表紙

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


鏡物語







 一、

 少年がいた。

 生物クラブ員で、顕微鏡を覗いていた。

 円形の視野の中に極微の世界。
 ミジンコやゾウリムシ。
 伸びていく花粉管と、精核。
 染色液は、たとえば、ゲンチャナバイオレット。
 
 焦点調整でぎりぎりまで近づけようとして、高価なカバーグラスをよく割った。

 自宅では、反射望遠鏡も持っていた。
 こちらは円形の視野の中に極大の世界、夜空の星々だ。
 でも、月以外は光点にしか見えないのでそのうち飽きた。

 街の景色の細部を眺めるようになった。



 二、

 青年がいた。

 娘がたずねてきて、一夜を過ごした。
 朝、娘が柱に提げてあった鏡をかたわらに下ろして、髪をすいたり、簡単な化粧をしていた。

 娘とはその後切れてしまった。

 青年の部屋の柱の鏡は、変わらず提げてあった。
 それを見るたび、彼は、彼女が髪をすく様子を思い出した。



 三、

 少女がいた。

 学校の廊下を全速力で駆けていた。
 理由はよくわからないし、事後には、少女も忘れた。
 前方からまっしぐらに駆けてくるのが見えた。

 そのガラス戸に衝突し、いちぶ突き抜け、辺りに、きらきらと破片が舞った。

 周囲にいた生徒たちは呆然とした。
 少女は、奇跡的に軽傷だった。

 きらら、というあだ名が付いた。



 四、

 母は働いていた。

 よく晴れた日、母の手鏡をもって坂の上の二階の窓辺に座った。
 太陽光を反射させて、停まっている車や木立や、家々の壁や窓に、小さな光の印を投射して遊んでいた。

 間違えて、通行人の顔に当ててしまった。
 こちらを見つけられて、手を挙げたしぐさで、怒られた。
 ごめんなさいと頭を下げて、部屋の中に引っ込んだ。

 それから、宇宙船の一員となって、光線砲で敵をやっつけていく夢想にふけった。

 すでにあのアパートはないが、その手鏡はまだ手元にある。
 目に入ったまつげを調べたり、ぐらついた歯の具合を診たり、そういう役目をしている。

 あっちのほうの、映っていないどこかでは、まだそれらがあるような気がする。
 母の気配もしてくる。



 五、

 かつての青年は、とうとう再会した。

「先生、どうしてお母さんと別れたの」
 と、きららが、いった。
「たぶん、本気ではなかったんだ、おたがい」
 そうこたえて、暗がりのなかの真円の瞳を見ていた。
 ほの白い肢体もうりふたつだった。

 年月が鏡となって、照らし合わせることだってある。

 娘のほうは、自分の手鏡を持っていたけれども。



 六、

 母との、覚えている一番はじめのころのやりとり。

 あっちにも、いけるの。

 お母さんは、いったことあるよう、ぼうや・・ 






 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

物語 『鏡物語』 2014年03月24日

当頁 2017/08/03 (木) 〜