表紙
 
 
 
 
顔
 
 


歩き人形




 あの女だけは許せん。
 一生、しあわせな思いはさせない。
 巫蠱専門の易者がいるという噂を聞いた。効き目は抜群。つまりは、やばい筋につながりがあって金を積めば仲介してくれる、ということらしい。


 紅蟻の蠢く硝子瓶を見すえ、なかなかおどろおどろしい演出を終えるとそいつは宣った。
「あなたは、特別なお方です。復讐はたやすい」
「ふふ。そうかい。で、いくらなんだ、早い話が。できれば長期間さんざん苦しめたあげくにあの世行きにしてやりたいんだが、こっちが務所やら死刑はつまらん。絶対たぐられないようお願いするよ。あ、それから、ラストはそうとうにツライ死に方、目玉にもろ刺さったり、手足がもげたり、どばどば血が出るような痛いのを長時間味わわせたい。いわゆる惨殺をリクエストする」
「お代はいりません」
「受けないっていうのか」
「そういうわけではなくて。 ・・・あなたは『魔族』のはずなのに、なんで普通人の暮らしをしてるんでしょうねえ」
「ああ、まぞく? なんだそれ」
「御自覚がない。ふうむ。 ・・・インターネットはおやりで」
「なんだあ。少しはやるぞ、そりゃ」
「こちらが、アドレスになります。今夜にでも覗いてご覧なさい」
「殺れるのか」
「もちろん」


 というわけで、思いもかけず俺は、扉を開くことになった。
 ホームページで判定テストを受けたところ、一発合格だったので、魔族幼稚園に通う身となった。
 手をつないで呪い踊りに興じたり、初歩の魔法陣で遊んだりした。
 妖艶な先生の手ほどきで、歩き人形の作り方も教わった。
 幼稚園の色紙を人の形に切り抜く。そして、怨念を込め、目鼻を描くだけだが、わりと愉快な道具なのだ。
 歩き人形にはたいした能力はない。なにもないと言ってもいい。
 が、夜中ターゲットの後ろをひたひたと尾いていったりする。振り向くと、歩き人形は横を向く。薄っぺらいから誰もいないように見える。女が布団に入ったら、外から窓をたたく。ドアもノックする。窓やドアを開けても誰もいない。よく探したところで紙切れがひらついているだけだ。隙間からどこへでも侵入する。脚を囓ったり、背中を突いたりして、低くつぶやき囁く。トイレに入れば上から覗いて忍び笑いをする。毎日、二十四時間、いつでも、おびやかしつづけるのだ。ははは、ほかにすることがないんだからな、歩き人形には。
 一年とはもたないそうだ。精神に異常をきたす。
 いくら説明しても誰も信じてくれないのさ。
「ようし、できたぜ」
 放りあげると、歩き人形は夕暮れの風に乗って、空を泳いでいった。


 毎日が新発見、というか、このような素晴らしい世界が眼前に開けて、俺を産み落としてくれた父母ご先祖様に感謝感激だった。
 幼稚園仲間でさえ脱落、というか、食われちゃうのもいたが、俺は抜きん出る成績だった。いよいよ魔族小学校の受験資格を得るところまで這い上がった。
 いろいろ勉強して分かったのは、魔族は長命なのだ、とにかく。
 人間は短命だがそれだけ世代交代が早く、うじゃうじゃ増えてくれる。
 少数とはいえ超絶した能力者である魔族は、人間どもの努力を収奪して、贅沢三昧をするのだ。
 それもそのはずで、奴隷人形として創造したんだからな、もともとが。
 何万年、何千年、人間どもの全ての営みは、創造主にかしずくためにあったのさ。
 そうか、やっぱり小さい頃から思っていたとおりだった。
 この世は俺のためにあったんだよ。ぐあは。ぐあは。


 矢のように年月が過ぎていったが、魔族にとってはどうということはない。
 俺が小学校に通うようになってからしばらくして、一通の葉書が届いた。人間どもの正月だった。
『うちの娘が小学校に上がりました。
 あたしも、もうオバチャンだよ。そっちは元気?』
 あの女だ。
 どういうことだ。
『うちの父ちゃん、試験に受かって、やっと定職についてくれてさ。
 郵便局なんだけど。
 それなりに家庭っぽくなったんで、みなさんにご挨拶って思いました』
 家族三人の写真が載っている。
 あの女が、娘の肩に手をおいて、ほほ笑んでいる。
 どういうことなんだよ。


「どういうつもりだ。お前は」
 歩き人形は、直立不動の姿勢をとったが、揺れてしまう。
「お許しください。つい、よくない流れに乗ってしまいました」
「流れだとう。おい、この写真は」
 うつむいて、ううーうと呻く。
「ずいぶん楽しそうだな。えええ、紙人形ふぜいが」
「これからは、妻を、いじめ抜きます。心を入れ替えまして、飲む打つ買うで身を持ち崩し、めちゃくちゃにやります。娘の虐待もしましょう。鬼夫、鬼父でいきます」
「はははは、せめて、そうしているべきだったな」
 俺は片手を軽く握って開いて、炎百足を数匹、召還した。
「・・・あああ・・・。あなた様が、・・・ワタシみたいな出来損ないがお気にめさないとおっしゃるなら、燃やすなり引きちぎるなり、お好きなようにしてお気を晴らしてください。今までがおかしかった、そうですよね。もう、あきらめました。はい」
「はかない命だわ」
「・・・でも、どうか、妻と子どもだけはお助けくださいませ。妻は、あの女は、根はさびしがりの、かわいいやつです。それに子供はなんにもしりません。旦那さま。普通の家の父ちゃん母ちゃんとしか思っておりません。灰になるワタシに免じて、あの二人にはこのまま平穏に生涯を全うさせてあげてくださいませ。 ・・・どうか、どうか。ああ。 ・・・おすがりいたします。このとおりでございます」
 歩き人形は、のっぺりした顔面を涙でふやけさせていた。地べたに額をうちつけ、がさついた音をたてた。
 くだらなく、軽薄。低劣きわまりない能力。
 俺が念じ入れた恨みつらみというのは、この程度だったのかと呆れた。
 魔族が永遠に濁り栄えるためには、その困苦忍従の一生で我々に奉仕する人間どもを絶やすわけにはいかない。この星を、我らの楽土を黒々と肥やし、たかぶらせていくのだ。この大宇宙を、魔神の熱流であかあかと染めあげていくのだ。
 我々の肩には重い責務がある。
 こんなちんけなことは、もういいか。
 という気がした。


 振りかえり、歩き人形はぺこんぺこんとお辞儀をした。
 あばよ、と心で送った。
 暗い夜のなかに消えていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

絵 『顔』 2003/12/07   物語 『歩き人形』 2001/02/18
当頁 2009/07/30〜