雑感
わか
子供の頃、わかちゃん、と呼ばれてました。
何歳ぐらいまでだったのか、家族や出入りの人たちから。
ただ、祖父や父親は、名前の呼び捨てでした。
ということは、祖母や母親、叔母たちだったのかな、わかちゃんは。
弱々しかったなあ。
私の、わかちゃん時代。
女の子にはもてたけど、
おっとりというより、なよなよしてて。
たしか祖父が、軟弱ぶりを憂えて、
夏で、頭にあせもができたのを理由にして、
私は丸坊主にされました。
それからは、やや、腕白の色合いが加わっていったかも。
学年とかで、坊主頭はなぜか私ぐらいしかいなくて、
外見で多少、目立った生徒になりました。
そして、なぜか、あんなにいた私の取り巻きの女の子たちが、
減った。
祖父の狙いにまんまとはまったのかもね・・
輪っか
私の住んでいた実家は、身内の中で、うらのうち、と呼ばれていました。
職場である建物の北側の、道路一本へだてた所にありました。
家族だけでなく職場のほうの人たちも、ほぼ自由に出入りするような家で、
県都の中心からちょっとしか離れていない街中なんですが、
うらのうちの門には、常時、鍵をかけていませんでした。
門を入ると庭があって、右手を行けば玄関、正面は縁側や土間が並んでいました。
玄関も、縁側や土間にある硝子戸も、みんな無施錠。
夜は締めるんですけど、昼間はたとえ無人でも、何もせず。
でも、私の記憶にある限り、ということは、家族の記憶も加わりますから、
この家が建ってからずっと、一切、泥棒も盗難もありませんでした。
この門は、でも、開けようとしても開きません。
片手を少し上に伸ばして、格子の隙間から差し入れて、
そこにある輪っかを外します。
門を開けて入ったら、また、輪っかをかけておきます。
私たちは、こうして、便利に使ってました。
和歌
和歌はほとんど詠んだことはありません。
何十年も生きてきて、せいぜい五首ぐらい。
みんな記録は残っていませんし、忘れました。
でも、和歌は好きです。
伊勢物語が、最高に好きです。
さくら花散り交ひ曇れ老いらくの 来むといふなる道まがふがに
さくら花
散り交わせ 曇らせよ
老いなるもの
来るといわれる
道 まぎらわすほどに
拙訳と比べれば明瞭ですが、
歌のしらべのなんという、うるわしさ。
ショートショートを書いて、
ときたま傑作ができたと思い、
そして、いっときは自己陶酔できても、
いくつかの和歌に触れると、
頭を垂れて、
恥じ入るばかりです。
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