表紙
 
 
 
 
 
 
 
征くべし
 
 
 
 
 






 裏のじいさんがよく遊びに来た。
 傷痍兵士の会の世話人という話だったが、仕事らしい仕事はないようだった。
 遊び人になるようだ、私も。じいさんから見れば。
 じいさんは、親足がないので嫁さんが来なかった。
 そのことは気にしていない、ように見せていた。
「二つのうち、一つはないんだろ。残る一つか」
 と、じいさんは、口くねらせて、わらう。


 戦争の自慢話をする。
 戦争じいさん、大ぼらじじい、とか陰口をきかれるようだ。
 じいさんは「ドブロン」と言う。
 女の子たちは、異を唱える。
「ト・プ・ロ・ン が正しい発音よ」
「行ってみたいなあ、トプロン・・」
 私だけのときは、女遊びの自慢話だ。戦前の古きゆかしきころの。


 船にとりついて、殻を破るのよ。ちゃっちい道具で撃ってきたけども、痒くもねえしな。
 上皮をむいちまえば、あんなやつら。白いウジやろうどもだ。
 ひょいと巻いてよ、ぐっとやれば、いちころじゃねえか。おもしれえように片付けてってやったさ、なあ。
(と、一杯あおる)
 乗っ取った船でよ、次の獲物を追いかけ回して。ほんとにわらっちゃうぜ、あの臆病どもにはよ。
 泣きながら逃げ回るのを、次はこいつ、今度はお前、じゃなかったこっち、ってなふうに殺りまくるわけだが・・
「たすけたの」
 皆殺しだな。がはは。
「かわいそうだよ。降参したら許してあげればよかったのに。平和じゃないよ」
 いいか、喧嘩は、聖なるものだぜ。手心を加えたり同情するは、戦士への冒涜だな。
 覚えておけ、坊主ども。嬢ちゃんたち。
 それにしても、ドブロンどもは根性がないわ。ほんと。戦士は命を的に正面から闘うもんだ。守ることばかりにきゅうきゅうとしやがってよ、ずるがしこい糞虫どもだあ。
「でも、負けたんやん」
 次は勝つ。忘れるな、次こそは勝つ。
 わしらのほうが正しい戦士なんだからよ・・


 正しくは、あの生き物が住み着いた大陸を「トプロン」と学校が教える。教科書はあの生き物の教導を受けている。それだけのことだ。
 じいさんは、戦友の足を食って生きながらえた。


 子どもたちが口ずさみ輪になって踊るのは、トプロンのはやり歌。
 四本足に整形する若者も後を絶たない。
「うじゃうじゃしててへんだもん」
 などと正当化する。
「そんなきよらかな足を、なんで傷つけなきゃならん」
「やだ、えっちー」
 うおっほっほううう、と追い散らして、それから、私の座るそばに戻って顔を覗き込まれる。
「長生きはしたくないもんだ。え、どう思うよ」
 親足は、大人になってからだともう生えない、といわれている。
 生えたという話も聞くが、じいさんの歳では普通は無理だろう。それに、じいさんの場合、根元の神経が死んでいる。


 裁判を受けて、親足を切られて、傷口に火串をつっこまれた。
 じいさんに殺されたやつらの家族だというのが、涌いてきて、おしっこを漏らしたりうんちを垂らしたりもうやめてと泣き叫んだけれど火串はつぎからつぎへと押し当てられた、のだそうだ。
 あいつらの顔は歪んでいたがそれは笑っているのだろうとわかった、という。
 たいていは帰らなかったから、恵まれているほうなのかもしれないのだが、それは私の口からは言えない。
 よっぽど怖かったんだろう、くやしかったんだろう。話を途切れさせると、うなりながら涙を落としはじめた。


 悪餓鬼に、はやしたてられると、
「みんな食われちゃったんだよ」
 と、言い返すのが口癖だった。


『親足を振り上げるようなことをもうしなければ、トプロンもわれわれを悪いようにはしない。こんな豊かで安穏な暮らしが、戦前にあったか。負けてよかったじゃないか』
 正論かもしれない。現実論でもあるだろう。
 が、じいさんにとって、正論とかが何になる。


 そういえば、お見合いをすると言っていた。
 こんないい歳をして、いけないじゃろかあ、とも。
 私は、じいさんを押したり突いたりした。
 前祝いと酒も酌み交わしたっけ。


 じいさんは、岬で、足すべらして海に落ちた。
 目撃者がいた。
 役人は「事故」と書類に書いた。「自殺」という噂も立った。
 なにか足を優雅に打ち振って、羽ばたくよう落ちていったそうだ。


 じいさんは、夕暮れの海原を眺めているうちに、ほんのひとときだけ吸い込まれるように、妄想癖がでたのではなかろうか。星々の闇黒空間を縦横に闘い巡っていた頃を、最も力強く大きな翼を持っていた頃を、あのいつもの口先でにやつきながら、思い出した。
 じいさんならありそうだし、私は、そんなふうに思いたいが。


 じいさんには身寄りはいなかった。
 役人は帳簿をめくって、見せてくれた。戦時に絶えていたようだ。
 この地方の慣例で、その岬で、お祝いをすることになった。私は唯一の友人ということで選ばれ、司祭をした。


 じいさん。
 無数の泡になった、じいさん。
 そう、気を落とすなよ。
 六十四年過ぎれば、一人だか二人だか、子どもたちが陸に上がってくるさ。
 ちゃんと八本足で。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

絵 『征くべし』 2007/11/30   物語 『足』 2000/04/22
当頁 2009/08/07〜