表紙
display
 
1974/06

 
















1974/06/02 ねぢれてる。
 
















1974/06/05 へんな準備体操か、
 


















1974/06/06 これをフォークは右、と思う。
 






















1974/06/09 というむしめがね■
 




















1974/06/10 たぶんノリちゃんをみてた。
 
















1974/06/12 ツメキルにもメガネかけなならん。
 
















1974/06/13 ちょっとふくれてかたい所
 














1974/06/14 もう帰ってる。なんでえ?
 


















1974/06/16 女の人の乳房は、
 














1974/06/17 れとかいたつもり
 






















1974/06/21 手を直角にからませる。
 






























1974/06/24 ホースぶっきれてついてるので
 








































1974/06/26 わりと、ひざつきたてる。
 













画像 アップ
『1974/06/02 ねぢれてる。』 A、B 2025/02/24(月) 〜
『1974/06/05 へんな準備体操か、』 A、B 2025/03/03(月) 〜
『1974/06/06 これをフォークは右、と思う。』 A、B 2025/03/10(月) 〜
2025/03/17(月) 〜
『1974/06/09 というむしめがね■』 A、B、C 2025/03/24(月) 〜
2025/03/31(月) 〜
2025/04/07(月) 〜
『1974/06/10 たぶんノリちゃんをみてた。』 2025/04/14(月) 〜
2025/04/21(月) 〜
2025/04/28(月) 〜
2025/05/05(月) 〜
『1974/06/12 ツメキルにもメガネかけなならん。』 A、B 2025/05/12(月) 〜
『1974/06/13 ちょっとふくれてかたい所』 2025/05/19(月) 〜
2025/05/26(月) 〜
『1974/06/14 もう帰ってる。なんでえ?』 2025/06/02(月) 〜
『1974/06/16 女の人の乳房は、』 A、B 2025/06/09(月) 〜
2025/06/16(月) 〜
『1974/06/17 れとかいたつもり』 2025/06/23(月) 〜
『1974/06/21 手を直角にからませる。』 2025/06/30(月) 〜
2025/07/07(月) 〜
2025/07/14(月) 〜
2025/07/21(月) 〜
2025/07/28(月) 〜
『1974/06/24 ホースぶっきれてついてるので』 A、B 2025/08/04(月) 〜
2025/08/11(月) 〜
2025/08/18(月) 〜
2025/08/25(月) 〜
2025/09/01(月) 〜
2025/09/08(月) 〜
2025/09/15(月) 〜
2025/09/22(月) 〜
『1974/06/26 わりと、ひざつきたてる。』 2025/09/29(月) 〜
2025/10/06(月) 〜
2025/10/13(月) 〜
2025/10/20(月) 〜
2025/10/27(月) 〜
2025/11/03(月) 〜
K、L

※ 『1974/06/02 ねぢれてる。』
: 「6/3、将棋同好会の人の クラスしらべ  島■君も、」  島■君は、最近入会の後輩などだろうか。
: 《 詰め将棋譜面 》  「▲2四桂△同金▲2二飛△同玉▲2三角成△同金▲4二飛成まで」  しっかりした作品。この日6/2は日曜日。NHK講座の出題でしょう。
: 「おかあさんのふとんのしーつに血のあと。2つ。」  あらま。
: 「 ・・・ 初夏ちゃん、  おもろお!」  これは命名がおもろいというより、(チッチとサリーの)作品中のこのキャラが興味深いってことかな。
: 「いやさ  は、「いや、ね」という意?  いや、あのね」  辞書の(おそらく伝統をふまえた)語釈は少し違うが、 人が生の声でこう言うのをほぼ聞いたことがないので、どちらともわからない、迷う。
: 《 waka君自室の四畳半、内面図 》  「ランマこのぐらいあいてる(一年中 アミド)  ガラス  外  アミドあいてる   四畳半  風通しよくするには、ここあけないとだめ。 あけないと風ながれぬ。」  北西の四畳半。  六月に入って、蒸す日が増え、風通しについて描いておきたくなったようだ。  北壁上方の欄間、年中隙間が開いてたなんて知らなかった (このとき再確認したんだろうけど、その後すっかり忘れた)。 外気が素通し、これでは真冬の暖房の率が悪いだろうから、要するに、不具合でこれ以上閉められなくなっていたんでしょう。  省略されているが、北壁ガラス窓の内側に勉強机、左右に本棚とか諸々の置き場がある。  西壁下のにじり口のような窓は、ガラス戸、雨戸ともちゃんと戸締まりできた。  風通しよくするには、ここあけないとだめ、といっているのは隣室との境の襖。この襖が唯一の通り道。 (絵のこちら側、南壁はすべて壁または押入れで窓も出入口もないので)  母屋での通行は東のその襖のみだが、以前にも書いたが、 勝手知った一部の友人は庭から直接西壁の外に回って、西壁下のにじり口のような窓をノックした。
: 「おれにはなぜ、青春がないんだ、夢がないんだ!  恋がないんだ!  とは、いいたくはなかった。そうでないような理屈が頭にこびりついている。 でも、よくあらえば、あらわなくとも、感じるままだとするなら、やはり、そうであったか。」  できのわるい詩のようではある。
: 「ぼくは、何か、明るいような恋も、よろこびも  ほとんど感じぬまま、時にはたまらないみじめさがしみいりきり、また、うつろにうかれさわぎ  ・・・・ そして、家と家族をすてて、きたない町なみのすみでさびしく死んでいくか、または、 味のない家の職業をついで、一生、つまらなさにひきさかれるような思い をして  流れていくか。  春がけしてやってこない人。春をちかづけようとしない人。春がちかづこうとしない人。  やっぱり、やっぱりそうなのかしら。」  弱気すぎる?  きたない町なみのすみでさびしく死んでいくか、一生、つまらなさにひきさかれるような思い、それもこれも、 そんな一色で塗りつぶせるようなものではないのだ。  とびこむ前からそんな悲観してたら、きっと、かなしいさびしいもろもろが寄って来るぞ。  どうせとびこむなら、たのしいうれしいいろいろといっしょに行こうぜ。
: 「今日、火■君と将棋同好会の会議いってきたけど、帰り、歩道橋のもとのていりゅう所の前、 日よけのすみのもとに、感じのいい、女生徒がいて、かいだんのぼってるとき、あっち側におりたとき、 ふりかえり、または、ながめた。」  この日曜日、火■君(現会長)と千葉駅で待ち合わせて、どこか他の街の会合場所にでかけている。  感じのいい女生徒に見ほれる、色ボケ青年。だらしないけど、罪もないな。  (しかし、日曜日、そのたたずまい可憐な女子はどこか他校の制服だったってことらしい。彼女にも私服でない事情があって)
: 「恋とか夢とか、そういうことをまったく信用できなくなった人が、数学やら、物理やらをやるのか?」  爆笑。  すごい偏見。  (大勢の数学者や物理学者の中にはちらほらいそうな気もするけどね)
: 「恋 : だれかに好かれるということによって、自分のすばらしいことを知ること。 (間接的にすばらしさを知る。)  勉強 : 自分をすばらしいようにすること。(直接的に)   しかし、すばらしい、とは、人に好かれることであって、勉強できるetcは2義的。  つまり、前者の方が直接的、あとが、間接的が正しい?   恋が、間接的に自分のすばらしさを知るものだと思う人は、勉強をする人。恋を信じてない人。  恋が直接的に、自分のすばらしさを示す、 (愛されないなら、どんなにいろいろなことできてもすばらしくない)と思う人は、恋を信じる人。    ? 」  人を好いて人に好かれること。  学問を好いて学問に好かれること。  学問の向こうにいるのも人なら、おなじことか。  いや、学徒は向こうにある真理を目指すのかもしれないが、 ならば、人の真情をみつけ信じることもおなじぐらい大切かもよ。  (どちらも私はよく知らないけど)
: 「もう、鏡をみるのもほどほどにしよう。前の日記を整理し、よみかえし、いこう。 勉強はすこし。本は勉強ほどでないけど、すこし。」  もう一つわからないけど、周囲の記事から、このとき、自信なげな表情をしていたのでは。  こういう冴えない顔をまじまじ見ているのはあんまりよくない、と気づいたか。  内省しているより、これまでの書き物を整理したり、勉強や本やをすこしぐらい、の意か。
: 「ぼくも、クラスの■■ツカ君みたいな生徒になるのがあってんのかしら。」  ■■ツカ君とは? 彼のことがわからないと文意がわからないが、ほぼ記憶になし。  前後の流れから推測すると、孤立して、友だちもいそうになく、無口でおとなしい同級生、ということかな・・・?  勉強も運動もとくに目立つこともなく。(だからこそ印象が残っていない??)  (■■ツカ嬢は何度も登場している。ここの彼は同姓の男子)  本項■■ツカ君、次項イマ■■氏と、冴えないほうの級友たちが思い浮かぶ、そういう気分だった、ようだ。
: 「2年の頃、体育の授業で、3人ずつチームになって、バスケの練習やり、 連続的にチームがいれかわって試合。大きい方から3人ずつなので、ぼくたち小さい方で4人になった。 でも、3人でやらねばならず、一人あまった、イマ■■氏は、 一回目のおわった大きな人二人とくんでチームをつくるべき。 (しかし、大きな方の人の三人、自分たちは次もかわらぬと思ってるから、今■氏、 その3人から一人がでてもらって、自分がはいるのだから、はいるとしたら、はいりずらい。) でも、イマ■■氏気づかず、ぼくたち3人といっしょにとびだす。 でも、ぼくたちこころえてるので、気づかずに3人だけでプレーをしていて、 イマ■■氏にはボールわたさなかった。 (4人でやればできたが、3人でやるものと決めていて、かつ、イマ■■氏は次の2人とやるのであって、 それはめんどうかもしれないがイマ■■氏のことでかんけいない。というようなカンジがあった。)  で、おわってから、イマ■■氏は次なんだよ、とかみなでいう。が、次の3人はもうはじめちゃってる。 で、イマ■■氏、「はんぱになっちゃったから。」とかいって、ぼくのカオをみてのち、 あっちにはしっていったが、ぼくをみたときの彼の目、悲しさ、理由のわからない悲しい涙で、ひかってた。」  かわいそうに。  背の低いほうから、2、3、4番目のお前たち。イマ■■氏も勘が悪かったかもしれないけど、 お前たちも思いやりの反射神経が悪いよ。  (似たような経験もしているだろうに)  ・・・  たまにある、間の悪い事情、といえば言える。 単に、その体育の授業一時間の間だけの、かりそめの三人組という話のはず。  しかしかりそめでも、ハンパであまって仲間はずれみたいことになれば、 しかも背が一番低いという理由でとなれば、涙もたまるよ。  ここはだな、もう十六七の半分大人なんだから、そこにいただれかが先回りして塩梅して、 本文の通り大きい方の人にズレてもらってイマ■■氏のはいる三人組を作ってもらうとか、 waka君らがとっさに忖度して四人組でやってしまうとか、してあげるべきだった。 (ちゃんとボールをまわして)  かんけいない。というようなカンジ、じゃなくてさ。  もう半世紀も前なのでどうしようもないけど、もどかしい。  ・・・  前の学年でのことを想起したのはそしてここに詳述したくなったのは、やはり、 イマ■■氏の涙に通ずるものを、このときwaka君も感じていたからだろう。  ・・・  本項、二年生のいつ頃のことかは不明だが、display 1974/01、1974/02、1974/03(二年生の三学期)に、 イマ■■氏の名が散見できる。年賀はがきをもらったり、waka君の夢にでてきたり。 わりとふつうに親しくしていた雰囲気だ。
: 「鏡を見るまい、と思って気づくと、また見てる。」  淡く薄めながら、憐憫、陶酔、被虐、嗜虐、ないまぜ?
: 「今頃みんな、男のやつらも、女子たちも、みんな勉強してるんだ、なぜだ!?」  みんなの行為になぜだ、と思ってるのか。それにくらべてやる気のまるで無い自分になぜだと言ってるのか。  もうすこし俯瞰で、彼我の差、そういう人それぞれの様相に、なぜだという思いが浮かんだのか?
: 「このごろ、■■ツカさんが、今までおもってたより、心の広い、高い人のような気がしてきた。 今までは、オカ■君の附属物、なんて、かんじの人だったのだが、ぼくにとって。」  ■■ツカ嬢のほう。  小柄で、ちゃきちゃきした女子だったようなおぼろな記憶。美人というより十人並み?  なにかあって距離が近づいたってことだろうな。 惚れたはれたにはまだ遠いが、ちょっと可愛げのようなものを感じだして(錯覚しだして)しまったような?  たしか、これ以上の親近には至らなかったと記憶しているけど・・  → 二年生の時、オカ■君はタ■■嬢をめぐってのwaka君のライバル。(外見、内実、人気、どれも完敗気味だった)  同じ中学出身なのかオカ■君と■■ツカ嬢は前々から気心が知れているように見受けられ、 タ■■嬢と■■ツカ嬢はいつも連れ立つほどなかよしでもあった。 よって、その頃から、■■ツカ嬢はwaka君の視界にはいりやすかった。 三年生になってこのうち、■■ツカ嬢のみがwaka君と同じクラスになっている。 というような流れがあって、主役級の男女が遠のいたため、陰の女子が浮上するような力学があった、・・とかね。  → 訂正。違和感があり調べたら、三年時、オカ■君も同じクラスでした。 四人のうちタ■■嬢のみが別クラスで、オカ■君、■■ツカ嬢、waka君が同じクラス。 なので、ヒロインが遠のいたため、と言い替えてもいいけど、どうかな・・
: 「イマデコソ、■メさんの方が強いように感じるけど、中学の頃は、ぼくの方が勉強できるつもりでいた?」  不断の努力が、waka君にはなかったから。  ■メ嬢は中学同級だった。中学の頃は、複数の中の一人の女子、ちょっときつくてまじめなていどに思っていた。  が、同じ高校に進むと(同じクラスにはならなかったが遠目にもはっきりわかるぐらい)輝き始めて、 才媛という言葉がピッタリの女性へと磨かれていった。  勉学のみならず、文化祭では毎年、実力派の歌い手として喝采をまきおこした。  殻がむけたというのか、人はこんなにも変われるんだ、と驚き、感心した。
: 「おれは、恋とか、なんとか考えるからいけないのか。  ぼくが、文学の事、話すと、このごろは、ほんとに、一流になれない人がねたんで、かつ、かっこつけて、 一流ぶって話してるような口ぶり。  ヤダヤダ。おれもそこまでおちるのか。」  きつい、自己批判。  ときにはこういうのも薬。
: 「高■まさ■さんは、ほんとに小説の中にでてくるような人。」  明治の小説のヒロイン。  透きとおる肌、しっとりした感じ。  学年五指に入る美しい女子。  一年のとき同クラスだったが、waka君は何かやらかしたはず、以来嫌われている(気がする)。
: 「えんぴつけずりにいったりするため、となりのへやや、それ以上いって、かえってくるとき一瞬、 ふすましめようと思い、一瞬、風通しのためあけてあるんだと気づく。」  前頁の絵図参照。

※ 『1974/06/05 へんな準備体操か、』
: 「オスモウさん、団体戦も個人戦も負け。  個人戦負けてのち、イ■さんや■田さんや、オ■さんとみまちがえた長■さんがきて、 1つかさの下でかんせん。  1回目、前のめりにたおれ、  2回目、あおむけにたおされたぼく、  それをみられなかったのを幸運というべきか、 ぼくの勝つ所、もしくは、奮戦するかもしれない所をみせられない(もう、出場する所ない) のを残念がるべきか。」  笑。 無残じゃあ、ああ、なさけない(^^;;  春の競技大会。  イ■、■田、長■の三嬢が観戦にきてた、と。  クラスはちがうようだから、かならずしもwaka君チームの応援ではないかもしれないが。  まあ、男子たちのおすもうさんぶりを「観賞」というところ?  一つ傘の下。小雨でも降ってきたか。  要するに彼女たちの来援は、waka君が惨敗したあと。微妙だ(笑)
: 「お父さんが、自転車のって京成の方までフィルムとりにいくといい、お母さんがあぶない、といい、 ぼくもそう思ったので自転車のってとりにいく。 外さむかった。」  児童の頃は良い子だったが、waka君、生意気ざかり、そして高校生と、だんだん親不孝者にになっていく。  それでもさすがに、たそがれどきか宵の中心街、慣れない自転車ですっころんで重そうな図体が轢かれるようなイメージが浮かんで、 捨て置けなかったんでしょう。  (父親はたしか、ポラロイド写真とかに一時的にはまっていた。このときは通常の写真フィルムってことかもしれない。8ミリ撮影(動画)まで手を拡げていたかは記憶があいまい)
: 「お父さんより、おだちん\200。 \500じゃおおいなあ、(つりせんは1550円)といって、 あとから、もってくる。  \200といっても、一月のこづかいの1/10。それを20分そこらでもらう。」  ふむふむ。  今の価値なら、これらの3〜5倍程度か。
: 「レポート用紙buy!!! :化学のやるため!!」  「化学の試験管、洗え!! 朝。」 「きのう」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  化学のレポートというのがあり、化学の際の班の班員が、授業ごとに持ち回りで担当して提出していたと思う。  実験の目的、実際の経過、結果、その考察などだろうが、帰宅後にまとめるわけだが、けっこうな負担だったと覚えている。  自分だけの宿題と違い、他に迷惑をかけられないので、絶対、しかもまともに、仕上げねばならなくて。 
: 「今日、学校から帰るとき、ヤマト橋の手前で大型トラックが右側通り、 ぼくそのよこをはしったが、左側のとまっている自動車にあわや、接触しそうになり、ひやひやする。 ぼくのことだから、接触すればよろめき、となりの大型トラックにまきこまれる、というのが、 当然のこととして予測されたのだ。  やっぱこわいねえ。  こういうこわいことに何度もあってるのに、のるのをやめようとしない。  いつかは ・・・ それがあまりに、こわすぎる。  自転車事故なんて中途半端なの少なくて、ほとんど死あるのみなのだろうなあ。」  中学一年生はバス、二年三年生は電車通学。 高校では途中までほとんど徒歩。 後半ぐらいから自転車を使いだしたか。 卒業後は千葉駅までの往復がもっぱら自転車だった。  通算十年はなかったが、それ近い。本文のようなこわいめにその可能性にさらされつづけたけど、 相撲惨敗にもある通り運動能力が劣り反射神経も人並み以下のwaka君だけど、 事故に遭わずに生き延びた。  自転車事故の確率が怖れたほどには高くなかったということでいいのか。  ただひたすら、幸運の女神に守られていたというだけなのか。  →  人の人生にラッキー積立てのようなものがあったとしたら、 おそらく私は、事件事故関係でそれを費やして生き延びてきている。 ヒヤリハットがあまりに多かったと思うが、いまもって指一本欠けていない。 体格体力は劣等生だが病気知らずで健康体でいつづけた、から、そっちでもたくさん使ってる、たぶん。  その代わり、ギャンブル運とか、女運とか、華々しい方面にあんまり回らなかったような気がする。
: 「社会通念派 :しらべ」  単純に、常識人ってこと?  または、堅物、俗物、三猿的な。
: 「水谷八重子をみずややえこ、とよんで、誰だろうと思う。」  当時だから、初代。
: 「廃棄を はき と読む。」  おしい。
: 「字をきれいに!」 「今日はこのごろにしては、寒い?」  不思議だが、字がきれいだと、なんだか記事がつまらないのだ。
: 「木苺」  きいちご、か。  莓という異体字もあり。
: 「姉き、夜遊びしてるのか、今日みたいなおそい日よくある。 さっき、電話あったけど。」  waka君が高三ということは、姉は短大二年生の十九。  夜遊びしたいお年頃でしょう。誘われることも少なからずで。  (困ったやつだという口調だけど、この次の年には、卒業したwaka君も夜遊びずきに、しだいに午前様しまくりになっていく)
: 「遅い」  おさい、とふりがながあるが、よくみれば、おそいか。  さとそ、意外と相似!?
: 「キ■■タイメイ君は、スモウ部なのよ。」  ■■高に相撲部なんてあったんだ。  卒業アルバムには部員一同の写真が載っているけど、ふだん活動している様子なんてほぼ見てないよ。
: 「気がついたら 3:00。ねすごしたら、化学の班のレポートかきそこねて、 みんなにもうしわけがたたない所。」  セーフ。  本項を書いて退路を断ってから、励んだんでしょう。.
: 「夢。  イト■■、ランニングして体きたえてるのが意外。  ボールをキャッチする体育テストもあった。  「理位たんさかん」みたいのがでるドラマの一部みたい所もあった。  インディアンについての、チンピラがやってるてんらんかい。  町かどで、こどもの頃のぼくのおよめさんになってほしいなと思った少女みつけておいかける。 みえなくなると、うかれてはしりまわり、ちがうまちかどで、同じ子をみつけようとする。  etc etc 」  「理位たんさかん」は、現職捜査官 の誤記?? 起き抜けでややおかしい?  うかれてはしりまわり、があぶない匂いする。
: 「きのうのイト■■は意外につよく、迫力あった。」  夢の中の彼でなく、きのうの、だろう。  イト■■君も相撲に出場だったか。あるいは他種目での勇姿。  イト■■君は、からだは大きめ太めだったけど、ごくごくおとなしい性格。  口にする言葉は、ちょっと皮肉っぽくて、強気な感じの、文学クラブ仲間。  たとえ見かけ倒しでも、立ち会い前の迫力から勝負のうち、というようなコツは知っていたのかも。
: 「きのうねたのは9時頃で、12時にめざましあわせたつもり。 が、今みると、11時にあってるから、まるい時計ゆえみまちがい、 11時を12時、8時を9時にまちがえたのかも。 ほんとにねたのは、8時? (ラジオのプロ野球もまだそれほどきいてなかったはず。)」  それで目ざめたのが午前三時(または二時)というわけか。  目覚まし鳴ってもとめてしまって、ふかぶかと二度寝。(三時間で起きるつもりが六時間睡眠)  前日の競技大会で心身の疲労があるだろうから順当な眠りと思うけど、 化学レポートは本当にあわやだったんだ。  →  今ならね、そういう絶対のたぐいの、優先度高いものはもっと早い時間帯にいの一番に済ませて、 どっちでもいいようなものを後に回すけどなあ。  体力や勢いはあっても、優先順位とか段取とかが幼いか、まだまだ。
: 「うしろの首すじいたい。きのうの体育のへんな準備体操か、 《 解説絵図 》  スモウで頭ぶつけたためか。」  どういうへんな準備体操なのか、ほとんどわからないよ、この絵じゃ。  なにか器具を動かしているようだが。
: 「折出」  析出、と書きたかったか。化学のレポートやってるはずなので。
: 「体はすりきずに、砂だらけ。(それほどでなくとも)頭も砂。 あした体育もあろうから、きがえるときにフロはいってないのわかる?」  砂だらけは、相撲のため。  困ったね、すでに未明だろうし。  (まあ、男だし、押し通ろう)
: 「きのうの、お父さんの用事で外にいく前、はらばいになって、新聞よんでたが、 ガシャ、とまわりが動いたような気がして地震かと思ったが、 小鳥が、セルロイドのひさしでガサガサやってたので、これか、と思う。」  さすがに、庇がセルロイドはないだろう。別の硬い材質の合成樹脂、薄緑の波型板だったと思う。
: 「けど、7持のNEWSじゃ、地震6持26分にあったといってる。 ぼくが、自転車にのってでかけたのも6時半頃。」  腹ばいになって新聞、地震? > 六時半、でかける。 > 帰宅。 > 7時のニュース。  という順番だろう。  わりと詰まってる。(7時のニュースは頭から見られたとはかぎらないけど)
: 「鉛 これを  ■ こうかく。」  ■は給? 蛤っぽいかんじも。 手なりで(手の記憶で)書いただけなので偏もぐにゃりと。  なまり、でないことだけはすぐわかったと思う。  (といっても、本項は誤記の原物ではなく、その転写なんだが。ぐにゃりも原物通りなのか転写時の手抜きなのかあいまい)
: 「グッベッボボー グッペッボボー と、カエルか何かが東の方でないてる。 池でだろ、もうやしろのなくなった。」  自宅の東、隣の隣の弁天池、その社がもう無い? 改装か何かしだした頃だったのかな。  未明、一帯は寝静まっているので、すぐそばで鳴いてるようにきこえる。
: 「「インデアンについての、チンピラがやってるてんらんかい。」は、何度か夢でみた。」  この頃のwaka君の夢の中、くり返されるモチーフ。  夢判断でもしたくなってしまうな。  頭で推理すれば、イメージの元は、飾りたてて街を走る暴走族辺り・・?
: 「きのういったハナシマカメラ店には、外人のような女の子いなかった。 いつもいるのだが。帰ってからお父さんにいわれ、ああ、あの店にはいつもは、いたんだっけと思う。」  この日以前にもwaka君は、見かけたことがあった、見かけたことがあったはずだと気づいた、ってこと。 お父さんにいわれるまでは、ことさら、気にはしてなかったけど、そういえば、と。  おそらくだが、  ○ 父親は何度か通ってよくわかっている。 ○ 息子は店に入ったのは初めてぐらいだろう。 ○ 店の前を通ったことはあっても、目の隅にその外人のような女の子が映っていただけで意識はしてなかった。 ○ この晩、父親に指摘されて、その映像が甦り、前々からわかっていたような気がしてきた。  ・・というあたりではなかろうか。
: 「くびのうしろのこのいたさ、はげしすぎる。」  「首すじのうしろから、かたにかけて、イテテテテテテ。」  筋肉痛? この様相は、一種の筋のつった状態か。
: 「トレイニング   このトレイは線路、列車の意。」  これはほんとうらしい。  train が、引きずって行くもの。  引きずって行くから、列車。  引きずって行くから、従わせる、仕込む、となるそう。
: 「6時より、1時間強、ねる。」  「朝辞書ひいてても、もう、お母さん、べつにおこらず、 ワイシャツもってくるついでに小声でいまごろ辞書ひいて、というだけ。」  笑。  display『1974/05/30 この夢のお弁当は、』に「お母さん、朝勉強しているのみて、朝やってるということをおこるのだよ。」とある。  化学レポートなど仕上げてから一時間強眠って、七時に起き、 それから八時過ぎの食事までの間に、英単語調べということだろう。 (その朝食後、自転車をとばして、授業一時間目が八時半過ぎに始まる)
: 「ああ、今日、英語ほとんど、予習してない。!!」  ははは。  七時ピッタリには起きられず、寝過ごしなどもあって、正身は三十分ぐらいだったのかな。
: 「今までのワイシャツ、そでのボタンなんかとれてるのだったが、 (そこで、学生服ぬいで、ワイシャツだけになるの恥ずかしかった) お母さんのもってきたの、ボタン皆ついてる。ぼくのじゃない? (たぶん、ぼくの下着入れるとこにいつもはいってたやつだ。」  はいっていたけど、いつもは使わなかった、何か別区分のやつ。  つまりたぶん、誰かの(祖父か父か男家族の)お下がりのワイシャツだったんだろう。
: 「きのうの帰り、社社の門より出た■ダさんの車とすれちがい、あいさつ。 しかし、へたすると、ぼくののってる自転車と車の通るの重なって、 あまりに無残なことになったかも。今後も。」  本項、エンピツ書きを後で清書した痕跡がある。このあと三四項も。 (空けたスペースに比べ文字量が多すぎることになりそうだったので極端な細字になったか)  このエンピツ書き仮メモは、位置的に、登校途中のものだろう。  この朝の出発すぐに、昨日ニアミスのあった門前を通り、昨日このことを記さなかったのを思いだした。で、今日書いたのだと推測。  社社は家業の職場の呼び方の書き間違いと思う。  ■ダさんは幹部職員さん。
: 「自転車とめるとき、後輪をうかせる金具がかんたんに動かぬようにとめるでっぱりあるけど、 後輪をうかせてないうち、でっぱりはねさすと、金具、さがってないのに、とまったままにできる。  ここで、とまっちゃう。 《 絵図 》」  現物を見ればもっとちゃんと理解できるんだろうけど、なんとなく分かる。  分かるが、だから、どうなの? (単にちょっとおもしろい異な状態?)  でっぱりを戻せば、金具は下がって、普通に駐輪できるだけのことで、とくにこまらない。  あるいは、金具が下がらないことがあるが、 それはこういう理屈だから、冷静に対処すればいいだけ、という覚え書的なものか。
: 「ひも、むすんじゃった。(ヒトエカタムスビ) ひとえちょうちょにしないで。」  自転車の荷台の紐。  なので、ほどくのに苦労するだろう、してる、ってことかな。
: 「雨ふってたけど、やんじゃった。自転車乗れぬと思ってたけど。」  登校前の空模様とそのときは乗れぬと思っていたことを、自転車で登校途中に思い出して、仮メモ。 その後(学校に着いてから?)清書、だろう。  → このエンピツ仮メモだが、よくみると、丸数字しか書いていない。 ここの数項を丸数字だけから思い出すのはほぼ無理。 よって、ポケットからすぐ取り出せるような手帳か別紙、反故紙のようなものに 丸数字付きで走り書きをしたか。  → いや、丸数字の(1)の上のすぐのエンピツ文字が「物」とあるように見える。 エンピツ文字だけを並べると、「 物 (1) (2) (3) (4) 」となりそう。 これは、物理ノートにある仮メモをここに清書せよ、というときの書き方と同一。 と、するなら、登校後の一時間目あたりが物理で、 授業中、せっせと物理ノートにこれらの仮メモをしたためていた(今にも忘れそうで)というのが、真相なのか。
: 「運働 運動 )?」  waka君はしばしば運働と書いている。  そのつど(本項のように迷うつど)運動が正字と(辞書など引いて)確認してるんだろうけど、 忘れた頃にまた、運働と書いている。

※ 『1974/06/06 これをフォークは右、と思う。』
: 「そろそろ、卓球はじめる??」  「古文で重要なのは助詞、助動詞だって。」  「帰ってきたら、自分でくつ下あらえって。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  春の競技大会の練習の人たちにゆずっていたけど、大会も済んだようだし、 そろそろ旧体育館の昼卓球を再開しよう。(会長さんらにも連絡して)
: 「ぼくはそれほどとは思ってないが、ぼくは夜がない(ねちゃうから)ので、 一日が人よりもあまりに早く、過ぎていってしまう?」  勉強、すくなくとも文芸創作で、自分時間を充実させていないから、負い目を感じているのでしょう。  要は、将棋やマンガやプロ野球視聴やのあそび、そして惰眠、そうでなければいつも心記書きに追われている。 うしろめたいけど、矢のように時間がすぎていく。 ふりかえれば、貴重なような大切なような十七歳の日々が過去になっていくのが見える。  (でもさ、そういう負い目や焦り、感傷も、今から眺めれば、うらやましいぐらいきらめいている。 今が不幸だとは思ってないが、むしろ充実しているが、お前のほうがきらめいている)
: 「ふとんにたらしたヨダレ、(先ページより)チリガミでふこうと思ったら、ないので、 弁当つつんだしんぶんしを、ゴミバコにすてたやつからちぎって、つかう。」  前の頁で夢の中身を書いている。長々とひどく怖い夢。 その終盤、葉っぱを口でくちゃくちゃかんでいる。その後それをペッペッとはきだす。 「ここで目がさめ、ふとんの上につばをはき、よだれをたらしてたのにきづく。」とある。  朝起きて寝床の始末をしてるもよう。
: 「early を、はやい、ちかいのどっちだっけと思う。正解、早い、初期の。」  近い将来、という言い回しにも使われるらしいから、近いも類縁濃しと言えそう。
: 「もう、3日か4日ぐらい前自転車で走ったら、(学校いくため) 横断歩道わたろうとする女の子(19ぐらい?)をみつけ、 あまりにあいらしかったので、天使のようだと思う。」  どうやら、性欲昂進状態で、女子の見え方にバイアスがかかってるな(^^;
: 「自転車ムリかと思ったけど、自転車(雨きわどくあがる。)」  詩ではないけど、短句として見事。
: 「歯、カオ、アラウノワスル  ブショウがつのると、ここまで。  → 顔洗おうと、洗面所行ったら、お母さん洗ってる。僕たんすあけて、くつしたさがす。 どれをだしても、アナあいてるか、きれてる。それを母君に気づかせる形にして、 じゃ買っとくよ、といわせる。そんなことして、洗うの忘れる。  ← これについての下書き、あやうく、消すとこ。(ケシゴムで)」  細字、一部は90度おれまがった状態でつづってる。 あとから挿入したがスペースが苦しくて、でしょう。
: 「於 : ところ、とよむ?」  よまない。おいて、だ。
: 「二人」が形態変化して「こん」  発見級かも。  どこかのたぶん自分の手書きで「こん」と読んで、意味が通じなかったので、この相似に気づいた。 そういう前事情があったんだろうけど。
: 「へいわにおわる ?」  平和裏におわる。  秘密裏に始末する、とかもよく耳にする。
: 「諸民 ■民 庶民  ■ : なんて字?」  ■は、都の左右が入れ替わった文字。waka君の勝手字でしょう。  → デジタル文字にはないが、ある漢字らしい。 (ATOKの文字パレットでは、こざとへん+点付きの者で、ショ、なぎさ、という読みで出てるが、手元漢和辞典にはそういう文字の登録無し)
: 「■野先生すぐスペル忘れる。ちょとだめね。(文法はヤレルのだろうけど。)」  本職が、英語劣等生のwaka君にこういわれたら、あかんわ〜  いつも目をつけられているので、ここぞとばかり(とはいえ秘密のノートの中で)。 
: 「こんなんなことにたちむかっていく気力がたいせつ?」  そのとおり。  前に進まなけりゃ、話にならない。  道を切り開き、肩で風を切るように悠然とゆくのだ。  ・・しかし、ときに、逃げる機転も必要。  君子あやうきに近寄らず。避ける冷静さも。
: 「溶器 容器 )? × ○」 「剤を■」  ■は、交+O。剤を誤記した文字。偏が交、旁はでてこなかったよう。  この辺り、化学の時間か。
: 「この前、セントラルプラザにいったときも今日も、ノリちゃんと話しながら走り、 オ■さんをみつけ、通りすぎるときにちょっと、話し声をおおきくしたよう、ぼく。」  さっき(左1列目は)登校前だったはずだが、すでに下校時間?
: 「高■スミ■さんもとなりに歩いてた。  これは今日。はじめにスミ■さん目にはいる。 この前も、(オ■さんにしか気づかなかったけど)となりにいた?  (この二人ナカヨシのよう)  ゆうびん局の2人がオートバイひどいのり方。 《 絵図 》 」  郵便局員が行儀の良くないのり方をしていた、ってことみたいだ。 不良がそうしていてもたいして珍しくないけど、郵便局員がそうしていればたいしてひどくなくても記事にしたくなるかも。 (絵が稚拙でいまいちよくわからないが)
: 「このごろますます、お■さんがきれいに思えてきた。」  だからさ。発情期なんだってば。  まあ、もちろん、女子の側もお年頃だから、それなりに微妙につやめいているのかもしれない。
: 「今日5時間目のはじめ■■ハタさんという人、ロウカでたおれたかどうかしていた。 (ノリちゃんと将棋やるため、ロッカーにとりにいったとき、女の子がまわりかこんで何やらしてるの見る。)」  しゃしゃり出て、何かおせっかいはしなかったわけだ、waka君は。  基本的にすでに人だかりができているなら、おまかせで正解と思う。  さん付けなので、女子だろうし。
: 「ノリちゃん(に)勝つ。(将棋)」  「ぼくのカラダくさいので教室で体をマルメギミ?」  自臭症(じしゅうしょう)の初期? でもまあ、数日風呂にはいってないそうだから、根拠はあるわけで・・
: 「今日、会長さんとの卓球再会。木■タイメイ君やクロ■君もやってた。」  再開。  実際、会長さんともひさしぶり再会だったのかも。A組とH組で教室は離れており、中間テストや競技大会のときは休んでいて。
: 「金曜日はしんぶんの棋譜みよう、だって、」  金曜日の昼休みは卓球ではなく図書室で新聞棋譜を見よう、の意と思う。  直近の金曜日は翌日6/7。  → 会長さん(あだ名)、医者の息子で東大受験生なわけで、そろそろ卓球どころではないかもだよ。 どうだったんだろう。(waka君の誘い、断わりきれなかったみたいなところ、あったんだろうか)
: 「会長さん、卓球の前、現国の教科書ないといってた。あんまり知人がいないのだと。」  「・マサヤ、みんなにいっせいによませて、机の間を歩くんだって。  ・会長さん、やたらにワスレッポイのだって。」  マサヤ、というのは、現国の先生か、文脈からいけば。  国語科の先生はほぼみんな良く知ってるはずだが、マサヤ、からは浮かばないなあ。 三年間教わったことのない先生? 知ってる先生だけど、姓でしか覚えてない?  つづきを読むと、waka君はこの日現国の授業がなく教科書持ってきてないようだ。 貸すことができない。
: 「で、現国の教科書もってでてきた玉■に話したら、こころよくうけ入れられ、かしてくれる。」  waka君が仲介したってことらしい。やるじゃん。  会長さんよりは人脈があったみたいで。  教科書の貸し借りはお互い様だし、減るもんでもないし、頼めばなんとかなった。  → 玉■君て誰かな。 別クラスの知りあいで、そのクラスでは現国の授業ありってことなら順当。 あるいは、waka君と同じクラスのやつだったら、どうして玉■君は現国の教科書をもってきていて、 どうしてそれをwaka君が察知できたのか。 よって、前者が濃厚だが、まさかの後者もないとはいえない。変なヤツいるし、waka君も変な勘があるし。
: 「高■氏、そばにいて、「よう■■■くん、まだ自転車のってるかねえ。」 「うん、のってるよう。」 ハハハ、とぼくたち(会話した二人)二人、それに玉■笑う。」  なんじゃこりゃ。 秀才高■氏(こいつも後年お医者さん)のあいさつ、 天気のあいさつみたいものなんだろうけど、変といえば変。 waka君の無骨な自転車が相当有名だったってことかいな。  → もう別クラス(たぶん理系)のはずの高■氏がそばにいるってことは、玉■君もそのクラスか。 会長さんのH組のそばで知人を探して、玉■君をみつけたってつながりが正解っぽい。 少なくとも、玉■君と会長さんが同じクラスという場合だけはない。同じクラスでは同時に同じ教科書を使わねばならないので。
: 「しかし、修学旅行のとき、11時に女子を呼んだのはエチケット違反だったな。」  なんで、唐突にこんな記事がこんなところに。  修学旅行は前年の秋。ふいに思いだしたんだろうけど。  なんだかんだいっても、特別なシチュエーションが忘れられないってことか。  この辺りを書いているのは、すでに帰宅後の自室で、だろうなあ。
: 「4時から、6時まで寝る。ねころんでいるうちねちゃう。  何もぼくをおこそうとしなかった。  巨人の星、見そこなう。」  何も→誰も、か。  何も、だとやけにかっこいい響きだ。
: 「姉きのやつ、間のふすましめちゃってる。ぼくのへや、下の雨戸の半分はアミドであいてるも同じ。」  寝ている間、外に開放された状態、襖閉められて家の内部とは遮断された状態、 だったということに軽い抗議の気持ちがあるのかな。  外にうち捨てられたようで?
: 「ぼく、もみあげがひどすぎる?  そるべき。礼に反する。」  うう? 髭剃りはどうしてんのかなあ。もうやってるんだろうなあ。  だったら、もみあげも調整は可能だったと思うが。  しかし、ニキビも依然華やかだったりすると、気持ちよくショリショリというわけにもいかないか。  記載がないので、詳細不明なのが惜しい。
: 「これをフォークは右、と思う。《 絵 》を、フォークと思ったのだ。」  ナイフは形状を直感できるが、フォークと言われても直感できない。今も。
: 「今日、化学のとき、■■ソウさん、気持ちわるくなったか、保健室いっていいですか、と先生にきいて、 ゆっくり立って、教室でていき、しばらくして帰ってくる。」  「■■ソウさんの声は、独特なかすれたような声。でも。すなおなかわいらしさもある声。」  もう女子なら誰でも、すこしでもかわいげがあれば、気になる。惚れる。  今だと、そのめずらしい苗字に興味ありだ。  (■■ソウ嬢、薬品臭にやられたかな)
: 「7時26分日没。(没)」  ネットで調べると、1974/06/06の日の入り時刻は、これより三十分ぐらい前。  日暮れ(太陽が沈んだあとしばらくして本当に暗くなった頃合い)をいってるか、waka君の実感で。
: 「ファーストから、タッチアップしていいの?」  ルール上、OKのようです。
: 「主らす :つかさどらす」  さすがによまないよね、と思ったが、手元漢和辞典では、あり。  つかさどるの同訓として、掌、主、司、典、知、宰、職、があるとか。
: 「梗概」  こうがい。あらまし、あらすじの意。  びんがい、べんがい、と読んでた。
: 「はぐ  はで、となる?」  なる。
: 「りょうさいしいの「林氏」の林氏は、ぼくのとなりにすわってるよし■さんみたい。 妻女、かつ、しっとなどほとんど考えぬ人。」  聊斎志異の一篇「林氏」ということ。おそらく、りんしと読む。  (聊斎志異では婦人のことを○氏と呼んでいた)  どういう話か、確認してみたいが、妻女は、才女の誤記っぽい。  よし■嬢のこと、外見以外はまだ、ほぼ何も知らないはず。印象で言ってる。
: 「中国は円のようになってる?」  絵図二つ。  いかにも。まるまるとして豊満。  比べれば、アメリカは逆台形。ロボットの胸板か。  日本、タツノオトシゴ?
: 「うちつけに。」  古来からある言葉で辞書にものってるが、ほぼ使ったことも聞いたこともないな。  書籍で見かけたか。
: 「なんかコムカイ■■くんは、ぼくを特別視していてか、あいさつをしてもあまりかえさぬ。」  単に好かれていないってこと?  だとしてもねえ、交流が少ないのに嫌われるってのはよくわからないよ。(まあ、男子はどうでもいいわな。笑)  しかしここにもまためずらしい姓が。
: 「よきせぬできごと、 それをキタイノ、  を  それをタノミノ としていた。」  うろおぼえしていたってことらしいが、意味的には近そうだ。  何か誰かのセリフ(決まり文句)のモノマネってことかも。
: 「
ぼくは■■■わか■■ ぼくは■■■わか■■です。 あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねの  中学の頃、こういう字をよむときは、これをエンピツでなぞると、何かいてあるのか、わかると、笹■か古■さん言ってた。」  笹■君、古■嬢は、中学のクラスメート。高校は別。
: 「         → 先のボールペンの最後。」  「         → このボールペンだそうとするこころみの一部」  「ついにボールペン出なくなり、とっかえ。」  「だいぶ薄いですねえ。」  青ボールペン、更新したてで、この頁はずいぶん薄い。
: 「左足のひら ? にポツンとかゆい所ある。」  足のうら、ふつう。
: 「清明 せいめい しんみん    せいめい しんみん しんめい )?」  せいめい。  (しんもみんも王朝名ではあるが)
: 「文庫の目録というべき所を、名目という。」  ど忘れして出て来ない。片方は目(もく)、名簿のようなもの、で名目?
: 「イ■■ちゃん、今、隣に(住んでる)いる吉■さんを、 姿勢がまっすぐで、ととのった顔で、いい、いい、といっていたよ、1年の夏。図書館がよいした頃。  学校で隣の席にいる吉■さん、と書こうとしたら、隣に住んでると書いた。」  今度隣の席になったのは二年前にイ■■ちゃんがべたぼめしていた女子だ、と思い出した、と。  変わらず姿勢もまなざしもまっすぐだったんでしょう。
: 「たよれるアンネなんていわれると、嫌悪を感じる。」  女子の生理用品のCMを聴いて、ではなかろうか。  アン心にも読めないことはないが、心にしてはよけいな部位がついている。
: 「聊斎志異には、怪物の出ない人情の話がときどきあり、かつ、それはよませる。」  妖異の話が多過ぎるぐらいあって、それはどれも内容が似たり寄ったりで、しだいに飽きてしまう、たしか。
: 「読む本がまわりにない人はかわいそうね。 (買えない、というだけの意味でない。 よみたい本のない人、いつでも手にすることのできない人、をふくむ。 いやむしろ、後者をいいたい。)」  己がしあわせを言いたい。  人それぞれなのだから、趣味や好きなものもそれぞれ。 友だちがまわりにいない人はかわいそうね。と言っているようなもので、大きなお世話かもよ。 大きな声で口にしてしまったら。
: 「水に手を、スッと入れるとうずができるがこれはいつもきまった向きにのみまわるのでは?  どうなの?」  台風のような大規模な自然現象には、コリオリの力が作用して、渦の向きを決める。北半球と南反球では台風の渦の向きは逆になる。  しかし、家庭のお風呂の排水や本項のような卑近な例では、他のさまざまな条件に比べてコリオリの力は微々たるもの。 結果、渦がどちら向きなるかはまちまち。  というのが、ネットでしらべた答え。
: 「憂きことのなほこの上につもれかし。(チッチより)」  《 女子の顔絵 》 「オレガカクト、クルウナァ  でも、小さな恋の物語の8集P132の松坂サユリさんて、知的な美!」  引用、模写、プチ感想。  だいぶお気に入りの様子。
: 「A君が机にすわって気持ちよくコーヒーを飲んでいると、 イスがすべり、A君のしりがおちて鼻を机のへりにぶつけ、 また、熱いコーヒーを上からかぶってしまった。 ために、鼻がねじれ、目のみえない男となって、一生、みじめにくらすこととなる。」  display『1974/05/27 イスがすべって、』にある絵がまさにこの惨事の場面。  waka君の自宅の勉強机の椅子が、すべりやすい感触があって、たぶんまれにでも実際にすべったことがあり、ときどきちょっとでもその気配があると、 5/27やここで描写したような惨事が起こるのではと心配になるんだろう。 で、その心配をフィクション上で描写して=仮想現実化してしまって、 厄払いをするような心理が働いていると思われる。 古くは生け贄とか、今でも紙人形を流したりとか、わりと人の生態として自然な情動なのかも、これ。  → つまり、すべりやすい椅子を自然災害か何かのようにどうしようもないこととして扱っているわけだが、 今からみれば、その椅子交換しなよ、といいたい。あるいは、滑り止めとなるような工夫をしなよ、と。
: 「お母さんにむしゃくしゃするといわれ、ぼくもそろそろ、これどうにかしようと思ってたので、 お母さんのいうとおり、おじいさんのかみそりかりて、もみあげの発達したところ、そる。  自分一人でそったのはじめてぐらい。」  自分の剃刀を持ってないってことは、髭剃りはまだ日常的にはやってないんだ。ほ〜   高三、十七才なのに、ヒゲは処理しなくていい程度なのか!?
: 「もみあげをのばし、ときどき、トコヤにいってそられ、今回のように自分でそる。  当然、もみあげをのばそうとおもわなくてものびること、人は本来もみあげののびていたこと、に気づく。」  ふむふむ。  当たり前のことなのに気づいていなかった不思議さに気づく。小さいながら、悟りといえよう。  さがせばたくさんありそう。  人を好きになる不思議。  お金に価値を感じる不思議。  山川草木鳥獣虫魚にみな命のある不思議。  言葉がわかる不思議。
: 「1度は、朝勉強しない日もあっていい。朝ゆっくりもしてみよう。そのためには、夜、やるのみ。  今、11時5分前。(or 3分前)」  今日こそは寝る前にやってしまおう。気合いだ。と。
: 「おかあさんが、ぼくのもみあげにむしゃくしゃするのは人間本位の感情もってるからだろ。」  もう一つわからないが、動物が同族の本来ある毛なみにむしゃくすることはないだろうから、 人間である領域がむしゃくしゃするのだろう、という意か。
: 「「・・・・だから、ほらすぐおじいさんにかみそりかりて、そっちゃいな。」  「うん・・・かってにつかっちゃっていいんだね。」  「ああ、だから、おじいさんに一声かりるよっていってそりな。」  この会話、おじいさんのへやのまったくすぐそば。おじいさんのへやあけて、  「かみそりかりていい?」  ねてテレビみたいるおじいさん何やらいうがきこえなく、首つっこんで、「ん?」ときくと、 「おわったらちゃんとあらっとけよ、」とこわいようにどなる。やっぱ、気悪くしたよな。」  襖越しに丸聞こえなのに、くり返す。日本の家庭特有なのかな(笑)  男性用のカミソリなわけだが、 自分の夫(waka君の父親)のものでなく自分の父親(waka君の祖父)のものを勧める。 ちょっと、異な感じはある。 ○ waka君の父親は口髭、顎髭などのばしていたので、あまり使わなかったか。 ○ 夫は立てるが、父親はそうでもない、のかも。
: 「身動きもようせずに」  よくせずに、だろうが、古風でなつかしい。
: 「足ならし」  これはまあ、今でもふつうに言うか。
: 《 教室の現行の席配置図 》  3年A組。waka君の周辺。  display『1974/05/30 この夢のお弁当は、』にもあったが、こちらのほうが多少詳しい。
: 《  | クゲ■■ 松■ ● 女 カ■■ 女  | ■■ツカ(男) イト■■ ノリ アオ■■ 女 ■■ツカ(女)  | 宮■ 女 僕 よし■ 女 男だった、■■/ノリでない方  | ■■ソウ 女 ツミ■ ■■ゼキ  | オ■ □ アラ■■ □  | □ □ □ □  | □ □ □ □  | 》  右端、前から三番目の■■君はノリミツと同姓の意。  カ■■、アオ■■、■■ツカ(女)、宮■、よし■、■■ソウ、オ■は女子。  しかしwaka君、左隣とか左後ろとか女子の名を覚えてないのはなぜ。 めだたない、気にならない、ということなの?
: 「日本史の教科書明ければ、ありとあるはなばなしく、また、興味あることどもとびだしくるが、 パタンとしめるや、そのむらさきの表紙の無表情が私にせまり、ほんとうをしらされたような気持ち。  これに、気づいてのち、これかいたのだが、かきつつ、「明ければ」でほんとにまたあけて、かいた。 そうすぺきかな、とその前にちょっと思ったのだ。」  なるほど。  書いてるときに、実感し直して、書いた、と。  筆にまかせていると清新さから遠い、浮いた文章になったりしそう。 大切な勘所、その手前ぐらいにいるのやもしれぬ。 (といってもこの場合は対象が机上にあってすぐ実践できたわけだけど)
: 「明ける 開ける }??」  正しくは教科書を開けるだろうが、前項の心ばえに(またはイメージに)添っているのは明けるなのかもしれない。
: 「今日は寝られない!  風呂にはいって、サイドリーダーの予習、明日の政経の小テストの予習、フクセイの清書、 はじめの3つに3時間。フクセイに3時間。しめて、6時間。  今、12時15分前だから、明日の6時15分前になんなきゃおわらぬ。」  無理。この計算にカラダはついていけない。 (そのために今まで眠っていた、今起きたところ、というならわかるが)  ○ 十七歳のカラダでもついていけない、とはっきりわかるのは、何十年も経験を積んだ今だから。  ○ まだ経験の浅い十七歳のココロでは、もしかしたら可能なんじゃないか、勢いでいけるのでは、などと思いがち。  ○ しなければいけないことなのに、無理、無謀なプランでしかそれが達成されない。 つまり、すでに詰んでいる。これでは子供の仕事だ。  ○ しなければいけないことを無理なく達成するためには、単純明解だが、 もっと前から着手して十分な時間を充てればよい。(要は遠くまで見通す目)  ○ すでに時間がせっぱつまっているなら、目標を削る、実現可能な必要最低限にしぼる。(転んでもつかむ)  ○ 本当にしなければいけない、それが絶対なら、助けを呼べ。仲間を呼べ。(為すためには個を超えよ)  ・・とまで考えていくと、本項のもろもろは、そういうものではない、しなければいけないや絶対からはだいぶ遠い、とわかりますな。
: 「気持ちのいい風呂であった。(きがえ場で、パンツいっちょでしゃがんでかいてる。)」  「もう、50cm上からでは、この字、よめぬ。」  裸眼で? メガネをかけても?  脱衣場での奇態。あんまり人に見せられない。
: 「小■さん 小野小町 オノノコマチ 百科事典で一応しらべる。  こんどから、彼女のこと、小町さんとよぼうかしら、このノートの中でだけでも。」  このあと実際にそうしている。  ちょっときもちわるい(^^;;
: 「オザキユキオ 作家でなく政治家」  「憲政の神様」といわれたとか。  上の百科事典(中高生向け、自室に十数巻、あいうえお順)つながりで読んでると思われる。
: 「押 押 ) ?」  2字目は、右側が申になってる。 (ちなみに、この頁上辺のエンピツ書きメモの「押し葉」の押も右側が申になってる)
: 「ゆっくらこ  なんと、ま、ゆっくらことしてること」  おとぎ話? 
: 「曽我兄弟にでてくるの小野小町でなくトラノゴゼン。」  時代もちがえば、キャラもちがう。  そういえば、waka家には、かなりぼろぼろになってたけど、曾我兄弟の敵討ちの漫画一巻本があった。 (父親の買ってきてくれたもの。子供のためというより、東京に行った帰りの電車で読むのに買って、それをみやげ替わりにしたような)  (父親はときどき、東京がよいをしてたけど、古本屋街を歩いたり、映画をみたり、だったらしい。一度連れていってくれたことがあったが、眠狂四郎の映画で、女子が捕らえられて全裸にされたりして子供なりに興奮した)  (父親のみやげ本には、白土三平の漫画単行本もあった)  → 曾我十郎祐成の妾(しょう)が虎御前。とりちがいしそうだが、木曽義仲の妾で武勇にすぐれた女性は巴御前。
: 「今日、昼、会長さんが、こんどのスンダイモシにいっしょに行って、(3時間)帰り、本屋にいこうよ、だって。  ぼく、「えー、いいよ、いいよ、 なんかのらないよ。」」  つきあいで受けるのだけはできるだろうけど、得点はまったく望めないわけで、遠慮するよ。会長さんみたいな秀才(東大受けるような)じゃないもん。  友だち少なそうな会長さんとしては、遠出にだれかつきあってほしかったんだろうけど。  というか、駿台模試、受けるには予約とか払込金とか必要では? 当然そんな手続きしていないwaka君だけど、会長さんは当然手続き済と思っていたのかな。  将棋や卓球の仲間ではある、お勉強方面の立ち位置は違いすぎてた。
: 「1炊 1睡」  よく聞く、いっすいの夢。  一炊の夢が正しく、一睡の夢は誤用ということだが、ほとんど正妻といっていい妾なのでは。
: 「フロはいったのち、どうもねちゃった。」  うふふ。やっぱり。waka君だね。
: 「おもしろい夢。  おもいだせそうで、ぱっと思いだせない。」  しなければいけないことをしないで惰眠におちて、それでみた夢がおもいだせないなあとぼんやりしてる。  ひとときの愉悦というか至福というか。罪の味も利いて。

※ 『1974/06/09 というむしめがね■』
: 「だれかが朝、外をみて、こりゃまたあ、といってるので、きっと雪だろうと思い、みようと思うが、 ねてる方がらくでいいかも、と動かぬ。という夢。」  季節外れ、だけど。
: 「好きなことしかやりたくない、きらいな勉強なんかやだ、といってた男に 「きらいなことにすすんでいかなければ死刑だ。」という判決。  そこで、男はすぐ、ああ、私はたった今、勉強がすきになり、 あそぶことや将棋さすことが大嫌いになった、きらいなものにすすんでいかねば、という。」  おもしろい。小小話か。  (死刑におののいて一瞬で変節してしまった、せせら笑って逆手にとった、両方の読みができるところがみそ)
: 「いったっきり = いったっぱり ←千葉弁? (お母さん、よく使う)」  ネットで調べるも裏付けとれず。  waka家、または母親個人のなまりかな。
: 「おきっぱなしのカラのコーヒーカップにこんどは蛾がはいる。」  前の頁(6/7)にある記事、 「のみほして、茶色のものがかわきたまってるコーヒー茶わんのそこに足を一点にまとめた蚊がおちてた。  ごみばこにすてようと思ったら、まだ ちょとうごくよ、この蚊。 カフェインにやられた? 寿命?  これにもめげず、同じのでまたのもうという■■君。」
: 「しかし、おれって、ほんとにいろんなことに手だしてるねえ。  勉強、  心記  作文(かきかけ数知れず)  読書(よみかけ5〜6作品 大きいのでも、アンナ、リョウサイ、ホケキョ、ムカシバナシ)  尺八吹き  尺八作り  将棋(+詰将棋)  囲碁  けん玉  つみ木  一生かけて、それぞれ、心ゆくまでやりたいべち。」  読書の読みかけは、「アンナ・カレーニナ」「聊斎志異」「法華経(現代語訳?)」「昔話(日本の昔話の青年向け集成か、岩波文庫あたり)」  法華経は、坊さん修行したいわけではないんだが、原典に触れておこうと何かの機会に感じて。  一生かけては、少々言いすぎ。作文、読書、将棋は残ったけど。  最近は、読書の代わりにアニメ視聴となっているかも。あるいは、この、心記スキャンと内容精査が、作文と読書の複合体みたいな道楽になっているかも。  尺八、けん玉、積み木は、さすがに一生かけてとはならなかった。まれに思いだしてすこしやったりはこれまであったしこれからもありそう。(すこし楽しんで、すぐ飽きる、というつきあい)
: 「とにかく、この心記のフクセイなくすことだ。」  フクセイ(エンピツ書き仮メモの清書が後まわしになっている項、記事)は、そのときのやり残しは少しずつでも、その堆積量はすでに膨大になっていたはず。  本項、諦めてはいないようだけど、日本国の財政赤字に似て、全額返済の前段階として、当面はもう増やさないように、仮メモは一両日中ぐらいに清書して解消していく癖をつけていこう、という意かもしれない。  しかし、その習慣はうまく定着せず。膨大な堆積も残ったまま、現在。  (実際問題として、箇条書きやカタコトの仮メモは何週間もしてからでは細部を思い出せず清書したくてもできなかったはず。 さらに言えば、この心記にそのエンピツ書きがあればまだしも、別紙とか授業ノートのほうに仮メモがあってその在処のメモのみが心記にあるという場合も少なくない。 別紙は紛失しやすい。授業ノートは学期や学年が終わればどこかにしまわれたり棄てられたりする運命。結果、まったくといっていいほど残っていない。  この心記ノートにあるエンピツ書き仮メモについては、これまでのようにできるものは解読している。 が、要するに書かれているそのメモは解読できても、そのメモを元にして書きたかった清書の姿は、半世紀もたってしまっては、完全形はとても望めない)
: 「それによって、ぼくに一つの大きな自信つく。  それから、心記の最初もはっきりすること。  いろいろな曲折ののち、こういう、安定した形式になったからのう。」  心記の起源、生い立ちみたいものは、まあまあ、概観できたのではなかろうか。 この一連の、スキャンと内容精査(当サイトの「display」で掲載しているもろもろ)で。  着手するのが、おそろしく、おそくなったけれどね。 (私自身、これをするとは思っていなかったぐらい、間が空いた)
: 「醜 醜 }?」  2字目は、鬼の中心の縦棒が上下でつながっている。  (明朝のデジタル文字を拡大しても、もう一つはっきりしないか)  ネットで調べると、分離が正解みたいだ。
: 「昨日同好会で、メガネとってふいてたら、「■■さんはメガネとると、まるで顔がちがっちゃいますね。」 と火■君か太■君。ぼくがそうかなあ、というと、一方が、ほんとにちがっちゃうね、とかいう。 火■君が、「まるで・・・」で、だまって、自分の盤面に顔をうつし、 ぼくが、ちょっと自分の顔のふがいなさに、かなしくなりそうなとき、 (ぼくの顔ふがいないので、火■君がまるで、のあというと悪いように感じたのでは、 とぼくいくらかとって、それを顔に表わしたため、あっちも、気づいたよう。)  火■君、顔をあげ、「メガネないと、なんか、どうもうにみえる。」という。 ぼく、「どうもう」と言われてうれしかった。そのまま、何も言わなくて、 ぼくがかってに、劣等感いだくような状態になりそうなのより、よかった。 それに、事実、ぼくの顔どうもう、の気がし、そういうのぼく好きだ。 だから、悪い状態よりいいのみならず、とてもよかった。」  獰猛。うんうん、気づかいのできる後輩たちだ。 嘘ではなくて、かつ、気分を害さないような言葉を探してくれたんだろう。  6/9の昨日6/8は土曜日だから、午後に将棋同好会の例会があった。  ちなみに、童蒙、と同音だが、火■君らがこの語を知らないだけでなくwaka君もまだ知らないはずだから、この局面ではまったく意識されていないはず。 今からながめると、童蒙(周易にある)も、うっすら浮かんでくるけど。
: 「←もう、3/4過ぎたのね。」  これは謎だなあ・・ 日付3/4のはずはないし。  となると、四分の三の意となるが・・  → 矢印の先にあるのは、すぐ左、1列目の「よみかけ5〜6作品 大きいのでも」。 これを指しているとするのが最も自然。 この線で考えると、この「大きい」は作品の大きさ、ページ数の大量さをいっているのではなく、 進捗度合の大きさ(よみかけのうち3/4以上は読んだもの)をいっているのでは。 「大きいのだけでもとここに挙げたのは、もう、3/4以上読み進めているものという意味なんだ」という注記、か。  → それでもなにか、違和感が残る。別の解があるのかなあ。
: 「前々項の最初、「昨日」と書いてから、これは「日」だったっけ、と思い、これについて、 このノートに書こうと思ったが、その項の事かいてるとわすれそうなので、書いてしまった昨日の下に、 日とかき、それをちがう項に変更して、かきたかった更は、 その次に、昨日でかきだそうか、と思うが、一度文面を、頭の中で、紙にやきつけて、かこうと思って、 その最初の「昨日」をかいたのに、かんたんに変更するのは、と思う。 つまり、紙の上だけでは昨日の二字でも、すでに、十何行かはかかれるものとして、紙の上にただよってる。 そういう十何行をしたがえた昨日の二字を、ちがう意味にしちゃっていいのかしら、 ちょっと、ととのっていない、と思い、やめる。」  すっごいわかりづらい記事だが、最後までよむとなんとか、わかる。  日の二ヶ所は(文字がないので下線太字としたが)昨の字の偏が目となっている。  かきたかった更は、は、かきたかった項は、が正しい。  つまりは、前々項の最初の「昨日」につづいて思いついた別のことを(偏は日なのか目なのかを) 書こうと一時は思ったけど、結局そうせずに、当初に書くつもりだった内容を「昨日」につづけた、と。  書き下ろした二文字に義理立てして、ということだから、律儀だ。  律儀だけど、まー、相手は無生物みたいものだから、自己満足の世界ではある。 ほぼ意味がない。たいていの人は無視すら意識せずに気にとめないようなことを、 意識して、かつ、このように記録まで残して・・  女子にいわせれば「ばかなの」となりそう(笑)
: 「イノ イチバン  解釈、イ■サンがイチバンキレイ」  笑。  これを授業で言えたら(例えばこの語源はと訊かれたとき当意即妙にこうこたえる機会があったら、そう言えたら)、ウケルだろうな〜  英雄級、伝承化、かも。
: 「つぶやきをつぶやり」  前頁に、「中盤にはいったくらいで、はまった、とつぶやり、ババーと即詰にうちとる人。」 という記事があるので、これを見直してる。 というか、ノートの見開きで、左側に前頁があるから目に簡単にはいるか。  → 次項も考えあわせると、「つぶやり」、誤字をそのままで残したか。 代わりに、気づいているよ、ということを書き残したのが本項かも。
: 「えんぴつでとりあえず書いたはしりがきの上にこのボールペンで 清書(きたない字でも)していくフクセイがときどきあるが、そのとき、清書したのち、 エンピツの書は消すべきか。また、エンピツ書きに誤字があったら、そのままかいて注でもつけるか、 注つけずにそのままかくか、注つけて、ていせいするか、注つけずにていせいするか。」  清書における誤字と注の組み合わせ、四通り。  いやいや、これは細かいけれど、おろそかにできない懸案だよ。  今だって、心記の記事原文を、「display」や「続短断長」に転載する際、 同じようなことしばしば考えてるもんな。(どの組み合わせを採るかは、固定せずに、臨機応変というのが現状)
: 「また、フクセイは、ちゃんと、フクセイとことわるべき?」  当時は、どのような清書のしかたをしようとも、それを他人にみせる予定はなかったのに。 すごく純粋。それとも、自問しているだけでふつうかなあ。  しいて言えば、後年の自分のためにはどうしておいてあげるべきか、だろうけど。  (あたかも、心記ノートに相談し合意を求めているかのよう。妖精並みの扱い? または another personality のたぐい?)
: 「膣口は、白いか黒いか。 どうも、黒いような気がする。 もしかしたら、意外や白いかも。」  心配だよね(笑)  厳密なことを言えば、空いているから穴なので、穴に色はないんじゃないか。
: 「属を■」  ■は、属の下部の囲いのないような姿。  当時はワープロもパソコンもないので、そらで漢字が書けるというのは大事なことだったのだ。
: 「い → に ・・・ そ → ■ ・・・ を → と  などと、まちがえて、見えやすい。」  ■は、以の右側部分?  ダブリもある。
: 「フジマサキきらい。」  Wikipediaによれば、藤 正樹(ふじ まさき、1957年12月13日 - )、演歌歌手のようだ。 〔 1973年7月25日、キャニオンレコードより歌手として15歳でデビューした。ホリプロより「演歌の怪物ハイセイコー」のキャッチフレーズで売り出され、紫色の詰襟学生服とおむすび頭、大仏様のような福々しいルックスで大人気を博した[注釈 1]。 〕  でも、waka君の性にはあわなかった、と。  一学年下だ。
: 「しら  白■さん しらべ }イ■■ちゃ、このノートみて、(しらがやたらかいてあるので、)誤解する?」  白■嬢をしたうイ■■ちゃんがもしこのノートをみたら、 調べよ、調査せよ、 の略字である「しら」がやたら書いてあるそれを白■嬢のことだと勘ぐってしまいはしないか、 という心配だろう。  三年になってもう別クラスのイ■■ちゃんがこのノートをみる懸念はかなりうすかったはずだし、 しらを白■嬢とつなげるかどうかもあやしい。  杞憂。  つまり、イ■■ちゃんをだしてはいるが本気で心配はしていない。 しらが白■嬢につながるかもと気づいてこういう懸念も思いついて仮想を披露したがっているだけでしょう、waka君が。
: 「へいわりにおわる(僕のかいたエンピツ書き)が、へいわりにおれる、と読めたよ。」  原物は『1974/06/06 これをフォークは右、と思う。』の1頁目1列にある。  が、それはボールペン書きだし、「おれる」よりは「おわる」にみえる。 本項のいうエンピツ書きを清書したあとだろうか。  ま、要はおもしろいと、平和裏に折れる。
: 「大場鹿次郎様、意三三三/イミサンゾウ 様、他/ほか 5名様。   全員で5名? 2+5で7名?」  七名でしょう。  しかし、この例文のためだけに創作した氏名だろうけど、異様だよ。  鹿次郎はまだしも、意三が姓、三三がサンゾウで名、いないでしょうなあ・・  (両氏名をメモしておきたいが本項の主旨、後半は派生に過ぎないのかも)
: 「177 :天気  117」  電話のサービスか。104が番号案内だったけど、まだやってるのかな。  https://web116.jp/phone/telephone/ ここが詳しい。 〔 電話の3桁番号サービス  3桁の番号をダイヤルしてご利用いただけるサービスや緊急連絡先などのご案内です。  ・・・  104 番号案内(2026年3月31日サービス終了)  ・・・  117 時報  ・・・  177 天気予報(2025年3月31日サービス終了)  ・・・ 〕
: 「たてがきにしようか?」  と縦書きで。  ここでは思いついただけ。六月末から実行している。
: 「クダンセンター  企業のなんか?  交通状況しらせる所?」  ラジオの中で、九段センターを呼び出して、道路状況を訊いたりしてたんだっけ。  → もしかしたら、クダンは一般名詞と思って、地名だと気づいていないのかも。
: 「すまげんじ  ?」  須磨は『源氏物語』五十四帖の巻名の一つ。第十二帖。  須磨源氏で、能の演目でもあるらしい。
: 「う」が形態変化して「か が のようにみえる。」  相当に苦しいのだが・・  横書きのつなげ字でなら、出現しないこともないか。
: 「6月6日、■■ハタさんがたおれたときの話。  ぼく将棋の盤と駒もって、席にまできて、ノリちゃんに話すように、 だれかろうかでたおれたみたい、という。ぼく、クラスの女の子がたおれたと思っていたので (クラスの女の子、宮■さんなんかがまわりにいた。)となりにすわって、 何かよんでるよし■さんやらなんやらにも、いったらどうかしらというような感じに、ノリちゃんに話した。」  女子同士なんだから、手助けに行ったらどうかしら、と暗に促すため、聞えるように、ということだな。  「ノリちゃん、「だれかがたおれたというのに、ゆうぜんと将棋をさす ―― 」  ハハ、と笑って、  「あれだけ(カイオウが)ついてりゃ、いいよ。」」  カイホウ、介抱。  「よし■さんたちあがり、■■ツカさんなんかに、だれかたおれたみたい、といって、のちみにいき、 しばらくしてかえってきた。  ぼくは、誰がたおれたのか知りたかった、そこで、 そのためによし■さんにそれをたずねるという自然な行為を、ぼくの気持が許し、 はじめてか、ひさしぶりの会話。話しかける事。  「誰だって。」  「■■ハタさん。」  「ふーん。」  この「ふーん」が、ああ、あの人か、という調子を含んでたけど、ぼくの知らぬ人なのだから、 うそをついたような感じ。そこで、また、ノリちゃんに、むかって、 「■■ハタさんて、だれだっけ、しらんこかな。しってんのは、(■■ハタという名で)男だからな。」 とかいう。」  「たおれた■■ハタさん、はじめろうかにねかせられてみなにかこまれてたけど、 宮■さんなんかが、すこしして、ロッカーの前に、最近おかれたベンチの上にねかせる。 ぼく顔みえず、サクラ■君にきいてみたけど、わからぬ。いつまでもみてんのは失礼、上品でない、と思い、 教室にはいる。」  waka君は、ほぼ、野次馬に終始か。  (人を誘導して欲しい情報を得ているようなところもあるようだ)  宮■さんは、さすがだな。知り合いだったのかもしれないけど、そうでなくても、 世話やきタイプだから率先してしまうのだろう。  →  『1974/06/06 これをフォークは右、と思う。』にある当日の記事は 「今日5時間目のはじめ■■ハタさんという人、ロウカでたおれたかどうかしていた。 (ノリちゃんと将棋やるため、ロッカーにとりにいったとき、女の子がまわりかこんで何やらしてるの見る。)」 だった。数日経ってから、詳しく、広めに、語り直している。 waka君と周囲の、この小事件への反応や関わり方をあらためて書き留めておきたい、おくべきと感じて。 (なぜそう感じたかはもうひとつはっきりしないが、おかげで、くっきりとした情景が見える。今でも)
: 「ノリちゃん勝つ  ノリちゃんに勝つ   〃 が 〃  」  ノリちゃん勝つは、両方にとれるだろうか、と。  (a) ふつうは、主語に思うから、ノリちゃんが勝つと読める。  (b) 6/6の記事に「ノリちゃん(に)勝つ。(将棋)」とある。事実は、ノリミツに勝った。  で、ここのこの項は、それを受けた、一種の書き直し(再吟味)だな。  今判定すると、日本語としては (a) が正解。  事実をふまえるなら、(b) もないことはないが、あくまでも書き手の主観コミで。 字面にあるべきそれがまるまる手抜きされているのにそうよませたいのだとしたら身勝手過ぎる。  → その将棋は6/6にさされたのであり、この日この項辺りでまたノリミツと対戦したというわけではないと思う。 (この日6/9は日曜で、学校にいってないし)  ■■ハタさんの一件を語り直す際、6/6の頁を開いており、 ついでにノリミツとの対戦記事も目にはいって、というつながりだろう。
: 「さ」が形態変化して「ろ」「ら」  ろ→ら、はわかるけど、さ→ろは、だいぶ苦しげだな。  (どうしてこういう変異をさせたいんだろう。 こういう変異があるとうれしい、よりは、こういう変異があると困る、不安だ、のほうが強そうに思えるのに。 waka君の、ささやかながら根深い、被虐嗜好?  香辛料や苦味もないとものたりない、そういう舌になりつつあるか)
: 「
これは、むしめがね、つかって書いてる。  わりとでかく、ぼてぼてみえる。」  なにを思ったか、細字に挑戦。以下、五項ほど。
: 「
フブキジュン、モデルより。けんそんしてていい子。  一般的にいって、どうして、モデルから、歌うたいがでるなんていう、不自然がおこる? (フブキジュンはすきになったけどさ。)」  風吹ジュン。デビュー直後ぐらい。  モデル → 清純派アイドル歌手 → スキャンダル → 女優。  ううむ。  よいよね。  女優として大成、といえるのでは。
: 「
小学校のときかった、《 絵 》というむしめがね■ボールペンのじゃまになるので、 ちょっと虫メガネをななめに。」  ルーペ。  今、文具をかきわけたら、それらしきものまだ手元に残っていた。  凸レンズが三枚重なっていて、枚数で倍率を変えられる。  本項、左手でルーペを持ち、右手のボールペンで書いてるんだけど、 ペン先辺りとルーペがぶつかって書きづらかったのでってことか。  今試したら、焦点をあわせるために相当に紙面に近づけなければならないようだ。
: 「
もっと小さい字に挑戦してみよう。 つまり、虫メガネでみて、すこし小さいな、と思うのかきゃいい。」  「これではどうかしら。もうすこし小さく。 このようにかきゃ、このノートのあとだけで1年弱はもつでしょう。小さく小さく。」  虫メガネなしではかけないこんな小さな字、効率悪すぎだよ、いくらノートの節約になるからって。 書くのもたいへん、読むのもたいへん。  実験的なこころみだけで飽きてくれて、安堵。
: 「しかし、フクセイは時間かかる。」  「しかし、心記の仕事したり、心記と遊んでると、おもろい。これは、ぼくだけの世界だ。」  たしかにね。飽きないわ!  たぶん、他の人の共感は得られないんだろうけど(爆)  (現在の私までどっぷり浸かってしまって、客観的な品定めができていないと思う。  よくわかりません。どうでしょう? >稀少貴重な読者のみなさん!)
: 「てれび」 「冬を谷」 「る る る」  頁上辺のエンピツ書きメモだが、こう解読するところか、ひとまず。下の本文(3列目)を参照すると。
: 「珠玉をことだまとよく読んだなあ。」  特殊の殊は訓がことなので、類推か。
: 「け φ(ファイ)」  活字だとまるで別字なんだが、手書きだと似てる、ほんとだ。
: 「うんどうしんけい。」 「前の二項、すぐ書くの忘れそうになる。ところで、 「うんどうしんけい」とは何を言いたかったのか忘れる。」 ・・・  「三つ前の項の事気づく。 「彼は生まれつき運動神経がよかったので、めきめき上達した。」 という理屈がやたらと使われすぎているのではないか。ということ。」  言われてみれば、安易に使われている。すんなり受けいれている。 ふつう疑問を覚えたり、ひっかかったりしないので、 だからまあ、経験上の事実、しばしば思いあたること、なんだろうな。  でも、その理由、理屈を、遺伝とか、集団と個体差とか、 成長とかにからめてちゃんと説明受けたことはあんまりない気がする。
: 「んを、たと読む。」  waka君の書き癖だと、両字はとても似てしまうようだ。  (たの一画目の横棒はんにはないが、横書きつなげ字の場合、似た線が生じてしまうようだ)
: 「やっぱ二行書きにする?」  ノートの罫線一行に、文字を二段で書こうか、これまで通りに、の意。  この頁の頭から、罫線一行に一段(罫線に乗せるふう)にあらためていたようだが、 まだるっこしく感じてしまったんでしょう。
: 「前項は、前々項を書き終わってのち、次からは二行書きにしよう、 しかしきれいにするため、次との間を一行あけよう、と思ったのだけど、 忘れそうだし、はやく書きたいので、前項を頭の中で生まれさせる。 書こうと思うがこんな意味のない、また正直でないの書いてもと思うが、 頭の中で再びゆってみたら意味を感じて書く。」  ふむふむ・・  前項、すなわち「今までにいくつ書きたいと思ったことを忘れたことだろう。」は、 最初とりあえずの例文だった、と。 罫線一行二段書きに戻すとしても項と項のあいだは一行あけるという新ルールを付加したい、 手っ取り早くやってみたい、を実践したいがためのうそだったんだけど、 書く前に頭の中でこねていたら、まんざらうそでもない気がしてきたので書いた、ということだね(笑)  → とても正直、かつ、面倒いとわず説明してくれている。  ただし、眺めれば明白だが、罫線一行二段書きがこれまでの常態かというとそうでもないわな。 習慣と手なりで書いてきたこれまでの常態を、今回罫線一行一段書きに一時的に直してみたわけだが、 意識してそうしたら、これまでのも「罫線一行二段書き」とちゃんと認識することができた。 それで、そのちゃんとした認識に従って、これまでの常態に戻した、戻したつもりが、 本項や前項ということになるんでしょう。  → 次項辺りから、本当のこれまでの常態に戻っていくようだ。 ・・実験、お試しモードは(あらたまったステージは)終わりってところか。
: 「アミ戸の外に、ニャンコ。 メガネをわざっと、サッと、「ぴゃっ」と小さくいいつつとって、目にかければ、走り去る。  コトリヤロウたちの声をきいた?」  waka君の自室、四畳半の西側下にあるにじり口様の窓、ノラかよその家の猫がちらり覗いた、と。  わざっと、は洗練された擬態語ではないが、だからかえってリアルかも。  コトリヤロウたち、というのは、上の妹が屋内で飼っていた小鳥たちのよう。  漏れ聞こえた鳴き声に、猫が関心を示したのでは、と。
: 「日の光りの中の草花どもの生き生きとしたこと、 日のかくれているときの草花の、死んでしまうような元気のなさ。」  北西の四畳半からでて、家の中を徘徊しているかも。  南側の庭の草花の生き生きしている様子、輝きは、嘘ではない。  猫を追ってか、別室の小鳥の様子を心配してか。  6/9 日曜日の、たぶん昼さがり。
: 「■■リがびわつきだして、くえ、というが、いい、いい、という。 けど、くだものたべるべきだと思って、たべる。 ビワの皮やたねやしん、にわの花草のなかにおっぽりなげて。  それらは、花草の中にあるべきものと思う。けして、ごみとは思ってない、感じてない、びわの木はえろ。」  よいことばだ。  芽吹いたかどうかは知らない。今は駐車場。
: 「ふたえにみえないよ、遠くからみると、を、ふためとみられない、と、姉ききいたって。 (ぼくと■■リの言。■■リ発見。)」  二重は姉で、■■リは一重のはず。  ■■リと会話してるとき、■■リが発見して、おねえちゃんは二重に見えないね、遠くからみると、 と言ったんだけど、それが、姉の耳には、ふためと見られない、と聞こえてしまった、と。  ■■リは姉と十歳違い、まだ小学四年生ぐらい。
: 「きびしく制約された中で、自分の表わしたい物を最大限にあらわすのが、すきものの態度?」  むむう。  いわゆる数寄者、をいうか。  すぐ浮かぶのは、作庭だが。
: 「NHKの囲碁にでてくる女の子/娘さん、きれいだねえ。  囲碁うまくできるのと、美しいのと、よくかさなりあったなあ。」  さまざまなお膳立てで、きれいに見えるんだよね、きっと。  日曜、TVの将棋番組をつけたままにしておくと(余韻を味わっていると)囲碁番組が始まる。  囲碁講座のアシスタント女子、若いプロなのか院生なのか。  講座の最後に詰め碁問題の出題がある。このとき石の配置を読み上げてから、 「Iがないのでご注意ください」とつけたす(すこし恥じらっているように)。 アルファベットのIと数字の1がまぎらわしいので省かれているからなんだけど、 「愛がないのでご注意ください」と聞こえる。 waka君はこれを愛でていた。おそらく、他の視聴者の多くも、番組製作のスタッフたちも(^^)
: 「■■こ、「おい」という。」  上の妹。  恥じらいからは遠いのだ(笑)
: 「《 詰め将棋譜面 》  ▲2二飛△3一玉▲5三馬△2二玉▲3四桂|△1三玉▲3一馬|△3三玉▲4三馬  4四でない!  これでいいのだろ。」  将棋講座での出題でしょう。  桂を打つための前準備が作意だろうけど、もうひとつ垢抜けないかんじ。
: 「宿敵同志がいて、両方が、すべて勝ってすすめば、その大会で必ずいつかぶつかる。」  トーナメントならば。
: 「 「考えているけどもいい智恵がうかばない。」CM  恵 ?」  二字目の恵には右上に点。  そのCMの文言自体には、気になるところはないような。  耳で聞いているから、字体が変ということもないはず。  耳で聞いて浮かんだ字体が点なしか点ありかおぼつかなくなったよ、といいたい項だろうか。  → 点ありの恵の前に、知恵ではなく智恵と書きうつした辺りが当初の関心だったのではという気もする。
: 「《 詰め将棋譜面 二つ目 》  ▲3二龍△7二玉▲2一龍△2三玉▲3三馬△同玉▲3二龍」  △7二玉は△1二玉の誤記。  これは美味い。盲点の発見、無駄ない詰め上がりがここちいい。  (出題が一日に二題ってことはないはず。民放のほうでもやってたかな?)
: 「テレビの詰将棋うつすのは、画面みてうつすより、よむのきいてうつす方がわかりやすい。」  なんて書いてるから、やはり、前項はTVでの出題のはずだが。
: 「1年の、最初に将棋の大会にいったとき、個人戦のつもりでいったら、団体戦だったなあ。 (連絡ゆきとどいてこなくて。)」  一年生、先輩に連れられて。  人数足らないながら参加したとかどうとか、もうすこし知りたいところ。
: 「夏 カミナリ  冬 カラッカゼ  を夕方なりだしたかみなりで思いだす。  ・このページのはじめから、5項目の忘れたのは、上のかも。」  1列目にある「一つ、何か忘れる」だろうが、その辺りは詰将棋二つより前だから、せいぜい昼。  夕方鳴り出した雷がきっかけというなら、つじつまは合わないのでは。  (連夜の雷だったならば、まあまあ、ありか)
: 「わすれたのあ■ :エンピツ書  る? ・・・ 」  前項にうっすら残っているが(わざと消してないらしいが) 清書前のエンピツ書きの、■の字が難読で、それを模索吟味している。  下向き矢印のような、山のような、「る?」のような。  で、■に似た姿をたくさん(18個?)書いてその筆感で、元字を推測しようとしているふう。
: 「テレビに、アンテナにかみなりおちる?」  心配になるぐらい、雷鳴が間近になってきたか。
: 「冬を■」  ■は冬のつなげ字、waka君仕様。  ほとんど谷に見える。名にも見える。
: 「しかくいおせんべ(前々からあるノリでまいたやつ)をとったつもりで、 それを手にしばらくあるきまわり、しんぶんなんかさがしてから、ぽろりとおとし、みてみたら、 このごろあたらしくはいったまるいおせんべ。」  そのとき初めて目にした、というより、始めつまむときも見ていたのに見ていなかったんだろう。  もちろん、拾っておいしく囓って食べた。
: 「カミナリ、ゴロンゴロン落ちる夜も、テレビの画面、鮮明。」  ふーん。  わりと長時間、落ちまくっている様子。  雷雨ともなっていそう。
: 「2冊の本が、《 絵図 》 という形で本だなにはいってたら、 それを1冊の本をあけたまま入れたのだと思い、だれだ、こんな入れ方したのは、と思う。」  はやとちり。誰か犯人探しをする前に気づけたようで(笑話にできて)幸いなり。
: 「ときたま宿題やってて、「今日は宿題やってきた人少ないようですね。」といえば、単純によろこぶし、 自分がいいたい意見を友だちがいって、先生が、「そうか、そっちの方がいいか」というと、 うでくんでうなずくし、まったくぼくって、単純かつ、小人物。」  少年のように純で素直と言ってあげたいが、高三では少々なまっちろ過ぎるか。  しかしあれだよ、先生や大人に誉められる、認められる、というとき無意識に尻尾をふってしまうのは、 少年というよりもう動物並みの本能なのかも。  大人になっても、上司、先輩、異性に誉められれば、うれしがってしまう。まいあがってしまう。 たあいもなく。
: 「ことりのくうツブ、たたみにおちてたの、てでひろったのであやうくくうとこだった。 (くちにほうりこんで、そのかんじから、あれかな、と思いだしたら、そのとおり。」  さっき、おせんべ拾って食べたしな。  今回も口には入れちゃった(笑)
: 「《 詰め将棋譜面 三つ目 》  ▲7六角△5五玉▲4五飛△同玉▲5四角打△5五玉▲5六飛」  これでは詰まないがな。  先手が上側になっているしで、明らかに、waka君の自作図。  「どうも、5六飛と、打つ手あるよう。6/10」と、後日不備に気づいている。 三手目あたりを言ってるが、簡単に詰むし、持駒余るし、詰め筋もいくつかある。  自作で、かつ、まるで未完成。  詰め将棋なら、もうすこし意外な筋が織り込まれているべき。  玉の逃げ道が自軍の歩で制約されている図が浮かんで、テストしている、という感じだ。
: 「われら青春おもろないので、■■コと■■リとぼくで投書。」  兄妹三人の息が合うぐらい、出来が悪かったようだ。  Wikipedia、 〔 『われら青春!』(われらせいしゅん)は、中村雅俊主演の太陽学園ラグビー部を舞台とした青春学園ドラマ。  ・・・  放送期間:1974年(昭和49年)4月7日 - 9月29日  放送時間:毎週日曜日20:00 - 20:55  放送回数:全22話  カラー作品 〕  ほんとに投書しちゃったのかな。  まあ、年賀ハガキのあまりとかを兄が提供し、小六の■■コあたりが文面を書いたのではなかろうか。 投書先の住所とかをどうやって調べたかは、いまひとつ謎だから、実際にはポストに入れるまではできなかったのかもしれないけど。
: 「グレートレース。  ピーターフォーク、わき役ででてる。」  Wikipedia、 〔 『グレートレース』(The Great Race)は、1965年に製作されたアメリカのドタバタコメディ映画。同年のアカデミー賞音響効果賞を受賞した。監督はブレイク・エドワーズ。 この映画は1908年に実際に行われたニューヨークからパリまでの自動車レース(1908 New York to Paris Race)をモチーフにして、おおよそ22,000マイル(約35,000キロ)のコースとその時期を実話に合わせて話を展開させている。映画史上最大のパイ投げ合戦シーンなど、サイレント映画の手法やギャグが多く使われている[1]。 主演はトニー・カーティス、ジャック・レモン、ナタリー・ウッドで、カーテイスとレモンは『お熱いのがお好き』で共演し、カーテイスとウッドは『求婚専科』で共演している。これに後に「刑事コロンボ」で刑事役を演じたピーター・フォークが悪役でコメディアンの片鱗を見せている。 〕  これがTVで放映されていたんでしょう。
: 「ひとさしゆびをシーッ、と、いうのは、日本だけのものでなく、外国にもある? 外国さき?」  「しっー、とやるのは外国と日本どっちが先? もと?  おじぎは?」  TV映画「グレートレース」の中でシーッをやってたんだと思う。  ネットで調べると、口を閉じる+指をあてる、このジェスチャーはほとんどの国で理解されているそうだ。  シーッと声に出すのも、英語圏では同じらしい。  へ〜、だよね。
: 「ぼく、グレートレースの映画みてたのだよ。 お母さんぼくのこのノート、二のうでの下にして、机についたから、これは、と思ったので、 すこし注意してたけど、そのまま、テレビみてて、すぐCMになったから、ふりむいたら、 お母さん、おそれたように、このノートひらいてよんでる。  「あー、なんておそろしいことするんだろ。」  「え、なにこれ。」  「日記だよ。」  「日記なの。」  「何度もいってたじゃないか。」  「ごちゃごちゃした字でよめなかったよ。」  「あー、おそろしいなあ、人の日記読むなんて。 たとえ、親子の仲でもプライバシーはあってしかるべきだよ。」  → この語いったら、おじいさん、「うまいこというな。」といって、わらう。   etc、etc、話す。  しかし、お母さんて、ようやるよ。ぼくにギャーギャーいわれるの承知の上で。  ぼくも、くそまじめにおこってもしゃあないので、冗談半分におこる。  → ひらいてたページは、チラッとみたかぎりでは、5月30日の3ページ目のようなかんじ。」  つまり、display『1974/05/30 この夢のお弁当は、』3頁目ぐらいか。  まー、細字びっしりだから、すぐには理解できそうにないので、waka君のプライバシーは守られたかに思えるが。
: 「6/10 文春文庫 みてみよう。」 「6/23、新源氏物語」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  文春文庫。調べたら、まさにこの、1974年6月に創刊。  新源氏物語。Wikipediaによれば、 〔 『新源氏物語』(しんげんじものがたり)は、田辺聖子による『源氏物語』の現代語訳または『源氏物語』の翻案とされる作品。『田辺源氏』とも呼ばれる。  ・・・ 『源氏物語』冒頭部分から「幻」巻までの部分は、『新源氏物語』として雑誌『週刊朝日』において1974年(昭和49年)11月発行の第79巻第49号から1978年(昭和53年)1月発行の第83巻第4号にかけて169回にわたって連載された後、1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)にかけて全5巻で新潮社から単行本として刊行され、1984年(昭和59年)5月に新潮文庫に収録された。 〕  というわけで、waka君は週刊朝日を読んではいたが、まだ1974年6月だから、連載が始まっていない。 ここにあるメモは、田辺源氏とは別物か?  6/9〜6/10の頁にあるメモなのに、6/23と、二週間ぐらい先の日付というのも不思議。  頁の上辺は、今後すべき予定や買いたいもの、読みたい本、みたいTVや映画がよくメモされる場所ではあるんだが。  → いろいろ勘案すると、連載前の、作者との対談記事のようなものが週刊朝日に掲載されるという予告が載った、そういう可能性はありそう。 その記事が6/23日号に載る。週刊誌なので、実際の発行日はさらに一週間前。当頁の翌週ぐらい、つまり次号の予告、となる。 興味がわいて、それを転記した、・・という辺りではなかろうか。ほとんど裏付けのない推測だけど。  → ただし、この田辺源氏、連載を熟読した記憶がないな(笑) たまに気が向いたら拾い読みしたぐらい、だったか、どうか。
: 「それからすこしして、 「おまえ、われら青春について投書するんだって。」とお母さん。 ぼく、ぼくたちのかいた手紙よんだ、と思い、 「それよんだの。」という。 「ちがうよ。■■リがいまいってたんだよ。」とか、お母さん。(こんな語調だったっけ?)  これは事実らしい、■■リとお母さん話してたけど画面にむちゅうでそっちはしらず。(ノートはウデの中にあったし。)  → お母さんは、「それよんだの」を、「その手紙もよんだの」でなく、 「それも、ノートにかいてあるのよんだの」と、ぼくがいったと、思ったでしょう。」  母親も兄も妹もTV映画見つつだから、半分うわの空。  ちなみに、経験則から行くと、同時に複数のことを感知したり受け答えしたりするのは、 男より女のほうが長けているかも。
: 「チューキョーシンの提供でおおくりしました。っていってたけど、ほんと?  (いくつかの中に、チューキョーシンあった。」  → PM11:00 〜→ おじいさんのへやのテレビからの音より。」  祖父の部屋で数人でTV映画をみていて、それが終わってすぐwaka君は(当然この心記ノートをもって)部屋を出たんだと思う。  TVは、終了に際してスポンサーの名をいくつか述べていてふすま越しにwaka君の耳にもはいった、その中に、だろう。
: 右に矢印で3列目に、 「いつか、だれかが、このノート、研究するとき、わかりよいようにと時間までかきくわえてあるのよ。 それが、老いたぼくか、しらんこかは、よくわからないけど。 (どちらかというと、しらんこが研究するの予想)」  笑。  老いたぼくです(^^)  流れから推測するに、TV映画「グレートレース」の放送に当たって、スポンサーが多数いて、 放送後(午後11時頃)にそれを読み上げたわけだけど、そこに「チューキョーシン」があった。 それを画面ではなく、音だけで聴いている。なので字面は不明。 放送の合い間合い間にコマーシャルがはさまったはずだが、チューキョーシンのコマーシャルの記憶がないのだけど、といいたいのかな。  → そもそも、チューキョーシンてなに?  今検索すると、中教審(ちゅうきょうしん)が中央教育審議会の略。 しかし、これはスポンサーになるとは考えにくい。  似た語感で、全国信用組合中央協会(略称:全信中協) https://www.shinyokumiai.or.jp/overview/ という組織があるらしいが、これを当時は、中協信といっていたとか?  スポンサーになって存在をアピールしたりはありか。  半世紀前の略称まではこのサイトで見つけられず、裏はとれなかった。  たしかに、チューキョーシンを解明するには、研究レベルの調査が必要そうだが、 解明したところであまり意味はなさそう・・  それに、PM11:00という時刻は大切なの?  放送側の資料などから調査することを想定してるんだろうか。
: 「会長さんが、前にいってたこと。  「テスト近くなるといい映画(テレビで)やる。 テレビ局は、テストの季節にやったって、学生たちがみないこと考えて、時期ずらせばいいのに。 テレビ局だって損だ。」  → テレビ局、損を承知で学生にいじわるしたい?」  これはさ、視野が狭いよ。 まじめな会長さん(あだ名)がくやしがるのはわかるけど、自分たちにはそう感じるというだけでしょう。 なにせ、中間、期末と、大人の目から見れば、中高生なんて、テストだらけ、のべつまくなしにテスト前とテストの時期になってしまい、それをさけてたら、放送できないわ。 まして、学校によってそれほど揃ってるわけでもないだろうから、やろうとしてもできないでしょ。  できるとしたら、夏休みとか春休みとか、そういう時期ならおおむね配慮が可能だろうけど。(学生のためというより視聴率のために)  ← 逃がした魚は大きい。がまんしたくいものはごちそう。かなわなかった恋は一生引きずる。
: 「学校というものの中でくらさねばならぬ一週間なんて、意味をなさない。」  6/10月曜日に日付が変わったあと、または、ひと眠りしたあとの未明ぐらい。  一週間の始まりに一週間を呪ってる。  つぶやくなら「ああ、やだやだ」だろう。
: 「それが、とお、おっても、〜〜〜ひとりいこに、なあってみたいの〜   とすると、画面にでてくる他 ホカ のは兄弟?」  一人っ子になってみたいの、と歌ってる?  当時映像付きの歌ということなら、TV番組のオープニングとかエンディング、コマーシャル。  深夜とか未明、寝静まってる家でTVは点けられないので、 まず歌を思い出して、映像も浮かんで、という順か。  → 検索したけど、それらしき歌詞は今は見つからず。  位置的に、夢のメモ、という可能性もありだろう。
: 「 「あの歌手は、わわいらしさで売ってるようなものだ。」  と、ぼく、このごろの歌手について、こういうが、 さも、今までの「ほんとの歌手」というのを好み、よく知っていたような口ぶり。」  かわいらしさ。  おこがましい、しったかぶり、省みて。  一人だけ起きてものおもいしてると、気づいたりする。
: 「今から、今日の予習etcをやらねば。(6時46分)  このノートとあそんでるの、楽しいのに、それもやっていられない。」  この時刻ではせいぜい一時間。  おそらくこの週末でまともに勉強するのは、この一時間だけ。  自業自得の世界。  (この後の記述を眺めると、その一時間すらやったのかどうかあやしい)
: 「今日の夢はおもろい夢だったような気がするが、そのおもしろさ、 グレートレースのおもしろさみたいな、いくらかうわついた、 うつろなものだったような気がするから、あんまり貴重とは思わぬ。」  書き残してくれないと、そのいくらかうわついたうつろな内容が読みたくて惜しく感じてしまう。  (勉強すべし、ノートも詳しくかいてほしい、時間ないのにこちらも無茶をいってる。笑)

※ 『1974/06/10 たぶんノリちゃんをみてた。』
: 「イト■■に現国ノート!  数学ノート!!」 「授業料!!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  授業料など、一見芸術作品だけど、殴り書きしてるだけ。
: 「2mπ+π/2 を、 2nπ+π/2 としてから、この n は、n とすると、m に似てるな、ノートにかこうと思う。」  n の一画目をちょっと長めに垂らしてかいて m みたくなった、これは心記に書こう、というのが入れ子の中身。  入れ子の外身では(黒板または教科書にあっただろう)正しい 2mπ+π/2 を転記したときに n にしてしまっている。  ぜんぶ記しておくよ、と。
: 「 } を ■ 」  とかいてしまったよ、と。  ■は、突起が逆向きで、お尻みたい(笑)
: 「びぶん、とかいたのを、たぶんとよむ。 (ほんとは、だぶん、とよむべき。)」  よみまちがえるにしろ、濁点があるのだから、か。
: 「 u ユー が、しし と|みえる。|かかれる。 先生の黒板にかいたの。」  見間違いというか、錯視というか、気にすると次々気になる、という状態のよう。
: 「〜とみえる。 〜とかかれてる  〜とかく。  視点はどうなってる?」  前項を文字にしたら、今度は文章の視点が気になる、と。  この辺り、数学の授業だろうけど。
: 「アキャとおし■君さわいでたので、そっちみたら、 ■■ジョウさんこっちみてる。たぶんノリちゃんをみてた。 《 手で顔を支えてこっちをみてるらしい絵 》 」  さわいでる男子二人は遠景なんだろうな。ふり向いたら、手前の彼女がたまたま目にはいった。  かんたんな絵だが、なんか、感じはでてる。  のりみつに惚れちゃってる。  とびきりってほどではないけど、整った顔立ちで活発なよさげな女子だったと思う。
: 「きれい 「清い」?」  清に、きれいの訓があるか、ということだけど、辞書的には「きよ」しかなく、意味的にも、いさぎよい、さや、すがしい、すずしむ、すます、ぐらいか。
: 「れ 水」  これも、前項のれがほとんど水にみえる、と。書き直しても。
: 「文学。どの視点でも通用する、言葉のないため、文学ある?」  意味深な。  でも、いわれてみれば、多数の視点で語って違和感ないのが文学かも。  曖昧さや曇りをとり除いていくと、数学になってしまうわけだが、 あくまで日常的な語りで広くふかく詳しくわかりやすく伝えようとするのが文学かも。
: 「Aという言葉をBという皮肉に感じた。  Aという言葉をBという皮肉だと気づいた。  同じ人が同じことをいっているのに、言葉が二つ。イミ2つ。  あやふやになってくる。  このあやふやのため文学ある?」  上の例文、まったく同一のように最初は思うが、何度も読み直すうち、別物とわかる。 皮肉を感じて(痒さとか痛みとかを感じて)しまっているのと、 それが皮肉であると気づくこと(眺めている。感じる一つ前ないしは感じた一つ後)はちがう。  → 高校生当時、waka君、ずいぶんまじめ。感覚も繊細だ。おおちがい、現在と比べて。
: 「卓球のアミ、  「これはワタクシのです」を、ワタクシを「私有」という意でつかったのに、 たかぶったいい方にとられることある?  ――学校のでない 友だちの私有」  waka君らが昼休みによく遊んでいる卓球、それのネットが題材。  (ワタクシが)偉ぶった言い方にとられること、という意と思う。  十分あるでしょう。  公的な物ではない、個人的所有、私物、これをワタクシ(のもの)と言い習わすことがあると知っているのは書き言葉に慣れた人だけかも。  そうでない人には、お前より高潔な僕のものだ、としか聞こえないでしょう。
: 「ちのちゃん、英語あたらずにおわりそうだよ。予習は、5分の3ぐらいしかできなかったけど。」  おお、ならば、ラッキーではないか。  それにしても朝余裕なかったはずなのに、3/5までやったとはえらい。  ちの(千野)嬢は、waka君が心の中に住まわせている仮想女子。
: 「はくりょく 迫力 あって、(イメージに) 合 あってる」  あっての異義同音連続がおもしろい、と。
: 「大学、例えば■■■うけさせられても、おちりゃいいのだ。今の学力なら、落ちよう。」  ■■■大学に進むと家業を継ぐコースに乗ってしまう、ということなんだけど。  手抜きをしなくても落ちる可能性高い、という、困った自信だ・・  (仮にそうなったなら、魚心水心で両親は工作したと思う・・)  でもこういうケース、微妙。 受からなくていいからとがんばらないで、その少しのがんばりがなかったために落ちたら、手抜きをしたことにならないか。 目一杯がんばって落ちたなら、残念ではあるが目論見通りでもあり、かつ、罪の意識も薄いだろうけど、目一杯がんばれば受かってしまう可能性も高まるわけで。
: 「 《 噛み合わせの図解3画》  こういうふうにでもぬらないと、どれが歯でどれがすきまか、みえない。 もし、歯とすきまとするなら。」 「すきまを、すみま」  錯視がらみで面白い気づき。  絵解きとしては面白いが、こういう噛み合わせは非合理(役に立ちづらい)だろう、実際には。

 ■■コ、お母さんとデパートにいく予定だったけど、お母さんつかれた、とか、 体の調子わるいとかでいけない。
 で、■■コ、あきらめず、ぼくのとこきて、つれてってといい、 やだよ、といってもつれてってえ、つれてってえと泣く。
 ことわられたら、あきらめなさい。ことわられてもつれてってなんていうのは、 赤んぼがだだかねてるみたいもんだ、■■こはいつもそういって泣くんじゃないか、としかるが、 でも泣いて、つれてってよおといいつづけ。
 だだこねる赤んぼはどうなるか知ってるか、体罰をうけるんだよ。 (暗に、きのう、たわむれにしっぺじゃんけん■■ことやってそのとき、■■コなかしたという事実ある)
 コトリさんをみせにいって、オスかメスかきいてくるんだ、病気かどうかしらべてもらうんだ、 ハネきってもらうんだ、という。
 ぼく、でも巨人の星みなきゃならないし、いくきもない、とことわりつづけ。 しまいに、お母さんが、じゃ、いきますよ、と、となりのへやで■■こにいってる。
 お母さんもお母さんだ。それじゃいきますよ、なんていうくらいなら、はじめからつれてけばいいのに。

 ■■コ、最初からたのむときから、けんかうるみたくつれてってようっという。 ぼくが、そうかんたんに動かないこと知ってる。

 きのう、■■コと、しっぺじゃんけん。何度やってもぼくまけ。 次に、レーダーさくせんゲーム。2回かつ。2回目は、しっぺをかけてたのでフクシュウができる、と、 ■■コにしっぺしようとしたが■■コにげるばかり。そこで、しっぺじゃんけんやろうという。 はじめまけ。何度かまけるが、しばらくしてかつ。 ■■コ、思ったよりいたかったら、10円だよ。そろりとぶつ。2回目にかったときもそろり。 3回目にかったとき、■■コが何かいう前に、さっと手をとり、フクシュウコメテ、ピチ〜〜ン。 そしたら、■■コ、下むいて、しばらくして泣きだす。ウェ〜〜〜〜ン。
 どうしたんだよ、いたくないだろ。
 お姉さんが、おまえがわるい、と、ぼくにいう。
 ■■コ、泣き泣き、20円、という。思ったよりいたくって、それにもっといたかったから、だそうだ。 今回は、思ったよりいたかったら10円だすって、いわなかったじゃないか、といったらつづいてるんだよ、 と■■コ。で、そうかどうかを、じゃんけん。まけたので、それじゃと10円払う。
 きのうやったレーダーゲームの2回目、しっぺやられるのいやで、■■コ、不正を働く。 ピコーンピコーンなのに、いわずにかきかえちゃう。

 しかし、コトリさんの、■■コ(上の妹)の要求を満たすためには、動物病院に行かねばならないのでは?  少なくとも、ペットショップか。そういう施設が当時、デパート内にあったのかな。  (そもそも、■■コのコトリさんは、どこからやってきのか。迷い込んだのか、人にもらったのか。 ■■コ、その後も、猫を自室に入れて非公然に餌あげたり、動物好き。 なんというか普通に好きというより、のめりこむように好き、おぼれるようにかわいがる?  結婚後、主婦になってからは、もう思う存分好きなように犬とか飼ってたみたいだ。  子供の代わりに、というならままあることだろうが、■■コ自分の子も三人育て上げてるから、 まあ、文句のつけようもないけど)  勝負事。潔さがないんだよね。女子は基本的にそこらへん、こずるいかも。 男はプライドが強いから、敵同士でも紳士協定みたいものが成りたつんだが・・  しっぺしたり泣かれたりはあっても、まあ、兄妹でじゃれあってるうちかなあ。
: 「■■リ、お母さんが、「■■リを自分でやらせます。」と■原さんと約束したため、 今日、いかなきゃいけなかったのに、いかなかったので、お母さんにしかられてる。」  ■原さんは■原医院。女医さん。■■リ(下の妹)は喘息もち。
: 「■■リとお母さん、約束破るよう。  → ■原さんにいくのですよ、といわれて、うんと、いったのだろうにいかぬ。  → ■■コとの約束破る。  ■■コは、なんでも、自分のしたいようにしようとする。」  母と娘たち、約束破りばかり、自分優先ばかり? 要は似ているってことか。  (高校生男子のwaka君は力まかせに小学生妹にしっぺしてるけど)  いちおう姉は(批難に)含まれていないようだ。ここでは。
: 「しかし、ぼくも、自分の意見をガン、として動かさなかったなあ、 中学のとき、のっぽの■中先生と国語の論説の問題を論戦しあって。  相手を、理屈がどうだろうが、なんだろうが、うけいれるぼく。  あの頃は、おさなかった、ともいえるし、なんて、心がはっていて、強気だったんだろうともいえる。」  この■中先生との一件は、まったく記憶に残ってないな。  それに、うけいれるぼく、では文意がすっきりしない。 受け入れてなおかつ自分の意見を頑として通すってのは、立派だとは思うが。  でも、うけいれぬぼく、の誤記だとしたら、これはこれでストレートすぎて、まるでだめすぎだよ。 だだこねる■■コの兄にふさわしくなってしまう。
: 「院■さんを■原さんときく。「院■さんから電話」  で、院■さんじゃないけど、かんけいのあるようなおばさんきてるのしらないで、 おうせつま、とおろうとしたら、いたのであいさつし、もどる。  ワイシャツでてる、だぶだぶズボン」  これはエンピツ仮メモ段階で、言葉足らずで状況ハッキリせず。  電話の取り次ぎをした。母親が来客中でちょっと恥をかいた。ぐらいは確か。  院■さんは、美容院関係のおばさんだったような。
: 「指でせなかのせぼねの両わきを指圧しあったり、肩をたたきあったりできるような女の友だちがほしいち。  これはぜいたく?」  ぜいたく。というか、あまいぜ。  女きょうだいですらこういう具合なんだから、 女といっしょに暮らす現実がどういうことか、推して知るべし。  → せなかを指圧しあったりは、教えて、■■コや■■リとやったけどね。
: 「 《 足裏の絵 》 左あしのうら、左のように7つぐらいかゆいでっぱりある。かゆい点ある。」  いわくありげ。  お前はもう踏まれている(笑)
: 「めざましのボタンは、おすとひっこんだままになってるが、ぜんまいまくのやると、ポッととび出る。 けど、はりや、鳴る時刻示す針まわすのまわしてもとびださぬ。」  使い古されても安物でも、時計の内部ってのは、神秘的(魔術的?)ではある。
: 「今、7時半だが、 1時半のつもりになり、12時、つまり、6時のつもりの時間におきるようねましょ。」  つもりになる意味があるのかい、多少は。  (とても眠い、しかし勉強もせねばならぬ。まずは眠ってそれから勉強するしかないだろう、というのが、waka君の毎晩のならい)  午前一時半に寝れば自然と朝六時に目がさめるんだから、 そのつもりになれば、午後七時半に寝ても午前零時に目がさめるはずだ、さめなければおかしい、と期待して。  でも、なぜか、さめないんだよ。寝過ごすんだ。何時間も。(^^;;  朝の光が関係しているのか、周囲の物音、人の気配が意外と大きいのか。  → 要するに、四時間半で寝足りて起きろ、というのが、若い身体には酷なのかも。  なぜとても眠いかといえば、このパターンで早朝に起床して、もう長時間起き続けているから。  リズムを変えるのがよいはず。  より大きな「つもり」を変える。  眠気の奴隷になるのではなく、眠気の主人になる。  前倒しで眠気を満足させてやる。  転回する。  たっぷり眠って気持ちよく起きてしっかり活動する。   これと、むさぼるように眠って仕方なく起きてなんとか動きまわる。  これを比べた場合、おそらく、睡眠時間は同じぐらいなんだから。
: 「ヤキモキ ヤキモチ」  ヤキモチの滑舌がわるくてヤキモキ、なのではなくて、 ちゃんとあるんだ、この語は。辞書にも載ってる。  最近とんと耳にしないけど。
: 「カジワライッキ、  ワリトウマイ?  トテモ   カジワラ、だっけ?   カジヤマトシユキ、というのもいた?」  梶原一騎(かじわらいっき)。巨人の星、あしたのジョーなど、時代を画する漫画作品の原作者。  梶山季之(かじやまとしゆき)。ポルノ作家という先入観があったが、Wikipediaをよむと、大ぶりな凄い作家だったようだ。
: 「どっかで、ポッポッポッポッ、という音がつづいていて、おわりそうでおわらぬ。   だれかが何かをたたいていたみたい。やっととまる。(ポコポコポコ、の方が、あってる?)」  深夜なんだろうが、家の内、外、人、物の音など、いろいろあいまいで、不思議な、面妖な一文。
: 「院■さん、の電話あったことより予想すべきだった。 はじめ、お母さんが、■■コにおちゃもっていきなさい 等いってたので、 ■原さんきてるのかと思ったが、■■リに、「くすりもらってきなさい。」などと 病院までいくようなこといってるから、■原さんはいないのだと思い、 つまりは客はいないんだと思ったら、二人おばさんがいた。」  左の3列目から矢印で。  要は、恥をかいたのを悔いている最中で、理由を探してるんだろうけど。  複数のことで判断が行ったり来たりしてるうち近場の把握がとんでしまったというかんじか。  美容院関係?の院■さん、女医の■原さん、それに来客二人、なにかの行事でかかわりがある人たちなのか、別々なのか、 背景がわからない、母親のつきあいのことでもあるし。 (今となっては霞の向こう)
: 「フレームアップ」  すっきりさわやかかっこいい、現在ならパソコン用語ふう、という語感なんだけど、 でっちあげる、ぬれぎぬをきせる、という汚い意味なんだって。
: 「何かしらべたい語があって、ここにかこうと思い、まずは、と辞書しらべたが、気づいたら、 「フレームアップ」をひいてる。こりゃちがう、と思い、気になっててしらべたい語は何だっけと考えるがもう忘れてる。」  ふうむ。  不思議、もやんとしてる。  でもまあ、よくあるようなことでもある。  キレキレの人間じゃないので、waka君も。
: 「大山に子供ないの?」  将棋の大山名人。子供は不明。奧さんはいたはずだが、棋士の子供の有無とか人数とか、基本的に一切明かされない、たぶん。その子が棋士になったりすればおおっぴらに話題にされるけど。  要は、将棋界は新聞社と深いつながりがあるので(もちつもたれつ)、報道関係では手篤く庇護されてきたのではなかろうか。 (現在のように社会全体として個人情報保護の気運がしっかりするずっと以前から)
: 「でっちあげる」  当時も(上のいきさつで)フレームアップを調べて。  そしてさらに、でっち、とはなにか、と。  今調べると、捏造のねつ(呉音)にはでつ(漢音)の読みもあり、でっちあげるは捏ち上げると書くよう。 捏ちる(でっちる)という動詞もあったらしい。
: 「いるようでいないような人  千野ちゃんの説明。」  心の中に住まう女子だから。  命名の由来はまったく忘れた。姓のようだけど、音だけなら名前のようでもある。
: 「はやいうち勉強しようとすると、テレビの音うるさくやりにくい。  それなら、まよなかにやろうと、はやくねようとしても、テレビの音うるさい。」  笑。  まあ、神経質ということもあるけど、そのテレビを楽しみたい欲念もあって、妨げになってるわけだ。

 おしめのけしごむ
 おしべのけしごむ
       ↑
    うつらつうらとしたとき、頭の中で小さな子がいう。

6/11

 12時にめざましなんかならしてみんなにわるいなあ。
 でも苦情なし。

 おれはどっちかってえと、ゴミはすてないたちなんだ。 でも今日は、前にこんなぺっぴんがいるんじゃ、だすものだしていかなき。

夢 :
 サイクリング
 遠くへ旅。ねまきをきて歩き、どてらと弁当はふろしきの中。 帰り、道まちがえて(左にいくのを右)ちかみちしたら、もとのみち。
 こむかえ■■にやあ、といってへんじなし。(しのらくん?)

《 鳥瞰絵図 》  家  近道

 今、1:45

 だれかがすごいかっこいいことやったとき、
「○○さーん、○○さーん」とすごいせつない声でよんで皮肉る女の子。 しかし、注意しないと、ほんとにせつなすぎるのでまじめとうけとりそう。
      ↑
     夢より

 ぶっつづけて授業。朝早く3Dで友とマンガ本よんでたら、■下さんくる。
 ■下さん、きれいで、あいらしい。でもぼくちょっとそっけない。
 そして、友と■下さんがそこのマンガの残酷なこという。 それのぞいてるぼく、じっとみてるがどうもそうらしい。
 犬ころが主役。何度も殺されても死なない犬ころ。
 人と犬の首だけの図もある。
 最後、何人もが、あつまって、カベのすみみてる図が何枚もつづく。
 つまり、すみをみている一団を、もっと大きな人々が、またみていて、 その人々を、またそれより大きな人がみている。そこで、同じ絵つづけるだけでよい。
 それよんでたら、7時半からの授業に8時20分ごろいきどちこく。
 ぼく、パッとあけて、あたりまえのようにとんとんとはいり席につく。
 (つまり、皆、家に帰らず、一夜を学校ですごしてんの)
 ■野、ぼくがはいっていったら、だれ、■■■?  次の時間にいってね、とその時間は欠席にするこという。 黒板には、1つの文と、who where wherese とか、he が動詞みたく変化するのやらがかいてあって、 (前の黒板でなく、ふしぎと、よこのやつ)これだ現在つかわれてんだね、)といってる。
 となりのあまりきれいでないような女の子、(■■■さんみたい?)が、 逆光で黒板みえないんです、と、ノートみせてくださいというのでみせる。
 2時間目、ヒノ■■先生がきておしえる。 急にナミオが、ギター同好会の力を示し、かなでつつ、すごい声量でうたいだす。 はじめは、何かの原因でざわついてた教室なので、あまり気にもとめられなかったが、 そのうち皆しずまってききだし、うたいおわたっときは、皆はく手。 先生も、くそっまじめな顔してはくしゅ。 ナミオぼくより右の方でやっていたが、ぼくより右の方の女の人が、 「○○さん、○○さん」とせつなくさけぶ。 皮肉に。

    夢なのだ。

 しかし、夢はたのしいよ、
      千野ちゃん。


 夢の中で7時20分頃になったとき、 「自転車で帰り、めしくってこよう、そうするには、はやくしないと、おそくなる。」 とか、ノリチャンがいってた。

 うつらうつら を
  うつらつうら

 12時に目さめ、1時にもさめ、2時にもさめ、3時にもさめたのに、おきるの4時半。

 姉きもとなりのへやで、ガサコソ勉強。

 まずどんな宿題あるのか、たしかめる。

 まつげ、のびすぎた?


 こむかえ■■君はクラスメート。しのら君は文学クラブ仲間。  うつらつうら、いかなき、などところどころ、舌足らずというか文字足らずというか。  ■下嬢は中学のクラスメート。混在している。  ■野は英語教師、この三年時waka君のクラスの担任でもある。  wherese という単語はないかも。where's か。  ヒノ■■先生は数学教師で将棋同好会の顧問。ただし、waka君の授業を担当したことは三年間なかったはず。  → 夕食後目覚ましかけて床にはいって、午前零時から朝方までたびたび目がさめたけど、そのつどこの夢の記事だけかいてまた寝てしまった、ということのようだ。  やっぱり、起きられないんだ、惰眠をむさぼってる、毎夜、にたりよったり、こういうパターンなのかなあ。
: 「6月7日、図書館のテレビのあるへやいったとき、 フ■君と●君いて、あとから、■■ペイ君と日の/旭■先生くる。  会長さん、新聞の上にハンバーグおとしたり、して、ぼくに、チリガミちょうだいという。」  昼休み、いつもの卓球ではなく、会長さんと図書館に将棋棋譜を見にいったときのこと。  旭■(ひの■■)先生は、既述の通り、将棋同好会の顧問だけど、waka君らとは鉢合わせしているだけ。  → 『1974/06/06 これをフォークは右、と思う。』の1頁目に 「金曜日はしんぶんの棋譜みよう、だって、」という記事あり。 それが予定(翌日6/7が金曜日)で、本項が後日(6/11火曜)の振り返りになる。  ふだん図書館にたむろしているらしい面々(のうちwaka君の知り合い)を記録しておきたくなったよう。 (記録しておくのを忘れていた、のを思いだして、か)
: 「おねえさん、スタンドこわれてるから、へやのデンキで勉強。目わるくするよ、ありゃ。」  「ぼくのスタンドもなんかチラチラしてるなあ。」  机上スタンドと天井の螢光灯の二重光源がよろしいらしい。陰ができづらい。
: 「ぼくの全精力をそそぎこんでも解けない問題などないのだ。」  なんか奇妙な言い回しに聞こえる。全精力をそそぎこめば解けない問題などないのだ、ならすんなりする。そそぎこんでも解けない問題がある、でもすわりがいいけど。  ちなみに、ぼくの全精力をそそぎこんでも解ける問題などないのだ。というと、おもしろそうな状況が想像できる。
: 「証拠  ■としそう」  ■は、几の下が横の延びているのに几がのっているような姿。
: 「時計を1時間すすませときましょう!!   あとでよろこぶため。   しかし、すすんでいると思うくせがつくほどやって、もとにもどしたりすると、 1時間すすんでいるつもりで何事もやっちゃうかも。」  自分とのだまし合い。  おろかなようだけど、案外、誰でもやってることでは。  いくえにもだまして、もう解きほぐせないほどだったりして・・
: 「防ぐ  妨
さまた げる  )?」  いわれてみれば。さまたげるも防 さまた げるかと思いがち。  さらに、妨害も防害ではなかったんだと再発見。
: 「中学の時 しま■さんが、「こんどは、動詞の過去形をよく覚えたがいいわよ。」といったの覚えてる。」  突然ぽっかり記憶が浮かんできたみたいだ。たぶん、英語の予習中でしょう。  (早朝、夢見のなごりのようなのがあったりして)
: 「ワラバン紙 buy! 」  たとえば、英文や単語を何度も何度も書いて記憶する、そのためにもっと欲しい、と思って?
: 「two を、 tow tew tuw 」  こちら他言語の種族なので、わからないよねえ、あちらの理屈も感覚もふつうも。  こういう細かいところ、とくに。  そういうものだとあきらめて、丸覚え、慣れる、しかないのか。
: 「アネキのスタンドなおそう!!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  机上螢光スタンド。  たぶん、姉おもいの気持、恩を売ってやろうという打算、器械いじりがおもしろそう、これが、2:1:7ぐらい。
: 「半可通」 「瓦斯」  スタンド修理かかわりだとしたら、  ○ いじるのはおもしろうそうだけで大丈夫か、こういうのなんていうんだっけ → 半可通。  ○ 何か参考があるかもと百科事典で照明を調べると、昔の瓦斯灯がでてる。→ こういう字を書くんだ。
: 「姉さん、朝なのに、フロはいる。ぼくもはいりたいよん。」  「おとうちゃま。」  父親も起きたのかな、早朝。  姉、父、弟、三人連続で朝風呂ってことはないと思うけど。
: 「朝風呂はきもちいい。 自然光の中でも自分の体がちがったみにくさにみえる。」  「おれってほんと脂肪がついてみっともないねえ。」  正直に書いてます。  人が服を着る生き物で助かってる。  → 美味しいものたくさん食べたい。あるなら食べたい。飽きるまで食べたい。  そうしてるとぶくぶく太る、正直みにくい、カラダを締める方法はわかっているが、運動はしんどい。  しんどいことは回避したい、幸いにも服を着るので隠せる。  なら、当面はいいか。  それで何年も。  ・・・  健康体で食物が十分なら、動物としてはまっとうだと思うんだ。そんなに卑下しなくても。  ・・・  ただし、高卒後就職して、満員電車や実業が心身ともきつくて、ハタチの頃には痩せてる。  仕事に慣れたり、毎夜酒を飲んだりで、肥える。  惚れた女子ができてこれではみっともないと毎日腹筋腕立てでいじめる。  また締まる。  ふられて肥える。  という具合で、数年周期で増減を繰りかえしていきました。

 おばあさんんが、
「せんたくき、まわしてくれたの?」
 ときくから、
「ぼくの入れただけだよ。」
 という。
「じゃただ入れただけ。」
「うん。」
 それでいっちゃったけど、気づいて、
「それでまわしたんだあ」と、大声でつげる。
「そう。」
 ていねいな言葉はいいけど、内容をつたえにくいのではないかしら?
「せんたっきまわしてくれたの?」は、 そのままとると、みんなのがはいっているのを、しんせつにもまわしてくれたの、ととれる。 けど、ほんとは、ぼくのあらいもののはいったせんたっきを、まわした? ときいたにすぎない。 ていねいにいってるので、(ぼくがぼくのまわすのだから、ほんとはていねいいらぬ)ちょっとわかりにくい。 それともおばあさん、せんたっきまわすのは、だれのであれ、自分の役目と思ってる?


 婿である父の母。横浜のおばあさんと呼んでいた。  祖父(母の父)、父母とも、職場で仕事なので、昼間の掃除洗濯その他は自分のシゴトという気持ちだったはず。  それが、朝っぱらから洗濯機が回ってるので、事情を確かめたかった。ということでしょう。  だから、waka君の受け答えとしては、朝風呂に入ったのでついでに回しただけ(今日だけのこと)と言いそえれば、より安心してもらえたんじゃないかな。
: 「くいます!」  くいるす! しいます! しいるす!  にも見える。  前項の言動を反省したなら、悔い。  朝飯時ということなら、食い。  ! に明るさがあるので、食います! かやはり。
: 「ガンをなおす薬。死なない薬を、■■■社でくばりだす。 うけとるのは日本人でなければならない。いい人でなければならない。このおかげで、世界中、1つになる。  動物たちにもくばろう」  この系統、その後大人になってもしばしば。  善意の妄想なれど、これでは偏向あり。  日本人でなければならないのに世界中1つになるってことは、 世界が従う、日本が地球統一するってことだよ。
: 「外国に礼儀のあることを最初に聞いた人はふしぎだなあ、と思っただろう。」  何通りにも読めるか。  わが国は、中国の文明をみならってきたので、ここでいう外国は西欧だろうか。  あるいはもっと大昔、礼儀とか儀式とかそういうすました行為の意味がわからず首をかしげているのかもしれない。  この項を記す少し前、どうして世間は自分を含めてみんなは、あんな珍妙なことをしてるんだっけ、という疑問がわいたのかも。
: 「せいじょうなかんじ アライ/洗 という名 きたないものをあらうのだから、キタナイカモ、」  清濁のあわい、境界、とみれば、渦巻く力、荒ぶる神域とまでいえそう。
: 「最低  敬」  最 敬 礼、なら深々としたおじぎを連想するので、最も低いに通じるかも。
: 「現国 : げんちゃん」  軽いしたしみをこめ?  その現代国語で、擬人化という言葉を習っていたはず。  今もアニメとかでおおはやり。  → 日本だからとくに、なのかな。  アニメーションは元々アニミズムから来てるはず。  本流なんだから当然すぎるほどか。
: 「33とかくべきを23」  ひらがなっぽくもあるが数字が妥当だろう。
: 「イ■■ちゃんの歯、弁当ばこににてる 《 説明絵図 2画 》 」  だが、どう似ているのかわからない(笑)  あごばってて頑丈で立派な歯ならびってことではありそう。
: 「 「カッとのやりあい は一発やることに不快を感じるよ。」 ぼく「でもあの曲線は大好きだ。」 」  言葉足らずだが、卓球についての会長さんとの会話か。  ならば、一発やるごとに、だな。
: 「昼やすみ、おわるとき、水のみ場に会長さんと。 宮■さん。のちにマサ■さん。 すごい黒い目。」  両嬢と遭遇、というだけだけど、すごい黒い目というのは誉め言葉。  瞳が大きくてキラキラしてるってことでしょう。
: 「■ガミさんのため 4ばんささった。2番なのに。」  授業で、■ガミ嬢が何かしたため(あるいはしなかったため)、 4番の問題を指名される予定が、2番を指名された。あせった、迷惑したぞ。の意だろう。
: 「 He is ∨a boy  He is a∧ boy  >どっち? 」  何がちがうのか最初わからなかったが、よくみたら、a の挿入の仕方。  下向きの割り込み記号を上から刺してその中に a をおくのと、上向きの割り込み記号を下から刺して a は真上におくのと。  どっちもわかるからどっちもありと思う。  waka君は上から(または下から)刺して中におく派。
: 「 correspondence とツミ■君が、バン書したのを、conespondence とよむ。(とみえた。)」  通信文、手紙のやりとり、符合などの意。  conespondence は辞書になし。  これで検索しても correspondence しかでてこないので、類似もほぼ無いもよう。

「人をけがさして、なおす(という外科)なんて、医学の邪道だ。」ぼく。
 はじめは、医者になるやつの気がしれないよ、ということでイケンあってた。
「■■さんて東洋的な考え方だね。」
 これから、東洋西洋の論戦。
 活発な論戦はいい傾向。
 しかし、あまりにわずかだけど、けんかしたあとみたいなしこり、少なくもぼくにあり。
ノリ「東洋ってのはようちだね。」
ぼく「いや、そうかんじるのがも、う西洋的にそまってるんだ。」

 物質を求めることにおいて西洋は積極的。 物質をもとめることが、コウフクを、もとめることになっているので、 東洋であまり物質を求めないのをみて、消極的、つつしみ深いと思う。
 が、しあわせ、コウフクを求めることについていうなら、直接それを求める東洋の方が、 物質を媒介にして、求める西洋より積極的。
 ↓   政経の黒板にかいてあるのみて、辞書しらべずにわかる。
 ノリちゃんのIQは、
       157?


 議論のための議論のようだけど、学生生徒の特権。  なつかしい。  ※ 細かいが、「そうかんじるのがもう西洋的に」と最初書いたのだけど、 数秒後に見直して「そうかんじるのかも」と読んでしまいとっさに読点を入れて、 「そうかんじるのがも、う西洋的に」となって残ったのだと思う。  ※ 細かいその二。■■イ先生は二年生のとき倫社(倫理社会)の授業担当。 が、三年の当時は政経(政治経済)を講義していたはず。 そこで、辞書を調べずに媒介と書けた説明の中で、倫社と書きかけたのだと思う。
: 「貯臓  貯蔵を   かくとしても臓?」  1字目の臓は、月が草冠の下になってる。  なお、たくわえる意なら、貯蔵がふつう。
: 「西 → 西 → 酉  酉という字はこうして生まれた? 」  西のつなげ字から、waka君が想像。  本当はちがうだろうね。  → 手元漢和辞典によれば  ○ 酉は酒つぼの象形。 「十二支の動物名からいうと、わが国では、とりへんといわれるが、 文字を作るには、酒に関係することを示す意符として用いられ、とり(鳥)とは関係がない。」  ○ 西は酒をしぼるのに用いるかごの形。酒がしたたる様から、日の下がる方、西を意味する。 「一説に、・・・鳥が巣にすむさまを示し、借りて西の意を表わすという。」  → 酒との関係は両字とも深そう。鳥との関係はこの辞書ではどっちつかず。
: 「材を◆ ■■イ先生」  ◆は才を二つ並べたような姿。  放課後、授業中には転記しきれなかった政経の板書を転記しながら、ノリちゃんと論議している、 というような情景が浮かぶ。  東洋西洋についても政経の授業内容に一端があるのやも。
: 「代 化 }ともにKAとよむ? 」  訓と音だけど。  意も似てる。
: 「D1■■■■■■さん お母さんらしき人とあるいてるのスレチガウ   あっちがごかいしてるんだろ、」  タ■■嬢、母娘?  waka君、誤解されたような気がした? 何をどう? わかりません。  → いっしょにあるいている二人があいかたを誤解している、というケースは考えにくい。 素直に読むと、あちらの二人または片方がこちらのwaka君の何かを誤解している、というふうになるけど。 すれ違ったときに母親らしき人に、初対面なのに軽く会釈された、とかだろうか。  → 遠目にwaka君と気づいたタ■■嬢が、同じ学校の男子だよと耳打ちしていたならありそう。  → 往来ではなく、校内だったなら、同じ学校の男子はあたりまえなので、ちがうかも。 タ■■嬢を通してwaka君のことが前から話題になっていたなら (転校したての私と将棋を指してくれたあの■■君だよ、等)、ちょっとうれしいかも。 この場合は、あっちが誤解してるんだろは、waka君の照れ隠し。
: 「ゲタバコ イ■さん。顔おかっぱぐらいになってる。のびてる。  はいってく。  よりかわいらしく、あいらし。」  美少女の動向、目撃はそれだけで記事になる。waka君の価値観では。  (たとえ、あちらからはなんだか迷惑がられているような空気を感じていても)
: 「ノリちゃん、ろうかを、めがねなしで歩きながら、  「なんもみえないよ、なにも。」  「うん。あんまりみえない方が気が楽だね。」  「うん。」 」  笑。いい呼吸だのう。
: 「黒ぼうし アイシャドウ(?) ショドウブラック(?)」  二項前のゲタバコのイ■嬢のところから矢印で。  シャドウブラック、黒アイシャドウをいうか。  → 当時で、その中でもかなり真面目なwaka君の学校で、 いくら愛らしいといっても、そんな大人みたいなおしゃれはふしぜん、をとおりこして、ありえない。  よって、矢印はもう一つ前の項から指すつもりだった?  つまり、アイシャドウ等は、タ■■嬢の母らしき人のこと?  (もしそうなら、上の誤解とは、場違いな装いのことをいってるのかもよ)

※ 『1974/06/12 ツメキルにもメガネかけなならん。』
: 「ヒゲソレ!! ツメキレ!!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  『1974/06/06 これをフォークは右、と思う。』の3頁目にもみあげを剃る記事あるが、 ふつうの髭剃りを意識したメモはこちらが初出ではなかろうか。  この辺り以降、髭剃りは習慣化したか。 (もう高三だから、すこし遅めかも)
: 「まだあと1回なら、電気ケズリ器でけずれるチビタえんぴつをしまっちゃった。」  「このごろは、みつびしのHエンピツ」  捨てはしないんだ。
: 「きのうの現国 となりの女の人が意見を発表したのだけど、  「もし、そうなら、 『どっちでも』の片方が、他の段落にあるなら、段落をわけるのはおかしいと思います。」  といったとき、ぼく、ちょっと、フッと笑って、となりにきこえちゃったかな。  どんな理由があるのかなあ、と思ってきいてたら、段落をわけてあるのはというので、 意外だったのと、かんたんだったのと、単純みたく思えたので、 なんのわる気もなかったのだが、笑っちゃった。 けして、ようちないけんと思ったのでない。あくまで、ぼくの内心の問題。」  悔いてる。  名前で呼ばない女子は、モブ女子なのだ、おそらく。  waka君は自分がモブ男子だという自覚があるので、おおむねモブ女子に優しい。同情できる。  だから、このように悪気がないとはいえ結果的に失礼で心ない言動をしてしまうと、かわいそうになって悔いる。  自分がそういう扱いをされている感覚がするんだと思う。言い訳したい、せめてここに書いて。  (waka君が文学クラブの部長というのは周知されており、文芸とか文章とかの権威であるかのような匂いがあるかもしれない、ハリボテだが。 だから、現国でwaka君に嘲笑されるというのは、重いんだ、よく知らない人にとっては。その辺りも悔いをつのらせる)
: 「人より特別なことやってんだ、という気持ちなきゃ、勉強なんてできない。 そこで、ぼく、朝勉なんてやってるの。」  わからないではない。  自分なりに工夫してやってるという気持ちが、動機付け(の補強)になってる、と。  (この時点では架空の)誰かに自慢したいような。  姉、妹など同居家族は当然しっているので、あえて語らずだがすこし得意なのかも。
: 「背中痛い。三段とびのため?  跳ぶ」  体育の授業でやったんでしょう。
: 「疑う余地なく、を、疑う予地なく、としたよ。」  ふむふむ。  意味に添ってる感じもあるけど。
: 「ネイチャア ナチュラア )どっち?」  nature か。自然の意。発音は、ネイチャーだな。  ローマ字読みすると、ナチュラアか。  natural は、ナチュラル。自然の。  nature(名詞)から派生して、natural(形容詞)というのが辞書の説明。
: 「犬は今頃から、悲しく鳴いているよ。  (2時45分) ほんとの時間。」  当時の千葉市街だが、よく鳴いてた。遠吠えなんだけど、野太いというより高くものがなしく。 犬は愛玩というより番犬。ほとんど外飼いだった。 響きからいって、かなり離れたところとところで鳴き交わしてる。  現在の東京市街、飼い犬は相当数いるはずだが、まるで聴かない。 そう躾けられてしまうのか、手術とかだろうか・・  → ほんとの時間、というのは、目覚ましを早く鳴らすための時刻ではなくの意。
: 「昼、卓球場いくとき、こうばいからきた荒■(としひこ)くんにあい、 やあ、とあいさつ、ぼく、ゲタバコの方に歩いたが、 荒■君もすこしはいっしょにいかねば、と思ったがついてきて、 何か冗談いって笑うから、ぼくも笑う。何いったかはわからぬ。そして、じゃね、という。ぼくもじゃね。」  と思ったがついてきて、は、荒■君の心情を直接言っちゃってる。 「と思ったか、ついてきて」と書きたかったのかも。  そんなに親しくない、もしくは、集団ならいいけど二人だけはやや気まずい、ぐらいのよう。  どちらかといえば、荒■君が、waka君の素っ気なさにあれ踏み込みすぎた? と気づいてはなれた、というふう。  なんとなく、微妙に、おもしろい。
: 「 atroci 〜 を、artoci とよむ。 みる。」  atrocious なら、凶悪。  atrocity なら、残虐行為。  なんか物騒な語素ですな。
: 「おすもうさんは、よく、背中がすりきずだらけにならんのう。」  いわれてみれば格闘技なのに肌が白くてきれい。  脂肪のため?  TVだからで、間近でナマで見ればぜんぜん違うのか。  稽古のたまもので、簡単に傷つくようなヤワな肌ではないとか(^^;
: 「チャタレイ夫人のまともな訳は、今、よめるの? よめないの?」  『チャタレイ夫人の恋人』 D・H・ローレンス。1928年。  wikiによれば、本国英国でもそうだったが、日本でも裁判沙汰(チャタレー事件)。  日本での無修整版は、1973年。  → なるほど。本項は1974年だから、ようやくもう、読もうと思えば読めた頃だったんだ。 しかし前年発刊されたばかりだから、図書館にあるような古本は修整版で、新刊である無修整版はちょっと高価だったかも。 うーん、つまり、新訳発刊に際して、宣伝とか話題とかがあったはずで、ずっと川下でwaka君も気にしてこの記事にまでなった、という流れでしょう。  → 一度は、最高裁で発禁にまでなったとはいえ、今読んだとしたら、性愛部分、どうということはなさそうだけど。  まあ、読むとしたら、伊藤整の完訳本(1996年)かな。高名な文学者らしいから外れはないだろう。
: 「小学6年のとき、背の高いサイ■■さんのあとを、カネヤンか、町ヤンといっしょについていったなあ。」  waka君を含めて四人ともクラスメート。  この年頃で背が高い、だから、たぶん早熟なお嬢。  悪ガキたちのすけべごころの、つきまとい、ってところ。小学六年生だから、罪の意識はまだまだ薄い。  今思えば大それたことをしていたなあ、と、高三になって回想しているっぽい。
: 「■野先生、この前は早くやりたいといい、おとといあたりはねんいりにやりたい、という。」  矛盾しているが、先生なりに理屈があるんだろう。または、前言を覚えていない。  念を入れて、かつ早く仕上げたい、ならば、気持ちとしては矛盾もしていない。 だけど、本項の(物覚えのいいwaka君の)文脈はちぐはぐさの指摘というかんじだ。  具体的に何のことなのかは、書いてくれてないので、もうすっかり不明。
: 「天下堂々のテーマソングうたってる人、へた。ただ、単調にうたっていて、感じるものがない。 男らしさをいいたいなら、もっと男らしい感じを感じてもいいはず。 心が、ぼくなんかにもないとわかるほど、ない。」  音痴なwaka君にここまで言われるってことはそうとう。  Wikipedia、 〔 天下堂々(てんかどうどう)は、NHK総合テレビジョンで1973年(昭和48年)10月5日から1974年(昭和49年)9月27日まで、金曜日の20時(午後8時)より放映された時代劇作品。全47回。  ・・・  主題歌 上條恒彦・ロイヤルナイツ「天下堂々」(作詞:早坂暁、作曲・編曲:山本直純)  ・・・ 〕  上條恒彦だとしたら、プロではないか。 そんなに下手に(心がないように)聞こえたとしたら歌と歌い手の相性が悪すぎたんだろうなあ。
: 「指のささくれちぎったのはたべる気するけど、ニキビつぶしてでてきた脂肪は食う気しない。」  うへえ(^^;;;
: 「protector を、― ter と思う。」  protector は、保護者、保護物。  protecter は、辞書にはないが、ネット検索すると、まれに使われているらしい。誤用なのか、古い綴り方、なのか。
: 「女性の保護者   └ 女性を守る人? └ 女性が守る人×?? └ 何かを守る女性?」  前項もあるし、英文を訳す際生じた疑問ぽい。  原典のその英文も書き残して欲しかった。  Copilot に訊いた。


女性を守る人は、woman's protectorでよいのか。
woman's protectorは、野球で使う女性用のプロテクターと訳すのが一般的か。

==============

「woman's protector」は、英語としては成立しますが、「女性を守る人」という意味を強調したい場合は、もう少し自然な表現が望ましいかもしれません。一般的には、"protector of women" や "women's guardian" のような表現のほうが、文脈に適した意味合いになります。

一方、「woman's protector」は、スポーツ(特に野球やソフトボール)で使われる女性用の防具としても解釈されることがあるため、単独で使うと混乱を招く可能性があります。特に「野球用のプロテクター」の意味で使われる場合は、"women's protective gear" や "women's chest protector" など、もう少し具体的な表現を使うのが一般的です。

文脈によって適切な表現が変わるので、どの意味で使いたいのかを考えながら選ぶとよいですね!


 うーん。  わからない、めぼしがつかない、原典のその英文は。  質問のしかたが下手なのかも。
: 「んど しんどい。」  「腰がイテーイテー!」  「んどい こうかく。 ← しんどい」  「なんちゅういたさだぞえ」  三段とびの筋肉痛。  腰を傷めまでしたか、これは。  からだに痛い所があって眠ると、悪夢をみるというけれど・・


 時計の上で、5時から8時までねちゃいそう。

 夢。
 外国のちょうほういんが、カギを手に入れられて、なぜ、日本人のスパイが手に入れられなかったか。
 ともに、ある上司につかわれているのだが日本のスパイはおそい、といわれてなぐられる。
 こういう話を、ぼく、英語の本、訳しつつ、よんでる。
 外国のスパィは、かぎをもっている女生徒がハイウェイの上を友と歩いているとき、 すごいごうかなくるまでいってのりませんか、といった。 女生徒は、へんなにおいがするので、 まやくをやっている人たちだなと思いはじめはことわるが、友だちに、 やってごらんなさいよ、おもしろいじゃない、といわれ、のる。 友だちの前でのみえ、etcがあったと説明している。
 日本のスパイは、訓練のときのこと思いだした。 (ここから、すごくスムーズに辞書もひかずよむことできはじめる。)
 よく、こういう映画をみたっけ、もし、市民がわるい人の手でまやくにおかされそうになったら、 悪人にまぎれているスパイは、その女の市民をいきなりおかして、 まやくからのがれさしていい、とか、 女の市民が悪人におかされそうになったら、悪人にまぎれている私たちスパイが、まずおかして、 少なくも自分だけにしろ、と。
  ↓
(たぶん、スパイがおかせば、どこかの馬の骨がおかしたのとくらべ、 あとで夫になれるかもしれない、というすくいがある)

そして、2〜3ページいくと最後の章より一歩手前の章がかんたんにおわっり、 最後の章にはいるが、ここもかんたんそう。もう、話は発展しそうでない。
 こういう筋。

 英語の本、訳しつつ。
を、
 英語の「ほんやく」しつつ、の当字と思う。
 自分でかいたやつに。

 この朝、1時から、4時ぐらいまでおきてたことになるけど、
 ヤッタような気すけど、ヤッタっけ?


 ○ 一時間進めてあるわけだから、実際は、朝の4時から7時ぐらい。  ねちゃいそう、というのだから、これから寝る、うつらうつらしてる最中のようだけど、 つづいて夢の話になっていくので、寝落ちして気がついてこれを書いている、でないと整合しないか。  ねちゃったようだ、とかくべきを誤記した、寝ぼけて。  または、「ねちゃいそう。」と「夢。」の行間で数時間入眠していた。とか。  ○ 4列最上、「ごいごうかなくるまで」の上にエンピツ波線があって「? 7/12」と読める添え字。  これは翌月ぐらいに読みなおしたとき一見意味不明だったんでしょう。  「でいごうかなんるまでい・・」などとも見えるので。  ○ 悪人にまぎれている私たちスパイがまずおかして、って、とんでもない訓練だよ。  これでは、悪人にまぎれているもっと悪い人に過ぎないのでは!?  現在の世相から眺めると相当に無茶だけど、半世紀前はかろうじてありだったか。 それに夢だからいいのだとゆるんでいるみたいだ、この記事を書いている最中も。  ○ 英語の「ほんやく」しつつ、の当字と思った箇所は、すぐ左隣にある。  かく人よむ人が同一人、ほぼ同じ時なのに、あるんだ、こういうこと。  ○ 終わりの行、カタカナでヤッタ、なので、勉強をやったっけ、ではなく、射精をしたっけ、だと思う。  寝てるような起きてるような時間帯だったので(長い夢の前のことでもあり)記憶がはっきりしないらしい。
: 「ガリバンですった資料 父兄に与えてるが、けして外にもっていくな。」 「ツメ ヒゲ )!!」  校外秘?  大学受験、進学関係の資料だろうか。
: 「今日は学校いくときになってあたらしいページになった。 おおっぴらにあけてかけるから(やばいことかくまで)かくすめんどうなどなくて、いい傾向。」  ふむふむ。  本人が気にするほど、他人は気にしてないんだけど。
: 「この頃はこのノートに → 《 領域間のエンピツの縦線 》 この線ひくための長いせんひきも入れるようになった。つまり、3つ入れてある。  ボールペン、エンピツ(さっくなしのHB)、とうめいせんひき30cm.」  はさんであるわけだ。  こういうこと、ときどき、誰かのために説明している。(笑)

※ 『1974/06/13 ちょっとふくれてかたい所』
: 「お母さん、足でこのノートけるようにめくったことについて、ごめんなさいともいってない。  足でだいじなものあつかうのはいけないことだと、自分であれだけおしえておきながら。」  ひともんちゃくあったもよう。
: 「お姉さんもいくらか前、「あんなひどい人」とお母さんのこといったよ。」  「今日、お母さんのつめてる弁当にブーブー文句。ぼく。  この前も、このごろよく文句いう。  そのたびに、■■コ「おにいちゃんワルーーイ、」という。」  険悪な空気はつくらないで、という気持ちを妹なりに言ってるんだろう。
: 「ひとのさらにまで口をだすのはみにくいよ。 (ぼくの格言)」  うう? 直接的には■■コに言ってる?  母と息子なので、強情なところなど似てしまい、角突き合わせることしばしばあった。  姉や妹たちも母親とケンカするときはしてた、それぞれのエモノをくりだして。  なぜか父親とはそういうことはほぼ無く、父親が何か裁定すると両者矛を収めるしかなくなる。たいていは。
: 「 「きのうだれが高校の月謝はらったんだい。」  「ふん、学校なんかいきたくっていってるんじゃないや。 やめろといわれりゃ、すぐやめてやる。」  「それじゃ、やめなさい。」  「ああ、やめるよ。」  ← という会話いつおこるかしら? 今おこったとしてもそう不思議でない。  → 高校やめて、20をすぎたらいつまでも家においてくれるわけないだろうなあ。 どこで働こうかなあ・・・。」  ここら辺は、いちおうわきまえているようだ。  養われている身で反抗しても結局は勝てはしない。 言いたいことを言い、やりたいことをやるためには、根を抜いてでていくしかない、と。
: 「食事中は話をすべきでない? した方が明るくていい?  → ぼくは妹たちに、するな、という。」  今なら、歓迎するけど。  心に余裕がないんだな。  (まー、ケンカして気が立っているとき、だから)
: 「ギャッハッハハハ、  オーイテテ、アーイテテ  ← ぼくのひとりごとち。」  「三段とびのせいでせなかいたいよお!」  大笑いして腹や胴をよじったら、いためていたところが激痛ってことか。  涙流して喜悦と痛苦ふたつの渦のなか!?
: 「きのう5時間目はワイシャツのそでまくる。」  初夏。梅雨前のスカッとした光と風?
: 「 「みかどはキリコ/きり子、キリコとしたっていたんだよね。」 古文■■ナベ先生」  慕っていた帝というのは、いつの時代のことなのか。  源氏物語の桐壺更衣のことをいってる?  → 最初、故■■ナベ先生、と読んでしまった(^^;  故人にしちゃったらかわいそうなので、「による(先生の言によれば)」と添えているつもりでは、 拠(または、依、因)■■ナベ先生と書きたかったのでは、と次に思った。故(ゆえに)と添えたのは勘違いで。  → 最終的に、古文と書いたのだと考えるのが一番妥当だというところに落ちついた。
: 「ふつうのちょうちょむすびは、ひとえかたむすびしてから、ひとえちょうちょむすび。」  固結びという意識だろうが、片結びが正式名称らしいが、 児童の頃からのなんとなくのうろ覚えで(結び方と名前をつなげて)いっている。
: 「ベルサイユのバラのロザリーはイ■さんににてる。イ■さんがにてる。」  おそらく、舞台ではなく、マンガのキャラでいってる。  女子のマンガという頭があって(供給元はwaka君の姉妹)熱心には読んでいなかったので、 ロザリーがどういう女子だったかまったく記憶にない。  イ■嬢の印象はちゃんとある。逆算して、ロザリーはああいう人なのかなあとぼんやり推測はできるが。  見た目よりも、性格的なものだろうなあ。
: 「自転車はトラックをおそれる。そこでときたま歩道をはしる。  その歩道を走る自転車を妊婦はおそれる。」  朝ギリギリで急行しているとき、妊婦にぶつかりそうになったことあった。  まさか、このときではないと思うけれど。
: 上の三項(エンピツ書きの上にボールペンで清書済)から矢印で、 「これらエンピツでかくには、ヤマトバシのしんごうき、みじかすぎる。」  通学路、信号待ちの自転車車上で書いてる。この時点では上の三項はエンピツ書きでしょう。  本項だけは直にボールペン書きのようだから、エンピツ書きの隙間に登校してからか。  → 以下、さらにエンピツ書きが数項あるので、しばらく通学途上でのものらしい。  短いといってる信号待ちでは足りず、途中で停めて書いてるんだろうね。  (さすがに、自転車走らせながらは無理。waka君、両手離し+ながら走行はできない)
: 「西国  さいごく○ せいこく× )?」  これはまだしも、  「圧倒 : 自分でかくと、あっち、とよみやすい。」  これは変。 倒、到、至、これら、ち、とよまないもん。  ・・そうか、一致の致か。混同してるのは。
: 「ぞすめのちょう」  なんだこりゃ? 蝶?  そっか、「ぞろめのちょう」か!  → そういえば、丁が偶数で、半が奇数って、なんか変では。違和感。  丁は一本足で奇数っぽい、半分にできるから偶数、のような感じある。  うーん、ちょうど(丁度)分けられるから偶数、はんぱ(半端)がでるから奇数、なのか・・
: 「ひとえちょうちょにひとえかたむすびかさねたら?」  順番を逆にしたら、どうなる、と。  → ためしてみた。  わりと固い結び目なのにするっとほどけるところがちょうちょむすびのいいところ。 なのに、逆にすると、しっかり結べない上に、なんとか結ぶと今度はするっとほどけない、 いいところなし。はやらないでしょう。
: 「ロザリーはIさんににてる。 Iさんはロザリーににてる。 >どうちゃう?」  イ■嬢はおいといて、論理式として同じなのかちがうのか、と。  やはり主語のときは幹、比較対象は枝葉と思いたい、というか、感じたい。 そうだろう? と同意を求めたいけど。  → あくまでも、鏡のこちらが実、あちらが虚とみすえるのが文学。 鏡の両側はどちらも虚実たり得るというのが数学。なんだろうか。
: 「しんごうきは、どこも同じ長さ?」  青や赤である継続時間をいってる。  おそらく、ちがう。 大通りなどは、足の遅い人でも渡りきれる時間など考慮してるんじゃないかな。 場合によっては、太い道と細い道の交差する十字路だと、それぞれ継続時間が異なったり??  (調査してみたくなる。豆知識として)
: 「頼朝 頼朝 }?」  最初の頼は、異体字。右上が刀。  授業が始まったか。  一時間目は日本史、鎌倉時代? 四月始まりで六月に武家の時代ってのはやや早い?
: 「ノリちゃん、まだ来てない。  また、うちで、なんかしてるんだろ。それとも、ほんとに病気?」  ノリミツは、休みがちでした。 虚弱なのではなく、確信犯で、進学できる程度に出席してればいいという主義。
: 「今日5分おくれて教室についたときは汗がどんどんでてきて、きもちわるかった。  今はスッキリ。  (僕、学生服まだきてる。)」  waka君は、きのうと同じ今日をつづけたい人だから、衣替えとかの反応が遅いんだ、基本的に。  「まだきてる」と自分でいってるので自覚はある、行動を起こすまでには到っていない。  (ずぼらというか、いよいよ困らないと動かないというか。 面倒を厭い、回避して楽するために、例えば学生服の暑苦しさを辛抱するとかしてるわけで、 なんか我慢のしどころをまちがえてるような気もするけど)
: 「う  ろ:Ro とかいたのに、う:u とよめることあり。よんでしまうことあり。」  ひらがなは便利で単純なぶん、あちこちで取違え事件をおこすわな。  少し前の、ぞろめのちょうだと、すにも似てしまうし。
: 「仮洗礼  カセンレイ カリセンレイ }?」  検索してもヒットしないなあ。キリスト教関係とは思うけど。  (ちなみに辞書ひいて判明だが、仮には休暇の暇の意味が昔あったらしい。 そして、仮の異体字は假で、暇とは別字)
: 「ツイストとかこうと思いつつ、やっぱり「ツイフト」かと思ったので「ス」のとちゅうまでかいて、「フ」/HU とする。」  ちょっとだけおもしろい。  ツイフト、って何? やっぱりツイストなんじゃないの。  英語の授業ででてくるなら、ダンスのツイストよりは、オリバー・ツイストだろうか。
: 「のりちゃん、英語のとちゅうにくる。 2時間目」  ほぼ悪びれもせず。だったと思う。  (成績がかなりよかったので、先生も容認というふう)
: 「だれかが質問してたけど、その声、くげ■■君の声ににてるけど、うしろからきこえるなあ、 だれだろと思って、ちょっと前をみたら、確かに、のくげ■■君が質問してる。 なぜはじめ、うしろからきこえた?」  これも味がある。
: 「知」が形態変化して「午日」 「午日としたち。」  とよんだ、とみえた、ではないので、と書いたってことになるけど、 こんなことあるんだろうか。  偏の縦棒が一本、旁にくっついて、結果的にこうなっちゃった、か。
: 「右目、の上まぶたの右すみのあたり、ちょっとすべりわるい。」  すべりがわるい、とはなんだ? なにかできものがあるってこと? ザラッとしてる?  すぐ後に後続あり。
: 「A1A5■■■■■さんそれほど美人でないような気が、同じクラスになってのち、思いはじめる。」  アオ■■嬢。  二年生のとき、「おいみた? 今のがアオ■■さんだ」などとイ■■ちゃんが誉めていた。  同じ高校生男子でも女子の好みが少しずつちがうんだ、やっぱり。  イ■■ちゃんは、きれい、かがやいてるの方面。  waka君は、しっとりとか憂いとか、だったかなあ。  のりちゃんはほとんどわからない。モテるんで、寄って来る女子たちに飽きてしまう、というふうなのか。
: 「この前、内■君がコウブン堂のよこ、歩いてるのみてあいさつしたけど返事のなかった (内■君、こいにさけてるみたくもみえた。)土ようのおそい夕方、内■君の他に、■■高−男の人一人、 メガネかけて、こがらな美人というわけでない■■高の女一人/白いかばん。 もいた。」  これはめずらしく、男子の目撃情報を書いてる。  いまひとつ、友好的でないので、気になったようだ。
: 「A5■■さんとE2C2■■■の仲、ちょっと近づいてきたみたい。 わりときらくに話してる。軟派同志つくのかしらん。」  オ■嬢と、ニシ■君。  waka君、ついこの前まで、オ■嬢にまいってたはずなんだが、やけに冷静な書きぶり。  席替えがあって席が離れたので、さめてきてるってことか。  (としたら、waka君もそこそこの薄情ぶり)
: 「めつぶって、上からなぜてみると、右目、のまん中、小さくまるく、何かがつきでている。 そうとう、近視すすんだ?」  今やってみると、つきでているというほどの異和感はない。  近視などではない当時だけの変異でしょ。  次頁に絵付きで詳報あり。
: 「英語の時間、A2D5■■■■、G2H1■■■■さんのおとしたけしごむ、 彼のイスの下の、やや右よりにおちたのを、左手をのばしきって、やっとひろってあげる。  いつかのぼくみたかった。」  イト■■君が、ミヤ■■嬢の消しゴムを。  二年の頃、waka君が、タ■■嬢の消しゴムをひろってあげたのを思い出してるよう。
: 「 《 三人の席配置図 》 なので、みやすい。」  右後ろからなので、イト■■君の椅子の下の様子、丸わかり。  ← しかし、名前書いちゃ、すぐ上で暗合にした意味ないじゃん(笑)  いや、そもそも、消しゴム拾ってあげただけのことで暗号化する意味あったのか。
: 「会長さん、化学の前やってきて、今日、物理の実権(研)やらねばならないから、 わるいけど、卓球できない、と言う。」  実験。  律儀だ、会長さん。
: 「おれもメガネかけすぎたため、イヤアナめつきになっちゃうのかしら?」  いつもメガネの人がメガネを外すと目つきが変に見えるんだよ。  メガネの人がいつもメガネをかけたままなら、そんなことはないのだ。
: 「溶融塩 を ようかいえんとよむ。」  「しかし、学校はおもろない。はやく帰って、ねたい、本よみたい!  あのうちでのしあわせ、平安。」  その化学の授業中。  自宅自室の理想の居場所を語ってるけど、半日前には、母親とケンカして家でることを語っている。  → 与えられたものは、どれほど理想的で具合が良くても、結局は幸運というだけで、はかなくもろい。  自分で生みだし自分で組み上げして、せっせと構築していくのが、生きていく醍醐味だよね。
: 「 「めったやたら最近(黒板を)しきるくせができたんですよね」 浜■先生。」  もうひとつよくわからない。しきるは、しまる、ほる、などともよめるし。  チョークで書いて、仕切る、四角く囲む、ようなことだと思うが・・  ← 浜■先生は姉きの知り合い。『1974/04/27 ワイシャツのここを切りとって』参照。  だから、若い先生。
: 「お西とぼくの間には2つの暗合がある。 1つは、あいうえおがA1A2A3A4A5であるのと、 ちつてとたが、A1A2A3A4A5であるの。 後者が、ひわいすぎること表わすときつかうので、最初が「ちつ」。」  お西は中学以来の友人。  なるほど〜  キーワード(五十音表の右上すみ)がちつと覚えておけば、復号できるんだ。  使い勝手がいい。しろうとのものとしては必要十分かも。


 化学

 授業料のフクロオトス.
 とりあげるとき、百円と十円玉おちて、わらわれる。 先生、自分がわれわれたと思い、おかしい、ときく。そこでまた皆、わらう、先生を。
 ワラッタのは多くて、10数人、わからん人もいた。

 先生の方がほんとはおもろかった。
 ぼく、すこしあかくなって、ただすまして、すこし、わらってた。
 おちたとき、アラ、玉が二つおちたとき、アレ、とか、小さくいう。

 授業料のふくろはここにはさんであって、これひらいて、 上にノートやらのっけて、化学の授業うけてる。

 授業ノートうごかしたりしてか、授業ブクロおとす。


 しかし、化学の授業はおもろない。


 授業ノートとりつつ、こっちかいてる。
 先生、ちゃんと、黒板にかいてくれるようになったので (ぼくも黒板にかいたのしかノートしなくなったので〉こんな所にかいてるひまできた。

 歴史はまともに板書しないので、あまりヒマない。


 酸素とは、酸素分子のこと、酸素原子のこと?


 若い先生ということで、少々、あなどられている空気あるかな。  教室内の些細なこと(waka君が硬貨を落とすとか)まで機敏に実際を察知できるほどの、 心のゆとりや経験の積み重ねはまだなくて、目前のことでいっぱいいっぱいという様子。生徒には見えている。
: 「2年に ■■佐利というのがいる。しらんかった。男かね、女かね。 女ならいいと思うけど、男だと思われる。」  どこかで名簿か、掲示板かで、名前を見かけたってことだろう。  waka君と同姓。なのに、やけにかっこいい名だ、と。
: 「千野ちゃんの名  詠/えい  にしようか? 漢□でしらべよ!!」  漢和(辞典)でしらべよ、か。  waka君の脳内にすまう女子が千野ちゃん。  前項で嫉妬したので、こっちもかっこいい命名を、と。  意外と気づきにくいけど、現実に命名するとしてもよさげだ。優雅。  (男でも女でも。幼いときも老いてもそれぞれ映えそう)
: 「あーあ、とうとうおかたわになったか。  でも、めがとびだすなんて、文芸クラブ誌の最初にかいた物語(心記のどこかにかいてある)に似てるなあ。」  前頁にある、右目、のまん中、小さくまるく、何かがつきでている。を指す。  心記のどこかにかいてあるという物語は、本項の半年ぐらい前に記されている。 そして本項から三ヶ月後ぐらい、この年の文学クラブ誌にこの物語を掲載することになる。


 昼休み、やることなくて、水のみにいき、ついでにテトラかう。 テトラうってる所に、赤ら□のメガネかけた、うしろ姿はきれいにみえる女の子。(よくみる。) ふりむくと、□のむこうに坂■先生、右へ歩いていて、ぼくも前方へ歩いていくと、 女子トイレの前に、D1■■さんたってたけどうしろむき。 (ぼくがきたからうしろむいたというかんじ。 もしくは、うしろむいてて、ちょっとふりむいてまわりみたら、ぼくいたので、即、もとにもどしたフゼイ。 ぼく、ちょっと心をすずしくしていけば、むこうから、C1A2■■さんとA2■■さん、はなしつつくる。 すれちがい、ゆけば、教室のとなりのろうかのまどぎわに、G2H1■■■■さんやら、■■B1゛G2さん。 そのまま、教室はいり、ヤダヤダと思う。 しかし、一人たりないな、と思い、それA5■■さんとわかる(G1C1■■さんもぬけてたか。)
 イスにすわりながら、うしろむかれたことなど考えて、ヤケザケのみたくなりつつ、テトラをすう。

 すっちゃってのち、またやることないので、へたすると、またあっていやだな、とは思いつつ、 また水のみいったら、ろうかから、ホールにうつるとこで、 あっちから、D1■■さんと■■■■D3B1さんならんでくる。 キマヅイ3秒。ほとんど、シランプリでとおりすぎ。トイレいき、チクショウサケノミタイ、と思う。


 赤ら□:赤ら顔、□のむこう:柱のむこう、だろうか。  (よくみる。)は、その女の子を凝視した、ということではなく、よく見かける、の意でしょう。  気になる女子たちに次々遭遇したよ、というのが本項の軸と思われるが、 名前は知らないながらうしろ姿はきれいにみえるこの子がその口開けになっている。  (昼休み、男子女子誰もがあちこちでのんびりしたりたむろしたりしてるんだろうけど、他の生徒たちはwaka君の目には入っていない、入っていてもムカンシン。笑)  D1■■さんは復号すれば、タ■さん。たぶん、タ■■嬢のこと。  タ■■嬢に避けられたような気がしてちょっとさびしくなって(心をすずしくして)いけば、 C1A2■■さん(サイ■嬢→サイ■■嬢)とA2■■さん(イ■嬢)。 さらに、G2H1■■■■さん(ミヤ■■嬢)やら、■■B1゛G2さん(■ガミ嬢)も。  ヤダヤダと感じたのは、おそらく流れで、他の女子にもどうせ、見透かされている、さげすまれている、と思えてか。  一人たりないな、と思ったのは、主だった女子はあらかた見かけたはずだけど、まだ誰か抜けているような気がして。 それは、A5■■さん(オ■嬢)やG1C1■■さん(マサ■嬢)かな、と。  → ヤケザケのみたくなりつつ、テトラをすう。テトラは、テトラパックの牛乳またコーヒー牛乳。  やることない昼休みの過ごし方としては、それほど無為とは思えないぞ。 文句はいってるけど、感傷的につぎつぎ花を愛でるようなひとときにも見えないことはない。  → 輝いていたりしっとりしていたり、朗らかだったりうれい顔だったり、 魅惑的な女の子たちがこんなにそろっているのに、 誰もこちらを尊重していないばかりか、避けられまでしている空気がある、と、理不尽を感じているようだが、 ・・まあ、ふつうだろう。  年ごろの娘たちが、一皮むけば性獣にすぎない(というか身も心もイヤラシイナニカが服を着てお面をつけているだけの)男子高校生を警戒するのは、基本の基本。不思議でもなんてもないな。  → チクショウサケノミタイ、と思う。  D1■■さん(タ■■嬢)と■■■■D3B1さん(■■ツカ嬢)は仲よし。  知らない間柄でもなかったのに、 クラスがちがって二ヶ月程度なのに、タ■■嬢とはだいぶしらじらしい雰囲気になってる。 原因となる諍いなどはなにもなかったんだが、なんとなく流れで、こういう感じに。  あるいは、この感じは、タ■■嬢がwaka君をwaka君と認識していないふうにも思えるな。 メガネとかで面変わりしてしまったという可能性ならわかるけど、 メガネはだいぶ前からかけているはずだしなあ・・  すでに、惚れている状態からは遠くなっているとはいえ、無視されるのは痛いよ。 浅く、簡単にでも、あいさつしてくれればそれだけでしこりはできないのだけど。 waka君も別に、もうそんなに意識する必要はないのだから、 こちらから一方的になってもいいから目礼ぐらいして、 それで反応のあるなしにかかわらず、さらっと忘れればそれでいいことなのに。 (そこまでまだ冷めていない? そこまでまだ大人じゃない?)
: 「居を□、」  □は、居の上に横棒。  房がまじった?
: 「先生が主の字を|かいてる|せつめいしてる|とき、 「説」という字ノートにかいたので、「註」とかいてしまう。」  大筋は、主と説がまざって、註にしてしまった、ということなんだろうけど、 主の字の説明とはどういうことなのか、説という字はどこからきたのか(直前のそのせつめいからきたのか)、 など、隙間多し。  (隙間あってよしか。この項は大筋さえ記せればよかったみたいだから)


 うちかえってカガミでみてみたら、めだまのこうさいがとびだした、と思ったのは錯覚で、 上まぶたの内側におできたいな、とにかく、グリグリした所がある。
 こうさいがそんなにでっぱったかとカガミみたが、正面からではわからぬ。 めてつぶってさわれば、たしかにでっぱってる。そのまま目をあけておどろいた。 まだ、でっぱってる所さわってるのに、鏡では、黒目がさわってる所より左側にある。 何度やってもそう。(というより、こうさい上まぶたの上からさわってりゃ、外みえるわけもなし)
 で、すこし、上まぶた上にひっぱったら、右目右側に赤い所があるの発見。 ふつうの時はまぶたの下にかくれてわからめようになってる。

《 図解 ゆび ちょっとふくれてかたい所 》

 いつごろからできたんだろ?
 なおんのかしら、ほおっておけば。
                 ??


 めてつぶってさわれば:めをつぶってさわれば。  わからめようになってる:わからぬようになってる。  とりあえず、正体は見えた。
: 「今日の朝、でんきつけっぱなしでしたな、とお父さんにいわれる。「ごめんなさい。」 」  父親には素直。
: 「公証人とは?」  むしろ西欧の小説によく登場するような。  日本にもいるんだろうけど。
: 「面目をほどこす、とは?」  ふむふむ。  ほどこす、が、恵み与えるの意味だけではないと気づかせてくれる言いまわし。
: 「人事院とは「日本の常識」? 「日本の理性?」 」  書くなら、良識、だったか。  そういえば、人事院なんて、最近耳にしないなあ・・ (しらべたら、まだちゃんとあるみたいだ。廃止とかはされていない様子)  ふうむ。  ひたすら監査する機関てわけじゃないよね。何をするお役所だったっけ・・
: 「ここせ とは?」  卑猥語だった気がしたけど、今検索すると将棋用語。  ここへ指せ!っと念じると、相手が指してしまう大悪手のことだとか。  ・・・コマセは、釣りの餌。こますが、卑猥方面だったか。
: 「気のおけない仲間  なんか、ドロボウ集団みたい気もする。 ?」  油断のならない仲間、みたく聞こえてしまうんだけど、 辞書的には真逆で、気づまりや遠慮を感じないという意。
: 「千駄ヶ谷を、 チダガヤ とよみやすい。」  当時の千葉市在住のwaka君が、千駄ヶ谷を意識するとしたら、十中八九将棋関連だろう。  将棋連盟の東京本部の所在地なので、それを千駄ヶ谷とよぶこと、将棋雑誌の中などではふつうにある。
: 「ぼく、ときどきわざとニヒルなめつきして、かっこいいように思ってるが、 それがたたって、はれものできた?  ―→ ニヒルというより、それとなく、悲しい顔するのである。  だれかがみてくれてもいいが、くれなくてもいいさ、というかんじで。」  笑。  そういう似あわないことをしたので、いい気になったので、バチが当たったのか、と。  半ば冗談でいってると思うけど、その恥ずかしさは目のできものにも匹敵するかもぐらいは感じているようだ。
: 「御尤  ごもっとも」  最初、御大(おんたい)ごもっとも、というセリフかと思ったが、点が付いてた。  御犬(おいぬ)? に寄り道してから、正解へ。
: 「諭す (しら)」 「揉/も めた :?」 「貴顕紳士 よみ」 「贔屓筋 よみ」 「領袖 ?」 「巫山戯 ?」  巫山戯、これは読めない。調べたら、ふざける、だった。  男女がいちゃつく場合のふざける、辞書にあるこの当字のエピソードによれば。  → 御尤以下、このとき読んでるものからの抜き書き群と思うが、ずいぶん古風な用字をしている。 文芸としてはやや偏り(擬古的?)を感じるので、 将棋雑誌掲載の明治大正頃を題材にしたフィクションという辺りか。
: 「姉きこの頃ずっとこわれたスタンドの前のくらがりで本よんでるから、 バカ、バカ、メダマワルクナルヨ、ナオセヨ、となんどもいったが、 今もそのまま、本よんでるので直してやることにする。」  『1974/06/10 たぶんノリちゃんをみてた。』の中でも既述している。  ほんとに実行してあげたら、悪くない弟だけど。しかし、この後の記事で探しても、やったという事後報告が見つからないな、とりあえず(^^;)  それに二度も三度も書いているということは、 姉思い、というよりは、実は、不完全なことを完全にしたい、正せるものは正したい、乱れていたら整えたい、いろいろきちんとしたい、そういう欲求があるんだろう。神経症的な。まだ放置してる、ひとごとなんだが気になる、むずむずしてる。
: 「いつか、このノートをもっていくのを忘れる日、 いつか、台所から片手で運んでくるコーヒ茶碗おとす日、  が、くるやもしれぬ。」  まだ起こっていない災厄を想像。 おそろしいけど、多少緩和できる気がしてあらかじめこうして文字にしたか。 (いわば、多少おまじない的に)  しかし災厄と言ってもなあ、それぞれ対処は意外とある、というより、簡便。  このノート(心記)を学校にもっていき忘れても、別紙に仮メモをしておけば足りるし、 茶碗を割っても物はいつか壊れるわけであきらめがつくし。  うわっつらでおそれているだけかも。  やばいのは、熱湯をひっかけて誰かに(例えば妹に)アザをのこしてしまったり。 どこかの場所にこのノートを置き忘れて(紛失して)しまったり。  この記事、こういうやばいほうまでは想定していないのでは。
: 「さっきまで思いだせなかったトランス、という語お母さんと話してるとき、ぼくの口にでる。」 〔 トランス 名 (英 trance) 催眠状態やヒステリーにみられる、意識が常態でなくなった状態。自発的思考や意志決定が減弱し、無意識的行動が優勢になる。〔モダン辞典(1930)〕   トランス 名 (英 transformer の略) 電気の変圧器のこと。   精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006 〕  どちらかといえば、前者のことだろうな、waka君が思いだしたかったのは。  しかしまー、母親と息子の会話で「トランス状態」などという語を使う場面があるんだろうか。  母親を揶揄するためか。母親には意味不明で、煙に巻くぐらいの効果だろうけど。
: 「初段と2段の間、1つ何か段があると思ってたけど、よく考えればない。  内■先輩と、■■ザイ君2つあなれてると思ってたけど1つでした。  → すごい錯覚だった。」  2つはなれてる。  waka君の先輩と後輩だから、学年は二差だが、それは言っていない。  将棋の段位の話。  ・・どっちが二段だっけ。忘れてしまった、どっちもめちゃくちゃ強いんだ。  → 以下、将棋に詳しい人のための補記。  当時は、居飛車振り飛車の対抗型が流行ってた。 プロでもそうだったかもしれないが、waka君ら高校将棋界でも。  居飛車側は舟囲い、振飛車は美濃囲いがふつう。 振飛車が穴熊をすると卑怯じゃないかという空気もあったが、勝率がいいので採用が増え始めていた頃か。 (田中寅彦四段が公式戦で初めて居飛車穴熊を指したのは1976年だからまだ先) そういう時代、内■先輩が同学年の先輩と (1) ガチガチの居飛車穴熊と振飛車穴熊の対抗戦をしていた局面を覚えている。 自陣にカナ駒ぜんぶ馬までひっついててどうやって局面がほぐれるのか観ていて途方にくれるぐらいの。  また、内■先輩(前会長)は戦略家でもあって、(2) 県大会用に、相横歩取りの定跡を皆に教示していた。 相横歩は相当に激しくなるんだけど、定跡をどこまで知っているかでかなりの差がつく。 実際これが当たって大差勝ちできることもあった。  (1) (2) というふうに、今から眺めても、内■先輩は進取の気性があった。  いっぽう、■■ザイ君はとにかく終盤がすごい。(小柄で童顔なんだけど)怖いぐらいに、鬼。  中盤をすぎて劣勢だとしても、相手が一手でもゆるむと逆転してしまう。 アマチュアが一手もゆるまず寄せるなんてむりだから、当然のように最後はいつもこちらの玉が詰んでいる。 大胆な切り捨てや放置、わずかなとっかかりから手品のようにつないだり、などは当たり前。 なによりたとえ長手数でも正確無比、彼我の速度計算も行き届いている。 駒の多い複雑な詰将棋など自作もしていた。  よって、彼に勝つのは至難。序盤から圧倒して押しきるか、終盤力でまさるしかないが、どちらもwaka君レベルではむりでした。

※ 『1974/06/14 もう帰ってる。なんでえ?』
: 「文学クラブよ  文化祭の計画たてるべし  文学クラブの会合  }来週の月よう or 水ようにヤルベシ!!」  頁上辺の薄書きメモ。  本文にある通り、長■嬢にせっつかれて、やらなきゃなと腰を上げたのがこのメモか。  → 文学クラブよ、のよに若干違和感。  よびかけのよ、とよむけれど(やや変だ)、女ことばのよ、よていのよ、♪とか(もっと変だし)、他の別字かもしれず、まよう。
: 「長■さんより、どうなってんの ときいてくる、ろうかですれちがってのち、■■君とよびとめられ。  「なんか、消極的になってきたみたい。」  「文化祭あるみたいだけど、」  「うん、でも、やめようという意見もでてきた。」  「じゃ、何もやらないんじゃしょうがないじゃない。」  「うんだからさ、近いうちに会合ひらくよ。」 」  長■嬢は、昨年、来年の文芸誌には参加させてね、といってきた同学年女子。  文学クラブの文芸誌、どうするか問題。  発行するなら秋の文化祭で売り出すので、そろそろ動きださねばまにあわない。  waka君が言っているのは、文芸誌を出すことに消極的になってきた、やめようという意見も出てきた、という意味で、文化祭のことではない。  (たしか、シンペイあたりが消極派だったか。やらなくてもいいんじゃないの、と。  昨年秋までの文学クラブの日常的な活動というのは、文芸誌出す以外ほぼなかった。 それ以降でも、回覧ノートを回すのをはじめたぐらい。後輩も入ってこない。 このままではwaka君らが卒業すると消滅しそう。というのが現状)  (部長であるwaka君が将棋同好会と掛け持ちで、あんまり部の発展に動いていないってこともあった。 文学クラブの先輩ら(文芸誌には香り高い佳品や渋いなかなかの論評を載せた人たちだったが日常的には何もせず)に倣って、ある意味伝統で。  同好会のほうは火■君に会長職を引き継げたけど、文学クラブのほうは引き継ぐ人がおらずwaka君が部長のまま)  → なお、waka君の高校には、学生運動の名残でいわゆる生徒会がなく、毎年、文化祭実行委員会が組織されてやるやらないから決めていた。 昨年の文化祭実行委員長はタツオで、この年も他にやる人がおらずタツオがかつぎ上げられたはず。 ちなみに彼は、文学クラブ員でもある。
: 「 → となりの2ます、5つづつにくぎったみたく思って、しまったと心の中でいったが、 いいそうになり、両手で指をパチリとやりそうになった(最後のますがひろすぎたのでてっきり) が、即、かぞえて、6つなのしり、いいんだいいんだと手と指の力、ぬく。」  ページの縦四分割を切りまちがえたか、ということでしょう。  本文領域上辺の赤い目盛りで数えて。  しまったーと言いつつ両手の指をパチリと鳴らすのがこのときとっさに出そうになったリアクションなんだけど、 いや失敗ではないと一瞬後にきづいてやめたよ、と。  今数えると、五、六、六、七だから、変は変だな。
: 「ここにかくべき。」と隣の列から矢印で、 「純粋な純水  粋とかかく。 こうじゃなかったかな? もっと、いや、ちょっとちゃうのだな、かんじと。」  二字目の粋は右下が木。  純粋な純水、だけなら、純粋な洒落だったんだけど、ごちゃごちゃつけたすのがいかにもwaka君の心記のふう。
: 「文化委員会なので、昼休み 会長さんのところに 卓球今日できぬ、といいにいく。 だが、文化委員会あっけなく終わり、卓球やらなかったのもったいない。  火■君、卓球やってて来ないだろうと思ってたら来た。」  文化委員会。おそらく文科系クラブの会議という意味ではなく、文化祭のためのクラブ会議という意味。  waka君は文学クラブの代表として、火■君は将棋同好会の代表として。  あっけなく文化祭をやろうということで決したんだろう。  この後、廊下で長■嬢とすれちがって、という順番(時系列)のようだ。
: 「机にすわってると、こしやかたがはる   おなかのこと気にしてるから。クラスの女やつらなんか、 気にするカチないんだから、リラックス、すべし!」  お腹がたるんでいるのを気にして力を入れるので、ゆったり座っていられないので、張る、凝るのかな、と自問。  自分を励まし、ほぐすための項。
: 「文学クラブノートやっとイト■■までまわってくる。そろそろぼくち。ウキウキ。」  こういう、仲間同志で書いて読みあうような、見せあうような、競いあうようなのが、waka君の好み。  文芸関係だから、いわゆる「座」ということになるのかな。  ひとりで悶々と何かを書こうとしてもどうもノラない、進まない、いいのができなかった。  (こういう自分の好み、性質にもっと早くちゃんと気づけていればよかったのにね。 先入観から(明治大正の文学者たちの印象?)、作家とか物書きはひとりで机の上でがんばるものだと思っていて、二十代以降、おもにそういうふうにやっていた。 思い返せば、のらない、すすまない、いいのができなかった)
: 「化学 (1)      」  化学の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、1項目分の空白。  何度も書いている通り、授業ノートはすでにこの世にない。
: 「■バラさん もう帰ってる。なんでえ? 《 二人の席位置関係図 》 」  ■バラ嬢、初登場だろう。  このときはあまり気になるような容姿ではなかったか。(彼女の名を暗号化せず記してもよいようだし)  → 状況は言葉足らずで、謎。  考えられるのは、例えば、化学の移動教室から最初に戻ってきたつもりなのに、先をこされていた、とびっくりして、とか。
: 「ぼくは、中学のときのように3Cになったのだなあ。」  「■■高で3年連続同じクラスの人いるのかしら?」  中学では三年間Cクラス(クラス替えなく三年間全員同じ)。  高校では毎年クラス替えがあり、TF、UAときて、今年VC。中学と同じになったなあ、と。
: 「A5■■、化学でさされ、ここまではきこえぬくらいの小さな声でとぎれとぎれ答える。  「それじゃあ、〜なのはどれ?」  「・・・」← 何かいってる。「と」としか、きこえなかった。  「そうですね、銅だね。」   こういう調子。その1つの問題の各段階でいくつかきかれる。   はじめ「ここはどうなのかな、A5■■さん」とさされ、   ふつうなら、自分で全部いう?」  しどろもどろ。  ここだけ読むと、オ■嬢、化学の若い男先生にいじられてるかにみえる。  けれど、まあ、彼女のことだからマンガの隠れ読みをしていたか居眠りでもしていて指されたか。  → たった今気がついたが、ここはどうなのかな、は、銅なのかな、ではないとは思うが、 先生が暗に答えをほのめかしていた、という可能性もありかも!?  いやあ、ほんとにただの偶然、たまたまのほうか・・
: 「また、ひどくエンピツ書ばかりになってしまった。このページで、ここより以前、すべて。」  このページでは、1/4ぐらい、ボールペンで書けたのは(清書として書けたのは)。  おおざっぱにいえば、余裕時間に比べて書きたい事が多過ぎる、 密度が濃すぎるときはエンピツで走り書き(仮メモ)にならざるを得ず、 逆のときはボールペンでおちついて書ける、というふう。  また、ご覧のとおり、時系列ではなく、書きたい事を思い出した順に綴っているようだから、 時間順に直せば、体育などの授業>昼休み、文化委員会>長■嬢>化学の授業、オ■嬢>■バラ嬢、ということになるのだろうか。 なので、このあたりからボールペンで書いているときはもう放課後になっているのかも。  午後は、五時限目、六時限目があるのがふつうだが、三年生になると五時限目までしかない曜日が二日ぐらいあったと思う。 (この1974/06/14は金曜日)。
: 「化学の授、後半、ワライ声、おこりだす。」  雰囲気が弛緩したよ、という意か?  本日の学校がまもなく終わりで皆の気分が。
: 「今日、よく、体育の時間、このノートに、かくきにならなかったなあ。 (他の時間はすべて、ダーダーかき、かきすぎぎみ。) 」  他の時間は書きすぎるぐらいで、体育の時間も書いてしまいそうなところを、よく書く気にならなかったものだなあ。 という反語的な文意でしょう。  (これ以前のページからつづいている、一時限目から)ダーダー書いたものを(放課後落ちついてから?)眺めているのだと思う。  (とはいえ、エンピツ書きを清書するまでの余裕はなし)
: 「文化委員会、放送くりかえしていうのきき、そのあといくらかして、 ぼくが会長さんの方へいったり、してるうちにまた放送あり、計4回ぐらい耳にはいったはずなのにどこでやるか聞きおとす。 → 2度目の放送は大会議室にむかうとき聞いたはず。 大会議室のつもりでいったらしまってる。  で、どうしようかと考えてのち、放送室いって、女2人、男1人放送クラブ員いたので、 どこでやるんでしたっけ、ときく。  地理教室。」  これはwaka君、ナイス判断だな。合理的だ。  まあ、三年生ともなれば事情にも通じるし知恵も働く。
: 「3Bに、2Aのサ■■君(同好会)にちょっと似た人いる。 よくみる顔。」 「3Bを2B」  サ■■君は将棋同好会の後輩。  音や字のまぎらわしい語句にwaka君は相当に敏感で(気になるのか好きなのかもう癖なのか) よくここに並記しているが、 それの拡大版なのかもしれない、似た人という記事も。
: 「また、化学の時間の半分以上、 もしくは、化学の時間の労力の半分以上をこのノートかくのに、つかっちゃった。」  われながら困った習癖だ、と軽く反省もこめている。  当時を振り返ると、その教科の授業内容をどれだけ習得できたか、よりも、 授業内容を授業ノートにどれだけ書き残せたかのほうが、大切だったかのよう。  それがそのまま、授業時間に授業ノートだけでなくさらにこのノート(心記)にまでどれだけ(こういうことを)書き残せたかが、 心の充実感の上乗せになっていたかのよう。  そして行きすぎて、授業ノートは書き漏らしがあろうと、心記がたくさん書けていたらそれでもいいや、じゅうぶん穴埋めになってる、になっていたやも。  → 書く、という行為には魔性がやどる。ご覧になっている様相がその典型例かも。
: 「 「Aの半分、もしくはBの半分以上」  →「Aの半分のみか、もしくは、Bの半分以上。」  →「Aの半分以上か、もしくはBの半分以上」  どちらにもとれる? 下にはとれない? とってもいいとは思うが。」  下にはとれない、に賛成。  ここで吟味して、前項にあとから「以上」を挿入しているな。
: 「せなかいてー。」  「ぼくは、いすにすわるのでなく、ねころんでるのが、合ってる。」  心だけでなく身体も横着。  何十年も昔から使い古されたような木製の机と椅子。高校生男子の体格には小さめだった気がする。
: 「のりちゃん、化学おわってうしろむき、  ぼくが、ちょっとこのノートかくすようにして、かきつづけるのみて  みえないよ、そんなきたない字、それにさかさからじゃ、  とかいう。」  例えば絵がメインであれば、他人の目をひいたかも。 うまいへたどちらであれ。  ひとりで、歌いだしたり踊りだしたり、というのもありそう。  そういう没我奇行と同じなんだと思う。文字だらけなので幸いにも目だたないけど。 学校なので一心にノートにかきこんでいても不審がられないけど。  (目だたず、不審がられずゆえに、遠慮なしという面もあるか)
: 「ウチ■君  「ヤア」「ヤア」 アイサツ  「だいぶ、カミ のびてきたねえ」  「そう?」  「そろそろバーマして、チリチリにしなさい。」 」  waka君の髪、伸びてきてる。ボウズ頭から様変わりした、ということかもしれないが、 すでにボウズ頭は大過去で、ふつうの長さになってひさしく、その上で、 髪が伸びすぎではないか、という挨拶かもしれない。  にしても、パーマは大きなお世話なので、ウチ■君、書きとめられてしまったか。  → ぐちゃっとしてる語尾は、しなきゃ。の可能性もあるが、可能性としては、しなさい。のほうが高そう。 さの字がはっきりしないので重ね書きするとこうなりそうだが、小文字のやはいいかげんに書いてもこうはならないと思うので。
: 「イチ■■君メガネかけて歩いてくるの、事務室の前ですれちがったけど、 はじめだれかわかんなかった。メガネのためにか。」  イチ■■君は、二年の三学期、隣の席だったことがあるようだ。 初登場が『1974/02/12 三輪車をこんなふうにして、「アメヤ」』 。    
: 「理科系、   漢文補習 まったく文科と同じ、  → ●君よりおしえてもらう。文科だけど、毎週でてるんだって。  ミズホと高■氏  おもしろいよ、きなよ だって。」  理科系には漢文授業はないので、希望者には放課後補習がある、と。 それが楽しい雰囲気だからおいでよ、と(理科系のミズホや高■氏から)誘われたわけだな。 ●君はさそいにのって、出てるわけだ。  しかしまったく同じなら、二度受講するってことでしょう。漢文は好きだけど、waka君、そこまでヒマ人じゃないよねえ・・

※ 『1974/06/16 女の人の乳房は、』
: 「明日 8時半、千葉駅 裸像の下」 「9時イナゲ東口」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  16日日曜日、将棋県大会の往路での、千葉駅での待ち合わせと、稲毛駅での待ち合わせ。 メンバーを拾っていくような行程か。 会場は千葉駅から東京方面に乗っていった先のどこかの街の高校だろう。 (waka君らは千葉市だからいいけど、銚子とか房総辺りから参加の高校はほとんど旅行になっちゃう)
: 「1度、印刷所いって、相場をきいてくるのだ!!」  これは文学クラブの文芸誌関係でしょう。  (前もって書いておく。お金関係だが、学校からいちおうの部費はでたはず。 これに前年文化祭での売上を足したものが、文芸誌製作の予算。ぜんぶ使って部数を刷る。 できあがった文芸誌を売って得た今年の売上を来年のためにとっておく。 というのが、先輩から引き継がれてきた文学クラブの伝統的なやりくり)
: 「夢。  男女のはだかなんか。多くでてくる。  女の人の乳房は、《 絵 》というようにもとでくびれてるように思ってる。」  ふつうは目にしてはいけないものを目にしているんだというドキドキはあっても、 疑問はわかない(すぐには)。 夢の中あるある。
: 「将棋の新旧対抗型で旧型が、5数の位、とってきた時か、 フリ飛車に対して5筋のくらいとってきたとき、 6筋の歩きっていったとき、へんなふうになるようなこと、ゆめうつつに考えている。」  後半は、大会前夜の夢らしいといえば言える。  具体的な局面、へんなふうとは何を言っているのか、今の私にはうまく伝わらないけど。
: 「印□ 印刷をこうかいてしまう。」  □は、尸のなかに共。  現場は、上辺エンピツ書き。
: 「■■コ、きいろいインコ、メスなの、オスとかえてきたらしい。 どっちかかえてきたんだって、両方メスだとこまるから。」  上の妹、インコのことでデパートに連れてってとだだこねていたけど、 どうやら願いはかなったようだ。『1974/06/10 たぶんノリちゃんをみてた。』参照。


 きのうは時間ないから、ひとえかたむすびでいったのか。


 がっている
        )
 がってる


 将棋県大会、ぼく全敗。会長さん全勝で、■■ザイ君1敗。火■君2勝、太■君1勝。
 6回ヤル。


 いくとき、千葉駅まで自転車のってったんだけど、 昼頃、そのカギがどっかいっちゃったのに気づく。
 可能性
(1) かぎをかけて、もってきたがとこかにおとした。
(2) かぎをかけずにきてしまった。
 イ)かぎがかかっていなくて(つまり、自転車のカギ、 自転車についてる)、だれかにのっていかれ、帰ったときない。
 ロ)かぎかかってないが、だれもぬすまなかった。
 ハ)だれかがいたずらにかぎだけかけもっていった。自転車はのこる
  ↓
 結果は、自転車あったけど、カギかかった。
 (1) か (2)-(ハ) のどちらかだろう。
 そこで、自転車ドロボウみたく、手に黒い油つけ、 カギをいれる器具(これが車輪まわるの防ぐ)をまわして、のってくる。 (かんたんにまわるの知ってた。)
 走るたびに、キ、キ、キ、と、小さく、かすりあっている音がした。 (完全には器具をまわせなかった。)
  ↓
 明日からは、自転車にのるな、と神様にいわれたような感じ。明日から歩いていこうか。


 うちに帰ってズボン着変え、もしやと思って、ずそをもってさかさにしてみたら、 太ももの内側の部分、左右とも、すれにすれて、すけてみえてる。 やや、と思い、しばらくそれをみててから、これもぬいだワイシャツを、 ズボンの内側に入れてみれば、白くすだれにみえる。
 ガ〜〜〜〜ン。
    と感じる。
 自転車にのって、せっせといつもこいでるのだから、すれてあたり前だが、 この前みたときは、なんともないので、そのままにしておいたのだ。 このときより、これはじょうぶなずぼんだな、と思ってる。
 今まで、何日間、何週間、このスダレを、女の人や友だちにみられたのかしら?
 ちょうど、中間なので、よほど、前かがみにならねばみえなかったろうし、 大またで歩かねばみえなかったろうけども、それでも、何回かが、誰かにみられ、にがい顔されただろう。
 特に、自転車にのるとき、おりるとき。
  ↓
 足ふりあげてのるやつでも、
 足ふりあげておりるやつでも
 前から足入れてのるやつでも
 前から足だしておりるやつでも。


 ガ〜〜ン。きのうまで、あんな平和だったのに、やなことが、重なってしまった。 (でも、それほど、心、重くない。わりと軽い。それでも)


 今日、秒読み2つやったためか、声かれちゃった。


 ぼくうちではほとんど、食うよ という。


○ 「きのうは時間ないから、ひとえかたむすびでいったのか。」  自転車の荷台の縛り方だろう。  将棋の県大会だが、多数が集まり多数が対局するため、 おそらく、会場の高校だけでは、盤と駒が足りない。皆で持ち寄る。  よって、waka君には少なくとも盤と駒の荷物がある。 それが入ったかばんか手さげを荷台にくくりつける。  そのとき、きのうはひとえかたむすびだったようだから、何々、と気づいたんだろうなあ。  その何々がわからないけど。  後述の自転車の鍵紛失と関係するのかどうかも、今となっては、わからない。  → 「がっている  がってる  )」  と共に、エンピツ書き仮メモだから、朝起きて大会に向かうせわしいときのものかと思える。 が、しかし、位置的に、大会がおわって帰って来てからの記載と言えなくもなく、はっきりしない。 (仲間と合流後、県大会の最中はここに記載する余裕全くなかったようなので、この辺り前後で七八時間は経過していると推測)
○ 「将棋県大会、ぼく全敗。会長さん全勝で、■■ザイ君1敗。火■君2勝、太■君1勝。 6回ヤル。」  ということは、会長さんが6勝0敗。■■ザイ君が5勝1敗。 選手五人同士の団体戦だから、火■君、太■君の勝ったあたりはチームも勝ってるってことで。成績はトータル3勝3敗ぐらい?  (部員が五人に満たないチーム、帰りの電車がなくて早退せざるを得ないチームなどもあった)  → しっかし、ふがいなし、waka君。  (前会長のwaka君と会長さんが3年生。あとの三人が2年生。 覚えているのは、第一席、いわゆる大将には会長さんを座らせ、第五席にwaka君が座るという編成をwaka君が組んだということ。 第五席は末席だから実力上位のはずのぼくが勝ち星を稼ぐという目論見だったと思うんだが、0勝6敗とは、なんというなさけなさ・・  会長さんと■■ザイ君が県レベルでも鬼のように強かったということだから、waka君がせめて半分でも勝っていれば、優勝まであっただろうに)  会長さんになかばたしなめられたか。後輩たちの手前でもふかく恥辱を感じた。・・ように覚えているが、なんだかはっきりしない。
○ 「昼頃、そのカギがどっかいっちゃったのに気づく。」  午前中三連敗ぐらいしていて、皆で弁当を食っているとき、 あれ、カギがないと言って財布を開けたり手さげに手をつっこんだりからだじゅうをさわっているwaka君。 みえるようだ。  たいしたことじゃないと皆に言い訳しつつも気になり、午後の勝負の最中も心の隅にひっかかりつづけたんだろう。
○ 「結果は、自転車あったけど、カギかかった。 (1) か (2)-(ハ) のどちらかだろう。」  (1) だろう。 (2)-(ハ) はファンタジー。
○ 「そこで、自転車ドロボウみたく、手に黒い油つけ、 カギをいれる器具(これが車輪まわるの防ぐ)をまわして、のってくる。 (かんたんにまわるの知ってた。)」  なんという。カギの用をなさないカギ。まあ、精神上では防御にはなっていたか。
○ 「ガ〜〜ン。きのうまで、あんな平和だったのに、やなことが、重なってしまった。」  将棋0勝6敗、自転車カギ紛失、ズボン股スケスケ、泣きっ面に蜂の典型です。
○ 「(でも、それほど、心、重くない。わりと軽い。それでも)」  これは、負け惜しみというか、自分に偽っている感触がある。  あるいは、重すぎて、実感がない。  → 今から振り返れば、  内股が透けてたって女の子じゃあるまいし恥ずかしいなんて高い声だすんかい?  布がいつかすれて薄くなるのは当たり前なんだから気がついたら交換するなり継ぎを当てればいいだけ。  自転車のカギなくしてもちゃんと乗って帰って来れたじゃん、あってもなくてもいいものだったじゃん。  全敗? ただのゲームでしょ。命もお金も一ミリも減ってない。 ずっと同好会で切磋琢磨してきたとはいえ、負けるときは負ける。 悪い流れにのまれてしまうと欲しがるほど焦るほど勝ちはとおのき手からこぼれおちるもの。 勝負なんだから、誰かが勝ってよろこぶためには誰かが負けてくやしがらねばならない。 お前の恥辱は誰かのほまれだった、ムダでも悪でもない、むしろ因果を回してご苦労様だよ。  今から振り返ればね。  当日の帰宅後は、連打で崩れ落ちそうになるのをささえるため、自分を偽るぐらいしても許してあげたい。
○ 「ぼくうちではほとんど、食うよ という。」  これは謎だ(始めのほうのひとえかたむすびも謎だったがこれも)。  ぼくうちで はほとんど、と妙な空白があるので、はほとんど、が別字かもしれないけど思いつかない。  大会会場で、あまり食べなかったので、食欲ないのときかれ、上のように答えた、 戦果のふるわなさで頭がいっぱいで受け答えもうわの空、妙ないいよどみもして、 というような事情かなあ・・ 半日前の自分を思いだして書きとめようとした?  書いてるときは自明のことだったんだろうけど、言葉足らず、半世紀たつと。  ぼくの場合、外では「たべる、たべます」というけど、内ではたいてい「くうよ」という。 こういう文意なら、べつに将棋にも大会にもたいして関係ないかもしれないが、 書かれている場所が微妙なのだ。
: 「野球のかんとくさん、体わるくして休むことないのかね?   かんとくさん、体わるいとき、選手がほとんどかってにやるの?   川上かんとく、選手のとき、欠場したことないそうだが、かんとくの時は?」  wikiによれば、この年、1974年の終盤、川上から長嶋への移譲がきまる。
: 「中東戦争って、いつ頃のことだっけ?」  この辺り、新聞を開いているのかな。  やはりwikiによれば、中東戦争は一次から四次まであり、 この年の前年、1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発し、同10月23日に停戦となっている。
: 「えんさ」  怨嗟の声、などで、これも新聞記事か。
: 「てつぼうにぶらさがってるクマちゃんの木製のおもちゃ、 ちょっとひっぱったら、頭とれ、入れてから、カチャカチャやったら、とれた。 頭どれやすくなった。」  そういうオモチャがうちにあったようだけど、記憶になし。誰のものか不明。
: 「トイレいこうと思ったら、だれかはいってる。 で、もどろうとしたら、カチャカチャとあける音するから、 ひきかえしてみれば、お母さん上半身ハダカでポッとでる。(フロにはいってたのだろ。)」  まったくまあ、お恥ずかしい、うちうちのようす。
: 「おもしろい言葉づかい1つ忘れる。」  「ぼく、といれにはいるとき、大でも小でもカギしめるのだっけ。 無意識のうちにやっちゃうから、覚えてない。」  なんでもかんでもちょっとでも心にひっかかれば書いてる。ここら。  マメ、神経質、というよりもこれは、取捨選択をはぶく横着なのだと思う(むしろ楽で)。
: 「 「お姉さん、このズボン、アイロンかけて。」  「アイロンあいてるよ。」  「ハハ、ろこつないい方。」 」  笑。  甘くない姉。
: 「鯰 鯉 )?」  なまず。こい。
: 「幸甚」  こうじん。
: 「接觸 接触 )?」  觸は異体字。
: 「射壇」  うーん、だいたい意味はわかるんだが(戦場の用語?)辞書にはなし。  (ネット検索すると、エッチなサイトがいくつもヒット)
: 「誉富」  これも辞書になし。ほまれととみだろうけど。  ネット検索すると、社名とか人名だな。
: 「食い入れる  食い入れた」  食い入る、はよく聞くけど、本項の形は案外少ない?  読めないわけはないので、何に反応してメモしたか(並記のわけも)よくわからない。
: 「太■君は魅力のある人だなあ。」  将棋同好会の後輩。昼間、いっしょに戦っている。  前日(他頁に)だが、 「新しくドリフターズにはいったやつ、 そのカオダチ、スガタ、オドケることなど、■■高の太■君ににてる。」という記載がある。  彼は、志村けん似らしい。
: 「スビなす」  これも謎。茄子なのか。動詞なのか。  辞書にはない、やはり。  なすび、ともいわれるから、茄子のほうか、どちらかといえば・・ 
: 「 「負けたり、泣いたり、苦しんだり、何回も何回もいためつけられて、 そして、自分で立ち上がる力を持たなければいけない。」  → こうなのだ!!  「困れば困るほど、苦しめば苦しむほど、 自分の力でこれを突破すれば将来大きく育つのだということを考え、 勇気を奮って前進してください。」  → タカハシタカヨシさんの。」 (大敗したあとの)今の自分に向けられたような励ましに(今夜ちょうど)出会えて、 抜き書きしているのだと思う。うれしくて。書籍からか。なにかの記事か、ラジオの声か。  しかし、タカハシタカヨシさんというのが誰だかわからない。 検索してもヒットなし。あまり有名人ではないのかも。  高橋義孝(たかはしよしたか)氏(ドイツ文学者、評論家、随筆家)が、字づらの類似で出てはくるんだが。  → 本項の文言で、誰の著作かと、Copilot に質問したら(AI相手だからできる無茶な質問だけど)、 松下幸之助氏のそれではないかという意見。しかし、具体的な書籍名はわからないという。
: 「しかし、このままでは、なんのとりえもない男になってしまう。 (すでにそうなのだ。)勉強も、将棋も、作文も・・・  これじゃだめだ。どれか1つでも、みんなでも、できるようにしなくては!!」  さりげなく、みんなでも、といれる所がよくばりというか、謙虚ではないな(^^; まあ、本音でしょう。
: 「 「万根錯節に会わずんば、何ぞ利器を分たんや。」 」  流れからいって、これも、タカハシタカヨシ氏みたいだが?  なんとなく宗教書っぽい。waka君まわりでこんな本は、父親の蔵書だろうか・・  → 調べたら、元々の出典は後漢書。 「盤根錯節に遇わずんば、なんぞもって利器を別たんや」が原典に近いらしい。
: 「視学」  学事の視察、監督にあたった昔の官職、ということだが、でどころは同じか。
: 「漢文教科書の清書やって、心に一本とおすつもりが、きのうやらんかったので、今日こそやる!」  それがここまでの抜き書き? それともこれからやる?
: 「呵呵大笑い」  呵呵大笑(かかたいしょう)で辞書にあり。
: 「“大魚は遂に小池に棲まず”」  いろいろ落ちこむことがつづいて、なんとか、自分をもりたてよう、立て直そう、という方向性は感じる。  本項のチョイスは、少々強引に引き上げてる、傲慢? という味だけど、まあありかな。
: 「ただ文をかくだけの芸術家になるのはやめよう。 何か自分になっとくのいく仕事をしながら、文をかこう。  その仕事は、大金のための仕事でなく、人のための仕事である。 あまりいまの人のやりたくない仕事だろうから、ぼくも入れてくれるだろう。」  いわゆる、善行、献身、そっち方面に感化されそうな匂いはするが、若者らしい清潔さ、いさぎよさがある。  物書きとして、または人として、尊敬に値する。有言実行できれば。  横着、怠惰、愉悦、そういうのも大好きなwaka君だから、いろいろまぶしつつなら、ありかもよ。
: 「 「夢の実現の前には何ものも、恐れるものなし。 ただ、恐ろしきは、堕落のみだと思います。」 」  「 」付きだから、もちろん引用だろう。  堕落をきらう辺り、明治のころの精神(こころ)を感じる。  清濁併せのむようなのが昭和ではないかなあ。
: 「よし、ふろにはいったら、漢文の清書やって、のち、勉強やるのだ。堕落は、やはり、やなのだ。」  落ちこみは、だいぶやわらいだか、深夜となって。  自分としては平常心を取り戻してきたようだけど、朝になれば学校に行く、皆がいる、同好会の面々にも会うかもしれない。 きのうのきょうでは、まだ顔を伏せてしまうかも、さすがに。

※ 『1974/06/17 れとかいたつもり』
: 「1974.6.17〜]  心記第10巻の第1頁上辺エンピツ書き。
: 「会長さん、ぼくと卓球やってると、じめじめして、不快になるって。変化球ばっかりだから。  会長さんに不快に思われるのは悲しいから、以後こころよくできるようにしよう。」  これは率直に言われちゃったけど、友だからこそなんだろうけど、悲しい。 しかしなあ、こちらも好みの戦法ということになるからなあ、言われたからといって爽快な打ち合いを指向するというのもなんか違う気がする・・  会長さんのこの不快感の表明は、もしかしたら、前日の将棋大会で全敗したwaka君の不甲斐なさに幻滅したために、それを非難する代替として口に出たものかもしれない。そういう心理ってありそう。
: 「お母さん、■野先生にこのノートのことも話したといってたなあ。」  waka君の担任の先生に、保護者面談などの席でだろうか。  勉強しないでしじゅう変なノートを埋めています、とか?  まあ、だとしても、相談、苦情、というより軽めの話題ていどに今なら聞こえるけど。  (■野先生からwaka君へこのことで何か言われた、という記憶もない)
: 「ノリちゃんわね、結婚しないんだって。  50才までに、ノリちゃん結婚したら、ぼくに1万円払う。けっこんしなかったらぼく払う。」  という戯れ言での賭けをしたわけか。まったく忘れていた。  後年のはずだけど、逆に、ノリミツが結婚するようなことがあったら祝儀で10万払うよ、という約束もしているはず。こちらは覚えていた。  彼は、海外遊学中にあちらの女子とねんごろになったようなことをいっていたが、 結局、日本人女性と結婚しており、結婚式には呼ばれなかったがその後会うことがあって、10万を要求されたはず。こちらは笑って冗談にして曖昧にしたけど。  つまり、まあ、本文の1万も、その後の10万も、約束は実行されなかったのだ。
: 「右あしのうらの前の部分。いたい。卓球でつかったから? 《 図示 》 ここ。」  「右あし、これ? 《 図示 》 これ? ← れとかいたつもり」  足と脚だわな。  文字なら区別はつくけど、声だと両方にとれる。  それでも同じ「あし」と言ってけっこう(誤解なく)通じてるわな。  これは「あしがいたい」などと言いながらそこを叩いたりするからだろうか。
: 「しのら君の名は?  篠弘?  新聞に、えらい短歌研究家が、この名なのでてる。」  しのら君はあだ名。下の名前も正しくは篠弘ではない。文学クラブ員。  wikiによれば、篠弘(しの ひろし)氏は実在する。当時41歳だが「えらい短歌研究家」としてすでに新聞に載っていたわけだ。 この後の業績こそがそうそうたるもののようにお見受けする。
: 「たべられる、のめる せんざい。」  洗い残しても無害な台所洗剤というのはあると思うけど。  洗剤にもなる食品というほうなのか。(例えばイモと豆を一緒に洗って、とか??)  この下では、漢字がついに書けなくて「クソー、ワカラナイ!」
: 「このごろ、1日に1か2盃はコーヒー飲む。  → これでいいのか?」  今は杯を使う、ふつう私は。  コーヒーはインスタントで、ホット(ミルクや砂糖なし)だったと思う。
: 「●君は、こっくりさんをやるんだって。」  真逆の、やなんだって。にも見えるが、じっくり見るとやはり、やるんだって。
: 「物理のとき、下■君は、ぼくのこと、僧になる人みたいといい、 あきゃはまじめなサラリーマンになるみたい、という。」  僧にはならなかった。  (まじめかどうかはしらないが)サラリーマンには(一時期なら)なった。  「給与をもらう人」になら、ざっと通算で何十年もなったが。
: 「●君は小説も書いてんのかねえ。なんか、4月の自己紹介の時、言ってたよ。」  (同好の士として文学クラブに誘いたいのかどうか)waka君は●君にすり寄ってるようなんだが、 ●君はやや冷たい。
: 「コーヒー茶わんあけとくと虫がはいるので、下にちりがみしいて、下にむけておく。」  この頃、自宅にクーラーはない。  風通しの良さでしのいでいたはず。  (もっと暑くなると、団扇、扇風機)  いちおう網戸だが、素通しの所も多かった。
: 「むだとろう  無駄な徒労 :いいすぎ?    水■君とタツオが、白い白馬というのと同じといってたよ。」  畳語表現。頭が頭痛なんかもよく例にされる。
: 「ニャシャは、一人で帰るのさびしい、とノートに書いてたけど、ぼくは、一人で帰りたい。 だれかと帰ると、たのしいこともあるが気つかって一人のときほどの解放感少ない。」  ニャシャは、文学クラブ員。  ノートは文学クラブの回覧ノートであろう。  (この頁、友人がやけにでてくる)
: 「いみじくも」  適切にも。まさに。よくも。  すでに、意味が直感できません。辞書をひく。
: 「いわばしる、たるみの上のさわらびの もえいづる春なりにけるかも。   と? に? )どっちだっけ?」  春に、でよしでしょう。  万葉集。志貴皇子(しきのみこ)。
: 「この頃は、タ■■さんと、すれちがっても彼女が友といるときなら、共に笑顔で(あって)、 互いを気にするようすなどなく通りすぎられる。  でも、一人と一人ですれちがうときはどうかしら?」  文章のこなれまで、苦しげ。  疎遠になるにしろ、どうも、こじれつつだなあ。  大人なら、冗談を一ついったりしてほぐすすべもあるだろうに。(疎遠になるにしろ、ね)
: 「1度できた作品は、もっと間単にならないか、もっとかんたんにならないかと必死にすいこうすべき?」  簡単。こういうときに使うなら、簡潔だとは思うが。  べつにそうしなくってもいいと思う。ただ好みとして私は長い間この線でいってる。
: 「 「新らしい文学じゃなきゃ、書いたって、意味がない。」  というようなこと、田■先生言ってたが、そうなのかしら?」  文学クラブの顧問の先生。額から頭頂まで禿げ上がっておじいさん先生のように見えていたけど、 純文志向だよねえ、今からながめると。狭いというか若いというか。  まねしんぼじゃ、つまらない、ということなら賛成。  伝統を壊して、ということなら、ちがうと思う。  すべて新しいってことはありえないわけだ。 キラキラ新鮮なツブが垣間見える、というかんじをいうのかな・・
: 「右目のものもらいのとこ、かなりかたくて、中にかたい肉か何かはいってるみたい。」  ほほう・・ 半世紀後の現在、そのような異物感はまったくない。さわってみても。 時経てすっかり治っているってことは、いわゆる良性の腫瘍(腫れ物)だった? 腫瘍までもいかないか。
: 「かたい軟骨。」  これは畳語とはちがって、矛盾表現!?
: 「ぼくは、私小説的なのか?」  なんじゃ、私小説的、とは。自省タイプってことに近いか。  自意識過剰ぎみとか。  要は、フィクション系はあまりいいのが書けていないと自認している、というだけだと思う。 (今からながめると、よく書けたと自認しているらしい作品も、ほんとにそうかい、と苦笑いだけど)
: 「朝は、すこし早く行けば友といっしょになることないが、 帰りは、僕がはやく帰ろうと思い、早く帰る人多いのでだれかといっしょになりやすい。  歩いて、行って来る場合。  歩くのは、生活がしっかりしてれば苦にならないが、 帰り、友といっしょにならぬよう、一人で歩いていけるようにするにはどうしたらよいか?  → 道を変える?  時間をわずかながらおくれさす?」  ふむふむ。  自転車で行き帰りすればいいだけのことのはずだが、自転車は前日鍵をなくして、不完全状態、 今後は歩こうかなどと書いていたはず。つまり、この週頭の6/17は、徒歩で往復したんでしょう。  にしても、一人になりたいみたいな傾向は、めずらしい気もする。将棋、全敗、まだ尾を引いているか。
: 「1つ忘れ。  お母さんとギャーギャー いいあったら忘れちゃった。」  母と息子、どうにもそっくりなところもあって、そこがぶつかるとギャーギャーになったりした。  → 母と言い合ったのは後述から夜中におきて風呂に入る前。:(2)  → 左領域からここに矢印で、 「書くこと ここでもう2つぐらい忘れたかも。」 これがおそらく朝方になってからの思い出し。:(3)  → 次に書かれている夢は、夜中におきるまでの間にみたもののようだ。:(1)
: 「夢。  柱をたてて、家にして、とにかく、そういう夢みる。  《 ほったて小屋二軒の絵図 》  こんな家。  この夢は、前にも見てる。」  住みやすそうではないな。  ひざを抱えて隠れているにはよさげだ。
: 「7時から、12時までねる。  お母さん、フロにはいれとギャーギャーわめき、ぼく「わめかないでよ。」 といって、おこり、いいあらそう。」  親子、きょうだい、よく言い争う家族でした。 その中で、父親だけは、感情的になることはなく、比較的穏やかでした。 まれに不機嫌なときはあったけど、声を荒げたって記憶はほとんどない。
: 「 「こんな夜、夜中にギャーギャーさわいで、お母さんおかしいんじゃない? 」  というセリフをそのままぶつけたのか、言いたかったことをここに書いたのか、 とじていないかぎ括弧なので、微妙だ。
: 「なぜ、8時におきられなかったのか?  いつ頃か、■■リがきて、ぼくとねたのだ。 ぼくのよこにねたのだ。で、どけろ、とか、やだなあと■■リについておもいつつ、 自分のことはわすれちゃったのだ。  → だっけ?」  兄妹で添い寝、か。夢の中のことじゃなさそう。  ■■リさん、急にどうしたのか。 さびしいことがあってそれが母との諍いだったりしたため兄に甘えた、などだろうか。  文脈から、この8時は夜の8時で、めざましは7時から1時間で鳴るようセットしていたようす。
: 「ねぼけて、  おフロを映画と混同する。」  通路の南側に応接間、北側に脱衣場などがあった。  風呂にはいりにいくのに、応接間のTVで映画をみるようなつもりがしていたということのような。
: 「フロ場にきたオウセツ間で時計が12時ならしてる。そういうのきくのめずらし。」  たまたま遭遇。無人。
: 「今日、地震があるんだっけ?」  あったんだっけ、の誤記でないなら、だれかの予知があったのか?   どこかで、冗談あるいは、フィクション上のこととして、そういう設定があって、 それを思いだした、とか?  なんだか、夢うつつが混じりあってて、これもそれのような。
: 「■■リは8時にかけといためざましをどうにかしちゃったのだ。  ぼく、半分ねてたので、それ、とがめらんなかった。  ジャリリリ〜〜ンと、めざまし一度はなった。■■リがいるとき。」  「ぼく、たたみの上にねてたのさ。」  「12時頃、おきるつもりが、とうとう、今までねたよ。今、7時10分前。 (フロはいってのちフトンの上に寝た。毛布1枚、パンツシャツ。)」  深夜の風呂をはさんで、12時間近く、寝てばかりかい。  朝気がついたら、畳の上に転がり出てた、と。  (怠惰極まれりだが、思う存分眠れて、しあわせそうでもある。若いからだがよろこんでいる、きっと)

※ 『1974/06/21 手を直角にからませる。』
: 「くつした!! アラウ!!」 「文学クラブの会合 → 6/20か6/21 !!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  文学クラブの会合は、秋の文化祭で文芸誌を出すか出さないかが議題のはず。後述からこの会合は、6/22(土)放課後になったとわかる。
: 「ブッダがただただ教えのために人に説くなら、まるで、ブッダは人間のためにあるようだ。 つまり、人間に附属したものとしてブッダがあるようで、ブッダの世界はそれほど強くないようだ。 強いなら、どうして、人間の世界のことまで気にする?」  授業か、書籍か、TVかで、仏陀関連のことに接して、つっこみを入れている、のでしょう。 どうも、そっちの領域の法則をふまえた上での理屈らしく、よくわかりません。  → ただただ人のために説いているのはなぜなのか、ブッダの動機がみえない、まやかしがあるような匂いまでする。 ブッダ自身は強い存在ではなく、何かから人に橋渡しするだけの、何かにすぎないのか(弱い存在なのか)。という懸念、気づきだろうか・・
: 「嚮 :?」  饗応の饗とは別字か。  手元漢和辞典によれば、嚮はむかいあう意で、嚮応(きょうおう)という熟語もある(すぐに応じて動きだすこと)。
: 「溶酪 : ?」  辞書になく、検索もヒットせず。  手元漢和辞典にもなし。  意味的には、溶けた乳製品のようなもの、か。
: 「(しらせ)とかこうとして (しらべ)とかく。」  丸がこいなので、心記で多用されている、調べよ、などを意味する符号としてのもの。 でも、(しらせ)、知らせよ、は珍しいか。
: 「恩寵」「闇黒 ?」  例によってこの辺り、このとき読んでおり目の前に開いている書物からの抜き書きと思う。 それぞれちょっと気になる、と。
: 「時間が経つ を 時間が立つ :松■君  }立つでもいい?」  辞書では、立つの語釈の中に〔(経) 時や盛りの状態が過ぎて行く。〕とある。時が立つと書いてもまちがいとまでは言えないよう。  → 「春が立つ」という。この感覚のまま「時が立つ」をよむと、なんだか詩的でもあるし。
: 「日本国憲法には、日本国籍にだれもがはいっていいとかは書いてない。」  人類普遍の原理をうたってはいるけれど、そこはまあ、現実や一国相応ということもわきまえている法令なのだ。  アメリカ人が原文を作ったにしては、見事な、品格のある文章になっていると思う。  これは、外国人にはできない翻訳だと思うんだが、日本の誰がそれをにない、完成稿をしたためたんだろう。  調べたくなる。
: 「県大会のときのんだドクターペッパーのあきかん、どうしたっけ?  かたすのわすれたのでは?  それやこれやのゴミで個人戦、できなくなったのでは?」  事情がよくわからないな。  例えば、幹事高校(の先生、または汗をかいている少数の生徒)がやる気をなくした、とかだろうか。  ゴミの始末をちゃんとしなかったのをとがめられて、waka君の高校だけ個人戦参加を拒まれた、ということではなかったと思う。 (そんなだいそれた事態があれば、ここに記すだろうし、記憶にも残っているはず)  なんらかの事情(団体戦で時間が超過してしまったとか)で、個人戦が開催できなくなった、幹事校からの説明もあったが明快な理由でなかったのでよくわからなかった、思い返すとゴミの不始末についてもその説明の中で指摘されたかもしれない、つまり、ぼくの飲みすてた空缶もその因をつくったのでは、と心配になった。・・というようなことかなあ。  → 団体戦のあった当日、個人戦ができなかったのはたしかなようだ。後日に順延されるかもしれなかった個人戦が(やはり?)開催できなくなった、ということが一週間近くしてはっきりしてきたのだろうか。  (例えば役所や将棋連盟などのしっかりした団体が後援についているとかではなく、あってもかぼそいもので、 ほとんど、有志の幹事の献身、声がけ(電話とかハガキ)による招集などで、やっと開催されていたはず。当時の高校将棋の県大会は。そしてまた、クラブ活動としての将棋自体も大人たちには、文化や教育の一環というよりは、遊びや趣味に毛のはえたていどのもの、そういう扱いだったやも)
: 「おかあさん おかね。 >あってる? 共鳴する? → よく使う言葉。」  なんやかや三日にいっぺんは請求してた。  授業料や文房具代だけでなく、(マンガではない)書籍のお金も出してくれるという約束だった。
: 「さん を 3ん」  おもしろい誤記だけど、ないことないかも。
: 「赤榿色」  せききしょく、とよむのかどうか。榿はハンノキのことと、手元漢和辞典。  赤榿色、赤榿、これらの熟語、ATOK、手元漢和辞典、ネット検索、すべて見つからず。  ただし、ハシバミ(榛)による染色については、万葉集の頃からあり。 ハシバミはハンノキのことらしいが、調べたかぎりでははっきりしない。  降参して、Copilotに訊いてみた。 〔 「赤榿色(あかはんのきいろ)」は、日本の伝統色のひとつで、**ハンノキ(榛の木)の樹皮や実を使った染色に由来する赤みがかった渋い色**です。特に、**ケヤマハンノキやヤシャブシ**といったハンノキ属の植物から得られるタンニンを媒染剤と組み合わせて染めることで、**赤褐色や赤茶色系の深みのある色合い**が生まれます。  この色は、古くから**武士の装束や庶民の衣服、紙の染色**などに使われてきました。『万葉集』や『延喜式』などの古典にも登場し、**自然由来の落ち着いた色味**として親しまれてきたんです。  ちなみに、ハンノキの実から得られる染料は**鉄媒染で黒っぽく、灰汁媒染で赤みがかる**という特徴があり、染め方によって微妙に色が変化するのも魅力のひとつ。  もう少し掘り下げて、赤榿色の使われ方や現代の再現例なども見てみます? 〕 とのこと。
: 「SF  SM : 推理小説の訳?  なんというのだっけ?」  サイエンスミステリーの略と言えないこともないが、ふつう、SMは、加虐と被虐の性愛。  waka君、わかっているとは思うが。  → mystery story なら、MSか。( ry が重なって語呂が悪そう。あちらの人の感覚ではどうなんだろ)
: 「化学のレポートうしつしてるけど、どれほどの意味があるのだろ。」  うしつしてる、は、うつしてる、でいいのかな。  人にはときどきあるのさ、今している苦労に意味がなさそうだと気づくことが。
: 「 (  )の順  (の順) 」  何かの順番のことを言いたい。  その言いたいことに〜の順と添えるとき、どっちの書き方がいい、という検討か。  → A、B、Cの順番だとしたら、「(A、B、C)の順」か「A、B、C(の順)」か、と。おそらく。  → もしそうなら、そして今なら、「A、B、Cの順」の一択だけど・・ まあ、文脈にもよる。
: 「おし■君、まったく、とぼけてるような人に思えるが、ほんとにそうなのかしら? 心底から。」  やわらいだ顔で話し方も素朴で、選ぶようにして答えてくれて、好かれていた。  彼と話すときは皆、つられて速度を落とすような、一息つくような、安穏とした気持になれた。  つくっているのでは、と、waka君はうっすら疑っているようだけど。  心底からは、本人もわからないかも。
: 「ぼくは利利私欲とあそびにふける為政者になる器であるのか?  そういう運命、歴史の中で与えられた役柄か。」  私利私欲。  そういうものに、なりたがってる(笑)  ← 少なくも、通常の(まっとうな)為政者になる器、という意(または自負)はほぼないと思う。
: 「修学旅行で、11時頃女の子をよんだなんてこと、その女の子たちの親御さんが聞いたら、 おこりもし、不安にもおもったろう。」  修学旅行から何ヶ月もしてから、これを思いだしてるのは、これで二回目では?  なんにしろ、冒険的な行為だったって自覚なんだろうけど、そんなにわすれがたいか、 そんなに悪いことしたと気がかりなのか。 (呼びはしたが、実際には女子たちは来なかったか、来てもすぐ帰ったのではなかったかなあ・・)  今から眺めていると、しつこく覚えていたりここに書きまでするのが不思議なぐらい、ささやかなことなんだけどな。 (それだけ、惜しかった、あわよくばだった、ということになっているのか、十七才男子高校生の脳内では?)
: 「ずっと前、イチハラにいったとき、お母さんのおじいさんの家のおばあさん、 とっとこ歩いていっちゃった。  あとできけば、千葉がきたと思い、タバコかいにいったのだど。  → ということお母さん話す。  ぼくもいったけど、忘れてた。」  そのおばあさん、waka君の曾祖母というわけではないはず。 千葉市の隣の市原にある、waka君の曾祖父の生家にこのとき住んでいた本家筋のおばあさん、だと思う。 いずれにしろ、九十才ぐらいで元気、ちぢんでいたけどちゃんと歩けてた、ような姿の記憶、わずかに今も残ってる。 千葉(の親戚)がきたと知って、なぜ、とっとこたばこを買いに行ったのか、はわからない。当時もわかっていたんだろうか。  → 現在waka君の母親は健在だが、同じく九十才を越えており、あのおばあさんと同じようにちぢんでいる。 やはり血筋かなあ・・
: 「おふろ おぷろ」  おぷろ。幼児向けっぽい呼び方。もう幼児のいない家だけどまだときどきは使われる。
: 「■■ナベ先生、授業中、ウルトラハカ/(バカ)という。」  古文の先生と思う。  古文ゆえに濁点を省いてる??
: 「狂想曲.」  「6月20  夢の中で、物理のグラフは、  《 グラフ図 》 北極星   というようになる、とある。  お西(中学)が対数やなんやらがわからん、あとはわかる、と聞きにくる。  まよ中のおまつりの夢もあった。」  夢のメモだが、現実に日付も変わった模様。
: 「■■高の坂のでこぼこ黒いアリ  → しかし、夏になると、皆、白いワイシャツで登校なのだ!」  いちおう排句?  なるほど。黒いアリは、黒い学生服で登校する生徒たちのことでもあったか。
: 「朝、自転車でくるノリちゃんみたが、日本史にでてこない。 ズル休みして、図書館にいってるのだろ。」  興味のわかない授業には出て来ない、三年生になって以降しだいにあからさまに。  劣等生waka君のほうは、それでもなんでも、授業には顔を出すというタチ。  (1時限目が日本史のよう)
: 「国語辞典なおしても、すぐぼろぼろ。」  今手もとにある角川の国語辞典もぼろぼろだけど、昭和五十一年発行の版(1976年)。 だから、本項の辞典はその前の初代。初代も角川だったと思う。
: 「このノートを4つにくぎると、教科書と、ノートの間から、顔をださせるにはちょうどいい幅になる。 (めだたぬ。かつ、かきやすい。)」  それを狙ったわけじゃなかったけど、結果的にナイス、のようだ。
: 「巻 巻 巻 }?」  下部がそれぞれ、己、巳、已。  正解は、己だ。
: 「日本史の■ボ先生、おしえ、を、おせえ、というように発音   OSIE  おしぇ }? 」  「■ボ先生 ■ボ先 ) 中学の頃だっけ、先生の何人かをこんなふうに呼んだのは。」  例えば鈴木先生をスズセンなどと略す。略して四音だと語呂もよし。
: 「Reader 自習だとか。  ウハハ、ハハハー!」  「自習だと知っていれば、りょうさいしいでももってきたのに。」  よろこんでます。苦手な教科でもあり。
→ しかし、どうしてあんなくそつまらなかったんだろう。英語関係。  今、Copilotに英訳させて、 "If I had known it was self-study, I would've brought Strange Tales from a Chinese Studio." などという一文を吟味するのは、わりとたのしいのに。  映画でしゃべっている英語なんかもかっこいいと思うのに。  ざっくりで言えば、高校授業の英語は、活きがよくなかった、死んだ魚だった、そういうことだろうか・・
: 「かわいい わわいそう」  並記したかったのは、かわいい、かわいそう、だと思う。  辞書は、かおはゆし、が語源ではないかという。長い時を経て、日本のサブカルチャーをになうようなことになって(まさにかおはゆし)、世界へ。
: 「A5■■さん、なんか、このごろ、Play girl のように思えてきた。 カミ型も、今日かえて、今までまとめてたのを、はずして、バットたらし、黒さめだつ、髪のね。 そして、ひまあれば、E2C2■■■と話して。(そして、平和そうなわらい声)  → なーどと、ねたましく、うらやましく思うとすぐ、ひなんするのかね、ぼく。」  髪のね、は、髪留め? 髪なのね?  自習時間中に、男女(オ■嬢、ニシ■君)がこしょこしょ談笑しているわけで、周囲の生徒たちは気になるわなあ。waka君に限らず。  そういうわけで、動揺を落ちつかせたく、下で写経のようなことを始めた(笑)
: 「気休め」  以下、漢文の転写をしている。漢文教科書からでしょう。  こういうことをやって、精神を慰撫すること、後年も唐詩選等で(ノート数冊分)やってます。


 雜誌     曹植

高臺多悲風  高台 悲風多く
朝日照北林  朝日 北林を照らす
之子在萬里  之の子 万里に在り
江湖迥且深  江湖 迥かに且つ深し
方舟安可極  方舟 安んぞ極す可けん
離思故難任  離思 故より任え難し
孤雁飛南遊  孤雁 飛びて南に遊び
過庭長哀吟  庭を過ぎって長く哀吟す
翹思慕遠人  思いを翹げて 遠人を慕い
願欲託遺音  願わくは遺音を託さんと欲す
形影忽不見  形影 忽ち見えず
翩翩傷我心  翩翩として我が心を傷ましむ

   文選

参照 http://sikaban.web.fc2.com/6zassi6.htm



 詠懷詩     阮籍

夜中不能寐  夜中 寐(い)ぬる能はず
起坐彈鳴琴  起坐して鳴琴を弾ず
薄帷鑑明月  薄帷に明月鑑(て)り
清風吹我衿  清風 我が襟を吹く
孤鴻號外野  孤鴻 外野に號(さけ)び
翔鳥鳴北林  翔鳥 北林に鳴く
徘徊將何見  徘徊して 将に何をか見る
憂思獨傷心  憂思して独り心を傷ましむ

   文選

参照 https://chinese.hix05.com/Gishin/g10.genseki..html


 たまたまなのか、ともに結語が、心を傷ましむ。
: 「ならしの 北ならしの  キタナラシノ :きたならしい」  北習志野は、駅名なら実在する。
: 「インデスクリプトゥ」  わからん。横文字にできればもうすこし追求できそうだけど。  困ったときのCopilotで、訊いてみた。


インデスクリプトゥ という英単語はある?

==============

「インデスクリプトゥ(indescript)」という英単語は、実際には存在しないようです。おそらく「indescribable(言葉では言い表せない)」や「indescriptible(同じく“言い表せない”という意味のやや古風な表現)」と混同されたのかもしれません。

ちなみに、「indescript」という語は一部の辞書では「形容しがたいもの」や「特徴のないもの」としてまれに見かけることもありますが、一般的な英語としてはあまり使われません。日常会話や文章では「indescribable」の方が圧倒的に自然です。

もし何か特定の文脈でこの単語を見かけたのなら、その背景を教えてくれたらもっと詳しく調べられますよ。


: 「今日こそ、ねないで、本よむか、もしくは勉強するぞ!」  まだ学校のはず。(それも午前中?)  これは徹夜をしようということではなく、数日、早寝遅起きばかり続いて(眠ってばかりで)、 家でほとんど何もできていないので、ということのようだ。
: 「膜 しら!」  調べよ、と。  まく。  まー、高三男子で関連ワードなら、処女膜、だろうな。第一に浮かぶのは。  (二十代なら、粘膜、かも。笑)
: 「オナサケや、完全おとしっこ やりたい。」  waka君らの周囲で流行った(場所的にも時期的にもせまい範囲で流行った)机上でするコインの遊戯、のねあて(金当て)の種目名だが、高三になって、もうそういう場が立ちづらくなっていたと思う。
: 「授受 : この意 読み )は?  : 浜■先生板書より」  化学の若い先生のはず。  さずけることとうけることだから、受け渡し。  化学反応で、電子とかイオンを受け渡す、というような文脈だろうか。
: 「いけすかない  意は?」  非常に感じが悪い。  いけずうずうしい、いけしゃあしゃあ、なども耳にするか。  (耳にした、か。すでに長い間ご無沙汰してる気もする)
: 「田■もカメもクロ■もサカ■■も、若い頃はさかんだったとか。■■ナベはしらず。」  国語科の先生たちだ。  → 要するに、国語科の先生たちは、自分語り(や若い頃自慢)が好きってことかな(笑)  waka君が直接聴いた場合ばかりではないにしろ。
: 「アキャにプリントかしてある  松■君にレポートかしてある」  「しらべ (しらせ)  将棋、個人戦中止!!→7月に延期?   盤と駒、まだ、もってきてなかったら、9時と10時の間にとりにこい。」  上辺のエンピツ書きメモ。  前頁にある「(しらせ)とかこうとして (しらべ)とかく。」の現場がここだわ。  前会長なのに幹事校からの連絡はまだwaka君に来てるような。  もってきてなかったら〜とりにこい、という言い方は、後輩への指令だと思うが、 あとひとつふたつ、waka君または同好会員以外にはわかっていない事情がからんでいそう、これは。 (同好会の活動教室は、新会長である火■君の教室に移る。 といっても、上下階なんだから盤駒ぐらい持っていってあげればいいのに。 単純に、それでは威厳がいまいちってこと? 笑)
: 「しーらないだしらないだ ← なつかしのメロディ」  しーらないんだしらないんだ、だったような気もする。
: 「テをラ」  すぐ上が現場。
: 「ちじょくの人  A5■■さん  カミガタ  □  《斜め後ろからのオ■嬢新髪型》 」  □は、文字ではなく、絵のかきかけか。  しかしまー、恥辱と言えるほどの髪型? 顔の輪郭はもう少しやわらいだ感じだった気もする。  → 仮に、斜め後ろからの絵ではなく、真横からのそれで、左耳にみえるのが実は左目だとしたら、 顔の前面に髪を垂らして妖女の様相になる。これはちじょく、だが、まさかこれで学校にくるとは思えないし。
: 「今日も一人で帰る。  ●君には、カバン用意してるとき、じゃね、といってきちゃったし、ノリちゃんは自転車。  図書館のそば歩いてたら、 あっち側をツーーととおりすぎる、ノリちゃんのかっこいいうしろ姿、みえたよ。」  「●君のたいど、わずわにとげとげしく思われるのは、 ぼくが、●君をさけているように思って、おこってるのか?  さけているのが、ぼくが一人になりたいから、 もしくは、すぐれた人たちをねたんでいるので、つきはなしたいから、であるととらず、 ●君の顔が変だから、と思ってるのでは?  ぼくは●君の頭よくハンサムなのを、うらやんでるのに、 彼は自分の顔が変だからと、思ってるかも。 彼の顔特異で、ハンサムととれば、とてもハンサムだし、変だととれば、変ともとれる。  鼻とくちびるの間が、せまいの、気にしてんのかしら?  目が、ガラス細工みたくはっきりしてるの気にしてんのかしら?  それは、変わっているけれど、ふつうより美しいという意味でかわっている、 ととる人の方がはるかに多いだろうに。」  この描写を読むと、●君て、外人ぽい顔をしてるのかな。実際に、欧米人の血がまじってたりして?  (明瞭には、もうまったく思い出せないんだが)  ほとんど片想いしている? (^^;;
: 「今日、となりにたってる●君に 「ノリちゃん、もうそうじいっちゃったかね。」  といったら、  「とっくだよ。」  といって、彼も一人でいっちゃう。ぼく、あとより。  帰りも、ぼくが、じゃね、というと、 はっきりさけている、と気づいたような表情で手うごかし、さよならの意示す。」  どちらが避けている、というより、避けあっている(相手の気持ちを映しあっている)と互いに気づいている、 そういう空気を言いたいのだと思う。  不機嫌だよね、●君ねえ。壁をつくってる、というかんじだ。  waka君とそりが合わないのか、だれとも合わないのか、その辺は気になるところだ。
: 「ひだまり」  「うつけもの」  「もうすこしで、体操服忘れるとこだった。 おばあさんが、体操服、ここ入れといていい? と聞いてくれたので、あ、そうだったと思いだす。上着。 下のトレパンは、バンド入れるとこなおしてるんだって。」  すでに帰宅して、夕方か夜、という頃合いか。
: 「 → しかし、わすれたら、みじめだろうなあ。 ぼく太ってるから、友のじゃあわぬだろうし、かしてくれる人も少なかろうし。かりるのも気まずいし。」  教科書を借りるよりもハードル高そう。  なお、(上辺メモにもあるように)教科書やプリントやは、 お互い様なので頼まれたら断わりづらく、そういう貸し借りは頻繁にある。 授業の異なる別クラスの友と、ということになる。 心配症で忘れ物の少ないwaka君の場合は、貸し8借り2ぐらいだったと思う。  (おおらかな種類の友は、忘れたら忘れたでまた借りればいいやとふだんあまり心配していなかったのではと思う)
: 「■■コがつかんでもってきた食パン食います。」  妹とはいえなんか不衛生。  いいや、食ってしまえ、という決断をこのノートに申告しておく。  責任を誰かどこかに押し付けておく、それとも、祭っておく、ということかなあ。
: 「すけばんみよこ よたったみよこ」  みよこ、というのは身内にはいないから、TVのタレントとかをいってるのか。  例えば、清純イメージの女子が不良的な役柄をして、驚き気味に書いたとか?  浅田美代子なんか、当時だったはず。
: 「■■リ、学校で、カッパちゃんといわれたことあるって。このごろも、ときどきいわれるって。  髪がくしゃくしゃになって、とかしてもなおらなかったとき、この名がついたんだって。」  こちらは下の妹。小学校四年生ぐらい。  いじめってことはないんだろうけど、カッパちゃんはたぶん、うれしくなかったのでは。
: 「パパとよばないでの、春子、つまり、細うではんじょうきの正子の役やってる人、 学校の女の子のだれかに似てる。  中学のマス■さん?  ゴウケツ女? (フウキのイイン長の)」  ともに当時のTVドラマだが、Wikipediaによれば、 『パパと呼ばないで』の治子(出戻り役)、『細うで繁盛記』の正子(小姑役)、 これらを演じていたのは、冨士眞奈美。もとは清純派だったとか。  中学のマス■嬢は、歌唱が上手で、芸大にいって(オペラとかの)本職になったはず。  ゴウケツ女のほうは、高校に風紀なんて役職はなかったように思うので、やはり中学時代か。  (美人系にばかり興味をもつwaka君なので、豊満系の女子は名前までは書けないのかも)  しかし、wikiの(冨士眞奈美の若い頃の)写真みると、豊満系というより美人系。 (つまり、waka君のいうゴウケツ女も実は美人系かも)  NHKサイトで(https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009070178_00000)、 最近のと思われる顔写真みたら、ああ、あの人かと、合点がいった。 髪型がくしゃっとして、バラエティーとかでよく見かける気がするおばさんだ。
: 「■■リはしゃいで、ベッドの上ではしゃぎ、はじの木製部に頭ぶつける。」  「木製 整 性   本」  うちにベッドなんかあったっけ。誰が使ってた? おじいさんかな。当時はまだ倒れてはいなかったような気がするんだが。  珍しいからこそ、はしゃいじゃったのでしょう。
: 「江夏ってふとってる人? たぶちって、かっこいい人?」  タイガースの選手ですな。  田淵もふとってる人だったような気もするが、それは後年のマンガの印象かも。
: 「死にめにあうとは、とても大事なことなのか??」  「聟 :?」  「地窖」  またなにかの本がでどころだろうなあ・・  知+耳がなぜ婿(むこ)なのか。一説によれば、耳にはよくしたがうという意味があるため、とか。  
。こんな字、生涯でここでしか遭遇してないかもよ。 地窖で、地を掘って造った穴。あなぐら。
: 「夢。  未開の地へ、お父さんと僕で発掘にいく。  なーんもみつからないが、原地人の一人といるとき、へんな小さな羽虫がくる。 その腹を、なんか棒でちぎるようにたたいてみたら、 おしりやぶけて、アワがぶあっとでるので、羽虫をひっぱれば、 その卵のはいっているらしいアワのかたまりが、ザバババとつづく。 羽虫の何万倍ものアワのかたまりでて、のち、羽虫、力なく、かるくなる。  大発見なので、お父さん原地語つかって、原地人に話し、よろこんでる。  もう一つ何かあったが、わすれ。かすかに、ふんいきだけ。」  どうも、淫夢っぽい。
: 「そうろう  漢は?  〜でござそうろう」  漢字は「候」。早漏もうすくかさなっているのか。
: 「ヤル」  覚醒後に射精。やはり?
: 「めやに、はなかむようにちりがみでとろうかと、一瞬考えた。」  つまり、めやにも、(鼻息ならぬ)目息で出せるような気が一瞬して。   
: 「得な を えな。」  ないことはない。  まちがいとは言いきれない。
: 「うちでるのが、10分\8時10分 よりおそくなったら、自転車にする?」  しばらくして、  「自転車のってくつもりになってるので、十分が来ようが来まいが、 自転車でいくつもり。もしくは故意に十分までのばすつもり。」  わかる。  楽なほうへ、横着なほうへ、判断は流れていくのだ。  過日、鍵をなくしたはずだが、自転車通学再開なのかな?  鍵はどうするんだろう、細かいところだけど。  → 6/21は金曜日。大会のあった日曜日に鍵をなくしてから、月火水木と四日間は(までは)方針どおり、自転車通学はしなかったんだ。  → 来ようが来まいが、に「こようがきまいが」のふりがな。 ふつうは「こようがこまいが」ではないかな。 本文にもエンピツで(しら)=調べよ、の印あるので、違和感はあるようだ。
: 「今日は、会長さんと、ともに、図書館でめしくうのだよ。」  昼休みはいつも早弁して旧体育館で合流、いっしょに卓球だけど、 金曜だけは学校の図書館で飯食いつつ新聞棋譜など眺めるという会長さんの習慣につきあうことになったようだ。 (そのあと時間があれば、やはり卓球しにいくようだけど)
: 「A5■■さん。  ちじゅくのかみがたをもとにもどしてきたみたい。  いい傾向。」  ちじょくの。  昨日の、この頁の一列目の絵図にある髪型が、とっぴすぎて、waka君の許容を越えてたんだな。  オ■嬢自身も、まわりの空気(評価)を感じたようだ。  登校直後、朝一の目撃でしょう。
: 「自転車でくるとき、坂の下で、D1■■■■■■さんのすぐうしろまできたので、」  タ■■嬢。校門前の上り坂にさしかかったとき。  (結局、自転車に乗ってきた)
: 「思わず、とまり、うしろからきた、車を先にとおすようにして、彼女とはなれる。 それに、事実、人ごみの中なので、ちょっととまんなきゃ、すすめない。 (というより、道のすみにきてしまい、前に人がいるので、走りながらおいぬけない。)  → よく表わせないが、そんなところよ。 彼女は、こちらに気づかなかったよう、ぼくが、うしろにいるときは。」  そういう場面があった、というだけだけれど、「よく表わせない」コメントの付けようない、と、waka君。  なんとなく気まずい。付き合ったというほどの関係にはいちども至っていないのに、 自然消滅した元カレ元カノみたいな空気を感じている?  例えばあいさつしても、知らない人みたく扱われるオソレがあって、こわい?  まー、女子はなあ。  関係がこじれると、すっきりと元に戻るのはむずかしいかも。 waka君としてはなぜこじれたのか理解不能なんだけど。  (クラスが変わったのだから、あいさつを返してくれる程度の関係性が残っていればもうそれ以上は望まないのに、などと思っているはず。 しかし、ほんとうにそうならばこんな記事も残さないはず)
: 「6/21、 今日文学クラブの会合ひらけ!!  去年のうりあげ、¥21000 だったよなあ。  But、本日は漢文があるのだ!!  → あした? 12:45?  → よほどのことないかぎり、この決定にしたがう。」  「テスト、9日から??」  「はやいうちに火■君に、個人戦なくなったことつたえよ。!」  漢文があるとなぜ会合に不都合なのか。 ここの漢文というのは、理科系の漢文補習をさし、クラブ員の中にそれにでる人たちがいるため、かな。  付け加えたのは、よほどのことがないかぎり、この会合で決まった線に沿って、部長として尽力しよう、という決意。 議題は今秋の文芸誌を出すかどうか。出すと決まったらやるしかない、と。
: 「あなたはギムをはたさなかったので、町につくったこの道を歩いてはいけない。  ← 私が本来あるくみちに、かってに石だたみをしいたのはだれだ。 私は本来のみちの上を歩きたいのに。君たちのつくった石だたみの上など、たのまれたって歩きたくない。」  「君たち」との対決シーン。  文芸とみなせば、隠喩にもなるんだろうけど、waka君にそういう意識はないかも。  道を歩いていて浮かんだ印象、妄想、または心の中のつぶやき、ひねくれを、とりあえずそのまま、あたりか。
: 「■■さんは、くどくなった、一年より。(ノリちゃん。)」  「まわりに影響されてるみたい。」  ノリミツという外からの視点、わりと正解かもな。 理屈っぽくなった、細かくなった。自己正当化がふえた?  「一年」が難読、といって別字もうかばないけど。  ノリミツとは二年三年時は同じクラスだが、高一のときは別クラス。 「一年前より」が原発言で、はしょって記されたとか。  まわりに影響されてるみたい、は、ノリミツの言か、waka君の言い訳的な補足か、どちらとも思える。
: 「きのう、物理の教室いったら、一番前にA2■■さんすわってた。 そのクラス3Aだったので、彼女、3Bでなく3Aにいること知る。」  直前の授業の生徒がまだすこし残っていた。  イ■嬢。前々から特別に気にしている(だからこそかwaka君は避けられている気のする)姿のすがすがしい色白美少女なのだけれど、進級後この日までクラスを特定しきれてなかったわけだ。  四五六月と経っていて、waka君の3C教室とも近いのに、だから、執着度は意外にもあんまり高くないと見てよさそう。  (というか、一年のときからずっとなので、そろそろ、感激も崇拝もくすんでしまっていたか)
: 「図書館いってから、1時頃、旧体育館いったら、  「なんだおまえら」と、さ■先生にいわれた。  「卓球やれるかなあってきてみたんです。」  「もう時間だよ、ほら。」と、時計みせられる。  → なんか、とつぜんおこられおそれてしまったが、 いままで先生にひたしみもってたが、二人の間のそれが、しらけちゃったみたいかんじ。  会長さんと、ともに旧体育館にはいった。  (中で、2組ほどやってた。)」  さ■先生は体育教師(にしてはやや小柄なほう)。  前頁に「今日は、会長さんと、ともに、図書館でめしくうのだよ。」とあるので、 食後に行ってみたんだ。  にしても、一時近いなら無理筋だよ。(先生のほうがまとも)  → でもそう思うのはこちらも大人になってしまったからで、 十分でも五分でもピンポン玉が打ちたい、移動時間なんか走ればすぐ、 というのが(はじけるような)高校生の感覚かもしれない。
: 「VOLの意は?」  第○巻、第□冊、等の意のときは volume の略の、vol。  ちなみに、もう日本の日常語と言える、量があるというボリュームも、音量つまみのボリュームも、みな同じ英単語。
: 「自転車でカエルとき、ヤマトバシ、すぎたとこのていりゅう所に■■とびいたので、 互いに手であいさつ。(校門の前のとこでは、ニャシャとあいさつ。)  帰り、地面のただやに寄ってきたが、りょうさいしいの2巻以下なく、 つまりは、求める2巻なくて、帰りきぬ。」  ■■とび君やその前にはニャシャとかるく挨拶。  地面のただや、とは?  タダヤは本屋の屋号だが、近場に二店あって(同じ本屋だと思う)、 デパートのテナントとして出店している店(つまり地上数階にある)と、 平屋またはビルの一階にある店を区別するために、こう呼んだ、という事情だったかと。  それにしてもふつうに自転車通学しているようだが、鍵をなくした件はどう対処したのかの記述がまだない。 日曜日当時の施錠部をずらした応急処置のままなのか、施錠部自体を取り外したのか、 これらなら、つまり学校で駐輪しているとき、本項のように買い物で入店しているときなど、無施錠ということになる。 waka君のような心配症な奴に、無施錠なんて許容できるんだろうか。 チェーンロックをもう装備しているのかな。この場合、ちょっとしたイベントだろうから、心記に記載があってもいいはずなんだけど。  聊斎志異は厚手の文庫で全四巻ぐらいだった。最終的に全巻そろえたはず。(しかしどこかの巻でそれ以上読み進められないまま放置だった・・ 類似話が多すぎて飽きたような)
: 「会長さんにあした同好会におくれるから(文学クラブミーティングにより) 火■君に個人戦ないことしらせといて、と昼休みにいおうとしたが (テレビ室でめしくいつつ、わかれぎわにでもいおうと思ってたが、)いいわすれた。  が、5時間目おわり、そうじおわってのち、帰るため、ホールとおったとき、 次体育の火■君が、しゃがんで、ぶつぶついいながらくつはいてた。 ぼく、こちらにきづいていないのに、上から、やあといってとおりすぎるが、即、思いだして、 ふりむき、たちあがった彼に、「火■君!」といい、「個人戦なくなったよ。/中止だよ(?)」という。  「でないんですか。」  (火■君、ぼく個人がでないのか、ぼくの意志で、会全体をださないようにしてるかにとって、 こんなふうにいったのかしら。)  「いや、全部でないんだ。石■君から、電話があって。(火■君、石■といわれて、わかったかしら?)  「全般的に、中止ですか。」  「そう。えんきとかいってたけど、それもどうも。」  「全勝と一敗がいるのにおしいですね。」  あと、あいさつして、げたばこのとこでわかれる。  火■君は、体育館へ、体育か、もしくは、必修クラブ。」  この項のキモは、現会長の火■君に運よく邂逅できて伝達できて、安堵だよ、でしょう。  石■君は、県の幹事校の代表者。毎年毎回彼と彼の高校が幹事だったような気がする。 (彼と彼の高校の献身に我らは甘えていたカタチ。今でも頭下がる) (本来は、幹事は持ち回りが筋なんだけど、我らの後の世代でそれは実現したのかどうか・・)  必修クラブというのは何か? 一般のクラブや同好会とは別立てで、 授業並の扱いのそういうのがあったかのような呼び方だが、記憶にはない。
: 「普通の純文学者 みーんな税金にとられて、赤字なんだって。」  普通に考えてそれはないよ。  普通の純文学者は、税金を支払うほど稼いでいないし。おそらく。  稼いでいたとしても、税金は所得のせいぜい数割、低所得で一割ぐらいだろうし。 税金を払っただけの理由で赤字はありえない。  ガセネタだな。あるいは、曖昧な情報を聞き手の知識不足がさらにあやしげにして いる。
: 「手を直角に絡ませる。 ・・・ 」  この絵図を一人で描く場合、眺めながら同時にはできないわな。手が三本欲しいので。  その割には精確。とくに2図目。
: 「世の流れが より、社会主義的に、という方へゆくので、極左を、急進的、というのか?  世の流れが、よりほうけん的に、全体的に、となれば、極右が急進となる?」  微妙。  ざっとだが、 〔 王権、封建、差別 : 前代 > 資本主義、拝金 : 現代 > 社会主義、平等 : 次代 〕 というような流れを感じていて、前代より現代がマシなのは明白だが、問題もある。  といって、いきなり次代が始まるのも、不安で既得権を失いそう。  よって、次代を急進と呼んで、警戒しているのではなかろうか。  そこで、現代を前代に戻そうという動きに対して急進とは呼びづらいと思う、人々は。 やっぱり、反動、あたりが適当かも。
: 「クジラの脳が最も大きいのか?」  ネット検索するといろいろ記事あり。  最も大きい脳の持ち主はクジラ、というのはたぶん正解。  かといって、人間のほうがかなり賢いだろう。地球上での繁栄ぶりとかから推しても。  ただ、賢さとか繁栄の基準が人間側のものなので、真といえるかどうかはなんとも。
: 「ねじめ」  辞書では、音締や根締を当ててる。  それぞれ、意外と豊かな語義。
: 《 眼のラフスケッチ 》 「ぼくの目、こんなので、つりあがってる?」  ふうむ・・  今鏡で自分をみても、よくわからない。  この絵ほどには、つりあがっていないように見える。  少なくとも逆に、目尻が垂れたりはしていない。  ・・目の下側のくぼみのような領域が、この絵ほど明確ではない。 もっとぼやんとしておだやかでしかも目元側目尻側おなじぐらいになってる。今は。
: 「田■先生に正確にいくらあるか、聞こう!!」 「体操服のタオル!!」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  顧問の田■先生に訊いて、昨年の文芸誌の売上げ、プラス今年の部費、つまり、今年の文芸誌制作にかけられる予算を知っておきたいんでしょう、会合を前に。  文芸誌の予算関係については『1974/06/16 女の人の乳房は、』の注記にもあり。
: 「鬼のいぬまに洗沢  昔話からきた?」  洗濯と選択がゴッチャになって、沢まででてきちゃってるか。  いかにも昔話にあるような一情景が浮かぶよ。  鬼の留守に洗濯、鬼の来ぬ間に洗濯も同じ。  しかし調べても(具体的になにかの)昔話経由のということはなさそう。  昔誰かが口にしたこういう短句だけであまりにぴったりで必要十分で、実用性も抜群、完璧で、これ以上は余計なのでふくらまなかった、ということかなあ。
: 「4時すぎにたずねてきたおじいさん、「おおだんないますか。」と、ぼくのおじいさんのこときく。」  よそのおじいさんがうちのおじいさんを訪ねてきた、と。  後年聞いたところでは、祖父は昔学校の先生をしていた時期があり、そのときの教え子がよく訪ねてくることがあった、とか。  (当時のwaka君には、年配者は、そのぐらいの年齢差があってもみんなおじいさんだろうな)
: 「ノリちゃん、ぼくのおじいさんに小さい頃よくしかられたので、ぼくのおじいさんはこわいんだって。」  前項関わりで思い出したようだ。  ノリミツは近所の悪ガキだったようなので。  (waka君がノリミツと知りあったのは高校に入ってから。今思えば、もしかしたら、初対面は男児の頃だったのかもしれないが、覚えていなかった)
: 「ぼく、うでくむとき、左手が、上から、右わきの下にはいるコース。」  ふむ。今もそう。
: 「ぽち ほし」  類縁のにおいを感じて?
: 「お姉さんまだけいこうとうを変えない。」  『1974/06/10 たぶんノリちゃんをみてた。』の4頁目上辺にあるが、 「アネキのスタンドなおそう!!」と書いておきながら、できない(まだやってないかやったが直せなかったか)でいるもよう。
: 「よくこうして、指をならせようとする。」  左頁の絵図から矢印で。  指を鳴らせようと。  生徒の頃から、ポキポキいうのが気持ちいいという意識はあったが、 あれは音がよい(かっこいい、こころよい)というより、ほぐすのが気持ちいいのだ、という意識がずっとなかったかも。(今も?)
: 「のりちゃんちではおばあさんがいて、おじいさんがしんじゃった。うちは逆。」  waka君のうちでは、母方の祖母はwaka君が高一のときお風呂で亡くなっている。  おじいさんはそのあいかたの母方の祖父。家業の長。  同居している横浜のおばあさんは、父方の祖母。waka君が幼い頃から、子供等の世話、家の家事などこまめにやってくれていた。 (なので子供たちには慕われていたけど、若干、祖父や母からはお客さん扱いなところも残っていたか)
: 「かたかた」  擬音かな。  方々(かたがた)の読み? 片々(へんぺん)の読み?
: 「今日も、この前も姉さん、わりと早く、4時ちょっとすぎぐらいに帰ってきた。」  東京の短大生だから、午後イチでなにか済ませて電車に乗って、という感じか。  こういう記事があるということは、帰宅が夜になるほうがずっと多かった、ということだな。  (ちなみにwaka君の高校は徒歩でも二三十分程度、六時間目まであっても、四時帰宅は楽勝)
: 「4よん 4  千せん チ 4 4  ) 」  4と千(とチ)の類似をいいたいよう。
: 「ひめじ城  えひめ城  )?」  ヒメは同じでも、姫路と愛媛は別所。  それにどうやら、愛媛城というのはないらしい。  (これまで、えひめという音でしか脳を通過していなかったみたいだ。遠い県でもあり。  やさしいかわいらしい名称だったんだ、あらためて眺めると)
: 「グーテンベルグ」 「閨房内」 「幾夜さも」  並んでいるが、つながりがあるんかい?  雑誌でも開いているのかな。  幾夜さも、が聞きなれないが、ネットで調べると鹿児島弁で、 〔 「いくよさ」も「いくよさ」も、眠れない日が続きました。 〕という用例があるとか。
: 「「なに、オナニーって?」  ■■コ、ぼくに問うて、さあね、といわれてのち、姉きに問う。 姉さん、辞書しらべてみな、という。ぼくも、しらべてみな、という。 何度か、オナニーって何、などときくので、ちょっとくすぐったいような、 はずかしいような、きもちわるいような、かんじ。」  知らないとは言え、困るよ。  姉きのあしらいはさすが一日の長。  ■■コとは六つ違いだから、このとき小六か。
: 「チクロママって何? (■■コ)  ?? 」  当時もwaka君自身、よくわからない語だったみたいだ。今、検索してもぴったりは無し。  チクロは人工甘味料だったけど、発癌性がいわれて禁止された、というものだったはず。  これから推量すると、チクロのようなママ、子供をとっても甘やかしてしまう過保護な母親で結果的に子供をダメにする、した、というような意味合いがチクロママにはあったのかも。
: 「■■コ、古い女学生の友/女学生コース? らしい雑誌よんでる。」  オナニーとかチクロママとかの出所だな。
: 「カイショなし」  かいしょうなし(甲斐性無)の短縮。
: 「少年と少女。汽車でわかれる時、少年の手を、少女にぎってはなさない。 汽車動きだしてもはなさない。 あぶないよあぶないよ、といってもはなさず、いっしょに走る。  当然、つっころび、ひどいことになる。」  笑。  これだけだからむしろ、成立してるのか! いいね、わりと(^^;  (まあたぶん、TVかなにかのおきまりの別離シーンにつっこみを入れたくなったってことでしょう)
: 「タオル  手折る  → そこで、タオルは、だめだったことを示す?」  ボクシングの試合でリングにタオルを投げるときのように。  ―― のはずがないけど!
: 「申分のない  コウブン?」  甲分ならそう読むだろうが、申はシンなのだ。
: 「旅亭のどんちゃんさわぎのうるさいこと。」  落語の中の口上(の聞き書き)のようであるが、 waka君の家の隣に旅館があったから、実際にどんちゃん騒ぎがなされていた可能性も低からず。
: 「口の先が見える」  やや謎だが・・  口をとがらして、寄り目をすれば、自分のが見えるぞ、という発見か。
: 「雨はやんでしもうた。いつも朝になると、こぶりになる。ハクリョクないわねえ。」  1974/06/22の朝か。  土曜日だから、この日は、午前中が授業。午後は、まず文学クラブの臨時会合、次に将棋同好会の定例会、という予定。
: 「夢、みたろうけど、おもしろかったみたいだけど、忘れる。」  みただろうけど、の語抜け。  起き抜けで(書き文字だけどいわば)舌足らずか。
: 「今日は、4時間目おわってみんなが即、帰ろうとするきっさきを制して、放送流し、 文学クラブ員をあつめねば、ならぬ。もしくは、はやいうちから、一人一人に連絡せねばならぬ。」  機先を制する。だから、きせんをせいする、だよ。文学クラブの部長さん。  (ただし、辞書を見ると、機先は、きさき、きっさきともよむらしい。 そうよむ例文は室町時代のものだから、おそらくややこしい事情がからんでいる・・)
: 「前ページのおわりの方のように手をくみ、それを、上からや、前から、みても、きれい。」  きれいと言えばきれいだが、アクロバチックで、弛緩もないのが、活き活きしてるってことかも。
: 「ネイチャア ナチュラア )このスペルは? (しら)!! (ちゃうの)?」  著名な自然科学の研究論文誌「Nature」は日本では「ネイチャー」と紹介されてると思う。 自然を意味する「nature」とスペルはいっしょ、発音も同じはず。  ナチュラアもこれを言うのかもしれないが、ナチュラルを言ってるのかもしれない。 ならば、naturalだから形容詞、派生した別語となる。
: 「けいさつかんが馬にけられた。 それをみにあつまってきた群衆をとり払おうとしたそのけいかんは、また馬にけられた。」  これはなにか。  waka君の創作、よりも、伝聞ぽいが・・  (うーん。群衆が集まれるような所、つまり街中で馬に蹴られるというのがあまりに現代じゃないので、 半世紀前でもまれと思われるので、直感だが、明治の頃の話では?  それをwaka君がどこかで拾って、ここに転記・・  しかしわざわざ転記する必要のありそうな逸話とも思えないなあ・・  せめて簡単なコメントでも付いていれば、もう少し背景が見えるんだけど)  (そうか。 最初に蹴られた警官は倒れており、かけつけた次の警官も蹴られた、と読んだけど、 最初に蹴られた警官は気丈に職務を続けていたが、また同じ馬に同じように蹴られた、という事件なら、 これは書き写しておきたくなるか。なるほど)
: 「いかものぐい げてものぐい )(しら)」  いかものぐい(如何物食)、げてものぐい(下手物食)、辞書によればほぼ同じ意。
: 「トイレいったら、長いウンコ一本、流れず、のこってる。  ザバーとながしたが流れず。しかたなく、そこに、ぼくのビチャビチャウンコ。 おわってのちザバーとながす。長いかたそうなうんこのみ、ながれず。」  臭うようだ。  学校かな? 後述みると、まだ自宅、かも。
: 「この前の同好会で、めがねなしのぼくを、火■君なんか、「どうもう」といったのでなく、 「きょうぼうと言ったのだっけ?」  これは『1974/06/09 というむしめがね■』に前段あり。
: 「朝、小雨の中を、カサさして登校。 坂にはいるとこでぼくをぬいていった高■すみ■さんらしい人の足をみていたが、 くねくねしてほんと女の人の足らしい足運び。でも、まだ軟体動物で、人間とまではいえぬ、と思う。」  雨なので、自転車は避けたよう。  waka君は、なんとなく、脚フェチのケがあるのだ。(足ではなく脚のほう)(もちろん、男のではなく女のほう。 ^^;)
: 「しかし、青いうすっぺらな箱こわきにかかえ、あとはかささすだけで、 せいふくが、ゆっくりゆれるように歩くあの人のうしろ姿は、きまっている。 ■■高1だろ。背も高いし。」  この学校で一番だろう、と。  (登校直後、教室で書いていると思う。余韻の中なので、評価高め)  学生カバンは持ってないの? 教科書その他、その青いうすっぺらな箱に入ってるのかな?  (すみ■嬢は、高嶺の花である上に、タツオの想い人なので、waka君はまったく手を出すつもりはないが、感激や崇拝はする)
: 《 経路絵図 》 「僕はよういに右側にいかず、まん中あたり歩いていた。 うしろから足音きこえ、すこしして、ちょっと横みたら、女なので (制服、色ガサ。女は、上がブラウス一色の白でなく、黒いのも、夏もきる) これはぬかせよう、ぬいてもらおう、と  はやくするのやめ、ぬかせる。女がぬいてから、そのうしろ姿みたら、 高■まさ■さんさんのようだった。」  むむ・・ 絵図をみると、すみ■嬢との接近をそのまま表わしていると思えたのに、 後半は(同姓の美しい女子)高■まさ■嬢のことなのか!?  まさ■嬢は、美人だけど、脚は太めだった記憶があるので、前半の女子はすみ■嬢で間違いない。 となると、後半も、その遭遇状況を詳述したものと思うので、最後は、高■すみ■さんと書こうとして(同じく美しい女子で同じ姓のため)誤記した可能性高そう。  同じ高■姓の美女が二人つづけて脇をとおった、という珍しさも、書くには値するかと思うけど。  ・・・  うーん、経路絵図が前半の女子との遭遇を表わしているとしても、後半は、それ以後のことを記しているともとれる気がしてきた。くり返しではなく時系列で。  その後、僕はよういに右側にいかず、〜という接続とすれば、つづけてまさ■嬢に追いぬかれた(追いぬかせた)という記述、わりと自然だ。誤記ではないのかな。  ・・・  後半のまさ■嬢は誤記。可能性8。  書かれた通り、前半はすみ■嬢、後半はまさ■嬢。可能性2。  ぐらいか・・
: 左領域のウンコ記事から矢印で、 「こんなきたないこと学校じゃだれにもみせられぬ。」  「それに、スミ■さんのことかいたちかくにこんなのあって。」  笑。 美を汚すような?  まったくその通り。今でも同意だよ!
: 「朝いっしょでない、  あの人とA5 」  エンピツメモで断片。  いつも仲良しの高■すみ■嬢とオ■嬢が、 さすがに朝はいっしょでない、という記事を書きたかったのでは、と推測。
: 「数ノート (   」  数学の授業ノートにある仮メモをここに清書、ということらしく、4行分の空白。  (その授業ノートはもうこの世にない)
: 「なぜかチブサ(自分の)気になっていけない。キモチワルイ?」  苦笑。  waka君、太りぎみだから・・
: 「一度やった問題、の次ににかよった問題をやり、 こくばんの一部をちょこちょこなおして、ちがう解答にするとき、困る。」  それをノートに筆写するとき、黒板のようにちょこちょこ直せないので、 すべてもう一つ書かねばならず、おいつけないので困る、という意か。  数学っぽい。  土曜の一時限目か、授業はじまってる。
: 「個人面接来週からはじめます。 → いつになっても、こうかいてあれば、いつまでたっても個人面接ない。」  黒板か、貼紙をみて。  あっさりしたおもしろさ。(要は屁理屈だけど)
: 「第 ← こう書く人、少ない。  □」  □は手書き略字。デジタル文字にはない。  手書きがめっきり減った現在は、逆に、この略字を目にするほうが少ないと思う。
: 「イ■さん、A組」  2頁前に詳細記事あり。
: 「外界 : がいかい : げかい  下界 : ?」  ふつう、外界はげかいとは読まないな。 (しかし、仮に、げかいという振り仮名がふってあったら、違和感ないかも)
: 「げかい → けいかい かいかい がいかい」  こちらは派生した別もの。  げの濁点がいに見えたり、けがかに見えたりすればという(いつもの)形態変化の気づき。
: 「英ノート (1)   (2)   」  英語授業ノートにある仮メモをここに清書という、4行程度の空白。
: 「辛子  カラシ しんこ )?」  しんことは読まない(重箱読みだし)。漬け物なら、お新香。  → いや、辛子(カラシ)も湯桶読みか・・
: 「かじかけんかかどろぼうか」  江戸っ子が威勢よくとびだしそうな?
: 「ツーストライクでチップしてもとられちゃえばアウト?」  ファウルチップだけど、アウトだっけな?  ツーストライクでない場合はどうだったんだっけ?   Wikipediaによれば、 〔 ファウルチップはストライクの正規捕球である。したがって、これが第3ストライクの場合、打者は三振によりアウトとなる。 ファウルチップを「飛球の捕球」とは別扱いにするのはなぜか。それは、遠方にいる走者から見てバットに当たったのか空振りなのかが分かり難いため、もし仮にファウルチップをキャッチャーフライ(キャッチャーライナー)と同様に扱うことにすると、走者に不利になるからである。 一塁に走者がいて、二塁への盗塁とキャッチャーフライが同時に起こった場合、一塁走者にはリタッチ義務が課され、一塁に戻らなければいけない。しかし、盗塁中の走者は空振りと誤認してリタッチをすることなく、そのまま二塁に向かう可能性がある。この場合、捕手が一塁に送球し触球すれば、走者はアピールアウトになってしまい、走者に著しく不利になる。 このような事情から、空振りに誤認しやすいファウルチップによって走者にリタッチ義務が課されることを防ぐために、走者の有無に関わらず、これを一律に空振りと同様に扱うのである。 〕  なるほど〜
: 「カーブとは?  カーブとは、左打者と右打者では、まがる方向ちがう?  どちらの側にたっても、内側にまがるのが、カーブ?」  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006でしらべたら、 〔 ・・・  (3) 野球で、投手の投球が投手の利き腕の逆の方向に曲がること。また、その球。曲がりながら大きい落差で落ちる場合をドロップということがある。曲球。〔新式ベースボール(1898)〕 〕  ほほう。投手基準なんだ。
: 「フォアボールか何かに関して書きたい事あったが、忘れる。」  笑。 (なんだかふきだしてしまった)
 → 想像するに、かなりあてずっぽうだが、忘れたのはあれではなかろうか。  「フォアボール狙いでファウルを打ち続けていいのか」「ファウルは永遠に打ち続けていいのか」というあの命題。  答えとしては永遠に打ち続けていいらしいが、打ち続けられればアウトにはならないらしいが、 それは、例えば何時間もは、現実的には無理のようだ。投手がいずれ明らかなボールを投げてしまうだろうし、打者がいずれ空振りしてしまうだろうしで。
: 「やりなった  たく?」  目の前の、ちょうど読んでいる書籍の綴りだと思う。  度い、で、たい、とよむようだが、はっきりしない。  手元漢和辞典では、国訓、ということで、たい、たし、あり。
: 「畸形児」  手元漢和辞典で奇と畸の語釈を比べると、畸のほうが差別度が濃い。  つまり、現在、この用字はおおやけにはほぼ無理であろう。
: 「左足いたい。あしくびから、ひざにかけて。」  どこかしらが痛くなってじきに治る。  昔も今も似かよっているか。  むしろ成長がとまって退縮が始まっているやもしれない今のほうが、 平穏な(どこも痛くない)時期が長いような気もするのう。
: 「■■こおくっていくとき、よっぱら、4人ぐらい歩いてた。 帰り、別のよっぱらいのグループが、もとの池のへいにたち小便してた。」  夜、宿直のお供に行く上の妹を道路ひとつへだてた職場に送ってったんでしょう。 (前にも書いたと思うが、waka君の家の大人、祖父か父は、単独での宿直を嫌がって(さびしがって?)、 誰かしら子供と一緒に泊まるのを望んだ。waka君は大迷惑だったんだが、上の妹は比較的好意的だったよう)  塀にしてしまうマナー違反は、当時に比べれば今は、激減したかも。
: 「今日の同好会のおわりの方、半分研究、半分、ふざけあいで、ひさしぶりにひどく笑った。 しかし、笑いながらも内容ないと思ったか、会長さん、もう今日は帰ろうかなあ、 研究やるならまじめにいかなくては、etcといってた。」  きまじめなんだ〜 会長さん(あだ名)は。  6/22は土曜日。放課後は同好会の日。  将棋同好会のまえに、文学クラブの会合があったはずで、それはすぐ下で記載。
: 「同好会の前の文学クラブのミーティング、長■さん、でられないが、文芸誌つくることに賛成。 ニャシャとシンペイはきて、すぐ帰ったが、ニャシャはかけないといい、 しんぺいはだせといわれればだす、という。  あとから、タツオきて、かけばかくとかいう。イト■■もともといて、かけばかける。  4人はかけるのでつくることに決定。(ぼくは意見いわず)  しのら君、1時になっても、こられないようなので(面接とか)黒板に伝言かいといて、同好会行く。」  皆、消極的だけど(そう装っているけど)、いちおう、プラス方向ということで。  文学クラブ、文芸誌、今年も発進!?
: 「( どうにかでも文芸誌つくることになりました  ( 何とか文芸誌つくることになりました  → 上、まちがってる?  黒板の伝言にこうかいたら、ミー(水■君)や、タツオがおかしい、というので、 彼らのいう通り、下にする。」  ふむふむ。  でもwaka君の感じた正直なところは、上なんだろうな。
: 「おとこなら、詰将棋71題目を解くのだ!!」  たぶん、この頃解いていた詰将棋本のどうにも突破できないでいる問題図をいってる。  おそらく、実戦詰将棋百題とかのタイトルでは。
: 「ふがいない  腑甲斐無い  歩がいない」  将棋を指している人ならご理解いただけると思うが、歩のない将棋は負け将棋という格言もあって、 歩がいないのは、ほんと、腑甲斐無いのだ。  → 腑甲斐などという難しい字は、辞書を調べたんだろうけど、ふつうは不甲斐ないでは?  腑抜けの語もあるので、関係するのかな。  → その後、思いあたったのだが、ふがいない=不・甲斐・無い、ということなら、二重否定だよね。 つまり、頼りがいがある、という意味になってしまわないか。  → https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q148293634  ここでははっきり「「不甲斐ない」と書くのは間違いです。」と言ってる。  ネット検索すると、いろいろな意見があるが、上が一番筋が通っているか。  (しかし、辞書ごとに見解がちがうとは・・)  → 例えば、不甲斐・ない、とみて、ないは否定ではなく、「せつない」「はしたない」などと同じ接尾語で、 意味を強調し、形容詞化している。ともとれるらしい。

※ 『1974/06/24 ホースぶっきれてついてるので』
: 「車座 :くるまざ  しゃざ」  辞書的には、しゃざの読みはなさそう。  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006 〔 くるま‐ざ【車座】 ((名)) 多くの人々が輪の形になり、内側へ向かってすわること。まどい。くるま。 〕
: 《 絵図 車座 》 「 }こういうすわり方。」  まさにアンチテーゼ。  あまのじゃくですなあ。
: 「前に、この2、3日のいつか、何かを絵にかいて表わしたいと思ったのだが。  あれは何だっけ?  絵でなきゃあらわせない、ちょっとした対比?  思いだすの、めんどうなので、やめる。」  車座のことを描いて、似たような表わし方をしたいと思ったことを、思いだしたわけだ。  似てるから容れ物は思い出せたのに、中身が浮かんでこない。もどかしい。  断ち切りたいので「やめる」と言いきかせている感じだ。
: 「 「よばない客が一人来ましたよ」 」  かなり翻訳っぽい。  「呼んでない客が一人来ましたよ」ならふつう、自然。  「 」付きだから、原文の抜き書きでしょう。  まあ、原文が会話文だから「 」付きかもしれないけど。
: 「揖えしゃく」  これは謎っぽいが、しらべると、 〔 ゆう イフ 【揖】 ((名)) (1) 笏(しゃく)を手にして、上体を前に傾けてする礼。「拝」に次ぐもので、深揖、小揖などがある。また、単に会釈すること。  (2) 中国古代からある敬礼の一つ。左右の手を胸の前で組み合わせて、これを上下・前後に動かしてする礼。 〕 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  ということだから、ほぼ間違いなくでどころは(waka君が今ひらいている本は)聊斎志異。  すんなり読めないので抜き書きしている。  原文が「揖えしゃく」で翻訳者が「ゆうえしゃく」とでも読ませたかったのか、原文が「揖」でその語釈をwaka君が加えたのか、若干迷う。前者だとは思うが、該当書籍はもう手元になく確かめられない。  ただ、意味は通じるし、あの中国式の会釈をしている場面だというのも浮かぶ。
: 「つきそえる  →  そえる  そわれる ← 可能のとき、このようなつかい方・・・・?」  ○ つきそいますか? = フラットな感じ。  ○ つきそえますか? = 可能かを問うている。  ○ つきそわれますか? = つきそいますかの尊敬語に思える。可能も問うているのかもしれないがかなり薄まってる、曖昧になってる。
: 「よじということは〜〜〜   じかんということだあ〜〜     よじということは〜〜   じかんということだ〜〜     よいこらえっさ   どっこいよいしょ     よいこらえっさ   どっこいよいしょ     ← テレビ将棋みるために来て。」  心記で頻出する、微妙な表記違いを並べたい項、だと思ったら、違った。  奥の自分の部屋からTVのある部屋へでてくる際の、鼻歌的なのを記録したものでした。  状況から、身一つできたのではなく、手には心記ノートをもってやってきて、 TVの前に腰を据えてから、今楽しげに歌っていたなと気づいて、消えてしまう前にとメモしたところ。  夕方四時なら、NHKではなく、12チャンの民放のほうの将棋番組。  (将棋TVがあるならと念のため確認したら、やはり、この1974/06/23は日曜日)
: 「ギャーン、桜のえだ、道路にひろくのびていたのを、その枝を、ジャリジャリ切らせている。  なんとま、かわいそう。あるがままにしてあげればいいのに。  うらのうちの木も他にうつすのは反対。  あるがままにさせてあげればいいのに。」  おそらく母親が業者に頼んでいて、その業者が日曜の夕方来て(waka君が将棋TVを楽しんでいるときに)ちょうど外で作業を始めたんでしょう。  道路に大きくはみだしてしまっているなら、大人の判断として切るだろうね、私でも。  (それでも花期を外してあげているのだから、温情と言える)  うらのうち、というのは、waka君らが住んでいる社宅の内輪での呼び方。  庭木をあるがまま、と言っても、もともと、他から植樹したものだろうし(waka君が生まれてからずっと生えていたとしてもまだ二十年位)。  (ただ、亡くなった母方の祖母の手作り庭のはずだから、実生から育てたものもあったやも)
: 「矢倉は先制攻撃をした方が損をする、?  (ハナムラ)」  「だめねえ、中原、また二上に負けちゃった。」  将棋の話。三者とも一流棋士。
: 「父かたのおじいさん、つまり、よこはまのおじいさんも、よく、将棋やったんだって。」  かなり昔に亡くなっている。waka君は遺影でしか知らない。
: 「よこはまのおばあさん テレビみてるとき、ぼくにいう。」  「テレビで解説者が、盤面ならべるように、おじいさんもならべてたんだって。 「よこはまのおじいさんがさ、つまり、だから(さ)? 私のだんなさんの、・・・」とか、いってた。」  父方の祖父の思い出話など、めったに聞いたことないから、貴重。  少なからず、将棋とか勝負事好きの血統は継がれている?  (にしては、息子であるwaka君の父親は、ギャンブルなどにあまり興味をしめさなかったな・・ むしろ警戒していた。祖父が反面教師だったので? しかし、孫は大好きという構図、これがいわゆる隔世遺伝?)
: 《 このときのTV将棋の出題らしい詰将棋譜面 》 「→ 解こう!」  答えは、 ▲1二銀△同玉▲2四桂△2三玉▲2二と△同玉▲3二馬。  これは、みごと! 打ち替え、二度の捨て駒など、よくできてる。  なにより、攻め駒二つだけのこういう詰め上がりがふつうないカタチなので、直感できず、 持っていく流れが浮かんでこないところ。盲点、落ちるはずのない穴に落とす感じ。
: 「学校で、詰将棋の授業ありゃいいのに。」  ねがったりかなったりで大喜び。  でもそのうち、それで試験とか順位とかつけられていけばいったで、 なんでたのしくできないのかなどと文句いうようになったり・・
: 「宿 : しゅく しく }?」  なまって(変化して)しく。辞書にあり。  すくのよみもあるようだ。宿禰(すくね)、とか。
: 「そつじながら、」  卒爾ながら。  突然で失礼ですが。
: 「おなぐさみ → こちらも明るい意につかうことあるのかしら?  おたのしみ   しかし、どこか、くらさあり。」  ふふ。  まあ、言い方や声音にもよるだろうな。
: 「あんまさんには、こぶがある?」  かなりな偏見。あやまったイメージを児童の頃に植えられたか。
: 「勉強する、がどうして、商品をやすくうることになる? →(しら)」  調べてみた。  順番として、「勉め強いる」で、気が進まないことを仕方なくする意味が最初にあったそうだ。 (そこで気が進まないながらおまけしますとなる)  明治になってから、知識を得るために努力することが美徳とされるようになったため、 勉強が学習するとほぼ同じ意味になっていったという。つまり、こちらが後付けだった。
: 「(しら)  (しら)←この点を最後にかく。」  丸がこいのしらをかくとき、し、点無しのらを丸まで一筆書き、最後にらの点をつけた、と。  丸がこいのしらは、waka君の、しらべよを意味する記号。  すぐ上(前項のラスト)がその現場。
: 「金穴 : ドル箱  金欠病 : 金がない」  金穴(きんけつ)、waka君の勝手語かと思ったら、ちゃんと辞書にあった。 意味も、金の出所、貢いでくれる人、などだから正解。  金穴と金欠で、音は同一、漢字も似すぎているのに、意味は真逆。  おもしろい。  ただし、本文の穴は、頭の点が抜けてるけど。 (金冗と読まれかねない。・・冗にはムダの意がある。金穴>金冗>金欠、お金が減っていってる)
: 《 串団子の絵、二本 》 「 }こういうおだんご、小さい頃、本のさしえでみて、あこがれてたが、 まだ、実際にみていない?」  みたらし団子は何度か食べた。  絵の団子は、あんころ餅がまじっているけど、餡自体があまり好みでなくなって、後年、買える場面はあったと思うが選ばなかった。 よって、絵の通りの串団子は、依然として口にしていないかも。  (この絵は美味しそうだけど)
: 「如何  いかが、とよむ?」  いかん、いかがわしい、などともよむらしい。
: 「妻/さい さす  とつがす  }?」  妻せる・妻合せる(ともに、めあわせる)、というのはあるが、 さいさす、とか、とつがす、などのよみは、みあたらず。(意味はそういうことなんだろうけど)  しっかり「妻さす」と印字されてるんだろうけどなあ。 うーん、何かありそうだが、浮かばない、慣用読みなど。

 王と家臣がびんぼうなとき、家臣は肉のうまいとこだけを王に食わせた。
 そして、その国がゆたかになっても、その家臣は肉のうまい所はたべずに王におくるのであった。


 waka君の創作か? (ありがちな、漢文古典の逸話風)  前半は美談だが、後半は、深読みすると何かどろどろもありそう。
: 「殷切/いとせめ た : ?」  中国語らしい。  殷切で、ピンイン。切実である、などの意。  だとして「殷切た」でどう読ませるのかなんだけど、謎。謎すぎる。  手元漢和辞典によれば、殷とは盛んの意。ならば本文の、いとせめた、もないことはないだろうけど(翻訳者のルビなのかwaka君のルビなのかも不明)、何かずれている。  (いてせめた、いこせめた、とも読めるが、ますます意味ははっきりしない)  → 今、訓をふるなら「しめつけられた」が適切か。 引用した箇所に当てはまるか(意味がしっくりするか)で判定できそうだが、 その場所はもうまったくわからないのでこれ以上はどうしようもなし。  → 聊斎志異には、こういう半分しか訳してないような用語が目だった気がする。 大冊だし(分厚い文庫本四巻ぐらい)、困難な翻訳だったのだろうとは思うけどさ。

 ある男が死んで閻魔大王の前にひきだされた。
「よし、今から、おまえと、おまえの過去をふりかえるのだ。そののち、おまえの刑を言いわすす。」
 その男は、60才で死んだが、その過去をふりかえるのに、60年かかった。
「よし、おまえは、30年間、針の山でくらしたあと、30年間、女の間でくらせ。」
 大王が次、といおうとしたとき、男が、こうたずねた。
「大王さま。大王さまは、私みたいのに、60年間もつきあって、 私を、おしらべになってくれたんですね。人間は、ひどくたくさんいるのに。」
「人の一生は、どんな人間のものでも興味つきないものさ。」
「大王さま、こんなに長くつきあっていただいたのは、私がはじめてですか?」
「そうだったかなあ。私は忘れっぽいので、百年前のことはおぼえていられない。 お前の前にも、だれかとつきあったような気がするが・・・。とにかく、私は、 すべて死んだ人間とつきあっておるのだ。」
「すべて死んだ人間、て、何人いると思ってるんです?」
「さあ、50人ぐらいなのか、100人ぐらいなのか。あと何人ぐらいでおわるのか。」
「大王さま、ちょっとなんですが、私の死んだ同じ日に死んだ人が百万人はおりますよ。 だから、百万に百をかけて、1億年かけないと、大王さまは、 私の死んだ日の分さえもつきあえないんですねえ。」
「百万とか、1億とか、それは、どのくらいの数なんだ?  まさか、おまえとこんなに長くつきあった長さの10倍よりあるっていうんじゃないだろうなあ。」
「ところが、大王さま、その10倍の2倍よりもまだたくさんの長い間かかるんですよ。」
「そんな長い間、同じ事をやっていかねばならんのか?!」
「ええ、それに、その百万人がおわっても、次の日の百万人がまっていますよ。」
「 ・・・・・ 」
 大王は、男をつれていかせたあと、ちょっとかなしいいような顔をして、次、というのをしぶっていた。


 この出来は、waka君の創作だろう。 中程が間延びしていてじれったいが、オチがわりと大人好みの沈黙系で、よしかも。 読みながら、さまざまな可能性、設定など浮かんで、脳みそのこなれを促すところもいいかも。  おそまつさは十回ぐらい練り直せばきれいに整いそうだが、削って磨いているうちに結局何も残らず消えてしまうようなお話なので、ちょっとこわい。
★ この頁の、短長二つの物語を比べた場合、「王と家臣がびんぼうなとき」のほうが優る。
: 「閾 : しきい??  敷居」  訓はしきいで正解のようだ。
: 「牛羊 :? よみは?」  ぎゅうよう、ごよう、どちらにも読み、意味はそのまんま、うしとひつじ。
: 「牛羊を午羊」  と誤記したよ(または誤読したよ)と。  午になると、これは「うま」。  馬というより、南の方角や昼時をいう。 (例えば、子午線とか午後というように)
: 「人才を憐れむ」  ぴったりした語釈が見つけられなかったが、その才能が活かされていないのを憐れむ、という線かな。
:  「夙 まえ : ?」  シュクが音読み。  手元漢和辞典によれば、あさ、つとに、はやい、などが意味や訓読みだが、まえはない。 いちおう、まえと通じてはいるけど。
: 「うかがう  伺う○ 司う× )?」  司は、つかさどる(司る)が○。
: 「司○ 司×」  ×は、最後のハネがないか。
: 「七」が形態変化して「八」へ。「中国人は、七と八を、みまちがえるとか。」  これも意味不明気味。聊斎志異に、関係する話があったのか、七と八の誤植関係か。  waka君の妄想×妄想上の懸念か。
: 「樸  先生性原  このよみは? すこぶる?」 「朴訥」  手元漢和辞典によれば、樸は、ありのまま、すなお、などの意。  素朴そのままの御仁。  すこぶると訓読みするのは、だいぶちがう気がする。
: 「続ぎ よみしらべ!」  つぎ、か。妥当なところは。(つまり、引用元では、続ぐで、つぐとよませてる)
: 「 「よ」とかこうとして、「し」とかいたので「■」→「よ」とする。」  ■は、しの下にαのような形を付け足している。  現場は、真上、前項。
: 「言いえられる。」  文法的にはありなんだろうけど、耳になじまない。  言いうる、がふつうか。
: 「尤 : もっとも. ?」  尤もではなく、最もと書いて(入力して)しまうことが多い。  手書きの頃はだいたい最も。ときどきもっとも。尤もは無し。  辞書的にはどちらを用いてもよしのようだけど。
: 「わさび しょうが、」  からし、と並べると混乱しそう。  いちおう、色違い? しょうがは何色だっけ??  味の違いも、すぐは浮かばないわ。
: 「ギッパパパー   異様なうかれ状態にあるとき、よくこう、口でいう。」  よくこう、は盛ってるなあ。  このころ(このとき?)だけだったのでは?
: 「人間にはふつうの光りだが、蚊、ハエ、羽虫には、光りとしてみえないようなぐらいの周波の光りの、 けいこうとう(?)あればいいのに。  羽虫なんか、よってこないだろうに。」  冷房がないので、風を通してるのだと思う。 網戸はあったが、そうでない隙間もあった。虫がやってきてうるさい、気になるってことでしょう。
: 「りょうさいしい第1、を、ついに読破。」  おつかれさま。  挿絵の雰囲気も悪くなかったなあ、あの文庫本・・  → 挿絵の記憶で、現在、該当書籍を探すと、古本で、 〔 完訳 聊斎志異〈第1巻〉 (角川文庫) 文庫 1989/6/1 蒲松齢 (著), 柴田天馬 (著) 642ページ 〕 これがヒット。絵柄はこれだ!  が、しかし、発行が1989年だから、本項の15年も後だね。  ううむ。改版が出てるってことなのかなあ・・
: 「今日、めがねかけずにめしくったが、今、目がねかけて、わき通ったら、 食卓の上のものが何とうまそうにみえること。(ギョウザ、タマゴヤキ、が、脂っこくひかっている。)」  見た目も味のうち。  しかし、脂っこくひかっている、何とうまそうにみえること、これは若さだろう。
: 「カツカイシュウ、もう見る気しない。」  この年のNHK大河ドラマ。  勝海舟役は渡哲也だったが、三月頃、病気で降板、松岡弘樹が引き継ぐ。  最初お気に入りだった。主役交代後、しだいに心がはなれたと覚えている。  三月(みつき)で見切ったか、waka君。
: 「「勉強したって ばちはあたらないよ。」 ← お母さんがよく言う。」  〜したってばちはあたらない、というのは、waka家に代々伝わるような言いまわしかも。  少なくとも、曾祖母(夫婦養子)から、あるいは祖母(嫁)から、母(家付き娘)へと、伝わっているのでは。  息子である私も、たまにだが使ってしまう。
: 「この前、(きのう?)お母さんと話したとき、  「おまえは、神様のおぼしめしで生まれたんだから。」  とお母さんいい、  「それでは、あまりにぼくがかわいそうだ。 たとえ、ぼくが■■になっても、ぼくはかわいそうだから、ぼくの子を■■にはしない。 だから、ぼくなんかにあとつがせるのやめなよ。」  と僕がいう頃から、お母さん、話をすすめず、きりあげようとする。  お母さん、「おまえは、■■家で ただ一人のせがれなんだから。 上も下もみんな女ばかりの中で、ただ一人のせがれなんだから。」  とかも、言ってた。」  ・・なんか、今読むと、申し訳ない気持ちがわいてくるな。 ただ一人のせがれだったのにね、親不孝をしました。  それにしても母親というのは、強力すぎる。 母親にどんなでたらめを言われたとしても、その人の腹から生まれた以上、 本当のところは、子は何も抗弁できない。 できない抗弁を無理にでもするしかない。 勝てない戦いをあきらめず続けるしかない。  根負けしてあきらめてくれるまで。
: 「今日の昼、おばあさんきて、かみの毛みっともないよ、トコヤいったら、というが、 めんどうだからいかないという。ひげあてるだけでもしなさいよね、という。」  横浜のおばあさんは優しいのだ。 いつまでたってもヒゲヅラになっても、身中に、児童の頃の孫が見えているかのよう。
: 「ずっと前、お母さんと■野先生が面接した日のそうじ時間、 ■野先生、まず、階段おりてきてノリちゃんに何か話して、それから、げんかんの方に行き、 帰ってくるとき、ぼくに「君のはなしきいたよ。あとではなそうな。」とかいい、 階段のぼりながら、ぼくのかおみたり、前みたり、たちどまって、何か話すのだが、こちらはききとれず、 もしくは覚えていない。」  過去の記事を見直したら、waka君の母親と担任の■野先生の二者面接は 6/15(土)にあったようだ。 本項は 6/23(日)だから、一週間ぐらい前を思いだして書いている。  嫌いな英語、の先生で(つまりこの先生のテストはいつも赤点前後で)あまりそりが合わないのだが、 ここに書かれているようすはなんだか薄気味わるいぞ。
: 「先生が、このようにぼくにいったのは、面接があったから、何かあったのでは、 とぼくが、かまってくれないかなあと先生をみていた目の表情を、 大学に行きたくないという意志を、母につたえさせた少年が、 先生の反応を知りた□目の表情にとって、「君のはなしきいたよ。」といったのでは?  ぼく、まさか、大学にいきたくないなんてこと、母が先生にいうわけないと思ってた。 母は、いいかげんな、てきとうな、おおまかな、おおらかな所あるから、 そうするかもしれない(したらおもしろい)と思ってたが、初対面の先生にずけずけ、いうまい、 ふつうの母親の態度をよそおうだろうと思ってた。  ま、そんなこといったのを、母から、聞いて、おもしろいとは思った。」  waka君のほうも、しゃっきりしない書き方だよなあ。  そもそもなんで二者面接なんかするんだろう。母も子も先生にたいして期待してないような。 母は愚痴の聞き手ぐらいにおもっていたのでは。子はこの先生の言うことは素直に聞きそうにないし。  → 英語に関して、自分に適性も才能もないし、とwaka君はあきらめていたけど、 英語塾に通っても上達しないし、いくら努力しようとしても続かないし、英語自体が理不尽のかたまりなんじゃないかとまで感じていたけど、 今眺めていると、もしかしたら、高校三年間、この先生の教え方が悪かったんじゃないの?  という気もしてくる。 自分のいたらなさを人のせいにする悪い例そのものだと思うから、こうは考えないようにしてきたけど・・  例えばさ、いずれ記載が出てくるかもしれないが、高三の終わり近く、英語の赤点(落第)を回避するために、 ノリミツに集中して英語を教えてもらったことがあった。 意外なほど分かりやすかった。おかげでいつもよりは十数点よけいに稼げたはず。 秀才とはいえ一生徒の教導のほうが、本職の教師よりまさるって、どうなのよ!?
: 「今ぼくおっちんだら、あと、十何ページに、ノート4つにくぎる線ひいてあるのみて、 彼はいつも、このぐらい前までひいてあったのだろう、などと、思うかもしれないが、 ふつうは、かいて、くぎってないページにくると、その1ページをひいて、 (その数ページをひいて)かきつづける。(また書く。)という風である。」  なるほど、わかるけど、こういうとってもささいなこと(わずかにひっかかるが結局どうでもいいこと)をかくのに、 おっちんだら=死んでしまったらという仮定を持ち出すのが、waka君らしい無頓着さだ。 (あるいは、無意識の修辞癖、かたり体質? あまりにどうでもいいことを説明したいけど相手とか場面が欲しかった?)  というか、まあ、めずらしく十何ページ先まで区切り線をひいたのを自分で眺めて、 知らない人がみたら誤解しそう、 だれにもみせないノートだから知らない人がみるのはぼくが死んだときぐらい、 という連想、つながり、それをそのままなんの考えもなしに記している。  ご異見は多いだろうけど、ぼんやり(行き場のない消えそうな)詩情がただよっているなあ・・
: 「本をよみ、この心記を完全なものにしていけば(フクセイをなくしていけば) ぼくには大きな自信がつくだろうにな。」  だろうにな、には、できはしないが、という気持ちがにじんでいる。  フクセイをなくしていく、は、仮メモを清書していって完全な姿にしていく、という意。  ここまでにある累積すれば膨大となる仮メモ群(ほぼエンピツ書きとイコール)、 ほんとうに清書していこうとしたら、途方もない時間と労力が必要でしょう。 授業ノートのあちこちに原メモがあったりもするわけで、当時でもそれを探し当てるだけで大仕事か。  つまり、つきつめてはいないみたいだが、当時すでに、なんとなく、 そんなことできはしないだろう、やりはしないだろう、と気づいている。  奇跡的にできたとして、本文にあるとおり自信はつくかもしれないが、 対外的に何か効果が及ぼせるとか自慢できるとかもほとんど無く自己満足の世界で閉じていそうだ。  現在、及ばずながら、半世紀遅れてもしまったが、似た種類のことをしているわけだが、 今は、こうして内容精査した中の一部だけど、 ネット上に掲載するという成果らしきものを残せているから、ささやかな、対外的な意味もある、のかもしれない。  もしwaka君が知ったら、びっくりして、転倒するぐらいあきれるかな。物好きな、と。
: 「右足、小指の爪、もう、ほとんど、なおっている。」  前段は、『1974/06/12 ツメキルにもメガネかけなならん。』に絵付きで載っている。
: 「爪を爪」  すこしかしいでいる、かわいらしくなってる。現場は真上。
: 「きれいに字を書きましょう。」  以降三項ぐらいは、落ちついて意識して書けている。
: 「このノート、終わるのが早すぎやしないか? 前のノートは、4ヶ月はもつとみてたのに、2ヶ月で書き切ってしまった。このノートも2ヶ月?」  このノートとは心記第10巻。本文108頁。  スタートは、1974年(昭和49年)6月17日。ラストの日付は、1974年(昭和49年)7月20日。  当頁(第13頁)での予測よりさらに早く短くなってる。(それだけ一日あたりの記載量が増えてる)
: 「現国 : 特別な勉強いらん。  古文 : 古文研究法 ●◎  漢文 : 別に、いらん   日本史 : 1週間前で十分  政経 : 上に同じ  数学 : またも上に同じ  物理 : これまた同じ  化学 : またまた同じ  英語 : はやいとこじみちにはじめるべき。 ◎  そこで、毎日、やるべきなのは、古文と英語。英語は単語をよく覚えるようにしな。」  ふむふむ。  時期的に、期末試験対策、見通し。  苦手なところを補強していきたいという方針。  うーん、それもありだろうけど、今なら、苦手なところはいっそすててしまおう、 時間のムダかも、という発想もでてきそうだ。  (苦手なんだからいやだし当然進まない。逃げ腰になる。 それより好きでたのしいに取り組んだほうが、結果的に時間も労力もより多く注ぎ込めるはず。 しかし、システム的に、一科目でも赤点だと落第という原則がある。 それを避けるためにはそうとばかりも言っていられない。悩ましいところ・・)  (赤点がマジで心配なのは英語のみか。 古文はどちらかといえば好きだったはずだから、上は、より高得点を得たい、国語科の先生に恥ずかしい答案はみせられない、という欲が現われているのかも)
: 「上の項、漢文のとなりの二重丸、きにいったが、かくべきなのは、一つ上。 そこで、かきなおしたが、気にいらぬので、また、書きなおし。」  「ああ、またも、字が乱れてきた。」  ほんと、こだわるね(笑) ささいなことに。必要以上に。  でもまあ、ここまでくると、むしろ楽しんでいるか。なれしたしんだ心記と遊んでいるか。
: 「しかし、ぼくの描写は、ひどくわかりにくいなあ。悲しくなるよ。もっと、わかりやすい表現をするよう心がけるべし!」  うーん。  一朝一夕には治らないので(五十年経ってもまだまだかもしれないし)、 もうしょうがないから、先人の教えでもある簡潔とかわかりやすいとかはどっかにほかして、書きたいことが書けたと思ったら、それでよし。 飾っても飾らなくても好きにすれば、言いすぎても言いたらなくてもそれぞれ味があるさ、ぐらいのお気楽さでいけばいいのでは。  こういうことって、それを読んでくれる人のことを思い浮かべれば、たいていは適当な辺りにおさまるもんだと思う。
: 「りょうさいしい、を、りゅうさいしい」  「聊斎志異 : 上のどちらによむのが正しいのだ? ぼく、前によんできたが。  → 漢和(中漢和)にでてた、りょうさい、が正しい。   → ここを、「漢和(中漢和にでてた)」としそうになる。」  やりがちな( )の閉じまちがい。  → ちなみに、約物(括弧や記号)はさまざまあるけど、当時の、使用する種類はなるべく少なくしよう、抑えよう、という意識を感じる。 (本項からというわけではなく、広い面または太い流れとして)  基本的に、たくさんのそれぞれの用途や性質をいちいち覚えておくのがめんどうなので。 (単純明解にしたくて)   現在もそうなんだけど、結局、増えちゃうんだ。気がつくと自分なりのルールで多種類を使いわけている。  使っているうちに、用途や性質が変質していく。首尾一貫していない、あれやこれやでわかりづらくなっていると反省して、意識して種類を減らそうとする。  で、最初に戻る、またくり返す。
: 「 「おまえ、そう高飛車になってはいけないよ。」 姉きが、■■子に。」  これは、高飛車という語に反応してる。  若干時代がかっていて、めずらしく。
: 「姉きと■■リの鼻かむ声。ジュローグジュー。」  これも耳をそばだてている。  姉妹がそろって同じように、というところも面白く?
: 「どおばあかああほらしい」  誰か何かを批難するというより、自分の馬鹿さ加減を切り捨てたいときのうめき声、かな。
: 「きのう、まだ、そうじのおおわらぬ教室でシンペイと、イト■■と、ぼくの話してるとき、 ぼくたちのすわってた机をそろそろ、かたす時が近づいたので、 ぼくも、ただみてるのはわるいからと、形だけ、ちょこちょこてつだう。 ■■そうさんが、もった机の一方もって、ほんの1mかそのぐらいだが、 二人で、その机はこんだりした。(ふつうのぼくなら、まちがってもこんなことしないが、 女なんか、そんな気にしていられなかったし今思えばシンペイの心やイト■■の心の方を、 よりみきわめたかったよう。) はこびながら、シンペイやイト■■と話し、■■そうさんは、 あれ、この人とはこんじゃったと、みただけで、それほど気にはしなかった。 気にする、というより、ま、いいや、という、つもり。 ■■そうさん、はじらったのか、近づきたくなかったのか、そののち、ぼくのそばからはなれ、 他をかたす。そのこと、かすかに、頭にカチンとくるが、別に気にせず。」  カチンと来たんなら、気にしてるよう(^^;
: 「そのあと、シンペイとニャシャ帰り、イト■■と、窓ぎわの■■ざいさんのせきのそばのかべ (まど? まどの床の間のこしぐらいまでのカベ?)に体をもたれて、(こしをくっつけ、もたれて?) いたら、教室そうじおわった■■ザイさんきて、おいてあった赤いカバン等、 ぼくの目の前の机の上のものもって、いっちゃった。 まるで、彼女くるのまってたぼくにつきまとわれぬため、さっさと去った様なかんじ。 また、かすかに、カチン、ときた。が、これも、それほど考えず。」  考えず、だが、こうしてしっかり覚えているんだ。  よこはまのおばあさんにいわれ通りだいぶむさ苦しい風体になっているわけで、 女子に敬遠されても不思議ではなさそう。 とはいえ、女子のほうもさあ、少なくともクラスメートなんだし、危害を加えているわけでもないんだから、 むしろ手伝ってあげているんだから、あいさつ程度のことはあってもいいのでは。 ありがとう、ちょっとごめんね、とか、おじゃまさま、とかさ。  教室の掃除は男女が交互で当番、のようなルールだったんでしょう。  どうしてそんな冷たいの、と言いたいんでしょう。  → にしてももう高三だからなあ。思春期的なのは卒業の頃合いだよ。waka君らも。お嬢たちも。
: 「しかし、描写力のなさ!」  いや、雰囲気はしっかり伝わった。
: 「ひげ、もみあげ、そったけど、 耳の下の、あごのはじの、ちょっとみえない所、それず、黒い。 これを「ひげそってきたよ。」と、■■リと姉きのいる所に顔だしたとき、姉きに指摘される。」  《 場面図。姉きは自分の机。そのとなりの三面鏡に僕と■■リ 》  これが姉きの部屋。兼、母親の着替え部屋。八畳ぐらい。向こうが窓。北に開く。  左手に襖があって、入るとwaka君の四畳半。
: 「死んだ子供のこと、皆、ニュースにして、流すわけでなかろう。  つまり、子供が死ねば皆ニュースになるわけでなかろう。  つまり、ニュースで、子供が死んだのをやるとき、子供が死んだという名目でなく、 他の何かの理由のため報道されるのだろう。」  沈痛なそれを視聴して、という空気。
: 「うちのおばあさん、フロ場で死ぬという、かいぼうしなきゃいけない変死だったのだけど、 コネがあったのか、■原さんにうちがたのんだのか、解剖はされず。」  母の母。二年前に死去。  ■原さんは、waka家のかかりつけのお医者さん。
: 「報  なぜ、この字あるの?」  道を報せる、でいいのかな。  検索しても適当な記事、見つからず。  手元漢和辞典によれば、道と導は通じ合うそうなので、しらせみちびく、なのかも。
: 「おさけの王/オオ 様、ゲッケイカン。」  コマーシャルの響きがよかった?  それとも、王は、オオなのかオウなのか辺りがひっかかったか。
: 「土曜日、同好会のおわり頃、やけに、ウーウーカンカンとうるさかったなあ。」  昼火事でもあったんだろうか。  高校はわりと高台にある。遠くから街の音が聞こえてくる。
: 「ウン子さん。 雲子さん。 運子さん。」  女子の名前としては、どれもかわいそう。  → たとえば、運の一字で「はこぶ」と読ませる名前。  男児ならありでは。聞いたことはないが。  運気がやってきそうなそこそこの佳字かもしれない。  そう考えると、「はこぶ」という女子名もないことはない気がしてくる。 
: 「両手両足の爪切ると、ばってる。」  ? ばてる、つかれる、か。
: 「■■そうさん、ふつうの身体なのに、動きが、ちょこちょこしていて、おもしろい。」  小柄というわけではないのに。  waka君の食指が動きだしたか・・
: 「ミールトッン  心がはじけるよな、感じ。」  そもそも、ミールトッンとはなに? トッンなんて表記、日本語にはないのでは?  辞書にもなし、検索もヒット無し。  聞き書きか、さもなくば、waka君の心にポッと生まれたか。  → かろうじて、ミルトン(Milton)というブランドがあるという情報みつかる。 赤ちゃん用品。イギリス発祥とか。
: 「ガキの がきゃ ガキャ ■■リ 妹の名  がきゃこうろうの  ■■リ/■ のえん〜〜」  妹の名をおもちゃにしてる、だけでしょう。  荒城の月の歌詞にのせたり。
: 「■■リ : せんひきかして、くださいな。   ぼく : 即かえすのよ、ぜったいかえすのよ。  → なぜか、僕、妹と話すときは女ことば。」  になったりする、と。  おもしろいね。
: 「夢。  ・P13、l14は、オーストラリアが、人類の平和と進歩と調和に貢献しやすいことをしめす。  ・かきたいこといっぱいあったけど忘れる。  女の子、多く出てくる。」  ま、夢だから。  13頁の14行目。英語の教科書辺りが見えてた。
: 「4時17分でうで時計とまってた。今、6時20分。」  朝起きたら。  この頃はもう腕時計をしたまま寝ていたんだっけ。 それは勤めるようになってからだっけ。(大昔なので記憶あいまい)
: 「ヤル」  起き抜けの、すっきり。
: 「昔、はらくだしてたころ、小便器で小便してるうちに 大便もらしちゃったことあったなあ。」  人に黒歴史があるなら、黄色い歴史もある、おそらく、だれにでも、たぶん。(^^)/
: 「とまってる時計みてると、秒針うごいてるような錯覚うけることある。」  数項前の停まってしまった腕時計だな。  → 錯視というのはほんとにあって、ウソってぐらい、 そうでないはずのことがふつうに違和感なく見えたりする。 そうではないとどんなに頭でわかっていても、目を見開いても、心身とも完璧でも、見えてしまう。 不思議だ、人の知覚や脳の働きというのは。
: 「今日の夢ではイト■■が重要な地位を占めたよう。」  クラスメートで文学クラブ仲間で、教室では一番よく話していたかも。  もっさりしたたたずまいと声だけど、どこかおかしげのあるヤツ。  女子にはもてなそうだし、学業方面の出来はwaka君とどっこいどっこいで、そこら辺も近しいかんじ。  彼の作品、たくさん読んだわけではないが、この年の文芸誌に載っているのは佳品。 心やさしい物語だった。もっさりとは対照的な輝きで粒だっていた。
: 「姉き、きのう、ギターかうとか、いってた。」  waka家にギターが存在したことはあっただろうか。  姉きの目論見は実現せず? うーん、買ったけど、一日二日程度でお蔵入りだったかなあ・・  (実家の屋内にギターのような物がある映像が頭の片隅に、ちょろっと。 あれは買ったのか、だれかがだれかに借りてすぐ返したのか。 少なくも、ギターの音色が実家の屋内に流れたり、ためしに私がつま弾いたり、そういう記憶はないなあ)
: 「もし、うちが、赤紙はられたとき、ぼくの本や、こういうノートも、ぼくのものじゃなくなるのか?」  これは、差し押さえをいってるのかな。破産時の。  だとしても、金目の物だけでしょう、そういう扱いを受けるのは。  → 調べたら、赤い紙が貼られるのは強制執行のときで、破産とは別物のようだ。(素人なので詳細は分かりません)  → waka一族は、江戸時代から令和まで、つつましく清栄中。幸いにもそういう憂き目には遭っていません。 ただし、先の大戦で千葉市は空襲を受け、一旦、すべて焼けて、すべて失った、とは聞いている。  (私が幼児の頃、まだバラック住まいで、ドラム缶風呂で。ナマの記憶なのか、写真の記憶なのか、片隅に、ちょびっと残っている)
: 「また、顔面上、にきびがはなばなしくなろうとしている。  《 顔面図 》 特にひどい。」  なんだか、仏像みたいな。  これが高三の時だから、まもなくにきびは消えていく。  高校をでて勤めて酒を飲み歩くようになった頃には、もうつるっとしていた気がする。  (その頃からモテ期が始まったんだっけか・・  まあ、他人と比べてではなく、自分史的に、だけど)
: 「寔に」  まことに。  こんな漢字、見たことないよ、その後半世紀。
: 「会長さんは、もう、じいやったのかなあ?  やってないような、しかし、まるでしらん、て顔して、すでに知ってるような。」  三年間ずっと将棋仲間。昼休みの卓球仲間でもある。  ひょろっとしていて、清潔感抜群で、高■氏にひけをとらない最優秀生徒。  (顔立ちが瓢箪風で、少年ぽくて、いわゆるイケメンとは違うけど)  医院(産婦人科)の息子だからねえ、知識として知らないってことはありえないだろう。 男子である以上、高三で未経験もふつうはないだろう。透明で純粋な雰囲気だったけどさ。
: 「ぼくようちえんの頃はべつに頭いいともなんともいわれてなかったなあ。  → あの頃は平和だったのか?」  小学校に上がると、高評価を受けた。  中学にはいると、まあ、上の下、中の上ぐらい。  高校になると、三年間で、中の下から下の中ぐらいまで下降していった。  → だからまあ、優等生から劣等生までひととおり経験できたかもな。  → モテ期と言えばそういえば、小学一年の頃にもあった。女子に囲まれていた。 (うるさいほどだった。なんでだろう。不思議だ)
: 「ズボンきれて、あなあいてたのでぬう。ちょうどま下。  7:55〜8:00 こんなときに。  → イトアナヲトオラズすこし苦労。」  朝、登校前のこんな間際に。  でも裁縫は、小学五六年生の時の家庭科で習っただけだが、得意なのだ。 穴を縫い合わせたり、継ぎを当てたり、ボタン付けもばっちり、まかせて。もちろん今でも。 (その小学時の裁縫セットが一生ものになってる)  (でも正直なところ、繕えるんだけど、楽しいんだけど、 時間が惜しくて新品を買ってしまうことが増えたなあ、歳とともに。 母方の祖母や母には叱られそうだが。 ただし、傷んだ衣類は、いきなりでなく、外着>普段着>雑巾、ウエス>ごみ箱、と徐々に落としていくようにしている。 あるいは、座布団カバーだけ買ってきて、中に詰めたり)
: 「校門前の坂、■■コシ先生がおいぬいてったので、ちょっと下むいたが、そっぽむいてて、 完全においこされてからみたら、■■こし先生のうしろに●君いてすでに、ぼくおいぬいていた。 まるで、あいさつなし。  それでもいいさ、と思う。  ゲタバコはいるとこで、自然に●君のうしろまできたので、せなかたたいて、 よ、よ、とあいさつかわす。彼故意にあいさつしなかった? わからなかった?  ぼくが、あいさつしないからしなかった? (そっぽむいたから)  ぼくかどうかよくわからなかったから、しなかった?」  どうも、●君とは、微妙な関係性ですなあ。 おおざっぱにいってしまえば、とっつきにくい、波長が合わない。 なんとなく、●君から距離をとられている気がして、だからこそ近寄ろうとしたくなるみたいな・・  まあ、男っぽい、カラッとした奴じゃないってことはいえてそう。  (waka君も少なからず)
: 「ぼくが、平和に、しゅみをたのしむことを生きる目的として生きていくためには、 いやなことでも働いていかねばならぬ。  70以後は、あしこしたたなくなるだろうから、貯金もしていかねばならず。  独身者は税金たかいから、税金のがれのために妻をめとったとしても、 いつしか、妻のために働かねばならなくなる。  恋愛結婚したとしても、ぼくが貧しいが、たのしい生活をしていくとしても、 妻には妻のたのしい世界があるから、同調してくれるとも、限らぬ。」  将来の見通しなんだろうが、よどんでる。  どこから仕入れたのかはやくも小知恵がついてる。  大人といえば大人だが、すがすがしさ皆無、野望とか覇気もない。  おもしろいけど(^^;   (・・いろいろ、もうちょっとマシだぜ。ラッキーだったのかもしれないけどさ)
: 「通じて : つうじて  通して : とうして/とおして・・・?」  この並記はよし。  濁点のあるなしで化ける。発見級。
: 「●君とは登校のときあわぬように歩いてきた。  7:55分頃でると、ヤスシにあい、  8:05にでると、●君、  8:10にでるとアキラにあう。  そこで、8:00にでたつもり。  8:02ごろにでたか?  それに、  学校ついて、先生きたとき、まだ25分。 先生が五分前にくるわけないのに、とろうかのみれば、30分。  どこかで、5分おくれた。  家でる前か、歩いてるときか。  家、でる前なら、●君に、坂あたりでおいつかれた理由わかる。  (結局、あいさつされなかったし、あいさつを坂でしあっても、 いっしょにあるくのは、すこしですんだのだが。)  → ●君は歩くのはやく、5分くらいちぢめてしまう?」  登校時の遭遇を、教室に着いてからすぐ左記の通りメモはしていたが、 一息ついてさらに落ちついてから(授業中?)吟味しているみたいだ。   結局の所、waka君のほうも、ほうが、人を避けたい、のかいな。  (挨拶してくれたくれないを気にする自分がおっくうだから、いっそ、行き会わなければ気楽。 とはいえ、それは、針の穴を通すぐらいのむずかしさをともなうようだ、と)  (人界を避ける、捨てるという方法もある。人界とまじわらざるを得ないのなら、どうするか。 何十年と費やして、それを会得していく。生まれおちた魂はそれをしている。  ・・こういう眺め方もできるなあ)
: 「1時間目、半分ぐらいになると、 教室のうしろのろうか側のすみの新■君、あいていた戸をガラガラとしめる。  おどろいて、いつも、だれかきたのかとふりむくと、新■君が戸をおしている。  なぜ、しめるの?」  つまり、門番をしてるつもりなのか。 遅刻者のためにあけておくけど、半ばを過ぎればもういないだろうと、閉める。 門番としてはしごく自然な対処(のつもり)なんだろう。
: 「アキャとオシ■君、こそこそ話してる。こそこそはなしてるんだろうが、ひくい部分がよくひびく。  授業中。」  ふむふむ。  静寂。板書するカッカッという音。ペンを走らすサラサラ・・  そこにコソコソ話。  まるで今、参加しているみたいだ。
: 「諸子 氏? を、□子」  □は、都の左右が交替した文字。デジタル文字はないが、なぎさと読むようだ。  諸子、諸氏、ともに、諸君と同義。
: 「以降 降?」  2字目の降には、まん中に縦棒がある。
: 「元寇 を 元冠」  似てるよね、と思ったが、よくみると、ウかんむりとワかんむりの差もあるではないか。  本文の冠はウかんむりにみえるぞ。
: 「行ない、を行い」  おこないの表記、これはどちらもありなんだ、たしか。
: 「そのに乗じて  期? 希?」  幾だろう。ATOK変換させると、その期に乗じて。  ネット検索すると、ほとんど「機に乗じる」  あれ、幾じゃないんだ。  機会も、幾会かと思ってた。今さっき。  (上で、ネット検索してるときも、機に乗じる、と書いてあるのに、 全部、幾に乗じる、とよんでいた! はっきりそう見えていた。  コピーしてここに貼り付けたら、機になってるから、なんで?  と思い、ネット上の記事見直したら、全部、機。 人の目とは何といいかげんな。思い込みが映像までも改竄する!?)  (ネット検索してるときは、期なのか幾なのかの二者判別しか頭になかったってこともあるんだろうか)
: 「実籾」  みもみ。千葉の地名。  ふつうの熟語としてもありそうだが、辞書でも検索でも該当無し。
: 「ベン図 便図 ) 」  数学の集合で用いる、ベンの考案した図式。だから本来は人名。  便図は(本当はベン図だと分かっている)waka君の当字でしょう。  便利な図、という意だろうけど、糞便図もかすかに見えて使いたくない語ではある。
: 「ノリ公 :高校で文科やって、大学は理科うける。  高■氏 :高校で理科やって、大学は文科うける。」  へそ曲がりたち、ということだろう。  高三時、ノリミツはwaka君と同じクラスだから文科。高■氏は遠い別クラスで理科。  まだ六月か。  結果的に、ノリミツはその通り。  高■氏は医学部にいったはずだから翌年までにはあらためたか。  → 秀才たちは何を考えているかよく分からないが、 優秀ゆえに、どの大学のどの系統の学部でもだいたいそこそこ受かりそうで、 かえって迷うんだろう。  おおまかながら人生の進路ということが一番だろうけど、見得やら家庭の事情やらもからんで、 案外、すっきり晴々とはしていなかったのかもしれない。その明晰な頭脳ほどには。
: 「数学の時間。あっというまにたっていく時間が、もったいないと思う。  時計みると、50分。さっき45分だったのに、と思って思いだすと、 45分をみたのは歴史の時間。1時間がたってしまっていた。  そしたら、なんか、時間がもったいなくなり、きらいな数学も、もっと長く感じたい、と思った。  → ぼく、慣れたためか、学校では時間が速くすぎていくらしい、ぼく、ふつうのつもりでも。」  もったいないと思う。もったいなくなり。この二つは逆転していない。同じことの反復。 と気づくと、すんなり読める項。  → まなびやでまなぶ。子供の頃からずっとだから、友らも皆まわりで同じようだったから、 その異様さに気づけなかった。 が、そろそろ、化けの皮がはがれようとしている。その兆し、その匂いがする。
: 「抜 抜 )?  抜 抜 )?」  2字目は右に点。4字目は右側が反。
: 「A∪ join B を、 AUB」  ∪(カップ、ジョイン)と、U(uの大文字)。  デジタル文字でもそっくりだから、読みまちがえてもしょうがないわな。  が、まあ、数学の授業で板書されたなら前者であろう。と誰より、臨場しているwaka君が認識すべき。ということは、わかっていて本項を書いている?  〜と読んだり(見えたり)するかも、と。
: 「自分から、みた黒板の字の大きさと、ノートの字の大きさ同じくらい。 (黒板の方がはるかにでかいだろうが。)  → 無意識のうちに、そのようにノートしてるのか?  先生が、そのように板書してるのか?  ぼくのこの席だと偶然そうなるのか?  ただ、偶然か?  ――→ ノートの字の大きさは、ノートにある、ケイ、できまるから、これは、ちょっと、うたがわしい。」  太陽と月が同じぐらいの大きさにみえる如く。  天文はたまたまだろうが、転記はなにかありそう、書いている側に。
: 「φ を 中 .」  ファイ。ギリシャ文字。  Wikipediaによると、空集合をあらわすなら本来は「スラッシュ付きO(オー)」が正しいそうだ。
: 「数学なんかに時間をつかうと(感じると)命、みじかくなる?  つまり、どれほど時間を感じたかが、その人の寿命?  → それとも、ねないでいると人は死ぬ、というから、 時間を長く感じて、いくらかやすむと、また長く感じられる体調になり、 それをうまくやれば、ずっと長く生きられるのか?」  有限固定である寿命を数学に使うと、残りが減ってしまう。というのが前段?  後段は、適度な睡眠により、寿命は変数となって伸長させうるかも。ということかな。  もし、時間を短く感じたなら寿命が縮まったことで、長く感じたなら寿命が伸びたこと、 といっているとしたら、やや違和感があるかもな。  寿命の寿には幸福がふくまれていそう。幸福な時間というのはあっという間に過ぎるというし。 つらい時間というのは長く感じるようだし。
: 「えんぴつの先みて、字かいてたら、おしりのほうが、まがってみえたよ。  長さ、20cm弱ほどのエンピツ。  メガネかけてあり。」  眼鏡レンズの縁では、歪みが大きくなるためだろう。  20cm弱ならおろしたてか。
: 「ありを、あり」  二つめのありは、二字の間が融合。  しかし、現場のはずの直上は前者にみえる。だから、これは未遂(しそうになった、そうなる場合が見えた)か。
: 「5:  □ 5  □ 5 )?」  5の書き順。上の横棒が後か、先かをいってるようだ。
: 「1/21 + 5/14 が正しいのに、まちがえて、5/42 + 1/21 と書こうとする。  しかし、ノートにかいたのは、5/42 + 1/42。  P155問3の2番目の答えは、(つまり、上は)1番目の答えと同じだと思って、1番目のをうつした。 ところが、一番目に、5/42 + 1/21、とかいてあるべきなのを、5/42 + 1/42 とかいてあったので、 うつしたのも、まちがい。 ・・・ ・・・  P(A∪B)=P(E)+P(F)  =5/42+1/42 このひどさ  =1/6 しかし、答えはあってる。」  どういう問題だったが、式をみてももう理解できないが、ざっとだが、単純な計算ミスが多いのう。  6/42 と 7/42 を約分するとそれぞれ、1/7 と 1/6 になるわけだが、混同しやすいのは分かるが、混同しているようだ。  紆余曲折のすえ、答えはあってる、は(こまったもんだ、しょうがないなあと)苦笑い。  それにしても途中で、2番目の答えは1番目の答えと同じになるとなぜ思ったのか、事情が浮かばなくて、謎だ・・
: 「りゅうあん寺の石庭の白い小石は、動くのか?」  波や渦の模様は固定されているわけではなく、白い小石の敷かれた庭を熊手箒のようなものでひいて描いてるんだろうなあ。  見たわけではないが。  放置すれば草が生えてきていずれぼうぼうになるはずだから、維持は大変そうだ。  (ぼうぼうになった景色もみてみたい気がするけど・・)  (あの石庭がぼうぼうになった後を模して、個人の庭を造ってみる。これはありかも!)
: 「写真/現国教科書の写真.を鏡のようにかんじて、 くちびるの上のつぶしたニキビをうつそうとしたよ。」  これは錯覚の記録だけど、めずらしい、おもしろい。
: 「今日の卓球は、おもろ。  パシンパシンうつ。どちらかというと、わりと、ソウ快。」  相手(おそらく会長さん)との波長も合わないとこうはいかないだろう。  かけひきよりも思い切り打ち合えた、そういう日。
: 「新■君、5時間目も、戸しめる。 戸昼休みであく。」  笑。
: 「そば : 漢?」  書けなかったのは、側や傍なのか、蕎麦なのか。
: 「物理の時間から、そうじの時間の間、ノリ公\NORIKOU の言、 「つまんないで、大学いかないのは、やっぱりまけたんだよ。」  これ2度ほど。  「でも、しかし、つまんないなあ。勉強なんかより、うちで本よんだり、 日記かいたりしてる方が、ずっとたのしい。」  「でもそれは錯覚かもしれないよ。云々。」  「いや、どうせ、両方とも、錯覚かもしれないなら、行かないがいいよ、云々。」  はじめ、ノリ公が、  「■■さんやっぱり大学いかないの?」  と物理の時間きき、ぼくが、  「なんの抵抗もないなら、いきたくない。(いかない。)」  とか答える。」  今でははっきりとはしないが、ノリミツとしては、 いっしょに大学生になって続けて楽しくやろうよ、という気持ちだったのではなかろうか。  waka君は楽しくやっていくのに大学生である必要はないのではともうほぼ分かっているけど、 ノリミツは大学生にならない進路というのが浮かばないって感じだ。  この点に関しては、waka君のほうが先にいっているようだ。または、見えている。
: 「こんど、掃除、書庫。」  今度の(これからの?)掃除担当場所は書庫。
: 「おわってのち、ぼくと、ノリ公と●の三人でげたばこ出て、校門までいっしょ。  校門でノリちゃん、じゃ先カエロウ、といって、一人で自転車でいく。 (校門でるとき、ぼくが、ちょっとぶつかりそうになって、 あぶないとかいい、それだから、先帰ろう、といって、帰る。 別にぼくがぶつかりそうになったことと、帰ること、なんの連関もないが、 話しているうちに、「それじゃあ、」という語つかったので、そんな話しまわりになった。)」  そんなつながりになった。
: 「それから、●君と、しらけそうになりながらも、 (これは表にはあらわさずかつ表層のぼくは、わりと、話にのっていた。) コックリさんと、超能力の話をした。  図書館すぎるとこで、オレ本かいにいくから、と●君とわかれる。  県庁いくらか前の本屋でなく、プラザいくが、はいるとき、ノリ公の自転車、 (カバンが彼の)あったので、ノリ公もいるな、と、5階にいく。 りょうさいしいの2巻買い、火■君と、ヤ、ヤア、といい、 (ぼくが、ヤ、といったら、「あ、先輩でしたか。」という。) 本かっていくときにも、うしろにならんでる火■君に、じゃ、といってくる。火■君、おじぎみたいのする。  1階いき、外でて、さっきはいった入口まできたら、ノリ公の自転車なくなってた。」  どうも、ノリ、●君、waka君の三人、よそよそしい。あったかい情感が薄めかな。  まあ、男同士だから、このぐらいでちょうどいいともいえるか。 (●君との気まずさは前からだけど、ノリミツはこの日は少々ナーバスになっていたのかも。後ろの項などもみると)  くらべて、後輩の火■君は、ういやつだ。 型どおりにしてるんだろうけど、その定型がお互いの据わりをよくしている。
: 「 → ここで、かった、りょうさいしい、みためではきれいだが、よくみたら、 たてにかすかなおれめがあり、下の所、すこししわになってた。 みためが、ちょっときたないもう一冊の2巻みるべきだった? (かった方もかわなかった方も本だなからだして、しわとかいろいろみるべきだった?)」  迎え入れるにあたって、事後審査になってしまった、と。  たとえまっさら美本であっても一日二日読み進めれば同じぐらいになるんだけど、自分でそうしたかった。
: 「そうじのとき、毛のあまりついていないモップとったら、 ノリちゃんが、「■■さんみたいだ、」といい、 おわって洗うときも、「■■さんみたいだ」という。 (ノリはモップもたず。そうじの時間も書庫のかぎ、ふりまわしていただけ。) それから、「あ、■■■さん、おこったね。■■■さん、おこるとは思わなかった」という。 その毛の少ないモップが、ぼくみたいだというのが、どうしてぼくをおこらせるかわからなかったし、 ぼく自身、おこっているつもりじゃあなかった。 「ぼくだって人間だから。」といおうと思ったが、言わなかったみたい。 ノリ公、いうには、今まで、おこったのみたことないのは、ナミオだって。 クッちゃんが、おこったのを、ちょっとみたって。 (クッちゃんが、おこるのは意外だったが、という感じで。)」  これはまあ、ノリミツの幼い面(相手がどのくらいまで許容できるか、試している、子供が親にたいしてする甘えの一種)がでた、めずらしい場面か。 そういう種類の孤独を感じていたか。いらつき、とか。
: 「図と図」 2字目、二つ点のある場所がちがう。現場は前々項か。
: 「buy : BAI  買い : KAI  )似てる?」  買の音が、バイなんだから、そっちがもろ同じじゃん。
: 「洗う、 を歩う、」  現場は前々々項。
: 「実行委員会、指名されて、だれかをすいせんしてくださいと、いわれたアマ■君が、 さくら■君、といい、彼のうしろの女の子が、宮■さん、といい、 あと、1人か二人きいたが具体的な名出ず、おし■君、  「ほかになんかありませんかあ。」  ないので、  「じゃあ、これでいいですか。」  パチパチチチー、と、皆拍手してきまり。 宮■さんクラブにはいっている人はやめましょう、とかいってたけど、きかれず。ハクシュ。」  典型的な、おしつけ会合だなあ。かわいそうに。さくら■君、宮■さん。  たぶん、文化祭実行委員会。その中のなにかの役職、担当か。  waka君も拍手したんだろうな。
: 「今日は、メガネかけてきて、かえってくる。  家ではふつう、メガネとってる。テレビみるときなど以外は。」  しだいに顔と一体化。風呂と寝るとき以外は外さなくなっていく。  → トイレ(大)のときメガネは着けたまま。寝るときパンツは着けている。いい勝負か、パンツと(笑)
: 「卓球、ラケットを、《絵図1》 ともたず、《絵図2》 というように すこし、手を、直角になるようにもつと、わりといい。」  ネット画像と比べると、親指の位置がなんか特殊(^^;
: 「男子のズボンのおしりって、だいたいの人、やぶけてんじゃないのかしら。 ぼくの学生ズボンのしり、よくきれすぎるよう。」  「だぶだぶの方が、しりきれやすいんだよねえ。」  肉付きというよりも、動きが活発だから。大げさなぐらい。  大人になると、ふだんの服装で走ること自体がほぼ無いもんな。  逆に、満員電車で立ったままみたいな、息苦しさ、辛抱強さは、高校生にはつらいか。
: 「がけ崩れ実験が、ほんとの災害になったのは、あれは、去年か今年のことじゃないかしら?  でも、3年前のことなんだって。  49、48←1年前、47←2年前、46←3年前」  最近のことじゃなかったかしら、と思ったけど、もう3年前のことなんだって。 関連番組など視聴したのか、自問自答しているような体裁。  → Wikipedia〔 川崎ローム斜面崩壊実験事故(かわさきロームしゃめんほうかいじっけんじこ)は、1971年(昭和46年)11月11日、川崎市生田緑地公園内で行われていた斜面崩壊実験中に発生した事故である。この事故により研究従事者及び報道関係者ら15名が生き埋めとなり死亡した。現在、生田緑地内、川崎市岡本太郎美術館入口脇に慰霊碑が建っている[1]。 〕  凄惨な事故。あまりにも、人災。
: 「■■リ、わるくちいうと、すぐ本気にして、なくよ。ここ2、3日。前もか。」  繊細な(心が弱気なってる)時期だったのかな。 小学四年生ぐらいか。高三の兄に意地悪いわれたら、泣いても不思議ではないか。かわいそうに。  (泣き真似を覚える年ごろ、といえないこともないが・・)
: 「うちのにわにはようねこがいるなあ。」  野良猫か他の家の飼い猫か。  こちらが縁側でひなたぼっこなどしていると、のそのそ歩いている。
: 「アスパラガス   ポッキン   苦労して、ピカピカひかるようなつやのある  かわいい声だしてる。 )?」  ポエム?  だれが? TVコマーシャルのことかなあ・・
: 「人との会話において、自分では考えもしなかったような言葉、 もやもやしていて、はっきりあらわせなかったもの、 それらが、ふと自分の口から、わかりやすい語となって、でやすいなあ。」  わかる。会話してると、整理整頓されていったりする。  相手がいると自分も拡張する、というふう。湧く。
: 「がきゃ■こ/■■こ、ぼくのしっぺ、おそれてるので、わるいことすると、何かと、 しっぺするぞ、とおどす。あまり、わるいことしなくなった様。」  痛みによる躾は、いまではあまり推奨されないだろうけど。  上の妹はあまやかすとつけあがるし、口でいくら言っても守らない。 てっとりばやく、ということになってしまう。
: 「ぼくって、しんぶんしで弁当つつむのうまくなったな。 おかず入れを弁当バコの上にのせてあるのつつむのも、 くいおわって、おかず入れを弁当箱の中に入れてつつむのも。」  そりゃ、毎日やっていればね。  (ぱり、ぴしっとできる。今でも)
: 「しんぶんしパリパリあけながら、中の物(弁当)水はったたらいの中に入れようと、 いつものようにしたが、いつもはしんぶんし、へやのごみばこに入れるのに、弁当までもっていったので、 しんぶんしまで、たらいの中に入れそうになる。(行動をおこす前にはっと気づきやめる)」  いつもは、分離して新聞紙をすてるが、 このときは、いっしょに持っていったため、ゴミ箱にすてられず、 いっしょのままたらいに入れようとした、という感じか。 うわの空、というか、身体のかってに動くにまかせていたら、というところでしょう。
: 「ハマグリやアサリのカイバシラは、この図のように 《絵図1》 ↑ の方向にはしでおしてとろうとしてもだめ。 《絵図2》 このように、↓ の方向にはしでおせばかんたんにとれ、くえる。  お父さんにおしえてもらう。(アクセンクトウして)」  ほんとうなんだろうか。  貝を食べる機会が少なくてその後確認できていないかも。  (にしても、あさりのおみおつけが、ふつうに美味しいとおもえる感覚って、考えてみたらすごい。 貝って、生きものの形状として異常、特殊すぎるだろう、虫ともちがうし。一見、石だし。中身は化け物だし)
: 「日本の卵や牛乳は栄養ないんだって。卵くうなら、いわしくった方が栄養あるんだって。 (父より)」  当時はよくわからなかったが、今は、味の濃い玉子と薄い玉子があるのはわかる。  濃い玉子の卵焼きを食べ慣れると、薄いのは別もので、びっくりするぐらい。   (スーパーでも濃い薄いで値段に五割位の差がある、たしかに)  完全栄養食ということではいわし、というよりおそらく煮干し、は優れていると思う。 みそ汁に入っているのをよく噛んで咀嚼していると、いろいろ採りこんでいる実感がある。
: 「お父さん、ナポレオン、のんでる、夕食の前。  「あんまり、のまない方がいい。もうやめたら。」  とか、お母さんいうと、  「なにいってんだよ、人がのんでるとこで」  などと、お父さんいう。」  両親の会話を記録した項は少ないが、その中でもめずらしいほう。 父は酒のみではなくて、たまにたしなむぐらいだった。 それに夫婦としてのやりとりを子供たちにはあまり聞かせなかったと思う。
: 「今日のそうじの帰り、水のみ場でモップに水つけて、さっと、おろしたら、 少ない毛だったので、くるりと毛の部分がまわって、横棒にくっついちゃって、しぼり器  《絵図》 にかけても、あんまりこうかなし。(しぼるべき毛がない。)  こののち、ノリちゃん、「■■さんおこったから、自分に帰ったんだ。」とか言った。」  少ない毛だったのでまわって横棒にくっついちゃったようすが、おこって自分に帰ったwaka君そのままだ、と。  うまいことを言ったのか、こじつけなのか、微妙。くるしい。
: 「のり なにいってんだよ」  上辺のエンピツ書きメモ。  のりはノリミツだと思う。
: 「しぼるべき毛 しぼるための毛 }??」  用途のために水をしぼるべきモップの毛なんだが、 もう毛が少なくなっていてあんまり活躍できそうになくて、 しぼるという工程をこなすためだけの毛になっていないか。 そういう気づきっぽい。
: 《謎の絵》  ラケットのようでもあり、ホテルにあるような食器に、玉子をのせてあるようでもある。  後者では脈絡がなさすぎか。  生きものの絵面なら、玉子を丸飲みにしようとしているヘビ。むりそう。
: 「石がきじゅんじ 山口ひとみ )→ ともに将棋ずき?」  Wikipediaによれば、  ○ 石垣純二(1912〜1976)。医事評論家だが、著書「石垣流二枚落大血戦」あり。  ○ 山口瞳(1926〜1995)。作家。著書「山口瞳血涙十番勝負」あり。
: 「ただいま、 おかえんなさい」  さりげない撥音便。  大昔に省略されただろう「かえりました」が返事には残っている。これも面白い。
: 「一体日本/いったいび、本 ・・・  とよみ、一体、日本/にほん、とよめなかった。」  勘はわるいけど、まっさらな読みと言えそう。
: 「尺(10寸)盤。」  ふつうの体格の人が対戦するとして、厚すぎる=高すぎるかも。  このクラスだと百万円ぐらいのもあったりするから、厚さが無駄なのはもったいない。
: 「ソフトウェア ハードウェア )?」  おそらくまだコンピューター関係は一般的ではない。  機械の基礎的な概念を言っているのかなあ。  → 調べると、ちょうどこの頃、1970年代半ばに世界初のパーソナルコンピュータ(パソコン)が販売されている。 黎明期、高校生waka君のノートに関係用語が書きつけられる、ないことはないか。  → waka君がワープロ機を買ったのは、平成3年(1991年)だから、17年後。  デスクトップパソコン(Win95機)を買ったのは、平成9年(1997年)、23年後。
: 「ぼくのへやのガスせん、ホースがとれなかったとみえ、ぶっきってある。 はじっこがまだついてる。(今、気づく。 ふすまあけようとすると、学校のものはいった紙のてさげがつっかえて、あきにくく、それどかしたら、 そこのくらがりにあるガスせんがきになりしゃがんでみたがみえず、上からみてもはっきりしない。 で、メガネかけてみてもだめ。でも、小さなカイチュウでんとうでてらしてみたら、 へんなのついてるので、しゃがんでみれば、ホースぶっきれてついてるので、あきれる。  《絵図》  → ホースがまだついてる、ということは、せんひねっただけで、ガスでてしまうということ。こわい。」  「ガスせんのそばには、ソフトボールと、 ずっと前山いったときの、枝のつえのたてかけてあるやつのあし。  くらがりにね。」  ホースがついていなければ栓をひねっただけではガスが出ないガス栓、ということか。 そんなものがあったんだ・・  今検索すると、コンセントガス栓というのに機能は似ている(形状は別物と思われるが)。
: 「ヌーベルバーグ  :しら」  フランス語で「新しい波」の意。1958年頃からのゴダール、トリュフォーら若い世代の映画監督、およびその作品傾向をいう。 (精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006 より)  しらは調べよの短縮。
: 「ぼく、せなかにいっぱいおできあるみたい。」  「せなかのおできも、顔のおできもいじらないしましょう。」  簡にして要。
: 「今日のお■さん、もも色のブラウスきててまた、おっとり、ゆるやかで、 なんか、ゆうびな美しさあった。なーんが、ぼくを避けてるみたい。 (ぼくがさけてる? ぼくが、強いような目で見るから?)」  お■嬢が登場するのは久しぶりかもしれない。席替えで離れてしまってフェロモンが届かなくなったか。
: 「■■コから、したじきもらった。■■コ別に1つもってる。  (ぼくのぶっくれた下じきのようにビニールのがついてて、何かはさめるやつではない。 けど、このごろ、何もはさまないから、はさめるの、別にいらんだろ。 これからは両方つかうようにしよう。」  (ぼくのぶっくれた下じきのように=ビニールのがついてて+何かはさめるやつ)ではない、というくくりだな。  兄が妹にものをあげるのはふつうは自然だけど、この兄はめったにそういうプレゼントをしなかった。 妹が兄にというのは、さらにめずらしい方向だろう。 逆に、物を獲り合って喧嘩をした記憶なら何度もある。  不思議だが、上の妹、執着のない物ならこのようにあっさりしてたのかも。
: 「西の下の戸、しめ、さるおろしてのち、ガタガタと、前後にうごかし、 また、さるを、つよくおしてのち、前後にガタガタ。これで納得して、こちらにぐっとひいてのち、 手をはなし、ガラス戸しめ、かぎしめる。」  waka君の自室四畳半の西側下の窓の雨戸、ガラス戸。  強迫神経症的に、しつこく戸締まりをみている現在に比べれば、この程度はかわいい。  さる、というのは、雨戸を締め固定するために周囲の材に差し込めるようにした木製の細工。
: 「戸しめたら、姉きのいうように、旅亭/料亭でした。の声、きこえなくなって、しずか。  姉き、おじいさんのへやとの間のいくつかの戸も、しめたから、テレビの音遠のき、しずか。  あとは、姉きのラジオの音だけ。姉きのへやとのさかい襖、閉/締めよう。」  ちなみに、
の旁は、。  ふつう書かれる(新字)とはわずかにちがう異体字=旧字の姿をとどめているのだ。
: 「閉じる → 閉はだめ?  締める」  2字目の閉は、中味が才。  たしかに(気にしてなかったが)、中味は、オ。  しめる=閉める、もある。間違いじゃない。  → いや、ネット上の書き順サイトなどでは、中味が才のようにもみえる。  手元漢和辞典をみたら、「門と才とから成り」とあるな。つまり、才が正統か!
: 「突然、バラバラバラーと、外に物が落ちる音。いったい何がおこったのかと思ったら、雨。  「なんだ雨かよ、おどろいたあ。」  しかし、ひどい音。まるで小石が降ってるよう。  ゴーゴーゴロゴロ、というかみなりのようなそうでないような音もしてる。  しばらくして、やっと、といから、水のあふれおちる、ビチャビチャ、というおと。」  「この頃、夜、雨降って、昼はれるのでは?  なぜ、夜、雨が降る?」  夕立的な? たまたま?
: 「湯豆腐を、マメドウフとよむ。」  なるほど。  最初にまん中の豆の字が目に入った、とかだ。
: 「晩酌って、たのしいの?」  昼間の労働を知らないうちはわからないかもよ。
: 「イヤン を イカン とよむ。」  だいぶちがう、字も近いのに。  原文が「イヤン」なら、マンガのせりふ?
: 「む を 〜〜 〜〜 〜〜 」  むがかなりひらべったく形態変化してる。  真上が現場か。
: 「今日の●君の話では週間朝日、■■■■君が1回だけ、ズボンのバンドでまげたのをみて、 インキチだときめつけたとか。あとのは皆、まがったのに。」  週刊朝日が偽装(インチキ)と決めつけた、●君は超能力擁護派、と読める。  中立の伝達者、または、超能力少年の真贋より週刊朝日(既存メディア、当時ならマスメディア)批判が軸、という可能性も多少残るが。  (waka君も若干引っぱられてる?)
: 「それに、さいくをしているというスプーンなげの写真も、どうさいくしてんのか、わからない。」  これはその通り、わかりづらい写真だったという記憶がある。  細工をしているのを記者が目撃した(と思った)ときの状況写真、というべきで、 その細工の詳細をとらえていたわけではなかった(証拠となるような写真ではなかった)ような。  つまり、掲載されたのは、 記者が細工を目撃し、超能力は偽装だったと判明した、という記事であって、 写真は、細工の証拠といえるものではないが、このとき記者の目前で、超能力小年が実演をしたことを証するものではあった、 ということになると思う。  (以上あくまでも、本項や今私が振り返った遠い記憶をもとにした、検証というよりは憶測、感想)
: 「■■コ、おせんべたべてると声、きこえないみたい。」  そっか。片方が難聴なのでありえる。
: 「今日、現国で、「他の人」を、アオ■■さんは ほかのひと、とよみ、 あとの方をよんださい■■さん(だっけ、)は、あとの方にでてきた「他の人」をたのひと、とよんだ。 ほかの人とはよめないだろうと思って、読みについて質問ないかね、と先生いうとき、 質問だそうと思ったが、結局、いわなかった。  読んで、よみのまちがい等をしてきし、もしくは、わからないよみを質問しあう、ということになってた。」  ならば、挙手して発言するのもありだったはず。  しかし、ためらう。ふみきれない。二人が女子だし、片方のアオ■■嬢にダメ出しするような質問をするってのも敷居が高くて。たぶん。  ほかのひとは、外の人が、正表記か。  → 念のため、いちおう裏付けをとったら、辞書(ATOKイミクル)によれば、他の訓は、ほか。  アオ■■嬢も正解じゃないか!  ダメ出しをしないで結局良かったらしい、と、半世紀後にほっとする、か・・
: 「今日、物理のとき、アキャに、ろこつに、「プリントまだ?」ときいたら、 アキャ「ごめん、この時間にうつすよ。」といった。 別にわすれたわけでもないから、ぼくの今までの態度のように、 あ、あるなら、(なくしてないなら)いいよ、いいよ、提出するとき、かえしてくれれば、 とかいやよかったが、めんどうでもある。 それに、自分のプリントはやく自分のとこにもどさぬと不安だという心もあってか、 ちょっと、ろこつになった。」  当たりが強くなってしまった、と反省している。 基本的に、心優しい人間だ、waka君。 (当たりを強くされたくないので、こちらも優しくしている、それが身に染みついている、とも・・) (友人に貸金の返済を催促するときもほぼ同じ?  と予想されるので、これでは回収はおぼつかないと悟り、 大人になったwaka君は、知人友人に金を貸すのは主義としてやめた。 貸すぐらいなら、あげる、という方針に)  → なお、2頁前の上辺メモに「アキャに、物理のプリントみせてもらう」とある。 これが同じプリントをいっているなら、 自分のプリントをアキャに貸し出し中で、それを一時的に見せてもらう、というつながりになるか。 waka君もwaka君だが、アキャもたいがい(配慮不足、ズボラ)だよな。
: 「のう :言葉わからずとも、演技からわかるようにまっているつもりだという、役者。  おわりの一分の感動のため、退屈をガマンする。」  能。舞っている。  うーん。半世紀経っているけど、退屈そうな芸能だという意識は変わってないなあ。 気短なのか、退屈をガマンしている時間がもったいないよ。 事前に予備知識を頭に詰め込んで観賞すれば、そこそこ楽しめるのかもしれないが、 それって舞台芸術として変では?  すでに大半の日本人が理解できない古語で謡われても、いったいだれのための謡なのかと。 個々の言葉というより、呪文の一種として、おもたるい曲調から、雰囲気を感じとるもの、とわりきるべきなのか。  しかしまあ、これを言ったらなあ、神主の祝詞も近縁だからねえ。全否定はできないよなあ・・  つまり、娯楽と思うのが間違い、神事なのだからかしこまるべし、か。  狂言なら、娯楽性があるからそう扱ってよいけど、能は半ば神事か。  そう考えれば、楽しもうなどという心構えがおかしい。 こうべをたれ、むしろ内省すべし。あるいは、心を空虚にして、身をゆだねるべし。  うんうん。なんだか、次に能を前にする機会がもしあったら、これで行ってみようか、という気になってきた・・
: 「6/25」 「しかし、勉強、しなさすぎだなあ。」 「じゅんさい、とは?」 「きれいな字を書きましょうね。」  日付が変わった深夜、つれづれに浮かぶ片言。  じゅんさいは蓴菜か。
: 「電気エンピツけずりだと、エンピツを、むだにけずることを計算に入れて、 エンピツ会社がうりだした?」  無駄にけずってくれれば、消費が激しくなってまた売れる、という論法だけど、それはないな。  エンピツを手でけずるのはめんどうなので、それゆえの、利用者のエンピツ離れが不安。 よって、軽減してくれる便利機械は歓迎、という線はある。  そもそも、便利機械が売れるとみて製作販売したのは第三者だろう。エンピツ会社自身ではなくて。  → ここ何十年、エンピツをけずったことがない、手動電動どちらでも、たぶん。 エンピツで書くこと自体、年に一回あるかどうか。  そばにある木製チェストのとある引出しの底には、 小中高校の頃使用していたエンピツ群がそのまま残っているんだけど。  → そういえば、高卒後勤めた出版社では、エンピツはしっかり現役だった。 私の周囲からはっきり退場していったのは、やはり、ワープロ、パソコンが筆記や事務の主役になるにつれて、だったか。
: 「英語辞書わすれるとこだった。恐怖、キョウフ。」  深夜なので、学生鞄に入れ忘れていたことに気づいて、だと思う。  朝起きてそのまま鞄を持っていくのは必至、と見越して。  (辞書なしでの英文読解力は、半減どころか、一二割近くまで落ちる。 指名され、起立して、しどろもどろに立ち往生するのまで見える)
: 「しかし、書道の先生は字がうまい。ぼくの筆でかいても、うまいのみて、うまいなあ、と思った。」  あたりまえじゃないか〜(笑)  道具のせいじゃない、とあらためて納得してる。
: 「今日は、自転車べち。カチカチ音たてていくべち。」  6/25は火曜日か。  『1974/06/16 女の人の乳房は、』にある通り、 約一週間前の6/16日曜日の将棋大会の日、自転車の鍵をなくして、 やむなく自転車ドロボウみたく、手に黒い油つけ、 ストッパーがとびだす器具(これが車輪まわるの防ぐ)をまわして、駅からの帰路をのってくる。 (かんたんにまわるの知ってた。が、完全には器具をまわしきれなかったので) 走るたびに、キ、キ、キ、と、小さく、かすれあっている音がした。  などという状態になってたわけだが、本項の記述をみると、それがそのまま。 まだ、関係器具を取り外したり、チェーンロックを用意したりの対策はしてないようだ。 紛失した鍵がまた出てくるとか、スペアを入手できないか、という方向を期待してるのかも。
: 「3時半にめざましあわせる。3時半にかえってこれるか?  → これを、お母さんみて、あの子は今日(朝の)3時半におきるつもりだったのかしら、などと、みるかしら?」  つまり、登校前、午後三時半に鳴るようにセットしたのか。  ちょっとした冒険だよな。帰りつけなければ、無人の部屋で鳴り続けてしまう。  六時間目まであった場合、放課後掃除して、自転車こいで、ぎりぎりぐらいでは。
: 「ノートなんども、てさげにいれてもすぐかきたいたことでてきて、机から、よういにたちあがれない。」  これが登校直前で、次項はもう学校到着後一時限か二時限経過と思われる。
: 「化学の実験おわり、化学の実験室から、中庭の方へ目をやったら、 3年A組の中庭側のトビラのところで、イ■■ちゃん、それにもたれて、 じっと外をみて、何か考えこんでるよう。」  三年生になってクラスが別になって、イ■■ちゃんとの距離ができ始めているよう。
: 「ワタリロウカ通ってるとき、3Eの教室みたら、窓側の女子が、内側むいてすわってた。  まだ授業やってたみたいだが、何やってたんだろ。」  ふむ。  通常の授業なら、生徒たちは教室の前、黒板のほうを向いている。窓からは横顔が見えるはず。  その女子は背中側が見えてたんだ。なおかつ授業中の雰囲気なら、たしかにちょっと不思議だ。  (前項、本項からもわかるが、三年生の教室は、一階に並んでいる)
: 「えんりょ (しら)」  遠慮。
: 「聞こえる、を、○  聞える、×」  活用するのは、える、だから、語幹は、きこ、となるわけで、聞える、でも送り仮名としては機能している。  いちおうしらべたら、現在の用方では、聞こえるが本則、聞えるが許容という扱いのようだ。
: 「文学に、自分の世界をつくるのだよ。  仏教の世界のように。  → そのような世界を、書きあらわすのだよ!!  → ホケキョウのように。  → ボサツのような、皆をたすけたいという悲願をもったような人物をだしたり、怪物をだしたり。  ―→ 愛情物語だけが、物語じゃない。 一つの世界、をつくりあげられれば、それもたいしたことだ。  例えば、仏教のいう世界のような。」  宗教、物語、願望、妄想・・  同じものにいくつも名前をつけているだけかもね。
: 「となりのよし■さん、よく肩のへん、かく。 カシカシ。でも、(こういう所に意外と)色あり。」  変なところに反応してしまう。男はとくにあるのでは?
: 「るの」が形態変化して「お」
: 「ずいひつ ?」  随筆。  覚えないというか、漢字の意味がぴんと来ないので。  中国の古代王朝「隋」とも違うし。  脊髄、というのもあるから、この旁が音符なのか。  → 手元漢和辞典によれば、随筆の随は隨が本字。 王朝、初めは隨国だった。安寧を願い、走る意であるしんにゅうを取って、隋と称した。とのこと。
: 「きのうかおととい、となりの(さい■■さん?)のおとしたけしごむあっちもひろえたが、 こっちも手がのびたので、ひろってやる。  → もう一度ぐらい、この前に、ひろったかしら?」  さい■■嬢、前からのなじみのはずなのに、だっけとか?とか付けて、まだ姓が曖昧な様子。奇妙。  なのでちゃんと調べてみたら、高一高二時に同級のさい■■嬢とは同姓別人のさい■■嬢と高三時に同じクラスになっていた。  なるほど〜  そのなじみでないほうのさい■■嬢が、このとき隣の席にすわってるんだ。
: 「刑」が形態変化して「形」  「刑、」が形態変化して「形」  いずれも苦しげ。
: 「授業変更 6/24(月)5時限 Reader ⇔ 6/26(水)5時限 古文  とあったのを、  授○○○ 6/25(火)5時限 Grammar ⇔ 6/26(水)3時限 日本史  と、かきかえてあった。  で、水よう日は、3時間も英語あるのか、とおどろく。が、だれかのいたずら。ていじせい?」  先生らの都合で自習とか交換があり、告知がよく黒板に書かれていた。  書替前後がともに真なら、水曜は、元々時間割にあった英語(ReaderかGrammar)のほかに、 3時限がGrammarに、5時限がReaderに振り替わる。合わせて、3つもか、と。  真相はいかに!? (定時制のだれかの、というのは濡れ衣と思うけど)
: 「弥縫 びぼう」  びぼうでは、辞書になし。びほう、らしい。  へ〜 しらなかった。びぼうとしか口にしてこなかった!  → ネット上では、「弥縫策 びぼうさく」と読んでる場合も少数ながらあり。
: 「さっき、 《絵図》  こんなことしながら書いてた。 このくぎりの上の方、みられるようにと、まわりの人に。  4時間目おわったのちの昼休み、」  みられぬようにと、でないと文意がおかしいわな。  この頁の第二列の上の方だから、 よし■さんやさい■■さんの女子名が登場してる辺りを隠したくて、でしょう。 (この絵だと、左手の甲が向こう向き。指がこちら側)  あんな小さくて読みづらいエンピツ書きなんだから、気にしすぎ。 ともいえるし、昼休み、おそらく両嬢が両隣で弁当を食べたりしているんだから、妥当、ともいえそう。
: 「机の中に、下■のだといううわさのある、白いしたじき。うちわがわりにつかう。  ・ぼくのも/■■コから得たの。 白い下敷」  推測するに、waka君の机の中に誰かの下じきがはいっていたんだけど、 まわりの人に訊いたら下■のだという声があったんだけど、本人には否定された。 そんな経緯でこういう呼び方になったのでは。  waka君の白い下じきは、前頁で上の妹から進呈されたもの。
: 「体 操/? 服」  体操服でよし。
: 「イト■■も、下■も、  ■■になって小説かくんだろ、という。  わかんないよ、とか答える。  (イト■■今日。下■きのう? いつかも?)」  家業をついでその片手間に小説を書くんだろうと、友らが、waka君の将来を語る。  ある意味、受験競争を勝ち抜かなくてもいい立場とみなされて、 持ち上げられている、別に置かれている、はぶかれている? そんな雰囲気もあったのかどうか。
: 「イ■さんはじらってる or カオフセル。  → この前みられたから?  あれやはり、イ■さん?」  この前、という事情が見えない。  というよりも、waka君がイ■嬢を見た、見つめたような記述が多すぎて、どれだかわからないよ。  → 6/19に以下の記述をみつけた(当displayには未掲載)。  「水のみ場で、みなれない、どことなくイ■さんににてるけど、ちょっとふとりぎみで、髪もおさげな女の子をみる。  イ■さんかな。いやイ■さんのいるB組は5時間目自習なので皆かえったろうに、と思う。」  こういうのって、ほんとに太ったのではなく、髪型で見え方がどうにでも変わるってことある、わりと。  当人かどうかいぶかしんでいるので本項とのつながり匂うけど、少々日にちが経ちすぎてもいる。  (なお、イ■嬢が3Bではなく3Aと判明するのはその後の6/20頃)
: 「げんまん → ゆびきり」  げんまんは拳万。  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006によると、 〔 (約束をたがえた時には、拳固(げんこ)で万回打つというところから) いつわりのないことを誓い、 互いの小指をからみあわせて唱える誓言。多く、子どもの間でいう。ゆびきりげんまん。 〕  なに、そんな意味があったのか。まったく知らなかった。  ゆびきりげんまんはりせんぼんのーます、と歌ってたけど、 小指をしっかり結び合わせるようなことかと思っていた、げんまんは。  なるほど、拳固が万回で、針が千本。ちゃんと対句だったんだ!
: 「欠 穴  冗?」  うん。似てる。たしかに。  本文の冗は、穴の頭の点がないだけのすがた。中味は几ではなく、ハか。
: 「in を in」  つなげ字で、二つめは略しすぎ。
: 「単独 → なんか、これでいいんだっけ、という感じの語。」  今見るとまぎれもなく単で独なんだが。  一時的に、ゲシュタルト崩壊してたか。  → 例えば、意味が重なりすぎる濃すぎると感じたとかね。もっと淡白な語感で使っていた気がして。
: 「Grammarの時間、シマ■先生、ぼくのとなりにばかりたってた。(半分くらいから)  いつものことではなく、異常なこと。なんでだろ? かんしみたいのしてた?」  ありえるな。  かけはなれて英語の成績がわるい、英語を捨てている、授業中どうやらいつも無関係なノートを隠れてかいている、 などと、英語科の先生たちの間で話題になっていても不思議ではない。  もちろん、waka君、気にしすぎ。自意識過剰。教壇ではなく、生徒たちの中に立って講義したかっただけなのでは。などの可能性も半分ぐらいはある。
: 「分析 を 折 拆」   拆などという字があって、しかもデジタル文字で出せるとは。  拆(タク、ひらく)は、折とは別字と、手元漢和辞典にもあり。
: 「斥 :(しら) セキとよむ?など。 このけすな。 エンピツ書」  排斥の斥。  この語けすなの意味がよくわからないが・・  本文の「よむ」の二字のつながり方がおもしろいので、残したい、とか?
: 「所を 所」  2字目の左側、上が点になって下とつながっている、ってことかな。  人によっては、そういう書き癖の人もいそうで、誤字ともいえないのでは?
: 「蓄を ■、◆ などと、よむ、かく、」  ■は、玄の上の点がなし。  ◆は、草冠の代わりに、玄の頭が二点になっていて、下に田がついただけ。  この字、漢字脳がまだうまく取り込めていないよう。  畜生に草冠でどうしてたくわえる、などとなるよな、やっぱり。  → 手元漢和辞典によれば、畜の元々の意はたくわえるだったが、家畜の意に転用されてしまった。 そこで、本意のたくわえるを表わすために草冠をつけて蓄(冬用に青物を貯蔵する)という字を作った。とある。
: 「蓄を、よんだり、かいたりしても、いう、はない?」  貯蓄、蓄財、蓄える、など、いうことはそこそこあるのでは。  蓄のみをいうきくはまずないが、のみをよむかくもほぼないわけだし。
: 「単 → さっき、(前のくぎりで)ツとしなかった(1つぐらいしか点をつけなかった) ような気がした。」  本頁三列目中程の「単独」を書いた際?  あらためてみると、つなげ字だけどいちおうツ(三点)は意識してるようにみえる。  本項の単とどっこいどっこいだよ。 (本項の単は正しい例ではなくその悪いのを真似したものかもしれないけど)
: 「かわいそうにねえ、なんも、おちたくておちたんじゃないのに。  授業中机から、おちた国語の辞書ちゃんに。」  いたわる。おとしたヤツ(肘あたり)もたしなめながら。  → はからずも、周囲の受験生たちはドキリとした、とか? まだそんな切羽つまっていないか、六月じゃ。
: 「ちょちく、とかこうとして、まず、ちょ、と思いながら、蓄とかき、これはちがったと思い、 その字の前に(もどって)貯とかく。」  当頁に貯蓄はないようなので、現場は別のノート(授業ノート)だろう。
: 「K=ケ ケ ケ  形 ケ カタカナ  → け ヒラガナ   ―→ けい  }似てる!!」  Kとケはともに三画で、45度ぐらい回転させるとそっくりといってもよく、形がにてる、 そして発音もほぼ同じ、と。  → カタカナの「ケ」の字形は「介」の省画、ひらがなの「け」の字形は「計」の草体と辞書にあった。 似すぎているけど、これも偶然!?
: 「畜 → 畜 とかく。」  畜とかくべき所を蓄としたよ、ということではなさそう。  蓄を正しい書き順ではなく、下部を書いてから草冠を乗せたよ、ではなかろうか。
: 「3時になる1分か2分前に鐘鳴る。 (3分ぐらい前になったような気がするが実際は2分か、もっと少なくて、1分だらう。)  ぼくのとけい、今日松■君のとあわせてあるし、鐘がはやくなるのは今日にかぎらない。」  当時の腕時計の精度は(手動巻きだったか自動巻だったかいずれにしろゼンマイ駆動で)この程度。 スピーカーから流れる授業始め終わりの鐘(チャイム)も人がそのつど操作していたのかも。  (当時、放送部員にたしかめればよかった。今となっては、検索しても詳細がわからない)
: 「先生、「少ない」を「少い」  ??こんでいいの?」  少ない、少しが正しい送りがなと習ったかと。  国語科の教師は「少ない」と書いたと思うが、他教科の先生は無頓着だったかも。
: 「昼やすみ、おわってのち、みずのみ場に■■SAKAさん。  会長さんがみずのむうち、彼から、そしてぼく、さよなら、いいあう。」  前々項が午後三時だから、これは二時間以上前を回想している項。  ■サカ嬢の名がまずでているが、場面としっくりしない。  昼休みのおわり、いつものようにいっしょに卓球した会長さんと水のみ場にきた、ということなら、そこまでは自然。  ■サカ嬢とさよならを言い合うような間柄だろうか、waka君であれ会長さんであれ。 しかも、6/25は火曜日でまだ午後の授業があるだろうに。うん、ないな、これは。  あいさつを交わしたのは、会長さんとwaka君のみで、午後はもうあわないだろうから、またあした、程度のいみあいでのさよならだったか。  ■サカ嬢は、まあ、そばで、場面に花を添えただけ? (^^;
: 「体操服のタオル!!」 「明日より、卓球は体育館でまちあわせ、べち。」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  それまでは、大急ぎで弁当を食べ、どちらかがどちらかのクラスに迎えにいって(文科と理科なので離れている)二人で旧体育館に向かっていたんでしょう。 おそらく合理的な会長さんの提案で、一秒でも長く打てるように、また早い者勝ちの台を確保するためにも、省略したという事情か。 その日も卓球したい気持ちは確かめるまでもないしで。  なお、昼休みの卓球は着替えはしていないので(上着は脱ぐとしても)、体操服云々は体育の授業関係のメモ。
: 「サンマのヒラキを、 トンコのヒラキ、とよむ。」  秋刀魚を誤読したのではなく、カタカナのサンマを誤読したわけか・・  ぼやけて見えたんだろうなあ・・ あるいは字がよっぽどよれていたとか。
: 「TL → 何? しらー
!」  どこかに誰かが書いた飾り文字(?)の転写。  とりあえず一番近いのは、TLに見える。  文字が読めないということではなく、誰のイニシャルなのか、またはなんの略号なのか、それが気になる、というほうか。
: 「めざまし、ちょっと、かえるよりはやくなってしまったよう。 3時半に帰ってきたがならず。」  前頁で登校前にセットしたわけだが、帰るより早く鳴ってしまったようだ、と。  学校で3時のチャイムを聴いて、その後、ちゃんと帰ってきたけれど。  → ただし、次項でいつものルートではないコースで自転車を走らせたといってる。  → それもあって遅れたから、目覚まし音を聞けなかった(目覚ましは鳴ったが一定時間を経過したので音は止まったようだ)と思っている。この時点では。
: 「今日は、自転車で学校のウラから外にでて、とおまわりしてかえる。  《 経路図1 》  《 経路図2 》  → Aからでて、その道まっすぐにいき、直角にまじわったとこ(B)左にまがり、 その道まっすぐいって、また直角にまじわったところ(C)左にいったつもりだったが、 上の図のようにしないと、 学校の方向に/「学校向きに」?「南向きに?」 またはしっていることになっちゃう。  《 矢印図 》 」  言いたいことはわかる。  高校の周囲は、きちんとした碁盤の目にはなっていなくて、 微妙に道が斜めで、四角の辺を移動している感覚でいると、 思わぬ方向に進んでいたり。  この経路図はちゃんとした地図をみて確かめたのではないようだ。  知らないT字路で、直角を二度左折したのに、なぜか学校のほうに戻らず、 いつものコースに合流できている。 だから、こういうことでなければおかしいはず、という逆算で描いていると思う。  経路図1では最初の左折が直角でないので記憶と合わず、 修整してまたより詳しくして経路図2で整合させた。という流れか。
: 「ユニオン映画って、日本の?」  union は、結合、同盟、組合などの意。  Wikipediaによれば、日本テレビの関連会社として、1970年2月10日に設立。 1970年代に人気になった一連のホームコメディドラマや青春ドラマを製作している。
: 「おたらず  :たらず  たらない → どばか」  バカの別呼称なんだ。お+たらず。
: 「かきなのち。」  謎。  何かのこなれた音韻の聞き書き?  waka君、この頃、語尾にべちとかちとかつける癖があるので、 「柿なのだ」「書きなのだ」などかも。
: 「いいかぐ、やすい  いいかぐ、やすい、  というCMの女の子、むりして笑おうとしているみたいだけど、 目パチパチやる所が、泣いてるみたい。」  ふうむ。  もちろん記憶にない。  なんにしろ、半世紀前のTVCMだからなあ、ポンコツなイメージが浮かぶよ。  でも今、まざまざと再視聴できたら、新鮮に感じられたりして。  (女の子、とっくにおばあさんか)
: 「ハンカチだしてごらん   ないんだよ   おんなのこのくせに  さーーあ。   (ハンカチみにつけてないらしいガキャイモウトたちに)」  これは、兄が、至らない妹たちに囃し歌を歌って、たしなめている、けなしている、いじめているわけだ〈笑〉
: 「ドスパラガス。どっきん。」  小学生並の感性??  アスパラガスのもじりっぽいけど、どっきんとのつながりがよくわからない。  語呂のよさだけ?
: 「しね しょうねん  ちね ちょうねん」  しをちに代えて粘りけ。  わりとある茶化し。(状況によってはぶきみなセリフ)
: 「子ざる   子猿 子笊 )ぼく区別して発音できないみたいかんじする自分で聞いて。」  書くなら、小笊。  発音≒アクセント、同じようにも思えるし、子猿は前にアクセントあるようにも思えるし。  小笊のほうが、ほぼ死語だからなあ・・ 実用する機会、ないかも。
: 「→ のかき方  (1) →  (2) →」  一筆書きは同じだが、運筆がはっきり違って、かつ、どちらも矢印っぽい。
: 「いつか、醜と美という文章かいた次の日、 図書館かどこかで、きのう、これこれという文をかいたんだ、 とか、イ■■ちゃんに行ったのを覚えてる。 なんか、おさないというのか、でしゃばりで、じまんしたがるような、こうまんきちなような、 恥ずかしさだ。今、思うて。も。話したときも、なんか、や/いや に感じたはず。」  言ったのを覚えてる。  こうまんちき。  自分の文章の押し売り行為。 読んでもらいたい、誉めてもらいたい、の願望が露骨すぎた。 フラッシュバックして反省というよりも痛がっている。 (手元になくてその文章を見せてすらいないわけだ。 たぶん早口で概略を説明して、良いものを書いた、つくった、という気持ちのほうを直接ぶつけている。 相手は返事に困るよ)  → こういう自己顕示、自己承認の欲望って、犬が舌を垂らしてはあはあ欲しがってるようなのって、 ネット時代になってwaka君に限らず世の人々にひろく存在するってこと、あらわになった。 昔ももちろんあったんだけど、今はあまりに簡便でみぢかになった。 多少手間暇をかけ仲間作りをしたあとでないと、その段階に進めなかった、前は。  → ううむ。 本項の露骨すぎる失敗、恥辱、現在まで含めたもろもろを知ったうえで眺めれば、 尻尾を振り回したくてしょうがない、むしろ純朴、かわいい、とみえなくもない・・? (またぞろやらかしたりは御免だけどさ)
: 「マンデイクラブ(中学C組の)ノートにも、いろんなのかいたなあ。リレー小説なんかも。」  中学時代のクラス公式回覧誌みたいものだっけ。  オカボやオニシとの私的回覧誌とかもやってた。
: 「にきびいじらないときめるのに、すぐいじっちゃう。」  かゆいとかいじるとかが、肉体的なバグ(構造的な誤り)でないのなら、 意味があり健康に貢献するはずなのに。  それを爪とか指ではなく、細胞自体がしたがって、 やり過ぎると、いわゆる免疫性疾患(自己免疫疾患)になってしまうのか。  (デジタルでなく、アナログで、おおざっぱなのかも)
: 「今日の体育、一人が一人を、おんぶして、おんぶされた人を、ぐるりと、 おんぶしている人の胴体まわさせたり、上から、またの間通らして一周させたり。いや、ひどい。」  ラストの嘆息。  今ならどっかからクレームきそう。  もちろん男女でやれば今も昔も完全アウトだ。
: 「本しかよまなかった。」  「徹夜してまでも、本、よんでいたかった時もあったのに。  → それとも、今、よんでる本がカタすぎる?」  三時半に帰りついたのに、有意義に勉強するでもなく、 あんまりたぎらない読書で時間を費消してしまった、もうこんな時間なのに、と。
: 「たまには、学校の予習やら、なんやら、みんなはやばややっちゃって、 そののち、ゆっくり本よんだり、物書いたりするようにしようか?」  先憂後楽、この楽の旨みが大好きなんだけど、わかってるんだけどね、先憂という仕込みができない、 全うできないどころか着手さえままならない。
: 《 左目周辺の自画像 》  こういう無駄書きをしている自分を見ている目。   (ああ、いや、鏡に映しているのだから右目周辺か)
: 「ぼくのがまぐち買うとき、その、歩道に、テント(席?)でおおってつくった店の男の人、 ロウで、チャックの所、みがいてくれた。ぼくのつかう、古いガマグチから、 だしにくそうにチャックをあけて、金とりだすのを見てか。」  蝋をぬったのは、売り渡す新品のほうだろうなあ。 だしにくそうにしている旧品の(まだwaka君のお金がはいっている)ほうではなく。 (昔だから、お節介または親切で、旧品に塗ってくれる、もないとはいえないか)
: 「相違 を相異」  べつに間違いじゃない。ほぼ同じ。
: 「AとBの間の差異について  AとBとの間の差異について。  (1) アメリカの態度とヨーロッパの態度の間の差異について  (2) アメリカの態度とヨーロッパの態度との間の差異について  → (2)の方が好き。」  (2)のほうが理屈っぽいから、かっちりはまってかんじる、ってところか。  (3) アメリカの態度とヨーロッパの態度の差異について  今はこのぐらいまで省きたい。  文脈によってはあるいはタイトルなどなら、  (4) アメリカとヨーロッパの差異  これでいいじゃんと思う。(負担が軽いほうが好き)
: 「段落の単語をまずしらべてから、そこの訳をノートにかくようにすべし。」  英訳の際、だと思うが、そうしていない方法って何?  段落を頭から逐次訳していき、わからない単語はそのつど辞書をひく、か。  全体を見通してから細部を詰める、と、細部からひもといて全体をあきらかにしていく、に通じそう。  プロットをしっかり固めてから執筆にかかる、と、いきなり書き始めて筆にまかせる、なんかも浮かぶ。  私は今でも、こうしたい、理想が前者、やってることは後者、というふうか・・
: 「のど/喉、咽 のせん/栓 がしまってるのに、むりに水入れて、 のみこむと、(水入れたため、のどがおどろいて、せんしちゃってるときにむりにのみこむと) のどがすごくいたくなることある。のみこむとき、むねが、ぐっとつかえる。」  直前にこれがあったのだと思う。  もう何年、何十年、経験してない(失敗してない)と思うが、 こうまで具体的に書いてくれると、感覚が思い出せる。
: 「 「たかせぶね」で首きった人、首でヒューヒュー音する。あれがほんとのノドブエ。」  喉笛。普通はのどぼとけのこと。  森鴎外「高瀬舟」にそんな場面があったかな。  鴎外は医者でもあり、軍人でもあり、 刃物で首を切られる、首を切って自害するなどがまれとも言えなかった時代状況もありそうで、 「高瀬舟」のその場面は、かなりリアルに書かれているのだろうと想像できる。 (既読なんだろうが、もうまったく内容忘れている)
: 「ここにしよう  甲/手足の にしよう )→ しっぺする所、」  韻を踏んでるな。  おびえる上の妹を言葉責めしているところ、かも。
: 「 「初学者はぜいたくをいっちゃいけない。苦しんだむこうに、すばらしいものをみつけるのだ。」  → ノリちゃんの(表面上の)意見。」  表面上ってのが意味深。皮の下の意見てのもあって、それも聞いてるのかな。 あるいは、あるはずだ、と目星をつけているからこういう書き方か。  素直、純朴とは言えない(一筋縄ではいかない)友人。
: 「右ももの外側にすごくいたくはれた所ある。小さい面だが、ちょっとさわったら、イテー。  イィテー。」  なんだべぇ。打ち身か。  身体が若いからぶつけた当初は意識にものぼらず、後になってから痛みがじんじんする?
: 「国語辞典 「ろく」の項に「6」の字ない。」  さすがに「六」はあるよ。
: 「戻す 戻す×?」  2字目は、中味が犬。中味が犬は異体字(第3水準)ということらしい。  手元漢和辞典によれば、中味が犬が旧字体=本来の字体(戸の下を犬がくぐるのが原義)。  → なぜ「もどる」だけになるのか。想像してみる。  半ば放し飼いで、人が戸を開けて出て行くときに一緒に飛び出したりする。 が、もどってくるときは犬だけなので、閉まっている戸の下をくるしげに通りぬけてくるのが、 よく目にされた。  なんてね。

※ 『1974/06/26 わりと、ひざつきたてる。』
: 「10を、11とかく。  8、9、11、11、12、ー  )→ 英語の教科書、何人目があたるか、かぞえたときのしるしにおいて。」  数センテンスを、読んで、訳す。これが一人分。ランダムに当てられることはなくて、席順で進行。 前の授業の終わりの人の次から始まり、その日の授業の鐘が鳴るまで。  だったと思う。だからこうやって自分の番が来るまで、担当領域となりそうなあたりを下訳しておく。  得意なやつらにはぬるい時間だったかもしれないが、waka君は毎回必死でした。
: 「鼻 ?」  「■■ノ先生、■■校にきてから、せきするようになった。(空気わるい)  にげだしたいってよ。  → 血のでるようなせき。どっかがきれちゃうんだって。「けっかくじゃないよ。」 」  ■■ノ先生は三年間、waka君の英語教師(おもにReader)、三年時はクラス担任でもある。  waka君は苦手だった(目を付けられてる気がしてた)。かけはなれて英語の成績がわるかったので。  鼻炎、胃炎、炎症など、感じはすごくでてるけど、火をかさねた炎(エン、ほのお)という漢字自体にそういう原義があるのかが気になったんだと思う。やけに文芸的じゃん、と。  → 辞書を調べると、中国に渡った伝道医師ホブソン(合信)の造語だとか。
: 「イ■■ちゃんと、3Cのワタ■■君/特に フロズき。」  風呂好き。どうでもいいようなことを書きとめるのは心記の常だから変でもないが、別字かも。  きれい好きではなく、オヤジ的な感覚の風呂好きか。
: 「 「実力」を「事(力)」と書こうとした。」  力を書く前に気づいた。
: 「死  中にあるのは、日でいいのだが、これでいいんだっけ、というかんじ。」  手元漢和辞典によれば、殉の左側は、かばね偏。骨の形をかたどり、死や殺すことに関する。 旬が音を表わし、従(順)からきている。  (旬自体は十日間、ひとめぐりの意なので、音を借りているだけのようだ)
: 「反動/旧 勢力が実権をにぎったことが、かつてあったのかしら?」  私見だが、日本史において何度かあったと思う。  前後にゆれながらも前に進んできたと思うので、どちらかといえば後戻りする政権は短命だった気がする。  信長が急進過ぎたので、秀吉、家康と戻したふうだから、二人を反動というのはちょっと違うかも。  反動と革新の奇跡的な融合が、明治維新だろうか。
: 「日本史のおわりごろ、なんか、オナカ鳴って、いたくなる。ひえた?」 「ガンバルニャン」  六月だから、やってるのは平安〜鎌倉あたり?
: 「十一月三日発令を、行ちがいになっていたので、一月三日発令とよむ。」  行の折り返しにかかっていたので。  新聞ではありがちだが、この辺りは学校にいると思われるので、普通に教科書でか。  → ためしに「十一月三日発令」で検索したら、 「令和6年11月3日付けで発令されました令和6年秋の叙勲」という文がトップ。 もちろん本項とは無関係だが、文化の日という近代の特異日だと気づかされた。 文化の日+発令、という組み合わせなら、日本史の教科書というよりやはり新聞ぽい。 学校で新聞てことになると、昼休み、弁当箱を包んでいる新聞紙をつい読んでいて、という線が浮かんでくる。
: 「朝、マス■君と、ノリ公\自転車ひっぱる、あるいてた。  → マス■かぐ店? → 店  ―― 近いから。したしい?  → やっと、ひたしいとかかなくなった。」  ノリミツの茶葉屋と同じ商店街にあるから、の意だろう。  ただし、マス■君がマス■家具店の息子かどうかは、姓が同じで推測しただけと思う。  (これは、接点のなさそうな二人がいっしょにあるいていたので、少々嫉妬したか)
: 「みや■■、みずのみ場にも体育のあと男子と同じとこくる。  → 2階つかやいいのに。」  女子なのに呼び捨て。男子からも友人として頼りにされがち、宮■嬢はそんなところあるので、 waka君にも伝染したよう。
: 「なんか自分を、男子にみせてるかんじあり。」  女子としてアピールしている、とも読めるし、男としてあつかわれたがっている、とも読めるか・・  いろいろととのった女子としての外見。意志や行動は男まさり。
: 「今日、体育かんでまちあわせるやくそくなのできてる。」  昼休み、卓球やるため旧体育館に来て、しかし、まだ会長さん来ないので、このノートに本項をかいている。  前日の頁上辺メモに「明日より、卓球は体育館でまちあわせ、べち。」とある。
: 「かばんあけて、一瞬、ラケッとわすれたかと思った。 (うすいし、くらいとこはいってるし、)でもあった。」  この後、卓球の記述なく五時間目になってるが、昼休みのつづきは当頁の四列目で綴られている。
: 「こころむ  こころんだ : しい■■、つかう。」  しい■■君だけの、口ぐせ?  どちらかといえば文章言葉なので、waka君の耳にひっかかったよう。 ふつうの会話では、ためす、ためした、か。  → 辞書を調べてみる。  ○ こころみる(上一段活用)とこころむ(上二段活用)の二種類があり、時代が下るにつれて、 こころみる(平安時代)>こころむ(中世以降)>こころみる(近代以後)、と変遷したという。  となると、今は、こころみるが一般的なので、しい■■語はやや特殊、古風ということになるか。
: 「英語  (5)」  英語の授業ノートにある仮メモをここに清書すべし、ということ。1項目分の空白。  過去頁などで言及されているとおり、この日は英語の授業が二回あったはず。 一回目ですでに英語ノートの仮メモは4項目あるため、(昼休み後の五時間目の)二回目と思われるここには(5)と記されている。 ちなみに、その4項目めの(4)が、当頁の一列目の最初にある。
: 「5時間目で、(5)  >あってる。」  5が符合したよ、と。  いつも通り、ささやかな偶然に(気づいたことを記せて、かるく)喜んでる。
: 「ズボンの穴、この前ぬった時の黒糸くずのこってるから、はっきりとは、穴とはみえないようだ。 ましたでもあるし。(でも、チラリとか、みえたかも。恥!)」  男子だからまあいいんだけど。  当頁上辺にある「(ズボン)ぬえ!」は帰宅後忘れないためのメモ。
: 「今日も、帰り道、通まわり。きのうとは、ちょっとちがう。  《 経路図 》 」  正しくは、遠まわり。
: 「Cのところ、まっすぐは、いけないのかと思ったが、自転車だけいけるようなので、いく。はしわたり。  Dのところでなおもまっすぐうらどおりを行きたかったが、 「止まれ 《 曲がり矢印 》」とかいう標示あり、つっきれない(国道126号だから?)とかで、 しょうがなくまがり、いつもの道に入る。」  冒険しようと思ったけど、結局は大差なしの様子。
: 「チラリ  恥裸り」  中学生ていどのセンスだな。
: 「なんか、書くこと忘れたみたい。」  「思いだす。  学校から、はやばやへやに帰りつき、雨戸をあけて光りを入れ、 ガラス戸あけたままにして風がはいるようにし、茶のだぶだぶズボンと、黄のやぼったいワイシャツきて、 ねっころがり、こんなのかいてる時の気持ちよさ。  むねに二つおりのざぶとんおいて、体を自由にのばし、 それを、すずしい風が、ふらっ、ふらっとなぜる。もちろん、はだし。  → まったく、学校が、 いやな、かたくるしく、かわきすぎた所に、また、きゅうくつなところに、思えるよ。」  なかなかの描写だ。力が抜けて自然で。  ご存じのように、ボールペンはふつう、下側から上に向けて書くとすぐかすれてしまう。 なので、仰向けではなく、胸の下に二つ折りの座布団を敷いて、 畳にノートを置いて、うつ伏せで書いているのではと思うけれど、ときどきは転がって仰向けにもなっていそうだ。
: 「きのう、会長さんが水のんでるのまってるとき、まどの下にむかって、 ディヤ、バグ、バグ、などと声だして、空手のまねを、小さな動きでして、ひまつぶしてたら、 田■さんがそこの通りを通っていった。 恥ずかしいと思って、のみおわった会長さんにはなした。 「そんなのやらなきゃよかったんだ。」とかいい、ゲタバコでくつはいてのち、 旧体育館むかうとき、「空手なんて最低だよ、けんかしかしないんでしょ。」と、彼いう。 ぼく、もえよドラゴン(? イカレタイガーだっけ)のすじなどはなし、会長さん「全然、」という。」  これは昨日の昼休み(卓球する前あたり)の回想。  田■先生は、文学クラブの顧問であり、一年時の担任の先生でもある。  空手映画が流行っていた頃か。イカレ、は狂ったではなく、怒れ、でしょう。  会長さんは、平和主義者というか、暴の対極にいるような青年。 (でもまあ、卓球とか将棋とか、勝負事は好きなのだ)  次が、今日の昼休みのつづき。
: 「今日、会長さん15分前(12時45分)になっても、10分前になりそうでもこなかったので、 よびにいこうと、もどっていったら、校舎内の水のみ場でのんでるのみえて、「いこう」と声かける。 おくれたかどうかなど、二人の間の会話に出ず。  卓球は、1時5分になると、じゃラストにしようとぼくいって、 (いつもは、このときぼくが玉もってんだけど、今日は会長さん)どちらかがミスするまでやりあい、 おわりにする。」  そっか。二列目の「今日、体育かんでまちあわせるやくそくなのできてる。」 のあと、しばらくまちぼうけだったんだ。  なんとなくだけど、卓球、waka君は乗り気だけど、会長さんは引きぎみのような?  卓球習慣について温度差が生じている?  そろそろT大受験の臨戦態勢に入らねばならない会長さんだろうから、 撤退をどう切り出そうか、とか、迷ってるんじゃないかな・・  当時のwaka君、その辺りを察する気働きは、まだできないか。
: 「ボウカンスイライ?」  防艦水雷? 何かのゲームの名称?  それとも真面目は軍事用語なのか。  ネット検索してもピッタリのヒットはなかった。  → お西とよくやった轟沈ゲームの同類かも。(座標を言い合って相手の艦艇を沈める。方眼紙に手書きでできる)  → さらに調べたら、Wikipediaに「水雷艦長」で紹介されている遊びを見つけた。 戦前から昭和40年頃まで、男の子の間で盛んに遊ばれたそうで、集団でする外遊びのようだ。 これの異称が「防艦水雷」らしいのだが(検索サイトのキャッシュにはあってもその後出典ページで抹消されてしまったのか)今も同一だと確言しているページは未発見。
: 「めざまし、今日は、2時15分ぐらいにセットしておいたのにならない。  2時40分ぐらいにセットした気(ふつうに帰る時より、すこしおそくになるようにしたから、 30分より10分おそい40分。と思ったが、しかけたときは、ふつうは10分に帰ると見、 すこしおそい15分〔or20分ぐらい〕にしかけたものらしい。)になってたから、 しばらくならなくても気にしなかったが、気づいてみれば、3時、いいかげんならなくては、 とみてみたら、とっくになる時間すぎてる。しらべてみたら、ゼンマイ弱いと、ならないらしくみえた。 時計は動くが、ベルはならないぐらいのユルサなのだ。このとき、ベルがなったら、 音とめるボタンがあるか、これをいくらおしてももとにもどってしまう。が、ぜんまいかければ、 おせばもとにもどらないし、鳴らせば鳴る。」  鳴ると成るが混在しているのにともにひらがなだったりで、わかりづらいのう、若干。  そもそもなんで、帰宅時間に目覚ましを鳴るようにしたのか?  うるさく鳴っている目覚ましは止めねばならないから、 必ずその時間には帰宅していなければいけない、とプレッシャーを自分にかけるため、なのか?  うーん、妙な使い方と言えば妙だよ、waka君。
: 「ボタンがもとにもどらぬときは、これはこわれたか、分解できるかな、とネジの形をみた。」  ボタンがもとにもどってしまうとき、ではなく、もどらぬときにこれは壊れたか、と思ったのか?  前後のつながりから言って、ちょっと変だ。誤記かな。  いくらおしても元に戻ってしまう。ゼンマイをかける。今度はボタンは元に戻らない。 ならば、これは直った、と認識すべきだ。 それともゼンマイをかける前に、何度も元に戻ってしまう状態をかさねたので、 元に戻ってしまうのが当然のような感覚になり、元に戻らなくなった際に錯覚して逆に壊れた気がして、 または、あれほど元に戻ってしまったのにゼンマイをかけただけで戻らなくなったのが異様で不思議で、興味が昂進して、 分解したくなった、というようなことなのか?
: 「 → きのうもこれで、鳴らなかった?  しかし、きのうも、そしてたぶん今日も(しかし、今日は、あやしい) ゼンマイまききってから、あわせたのに。もしかして、ゼンマイ関係がおかしくなってる?」  ようやく真相に近づいているよう。  めざまし時計ってさ、どうも完璧に信頼できないところがある。当時もそうらしいけど、現在でも。  マシン、機械なら百回やっても百回正解を期待するわけだが、めざまし時計はときどき、怠けたりする。不思議だよねえ。  現在使ってるめざまし時計は、百円ショップの安ものだから、ときどき鳴らなくてもまあ百円だしと許すけどさ。
: 「このごろ、しんぶん棋譜みるだけで、きらぬので、今日、まとめてきろう!!」  「 ← この項、はじめ、この○印つけずに、前項につづけて、かきつづけちやった。」  ご覧いただけていればわかる通り、waka君は項と項の区別はわりとしっかりつけている。 曖昧だったり、これまでと揃っていなかったりは、生理的にいやなほうなのだ。
: 「かきつづけてしまった → かきつづけちゃった  }→ この間はどのように変化したのだろう。」 〔 ちゃ・う ちゃふ [連語] (助詞「て」に動詞「しまう」の付いた「てしまう」が「ちまう」を経て変化したもの) 東京方言などのくだけた言い方。動作の完了、実現する意を表わす。 〕 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  なるほど。ちまう、ね。
: 「今日は忘れたことが多いみたい。次項は、わすれていたのの中でおもいだしたやつ。」  「とびちらふおちばかな を、すぐ、 とびちらふわかばかな としてしまう。」  https://www.aozora.gr.jp/cards/000235/files/2259_34474.html  検索で発見。上田敏の『海潮音』に収められているポオル・ヴェルレエヌの「落葉」の訳詩の一節。  これらしい。  「秋の日の ヴィオロンの ・・・ とび散らふ 若葉かな。」  異常気象、幻聴幻視と荒廃、せせら笑いが想いを砕いていく、憂鬱な終末のようそう。
: 「水道の水、かすかあに、さびのにおい。」  繊細な嗅覚と味覚なのか、古い水道管なのか・・
: 「背甲類」  背甲とは、カメ類の背面を覆う甲。
: 「スカイルームとは?」  現在検索したところ、高層階で見晴らしがとてもよい宴会場や会議室がそう呼ばれていた。
: 「修学旅行病?」  当時は何か、話題があったのか。今は検索しても、これでは(一語としては)見つからない感じ。
: 「ヒトラーを ヒットラーと思ってた。 ← こっちのほうがっくいい。」  Copilotに訊いたら、ドイツ語発音では〔 「ヒトラー」よりも「ヒトラ」に近い響きです。 〕とのこと。
: 「《ハーケンクロイツ、鉤十字 時計まわり丸矢印》 右まわり ナチス    卍 《反時計回り丸矢印》 左まわり マンジ」  「左まわり、右まわりは、どうやってきめるのだ?  《時計回り丸矢印 その1》 右に向かってるようでも、  《時計回り丸矢印 その2》 左のように、左にもむかってる。  たとえ、上で、どちらにむかってるかできめるとしても、  《時計回り丸矢印 その1》 左の右まわりは、むこう側から、だれかがみれば左まわりにみえてしまう。」  時計回り、反時計回りならばと思ったが、むこう側からでは、やはり逆転するか。  → https://99bako.com/1934.html  >進行方向の右側に中心があれば右回り >進行方向の左側に中心があれば左回り  ここにある解説が分かりやすい。  ちなみに、ここで紹介されている「回るバレリーナ」という動画がすごい。
: 「向かって右 : この意は?」  向かい合っている相手、対象物の左右について、自分から見て自分の右手の側を指している。  相手の右手の側とは逆。
: 「ユーザー : しら」  「ユーザーをユーザーとかく。前者のようにかくつもりが、 つい、―― と サの「―」がつながったような感じになる。」  「連なる、を、レンナルとか、よみそうな感じ。」  waka君の篩(ふるい)の目はときに細かくなって、小粒がつづけて残ったりする。  連なるもたぶん、つながるの縁語として浮かんだか書いた。
: 「しんぶんの将棋と、いご、ともにつなげてきりとるつもりが、 将棋だけ切ってしまったので、イゴもイゴだけできる。  もう、1つをきってしまったから、今までのもみんなきって、それぞれホチキスでとめよう。 まとめるためには、いつかきらねばならなかったのだから。」  棋譜の切り抜き、わりとたくさんやったけど、何年もは続かなかったか。 半年ぐらいやって、しばらくやらないで、また半年ぐらい、通算一年ぐらいだったようなあいまいな記憶。  切り抜いたものは大切に保管していたと思うが、後年、まとめて焼いた(または捨てた)。  印刷物は所詮複製であって、唯一無二ではないから、その時点でたいして価値を感じなかったから、だったかな。  (本項、きちんとやりたい気持ちはわかるんだけど、切りとったり揃えたりが目的化していて、 冊子状にした連載棋譜で将棋や囲碁の勉強をしたり後々参照したりという本来の目的は置き去りぎみだった、実際ほとんど見直さなかった、と思う)
: 「いったい何日ぐらいきってなかったのかしら?  否、何日ぐらい、しんぶんきりぬくの おこたってたのかしら?」  否、で否定するほど、前後に差はあるか?  前者の場合、行為の反省よりも、棋譜を何日分という数量を言っているようにもとれる、ということか。
: 「FX  ファックス?」  辞書によると、foreign exchange 外国為替取引、fighter experimental 次期戦闘機、の略。 (ちなみに、special effect(s)特殊効果は、SFXと略される)  ← 三つとも頭文字じゃないんだ。  FXではファックスのことにならないようだ。(fax、またはfacsimile)
: 「ファックとは? → ロコツないみなんだろ、しいら、しいら、しらべ。」  米語で、fuck。  FXとfuckが通じるのか無関係なのか、外国語で俗語なので判断できないよ。  (Copilotの見解では、無関係)
: 「5/31か、6/1から、ずっととってなくて  5/31、6/13、15、18はみつからず。」  流れからいって、棋譜の切り抜きのこと。  この日は、6/26だから、ひと月ちかくおこたってたんですな。
: 「おじいさんのへやのとけい すすみがち?」  新聞は、祖父の部屋のTVの下辺りが定位置(積み重なっている)だったっと思う。
: 「二年の頃、文化祭に、いい駒もってったときおもしろい先輩が、 すげーいいの、などとひやかしたようにいったとき、内■先輩、やめろよ、とかかばってくれた。 (別におもしろい先輩が、ヤ、だったわけでないけど、ぼく。 先輩にかばわれてから、やだったのかな、と思う。)  おもしろい先輩とは、銀座通りで将棋盤だしてるときなどにそこであったりもした。  3年になってからも、(2年のおわり?)1度か2度道ですれちがい、おじぎ。」  文化祭ではトーナメント戦など催すので、盤と駒をかき集める。 それでwaka君もふだん使いの物ではない「いい駒」をもっていった。  これは、山形(将棋駒の里、天童がある)出身の叔父(叔母の夫)からのプレゼントだったと思う。  銀座通りで〜、は、過去記録を探したら、去年、夏祭り的な催しの中のひとつなのか、 「今日、銀座通りで将棋をやって、いせいのいいおじさんに2連敗。あのおじさん、ちょっと、ろこつだった。」 という記事を見つけた。このときかもしれない。(いうまでもなく千葉の銀座通り)  おそらく祖父の部屋で新聞紙をいくつもひろげているとき、こんな回想が唐突に浮かんできた。 そして「おもしろい先輩」のこと、忘れかけていたと気づいて、さっそく記録した。 (名前までは思い出せなかった)
: 「イゴの方が紙面でかいのだよ。しんぶん。  (ちょっと長い)」  読売は、左に将棋欄、右に囲碁欄、だったはず。 一見すると等分しているようなんだが、切り抜いてかさねると本文の通り、差があった、と。 まあ、囲碁のほうが局面図でかいのが必要そうなので、えこひいきというわけではないのでしょう。
: 「ぼくが、まとめて、しんぶんきるたび、しんぶんし、わりと整理される? → セイトン →(しら)」  笑。  まあ、日付順に並べ直したりしないと、棋譜の欠番などもはっきりしないし。  整頓。
: 「セイキの美女」  世紀の美女。  この漢字なら、一世紀に一度しか顕われないという意味になるが・・
: 「ものほしげに」  おもむきある言いまわしだが、waka君としてはつっこんだりいじりたくなってるかも。  とりあえず眺めている。
: 「美を姜」  姜、キョウとよむ。  政治学者、東京大学名誉教授の、姜 尚中(カン サンジュン)氏がいるので、韓国では、カンと発音するようだ。
: 「 「私みたいな美女がそばにいるのに。」 「なによ、ものほしげに。」 → この用法は、どうなんだろう?」  なにか小説のような物を読んでいて、それにつっこみを入れているみたいだから、原文の文脈がないとねえ、どうもこうも判定ができません。  流れからいけば、目の前で整理整頓している新聞束の中の新聞連載小説の拾い読みってところ。  (理屈でつなげれば、「私みたいな美女がそばにいるのに。なによ、あんな小娘をものほしげにながめて」 )
: 「イカズゴケ」 「ナルコとジトウ」  耳なれない語をメモしたんだろうけど、ナルコは聞き違いでしょう。  泣く子と地頭には勝てぬ。
: 「フル■さんののど、ちょっと、かたい。  もひとりだれか女の人いて、二人でのどさわりあい、 一人が、「フル■さんののどかたいのよ。さわってごらんなさい。」っていうから、 自然さわっていいつもりでさわった。ちょっとかたかったかな。  中学の頃。  あれが、■■ガワさんか、■下さんだったら、いやいい、といってさわるのを、 すこし気持ちにカドをつくってことわったか、もしくは、あまい気分、状態になったつもりでさわったか。  But、フル■さんのときは、フル■さんでなく、のどにさわったかんじ。  それだけ、ちかしい人だった? それだけ、女をかんじさせなかった?   ナーンテ、シツレイ?」  すごい失礼だね。  中学時代のいっときの回想。  ■■ガワ嬢、■下嬢はクラスの美少女たち。  フル■嬢とは友だちだった。(声は低めだったかも)
: 「3mぐらい愛してる。 10mぐらい愛してる。  )→ どういう意味?  大きい方がいいの?  小さい方が近くていいの?」  これもTVかラジオで聞きかじったようなセリフかな。  いずれにしろ、ロマンチックじゃないなあ。  (とっかかりは)  (口にしてしまうのは男の側か。想っているなら女子でもアリ?  10mの愛はあこがれが強く純粋。  3mの愛は匂いや体温までかすかに感じている。  ゆっくりこまやかに、でも着実に近づいていく。 ついには大胆に。  これはむしろ、女子好み?)
: 「ドクトリン」  教義。教理。主義。教書。などが訳語。
: 「ライブ ラブ )?  love live >?」  発音もスペルも似すぎ。縁語なんだろうか。  → 辞書やCopilotによれば、語源的な縁語ではないようだ。  ただし、意味の共鳴が強く縁語的に扱われることもあります、だって。(意味的な縁語、詩的な縁語)
: 「鬼が笑うとは?」 「鬼  鬼  鬼  }(しら)」  鬼三つは、上部と下部の接続のしかたで差がある。 上部の中央縦棒が、 下部と分離しているのか、下部の左払いと接続しているのか、下部の右払いと接続しているのか。  私は手書きの際、上下分離で書いているが・・  デジタル文字も、上下分離にみえる。  ネット上の書き順サイトを見ても、上下分離。
: 「■■コまだ、コンパスカエサない。棋譜ちょっとまがってとじたので、 ホチキスのピン(?)とろうと思って、いつもつかうこんぱすないの思いだす。」  円を描くための用具コンパスだが、脚の一方の尖った先が、留めてあるホチキスの針を外すときに重宝した。
: 「■■コにコンパス  ■■リ ノリ」  頁上辺のエンピツ書きメモ。  妹たちにそれぞれ貸し出し中。忘れず回収せねば、と。
: 「イち実」 「おじいさん」  同じく頁上辺のエンピツ書きメモだが、おそらく本文に書きたいことのキーワードのみ。  イち実、は難読。謎。 → 僕、かもしれぬ。
: 「手もとみなくても、このボールペン、 左手のおやゆびのはらと、人さしゆびの下の方のはらでもってるキャプへわりとうまく 入れられるようになった。(実際にもってんのは、おやゆびと中指  《 左手 目からみた図 》  《 左手 下からの図 》 」  この絵を描いている青のボールペンを、 この絵の中のキャップに視認せずに入れられるようになったよ、と。  あまりにささやかなことを絵付きで解説しているので、 心記のふだんの記載欲と絵が描きたい気分がうまくコラボしたんだろう。  よしよし、と満足してると思うが、病(やまい)の域に足の指先を浸けている感もある。  → 自慢なので、盛っているところもありそう。  一度か二度、あまりに気持よく入ったので記念にこの絵を描いたんだろうけど、 見ずに入れようとして、この前もこの後も、親指や人指し指をペン先で汚しているはず。
: 「■■リまだ、ノリかえさない。」  どちらの妹からも戻ってないと気づいて、この後、回収すべく上辺メモ(行動予定)をしたか。
: 「今日も、すこしのりきなのに、お父さん、■ださんと、■■、とまってくれだって。  お勉強する気うせるのだ、あっちでは。部屋に一人でなきゃ、ぼくの部屋に一人でなきゃ、 どうもお勉強できないのだ。」  上の絵など描いて気分が上がっていたのに、リズムわるいことに、手伝いを要請される。  ■だ氏は、若い職員さん。  (家業の職場の)宿直は、まず事件などなにごとも無いから、単に眠りに行くだけなんだが、 半分とは言わないけど、三割ぐらいは仕事、おつとめなので、 しかも家族でない人となんて、通常の夜や睡眠と比べて、ストレス、少なくも三割増しであろう。  後日、けっこうなバイト代が出ることは出るんだが、いやなんだよ、この息子は。  なんとか逃れたい、と思案、誰か代わりにやってくれないか、と抗弁、どうしようもないときだけ渋々受ける。  (今でも不思議だが、なぜ、二人宿直じゃないといけないルールになっていたのか。  朝起きられて内側から鍵を開けられるなら、一人でも十分だったんだけど。  たいてい、祖父と孫、父と子の組合せで泊まったので、姉や上の妹が行くことも多かった。  下の妹はぜんそくの持病があり、母は朝餉の仕度があり、ほとんどなかったと思う。  この晩は、青年職員さんに依頼しているため、もう一人に女子はまずいわけで、waka君にお鉢が回るのはわかるが・・
: 「なんか、ひさしぶりにぼくの赤いトランプの数字やもようみたが、 ひさしぶりにみたためか、ちょっと大きくみえる。」  誰かと遊ぶとき以外にも、たまに占いや一人トランプで、引っぱりだすことはあった。  ■だ氏と夜、一勝負しようと?  親しいって間柄でもなく、可能性は低そう。  宿直要請という暗雲がかかってきたので、気分を晴らしたく一人遊びでも、とだしてひろげてみたか。
: 「さっき、おじいさんが、「あしたから、お父さんもお母さんも旅行いっちゃうから、 朝そうじなんかしてくれよ。」といったけど、さては、ぼくをおじいさんととまらせるつもりだな、 と思ったが、実は■ださんとまるので、一応助かる。しかし、 「■ださんとまるんだけどさ」 とお父さんがきて、いいはじめたときにこれは、いっしょにとまってくれというんだな、 (さもなきゃ、いいにくる必要ないもの)と思ってたら、そのとおり。 ■ださん、あした4時半におきなきゃならないから、とか。  でも、ぼくだって、あさって、サイドリーダーのテストだし、 一夜でも、この部屋から、はなれたくない感じ。」  これはもう、祖父かwaka君か泊まるしかない状況か。祖父の言はwaka君に託したといってる。 両人がどうしても嫌がるなら、やむなしで父だろう。  要するにみんな、やらねばならないとわかっているんだけど、やりたくない、誰かにやってもらいたい。  (たぶん、■だ氏もいい顔はしなかったのでは)  → このノートは、だれにも見せないものだけど、 それでも、血縁ではない■だ氏に遠慮してわるく言わないようにしているふうだ。  宿直に行くのはいやだけど、行くことになったとき自分にも受け入れさせるため、あらかじめ、全くいやというほどでもないのだよ、と自分になかば嘘をついている、なだめている、そういうにおいもする。
: 「このへやはじつにいい。  ひとつはなれていて、ほんとにまったくぼくの世界。それでいて人目にはふつうのへやだし、 はなれてるようにはみえぬ。」  一旦は、おじいさんと泊まることになりそうと解していやだなあと思い、 次に■だ氏が泊まるときいて解放されそうだと安堵したのに、 父から要請があってやはり思わしくない方向に振れ直す。  主体性ないなあ。  要は保護者にあてがわれた自室、これを偏愛してる様は、 母親の乳房を自分の物だとしている幼児のそれと、五十歩百歩か。  どうにか回避しようと画策したり、大した苦労じゃないんだからとひと晩勤めてしのぐと腹を決めたり、 そういう方向ではなく、なんだか、甘やかなものに逃避している。  お子様だなあ。  → とはいえさ、 誰かにもらった命を大切にし、満喫し、すこやかに育って、そのうち次の命を育んだりする。 ありがたい、と思い、丸儲けだと感謝する。 これもまた自然で、わるくないよね。  ま、命に感謝しつつ、命を使い回す。いろいろ見えて、手慣れてきて、それが大人か。
: 「 「何々 ・・・ 」 「何々 ・・ 」 「なぜ ・・? 」ガキャ 「どうしても。」 」  謎項だが、他の会話の聞き書きっぽい。  ガキャ、というのは、妹たちを呼ぶときに使うから、 母親が妹のどちらに何か指示をして「なぜそうするの」と嫌がったのを「どうしても」と抑えている、そういうところかもしれない。  waka君、当面の宿直問題に関係するかもと耳を澄ましているのかも。内容まで聞きとれなかったようだけど。
: 「ブタでもうしでも、いためたりしてない肉は、ちょっときもちわるい味で食えない。 生でおいしいのはサシミぐらい。」  後述から、生肉っぽいのが夕食にでたようだ。  waka君の母親は、ほぼ全日、台所を支配している。 が、料理の才があんまりないか、ひとりよがりなところがあって、 自分が食べられるもの美味しいと感じたものを当然家族も口にすべきと考えるたち。 家族の誰かは、ときどき文句をいいたくなったと思うんだが、 じゃああんたが作りなさい、と言われても困るので、そうするのはよっぽどなときだったと思う。
: 「よだんをゆるさぬ。」  予断。  余談ではない。でもwaka君はこれも浮かべていそうだ。
: 「いきたくないようなようすに話したのに、お父さん、「たのむよ」などというのだよ。  → でも、ちょっとおうせつまで、ガキのテレビかいまみてるとき、 お父さんたしかめるために、わか■■、ときて、 何か小さい声でいう。「え?」とはじめききかえす。(さっきのことだとはわかるのだが、 ぼく応対するとき、はっきり質問きかないと答えない。[ここ冷たいなあ]  質問をきいてのち、こたえる。)  お父さん、「いけるか?」としずかにいうので、ぼく、 さっきのようなあいまいな態度をやめはっきりと自分をおしだすべし、と、考えておいたから、 「いや、いかれない。」という。  お父さん、「あ、そうか。」と、しずかに。」  つまり、結局は断わって、それが通ったのか? この夜は。  でもまあ、気まずい・・ 親の頼みをきかない、ってのは。  しかし逆に、毎回こころよく従っていたら、いいように便利使いされるのは見えているし。 親子関係はあるけど、雇用関係はした覚えはないわけだから、つまりは毎回、このように、 親子関係のしがらみを使って攻めてくるので、同じく親子関係の微妙な力関係で防ぐしかない、ってところか。  拒否しつづけるのはさすがに冷たいので、たまには受け入れる、という子の立場、ときどきは受け入れるだろう、という親の期待、そういう加減の攻防って感じかな。  今、思えば、あまりに無計画だよ。当日の夜になってから言われても、心の準備が調わないぜ。 せめて一週間ぐらい前にはわかっている状態でないと、気持ちよく協力できないでしょう。 現在で言えば、ちゃんとシフトをきめて、それでうまくまわしてほしい。 家業の子としてこのぐらいはしてくれよ、しょうがないそのくらいなら、という妥協ができるように。
: 「? なんか、かきわすれてるみたい気。」  「しかし、■ダさんが泊まるなら、なんで、ぼく、 おじいさんにそうじなんかしてくれよ、といわれるの?」  祖父の中でははじめから、■ダ、ワカ■■が今日の当番ということになっていた、 大人たちで勝手に決めていたんだ、という(一段落してから浮かんできた)疑念だろうか。
: 「おじいさん、食卓でぼく牛乳のんでるとき、自分のサラのお肉なんか、ぼくのにあけようとする。 おじいさんくいきれないと、たべろ、とぼくのさらによくあけるのだが、ぼく、くいおわってもいたし、 前にいったように、その肉、くう気しないので、ぼくのも残していたほどだがら、 「くえない」と、二度ばかりくりかえして、牛乳のみながらいった。 おじいさん、ぼくをみて、でも、おさらを宙にとめたまま。 ぼく、「くえない。」とまたいったら、おじいさん無言で、ぼくのにうつしだす。 ―― 何もおまえにあげたいんじゃない。残りものを一つにまとめたいんだ ―― と、 思っているようなおじいさんのかんじ。いや、――、本来の目的は、残り物を一つにまとめること。 ワカ■■がどういおうとかまわぬ。―― というように感じているような様水か。  このとき、何か、おじいさん、■■高の会長さん(渡■君)に似てるような気がした。  やせてて、背高く、(おじいさん、ぼくよりひくいがひょろとしている)、 どこか冷たく、また、がんこな所など、考えてみれば似てる。」  祖父と孫、なんか面白い。  様水は様子。  将棋仲間、卓球仲間の会長さんと、祖父が、同系統の人種という直感、当たっている気がする、今思い返しても。
: 「おじいさん、よく、食いおわったあと、自分の食器しめして、僕にあらっといてくれ、という。 ぼくは、くいおわったあとで、それをながしにもっていくだけ。 もしくは、ぼくがやる前にだれかがやっちゃう。あらうのは、とにかく他の人。  だから、「わか■■、あらっといてくれ。」と、たのむのは、ぼくにでなく、 家の人に、「あらっておけ、」といっているよう。」  横浜のおばあさん(婿の母親)に言うのは遠慮がありそうだし、 主婦である娘(waka君の母親)に言うのはちょっと面倒、またはこわい(力関係が拮抗? な)のかもしれないな。 孫のwaka君なら、遠慮もなく、こわくもなく、言いやすいってことかも。男同士だし、子分扱いとか。 (孫の女子たちには、命じたくなかったりして。口にはださないけど、祖父なりにかわいく思っており、怖がられたり嫌われたくなかったりして? 笑 今思えばだけど)
: 「おじいさん、何もいわずに立ったって、誰かがもっていって洗うのに、ぼくに洗っといてくれ、という。  おじいさんが、お母さんやおばあさんにあらわせるという事実を、きらって、 表向きは、男同志であり、一種の友だちみたいなぼくに、あらっといてくれ、というのだろう。 名目的につかわれる、ぼくは不愉快。 (それに、おじいさんとは、ふつうの友だちでない。あくまで一種の、だ。 まったく肉親というのは、自分のほんとの肌をぶつけあうので、 ふつう以上の近しい感じと、嫌悪をもつ/もちあう ものだ。) 」  「 ↑ ← ↓ いつになっても、わかりやすく、かんけつで、正しい描写ができない。  → こんなのありえない?」  いやいや、がんばってるほうだと思うぞ。
: 「今日の体育では、オカ■君とくむ。授業のおわりの方で、2回だけ、 前まわりしながら回転するのできた。(あとはひどい)  となりで女子はバスケ。  オカ■君できず。ぼくのは、不完全。  《 前まわり連続動作絵図 ← ふつうの。》  《 前まわり連続動作絵図 ← ぼくの。》 」  いちおう、恋がたきのはずなんだが、体育では、テニスとか今回とか、よくオカ■君とくんでる。なぜか。  当時もあぶなっかしいが、今こんな事やったら、骨折、断裂、よくて、打撲、脱臼だろう。  (最初の倒立が成る前にだらしなく腕がくずれて頭か胸をめりこむよう床にぶつける。回ったとしてもすごい音で腰骨を打ちつける。入院まである。怖すぎる)  → ああ、そうか!  テニスはダブルスだから組むのはわかるが、この前回り、どうして組む必要があるか考えたら、一方が介添え役なんだ。  waka君がなんとか回れたのは、オカ■君の介添えが的確だったから。または、テニス部員のオカ■君の力量を信頼してゆだねることができたから。  オカ■君ができなかったのは、waka君の介添えがヘタだったから。または、運痴のwaka君のそれが不安すぎたから。  なるほど〜
: 「オカ■君がこの前、  「おれ考えすぎてたみたい。」とかいっているの、耳にした。  その場のふんいき、調子から、即、  「タ■■さんとぼくの仲を自分かってに考えすぎてたみたい。もう、前のことだが。」 というようにとった。  彼ら二人の間は、どうなったのかしらね。」  ふつうは、オカ■君の発言の中のぼくは、当然オカ■君自身なわけだが、 「 」はついているけどここは元発言を想像で膨らましているので、 間接話法のようなつもりで記述しているかもしれない、 としたら、タ■■さんとwaka君の仲を、ということにもなりそう。  前者なら、つきあっている男女の仲の機微ということになってwaka君は無関係。 後者なら、多■■嬢とwaka君の仲がよさそうと勘ぐり、焦って攻めたけど、 おれの考えすぎ、独り相撲だったのかも、というような意味合いになるか。  waka君の想像世界なので、waka君関わりに引き寄せたくなるところだろうな、 つまり後者のつもりで書いているか。 もう、前のことだが。という付言は、現時点のことをいっているはずの前者よりは、 過去のことをいっている後者に、ふさわしいし。
: 「お母さんが、面接のとき、先生がみせてくれたというのだが、 調査表に、校内の特に親しい友人、という欄に記入したのぼくぐらいだったんだって。」  えー、そうかい?  母の聞きちがい、または、母からwaka君の際の聞きちがいでは? あるいは母が大げさに言ってる。  事実は、少なくとも、waka君はすなおに(だれかの名を)書いた、ぐらいでは。
: 「 → オカ■君と、コン■■君が同じクラスになれたのは、日頃仲のいいのを先生が見、 また、どちらか、もしくは両方が、調査表にかいたか、 もしくは、この二人なら、いっしょにいれば、勉強にさしつかえない、と考えられたからか。  → ぼくと、イ■■ちゃんが、クラスはなれたのは、 イ■■ちゃんの調査表には、ぼくの名がなかったから。 ( → いや、今、思いだしたが、ずっと前、 「■■さんの名お母さんと話しあったが、歌の和歌■かと思ってた」とイ■■ちゃんいったが、 そんなこと、お母さんと話すのは、調査表にかくときぐらいだ。)  もしくは、この二人はいっしょにしとくと、勉強にさしつかえる、と思ったか。」  しかし、その特に親しい友人という欄は、いやらしいな。両思いはかなりむずかしいだろう。 片思いばかりになって、全体を眺められる先生は苦笑では?  (まあ、言うとおり、記入したのがwaka君含めて僅少なら、 眺められる全体って様相にはならなかったんだろうけど)  waka君が記入した名はイ■■ちゃんてことか。 イ■■ちゃんとクラスの同じだった二年生のときに、調査表に記入したということになるか。  にしても、「そんなこと、お母さんと話すのは、調査表にかくときぐらいだ。」というのは、 かなりの勘ぐり、決めつけでは? 他の場合もいくらでもありそうだが。  (しかしこういう直感、意外と当たったりするからなあ・・ 根拠も理屈も薄弱、それでもだからこその如く)
: 「今、お母さんにズボンぬってくれるよう、たのもうと思ったが、 即、父さん母さんは旅行の前の日なのだと気づく。  しかし、うちの大人たち旅行することになっても、 それをかくしはしないけど、しらせもしないな、子供に。(姉きにはしらせてる?)」  べたべたしてなくて好ましいと思う。  繕いも、この後自分でやるようだし。
: 「ズボンの穴、この前のとこなのか、そこより、ちょっとうしろにさがるとこなのかわからぬ。  のこってる糸も、この前のぬったやつの全部なのか、半分なのか。  《 ズボンの股の間、穴の辺りの絵図。   穴  イトが、シャワシャワ乱れてる。  よこいととれて きえて、布でなくなった?   ぬいめ  ミシン 》   → このようになってる所をぬったつもりだが、ぬいめは ↑ ここにある。  そこで、のこってるのは半分という気もしないでもない。」  絵のおかげで詳しい状況がわかるけど、waka君がはっきりさせたい(気になる)のは前回の繕い(誰が縫ったかは明言なし)との違いらしい。  繕っても結局はこうしてほつれる、もうちょっとどうにかならない、工夫のしどころはあるのか、など考えているのかも。  (手を動かして作業をしている現場では、発見や工夫がうまれやすい。ささやかながら典型例)
: 「この前ぬったときは、どのはりにも黒糸とおってなくて、針の穴に糸とおすのくろうだった、 というより、ぶっとい黒糸の通る(通りやすい)針の穴みつけるのにくろう。  黒糸、細いの3本\なんだろうなあ。 よじってあるので。直径0.4mmぐらいで、ぶっとい。」  この前、だから、今回じゃないわけだ。  今回はもう針の穴に糸通った状態で、残してあった?  → なお、waka君の裁縫箱は、小学五六年生頃の家庭科の際用意した物が、そのまま高校三年時も残っているのだと思う。  半世紀後の現在身近にあり、現役である、直径15cmほどの円形の菓子缶。これがそれだと思う。
: 「よじってあると、いつも3本だと思うみたい。ぼく。「結局3本だ、」と思う?」  ほぐして確かめないのにそう感じるってことでしょう。  児童の頃に実際に確かめたりしたから、なのかも。  (やはり児童の頃、姉の髪を三つ編みにするのやらせてもらったことがある。 あれで、よじるときは三本と刷り込まれたか)
: 「針の小さい穴にくろうして糸を入れる、という言葉に気づいて、この前、わらっちゃったなあ。」  なぜ??  性的な卑猥さ?  それとも、穴に通すのではなく、入れるという非貫通のイメージが妙でおもしろくて?
: 「 「針の小さい穴に手を入れる。」おもろな文章。 前行一行目の、糸が、ちょっと「手」にみえたのから気づく。」  うんうん。  こういうのが現場でうまれるってことだ。
: 「このボールペンのキャプを、こゆびとくすりゆびにはさんでる左手に糸のとおったはり (あのときののこりのいと、はり。)といと、もって、上のようなこと書いてる。」  まだ裁縫終わってないんだ。  繕いつつ、書きたいも我慢できず。
: 「針と糸。  使うごとに、穴に糸をとおすものでなく、それについての針しごとおわっても糸ぬかずにそのまま、 しまっておいて、次につかうときも、即つかえるようにするべきもの?  つまり、おわっても、イトつけたままにしてる針は、のこりもの、でなく、本来の(ふつうの)姿?」  極小の座布団のような針刺しに刺しておくとはいえ、縫い針は無くなったり紛れたりしやすい。 使用後、糸をつけたまま刺しておくほうが、そういうおそれが少ない、という効用もあるでしょう。
: 「ひらいてるぼくの国語辞典と、その上においた、黒糸とおした針。おもろ。」  国語辞典はたいてい参照してるはず、こんな文章でも。  開いているんだから白地に細字の紙面。  見失わないようという意味もあって、この上に置いているんだろうけど、絵づらがおもしろい、と。
: 「考えてみたら、お母さんはだめでも、姉きがいたなあ、(おさいほう)。」  横浜のおばあさんは頼めばいやとは言わない。喜んでやってくれる。 (だからかえっていつもは申し訳なくて)  母親は請け合うが、催促にいってもまだやってないことが多い。  姉きは機嫌が良ければやってくれるが、確率二割ってところ。
: 「カバン切れてるので、自転車のってかねばならぬが、自転車のると、ズボンすれたりきれる。 (それでなくても、今のは、前のズボンのようでなく、 きつく、布も、ダンリョク性少ないようなやつなのだ。)  だから、カバンなおすべし。」  カバンのしょい紐が切れてるから、提げていけないので、自転車の荷台にのせたいが、というつながりだと思う。 このカバンとは、白い通学用帆布製肩かけ鞄。waka君の高校でこれをつかっていたのはごく少数。 他はおおむね、黒い手さげの学生鞄。waka君も当初は手さげ黒革学生鞄だったが、 大量に詰め込んで持ち運ぶものだから壊れてしまい、 親がお金がもったいないと代えさせたという事情だったと記憶。 肩かけは手さげの数分の一の値段だったような。  → 一年前だが、display「1973/05/16 入れ方」に絵図もあり。  → 現在なら、重く大量ならばそれこそ、両肩で背負うリュックが最適解としか思えないんだが、 小学生のランドセルじゃあるまいし、遠足でもあるまいし、という思い込みがあって、 waka君も周囲の級友たちも、中学高校とリュックを使う者は皆無だったはず。 仮にいたら、変なヤツ、不良? 外人? という目で見られたかも。
: 「そういえば、ぼくのトレパンも、またの所に、ちょっと、糸くずでてて、かっこわるいなあ。」  気にしてるのは本人だけだろうけど。  裁縫箱を開けているなら、ついでに白い糸で繕ってしまえばいいと思うんだが、してないみたいだ。  トレパンはこの日学校においてあるとか。  黒ズボンの繕いがいちおう済んだ頃合いで、裁縫はもう飽きた(面白味が薄れた)のかも。
: 「学校が利己主義者やガリ勉のあつまりのように思えるときは、 その人の心に、皆にかなわない、自分は劣等だ、というような意識があるときなのか?  → 学校が利己主義者のあつまりだ、などという考え方を、 劣等意識による錯覚だから、と悪いといってしまっていいのかしら?  → ほとんどすべての考え方が、劣等意識のような心的肉体的感情による錯覚かもしれないのだ。」  ふうむ。  気づきだけで、深めてはいないけど、的外れではない気がする。  → 学校というのは順位をつけたがるからなあ・・  小中高とそればっかりと言ってもいい。 子供たちの意識がゆがむ、少なくともある方向に束ねられるのは避けられない。 半世紀前に比べれば、多少はおだやかになってるんだろうか、今の情況は。  → とはいえ、弱肉強食は自然界のことわり。 それを子の骨身にしみさせるのは動物の親として当然すぎるほど。  やりすぎもやらなすぎも問題ありか・・
: 「かきたいと思ったこと、忘れてたのおもいだしたが、(上の項かきながら)、 上の項などかいていたので即はかけない。が、上の項などかいてるうちにおぼえるべきことふえて、 これはかきとめなきゃ、と、エンピツもって、かこうとしたときまでの空白で、忘れてしまった。」  笑。  仮メモだけでもと思ったが、このノートの紙面にエンピツの先をつけられない。書けないでかたまった図。
: 「 → 忘れたの、体ソウのタオルのことだったかな?  ちがう? なんか今日、やたら、かくし、やたら、わすれるみたい。」  「 私は、長官であったが、用があったのですぐはいけない。しかし、用をしているうち、」  「 私はばかだが、くいもののよういをしていた。しかし、よくはつくれなかったが、」  長官? 別字かもしれないが、候補が浮かばない。  前項(三列目下から二番目)の構文が(自分で書いていているのになにか)奇妙な味がして(まじっていて?)、いじり始めている。
: 「 「書きたいと思ったこと、忘れてたの思いだしたが(1)、 上の項など書いていたので即はかけない(2)。 が、上の項などかいてるうちに(3) おぼえるべきことふえて(4)、これはかきとめなきゃ、と、 エンピツもってかこうとしたときまでの空白で忘れてしまった。」  上の文章は2文にわかれているので、 当然、2文なら、(1)(2),(3)(4) とまとまっているように思われるのだが、 上の文の場合は、 (2)と(3)がひとかたまりで、 (1),(2)(3),(4) というような3つのグループのようなかんじ。」  そうかあ〜?  いずれにしても、例文の文章は、変ではない。句点での区切り方も、呼吸として適切とかんじる。  今、つっこんでみるとしたら、(1)〜(4)は単純な起承転結ではなく、(1)起(2)承一(3)承二(4)転結みたいな構造か。そこで(2)(3)のつながりが濃く感じられたのかも。
: 「前項3行目で(3)(4)を、(3),(4)とかきそうになったり、6行目、(2)(3)を、(2),(3)としそうになる。」  これはわかるが。  行数は下線を引いた例文の次から数えている。
: 「3行目の(3)(4)  2行目で(3)(4)  )この差、」  これはさ、3行目の(3)(4)は、2行目で(3),(4)とかきそうになったものをぐしゃぐしゃと消して、 次の行でかきなおしたものだから、すでに2行目では(3),(4)がみつけられないことにきづいて、 言及してるんだろう。どちらで書いたほうが分かりやすかったか、と。 3行目の(3)(4)ならすぐみつけられるし、2行目で(3),(4)なら事実に即しているわけだし。
: 「3つ前の項のこと書こうと思いそれにあった例文、つくろうと思ったが、2つも失敗。 (それが、このくぎりの上の方。)」  3つ前の項とは、「書きたいと思ったこと、忘れてたの思いだしたが(1)、」で始まる項。  失敗した2つは、横線で消した、 「 私は、長官であったが、 ・・・ 」 と「 私はばかだが、くいもののよういをしていた。 ・・・ 」。  このくぎりは、当頁の第四列をいってる。  → waka君はもちろん親切に、説明、解説を残してくれているんだけど、 こまやかすぎるのでは。  本人も、微細、微妙なところを気にしすぎているという自覚があって、申し訳なく思っているような。  (逆に言えば、なぜそこまでするかと言えば、読者、おそらくは未来の自分を、あんまり信頼していないから)
: 「足かゆく、書きたいことかけず、例文つくれず、わすれたような気も強くて、いらいらはじめた。  また、心記病か、とも思われる、しかし、かすかな、いらいら。」  思いがとげられず、むずがっている。脳細胞が未熟で一部フリーズ、痙攣中。  そんなところか。  掻きたいところが掻けないいらいらと一緒かな。(心が顕在したのか、実際、足がかゆくなってる)
: 「タオル!!」 「ナオセ」 「二度もまちがえる」 「かゆい いらいら」  頁上辺のエンピツ書きメモ。この辺りは、本文のための仮メモと推測できるが、右方の、
: 「のり そんなことまだせん  ■ライタ  ハサミ」  ここらもうほぼ判読できない。別字濃厚だし。 のりは、糊ではなくノリミツ?  → 下にある、本文、だんだん神経症的になってきてる。  たった一日でかなりの量をえんえんと書いている。内容に実(み)があるようでもない。  ブレーキの利きが悪い、おかしい。心のどこかすり切れでもしたか。
: 「ここより、2行前、「かすかな」と書いたのを消したのかしら、と考えたが、 よくみても、もとの字みえにくく、「   」とかいてあったのか、と、 はじめに思ったりもしていたので、あいまいさのこり、それなのに、 「かすかな」だったろうと決めたことにか、イライラを感じる。」  上の「   」から矢印で「どのようにかんちがいしたか忘れる。」  ここより、2行前、つまり、当頁第一列の冒頭行に一箇所、次の行にかけてもう一箇所、 グシャグシャと消している。 一箇所目は「イライラ」が元字か。 二箇所目は、たぶん輪郭から、かすかね≒かすかな、だろうか。  このように冷静に観察すれば、さほど難しい解読ではないと思うんだが、 当時の現場ではもっと密度があるゆえの迷い、 自分でも言っている「いらいら」などによって、すっきりと見えなくなっているようだ。  そもそも、ついさっきグシャグシャと消したばかりなんだから、 自らの反射神経(反射的な判断力)を信頼してるなら、こだわる必要まったくないはず。  そうではない状態ってこと。かなり。  (なにかを書けば、その一つ一つがみなうたがわしい? これでも嫌疑みすごせないものだけに絞っているつもり?)
: 「小学校の小■君のうちは、院内小学校の方のつもりだったが、 カオル興業のうらの通りから、はいった所、つまりきわめて近い所だったか、と思いだす。 しかし、そのあとですぐ、小■君のうちはやっぱり院内小学校の方で、 興業のうらの通りからはいった所は■木君のうちで、 小■君がよく■木君のとこにあそびにいくのであったか、まちがえたか、と思いなおす。  But、それでも、小■君のうちでもあったような気がする。  頭のいい子だが、お母さん1人で病気でねてた、あの小学校の方のうち。 あそこの子は、小■君じゃなかったかしら? でも、しかし、よくおもいだせぬ。」  遠い記憶がいちぶ不鮮明に(まだらに)浮かんできている。  院内小学校は母校。小■君も■木君も仲のよかった級友。
: 「 → イライラ。テレビの、ぼうしとひまわりもうるさい。」  調べたら、「帽子とひまわり」は当時放送していたNHKのTVドラマ。弁護士の話らしい。  二つぐらい離れた祖父の部屋のTVだと思う。  「放送時間 20:00-20:55」とあるので、時刻は夜か。
: 《 周辺地図 》 「◎ 問題のうち カヲル (神社の地図記号) うち」  ふむふむ。  千葉の実家まわりなので、当然ながら、情景がありありと浮かぶぞ。  → Googleマップのストリートビューなら、どなたでも見ることができるが、 いかんせん、最近の映像でしょう。  おそらく「うち」の場所は駐車場になっているはず。
: 「図かくつもりだったのに、もう次の項かくつもりでまちがえる  → ここにかくつもりだったのは、次の項。」  地図の頭の小丸を消したものに矢印している。  地図をかくつもりだったのに、次の項を書き始めようと小丸を付けてしまった。 この小丸を消したのはそういうわけ、と。  書き始めようとした内容は、後ろに続く項に書くよ、書いたよ、と。  (記しておく必要がほとんどない、よけいな細かさ)
: 「ぬとかくつもりでのとかいたので、のにつけたして、 ぬ とする。」  現場は、左の第一列にある「しかし、よくおもいだせぬ。」か。 しかしこれ、結局付け足して生成したぬは活かさず、書き直している。
: 「くだらないこと、かかねばならないと思ってかきつづけるのひどく苦痛でもあるので、 あるキカンの間、どんなにかきたいことあっても、ぜったいかかないようにしてみたりしたら、 どうかしら? 1時間でも、2分でも。  → そんな勇気、ぼくにある?  かきたいことをかかないでわすれてしまうなんてことが。 もしくは、わすれるのがいやだから、と、20も40もを、覚えるなんてことが。」  依存症状を神経症的に、分析というより、嘆いているな。  なんか、笑ってしまうが、当時の当人にはナマの苦痛なのだな。
: 「まだ、カバンなおすのにとりかかれない。ずっと、ノートかきっぱなし。 ノートも適度にかくのが、いちばんいいのに。  心記とたのしむときはたのしいが、乱れると、とたんに苦痛となる。」  ははあ。  まだ着手してなかったのかい。  前頁の前半で黒ズボンの穴を繕っていた。前頁の第三列でカバンやトレパンを気にしていた。 その後、一頁弱だから、時間にすると一、二時間?  他の作業を忘れてこれだけじっくりノートとおつきあいしてるんだから、 一面では苦痛なんだろうけど、一面では没頭であり熱中でもあり、嫌じゃないわけだ。
: 「糸、ぬいおわったとき、《 縫い針に糸を巻きつける図 》 とかして、指でぐっとあとめ、ぬいて、 むすび目つくるやつ、小学校の本には、3回まけば、いいとあったが、 ぼく、いつも4回か5回まく。でも、今、3回。」  あとめはまとめ。  この絵は精妙できれい。実際の現物を写生しているんだろう。
: 「 → 5回とかくのに、ちょっとうわのそら(姉きはいってくる)で8回とかいた。」  ほんと細かいが、手が勝手に8とまちがえたようだけど、なんで8なの、という謎に惹かれる。  病的な細かさのおかげだから、捨てたもんでもないのかも。
: 「しかし、カバンきれたとき、ハリガネやおちきす/(ホチキスとかくべき)つかうことばかり考えて、 なんでぬうこときづかなかったんだろう。  あれほど、いったいどうしたらいいいのか、とひたんにくれたぼくが、 イトでぬうことを考えもしなかったとは!?  → 糸ではムリだと思ったので、考えもしなかった(??) (ほんとにむりかも。まだ、ぬっただけでわからないけど。)  針が、カバンのあつい、ゴムのような布をとてもとおらない、と思った? (→ プスリ、スー、と、気持よく通った。スムーズにとおったから、気にしなかったけど、 これ、通らないと、やっぱりだめかあ、などと思うのか。)」  修復、裁縫自体は順調に進みそうじゃないか。 しかし、実用において、教科書ノート辞書弁当をむりやりいっぱいいっぱいで押し込み肩に提げて運ぶという負荷に、 手縫いのそれ、しょい紐が耐えられるのか。なんか三日ぐらいでまた切れるようで不安だ。  当時の(ほんとにむりかも。まだ、ぬっただけでわからないけど。)も、そういうことかな。  → 級友たちはもっとうまくやっていたはず。パンパンに膨らました鞄を持っていなかった。 学校におきっぱな物が多かった、時間割と見比べ鞄の中身を厳選していた、 ノートは教科別ではなくまとめて一つにしていた(ルーズリーフなどを利用して)、 辞書は何種も持ち歩かない、等々。  そういうのはwaka君はめんどう。重くてパンパンでも毎日運べば済むならそっちのほうが楽だった。 副作用として、手さげ革鞄も、肩さげ帆布鞄も、こうしてすぐ壊れたり切れたりしたけれど。  しかしまあ、思い返すと、成績上位な秀才ほど薄い鞄で飄々と通学していたような気がする。 重い荷を背負って往復していたwaka君は、成績下位でいろいろ劣等でした。不思議といえば不思議。  好みの問題ではないのかなあ、やはり(笑)
: 「きのうか、おととい、お姉さんのラジオおとでにくいので、なおしてやるよ、といい、 わりといいかげんなきもちで、単2の電池1つ、ぼくの所にあったのととりかえる。(2つはいってる、中には) そしたらまじめにもマトモになった。」  まともに成った、まともに鳴った、両方にとれる。
: 「 → ぼくの単2の電池、ずっと前、同じラジオから、なくなったからというので、 ぼくが、もらいうけたものではなかったかしら? かしら KASHIRA」  それを元に戻しただけだとしたら、あやしくもうれしい。  waka君の机の中で放置されて、元気を取り戻した!?
: 「ノリ公いわく、  まじめ、とは、このごろは、政府のいうようにやることという意味になった。  だとよ。  「そうかなあ。」とぼく。」  前項のまじめにもにつられて浮かんだきた、のでしょう。  waka君は電池、ノリミツは政府。ともに、それぞれ、用法がとんでる。 
: 「かく/かく のとめて、すこし、やすみたーいよ。/タアーイヨ。」  肩さげ鞄の繕いをすでに始めていると思われる。  その間は、書くほうは休めるはず、休んでもいいのに、停まらないようだ。
: 「左おやゆびにはりちょっとさす。  アイッチ、と感じ、左の頭の耳の上の面、ビリビリ。」  ほうー  いわゆるツボで、脳の左側面でショックが誘発したってこと?  それとも、瞬間的に鋭く痛いってだけ?
: 「ユビヌキ(この名もワスレちゃったのでアネキに、これなんだったっけといって、きく。) ユビにはいらなくなり、つかい方も忘れる (小学校のやつ)」  たしか、第二関節辺りまで入れて、針の頭を押すのにつかうやつ。(厚い布とかいくつもの縫い目を一度に刺し通すとかのために)  指が太くなって、せいぜい第一関節ぐらいしか入らなくなっていたと思う。(つまり女子供用の大きさ)  → この名もワスレちゃった、は、すこし前にも誰かに忘れたなにかを訊いた、の意ではなく、 使い方も名前も忘れた、の「も」だな。
: 「前項のように  「姉きに、〜と聞く」ということによって、  その「ユビヌキ」の名を知ったことが暗に示される。  このような用方は、他にない?」  他にはない、と確言したいほうではなく、他にないかなあ、ありそうだなあ、と模索する気持ちでしょう。  暗に示される、でも、間接的に示される、でも、無数にあると思う。  ほとんどの行為が、直接的と間接的とさらにその奥の暗がりと何層もを表わしほのめかししているはず。  ドアを閉めた。( >部屋の中に入った。>拒絶した。独りになりたかった。等々)  箸をとった。( >これから食べます。>機嫌を直した。美味しい食事。等々)  言葉は露頭。質量のある本体は隠れている。 いのちの根元は本体にあるんだろう、たぶん。
: 「・姉きに ―― といい、聞く。  ・姉きに ―― といって、聞く。  → 「姉きに ―― といい」とかいてから、この次になんとつなげるつもりだったっけ、と思い、 これではだめだ、と思って、「いい」を「いって」にして、「といって、聞く。」とする。 そうしてから、これなら、「といい、聞く。」でも、文なのでは、と思う。」  該当項(前々項)の推敲の細かいところをいってる。実際そういう訂正をしている。
: 「( → しかし、「いい、聞く」では、 1つの動作を二つにわけて、いってるみたくとれる感じが、ちょっとつよい。  → そういう感じが、あってもいいと思うが、ちょっとつよいので、ちょっと不自然。 〔その不自然さが、おもしろい、ということもあるかもしれないさ。〕)」  当時はまだ、訊く、という表記を使えば解決するのを知らなかった。  今なら、一つの動作を一つの訊くで済ましてしまうと思う。  でも知らないときのほうがよさげな感触だから困る。  「アネキに、これなんだったっけといって、きく。」は「アネキに、これなんだったっけと訊く。」にまさる。
: 「今、このノートの上や、そばに糸キリバサミ。赤いやつ。  → この名称も、モヤッとした記憶があり、考えれば即でてくるかもしれなかったが、 それでもあいまいさがのこるような気がして(一瞬でもそのことがわからない時があると、 おもいだしても、あいまいなような気がする?)姉きにきく。」  ユビヌキで味をしめて(きけばすぐわかると)姉きに甘えた(姉きをつかった)、というところもあるな。
: 「 → 一瞬でも、それを忘れたという記憶があると、思いだしても、何か、あいまいなような気がする?  → またわすれてしまうのでは? と思うと、まだ、(忘れるかもしれないので) はっきりしないものに思え、あいまいな気がするのか?」  ものごとを認識すること自体のあいまいさに気づいてしまってるふう。  君の気づきは正しいのかもしれないが、気づかなくてもよかったのでは。  お約束だからとみてみぬふりをするたぐいのことなのでは。  おおらかにおだやかに毎日を毎時間を過ごしていくためには。  (ここにこのように記した事によって、ここに残したという安心感とともに封印したのだ、ということになるのか)
: 「前項のように、ハサミ1つなのに、「今、このノートの上や、そばに」という用法。」  おかしいじゃないか、と。  1つのものがあちこちにある。いくつかの時点がオーバーラップしている。いとも簡単に、文の上で。  これも気づかなくてもよかった?  でもまあ、単純におもしろいからいいのかも。
: 「瞬 瞬 )?」  2字目は、右下が、前のような感じに。
: 「? なんか、かきたいことあったような気するが、あいまい。」  繊細さがさらされて敏感になっていた、その余波だろうか。  (なにかの感触はのこっているが、もう逃げていった)
: 「カバン、糸ぬっただけでなく、ホチキスもしよう。 と、しだいに思いだし\はじめ、ぬいおおるより、はやく決定。  でも、きれるかもしれぬので、糸の上からはホチキスしない。 糸にかさならむように。(今、考えれば、ホチキスのピンのくいこむ所だけ糸とかさならなければいい。  《 絵 》 というぬいめなら、  《 絵 》 というようにホチキスしてもいい。)」  ぬいおわる。糸に重ならぬように。  決定はしたが、ほんとうにそうしたのかが(たとえばこの絵のように)あいまい。気になる(笑)  決定は事前、今、考えればは事後、この間にしてるという体裁にはなっている。 ただし、この絵は代替案なのだから、すでになしたのは別の姿か。 この間にしていたのは脳内でのこと、まだホチキスは一打ちもしていないのか。
: 「外国語なんて、やる気しない。いらない。きにくわない。きらいだ。」  本音まるだしで、気持ちいいぐらい。  ならば、最近の自動翻訳の進化は大歓迎かといえば、案外そうでもないのだ。  当時の英語成績の劣等意識が、こじれてしみついてしまったのか、 自動翻訳はにせもので、たよるのは恥ずかしいことで、やはり自前でペラペラしゃべれなくては、 などという差別意識がある。  いじめられっ子が幸いにもそういう環境をすっかり脱することができたのに、 気がついたら今度はいじめっ子になっていた。そんなふう。  あるいは、モブとして、いじめっ子がいじめているのを眺めて、いじめられっ子をいい気味だと心でいたぶっている。 ああ、そんな感じ?
: 「お母さん、政見放送きいて、アハハハ、と高く笑ってる。お父さんも、笑ってる。  → 書いていた時はちゃう。 でも、あ、今はそう。  → 書こうと思ったときなどは笑ってた。」  北西の奥まったwaka君の四畳半で書いていると思う。  東隣が姉きの部屋。その南、せまい廊下の向こうに床の間の部屋。  床の間の部屋の東が祖父の部屋、姉きの部屋の東が台所。  よって、祖父の部屋と台所は南北となって、襖を開ければ広いリビングふうで、 食事のときなどは祖父の部屋のTVをつけてみなで視聴したりしている。  本項の父母は、祖父の部屋のTVで笑っているのだと思う。  (説明した五部屋のうち、台所のみ床張りであとは畳部屋)  → ついでに、母屋全体までひろげると、 床の間の部屋の西、waka君の四畳半の南が、父母の寝室。  祖父の部屋の東が応接間。台所の東が風呂場。(応接間と風呂場が南北)  更に東、南に横浜のおばあさんの居室、北にトイレと玄関。  だから、九室になるのか。応接間も風呂場も一室に数えて。  下の妹は父母と一緒、上の妹は横浜のおばあさんと一緒に寝ていたんだっけ。  台所と風呂場の北側が棟続きの倉庫。とはいえ、地面を屋根と塀で囲ったふうで、倉庫におりるときはサンダル。  祖父の部屋の南には縁側、応接間や横浜のおばあさんの居室の南は広い三和土、広い庇がおおっている。  母屋の出はいりは、ふだんはもっぱら、三和土から応接間に上がるという経路。 玄関をつかうのは登下校とか出勤帰宅とか(つまり外出用の靴や下駄が玄関にある)。または来客の出むかえ時とか。  母屋の南一帯が庭。亡くなった祖母(母の母)が庭いじりをしていたときはそこそこだったが、その後は放置気味。 東や南の塀に沿って桜、無花果(いちじく)、柳や柿、杉の木などなど木立も。  南の塀の東端に勝手口である格子戸があるんだが、これが唯一の出入口といってもよかった。 東のブロック塀に、玄関前ぐらいに、立派な門があるんだけど、常時締めきっていたので。 (今思うと、来客はどこから入ればいいのか迷ったのでは。当時住んでる身としては思いもしなかったが)  母屋は平屋。  庭の西、父母の寝室の南に離れがあって、職員寮で二階建て。全四室。  この離れの二階南側の一室が、後年、waka君の自室になる。  庭を含めて全体が、社宅という名目だったはず。家族も職員も「うらのうち」と呼んでいた。
: 「カバン、ぬいおわったと思ったら、バンド、ねじれてた。  うごく 《 肩さげ鞄の絵 》 固定 ここがきれた。」  ありがちな、うっかりだ。  ねじれたままにしちゃったの? 糸を切って抜いて縫い直したの?  ねじれは解消して、バンドを留める所、ここに裏側から差し入れるようにしたのかなあ。  答えはとりあえずこの頁にはかかれていないようで、気になる(笑)
: 「いいおとながおおまじめでやるあそび。  政治、  政見放送 )について、 母。」  うん・・  そういう見方もあるわな。現代の平和な日本ではとくに。  お祭りのようなノリで、かってもまけても、神前で手打ちをしておつかれさまでしたとなおらいが始まるみたいな。  → 殺し合いの代わり、ってところがあると思うんだが、海外では。
: 「千葉銀のコウメイさん。  → 公明党を連想。  → 連考?」  (親たちの知り合いに)千葉銀行の営業マンでコウメイさんという人がいるんだろうか。  ネット検索すると、かなり珍しい苗字ということなんだが。
: 「外国じゃ、サム、は女の名のこともある?」  Wikipediaによれば、サムは、サミュエルの愛称(男性の場合)、サマンサの愛称(女性の場合)、とのこと。  つまり、あるんだ。  そもそも、日本では男性名なのか、という問題もありそう。 日本では外国人の男性名になっている、とwaka君が認識しているようだ。 (幕末以降、来日する外国人は男性が圧倒的に多かったので、サムが通称の男性も多かった。 または、単純に語感が男性的なので。  いずれにしろ、この日本側の認識は(もしかしたらwaka君の脳内限定のそれは)、当の外国人たちには変に感じるわけか。  過去に一例ぐらいだけど、翻訳小説を読んでいて、日本人男性の名前が女性名としか思えない場合があった。当然、しらけた。  ああいうことなのかなあ)  → 西欧人の親しい知り合いはいないが、真相が知りたく、Copilotに訊いてみた。 〔 サムは男性名か、女性名か。原地ではどちらが常識的か。両性同率ぐらいか。  ==⇒  「サム(Sam)」は英語圏では一般的に「男性名」として認識されることが多いですが、女性にも使われることがあります。とはいえ、男女比は同率ではなく、男性名としての使用が圧倒的に多いです。 〕  だって。  ほ〜、なるほど。圧倒的かい。逆に想定外。  こういうあんばいは、きいてみないとわからないよ〜  (当時のwaka君はてっとりばやく姉きにきいてる。今の私はCopilotにきいてる。 甘え体質は変わらないんだ。 ^^;)
: 「おきてると、ノートかかねばならなくてつかれるから、ねちゃおう。 (半分はまじめ。半分はねたいから、ふまじめに、こんなこという。)  → 半分は、ふまじめにとられるのじゃないかしら、それもおもしろい、と思って?  → これ? ほんと?  → なんか、どーも、はっきりあらわせぬ。」  誰がそうとる? 誰と話してるんだろうね。  もう寝ちゃったほうがいいと私も思う。起きてるととまらない感じだ。
: 「ブタに似た男の夢。」  一瞬寝落ちして夢にでてきた?  魔人なら、牛頭馬頭ではないから、オークっぽいか。当時のwaka君は知らないと思うけど。
: 「サントウアキコ、 ゲンコウをひとつもみない。」  政見放送の彼女を、母親がそう誉めているんだと思う。  Wikipediaによれば、山東昭子は、元女優・テレビタレント。 〔 ・・・ 1974年、田中角栄内閣総理大臣(当時)に請われ第10回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬[1]。約125万票を得て32歳の最年少参院議員として初当選[6]。 ・・・  〕
: 「お姉さんには1週間に2本ぐらいのわりで電話かかってくる。 ぼくは3ヶ月に2本? (このごろは年に2本ぐらいのかんじ)  → お西から、でんわのかかってくる 2年は、わりと多い。 3年になったら、気がねしてだろう、日ように電話よこさなくなった。  (お西自身、あそぶひまない?)」  この夜、姉きに電話かかってきたりして、本項を書いたか。 または、たまには誰か電話してくれてもいいのに、という気がしたか。  お西とは高校が別々になってすでに三年目。疎遠になってきて不思議はない。  気がね、というのは、それぞれの高校での交遊関係ってのもあるだろうけど、時期的に受験絡みもありそう。 waka君が大学行きたくないほうに傾斜していることをお西にはまだちゃんと話してないと思う。 waka君もお西の進学先とか希望とかをほとんど知らない。すでに。  → 半年後、お西にアクシデントがみまうのだが、二人ともまだ知らない。
: 「よこさなく、をよかさなく。」  現場はすぐ上。
: 「めがね、かけて、このノートみたので、ちょっときついかんじ。  → どうしてかけたか、というと、山とうあきこと(日立)みにいったから。  (いちどみて、さんとうあきこ、というようなことよんだか、きいたかして、有名なようなので、 もどってメガネかけてくる。)  → そうではなくて、テレビで有名なような人、いってるのでいってみれば、 サントウアキコとかいうやつで、別に、 チラリとみるだけでいいので、テレビのそばまでよる必要ないと、 メガネもってきて、台所のいすにすわって、(もたれて)おじいさんのへやのテレビをみる(?)  → 部屋にはいる必要はない、と思う。  別に、おじいさんの部屋も台所もかわらぬのだが、おじいさんのへやにはいると、 まごとして、また、こしをおいてじっくりするような感じにしなきゃいけないような気になることがわかっているためか、 はいりたくなかったのか? (もし、そうなら、はいって、何かにセイヤクされるのめんどうだった?)」  日立が謎だな。日立がスポンサーをしている何かのTV番組であろうか。  一行目、解像度が高すぎてどぎついかな、というささやかな感想を、 そのささやかさに見合うぐらい簡単に説明しよう、付言しようとしたら、 うまく行かず長々となってしまった。という現場か。  簡単な付言というのが簡単には書けない場合が意外とあるのにみくびったわけだ。  既述の通り、祖父の部屋と台所は南北。 就寝時でなければ襖が開いているので畳敷きの祖父の部屋のTVを、板張りの台所の食事テーブルの椅子に横座りなどして視聴できる。 もちろん、じっくり視るなら、祖父が横になっている布団(祖父はこの体勢でTVをみてるのが好き)のそばまで寄って畳にあぐらしてかぶりつけばいいわけだけど、そこまですることもない、 チラリと確認できればよかったので、メガネが欲しかった、と。  まご(孫)として、あたりが気になったらしく、以下つづく。
: 「 「として、」 を 「のように、することによって、」 と感じてもいいのでしょ。  「〜とする」の変化としての「〜として」を、考えてもいいのでしょう。  → このような「として」と、→ このような「として」は、ちがういみに思えるけど、 実は一方が(後者?)もとになっているだけで、片方が発展しただけ?(かたよっただけ?) そこですこし、よく理解すれば、二つの意味が一つの意味として、理解できる?」  なにか、神経質すぎる状態、狂ったかと思えるけど、辞書をひけば、 〔 と‐して  《連語》 (格助詞「と」または断定の助動詞「たり」の連用形「と」に、サ変動詞「す」の連用形「し」と接続助詞「て」の付いたもの)  (1) (動詞「す」が原義を比較的強くとどめている場合) …と思って。…しそうになって。 (2) (体言に付いて) 全体で一つの格助詞のように用いる。  (イ) …の資格で。…の立場で。  (ロ) 「も」を強めた表現。多く、下に打消を伴って「例外なく全部」の意となる。  (ハ) …でもって。…で。  (3) 全体で接続助詞のように用いられ、連用中止機能を表わす。  (4) (接続詞的用法) 近世、女性の手紙で、前文から本文に移るときの語。それはそれとして。さて。 〕 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  この、(1)と(2)の差異または移行をいってるらしいから、まだ、感性が鋭くなりすぎているていどか、せいぜい。  にしても、その言葉の説明文の中にその言葉が地で出てきてしまうと、ややこしくなるのう。  (ミミズの体内にとても小さいミミズが寄生しているような感じ? ちがうか、笑)
: 「 → ああ、もう、前半の半分についちゃった!!  この前、ここまで、 ← この線ひいたが、また次のくぎりまでひかなきゃ。」  このノート一冊の前半の半分(つまり全体の1/4)に達してしまった、の意。  このノートは、全体で108頁。52頁と56頁の二つの束を合本したような作りになっている。 その前半52頁は、13枚の用紙の中央を綴じてそこで二つ折りしたもの(13×4=52)。 本文の右向き矢印のほうにあるのが、その綴じ目。  また、本文の左向き矢印が指しているのは、各頁を縦四分割しているエンピツの縦線。 これは線引きで手書きしているわけで、本文の通り、ある程度まとめてひいている模様。
: 「アンネ体操 : はずかしいものだ。」  Wikipedia〔 アンネ株式会社は、かつて存在していた、ナプキンやタンポンなどの生理用品を製造・販売する会社。1993年(平成5年)に東証1部上場のライオン&ユナイテッド製薬(日本)株式会社と合併した。 〕  この会社のTVCMの感想とは思うが・・  だめだ、もう時が経ちすぎていて、情報が僅少。  映像とか残っているかもしれないが、ネットで簡便に視聴というわけにはいかないみたいだ。  waka君は、穢れであるものをおおっぴらに宣伝しないで、という保守的な感覚の側であるらしい。まだ。  おそらくそれは、家の大人たちの感覚がそのまま伝染しているはず。
: 「お父さん、「おふろあきましたけど。」といいながらきて、ぼくのへやなどのぞき、 「なんだいないのか。」といい、いく。  ■■コがいない、と思った?  姉きがいない、と思った?」  これは若干謎含み。  この家で父が丁寧語で話す相手は、 祖父(自分の義父)、横浜のおばあさん(自分の実母)だけなんだが、 祖父は一番風呂と決まっているので、もう済ませているはず。  (1) ならば、横浜のおばあさんをさがしていた。 ということになる。 ただ、横浜のおばあさんの居室は、風呂場の東で、西のほう、waka君の居室まで見にくるってのは方向違いではある。 当時のwaka君も、こちらまでくるってことはこちらのほうにいる子供たちを探していたのか、と推測している。 にしても、子供たちに丁寧語はつかわないので少し妙。  (2) なので、ここの「おふろあきましたけど。」は、家全体へのアナウンス的な発声のつもりなのかも。 目上の人の耳に入っても横柄に聞こえないようにという配慮。(婿でもあり)  (3) 結局、誰が「なんだいないのか。」は、はっきりしないけど。waka君をみてそう言ったんだから、waka君ではないし。  ・・まあ、父も、風呂であったまって、ぽやんとしていた、言動もややふやけていた、だけかもしれないな。
: 「今日は、もうだれも、ぼくに働きかけないでほしいかんじ。 ここに書いていられない。(から)  → どこそこから、どこそこの「から」でなく、「だから」のから。」  家族の動向を(いや、家族の動向も)逐一記録するマシンと化している自分を感じている、ってことか。  書いていられないなら、書かなければいいだけなんだが、とまらないわけだ。  自分ではとめられそうにないので、まわりが静かにしていてくれ、と。
: 「となりのへやにきて、何かしてる■■リを、 「あんたおふろはいんなよ」「はいんなきゃだめだよ」「はいらないじゃないよ、」と、 あしたのよういのためにかきてる、父さん母さんしかった声、きいたとき、 一瞬ぼくしかられてたようなかんじ。」  あしたのようい。父母はあしたから旅行。まだ、この晩の記事がえんえんと続いているのだ。  waka君のとなりの部屋は姉きの部屋だが(勉強したり寝たり)、押入れが二畳分ぐらいあり、その大部分が父母の関係。 三面鏡などもある。  → → そうか・・  ということは、だれがこの夜の宿直をするのか問題がまだはっきりしていないね、このノート上では。 確定している■ダさんは夕食後もう泊まりにいってしまったか。 もう一人がだれか(waka君がこばんだので祖父か父だろうが)、■ダさん単独になったか、 このあたりは夜もふけてきたのでもう決まっていると思うんだけど、waka君がわざと触れていないのかも。 (それについて書くと、自分の感想も添えねばならず、こばんだてまえ何を書いても心苦しいので? もう自分は関係ないと耳をふさいで知ろうとはしなかった、とかもありそう)  → 時刻的なことや■ダさんがwaka家の面々とそれほど親密でもなかったことを考えあわせると可能性は低いんだが、 父が次に風呂にはいるはずと探していたのは、■ダさんだったのかもしれない。そうか・・  うーん。ないことはない。ないことはないが、夕食後、家族と一緒にくつろぐような間柄まではいってなかった、あくまで職員という立場の若い青年で、 父もそう認識できたはずだから、宿直のため職場のほうへもう行ってしまわずに、うらのうちにまだいる、とは思わなかったんじゃないかなあ・・  → あるいは、夕食後父が、風呂にもはいりなさい、とひきとめていた、とか。どうぞお先に、と上司である父にまずはゆずったが、まっているうちに居場所がない感じがした。なにか理由を言いのこして退出、ひとり夜道を、道路を隔てた職場へ宿直部屋へ行ってしまった、とか・・  このケース・・ ああ、なんか当たりなような気がする。
: 「・〜のためにかきてる父さん母さん  ・父さん母さんは〜のためにきてるのか。  ) 同じ?」  ちがうぞ。疑問の程度は同じでも、前者は父母が主、後者は疑問が主。
: 「センヒキ、ひきだしにないので、おやと思うが、そうか、ノートにはさんであったのか、と思い、 机の上み、ノート


当頁 2025/02/24(月) 〜