平成11年2月17日(水)〜

夏の恋
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 思いもかけないことだったのでしょう。
 私ですらそうなのですから、まして当事者であるなのはなさんは!



和香 平成10年6月22日 発言No.149

☆ 祝 なのはなさん 波乗り賞 ☆




 その数一万を超えるはずの Just Net のHPの中で、特に優秀と判定されたところが、週に一つずつ表彰される。「波乗り賞」という制度です。
 私も目指していました。この時点で私のこのHPは、立ち上げて半年というところでしたが、まだまだ先かと思っていたのです。それを、目の前で、初々しいなのはなさんがさらってしまった。
 仕事中にこの事実を発見して、最初、本当に叫びました。混乱の叫び声だったかもしれない。先を越されてしまった、という感じがありました。でもどんなにか、なのはなさんは喜んでいるだろうか、とも思いました。涙までにじんできました。
 このまま、この勢いで、若いなのはなさんは昇っていく、それでいいのではないか、くたびれた私は踏み台になればいいのだから。・・・そんなことも続けて考えたと思います。



お題 平成10年6月18日 発言No.148
作成 なのはな様 平成10年6月24日 発言No.150

スニーカー(好きですよん♪)




お題 なのはな様 平成10年6月24日 発言No.150
作成 平成10年7月1日 発言No.151

『スニーカー』 〜 『夜空』




お題 平成10年7月1日 発言No.151
作成 なのはな様 平成10年7月9日 発言No.152

『雷鳴』




和香 平成10年7月11日 発言No.153

背景色についてちょっとだけ #152




お題 なのはな様 平成10年7月9日 発言No.152
作成 平成10年7月11日 発言No.154

『雷鳴』 〜 『扇風機』




『スニーカー』 なのはなさん作

> あなたと一緒にここまで歩いてきたわ。

 そうか・・
 今読み返してみると、これは私への礼状だったのかもしれません。
 私がなのはなさんを引っ張り上げようとしていたのを、だいぶ昔から察していて、それをそっくり私に返している。
 同志の歌。

> もうアタシぼろぼろ。

 偽りのない、なのはなさんの本心という可能性もありますか。私は遊戯という観点で、この4行小説を楽しんできましたが、なのはなさんにしてみれば、過酷な修行であったということもありえる。初めてのHPに悪戦苦闘したあげく、望外の波乗り賞という果実を得たけれど、一息ついて、振り返りそして遥かこれからを眺めてみると、もう出し切ってしまったような虚脱さえ覚える。そういうことでしょうか。
 もちろん、だとしても一時的な気の迷いで、なのはなさんの歩みは(一直線とは言いませんが)とどまることはなかった。
 ・・・いやいや、妄想はこのくらいにして、作品に戻りましょう。

> 優しく包み込んで
> 走れるように守っててあげる。

 あくまでもフィクションで、なのはなさん自身とは違う人のお話であるとしましょう。
 私はきっと、このスニーカーのお嬢さんのおかげで先に行ける。逢うことも知ることもできないのでしょうが、そういう人はいるに違いない。・・信じてみようという気にさせてくれます。別格の詩です。
 私の、守り神の歌声。



『夜空』 和香作
 苦い味の和香様式、二連もの。
 出来は『スニーカー』に比べるともう、逆転されているようです。
 はっきりとは覚えていませんが、どうやら、『スニーカー』への返歌でもあるらしい。

> 男と女でもない。しいて言えば、なかよし。

 私は、たいして女性にもてないためか、こういう関係に慣れてしまうたちのようです。
 でも一番「いいころ」という気はします。互いに互いの佳い匂いに気づき、接触を始めた春のひととき。まだ、弱いところ、醜い点は見せずに、瀬踏みをしながらまわりを回りあう舞踏。
 このお話の女性は、青年より多少年上という感じがします。

> 十年経って、
> 悔やんでいるけれど、遅いね。
> あのとき、助けを求める瞳に気づいたさ、僕は。
> 君よ。そしらぬ顔をして、ごめん。

 厳しく決めつければ、裏切りということです。
 「なかよし」だけれど、まだ「恋人」ではないのだから、身を投げ出して救う義務はないのだからと、ほおかむりする冷酷。事後に、笑ってごまかそうとしても、相手はもう心の奥底で許してはくれないのでしょう。
 十年でも二十年でも、悔やむことによって、思い出せる。男に残されたのはそれだけです。
 「そしらぬ顔」という辺り、ここではまだ私自身知らなかったこの少し後の状況を、予言しているかのようです。 ・・つまりは、未来の具体的な展開は知らなかったとしても、私の心根にこういう卑怯なあるいは冷たい部分があることは間違いないためだと思います。



『雷鳴』 なのはなさん作
 これを読んだ時点でどうやら、なのはなさんへ「率直な」論評を贈る腹を固めたかと思えます。それまでは、どうしてもどこかしら子ども扱いであった気がします。なのはなさんのHPや小説への不満はなるたけ抑えて、よい点を見つけようとしていた。これはこれで悪いことはないと思うのですが、もうその段階からは離脱しようとしている。『雷鳴』に「傲慢さ」を嗅ぎ取ると、これを未来に向かって拡大解釈し、そんなことではいけないと先走った。

> 毒? 聖水?

 ここらの語彙が、TVゲーム、RPGで多用される、安っぽい薄っぺらなものと感じました。なのはなさんがなのはなさん自身を汚しているような気までしました。
 それならば、そう書けばよかったのに・・
 『雷鳴』の感想として、極力抑えて、簡単に不満を述べている。これは上で述べた子ども扱いとは別物です。後に書くつもりの本格論評のために、力を溜めているだけなのです。もう怒りに近い。

 まことに、こういうときの私は、獣です。闘い方も知っている。
 おっしゃるとおり多忙で、疲れていただけだろうと思います。なのはなさんはまだ、素人です。弱いところもあります。
 獣は、その無防備な白い首筋に隙を見つけ、噛みつくのです。
 牙を剥き、うなり始めていることに、それが私だということに、さすがに気づけない・・
 そうだろうと思って、舌なめずりを始めた、そんな時期だろうと思います。

 『雷鳴』は、読み直してみれば、そういう獣を呼び込むような挑発を孕んでいる。挑発そのものとも言えます。
 結局のところは、・・なのはなさんの歌に、あるいは、4行小説の魔に、全てを俯瞰しているつもりの私の情念が酔わされ踊らされていた、そうなのでしょうか? ・・



『扇風機』 story 1  和香作
 和香様式四連もの。ダミー行あり。カオリ出演。
 ・・という具合に、存分に遊んでます。
 独身男性教諭と、単にませているというのではない心に隙間を持った少女。
 ものうい夏の午後、破滅を育てているような愛・・
 うん。
 とてもいいですね・・
 現代的な衣をいくらまとおうと、私たちの素は、湿潤な風土に暮らす野生です。こういうのは本当はなんでもないことなのに。なんでもないことなのに、胸たかぶるシチュエーションということは、今のほうが道踏み外しているから、でしょうか。

 飼い慣らされた動物は、鎖から解かれても生きていくことはできない。
 走り回って、うれしく吠え騒いで、日暮れには飢え始める。
 ご主人様に頭を垂れ、許しを乞う。
 飼い慣らされた動物は、鎖から解かれた「夢」を、生きていく。



『扇風機』 story 2  和香作
 こちらは、なのはなさん風で、織り込み無し。
 省略の度合いがほどよくて、われながら傑作 ☆

 陽炎のようなまぼろし。
 でも、照りつける熱線にいたぶられたあげく心が垣間見た錯覚、と、そう決めつけなくても・・
 人はときに、どうしても否定できない「そういうもの」を見ます。触ります。笑ってしまうけれど、本当にあるんです。
 だからといって、社会や科学や理性やらをひっくり返すほどの力はそいつらにはない。片隅で、次の出番を待って、ひっそりしているらしいのです。
 私は、それでいいと思う。たまに遊んでくれれば・・



 現在(平成11年3月1日)までのところ、4行小説、最後の作品です。
 この『扇風機』二作品を書き上げることができて、ここまで至ることができて、私は「4行小説」に満足できました。まだまだ続けることもできたでしょうが、これが書けたのだから、一区切りとして一服を許してあげられる、という感懐です。
 これは、次に来る論評によって、なのはなさんとの「贈答」を継続できなくなることまで覚悟した、そういうことです。
 身辺整理を終えて、未練はない。これに似ています。
 私は、いよいよ、渾身の力で、なのはなさんへの、明というよりは暗、清というよりは濁の、「想い」をのせ、筆をおろしたのです。



和香 平成10年7月13日 発言No.155

『 MUSTARD FLOWERS ROOM 』 を味わう




 これは、疲弊し薄汚れた心や体を持つ私を超え、陽のあたる場所へ翔び立とうとする若々しいなのはなさんへの「嫉妬」から生まれたものだった。そう指摘されて、否定することはできません。
 または、掌中の玉を、私以外の誰かが愛でようとすることへの、異議申し立てでしょうか。
 この時は、こういう感情の陰が、薄くはなかったと思います。
 が、こういう気持ちを自ら認めることは気分のいいものではありませんので、それなりに自制して書いているらしくみえます。そんな私心によるものではない、なのはなさんのために、若い人たちのために、・・と。
 恥ずかしい文章ですが、かろうじて持ちこたえてくれたらしく、月日によって古びるとともに、つたない外皮の色は剥がれて、中身が立ち上がってきてくれるように感じます。
 生々しい感情のまつわらない文章はないと思います。
 でも、わずかでも「まこと」があるなら、残っていく資格があるのではと信じます。



★ 西山さんの頃からの「ある流れ」ができているようです。「稚拙」からの離脱志向のようなもの。私はたぶん、自分が稚拙だとは思っていない。そして、なのはなさんを引き上げたく感じている。
 それだけではなくさらに、対決しても殴り合っても、たとえなのはなさんが倒れてしまっても、それが、私の使命か、とまで考えはじめている。屍をいくつ重ねようと、なのはなさんを継ぐ人たちの誰かが、いずれ私という魔をうち倒して真に輝くのならば、これこそが王道ではないか、と。つまり、《 王が踏み行く道 》になるのだ。
 ・・・ずっと昔もあったかもしれません。私の、悪癖でしょう。
 「業(ごう)」かもしれません。ですから、完治することはないと思います。



☆ 注 ☆
 なのはなさんのHPはすでに移転しているため、「レプリカファイル」にあるリンクからは跳べませんし、メールも送れないと思います。(平成11年2月17日現在)
 新HPについては、 異世界へ [リンク集] をご参照ください。
 ただし、本章で触れているなのはなさんのHP掲載の作品群が、今も当時の形のままあるのか、継続して連載されているのか、改変されたり削除されたりしているのか、などについては、あなたがお読みになっている今の時点では、何も保証することはできません。どうぞご理解下さい。







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