夢 九月十日
お調子者の上司に土曜と月曜の夜勤バイトを頼まれた。ボランティアのたぐいらしい。
君しかいない。
な、たのむよ。ちょろいからよ。
得意先との義理とかがあったようだ。
土曜の晩。
交差点で窓枠につかまって、お巡りさんに道を訊いた。
水の中では自転車を牽いている。
バイト先の事務所。
古いビルだが、中は幾部屋もあってわりと広い。
女の子たちが立ち働いているが、高校時代の後輩たちがいる。
先輩もやるんだね、がんばってー
と、手をたたいて歓迎してくれる。
彼女たちは、事務だけでなく、食事の用意や布団を敷いたりもしている。
夜勤明けでそのままここに寝泊まりするらしい。
薄暗い室内。
具体的な仕事内容を、寄ってきた顔の長いおっさんに訊くと、
「激突注意」 「激突注意」
と叫んで、ボートが交差点を通り抜けたら、
「あったりー」
と送り出す。
・・のだそうだ。とぼけた上目遣いで演じてくれた。
が、当然と触れていないが、要は立ち泳ぎをしながらするのだろう、その交通整理を。
長時間、一晩などもちそうにないと思えて、気持ちが引いた。
今夜からのは君か、と金城さんが手招きする。
せいぜい一つか二つしか年上ではないはずの青年だけれど、荒れた髪や黒光りする筋肉がここでかなり「のして」いる人の雰囲気を発散していた。
今夜の現場ということで、金城さんが地図を広げた。暗いので上のランプをともしてやっと判読できる。
浮かび上がった街路図の中央に、その一区画を持ってきた。
一辺が百メートルはありそうな区画の四つの交差点ということになるのだが、一人前になると(つまり金城さんくらいになると)これを一人で受け持つのだそうだ。
じょうだんじゃないぜ。
一つの交差点で立ち泳ぎしてるだけでも無理そうなのに、そんなもの泳いで移動して面倒みれるわけないわ、と、内心あきれた。
君は初日だし様子見でいいから、とは言ってくれたけれど。
夜光塗料の黄色い筋入り帽子と、背と胸に同じく黄色いバツ印のついた前掛け様胴衣を支給された。
会ったときからこれを身につけ、やけに「さま」になっている、なじみすぎているくらいの金城さんは、現場の前に一つ寄るからと言い残して、自転車を発進させた。
顔の長いおっさんは、レスリングウエアに靴だけで、ほっほっ、と金城さんを追って駆けだした。
がんばって、など声援する女の子たちに「なんとかやってみるよ」なんてにやけているうちに出遅れてしまった。
そのうえ、慣れない道のアップダウンに慎重になって、やっと落ち着いて前を見たときには金城さんは小さな点だった。
おっさんは、なかなかの健脚だったけれどしょせん人の足、この人の背中さえ追っかけていれば大丈夫と考えた。
街はすっかり水が引いていたが、また小雨が振りだしている。
月明かりに似たともしびの群れと、まっすぐな道路だった。
気がついたときには、その薄闇の先で、前の二人が道を曲がったようだった。
金城さんの自転車はハナからあきらめていたが、おっさんまで見失うとはどうしたことか、と少々焦った。
二人が消えた辺りまで行くと、街の神社の鳥居があった。
そうか、現場の前に寄るってのはここか、と合点した。安全祈願というわけだ、案外な趣味だな、金城さん。
それで、鳥居から乗り入れ、それほど広くない境内を一回りしたのだが、人っ子ひとりいなくて、ただ雨足が充ちている。
拝殿の正面が、むっつりした人の顔のようだった。
その辺りの街路を乗り回った。
音でわかるが池が塀に囲まれているのを覗き込んだり、人家の窓明かりの人影まで疑ったり、また神社の境内に戻ったり探し回ったのだけど、二人は本当に消えてしまった。
夜は刻々と更けていく。
この辺りではなく、二人はずっと先をまだ走っているだけのような気もしてくる。
前掛けのポケットを探ると、事務所の名刺ともいえる硬い紙があって、今夜の現場も印刷されている。でも略した街路図だけで地名がない。地図を見せてもらったときも金城さんたちにおまかせで地名まで読みとっていなかった。
事務所に戻るしかないか、しかし、いきなり迷子だなんて女の子たちに知られるのがあまりにみっともない。
しゃれんならないなあ、どこいっちゃったんだよ。
街にそそぐ雨が、だいぶきつくなった。
激しい水音の遠いもの、だったような気もする。
気の進まないバイトだったけれど、この土曜の晩のぶんだけでも経験したかった。
「行き先をちゃんと言っといてくれよな」
と、抱き枕をたたいた。
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