表紙

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


あとがき






 落ちるとか、怪我をする。気を失う。
 神社の石垣から何人もでアドバルーンを見ていた。背が一番小さくて最前列にいた。押されてかもう一歩を踏み出してか頭の方から下に落ちた。姉がまぢかで「だいじょうぶ」と言ったが、その手はまっ赤だった。
 小学生になって、朝礼の台の上で跳びはねていたら細長い板が抜けた。地面に落ちた。その板は支点をまわってめちゃくちゃに頭を打った。痛かったが、この時は同時に笑ってしまった。
 家で、袋をかぶっていた。なぜかその中に樹脂性の貯金箱を入れていた。見かけた母親はとっさにか「窒息」を危ぶみ、ひっぱがしてその袋で息子をたたいた。また血だらけになった。
(私の頭には都合二ヶ所の縫い傷がある)
 ひとり自転車で、房総半島を西から東へ横切ったときは、丘陵からの傾斜を、並走する車やトラックよりも速く降下した。古い自転車でブレーキは摩耗していた。緩やかに曲がりながら坂はどこまでも終わらなかった。疾風にさらされ、口の形は笑っていた。坂下のドライブインの砂利敷きにつっこみ、遠く投げ出された。
 長じては酒を飲んだ。
 秋葉原の地下道をわめきながら走っている時に正気に戻った。時計を見て俺はどこで何をしてこの駅のここにいるんだろうといぶかしかった。ぼんやり電車が走って行くのを見ていた。終電だった。
 西船橋駅の便所で吐いている時に正気に戻ったこともある。寒かった。鞄も財布も何もなかった。鞄だけは数日後のクリスマスの夜、奇跡的に戻った。中には細密な文字の創作ノートが入っていた。連絡をくれた亀戸の人にクリスマスケーキを買って持って行ったけれども、途中何度か走ったので、中身はぐしゃぐしゃだったと思う。
 終着駅で目醒めると、皆が何かを避けるように降りていく。私はひとしずくも汚れていないのに、床、座席、窓硝子まで私のまわりがゲロだらけだった。
 どうやら淵までいったこともあるらしいし、身体だけは歩いていた時もある。醒めた意識を保ったまま向こう岸が迫り来るのを眺めていた時もある。
 ああいう一つ一つの事故で、すれすれの過ちのどこかで、その年齢で私は死んで、そのあと生きているのは別の子供や男なのだ、という考えが、まれに、ふと浮かぶ。
 そうではないはずだとわらい忘れるまでの、短い間に、時間の中を旅していくこの命はじつはやけに不確かなもの、という気もしているようだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

物語 『あとがき』
H03.05.06. 初稿了。 H04.05.05. 二稿了。 H05.05.02. 三稿了。
H10.04.22. HP版了。(1998年)

当頁 2017/10/06 (金) 〜