいくらでもありえたはず。  松■嬢はほんとに美しい顔立ちだった。おひなさまみたいに仲のいい二人という認定をされたのか、何度クラス替えがあっても同じクラスだった。  小学校六年になっても際だった美人。そのころには昔なじみ、ていどのもやんとした間柄だったけど。  中学高校とますますいい娘になっていったと想像するが、小学校卒業以来会っていない。
: 「中学の頃は、ソプラノ尺とか、アルト尺とか、いろんな尺八をつくったなあ。」  結局手もとに残したのは、一本だけだったけど、こうしてあとあとまで、忘れたころに、吹いたりした。  現在もどこかにあるはずなんだが、思いあたらない。もう何十年も吹いていないかも。  (まあ、どうしてもまた吹きたくなったら、また作ればいい。箒の柄があればいい)
: 「セントラルプラザやニューナラヤで、■■高生たかられたんだって。今日のHRでの先生の話。」  不良っぽいのがあちこちに散見された時代ってことか。いつの時代も大差ないか。  (ちなみに、HRはホームルーム。クラスの会合? 日本の中学高校経験者なら説明不要と思うが、念のため。 waka君の高校では週に一時限がHRにあてられたが、中学時代は毎日最後の十五分ぐらいがHRの時間だった)
: 「学校いかなくなると、定規検診がされなくなる?」  ふつうはね。  大学にいかないという選択肢の先をさまざま思い描いているようだ。  (が、会社にはいれば、あります。事実waka君、翌年からそうなります)  なお、定期検診または定期健診が正。
: 「シコタン× シャコタン○ }?」  語源は車高短。車高を極端に下げるチューニング。  山たちがよく口にしてたけど、だいぶ後になるまで、waka君は語意が理解できていなかった。車の趣味がなく知識が乏しかった。
: 「小学校の5、6年の頃からぼくは、カムイ伝よんでた?」  かもね、たしか。  同じ部屋で起居していた叔母ちゃんがよんでてwaka君もよむようになったと記憶している。  白土三平作。忍者マンガぐらいのつもりで開いたんだったか。相当な衝撃度だった。  → (第一部の)単行本を全巻そろえた。  十年か二十年後またよみたくなって、日比谷の図書館の閉架書庫から借りて何度目かの再読を果たしたりした。
: 「ぼくは授業で質問すると語尾が、長くなりすぎる?  〜だと思ったらいいいのではないかと思います、とか、  〜の方がいいというように思っています。 とか。」  うんうん。これは今だとさらに恥ずかしい気がする。  簡潔じゃないってのは、美しくないもんね。  (といいながら、今まさにずらずらと書いているこのような注記群が簡潔かと問われれば・・ 笑ってごまかすか・・)
: 「今日、ミヤ■さんが、お■さんに話してたこと。  「オシ■君って、ほんとおもしろいわね。 お休み時間になるといっしょうけんめい勉強してるから、やるな、と思ってみたら、 人の単語、せっせとうつしてるの。」  ぼく聞いてて、ちょっとおもしろいと思う。 けど、そのおもしろいと思った気分明らかには思いだせない。 ふたたびこの会話文をよんでもくりかえし感じられない気がする。」  ふむふむ。  じゅうぶんおもしろいけど・・  宮■嬢の話の勘所が文字にされていない感じはするが、それは含みで伝わってる気もする。  ・・  他人の書いた英単語帳のようなものを自分用に複製しているってことだよね。 これは異常な行為、滑稽な行為、という認識が彼女らとその場のwaka君にあったはずだけど、 今よむと、珍しいのかもしれないが無い勉強法でもないんじゃない、と思う。 ふつうは、確固とした辞書などから転写して各人がつくるものだろうけど、 友人のつくったそれから自分用のをつくる、 二重転写で精度は落ちるだろうけど、友人のある意味編集力を信頼した、 権威である辞書レベルでなくてもその友人程度のレベルに近づけるなら十分という認識、 このあたりが、現実的で、いわば合理的でもあって、ユニークと言えばユニーク。 気づきにくいけど、ふつうはあまり聞かないけど、やられてみればナルホドかもしれない、そういう面白さ、であろうか・・  その場ではおもしろいと思った感触が、これを書いているときには冷めているらしいwaka君だけど、 時間をおいたことによって、最初のおもしろさよりも上のような合理性がより感じられてきて、だからなのかもしれないな。  それに、黙読して雰囲気を脳内に再現している(いわゆる読書の)場合と、 実際に面白がっている宮■嬢のナマの声を聴き表情を感じその場でナマで面白さが伝染しているお■嬢やそばのwaka君の心の振動ひびきあいがつくっている現場(リアルないしは演劇)と、 くらべたら、どうしても前者が色あせてしまう。そういう感覚もあるのかも。
: 「小学校のうらは雨がふると、すぐ水がたまったなあ。旧校舎のうらで金色のコインみたいな円板ひろったなあ。」  ふと思い出すんだろうね、過去の映像を。何かで連想して。  悲惨な体験をフラッシュバックで再体験するってのは聞いたことあるけど、waka君のこれは、ぼんやりしたなんでもないような記憶。夢の中のような。
: 「ぼくは別に、そう女の子の愛情を欲しているわけでない。 家に帰ってから、テレビを見、新聞をみ、将棋指したり、尺八ふいたりノートかく生活の方が、 女の子のそばでくらすより、数倍平和なような気がする。」  負け惜しみっていうより、わりと本心。  本心だけど、性欲などの本能がないわけでもないから、悩ましい。  それにさ、じっさいに、ガールフレンドと仲よくするなんてことが思春期になって以降ほぼ皆無なので、そのほんとのよさ、リアルなきもちよさ、ぬくもりみたいもの、を知らないからこそ言えるのかもしれない。  食わず嫌いに過ぎず、一旦経験してしまったらまた食べたくなる、求めずにはいられなくなるたぐいの魔性の味、それが女子。(かもね)
: 「エンピツ、なくすのこわいから、もうはさむのやめようか?  それとも、手もとに、つまり、はさんだままにしといてやろうか? ナヤム。でも、今までなくならなかったんだから、はさんどいてあげよう。」  ただのチビタエンピツだという事はわかっているけど、ほんのり愛しさがわいて、それにのっている。  優しい心根があればこそだけど、過ぎれば偏執者とも言える。


 おわらないわけなんてないんだよ。
 おわるわけなんてないんだよ。
 ないなんてわけないんだよ。
 └→ オモロ

 予習はやんなくてもいいし、やればやるほどいいのだよ。

└→ お母さんの質問に答えて。

└→ お母さん、「おやをあんまりからかわないで、勉強しなさいよ。」だって。
 再現。
「ワカ■■、なにやってんの。」
         (フスマの向こうから)
「えー ・・・」
「勉強おわったの?」
「勉強はいつまでたっても終わらないんだよ。勉強は、ないなんてわけないんだよ。」
「学校の予習やなんかのことですよ。」
「予習はやんなくてもいいし、やればやるほどいいのだよ。」
「あんた、どうかしたんじゃない。やりなさいよ!」
「がんばってやろうとは・・・」
「なんだって、」と姉にきく。
「がんばってやろうとは、だって。」と姉き。
「やろうとは何よ、」一人ごとのように。
「やろうとは、のあとは余韻をもたせてある。」
 姉き笑う。
「親をあんまりからかわないで、勉強しなさいよ。もう、ねるからね、おやすみ。」
 「おやすみなさい。」姉き。
 「おやすみなさい。」

 母上は今夜、旅行より帰ったばかり。


 こうしてながめると、楽しい親子。
: 「「人間ども集まれ」にでてくるバーパイパニアの女の着ているのは、《 絵 》 という服なのか、ブラジャー《 絵 》と、あれ《 絵 》だけなのか?  いままで、後者だけに見ていた。前者かも。」  前者というのは、プラジャーとふんどしの絵柄のついた服ってことでしょう。  たぶん、このマンガの枝葉のことなんだけど、気になって。
: 「「人間ども集まれ」と、(上の事を とともに エンピツで前ページの上にかくとき、)そうかくのが正しいのに、「上を下へのじれった」と書いてしまっていた。」  ともに手塚治虫の作品。  人間ばなれした質のものを産みおとせる創作者というのはプロならむしろざらに存在するのかも。  それを一度でも為したから、門をくぐれたわけだし。  しかし、人間ばなれした質のものを大量にずっと産みつづけられるというのは、もう化け物の域か。魔王。
: 「地球はまんまーる、あかちゃん いるよ ねるよ  あかちゃんも夢をみるのかしら。 いーろ いいろ  }???」  これはwaka君のものではなく、TVかラジオで流れた歌を書きとめている。  NHKのみんなのうた辺り? そんなかんじ。


 フロからでてきて姉き、机につっぷしてるので、
「またねてるな、」で、つっつき、
「おきなよ、しぬよ。」という。お姉さん、
「どこでねるの」ときくので、
「ここだよ。」
「どこでねるの。」
「ここだよ。」
 またなんかいう。
「え?」
「どこでねるの。」
「ここだよ。お姉さん狂ったんじゃない。」
 しばらくして、「おやすみ。」電気消して行く。


 ラスト、お休みと言ったのが姉きで、立って電気消して行った、のも姉きか。(つまり多少覚めた、と)  どちらかまたは両方ともwaka君かもしれず、はっきりしない。  姉きはwaka君のとなりの部屋に布団敷いて寝るはず。 つっぷしてた机がこの部屋の姉きの勉強机なら、寝るために別所に行くのは変だ。 別の部屋、台所辺りの机としたら、寝るのが「ここだよ」と連呼するのが変になるな。  よって、勉強机に突っ伏したまま寝ちゃったので、あきらめて弟は「お休み」と言って、部屋の電気も消しておいた、という可能性も濃いか。  (そんな体勢ならいずれ目覚めるだろうし、五月だしね、放置も正解のうちかな)
: 「ちくしょう。フクセイカンセイさせる前にねてしまった。」  心記のエンピツ仮メモからの清書のことだろうけど、その後完成させているとしたら、この辺りだろうけど、 もうどの項の辺りかは(エンピツを消しゴムでけしてしまってボールペン書きの清書となっていて)ほぼわからない。
: 「なんといっても受験なんてめんどくさいし、苦痛だ。  なんといってもこれこそが、ほんとのりっぱな理由だ。  受験なんてもんで一生が決まるとするなら、人生の一瞬一瞬でも決まっているとみていいでしょ。 受験の時も、他の人生の一部の等も、人生を決めるどあいは同じなのだ。」  一部の等は、一部の時、の誤記だろう。おしい。  正論。理屈的には。  が、一瞬ごとに濃淡はあるだろう、やっぱり。人生。  ・・  大学の四年間は、社会にでる前の(大人になる前の)最後の研磨、仕上げということでしょう。  やって損はないと思う。  やらなくても長い目で見れば大差ないけど。代わりに早めに社会にでても、いやもおうもなく、磨いてくれるし。
: 「お母さんに、朝めしのとき、大学なんてやだな、といい、大学に入れようとするまわりと、大学に入りたがる自分との戦いだ、などといってのち、 いいあらそい( or 会話)はじまり、活発な論戦となる。  端をはっしたのは例のごとく、お母さんの勉強は? ということば。  → 「ぼくがかわいそうだと思わない? (お父さんやお母さんに生き方を決められて。)」とまでいったよ。」  大学に入りたくない自分との戦い、でないと、すんなり通らない文意になるが、と思った。  しかし、大学に入りたがる自分もいる、とみれば、通るかも。周囲との戦いだけでなく、自分の中で相反する心とも戦っている、と。  (大学生になれたらなれたで、それなりに誇らしく感じる自分もいるのだろうと気づいている)
: 「ぼくにとって、学校は、あそび、友を見、女の子をみ、現国の授業をきくことぐらいに意義があり、あとは好きでない?  古文、漢文はいいかも。」  ゲーム攻略のように、装備を整え、技を磨き、経験値を積み、戦術戦略を練り、ついに難敵を倒して、クリア、ご褒美をもらう。  受験をそのように捉えられれば、悩みはもっと単純明解だったかも。  (当時はまだTVゲームはないけど)(大好きな将棋のように、ということでもよかったか)  waka君は、中途半端にまたは純真なほうの、学徒だったのかなあ・・ 
: 「英語の予習。  学期のはじめは何課か前までやっとく。 そのうち、予習のため(たくわえ)が少なくなり、その日ぐらし、つまり、次の日の分だけやるようになり、 そのうちに自分がどこをやるかわかってるときがでてきて、そこだけやり他はやらず、 次の回に、前回予習してない所をやってから、その日の予習をやるのでおくれ、 以外、次の日の分もできなくなってくる」  以外は以降か。 だんだん自転車操業に堕ちていくってことだね。 英語はとくに大変だけど、他の教科もそこそこいそがしいからなあ、あれもこれもとやってたら、時間とか体力とかどこかしらに無理がでる。限界がやってくる。 つまり鍛えられてるってことだろうけど。学校らしいといえば学校らしいわけだけど。  その限界を超えるすべを自ら会得するのが、実はいちばん肝心要の学習、修練ということなのかも。  ・・  限界というのは無理ということなんだよ。  だからふつうは突破できない。  できないことをできるようにする。学校はそういう所だよね、たしかにね。  できないことをできる人間、そりゃ頼もしいし、重宝するだろう。実社会(職場や世間)もさ。  ・・  でも、waka君のような、なまけるのが大好きな人間にはきっついわなあ・・  なまけるのは蜜の味だもん(^^)
: 「「試練だと思って、試金石だと思って、受験をうけてみろ。」といわれたら、こう答えよう。  「なんで、みんなと同じ試練をうけねばならぬ。」」  なんとかして言い逃れたい。  ぬるぬるして捕まらずにすりぬけてしまいたい。  水棲軟体動物のように。
: 「生き恥をさらしても、自転車にのった方が10分はやくつく。」  笑。  生き恥をさらすぐらいに、必死にペダルを漕ぐようすがみえる。  恥をさらす程度ならなんでもないが、事故に遭ったり、人を轢いたりのほうが心配になってくるよ。  家では、受験云々で迷ったり考えたりしていたようだが、これで、登校。気分も変わりそうだ。
: 「人間、一度はきちがいになった方がいい。そうすれば、より多くの人の心持ちがわかる。」  「こっちから気にすることない。ぼくは思われてるんだという自信がたいせつ。」  学校でたくさんの同輩にまじり、女子生徒の姿も見えると、刺激を受けて、こうして人間関係のことなんかが心を占めてくる。  少々、守りの姿勢過多だけど。
: 「とっちゃん → (ぼくが)色目つかったと思ってる? この前のアイサツか何か誤解されたか。  さい■■さんが(そう思って、)。 それを、とっちゃんに(言ったのでとっちゃんもそう思い、何か、今日このごろ、そっけない?)。  → 今まで、こういうこと何度もあった?」  さい■■嬢にwaka君が色目をつかったと、嬢が思い、仲のよいとっちゃんに告げ口したので、 とっちゃんに誤解されているのかも、という意だろう。  (思いあたるフシはあるが、全くの軽い気持ちで、嬢にまじでちょっかいを出そうとかは決してないのだが)  あまりに、憶測ばかりで組み立てている。 単にいちじてきに、友がそっけないってだけで、理由を探して疑心暗鬼、ってことは、だいぶとっちゃんへの親しみが濃かったんだろうなあ。  とっちゃん、顔はもうぼんやりとしか思いだせないんだが、気さくであったかい奴だったような。  ・・  このケースではないのかもしれないが、その誰かが悲しむような言動をいつのまにかしており、 その誰かが黙って距離をおくようになる、ということはあると思う。 こういう時、一つの笑顔、挨拶が心をとかすこともまたあると思うんだが。
: 「化学、二酸化イオウや硫化水素で気持ち悪い。」  刺激臭や腐卵臭のする有毒ガス。  これを扱う過程で、若干かがせておくというのも、学習のうちなんだろう。
: 「純を純」  屯の縦棒は上に突き抜ける。  最終画を右に流すのか跳ねあげるのか。  跳ねてる。
: 「「く」を「く・」とかいたらおもろいのでは?」  別におもろくないよ。余計なだけでは。  おについた点のように、くにも点がついている世界があったらおもろい、ぐらいの感覚かな。
: 「 「『 : 「 → 「「 → 「『  ぼく、3画でかいちゃう。 ・・・ 」  『 』。カギ括弧の書き方。ここでwaka君が気にしたのは画数、というか運筆か。  ふつうの文系学徒は、「 」と『 』の使いわけの仕方を考察するんだろうけど。  (使いわけについてはもう自分なりにルールができていてあまり関心がない様子)
: 「この KONO → この この → ま MA → る → る RU」  縦書きの「この」が、「ま」や「る」になったり。  waka君はこういう変移をとてもよく気にする(複数の様相が見えてしまうのがうれしいのかと思うぐらい)。
: 「loveを lo◇e とした、デザインもあるよ。」  ◇はハートマーク。  → 一般的には、l◇veなのでは? → これを見間違えたwaka君の勘違いならば、lo◇eをオリジナルにしちゃえばいいかも!?  うん。lo◇eのほうが伏せ字度が高くて、色気がある。新鮮。
: 「しんらんの書 カキ は?  書 < しょ かき }マチガエヤスイ」  ここでは、親鸞という漢字は? という意で、親鸞の墨跡(または書物)は? という意でない、と。
: 「お■さん、びんぼうゆすりしてるよ。彼女、ときどきやってるよう。」  楚々とした女子高生然としていなくて、かえって、親近感わく。今よんでると。  この娘と親交を深めなかったのは、おしい。  何か、発掘できたような。
: 「おそく(年とってのち)生むことをなんという? おそく生まれたことを何という?」  高齢出産、だが、それは母親のことで、父がすでに高齢の時は何というのだっけ? が本意だろうか。  俗な呼び方があったはずなんだが、忘れた、検索してもみつからない。差別用語的なあつかいになってしまったのかな・・  → いろいろ探したら、「恥かきっ子」というのが見つかった。  うん、あった、こういう呼び方。あったけど、もう何十年も耳にしていないかも。
: 「子 こと )感じのつながり? この他にも何かなかったか?」  それをいったら、ここ、この、これ、こちら、などもそうでしょ。こ(小)もある。  素人の感触だけど、子からこれらが派生したというより、これらの一つとして子がうまれた、ような。
: 「「こういう過去をふたりの間に通り抜けてきている。」 これを宮■さんは、「こういう過去が」とていせいして説明し、 先生は、「私たちは」をつけたして説明。ぼくは、「ふたりの間に」を「ふたりは」として説明しようとした。するつもりだった。  ぼくが一番だめ。」  でもないよね。原文がおかしい、そもそも。宮■説は一番すっきりかもしれないが外国語のようで理屈走ってる。 waka君説は、意訳となるかもしれないが、平易で自然でわるくない。
: 「news ズ ス )? 」  英語音はズなのに、日本ではスだな。なぜか。
: 「anxiety アングザエティ? アンクシャエティ?」  心配、不安。アングザエティが近い。
: 「Grammar、順狂ったのでたいへん。 2番目ぐらいにあたるはずが、なまじっか、遠く(の人)にいくのもこわい。 はやいうちにあたってほしい。(あとどのくらいでくるか、心をいためているより。)」  いっそ、ひとおもいにやってくれ、の心境か。
: 「The discovered abundant evidence 〜、  で、discovered を 決めた と訳し、アバンダンス(t)を、とりさげる、(と訳す)」  今ネット翻訳したら、発見された豊富な証拠、だって。  waka君の訳は異様。証拠隠滅の決断、とかになってしまうの?  これを授業で発言してたりすると、皆、頭かしげてしまう情景。やっぱりwaka君は宇宙人とか思われる?  しかしまあ、ここにこうして書きとめるってことは、誤訳、失敗と自覚できたからなんだろう、露見しないまま、たぶんね。  ← 前後の記事から、この Grammar の授業では結局あてられないまま終わったようなので。  ・・  しかしさ、辞書がかたわらにあってそれを引ける余裕があるなら、こういう誤訳はありえないと思うんだけど。  辞書を引かずに、この単語はあれだ、と一人決めしたのか。あるいは、文脈から、こうであろうと決め打ちをした、とか。  (現在のように一瞬で辞書が引けるわけではないので、 教科書の一頁に展開する英文の、おびただしい単語すべてを引く余裕はなく、 知らない単語のうち要所だけを引いてあとは推測(想像)でつなぐ、とするしかなかったか。  [わかっている単語:辞書を引いた単語:わかっていないが引く余裕がないので推測した単語]  この比率が、あまり英語が得意でない一般的な生徒でも、5:3:2 ぐらいなのに、waka君は、3:3:4 ぐらいなんだろうね。2:3:5 とか!?)  ・・  古文や漢文の場合も、おそらく解読の構造は同じ。 古文や漢文では、英語ほどの苦難、苦痛を感じなかったのは、 古文や漢文の語彙に近しさがある(わかっている単語が多い)というのが最大の理由だろうけど。  他に考えられるのは、推測のしやすさ。わかってない単語でも推測の的中率が高い。  つまり、古代の日本人や中国人の思考にすんなりそっていける。  対して、英文を書いているあちらの人たちの思考が、言葉の組み立てが、斜め上にずれていて追い切れない。異次元の感性。なんでそうなるの。  推測、外れまくり。・・そういうことだったのかも。
: 「時計3分狂ってた。おくれてた。まだ、おわらない。 あと3分あるともしかするとあたるかも、と、ドキドキ。そのとき、鐘鳴る。   おれって、グラマーや Reader のさされるのを、気にしすぎ??」  逃げ隠れする虫君の心境。  じりじりと待つ数分というのはかなり長いのだ。
: 「のりちゃんの意見(この前きく) (■井)先生、アカだ。企業ない方がいい。 このノートにかいた?  ※■井先生は、企業あっていいといった?」  ■井先生は、倫理社会や政治経済などの先生。waka君の記憶とは食い違ってる?  ノリミツが、反共産、だったという印象はないなあ。政治関係はノンポリだよね。または、破滅 or 無政府的。
: 「御売 オロシウリ  下し売り   御に下の意ある?」  卸売、ですな。
: 「2年の時、ポーカーで、だれそれさんをかける、とたわむれにやったとき、 高■君か、イ■■ちゃんのとこにオ■さんの名、でてきて、だれそれといったことあった(ぼくが。)?」  2年の時はwaka君、別クラスのオ■嬢のことほとんど知らなかったはず。  トランプその他のゲームを放課後などよく遊んだ。金を賭けたりはなかった。 こういうふうに、いちど、設定上のガールフレンドを賭けてふざけたことがあった。  あのポーカーの時、オ■嬢の名がでてたような気がする、という数ヶ月後の想起メモ。  ラストの(ぼくが。)がちょっと不明だが、そのゲームに勝って相手の賭けたオ■という子をもらうよ、とか口にしていた、かも、ということだろうか。
: 「今日あんまり、授業ノートよく、はげしくつけぬ。すこおし、気力うすれてる。めんどくさがってる。  政経の授業中にこんなことかいてる。」  笑。  激しく書きつけていたんだ、ふだんは。  社会科系の授業は、大ぶりの妄想がわきやすいので、そうなるのかもね。
: 「大労組を大老〜とかこうとした。」  誤記は思わぬ取り合わせをしてくれて、ときに純粋に楽しい。
: 「状况 状況 ?」   状況、としか変換しないな。况は、異体字扱いらしい。
: 「独」  けものへんの、三画目は、右上がりか、左下がりか。  ネットで調べたら、左下がり。加えて、三画目は、右側が突き抜けてないようだ。(waka君の手書きは突き抜けているが)
: 「ミサオ  男にも女にも?  男の名にも、女の名にも、」  辞書の語義の並び順を見ると、時代が下るほど、女性の貞節という色合いが濃い。  男女差別をいとう現在、最近なら、かえって、男性名にもしやすいかもだが、親が男の子にあんまりこの名はつけない気がする(矛盾するようだが)。  この名の男児がいたとしたら、誕生以前に名前が決まっていた場合(占いとか、襲名とかの事情、祖父母の世代のなにかのこだわり)だろうか。  秤にかけて、ちょっとちがうからやっぱりやめよう、というほうに傾く度合が小さくなっている、現在、最近は、というていどか。  微妙。
: 「イト■■、大学行く気。」  イト■■君は文学クラブ仲間。  そして、劣等生仲間のつもりだったのに?
: 「ノートのこのページのまん中あたりから、ちょっと右にかけてよごれてる。  自転車のるとこで、よごした? (自転車のるとき、これかいてた?)」  たしかにそれらしいよごれ(の痕跡)がわずかに見えるな・・  (スキャンしたこの画像でははっきりしないが)  (本項時点では、右側はすべて白紙だったから、もっとはっきりしたんだろうけど)  → すでに下校したのかな。自転車に乗って。
: 「駑馬 どば  だば?」  どば。  文字面からは、暴れ馬かと思うけど、驚ではなく駑。  足のおそい馬。にぶい馬。だそうだ。(精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006)  ※ ちなみに、謙譲の意味で「駑馬に鞭打つ」という慣用句があるとか。いちど使ってみたい。
: 「ぼうさんかんざしの意は?」  調べると、お坊さんが女子のためにかんざしを買った、というそのままの意味らしい。  どうやら実話が元。艶っぽいけれど、江戸時代末期にあったスキャンダルで、しあわせな結末ではなかったよう。  お国自慢のよさこい節で歌うあたり、おおらか、剛毅な土地柄だね。  (江戸末期だから、ちょうど坂本龍馬がいたころなんだ)
: 「なぜ日本の奧さんは、山の神とよばれる?」  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006 によれば、 〔 (1) 山を守りつかさどる神。やまがみ。  (2) 「やまのかみまつり(山神祭)」の略。  (3) 山の精。やまこ。魑魅(ちみ)。  (4) 妻。特に、結婚後年を経て口やかましくなった自分の妻のことをいう。  ・・・  [語誌] (1) は農民に豊かな実りを約束する守り神であり、民衆にとって最も近しい土着神(地祇)の代表であった。それだけに、天皇を中心とする神々(天神)の系統からは異端視され、(3) のように妖怪扱いを受けることもあった。 〕
: 「卓球気持ちよかった。」  連日やっているようだが、この感想は本日二度目。  昼休みの直後(前頁)一度目を書いて、帰宅後(本項)また書いている。
: 「新聞 たいくつじに 死に」  となりの領域に、切り抜き記事貼り付け。  ・・  退屈で死にそう、という決まり文句はあるけれど、これは、いたましい。  ・・  町名は別なのに番地が一致しているのは偶然なのか、誤記なのか。  (日付も一致してる)  waka君と同い年、同学年。長男であることも。ノート?  「暗合」を感じている。おそらく。
: 「どうりで腹すいてると思ったら、まだめしくってなかった。  → この使用法は?   昼休みは卓球」  たらでつなげるのは、結果と原因が逆となってやや変だよね。 書くなら、どうりで腹すいてると思った。まだめしくってなかった。  → しかし、どうりで、が後ろ全体、腹〜、めし〜の全体にかかるとしたら、変ではないか。この場合、どうりで、のあとに一呼吸あると自然。  なお、道理で、であり、通りで、でないので、ひらがなは、どうりで、で正しい。
: 「旧体育館にはいったとき、人いっぱいいて、今日もだめか、(きのうは前がH・Rだったので、4時間目からつかってた人もいたし、こちらもおそくて、皆とれなくてすみでやる。)と思ったが、 それは工芸の生徒だった。ラクラク。でもしの■■先生こわかった。」  皆とれなくて、は、waka君の卓球仲間(将棋同好会仲間と重なる)がそれぞれの教室からやって来るんだけど、だれも場所なり道具(ネットや卓球台)なりを確保できなくて、の意でしょう。(waka君や会長さんはマイラケットだけは持っていった)  この日も出遅れたかと思ったけど、たくさんいたのは工芸(芸術の選択科目)の長びいている授業の生徒たちで遊んでいるわけではなかった(何か旧体育館で制作をしていた)。楽々確保できたよ、と。  (飯も食わずに出ばってきたようだから、ある意味フライングだけど)  よって、しの■■先生は工芸の先生かな。まだ授業おわってないんだから控えろ、とかにらんだのかも。
: 「おせんべから、ガラスのはへんみたいのおちたので、これは?!  と思ったが、どうも糖分の結晶したもののよう。」  これを書いている自宅の勉強机の上に。
: 「ビハインドとは?」  おそらく、ラジオで野球放送が鳴っている。  あるいは、引き続き新聞をひろげていてそのスポーツ欄か。
: 「明日はマラソンなのを突然思いだしてしまった。   明日がマラソンなのを・・・ (?)」  waka君は、学校で走らされる長距離走のことをぜんぶマラソンと呼ぶ。 (体育のふつうの授業なら、せいぜい1500mなんだけど。もちろん苦手)  ・・  はとが、微妙にちがうか。がの場合は、明日こそがそのマラソンなのを、というふう。  なので、突然(はからずも、ふってわいたように、なぜか)思い出したなら、明日は、だろうかやはり、どちらかといえば。
: 「無残な南伊豆を 華麗な南伊豆と、 読んだよ。」  地震の後で無残ということだろうけど、近視でぼやけているレベル、眼鏡を外しているかで。 だとしても、かなりひどい読み違い。  Wikipedia〔 伊豆半島沖地震(いずはんとうおきじしん)は、1974年(昭和49年)5月9日に静岡県の伊豆半島沖で発生した地震。〕 
: 「世論調査の誤差の幅は、いつも 2%?」  決まり文句のように、どれにも、または毎回、誤差2%の注がついていたのかな。
: 「このごろ昼めしおそいから、夕飯少なくする? 少なくなる?」  六時間目が終わるのが三時頃。  掃除があっても、自転車なら十五分だから、三時台には帰着できる。  この日(1974/05/14 火曜日)はそれから、持って行って持って帰った弁当を食ったか。
: 「黒白戦争 こくびゃく  黒人と白人が戦い、黄色人、武器売ってもうける。」  というのはwaka君の思いつき。  語呂がよさそう、が、出発点か。
: 「黒白 : 黒が悪、白が善とはきまってない? 辞書にも、黒白:善悪などとかいてあった。」  日本語では今もそう使われているだろうけど、 アメリカ辺りだと政治的に正しくない(ポリティカル・コレクトネスに反する)とかで口にできないのでは。  → → 興味深いので、Copilot に訊いてみた。 〔 英語表現に、白は善、黒は悪、という通念はありましたか。 あったとしても、現在は、ポリティカル・コレクトネスに反するとみなされていますか。   ⇒ ⇒   英語表現において、確かに「白は善、黒は悪」という通念が存在していました。例えば、「black and white」という表現は、善悪や正誤を明確にする意味で使われます。   しかし、現代ではポリティカル・コレクトネスの観点から、このような表現が問題視されることがあります。特に、人種や文化に関連する文脈では、黒を悪とする表現が差別的とみなされることが多いです。そのため、より中立的で多様性を尊重する表現が推奨されています。   このような変化は、社会全体が多様性と包括性を重視する方向に進んでいることを反映していますね。何か他に気になることがあれば教えてください。 〕
: 「ここがあいたのは、この区間の一番上、新聞のキリヌキ(右)を入れるためあけておいたが、 キリヌイてみると、とてもそのあけたところにはいらず、右にうつしたので、 ここの区間であけた分だけあまった。(ここ、フクセイです)」  フクセイ=清書がらみで、予定とずれてしまった、と。  領域を比べると、切り抜き記事をそっくり右に移したにしては、余白が少ないとも言えそう。  スペースに余裕があるので、清書時に、文字数多めとか、文字が大きめ行間も広め、などとなったりしたのかもね。 (いわれてみれば、2列目下辺の空白に、仮メモ=エンピツ書きの跡がうっすら見える)
 → つまり、この頁のこの領域(2列目)は、当初、上部に新聞切り抜きを貼るための空白があり、その下に仮メモのエンピツ書きが下辺までほぼ埋まっていたと思われる。 が、切り抜いてみたら大きすぎてその用意した空白に収まりそうにないので、隣の3列目に移して貼り付けた。 後刻、時間ができてから、2列目の仮メモの清書をしていったんだが、上部の要らなくなった空白を詰めて清書していったので、このように三行分ぐらいの余りが出てしまったよ、と。 (で、このとおりなら、当初用意した新聞切り抜き用の空白はこの三行と等しいことになるはずだが、さすがにもっと空けていたのでは。だから、余裕があるからと、おおらかに清書したのでは、というのが上の私の見解) そして、「うなじの右に〜」以下の新しい項を、この空白三行を埋めてではなく、3列目に貼り付けた切り抜きの下から始めたのは、新しい項を書こうとした時点ではこの三行は余白ではなくまだ仮メモがあったからではなかろうか。 というわけで、その後、清書した時点で、この三行が空いてしまい、そのままでは謎っぽいので、下辺欄外に「ここがあいたのは、〜」以下の注記を残した。 そういう流れ(清書として仕上がっていった順番)だったと推測する。
: 「うなじの右におデキ。イタイタ。」  見えない。右手でさすっている。  となりの部屋にある女家族らの使う三面鏡なら、確認できたか。  (それでも眼鏡をかけないと、だろうけど)
: 「右とかくべきを右としたよ。 2画目」  すぐ上の行で、書き順をまちがえて、右の本来の一画目が下に長くなってしまった、と。
: 「鯰 : ?」  なまず。
: 「さいわいのときに最も美しく を、 さいこうの日に・・ さいあいの日に・・ }等ときいてた。思ってた。  → いつもは、こっちと思ってる。」  なんだか、結婚式場のPRっぽい。美容院?
: 「よきせぬできごとかずおおく それをきたいのひとりたび キリンレモン? ビール?」   CMソングのもじり?  TVを見てるな。
: 「スターアクションQのCMでは「アキャー Q キュー」といってるのか? ききとれぬ。」  Wikipedia〔 『シャープ・スターアクション!』は、1973年10月2日から1979年12月18日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作のクイズ番組である。 〕  これみたいだ。
: 「かいな、とは?」  腕。  さようかいな、の略でもあるらしい。
: 「うち、8人。大人4人、子供4人。  ■■コは、おばあさんこ。  ■■りは、おかあさんこ。  姉きはお父さんになついてて、  ぼくは、おじいさんにつかわれてる。  ・■■こはむしろ、おばあさん、まもってるみたい。」  同居してる家族が八人、と。  おばあさんは横浜のおばあさんと子供たちは呼ぶ。父の母。  おじいさんは、母の父。  現在存命は、おかあさんと、姉き、ぼく、■■コ、■■り。  この下の世代が九人。  さらに下の世代が何人も生まれているので、一族は繁栄しているほうかも。
: 「お■さんは、もと(?)マンガクラブ。休み時間はいつも体をよこにして、足をくみ、 マンガボンを上にかさねた足の上にのせて、一心にか、よんでるよ。」  いいねえ。  姿よい女子高生が、間近でそんなポーズをとってくれてる。  もしかしたら、天国ってそういう情景なんじゃない(^^)
: 「コケティッシュとは? → 色っぽい」  waka君は、辞書を引くぐらいしかできなけれど。
: 「きれいくて  ?」  美しくて、の類推で口にされてしまう間違い。  うつくしいもきれいも形容詞、と早とちりしそうだけど、綺麗は形容動詞なのだ。
: 「発育のおそい人は、年とってから青春がきて、発育のはやい人がはやめに青春を終えるとしても、 はやい人よりは長く青春を味わうことができない?   そのかわり、子供の時を味わう?」  ふうむ。  理屈は通ってるかどうかわからないけど、リリシズムがあるね。
: 「倒錯という単独な語はなく、倒錯症という語があるのみ?」  などということはないでしょ。  たまたまその辞書で、見出しがなかっただけでは。  というより、waka君が見落としただけか。  → いや、そういうことではなく、感覚的に、倒錯に新造語の匂いがしたのかも。  {明治以降にだれか学者が paraphilia を倒錯症と翻訳し、そこから、倒錯という語の今の意味が派生した}  この{ }内は、waka君の脳内のようすを想像しやすいようにたった今私が創作した偽文だけれど、 こういうふうな道筋が浮かんだなら、本項のような見方にもつながりそうな気がする。  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006 によれば、倒錯の例文は、10世紀。かなり昔からある。
: 「時間 これはしょせん、人のつくったもの   約束 これにもし、意味を認めなくなれば、おれはすごい成長? ( or 奇形化?)   常識 これはまず、ぶちこわすことにも意義ある。」  無頼でかっこいい。  若々しい意気がある。様式がある。  これも詩篇、といいたい。  のたくった矢印まで含めて、書作品として愛でたい。  ・・  時間、約束、常識は現実そのものだから岩のように堅固。現実のwaka君では歯が立たない。  異世界転生したら、存分にやってやる、みたいなかっこよさ、でもある。  ・・  しかし、岩を砕けるとしたら、こういう心の持ち主。  たくさんの彼ががんがんやって、いつか、光が射す。  そのがんがんいう音を聴いているだけでも、元気がでそう。
: 「姉き、アンポ反対とか、そんな本、このごろ、よう、もってるずら。」  安保(日米安全保障条約)反対。  時代の空気だから。  でも、家族からそっち方面に傾斜する者はでなかった。
: 「尺八は自分でつくってならす所がいいのだ。」  「きつくおさえれば高い音がきれいにでる?」  「いつか、 竹取り旅行にいこう。はえている竹、いやむしろ、すててあるたけぼうきの柄をもとめて。」  笑。  夢っぽい希望がよいな。  いつでも始められる手軽さ。名づけもうまい!
: 「文太 : もんた  ぶんた」  菅原文太? 彼なら、ぶんた。
: 「・教室で卓球やった夢。  ・赤ちゃんままの夢。子供たちが、しらずしらずのうちに赤ちゃん生んで育てる。  ・ぼくの友と、チンピラが2、3人しかいない映画館によこからはいっていって映画みる夢。  あと忘れる。」  赤ちゃんまま、は、赤ちゃんのまま、の意だろうが、赤ちゃんママ(赤ちゃんがお母さん)の意かも。としたら、妖異だな・・  しらずしらずのうちにって・・  ヤマ(中学以来の友人)は映画館の息子だったので、一度か二度、従業員用のドアのような所から入れてもらって映画観させてもらったことあった。
: 「ヤル」 「A5■■さんなんかと結婚しようなどとよく思ったものだ。  (前の僕はよく、そんなことを考えたものだ、信じられぬ。)」  A5■■(オ■)嬢に幻滅するようなことがあった?  単に、射精後の賢者の時間?
: 「今日、マラソンだったのに、今、雨の音。(6:35) マラソン中止か?」  もちろん、中止を望んでいる。
: 「雨、またやんでしまったよう。」  うう、がんばれ、雨。  翻弄されてます。
: 「アザヤカ アデヤカ」  にぎやか、きらびやか。すこやか、なんてのもある。  辞書によれば、やか、は接尾語。
: 「知らせる、は使役? 受身?」  受身は、知られる、知らされる、知らせられる?   辞書をみると、知る、知らす、知らせる、それぞれ自立して語があるみたいで、よくわからん・・
: 「agree を、angry ときいて、訳し、戦争のはじまること。英語国と、日本と。」  agree は意見が一致する。angry は立腹している。  真逆? 原文がないけど、たぶん、英国と日本の協調みたいな文意だったんでしょう。
: 「外、新聞とりにいったら、しめったあたたかさ。もあっとしたかんじ。」  五月半ば。  早朝、雨上がり。
: 「arrive reach )この差は?」  両語とも、到着する、の意。  辞書(ジーニアス英和辞典 第5版)を見ても差異がよくわかりません。  arrive の原義は「岸(rive)に(ar)→岸に着く」  reach の原義は「(手などを)差し出す」  arrive は目的地が意識され、reach は到達欲求が濃い、ということ??
: 「すこし前、■■校のそば、はしってておっさんにぶつかりかいちゅうでんとうおとしたとき、 ぼくが定時制の生徒(夕方に学校へはしるから)だと思ってゆるしてくれた?  トランプしにもどったのに?」  自転車でぶつかったのではないようだ。足で走っていて。
: 「シャープペンシル  シャー ペン ソル : オ■さんの書」  シャー ペン ソル という題名の書物、それが、オ■嬢所有なのか。  オ■嬢が著した書き物(かマンガ)なのか。  ちょっと説明がたらなすぎて、見当がつかないよ。  オ■嬢も芸術の選択が書道で、自由課題の時、シャー ペン ソル と墨書した。 これが一番すっとんでるが、彼女ならないとは言えない・・
: 「ついに、はさんどいたエンピツ、どっか、おとしちゃった。 9時33分。学校」  エンピツの続報。これからもしばしばあるようだ。  (そもそも、使い古したチビタエンピツをこのノートに挟んであるだけで、予防策を講ずる気もないようなので、紛失は半ば織り込み済みと思う)
: 「これ  二九 と、よんだよ。」  縦書きでなおそれっぽく見えて。
: 「人生を長い目で、長距離的にみろ、といわれたら、マラソンのこと思いだしちゃった。」  目の前のことに真摯に向き合うのもまた大切。  つまり、遠くも近くも目配りして、正直に誠実に過ごすべし。  遠い先のことだからと無責任になったり、今すべきことをチャランポランとなまけたりは、人としてだめなんだよ。  などと言われつづけると、人生は逃げ場のない牢獄になってしまうので、息抜きは生き抜くことにつながるのさ。  ちゃんちゃん(^^)
: 「しゃがれた しゃわがれた )?」  しわがれた、が元でしょう。  しゃわがれた、はwaka君の脳内合成のよう。
: 「今日はしめってていやーなあたたかさ。気持ちがわるくなるような。」  低気圧、ということもあるのでは。
: 「nigeria : ナイジェリア  ニガニアとよんだ。」  Wikipediaによれば、 〔 ナイジェリア(Nigeria)という名は同国を流れるニジェール川(Niger River)から採られている。 〕  〔 フランス領西アフリカの一部であったニジェール(Niger)と、イギリス保護領ナイジェリアから独立したナイジェリア(Nigeria)の2か国は本来、同じ地域を指しているが、旧宗主国を異にする両地域が別々に独立した際、似た国名ながら別々の国になった。 〕
: 「おれはおとこだの コウジのみょうじは?」  ドラマの登場人物のことでしょう。  正解は、小林。  Wikipedia、 〔 『おれは男だ!』(おれはおとこだ)は、津雲むつみの漫画。また、それを原作として森田健作主演により日本テレビ系列で1971年から1972年にかけて放映されたテレビドラマ。  ・・・  キャスト ・小林弘二 - 森田健作  ・・・ 〕  本放送は、waka君が中学生のころか。  → 本項の35年後、2009年から千葉県知事。
: 「信迎 迎×」  迎の中央辺の爪のあるなしが気になって、と思う。  しかし、そもそもが、信仰と書きたかったのでは。
: 「縮小を縮少」  辞書はどちらも正解。
: 「ラップ この意は? タイム?」  ラップタイムの略。これは、lap。  ラッパーやラップ現象なら、rap。  ラッピングフィルムは、wrap。
: 「〜しているかもと 〜しているかとも )」  〜かも、と。 〜か、とも。 はっきり別。
: 「うまし  ・・・ ・・・ ・・・ せんぱくな」  相当に謎な、仮メモ。  うまじ、とよめるけど、辞書になく意味不明。  うるじ、かもしれないが、海幸山幸の神話に出てくるのろいの言葉とのことで、関係なさそう。  となると、やはり、うまし、か。  辞書によれば、うまい(うまし)には、あまい、しまりがない、まぬけな、という意味もあるとか。  これなら、浅薄につながるかもだが・・  (古文の授業のときかなあ・・)
: 「A5■■さん、こんどは、B1G2を、うしろでまとめて、また(カミガタを)かえたよ。 昼休みのおわり、卓球より帰ってみて知る。」  こんなに気にしてくれる男子がそばにいるんでは、オ■(A5■■)嬢も髪(B1G2)の調えがいがあるのでは。  あなたの視線なんか気にとめてませんけど、という素っ気ないふうなんだろうけど。  (もあっとしてしめってるので、涼しくしたかったってのもありそう)
: 「今日の卓球も気持ちよかった。」  うん。  快音とともに打ち合って、爽やか。  悪くない習慣だ。  (同じ運動でも、結局「マラソン」は走らされたのか。  明記なしだけど、中止なら喜びのコメントを残すと思われるので、いやいやながら走ったんだろうなあ。たぶん)
: 「自転車のってて すごくきれいな女の子みて ころび 意識不明。 気がついてのち、その女の子と仲よくなる。 たのしい日々  ある日、これは夢だと気ずく。そして悲しむ。しかし、目はさめず、夢みつつ死ぬ、」  字がうすくて難読。  学校が終わったかどうか辺りだから、夢見ではなく妄想メモなのか。または、創作メモなのか。自転車に乗りつつの、ひらめききを得ての。  ・・  起承転結のある、はかなげな小話になってる。  ラスト、悲観して間もなく息絶えた、と読めば悲劇だけど、 夢だけれど覚めない夢だったので、その女の子と一生を添いとげた、と読めばそうでもない。
: 「明年 : こういういう方もある?  : よみは?」  あくるとし。または、みょうねん。
: 「ぼくは授業中 鼻の下 指でなすってばかり。  はなくそなどないとは思ってたけど、今なすったら、まあるいはなくそついてた。」  笑! 苦笑。  そんなこともあるんだね。  (もしかしたら無精髭に絡んでた? 恥辱、困ったもんだ)
: 「VIENNA : ウィーン?」  ウィーンのことなんだけど、英語発音は、ビエナとしか聞こえない。(ジーニアス英和辞典 第5版 (C) Taishukan, 2014-2015 で聴く)  ドイツ語 Wien(ヴィーン)を、英 Vienna(ヴィエナ)、仏 Vienne(ヴィエンヌ)は発音から写し、日本では文字から写したってことのようだ。(参照 Wikipedia)  日本語表記での発音、現地と全然違う。  中国の人名を、日本語での漢字発音で読むのに似ているか。
: 「このごろのCM、中の人が、パッと形をきめてから、こんなことする私って、と、ちょっとワライクズレルようなの多い。」  絵面はなんとなく見える。そういうノリが流行ってたとしても、一瞬だろう。  いわゆるメタ、入れ子スタイルってことでよいか。  当然、演出なのだろうけれど。
: 「ヘアードレス  カツラのこと?」  Hair Dress という熟語があるのかどうか辞書などに見つからないが、字義から行けば、髪を整える、つまり、美容院というのが近そう。
: 「おじいさん、とりと■■こがあそんでる所、「鳥は(カゴの)中、入れとけよ、そうもちだすな。生き物なんだから。」と いって、しまわせる。  ■■コ、あそんでるのでなく、いじめてるのかもしれないけど、さあどうなのだろう。  でも、人と人なら、たとえあそんでいるのでなくても、いじめていても、その一方を、カゴに入れちゃえとはいわんずら。」  おわりの一文、結びとしては違和感だね。(時代の空気なのか、waka君の年齢なのか、祖父への反発なのか)  今ながめると、祖父の指導、正しい。かわいがりすぎるな(いじりすぎるな)、という意でしょう。  人と人の場合、いじめいじめられだったら、互いを引き離す方策はあっていい。  やりすぎの遊び、深すぎるじゃれあいなども、直感でまずいと思ったら、介入すべきかも。
: 「平安の女性、つなげ字しかかけなかったのか?」  どうなの?  個々の字を理解していなかったわけはないのだが、 たいてい、つなげたまとまりで手がおぼえていたということはあるかも。
: 「スモウ場でのアナウンスはNHKのアナウンサー?」  国技館などの場内アナウンスのことだろうけど、さすがにちがうだろう。相撲協会とNHKはまるで別組織だろう。  (waka君の相撲観戦はNHKで見るしかないので、そんな気もしてしまったか)
: 《 枠の中に多足ふうの何かの絵 》  絵のラフスケッチ、構想よりは着想ってところでしょう。  数十年後の、http://waka.konjiki.jp/katali/asi.htm ここの絵が似てる。
: 「NHKのアナウンサー、スモウ担当、野球担当、etc が、きまってて、その担当をNHKにいる間ずっとやるの?」  長期間、やるみたいだ。でも、かならずしもそれだけってこともないみたいな。  しらべれば多少事情は見えてくるかもだけど・・
: 「スモウでは、かちっぱなし同志はあたらないようにする?」  「スモウの番付はどうやって決めるの?」  「スモウじゃ全勝同志はあてない?  やっぱあてる?」  なぜなにばかり。(私、現在もよくわかっていません。 ^^;)  この年、〔 五月場所(蔵前国技館・5日〜19日) 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(13勝2敗,2回目)〕Wikipedia。
: 「てらだ? てらおそう 漢は? へんな字?」  Wikipedia、〔 寺尾 聰(てらお あきら、1947年〈昭和22年〉5月18日[1] - )は、日本の俳優・ミュージシャン。所属事務所はホリプロダクション→石原プロモーション→寺尾事務所(自らの個人事務所)。父は俳優の宇野重吉。 〕  聰。へんな字(笑) にしてはよく、デジタル文字(第2水準)に残ったね。  異体字が、聡。こちらはなんと、第1水準。  てらだは、寺田農か。てらだのう、と覚えているが正しくは、てらだみのり、だそうだ。
: 「いっしょ(に)住む  一生 住む」  外国からきた娘にかたことの日本語で「いっしょすむ」と言われる。  そんな妄想が浮かんだ。(妄想までおやじ化か・・)
: 「「だれかがあたしのことひそかに想ってるなんて、ロマンチックだわ。」 アカ・アオ・キイロより、   こんなふうに考えてる女の子ほんとにいるのかねえ?」  微妙だ。  しょせん男(の脚本家)の期待という気もするし、口にはださないけれど女子の心中に芽生えはする感情かもという気もするし。  アカ・アオ・キイロは、TVドラマか、マンガの題名っぽい。  が、今検索してもそれらしきものヒットせず。


 ノリチャン、きのうの夜、今日のマラソンにそなえて、神社のとなりの公園でちょっと走ったんだって。 よく、警察につかまらなかったなあ。

 しかし、ノリチャンはかっこいい。女の子にもてるのだ. ノリチャンみたいに天才タイプ、かつ女の子をあまり近づけない孤独なような人のいいような人。
 きのうの、いや、月ようの物理のとき、■■じょうさんがノリちゃんのとこに、 ここの回路どうなの、おしえてといってきて、ノリちゃんやってなかったので、ぼくのみせる。 ぼくは器具にかいてある配線をそのまま書いただけち。 「あってるかどうかしらないよ。」と■■じょう(■■しょう?)さんにいう。■■じょうさん、チラとこちらをみるのみ。 いったん、彼女たちの机にいって、ぼくのだとみたくないのかな、と客観的に考えてたが、 すこしして、ぼくたちの机のとこにきて、みせて、といい、せっせとうつす。
└→ ノリちゃんはぼくのとなり。その問題について、その前にちょっと話してた。

 しかし、今思うと、■■しょうさんは、回路より、ノリちゃんが主なる目的であったのでは? でも、いったん帰ってから、 ぼくがみじめすぎると思い、また、ここの問題ののってるプリント、今日提出だからしかたない、 と思って、またもどり、うつしたのか?
 でもなんでもいいや、もう。べつに■■しょうさんを死ぬほど思ってるわけでなし。
 ゴミゴミ。
 (しかし、美人という声も高い人)
     ↑
 ホン■君は、ぼくが同じクラスになったのでやいてる?
(これは、まったく、軽い気持ちでいったのであって、ホン■君の態度に何か変化あったから、というのでない。)


 神社のとなりの公園、その隅に、交番があるのだ。(ノリミツもwaka君も近所に住んでる)  waka君、ずいぶん、へりくだってる。ぼくなどどうせそういう扱いですよ、というふうだ。 客観的?(^^;  ■庄嬢(エッチャン)がノリミツを気にしていた、好いていたのは、(ノリミツとつるむことの多くなった)waka君からそう見えただけでなく、たぶん本当。  本■君のあこがれの人がエッチャン(というのは以前本人からwaka君が聞いている)。二年生の時、本■君と彼女は同じクラス。三年生、クラス替えで、waka君と彼女が同じクラス。  「これは、まったく、軽い気持ちでいったのであって」ここは「上の 〜でやいてる? はまったく軽い気持ちで今書いただけであって」だと思う。  (俯瞰すれば、本■君が嫉妬すべき相手はノリミツだけど、ここでは無意識のうちにか自分(waka君)にしている。というか、唐突だよね。おとしめられた自分を少しでもすくい上げたいという無意識か)  ・・  ノリミツのマラソン対処から話はつらなって、本■君の辺りになるとそろそろ蛇足っぽい(語りすぎの)雰囲気。  ・・  男子の場合でもね、目当ての美少女に話しかけているとき、となりにいる引き立て役としか思えない女の子をぞんざいに扱う、軽視する、あるあるだもんな。逆の立場ということか。  どういう気持がするのか、よい経験だよ。

※ 『1974/05/16 惟川霊宜』 : 「イ■■ちゃんにそろそろ、サクタロウカス?  テスト前まで返されないかも。 ぼくもよまなきゃ!! 日ようの前、土ようまでには!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  萩原朔太郎の詩集(文庫)。テストに出るかもしれない課題なんでしょう。(下の本文でも触れている)  イ■■ちゃんはwaka君のを貸してもらえると期待している。 この頁は、5/16の木曜日前後。あと数日で読み終えてイ■■ちゃんに渡さなきゃ、と。
: 「はさんどいたエンピツ、あんまり、なくならない、なくならないとぼくがいうから、自分から、おっこちたの?」  チビタエンピツの心情を憶測しています。
: 「木で面をつくり、それをかぶりながら、物語を書く?  物語の中の役者のそれぞれで面を変える? できあがった面から物語を考える?」  ありだな。突拍子もないようだが。  当時は結局、実際に面を造形したりはしなかったが。
: 「コーヒーのんで汗でてきた。」  カフェインを摂取すると交感神経が活発になるため、らしい。
: 「このごろのフクセイだけでもおわらせぬかぎり、勉強が手につかぬ。」  心記の紙面がすっきりして初めて、ほかのことも十全にできる、と。  依存症っぽいか。(例えば一服してすっきりしてから○○をしようとかに似ている)  こう言ってるわりには、右の2列目3列目などは、エンピツ仮メモがそのまま残っているけど。  (おそらく、青ボールペンで清書を済ませた所も少なくないのだけど、やりきれなかったものが残ってしまった。このあとやろう、あしたにはやろう、と思いながらページはどんどん先に進み、いつしかかえりみられなくなって)
: 「中学のとき、中■先生、机 教卓 にあったぼくのソプラノ尺をみて、《図》 こういうのや、《図》 こういう歌口はみたことあるけど、《図》 のようにしかくい、うたくちはみたことない、といったよ。」  waka君、わざとそうしておくような生徒ではないので、つい忘れたか、悪友がいたずらでおいたか。  数学の中■先生は、本式に尺八のたしなみがあったみたいだ。
: 「このごろ、まるで勉強せず、おきていて、今日はてつやでフクセイやるのだ、と思い、 その前にちょっと仮眠と思って、12時頃ねて、そのまま。6時頃おきて単語しらべ。」  勉強のみならず、いわば趣味であるフクセイすらちゃんとやらないで、惰眠に落ちる。  寝過ごして朝になってから、最低限やっておくはずの英語の予習がまだだったとあせる。  なんだろうね。  意思の力では抗しきれない、なにか、日々成長していこうとする若い肉体の動物的な欲求のようなものだろうか。  そう考えれば、眠くなるのは当然だしむしろ健康的で、しょうがないんだけど。  しかし、ちゃんとやってるらしい学友たちと比べると、どこかまずいのかも(^^)  学校から午後四時頃には帰宅できるはずだから、それから深夜になるまでの八時間は何をしていたのか、ということになるわな。
: 「トイレにいったら、その物音で、■■コの、インコなく。」 「インコ≒ウンコドリ」  深夜、上の妹の寝ている部屋の前を通ったら、籠の中で目ざめたか、インコの鳴き声がしたよ、と。  ウンコドリというのは、世話をしている上の妹がたまに使う呼びかけ、と思う。
: 「「私の気はあなたにしかないわ。あの人には、わるい気もないけど、別にいい気もないわ。」」  この「あの人」ぐらいの扱いでもゆるせるな、という、へりくだりメモかも。
: 「マラソンのためか、おきたら、フクラハギいたい。」  前日、5/15日、やはり走らされていたか。
: 「スレイプスレイプ グリップエロップ リー (おまじない)」  今検索しても、ヒットせず、詳細不明。  英語圏の俗語、俗謡なんだろうか・・  だめだ・・ いくら検索しても、レイプ関係ばかり(^^;;  前項の「フクラハギいたい。」のつながりからいくと、いたいのいたいのとんでけーの英語版?  (ただの、waka君の自作かもね)
: 「いくらなんでもイスラエル、子供まで死なせるはめにすることないだろう。」  あの辺りで、何か騒動があったか。この日前後の新聞紙面などみられれば、見当はつきそうだが。  前年秋が、第四次中東戦争。
: 「男の胸にもブラジャーははめられる? 女のだけがでてるわけでない?」  そりゃ可能だわ。  胸の脂肪の少なめの女性と胸の脂肪の多めの男性、ほぼ一緒だもんね。  (もちろん、着用経験はありませんぞ。私は)
: 「きのうのテレビの映画、おもろかった!! 3:00から12チャンのやつ。」  下辺欄外。後刻、なぜか、このあたりに挿入したく思ったようだ。  何という映画だったか、ネットで調べようとしたけど、あまりに昔か。すぐには見つかりそうにない様相・・  これも当日の新聞のTV覧みるのが近道か。  → (購読している読売新聞の)読売オンラインで認証うけて過去記事をみればいいのかも、 と軽く考えていたんだが、結局のところ、過去記事閲覧は別途料金でこれが高い、高すぎる。つかえないわ〜  昔は(何十年も昔は)、図書館で年ごとの縮刷版が見られたんだが、今もあるんだろうか・・  → 仮に現在は新聞社が縮刷版の発行をしていないとしても、二十年前ぐらいまではあったなら、 図書館が廃棄するとは考えづらく、五十年前の記事をタダで見られる可能性は高い。  しかしながら、すでに、調べ物をするために図書館に出向くというのがたまらなくおっくうな体質になってしまっている(苦笑)。  なまけものでけちん坊な私には、敷居高めか。
: 「しかし、田■さんも強制的に詩集をよませるなんて、不粋 ぶいき なことするなあ。」  不粋はぶすいがふつうの読みか。ぶいきも辞書にはあるが。  上辺メモの、萩原朔太郎の詩集。  文学クラブ顧問でもある田■先生、この年のwaka君らのクラスでは現国を教えているようだ。
: 「窺ひ、: よみは?」  うかがい。うかがひは旧仮名遣い。
: 「また、フクセイできなかった!!」  と項を残しておけば一種の免罪符になった気がして、以降ずらずらと仮メモをつづけた、放置した、とか!?
: 「女の子との未来を考え、けっこんし、平和にくらすとこまでいく。  しかし、その朝交通事故。そうしき。空想で次に考えるべきそうしき。女の子はないてくれる。」  仮メモ、言葉たらずだなあ。  今、その女の子がいるということだけが現実で、あとは全部未来の空想ということでいいのかな。 自分が死んでしまったあとの葬式で女の子が泣いてくれている。そこから先はひろがらないか。
: 「きのう、 いと■■のうしろの人が、イト■■のむねの所をさして、「それインキンか?」ときく。  イト■■、なんとかいいつつ、その手 その人の をどける。」  異様なメモだな。  文学クラブ仲間で温厚なイト■■君でも、指さされてインキンと言われたら怒るでしょう。 うしろの人、実在したのかと思えるほど変人。何かがおかしいから、これは夢のメモなのかも。あるいは現実だけど、うしろの人のセリフはインキンではなく、別の語で、それを聞き違えたか。
: 「ぴったり みったり むったり」  みったり、むったり、は聞かないな。waka君の口が言っただけ。
: 「こしいてえ〜 (マラソン? 卓球?)」  若い身体がミシミシいってるみたいだけど、こうして痛めつけるから再生して、筋肉がついていくはず。
: 「宮■さんはよく質問、発表し、■■ツカ、オ■両女史はあまり発表しない。」  そばの席の女子たち。  宮■嬢は、あだ名がイモネエチャンだけど、わりとととのった顔立ち。 世話好き。放送クラブ員で(交代制だろうけど)献身的に皆のための放送を請け負っていたよ。
: 「銀河をいんがという人いるよ。 発音してしまう人いるよ。」  まれには発音してしまう、まぎらわしく発音してそう聞こえてしまう、などがあるかもしれないが、頭では、銀をいんとは読んでいないはず。  むしろwaka君の耳の感度がいまいちなのでは。すこし離れていたりすると。
: 「(英)」  英語の授業ノートにある仮メモをここに清書しよう、ということらしく、3項目分の空白。  その1項目めの空白に、「くわしくは他のページで!!」 「ギンガ■のセツメイ、」  このギンガ■〜は(■は読めず。系か)、前項のことそのもの、または関連、なのかどうか。
: 「机、ぼくのとなりすこし前に  ぼくのためのたたかい?  )→ こんなキラクなこと考えてたら、 じいしき、かじょうになり、こういう、おそろしいチジョクを得る。」  こういう、から上の ギンガ■のセツメイ、または(英)の空白(1)辺りへ矢印。  ・・  ううむ。ぼくのためのたたかい? というのは、女子がぼくをとりあってる、などという妄想をいうか。  そういう気楽な妄想をしてたら自意識過剰になって、ならばつながる。
: 「 → これだけのものを得たから、当分はもうこないだろう。」  ここだけではよくわからないけど、3列目の記載と合わせると、 これだけの恥辱をやらかしてしまったからには謹んで当分はもうやらかさないはず、それだけでも救いだよ、と自ら慰めている。
: 「腐 くさったにおい  を、 臭ったにおい」  一瞬、何が間違いなのかわからなかった。(臭の下部、犬が正しいのかなど思ってしまった)
: 「女性ホルモンあるほど、超能力者? 女性の魅力は、無意識の超能力による?」  と思えてしまうことのある男子高校生。
: 「色がなくなる、 を  色がこくなるとよむ.」  一字違いで逆さま。  waka君としては高得点なミス。
: 「便覧」  わかりやすいような目次、ではなく、わかりやすいように概括した冊子や書物。辞書によれば。
: 「A5■■あshi、机についてるときも、くむ。ああまでかっこつけなくていいのに。  つけてるのかなあ?」  オ■嬢の脚がどうにも気になる、と。  仮メモなので敬称略のよう。
: 「環元 ?」  環の右下がどうも曖昧、と。  しかしこれ、正しくは還元では?
: 「A5■■   人間どもあつまれ、もって、帰り道をあるく    2千万円あたって、500万で山買う。 女、大学中退、」  これは、関係ないメモの羅列なのか、一つのストーリーの中の断片なのか。
: 「漢」  漢文の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、3項目分の空白。(3項目めはすこし飛び地にある)
: 2列目の くわしくは他のページで!! から矢印で、 「A5■■さんの目ばかりきにしたのでぼくと思う? A5■■とぼくと、■■ざいさん一直線。  ミヤ■さんの目を見ればちがうことわかった?  《 位置関係図? 》」  オ■嬢、waka君、■■ざい嬢、宮■嬢、の位置関係を表わすらしい図。  推測するに、女子三人が自分の席についたままおしゃべりとかしていたわけだが、オ■嬢と■斎嬢の線上に席のあるwaka君、オ■嬢に話しかけられたかと思い、受け答えをするという「おそろしいチジョク」行為をしてしまったのでしょう!  これは、やってしまった。(■斎嬢が一番離れた所に席があるようだから)同情するけど。  ・・大急ぎで否定して、あやまって、あとはうつむいていたか。せめて、なんでもない小ミスと笑ってごまかせたか。  (しかし、女子たちからは心中みえみえだろうね。ずっと。おお恥ずかしい)
: 「九重 宮中 >ゴロもあってる! }これはすこし前にかくつもり.」  ここのえときゅうちゅう、語呂は合ってないよ。  だからこれは大幅な省略がある。  / いにしへのならのみやこのやへざくらけふここのへににほひぬるかな  伊勢大輔 /  百人一首にもあるこの歌が授業で詠まれ、 ここのへ、この掛け詞的用法を語呂も合ってると言ったのだと思う。(!がついてるから、waka君としては発見したのかも)  →  うーん、もしかしたらだが、九重を きゅうちょう と読めば、宮中 きゅうちゅう と酷似する、ということを発見したか!?  でも、それはちがうよ、waka君。 脇道に外れている、確実に(^^;;
: 「犬が、 クワカカクワーン カカカカーン と朝なくでしょ」  なくのだ。耳に残ってる。  都会ではもう無理か。  というか、ある程度コンクリの街だからこそ、響いたのか。
: 「ふじじゅんことは誰?  《 絵 》こんなかみがたして、かすれたような声でうたうのはふじじゅんこじゃない?」  だった気がするが、似た姿の歌手もいたかも。  → 藤純子(ふじじゅんこ)は女優。現在は富司純子(ふじすみこ)。1945年生まれ。  → waka君が見て聴いたのは、歌手、藤圭子(ふじけいこ)だろう。1951年生まれ。(ただし本名は純子。のち、宇多田ヒカルを産む)
: 「H組のひの■■先生の授業の長いこと。」  ひの■■先生は将棋同好会の顧問だが、例会に顔を出すことはまずなかった。  数学の先生、waka君が授業を受けたこともほとんどない。  3年C組のwaka君が用事でH組に行ったわけだ。  昼の卓球に、将棋仲間の会長さん(あだ名、H組)を誘いにいったりしたのかな。 四時間目の授業がなかなか終わらない、と。  → あるいは、めずらしくこの先生の授業をうけてその長さ(はみだし)にあきれた、という報告かも。H組の担任の、という説明をつけて。(実際にH組の担任だったかどうかの裏はとれていないが、今)
: 「自分で自分の本を買うのはいいけど、人の本買うのはやだ。  同じ出版者の同じ作品でも、本それぞれによってニュアンスがちがい、人によって、好みもちがってくるだろう。 それに、もし、その本にしみやおれめやきれめなんがついていたら、自分で買ったならあきらめられるが、 買ってもらったのなら、買ってくれた人にすこしく不快を感じてしまうだろう。」  本好きの繊細なところ。waka君が特殊ともいいきれない。  が、しかし、本項は、言い訳の匂いがする。  誰かに本の購入を頼まれたが断わった、断わりたかったが受けてしまった、そういう時の嫌だという気持の理由づけをしたかったのでは。  要は、本とのつきあい方のイロハなんだから、最初からまちがえないでくれよ、となじっているのだと思う。  (私物の中でも、身と心に近接、密着するほどのもの、という把握。  人によっては、ただの印刷物、紙製品、消耗品だったりもするのだろうけど。  言い替えれば、waka君は自分の本を、人に買ってもらいたくはないってことだろうね)
: 「昼休みは弁当をくうより休息の時間があるという事の方が重要だろう。 (このごろ昼休みに弁当くわぬので、そんな気。)  → 休息or息ぬきorお遊び」  早弁してまたは後まわしにして、昼の卓球の場所取りとぞんぶんに打ち合う時間を作ってたりしている。  (弁当をつくってくれないとか小食とかそっち方面の理由はwaka君にはないのだ)
: 「茶の間110番(よみうり)の最後はいつも「と、同センターでは言っている。」」  その読売記事の、なかば決まり文句になってるわけだ。  記事作り(話題あつめ)のパターンが毎回同じ(というよりそのルートだけ)なんだろう。  (もしかしたらこれは、新聞紙面ではなく、TVまたはラジオの番組名かも。今検索してもヒットはしなかったが)
: 「宣布者 : よみは?」  宣布はせんぷ。公布、流布の意。
: 「浴衣 ゆかた : よくいとはけしてよまぬ?」  辞書では、よくい、も立項している。  ただし、よくいと呼ぶときは、近現代において、入浴の最中や後に身にまとう衣を指すようだ。  ゆかた(ゆかたびら(湯帷子)の略)もだいぶ昔は(今でいう)よくいだったわけだけど。
: 「わきが、とは?」 「今日、書道のスミすってるとき、右のわきの下、ちょっとツンツンいたくなる。」  わきがは無関係でしょ、痛感だから。  一時的にリンパが腫れたりしたか。  (今検索すると、この痛み、軽重様々な理由が考えられるそうな。しかしちょっとだし、やり過ごしてなんでもなかったはず)
: 「人間どもあつまれ → 会長さん、」「こんどから卓球、互いの所に行かないで、おわったら、即体育館にいく。」  「「カラフト 1945年夏 氷雪の門」をみよう!!」  頁上辺エンピツ書きメモ。  waka君所有のマンガ本「人間どもあつまれ」を会長さん(あだ名。将棋仲間、卓球仲間)に貸そう(または貸した)。  これまではC組かH組で合流してからだったが、行く場所は決まっているし、一刻も早く場所とりもしたいので、四時間目が終わったらそれぞれが直接旧体育館に向かおう。 こういう合理的な(ドライな)提案はたぶん会長さんだ。  カラフトは下の本文にあり。
: 「鈴なりぞく 電車 バス のわきにひっつくやつら?」  鈴なり族か。戦後すぐぐらいの買い出し列車などでの? (waka君はもちろん記録映像でしか見たことないが)  ※ おそらくこの辺りからはもう、週刊朝日を読みつつ記している。将棋やマンガ以外の一般の雑誌を学校にもっていくことはまずない。よって、帰宅している。
: 「■野先生は人に好かれるようにならなあかん、というけど、 人をあまり好かない人と友になった、人を好く人は、 その友との約束、例えば、「ここにはおれたちだけでこよう。」を守るために、 他の友とのつきあいが、うすれるということもあろう。  一方たてれば他方が立たなくてあたりまえ。たてる方を多数の方にする必要もまたない。」  ふむふむ。  まちがったことはいっていない。  先生の一般論と、一隅にある生きた事情と、よく目配りできている。  まさにそういう友人の心当たりが脳裏にあるのだと思う。  (うーん、同じ学年の会長さん、同じクラスのノリミツ、中学は同じでつきあいの続くオニシ、三人とも群れるのが好きでなくて当てはまるところがありそう。 waka君はそういう友とつながりやすかったのかなあ・・)
: 「幸恵 コウケイ さちえ」  人名ではない熟語としては、辞書になしかな。
: 「虹彩 : これ何?」  当時はまだなじみの薄い語だったか。  今は瞳のそれとはわかっているけど、的確な説明がさらっとは浮かばない。辞書にお任せしたい。
: 「肝煎りさん」  言い替えれば、世話役さんだけど、辞書によれば、かつて役職名や職業名でもあったらしい。
: 「賽神!?」  週刊朝日、様々な話題が載っているようだ。  賽は、神仏に礼拝する。(身近な語なら賽銭にもある。賽の河原もこれ)  賽神は直接的には神への礼拝、御礼の意。  だけどどうやら、音からか、塞ノ神(道祖神)にも通ずるらしい。  文脈しだい、か。
: 「男性のポートレートとは?」  これも聞き慣れない語だったようだ。  肖像画や肖像写真。ひろげて、その人物の紹介記事。
: 「男が人間を代表。 男がすなわち、男と女を表わす。 女が男と女を表わすのは新しいタイプ?」  例えば人間を象徴する簡略画(シンボル)があるとする。  昔はたいてい、その輪郭は男性の姿だったはず。  ごく最近、前世紀から今世紀、そういう簡略画の場合、男女一対になってきているのでは。  無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)による差別だったという理由づけも生まれて。  しかし、新しいといっても、人間を象徴する姿に女性だけを用いる域にはまだなっていないようだけど、 例えば、日本の大昔の土偶にはそれがあったりする。  長いスパンでは、意外と、めぐりめぐっているだけのような気もする。ちょっと面白い。  (つまり、差別のある昔から差別のない今やこれからへ進歩するのが当然の定め、なのではなく、 差別、言い替えれば、様々な感じ方が消長しているだけ、だったりするのかも)
: 「モナリザ展でカバンあずけたとき、中、見られた?」  上野にモナリザ鑑賞にいったのは、5/8。一週間以上前。  突然思い出したんだろうな、あのとき気になったけどすぐ忘れた、このことを。  入場するときに持ち物検査があったんだろうか。 観覧者は大勢いただろうから、検査といっても一瞬と思うけど。 waka君が大切と思う私物(おそらく最たるものはこの心記ノート)が警戒されたり恣意的な興味をもたれたりもまずなかったと思うけど。
: 「おぞい?」  おぞい(悍)なら、おぞましい。こわい。悪賢い。など。  おぞい(鈍)なら、おそい(遅)から変化した語。  と辞書にある。
: 「通添 : よみは?」  辞書になし? 通信添削の略か??  https://ameblo.jp/imai-hiroshi/entry-11972488873.html  〔 ・・・ 1980年代まで、通添は受験の世界の定番であり花形だった。 ・・・ 〕  ここに懐古風な文章あり。
: 「惟川■◆」  篆書風なんだが、■◆は読めず。  →  http://codh.rois.ac.jp/tensho/se arch/ 「篆書字体データベース検索」  ここで解析すると「惟川霊宜」である可能性が高い。それでも意味は不明。  惟川という地は霊宜である(みたまがよろしい)ととりあえず解釈したが、無理め。詩篇の一部なのか、献辞のようなものなのか。なぜこの書体、どこから書き写した、等々今となっては謎だらけの四文字。
: 「薮 : よみは? 「薮の中」アクタガワ」  やぶ、という訓はさすがにわかっているのでは。  音は、ソウ。  手元漢和辞典では下が數の字体で載っているが、19画とあるので4画の草冠。デジタル文字 藪 は3画の草冠なので18画。  熟語では、藪澤(そうたく)、淵藪(えんそう)など。しかし、なじみなし。
: 「エスプリとは?」  esprit(仏)。  魂。才気。機知。  wit(英)とほぼ同義のよう。
: 「グラマラスとは?」  現地語では男女ともにいい、魅惑的なの意。  日本でのグラマーなという用法は、肉感的な女性(胸と尻が豊かで色っぽいオンナ)という意味ばかりになって、ずれているようだ。  ちなみに、高校授業科目でもある Grammar と、この glamour(glamor)は別物。  ・・と思って、念のため Copilot に確認してみた。


Grammar と、 glamour(glamor)はまったくの別物で、関連はないのか?

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実は、grammar(文法)とglamour(またはglamor、魅力)は歴史的に関連があります。元々、grammarは「書かれたものの学問」を意味していましたが、中世の農民にとっては、読み書きの能力がほとんど魔法のように見えたため、grammarは超自然的またはオカルト的な知識と同義になりました1。
その後、grammarは「魔法の呪文」や「魅力」を意味するglamourに変化しました2。この変化は、音声的にLとRが非常に似ているため、音が混同された結果です2。今日では、glamourは魔法を指すことはありませんが、魅力的な場所や人々について話すときに、その魔法のような感覚が比喩的に生き続けています2。
興味深いですね!他にも知りたいことがあれば教えてください。


 へえ。ほほう。きいてみるもんだね。
: 「週刊朝日はおもろ。 モリオもよんでる週刊朝日。」  モリオは高校友人。
: 「よばい  求婚するという古い意もある。」  ほんとう。  辞書にある例文は、古事記!  今は、夜這いとしか書かないが、元々は、呼ばう(の連用形の名詞化)だという。
: 「しかし、このノートだれか他人によまれたら、おおそろしいなあ。」  このつぶやき、しばしば出てくるね。  あまりに多いので、むしろ読んでほしいのかと疑いたくなる。
: 「春団治とは?」  Wikipedia、〔 桂 春団治(かつら はるだんじ)は、上方落語の名跡。〕
: 「「カラフト1945年夏、氷雪の門」をみにいこう!!」  この年公開の日本映画。  Wikipediaで内容がわかるが、記憶にないので、ついに観に行けなかったようだ。
:   「ホスピタリティ 厚遇」  歓待の精神。おもてなし。
: 「玄米はなぜ、売りしぶられる?   精米するとき薬をつけるから?  お米屋さんは「米をまたたべたくなる薬」だなどとおしえられているが、実は、まるでちゃう?」  裏事情通のような言説だが、週刊朝日の記事の感想か派生なのだろうが、いかにも、まゆつばな。  →  しかし、今ネット検索すると、精米改良剤というのが実際に存在するようだ。  あやしいが、根も葉もないネタではなかったのかも。
: 「超能力はウソなの?? ガガガ〜〜ン。でも、信じたい。」  「それでも、ぼくが超能力者になって、日本国民にいることを示したい。」  「週刊朝日の写真ほんとにだれか(例えば超能力者の■■■■じゅん君)超能力者ということになってた人なのか?  そうだという証拠なきゃ話にならん。どこか、記者のガキつれてきて、写真とりすべての文面創作してもいいのじゃないか。」  スプーン曲げをする超能力少年。  このようにwaka君も浮き足立ち、ほとんど信じ、暴露記事を読んで混乱するほどの、ブームというか騒動があった。  思い返せば、大衆があんな風に(核心の少年とそれを祭り上げるマスコミに)のせられてしまうなんてむじゃきといえばむじゃき、こわいといえばこわい。  → Wikipediaによれば、『週刊朝日』1974年5月24日号「科学的テストで遂にボロが出た! "超能力ブーム"に終止符」が該当記事。 waka君の目の前には、この号が開かれているのだと思う。
: 「アメリカ合衆国の地理的な形は、というか、地図でみるアメリカの境界線からうけるかんじは、 やはり、雄々して、ずっしりしている。」  雄々しく、か。(雄々として、ゆうゆうとして、かもしれないが、悠々または優々が正字)  あの姿、はたしてそうだろうか。  国境の形だけなら、同じかあれ以上の印象を受ける国がいくらでもありそう。  半分以上、いやほとんどは、内実を知る心がそう見せているのでは。
: 「曙 : しらべ  あけぼの あかつき )?」  あかつきは、暁。
: 「一重 : とは?」  ちなみに衣服では、ひとえは単と書くのがふつう。  (表だけの一枚の衣がひとえ(単)。裏付きの衣があわせ(袷))
: 「このごろ、巨人の星はかかさぬ。 今日は週刊朝日、2回分よんだよ。」  巨人の星のアニメは1968〜1971年放送なので、アニメだとしたら再放送。 (夕方頃、平日毎日。初放送のときもみているはずだから、再視聴でもあるはず)


     ┌午後
 今日、物理のはじめ先生がでてきてから、ちこくしてはいってきたオ■さんの笑顔はかわいかった。
 しかし、あのかわいらしさ、ほんとにはじめて彼女の顔にみとめたようなあのかわいらしさを 僕以外のだれかはみとめなかったのだろうか。 みとめなかったと決め、どうして、彼女のかわいらしさを他の人はみとめないのだろうと不思議がり、 そして、心中、たぶんぼくが彼女を好いているからさと、意識しているようなこの私。
 でも、あのぱっと、はなやいだような、そして、笑いたくなるような、 そして、ちこくしてしまったとてれかくしているようなあの顔、 もう、このあとの一生みられないのかしら?
 女の人はそれぞれ、いつもではないけれど、ときどき、 その人のあるかわいらしさ、美しさを、他に表わすのではないかしら。 女の人のそういう発現をどれほど見られるか、どれほど高い物を見られるかが、 男として、どれほどよりよく生きられたかになる?


 昼休み、卓球より帰りくれば前の引き戸のとこに、 宮■さんがたってて、そこを通ろうと思えばオ■さんもたってる。 二人の間を通り、席についたのち、彼女ら二人も席につく。 二人とも、ぼくの帰りを待っていたのか、などと考える。
  ↑
 どうして、このごろ、こんなフザケタクダラヌコトバカリ思いつくのか?


 オ■嬢の笑顔、べたぼめ。  話は前後しているはず。昼休みの終わりwaka君がぎりぎり戻ってきたときはオ■嬢も教室にいたわけだから、 午後イチの五時間目も最初からいたと思われる。六時間目の物理のアタマに、席に戻るのが遅れたのでしょう。(もしかしたら移動教室のため)  遊びとはいえスポーツが習慣化しているってのは、いい傾向。  健康的に発散しており、フザケタクダラヌコトバカリ思いついても多少なら許してあげたい。


 右どなりの小■さんと宮■■さんの影響大なため、左の遠くにいるカ■■さんのこと、 もうほとんどキガカリにならぬ?
 タ■■さんのことも、となりの二人がいるため、なんとなくうすれた?
 しかし、ろうかですれちがっても相手もぼくも、あいさつさえかわさなくなった、 タ■■さんやモテ■さんとの2年のときの友としての交流を思うと、シラケルナア・・・・。
 よく、ちょっとした事を話し、ちょっと笑い、交流し、あいさつをしたのに、このかわりようはなんだ。
 これはまったく、愛とかなんとかとはまったく無関係なのだが、どうして、 クラスがちがったためだけで、こうも変わってしまうのか、ぼくも向こうも。 はっきりいって、勉強の面でも、共同体の面でも、関係がほとんどうすれきえて、 交流し、あいさつする理由がなくなったためであらむ。 でーも、知人にはかわりない。あいさつぐらいできれば、心にこんなふうにひっかかることはなかろうに。
 1年や2年のクラスが同じだった男子とはわりとあいさつできてるよ。 でも、どうも女とだと、しらける。 ことさらにしてもいいのだろうが、よけいな意味をくまれてもこまる。
 そこで、ぼくは心の中のすっきりしないものをいくらでも軽減するため、 いつもほんのかすかに目であいさつしてる。相手の目をみてちょっと顔面をうなずくようにする。
 これはあいさつなのだ。ウィンクの変形でもなんでもありゃしない。みなさん誤解しないで。 (といっても、誤解したところで、あんな人、困るわと、めいわくがられけいべつされるだけなのだろうけど)

 男子とあいさつするときは手をひらいてだして、「やっ」という。
 (しかし、前のクラスメートなんて、ロウカでちょくちょくすれちがうから、あいさつするのめんどうになる。 でも、しなきゃ、心がすっきりしない。)


 毎日そばにいる、小■嬢に、宮■嬢にも少なからず、あてられつづけているので、 かつて気にしていたカ■■嬢、あのタ■■嬢ですら、もうなんかかすんでいるよ、と。  ・・  いくらでも軽減するため、は、いくらかでも軽減するため、か。  ・・  タ■■嬢とはクラスがちがっただけなので、ふつうの別離とくらべると、むしろ顔を合わせすぎるということだろうか。 いちいちちゃんと挨拶するのは(男子と女子でもあり)もう何かやりすぎで、といってなにもしないのもこのようにひっかかる。 そういう中途半端に、まだ経験の浅い高校生男女がとまどってという図なのかも。結局なんとなくやりすごしてしまう。  大人でもちょっと決まりがわるかったり、そばの部署に異動したときとか。あたりさわりのないひと言ふた言を交わせれば挨拶代わりになったりするんだが、距離感が調っていくんだが、ああいうのって思いのほか難度高かったのかなあ。
: 「お話。  Aさんが、心記の存在を知って、  「■■君、それ何なの。」  「はは、ただの日記だよ。」  「知ってるわよ、いろんなこと書いてあるんでしょ。みせて。」  ■■君、首ふる。  「だめ? 見せてくれたら、あなたの奧さんになってもいいわ。」  「ハハ、これを読まれたら、読んだ人をなんとかして奧さんにしようとするよ、僕が。」  → もちろん、これほどの一大辱恥詩を外にもらさぬため。」  お話、というより、妄想だね。  額面通りなら、この取引はwaka君の儲けかも。  お互い嘘つきみたいだから、見せるだけ損かも。
: 「Aさんを、A君さん.」  前項で。
: 「週刊朝日を週間朝日。  これかこうと思ったが、すこしの間、忘れてた。」  前頁の二列目にある。
: 「前の を 今の とよむ、感じる。」  この列の上から四行目。
: 「どうもぼくの字、よみにくくなった? もっとはっきり、よみやすく書くようにすべき?」  ということで次項から、きっちりした文字で。まもなく元の木阿弥だが。
: 「私たちはまったく、適当な事を信じてる事が多いのではないかしら。たとえば、名声のある人は、正しいことをする、とかいうようなこと。   もっと、他の例が、みつけられない。考えつけない。書き印せない。 (なぜなら、上にあげた例こそ、適当な事だと思い、適当な事に気づいてから、上の例をさがしたのでないから。)」  例えば、本に書いてあることなら正しい。例えば、母親は子を無条件で愛する。例えば、国家は国民一人一人のためにある。  耳にタコなぐらい聞かされている建前のいいかげんさ(適当さ)を、検討したり疑ったりせずに、当然のことと盲信していやしないか。と。
: 「このごろは朝起きてから、一時間ぐらい、ふとんの中で、目をとじつつ、 女の子との愛のはじまり、発展、完成を、たのしく空想している。それがとてもたのしく、起きるのがヤになるほど。」  まあ、特異ってこともないでしょう。  妄想のテーマが、愛とか異性なのは、この年齢ではふつう。  歳ふるにつれ、とてもたのしいのが、金になったり、命になったりする。
: 「あなたをあの人とまちがえた。   あの人をあなたとまちがえた。   上と下、意味同じくとることも可能なのでは?」  いやあ、ちがうだろう〜  上は、まちがえてあの人と思ってしまった。  下は、まちがえてあなたと思ってしまった。  あなた、つまり眼前の人と話しており、あの人との交換はできないのでは。  あなたとあの人をまちがえた、あの人とあなたをまちがえた、ならば言えるだろうけど。
: 「ふすまのあいてるへやで、これかきつつねっころがり下腹をボリボリかいて、おきてみえれば、 姉さんとなりのへやの机にすわってるよ。  ラジオ 姉きの。 の音、きこえていたのに。   姉きといえど、気づかれたら、恥だなあ。ぶしょう、ふけつ、とみなされる。」  親しき仲にも礼儀ありだけど、あるていどの不精、不潔はわかっているから、姉きはたいして気にしてないと思う。
: 「トイレはいったら、外で誰か女の人が、ハナーヨメハヨギシャーニノオオッテ  と、歌っているのを聞いたよ。高い声だったずら。」  1971年のフォークソング。「花嫁」
: 「超能力を盲信した反省として、超能力は嘘だとする情報を徹底的に疑う。」  なるほど。  超能力は本当だという情報はもう地に落ちているが、 嘘だという情報もしっかり検討し尽くせば、もう真相は動かないだろう、と。  わかる。くやしかったんだ。
: 《くねくねした線画》  頭を使って描いてはいないな。  手なり指先にまかせて、遊んで。
: 「ぼくのしゃつほとんど切れてたり穴あいてるから、新しいの買ってくれないかしら?」  親がかりなわけだが、買いに行くことすらしない。甘えてますなあ、高校生にもなって。
: 「ヤングという言葉嫌い。」  今はもう死語化しているか、日本語としては。  でもだれもが忘れ果てているので、現在はまだだけど、そのうち復活するかもしれない。
: 「先日、お姉さんに、ナナメ前の女の子は(オ■さんのこと)休み時間になると、 いつもマンガよんでるよ、といったら、おおかた家じゃよめないんでしょ、といった。 そのときはそうとは思わなかったが、今思うとそんな所があるのかもしれぬ。」  それだけじゃないだろうけど、授業中もマンガ開いてることあるし。
: 「前は、このノートに日付をつけるとき、時計狂っててまちがえてつけて、 ある項目がちがう日付にはいっちゃわないかしらん、と、たまに思った。」  今は、そういう細かいことは気にしてないってことかな。今は、時計が正確だから安心しているといいたいのかな。  今がどうのより、前、そういうことを気にしていた、ということを単に記録しておきたくなったか。
: 「鼻の穴が 《 絵 》 という形になるのは鼻の頭が肥大してる場合。」  waka君の鼻がまさにこれ。  が、日本人一般とかで法則化できるかどうかはなんともかんとも。
: 「ぼくの国語辞典かわいいけど、ぼろぼろぐちゃぐちゃになってる。」  角川の国語辞典。あまりにくたびれて頁も抜け落ちだしたので、同じ角川の国語辞典を新たに購入したはず。  高校生のうちになのか、もっと後になってからなのか、記憶はあいまい。  → その新たに購入した国語辞典、今も手元にあるが(これももうだいぶくたびれているが)、 奥付に「昭和五十一年 一月二十日一四四版発行」とある。 高校は昭和五十年三月卒業。早くてもその後のようだ。
: 「卓球のおかげで生活締まってきた? でも、夜の勉強時間は、もうほとんどない程?」  卓球したために、夜の勉強時間がなくなった、という因果関係は言ってないはず。  生活が締まってきたと感じているが、そうなのになぜか、夜勉強する習慣はなくなってきている、か。
: 「諦める」  これは前項で締の字を使ったので、そういえば諦というような字もあったはずと調べたんだと思う。  
: 「スモウの名、オトコヤマ(男山)にすりゃいい。  相模? ×  相撲」  相撲の競技名ということでなく、醜名(しこな)を一つ思いついた、と。  相模では、さがみですな。
: 「スモウ、競技大会でスモウやるのは2つの理由によりやだ。1つは、一般的に、皆やりたがらず、 ぼくもどちらかといえばそちら。でも、こっちはそれほどでもない。 もう一つは、皆、やりたがらず、えらばれても出場しないため、僕自身としては出ようか出まいか (出てもいいと思ってる、えらばれたから、でなきゃなあ、と思ってる。)  迷い、たとえでても皆、やる気があって出てるのでないので、ぼくも何か一団となって戦うかんじがえられず興ざめ。 といって、皆のとおりでないと、ギムをおこたるようで先生におこられるようでやだ。」  歯切れがわるいなあ。  そもそも、裸の胸と胸をくっつけあって押し合う、というのが、男同士とはいえ恥ずかしいよね、どうもね。 waka君の胸、ぷっくりしてて女の乳房を感じさせてしまう恐れもあるしさ(^^;;  というような本音を隠しているから歯切れがわるいのか。  いやいやいや、実際、すもうとったとき、あいてに「おっぱいみたい」とか言われた(口走られた)ことあった気がするなあ・・ 
: 「クシャミ3度、風呂出ておきてるから、カゼひいたのか?   あの、ハナミズのでる、カゼにはなりんたくない。」  「たとえ、今勉強できなくとも、今の健康さが保てれば、(勉強すれば必ずカゼをひくというわけでなくとも、)あまり多い。」  耳慣れない言い回しだが、今の健康さが保てれば十分おつりが来る、という意でしょう。あまりある。
: 「ずっと前、カセットLL買わなくてよかったあ!!  あの時は決めたけど、お父さんお母さんが抵抗体となり、すんなりいかなくて、買わずにすんでしまった。 あのときは強く買いたいと思い、買ってしまっていたなら、 自分のしたこととあきらめていたろうが、ぼくのお金ひどく減ってしまっていただろうからなあ。」  英語教材、カセットテープ群とその再生機器のセットだった。 広告をみてよんでまったくその気なったwaka君だったが、 高額のため、郵便貯金をおろさねばならず、通帳と印鑑を保持している母親に話したら、 やめておけと忠告された、押しても押し返された、ということがあったはず。  で、そのときいったんあきらめたところ、その後熱は冷めてしまい、後日、本文当時はもう、買わないで正解だったと反芻するまでになっている。  ということ。
: 「被相続人を相続人と、同じ意にとってしまうよ。  ちがうんでしょ。」  まぎらわしい。たしかに。  相続の対語があればわかりやすいんだが、なぜかないため?  (相続人に継がせた立場のものは、死んでしまうとか、一線を退くとか、さえないので、脚光を浴びない。それゆえ?)
: 「さかん、とは?」  左官?
: 「呂 呂」  2字目は頭に点がついてる。
: 「though → thongh」  筆記体でまぎらわしくなった、と。
: 「teach を teech」 「しかし、英語は、覚えるのたいへん! 大嫌い。」  表音文字なんだから、teech でいいじゃん、とか思うよね。  でも、英語民にとっては許されざるいいかげんさなんだろう。  日本語民が、だろうであってだろおじゃないとこだわるのと一緒か。
: 「批難 非難」  辞書ではどちらの表記もあり。  ちなみに、難に非ず、では意味が逆なので、否定し難じる、なのか。
: 「フットボール 足」 「サッカーの語はどこからきた?」  辞書によれば、association football が正式名で、「サッカー(soccer, socker)」はその学生俗語とか。
: 「ぐわしょ」  楳図かずおのは、ぐわし。  本項はたぶん関係ないと思うけど、元気ある掛け声を発したので、書き留めた、かな。
: 「坂の所で、朝、自転車とのたくってる のぼってる とき、フ■君とあいさつ。」  校門前のあの坂を自転車でのぼるとき、まさに、のたくるという感じになった。
: 「■■じょうさんは中国的ようぼう。」  わずかに雰囲気がそうなのか。  日本人、中国人、韓国人、など、外見上の差異は具体的には言えないと思う。まとっている空気に差はある気はするんだけど。
: 「Intermediate  m × In ○ }?」  中間の、中間にある、中級の。
: 「尊敬  これでいいのだっけ?」  本文の尊は頭の二点がない。
: 「譲歩 : 」  本文の譲は、右上の点が二つに見える。
: 「彼が求めていると思うからです。  彼が求めていると、私が思うからです。  求めていると、彼が思うからです。   どっちにもとれるが、前者にとりたくなる?」  微妙。  彼が求めていると彼が思うからです。は、畳語気味で不自然。よって、自然な前者にとりたくなる。
: 「生活 らいふ とあったので、そういうよみがあったのか、と思ったが、こりゃ lifeのことでしたっち。」  ふむふむ。  勘がわるい、と言えばそれまでだけど、振り仮名をふるなら「ライフ」だろう、ふつうは。  原文筆者はかっこつけすぎ?
: 「イ■■ちゃんに中也のの詩集かしてある。ぼくが、サクタロウよみおわったら、とっかえようという。 (とにかく二人で、そういうことになった。)  ぼくまだ、ほとんどよんでない。イ■■ちゃんから、とっかえようといってきてくれればいいと思ってる。 1つには、中也をよみおわっている場合のイ■■ちゃんにはやくサクタロウをよませて、 なるべく、イ■■ちゃんに支障を感じさせぬため、また1つには、 ぼくははやく中也をよみたいんだ、という、イ■■ちゃんのワガママ、エゴイズムをみたいため。」  なにか変だね。ラストは、ぼくははやくサクタロウをよみたいんだ、でなければ、筋は通らぬが。  それに、一つ目は親切なやさしい気持ちなのに、二つ目は一転、やけにいじわるだ。  ぼくの本なんだし、ぼくははやく中也をよみたいんだ、というわがまま、エゴイズムな本音がある。 これ、自分自身にも見せたくなくて、あからさまに文字にできなくて、倒錯したような姿になっている、とか。  いずれにしろ、試験対策なわけで、詩人や詩集への愛はうすそうだ。

※ 『1974/05/18 このはみだした所を、』 :

 パン、150円。
 3倍。


 1時か2時頃うちかえってきたら、おばあさんに「ごはんたべた?」
 「ううん、」 「こっちないから、あっち(■■)にたべにいきなさいね。」
 こっちでたべさせないため、ずっと前のように■■で食べさせたいため、そういったのかとも思う。
 こっちで、■■リが、食べるべきはずだったパンたべる。

 ■■リがねてるのは帰ってくるときみえてたが、もうくったかどうかわからなかった。
 学校か何かでくったろうとは思ったが、くってなくて、このパンが■■リがたべるはずのものでも、 ぼくの目の前にあり、はりがみもしてないので、気持ちで食べちゃう。
 ために、あつい中をパン買いにいくふんいきになリ、いく。
 サンダルだったので、ケイサツの前通るのやだった(自転車、サンダルでのると罰金のような気したし) で、うちのそばまわったが、1けんはないといわれ、もう一つはなさそうだった。 やむをえずケイサツの前いくことにしたが、サンダルでだいじょうぶかと迷う。 とがめられはしない、気づきはしない、気づかれても気にしやしない、と思ったけど、 万一とがめられて罰金なんてのになったら、めんどくさいし、もったいないとも思う。 お父さんならこういうとき、はっきりしなきゃ不安で困る、というの知っていて、 そのためか、うちにはいり、くつととっかえて、いく。
 つかまってもまったくかまわぬとはっきりするのもあったろうが、それはぼくにあわぬ?
 また、かくつもりないことまで長々とかいてしまった。
 このごろ、ちょっとかきたいことあってかくと、どうしても、そのあとつけくわえねばならなくなり、長々となること多い。


 家業の職場に食べにいくのが面倒(ひさしぶりの場所、よそよそしい気分=部外者の立場で食事をするのが気重)で、 でもお腹がすいていて、目の前にパンがあったため、兄は妹のそれをたべてしまったんだ。欲望に正直だね。  わたしの食べた、など泣かれてというわけでもなさそう。(■■リは、上の妹ほど食い意地が張ってはいない)  ■■リはまだ寝ているのかもしれず、兄はおもんぱかって、行動に移る?  ・・ということなんだが、パンを買いにいった話は、途中で消えてしまった。  たしかに余計な話なんだろうけど、いちおうのオチはつけてよ(^^;;
: 「月ようにイ■■ちゃんとコウカン、詩集、」  頁上辺エンピツ書きメモ。  朔太郎と中也の詩集の件、週明けにははっきりしようよ、と。
: 「しき■ぎ 妙 ■」  本文(三列目下方)参照して推測を加えると、ここは「しきじき 妙 秒」か。


 いくらか前の朝、ちこくすれすれにきたためか、したじきであおいでたら、 硬い所がいくらかおれて 《 絵 》 という形になった。 これにくっついているやわらかい所はもちろんおれないので 《 絵 》 というようになってる。
 このはみだした所を、硬いのをつつむようにおりまげ、そこを、手のひらにつかんであおぐとあおぎやすい。
 このあおぎやすさのためか、かおうかおうと思って、まだ新しいのかってない。

 ほんとの理由は、買う機会なく、あっても買うことわすれてる。 自転車でぱっぱっと帰るので、買う機会少ない。きのうタツオなどと帰ったときもプラザにいく用がみつからなかったので、 ぼくのみ帰ったが、これはつまり、下じき買うという用を思いださなかったため。


 瑣事がき好き(?)になってる、付け足しも癖、かも。  (一旦言い切り、区切るんだが、言い足りない、話を丸めてる、そんな不全感が浮上するもよう)


 失礼してるかどうかわからないのに自殺しようと思った少女、 それでもやっぱり一度だけはと、男の家にいくが、昼寝をしていて、おきないということ。 少女、家に帰り、あの人には手紙でわけを話そうと書きだすが、そのとき電話かかり、 男が「君、きたんだってね。昼寝しちゃっててごめん。」といってくる。女、すこし、明るさをとりもどす。

 たとえ好きな女でなくとも、また男でも、こういうときは何か連絡すべき? それが礼儀?

 たずねて来た人に。


 前段の物語は、派生妄想で、いいたかったのは(礼儀かどうかということが気になっただけの)後段か。  前段の物語を書きたくて書きはじめたが、終わりにさしかかってそれ以前にいいたかったことが思い出されてきた、というふうなのか。  物語と対話しているうちに、飽きて、関心が移ってしまっただけ?  いずれにしろ、失礼してるかどうかわからないのに自殺しようと思った少女、という設定は、妖異ただよう域・・  ・・・  そうか、失恋か!! たんなる誤記が、創造をしてしまった、という現場!?
: 「ぼく、今、北西のへやで、下のしきぶとんに、うすいどてらかけてねてます、よこになってます。(うすい毛布ははねのけた。) まだ3時だけど、むしむしするしパン買いにいったり、学校の帰り、 将棋同好会あるときのようにこうぶんどうと、石川書店に会長さんとまわってきたためにか、つかれているから。」  どてらは厚手と相場が決まっているのだが? 袖付き毛布のことをいってるのかな。  5/18、この土曜日、同好会はなかったんだね。なぜなんだろう。三年生は引退したってわけでもなさそう。
: 「すえぜんくわぬは男の恥というけど、妙に色っぽいしぐさを示され、その気になって、やっちゃうと、 わなにはまったり、罪におとし入れられたり、金ゆすられたり、わるい結果になること多いよう。 ごくふつうの恋愛でさえ、女のみりょくにのっちゃうと、一生その女のしりにしかれることにもなるやもしれぬ。 いわんや、上のような場合をや。   これでいいのか?   それとも、上の場合の中に、下の場合がふくまれる?」  辞書によれば、いわんや〜をや。で正解。おや、ではない。  高校生男子、警戒しておりますが、 とりあえず後年にわたって、このような罠にまんまと誘い込まれたなんてことはなかったと思う。 とくに 年下女子から のそれは。(水商売でのあけすけなそれも数に入れないで)  だいじょうぶ。そんなにモテないから。
: 「したじきをしきしき  妙を秒」  妙を秒はありがちだろう。(前項)  したじき>しきしきは、認識と発声と文字の連動が混線したふう。(2列目上方)
: 「今日、近代将棋買ってきた。この前は、お金なくて買えなかった。」 「近代将棋と、将棋世界どうちがう?」  将棋世界と近代将棋が、将棋関係二大専門月刊誌。  将棋世界は堅めで連盟サイド、公式見解風で、近代将棋はどちらかといえば若者向け、くだけた内容(読み物など)もあり、 だったような気がする。  が、近代将棋は後年廃刊となってしまった。
: 「所為  これを、せい、とよんだのだっけ、などと思う。「しわざ」とおもったのだっけ?   しょい、せい、(ゆえ?)ともよむずら。   現国の時間に、一度しらべた。」  辞書によれば所為は、しょい、せい、せえ、そい、などと読んで間違いではないようだ。  意味的には、ゆえ、と当ててもよさそう。  → せい、という口語を漢語化して所為と書いたような感覚をもっていたが、 辞書の説明によれば、所為が先にあって口語せい(しょい→せい)が生まれたらしい。へ〜
: 「ちょっと、のどから、胸にかけてくるしい。ぜんそくで、はげしくせきのでる前のときのよう。鼻もいくらかつまってる。バカ陽気のせい?」  「陽気は、天気、気候と同じぐらいの意に思ってたが、書いてみると、あたたかいという方の意がある様。」  急に暑くなって発汗機能が追いつけない、熱っぽくなってる、などがあるのか。
: 「ぼくの この 乱れたような四畳半に、ぼくのごろんとふとんの上にねてるのを、かつ、昼間みたら、 もしくは、このへやにはいってきてみたら、とにかく、そうしたら、クラスの女の子、どう思うかね?  原人、という感をいだいてくれるかしら。もしくは、人原。 ニンゲン」  まあ、現われるはずないんだけど、クラスの女の子。  仮に。補助線のような存在として現われたら、と仮定して。  原人、肯定的。素朴、あるがまま?  ・・  陽気に合わせて、記事もふやけてきてるような。
: 「原 ⇔ 元(=)もと ?  なぜ、もとの意をもつの?」  辞書によれば、和語のはら(原)は、日常普通の生活からは遠い場所を指す語であったと考えられる、とのこと。 の(野)が日常生活に近い場所をいうのと対照的に。  漢字の原、中にあるのは泉で、みなもとが原義、とのこと。
: 「これをちょくちょくかくのでしずかに読書(近代将棋)もしてらんない。もしくは、とぎれてしまうので、せわしく感じる。」  だったのだけれど、以下、近代将棋を読みつつ、気になる語をメモしていってる様子。しだいに集中が高まっているようだ。
: 「作戦をこうする。 ?」  講ずる。または単に「作戦をこのようにする」と言ってるだけの場面?  前後の文脈の中で判断したい。
: 「亥歳 :しらべ」  偏と旁の一文字かと思ってさがしたが、二文字で単に「いどし」「いのししどし」と書いてあっただけみたいだ。
: 「鮨 : しらべ!」  すし。
: 「精神作興?」  さこう。さっこう。  人の気持をふるいおこす。ふるいたつ。
: 「撫然の意は?」  憮然だろう。撫でる(なでる)の撫然は辞書になし。
: 「彼れ?」  原文、誤植気味? (または原文作者の書き癖)
: 「ドグマ」  教義、教理、教条。独断的な説。
: 「錘  つば かね いかり )とよむ。 おもりでした。」  鐔、鐘、錨、若干にてるけど異字だね。
: 「炯酒」  辞書にはないが、文字に従えば、ケイシュとよむんだろうなあ・・  ネット検索すると、備前吹酒炯器(大)徳利付などというカタログがでてきて、酒燗器のことらしい。つまり、炯を燗の略字としてもちいている。  ということなら、本文は、燗酒のこと。原文「炯酒」で「かんざけ」と読ませたいか。
: 「冷奴をさけと思う」  まだ酒のみでないので、ピンとこないんだろうな。

※ 『1974/05/19 というブランコだと、』 : 「ノートまわってきたら、文化祭やらないとしたら、文芸誌だすか、どうか、かいてください、てかいておこう。」  文学クラブの回覧ノートが回ってきたら。  あるとしたら文化祭は秋の十月。五ヶ月前だが、(部長として)心配しはじめるのが早すぎるということはないのだ。
: 「この前、タツオなんかと残ったときに、下こく上をならったのだが、前にもやったっけ? (トランプずら)」  いわゆる大富豪といわれる種目の一変型だったような。もう詳細は忘れた。
: 「どこかでうっさい音楽やってる。」  5/19は日曜日なので、自宅近くで、でしょう。
: 「ま  まきちらす を まちきらす   まき MAKI >似てる」  言いまちがい(書きまちがい)とは別に、まときが似てしまう、と。
: 「ひらがなのあるものとあるものが似てしまう事にイカリはかんじぬよ。」  笑。  怒りではなく、困ったもんだ、ってところかな。
: 「ワジマのカオは、タナカカクエイににてる?」  当時の横綱と総理大臣。  輪島、1973年7月、横綱昇進。一年前。  田中首相退陣が1974年(昭和49年)12月。半年後。  似てるといわれれば似てるかも。
: 「夕方、くらいなかねる。 たたみの上に。  くらくなっておきる。」  薄暗くなったころ、電灯をつけず畳の上で寝てしまった。  目ざめたら、すっかり夜になっていた。
: 「《 絵図 》 というブランコだと、長さちゃうので、ふれかたがちがう?」  だろうね。  乗り心地わろしと予想。
: 「腕時計とめざまし時計が、同時に8時25分のとこでとまってた。」  夜の8時25分だろう。  超常現象ではなく、共にそこそこ不調なのをだましだまし使っていたはず。同じ時刻で停まったのは偶然だろうけど、何かの両機ともがこうむるような衝撃が8時25分にあった、ということもありそう。  (例えば、畳の上で眠っていたとき目覚ましが鳴ってこれを乱暴にとめた、その手首には腕時計。という場合なんかなら、起こりそうではある。 ← この推理は冴えてるかも)
: 「この他にも何かなかったか。を、 この他にも何か何〜 とかこうとする。」  探したら、これはどうやら、『1974/05/13 校庭のバックネットの右』のB(第2頁)の4列目にある同語句のこと。  しかしどうしてそんな昔(5/14)のことを!? まもなく5/20だから、一週間前を読み直していて見つけたということか。


 ほんとに大学に行きたくないが、この気持かなうのかしら? ■■高にいて。このうちにいて。

 本を読み、働き、物を書き、将棋をさして、生きていきたい。
 太りすぎは早死にだというから、すこし、やせるようにして。

 正直大学嫌だ、勉強嫌だ。今までは、大学に行くのは、しょうがないと思ってたが、 これは、人並みに、すこしでも上のグループにはいりたいというぼくの野心を隠すため、しょうがない、と思い、 その野心のためにか大学を拒否する人々を、冷笑した。  でも、今、ぼくは、大学とその受験の苦しみの前にたって、ぼくの世間的な野心はこの苦しみにみあうものかしら、と感じるのだ。 こんな苦しみは嫌だ、楽がしたい、と思うのだ。かつ、充実していきたいと思い、冒険したいと思うのだ。 もっと自然の力のある、社会の中のジャングルみたいなとこで何かしてみたいのだ。 このまま、だれもがするように流れていくのはあきたし、いやだ。 とりすました生き方は高尚かもしれないけど、かっこいいかもしれないけど、正直いっておもしろくない


 あけすけに書いているほう。  要するにめんどう、学校も飽きた、なにか進学しない大義名分を探している。  高校三年の一学期、そろそろ進路を(腹を)決めないといけなくなって。  (中期の懸案が秋の文化祭の文芸誌で、当面の真の問題が来春の卒業後の身の振り方。  青空のような志望があるわけでなく、昨日のような今日をつづけていければ、という地べたの動物の欲求だ)  (赤点のことがあるので、すんなり卒業できないかもという問題もあることはある)  家は裕福なほう。どっちにしようかなと選べる時点でそうとうに恵まれている、おぼっちゃん。
: 「大学に行かないにしても、高校の勉強は、ちゃんとやらねば、卑怯だと思ってる。  これは正しいのか、錯覚なのか。それとも、もしも大学にいくきになったときすぐのりうつれるためにと思ってるのか。」  決断を先延ばしにしたいので、現状を維持しておくしかない、とりあえずは。ということでしょう。
: 「華○  華× ?」  ×は中棒が上に突き出てる?
: 「余る   アマチュア 甘い?  英語と日本語の発音似てるの多い?」  これはそういうことじゃないよ。  音韻、掛けことば好きということでは?
: 「レオナルドの生き方も、(見方によれば)いわば空振りだ。」  レオナルド・ダ・ヴィンチのことなんだろうけど、何を根拠にこう言っているのか。 具体的なそれはなくて、どんなに凄い天才でも、という意味で引き合いに出しているだけなのか。  (先日モナリザ見学をしているから、彼のことを若干かじってはいるはず)
: 「今思うと、八月九日の通話は、よかった。」  高校二年時、昨年秋の文化祭でだした文芸誌掲載の自作。  自分の中でも、評価が地に落ちたり上がったり、思い返すたびにちがって、定まらないようだ。  waka君のそのときの気分によって、良くみえたり逆だったりするって、ダメなだけの作品ではないことだけは確かなのかも?
: 「のんでうってかってかいてかく   ?」  呑んで打って買って描いて書く、と当てたい、今なら。  当時は、書いて書く、と当てていたのかも。呑んで打って買って、あたりは高校生waka君の心意気としてでしょう。  ちなみに、売って買って、打って勝って、などにもできるか。

※ 『1974/05/22 :ほんとなら、いろんな形にみえるはず』 :

 どんなにかなしくても手でほっぺたをつねってほほえみをつくり、 客に相対さねばならぬ、京都の小学生は。 と、岸元首相がいった。
 ■■コがそれをやり、ぼく、へただといい、ぼくがてほんみせる。
 黒人の六っ子がないてる。うち二人はねて、二人は汗をかき、二人は泣いてる。1人は死にそう。
 けんどう部員が、女子校の女子けんどう部員とつきあおうとし、エンピツおくる。 そのエンピツをせんたっきに入れてまさにまわそうとする。どうなんのかしら。

 こんな夢みる。


 導入がいい。度肝ぬかれるレベル。
: 「中学のとき、「おばかさん」をよんだあとだったので、ちょっと、エッチで、いんうつな、大人の夜の事を、 ちょっともじって班日誌にかいたら、それが先生の目にふれて、先生があまり中学生らしくないものはかかぬようにと、 クラスの反省会か何かのときにみんなに対して注意したとき、ぼくはずかしくて、赤くなり、下むいてたなあ。」  うーん、まだ子どもだったか。  もうすこし成長した後なら、○○らしくないものといわれても、 それだけ過激に感じられたのかと自慢したい気分になれるのに。  むしろ、描写が甘い、頭でかいてるにすぎない、などといわれれば、図星でもあり赤面するだろう。  → 中学生って、とりあえず真似てみたいお年頃だと思う。  それにしても、遠藤周作の「おバカさん」にエッチでいんうつな大人の夜の事なんてあったっけ・・
: 「カシ■■さん、■ガミさん、イシ■さんはみんな■■か。(それもE組)  ■■出身のような、ミヤ■■さんやオ■さんは、そうじゃない。」  女子たちの出身中学のこと。  waka君の高校はwaka君と同じ■■中出身者が多く、彼らにはなんとなく母校特有の匂いがした(と感じていた)。  ■■中は三年間同じクラス。waka君はC組だったので、両隣のB、Dクラスは多少顔見知りもいたけど、その向こうの、A、Eクラスとなると縁遠かった。  まだしもA組には複数の気になる女子がいたが、E組にはそういう人もいなかった。  → すでに高校三年生だが、前項で思い出したためか、母校中学がらみの記事。
: 「火■君は体がでかいなあ。」  そうだったっけ? 記憶では同じぐらいの背丈なんだが・・  将棋同好会の一年後輩。すでに会長職は彼に引き継いでいる。  高校の一年間ぐらいの間にも成長してたり? 
: 「ナゾタワー」  うん、これ語呂がいいので、たまに口にしてた気がする。謎だ、とひとりごちるときに、かわりに言ってみたり。  → 児童の頃は、実際に、用途不明の尖塔(細くて高い建築物など)を見かけると友らとそう呼んでいたと思う。


 O■■さんの体操服の(上着の)色は、ピンク色なのだ。なんで好きこのんでそんな色にしたのか?  でも、事実色っぽくみえるよ、そんな色の服をきられると。

 ぼくが女だったら、まず、そんな色の服は、よりによって、体操服なんかに着ないだろうなあ。 ふつうの服でもきるか、どうか。
 しかし、■■高の女生徒にしてみれば、いつもは制服、彼女たちの個性を、男子生徒の前にあらわすとしたら、 体育の時間の体操服か、自分たちの顔ぐらいになっちゃうのかしら?
 もしくは、タ■■さんやオ■さんがよくするように、 髪型変えたり、むすぶリボンを変えたり。苦労してるのだね。

 では、そんな苦労をせず、男子なんか、とんじゃくしないで生きている女生徒って、だれかしらん。 それでなおかつ、美しいような人って。
 一人あげるとすれば、■■サキさんであろう。 あの人、男子より頭がよく、スポーツできることに生きがい感じてるのではないかしら。 男子をやはり気にしているとみればみられるけど、ふつうの女の子とはちがう気にしかた。 まるで、一部の男が女をみるときのように、男をケイベツしてるみたい。 しいていえば、やあな女だけど、去年、文化祭の頃、髪を二つにたばねたときの顔は、美人だった、 これが、■■さきさんか、と思うほど。
 でも、このごろは、スカートがひらひらするのもかまわず、ろうかを走りまわってるよ。

 もっと、けんきょで女らしい女の人って、いないのかしらん。 誰をも愛せずには、優しくせずにはいられないような女の人。 なんのかざりつけもせず、ただ制服の中でじっとしている人。じっと優しく見ている人。
 ■■高の女にはまあ、タカノゾミであらむ。 これといって、気づく人いないよ。女子校の■■ケさんはどんな女の人になったかなあ。 そんな女の人になったかなあ。

 永■先輩が■■サキさんを、テツワンアトムとアダナしてたが、 いつもの彼女の髪型、アトムみたいだし、力も男まさりで、アトムぴったり。

 上着は、下着の対としての意味か、ズボンやスカートの対としての意か?

  ↑
← こういう軽いことを考えてると、気持ちもいくらか楽になるが、勉強時間も少なくなるのでこまる。
  (今、朝4:45。3:30か、その頃おきた。)

    2:00頃おきたが、ねちゃう。


 オ■嬢(O■■さん)。 おしゃれ、というか、女っ気の濃い女子だったのかな。 それも肉感的にいやおうなくかもしだされてしまうようなそれではなく、 多分に内発の気持ちで創りあげているようなそれ。女の子ぶり。  ・・  ■■サキ嬢。 評価いったりきたり。 (^^) 愛すべき女子ではありそう。 (中学時のwaka君との因縁は他所の注記ですでに述べているとおり) アトムぴったり。 爆。 女子としてどうなの? 本人は半ばあきらめていた!?  ・・  女子校の■■ケさんは、中学時のwaka君の想い人。見た目はおとなしそう。waka君にはなぜか礼儀正しい。姿はすっきりしている。洋装店の娘で控え目ながらおしゃれ。テニス部員、徒競走にも秀でていた。高校は別で、ずっと会えていない。  ■■サキ嬢、■■ケ嬢が、waka君の母校中学のA組の女子たち。  ・・  上着は、下着の対としての意味か、〜  両義あり、だな。 和服の時代は内の下着の対の外の上着だけだったけど、洋装の時代となって上半身につける衣服の意が生じたのだと思う。
: 「肌はほんとは透明なのだが、肉や血が中にはいってるため、不透明になってる?」  それっぽいところもあるかもね。メラニン色素、とかあるらしいけど。
: 「どうして、ぼくの鼻って、ああいう形をしていて、ぼくの肌は乱れポツポツがあって、かつ、顔のかたちはああもぼくの気にいるのだろう。」  最後、悲観的な言がきそうで来ず、真逆。  物語っぽい。極小の。  こういう、こうも、とは言ってないところも、おもしろい。密着感覚ではなく、視覚的に眺めている、想起している?
: 「ぼくの目にはみえないけど、頭の毛の合い間合い間に白い顔をのぞかせている無数のフケ。  ぼくの顔を占領する、大小さまざま、毛穴の数ほどもあるにきび。  いんくによごれた手。頭をかいて、フケが間にたまっている爪。」  これは、描写のみ、起のみで、承転結が欠けてる感。  上向いた気分がまた下がっている?  そして、わざわざマイナスイメージをこれでもかと想起して、自分の精神状態を試している、耐久性を測っているようなところあるのかも。
: 「■という語ない!!  ツメにツメなし、ウリにツメアリ、  と思っていたので、  ウリは瓜、ツメは■と思ってたが、ツメは、もう一つなくて、爪なのだ。 今、しらべてわかった。だいぶ語字を書いたようだ。」  誤字。  ちなみに、今、爪の漢字をしらべていて、これがつめかんむりという部首であることを知ったが、つめかんむりって、愛の頭にのってる形だったんだ! これは知らなかった!  受、稲、淫、隠、瞬なんかもそう。為の旧字爲もそう。(これを含む漢字、たくさんある、251字も。※JIS第4水準まで入れて) へーだよね。  手元漢和辞典では〔 爪で文字を作るときは、手で扱うことを表わす音符として用いる。〕とある。  ちなみに、瓜の部首は、うりで、孤、弧、瓢、など37字。
: 「しかし、今、思うと、修学旅行の二日目、11時頃、女の子をよんだのはまちがいだったなあ。 そのときのぼくまるでやるきなかったけど、今、思ってみれば、何かおきてしまったやもしれぬ。  あーあ、はずかし。」  これは初耳級では? 現在、まったく記憶に残っていなかった。  修学旅行は本項の前年秋、半年ぐらい前。心記(このノート)にもこのことは書かれていなかったはず。  つまり呼びにはいったけど、来なかった、状況は実現しなかった、未遂に終わった、忘れてよしの瑣事、ということだったのか。  でも、よびにいったのは、ではなく、よんだのは、と書いてるので、実際に来たようなニュアンスがにおうなあ・・  ううむ? (まあもちろん記憶に残ってないぐらいだから、男女のまちがい的な事は何もなかったんだろうけど)  ・・  (軽装の、男グループと女グループが夜の旅館の布団をはね上げた畳の上で顔を合わせて、 楽しく遊んだり語らったりしようとしたんだけど、 いざそうなるとお互い意識してしまって、ぎこちなくなり、教師の巡回もあるのでさわぐようなこともできず、 女子たちは早々に引き上げていった、という程度の顛末が想像できるけど・・  アタマで空想していた事態に比べて、なんだかバツが悪いかも。忘れたいかも、たしかに)
: 「sigh sign」  sigh は溜息、sign はサイン。  しかしなんで、g なのか。
: 「get を ged と思い、 辞書ひいてる。」  おかしいなあ、と気づいたのは、 ged が見つからないからか、gecko と gee のあいだに get が見つからないときなのか。
: 「おとといの夜は、オナカだして、その上にふとんかけてねてるのわかっていて、 こりゃハライタになるかも、と思いつつオナカをしまおうとしなかったが、結局、ハライタおこらず。」  笑。なんとなくおもしろい。  でもまあ、裸でねる人もいるようだし、ふとんかぶせているなら、一応カバーされているしで、そこそこだいじょうぶなはず。  暑苦しくてふとんを外してしまったとき、肌着でカバーしているかいないかは大きそうだが。
: 「each をひこうとして、Cの項をひいてる。」  おのおの。  waka君、目がおかしいのか頭がおかしいのか。  未明の時間帯らしく、眠気におおわれているような。  ・・  しかし、今、英和辞典(講談社学術文庫 編集主幹 川本茂雄 昭和54年 本文1558頁 定価1000円) を開いて each の項を見てるが(何十年ぶりかで。別の辞書だろうが)、 〔 形容詞・代名詞・副詞として用いられる. every よりも個別的な意味が強いので,定まった数のものについて用いられることが多い. 同格の代名詞的用法と副詞的用法との間には密接な関係がある. ・・・ 〕 などといわれてもちんぷんかんぷんだよ。 こんなこと意識してる英語民なんているのかい。 いるとはおもえないよねえ。 だったら、なんの意味があるんだ、こういう解析、説明・・  英語民にとっては自国語のことだしより詳しく知りたいという人もまれにいそうだが、 他言語の民にとっては、どうなの。 英和辞典、日本語民の先生たちが、百年二百年積み上げてきた成果なんだろうけど、先生たちの自己満足じゃないの。 しかも、英語民の先生たちには、鼻で笑われてたりしてるんじゃないの。 仮に、他言語の民なのに、よくぞここまで理解してくれて、と感心されるレベルだとしても、それってそんなうれしいことなの。  (こんなところ読まれたら、日本語民の英語教師たちに火あぶりにされそう。でも、言い分は聞いてみたい)
: 「《 Mのデザイン文字? 》 :ほんとなら、いろんな形にみえるはず」  今は、M字開脚している女子にしかみえない(^^;  うーん、机上で開いている本の手前か向こうから見た図、とも言えるか。  当時はどういうつもりだったんだろう。これはオリジナルかな、何かからの写しとか真似かな。
: 「あの人を、ぼくのものにするためのかんたんな考察。  「○○さん、ちょっと、お話があるんですが。」  「なんでしょう。」  「ちょっときてください。」  「ええ。」  ・・・・・  「なんなんでしょうか。」  「○○さん、ぼくはあなたが好きです。」  「まあ、ありがとう。・・・・それで?」  「それでといっちゃあなんなんですが、ぼくと結婚してくれませんか。」  「本気ですか。」  「本気でこんなことはいえませんよ。」」  ひっぱったわりには、オチのひねりがイマイチ。  これはオチを書きたかった小話ではないね。  こういう会話を疑似体験したかったようだけど、なげやりになってしまったね。
: 「しかし、まあ、こんなノート、ぼく以外のだれにもみせられないなあ。 もう、どの一ページを見られてもぼくは破滅するよ。」  この通り、全世界に公開してしまっているよ(笑)。  まあ、破滅はないだろう。(当時もたぶん)
: 「そんなこわいノートをいつももっていて、学校にまでもっていくのだから、不用心。 体育のとき、みようと思えば、だれもが、ぼくのカバンなどから、これをとりだせるのだ。 それに、いつもだって、力づくでやろうと思えば、これをとれるのだ。  中学の頃のササ■やカッペのようにいたずら心で、これをとることもできるのだ。」  ササ■やカッペは中学の悪友たち。  彼らのような(育ちすぎた小学生のような)いやがらせ的ないたずら、いじりをする同級生は、高校ともなると皆無だったので、 心記を人質にとられるとかの事件は起こらなかった。起こりようがなかった。  (waka君の高校はまじめ生徒が大半だったし。  まじめすぎて左翼に走る生徒たちも(その中の少数は過激化するような左翼)数学年上まではいたようだけど、 waka君の頃からは潮がひくようにいなくなったようだ。 生き残りのような先輩が一人、文学クラブにはいたけど)  ・・  まだ書いていないかもしれないのでササ■君のことを書いておく。  ○ すました顔立ち。  ○ 中学のとき同じC組(三年間クラス替え無し)。同じ生物クラブ員。  ○ waka君の名札をうばって、女子トイレに放り込んだ。回収しないわけにはいかなかった。  ○ 臨海実習(という理系クラブ合同の合宿)のとき、様々ないたずらを主導していた。waka君も乗った。  ○ 生物教室で、二種の薬品を混ぜて茶色の毒ガスを生成した。waka君らは避難。発覚して先生に殴られていた。  ○ 教室の北側のベランダ(人通りは少ない)で、禁断の写真を友に見せたり、自らのでかいチンチンをたてて見せたりもした。  ○ 高校は別。その後、改心したのか、いやそのままの心意気でか、関西のほうのどこかの大学の先生になったそうだ。

※ 『1974/05/23 工芸室のそばに』 : 「テスト前だが、今日も卓球やった昼やすみ。弁当は、5時間目自習なので食う。  卓球はこのごろずっと、日土をのぞいてやってる。」  翌日5/24(金)から中間テストが始まるようだ。  卓球は一人ではできないから、相手がいるんだ。たぶん、会長さん(あだ名)だろう。少なくとも相手の一人だろう。  勉学優秀な会長さんも、身体動かすのは気分転換にもなり、悪い事じゃないから、つきあわせて迷惑ってこともなかったと思う。  (waka君のみならず、会長さんも、もう習慣化していて、やらずにはいられないカラダになっていそうだ。笑)


 今日の帰り、ゲタバコの外の自転車のとこにいったら、工芸室のそばに
 《 附近図 》 もうとっくに帰ったと思ってたO■■さんが、 こちらに背をむけ、顔はこちらにふりむいている形で、たっていた。 だれかを待っているようなのだが、これは! と思った。
(コレハ、ボクのことを!)
 そこでとりすました表情で自転車に荷物なんかゆわえつけ、●君なんかと話したりしたが、 ●君とさよならをいい、自転車を進行方向にむかわせて、見ると、さっきまでいたところに彼女いない。 ちょっとみまわしたら、水のみの所で、スミ■さんとわらいつつ何か話してるよう。ナンダ、スミ■さんを待ってたのかと思う。
 が、べつにがっくりともしなかったし、みじめにもそれほどならなかった。 はじめから、それほど真険にぼくの事をまっているのでは、と考えていたのではなく、 はじめから、半分冗談みたいな気持ちで考えてたのだ。だから。


 右斜め前の席のオ■嬢が(この頃はいちばん)気になって。  級友の●君も、妖艶美女のスミ■さんも、ここでは脇役。  言っている通り、一瞬の夢想に過ぎなかったけど、それも書いておきたかったよう。
: 「今日の物理は、おもしろかった。 クック クックと笑った。 先生の話もちょっとはおもろかったが、ノリちゃんやミモッちょと物理の問題について、 いろいろこねくりまわし、いろんなこと考えるのがおもしろかった。」  ノリちゃんはざっくり乱暴にとらえてしかし理屈が通って面白い。ミモッちょは人柄も声も楽しくて反応がハツラツで。
: 「異にする  い こと } 」  私は、いにする、とよんでいたが、辞書の項立ては、ことにする、であった。
: 「ホクリョナンワ ナンセンホクバ 北ヒ南ジョウ  この意をキロク。」  北虜南倭、南船北馬、北碑南帖。  作りは似ている四字熟語だが、それぞれ分野はまるで別。
: 「ぼく、すでにわかっていることなのに、「しらべ」と印をつけることあり。 これは、「この意を文字にしてキロクせよ。」というような意味なのだ。  頭ではわかっている。文字にすればできるとは思うのだが、即、かくのは、ちょっとめんどうな気がし、 「しらべ」ですませられるのなら、と、そうしちゃう。」  なるほど。  自分の用語用法等について、ときどきこういう自己解説が転がってる。
: 「地味にとぼしい  ちみ じみ } 」  どちらもよしらしい。
: 「禮 :礼  これを体と思う。」  「■ :体  ◆?  □? 」  ■は衣偏に骨。◆は衣偏に豊。□は示偏に骨。  (消された字もみると)体の旧字が曖昧で、礼の旧字も衣偏かも、など迷走。  体の異体字は、躰、軆、體などあるもよう。  ここにある「しらべ」は、ほんとにわからない場合だな。
: 「物理のサクラ■先生、超能力問題は歴史/時間 が解決するといった。」  「ノリちゃん、科学者の態度としては、超能力を信じちゃいけない、という。 なぜ、ときいたら、科学者は、完全に正しいとされたことだけを信じるんだ。 という。ぼく、そうか、といって、納得。」  先生までこの話題にのるほど、世間をさわがしたわけだ、超能力少年。(今から眺めれば、楽しませたといってもいいかも)  waka君としては、超能力を擁護したい気分がありそうだ。濃いめに。  物理のサクラ■先生はたしか、おじいさん先生で、片脚が悪かった。戦争で傷めたらしい。
: 「黒々しき」  黒黒しい、という語がある?  ネット検索すると、使っている人わりといるね。辞書にはのってないみたいだが。  黒々+しい、だから、文法的にまちがってはいないと思う。
: 「イト■■今日、鼻のアタマにまっかなニキビ、こしらえてた。」  「ノリちゃん、物理のとき、大声で、先生、という。 いや、大声というより、遠くの友だちに声をかけるみたいに。 それ、おもしろい。」  教室の様子が見えてくるよう。  女子の色香に酔っているばかりでなくて、よし。
: 「週間朝日の写真のせつめいに、スプーンをまげてるのがはっきりわかる、とあるけど、はっきりはわからない。  もっとはっきり超能力で曲げることを、その人でだめなら、もっと強い超能力者のでることを望む。」  やはりwaka君は、待望派。  基本的に、ファンタジー好きなんだな。(ギャンブル好きにも通じる)  かつ、曖昧なままで放置しておくのもまだまだ苦手。(かゆいのを放置しているようでもどかしい)  (なお、週刊⇔週間の間違い続く。もう手がなれちゃったか)
: 「大学の教授、スプーン曲げなんて、手品だ。と言った。 そこで、どういうしかけなのですか、というと、「これこれこうだ。」という。 「この説明ではよくわからないでしょうから、私がそのたねをつかってやってみましょう。」  といい、やる。ほんとにスプーン曲がる。  そこで、超能力はない、とはいいきれないながらも、超能力者でなくとも同じことができるということはわかる。 皆、信じなくなる。  しかし、その教授自身、超能力を、しらぬうちにつかってしまっていたのかもしれぬ。  そして、事実そうだった。ただ、彼は、しってて、超能力をつかった。 自分を教授までにした今までの科学をこわしたくなくて。」  この項、報道の事実を記しているのかと思ったら、創作なんだ。思考実験的なものか。  ファンタジーネタのメモのようで、万一でもこういうことがあるかもみたいな気もしている様子。  → この教授、科学者の自分と非科学を体現している自分と、分裂状態を放置していられるんだろうか。 waka君みたいに短気だったら無理だが、年の功で、まずは冷静に自己観察とかまえられればわりと長期間つきあっていけるのかも。 そしてそのうち、ぽんと、発見または妥協あるいは悟りにいたったりして。

※ 『1974/05/25 こんなのはこれ?』 : 「イ■■ちゃんより本帰る。 返る?」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  貸していた詩集か。
: 「安本末子の日記「にあんちゃん」 よめたらよもう。」  残念ながら未読。
: 「これはだれかが見る夢だろう。 という書きだし。」  すこし考えると奇妙だけど。
: 「ぼくは、ほとんど、自転車のベルをならしたことない。」  現在、自転車に乗らなくなってひさしいが、 ふつうに歩道をあるいているとき後ろから音もなく追いぬいていく自転車に驚くことが多い。  ベルを鳴らすことは迷惑ではないよ、適切なそれであれば。
: 「テストおわったら、何か気に入るような物語・小説をかきたい。」  この日、5/25(土)は中間テストの二日目あたり。  ○ テスト中(苦難の最中)に、これが終わったらあれしたいこれしたいと願うのはよくあると思う。 実際に終わったらすっかり忘れてしまったり、願ったことをしてみたけどたいしてよくなかったり。  ○ 気に入るような物語・小説って、理想的な達成ということだろう。具体的なプランがあるわけでなく夢想に近そう。
: 「投書 :■書  ? しんぶんに」  ■は、投の右上が二点に置き換わったような字。新聞の活字がかすれていただけ?
: 「(1) (x+h)x h→0  2xとしたよ xなのに。」  h→0あたりが、すでに理解できない。現在の頭では。  ○ もう十分おわかりいただけるように、waka君はなにかというとこのノートに書きたがる。  しかし、テスト中はそんなナンデモノートを机上に開いて書きこむわけにはいかないので、 テスト後に手もとに残る問題用紙に代わりに書きこんだ(仮メモした)ようだ。 本項以降の数項の冒頭にある丸数字は、その仮メモの順番らしい。 複数教科に渡って問題用紙に順番をつけて書きこんだ、らしい。  それらをテスト後にこのノート上に清書している。  ○ よって、本項(1)は、数学テストの問題用紙の仮メモから、と思う。
: 「(3) 25分すぎて、これおわれば、土よう日ようと思う。 テスト中、問題用紙にかく。」  この土曜日のテストの最後の教科(午前中に終わるだろうから二番目か三番目)の、25分経過時点でのメモでしょう。  あと少しで(一旦は)解放される、と。週明けから三日目や四日目があるんだろうけど。  アダム・スミス、ジョン・ロックとかが出てくるなら、政経か。世界史かもしれないけどまだ五月だから早いか。
: 「(4) アダムスミスを ジョンロック」  正答アダムスミスをジョンロックと誤答したよ、と読めるけど、テスト中に気づいたんだから直したんだろうなあ。
: 「(5) (問題用紙に上のようなはしりがきしてて)それらに数字をつけること考えたので、 ((1)、(2)、(3)とかいうように)上の項、ジョン・ロックを、ジョン・ロッ(ク)とかいた。」  なんというメタな。  (5)とある以上、これ自体も、問題用紙にあるはしりがき(仮メモ)ってことだろうに。  ジョン・ロッ(7) または ジョン・ロッ(9) の意識もありか。
: 「(6) 戦いに破れる。 やぶれる、はこの漢でいいの? 敗れる?」  「これを、(7)と番号ふったよ。」  ジョン・ロッ(ク)などと、数字であるかのように丸がこいしたので、これが6番目という意識になって(ろっくでもあり?)、次の6番目であるべき項に(7)と数字をふってしまった、と。 テストの問題用紙の上では。  それらを、この心記上に清書した際、たしかに6番目であること、あわせて(7)とまちがえたこともわかりやすくするために、このように記載してみたってことのようだ。  この通り、半世紀後でも、微妙繊細な事情がおおむねつたわったのは、おどろくが、つたわった内容自体は軽微でほぼ無意味な錯誤についてにすぎないのだけどね。
: 「玉をこちこちにかためてから、を、玉をこちらにかためてから、と、どうしても読んじゃう。」  将棋のことでしょう。(よって、玉は、たまではなくぎょくと読んでる)  土曜の午後、テストから一旦は解放されて。(テスト中の仮メモの清書も済んで)  → 仮に、将棋関連でなくて、たとえば雪玉をこちこちにかためてから、が原文の意味だとしたら、 玉をこちらにかためてから、と誤読するのは、玉(たま)を玉(ぎょく)とよむ将棋脳がそうよませている、ということになるのかも。
: 「木は、夏おいしげって日影をつくってくれ、冬葉をおとして、冬日を通す。   夏がきて日かげをつくる落葉樹   ちょっと変だなあ。」  形は排句だが、珍妙な語感がする。  葉が生い茂っているのに落葉の語が共存するためかな。  落葉樹という一般名詞だと、生気もうすい。
: 「日影 : くらいとこでない。」  日陰なら、日光の当たらない暗い所だが。  日影(ひかげ、にちえい)の辞書的な意味は、日の光。ひなた。
: 「風ふいて冬日に細る落葉樹」  あかんでしょう。季節でなく頭でつくってる。waka君、冴えがまるでだめ。  テストの一旦解放で、弛緩しすぎ。  → / 風ふいて冬日に細る落葉樹 / 夏がきて日かげをつくる落葉樹 / とこの順番で並べるとすとんとオチルかも。ほわっとしていいかも。(俳句とは別物だろうけど)
: 「ぼく、パンだけでたべると、しらけた味でおいしくない、牛乳といっしょにのまねば、 などと友にいったことこのごろあったけど、それほどでもない。  話したとき、友は、へえ、といって同意は示さなかったので、ぼく、ぼくもそうとは思ってないことに気づく。  だったっけ。」  これはまた、なんというささやかな。そしてどうでもいいような。  しいて意味を見つければ、口は適当なことを口走るもの、ということでしょう。  あるいは、自分の内心は相手という鏡にうつって初めてわかることもある、か。
: 「シオニスト、とは?」  〔(英 Zionist) ユダヤ民族主義者。一九世紀にはじまるシオニズムの信奉者。〕 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006
: 「ダントツとは?」  断然トップの略。
: 「泰西名画」  西欧の有名な絵画を指す。明治っぽい。  映画についてもいうのは昭和以降か。
: 「かわいらしい  かわいそう」  「日本古来の芸術は今、人気が低い方だが、 こういうきびしい時期に、ほんとうに良い芸術だけがのこり、他は、淘汰される。 そして、あと何十年か、何百年かしたのちに、残った芸術が花ひらくはず。」  この連続する二項は、別の記事だったのかもしれないが、 くしくも、半世紀たって、カワイイが世界に認知され広まっているもよう。
: 「こういう使い方でいいいのだよね。淘汰はどんなとこまで意味を含む?」  淘も汰も、よなげる、とよみ、細かいものなどを水に入れてかきまぜ、ゆすってよりわける、というようなことらしい。
: 「「悪い本、間違いだらけの本、出版に値しない本に対する最大の「処罰」は、黙殺することだということになっている。」週刊朝日。」  口ぶりがこわい。  昭和だなあ・・  現在の令和では、検索すれば、悪口がどんどんヒットするでしょう。  といっても、やはり、云々してくれるならまだましなほうなのかも。
: 「トピカル、とは?」  〔(英 topical) 話題性のあるさま。時事性のあるさま。〕 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  ほー、ちゃんとした語だったんだ。  トロピカルの脱字かと思った。
: 「日本放送出版協会とは?」  1931年(昭和6年)に設立。2010年に改名して、株式会社NHK出版。
: 「共犯 : ともにおかす → ロコツにとると おもしろい。」  共に女性を犯す、にみえたりする、と。  おもしろい、は、今は不謹慎と思うけど。(当時は、そそる、というような意味合いも含むか)
: 「心やさしき反逆者たち」  小説、物語本の宣伝惹句ふうだ。
: 「日ソ対抗バレーは、日露戦争、太平洋戦争のおわり以来の、ソ連に対する日本人の敵意、(北方領土なども)をやわらげるため、 日本人の欲求不満をいくからでもみたすためにあるのか?」  バレエではなくバレーボール。
: 「スポーツ外交とは、互いの国に対する、国民の一部の適意を、スポーツにすりかえるためのもの?」  敵意。  戦争の代替。なきにしもあらずでしょう。  ほんとうにそうだとしたら、それは善いことだよ。  殺し合わずに点を獲り合う、勝っても負けてもそれですむんだから。  興奮が過ぎて、逆に、サッカーの結果が不満で戦争がはじまったこともあるとは聞くが・・
: 「たとえ、文法にそぐわない言葉では、「それは言葉じゃない」「まちがっている」とはいえない。 文法にあってなくとも言葉だ。愛されもする言葉だ。」  文法にそぐわない言葉でも、じゃないと変だよねえ。  善いこと言ってるはずなのに、言葉遣いが変で(まさに文法にそぐわなくて、言ってる内容の反例にまでなって)二重に台無しではないか!?
: 「そぐわぬ ← こちらはあまりつかわれぬ。   そぐう」  そぐう、を指して、あまりつかわれぬ、とすべきなのでは。  ミスが続くな。
: 「ある少年の戦いの物語。しめっているところや、そうでない所や。相手のうらのうらをかく。  敵とくらべて 3勝2敗までいく。  という夢、午後ねてるときみる。」  しめっている、いない、は、その場の物理的な湿り具合なのか、それとも、場面ストーリーがしめっぽいとかなのか。  寝起きの、ユニークな(手みじかな感覚的な)修辞。
: 「長しまは、明るいかんじ。ふざけたかんじ。 王はまじめなかんじ。」  「長しま  島? 嶋?」 「ナイターだと、アルコールがはいってる。」  TVでプロ野球の中継を見てる?  巨人の長嶋、王ともにまだ現役。(長嶋はこの年の秋、引退)
: 「クラスの■ガミさんも、わりときれいな(形のよくできた、白い)顔してる。 けど、やはり、どこかまじめさに欠けた、プレイガールのような気がする。つまり、ウワツイタ女。」  かってな憶測でしょう。  この時期、女子たちとの親交が浅いので、ほとんど見た目、印象だけで言ってる。
: 「オ■さんミヤ■■さんは、このごろ、わりとまじめな人のような気はしてきた。 つまり、はまじめだが、おさないようにみられたくないため、ときどき大人ぶる女の子 であるような気がしてきた。これはこれで、かわいい。  近代的といえばいえるけど、しかし、もっと、スナオになって、 多くの人に自分らしい自分、正しい自分を見せてもいいのではないかしら。  その方がやっぱり女らしく、しおらしく思われ、第三者としても気持ちいい。」  彼女たちにしてみたら、他人にこんなこと言われる筋合いはないだろう。  waka君、秘密のノートでつぶやいているかぎりはセーフだけどさ。
: 「キムダービー  :女? 男?   この前の文化祭のキリスト映画の女がキムダービーだったの?」  display『1973/10/06 ぶんかさい ぷろぐらむ』でも触れているが、わりと有名な米女優。  1947年生まれだから、当時二十代。
: 「将棋盤  将棋板 イタ バン   板 : バンとよむ?   《 足つきでない将棋ばんの絵 》 こんなのはこれ?」  足つきが将棋盤で、足つかずの平たいのが将棋板か、と。  ちがうでしょうね。どちらも将棋盤かと、個人的には感じる。 (たとえ粗末なものでも、所有者は板よりは盤と言いたい、思いたい、と思う)

※ 『1974/05/27 イスがすべって、』 : 「《 詰め将棋の譜面 》 ▲3一飛△2二玉▲3二飛成△同玉▲4一馬△2二玉▲3一馬  ※▲3一馬で▲2三歩成とやると、長くなる?」  余詰めか。プロの作なんだろうが、惜しいかんじ。
: 「神社でエテンラクか、みこまいの音楽みたいのがながれてる。今日、おまつりか何かなのかね?」  次頁に答えあり。
: 「《 手をはさまれている状況図 》 このように手がはさまると、ベッドにカラダをねかせようとすると、手おれる(?)。」  waka君は畳に布団を敷いていたので、自身の現実の不安とは違う。  ベッドで寝る誰かを想像して、あるかもと怖がっている。
: 「今もどこかでタンパク質が、新しい生命になっている?  これがなされたのは、昔だけ?  今だってやってもいいじゃないか。  昔にだけある特別の状態があった?」  生命の起源についてなにかの説をかじって、考察中でしょう。  ○ 実際に今も自然の中で起こっているが、非常に長い時間が必要で(大量の中の微少が奇跡的な飛躍をするのでそれが累積するには時間が必要で)、通常の人間の時間軸では観測困難?  ○ タンパク質から生命になりかけの何かが生じても、今の生物にすぐ食べられてしまう?  ○ タンパク質から生命になりかけの何かが生じていても、今の生物からこぼれた細胞(自然界に大量にある)と区別できない?  → タンパク質に落雷などの物理的な刺激が加わって生命が生まれた、みたいな説は、今もあるのかなあ・・
: 「モビールをモーメント  なんでこんな名がある?」  モビールをモーメントとまちがえた、と。  ジーニアス英和辞典 第5版 (C) Taishukan, 2014-2015 によれば、  mobileの原義は、動き(mob)やすい(ile)  momentの原義は、動かす(mo)こと(ment)  とのことで、両者は類語でした。ほ〜
: 「ぼくが、目、悪くなったのはテレビのため? 夜、ねどこで、本よんだため? けんび鏡やぼうえんきょうみすぎたため?」  夜、寝床で文庫本が、一番まずかった気がする。中学辺り。  近視眼になるメカニズム、そういえば、ちゃんと調べたり考えたことあんまり無いような。  wikiをみると、原因はまだ特定できずらしい。遺伝が大きそう。(遺伝では避けようがないよね)  → 顕微鏡は中学時、生物クラブで、ぞんぶんに楽しんだ。植物細胞を染色してとか、水たまりから汲んできてとかで。臨海実習では海水から。  → 自分の反射望遠鏡をもっていた。小学高学年ぐらいか。夜は月ぐらいしか詳細がみえずまもなく飽きて、昼は二階から通行人やビルの窓など観察したりしたが、頻度は目を悪くするほどではなかったと思う。  (フィルターをつけて太陽を捉え、これを天井に投射して眺めたりもした。フィルターをつけないと一発で目を焼くということだったがそういうミスはしなかったはず)
: 「NHKのイゴコウザも買おう!!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  NHKの将棋講座(と将棋対戦)をみてチャンネルをそのままにしていると囲碁講座(と囲碁対戦)が始まる。  囲碁はほとんど知らないので、将棋並みに理解できたら楽しいかも、と。NHKの講座テキストを本屋で買おう、と。  (その後何度か、囲碁にアプローチして、後年では囲碁ソフトと遊んだりもして、多少は理解が進んだはずだが、今もって初心者レベルのまま。 相性がイマイチなのか。児童生徒の頃におぼえないと身につかないのか。どうなんでしょ)
: 「池や川の水とって、けんびきょうでのぞきたい。  葉っぱをうすくきってみたり、花粉管をみたい。」  前頁ラストの記事辺りから思い出してだと思う。  うん。現在でも興味ある。  大人になったのだし、顕微鏡ぐらい買えるとは思うが(現在の物ならデジタル画像で取り込むことも可能そう)、 上のような対象を何件か眺めたあたりで飽きそうで、ちょっとこわい買い物でもあるか・・
: 「不良先生の一巻だと思ってきいろいのとったが、2巻。キオクウスレテキタ?」  「不良先生」は西谷祥子のマンガ。1973年刊。waka君のお気に入り。  状況がはっきりしないけど、本屋で棚から手にとった、ということではなく、姉の本立てとか、倉庫のダンボール内からもってきたら、ではなかろうか。
: 「カラス貝は川や池にある?」  淡水産なので、そうでしょう。
: 「小学校の理科でおしえたようなことは、もうほとんど、おしえてもらえなくなった。小学校にもどりたい。それも、テストなどない素朴なまなびや。」  身近な生物を観察したり、虫取りしたり、そういう発見と冒険があったよねえ。そういうワクワクがなくなった、ということかな。  この日5/26は日曜日で、金土、月火と中間テストの真っ最中。テストなどない素朴なまなびやはもうだいぶ遠い。
: 「日本のひみつ文書すっぱぬき事件、(毎日新聞)は、アメリカのまねしただけ? アメリカがやらなきゃ日本もやらなかった?」  アメリカのそれ、日本のそれが何を指すのか、どうもはっきりしないが・・  1971年に国防総省の内部文書「ペンタゴンペーパー」が暴露されている。  同じ年、日本では沖縄密約が暴露される。 両者は近すぎるから、互いに模倣はないと思うけど。  この辺りか、または、1972年頃に端を発するウォーターゲート事件などもいうのか、どうか。  →  一般論として、アメリカのまねしんぼをしているようなところはあるかも。  アメリカがしたことなら日本でもしてよしみたいな。  (アメリカにできたことが日本でもぜんぶできるなら、それはそれですごい。 もちろん、超大国のぜんぶは到底まねできない。 おいしそうなところ、手頃なところをつまみ食い、ならできるかも。 なさけない、と恥じるところなのか。身の程をわきまえている、と黙ってうなずくところなのか)  →  おのれを知り、無理をせず、といって、なまけたりくさったりはせずに、一歩一歩。  他国がみならってくれるようなところを伸ばす。  前向きに、そういう方向に進むべし。
: 「英語グラマーのワークブックあるの忘れてた。あれ30分でなく3時間はかかるよ〜〜!!!」  「ドドドウシヨ〜〜!!」  「英語6時間 化学2時間   PM7:00 〜 11:00 }勉   〜 AM3:00 }ねむる   〜 7:00 }勉 」  「恐怖のヒヤアセをかいている。ヤラネバナラナーイ.」  どうやら、英語テスト前日の夕方頃に大きなやり残しに気づいたようだ。  とりあえず、安心を得たいために時間割を作ったが、ふつうはこのとおりの実行はできないわな。 数字あわせをして(いろいろ無視して)放り込んでるだけだろうから。
: 「まったくもう、英単語なんか、一夜づけやろうというときになると、 日頃やっときゃよかったなあ、と思う。」  「とにかく、あいまいにみなやるより、一部でも、ちゃんと覚え、ちゃんと明らかにするべし。」  後悔と、一筋の冷静。
: 「宇宙生物かなんかのほそ長いおちんちんを電気エンピツケズリでやったら、キョーフー!!」  爆笑。  このいきなり感がいい!  (やらねば、とまずはエンピツをとがらせながら、妄想がわいたんだ)
: 「陽器 : こういう言葉ない? ナニのこと。」  辞書にはのってないみたいだが、隠語としてあるはず。
: 「千秋楽  この語の意は? 語源は?」  謡曲「高砂」の終わりにあって天下太平を祝うことば、とか。
: 「関取\これでいいの? この意は?」  名乗っただけで関所を通ることができることに由来している、とか。
: 「何ヶ月も海の上で漁をする人たちの生活はどんななのだろう。  女を絶ってそんな長い間、男が生活できる?  といっても、ぼくなんか、17年間もたってるものね。」  苦笑。  対処はあるでしょ。  もよりの港に寄らないわけでもないし。  → それよりも心配なのは、気になるのは、そういう職場環境で、付き合ってもいない男女が一緒に生活するほうだよ。  ともに大人数ならまあ一般社会と相似していて大丈夫そうだけど、 多数と一人とか、かなり少人数同士とか、気持がおかしくなる、うれしはずかしになる、かも。  漁労以外なら、調査研究とか、軍事関係とか、はたまた、宇宙船とか・・ (このシチュエーション、物語やらアニメやらにたくさんネタを供給していそう)
: 「 「解説する」を「たいせつする」ときき、(たいせつ、というと思ってたので。) 「たいせつにする」を、いいまちがえたのだろうと思う。」  ふむふむ。なるほど。  TVかな。文脈も知りたいところ。  (一秒ぐらいして聞きまちがいに気づいて、十秒後には書いておかねばとペンをとっていたか)
: 「《 詰め将棋の譜面 》  ▲3一角成△同玉▲2二銀△3二玉▲2一銀不成△2三玉▲1二銀不成△同玉▲2二金 まで9手詰/結でない。」  これは銀の動きがトリッキーで、良作と思う。  前頁にもあったので二つ目。この日は日曜日、どちらかが、NHK将棋講座での出題でしょう。
: 「so を go」  誤記というより、s が g のようになった。
: 「John : ジョン ヨハン」  聖書のヨハネ、が一般的? (ただし複数人いる)  ヨハンはドイツ系男子名(Johann)だが、聖書のヨハネに由来、とか。
: 「姉き、「これやろうか」とおかしやケーキだし、 「うん、そっちちょうだい。」 「こっちはだめ。」 「じゃ、そっちでいいや。」 「こっちもだめ。」とじらし、 「そりゃないよ、(酷だよ、あげるといわせ、その気にさせといて、)」というと、くれる。」  あげるといって、が正しいな。  なんとなく、犬に餌をやるような扱いだ(^^;
: 「神社で結婚式やるときはいつもエテンラクか、みこまいのおんがくかなんか、ながすんだって。 別に今日はおまつりでない。姉きより。」  とのこと。
: 「のみの夫婦、はどうして、そういう意をもつ? ノミがほんとにそうなの?」  そうらしい。  しかしまあ、こういう言い回しがあるってことは、ノミの雌雄の差を昔の一般人が知っていたってことだよね。すくなくとも、物知りは知っていて他に解説したことになる。  Wikipedia、〔 成虫は寄主に寄生してから、8時間以内に吸血を行なった後、24時間以内に交尾して48時間以内に産卵を始める。交尾した雌成虫は1日平均20〜50個の卵を産卵する。 〕  ということだから、観察していれば、意外と容易に、メスが大きい事は判断できたのかも。  しかしすごい繁殖力・・  → 虫ケラにも命があるわけだが、彼らの命ってなんなんだろう。 上の説明を読んでると動物のはずなのに、植物の成長とか化学反応とかを連想してしまう。 命らしい営みはあるんだけど、図体のでかいヒトからみると、高速度で進行してしまって細かいところがわからないのか。 みえているとおりで、ヒトの感じる命らしい営みはまるでしていないのか。 ヒトの感じる命らしい営みがそもそも錯覚なのか。  ・・と考察していくと、最後のが有力そうだ。  としたら、かなりねちっこい、周到に作りつけられた、錯覚。 生き抜くのに大変有利だから、生まれ、変異してきた(進化してしまった)錯覚。 精神、こころってことになるようだ。  → 錯覚世界に生きているヒトは、構造的にその錯覚(こころ)を、正す、ぬぐい去るようなことが不可能なんだろうな。 土台に立っているときその土台を外すことができない様に。
: 「おじいさん、「古いおみおつけはごめんこうむりますからね。何度も・・・・」とよこはまのおばあさんにいう。  お母さんにはいわないのだよ。口ではいわないけど、ちょっとこわいから? ■■家を実際にきりまわしてる人に対するのは。」  当時の力関係で言えば、お母さん > おじいさん(母の父) > よこはまのおばあさん(婿である父の母)であったなあ。  台所は母の管轄で、横浜のおばあさんはその手助けをしていた。母には言いづらいので、横浜のおばあさんへの注意、要望という形にしている図。観察者waka君はそうみた、食卓で。  (児童の頃からお世話になっているので、waka君は横浜のおばあさんにとても同情的)
: 「カツ、トウフ、サシミ、タマゴヤキ、カレー、とおいしいのばかりだったので、食いすぎる。」  うん、めずらしい。waka家の食卓にこれほどのごちそうが並ぶのは。というか、重なりすぎているから、もらい物とか、残り物とか、たまたま集中してしまったか。  これは夕食だろうから、左方の時間割に従い、いよいよヤラネバをやらねばならないはずなんだが、満腹の上、次項はTVの記事?
: 「テンプクトリオの1人が死んだのは去年のいつ頃だっけ? 命日はいつ?  ミナミシンスケ、それ忘れてはいない?」  日曜夜八時からの大河ドラマの前、七時半すぎか、三波伸介が「減点パパ」の司会をしていた。  てんぷくトリオは三人組。  戸塚睦夫は、前年、1973年5月12日に亡くなっている。  三波伸介、1982年、絶頂期に急死。  生き残りが伊東四朗。
: 「ブタノカチドキ」  検索すると、キタノカチドキが、この年の皐月賞馬。 この日(5/26)のダービーは3着だったが、秋の菊花賞では1着。  つまり超有名馬だし、もしかしたらそのダービーの録画をこの辺りでNHKニュースでみてるのかも。
: 「神社の2階の下の桜の木の枝ぶりがよく、長いひさしのように歩道の上にまでつきでてるのは、 一晩中、街燈がついていて弱いながらも照らし、光合成を活発におこさせるから?」  もしかしたらね。  しかし夜のない環境というのは、健康的ではないだろうな。桜の木にとって。
: 「街燈(灯) 外燈(灯) }?」 「がいどう より 街道/カイドウ がふつう?」  街はガイとよむはず。でも、街道はカイドウがふつうみたいだが? ということでしょう。  熟語になっているとき、ほとんどがガイのようだ。  → 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006 の【海道】の[語誌]によると、  (1)古くは海上の航路を表わすには「海路」が多く使われ、 「海道」は主として海沿いの道、海沿いの諸地方に通ずる道の意だった。 中世以降、鎌倉━京都の往還が最重要路線となったため、「海道」といえば東海道を指すようになったが、 次第に固有名詞という意識が薄くなり、人通りの多い〈主要道〉という一般名詞海道が確立した。  (2)これに基づいて「日光海道」「甲州海道」などの名付けが行なわれたが、これらが海から遠いため、 今度は「海」字が不適当と意識されるようになり、「街道」と書かれるようになった。  とのこと。  へ〜 ほ〜 街道/かいどうは、海道が元か!
: 「とうぜんーーっ、  とうぜーーんっ、  とうぜーーん、 これが、ふつう?」  ですな、少なくともわたし的には。
: 「食おう食おう  クオークオー  (なんかのなき声みたい)」  「久遠 久遠  クオンクオン  クエンクエン ?  食えん食えん」  セットだとおもしろい。逆転してしまった。
: 「英語目標40点!!」  赤点ギリギリとは目標がなさけない。しかしまあ、実力相応でもある。  それどころかこれは、一夜づけをしつつ、 ほとんど得点ができそうにない(0点ではないだろうか一桁かもしれない) ぐらいの見積もりになってきて、40点も稼げれば上々ではないか、という価値の反転が起こったのかもよ。
: 「かたるは涙(うれしなみだ)きくはしっとの物語」  聞くも涙語るも涙・・のもじり。  よくはわからないが、幸せ者の自慢話の場面? 内心くやしがっている聞き手はほぼwaka君?
: 「渡■孝■君(新■君の前の席の人、つまり、 テストのときの前の人だから、出席番号ラストより2番目の人として、 正式の名を名簿でしらべる。書道で同じ。川■をつうじてのしりあい。)が 金曜日の午後6時頃、ふろずきゆえにふろはいってたら、宮■■さんより、 化学のレポートのことで電話あって、カゼギミになった、ということきいてた。 そこで、今、フロはいってるとき、電話あったので、だれか女の子がぼくに、 と思ったが、およびでなかった。  姉きに電話か?」  前置きが長いね。  渡■孝■君とはほとんど交流がなく顔はわかるが名前がわからないので、この項が書き出せず、名簿まで調べたよ、と。  中間テストはその金曜日から始まっている。 テスト時の席があいうえお順ならば、渡■孝■君が後ろから二番目というのは納得だが、新■君/あら■君の前というのは解せない。 普段の席が新■君の前、という文の流れではないしなあ。  テストのときは出席番号順に座る、のだろうけど、出席番号があいうえお順ではなく、例えば、生年月日順とかならば(そういうのはいまここでは確かめようがないので)、筋が通らないようなところはないか。 (要は、テスト期間の席順だから簡単に出席番号と照合できて名簿で同定できたよ、と)  ・・  waka君が入浴中に電話が鳴った。入浴後、脱衣所でまだ半裸でこのノートに記録しているのではなかろうか。  君も風邪をひいちゃうぞ。
: 「しかし、受話器おいてる間になるオルゴール、ぶさいてで、フゼイなくて、セカセカした音だね。」  ぶさいくで、かな。  そのオルゴールを聴いてるということはwaka君風呂からあがって受話器をとったのか。 (風呂場の引き戸の外の通路の向こうが応接間で、そこに黒電話がある)  だれもいなくて鳴り続けていたらそうするしかないのだが、 前項で「姉きに電話か?」とあるので、取り次ぎ者ではないふうだ。  ・・ そうか。このオルゴール、電話器内部の機構が受話器から聴かせるのではなく (当時はそういう細工ができなかった?)、 電話器の隣に実際に、受話器を置くと鳴り始める別の用具があったということか。なるほど・・  誰かが電話を取り、別の誰かに引き継ぐ間、受話器をオルゴールの上においた。 それをwaka君は入浴中に耳にしている。
: 「なんか、ボールペンの流れがいい。フロ出たてのあたたかい手なので、あたためられた?  いつもはしない、サラサラというか、シラシラというか、そんな音、かくたびにしてる。今も。」  そういうこともあるのか。ちょっと不思議な。  手指から湯気がのぼってるのかも。  (あるいは、耳の感度が良くなっていたり? 脱衣所も密閉空間で響きがよい?)
 →→ いやいや、なにか変だ・・  渡■孝■君について名簿を調べることは入浴中にはできない。脱衣所でも無理がある。  よって、入浴後に自室で調べた上で書いているとしか思えない。  が、つづく後半は、ほとんど風呂出たて、からだを拭いているかいないかの状況だろう。  つまり、書いた順番が紙面通りではないのか。渡■孝■君のあたりはとばして空白にしていて後で埋めたってことになるか。(いったいどこまで?)  ・・ううむ。  さらさらと純朴に書いているようで、意外と役者やのう。知らん顔で舞台を(紙面を)ととのえているのかも、waka君。 
: 「また電話ち。」 「またぼくあてでなかった。」 女子からの電話、待望してるんだろうけど、約束はもちろん有力なアテもないので妄想とごっちゃ状態でしょ。
: 「一ヶ月とすこししかたってないのに、もう半分にきちゃった。  はじめは、4つにわけたりもしたから、半分までに2ヶ月とふんでたのに。」  このノートの進み具合を言ってる。  このノートは「心記」の9冊目で、表紙、裏表紙、INDEX以外の正身で108頁。  1974/04/21に書き始めて、ここ1974/05/26が、52頁目。  心記8冊目は縱2分割や3分割にしていたが、この9冊目から4分割にしてだいぶ詰めて書いているのに、と。  ・・  たくさん書けて誇らしいという気持は隅にはある。 しかし、これだけ小さく詰めて書いているのにノートの消費が激しい、 書き癖に使役されてる、時間は食うし高校生本来の責務である勉強よりも優先してるし、 その代償がこれでいいの、という気分も強いと思う。  (依存症的ななにかに書かされていた、のだと思う、今説明するなら)
: 「しかし、高一のときの自己紹介はチジョクだったなあ!!  3年のときは、自分の席でたってやるからいいけど、一年のときは前にだされたもんなあ。」  高校に入りたてのときの自己紹介は、waka君に限らず、皆ちょっと一工夫をしたいところではなかろうか。  かっこつけたり。軽く笑わせたりできれば上々。  waka君は、自分が躁鬱気質(躁鬱病?)だとか述べてかっこをつけたんだが、 担任の先生(のちに文学クラブ顧問とわかる田■先生)にまじに受け止められ、後日いたく心配されたりした。  (じつは先生もかっこつけを逆手にとって、からかっていたのかもしれないけど・・)
: 「平和かさもなくば今日考えた死を。」  深刻そうだが、実際はそれほどでもない。  ここに掲載していない頁で、無限回生のことをいってる。  いわゆる、死に戻りのような夢想で、死んでも何度でもやり直せるといういろいろ都合のよい特殊能力。  今日考えた死を、というのはこのシステムを手にできれば、ということだろう。  (この妄想を信じきって最初の死に踏み切ったりすると、深刻になってしまうわけだが、waka君はそれをしない)
: 「テストなんて、その人の虚栄心をまんぞくさせるか、その人をみじめにさせるかぐらいのもの?   テストのみらならず、小説かくこともそう?」  すべての行為が、強弁すればそういうことになるのかも。  まもなく5/27になるようだが、5/27月曜日、中間テスト三日目には、最も不得意とする英語がある。  なるべく矮小化したいのでしょう、せまりくる脅威を。  → 虚栄心、みじめ、なにもこの二択しかないわけではない。  両方とも、同源のある欲望がそう感じさせるのでは。  それは根の深い欲望だから、宗教的に悟って解脱でもしないかぎり消せないのだろうけど、 三つめの中間的なまたは折衷的な立ち位置か心の在り様かは、普通人でも容易に手にできると思うよ。今は。  (などと、半世紀前の世界でテンパっているwaka君に説いても意味ないんだろうけど。 ^^;)
: 「■■早百合  これも、サユリとよむ?」  有名女優吉永小百合がいるので、そっちが先に来そう、いや、たいていの人には小百合しかない、なかったかも。
: 「英語、単語だけやって、あとは実力ずら。  2時におきるつもりで2時におきたのに。一瞬ののち気づいてみれば4時。」  「早朝、そこらの物や僕の心にしみわたるような、重い青は静かなすばらしさだ。」  その4時の、起き抜けに書いている。  英語を十分に勉強する時間はもうないから単語暗記だけやろう、と。(起き抜けだからその単語はまだやってない)  文法、発音、和訳英訳、文章題などは、現物を目にして現場でどうにかしよう(するしかない)、と。  寝坊したことでむしろほっとしているか。ねばならない時間が減ってくれて。  (日頃ほとんどやっていないwaka君が、テスト当日の朝数時間の準備だけで、40点に届けば、たしかに偉いかも。 この数時間の準備で稼げるのは10点ぐらいだろう。あとの30点は地力だろうから。 しかし、目論見段階でそれが最高点ならば、七掛けで28点てところか、がんばっても)  (残りの、60〜72点分ぐらいは、歯が立たない、いくつかは出題の意味すらわからない、 選択問題ならランダムに選んでおけばすこしは当たるかも、 ・・ということで、テスト時間が50分なら、20分ぐらいでもう書き込めるところがなくなる。 あとは妄想したり、解答用紙が独立していて問題文が手元に残るならそこに後で心記に転記する仮メモをしたり、がんばってる級友たち男女を見回したり。退屈なので。 こうして、waka君の英語テストは終わっていく。おおげさでなくてそうだったように覚えている)
: 「冷えを■」 「「冷え」より「さむけ」の方がいい? chillの訳は?」  えが冷の中に入っちゃったんだ。珍奇! 和訳してるときみたいだ。
: 「英語目標40点。 しかし、■■コにもバカにされだしたな、ぼくの頭。」  お兄ちゃん、かわいそう、などとあからさまに言われたのか。  それともそんなふうに言われている気がしたのか、どうか。
: 「騒騒しい  騷 騷 }?」  3字目と4字目の差がみえないが・・  騒ぐ、これの異体字が、騷ぐ、なんだけど・・  そうか。右半分の本来の姿は、蚤なわけだ。  1、2字目の右上は又。省略形か。  3字目の右上は、叉。これでは嘘字らしい。  4字目の右上が、本来の姿で、叉の左にもう1点ありだ。
: 「到着 倒着」  倒れ着く。なんか壮絶かも(笑)  食い倒れ着倒れもちょっと浮かぶ。
: 「溶暗画面とは?」  次第に暗くなって消える。フェードアウト。  次第に明るくなって消えるのは、ホワイトアウトかとおもったら、違うみたい。  (ホワイトアウトは雪山遭難してしまうときのだった)  検索で探したけど、白くフェードアウトする、などと言うらしい(正解なのかどうか不明)。
: 「R V Y  r v y  → → →  r r r」  三字の小文字筆記体がまぎらわしくなっていくようす。  waka君の書き癖だけかもしれないけど。  それはそれとして、こうして横道にそれながらも、英語の直前準備はいちおうやってるみたいだ。
: 「adaptation を「わびる」だって。課をまちがえて。  apologise は L2 のはじめ。adaptation は L3 の。」  adaptation は翻案物、順応、適応。  apologiseが今パソコン内の辞書にない。apologizeならある。謝罪する、わびる。  (どうやら、 "Apologize" is American spelling. "Apologise" is Brittish spelling. ということらしい)  → Lesson2 にある apologise を辞書で引いて、Lesson3 にある adaptation の意味としてしまい、 わけわからない翻訳になったよ、ということでしょう。  ちょっと見混同しそうな文字面、長さではあるけど。
: 「 r → are → ・・・  }ここが重要なのでなく  }ここが重要?」  r の筆記体の吟味。  なぜ、几のような形なのか検討している。  waka君の個人的見解よりも、  https://oshiete.goo.ne.jp/qa/2769115.html 〔筆記体のrはなぜあの形になったのか? - 教えて!goo〕  ここにある質疑のほうが、信用できそう。
: 「濃度の濃をすぐ温としてしまいそう。」  中間テスト三日目は、英語と化学のようだから、その化学関係も少しはやっている、かな。
: 「《 連なる絵図 》  イスがすべって、  机 ↓ ↑  鼻がひっかかる  となるのを、ときどき考えては恐れる。」  ・・マジで痛そう。  この椅子の足の形はwaka君の自室の勉強机の椅子。  不安を感じたとき、振り払い忘れようとするのではなく、あえて形にして直視して(疑似体験して)厄落としをする、というような情動ってあるのでは。  (ワクチンを打って免疫をつけるみたいな?)
: 「また、時計が止まりだした。」  waka君の腕時計と思う。  このときのものが手巻きだったか自動巻きだったかは思い出せないが、調子が悪くなると、気がつくと停まっていた。  振ったりするとまた動くんだけど。
: 「今日帰ったら、日本史と古文、1時間ずつ、かんたんにまとめて あとゆっくりやろう。」  中間テスト四日目の教科。
: 「近ごろかみなりなったような気はするが、いつだかおもいだせぬ。NEWSをきいて。」  朝のニュースだろう。  もう朝飯を食ったり、あわただしく登校したりしているようだ。
: 「0点と20点の谷間  よく考えると変 もうすこし考えるとおもろ。」  0点と10点?  この月曜の最初が英語のテスト。  直前の見積もりか。  直後なのか。  ふつうは「〜の間」なんだけど、と苦笑している? 心の表層だけで。
: 「●君の上くちびる、ちょっとせまい?」  毎日見なれているはずの友人の顔立ちが、ちょっと変に見えた、らしい。
: 「これに、(しらしら)≒(しらべしらべ)とかこうとしたが、やはりいん/ら ない。」  そりゃ、そうだよ。人の顔をどう調べるのさ。
: 「中学のときまで、テヌグイさげてったことあったんだな、ぼく。(写真みて)   お母さんもよくやらせたよ。ぼく、たぶん登校の途中でしまっちゃったろう。」  中学入学したてのころ、母親や祖父がよろこんでそんなかっこ(ズボンのベルトにてぬぐいをはさむ)をさせた。 写真まで撮って。  それが質朴でまっとうな中学生の姿という時代錯誤があったような。 彼らの世代はそうだったかもしれないがさすがにもう。  → テストは英語と化学だけなので、十一時すぎ、昼前には終わっている。 昔の写真がでてきたりしてるので、もう帰宅しちゃってるのかもしれない。  としたら、次項は思い出しての反芻だろう。
: 「テスト中に時計しばしばとまり、ひどいひどい。  ろうかのとけいをみるにつけても、ちょっと体をのばしつつ短針のすみをみたり、 長針か短針かわからぬさきっちょをみて推測せねばならぬ。 なんて、柱やらまどわくやら、壁やらありすぎ。  それに人のをカンニングしてるみたいにもみられる。」  ふむふむ、時計買い替えようよ、だが、  ・・ 現代の学校での試験風景を想像すると、スマホはもっていても腕時計をもってる生徒はほとんどいないはずで、スマホを机上にだしておくのはまずいだろうから、みなさんどうやって時間を知るんだろうね。教室前面に時計がかかげてあるのかな。  ネット上を検索すると、  https://nitijyoutekiblog.work/archives/shikakushiken/2686 〔 ※腕時計の使用については次の注意事項をお守りください。  時計機能だけのもの、音を発しないもの(アラーム機能等がついていないもの)に限定します。  通信機能を有する機器(スマートフォン、スマートウォッチ 等)を時計として使用することはできません。  日本FP協会HP FP技能検定「STEP4 試験当日」 〕 こんなルールが。  といってもこれは資格試験の場合だけど。 他サイトでも、余計な機能の無いアナログ時計を持ち込むことを勧めてますな。 (試験会場に時計が掲示されていないことはざららしい)
: 「窓の(前の)下で、へんなのが、きれいなうすきみどりで芽をだしてるが、ありゃなんだ。  カキのたねからめがでてるの?  石の上でもめがでてるし、カキの枝にもくっついてる。  もしや、カキの花?  カキの花は緑?」  これは自宅自室四畳半の北の窓から見えているもの。 北隣は二階建てで、手前に低い板塀があり、板塀とこの窓とのあいだの狭い地面に柿の木が植わっていた。  勉強机にすわったままだと柿の木の中程より上しか見えないから、 きれいなうすきみどりに気づいて、立ちあがって根っこのほうものぞきこんでると思う。窓も開けたかも。  上で芽といってるのは、ひこばえ、か?  石の上でも芽がでてるっていうから、別植物か何かだろうか。 (石の上でも土や水分があれば芽はでるだろう)  やや派手な苔、ということも?  狭い地面で日当たりも悪い場所柄だから、陰湿をこのむ何かが生える可能性は低くない。  → ネットで調べると、柿の花の開花時期はちょうどこの頃。  桜などのように華やかではなく、いつのまにか咲いているイメージか。  実家の庭には何本か柿の木があったんだけど、柿の花を意識したことはなかったなあ。  おおむね、花は黄色みをおびた白で、 これを囲む四枚の緑色の大きな花びら状のものがありこれは萼(がく)の部分、だそうだ。 画像など眺めていると、waka君が見ているのは柿の花って気分になってきた。  石の上にあったのは落ちてしまった花?
: 「きりかぶからはえるイチョウは、家のひさしと柿のひろがった枝葉で、かくされ、さみしそうではある。」  これこそ、ひこばえだね。  → 最大のネックだった英語のテストを乗り越え、清新な気持になって景色や緑が目に入ってきた、 ・・という感じではないな。  0点と20点の谷間、という衝撃で、半ば放心状態がつづいているのかも、すこし浮いたり沈んだりしながら。
: 「さみしい、とは、死の色あいも含まれるの?」  「さみしい  さみし  さ見し  さ見、し  然見死  死を見るようだ」  「さむい  さむ  然無」  こじつけっぽい変移だけは、いつものwaka君だけど。  心はだいぶ落ちこんでいるようだ。  (女子から電話どころではないな)
: 「右ページみればわかるようにちゃんとしたページなら、4つにわけても、みな6単位ずつとれる。」  ページの上辺下辺にある赤線の目盛りのひとつを1単位と数えて、1ページが24単位、 目盛りが半端な所からはじまっていなければ、きっちり6単位ずつで縦に4等分できる、と。  しかし、これ、Dページ(4頁目)はその通り24単位なのだが、 Cページ(3頁目)は、5.5+6+6+5.5で、計23単位しかないよ? 数えてみると・・ (ちゃんとしたページじゃない、ほんとだ)  Bページ(2頁目)は、5.3+6+6+6.7で計24単位ある。  奇数ページBと偶数ページCの紙の幅がちがう? いや、ありえない。おなじ紙の裏と表、幅はまったく同一だったりするわけで・・  → CページとDページの間に、厚紙がみえる。このノート全体のほぼ中間になるので、 二つの折束の結合部分を補強するような厚紙だと思う。 そこで、Cページがこの厚紙の下にもぐり込むようになっていて、右端がいくらか隠れているようにみえる。 これで単位が減っているはずだが、せいぜい0.5単位分か。  → 残りの0.5単位の不一致は、赤目盛自体が伸縮してるってことになる。 BやDより、Cのほうが赤目盛の幅が広くなっている、はず。(見た目だけでもなんとなくそう感じる)  これはだな、このノートの罫線や目盛を印刷している版が、印刷を大量にこないしているうちに、延びてしまったんだね。  表を大量に刷ったあとに、同じ版で裏を大量に刷ってるとしたら、表と裏の時間差があるから、版の延びた分がはっきりする。  なるほど・・ (と勝手に自己解決してるけど、真相はいかに・・)
: 「これから、単語は辞書でなく、教科書で覚える?」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  よくわからない、意味するところが。  英単語だろうけど、辞書を引いて覚えるのでなく、教科書の文脈の中で体得する、ようなことを言いたいのかな。
: 「イラストレーション  イラストとの差は?」  イラストレーションの略がイラスト。  原語でも、illustration > illust と略すことがあるようだ。
: 「ファック 意は? ロコツな意?」  ですな。  taboo word。米最高裁がテレビでの使用を禁止した七語のうちの一つとか。


 今日、下校のとき、図書館のとなりの水たまりか何かで、おばあさんたおれてて、 ■■高の女子生徒がとりかこんでいた。
 べつに、リンチしてたのではなく、 つっころぶかどうかしてしまったおばあさんをどうにかしようとまよっていたのだろう。
 はじめ、すこし、はなれた■■高側からみたとき、 地面にひざをついて、まえかがみになってるおしりだけが女生徒の間からみえ、中年のおばさんかと思った。 そこのよこで、前のリヤカーひいてた魚うってるおばあさんがとまり、 車がこみいってこわいようだったので、自転車からおり、よこをみながら、とおりすぎる。
 とおりすぎて見れば、長■さんを含む女生徒が、 前歯がいくらかどろでよごれたおばあさんを、たたせようとしてた。
 だれもが、助けてあげるべき、少なくもぼくが、という考えが頭の中をとおりすぎ、 でも、あの女子たちの立場にぼくがなったら、いろいろ感じるだろうがその中で、 めんどくささも感じよう、というようなのもとおりすぎ。  そして、ぼくも通りすぎた。


 傍観して、通過したわけだ。  まー、複数人の心やさしい女生徒たちがすでにいるなら、おまかせするのが正解みたいだ。 やるとしたら、何か手伝える? と声かけするぐらいでしょう。  長■嬢は同学年、高二か高三ごろ文学クラブに加入してくれた女子。  中間テスト三日目の下校時だから、昼前ぐらい。  しかし、リンチはひどい見立てだ(^^;
: 「毎度のことだが、テストおわって、うちにかえってくると、 そのときのみっちゃんとおばあさんぐらいしかいないお昼の静かな家や、ぼくのおちついた気持が 朝のあのせっぱつまった心とふんいきと比較されて、何か別世界に来た様。」  祖父と両親は道路を隔てた職場、姉も妹たちもまだ学校で。
: 「ら ・・・ ? ・・・ こりゃまちがい? ・・・ 」  ら を回転させると ? になりそうでならないと気づくまで。  鏡文字にはなるのかな。  (ら を紙面上で平面的に回転させる。その上で、紙面から浮き上がるよう立体的に回転させると ? のようになる)
: 「詩の本来は死?」  例によって、同じ音だからという発想。
: 「煎出し :よみしらべ!!」  せんじだし、のようだ。  いりだし、とも読めるが、これだと焦がすまでありそう。
: 「鼻は、その人の最もその人らしい外面?  そこで、鼻をけがしたり、ひきちぎられるような、左ページのおわりの絵が、とってもきもちわるくみえる?」  前頁2列目下の衝撃シーン。  元々は、動物のいちばん尖端だからということでは。  最初に外敵と衝突する部位、からだの記憶が心に刻まれ、 命の危険信号、闘争のゴングみたいものが鳴り響いて、平常心がふっとぶ、・・ようなことが関係しそう。
: 「戦闘用コンピューターが、まったくデタラメな値をだすために、 例えばサイコロをつかったとする(意味のある値、行動は、すべて予測されうるので、でたらめの値をとって、そこから行動する)。 さて、そうなると、もう、そのコンピューターの行動は予測しにくくなるが、 そのサイコロと、すんぶんたがわぬものをつくり、すんぶんたがわぬ環境でそれをふれば、 同じ値が出、そのコンピューターの行動を予測できる。 そこで、それぞれのコンピュータのサイコロをしらべたり、 うつしとったりするスパイ合戦、そのための科学が発達する。  また、コンピュータがでたらめにだす値の傾向によって、サイコロ自体の性質を逆探知でき、 まず、サイコロの性質をいろいろな自然法則より/によって、すんぶんたがわずつくりあげてのち、 次の行動をみちびきだす、というのもある。」  数学的にはたぶんまゆつば、子供だまし物語にはつかえる程度、という手触り。  しかし、案外、リアルの(またはしっかりした科学的裏付けのある戦闘システムとその応酬の)比喩にはなっているのか、という気もする。  → 風に運ばれ脳内に着地した種から芽吹いた妄想設定をいじくっているんだろうけど、半世紀後の現在、戦場では、AI兵器が人を殺しているようだ。 人の世では、まがまがしいことのほうが(悪夢のほうが)実現しやすいとだれかにいわれているよう。
: 「10個のサイコロ。すべてに9つまでめがついている。 そのうち1つが、key となるサイコロで、 ・・・ この二つちがうの??  これら、ふつうのサイコロとはかぎらぬ。ルーレットのようでもいいのである。」  乱数関係の理屈、数学ということになるが、奥が深いらしいよ。  調べても理解不能なので、私の勘で述べるが、本文の二重サイコロのような手法は、おそらくやりすぎ。  絶対に予測不能の乱数を得るためというより、それを得たい人のための気安めなのでは。
: 「やることないなら、寝て、夜、ねたくないようにすべきかな。  理想的なのは、  今、1時  〜5:00 : 勉  〜6:00 : めし  〜12:00 ねる  〜6:00 勉   >11時間もできる。」  毎度懲りない、捕らぬたぬきの皮算用。しかも足し算まちがえてる。
: 「今、夜7時と考え、テストは、あしたの午後3時から、と思えばよい。」  時間をずらしてもたいして意味はなさそうだが、気の持ちようで、上の理想スケジュールの睡眠時間帯が(六時間ずらせば)午前零時から朝六時という自然な就寝時間に感じられるかも、という期待かな。  ・・  翌日28日は中間テストの最終日で、日本史と古文のはずだが、 ここまでの、らの回転とか、鼻とか、コンピュータとサイコロとかは、まるで無関係のようだ。  英語が散々で終わってしまって、落胆気味に弛緩しているか。  散々であれやり過ごせたと安堵しているか。  まあ、自室の机にすわっても勉強を始めないのは(あきれるぐらい再起動が遅いのは)いつも通りなんだけど。  → 仕事は前半集中、前倒しで済ませていって、締切近くはのんびり過ごす、あるいはその次の締切分を着手してしまう。追われるのでなく追うぐらいでちょうどいい。苦しめられるのではなく楽しめるようになる。  ・・というような、実はいちばん簡便でムダムリムラも少ない「コツ」に、好循環とリズムに、まだまだ気づけていない、模索すら始めていないのだ、若かりしwaka君は。  そういう基本的なところをコーチしてくれる、師匠的な誰かがいてくれればよかったんだけど。  私があちらに行っていいなら、やんわり指導してあげたいよ・・
: 「日本人は昔、海の水をのむようにたべ、地面の土を、ほおばったのか。  それがすこしずつ変わって、このごろの日本の食事になった?  外国料理がいくらはいってきても、それを動かす根本精神は変わらぬ?」  文字どおり、海の水をのむようにたべ、地面の土をほおばることはないだろうが、 海そのものや大地そのものを飲食するような感覚はあったかも、といいたいんだろうな。 それぞれ、みそ汁や穀物食に具現させて、現代までつながる、と。
: 「おみおつけは、小さな海のようなもので、ごはんは小さな陸のようなもの?」  「おちゃわんは白い。 月を示し、大陸的。   おわんは赤い。 太陽を示し、海洋的、島国的。   おちゃわんは、せともの。 砂、土、石の世界。   おわんは木。 水、日、いきものの世界。」  「月とは、大きな石、を示すのではなかったか。 月という石。」  この辺り、インスピレーションが湧いてきてるようす。  冴えてきた?
: 「どうも、今、安ものだけど、木だろうと思ったおわんは、どうも、よくできたプラスチックらしい。  世の中には、プラスチック然としたおわんもおおいけどなあ、などと思いつつ前項、かいてたけど、 目の前のも、そうだったらしい。でも、はっきりとはわからぬよ。プラスチックなら、よくできてるし、 音をだしても、コッコッという軽い音で、どちらともとれぬ。木なら、もっとにぶい音かもね。」  確かめるために傷つけるようなことはしたくないしね。
: 「痴性のエルザ」  痴性はない熟語でしょう。
: 「野生 野性」  これは両方ありらしい。
: 「そのとき、彼女、手からふうとうを流し、そこからお札が何枚かでて、 彼のあしもとしもただよってくる。」  あしもとにも。  ありえない情景ではないけれど、妄想の一場面の匂い。
: 《 将棋局面。先手居飛穴、後手振飛車位取り 》  だが、いつもの一人将棋にしては、局面に独特の緊張感がある?  この日、5/27は平日月曜だし、TV将棋のプロの局面を写したってわけでもなさそうだが。  → 先手の手番なら、▲2三歩成以下先手優勢でしょう。  後手の手番でも、△2四歩ととるしかなく、▲同飛△2二飛▲同飛成△同角▲2三飛と先着されて後手苦しいと思う。
: 「ナイホウダイ」  どこかで聞いたような、それのもじり、と思う。  すぐ浮かぶのがテレホーダイ、しかし1974年当時はまだなかった。  やり放題とかしたい放題とか、それら過剰の、真逆の概念があるのではと(言葉いじりをしたら)気づいたのかも。
: 「わたしみるあなたころす。 わたしみる。あなたころす。 わたし、あなたころすのみる。」  てにをはが省かれていてそれぞれ誰がだれを殺すのかはっきりしない。そこが興味深い?
: 「おちゃわんとおわんが、白と赤、だというようにドギツイこと、いままでほとんど気づかず、 そして、そういうドギツクない、いままでの感じの方が好き。  つまり日本の文化は、古来のどぎつさを、時間によっておおってきたものなのだ。  そして、常に 古来≒本来のどぎつさを好かず、それに対するものとしての日本文化をきづいてきた。 そこで、どぎつい時代のあとにそれをおおいかくすためにと、努力して、高い文化が生まれる。  日本文化とは、昔から、その本来からの嫌な面をかくそう、離そうとしているのだ。 そこで、まるでちがう根本ゆえに、日本人にとっては、 (まったく、本来の姿からはなれたものとしてみえるので)理想となり、それを追い求める。  そして、日本の本来の面をのこしているような中国じみた国々を嫌うのだ。  日本は、つねに、古来のあの、はなばなしく、どぎつく、ろこつな時代から、逃げようとしているのだ。 それでは、その古来のひどいような時代とは、どんな時代だったのだろう、具体的にいうと。 そう、それは、今みたいな時代じゃないかしら。 今みたいなのが、もっと乱れたひどい世界だったのじゃないかしら。   どうも、かってに考えるようですね、なた。」  直感でつなげた理屈や個人の好悪を日本人一般のそれにすりかえている辺りはさておき、心情的に同意したくなる。  すくなくとも、いい感じの発想は含まれている気がする。  翌日が日本史のテストで(三年の初めから日本史スタートとしたら、五月はまだ奈良平安あたりだろう)、日本史の勉強をしながら派生した妄想理論なんでしょう。  → 昔、はなばなしく、どぎつく、ろこつな時代や文化から、逃げることができたのは、海があったからだろう。  将来、海が障壁となって逃げられる状況というのは再び鎖国でもしないかぎりなさそうなので、日本文化の特質、生成パターンは踏襲されない可能性が大きい、ということになるか。
: 「ぼくは、(そうかどうかしらないけど)いつも顔をうつむいていたので、 鼻の穴が、もとの位置にいきたいよう、と、うわずったため、わずかだが、 ふつうの位置よりは、前 or 上へ、でてる?  《 鼻の説明絵図 その1 》」  コンプレックスを形にした妄想、というところ。  こんな理論、くだらないよね、という自嘲なんでしょう。  (むしろ痛いほうなんだけど、思いついた奇抜さにかかずにおれなかったようす)
: 《 鼻の説明絵図 その2 》  その1同様、こちらは首から上で説明。  そもそも、もとの位置にいきたいよう、というのがあまりに変。てきとう。
: 「うつむくと、鼻から息をだすたびに胸にあたり、抵抗をうけ、それがつもりつもって、鼻をまげる。  ??」  笑。自分でもわかっていてありえない理屈をいってるんだろうけど。あそんでるんだと思うけど。
: 「ほんとは、いじりすぎたため? タカクナレ、タカクナレと。  こんなことあったかもしねぬが忘れちゃった。  《 左列に鼻の説明絵図 その3 》」  鼻柱を執拗になぜると、自然な成長が修整される。  これは理屈としては多少だけまともになってきてるか。  タカクナルハズガナンカチガッタ?
: 「ごへい」  ふつうは、語弊なんだろうけど、次項があるので、御幣かも。
: 「あさって、まっすぐにそだつの?」  麻。  なぜまっすぐ育つかどうか気になったのか、そこが知りたいけど。  大麻栽培事件のニュース映像でも見た?
: 「そまつな道具でめちゃくちゃに練習するより、高価な道具でそれを膓つけぬようにし、 かつ、できるだけの練習を、おちつき、品格をもってやるべき?   ぼくは、膓つけるかもしれないと気づかうのいやなので、そまつな道具つかいたがり、 高価なものも、かってにしていいなら、そまつなものにしちゃう。将棋ゴマにしろ、ズボンにしろ。  しかし、高価なものを、高価なままで、かつ、よく使うという事も、できねばならぬだろう。」  腸ではなく、傷。  最後、大人びている。  もう大人になっているが、今もって、ほぼできていません。
: 《 鼻の説明絵図 その4 》  人指し指の甲で鼻の下をこする。  鼻の穴の向きには弱いが、変な形にはわずかに関係するのかも。  ここまでかいておけば、とりあえず、自己満足したかな。
: 「こちらのかこいは18手で必死になり、あっちは15手。  だから、こっちに飛車をなりこまれてから、3手のうちにはいりこめば、五分だ。  (自分だけの手数で計算)  こうはっきりと言える?」  3手の差は素人の勝負でも大きいだろうけど、18手先、15手先に必死になるなんて、素人が読むのは無理でしょ。  だから、設問がいい加減なかんじ。(明確に書こうとして嘘が入ったかんじ)  → こちらの囲いはあちらより堅いので、先に飛車を成り込まれても数手の差ならまだ五分だ。ぐらいでよいのでは。
: 「国家保安法 共産反対法」  韓国ではこの時期、国家保安法や反共法があったので、それらを言っているようだ。  下の方で韓国関係の記事もあるし。
: 「かん国内のことなら、かん国でさばくのも、いちがいに悪いとはいえないのではないかしら?」  「信念をまげぬ人。その人の信念と国のやり方、ほとんどまさつしないときは、信念あるのかどうかわからぬ。  どこかにてない国いって、まさつおこせば、その人、信念あったともみられる。 にてない国いって、やっぱり、そこの国のやり方に順応するようではちょっと考えさせられる。」  たぶん、韓国内の事件に触発された記事と思うが、事件自体の詳細が書いてないので、わかりづらくなってる。論考というより、感想文みたい。  郷に入りては郷に従えというのも、よかれあしかれということか。
: 「あっ、さっき4時だったのに、5時半になってる。  と思って、巨人の星みそこなったかと思っていってみたら、おじいさんのいるおじいさんのへやで (めずらしく)4チャンかけてて、まだ、おれは男だ。なんだと思い、おきどけい(めざまし時訓)を よくみたら(ぼくのうでどけいがとまったので、これをみたとき5時半にみえたのだ。)!4時半。ナンダ。」  さっき四時だったのにいつのまにか一時間半も経ってる、「巨人の星」(の再放送)が終わっちゃってるのではとあせった。と。  おじいさんはNHKばかりがふつう。「おれは男だ!」は森田健作主演(後年、千葉県知事)。時訓は、時計の誤記。  終わりの行の、4時半の前にあるのが、感嘆符なのか、縦棒なのか、句点を線で消したのか、はっきりしない。

※ 『1974/05/28 Aの分の子は1.5人。』 : 「法律の労働基本法やら、その他いろんなさだめによって、 結局、多くの人に、同じ時間帯に余暇を与えることになる?  しいては、人々の性格生活の同一化。  生活性格とかこうと思ったのに、性格形式とかく。」  人々の実際の暮らしぶりをふまえて、ルールや法律を作るんだけど、 それで作ったルールや法律が人々の実際の暮らしぶりを変えることにもなる。  ありがちだろうなあ。中身のために用意した器なのだが、器が中身を選ぶことになったり。
: 「同じを同時/おなじ」  同時におなじとふりがな。くずれてる。かつ、合ってる。  (同じと書こうとして同時と書きそうになったよ、が文意で、前項の中にその現場もある)
: 「とてもかわいい女の子がいて、弱々しいのだが、話がすすむうち超能力者になっちゃったりしたり  2つせめられて、1つうけるというような理論のあるような話。  こんな話のあるマンガをよむ。  そして、別マは、このごろになるとおもしろくなるあの季節はいつもおもしろくないのに、 なんて思って、よこはまのおばあさんに話し、おばあさんも同意。  という夢をみる。  マンガの内容おもしろかったのだが、おしいかな、はっきり覚えていない。」  別マは別冊マーガレット。  マンガの内容が存在しなかったとしてもそれがおもしろかったという夢は見られる。 ごちそうがない、だけでなくそのときの食事の経験をしていなくても、夢なら、食事が美味しかったという結果の感覚は味わえる。 と思う。  だから、覚えていないのを惜しがるのは、たぶん、なかったことをあったように錯覚しているだけだから、惜しがることはないのだけど(なにも損はしていないのだけど)。  → まだ夢とわかっているからいいけど。  あるべきものが今手元にない。誰かに奪われたのだ。盗まれたのだ。 それは明らかに、疑いようがなく、不当なことだから、怒りがわく。 奪い返すべき。恨みを晴らすべき。あからさまな不当な扱いを世間は認めるべき。 当然の行為にうってでる。 ごくごく控え目だが、断固とした行ないでこの不当をただすために。 不当をただす正しい行為を邪魔する人もなにもかも撃ち倒したとしてそれも正しい行為のうちだろう。まちがいない。  思い込み、錯覚、おそるべし。通り魔然り、独裁者然り。
: 「さあ、今、5時。あと2時間か3時間のうちにすべてやらなきゃ。  このままうければ、ともに0点。すこしやれば、30点±10点。」  中間テスト最終日は日本史と古文。  大げさ、かつ、少々遠慮してると思う。  英語以外なら、人並みの得点はできていたはず。  (まあ、当日の朝まで何もしておらず、 このとおり直前に教科書やノートをおさらいするていどだから、日本史はやっと中位ぐらい。 古文は読んで意味がわかれば解答はそれっぽいものを作文できたから、中位以上はいけたか。 英語が、低位どころかかけはなれた周回遅れ、猿、犬、猫かってぐらいできなすぎたために、 他の教科はぱっとしなくてもじゅうぶん人間の域に感じられた)
: 「ほんとうは授業きいたんだから、テスト勉強などやる必要ないのだが。」  理想論。  というか、英語以外なら、waka君にとっては、当たっているところもある。  (やる必要はあると考えたが満足にやらなかったので、結果的に同じことになっていたり)  (英語は、やる必要あると考え、他の教科よりはまじめに取り組んだはずなんだが、みじめな結果しかともなわなかった)  → 授業で習ったことを完全吸収していれば応用問題以外は解ける。  応用問題は、まあ、その場でのでたとこ勝負。  これだけで六、七割ぐらいはいけるべきなのでは。先生と授業がまともなら。生徒がなまけていないなら。  学校でやるテストの本来の意味を考えたら。  しかし、現実では、これだけでは三、四割ぐらいしか行かなかった気がする。  他は、各生徒間を差別化し順位付けするためにするような、クイズ類、重箱の隅的暗記問題、恣意的採点が可能な記述式問題、などがめだったような。  まれに、あとあとまで記憶に残るような、ぜひ答えたい(答えたかった)と思えるような良問もあったか。  授業以上に(または教科を超えるような)感銘を受けたりしたことも。(ほんとまれに・・)
: 「■?  ■?」  ■は、褐の異体字、右下が、L+人。それの、衣偏と示偏。  偏は、衣が正解らしい。
: 「■× 幾内? 畿内」  ■は、哉の外側のような囲い(ただし、左斜め払いなし)の中に田。  幾は、幾日(いくにち)にはつかうけど、幾内という熟語はなしか。
: 「テストはそれによって手段を行使できる力を得させるよりも、 テストの成績をよくとるということが、学暦という無言の手段を与えるという方に重点がおかれるのでは?  つまり、頭をよくするためのテストでなく、学暦/歴のためのテスト。」  ということを吟味したところで、直後のテストのたしにはならんわな。  何もかも遅すぎるよ、waka君!  (なお、どうしてこうまでわかりづらい文章にできるの、ってぐらい変な構文)
: 「学歴を学暦」  暦(こよみ)の音は、レキ、ヒャク、だそうな。  太陽暦、とかで使うか。
: 「経略 計略」  辞書では、計略の語義のひとつに経略がある。
: 「昇 卑 }?」  なやましい立ち姿ぶり。
: 「理知・感情・意志   心はほんとにこれだけ?  勉強、性欲、平安 のために、わかれたように思えるのでないの?」  自分に引き下ろして吟味しているよう。
: 「「ようよう八回まで切りぬけてきたが、もうだめ。」  なんていう、ようようの意は?  こんな用法ある?」  辞書には「ようやく(漸)」の変化した語とある。  明日の古文の勉強の中ででてきたのでしょう。現代語ではこういう使いかた、珍しいと思う。  (古風な言いまわし。教養がにじみでてしまってということはありそう。でもいやみはうすい。さりげなくかっこいい)  ちなみに、ようよう、とよむ熟語は他にも多種類ある。
: 「まんじり :ちょっとねむるようす」  まんじりともせず、ぐらいでしか使われないか。
: 「ひぢる とは?」  辞書には、ひじる、で複数載ってる。  ○ 聖らしくふるまう。  ○ ゆがむ。まがる。  ○ うばいとる。盗みとる。
: 「劣り おとれ }とよめる?  おとり?」  これは「劣り」で「おとれり」と読めるかどうかということだろう。  ふつうは読まないよ。劣れりと送ってほしい。
: 「約束 縁」  宿命という語をまぜると三者はつながるような。
: 「あとはテストをうけるだけ。もういいのだ。」  きりあげた、あきらめた、口ぶり?  実際、もう、登校時間が迫ってるんでしょう。
: 「学校はテストのためにあるのでない。どちらかといえば、授業のためだ。」  もっといえば、勉強するためにあるわけで。  テストも授業もどうであれ、結果的に、学問できていたなら、学校に通った意味はあったことになるだろう。  そしてwaka君の場合、こういうノートを残せたことが(唯一とまではいわないが)形ある成果か。半世紀経ってみれば、ほんとにこのぐらい。  (このぐらいだけど、ふつう一般の人たちやその常態に比べたら、脅威的な質と量、とまで言っていいのでは。偏執的な、かもしれないが)
: 「前の家のものほしかが、ビールのはことりのぞかれ、前(時)のようになったよ。  以前といやいい。」  北西のwaka君の四畳半の、勉強机の前の、北向きの窓から見える、隣家の物干しの変遷、だろう。  どうでもいいことなんだけど、 書き残すべきことかどうかの軽重の判定をする余裕時間すらもう無くて、 書きつけるだけはした、というふうの項。  朝飯をかきこみながらとかだろうか。
: 「以前、依然  >アクセントはちがう?」  以前のほうが、前にアクセントあるように感じる。
: 「「本かうよ。」 「んと。」」  本項からしばらく、エンピツ仮メモ。事後、これに清書を重ね書きしたり。  学校に到着した、試験を受けた、その前後の書きつけになるようだ。
: 「聖武の聖、まるでおもいつかなかった。」  「群馬というの、郡馬などと書いて書けなかった。」  「きじゅつしき  僕、言いにくい。」  「○ ○   }テスト用紙にもう1つかいてある  歴史のテスト用紙に!」  日本史のテストのあと、古文の前の短い休み時間に急いでメモしている。  事実上、テストだろうとなんだろうとこのノートは書かれなければならないわけだ。  このこだわり、あっぱれだ。(^^;
: 「漢■」  漢文、か。
: 「■本氏と将棋 2勝  もうやらないつもりだったのに。  おしまけ  ■■さんも気分やなんだね。  ぼくも気分屋だけど、気分屋はいけない。 しっかりと、がっちりやる人みるとうらやましくなる。  もっと他の語を、いった?」  waka君は将棋同好会の元会長なので、一般生徒との平手勝負ではまず負けない。  一般生徒に挑まれたら来るもの拒まずだから 「もうやらないつもりだったのに」以下は■本君のセリフ、おそらく。  古文のテストまで滞りなく済んで(全日程は済んで。昼前)、空気は弛んで、さっそく遊興をはじめたってところでしょう。  いつもながら、終わったとかせいせいしたとか、そういう感想は書かないね、waka君。 誇らしい結果は期待できないしで、済んだことはさっさと忘れる、忘れたい、かな。
: 「ぼくの茶色い将棋盤の裏には片岡と書いてある。」  おお、これ、今確認したら、東京のわが部屋のスチールチェストにしまってある折りたたみ式の茶色い将棋盤だ! 裏に「贈新築記念 片岡」と墨書あり。  相当に古い時代、祖父か曾祖父辺りの知人片岡氏からの贈答品だった、というような由緒(いわれ)か。  または、waka家とはほぼ無関係の人同士の贈答品だったが、将棋盤ゆえに貸したり借りたりであちこち巡りめぐって、最終的にwaka君のもとに落ちついただけなのかもしれないけど。
: 「ナミオ、メガネかけて、かっこいい顔にしてるよ。」  中学からのクラスメート。  display『1974/02/05 ↑→↑↑↑↑↑↑』の注記でも触れているが、七美男君は後年、大学の先生になったはず。
: 《 三世代の家系図 》  第二世代が三夫婦、それぞれ三人の子。  各世代、各夫婦が三人ずつ生めば、1.5倍ずつ増えていく。  という結論らしいので、当たり前だわな。  → 当初の祖父母 α の子世代は、3人とも祖父母の純血。  孫世代9人は、各人、他家の血が半分まじるので、純血分は半分の4.5人。  曾孫世代27人は、各人、他家の血が3/4まじってるので、純血分は6.75人。  2>3>4.5>6.75だから、1.5倍ずつでやはり合ってる。
: 「子供の人口が最も多くなるはず??」  三人ずつ生めば、総人口は増えることを確かめているようだが、人はふつう上の世代から消えていくからなあ。  単純に積算というわけにもいかないのだ。
: 「腐販した」  ないよ、こんな熟語。  書籍に載っていたなら、腐敗の誤植か。
: 「がんばって大学にいかないと、老いてのち、みじめな生活をしいられ、いやというほど後侮させられる?  大学へいくかいかないか、とは、つまり、身分を高くするか、また、人間を高くするか、ということなのだと。  大学にいかないと、ほんとに、人間として低くなり 大学出た人が味わえるような高い生活と心持ちを味わえなくなるの?」  そんなことはないのは明白なんだが、世間も人も、レッテルを貼って理解したがるのだ。 waka君も、現在の私も、しかり。  わかっているけれども(学歴はほんの一部なのは明白なんだけども)、安易な方法(レッテル貼り)にながれて、たよってしまいがち、我らは。  後悔が正字。  → 現在はもちろん、遠い目でこういうことを言えて、なつかしいなあ、とかお気軽だけど、当時は高校三年生の五月末、わりと真剣な現実の問題。 のほほんとしていても手頃な大学ならいつでもいけるような頭を持ってはいないので(英語が受験科目にあればなおさら。今回の中間テストでもいろいろ再確認)、行く行かないの決断はもう済ませなければならない時期。 いや、行かない、という結論に落ちつかせようとしているのは心記の記載の流れから分かるんだけど、決めきれない、本項のような懸念が実際にあるのかもしれない、そんなベタな事態がまさかとおもうが実社会はそうなのかもしれない、出たとこ勝負でいいのか、自分の人生なのに、と。 (まだどちらも選べる立場だから、迷うわけで、恵まれていると言えば言える。同学年の友人らはほぼ全員進学希望、自分だけ変じゃないのか、とかもある) (こんな勉強が嫌いなのに、苦痛なのに、自ら進んでまだ何年間も勉強をしにいくって、そっちのほうが頭変なのでは、という気もする)
: 「人類は、ほんとはいつも人を殺さなきゃ、気がすまないが、大きな戦争したので、 今は、あきてる。でも、もうすこしすると、あきは去り、また人類は殺しはじめる。   人類といっているのは、戦争をしらない子でさえ、今は人を殺したがらないのに、戦争のときは殺したがる。  つまり、個人個人があきたり、したいと思うのでなく、人類全体の傾向としてあきたり、したいと思うのだ。   実際に殺す最後の所では、ころそうと、個人が考えるのではあるが、 その個人が人を殺したことなくても、人類全体として、殺すことにあきていれば殺さない。   But、こうではなくて、ひとたびおちれば、全人類を殺せるという、核兵器ができたために、 全人類はいつでも最高の有意義な平和から、無に落ちることができ、このこと、 (このおそろしさ、もしくはおもしろさ)が、人類にちゃちな戦い、 個人的なあらそいなどあまりさせないようにしている?  暴力については核だけで満足している?」  深刻なようなテーマだけど、大学云々の面倒で決めきれない眼前の現実問題に比べれば、思考遊戯、頭ほぐしのたぐいだったかも。  → 核だけで満足していないようだね、全人類。  本項、相当悲観的なはずなのに、夢も希望もないようなのに、半世紀後の現在、戦争で実際に流れている血におもいがおよぶと、机上の空論にしか感じられない。

※ 『1974/05/29 と手をくみあわせて、』 : 「学校出たりはいったりするのに、あたら若い命を使うなんて、もったいなさが結集している。」  受験、卒業などを言ってるんでしょう。  当時者の嘆きまじりの実感なんだろうけど、同情半分、そのぐらい耐えろよ(それで回ってるところもあるんだから)半分か。
: 「小学校のとき、(もしかしたら中学の時だったかもしれないけど) ぼく週番か何かになって、放課後にのこっているクラスの女生徒に、 「帰りましょう、帰りましょう」といったら、うちの一人が、 「あら、女子といっしょに帰りたいの。じゃ、帰りましょうよ。」  と、冗談いって反抗。  ぼく、てれたのだろうなあ。」  下校時間を守ろう、という学校の方針に従って役目をはたそうとするwaka君。  切り返した女子の機転がいい。大人にこそありそうな、軽み。  成長的に女子が男子を上まわる時期かも。
: 「動物も人間のような感情を持っているのだろう。だって、人間も動物だから。 ただ、手段の用い方がちがうだけだ。」  手段の用い方、が謎っぽい。  数ページ前、感情も生きるための手段である、などと書いている。  とするなら、動物にも感情があるが、その用い方が人とは多少ちがう、という意か。  こう読めば、なんとなく謎はほぐれる。  (怒りやおそれ、安堵や親和、たしかに、動物の自らと子孫の生き抜くための手段になっていると思う。 そういうものが動物にあるのは、ほぼ確実だろう。よって、動物にも感情はあり、心もある。  動物には言葉がないか非常にあいまいので、名付けは無いかもしれない。 名付けの無い感情って、わきあがると直接行動につながるようなものだろうか。 たいていは一旦言語化を経由する人間に比べると、短絡しているようになるのだろうか。  短絡とはすばやいということだから良い面もあるはず。  短絡でも失敗しない場合が短絡な人間よりは多そうだが、短絡しかないので失敗する場合も少なからずありそう。  よって、思慮の深い人間の罠に動物はかかったりする。  短絡も思慮も選べる人間が思慮深く行動してもときどき失敗はする。 しかし、短絡しかないよりはマシなので、人間は先に進むことができたってことになるのかな)
: 「人を殺した時正気でもいく日かたって気狂ったとき、これは人を殺すとき正気だったから、と死刑?」  Wikipedia、責任能力、 〔 心神喪失および心神耗弱の例としては、精神障害や知的障害・発達障害などの病的疾患、麻薬・覚せい剤・シンナーなどの使用によるもの、飲酒による酩酊などが挙げられる。ここにいう心神喪失・心神耗弱は、医学上および心理学上の判断を元に、最終的には「そのものを罰するだけの責任を認め得るか」という裁判官による規範的評価によって判断される。特に覚せい剤の使用に伴う犯罪などに関してはこの点が問題となることが多いが、 判例ではアルコールの大量摂取や薬物(麻薬、覚せい剤など)などで故意に心神喪失・心神耗弱に陥った場合、刑法第39条第1項・第2項は適用されない(「原因において自由な行為」論)としている[4]。 〕  ということは、罪を犯したとき、心神喪失または心神耗弱状態であれば、罪が減じられるが、アルコールの大量摂取や薬物などで故意に心神喪失・心神耗弱に陥った場合適用されない。  本文は、罪を犯したときは正気だったが、という設定だからまた別か。  同じく、Wikipedia、 〔 刑事訴訟法上も心神喪失概念があり、被告人が心神喪失になった場合は公判が停止される(刑事訴訟法314条本文)。被告人の心神喪失が恒久的なもので回復の見込みがない場合は、公判を打ち切ることもできる(最決平成7年2月28日刑集49巻2号481頁、千種秀夫裁判官補足意見)。一方、判決が無罪、免訴、刑の免除あるいは公訴棄却であることが明らかな場合にはその判決を直ちに下すことが出来る(刑事訴訟法314条但書)。 なお、ここにおける心神喪失は被告人としての重要な利害を弁別し、それに従って相当な防御をすることのできる能力を欠く状態をさすものであり(前記最決平成7年2月28日)、その意味内容は刑法上の心神喪失と必ずしも同一ではない。会話・文字・点字・手話等のコミュニケーション能力を一切もたない者は、刑法上心神喪失となるわけではないが、刑事訴訟法上は心神喪失となることがある。 〕  ということだから、裁判時に狂っていた場合、裁判の停止、打ち切り等がありえるわけか。  よって本文の答えは、死刑にはならず、罰を受けず、か。
: 「人を殺したとき、死体をそのままにめしをくったり、etcして、それから死体をかくす。  あとでみつけられ、つかまるが、証拠から、殺したあとめしくったことがわかり、キチガイということになり無罪。   謎!」  これは全くないな。有罪動かずだよ。  人を殺すなどという異常な心をもっている、これすなわち気違いである。よって罪に問えない。  などといっていたら、重大な犯罪をおかした者ほど無罪放免になりやすいことになってしまう。  いちおう、Copilotに訊いてみた・・


サイコパスは、精神異常なので、罪に問えない。 という理屈は通るのか。

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サイコパスが精神異常であることを理由に罪に問えないという理屈は、法的には必ずしも通るわけではありません。刑法では、犯罪を犯した際の精神状態が重要な要素となります。具体的には、以下のような点が考慮されます:
責任能力:犯罪を犯した際に、行為の違法性を認識し、それを制御する能力があったかどうかが判断されます。精神異常があっても、責任能力があると判断されれば、罪に問われることがあります。
精神鑑定:裁判において、精神鑑定が行われることがあります。精神鑑定の結果に基づいて、責任能力の有無が判断されます。
刑の軽減:精神異常が認められた場合でも、完全に罪を免れるわけではなく、刑が軽減されることがあります。
サイコパスであること自体が罪に問われない理由にはなりませんが、具体的なケースによっては、精神状態が考慮されることがあります。法的な判断は個別のケースによるため、専門家の意見を参考にすることが重要です。
他に知りたいことがあれば教えてくださいね。


 すっきりはしない。無難な答え方しかできないのかも。
: 「血判の血で血だらけ。」  これは、笑うところなのか、凄絶な光景なのか。  動物、感情、人殺し、死体、などという脈絡で浮かんできたようだけど。
: 「自分のうちのでんきをけして、外にで、みじたくをして、自分のうちにしのびこんでドロボウの練習。」  ないとは言えない事情?  なんかこの辺り、変な記事が集まってる。  (集まってるというより、心の中から次々こぼれているというふう)
: 「受け戻す  戻し受ける こっちの方がいい?」  受けたり渡したりの受け渡しはあるけど、受けたり戻したりでは意味が重複していてなさそう。  と思ったが、受け戻す、ちゃんと辞書に載ってました。
: 「会議で発言してるとき、まわりでギャーギャーさわぐと声はきこえない。 また、その人の声は、乱され、その人の声だけが音となっていない。 他の音とあわさってしまって、その人の発言ではなくなり、 (つまり、彼のいったことがちがう音にふくまれて、発言が消え、あたらしいものの一部になったのだ。) その発言は無効? バカラ―?」  ラストのバカラ―は、ばかげている、くだらないことを書いてしまった、というような意味でしょう。  文意は、野次その他で聞きとれない発言は、正式の発言となりえるのか、でよさそう。 バカラ―と自嘲するほどではない、そこそこまともな記事と思うけど。  会議の他のメンバーの耳で聞きとれないのであれば、正式もなにもなく、存在しないのと同じ。  一部には聞きとれ、一部には聞きとれなかった、場合が困る。  起こりうるそういう事態のルールがあればそれに従い、なければ議長の裁量によるというのが現実的。  ・・というような答えになるんだろうけど、正解がどうのよりも、そういうことが気になったよ、と書きたかっただけかも。  例えば、TVでニュースかドラマを見ていて、まさにそういう不規則発言で乱れている様子に、触発された感想。懸念。  書くことによってとりあえず忘れる。懸念が払える。  疑問文で締めておけば、いつか誰かが答えを探してくれるような気もするしね。
: 「なぜ、人質をつかまえたギャングのみはりはいつもねむってしまうの?」  大喜利のお題にはいいかも!?  作劇の都合(いわゆる大人の事情)という答えはさびしすぎる?(^^;;
: 「ギャングは道徳ないので友にむりさせる?」  友というより、仲間、手下。悪の組織は甘くないので加重労働状態が常、寝不足で疲れて、眠ってしまうのだ、 というまじめすぎる答え。これは。
: 「うまを、おんま」  幼児言葉。  wikiでは、幼児語という見出しで詳述あり。育児語といわれることもあるそう。
: 「見たときだけ動くとけい。 (おもろ)」  おもろだけど。量子力学とかシュレディンガーの猫が連想されてしまう。  (実際にwaka君の腕時計が、この見たときだけ動く時計だったりした。 見ているときは秒針までちゃんと動いているのに、時間が経過してからまた見ると、はっきりとわかるほど時間が進んでいない。  → まあ、たんに壊れていただけど思うけど。きっちりと観測しつづけたわけでもなくて、そんなふうに錯覚されてしまう壊れかた、劣化ぶり、不安定状態だった、とは思うけど。  → 可能性はかなり小さいんだが、左手首のその腕時計の文字盤を読みやすいような位置、状態に持ってくると、そのときだけ内部の歯車などがかみあってちゃんと動いた、 とかもないとは言い切れないと思うけど)
: 「2年のとき、よく、Readerの時間、すみにおいてある将棋盤みつけられて、■■ノに、皮肉いわれたなあ。」  英語の■■ノ先生に。  対局途中で、駒が配置されたままの将棋盤なのだ。とりあえず授業と無関係な置物ということになっていれば、いいではないか。 遊具がしまわれていない、再開待ち、ということだから、あるまじき、教師に失礼、といわれると、微妙となってしまうが。  この記事、以前にもどこかにあったなあ・・ → display『1973/11/05 というシャツのぬぎ方をこのごろするが、』。ここか。
: 「普段 不断 >?」  よくみたら、ダンの字も別なんだ。  → 昔から並立している同音異義語、漢字をみれば意味の差異もはっきりしており使いわけは容易。 と思って念のため辞書を見たら、なんと、ふだんの正字が不断、明治以降に生まれた当て字が普段なんだって! えー?
: 「今日は、3年生の春のうんどう大会の練習日。本■君にきいたところ、 昼休みも3年の出場者が優先されるというようなことなので、 会長さんにいって、昼休みの卓球今日、やめた。ぼくスモウなのだ、出るのは。」  中間テストが終わったら、遊興風の運動イベントか。高校生活、あわただしいのう。  大会選手優先で旧体育館も道具も使用されるらしいので、いつもの昼休みの卓球はお休みにしよう、と。  大会に卓球で出場するなら該当者だったんだけど、相撲に選ばれちゃったので。
: 「三十一字  31字  ろ|字  引字/いんじ とよんでしまう」  「引字の意は?」  そういう熟語はないらしい。  が、検索すると、引字/ひきじ さんという方はいるらしい。苗字はあるのね・・
: 「ぼくのジャンケンのときのおまじないのききめバツグン。 今日も、ノリチャンとぼくと、■■ツカさんのうちより、2人、えらびだして、 二つのゴミバコすてにいくの、ジャンケンでやったが、おまじないして、 パーとでたためだしたら、他の2人グー。  みごときまる。  《 おまじないの手組の絵 》 、と手をくみあわせて、間よりみて、光りの形がパーの形かグーの形か、チョキの形か見るのだ。」  わかりづらい絵。  まったく知らない人にこれを見せたら、手であるとすらわかってもらえないかも。  半世紀経って詳細を忘れてしまった私も、この絵から再現しようとしたが無理そう。  → 児童の頃に経験した人なら、その経験からなら、なんとか再現できると思うが。 私も今、何度も手組をやりなおしためしてどうやら正解にたどりついた。  (1) 両腕を前に伸ばす。  (2) そのまま、両手の甲を合わせる。  (3) 両手のひねり具合はそのままに、右手を下にくぐらせて左手の左側に持って来る。  (4) これでそのまま両の掌を合わせることができる。  (5) 合わせたら、両手の指を組み合わせる。  (6) 指を組み合わせたまま、両手を下側からまわすよう一回転させる。  (7) すると(ひねりが大きくちょっと苦痛だが)組み合わさった小指の下の空洞が顔の前の少し下ぐらいにきているはず。  (8) この空洞をなるべく崩さぬようにしつつ(さらに苦しいが)目の前に持って来る。  (9) 空洞をややひろげ気味にすると、向こう側に小さな穴があき、暗い空洞の向こうに光が見える。  (10) この光の形が(向こう側の親指や人指し指が組み合わさった辺りの隙間の光が)、 ジャンケン三種のどれに一番似ているかで、おまじないのお告げとする。  (11) 判定できたら、即、ひねった手組を解消する。痛いので。ここまで三秒ぐらい?  (12) お告げ通りで勝負!
: 「レポート、のりちゃんとだしにいったとき桜■先生が、ヒマか、といった。 ぼくが、ちょっとは、といったら、先生が、ちょっとじゃだめだ。といった。 で、なんとなくするうち研究室から出ちゃった。  先生、てつだってもらいたくていったのである。 そしてぼく、どちらでも、先生の望むように、というようなつもりで、「ちょっとは。」といったのである。 先生がおしてくれれば、ええ、といえたのに先生アキラメテ、ちょっとじゃだめだ、といったので、 ノリちゃんとぼくと先生のフンイキの流れとして、てつだわぬことになっちゃった。」  微妙な空気がいい! 貴重な記録だ(^^;  桜■先生は物理のおじいちゃん先生。戦争で脚を傷めている。
: 「二人の人が、一人の人と何かを話すとき、二人の人の両方が、 Aということをしたいと望んでいて、一人の人に、「Aをしてくれ」とたのまれたとき、 二人の人のそれぞれは自分は、Aしたいが、となりのこいつがしたくないのに、 したいなんていって、こいつをみちずれにしちゃうとわるいと自重してしまう。  相手が未知数だから。結局、こんなとこだろう。」  これは前項の微妙さの解説になるんだ。ふむふむ。  一般化しようとしてる語りだしがかえってわかりづらいが。
: 「ノリちゃんと、今日、自転車ならべて、分子だなんだ視点だ、と理科関係の話をして帰った。 ゆうびん局のとこで、いつものりちゃんこっちだからと、歩道のろうとしたが ノリちゃんそのままいきそうなので、方向かえたら、 ノリちゃんもこっちきて、せっしょくし、ぶつかり、ごめんごめんという。 ちょっと自転車と自転車がこぜりあい、とまったぐらいでケガ etc はなし。」  ノリミツ君とつるむことが増えてきてる。仲いい。  近所なので高校卒業後も縁は続いた。
: 「席カエおこなわれた。ぼくの番号24番なので、ドマンナカ、ということわかってる。  O■■さん、くじをひけなかった、といってた。」  右前の席のオ■嬢、気になって仕方がなかったんだけど、四月以降のその近接が解かれてしまうわけだ。  waka君にとっての女子は、心情云々よりも物理的に近くにいるかどうかが大きそうなので、先行きは(waka君の恋情は)細りそうな予感。

※ 『1974/05/30 この夢のお弁当は、』 : 「また、ナイターみてるうちねむくなり、7回ウラ、ラジオきいてねころんでいるうち、ねちゃって、 気づいてからフトンしいてほんとにねちゃった。」  中間テスト後、弛緩してますな〜  ただこの項、謎はある。一見、3回ウラに読めるが、これでは変。  ナイターみている、ということはTV中継だが(ふつう夜七時か七時半からの放送開始なので) 3回ウラでは中継が始まってすらいない可能性がある。  そのTV中継が時間切れで終わったか、家に数台あるTVが他の家族の他の番組で占められたか、 あえて画面を見なくてもいいと思ったかで、自室に入って、ラジオでつづきを聴いた、ということだろう。  となると、寝てしまったのは9回ウラぐらいの見当になるが、さすがに9と読むには苦しい。  なので、7回ウラと読んでみたわけだが・・ 少々無理目か。  → 最初からラジオで聴いていて「みてるうち」と誤記したなら、3回ウラでも通るには通るけど。 しかしこれは、言葉の流れ、つながりのほうがおかしくなってしまう。


 今日の夢。

(■■リが今えんそくなのに影響されたのか)ぼくも東京に■■高3学生(or3年C組)として、行くことになる。 現地集合なので、べんとうつんで自転車でいくことにする。
 料理屋にいって、カレーのしるのついたおむすびだったか、ギョウザとシュウマイとゴハンをいっしょにしたものだったか、 そんなのつくってもらう。店のざしきでまつうち、そこの娘さんとしりあい、また、カッペがでてくる。
 カッペがなんだかんだいうが、お金を払って店を出 出発。途中、十数人かの学生がケンカしてるとこに通りかかり、 あやうくまきこまれそうになるが、にげる。にげてたから、よせばいいのに自転車をとめもどり、見物。 一人の不良に頭なぐられたので、自転車でにげられるからとなぐり走る。相手おってきて、たたく。たたきかえしてにげる。
 そしたら、もう追ってこない。「もう、追ってこないなんて、それで男か。」という。
 相手いかって追ってくる。二人は、川をはさんでおいかけあう。ぼくが進行方向の左側をにげ、相手は右側を追う。
 幅8mぐらいの川。ぼくの自転車、右側においてあったが、その男、それにきづかずに通りすぎた。 そこで、あといくらかにげてからもどり、自転車にのっていこうと思いはしったら、 相手はさっと向きを変え、ぼくの自転車にのった。
 「あっ、知ってたんだなあ。きたねー!」という。
   ※  ※ ※
 とにかく自転車で東京につくが、つくとすぐ解散時刻。 また、自転車で帰るが、うしろには、あの料理屋の娘さんのようなクラスメートがのってる。 うちまでつれていき、ぼくのうちでくらす。
 トイレが、この前の夢のときのように二つあり、一つは今の、もう一つはこしかけ式。
 カッペがまた、でてきたか。

 ↑
 この夢のお弁当は、
   ↓
 《 絵図 》 荷台にくらべてこれぐらい箱につまってたのだ。(ならべられてたのだ。)


 下の妹■■リが前日5/29(水)か当日5/30(木)に現実で「えんそく」なのだろう。  「■■高3学生」は、3学年と3年生がまじってしまったのだと思う。  カッペは、中学以来の悪友。小学生の時からスケベで名をはせていたときく。 (高校は別。高校卒業後、よく一緒に麻雀をした。顔立ちりりしいが、いわゆる性獣青年に育ちあがった? 二十代、夜の通勤電車で邂逅したとき聞いたら、ラジオの仕事してた)  「もう、追ってこないなんて、それで男か。」はしつこいというかほんとよせばいいのに。若いし興奮しちゃってるんだ。  「あっ、知ってたんだなあ。きたねー!」 夢だから、自分が気づくと相手も気づくのだな。 心とか人格の区別が現実よりかなりいいかげんで。(夢をみてる本体が結局、自分も相手も動かしているようなところあるので)  「あの料理屋の娘さんのようなクラスメートがのってる。うちまでつれていき、ぼくのうちでくらす。」 なぜかハッピーエンド(笑)  いっしょにくらしたうちの「トイレが、この前の夢のときのように二つあり、一つは今の、もう一つはこしかけ式。」 今の、というのは、現実の、という意。当時の実家のトイレの大用便器の和式を言ってる。  「カッペがまた、でてきたか。」 夢らしいといえば夢らしいオチなし終息だけど、なんとなく、余韻はある。  「この夢のお弁当は、《 絵図 》 荷台ににくらべてこれぐらい箱につまってたのだ。(ならべられてたのだ。)」 わかりづらい絵だが、いちおう下部は自転車のハンドル左、サドル、後輪。  箱の中に料理がならべられていたのか、それとも、同じような箱が店でいくつもならべられていたのか。どちらにも読めそう。  こんな大きな弁当箱のごちそう、結局どうしちゃったんだよ。  男と川をはさんで追いかけっこは往路の途中だからまだ食べていない。  弁当箱がこのままでは娘さんのようなクラスメートは荷台に座れない。  東京について、すぐ解散となってしまったので(往路で疲れもしたので)、弁当を食べてから帰路が順当かなあ。  (そのまえに、追いかけっこの男がそのまま返してくれたかどうかも気になる)  流れで読むと、弁当箱が娘さんに化けちゃったような、お伽話ふうも浮かんだ。
: 「前の夢では、玄関に近い方が、こしかけ式だったが、こんどは、玄関に遠い方がこしかけ式。  このこしかけ式、前の夢では特徴的で、おそろしく便利な所があったのだが、それは、どんな所だったかしら?   覚えていたらなあ。」  こしかけ式便座で、おそろしく便利な所? まさか、おしり洗浄機能とか!?  (wikiによれば、当時、温水洗浄便座はまだ本格的に普及していなかったようだが、初期の開発はすでにされており一部では使用されていたようだ。waka君に使用経験はなく、それを知っていたのかどうかも不明)  → 前の夢、というのが何度かでてくるが、これは同じ晩にみた最初の夢ではなく、過去のいつかの晩にも同じ便器が登場した夢をみている、ということだろう。 ただし、デジャブと同様、そう錯覚するだけで実はそういう経験はない(過去のいつかの晩の夢にも同じ便器が登場したということ自体が錯覚)、ということもありえる。  → 本文のいうおそろしく便利なところは、全く別の何かで、覚えていたら発明級の何かだった、という可能性は残るか。わずかながら。
: 「夢で女の子とくらしたが、これは、単に、次の日の朝、学校いくまで、ねかせてあげただけのよう。」  「しかし、夢みてるときは、まったく夢だとは気づかず、その中で大まじめに生きているなあ。  夢だとわかったら、現実にはやってはいけない、あらゆることをやるかもしれないのに。  しかし、もしかしたら、夢の世界も、現実の世界と同等だから、 どうでもいいように軽視して、ハレンチなことやるべきでない?   夢の世界で悪いことやってもなんのホウフクもなかろうが、それでも、 夢と気づいていて、なおかつ、悪いことをやろうとする自分をおさえるのが、ほんとに徳のある人?  もしくは、悪いことができるが、悪いことはやるまいと思う人。」  夢だったんだから、あんなことやこんなことをやってしまえばよかったのに、と後で悔やむパターンはよくある。  が、夢だと自覚できていない場合、それは夢の中の自分の現実なので、所詮無理なわけだ。 現実の中の自分の現実でできないことならば。  本文後半は、夢だと自覚できている場合だが、 それでも自制し、獣のように堕ちるべきでないはず、と迷いつつ自問しているようだ。 一線を越えて、女子を辱めたり、果ては人殺しをしたりした場合、夢から覚めれば確かに何もなかったこととして消えるが、 自分の心に傷を受けてる、芯を腐らせ始めている、かもしれない。  この辺りなにか、ネット上のゲーム世界で別人格になったり、SNSで匿名をいいことに暴言を吐いたりする行為を、彷彿とさせる。
: 「「強姦の友」というカイランノートをつくりたい人たちが、みつかったとき、すこーしやばいかもしれないので、 「強感の友」という題にして、中でも、強姦をすべて強感とかかせる。」  回覧ノートという異世界の中で悪いことをしたい。あるだろうな。  個人の妄想と違うのは、多人数で創りあげる異世界なので、共同幻想がたちあがる、 多方向からささえて、ほとんど現実化するということだろう。  そこで悪いことをすれば、みていた仲間はたしなめるのではなく、 「あなたもやりますね」などと下品ににやつき「では私も一つ」などと悪いことを重ねる。  皆で、ゲヘゲヘわらいあう。  そういう一種の地獄ツアー。一見、なんのリスクもない、大人の遊技場・・  なのだけれども、ガンダムフリークが妄想だけで満足できずフィギアを求めたり自作して部屋に飾ったりかっこよく撮った画像を披露したくなるように、 かれら「強感の友」同人が、少なくともその中の誰かが、快感にのめりこみすぎて、あるいは仲間の称賛をあつめたくて、 本当の手ざわりや本当の罪悪感を味わいたいなどと望むのは時間の問題のような気もする。  → ネット時代、隠語、スラング的な書き替えは、ふつうにやってるよね。  通勤電車の痴漢愛好家が(他はとてもまじめな勤め人たちが)ネット掲示板で自慢しあうなんてこともふつうにやってるらしい。
: 「二日連続すぐねたが、もったいないので、あしたは、アンナカレーニナ見ましょ。」  アンナカレーニナの映画とかドラマを見た記憶がないので、ここは正確には、読みましょ、のようだ。
: 「女の子が自殺するときは、風呂にはいって体と髪を洗い、自分の一番気にいっている服をきてめかしてのち、 すいみんやくをのみ、(大好きな服のまま)床にはいって死ぬのでしょう。」  waka君の想像上の女の子の場合だろう。  大人の女性はまた別か。(心の中は少女だったら本文もありか)  ただし、大岡昇平の武蔵野夫人にもあったけど、睡眠薬自殺はかなり苦しむとか。 本文のような優雅なねむるようなそれは望めないのでは。 思ってたのと違うという抗議の声は発せられなくなりそうで、本当のところは不明ながら。
: 「こんどのぼくのせきのまわりどうなるかな、あの人はどこにすわるかな。  今日いって、それぞれが席につかぬと、わからないけど。」  席の交換交渉も盛んにあるため、初日最初の着席でもまだ確定じゃないんだ、たしか。  二日目朝には固まっている。  ちょっとわくわく、ぼんやり不安。  → この辺りの記載からすると、定期テストの直後ごとに、だから二ヶ月ごとに、席替えをする決まりだったもよう。
: 「きのうイト■■と、文学クラブ誌のこと話してたら、「じゃ、おわりか。」と、二度ほど、彼いったが、  あれは、なんのことだったのだろう。  この会話は、二人の会話のはじめの方。」  部員のイト■■君、意外とやる気なかったのかな。 部長であるwaka君は、文芸誌は出さざるを得ない、今年部員がいるのに出さないなんてことはほぼ選択肢にない、というところ?  あるいはイト■■君は、もっと先のこと、つまり、部員が三年生しかおらず、我らが卒業してしまえば誰もいなくなって、 「じゃ、おわりか」と言ったのかも。waka君がそういう前振りもしていたんだろうか。 本題(関心)は別だったので、前振りに対する反応なのになんのことか飲み込めなかった、とかかな。
: 「女の子が自殺するとき、トイレにいってだすものだし ・・・ 」  あんまり追及したくない内容ですな。今も。
: 「エンピツケズリあっちむいてたので、ひょいとこっちもってきたら、アイロン/? においてあったコップたおれる。  姉きの、エンピツケズリ動かしたら、当然たおれるところにコップおいた不注意と、 ぼくのコップ当然たおれるのにエンピツケズリ動かした不注意。  → 《 アイロンの絵図 》 こんなの。」  不注意が重なって事故が起きる。昔も今もあらゆるところで。経験を重ね、勘を磨いて、さらには起こりうるミスについて想像力を拡げて、回避の精度を上げていくしか無い。  このアイロンは何かな? コテみたい感じ? ふつうのアイロンのように、布をのばすためのもの?  それとも、女性用の髪を整えるためのもの?  今検索すると、ヘアアイロン、ということでたくさん出てくる。トングみたいな形状で、本文の絵とはだいぶちがうけど。
: 「お母さん、朝勉強しているのみて、朝やってるということをおこるのだよ。 朝食ののちやってるということをおこるのだよ。あと1時間もあるのに。夜やらないで朝やってるのをおこるのだよ。 なんで、そうおかしいのだ。夜の1時間も朝の1時間も、同じだし、 人間としては、夜おきてるより、朝おきてる方がまともだ。」  息子のほうが正しい! というかさ、母には彼女なりの思いこみがあるんだろう。夜怠けたものが朝やる、とかの。朝やってるのは遅れた証拠、とかの。  当たらずだけど、遠からず、かもしれない。waka君の朝勉は。(それに、気分的にむしょうに怒りたくなる朝もあるんでしょう)  まあ、今から眺めれば、夜でも朝でも、テスト期間過ぎたのに勉強しているだけましかな。(この日の授業の予習、おそらく英語の単語しらべでは)
: 「今、あなたと同じ学生があそんでいますか、  というように比較するからいけないのだ、  ぼくは、学生である前に日本人で、日本人である前に人類で人類である前に生物だ。生物たちが勉強しているか。」  爆笑。すごい屁理屈(^^::
: 「きのうのナイターみてるぼくと母の会話。」  前頁で、ナイターみてるうちねむくなり、といっている。 母の小言がうるさくて、TV観戦を切りあげ、自室に移ったってところもあったのかも。
: 「でも、もしかしたら、万物それぞれ、やるべきこときまっていて、 犬っころがえさをさがすのに相手するのがぼくの勉強なのかも。」  相手するのが、は、相当するのが、という意かな。
: 「widow 夫人を、  window 夫人という、冗談のような名だと思ってた。作品の中で。」  widow は未亡人という意だよ。waka君、そう認識できたのか、どうか。 結局、ウイドウという個人名と思ったフシがあるなあ・・
: 「while を white とよむ。」  while は、〜している間に、などの意。  これは間違いとしては、まともだわ。
: 「I did not want to be a doctor. I did not want to be anything but a writer,but I was much too shy to say so. 」  私は医者になりたくなかった。作家以外のものになりたくなかった。私は恥ずかしがり屋でそうは言えなかった。  これは英文としてまともすぎるので、waka君の言辞でも英作文でもないな。 誰か欧米の作家の文章の転記でしょう。とてもシンパシーを感じての、転記でしょう。  これもダメ元で、Copilot に訊いてみた。


誰の文章か?

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この文章は、アメリカの著名な作家ロバート・フロスト(Robert Frost)の自叙伝的エッセイ「教育の誤解」(The Figure a Poem Makes) の一節です。フロストは数多くの詩やエッセイを執筆し、特にその詩はアメリカ文学の中で非常に高く評価されています。興味があれば、彼の他の作品もぜひ読んでみてくださいね。

他にも知りたいことがあれば、いつでもお聞きください


 すごい。一瞬で答えてる。AI、おそるべし・・
: 「a より a より ) a a が、合ってる。」  a が四つだが、差異がほとんどわからん。
: 「今日で、二日か三日、フロにはいってない。」  そういえば、と、ふと思い出した。  この列の上辺では登校まで一時間あったけど、すでに直前か、登校中ぐらい。
: 「ウジャエゲペー!   ただ、学校にいったとき言っただけ。」  さよか。  わかものらしい。それをここに書き残すのがwaka君らしい。
: 「ぼくが、このごろひもむすぶときはいつも、二重むすびではなく、 ちょうちょむすびか、→ねまきのひも ひとえのちょうちょむすび。→自転車のひも」  二重むすびとはいわゆる本結び(二度むすぶ固いやつ)だろう。  一重のちょうちょむすびとは何か?  (1) 蝶の窒ェ片窒フようなむすび方。  (2) 最初の絡みをさせず、蝶の羽だけでむすぶ。  いま試したけど、(2) はむすび目ができない、というか、用をなさない。よって、(1) か。  → ちなみに、いま、二重むすびはふたえむすびでなくにじゅうむすびと読んだ。これでよし?
: 「まわりにだれがすわるかな、と思ったきもちの少なくも60%は、女の人がまわりにすわるかな。」  ふふ、正直に書いてます。70%以上かも?
: 「種 種」  2字あるので何かが違うのだろうけど・・ 禾遍の一画目が、右上がりか右下がりか、か?
: 「松■君、それほどタンパツでない。 ふつう。」  短髪、髪の長さを言ってるような。
: 「くさい人は人に近づかなくなり、その人がくさいとしっている人もしらない人も、 その人にちかづかなくなる。  ぼく、何人フロにはいってないのかなあ。」  主因は臭いでなく本人の自意識、だと。わりと的を射ているのでは。  何人は何日の誤記だろう。
: 「ばからしい → ばからあ ばからー    ばかだ → ばから」  似ているがちがうよ、二つの ら は。ということ?
: 「たまには かまには」 「ものおき ものおけ」  これらは、単純な子音や母音のまちがい、と思える。  あるいは、故意の(あまりセンスのない)改変。  いま、清書するなら、上書きせず、消しゴムで消すだけにしたい。(没扱い)
: 「ふつうの先生はせつめい問題は何度もよみかえし、 サカ■■は一回しかみ□い。」  よくはわからないが、国語科の坂■先生が口数を節約するタチなのかも。  しばしば脱線して生徒を楽しませてくれていたから、つまらない重複は好まないというような節約だろうか。  ふまじめな話には乗り気だが、教科書に近いまじめな話(要は授業でのまともな教え)はかったるいというようなタイプ?
: 「ふつう を ふつ」  これは前項冒頭を言ってる。
: 「「イオンと〜」を「イオント」」  イオント、までで一つの名詞に聞こえちゃったってことだろう。  物理か化学の授業中か。
: 「6時間目が苦痛になってきた、5時間の味しって。」  午後、この日の学校も終盤にさしかかっているようだ。  エンピツ書きの仮メモが続いている。waka君にしては文字量が少ない。  ということは、わりとまじめに授業を受けている日、なのかも。
: 「時計すぐとまる。  ( 化学ノート  」  化学の授業ノートのほうに、多少関連する仮メモがあるってことか。
: 「簡単を間単、関単  間単が正しいと思って、それを簡単、関単とかくことあるな、と思い  また関単の方が、意味にあってる気もする。」  正字は間単、しかし、意味からいけば、関単だろう、といぶかしんだよ、と。  冒頭があるので、本当の正字が簡単だということは本項記載時点ではわかっている。  → 迷ったとき、簡の字義が直感しづらくてすぐには戻れなかったわけだ。  手元漢和辞典によれば、簡はばらばらの竹片。 大昔、紙がなかった頃、竹片に文字をかいてそれを連ねて文章にした。 それが、一片だけ(単)なので、簡単。
: 「濃度を 濃」  2字目の濃は、右下で、左払いの一画が多いようだ。  まだ化学の時間中、または直後。
: 「クロ■先生の中国の題材からつくって本にしたワライバナシ。   みんな笑うのに、イト■■何かやってて笑わぬ。   ぼく、はげしく笑う。」  文学クラブの顧問は田■先生だが、クロ■先生も名目上顧問。waka君は部長なのにクロ■先生も顧問ということをしばらく知らなかった。  田■先生はこちらから文学クラブの用件を言いに行けば応じてくれるが、自らは何もしないということでは、両先生ともほぼ同じ。  (ちなみに、国語科の先生はおしなべて、文芸オタクのなれの果てみたいなところがあった・・  田■先生は私的に読書会を催しているというウワサだった。  クロ■先生は、他にも源氏物語関係で本をだしているようだったし。  亀■先生の授業は、最もイッちゃってる雰囲気で、詩や短歌をねちっこく説いていた。  坂■先生は、庶民的で脱線話がいちばん面白かったが、若い頃浮き名を流していたようで、その頃のことはwaka君の母親が詳しかった)
: 「速 束 >ソク」  同じ部位、同じ発音なのに気づくと、おやっと思う。  手元漢和辞典(角川漢和中辞典)によれば、速は 〔束が音を表わし、うながす意の語源(促)からきている。いそいでゆかせる意。ひいて、はやい意となる。〕 とのこと。わかったようなわからないような。
: 「イス  ●君、やってくれる  まわしてたら、ネジで」  椅子の修理を手際よく手伝ってくれた、ということらしい。
: 「ノリチャン、スイリ小説、おそろしくいっぱいよんだんだって。  ヴァインダインが最高だって。」  ヴァン・ダイン。  ノリミツは理系志望。高校レベルの数学は自学自習で修了したので、三年生は文科系(waka君と同じ)にしたと言っていた。  (後年、米国で数学の講師をしたようだし)  が、当時のwaka君の見立てでは、ランボーを愛し、小林秀雄も論じなど、十分、文学青年だったけど。
: 「今日はノリちゃんといっしょに帰って、セントラルプラザいってくる。 新■君によく会った。〈3度くらい。)」  「とちゅうで、アキャが歩いてるのやオ■さんが歩いてるのみたし、コン■■なんかとあいさつしたし、 アキラなんかとヤマハであった。  あいさつすると、やっぱ、自転車のってる身としてはあぶない。  ノリちゃんいわく、「あいさつして、車にぶつかったら、ぶつかった人もやだし、いっしょにあいさつした歩いてる方もやだ。」  二人は自転車通学。  千葉市街、千葉銀座通り辺り。(そこに連なるお店の一つがノリミツの家)。  皆、テスト後でゆるんでいるかな。■■高生徒、街にあふれてる? (という時間帯か)
: 「ノリちゃんはねむれないでこまっているのだそうだ。」  勉強のしすぎか。  waka君は真逆。夜中までいろいろ遊んで怠け、眠気に抗しきれず落ちて、熟睡。
: 「今日、物理の時間、うしろのせきのアキャとシモ■■、オ■さんのこと話題にしたらしく、 一度だけ、「オ■さん?」とかいってるのきこえる。あとは、むかいあっての実験なんかだった。  そのO■■さんの音、きいたとき、あの人も、ぼくだけが見ている人じゃなかったのかと思って、 ビクリとし、汗流れる。  なぜ、こんなになったのか、ワカラヌ。暑かったには暑かった。   なぜ、こんなふうになったのかしら?  びくっとしたのは武者ぶるいで、 一コしかないあの人の心を自分のものにようとする男たちのうちの一人として、自覚したがため、 争わねばならない男たちのうちの一人として自覚したがためなのか。」  男子高校生たちの話題の半分は、女子のことだったりする、かもしれないが、 本文、片言が耳に聞こえただけのようだから、ほとんどwaka君の独り相撲なんてこともありえる。  (本文は、まるで別の配置らしい物理教室でのことだが、 右の列にある図をみると、普段の教室では結局、そのオ■嬢と、今度の席替えでだいぶ離れてしまったようだ)
: 「ノリちゃんは、とっても名詞表現多く使った難解な日記かいてるんだって。」  名詞表現というのがよくわからないけど。
: 「暑 :なんか、ほんとの字でないような感じした。」  分解すれば、日+者。イコール暑いとはならんもんな。  手元漢和辞典、暑は〔よどみあつまる意の語源(沮渚 しょしょ)からきている。つまり、むんむんとあつい意。〕 とのこと。これもなんだかよくわからない。
: 「この万物長々と変遷しつくした後の今現在、それでも化変収まらず、 一見遅々たる流れの重圧の底で、その水の粒子と、川床の土の粒子の間でひきつぶされ、 すりくだかれる運命を知りつつ、無意味におしのけるため手足を動かそうとする。」  名詞表現云々のノリちゃんの日記はこんなものだろうかと想像して試し書きしている、と思う。  (たぶんこんなものとはちがうぞ。^^;)
: 「テレビのCMにでてくるタイホウの奧さん、お母さんの感じに似てる。  多くの人の前で、外向けの顔で、わらっている。 一見して、ほんとうの表情でなく、つきあいの社交の顔とわかる。 それも何か、いなかっぽい社交。いなかっぽい人が、ほんとに高い人たちの前で、わらうよう。」  大鵬(?)の奧さんの印象、ではなくそれを借りた、waka君の母親への皮肉めいた批評だろう。  大勢の人前で話しをするような、そういう立場にもいたから。
: 「ワカダンナ、ということば を、ワカさまとか、なんとかばかりうかんで、思いだせなかった。  今日の昼休みの会話」  ぽろっと抜けて、語が出て来ない。  老いてくるとよくあるんだが、若者にもないことはない。
: 「ぼくのこんどのせき。  《 図解  | マツ■■ ● 女 女 女 | イト■■ ノリミツ アオ■■ 女 女 ■■ツカ  | 女 僕 ヨシ■(■戸中、川■と同じ) 女 女  | 女 ツミ■ ■■ゼキ     |  (  )ここらにミヤ■■さんとオ■さん 》 」  望みどおり女っ気の多い領域に座れたようだ。  右前方は女だらけ。「僕」の周囲八席のうち、男は、イト■■、ノリミツ、ツミ■、■■ゼキ。 女子は、アオ■■、ヨシ■、他二名。 ヨシ■嬢は、川■君と同じ■戸中出身、という注記か。  以前の席で執心していたオ■嬢、ミヤ■■嬢らは、左後方の見えない席(よくわからない辺り)に遠のいてしまったけれど。  (文科系クラスとはいえ、女子が多過ぎるので、描かれていない領域は男子過多になっていそうだ。 あるいはまだ十分把握していなくて、右前方の女だらけのうち一人二人は実は男子なのかも)
: 「ぼくのとなりのせきのよし■さん (1時間目はちこくしてきた荒■くんすわってたけど、そののち、とっかえたか、どうにかしたみたい) は、松■君と仲が良い様。」  ふむふむ。  ノリミツの左前と右後ろの二人が(ちょっと離れているのに)言葉を交わしたりしてて、 waka君はうらやましがったのかな。(早くも近接の女子に関心)
: 「恩顧がある。  「クロ■先生は、ぼくが文学クラブなのでおんこがあるので、漢文9点もくれたのかね。」  などと、冗談にノリちゃんと話す。 { ・ぼくが先生を助けてやったことなどないし、意味しない。 ・ぼくが先生に助けられたこと意味するのではと思ってつかう。 ・ひいきする、という意味もある?」  恩顧の使い方をまちがえてるのは確かなんだが、言い替えが難しい。 特別扱いして、かな?  → ほんとに贔屓してくれたなら、それは、文学クラブ関わりというより、 激しく笑ってくれるようなういやつだから、かもしれないよ。 (大人になると、若者が話しにノッてくれたりするのがやけにうれしいので。笑)
: 「・ノリちゃんふがいなくも5点。 ・マス■君9点  ・多くの人、0点。」  この点数だと、10点満点か。  しかし、現国、古文、漢文で計100点ではなく、現国は別科目扱いだった気がする。 となると、古文+漢文で100点? それで漢文が10点だけというのはなさそうだから、20点満点かなあ。 ならば半分もとれないわけで難度高しか。忘れた、詳細は・・  waka君は、漢文、古文などは得意なほうだった。  どうやら、大学受験には利さないということで、漢文は何もしないという生徒が多かったような。 だからこそ、ちゃんと学んで習い得点しているというのが、独立独歩で、学徒っぽくて、誇りを感じていたかも。  その点、おそらく、マス■君9点は、意外とやるやつがいる、とライバル視だったかも。
: 「西■君、(■■高)が、「あの自転車(ボロイということが、二人の間で前提になってる)わりといいよ。 → 「あの自転者ボロくないよ」だっけ。  あの自転車に君がのってるのさまになってて、かっこいいよ。皮肉じゃないよ。」だって。  「ハハ、じゃ正直にとっとくよ。」という。 水のみのとこで。」  中学以来の友人のオニシが同姓だが、こちらは高校の友人の西■君。  waka君の自転車は、若者向けのスポーツタイプとかでなく、ママチャリでもなく、大人の職人が使う実用車、という風だった。 家業の職場の隅に長く放置されていたもの、たしか、なぜか。  この記事の中の西■君、どうも語り方がヘタで、皮肉にしか聞こえないんですけど(^^;
: 「この前西■君、みんなで、この自転車にのってくる人、つよいつよい、といってた、といったよ。 この場合のつよいは、そのまるでボロイガンジョウそうな自転車にのってきて、という意。  → この自転車■■君のだったんだね、」  ここまで(微妙なところをあえて口にして)称えてくれる、ということは、違いのわかるやつ、だったのかな。  waka君は家人があれを使えというからなんにも考えずに(恥ずかしいとも思わずに)ただ乗っていただけだけど、西■君の渋めの好みにはそっていたか。
: 「おねがいかえして  を、おかねかえして  とよむ。」  当たらずとも遠からず?
: 「お父さん、オカヤマの奥地まで旅して、今日帰ってくる。」  精神的な修練場のようなところだったと思う。  基本的にそっち方面が好きな人だったから。  waka君の父親(婿入り)は人前でしっかりした話ができ、帳簿や算盤の実務に長けており、筆跡も感心するぐらいすがすがしかったが、 なんか泥臭い折衝とか世間での贈答やつきあいとかは、 地元生え抜きの妻(waka君の母親)にまかせきりだったような。  ちょっと世間から浮いたようなところは、息子に遺伝していると思う。
: 「ヘヤトニック :フケとり  バイタリス :カミのカタチツクル」  フケやかゆみ防止をうたうヘアトニックは多いと思う。  でも、バイタリスってなんだっけ? 今ではまるで耳にしないような。  高校時代、ほぼまったく使ってなかった。そろそろ、そっち方面の常識も身につけるべきかもというメモだろうか。  (現在は、こういう整髪料を用いるような髪の量がもうございません)
: 「僕の手、ひどくよごれてる。砂が汗でついたかんじ。ぼくの手の甲。  おやゆびとひとさしゆびでつくった 《 絵図 》 この形の外がわはくろく、内がわしろくて、 外がらのよごれがよくみえる。」  汚れというより日焼けなんじゃないの。  活動的だから、十七歳男子。かなり獣に近い。  → はじめ、外がわはしろく、内がわしろくて、と読めた。くとしがまぎらわしい。  日焼け以外だと、自転車にのっててハンドルのあたりに泥でも浴びたとか。気づかぬうちに。
: 「ボール ペン(6/9) 買うためにどっかよらなきゃとこのごろ思ってたが、きっかけなくて、 いつも直接帰り、本屋 etc、この頃いかなかった。  そうだったけど、つごうのいいことにノリちゃんから、本屋よらないとさそわれた。」  つまりそのついでで、ボールペンは買えたわけだ。尻切れだが。  ペン(6/9) は、後日(その6月9日)の追補ということでしょう。(ボールとボールペンはだいぶ違うもんね)
: 「ノリちゃんにはお姉さんのみならず、お兄さんもいるんだって。  お兄さんの教科書があるので、歴史の教科書2冊ある。 その一方の本の文面のいくつもの語句を、黒マジックで消して、 黒い四角のいっぱいついた本つくってる。そして、2冊の本をよんで、語句、おぼえやすくする。  語句のけしてある教科書よみつつ、けしてある語句をおもいだしてよむと、 どんな問題集やるよりよく覚えるんだって。」  裏技の披露。  お兄さんも同じ教科書だったわけで、ノリミツ家の事情あってこそか。  さらには、ノリミツのすぐれた記憶力もあるはずだよ。(教科書をシコシコ黒塗りしていくわけだから、意外なマメさも)  いろいろwaka君にはまねできないなあ。  → お姉さんがいたの? お兄さんには一度ぐらいは会ったことある。


当頁 2024/09/09(月) 〜