表紙

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


妹の同人誌






 妹が二人いる。
 上の妹は、赤ん坊のころからノリがよかった。
 乳母車をゆすると喜んだ。
 もっとゆするときゃっきゃっと大変にうれしそうで、輝く瞳でさらに兄を催促し、こちらも調子にのっているうちに、飛び出し、真っ逆さま脳天からコンクリートに落ちた。
 大泣きはしたが怪我はなく、さすったりあやしたりしているうちにご機嫌に戻った。赤ん坊というのは丈夫なものだと感心した。


 少し大きくなってから、片方の耳が聞こえづらいことがわかった。


 下の妹は、楚々としたお嬢さん風に育った。
 が、この上の妹は難聴ということも関係したのか、学校の成績がさっぱりだった。加えて、世間でいうところの可憐な少女とは身内の贔屓目で見てもとても思えない。しいて言えば、豪傑風だった。
 この上の妹は、たぶん、一生この家から巣立てない。または兄が責任を持つしかないのだろう、と半ば覚悟していた。


 学業は望みなしだったが、芸術方面には才能があるようだった。いや、せめてそちらのほうに才能があって欲しいという家族の願望だったのかもしれない。
 こちらが会社を替えて数年後になるので、この上の妹が美術系の短大に在籍していたころかまたは少し後のことだったと思う。
 兄が自室の、一年中出してある炬燵でごろごろしていると、いつものようにこの上の妹がやってきて、散らかっている雑誌など拾いやはり炬燵にはいって読み出す。そのまま黙って読んでいるときもあれば、兄のオーディオで音楽をかけたり、話しかけてくることもあった。
 最近では、瞼を「ふたえ」にしたり、イヤリングなどを着けたりも覚えていた。そんなことでだまされる男がいるわけがないと、親身に忠告をしたが、聞かなかった。みっともないというより、かわいそうだった。
 この上の妹は、マンガ同人誌のサークルに入っていた。
 前々から話は聞いていたし、最新号ができれば兄にも配られた。
 子供のころから絵を描くのが好きで、高校生のころには原稿用紙やGペンなどそろえてそれらしきことも始めていたようだ。


 炬燵の彼女が、兄にお願いがあると真面目そうな声で言う。
「ちょっと起きてよ」
 ん、んっんー、など咳払いして起き上がり、なんだ、と尋ねる。
 聞けば、要は、そのマンガ同人誌に感想の手紙を書いてほしいということだった。
「やだよ。めんどうだわ」
「そういわないで。お願いだから。うちのサークル、存亡の危機にあるんだから」
 売れない上に、反響が少な過ぎる。みんな、やる気を失いかけている。という。
 こういう場合の法則なのか、会のことを心配するのは新参や外様の者が多いようだ。彼女もこれに該当する。
 駅前で、大きくなった金太郎のような青年が売っていたその同人誌を手に取ったのがきっかけで、仲間入りしたそうで、サークルの主体はある高校の同窓生達だった。あとから入会したのは、二三人だそうだ。
「サクラで、おべんちゃら書けってわけか」
「ちがうよ。書きたいように書いていいから。今はなんでもいいから、刺激が欲しいんだよね」
「いいのか。この前の号なんて、俺、不満たらたらだぞ」
「いいよ」
「めちゃくちゃ書いちゃうぞ。みんな、涙流して、一生マンガなんかかきたくないって悲観しちゃうぞ」
「いいよ。でも、嘘は書かないで。本当にひどいと思ったらそのまま書いて。本当のことを言われて壊れちゃうなら、それでいいんだから」
 ならば、と了解した。
 彼女は用事が済んだのか部屋を出ていったが、しばらくして戻ってきて付け足した。
「でも、お兄ちゃん。愛は忘れないで」
「愛?」
 ふふ、と、曖昧にうなずいておいた。


 妹たちのマンガ好きの原因の一端は、兄にあるはずだ。
 整理整頓をほとんどしない部屋にはたいていマンガ週刊誌や単行本が乱雑に転がっており、一角では山をなしており、押入には隙間なく詰まっており、買ってきた一番最初に兄が読むというルールさえ守れば、あとは自由だった。
 それぞれの妹たちにも自室が割り当てられるようになると、彼女たちは彼女たちでマンガを集めるようになり、それぞれの部屋の主が最初に読むというルールのもと、互いに入り浸って、互いの好みを堪能し、批判しあいもする。
 兄の権威を保つのも困難になりそうな、そういう議論の展開もしだいに増えた。
 まあ、そういう間柄だったので、この上の妹にしてみれば、マンガに対する見識ということで、兄への信頼はあったのだろう。


《拝啓 秋晴れの青い青い空。感動するなあ。
 皆さん、初めまして。
 鼻水が頭の半分にたまりズコズコして、とてもではないけど仕事に出る気がしない本日、買物から戻ると私の郵便受になにやらありました。ああ、あれですね。ちょうどお休みしてるし、感想送れとかいわれてるし、一気にやっちまおう、と思いまして、青い冊子を読了しまして、こうしてペンをとっております。》
 という出だし。フィクションをまじえ、こちらの正体はくらます。


 最初の餌食は、プロット、絵柄、どうなってんのという謎物語。メンバー紹介など読むとリーダーらしい。いわゆる女王様か。ならば、遠慮一切不要だろう。
《ページをめくる。おお、殺人だ、亀の甲で殴られたらしいぞ、なんだ現代物か。・・・という具合に読者は読み進めようとするのですがこれが進まない。第一に「明美」というのは女性名です。ジャンパーを着た青年がそれだとはすぐには飲み込めません。》
 以下、十一行、徹底して突いて、フィニッシュ。
《冊子の巻頭にあって、通り過ぎる人たちの手や目を引き留めるには弱すぎた、というべきですか。》


 次は、上の妹の作品。
 こういうのは、十年早いよな。
 六行目から叩く。
《逆に言えば、相当な力量でもない限り、事実の重みに助けてもらうしか、戦争を表現できないと言えましょうか。
 この作品は、はっきりいって軽い。兵士の背負うものがほとんど感じられないので、一般的にはこうだろうと思うしかありませんし、少年の立場もよくわからないので、たぶんこうだろうとしか思えません。これでは「たぶんこうだろう」というありきたりの主題しか、読者の頭に浮かんでこないのではないでしょうか。》
 そして終わり近くで、
《穴埋めに作品を書かねばならない、締め切りに追われたりプロの雰囲気をまねたりがしたい、程度では、狭い想念をもてあそぶに終わり、いつまでたっても読者の共感は得られないでしょう。》


 誰か、男の作品。
《四ページのいたずらがき。
 と、読者に思わせたくないのなら、少なくとも音を感じさせて欲しかったと思います。
 マンガから、現実として音がするわけがありません。しかし、小説を読む人が心の中で登場人物の声を聴いているように、この作中の女性その人だけの声音を感じさせるものがあまりに少ない。四ページでは短すぎる。描かないほうがよかったのでは。》


 兄は、しだいに快調となった。
 マンガよみ二十余年、恥ずかしいだけの作品を撃ち落としていくのは義務ですらある。
 という勢いだったが、さすがに行き過ぎかという筆致も出はじめ、しばらく手を止めた。しかし、こいつらには、あたりさわりない挨拶程度のお菓子しか集まらないのだろう、中には劇薬もなければな、と思い返し、再開する。
 上の妹の「愛は忘れないで」という声も遅ればせながら浮かんできて、いくつかの作品にはプラス的な評価をした。おとなしい、静かな人柄を感じる作者や、本当に絵が上手いわというカットなどへ。
 ほぼ下書きを終えたところ、A4型ノート三枚裏表びっしりで六ページ。
 推敲、そして清書をしながら、また少しゆるめる。
 結局、二割方はほめてしまったので、ちょっと甘かったかと反省、苦笑した。
 住所は職場を書いた。社員寮かと思われるはず。姓を名乗ると、妹つながりがあからさまなので、差出人は名だけとした。
 ポストに放り込んで、忘れた。


 一ヶ月程あと、女王様から返信が来た。名だけで届いた。
《ひとりよがりだし、よくわからない文章が多いです。》
《あなたにはマンガを語る資格はないです。
 生涯、あなたのような種類の人とはわかりあえないでしょうね。》
 という調子だった。
 あれまあ、ふう、と軽く嘆息。


 上の妹はなにも言ってこないので、女王様個人で握りつぶしたのかと思っていた。
 年末近くなってからふと思い出したので、炬燵の向こうの彼女にそういえばあれはどうなった、と尋ねた。
「ああ、あれ。みんなで聞いた」
「ほう。読み上げたんだ」
「もうたいへん。そんで、サークルはなくなったから」
「ええ、なんで」
「みんな静まり返っちゃってさ。重苦しーく。すすり泣く子もいた」
「ほかの感想までああいう調子だったのか」
「なかった。来たのはお兄ちゃんの一つだけ」
「そうか。はは・・ そうか」
「もう一度立ち上がろうって声が、とうとう誰からも出なかった」
「ほめてもいただろう。愛、だし」
「あれでえ? ううん。いいけど」
「つぶれたか」
「でも、お兄ちゃんの意見、勉強になったよ。ありがと」


 次の年の二月、厳寒のころ、これら兄妹の父親が、ある結婚式に主賓として招かれた。
 が、この父親は、祝辞を述べているうちに「ろれつ」が回らなくなり、中座して吐いた。
 翌日には手術。五時間の予定が三時間超過した。
 後で聞くと、若い脳外科医はおむすびを囓って奮闘したそうだ。


 この手術は乗り越えたが、赤ん坊のようになってしまった。
 徐々にしか、記憶や言葉を思い出せない。
 やばいと感じたか、この上の妹は、病院に金太郎青年を引っぱっていって、父親に会わせた。
 義弟になるという彼は、もったいないような好青年で体格も立派。性格も明朗。
「おかしいんじゃないのか。お前、ほんとうにこの女でいいのか」
 目を覚ませ、と友人なら肩をゆするところだろうが、目がくらんでいるうちにイケイケだろうと兄は内心思い、他の家族も同心か、一年程度で挙式。
 いや、結婚式ではなかなか上手く化けていた。
 その頃には父親も心身とも快復して、娘の晴れ姿にえびす顔だった。


 兄として、少し弁護もしておこう。
 死んでしまった祖父母達の介護に、この上の妹は人気だった。真心に嘘がないと感じられるらしく、彼女だと喜んでいた。
 コンビニなどでバイトをしても、是非また彼女に来て欲しいという連絡が多かった。
 男との交渉でも、姿形ではない何かに、卓越していたのかもしれない。


 法事か何かで、久しぶりに顔を合わせたときのことだ。
 わが一族はそうなのだが、この上の妹も子沢山で、この時すでに二人まで産んでいたと思う。
 兄は、初めて、彼女を乳母車から落下させたことを告白した。
「いやあ、ちゃんと子供まで産んでくれて、ほっとしてるよ」
 ぷう、とほっぺたを脹らませたが、兄をみる眼は笑っているようだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

物語 『妹の同人誌』  03/21(水) (平成13年)
当頁 2018/01/12 (金) 〜