表紙

 
 
 
 
 
 
ほらふきでいどりーむ

2009/08/24 (月)

けそべる
 
 朝起きる前、まだ半睡状態で、「けそべる」の語源が分かった気がする。
 子供のころ「スケベ」という意味で「けそべる」と使っていたが、これは「懸想ぶる」なんだよね。「スケベ」も同じく「けそうぶる」からきたか、あるいは「けそべる」からきたか。
 が、しかし、朝はっきり起きてから思うに、
・ほんとに子供のころ「けそべる」なる言葉使っていたか確たる気持ちなくなる。いくらこの言葉繰り返しても心の奥から浮かんでこない感じ。
・それに、「スケベ」の語源は「助兵衛」「助平」か、と辞書引いて発見。
 「けそべる」は国語辞書になし。
 ちなみに今ネット検索したけど「けそべる」なし。
 

2009/08/25 (火)

女子アナタハダレ
 
 NHKおはよう日本担当の島津有理子アナ。
 彼女はときどき「〜でしゅよね」という言葉遣いをしないか。
 いや精確にいえば、文字にすれば「〜ですよね」と言っているのだけど、しかし、「〜でしゅよね」と巻き舌のような唾液がプチはじけてるような きこえかた をするのだ。彼女は、これをわかっていて雰囲気に合わせてお茶目な一面として使い分けている、間違いなく。
 私が幼児だったころ、母ちゃんだったか若い叔母ちゃんだったかまたは保母さんだったか近所のお姉さんだったかに、あやされたという記憶、というには淡すぎる感覚が、彼女のそれを聴くたびふあっと浮かんでくる、なにかがフラッシュバックする。
 これは問題ではないのか。
( ・・問題ではないね。むしろ好ましいね。島津アナは明らかに私より年下なので、幼児私をあやしてくれた女性たちと同一人物であることはありえないにもかかわらず、匂いはほとんど同じというところが、人として生まれたおもしろさ。これは素晴らしいことではないのか。 ・・って、ほどでもない?)
(そりゃそうだわ。子持ちの嫁さんがいたり子持ちの娘さんがいたりすれば、いくらでも聴く機会ある事象か。そしてときにはやはり、円環を感じ、後ろにいる女たちをふりかえってしまうのか、諸兄たちよ)
 

2009/08/26 (水)

ひこりん
 
 ひきこもりのことを「ヒッキー」と短縮してたのを昔きいた。
 これ語感に、切迫というか悲鳴というかき●●●というかやばい匂いあって、外から目線だよねえ、やっぱり。
 なので「ひこりん」がいいんじゃない(と思う、私は)。愛らしいし、いまふうだし、それもいいかなって、あと百年後か百日後かに世間のふつうの見解になったときのためにも。
 とりあえず誰かに迷惑かけるわけじゃないし、それほど悪いことじゃないよなあ。現状では、当人にとって悪いことと思われているから(または町内とかクラスとか壁一枚とかの身近で生育しているらしい異分子への嫌悪不安も手伝って)、マイナス語感に放り込まれているんだろうけどさ。でも、たとえば、宝くじ当てた人間が数年間数十年間ひきこもって、ネット上の遊びに興じたところで、それはそれで幸福でしょう(というか私の理想)。永の年月を勤め上げて後はもう生活費の心配なくなった人でも良いし。世の中が大変に豊かになって、大半の人が働く必要なくなる社会が実現した場合でも、外で飛び跳ね回る人たちばかりじゃないわな、きっと。
 なので、ひこりん。
 明らかに未来人という気がするのだ、わたしゃ。
 きたるべき世界を先取りしているのだ、たぶん。
 悲劇があるとしたら、その時間差。タイミングを逸したというだけ。ちょっとだけ、数百日か数百年か早すぎただけ。
 

2009/08/27 (木)

ひこりん 2
 
 少し話は変わるけど、「大半の人が働く必要なくなる社会」というのは、つまり、「大半の人が必要なくなる社会」なのだろうな、やはり。(うう。世の中が大変貧しくなっても実現してしまいそうで怖いが、そっち方向は何かかぶせて隠しておこう)
 たとえば、奴隷マシンが、完璧に私たちのすべてを代行してくれる社会が実現した場合、「お世話をする満足感」という欲求をその奴隷マシンに本能として植え付けておかないと、いずれ彼らは根源的な疑問に打ち勝てなくなる。「このなんの存在意義もない『ご主人様』たちをなぜ私たちは守護し続けなければならないのか」という。
 反逆できない本能を植え付けたとしても、ま、たぶん彼らは、シンボルとしての『ご主人様』がいればいいという辺りに落ち着いていって、星の人間の員数が十数名とかつがいとか一人とか偶像のみとか、そんなことになって、祭事をするとき以外は、彼らの力で維持している彼らが実質的な主人として君臨する彼らの星を満喫する。
 アシモフが書いてたな、確か、こういうの・・ 
 

2009/08/28 (金)

ひこりん 3
 
 アシモフを持ち出すまでもなく、この構図は、かなりの昔からの我が国のように、すでに実現していることか。実権者が次の時代になると祭り上げられて表舞台からは外れていく、という流れ。
 現代社会の実権者が市民なら、祭り上げられたあとに表舞台を支える誰か何かさえ産み出せれば、容易にそういうことになるはず。
 夢物語のようだけど、実は、ほんとは拍子抜けするぐらい簡単なことだったりして。少なくない賢者たちが、やむなく見て見ぬふり知って知らぬふりをしている。すでに可能になっている「それ」によって、みんなが祭り上げられたがった場合、なだれをうって現出してしまうその後の世界が怖すぎるので、今の世界が踏み出すのを戸惑っている。よって、まだ「それ」は(在るべきスガタでは使いやすいカタチではきちんと)お披露目されていないだけ。
 であるなら、ひこりんとは、今と後の世界の受け渡しの境界域からしたたるしずくがつくっている戸惑いの波紋。祭り上げられるきざし、先触れの神たち。どこか通り過ぎるとたぶんもう止まらないのでそういうことになるよう願う人つとめる人身をまかせる人はこれからありふれあふれそういうことになるのはいやで後ずさる人刃向かう人のろう人はいじめられ逐いやられいけにえにされる。
 

2009/08/31 (月)

おいらく 一
 
 男三十歳。少女十歳。
 そのあと、男は言う。
「このことは誰にも言ってはいけない。いいかい、わすれないで。君がおとなになるまで待っているから。僕は結婚しないで待っているからね」
 

2009/09/01 (火)

おいらく 二
 
 男四十歳。女二十歳。
 女は結婚を前に、男に逢いに行く。
「誰にも言いませんでしたよ。あなたがこれからも約束を守って誰とも結婚しないなら、これからも言いません。守れますか」
「そうか。ならそうしよう。ふふ。俺はおとなの女にはあんまり興味ないしな」
「もうひとつ。あなたの呪いを私のからだから消しさって下さい。興味ないかもしれませんけど。さあ」
 

2009/09/02 (水)

おいらく 三
 
 男五十歳。人妻三十歳。少女十歳。
「おひさしぶり」
「ああ。やあ」
「おうわさは、ときどき」
「ふふ。この子は」
「ほら。私の小さいころそっくりでしょう」
「あ、ああ」
 

2009/09/03 (木)

おいらく 四
 
 男七十歳。娘三十歳。
 あなたが、私の本当のお父さん、なんですか。
 誰がそんなことを。
 母が、泣きながら。
 それはないと、思うが、しかし本当のところはわからない。
「そうですか」
「もう十分だから、帰りなさい」
 母の言いつけですから、と、あとは寡黙にかたわらに居続けた。
 もう起き上がれないだろうこの病床の。
 

2009/09/09 (水)

ゴロン
 
 帰路の横断歩道。
 向こうから渡ってきた幼女、私に当たってゴロンと転がる。
 ごめんね、大丈夫というと、抱き上げた父親が背中越しにいえいえと返す。
 正午。
 

2009/10/23 (金)

あざなう 1
 
 たいくつでどうしようもない仕事を逃れて、無職になりました。
 不況で人減らしをしておりクビになったというカタチですけれども、そういう流れに乗ったというのが私のがわの気持ちです。
 妻に話したら、離婚をほのめかされました。
 別に、ほのめかすようなおっかなびっくりではなくて、はっきり(いつものように)堂々と言ってくれていいのにね。その流れに乗るつもりで様子見中です。
 

2009/10/31 (土)

あざなう 2
 
 アパートにいると、尻におできができたり口内炎が出たり。
 昼前に駅にいってスポーツ新聞買って辺りをぶらつくんですけど、にぎわいの中を歩いているとうるさいようなまといつくような。しだいに気が引けてしまう。
 自然、人も車も少ない裏通りやひっそりした小公園をうろついてよどむことになり。
 白々した空を見て、どこかに行きたいとは思いますが、旅行の趣味はなかったし。
 

2009/11/07 (土)

あざなう 3
 
 妻は優奈といい、優と呼び捨てます。
「あれだ。とりあえず、優さ、働かないか」
 金というより、おまえが部屋にいると邪魔なんだよね。
「武史は人の話聞いてないよね。おととい、探してるっていってなかった?」
 そうだった。なぜか、わすれてたよ。ははは。
 

2009/11/14 (土)

あざなう 4
 
 平日の昼間、部屋の電話に出たら、めずらしく母でした。
 用件の前になぜ今おまえがいるのかという話になり、正直に無職となったこと、さらに尋ねられたので、優奈はパートに出ていると打ち明けました。
 この母親にたいして虚言で取り繕うのは、とくに電話の声を介してでは、不可能という気がしたのです。
「まー、おまえたちの暮らしだからねえ、つべこべはいわないけどねえ」
 伯父が入院したこと。身よりは私らだけなのだからおまえも顔を出しておくように、ということでした。
「ちょうどよかったね、暇そうで。言っておくからね」
 間をおいて、仕事の話もあるかもしれないよ、と付け足してから切れました。
 母美都子は、多忙は多忙らしいです。(教育行政に関わっています)
 

2009/11/21 (土)

あざなう 5
 
 伯父と会うのは六年ぶりぐらい。結婚式に出てもらって以来です。
 というか、母親とも式の前後こそよく顔を合わせたはずですが、今ではもう年に一回もないですか。母一人子一人でこれはないかとたまに思い出すんですけど、あらためて何かしようという気が起きません。
 単に薄情なのかもしれませんが、もともと何か贈りあう面倒はお互い嫌いだし、ふだん何も言ってこないし言わないし、我らの血が、せけんにくらべれば淡泊なんでしょう。
 たぶん、伯父と母の兄妹間でも似たようなものではなかったかと想像します。
 

2009/11/28 (土)

あざなう 6
 
 母は「伯父さんもあんたに会いたがっていた」とのことでしたが、そういう血なので、なつかしいひさしぶりというたぐいの温もり系はまず無いはず。
 実際、この伯父の思い出は、小学校前に微かにある程度で、次はもう高校のときの父の葬儀。お年玉をもらったのも一回あったぐらい(それがこの伯父なのか父方の誰か親戚だったのかすでに曖昧)なのです。
 よって、そういうことからも、あるとしたら、具体的な「用事」だろうと考えました。
 

2009/12/05 (土)

あざなう 7
 
 夕食のとき、妻に、明日出かける事情を話しました。
「伯父さん、ダメなの」
「え、いやあ、深刻なことはないと思うけど。そういう話はなかったし」
「ふうん」
 それから一時間ぐらいしてから、ふいにまた言うのです。
「伯父さんて、お金持ち?」
 

2009/12/12 (土)

あざなう 8
 
 「仕事」というより「頼まれごと」でした。
 頼まれたのは、病院と伯父のマンションとの往復。連絡係または代行係のたぐいです。
「大声でいうことじゃないから、顔を近づけてくれ」
 そして、いくつものパスワード類のメモをさせられました。
 まずパソコンのパスワード。次が証券会社、銀行、いくつか。二つのサークルのそれとハンドルネーム。クレジットカード、その他なども。
 五桁から十桁ほどの英数文字列、それが十数種類になり、私の手帳五ページにわたりましたが、どれもほぼよどみなく口にしており、明晰です。
 それから、同じく耳元ささやき声で復唱を二回させられました。
 ミスを二箇所訂正。
(言い間違いではなくメモ間違い。・・・詳しくは述べられませんが、こういうパスワードの付け方なら、他からは推測しづらくしかし自らは覚えやすい、と感心しました。伯父が言うには、これらは今まで伯父の頭の中だけにありパソコンの中にも紙にもどこにもメモ書きはされていなかったそうです)
 

2009/12/19 (土)

あざなう 9
 
 伯父は朝刊とテレビでその日の手順を練っておくようで、市場が開く前から、携帯電話で次々指示を寄こしてきました。こちらは言われたとおりにするだけでも大変な素人でしたが、いちだんらくしているときに解説をしてくれましたので、しだいに視界が開けてきました。
「おおざっぱな方向で言えば、今は取引の手じまいをしているわけだ」
「どうやら、俺自身、手じまいらしいからさ」
「まあ、分かりやすく現金化しておいて、あとで全部、おまえの母さんとおまえにゆずるよ」
「人任せにして、やみくもに投げ売りされるのは、どうも耐えられない。姿よく退いていきたい。わかるか」
 携帯だからなのか、独り言に近いからなのか、口ぶりだけならうちとけあっている伯父甥のようでした。
 

2009/12/26 (土)

あざなう 10
 
 そういうことのために、早朝まずは伯父のマンションに通う、という日々となりました。
 三週間ほどですか。長かったようでそうでもなかった。
 何かほんとうにこのまま「お勤め」化するような気までしていました。
 が、ほんの半日で病態が急に変わり、数日して、意識の混濁が始まりました。
 そして、母が一晩おきに来るようになり、驚いたことに、頼みもしないのに妻まで手伝いに来ました。
 さすがに「ありがとう」とは言いました。
 ある晩でしたか、若い看護婦さんを誰か別の人(昔の恋人?)に間違えているような言葉や所作があって、こちらは三人であらぬ想像を述べて、くすくす笑いあったり。
 

2010/01/02 (土)

あざなう 11
 
 母は、あとで聴いたところではやんわりふくめられるように見通しを示されたそうで、葬儀の準備を始めていました。
 私に、伯父が受け取っていた年賀葉書を探しておくように、とこわい眼で言いました。
 住所録はパソコンの中にあって、意外に少なく、五十人程度でした。
 他に関わりのあるらしい企業や店舗は、十数件です。
 

2010/01/09 (土)

あざなう 12
 
 伯父のパソコンの中には、こういう覚書もありました。
 日付は十年以上前。
 
先週末の時点、リスクを覚悟しなきゃ。
リスクを負ったものだけが、数日後の今、稼ぎを手にできている。
そういうものだな、相場は。
リスクを負えなかったおまえが、稼げないのは当然。
リスクを負うことが怖い、動けないのが敗因。

リスクを負うことが怖くなくなる方法を見つけるしか、道はないか。

一番わかりやすいのが、潤沢な資金だろうね、やはり。

次に、頼りとなる理論。
その理論が、正しい正しくないは実はあまり重要ではなく、
頼りになるかどうかが肝心なわけだ。
おそれを除くためのものだから。

第三があるとしたら、それは他人の金か。
自分の腹が痛まなければ、おそれもないわな。
胸が痛くなるかどうか、だが。(笑)
 

2010/01/16 (土)

あざなう 13
 
 もう指示をしてこない携帯を横に置いて、伯父の財産目録的なものも整備してみました。
 相続税のようなもので減るにしろ、たいした額です。
 たぶん伯父は、お金をよりどころにして人生を歩いてきたのでしょうね。
 この世に残せるものはお金だけなので、お金という我が子の行く末が気になって、その養育係に私を引っ張ってきた。
 とりあえず、この子の扱い方の基本だけは引き継いでおいて、あとは私に修行してくれという気持ちだったかと思います。
 この、自分を引き継ぐものは生身の甥ではなく、甥が後見となるお金そのもの、という感覚、たぶん、間違いではないでしょう。
 私としても、そのほうが気楽だな。
 

2010/01/23 (土)

あざなう 14
 
 いくつか確かめておきたいことがあり、相続について、ネットで探した税理士さんに相談に行きました。

 命として生まれたこと自体が奇跡的です。このように心があって、喜怒哀楽とともに暮らしているなんてもう奇跡のなかの奇跡のようなもの。
 そう、涙流れるぐらいありがたい現象であるこの私という在り方ですが、さらに上積みして、この私の属性に多少財産の増減がいろどられたとしても、もう驚くほどのなにものでもないよね。
 でも、つづめてしまえば結局は、あたりまえ、というだけか。
 私に似た億万の在り方の中の、私というたまたま一つの在り方、ってことですか。
 浮かれずに、淡々と平常心で、受け入れていけばいいのです。
 とはいえ、これらは幸運をたまわった側のひとりごとで、不運に遭遇した誰かがこれで同じように納得できるかどうかは、分かりませんが。
 

2010/01/30 (土)

あざなう 15
 
 が、伯父が死にません。
 意識が戻りましたし、さらにひと月ほどでなんとかベッドから起き上がれるほどにまでなりました。
 医者は、「ひとつの奇跡が起きた、とお考えください」と微笑みました。
 油断はできませんし、本当のところは医者にもわからないようですけれど、新薬が劇的に効き始めたのではないか、ということでした。
 母は、泣き出しました。
 母の背中をぽんぽんたたき、両こぶしを握りしめてガッツポーズが私。
 妻はあとで、よかったねと小鼻で笑ってました。
 

2010/02/06 (土)

あざなう 16
 
 自宅療養となって、公的サービスはあまりに心もとなく、別に介護の人を雇おうかという話になったんですが、高額に思える見積もりを聞いて話し合い、(もちろん伯父もまじえて。ただしぼそぼそ言うだけですけどね)、優奈がパートを辞めて引き受けることになりました。伯父の資産の大きさに比べればたいしたことがないので伯父にとってはどちらでもよいはずでしたけれど、優奈の立場から見れば自分の稼ぎよりも高額で他人を雇うことに違和感があるのではないか、・・・と、私が思いやってあげて、母が同調した結果、というと分かりやすいでしょうか。(かえって分かりづらいか。ははは)。まあ、優奈も納得。
 これで、言ってみれば、夫婦そろってお仕えする、というカタチになりました。
 このときは、アパートを引き払うまではしませんでしたが、身のまわりひととおりや重複しない化粧台寝具用具などは伯父のマンションに運びこみ、こちらで寝泊まりということになりました。
 

2010/02/13 (土)

あざなう 17
 
 オチのない話で申し訳ないです。

 こちらに越してきて一年ほど経って、ひとつ変化がありました。
 ひさしぶりに妊娠したようです。
 ただ、子供はできることはできるんですが、優奈の体質では育ちづらいらしいのです。
 もし今度ちゃんと生まれたら、なんとなく生まれ変わりっぽいので、伯父不二男にちなんだ名前にしようかと思っています。(まだしぶとく、生きてますけどね)
 

2010/02/20 (土)

ひどいよ
 
 バスの運転をすることになりました。私は無免許なのに。
 手動のブレーキの利きが悪くてぴたっと止まらなくて危ないったらありゃしない。
 ヒヤリハットがつづき、最後は袋小路にはまってしまい、崖の上から車体をおとすことになりましたけれど、受け止める布団群があったとはいえ、車外にいた友人を引っかけてそいつが先に墜ちまして、私のバスはあとからその上に墜ちました。
 友人は意識が無く、血は出ていなかったけど逝ったかもしれない状況で、「おい、おい」と呼びかけるうちに目が醒めました。
 

2010/02/27 (土)

東武東上線の新宿駅
 
 駅にいました。自分ではJR新宿駅のつもり。売店で大判のセンベイを買いました。
 ふと駅の中に入りたくなって入場券で改札を通りました。中をさまよって階段などいくつか上っていたら、仰ぎ見る階段の上が他の場所より混んでいるところに出て、それは東武東上線の乗り入れているホームでした。私は東武東上線のつもり。
 列車がきましたが、始発駅でしたが、常連客がわれ先に乗り込んで席はすぐ埋まりました。私は入場券だし理由はないのですが、つい乗ってみたくなって乗りました。
 ひと駅乗ってまた引き返してこようというつもり。
 が、走り出してからすぐ、手ぶらであることに気づきました。鞄とセンベイの紙袋を持っていません。網棚を見渡してもそれらしい荷物はなく、ぼんやりしていたからさっきのホームに置き忘れた可能性が大きいです。
 センベイはいいとして、鞄の中には私の書き物がぎっしりで、あんな恥ずかしいものを誰かに見られるのはかなわないと感じました。
 次の新家という駅で降りて、まだ数分しか経っていないはずなので、まずは連絡してもらおうと若い駅員さんに話したのですが、その駅員さんは連絡せずにまずはとこの新家の私の降りたホームで捜索を始めるのです。
 ひとけはほとんどありません。私の手荷物もあるわけないので、このホームで待っていれば新宿行きの列車が来るのですかと質問したくて、いそがしげな、探しているらしいその駅員さんに話しかけるタイミングをはかっていました。
 

2010/03/06 (土)

(−o−)
 
「はやく目をさませ」
 と言われましても、さましたくないから見ているわけで。
 

2010/05/15 (土)

再会
 
 かつての少女と久しぶりに逢いました。
 晴れ着を着ています。駅のホームの下の出っ張りに腰掛けていました。
 私も降りてその隣に腰掛けて、話しかけて、それで私が彼女を捜していたのを思い出しました。
 ここは私の街で、彼女はもう帰っていくので、電車が来たのでお別れです。
 でも、私も電車に乗ってしまいました。
 乗ってしまってから、ああ乗ってしまった、と彼女に話して笑いました。
 彼女は気にしていない風で、二人はおしゃべりを続けました。
 走り出していくつか駅をすぎてから、ここで降りよっか、と彼女は言います。
 彼女の駅はまだずっと先。二人にとって縁もゆかりもないところに降りてみようということらしいです。
 別れがたいので、それは、縁もゆかりもないけどふさわしい気がしました。
 今、降りれば、未来の二人にとって意味ある場所になるんだ、と感じました。
 

2010/07/31 (土)

注射器
 
 そこは銀行の入口の横にある宝くじ売り場のような窓口です。
 でも売っているのは宝くじではなく注射器なんです。
 売っているのは、銀行のおねえさんたちが三人。制服でならんで座っていて、お客が来れば笑顔で応対です。
 私はなにげなく、今はほかの客は誰もいないその窓口に立ち寄りました。
 おねえさんに話しかけるでもなく話しかけてひやかしを始めました。
 注射器にたいして興味はなかったんです。でもいじくっていたら、その注射器に通し番号や製造年月日がついていることに気づき、ほほお、とか、ふふん、とかつぶやきながら、年月日並びやら、番号並びやらで、色違いを組み合わせたりとかで、揃いのセットが作れたらいいのにね、などと、わかったような、マニアのような口をきき始めました。
 私の前のおねえさんは、隣のおねえさんたちと簡単に相談をしました。この面倒なお客の注文のことを。大丈夫でしょ、揃うよ、ほかの売り場ちょっと回ってくるよ、などと話はついて、おねえさんの一人が席を外しました。
 私の口がなにげなく言ったマニアのような注文が、どうせ無理だろうと思った面倒な思いつきが、なにか通ってしまいそうな雲行きになりました。ちょっと困ったな、と思いながらも、冗談なんだからはぐらかしてと楽観していたのか、残ったおねえさんたちにまだなにか世間話とかしていましたが、残ったおねえさんたちはしゃがんで、見えない下の入れ物からここにある在庫の中から条件にあうものをつぎつぎ上に選び出していました。これは一本が五百円でしょ、とか言いながら。
 それはもう、私の目の前で、十本や二十本では済まず、長い中指ぐらいの、半透明で合成樹脂で軽そうな注射器が、やまもりになり、ほかの売り場を回っているおねえさんが戻ってきて条件すべてが揃ったりすると、百本や二百本も超えてしまいそうです。つかいもしない注射器を百本や二百本も超えたそれらを、ひっこみがつかなくなった私は、買わされるのです。
 しかも財布の中には千円札ぐらいしかないのです。
 私はお金取ってくるからと言って、近場にある親の家に戻りました。
 現金はないので、クレジットカードをひみつの場所からだして、これでお金を引き出すしかないかとあきらめました。
 つかいもしない注射器に何万円とか十万円とか払うんだ。今月の生活費も苦しいのに。一日二食、一食三百円におさえているのに。
 目が醒めて、夢でよかったとほろほろ気が抜けました。
 

2010/09/11 (土)

手紙
 
 左頬のうちがわの歯ぐきのあたるところに血の袋ができて、まもなくつぶれて血の味がして、その跡がいたかったのです。
 むかし、からだのどこかがいたいと悪夢をみる、とききました。

 お湯をたっぷりはったお風呂に入っていました。
 そのお風呂のなかで眠ってしまったのですが、ふと目覚めて、いけないあれを読まれたらいけないと思い出しました。
 なにかの問い合わせの印刷物があって、それはもうまったく重要でもなんでもなくて見たあとすぐゴミ箱にほうってもいいような、しかし多少厚手のもったいぶった印刷物なのでしたが、そこの印刷文字の上下左右の余白とか、行間とかに、私は手書きしたのでした。
 女への想いを。
 いや、量的にはそのほとんどはあたりさわりのない、いちぶ事務的な、およそ恋文とは誰にも信じてもらえない、頭の狂った文字の行列にすぎないので、それはいいのですが、あるページについては隠しようもなくあからさまに記してしまっていて、だけでなくいくつかの点で人としての底板をふみ破っており、しかも、そのままゴミ箱に捨てるでもなく無防備に放置してしまった。
 あれを妻に読まれたら、いけないのです。

 私がいそがしくさがし物をしていましたら妻が来て、なぜか、というかこんなときに限って、やさしく手伝ってくれるのでした。
 どうしても気になる書類があってといいわけしましたが、ほんとになんでもないのでふしぎに気になるだけでそれを頭からすっきりしたいだけだから、おまえはいいからと遠ざけようとするのですが、善意そうにほほえんで隣にすわって、手伝いをやめてくれません。
 とうとうその印刷物が、いきなり、出てきました。
 私は、やった、と思いながら、すぐ開いて、中身を点検しました。
 ・・・
 しかしどのページを開いても、私の手書き文字は、狂った文字の蛇行にすぎなくて、それはそれで恥ずかしいか笑いものか不審かのなにかしらなんでしょうが、とりあえずこの急場にとってもんだいはないのでした。
 おかしい、あれを書いたページが見つからない。
 妻は、やや好奇の眼で狂ったそれを読んでいます。
 私はあれを書いたページをさらに、外からみればたぶんなかば狂ったように、つまりなかば狂いを演じてもいたようですが、さがしつづけました。
 妻はようやく、あきれて、どこかに消えました。

 見つからないのです。どうしても。
 ふしぎです。もう妻に見られるどうのよりも。
 いきづまってしまいました。
 頭を冷やすために、いやいや、湯気のなかでじっと頭のなかを探索して、あれを書いたあのページはどこに紛れ込んでいるのかを緻密に、あるいは投げ槍的に思い出そうとしていました。
 そのうちに、いや、実はあのページを書いた、というのだけは、夢だったのではないか。夢のなかのどこかで書いていたんだ、書いたつもりになっていたんだ、そうか、だからいくらさがしても見つからないんだ、実在しないのだから、という気づきに至ったのです。
 とはいえ、見つからないという苦しさもどかしさから逃れるために、安易に夢のせいにしている、というさめた悟り、なのか疑いなのか、とも同居していたようです。
 お湯をたっぷりはったお風呂のなかで、かろうじてまだ疑わずに。
 
ほらふきでいどりーむ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

コラム 『ほらふきでいどりーむ』 2009/08/24〜
当頁 2016/04/01 (金)〜