表紙

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


河図洛書








        考 古 の 徒 へ  − 序 −



沈み重なる澱(おり)

 まことにむごいが、中古以後の戦闘は、初めに、磁性弾槍の撃ち合い
から開く。
 硬弾としては、攪乱抹消系核裂飛槍によって拠点一帯の電網を瞬時に
破壊する。
 軟弾としては、疑似菌系電文の注入。これは電網を温存したまま、こ
れを利用して腐蝕を伝染促進するもの。
 中間としては、空雷、いわゆる綿種弾(たんぽぽ弾)の撒布などもあ
る。綿種弾は降下すると周囲の環境に擬態し、太陽光を力源とし、損壊
されるまで半永久に有害波を発射し続ける。
 これらはもちろん、軍事的後衛の減耗、狂変、抹殺が目的であるが、
民生電網も同時に壊していく。というより、対抗するために当然防護措
置を施している軍用電網よりも、常に被害は甚大である。

 さて、軍用技術はいつの時代であれ、平時にも活躍する。
 民族、国家の芯柱といえる技術的あるいは人文的蓄積は、いかなる攻
撃にも生き延びられるようにと、可能な限り強靱な防御下に保護される。
が、累進する軍事術策競合の時代状況にあっては、国家規模の施設でし
かこの目的は達せられない。
 よって、それが重要であり、次代に引き継ぐべき情報であるほど、大
母脳環に集積されていくことになる。大母脳環であれ単一ではなく複数
の背脳を持つが、ごく少数の機構内に収まってしまうことに変わりはな
い。
 これは、為政者にとって、著しく好都合であった。
 歴史的事実、文化的正統性、こういうものが、数限りなく改変されて
いくことになり、権力側の望む潤色は、時代が下るとともに高度に巧妙
に蔓延潜行していくことになる。

 宗教的禁句の電文蓄積を禁ずる法律を手段として、すべての小脳環の
検閲を実現した国家がある。
 独裁支配者の名称を忌み字とし肖像を聖影として、これを口実に同様
の成果を上げたもの。
 公序良俗を穢す瑕疵の修復、または犯罪者、激徒の駆逐を目的に、電
網検察によって捜査権を存分に行使したもの。
 あるいは、祝祭浄化(みそぎ)と称して、平時であるのに綿種弾と同
質の種を撒いて一般にある全てを綺麗に更新してしまった徹底した政体
まである。



我々考古生徒の為事(しごと)

一  原典の追求

 戦禍をくぐり、聖干政渉を超え、いにしえの心は現在まで伝えられた。
 が、原典そのままが残されていることは以上の理由等で稀である。
 この太古原初の形を、よみがえらせること、これは永遠に終わること
のない我らの使命である。

二  原典の変容の探究

 我々の先達の仕事は完璧ではなかった。まったく力をふるえなかった
ときもある。よって、その時代々々において、基盤となる原典は不変で
はなく、常に形を変え、その形を変えた基盤の上に新たに原典となるも
のが育成そして堆積されてきた。つまり、応用のみならず、基盤自体が
単純ではない変数であった。
 この両者の連関、ねじれもつれ合う如き変遷についても、人智の及ぶ
限りの探索研究を打ち加えていくことが肝要である。
 まことに無限の中に浮かぶ大海の如きであって、ときに虚無すら連想
させるが、諸君、諦めることは、最後尾一戦士の命尽きる最期まで選ぶ
べきに非ず。
 完成達成、ではないと思料する。未完の中の希求、このこころを護持
せよ。



本書の構成

 詳しくは目次をご覧いただく。適宜、検索もかけられよ。
 ここでは、簡単な案内を記しておく。

     1) 序
     2) 目次
     3) 先達の重ねたもの 三章
     4) 考古学徒の理想的日常 一章
     5) 理論編 十七章
     6) 技術編 十五章
     7) 補遺
     8) 補遺二
     9) 跋文

 理論編の終わり二章。補遺二のほぼ全て。ここに私の拙文を潜り込ま
せてある。序(本稿)は新序である。旧序は志操品格に問題があり今こ
のように差し替えさせてもらっている。
 理論、技術の両部分が本書の眼目である。一言一句まで趣旨を理解せ
よ。睡魔には大腿に針を突き立てればよい。私はそう教導されて育った。
人生の全てがあるのだ、と。(窮したときはとにかく暗記してしまえ)。
 補遺は、無いとは言えない軍事的脅威について詳述してある。まず敵
を知らねばならない。各種弾槍弩剣の製造要領、運用戦略、技術戦術基
礎。各々の効果的防御術策と更にその防御突破等だ。「矛盾」という言
葉を噛み締めていただきたい。
 補遺二は、廃墟に巣くう異常生物への対処に力を入れてある。飼育し
ていた愛玩生物、実験後放擲された生命素材等の野生化怪物化したもの、
人類との混交種族、これらの貴重な資料を蒐集した。図像も多い。
 跋文は依然旧跋であるが、時間的余裕があれば改訂を考えている。



周易 繋辞上伝

『 一陰一陽之謂道。繼之者善也。成之者性也。 』

   陰陽の明滅循環、これをいふ、天地の道。
   これを継ぐは善なり。これを成すは性(さが)なり。

『 河出圖。洛出書。聖人則之。 』

   竜馬、黄河に現はる。背には図。
   神亀、洛水より出づ。甲には書。
   聖人、これを手本とす。

        ※ 引用参照 (いずれも太古日本)
        一) 中国古典選二 『易(下)』 昭和五十三年初版
            本田済 朝日新聞社
        二) 『角川漢和中辞典』 昭和三十四年初版
            編者 貝塚茂樹 藤野岩友 小野忍 角川書店

 参照文献は、二百二十年前に闇黒より解放された阿鼻星系典籍群のう
ちの二つである。我らの離脱前にすでに報告が重ねられている。真書で
ある蓋然性は高いという。
 発見されたこの典籍自体が、「考古的発見が、以後数万年を貫く原理
を啓示していた」ということを伝えてくれた。核心部分のみ引用する。
上二文献を参照した私の解釈を伴い、読み下している。

 「一陰一陽」とは、電荷をいい、「道」との連関において、宇宙を指
す。
 道とは「精神界に置換しうる時間」のことである。
 これらを継承し、これらを成就していくことが万物の自然、あるいは
「宿命」である。という。
 この原理を凝集した電文に近いものが、「図」と「書」であったと思
われる。
 「竜馬」、「神亀」は、異形生物であって、これの外皮外殻もしくは
遺伝内実に乗じさせて図書を後代に伝えたであろう、前太古生命の意思
までをも、これは証している。
 「聖人」とは、前太古生命を継いだもの。
 けだし、我らの始祖であろう。

 継承の果てに、陰陽の道、すなわち「精神界を包含した宇宙」は、慢
性的末期的病餓に呻吟している。迷宮の奥で光を失しようとしている。
 かくの如き、全存在的回転を、今また我らは成すことができるであろ
うか。
 少なくも、その端緒となることができるであろうか。
 奢るな。それは夢想でしかない。
 嘆くな。夢想から全ては生じた。



結(むすび)

 本書は、これより遺跡の発掘に向かうべき若い皆さんのためにまとめ
ている。

 諸君らの中には、このようなことに生涯を捧げ尽くすこと、そのため
に生まれ落ちたという因果に、疑問を抱く者もいるかもしれない。
 多いに悩み苦しんでくれたまえ。私でさえ、同然であった。
 しかし、私は発掘対象に指先すら触れられぬまま朽ち果てるのだ。無
念は君たちの比ではないが、君たちの為すであろう業績を信じてこの身
と心を閉じることができる。今では。
 忘れないで欲しい。おびただしい財貨物資がすでに費されてしまった
ことを。君たちの為事のためにすでに無数無涯の命が生贄(いけにえ)
となり、億万様々な夢が夢のままはかなくなったことを。
 無駄にしてくれるな、子らよ。


 船中閑室にて、好日深更に及ぶ

 55:87 '57/23/08 

       等活星系発掘隊第九代首座  吾居朔−2953−03








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             ☆ 編者注 : 目次以下の本編は、消散か。



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

物語 『河図洛書』 1999/01/11
当頁 2018/03/02(金) 〜