表紙

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
マッテイル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 






☆ 夏 ☆

 ねえ、ねえ、と揺すられた。
 どうにか醒めて、どうしたとくぐもって答えた。
「螢よ」
 天井にぼんやりと明滅して、一つ動いていた。
「なんだ」
「きれいじゃない」
 湿った肌を抱いた。なにげなくさすっていると頭をこすりつけてくる。
 二人して吐息を継ぎながら、見ていた。
「逃がしてやろうか」
「うん」
 網戸を開けて、うちわで逐った。
 いやがっていたけれど、そのうちに夜闇の中に飛んでいった。

 ゆく螢雲のうへまで去ぬべくは 秋風ふくと雁に告げこせ

「へえ、それなに」
「教養見せちゃったかな。古い歌よ」
 風鈴が、どこかの軒下で鳴った。



☆ 秋 ☆

 いつからここはこんなにひなびたのか。
 縁側に高坏を据えて、だんごを取りに台所に戻る素足。朝から機嫌がいいようだ。
 聞くところによると、高坏もだんごもスーパーで売っているという。
 お決まりの山型にお供えが積まれ、おりよくむらくもから名月が顔を出した。
「ふ、絵に描いたみたいだ」
 命の限りと、虫たちが、鳴いていた。
「では一献。これがないとだめなんでしょ」
「ういやつじゃ」
「ばか」
 酒の匂いに誘われたのか、ひとつまたひとつと、螢が現われた。
 杯から、撒いてあげた。
 星空は遠くかぼそくふるえ、地上でも精一杯の光がふるえる。
 次々と仲間を呼ぶ。
 夜が深まるうちに、沸き立つようにまでなった。
「夢の世界みたいね」
 天の下を彩る幾重ものきよらな光たち。
 たしかに、せまい庭にもろもろの神霊が遊んでいた。



☆ 冬 ☆

 頭痛がすると言っていた。
 一眠りさせたので、おさまったらしいが、完調でもないらしい。
「行きたくないな」
「だだこねるなよう。もう予約とか入れちゃったんだし」
「うん」
「お前が望んだんだろ」
 地下駅から地上に出て、目的の店を探した。
 イルミネーションが、冬枯れの街路樹を飾っていた。
「今年はずいぶんうまくできてるのね」
「そうか。いつも通りだろ」
「ううん。とってもやわらかい。どれどれ・・」
 ひいっと言って、両手をひらひらさせて跳びのいた。
 え、と思い、私もその「イルミネーション」に近寄ってみた。
 二人して、思わず、笑ってしまった。
 みんな、螢だった。
 さすがに寒いのでじっとしているけれど、彼らの寝息のように、お尻を灯したり消したりしていた。
 道行く人たちが、それとなく私たちを見て微笑んでいた。
 よし、次はこちらが見物してやろう。
 そんなふうに考えた。
 手をつないだ。





☆ 研究室 ☆

 どうだい。
 素晴らしい発明だと思うぞ、わしゃ。
 一年中平気だ。生命力も抜群。

 でも、先生。
 命をもてあそんでいるというか・・
 自然のバランスとかもですね。

 どうも、論旨ずれてるよなあ。
 人間は今まで、生態系を無視してきた。
 これこそが、それへのアンチテーゼなのだ。

 ええ・・と。
 弱いけれど美しかった生き物と、
 強いけれど醜かった生き物と、交配して、
 美しく強い生物を創造する、
 それは、よくわかるんです。
 でも、あたし、鳥肌が立って、・・・・

 ええい。これだから女は。
 あと二三世代すれば、きゃあきゃあ言うに決まってる。
 ゴキブリぐらいなんだ。
 嫌われ者だって、生きてるんだ。





☆ 春 ☆

「肩かして」
 ふらつきながらパンプスを履く。
「酔ったか」
「ちょっとね」
 皆に、私どもはこれで、と挨拶した。
 裸踊りを披露した奴が、酒瓶に手をかけて頷いていた。
 別の男は、月曜日なあ、と、手を振った。
 ついこのあいだまで、こういうところも提灯に囲まれていた。
 川沿いの公園だった。
 宴はところどころでまだ続いていた。
 肌寒い風が、一度つよく通り過ぎて、ため息のような花びらが辺りに舞った。
「疲れたな」
「でも、これしないとね。日本人だもん」
 川面に螢がただよっていた。あいつらも酔いつぶれたのか。
 または、酔いざましに水を求めるのか。
 帰り道、はぐれ螢が私たちの行く手を導いた。
「ほいっ」
 気張って、一匹つかまえてみた。
 てのひらを開くと、それは淡い花びらだった。
 隣から覗き込んで、細い肩をすくめ、おどけていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

絵 『マッテイル』 by kaolinn 2001/05/05   物語 『螢』 1998/12/23
当頁 2009/07/29〜